深谷市民の森
散策:2012年06月上旬
【横浜市民の森】 深谷市民の森
概 要 深谷市民の森は、戸塚区の南西部にある小さな森です。 中ほどの谷筋にある道を挟むようにして二つの区域から成っています。 すぐ近くにはまさかりが淵市民の森もあるので、併せて散策することができます。 今回は深谷市民の森を訪ねてから、まさかりが淵市民の森を掠めて、宝寿院や五霊神社へ向かっていきます。
起 点 横浜市 三叉路バス停
終 点 横浜市 五霊神社前バス停
ルート 三叉路バス停…深谷市民の森…大久保神社…宝寿院…五霊神社…五霊神社前バス停
所要時間 1時間10分
歩いて... 2012年4月に開園した新しい市民の森です。 周囲を住宅地に囲まれながらも、自然が残る場所になっていました。 中ほどにある道を挟んだ先の区域には散策路は設けられていませんでしたが、 今後整備が進めば、奥の方にも散策路が出来るのかどうかは分かりませんでした。
関連メモ まさかりが淵市民の森, まさかりが淵市民の森, まさかりが淵市民の森
コース紹介
三叉路(さんさろ)バス停
戸塚駅(JR東海道線)の西口にあるバスセンターから、 [戸50]ドリームハイツ行きバス、または、[戸52][戸55]俣野公園・横浜薬大前行きバスにて12分、 1時間に9本から10本程度の便があります。
大船駅(JR東海道線)の西口バス乗り場から、 [船25]ドリームハイツ行きバス、[船24]俣野公園・横浜薬大前行きバス,または, [船21][船22]立場ターミナル行きバスにて23分、1時間に5本程度の便があります。
バス停の数m先にある横断歩道を渡って道路の反対側へいくと、 大正団地へ通じる道の入口の脇に「古道と古代人住居跡」と題した解説板がありました。
古道と古代人住居跡
この県道のできる以前は深谷方面からの道は山田養鯉場(深谷町287)前を通り、 俣野方面からは韮橋を渡り山田詮雄宅(深谷町141)裏を通るいづれも急な山道が、 現在の「ヨークマート」横で交わり、そこには石仏群があった。 道の一つは大正小学校裏を通り、原宿十字路の「カヤギ屋」の裏から東海道に、 他の一つはマートの先から未だ畑だった現国立病院の中を通り 「原宿278文化書房−マクドナルド」横から東海道に交わり、かどに近年まで火の見櫓が建っていた。 現在の原宿十字路は後にできたのである。 県道は昭和六年、山を削開してつくったが、このとき多数の縄文土器が出土し古代人住居跡が発見された。 当時の小学校はこれを記念し道路脇に「古代人住居跡」の木碑を建てたが、 再度の道路拡巾と昭和十八年海軍病院(現国立病院)建設のため地形も全く変貌し、 木碑はいつしか消滅してしまった。
平成三年十月 大正地区歴史散歩の会
(解説文にある「国立病院」は、現在では「横浜医療センター」になっています)
反対方向のバス乗り場を過ぎて車道を数10m降っていくと、右手に分かれていく道があります。 角には庚申塔が三基並んでいました。 先ほどの解説板に載っていた「石仏群」とは別物なのでしょうか。 側面を確認してみると、「享保十三申十一月吉日・奉供養庚申塔」、 「寶歴四甲戌歳十一月吉日・相州鎌倉郡深谷村庚申供養」、 「庚申塔・明治八亥年十一月相模国鎌倉郡深谷村」などと刻まれていました。 このまま車道を降って深谷交差点を右折していっても良いのですが、 今回はここから右手へ分かれていく道に入っていきました。
左右の路地を見送って道なりに降っていくと県道402号に出ます。 そこを右折して立場ターミナル方面の三叉路バス停を過ぎていきます。 深谷東交差点を直進していくと、クラブ前バス停の先から右手へ分かれていく道があります。 角には店舗や赤いポストや「川邊勝三郎君碑」の石碑などがありました。 このまま直進して宇田川沿いに進んでもいいのですが、今回はここを右折していきました。
週末にはクラブ前バス停までの便が、 立場駅(横浜市営地下鉄)や大船駅(JR東海道線)から 1時間に2本程度あるので、ここまで乗って来ることも出来ます。
住宅が建ち並ぶ路地を進んでいきます。 右手に分かれていく道を見送っていくと、民家の敷地にある竹林の先に十字路があります。 正面に立つ電柱には「深谷町内会街灯87」の標識が取り付けられていました。 正面には小規模の墓地がありました。 ここを左折して、生垣沿いの狭い路地を進んでいきます。
深谷市民の森
山際まで進んでいくと、右手から降ってくる道に出ます。 そこを山沿いに左手へと降っていきます。 赤いホース格納箱や消化器が併設されたゴミ集積場のある所まで来ると、道が右手へ分かれていきます。 その道に入っていくと、すぐの所に「深谷市民の森」の案内板が設置されています。 ここが深谷市民の森入口になります。 三叉路バス停から16分ほどで着きました。 案内板に面積などは記されていませんでしたが、 横浜市のホームページによると3.1haの小規模な森のようです。 中ほどにある道を挟んでほぼ同じ大きさの二つの区域から成っていますが、 散策路は手前の方にしか設けられていないようです。 整備が更に進んで、奥の方にも散策路が出来るのかどうかは分かりませんでした。
深谷市民の森
「深谷市民の森」は、市内の緑を守り育てると共に市民の皆さんの憩いの場としてご利用いただくために、 山林所有者の方々の御好意により山林を使用させていただくものです。
利用上の注意
・ゴミは持ち帰ってください。
・樹木を大切にしてください。
・小鳥や昆虫などの動物も大切にしてください。
・犬はつないで散歩してください。
・犬のフンは飼い主が始末してください。
・喫煙やたき火など火災の原因になることはやめてください。
・バイクなどで乗り入れないでください。
・利用時間は日の出から日没までです。
案内板の左脇から始まる幅の広い横木の階段を登っていきます。 両側にはロープ柵が設置されていて、散策路の範囲を示していました。 周囲に細い竹が茂る階段を登って少し左へ曲がる所まで来ると、正面の森に開けた一角がありました。 奥の方には墓石のようなものが幾つか並んでいて、その右側には立派な竹林も広がっていましたが、 入口には木柵が設けられていて立入禁止のようでした。
道なりに左へ曲がりながら階段を登っていくと、程なくして緩やかな道になります。 幅2mほどはある散策路の両側には、引続きロープ柵が設置されていました。 宅地化などの開発の波に押されながらも、雰囲気の良い森が残されていました。
右側から近づいてきた金網柵が遠ざかっていくと、右手に分かれて降っていく横木の階段があります。 入口にあった案内板に載っていた分岐になるようです。 右下には何やら建物が見えていたので、ちょいと立ち寄っていきました。
階段を降っていくと、すぐに浅い谷筋に出ます。 周囲には作業小屋のような建物が幾つか建っていました。 正面の道と右手の道はすぐ先で行き止まりになっていて、左手の道は先の方まで続いているようでした。 入口にあった案内板によると、この谷筋に通る道の周囲は市民の森の範囲ではないようです。 降り立った所の脇には「深谷市民の森」と書かれた標柱が向こう側を向いて立っていました。
(画像を左クリックすると、5枚の写真が順次表示されます)
先ほどの分岐まで引き返して、散策路をその先へ進んでいきます。 間隔の広い階段状になった広い道を進んでいきます。 周囲は雑木や植樹が混じる混合林になっているようでした。
緩やかになった道を進んでいくと、程なくして登り階段が現れます。 横木の階段を登っていくと、左右に通る階段の踊り場のような所に出ます。 正面には、「深谷市民の森」の案内板が設置されていました。 横向きになってはいましたが、入口にあったのと同様の内容でした。 先ずは左手の階段を登ってみることにしました。
(画像を左クリックすると、4枚の写真が順次表示されます)
幅の広い横木の階段を登っていきます。 両側に続くロープ柵が擬木の柵に変ってくる階段を登っていくと、住宅地の道路に出ました。 松竹台という住宅地のようでした。 出た所は曲り角になっていて、脇にはゴミ集積場がありました。 こちらには「深谷市民の森」を示す標柱などは見かけませんでした。
ごみを棄てないでネ!
鉢(プラスチック製・焼き物等)は決められたルールで処理して下さい。
 (松竹台自治会)
声をかけあい明るい松竹台に
 (松竹台自治会)
先ほどの案内板が設置されている所まで引き返して、横木の階段をその先へ降っていくと、再び谷筋に降り立ちます。 左右に通る道は、先ほど降り立った谷筋から続いているようでした。 正面には「深谷市民の森」と書かれた標柱がこちら側を向いて立っていました。 先ほどの案内板によると、正面にある自販機や作業場のようなものは市民の森の範囲ではないようです。 その奥に広がる森は「深谷市民の森」に含まれるようですが、そこへ続く散策路は見かけませんでした。 左手すぐの所が森の出口になっています。 市民の森に入ってから11分ほどのプチ散策でした。
(画像を左クリックすると、4枚の写真が順次表示されます)
車止めを過ぎて、住宅地に続く坂道を登っていきます。 左右の路地は見送って、かなり傾斜がある坂道を真っ直ぐ登っていきます。 3分ほど登って森の手前まで来ると、左右に通る道路に出ます。 角には「松竹台10分区」と書かれた赤い消化器入れがありました。 そこを右折して金網柵沿いに緩やかに登っていくとY字路に出ます。 角には「松竹台地区案内」と題した大きな看板があって、「ここは松竹台地区入口です」となっています。 その脇に「まさかりが渕市民の森」の標柱が立っていて、 左手の道は「市民の森入口 殿山見晴台」、右手の道は「国道1号線吹上方面」となっています。 ここを左折していくとすぐの所に「大久保自治会案内図」があって、 この付近の道が載っています。 これから向かう道に赤い★印を記しておきました。
まさかりが淵市民の森の中の案内板などは「」の表記になっていますが、 ここの道標は「」の文字が使われていました。 なお、「殿山見晴台」は「殿山広場」に改称されています。
まさかりが淵市民の森の外周に沿って続く道を緩やかに登っていくと、殿山広場への入口があります。 車止めを過ぎて中へ入ってみると、「まさかりが淵市民の森」と題した案内板やベンチなどがあります。 富士山が乗った道標も立っていて、条件が良いと樹間から富士山を望めるようですが、 この時には雲が出ていて見えませんでした。 散策路が左右に続いていますが、森の中を散策するのは省略しました。
まさかりが淵市民の森
所在地 戸塚区汲沢町316-1番ほか
面 積 6.3ヘクタール
民話の残る宇田川「まさかりが渕(滝)」をとりまく山林です。 宇田川沿いに雑木林をぬけ「まさかりが淵」を眺める1.1kmの散歩道と、 子供広場、淵の上広場、殿山広場の3ヶ所の広場があります。
大久保神社
坂を登り終えて降り坂になってくると分岐があります。 角には鳥居が立っていて、脇には「大久保神社」と刻まれた石柱もありました。 鳥居をくぐって、植込みの中に続く小径を進んで参道に出ると、左手に大久保神社の社殿がありました。 中を覗ってみると、祭神の明治天皇と思われる肖像画が飾られていました。 手前の両側には立派な狛犬が控えていて、「人道之礎」と刻まれた石碑もありました。 右側の一段低い所には社務所がありました。 参道を右手へ進んだ所にも、注連縄が張られた鳥居がありました。
祭神 天照皇大神、明治天皇
大祭 正月第二日曜日、十一月三日
 (大久保神社)
人道之礎
昭和九年三月九日、一世の英傑武藤山治は北鎌倉の駅近く突如襲ひかゝった暴漢の兇弾に無念な六十八才の生涯を 閉ぢた。此の時彼に随行した秘書青木茂は主の危急と見るや銃弾の前に敢然身を挺して哀れ二十五才の春に散華した。 正義人道は永遠に我等に義憤を呼び起すものである。私は同憂の士、武藤山治の死を心から傷むと共に青木氏が当大正村上俣野 の出身である奇しき因念を想ひ永く人道の鑑とすべく、此の大久保神社の境内記念碑を建立し人道の礎と銘じた所以である。 英魂よ願はくは永遠に安らけく鎮まり給へ。
昭和三十八年三月十日(廻忌三十年) 大久保神社 社主 八十一翁
社殿の正面に続く参道にある鳥居をくぐって大久保神社から出て、左手へ曲がっていきます。 社務所の脇を過ぎていくと、まさかりが淵市民の森の外周に沿って続く道に出ます。 その道を森に沿って右手へ降っていくと、子供広場への入口があります。 ここでも車止めを過ぎてちょいと中へ入ってみました。 「まさかりが淵市民の森」と題した案内板や東屋やトイレやベンチなどがあります。 ここからも散策路が続いていますが、森を散策するのは省略しました。
まさかりが淵市民の森
市民の森は、市内の緑を守り、市民の皆さんの憩いの場としてご利用いただくため、 山林所有者の方々のご厚意により、山林を使用させていただくものです。 市民の森の散策路や広場の清掃・草刈等は、地元の方々でつくられた「市民の森愛護会」が行っております。 利用者の皆さんもきれいな市民の森になるよう、ご協力ください。
・火気厳禁 ・草花や野草を採らないで ・犬はつないで散歩 ・ごみは持ち帰る
 (まさかりが淵市民の森愛護会)
まさかりが淵市民の森の外周に沿って続く道を降っていきます。 左手に分かれていく坂道を見送って更に降っていくと、T字路に突き当る手前に、 まさかりが淵市民の森への入口があります。 ここでも車止めを過ぎてちょいと中を覗いてみました。 ここには、近年に設置された案内板のほかに、 以前に用いられていた「まさかりが淵市民の森」の案内板も残っていました。
旧案内板では、「殿山広場」は「殿山見晴台」、森の広さは「6.2ha」となっています。
まさかりが淵市民の森
所在地 戸塚区汲沢町316-1番地先
面 積 6.2ヘクタール
民話の残る宇田川「まさかりが淵(滝)」をとりまく山林です。 宇田川沿いに雑木林をぬけ「まさかりが淵」を眺める1.1kmの散歩道と、 木製遊具のある子供広場、軽スポーツの出来る淵の上広場、眺望のよい 殿山見晴台の3ヶ所の広場があります。
−利用にあたって守ること−
みんなで立派な市民の森づくり
市民の森は、それを利用する付近の人々によって適切に維持管理されるものです。 利用者も「自分たちの緑地」であるということを自覚し、清掃や管理運営などに 自主的に参加することのより、みんなで立派な市民の森をつくってゆきましょう。
まさかりが淵市民の森を過ぎたすぐの所に、坂道になったT字路があります。 左手へ降っていくと中村三叉路バス停方面へ出られますが、 今回は右手の坂を5mほど登った所から左へ分かれていく道に入っていきます。 深谷市民の森を出た先のY字路の傍にあった「大久保自治会案内図」に★印を記しておいた道になります。
(右手の道を真っ直ぐ進んでいくと、国道1号方面へ出られます)
トタン張りの資材置場のような所の間に続く道を進んでいきます。 突き当りを右へ曲がって坂道を降っていきます。 竹林の傍を過ぎて、駐車場を回り込むようにして左へ曲がっていきます。
宝寿院
道なりに右から左へ曲がりながら坂道を降っていくと二車線道路に出ます。 そこを右折していくと、宝寿院前交差点を過ぎた所に、宝寿院の広いの石段があります。 石段を登っていくと両側に「寶寿院」「真言宗」の門柱が立っています。 横浜市の名木古木に指定されているイチョウの大木を過ぎていくと、 「汲澤山」の扁額が掛かる山門があります。 左側には庚申塔などが並んでいました。
山門をくぐって手水舎を過ぎていくと、横浜市の名木古木に指定されているしだれ桜の古木があります。 明治37年(1904)に苗木で植えられ、樹齢は100年を超えるようです。 濃いピンク色の蕾が開くと淡い色になる花で、普通の桜より早めに咲き始めるとのことです。 その左奥に本堂があります。 右側には庫裡と思われる建物、左側には客殿がありました。 本堂の前には「南無大師遍照金剛」と刻まれた台座に乗った弘法大師像があり、 四国霊場八十八ヶ所の地図や名前を記した石碑もありました。 その右側には子育観世音菩薩像・一願不動尊・石井妙栄不動明王の祠などが並んでいました。
宝寿院を後にして、宝寿院前バス停の先の戸塚こばと幼稚園を過ぎていきます。 道なりに右へ曲がっていくと、こんもりとした森が見えてきます。 信号機のある交差点を過ぎた所に幟を立てる柱が立っています。 脇には「五霊神社」と題した看板が設置されています。 すぐ傍には五霊神社前バス停がありますが、五霊神社を訪ねていくことにしました。 石段と坂道がありますが、石段を登って社殿を経て坂道を降ってくることにしました。
五霊神社
神社祭典行事
毎月一日首祭・十五日次祭
一月一日歳旦祭 家内安全・厄除祈祷
一月十日どんどん焼 左儀長祭 さいとのまつり
二月節分日節分祭 厄歳除祈祷
二月十七日祈年祭 としごいのまつり
十月一日本宮祭
十月第一日曜日例大祭
十一月七五三祭
十一月二十三日新穀感謝祭
十二月二十三日天長祭
十二月三十一日大祓祭
初宮祭・厄歳祭・家内安全・交通安全・学業成就・其の他・祈願祭・地鎮祭、随時執行します
石段を登っていくと、脇に「村社五霊社」と刻まれた石柱が立っています。 「五霊神社」の扁額が掛かって注連縄が張られた赤い鳥居の所まで登ると、手前には狛犬が控えていました。 右側には馬頭観世音などの石碑が並ぶ一角がありました。 鳥居を過ぎて石段を登っていくと、再び鳥居が立っています。 右手の奥には「山ノ神」の扁額が掛かる赤い鳥居が立っていて、その先に石祠がありました。 左手にも道が続いていましたが、正面に続く石段を更に登っていきます。
五霊神社
石段を真っ直ぐ登っていくと五霊神社の境内に着きます。 左側には手水舎があり、右側には舞殿のような建物がありました。 正面の玉垣で囲まれた一段高い所に、本殿と拝殿から成る社殿があります。 本殿の屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 右側には社務所があり、左側には神輿庫と思われる建物がありました。
五霊神社由緒沿革
祭神五柱
 村岡五郎平良文公(桓武天皇曽孫高望王第五子で村岡郷の初代城主となる)
 村岡公致(義致)公
 村岡致成公
 鎌倉景成公
 鎌倉権五郎影政公
正親町天皇元亀二年(一五七一年)九月十九日創建。 當時此の地は村岡郷に属しており森織部義秀が村岡郷宮前村(現藤沢市宮前)御霊社を勧請 し守神とした後に鎌倉権五郎景政公を合祀して祭神が五柱となるにつき社名を五霊と改めたと 云う。村岡五郎良文公は皇族より始めて平姓を賜った高望王の子で全国にも平姓の祖とも云うべ き方を祭神として奉斎する神社は珍しい。 廣長二年(一五九七年)社殿を再興して五霊大権現と称した。其の後社殿の改築二回更に大正十二年 関東大震災に倒壊して翌年復興し数度の修復を行ったが近年雨漏りを憂いて森今吉氏が多額の 浄財を奉納されこれを基に氏子一同これに賛同奉納し流れ造りの社殿を改め権現造りの様式にて 御造営を成し昭和五十七年十一月六日に竣功した。 茲にこれを記念して建設委員一同由緒碑を建設する。
御神徳 家運隆昌 厄除 安産 学業成就 交通安全
大祭日 例年十月一日(現在は直近の日曜日)
宮司 本多正義記
境内の左手に続く道を進んでいくと、すぐの所から左手に降っていく石段があります。 登ってくる途中にあった鳥居の所へ続いていますが、今回は見送っていきます。 そこを過ぎていくと、道端の一段高い所に五輪塔のようなものが幾つも並んでいます。 上には稲藁で作った屋根が設置されていました。 五輪塔群の右側には「豊受姫大神」、左側には「雨降山 富士山 畝火山 遙拝」と刻まれた石碑もありました。
五霊神社前(ごれいじんじゃまえ)バス停
五輪塔群を過ぎていくと、参拝者用の駐車場として使われていそうな空き地があります。 その手前を道なりに左へ折れ曲がって坂道を降っていくと、先ほど登ってきた石段の脇に降り立ちます。 このまま車道を進んでいくと国道1号に出られますが、 今回はすぐの所にある五霊神社前バス停で散策を終えることにしました。
戸塚駅(JR東海道線)まで、 [戸60]戸塚バスセンター行きバスにて8分、1時間に6本程度の便があります。