鎌倉アルプス
散策:2012年06月下旬
【低山ハイク】 鎌倉アルプス
概 要 鎌倉アルプスは、鎌倉の街を取り巻くように聳える標高150mほどの山々です。 尾根道は「天園ハイキングコース」として整備され、天園や勝上献からは富士山などを望む眺めが広がります。 今回は明王院の脇から山道に入って天園へ登っていきます。 天園からは大平山を経て勝上献へ向かい、半僧坊から建長寺へ降っていきます。
起 点 鎌倉市 泉水橋バス停
終 点 鎌倉市 北鎌倉駅
ルート 泉水橋バス停…明王院…登り口…はじめ弁天…小ピーク…瑞泉寺分岐…十二所分岐…22番鉄塔…貝吹地蔵…天台山…吉沢川分岐…展望地…巡視路分岐…獅子舞谷分岐…見晴台…天園休憩所…天園峠の茶屋…大平山…鷲峰山…覚園寺分岐…十王岩…勝上献…半僧坊…建長寺…第六天…北鎌倉駅
所要時間 3時間30分
歩いて... 天園ハイキングコースは瑞泉寺の手前から入るのが一般的ですが、 今回は歩程が少し長くなるものの明王院の脇から登っていきました。 条件が良いと、天園の見晴台や勝上献展望台からは富士山が綺麗に見えるのですが、 この時は生憎の曇天とあって見えませんでした。 前日に雨が降ったこともあって、山道はかなりぬかるんでいました。
関連メモ 鎌倉アルプス, 六国峠, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス,
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相武尾根
コース紹介
泉水橋(せんすいばし)バス停
鎌倉駅(JR横須賀線)の東口から、[鎌23]鎌倉霊園正門前太刀洗行きバス、 [鎌24]金沢八景駅行きバス、または、[鎌36]ハイランド循環バスにて10分、 1時間に5本程度の便があります。
バス停の先にある泉水橋交差点を直進して県道204号を進んでいくと、滑川泉水橋が架かっています。 傍には「泉水橋 供養塔」と刻まれた石碑がありました。
砂防指定地 滑川
この土地の区域内において宅地造成・家屋の新築・土採取等の行為をする場合は、 神奈川県知事の許可が必要ですから藤沢土木事務所に御相談下さい。
 (神奈川県)
泉水橋を渡って県道が右へ曲がっていく所まで来ると分岐があります。 角には道標が立っていて、右手の車道は「光触寺400m・十二所神社700m」、 左手の道は「明王院100m」、今来た道は「浄妙寺800m」となっています。 左手の道へ入って、滑川に架かる二ッ橋まで来ると、右側の川沿いに細長い公園があります。 春になると、一つの木に白色と桜色の二色の花を咲かせる珍しい桜があります。 大きな枝全体が桜色だったり白色だったり、 白色の中の小さな枝だけが桜色になっている花もあって、接ぎ木をした訳でもなさそうですが、 実情はよく分かりません。 以前には「御衣黄」という八重桜の解説板もありましたが、この時には見かけませんでした。
御衣黄(ぎょいこう)
京の仁和寺が発祥といわれ、緑の桜として全国的にも珍しい緑の八重桜です。 貴人の衣服然とした風合いから「御衣」の名を冠しています。
砂防指定地
この地域において土地の掘さく等の行為をする場合は許可が必要です。 藤沢土木事務所に相談して下さい。
 (神奈川県)
明王院
二ッ橋を渡ってその先へ続く路地を進んでいきます。 テニスクラブへの道を左に分けて真っ直ぐ進んでいくと、突き当たりに明王院があります。 木製の門をくぐっていくと、正面には茅葺き屋根の大きなお堂が二つ並んでいて、 その左側には庫裡と思われる建物がありました。
明王院
宗派 真言宗御室派
山号寺号 飯盛山寛喜寺明王院
創建 嘉禎元年(1235)
開基 藤原頼経
開山 定豪(元鶴岡八幡宮別当)
鎌倉幕府の四代将軍藤原頼経が、将軍の祈願寺として建立しました。 幕府の鬼門の方角にあたるため、鬼門除け祈願寺として本尊の五大明王が大きなお堂にそれぞれ祀られていたことから、 古くから五大堂と呼ばれていました。 五大明王とは、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王で、 鎌倉市内で祀られているのは明王院だけです。 毎月28日には護摩法要が行われ、この時だけは誰でも本堂に入ることができます。
 (鎌倉市)
登り口
明王院の手前を右折して、垣根が続く路地を20mほど進んでいくとT字路があります。 角に立つ電柱に看板が取り付けられていて、左手に分かれていく道は 「ハイキングコース入口 瑞泉寺・天園へ、天園から金沢・北鎌倉へ」となっています。 その道へ入って、生け垣と竹塀の間に続く路地を進んでいきます。 明王院が見えるようになると、階段状の道を登るようになります。 少し右へ曲がって、竹林の脇に続く坂道を登っていきます。 傾斜が緩やかになってくると、左手に登っていく階段があります。 ここが天園ハイキングコースへの登り口になります。 泉水橋バス停から20分ほどで着きました。 すぐ先に生える木には、左の坂道がハイキングコースである旨の板が取り付けられています。 階段を登っていくと、すぐに左右に分かれていますが、民家の右側に沿って続く坂道を登っていきます。
この先は行き止まり。 ハイキングコースは左の坂道です。 ←天園方面へ。
はじめ弁天
民家のブロック塀に沿って右から回り込むようにして進んでいきます。 細くなっていて先行きが不安になりそうな道ですが、 植林帯を登るようになるとしっかりとした山道になってきます。 右・左と折れ曲がりながら登って傾斜が緩やかになってくると、 道の両側には笹竹が生い茂るようになります。 岩が剥き出した所を登る場面もありますが、苦労することはありません。 僅かな高みを過ぎて緩やかな尾根道を進んでいきます。 少し登り坂になってくると、登り口から8分ほどで、鳥居が立つ高みに着きます。 鳥居の先には小さな石祠があって、中には小銭がお供えされていました。 以前に来た時には「はじめ弁天」と書かれた石や、 「はじめ弁財天」と書かれたメモなどがありましたが、この時には見かけませんでした。 ここで道が二手に分かれていますが、鳥居の左手に続くしっかりとした道を降っていきます。
鳥居の手前から右手へ続く道は、細めながら明瞭になっていました。 試しに歩いてみたところ、数10m先にロープが張られていて「立入禁止」の貼り紙がありました。 地形図に載っている道のようで、その先にもしっかりとした道が続いていました。 手元の地図によると、イエズス会鎌倉修道院へ続く道のようでした。
私有地につき立ち入り禁止。
この先、修道院境内地につき、立ち入りご遠慮ください。
 (イエズス会修道院)
僅かに降って、その先に続く緩やかな尾根道を進んでいきます。 両側には笹竹が生い茂っていますが、道は広めで明瞭に続いています。 僅かな高みを過ぎていくと、はじめ弁天から4分ほどの所にある高みの手前で、 左手から高みへ登っていく道と、右手に巻いていく道とに分かれています。 両方とも同じ程度の道で、どちらへ進んでいけば迷う所です。 結果的にはどちらの道を進んでもこの先で合流しますが、 今回は正面の高みへ登っていく道を進んでいきました。
正面に登っていく道は、高みを過ぎた先で急坂を降ることになるので、 高みにある五輪塔をやり過ごす場合には、緩やかな右手の巻き道を歩く方が無難ではあります。
小ピーク
尾根の背に続く道を登っていくと、1分もせずに小ピークに着きます。 手元の地形図によると、浄明寺4丁目の東側にある標高100mの等高線で囲まれた細長い高みになるようです。 高みに生える木の脇には大きな五輪塔がありました。 礎石か玉垣だったと思われる石柱も横たわっていました。 文字らしきものが刻まれているようにも思えましたが、判読は出来ませんでした。
五輪塔を過ぎてその先へ進んでいきます。 2分ほどは緩やかな道が続いていますが、 正面の樹木越しに鎌倉アルプスの稜線が見えるようになると、降り傾斜が増してきます。 擬木にロープが渡された手摺が途切れ途切れに設置されています。 手摺や木の根などに掴まりながら1分ほどかけて急坂を降っていくと、左右に通る道に降り立ちました。 降り立った道は、手前にあった分岐から右手に巻いてきた道になります。 右側すぐの所には、岩盤が垂直に削り取られた石切場の跡のような所があり、 巻き道はその上を通ってきています。 手摺や金網柵が続く左手の尾根道を進んでいきます。
金網柵が途切れると、植林帯を掠めるように広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 再び擬木にロープが渡された手摺が設置された所を過ぎていくと、両側に笹竹の生い茂る登り坂になってきます。 僅かな高みに着くと、共同視聴用と思われるテレビアンテナが道端に立っていました。 冬枯れの季節には左手に浄明寺4丁目の住宅地を見渡せますが、この時には青葉が茂っていて見えませんでした。 道端にはヤマユリが一輪、大きな花を咲かせていました。
両側に笹竹が生い茂る道を1分ほど進んでいくと、左側の樹木が伐採されて開けた所に出ました。 左手には浄明寺4丁目の住宅地やその先の山並が広がっていました。 以前はこんなに開けた所ではありませんでしたが、近年になって伐採されたようです。 すぐ傍まで住宅が迫ってきているので、宅地開発の一環なのかも知れません。 道端には擬木の縦杭も並んでいて、整備が進められているようでした。
瑞泉寺分岐
左手に広がる景色を眺めながら広くて緩やかになってきた尾根道を進んでいくと分岐があります。 はじめ弁天から15分ほど、登り口から25分ほどで到着しました。 角に立つ道標によると、正面の道は「瑞泉寺」、右手の道は「天園ハイキングコース・建長寺方面」、 今来た道は「至 明王院・浄妙寺・報国寺」となっています。 正面から来て右手へ続く道が「天園ハイキングコース」になります。 正面の道は瑞泉寺や浄明寺4丁目と理智光寺谷地区の間へ降りていかれますが、 天園に向って右手の尾根道を進んでいきます。
(正面の道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「六国峠」, 「鎌倉アルプス」を参照)
十二所分岐
僅かに降り気味に続く尾根道を数10m進んでいくと分岐があります。 角には鎌倉市観光協会の設置する「天園ハイキングコース」の道標が立っていて、 正面の道は「天園」、今来た道は「瑞泉寺」となっています。 また、マジックで書き込まれたメモによると、右手の道は「十二所神社ウラへ」となっています。 分岐のすぐ手前には鎌倉市消防本部と鎌倉市危険物安全協会の設置する標柱 「No.4 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう」が立っていますが、 かなり古びていて、文字が読み難くなっていました。 右手の道は吉沢川に架かる御坊橋を渡って県道204号に降りていかれますが、 道の両側に背の高い笹竹が生い茂る正面に続く尾根道を進んでいきます。
(右手の道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「朝比奈切通」を参照)
No.4 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
瑞泉寺分岐から天園までのハイキングコースには、息の切れる急坂が長く続くような所はなくて、 歩き易くてしっかりとした道になっています。 緩やかな尾根道を2分ほど進んでいくと、右手の岩壁には「やぐら」が沢山ありました。 中には五輪塔が納められたものもあり、綺麗な花束が手向けられていたりもします。 この先にかけて、点々と「やぐら」が見られるようになります。
歴史的風土瑞泉寺特別保存地区
この地区内において、建築物の新築・改築・増築、土地形質の変更、 木竹の伐採等の行為をするときは許可がいります。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター、鎌倉市役所)
やがて抉れた感じになって左側に有刺鉄線柵が続くようになると、柵の向こう側にお堂が建っています。 瑞泉寺分岐から6分ほどの所になります。 柵があって近づくことは出来ませんが、瑞泉寺の偏界一覧亭のようです。 その先へ進んでいくと、道が右手へ分かれていきます。 その角には、半ば土に埋まっているような石碑があります。 側面には「瑞泉寺山内 従是右 北條家御一門御…」や 「文政十二年丑正…」の文字が刻まれていました。 右手の道の1分もしない所の山際に、岩壁を刳り貫いた「やぐら」が10基ほど並んでいます。 石碑にある北條家御一門の墓なのでしょうか。 今回はやぐらには立ち寄らず、このまま尾根道を進んでいきました。
(右手の道は「鎌倉アルプス」を参照)
持ち帰ろう 古都の香りと あなたのゴミを
 (鎌倉市観光協会、鎌倉史跡パトロール隊)
22番鉄塔
やぐらが幾つか並んでいる広くて緩やかな尾根道をその先へ進んでいくと、 白塗りの古びた道標が樹木に立て掛けられていて、この先の道は「天園」、今来た道は「瑞泉寺」となっています。 岩盤が剥き出した所を過ぎていくと「歴史的風土保存用地」の大きな看板が立っています。 そのすぐ先の高みに、送電線の鉄塔「北鎌倉線No.22」が立っています。 鉄塔の周囲を取り囲む金網柵沿いに細い道があって、その道を登っていくと鎌倉アルプスの稜線を眺めることも出来ますが、 この時は青葉が茂って見えないように思えたので、登るのは止めておきました。
歴史的風土保存用地
地番 鎌倉市二階堂639-1外5筆
面積 22,094.00u
この土地は、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」に基づき 歴史的風土を長く保存するため昭和54年度及び55年度に神奈川県が買い入れたところです。 歴史的風土を協力して保存しましょう。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター)
22番鉄塔の袂を過ぎていくと「No.5」の標柱が立っています。 その脇から左手へ道が分かれていて、21番鉄塔・20番鉄塔を経て二階堂川の源流へ降っていけます。 その道を見送って岩盤が剥き出した道になってくると、右手の谷筋へ細い道が分かれていきます。 「お塔の窪やぐら」を経て吉沢川へ降っていく道ですが、今回はこのまま尾根道を進んでいきます。
(左手の道は「朝比奈切通」を参照)
(右手の道は「鎌倉アルプス」, 「朝比奈切通」, 「鎌倉アルプス」を参照)
No.5 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
岩盤が剥き出した所を過ぎていくと、すぐに登り傾斜が増してきます。 かなり傾斜がありますが、上の方には空も見えているので、それほど長い登りではありません。 過日の台風の被害で旧来の道が崩れて、左側に迂回路が出来ていた時期もありましたが、 既に改修が終わって、迂回路を通らなくても登っていけるようになっていました。 この時は前日の降雨のため道がぬかるんでいたので、左側の迂回路を登っていきました。 直登してきた道と交わってその先に続く以前からある岩盤に切られた階段を登っていきます。
貝吹地蔵
岩盤に切られた階段を登っていくと、右手の斜面の上に貝吹地蔵があります。 瑞泉寺分岐から16分ほどで到着しました。 脇には箒が立て掛けられているので、こまめに掃除されている方がおられるようです。 何度も見かけている地蔵ですが、上半身しかないのでしょうか。 それとも下の部分は土に埋まっているのでしょうか。 終ぞ分からず仕舞いです。
貝吹地蔵
新田義貞の軍に攻められ(1333年)自害した北条高時の首を守りながら敗走する北条氏の部下たちを助けるため、 貝を吹き鳴らしたという。
 (瀬谷文化協会)
貝吹地蔵を過ぎていくと、岩盤を切り開いたような登り坂になった切通があります。 小さな切通なので難なく過ぎていくと、緩やかな尾根道になります。 切通が終わったすぐの所から、左手の高みへと道が分かれています。 その登り口には赤字で「No.27」と書かれた杭があります。 天園へは広い尾根道を進んでいくのですが、左側のすぐ上が天台山なので、今回も立寄って行きました。
天台山 (標高141.3m)
結構傾斜があって滑り易くなっているので、足元に注意しながら尾根の背を登っていきます。 緩やかになって笹竹が生い茂る中を進んでいくと、草木が少なくなったこじんまりとした所に出ます。 尾根道から2分もしない所になります。 小さな石祠があって、その前には三等三角点もあります。 石祠には識別できそうな文字は見かけませんでした。 中には線香立ての缶と小銭のお賽銭などがありました。 脇に生える樹木の幹には、マジックで「天台山141.3m」と書かれています。 標識も括り付けられていましたが、文字は確認出来ませんでした。 周囲は笹竹などに囲まれていて展望は得られません。 右手に生い茂る笹竹の中へと踏み跡(*)が続いていますが、すぐ先で不明瞭になっています。
*以前に右手の道を歩いてみました。 天台山の山頂は笹竹や雑木などが生い茂っていますが、南北に続く緩やかな所になっています。 笹竹の中へ続く踏み跡はその山頂の北へと続いています。 笹竹や雑木などを掻き分けながら進んでいくと、 急坂を降って西へ曲がった所に石切場跡のような大きな穴が開いています。 それもやぐら群なのかも知れません。 そこから南へ続く植林帯の斜面を進んでいくと、 先ほどの「No.5」の標柱の所から左手へ分かれてきた道に出ます。 そのすぐ先に21番鉄塔が立っています。
吉沢川分岐
天台山から元の尾根道に引き返してきて、その先へと進んでいきます。 広くて緩やかなしっかりとした尾根道を1分ほど進んでいくと植林帯になってきます。 太い樹木が立ち並んでいる所を過ぎてその先へ進んでいくと、 左上に立つ送電線の鉄塔「大-田25号」への踏み跡を見送った先に、 再び太い樹木が立ち並んでいる所があります。 そこからも吉沢川へ降っていく道が右手へ分かれていきます。 以前には脇の樹木に 「国鉄送電線巡視路No.26 No.25 森林愛護 火の用心」と書かれた黄色い板が取り付けられていましたが、 最近では見かけなくなりました。 今回は右手の道は見送って、このまま正面に続く尾根道を進んでいきます。
(右手の道は「鎌倉アルプス」を参照)
大-田25号 お願い
この送電線は、6万6千ボルトの高電圧です。 下記の事柄について御連絡下さい。
1.送電線の附近に建造物を建てられるとき。
2.送電線に接近して作業をされるとき。
3.送電線の附近で火災がおきたとき
 (新鶴見給電メンテナンスセンター、中央給電指令)
展望地
吉沢川への分岐を見送って数10m進んでいくと、左手の樹木が疎らになった所があります。 ベンチ代わりなのか、1mほどの長さの丸太が幾つか置かれていました。 先の方へ出てみると、鎌倉の尾根の奥には丹沢や箱根の山並を見渡せる展望地になっています。 以前にはなかったように思いますが、近年になって下草などを刈り払うなどして整備されたようです。 生憎の曇り空で遠くの山並は霞んでいましたが、条件が良いと金時山や富士山なども望めそうに思えました。
巡視路分岐
展望地を後にして尾根道を1分半ほど進んでいくと、道が二手に分かれています。 以前には道標が立っていたのですが、最近では見かけなくなりました。 脇の樹木にマジックで書き込まれたメモによると、 右手の道は「建長寺」、今来た道は「瑞泉寺」となっています。 また、右手の道を指す白い矢印もありました。 正面から左へ曲がっていく道に関するメモ書きは見かけませんが、送電線の巡視路へ続いています。 「キケン注意」と書かれた黄色いテープで閉ざされていた時期もありましたが、この時にはありませんでした。 天園へは右手の僅かな岩盤の切通を抜けていきます。
天園から獅子舞地区へ降り始める角から分かれていく小径に入って、 途中にある分岐を左手に進んでくると、ここに出られます。(「鎌倉アルプス」を参照)
切通を抜けて再び植林帯になった尾根道を進んで登り傾斜が少し増してくると、 踏み跡が二又に分かれていますが、いずれの道でもすぐ上で合流します。 坂を登り切ると、岩盤が剥き出した所に着きます。 冬枯れの季節では正面が開けて山並みを見渡せたりもしますが、この時には青葉が茂っていてよく見えませんでした。 ここで尾根道は左手へ曲がって、雑木林に緩やかに続いていきます。
獅子舞谷分岐
すぐに雑木林を抜けて僅かなマウンドを越えると、降り気味になってきます。 緩やかで快適な道を進んで右側に太い竹林が現れると分岐があります。 天台山から15分ほど、明王院の傍の登り口から1時間3分ほどで着きました。 角には塗り直された古びた道標が立っていて、 左手の道は「獅子舞経由鎌倉宮」となっていて、「永福寺アト」と書き込まれていました。 今来た道は「瑞泉寺経由鎌倉宮」となっていました。 天園の短い解説文が書かれた真新しい道標が立っていた時期もありましたが、 この時には既に撤去されていました。 右手の道は天園休憩所の下を過ぎて市境広場方面へ続く巻き道で、 左手の道は獅子舞谷へ降っていく道になります。 手前の左側の高みへ戻るようにして登っていく細い道もあって五叉路のようになっていますが、 その道は道標に示されていません。 正面の高みへ登っていく道は、過日の台風の影響などで通行禁止になっていた時期もありましたが、 通行禁止の旨の標識がなくなってかなり経ちました。
何度となく歩いている天園周辺の道ですが、 コース沿いにある天園に関する道標類は、設置されたり撤去されたりがかなり繰り返されています。 古くなったから撤去したということではないように思えますが、その理由はよく分かりません。
(左手の道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「朝比奈切通」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」を参照)
(左側の高みへの道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「吉沢川」を参照)
(右手の道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「六国峠」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」を参照)
No.6 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
見晴台
正面のちょっとした岩場を登っていくと高みに着きます。 眼下には鎌倉の山々が広がり、その奥には鎌倉の街並みが見えています。 材木座海岸から由比ヶ浜やその先の稲村ヶ崎も見えていました。 相模湾の向こうには、箱根や伊豆の山々をはじめ、富士山も綺麗に望める眺めの素晴らしい所なのですが、 この時には残念ながら曇天とあって、 あの辺りにあるはずだがと心眼を開いてみても、富士山は見えませんでした。
天園見晴台
眼下に鎌倉の町並、海、遠く前方には箱根の山々、富士山、伊豆方面が眺められ、大変に趣きがあります。
天園休憩所
岩場を過ぎてその先へ進んでいくと、すぐに右手へ道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、右手の道は「鎌倉宮・鎌倉駅方面」、 正面の道は「建長寺」、今来た道は「天園見晴台」となっています。 右手のすぐ下には天園休憩所があるので、ちょいと立ち寄っていきました。 右手へ曲がってすぐの所から左手に分かれて登っていく細い道を見送って、 脇に立つ道標「瑞泉寺・鎌倉宮方面」が指す正面の石段を降っていくと、 すぐの所に天園休憩所があります。 この時には数人のグループが飲食をしていました。 いつもならおでんを注文したりするのですが、お昼にはまだ時間があったので、 これまでに何度となく利用した店の様子を確認しただけで引き返しました。
(左手に登る道は「朝比奈切通」, 「六国峠」, 「鎌倉アルプス」を参照)
(右手へ降る道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「六国峠」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「吉沢川」を参照)
天園休憩所をご利用下さいまして誠にありがとうございます。 検査に合格している井戸水を井戸水を大切にしながら年中無休で営んでいます。 採れたてのものを採れたそのところで素材の持つ良さがより活きるメニュー造りに心掛けております。 左記のことにつきましてはお断り申し上げます。
 ・アルコール類のお持ち込み
 ・コンロを用いましての火のご使用
また、当所でお買い上げ以外のごみはお願いです!! お持ち帰り下さいます様に。
ネコにはエサを与えないで下さい。 朝夕二回、時間を決めて当所で与えております。
天園峠の茶屋 (標高159.4m)
元の尾根道に戻って、小型車なら何とか通っていける幅のある道を登っていくと、すぐに天園峠の茶屋があります。 この天園からは安房・上総・下総・武蔵・相模・伊豆の六つの国が見渡せるので、 「六国峠」という名前も付けられています。 天園峠の茶屋には、テーブルやベンチが沢山設置されています。 昔の駅舎にあるような「鎌倉天園」,「六国峠」の看板もあって、雰囲気が盛り上がってきます。 鎌倉の街や海などを眺めながらひと休みしていくのには良い所ですが、 お昼にはまだ早かったので、ここでも店の様子を確認しただけで、先へと進んでいきました。
(茶屋の裏側から右手へ続く道は「六国峠」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「吉沢川」, 「鎌倉アルプス」, 「朝比奈切通」を参照)
横浜市内最高地点
栄区上郷町 海面からの高度:159.4m
横浜市内最高地点は、鎌倉市境にある大平山(山頂は鎌倉市域)の尾根沿い(栄区上郷町)で、 この付近となります。 背後の鎌倉市方面には、鎌倉市街や、相模湾を臨むことができます。
このサインは、横浜開港150周年を記念して設置しました。
 (栄区役所、横浜栄ラインズクラブ)
天園峠の茶屋の先に続くコンクリート打ちされた坂道を降っていくと、程なくして緩やかで広い尾根道になります。 僅かな高みを越えて、再びコンクリート打ちされた急坂を降っていくと分岐があります。 右手の道には車止めゲートがあって「関係者以外立入禁止」となっています。 正面の道のすぐ先には天園公衆便所があります。 壁には「天園周辺公衆トイレ案内図」が貼り出してあります。 右側には鎌倉カントリークラブのゴルフコースが広がっています。
右手の道の先には資材置場のような建物があり、その先はちょっとした駐車場になっています。 明瞭な道はそこで行き止まりになっていますが、手元の地図では、 天園の北側から野七里地区へ降っていく尾根道の途中に出る道が描かれているので、 僅かな踏み跡が続いているのかも知れません。 (野七里地区への道を歩いた時にはそのような道は気が付きませんでした)
天園公衆便所を過ぎていくとすぐに分岐があります。 角には天園ハイキングコースの大きな道標が立っていて、左手の道は「建長寺約3.1km・覚園寺約2.4km」、 今来た道は「瑞泉寺約1.9km」となっています。 右手の道を示す板はありませんが、クラブハウスの前を経て天園橋へ降っていく道になります。 左手の道を進んでいくと、クラブハウスの裏手にある広場に出ます。 左側の一角の樹木が切り払われていて、鎌倉の街や海を見渡せるようになっています。
(右手の道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」を参照)
No.8 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
大平山 (標高159.2m)
広場の奥へ進んでいくと、岩山になった大平山があります。 岩場を登って高みに着くと、神奈川県内広域水道企業団の標識「節点 久木-1」があって、 金網柵には「大平山 海抜159.2m <鎌倉市最高地点>」と書かれた板が取り付けらています。 以前には「159m」となっていましたが、近年になって「.2」が書き加えられたようです。 また、鎌倉市が設置する「一級基準点No-109」もあります。 振り返ると、先ほどの広場の奥には鎌倉や逗子にかけての山並が広がり、 クラブハウスの奥の方には東京湾も見えていました。
先ほどの「天園周辺公衆トイレ案内図」では、天園峠の茶屋のある高みが「大平山」となっていました。 両方とも「大平山」となっている地図もあって、何が正しいのかは良く分かりません。 標高はほとんど同じだし、少し離れてはいるものの、「双耳峰」ということなのでしょうか。
右手の金網越しには、ゴルフコースの奥に、横浜の街並みを見渡せる眺めが広がっています。 この時は霞んでいたものの、横浜のみなとみらい地区にあるランドマークタワーも見えました。
No.10 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
大平山からその先へと降っていきます。 笹竹の生い茂る所を過ぎていくと、植林帯にある抉れ気味の急坂を降るようになります。 前日の降雨で道が滑り易くなっていたので、左側に並行して設置されている横木の階段を降っていきました。 坂を降り切って緩やかになった尾根道を進んでいきます。 「天園ハイキングコース」になっているこの尾根道は、よく踏まれてしっかりとしています。 岩盤が剥き出した崖のような所を降って、再び緩やかになった道を進んでいきます。 道の真ん中にある岩を過ぎて30秒ほど進んでいくと、低い小尾根が左側に続くようになります。
大平山から6分ほど進んでいくと、岩が剥き出した小さな切通のような所があります。 ここで道が二手に分かれています。 正面の道はしっかりとした様子ですが、すぐ先で急速に狭く不明瞭になります。 ここは左手の岩にV字型に切られた溝のような所を過ぎて、その先へ続く尾根道を進んでいきます。
この辺りから、左側に続く小尾根に登っていく踏み跡が何箇所か分かれていますが、 そのまま広い尾根道を進んでいきます。 植林帯になってきた尾根道を進んでいきます。 切通のような所を過ぎていくと、再び岩場があります。 大平山から10分ほどの所になります。 岩場を降りて、左手に戻るようにして続く尾根道を更に進んでいきます。
左側の小尾根にも踏み跡が続いていて、獅子舞谷分岐から獅子舞地区へ続く道に降りて行かれます。 降り口は何箇所かありますが、夏草が生い茂る季節には分かり難くなっているので、あまりお勧め出来ません。 (「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」を参照)
No.11 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部)
広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 途中で踏み跡がふたつ右手に分かれていきますが、やり過ごしていきます。 登り坂になった岩場を越えていくと、右手には庇のようになった岩壁があります。 その先に現われる岩盤にV字型に切られた溝のような所を降っていきます。 同時には人ひとりしか通れないので、向こうから来る人とすれ違う時には、 譲り合いの精神が求められる所ではあります。
V字型の岩盤を過ぎて、緩やかになった尾根道を進んでいきます。 岩盤が剥き出した高みを過ぎていくと、道端に送電線の鉄塔「北鎌倉線No.16」が立っています。 大平山から19分ほどの所になります。 このまま尾根道を進んでいってもいいのですが、 この右上にある高みが鷲峰山なので、今回もちょいと登ってみることにしました。
鷲峰山 (標高127m)
鉄塔を囲む金網柵の先まで行って右折し、柵沿いに続く踏み跡を進んでいきます。 次の角まで来ると、左へ曲がって尾根を登るようになります。 細木などが茂る急坂を登っていくと、1分もせずに鷲峰山の山頂に着きます。 狭い山頂の周囲には樹木が生い茂っていて展望は得られません。 鎌倉市の設置する「一級基準点No-111」があるだけの狭い所です。
鷲峰山の先に続く僅かな踏み跡を降っていきます。 左下に続く尾根道を塞ぐ大きな岩を見下ろしながら降っていくと、 過日の台風の影響か、大木が根刮ぎ倒れていました。 以前にはその先へと踏み跡が続いていたように思いますが、 今回はその手前から戻るようにして続く踏み跡から大岩の脇に降りていきました。
覚園寺分岐
倒木を過ぎて、岩盤が剥き出した所を更に降っていきます。 緩やかになって右側にロープ柵が設置された道を進んでいくと、十字路になった分岐があります。 大平山から25分ほどで到着しました。 中ほどに立つ道標によると、正面の道は「建長寺約1.9km」、左手の道は「覚園寺約1.2km」、 右手の道は「今泉台住宅地」、今来た道は「天園約1.2km・瑞泉寺約3.1km」となっています。 左手の道は覚園寺方面へ、右手の縦杭の階段は今泉台六丁目公園へ降りて行けますが、 今回は正面の道を進んでいきます。
(左手の道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」を参照)
(右手の道は「散在が池」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「六国見山」を参照)
歴史的風土建長寺浄智寺八幡宮特別保存地区
この区域内において天地区物の新築・改築・増築・土地形質の変更・木竹の伐採等の行為をするときには許可がいります。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター)
No.14 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部)
この付近の山道でよく見かける「喫煙はやめましょう」の標識ですが、 以前の木製からプラスチック製に作り直されて新しくなっていました。
すぐにある岩盤の剥き出した所を越えてその先へ進んでいきます。 2分ほど進んでいくと登り傾斜が増してきます。 道標「覚園寺・天園」が今来た道を指しています。 尾根に出ると右手にも踏み跡が続いていますが、左手に続く岩盤が剥き出した坂を更に登っていきます。
右手の道は、送電線の鉄塔「北鎌倉線No.15」を経て、今泉台六丁目公園の近くへ降りて行かれます。 (「鎌倉アルプス」を参照)
岩盤が剥き出した僅かな高みを過ぎていくと、岩が露出して2mほどの段差になった所があります。 覚園寺分岐から4分ほどの所になります。 かなり高い段差になっていますが、岩が階段状に削られてトラロープも設置されていて登り易くなっています。 岩を登っていくと、右手へも細い踏み跡が続いていますが、「危険 立入禁止」の看板が出ていました。 ここは左手に続く岩盤の尾根を進んでいきます。
岩盤が終わって木の根が張り出した坂道を登っていくと、右手にこんもりとした高みがあります。 岩壁には四角い穴が開けられていて、中には頭部の取れた石仏が数体安置されていました。 その右側から岩場をひと登りすると、高みに薬師如来像が立っています。 台座には「第八十八番 本尊薬師如来 讃岐国 大窪寺」や沢山の氏名が刻まれていました。 四国霊場の大窪寺との関係は分かりませんでしたが、 それらの方々が四国霊場八十八箇所巡りをした時に、ここに薬師如来像を造ったということなのでしょうか。 以前には石仏の横に「石川某」と刻まれた墓石のようなものが二つありましたが、 その石川某という方が造られたのでしょうか。 この時には墓石は倒れていて、文字は確認出来ませんでした。
石仏の台座には「鷲峰山」とも刻まれていますが、16番鉄塔の脇の高みが鷲峰山になります。
薬師如来像のある高みから尾根道に降りてその先へ進んでいきます。 広くなった尾根道を進んでいくと 「歴史的風土建長寺・浄智寺・八幡宮特別保存地区」の標柱が立っています。 以前にはその傍に古びた道標が立っていて、正面の道は「建長寺」、今来た道は「天園」となっていましたが、 この時には脇の方に倒れていました。 標柱を過ぎていくと、尾根道は僅かな切通のような所を過ぎて左側へ続いています。 覚園寺分岐から9分ほどの所になります。 その角から正面の高みへ続く踏み跡もありますが、今回は左側に続く尾根道を進んでいきました。 すぐの所から左手へ分かれて降っていく道があります。 その脇には石柱が倒れていて、側面には「二十一ヶ所… 右 建長寺道 …奥之院」や 施主の名前が多く刻まれていました。 左手の道は大覚池ハイキングコースへ降っていかれますが、このまま尾根道を進んでいきます。
(正面へ登る道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「六国見山」を参照)
(左手へ降る道は「散在が池」, 「鎌倉アルプス」を参照)
左手の道を見送っていくと、右手に岩場が現われます。 正面へ続く尾根道の先には「かながわの景勝50選 鎌倉十王岩の展望」の石碑があります。 このまま尾根道を進んでいっても良いのですが、今回も右手の岩場へ登っていきました。 手前から分かれてきた踏み跡を併せて岩場を登っていくと、 鎌倉の街や材木座海岸から由比ヶ浜にかけての海を見渡せます。 条件が良いと、沖には伊豆大島も見えるのですが、この時には霞んでいて見えませんでした。 手前の樹木が邪魔をしていて、箱根や富士山方面は見えません。 以前には樹木がもっと低くて今よりも見晴らしが良かったようですが、 古都保存法などにより樹木を自由に切ることが出来なくなって、見晴が悪くなったとのことです。
この美しい自然をいつまでも大切に
ごみは持ち帰りましょう。
 (鎌倉市観光協会)
十王岩
岩場の左手には、岩に掘られた三体の像があります。 判りにくくはなっていますが、閻魔大王をはじめとする冥府の十王が彫られているのだそうで、 十王岩と呼ばれています。
十王とは
十王経に説く「冥府で死者を裁くという王」、すなわち、 秦広王・初江王・宋帝王・伍官王・閻魔王・変成王・太山府君・平等王・都市王・五道転輪王のことです。 中有の死者が冥府に入り、初七日に秦広王の庁に至り、 以下順次に、二七日・三七日・四七日・五七日・六七日・七七日・百箇日・一周年・三周年に 各王の庁を過ぎて娑婆でした罪の裁断を受け、これによって来世の生所が定まるようです。
 (出典:広辞苑第五版)
十王岩から尾根道に降りてその先へ進んでいきます。 岩が剥き出した切通のような所を抜けていくと右手が開けてきて、 横浜のランドマークタワーなどを見渡せる眺めが広がります。 岩が剥き出した所を過ぎ、道端に笹竹が生い茂る回廊のような所を過ぎていくと、 正面の高みへ登る階段と左手を巻くようにして続く道に分かれています。 右側の笹竹に取り付けられた「迂回路」の貼り紙が正面の階段を指していました。 左側の道の先には「×注意×滑落事故あり」の貼り紙がありました。 いずれの道を進んでいっても少し先にある勝上献で合流しますが、今回は正面の階段を登っていきました。
以前には見かけなかった貼り紙ですが、 左側の道を歩いている人が滑落する事故があったための措置なのでしょうか。 迂回しなければならないほどの危険な所はないように思えました。
(左手の道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「六国見山」を参照)
土嚢が積まれた階段を右・左と曲がりながら登っていきます。 1分もせずに階段が終わると、 大きな木の幹には「安全な迂回路」の貼り紙があって、今登ってきた階段を指していました。 その先に続く緩やかになった尾根道を進んでいくと右手が開けてきて、街並みなどを見渡せる眺めが広がります。
勝上献 (標高145m)
眺めが広がる所を過ぎていくと、僅かな高みに着きます。 十王岩から7分ほど、覚園寺分岐から23分ほどで到着しました。 ここが勝上献になります。 中ほどには「保安林区域図」の看板と標柱「No.15」が立っています。 鎖柵で囲まれた所に大きな樹木が生えていて、その袂には大きめの石祠などが幾つかありました。 周囲は樹木で囲まれていて展望は得られません。 尾根道は正面へと降っていきますが、今回はこの左下にある半僧坊へ降りていきます。
「勝上献」(献に山冠が付くこともあります)は「勝上嶽」や「勝上山」とも云うようですが、 展望台で見かけた標識に従って、ここでは「勝上献」と表記しておきます。
(正面の道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉回峰」, 「鎌倉アルプス」, 「六国見山」を参照)
保安林区域図
この区域は森林がもっているいろいろな働らきを守るため、保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター農林部林務課)
No.15 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
左手には鎖沿いの道とその左側の坂道がありますが、 左側の坂道を降っていくと、手前で分かれてきた道に降り立ちます。 角には道標が立っていて、右手の道は「建長寺」、 左手の道は「瑞泉寺・覚園寺方面(天園ハイキングコース)」、今来た道は「明月谷・明月院」となっています。 右手には木柵が設置されていて、この先は建長寺の敷地になるようです。 柵に「右 北鎌倉駅方面」の板が取り付けられていて、勝上献への道を指しています。
これより先、建長寺境内に入ります。 拝観志納料をお納めください。 大人300円、小学生100円となって居ります。 総門入口拝観券売場で志納下さい。 以上
 (建長寺)
ハイキングで通行される方も拝観料が必應となります。
 (大本山 建長寺)
柵を過ぎた所に「建長寺」と題した案内板があります。 そのすぐ先に、谷側にせり出すようにして木製の勝上献展望台が設置されています。 西側が開けていて、湘南地区の街並みや相模湾の向こうに、 箱根の山々や伊豆半島を一望できる素晴らしい眺めが広る所です。 左手には鎌倉の街や海が、眼下には建長寺が見えていました。 条件が良いと、箱根連山の奥に富士山も綺麗に見えるのですが、この時には曇っていて見えませんでした。
この下で見かけた道標では「勝上展望台」となっていますが、 ここの標識では「勝上展望台」となっていて、 「しょうじょうけんてんぼうだい」の振り仮名も書かれていました。
建長寺縁起
建長寺は、臨済宗建長寺派の大本山であり、鎌倉五山の第一位に位する。 建長5年(1253)後深草天皇の勅を奉じ、 北条時頼(鎌倉幕府五代執権)が国の興隆と源氏三代並びに北条家の菩提の為に建立し、 中国の名僧蘭渓道隆を招き開山とした。 創建当時は中国宋の時代の禅宗様式七堂伽藍を有し、一時は四十九院の塔頭を擁する厳然たる天下の禅林であった。 度重なる火災によりその威容を今日見ることはできないが、 梵鐘(国宝)開山蘭渓道隆頂相(国宝)など数点が今に伝えられ、当時を偲ばせる。 現在の伽藍は江戸時代以後、将軍家の寄進等により復興されたものである。 また、建長寺は日本で初めて純粋禅の道場を開き、 往時は千人を越す雲水が修行していたと伝えられる我が国初の禅寺である。
半僧坊
展望台の脇から続く石段を降っていきます。 鎖が設置された急な石段を2分半ほど降っていくと、 「鎌倉二十四地蔵霊場 第十一番札所」の表札が掲げられたお堂の前に降り立ちました。 その前には道標が立っていて、右へ曲がっていく道は「建長寺 諸堂伽藍・JR北鎌倉駅(建長寺諸堂伽藍まで約15分・駅まで約40分)」、 今降って来た石段は「天園ハイキングコース」「勝上嶽展望台(約5分)」となっています。 右手の下にある鳥居の脇には「奥院道」と刻まれた石碑がありました。 鳥居をくぐった先に半僧坊があります。 御祈祷受付所の前には長椅子が幾つか設置されていて、 「相模湾大島見晴台」の標識も出ている眺めが広がる所です。 隣りには「半僧坊大権現」のお堂があって、その前には願い事を記した絵馬が沢山掛けてありました。
奥院」が何処なのかは分かりませんでしたが、 手前にあった「鎌倉二十四地蔵霊場 第十一番札所」のお堂でしょうか。
鎌倉建長寺半僧坊縁起
建長寺半僧坊は、今から五代前の住職霄貫道老師が、 ある夜お坊さんのような又俗人とも思える白髪の老人と山中で会い 「私を関東のいずれかの清浄な所に招いて下さるなら、その所いよいよ栄え ありがたい事がたえる事がない」と告げ、 姿を消してしまった霊夢を見られました。 その姿こそ半僧坊の真姿で、建長寺の鎮守に相応しいと、早速住職自ら静岡県奥山方広寺に出むき御分身を願われ、 明治23年5月、建長寺の内で最も景色の拠り勝上嶽に安置され、直ちに勝上教会を作り、 お堂創建の許可を得て、折柄の好景気により、莫大な建築資金も信者の浄財で集まり、立ちどころに創建されました。 当時、信者分布は一都二十数県、講社数百十余社、信者数五万余人を数える盛況でありました。 ここ半僧坊は霊験あらたかで、家内安全、商運隆昌、厄災消除、安産守護、大漁祈願、交通安全、合格祈願等々の ご利益はまもとに尽大なものがあります。
 (大本山 建長寺 鎌倉半僧坊)
先の方には谷にせり出した木製デッキがあって、「富士見台」の標識も出ていました。 文字通り富士山が望める所のようですが、この時は生憎と曇っていて見えませんでした。 「天気のよい日にはこのように富士山が見えます」として、 ここから撮った冠雪した富士山の写真が貼り出されていました。 富士見台の左脇から細い山道が続いていますが、 半僧坊大権現のお堂の前に続く広い石段を降っていきました。
(富士見台の左脇から降っていく道は「鎌倉アルプス」を参照)
左右に立ち並ぶ烏天狗の像を眺めながら石段を降っていきます。 手水場のある小広場に降り立つと、ベンチが幾つか設置されていました。 そこを過ぎて、赤や青の「半僧坊大権現」の幟が幡めく石段を右・左と曲がりながら降っていきます。 鳥居を過ぎて緩やかになった道を進んでいくと、 右側の山際にアジサイの咲く一角があって、その先に続く石段がありました。 半僧坊から6分ほど降った所になります。 何だろうと思って石段を登っていくと、山際に細長く続く広場があって、 右側には中国の寒山寺から贈られた大きな石碑が二つ並んでいました。 岩壁から水が流れ落ちている所もあって、小さな滝のようになっていました。 左側の先には竹林があって、その中にも石碑などが幾つも並んでいました。
中國蘇州寒山寺石碑建立
ここに禅画を愛する人がいる
ここに平和を愛する人がいる
中國と日本の永結友好を祈り
禅文化を愛するすべての人にささげる
唐代より中國寒山寺境内に伝わる、詩人張継柵楓橋夜泊詩碑と寒山拾得像石碑二柱を、心からの敬意を 以て日本にいる禅画と禅文化を愛する古くかの友人に贈る。寒山寺と日本宗教画法学院・日本禅画家協 会は釋性空法主大和尚方丈の折、友好締結し、二千名余りの寒山拾得画奉納を始めとして中日友好平和 を祈る観世音菩薩像を建立賜った。 ってこのたび更なる中日友好の願いを込め、寒山寺石碑模刻二柱を日本禅のの源流である最古の禅宗寺 院で臨済宗建長寺派大本山巨福山建長寺興國禅寺境内に建立する。 管長吉田正道老師の禅風は、日本禅画家協会会長平岡嘉衛門先生がかねて垂示を受けるところである。
二〇〇九年三月二十四日 中國蘇州市民族宗教局 中國蘇州寒山寺方丈釋秋爽
元の道に戻ってその先へ進んでいくと、道端にはアジサイが綺麗に咲いていました。 広くなった道を進んでいくと、左手の岩壁に幾つか穴が開いている所がありました。 中ほどの穴は向こう側へ通じているようでしたが、木柵が設置されていて「立入禁止」の札もありました。
竹林の脇を過ぎて石段を降っていくと分岐があります。 角には道標が立っていて、左手の道は「回春院」、 今来た道は「半僧坊」「天園ハイキングコース」「勝上嶽展望台」となっています。 手前には台座に乗った像が立っていますが、碑文によると、禅宗の祖である達磨大師とのことです。 右手には「河村瑞賢遺跡登り口」の石柱が立っていて、その脇から石段などが続いていますが、 このまま正面に続く道を緩やかに降っていきます。
(右手の道は「鎌倉アルプス」を参照)
(左手の道は「鎌倉アルプス」, 「散在が池」を参照)
悠久の遺徳を託す
中国と日本は一衣帯水、長き佛教文化交流の歴史を持つ。 とりわけ近代からは新中国改革解放以来、禅宗祖庭の嵩山少林寺と日本佛教界は緊密な繋がりを続けてきた。 そうした中、特筆すべきは日本禅画家協会との深き友誼である。 平岡嘉衛門会長に導かれた老学徒の真摯なる禅画研鑽の日々は敬服に値する。 協会創立三十周年を慶び、長き文化貢献と功徳を顕彰し、禅宗祖庭の名において初祖達磨圓覚大師坐像を信託し、 日本の純粋禅発祥地、臨済宗大本山巨福山建長興国禅寺に奉賛遷座する運びとなった。 平岡嘉衛門会長が大いなる薫陶を受け、鑚仰してやまない禅師こそ建長寺二百四十世管長吉田正道老師である。 故に、初祖坐像を茲に定めることは至上の徳挙である。 老師に厚く御礼を申し上げる。 この建立が達磨大師の精神を一層広め、中日文化交流の発展に資し、 日本禅文化の更なる深まりに寄与せんことを哀心より祈る。
二0一0年四月
中華人民共和国佛教協会副会長 河南省佛教協会会長 中国嵩山少林寺・熊耳山空相寺方丈  釋永信
建長寺
民家などが建つ山際の石畳みの道を緩やかに降っていくと、少し右へ曲がった先でT字路に出ます。 角には道標が立っていて、右手の道は「正統院」、 今来た道は「半僧坊」「回春院」「玉雲庵」「天園ハイキングコース」となっています。 脇には「半僧坊道」と刻まれた大きな石碑もあって、今来た道を指していました。 T字路を左折していくと「奥院勝上嶽地蔵尊道」と刻まれた石柱が立っていました。 龍峰院・天源院・宝珠院などへの道も分かれていますが、いずれも一般公開はされていないようです。 左側を流れる小川沿いに進んでいくと、左手に建長寺があります。 小橋を渡って東屋のある所から境内へ入っていくと、大庫裡法堂仏殿三門などが並んでいます。 この時には法堂や仏殿は開帳されていて、仏像を見ることが出来ました。 境内にはかながわの名木100選にも選ばれているビャクシンの老大木があります。
法堂(国重要文化財)
「はっとう」と読みます。 昔は、建長寺全体が修行道場であり、僧侶全員がこの法堂に集まって、 住持の上堂説法を聞き、修行の眼目としました。 三八三人の僧侶がいた記録があります。 現在の道場は、開山堂のある西来庵に移っています。 この建物は江戸時代・文化11年(1814)に再建されたものです。 関東最大の法堂で、現在は千手観音を本尊としています。 天井の雲龍図は創建七百五十年を記念して、小泉淳作画伯によって描かれました。
仏殿(国重要文化財)
建長寺の本尊・地蔵菩薩を安置。 北条時頼公と開山大覚禅師(蘭渓道驕jの衆生済度の願いが込められています。 毎月一日・十五日の祝聖、二十三・二十四日の開山例月忌、釈迦三仏忌、開山忌などの法要がここで行われます。 現在の建物は、創建当初より四代目のものといい、 東京・芝・増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公夫人(お江の方、家光の母)の霊屋を建長寺が譲り受けました。 仏殿前の庭園の柏槙は開山禅師のお手植え、古木は樹齢七百五十年です。
三門(国重要文化財)
三解脱門の略。 空・無相・無作を表し、この三門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれることを意味します。 開山様の言葉に「福山は揮て松関を掩じず無限の清風来たりて未だ已まず」とあり、 建長寺はあらゆる人々(修行者)に門を開放している事を表しています。 楼上には、五百羅漢(修行を完成された人)を安置しています。 この建物は江戸時代・安永4年(1775)に万拙碩誼和尚などの努力によって再建されました。 創建当初は三門後方左右に大坐禅堂、大食堂がありました。
かながわの名木100選 建長寺のビャクシン
和名:イブキ(ヒノキ科)
開山蘭渓道隆が中国から持ってきた種子を建長寺創建の際にまいたと言われている。 樹勢も旺盛で、県下の代表的な名木として知られている。
樹高 13メートル、 胸高周囲 6.5メートル、 樹齢 約730年(推定)
イブキはビャクシンとも言い、東北南部から九州の海岸に生える常緑高木で、 社寺や庭園によく植えられるほか、生け垣などに用いられる。 樹高27メートル、胸高周囲85メートル、樹齢約1500年に達するものもあると言われている。
 (神奈川県)
建長寺の総門から出ていくと、建長寺境内図がありました。 天園ハイキングコースから建長寺までの道も載っています。 右手にある天下門から県道21号(鎌倉街道)に出ると建長寺バス停があります。 半僧坊から32分ほどで着きました。 手前の乗り場からは鎌倉駅までの便が1時間に3本程度、 道路向かいの乗り場からは大船駅・上大岡駅・本郷台駅までの便が併せて1時間に3本程度あります。 ここで散策を終えても良いのですが、まだ時間に余裕があったので、 北鎌倉駅まで歩いていくことにしました。
総門
建長寺は今から750年前、鎌倉時代、建長5年(1253)、禅によって国の興隆をはかるため、 執権北条時頼公の発願により、中国の禅僧・大覚禅師(蘭渓道驕jを開山として創建された、 日本で最初の純禅の大道場です。 建築は、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に連なる中国の禅宗様式にもとづいています。 今の総門は、江戸時代、天明3年(1783)に京都・般舟三昧院で建立されたものを昭和15年に移築しました。 額「巨福山」(大きな福をもたらす寺)は、中国僧、一山一寧(一山国師)禅師(建長寺第十世)の筆です。
歴史的風土保存区域・風致地区・近郊緑地保全区域図
この色分けした地区は、歴史的風土保存区域・風致地区・近郊緑地保全区域です。 これらの区域内で建築物の新築・増改築・土地形質の変更・木竹類の伐採・土石類の採取等を行なう場合は、 事前に県知事の許可を受けるか、又は、届出をしなければならない。 なお詳細については、次のところへ連絡して下さい。
 (神奈川県横須賀三浦地域県政総合センター環境部、鎌倉市役所)
第六天
建長寺バス停を過ぎて店舗などが建ち並ぶ県道を進んでいくと、道路の左手の山へ登っていく石段があります。 建長寺の四方鎮守のひとつである第六天とのことですが、石段の途中には扉が設けられていて、 「危険登るな」との札が取り付けられています。
「第六天」の由来
建長寺の四方鎮守には、中央五大尊と八幡(東)・熊野(北)・子神(西)・第六天(南)があり、 第六天は上町に鎮座する。 延宝2年(1674)の徳川光圀『鎌倉日記』に「円覚寺ヲ出テ南行シテ、第六天ノ森ヲ見ル」とあり、 また、延宝6年(1678)の建長寺境内図(伝徳川光圀寄進)には「四方鎮守第六天」と記されている。 社殿に納められた建長寺第218世真浄元苗筆の天保2年(1831)の棟札によって、 宝永4年(1707)に建立した社殿の破損が著しいため、村人が願い出て再建したことが知られる。 社殿の形式は一間社流造で、幕末社殿としては古風を尊重した造りといえよう。 社殿内には第六天像が中心に祀られ、前列には持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王像が安置されている。 いずれも江戸時代の作で、小像ながらも彫枝は丁寧で量感に満ちた佳品である。 第六天は仏教では他化自在天と称し、魔王の如き力を持つといわれ、 神道では第六天神、すなわち、第六番目の神と認識されている。 神奈川県内には第六天を祀る社が180社以上あり、厄病除けの神や方位神として信仰される。 現在、建長寺の四方鎮守の中で、その位置と沿革が明らかなのは第六天だけで、 建長寺史研究上の重要な資料であるばかりでなく、地域にとっても貴重な文化遺産として永く後世に伝えたい。 また、第六天は上町の氏神でもあり、例祭は毎年7月15日から22日にかけて行われる。
 (鎌倉市教育委員会文化財保護課、鎌倉市山ノ内上町町内会)
長寿寺への道を見送って横須賀線の近くまで来ると、道端に「安部清明大神」と刻まれた石碑がありました。 裏面を見ると明治39年7月に建立されたようです。 石碑を過ぎたすぐ先に横須賀線の第三鎌倉道踏切があります。 そこから線路沿いに右手へ道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、踏切の先へ続く道は「東慶寺300m・浄智寺150m」、 右手の道は「明月院300m・円覚寺400m」、今来た道は「建長寺500m」となっています。 右手に続く線路沿いの道を進んでいっても北鎌倉駅へ行けますが、今回は踏切を渡っていきました。
石碑の裏手の金網柵には「陰陽師安部晴明大神の石碑」と書かれた木板が取り付けられています。 石碑は「明」、木板は「明」と、使用漢字が異なっていましたが、 平安時代の有名な陰陽師の「安部晴明」の石碑なのでしょうか。
北鎌倉(きたかまくら)駅
程なくして浄智寺への道が分かれていきますが、そのまま県道を進んでいきます。 東慶寺への道を見送っていくと、円覚寺への道が右手へ分かれていきます。 その道も見送っていくと、北鎌倉駅前交差点があります。 そこから右へ入った所に北鎌倉駅(JR横須賀線)があります。 建長寺バス停から14分ほどで到着しました。