相模国府祭
散策:2003年05月上旬
【その他】 相模国府祭
概 要 相模国府祭は、相模国の神社六社が集まる平安後期から続く祭りで、 神奈川県の無形民俗文化財に指定されています。 神揃山で行われる座問答の神事は特に有名で、 その昔に「一ノ宮」の座を競った時の様子を今に伝えるものだそうです。 毎年5月5日に催され、露店なども出て多くの人で賑わいます。
起 点 大磯町 馬場公園バス停
終 点 大磯町 月京バス停
ルート 馬場公園バス停…神揃山…大矢場…月京バス停
所要時間 約10時間
歩いて... 祭りが始まる前の様子なども知りたくて、この日は朝早くから会場へやってきました。 予め進行予定を調べては来なかったので、行き当たりバッタリになってしまい、 朝9時30分から六所神社にて行われるという総社御大祭は見逃してしまいました。 この祭りの元になった昔の出来事を想う時、何だか熱いものが込み上げてきました。 祭りが終わっても「どっこい、そぉれ!どっこい、そぉれ!」という掛け声が いつまでも耳について離れませんでした。
関連メモ 鷹取山・里のみち , 相模川, 念仏山, 大磯宿, 万台こゆるぎの森, 吾妻山公園
コース紹介
馬場公園(ばんばこうえん)バス停
大磯駅(JR東海道線)から、[磯01][磯14]二宮駅北口行きバスにて9分、1時間に2本程度の便があります。
祭典当日《5月5日》
午前9時30分総社御大祭
午前11時神揃山祭
正午古式座問答
午後大矢場祭典
午後3時40分神対面の儀
午後3時50分国司奉幣の儀・裁許の儀
相模国府祭(さがみこうのまち)
【概要】
国府祭(こうのまち)は、現大磯町国府に、昔相模国の国府庁(今の県庁)が 置かれた国府本郷の神揃山(かみそろいやま)のお祭りと、 小字高天原(こあざたかまのはら)、別名、逢親場(おおやば)・大矢場(おおやば)で 行う国司祭の二つをいう。 相模国の 一ノ宮寒川神社(寒川町鎮座)、 二ノ宮川匂神社(二宮町鎮座)、 三ノ宮比々多神社(伊勢原市鎮座)、 四ノ宮前鳥神社(平塚市鎮座)、 平塚八幡宮(平塚市鎮座)、 総社六所神社(大磯町国府鎮座) の有力六社が参加し、相模国を網羅する関東一の最大の祭典として、 又、全国的にも試にめずらしく、貴重なお祭として知られ、現神奈川県の無形文化財に指定されている。
【伝統】
国府祭は、国府をコウ、祭をマチと読み、「ノ」の助詞をつけて「コウノマチ」と読むのが正しく、 奈良・平安時代には2月4日に行われていたものが、弘安5年(1282)に5月5日と改り、 明治に入って太陽暦となって6月21日、そして昭和40年の始め、再び5月5日に改り、現在に至っている。 奈良・平安時代の国府祭は、単なる祭典行事ではなく、国司が祭り主として行われる当時の 神祇制度と国の行政であった。祭りと政りが同一であった国司の行政が、武家の行政に移り変り行く中に、 相模国の場合は、幕府の所在国の大祭として、特に崇敬と保護を加えられ、祭典行事となって 継続され、現在に至ったものであり、それ故に平安朝の文化と行政を千数百年にわたって伝えている 誠に伝統ある価値ある祭典と言える。
【歴史】
国府祭の起源を研究してみると、それは大化改新(645年)まで遡ることができる。 大化改新に於いて、日本の国の制度が一段と改められ、地方には国々が再編成されて、 新たな国もでき、国の中心に国府(こう、今の県庁)を置き、中央政府より国司(今の県知事のような人)が 任命されて国の行政にあたらせた。 相模国も大化改新以前は、今の大磯より東の方に相武(さがむ)と言う国があり、 西の方には磯長(しなが)と言う国があった。 この二つの国が合併して相模国が成立したと言われています。 中央政府より任命された国司は、任国に着くと、先ず最初に神拝又は巡拝と言って、その国の 有力大社を参拝して回る制度があった。この回る順番によって後に、一宮、二宮と称されるようになる。 また、班幣と言って、毎年2月4日祈年祭等の幣帛として国幣を各社に班つ慣いがあり、 国府近くに斎場を設けて各社の神主、祝等を招き、班幣の神事と荘厳な祭祀が行なわれ、 それと共に各地の豪族を招いての盛大な宴会があった。しかし、時代がたつにつれて、 国司の巡拝は、大変な日数と費用と人員を用するため、巡拝する神社の分霊を国府近くの神社に 合わせ祀る慣いが起り、これが総社の起源となります。 そして、国司は巡拝をやめて総社に神拝し、巡拝にかえ、また、日常の国内安泰祈願所としたのである。 そこで国司は総社に分霊を納めて戴くために、各社に神輿を以って国府に集まるようお願いした訳である。 国府祭は、国司班幣神事と総社へ分霊を納める祭祀が一体となって、年に一度の盛大な行事となっていったのである。 よって、神揃山は班幣の斎場であり、高天原は総社に分霊を納める斎場であります。 平安朝時代の国司によるこの様な行事は、全国で多少の違いはあっても行なわれたもので、 現在でも各県に、一宮、総社等の地名、名前があります。
【経緯】
国司行政から武家の行政と移り行く中に、他の国々ではほとんど消滅して行くが、 相模国の場合は、鎌倉幕府の在所国となり、総社と五社には、特別なる保護と助成が与えられ、 弘安5年には、2月4日を5月5日と改め、将軍の命によって国府祭が行なわれるようになり、 別名、天下祭、端午祭とも言われるようになった。 また、小田原北条氏、徳川家康も先規に慣って、特にこの祭礼に保護と助成を加えられた事は、 古文に見られる所であり、明治に至った。 この様な保護と助成の元に、一宮〜総社までの氏子70ヶ村の人達は、国府祭の伝統護持に 努力を重ねてきた事は申すまでもなく、他村を加えことごとく国府に参り、 露店1,000軒、人出数万人で賑わったと古書に記されている。
国府祭大矢場祭場
バス停から少し引き返すと、十字路になった馬場公園交差点があります。 「相模国府祭」の会場となる大矢場はその角にある馬場公園の一角にあります。 大矢場や馬場公園交差点には露店などが沢山並んでいましたが、 まだ朝早い時刻とあって準備中の店がかなりありました。
国府祭大矢場(こうのまちおおやば)祭場
神揃山南側の山麓馬場公園の一角高天原(新編相模風土記)又は逢親場、王家塚、皇家塚とも書く。 「寒川古式祭記」には「おほや着」とある諸神集合の聖地である。 五社により派遣された「七度半」の使者による迎神の儀が総社六社神社に参向して総社の高天原への御臨幸を促し 総社宮立、見合の儀を経て総社は大矢場に着御…
一、鷺の舞。(神々を送迎するときの舞)
二、神揃山から一ノ宮を先頭で五社の神輿は下山して六所神霊の右隣へ順次着御。
三、七十五膳の献饌。(饌物を神々に献る)
四、「対面式」。五社の宮司は守公神(分霊)を総社に納める。
五、国司奉幣。(現在は大磯町長拝礼)
六、「裁許の式」。六所宮司が八幡宮から一ノ宮まで拝礼五社の守公神の納受を意味する。
敬神の参拝者多数の中で平安の絵巻そのままの神事が夕刻まで続き、 六社の神輿は八幡宮を先頭にそれぞれの地に遷幸する。
国府祭神揃山祭場
神揃山は馬場公園交差点から北へ少し行った所にあります。 当日の神揃山には、各神社の神輿の安在所としてテントが張られています。 向かって右から、 寒川神社(一ノ宮)、 川匂神社(二ノ宮)、 比々多神社(三ノ宮)、 前鳥神社(四ノ宮)、 平塚八幡宮 の順に並んでいます。 平塚八幡宮は一国一社の八幡宮で五ノ宮格なのだそうですが、 「五ノ宮」とは呼ばないようです。 総社の六所神社はこれら五社を迎える立場のため、神輿はこの神揃山には来ずに大矢場にて控えています。
(祭に参加するこれらの神社は「参加神社」を参照)
国府祭神揃山(こうのまちかみそろいやま)祭場
国府祭とは、相模の国府(今の県庁)が置かれた大磯町(国府本郷村)祭場と、 この山下の高天原(大矢場)祭場に、国司(今の県知事)が自ら 国内の代表を招請し、五穀豊穣・民業繁栄と国民守護を祈り奉弊神拝したことが、 この祭りの始まりであると伝えられている。
この地に国府が設けられたのは平安後期の頃と考えられ、約900年前からの 国祭りの格式を連綿として現在までよく伝え残した貴重な神事である。
一、 毎年5月5日(端午の節句)この神揃山祭場に、国内代表神の 一ノ宮(寒川神社・寒川町)、二ノ宮(川勾神社・二宮町)、 三ノ宮(比々多神社・伊勢原市)、四ノ宮(前鳥神社・平塚市)、 平塚八幡宮(平塚市)の五社の神輿は、早朝より社人・氏子の世話人と崇敬者数百人の供を 従えて格式のある行列として、遠路この斎場に一ノ宮神輿から順次定め られた時刻に神輿を経て、この山の安在所に着御され、各社の神祭事が斎行される。
二、 伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る祖神塚に一同拝礼、祖先に感謝し、 風雨寒暖の順調、天地万物の生成発展を祈る神事である。
三、 「座問答」の儀が謹請道場で、五社の社人整列の中で、一ノ宮神官 ・二ノ宮神官との虎の敷皮(神座を意味する)を進め合う無言の神事 があり、再三度に及びて三ノ宮神官より「いずれ明年まで」との辞 によって終る神事である。国府祭の神事中、特に有名なもので、 これこそ古代国家「相模の国」成立の起因の謎を秘めた珍しい神事である。
四、 「神体名と三種の儀」。祖神塚拝礼所の傍らに総社(六社神社)及び 五社の神体石が神鎮まり在りて、ここに各社神官によって三種(鉾・ 榊・御幣)を立て奉拝される。昔から巨石は神の御座であり、 ここに鉾を立てて降神の柱とした。これも古代祭所の儀式を伝える貴重な聖域である。
五、 大矢場祭場の神事は遷るこの山の南麓300メートルのところで行われる。
神揃山には各神社の神体石が立っています。 四角柱の形をしたこの神体石は一年中ここにあって、概ね次のような順に並んでいます。 一ノ宮から順に並んでいる訳でも、一直線上に並んでいる訳でもありませんが、 各神社はほぼこの方角にあります。

川匂神社

平塚八幡宮

前鳥神社

寒川神社

六所神社

比々多神社
神揃山へ登ってくる道も神社毎に違っています。 寒川神社・前鳥神社・平塚八幡宮は東麓から、川匂神社は西麓から、 比々多神社は長い尾根道を通って北麓からやってきます。 現在の地図を見ても、各神社はほぼこの方角にあります。 また、神揃山の近くには各神社の化粧塚や、前鳥神社の麦振舞神事斎場などもありました。

寒川神社

川匂神社

比々多神社

前鳥神社

平塚八幡宮
五社神揃山御成
10時20分頃から、各神社の神輿が 「どっこい、そぉれ!どっこい、そぉれ!どっこい、どっこい」 と掛け声をかけながら、幟や太鼓に先導されて元気良く登ってきます。 神揃山に到着するとひとしきり気勢を上げてから所定の安在所に納まり、各神社毎に神事を始めます。 神輿はこの祭り用にお揃いの形をしています。 普通は黒ベースで金色装飾の神輿が多いのですが、この祭のは白木の神輿になっていて「神明造」というのだそうです。 屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 現在では車に乗せて神揃山の近くまで来て、そこから担いで登ってきますが、 この祭が始まった頃は各神社の鎮座地から担いで来たのだとすると、軽くする必要があったのかも知れません。
寒川神社
最初は、一ノ宮の寒川神社の神輿が東麓から登ってきます。 太鼓や提灯に先導されながら、掛け声をかけて登ってきます。
川匂神社
続いて、二ノ宮の川匂神社の神輿が、雅楽隊に先導されながら西麓から登ってきます。 その昔に「一ノ宮」の座をかけて競ったことの表れなのでしょうか、 寒川神社の神輿が安在所に納まる前にやってきて、 安在所の前で競り合って気勢を上げてから、ほぼ同時に安在所に入ります。
比々多神社
しばらく時間を置いて、次は三ノ宮の比々多神社の神輿が尾根道を通って、 幟や提灯に先導されながら北麓からやってきます。 「暴れん坊」という役回りで、まるで酔ったように神輿が倒れてしまいそうになりながらやってきます。 途中にある化粧塚でひと休みして、また動き出します。
前鳥神社
さらに時間を置いて、四ノ宮の前鳥神社の神輿が、 幟や雅楽隊に先導されながら東麓から登ってきます。 榊を捧げた神主も先導していました。
平塚八幡宮
最後に、平塚八幡宮の神輿が、雅楽隊や太鼓に先導されながら東麓から登ってきます。
11時20分ごろ、すべての神社の神輿が安在所に入ります。 各神社での神事の後、一度に五つの神社にお参りしたことになるということで、祭りの観客も次々とお参りをします。

平塚八幡宮

前鳥神社

比々多神社

川匂神社

寒川神社
座問答
12時ごろに、安在所の横で「座問答」神事が執り行われます。 二つの国が合併して相模国ができた時に、 寒川神社と川匂神社が「一ノ宮」の座を競った故事にちなんだ神事です。 神様の座を表す虎の敷皮を無言で三度上位に押し進めて、自社こそ一ノ宮だと主張し合い、 その度に「うおぉ〜〜」という唸り声を発します。 比々多神社の「いづれ明年まで」という仲裁により、神事は終わります。
座問答
謂れ  大化の改新以前は、相模国も、今の大磯より東の方に相武(さがむ)という 国があり、又西の方には磯長(しなが)という国がありました。 この二つの国が合併して相模国(さがみのくに)が成立したと言われています。 そして相武の国の最も大きな神社が寒川神社であり、 磯長の国の最も大きな神社が川匂神社でした。 両国の合併にあたり、この一番大きな神社を決める必要がありました。 当時の国司(今の県知事のような人)は、巡拝と言って、国の中の主なる神社を参拝して巡るということがあり、 先ず最初に参拝するのが其の国の一番大きな神社でした。この参拝の順序が、後に、一宮、二宮、三宮と なっていきました。 そこで、この二つの神社の間に、相模国の一番大きな神社はうちの神社ですというような論争が起きました。 そして、この論争は比々多神社の宮司が、前鳥神社・平塚八幡宮と相談の上、仲裁に入り、 円満解決しましたが、この論争の模様が儀式化され、神事となって伝わったのが、この座問答であると言われています。
神事  注縄の中の正面に建てられた五本の鉾は、五社の神様の依り代です。 祭場に置く虎の敷皮は神様の座を意味しています。そして後方に並ぶ同じ装束の方が五社の宮司です。 同じ処に並んでいる虎の敷皮を上位に進めることは、当神社が相模国の一番の神社、 即ち一宮であると言うことを無言で表しており、又次にそれより上に推し進める事は、 いやいや、当神社こそ相模の一宮であると言う意味です。 それを三度繰り返すことは、永い永い論争があったことを表しています。 これではいつまでたっても解決されず、次の祭典も出来ないので、 その仲裁として比々多神社の宮司が「いづれ明年まで」と 言う言葉で解決される訳ですが、「いづれ明年まで」が、はや1000年以上続いてしまったことを考えると、 勝・負のない神様らしい円満解決の模様であると言えます。
神揃山から馬場公園にかけて、露店がたくさん出て、大勢の人達で賑わっています。 大矢場がある馬場公園には、各神社から、車の上に乗せた山車のようなものも来ており、 太鼓や笛などを奏でて、祭りを盛り上げています。 どういう訳だか、郵便局が臨時出張所を設けていたりもしました。
五社神揃山下り
14時頃、各神社の神輿が神揃山を出発して、300mほど南側にある大矢場祭場へと向っていきます。 「どっこい、そぉれ!、どっこい、そぉれ!、どっこい、どっこい」 と掛け声をかけながら、幟・太鼓・雅楽隊などに先導されて、 登ってきたのと同じ順序で、次々に南麓から降っていきます。
寒川神社
最初は、一ノ宮の寒川神社の神輿が神揃山を出発します。 登ってきた時と同様に、太鼓や提灯に先導されながら進んでいきます。
川匂神社
続いて、ニノ宮の川匂神社の神輿が出発します。 降る時には寒川神社と競り合うこともなく、整然と進んでいきます。
比々多神社
続いて、三ノ宮の比々多神社の神輿です。 「暴れん坊」ということで、あっちへヨロヨロ、こっちへヨロヨロとしながら、素直には前へ進んでいきません。 「こんなの、シラフじゃぁ出来ないよね。見てよあの顔、完全にイッちゃってるわ」と、 観客の中年女性グループが話していました。
前鳥神社
次に、四ノ宮の前鳥神社の神輿が出発します。 登ってきた時と同様に、雅楽隊に先導されながら進んでいきます。
平塚八幡宮
最後に、平塚八幡宮の神輿が神揃山を降っていきます。 登ってきた時と同様に、雅楽隊や太鼓に先導されながら進んでいきます。
神揃山の参道を降った処に、川匂神社の大きな神輿が待っていました。 長年使われてきたようで、かなり年季の入った神輿です。 他の神社は白木の神輿だけでした。 なぜ川匂神社だけが別に一つ持ってきたのか、 この時だけのことなのか、毎年のことなのかはよく分かりませんでした。
(この大神輿は2005年に修復されて新しくなりました)
神揃山から降りてきた各神社の神輿は、順次、大矢場へと向かっていきます。

寒川神社

川匂神社

比々多神社

前鳥神社

平塚八幡宮
六所神社
いつやってきたのか、六所神社の神輿が大矢場に来ていました。 各社が神揃山で神事を行っている頃にやってきたのでしょうか。 近年に造られたようで、金ピカに光った大柄な神輿でした。
15時前には、すべての神社の神輿が大矢場の所定の安在所に入り、各神社でそれぞれ神事が行われます。 ここでも、祭りの観客が次々とお参りをします。 近くでは、鷺の舞・龍の舞・獅子の舞が、舟屋形の舞台で奉納されます。
鷺の舞
最初は鷺の舞が奉納されます。 鷺は慈悲の象徴で、平和で幸せな生活を願う舞だそうです。
龍の舞
続いての舞が奉納されます。 龍は水の神ということで、五穀豊穣を願う舞とのことです。
獅子の舞
最後に獅子の舞が奉納されます。 獅子は外敵から身を守ることから、その部族に災いが起こらないようにとの意味があるそうです。
15時30分頃、各神社の安在所の前では、 七十五膳の献饌、対面の儀、裁許の儀などの神事が執り行われます。
16時頃、一連の神事が終わり、六所神社の神輿が動きだして、各鎮座地へ帰る神輿を見送ります。
どっこい、そぉれ!、どっこい、そぉれ!、どっこい、どっこい
どっこい、そぉれ!、どっこい、そぉれ!、どっこい、どっこい
   :
   :
そぉれ!、そぉれ!
来た時とは逆の順序で、平塚八幡宮から出発し、公園内をひとしきり練ってから出ていきます。 この時にも比々多神社の神輿は「暴れん坊」の名を欲しいままに、倒れそうになりながら練っていきます。

平塚八幡宮

前鳥神社

比々多神社

川匂神社

寒川神社
華合わせ
平塚八幡宮・前鳥神社・比々多神社の神輿は各神社の鎮座地へ帰っていきますが、 六所神社・寒川神社・川匂神社の神輿はもう少し残って、馬場公園交差点の所で華合わせを行います。 T字の形に体勢をとりながら、甚句も歌われて、祭りの最後を盛り上げます。 「一ノ宮」の座をめぐる件もどうにか収まって、一つの国になれた事を表しているのでしょうか。
月京(がっきょう)バス停
神揃山と大矢場での祭りは17時頃に終わりになります。 馬場公園から西へ続く道路を進み、不動川を渡っていくと月京バス停があります。
大磯駅(JR東海道線)までの便が1時間に2本程度、平塚駅(JR東海道線)までの便が1時間に1本程度、 二宮駅(JR東海道線)までの便が1時間に2本程度あります。
各神社の神輿は鎮座地の近くまで車に乗せて移動し、 手前で控えていた大神輿と一緒に、掛け声をかけながら担がれて神社へ戻っていくようですが、 その様子はまだ見ていません。