舞岡公園
散策:2012年07月上旬
【里山散歩】 舞岡公園
概 要 舞岡公園は横浜市の戸塚区から港南区にかけて広がる自然公園で、舞岡ふるさと村や舞岡ふるさとの森とも隣接しています。 谷戸田を取り巻くようにして森や丘が続いていて、小谷戸の里を中心として保存活動が続けられている里山です。 今回は尾根筋から舞岡公園へ入り、南舞岡地区から丘を越えて戸塚駅へ向かっていきます。
起 点 横浜市 戸塚駅
終 点 横浜市 戸塚駅
ルート 戸塚駅…子之八幡社…水神橋…上倉田原公園…戸塚ふたば幼稚園…下倉田第二公園…舞岡南の橋…舞岡公園…けやき広場…もみじ休憩所…ばらの丸の丘…東門…谷戸…小谷戸の里…旧金子家住宅主屋…炭焼小屋…やとひと情報館…北門…瓜久保…舞岡町小川アメニティ…南舞岡地区…小田急分譲地…戸塚駅
所要時間 2時間50分
歩いて... 以前には明治学院大学の西側は畑地などが続く雰囲気のいい所だったのですが、宅地化が進んですっかり様変わりしています。 道路建設のために尾根が切り開かれ、東側の谷筋にも住宅が建ち並び、今では往時の面影はもう僅かしか残されていません。 スダジイの巨木に抱かれていた庚申塔は舞岡南の橋の傍に移設されています。
関連メモ 舞岡ふるさと村, 舞岡ふるさと村, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園,
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コース紹介
戸塚(とつか)駅
戸塚駅(JR東海道線)から歩いていきます。
橋上改札口から東口へ出た所に「戸塚駅周辺広域案内」と題した案内板が設置されています。 これから向かう舞岡公園も載っていますが、今回歩く公園までのルートは詳しくは載っていません。 案内板の先のペデストリアンデッキ(橋上広場)の3本足のモニュメントの手前からラピス3へ続く通路を進み、 左折した先の階段を降っていくと、柏尾川に架かる吉倉橋の際に出ます。
吉倉橋を渡って100mほど先にある上倉田交差点を右折して県道203号を進んでいきます。 水道局戸塚(事)前交差点を過ぎていくと、上倉田交差点から400mほどの所から左手へ道が分かれていきます。 ここを左手に入っていきます。
水道局戸塚(事)前交差点は以前は水道局戸塚(営)前交差点という名前でしたが、近年に改称されたようです。
子之八幡社
住宅が建ち並ぶ路地を1分ほど進んでいくと、幟を立てる高い柱があります。 そこから左手へ入っていくと、注連縄が張られた鳥居があります。 鳥居をくぐって石段を登っていくと子之八幡社の境内になります。 正面の一段高い所に、本殿と拝殿から成る社殿が建っています。 本殿の屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳え、 拝殿の屋根には7本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 上倉田地区の鎮守として歴史のある神社のようでした。 境内の左手には社務所があました。
上倉田町鎮守 子之八幡社 略記
鎮座地 横浜市戸塚区上倉田町978番地
県道戸塚〜鎌倉線。 戸塚駅より二番目のバス停「表」で降りると左手の小高い森の木の間から御社殿と鳥居が見えます。
御祭神 大己貴命(大国主命)、應仁天皇(誉田別尊)
境内に山王社、道祖神等が祀られています。
神殿 神明造、木造、銅板葺き、11坪(36.3u)
境内坪数 500坪(1650u)
主な行事
元旦祭 1月1日、午前0時より午後3時頃まで氏子役員が奉仕しています。午前10時式典を行います。
左義長 1月15日、午前9時より午前中境内で行います。
例大祭 8月第1土曜日、午後2時式典を行います。 以前は例大祭を4月2日に行っていましたが、社会情勢や生活様式の変遷から、 上倉田を永住の地としている皆さんの希望で夏休み中の8月第1土曜日に改められました。 当日は神輿渡御、納涼おどり、演芸、模擬店等、老いも若きも祭に参加し、 氏神にお仕えして楽しい一日を過しています。
七五三祝 11月15日前の日曜日、午後1時より祝式を行います。
由緒沿革 子之八幡社はもと子之神社と云われ、勧請年月日は不詳ですが古くから村の鎮守でありました。 記録によると、享和2年(1802)3月及び、天保2年(1831)社殿が造営され、明治6年12月村社に列し、 同17年9月及び同22年9月の再度の暴風雨のため社殿が破損したが直ちに再建されました。 上倉田町1391番地に鎮座されていた八幡宮が大正4年1月1日の火災で社殿が焼失、 同年4月20日子之神社に合祀され、以後子之八幡社と改称されました。 現在の社殿は大正6年に造営され、大正10年7月神饌幣帛料供進神社の指定を受けました。 昭和46年に拝殿の草葺きを銅版葺きに改造して、社殿の様相を一段と整えることができました。 御祭神大己貴命(大国主命)は、出雲大社を本宗として、その分社はあまねく全国に行き亘っています。 大国主命は国造の大神、又は大物主命とも称され、物質界のみならず精神界の支配者であるという信仰もあり、 多方面に神徳があらわされました。 八幡宮が第15代應仁天皇を祭神としたことは、遠く奈良時代九州宇佐八幡宮を本宗として祀ったことに始まります。 貞観元年(859)山城(奈良)男山に分霊し、岩清水八幡宮として祀られました。 以来、氏族神、郷土神として深く信仰し、八幡様は八百万の神々の中で最も広く信仰されています。 中世の武士は武神として尊び八幡大菩薩として仏教と習合した。 八幡宮は全国神社の半数に及んでいます。 八幡太郎義家は源氏の氏神として、又、源頼朝は鎌倉に幕府を開き氏神として尊宗した。 上倉田八幡宮は勧請年月日が不詳ですが、 当時長尾郷主が民政安定を願って奉祀されたであろうことは、新相模風土記などから推察されます。 明治以降は神祇院がおかれ、神仏分離がされ、明治6年村社に列せられてから幣帛料が奉祀され、村長が祭礼に参列された。 行政区画も相州上倉田村から鎌倉郡豊田村上倉田に、昭和14年には横浜市に編入されて、戸塚区上倉田町に変った。 第二次大戦後は神社は宗教法人として発足することになって、 昭和28年9月28日宗教法人子之八幡社として、神社本庁から認証され法務局に登記されました。 このように行政改革や制度変遷に加えて上倉田町の急激な発展は いつか會っての農村が都市化されました。 ここを永住の地と定めた方々も急増しました。 永い歴史と共に上倉田の鎮守様として崇敬され立派に護持されてきました。 今後も愈々共に親しんで、氏神のお守りを戴き、和やかな明るい町づくりに努めてまいります。
 (宮司、総代代表)
子之八幡社の境内の右手に並ぶ道祖神や庚申塔群を過ぎていきます。 石段を降り民家の間に続く路地を進んでいくとT字路に出ます。 そこを左折して緩やかに数10m登っていくとY字路があります。 正面には「しらぎく幼稚園 100m先、右に入る」の看板が立っていて右手の道を指しています。 その看板に従って右手へ100mほど進んでいくと分岐があります。 以前には右側にはこんもりとした小山がありましたが、切り崩されて宅地化され、 今ではその面影もない住宅地になっています。 先ほどの看板のしらぎく幼稚園は右手へ進んでいくのですが、今回は左手へと曲がっていきます。 左折した少し先の左側には上倉田原町内会館があります。
水神橋
上倉田原町内会館を過ぎた先の十字路を直進して、登り坂になった道を進んでいきます。 住宅地に続く坂道を3分ほど登っていくと、高架になった水神橋が正面に現れます。 上を通っている道路は、本郷台5丁目から明治学院大学を横切って小田急団地入口へと続く桂町戸塚遠藤線になります。 以前にはこの道路はなかったし、周辺の工事なども行われて、すっかり様変わりしてしまいました。 道路の左手には横浜市倉田コミュニティハウスがあります。 多目的ホール・憩いの間・交流ラウンジ・音楽室などがある施設になっています。 水神橋の下をくぐり、左手から登ってくる道を合わせて、その先へと進んでいきます。
上倉田原公園
左右への分岐道を見送って道なりに進んでいくと、正面にこんもりとした森が現れます。 森の右手に沿うようにして続く道を進んでいくと、左手の石段を登った所に上倉田原公園があります。 ブランコや滑り台などがある小さな公園です。 以前には、道路の右手に市民農園があったのですが、今ではすっかり宅地化されてしまいました。
上倉田原公園から道路に降りてその先へ進んでいくと、道が右手へと分かれていきます。 角にはコンビニがあります。 どちらの道を進んでいっても舞岡公園には行けるのですが、今回は正面に続く坂道を登っていきます。 坂道を1分半ほど登っていくと、右手へ細い道が分かれて降っていきます。 その坂道を降っていくとすぐに緩やかな道になります。 駐車場や建物などを過ぎていくと五叉路があります。 以前には左右に通る道はなく、右側には畑地が続き、左側は森になっていましたが、 開発の波に押されてすっかり様子が変わりました。 左手にある明治学院大学の入口を見送って、正面の道を進んでいきます。
少し降って、なだらかになった道を進んでいきます。 両側には草木の生える道が続いていて、昔の面影が僅かに残っていたりもします。 右手が少し開けて住宅が迫ってくる所を過ぎていきます。 森の脇を進むようになると、左手の一段高い所にはちょっとした畑があります。 その下に続く細い道を進んでいくと、右手には僅かな植林地が続くようになります。 この辺りは昔の雰囲気がまだ少し残っていて、何だか懐かしい感じがします。
僅かな植林地を抜けていくと車道に出ます。 明治学院大学を横切る桂町戸塚遠藤線で、先ほどの水神橋の所から続いてきています。 ここから先は下倉田地区になります。 車道を少し左手へ進んだ所にある分岐を右折していくと、森に突き当たります。 左折して森の脇に続く道を軽く登り気味に進んでいくと、左手から道が合流してきます。 正面の窪地になった遊水池は大学の弓道場になっています。 大学の敷地は「緑地の協定区域」として協定されているようです。 右手の森の中にも弓道場のような所がありました。
明治学院第2遊水池
この池は大雨の時、雨水を一時貯水して下流へ少しずつ流し、 河川の氾濫を防ぐ大切な役目をします。
貯水量 5,724.6立方m、水深2.108m、貯水面積2,715.7u
 (学校法人 明治学院)
緑地の協定区域
この区域は、緑の環境をつくり育てる条例に基づき協定された緑地です。 皆んなで緑の環境を大切に育てましょう!
 (明治学院、横浜市)
左手からの道を合わせて右手へ進んでいきます。 大学構内に沿って続く道を進んでいくと、道が右手へ分かれていきます。 その道を見送って柵沿いに進んでいくと左手へ道が分かれていて、 その先には大学構内へ登っていく階段が見えています。 その道も見送って少し右手へ曲がっていく道を進んでいくと、住宅地の中に続く軽い登りの坂道になってきます。 左右への分岐を見送って道なりに真っ直ぐに進んでいくと、 「下倉田幸ヶ丘自治会掲示板」や四角い郵便ポストのある分岐の先に、 少し曲がった感じのX字路があります。 左右の道の方が広めなのですが、ここは正面の少し右手へと登っていく坂道を進んでいきます。
戸塚ふたば幼稚園
坂道を登って道なりに左手へ曲がり、緩やかになった道をその先へ進んでいきます。 1分ほどして左手へ曲がって軽く登っていくと、少し曲がった十字路があります。 そこを右折して背の高いコンクリート壁の続く坂道を登っていきます。 青緑の金網が続くようになった坂道を更に登っていくと尾根筋に着きます。 その右手には戸塚ふたば幼稚園があります。
下倉田第二公園
この尾根は横浜市の戸塚区栄区の区境になっています。 尾根に続く道を左手へ少し進んでいくと十字路があります。 その左手の角に下倉田第二公園があります。 ブランコ・鉄棒・滑り台・砂場などがある静かな公園です。 戸塚ふたば幼稚園の手前にあった十字路を直進してくるとこの公園に来られます。
下倉田第二公園を過ぎて、尾根筋に続く道をその先へ進んでいきます。 以前は尾根の右側は谷になっていて、谷底に細い道が続くひっそりとした所でしたが、 今では道も広がって、民家などが建ち並ぶ住宅地になりました。 右手の奥の方に横たわっている低い山並みは、鎌倉天園へと続く尾根になります。 僅かな登り坂の道を進んで正面に森が見えてくるとX字路があります。 左正面に登っていく坂道を見送って、森の右側に続く道を進んでいきます。 舗装されてガードレールも設置されてはいますが、往時の面影がまだ少しは残っている所になります。
舞岡南の橋
やがて開けた所に出ます。 以前にはその先へ真っ直ぐ尾根道が続いていたのですが、道路建設のために尾根が切り開かれてしまいました。 かつて尾根だった少し左側には舞岡南の橋が架けられ、 先ほどの桂町戸塚遠藤線がその下を通っています。 なぜ以前の尾根道の所に橋を架けないのかはよく分かりませんが、まだ他にも道路計画があるのでしょうか。
正面のこんもりとした森へ続く舞岡南の橋を渡っていくと、金網柵で囲まれた一角に庚申塔があります。 庚申塔の正面には三猿の浮き彫りが施してあり、「元文二丁巳天 庚申供養 九月吉日」の文字が刻まれています。 以前は尾根道の脇に生えるスダジイの巨木の袂に抱かれるようにして佇んでいましたが、 道路建設によって庚申塔はこの場所に移され、スダジイは舞岡公園内の南の丘に移植されました。
庚申塔について
この石塔は道標を兼ねた江戸時代の庚申塔です。 庚申塔は特に江戸時代に農村で流行した庚申信仰に基づくもので、 元文2年(1737)に舞岡村の信者により建てられました。 もとはここから凡そ80メートルの場所にありましたが、 都市計画道路横浜藤沢線の建設により現在の場所に移されました。 正面下には「前岡村同行七人」と建立者の銘があり、 「新編相模国風土記稿」(江戸時代の地誌)に記載されている「古は前岡と記す」ことを裏付ける貴重な史料です。 庚申塔の向かって右側面には「これよりぐめうじミち」、左側面には「これよりかまくらミち」と道標が刻まれています。 道路建設前、この周辺は雑木林に覆われた舞岡川源流の丘陵地で、 丘陵の尾根に沿って日限山方面から小菅ヶ谷方面へ抜ける尾根道がありました。 それは中世の鎌倉道の一つの古道で、江戸時代には「ぐみょうじみ」と言われ、 東海道の保土ヶ谷宿から弘明寺観音を経て鎌倉へ通じる道として利用されました。 その道沿いにひときわ目を引くスダジイの大木がそびえ、 二又に分かれた幹の根元に包み込まれるように、この庚申塔は建っていました。 スダジイは推定樹齢から庚申塔の建立と同時期に植えられたとみられ、 260年余にわたって両者が一体となって往来する人々に道標の役割を果たしてきたことが伺えます。 道路建設によりこの辺りの地形は大きく変わり、スダジイと庚申塔が見守ってきた古道の尾根道も消失しました。 庚申塔とスダジイは、市民と横浜市との話し合いにより移転が実現し、 スダジイの幹は現在ここからも見えますが、舞岡公園内の南の丘に移植されています。
 (平成23年1月 舞岡まちづくり塾、横浜市道路局)
舞岡公園
分断された尾根からの道跡を合わせて、青緑の金網が続く尾根道を進んでいきます。 程なくして金網が途切れて道幅が少し広がってくると、 左手の歩道の脇に「舞岡公園」の標柱が立っています。 この辺りが舞岡公園の南東部になります。 戸塚駅からここまで1時間10分ほどで来られました。 右手のこんもりとした丘はおおなばの丘えのき休憩所で、春には桜の花が綺麗に咲く所です。 左手の広場はさくら休憩所になります。 その脇にある南門を通って谷戸へ降りていく道を見送ってトイレ設備を過ぎていくと車道に出ます。 脇には「舞岡公園案内図」があります。
けやき広場
左手へ入っていく道を進んでいくと分岐があります。 角に立つ道標に従って、先ずは右手にある管理詰所の方へ向かっていきました。 車道の上に架かるばらのまる橋を渡って横木の階段を降っていくとけやき広場に着きます。 手前には東屋があって、輪切りにした丸太がベンチ代わりに幾つか置かれていました。 広場の脇に公園の管理詰所があります。 奥の方には少し窪地になったこぶし広場もありますが、今回は訪ねるのを省略しました。
ここ舞岡公園には四季の移りかわりを楽しませてくれる草花や木があり、 さまざまな生きものたちがすんでいます。 この大切な動植物たちの営みを末永く保ちつつ多くの人たちが楽しめるよう、 次のことにご協力くださいますようお願いいたします。
・火の使用はできません。(公園の催しを除く)
・ゴミは持ち帰る。
・大きな音を出さない。(音楽等は迷惑にならないように)
・動植物をとらない、持ち帰らない。
・ペットなどの生き物を捨てたり、草花や樹木を無断で持ち込んだりしない。
・道をはずれない。(貴重な動植物をふんだりおどろかせたりすることがあります)
・生き物にエサをやらない。
舞岡公園憲章
私たちは横浜市の原風景である谷戸を愛する市民です。 舞岡公園は、水や土、それに私たち人間をはじめとする生きとし生けるものの調和によって 成り立ってきた谷戸の景観をとどめています。 この緑あふれる谷と丘を良好に維持保存し、 ながく後世に引き継ぐことを目的としてここに憲章を定めます。
・私たちは、舞岡講演で自然とふれ合い、様々な生き物たちと共にあることを大切にします。
・私たちは、谷戸で受け継がれてきた文化や農体験を大切にします。
・私たちは、舞岡公園を市民の手づくりによる市民のための公園にします。
 (横浜市南部公園緑地事務所)
もみじ休憩所
けやき広場から引き返してばらのまる橋を渡って戻ってきます。 先ほど来た左手からの道を合わせていくともみじ休憩所があります。 芝生の広場になっていて、周囲はカエデなどの樹木に囲まれている所です。 手前からは古御堂保護区への道が分かれています。 広場の先の方へ進んでいくと東屋が建っています。
ばらの丸の丘
東屋の左手から続く傾斜が少し増した坂道を降っていきます。 道の両側の森は生物保護区のため立入禁止になっています。 幅の広い坂道を1分ほど降っていくと、丸い尾根の背に続く広場に出ます。 ここがばらの丸の丘で、周囲には桜の木が沢山植えられています。 花の季節には綺麗に彩られる所でもあります。
東門
ばらの丸の丘の先へ進んでいくと、宮田池さくらなみ池の畔へ降りて行かれますが、 今回は手前の左手にある東門から谷戸へと降っていきます。 門の手前には道標が立っていて、正面の丘は「さくらなみ池・宮田池」、 左手の東門から続く道は「谷戸・水田」となっていて、「小谷戸の里」の表示も添えられています。 舞岡公園の中心的な場所である谷戸には北門・南門・東門の三つの門がありますが、 自然等を守るために夜間は閉ざされています。 門を抜けてその先へと進んでいきます。
お知らせ
ここより先は野生動植物の保護及び自然環境を維持して行くため、 犬(補助犬を除く)等を連れての立ち入りはできませんので、ご協力をお願い致します。
公園門(東・南・北)内の利用時間
夏期間(4月〜10月)… 8:30〜19:00
冬期間(11月〜3月)… 8:30〜17:00
なお野生動植物の保護及び自然環境の維持のため、夜間は公園門の開閉を上記の時間で行います。
 (横浜市環境創造局南部公園緑地事務所、舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会)
谷戸
雑木林の中に続く緩やかな道の脇には笹竹などが生い茂っています。 道の両側は立入禁止になっています。 少し進んでいくと、幅の広い横木の階段を降るようになります。 笹竹の生い茂る斜面に続く横木の階段を1分ほど降っていくと、浅い谷戸に降り立ちます。 谷戸には田んぼが広がっていて、青々とした稲が元気に育っていました。 田んぼから一段高い所には南門から続く広い道が通っていますが、 今回は田んぼの脇の水路沿いの畦道を進んでいきました。
生活保護区のため立入り、動・植物の採取を禁止します。
 (横浜市)
秋になると、畦道には多くの案山子が立てられ、「案山子祭り」も催されます。 畦道とその上の道との間には、二箇所に東屋があります。 川遊びなどをしている親子連れを眺めながら進んでいくと、左手の広い道へと曲がっていきます。 畦道は正面へ更に続いていますが、左手の広い道を横切っていきます。 入口には大きな掲示板が設置されていて、樹木・野草・野鳥に関する写真付きの資料などが貼り出してありました。
舞岡公園 樹木と野草のしおり
昭和20年(1945)代頃の横浜には「谷戸」と呼ばれる、低地には田んぼ、 その周りには雑木林で形作られている景色が当たり前にどこにでも存在していました。 しかし、現在、市内では舞岡公園のように田んぼと雑木林が一体の形で残されている「谷戸」はわずかとなってしまいました。 「谷戸」は多種多様な動植物の生息環境として重要な役割を担っています。 この舞岡公園では「舞岡憲章」の精神を大切にし、さらに動植物と人間の素晴らしい共存関係が育まれることを願い、 この「しおり」を作成しました。 日々変化する樹木と野草にふれあう手がかりとして、ご活用ください。
 (やとひと未来)
舞岡公園 野鳥とのであい
野鳥を観察する際は次のことに気をつけましょう。
・静かに観察しましょう。
・野鳥の生活を乱すような行為(餌をまいたり等)はやめましょう。
・園路を占有したりしないようにしましょう。
野鳥は季節や環境により移動しますので、ここに掲載されている鳥を必ず観察できるとは限りません。 観察の目安や手がかりとしてこのパンフレットを活用ください。
 (舞岡公園田圃・小谷戸の里管理運営委員会)
小谷戸の里
掲示板を過ぎてその先に続く板敷きの坂道を進んでいくと、「小谷戸の里」の表札の掛かる木門があります。 門から中へ入っていくと、舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会事務所の前に小谷戸屋があって、 ボランティアの方々が作られた品物が売られています。 この時には、米ぬか・草木灰・もみ殻・竹炭・竹トンボ・わら馬・ポックリ・草鞋などが販売されていました。
「舞岡公園へようこそ」
ここ舞岡公園は、市内でも残り少なくなった昔ながらの田園風景が残され、 横浜の特徴的な景観である谷戸の地形をいかした公園です。 田んぼや畑、雑木林などの農的自然を四季折々に育み続け、 そこに息づく生きものたちへの心配りも大切にし、 さまざまな生きものが織りなす豊かな自然の営みが末永く続くことを願って開設されました。 ここで多くの市民の汗と創意が何よりも重んじられています。 横浜市環境創造局と市民団体が、1993年6月の開園までの約10年間、 他にほとんど例のない公園の維持と運営に向けて少しずつ試行錯誤を重ね、 その成果が実りさまざまな工夫と知恵が活かされて現在にいたっています。 公園内の「田園体験区域」では、田や畑の農作業、雑木林の維持作業、自然観察会、炭焼き、わら細工、 季節の行事などが行われています。 ここの管理運営を行っているのが「舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会」です。 指定管理者としてさまざまな事業を行っており、作業参加のボランティアの方々や、 散策の市民の歓声や笑い声がいつも絶えない日常です。 茅葺き屋根の古民家では、竃の煙が立ち上り、敷居を一歩またぐとそこにはもう明治・大正時代にタイムスリプ! 囲炉裏や太い大黒柱がピカピカに黒光りしている佇まいは、そこにいるだけで身体全体が「ほっ!」とします。 ボランティアとして会の活動を支えている登録者は約400口。登録内容も多種多様。 登録関連諸経費として年間2000円と3000円のどちらかを選択し、登録時に支払います。 他に主に資金面で協力してくださる登録もあります。 内容は、田んぼ・雑木林・畑・古民家・農芸・会報編集・生物環境・谷戸学校・こども谷戸教室・親子自然教室などがあります。 谷戸学校は、会の運営を担うスタッフ(指導員)の養成を目的にした1年間の講座で、座学と実習があります。 作業を共にして一緒に流す汗は、それだけで心をなごませ会話が弾みます。 老若男女どなたでも参加できます。 お気軽に声をかけてください。
"小谷戸の里"休館日
毎月第3月曜日(祝日の場合はその翌日)
開館時間 : 午前9時〜午後5時
年末年始の休み : 12月29日〜1月3日
 (舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会)
小谷戸屋はこんな店
私達は、横浜の原風景である谷戸を愛し、いつまでもこの姿を残し育んでいきたいと考えておりますが、 現実の自然環境保全の活動は大変です。 当店では、ボランティアの方々の苦心作を取り扱っておりますので、 皆様のカンパによるご利用が頂ければ幸いです。 ご厚志は、全額当公園の維持運営の一助とさせて頂きますのでよろしくお願い申し上げます。
−お知らせ−
小谷戸屋の品は、ボランティアが作製しております。 また、公園内の産物は園内の行事や整備等に使うことを基本としており、 余った物を小谷戸屋の品の材料としています。 そのため、ご好評の品がいつも揃えられるとは限りませんので、どうぞご了承ください。
小谷戸屋の品物(竹細工・ワラ細工・竹炭焼き・などなど)を作るボランティア募集中
継続的に作る意思のある方なら、初心者でもお教えします。 詳しくは事務所まで。
旧金子家住宅主屋
小谷戸屋を過ぎて奥へ進んでいくと、古民家「旧金子家住宅主屋」があります。 数年前に葺き替えられて真新しい淡い色をしていた茅葺き屋根も、すっかり落ち着いた色になっていました。 外には独楽やポックリなどの遊具が置いてあったりして、家族連れが休日のひと時を楽しんでいました。 隣りには納屋があって、農機具などが収められていました。
古民家 懐かしい明治後期の古民家「旧金子家住宅主屋」
明治後期に建築されたと思われる旧金子家住宅主屋は、戸塚区品濃町にあったものを平成7年6月に 納屋なども含めて舞岡公園小谷戸の里に移築し、復元したものです。 建築様式は、木造平屋建て、寄棟茅葺屋根で、平成7年度に横浜市認定歴史的建造物に指定されました。 間取りは整形四間取りと呼ばれ、8畳の部屋を4室、田の字に並べたもので、 間仕切りにはすべて戸・障子が用いられて開放的になっています。 こうした間取りは、江戸時代末期から明治初期にかけて座敷で蚕の飼育をしたために、 間取りの壁を取り払った結果できたものと考えられています。
主屋へ入っていくと、板の間の囲炉裏の上には天井から自在鉤が下がり、鉄瓶が掛けられていました。 振り子式の柱時計もあって、昔懐かしく思いました。 土間にはカマドやミノなどがあって、往時の生活を偲ぶことが出来ます。 屋根裏に登っていく階段もありますが、穀物などを貯蔵していたのでしょうか。 壁には、舞岡公園開園10周年を記念して、2002年9月に古民家で行われた結婚式の写真が掲げられていました。 白い角隠しをした和服姿の花嫁行列の写真でした。
人生は七十才より
七十才にてお迎えあるときは 今留守と言へ
八十才にてお迎えあるときは まだまだ早いと言へ
九十才にてお迎えあるときは そう急がずともよいと言へ
百才にてお迎えあるときは 時機を見てこちらからボツボツ行くと言へ
古民家の一角にミニミニ博物館があります。 以前には「みそべや」として使われていた部屋とのことです。 この辺りに生息している鳥や小動物や昆虫などが展示されていました。 古民家の裏手には小さな池があって、林の中に散策路が続いています。 左手の作業小屋から続く小径を歩いていくと、山際からボードウォークを経て広場へと続いています。
炭焼小屋
広場の脇を過ぎて水路沿いに進んでいくと、小さな木橋の先に炭焼小屋があります。 奥には煉瓦製の「竹炭焼き窯」、手前には「ドラム缶窯」がありました。 奥の窯は「本格的な炭焼窯」とのことで、桜・楢・櫟などを炭材として、 連続約70時間で焼き、炭材800kgに対して約200kgの焼き上げ量になるようです。 ドラム缶窯の方は、煙突を取り付け石油缶のかま口で蓋をして、口焚きをするようでした。 この時には入口にロープが張られていて、近づくことは出来ませんでした。
やとひと情報館
小谷戸の里を後にして、谷筋に続く道をその先へと進んでいきます。 小谷戸池を過ぎていくと、水車小屋の先にやとひと情報館があります。 舞岡公園の一年の移り変わりや作業などが紹介されています。 また1993年から毎年恒例になっている「案山子祭り」の優賞作品の写真が展示されていました。
やとひと情報館
「雑木林」や「里山」と言った言葉が最近流行っている。 農的な営みの中で成立してきた人の手の入った自然−雑木林−は、 その分だけ「親しみ」や「懐かしさ」を感じることが出来る等、 雑木林の魅力については様々な方面で論陣が張られ讃歌されている。 ここ舞岡公園での雑木林の価値も、田んぼの水の水源として、 生き物の生活の場として、その他いろんな必要性・魅力があげられるのは言うまでもない。 しかし、あえて一言で言うなら「それがあることで、自分が、地域が、世の中が元気になる」存在なのである。 例えば、1年間の雑木林活動を示した図「雑木林の曼荼羅」を見れば、 この公園での市民の元気さが伝わってくるはず。 今、夢でも幻でもなく現実のものとして見事な曼荼羅が広がっているこの雑木林に、 市民が始めて鎌をいれたのはいつのころか。 改めて雑木林の持つ「関わり続けていく面白さ」を感じないわけにはいかない。
さあ、胸を張って謂おう!
北門
きざはし池を過ぎていくと北門があります。 門を過ぎていくと、左手の丘へ登っていく横木の階段と、右手の谷筋に降りていく横木の階段が分かれています。 脇には先ほど見かけたのと同様の「舞岡公園案内図」があります。 左手は中丸の丘で、谷戸や谷向かいの丘などを見渡せます。 以前には菜の花の咲く丘だったのですが、公園の整備が進められて、最近では菜の花は見かけなくなりました。 右手の浅い谷筋は葦原の湿原になっていて、ボードウォークが続いています。 以前にはこの辺りも田んぼだったものと思われます。 東門から降りてきた辺りからこの谷筋全体に田んぼが作られていたのでしょうが、 今では下の方は畑地や宅地になっていて、奥の方に田んぼが残されている状況です。 谷筋の向こう側にはさくらなみ池宮田池がありますが、 今回は左右の階段は見送って、正面に続く広い道を進んでいきました。
愛犬家のみなさんへ
舞岡の谷戸はやしは市民に残された数少ない野生動物たちの貴重な生息地の一つです。 このため、これより先へは愛犬と一緒には入場できません。 タヌキ・ノウサギ・キジなど、ふるさとの動物たちが安心して暮らすための環境作りにご協力下さい。 家族一員の愛犬に社会のルールを教え守らせることも飼い主の責任の一つです。
程なくして左手に戻るようにして登っていく松原越休憩所への横木の階段を見送っていきます。 そこを過ぎた先から右手に分かれていく道を見送って両側に畑地が続くようになると、左手に道が分かれていきます。 入口には「至きつねくぼ」と刻まれた石標があります。 狐久保へ続く道ですが、今回は訪ねるのを省略しました。 その道を見送っていくと車止めゲートがあります。 脇にはこれまでにも見かけた「舞岡公園憲章」の掲示板や、 この公園を描いた風景画が掲示されています。 かなり掠れていて見え難くなっていた時期もありましたが、近年になって描き直されて綺麗な絵になっています。
瓜久保
車止めゲートを過ぎたすぐ左手が瓜久保になります。 入口には火の見櫓が立っていて、トイレ設備もあります。 この公園は建設大臣による平成9年度の「手づくり郷土賞」を受賞しているようで、その記念碑もありました。 入口から入っていくと、正面に瓜久保の家があります。 和風の座敷が設けられていて、自由に休憩していけるようです。 舞岡公園マップも置かれていて、「ご自由にお持ちください」となっています。 この裏手の谷戸へ続く道沿いにはこどものたんぼが続いていて、奥にはカッパ池(瓜久保池)もありますが、 今回は訪ねるのを省略しました。
舞岡公園には散策コースがいっぱい!
いつかどこかで見た、なつかしい風景が目の前に広がっています。 田んぼや雑木林がそのまま残された、舞岡の谷戸にふれてみませんか? 春は木々の芽吹きにカエルの声、夏の青々とした稲、秋には黄金色の稲穂と刈り入れの賑わい、 そして動植物たちが眠っている冬の静けさに出会えます。
■田圃体験区域
公園内には、市民による水田耕作・雑木林の維持作業・畑づくりなどが行われている区域があります。 年間を通した水田耕作を中心に、雑木林・畑の作業やイベント活動を行っています。
■保護区域
ここは、小動物の大切な「すみか」になっています。 動物たちの生活を守るため、立ち入り禁止となっています。
■小谷戸の里
公園内の「小谷戸の里」へどうぞお立寄りください。 移築された小民家を中心に田圃体験区域での水田耕作や雑木林の維持、畑耕作、自然観察会、 「谷戸学校」の開校から古民家の運営など、様々な活動を行う「管理運営委員会」の事務局があります。 「舞の里だより」などの情報誌もこちらで配布しています。
利用時間 午前9時〜午後5時
休館日 第1・3月曜日(休祝日のときは翌日)、12月29日〜1月3日
■明治後期の古民家「旧金子家住宅主屋」
小谷戸エリアにある古民家主屋は、明治後期に建築されたと思われる戸塚区品濃町にあった旧金子家住宅主屋を、 平成7年6月に移築、復元したものです。 建築様式は、木造平屋建て、寄棟茅葺屋根で平成7年度に横浜市認定歴史建造物となりました。 間取りは整形四間取りと呼ばれ8畳の部屋を4室、田の字に並べたもので 間仕切りにはすべて戸、障子が用いられて開放的になっています。 このような間取りは、江戸時代末期から明治初期にかけて座敷で蚕を飼育をしたため、 間取りの壁を取り払った結果できたものと考えられています。
舞岡町小川アメニティ
瓜久保を後にしてその先へ進んでいくと、「舞岡公園」と刻まれた石標が立っています。 そこを過ぎた先から左手へ戻るようにして前田の丘へ登っていく坂道が分かれていきます。 その道を見送っていくと、道端に「ここより舞岡公園」, 「前田の丘入口まで50m」, 「公園入口(瓜久保)まで100m」の三本組の木製の標識が立っています。 そこを過ぎて民家が現れてくると、道の下を小川が横切っていきます。 短い欄干には標識が取り付けられていて、 今来た道は「小谷戸の里(約700m)」、「瓜久保の家(約200m)」となっています。 右手から来て道の左側に沿って流れていく小川は舞岡町小川アメニティになっていて、脇にはその標識が立っています。 その標識が指す右手にも小川沿いの道が続いていますが、正面の道を進んでいきます。
舞岡町小川アメニティ
地下鉄舞岡駅からふるさと村の田園地帯を抜け舞岡公園に至る水辺空間。 水量豊富な水の流れを楽しみながら歩く風景は、なんだか懐かしさを感じさせます。 途中水車なども設けられ、子どもたちが楽しそうに水と親しんでいます。 秋には稲穂が黄金色に輝き、豊かな自然を満喫できます。
 (横浜市下水道局河川管理課)
南舞岡地区
正面の小川沿いの道を進んでいくと、左右に通る道路に出ます。 角には道標が立っていて、左手の道は「舞岡駅へ」、右手の道は「原古御堂を経て舞岡公園へ」、 今来た道は「松原越しを経て舞岡公園へ」となっています。 右手の塀の前の掲示板には道案内があって、 右手の道は「舞岡公園駐車場700m」、今来たの道は「公園入口300m」となっています。 右手へ進んでいくと管理詰所があるけやき広場方面へ続いていますが、 今回は左手へ曲がって小川沿いに進んでいきます。 この辺りは南舞岡地区になります。 藤棚の下を過ぎていくと、右手に分かれていく道を見送った所に坂下口バス停があります。 戸塚駅までの便が1時間に4本程度ありますが、今回は戸塚駅まで歩いていくことにしました。 脇には今来た道を指す標識が立っていて、 「舞岡公園 瓜久保・小谷戸の里」「古民家(小谷戸の里)約800m」となっています。
小川を渡って左側を進んでいきます。 右側に渡り返して左前方に竹林が見えてくると、左側が開けてきます。 すぐに左手へ分かれていく道を見送っていくと、再び左手へ分かれていく道が二つあります。 手前には舞岡第三町内会の掲示板があって、左手の道を指す「ふれあい広場」の標識が取り付けられています。 このまま正面の道路を進んでいくと、虹の家を経て舞岡駅へ続いていますが、今回は左手の丘を越えていきます。 掲示板を見送ったすぐ先から左手に分かれていく道へ入っていきます。
民家を過ぎて竹林沿いに坂道を登っていくと畑地の脇に出ます。 山際に続く坂道を登って傾斜が緩やかになった辺りから振り返ると、 南舞岡地区から日限山地区にかけての街並みが広がっています。
坂を登り切って降り始めると、細い道が左手へ分かれていきます。 角には道標が倒れていて、左手の道は「舞岡公園」となっています。 また「チップのひいてある散策道の案内図」もあります。 正面から来て左手へ続く道は舞岡ふるさとの森の散策路になります。 左手の道を見送って道なりに降っていくと舗装路に出ます。 脇には「舞岡公園・舞岡ふるさとの森・舞岡ふるさと村 案内図」があります。 散策路は右手へ続いているのですが、今回は正面に続く階段を降っていきました。
小田急分譲地
階段の先の坂道を降っていくと左右に通る道に出ます。 正面には造園業者の畑地があります。 そこを右折して民家が建ち並ぶようになった道を進んでいきます。 ガス会社の戸塚又口整圧器室を過ぎた先のT字路を左折していくと、二車線道路に出ます。 この辺りは小田急分譲地の住宅地になります。 右手へ曲がって坂道を降っていくと第一公園前バス停があります。 小田急分譲地中央バス停を経て戸塚駅への便が1時間に2本から3本程度ありますが、 今回は駅まで歩いていきます。 左手から来る桂町戸塚遠藤線に出ると、右側に舞岡変電所があります。 そこを過ぎて登り坂になった道路を進んでいきます。
戸塚(とつか)駅
小田急団地入口交差点に出て左折し、正面に戸塚の街を眺めながら降り坂になった歩道を進んでいきます。 日立和敬寮前バス停吉田町バス停を過ぎていくと、緩やかな道になってきます。 戸塚税務署入口交差点上倉田東側交差点を過ぎ、 東戸塚小学校入口バス停を過ぎた先の上倉田交差点を直進していくと、 柏尾川吉倉橋が架かっています。 橋を渡っていくと、最初の戸塚駅(JR東海道線)に着きます。