たちばなの丘公園
散策:2012年01月下旬
【街角散策】 たちばなの丘公園
概 要 たちばなの丘公園は火薬工場の跡地の一部を利用した総合公園で、 横浜市の保土ヶ谷区と旭区にまたがる12.4haの面積があります。 2011年10月にその一部が開園し、レンガ造りのトンネル遺構や湿性植物の谷や竹林などがあります。 今回は開園した部分を散策してから尾根道を経て水道道へ降っていきます。
起 点 横浜市 県公社住宅前バス停
終 点 横浜市 市沢下町バス停
ルート 県公社住宅前バス停…たちばなの丘公園…お休み処…草地広場…竹林…竹林広場…保全林…東入口…見晴らし台…入口広場…工室4K…工室9T…工室H…工室DF…湿性植物の谷…雨水調整池…区境道…市沢下町バス停
所要時間 1時間10分
歩いて... この時は冬枯れの季節とあって、園内は竹林を除いて寒々とした様子でした。 公園を成す5つのゾーンのうち、今回開園したのはその中の1ゾーンで、全体の3割ほどの面積になります。
関連メモ 今井の丘
コース紹介
県公社住宅前(けんこうしゃじゅうたくまえ)バス停
和田町駅(相模鉄道本線)から、[浜19]新桜ヶ丘団地行きバスにて9分、 1時間に3本程度の便があります。
バス停の先へ数10m進んでいくと分岐があります。 正面の石垣には「SunCity YOKOHAMA サンシティ横浜」の標識が取り付けられていて左手の道を指しています。 その標識の指す左手の道を進んでいきます。
たちばなの丘公園
森の傍に続く車道を緩やかに登っていきます。 坂を登り切ると、左側には空地が広がり、右側にはブロック塀が続くようになります。 少し右へ曲がりながら降り始める角から左手に分かれていく道へ入っていきます。 すぐに右へ折れ曲がって建物の脇を過ぎていくと、未舗装になった道が森の中へ入っていきます。 その入口から擬木の柵が設置された散策路が右手へ分かれていきます。 今回はここからたちばなの丘公園へ入っていきます。 県公社住宅前バス停から4分ほどの所になります。
たちばなの丘公園の利用上のお願い
以下の事項を守って、他の人や近隣に迷惑をかけずに楽しく利用しましょう。
1.樹木や草花、鳥や昆虫などの自然を大切にしましょう。
2.ごみの持ち帰りにご協力ください。たばこのポイ捨ては条例で禁止されています。
3.犬は必ずリードなどでつないでください。犬を放すことは条例で禁止されています。
4.飼主は犬のフンを必ず持ち帰りましょう。
5.ゴルフや硬式野球などの他の人にけがをさせる危険のある遊びはやめましょう。
6.深夜・早朝に集まって大声で騒ぐなどの迷惑行為や危険行為はやめましょう。
7.粗大ゴミや廃材などの投棄をしないでください。
8.植込に立ち入ったり柵を乗り越えないでください。
9.許可無くバイク・車などの乗り入れをしてはいけません。
10.許可無く焚き火や花火などの火気の使用はできません。
11.許可無くタケノコを採ることはできません。
12.許可無く物品の販売、募金活動、広告物の掲示などの行為はできません。
お互いにルールとマナーを守り大切に利用してください。
 (横浜市環境創造局北部公園緑地事務所)
お休み処
事前にインターネットで入手した公園の概要図を眺めながら、 一筆書きで歩けないかと無い知恵を絞ってルートを考えましたが、 どうしても二度歩く所が少し出来てしまいました。 擬木の柵が設置された散策園路を進んでいくと、左下には広い草地広場が見えてきます。 降り気味になってくると、ヘアピン状に左手へ曲がっていきます。 曲がり角から横木の階段が正面へと降っていきます。 入口広場へ降りて行かれるようですが、散策路を道なりに左へ曲がっていきました。 道端にはベンチが幾つか設置されていて、お休み処になっているようです。
公園(緑道)内バイク等乗り入れ禁止(許可車以外)
 (横浜市北部公園緑地事務所)
草地広場
大きくS字形に曲がりながら降っていくと、正面に入口広場が見えてきます。 左手には草地広場が広がっていました。 このときは冬枯れの季節で寒々とした様子でしたが、青葉が茂る季節になると綺麗な広場になりそうに思えました。 先ずは草地広場の縁に続く周回園路を左手へ進んでいきました。 右側には深い窪地が続いていましたが、後ほど訪ねることにしました。
犬の放し飼いは条例で禁止されています
犬が好きな人ばかりではありません。 犬が放されているために公園などを利用できない人や犬に咬まれる事故も起きています。 飼い主のマナー・責任が問われています。 他人に迷惑や危害を及ぼすことのないよう十分な心くばりと正しいしつけをしましょう。
公園内では必ずひき綱をつなぎましょう。
 (横浜市北部公園緑地事務所)
草地広場の奥へ進んでいくと、正面に横木の階段が分かれていきます。 その階段は先ほどの入口の所から続く尾根道に出られるので、見送っていきます。 道なりに右へ曲がっていくと、正面にレンガ造りのトンネルが見えてきますが、 後ほど訪ねることにして、先ずは左手に分かれていく坂道を登っていきました。 坂道を進んでいくと、左手へS字形に曲がっていく角から正面へ小径が分かれていきます。 右下からも階段が登ってきています。 右側を見ると、窪地を取り巻くように草地広場が続く光景が広がっていました。 先ずは正面の小径の先に続く横木の階段を登っていきました。
擬木やパイプ製の手摺が設置された横木の階段を登っていきます。 出来て間もないので抉れていることもなくて歩き易くなっていました。 右手の柵の下にはレンガ造りのトンネルから続く工室DFが見えていました。 周囲は高い土塁で囲まれていて、万一の事故時でも影響を最小限に留める工夫のようでした。
中に入らないで下さい。
 (北部公園緑地事務所)
竹林
階段を登っていくと、すぐに竹林になってきます。 階段が終わって緩やかになった散策路を進んでいくと、横木の階段が左右に分かれる十字路があります。 右手の窪地には綺麗に整備された竹林が広がっていました。 右手へ進んでいくと入口広場の方へ出てしまうので、先ずは左手の横木の階段を登っていきました。
竹林広場
階段が終わって、竹林の脇に続く坂道を登っていくと竹林広場に出ました。 左手すぐの所には、最初の入口の所から続く尾根道が通っています。 そこに出入口があって、「たちばなの丘公園」と刻まれた石碑が草花に囲まれていました。 脇には最初の入口で見かけたのと同様の注意書きの看板も立っていました。 道なりに右へ曲がっていくと、こんもりとした高みにベンチが幾つか設置されていました。 この公園の中では一番高い所になるようです。
竹林広場の先から右下の竹林へ続く横木の階段を真っ直ぐに降っていきます。 竹林の中へ入って緩やかになってくると、右手には先ほどの竹林の窪地が広がっています。 そのまま真っ直ぐ進んでいくと、窪地からくる横木の階段の途中に出ます。 ちょいと竹林の窪地を一周してから、左手に続く横木の階段を登っていきました。
保全林
横木の階段を登り切ると、坂を越えて降り坂になってきます。 案内図によるとこの辺りは保全林となっています。 左側の明るくなった所を過ぎて降っていくと、 右下には竹林の手前でも見かけたのと同様のレンガ造りのトンネルから続く工室4Kが見えていました。 中には往時の機械設備の一部のようなものがまだ残っていました。
工室を過ぎていくと開けた所に出ました。 右手には入口広場が広がり、正面の横木の階段の上には僅かな高みがありますが、 正面から来て左手へ曲がりながら登っていく坂道を進んでいきました。 火薬工場があった頃には、この辺りの下に製品などを運搬するための隧道が通っていたようです。
尾根道下隧道
工場の出荷場や火薬庫、原材料置場は主に現在の「サンシティ横浜」の敷地内にあったため、 製品や原材料はこの隧道を通って運搬されました。 隧道は平成15年(2003)の道路建設時に埋め戻されましたが、現在もこの場所に眠っています。
 (横浜市環境創造局)
東入口
道なりに左へ曲がりながら続く坂道を登っていくと車道に出ます。 そこにも「たちばなの丘公園」と刻まれた石碑がありました。 脇には最初の入口で見かけたのと同様の注意書きの看板も立っていました。 案内図によると、ここは東入口となっていました。 道路向かいに建ち並ぶ集合住宅は、 県公社住宅前バス停の先で見かけた標識にあった「サンシティ横浜」のようでした。
見晴らし台
東入口から引き返してきて、散策路の左側の数段の階段を登った所が見晴らし台になるようです。 その先へ進んでいくと、入口広場から草地広場にかけてを見渡すことが出来ました。
入口広場
横木の階段を降りて左手へ進んでいくと入口広場に出ました。 公園の案内図はないかと探してみましたが、「トイレ案内図」以外には見かけませんでした。 右手の土塁の傍には、この公園と火薬製造の歴史などを記した解説板が設置されていて、 往時の地図が載っていました。 それによると、火薬工場は29haほどの広さがあって、この公園はその一部と近隣を含んだ区域になるようでした。 今回開園したのは更にその中の一部ということになります。
横浜市の基本計画によると、たちばなの丘公園は、 特色ある地形の活用ゾーン・樹林地のゾーン・多目的雨水調整池のゾーン・利用拠点のゾーン・谷戸の草原のゾーンなどから構成され、 今回開園したのはその中の「特色ある地形の活用ゾーン」の部分になります。 すべてのゾーンが完成すると、 谷戸には連絡橋も架けられて魅力的な公園(緑線で囲まれた範囲)になりそうでした。
たちばなの丘公園と火薬製造の歴史
【火薬工場からたちばなの丘公園へ】
たちばなの丘公園は、保土ヶ谷区と旭区にまたがる12.4haの公園です。 このうち、保土ヶ谷区側の約3.5haの敷地は、日本カーリット株式会社保土ヶ谷工場の跡地の一部になります。 保土ヶ谷工場は、大正8年(1919)、橘樹郡保土ヶ谷町(現在の保土ヶ谷区仏向町)で操業を開始しました。 その後、敷地や設備を拡張しながら、この地域一帯の約29haで火薬類を製造しました。 平成7年(1995)に工場が閉鎖されて群馬県に移転した後、 この場所は旧地名に由来した「たちばなの丘公園」として整備され、 火薬工場の歴史を伝える土塁やレンガ造りのトンネルなど当時をしのばせる遺構が保存されています。
【日本の火薬史における保土ヶ谷工場の果たした役割】
明治初期から日清・日露戦争にかけての火薬の主な利用目的は兵器であったことから、 陸軍省や海軍省が火薬の製造・研究を行いました。 明治9年(1876)の板橋火薬製造所の開設以来、 大正時代までに王子、十条、目黒、岩鼻、宇治などに火薬製造所が建設されました。 火薬製造所は軍用火薬だけではなく、炭鉱や鉱山などで需要の増加する民需用火薬も製造しましたが、 民間の火薬製造は禁止されていました。 大正3年(1914)、第一次世界大戦が勃発すると、陸軍から民間への払い下げの中止、 ダイナマイトの輸入停止などにより産業用火薬が不足したため、大正6年(1917)、民間での火薬製造が許可され、 日本初の民間火薬製造会社として日本化薬製造株式会社(現在の日本化薬(株))がダイナマイトの製造を開始、 大正8年(1919)から浅野同族株式会社(現在の日本カーリット(株)の母体)が 日本で2番目の民間火薬工場となる保土ヶ谷工場でカーリット爆薬の製造を開始しました。 カーリット爆薬は、鉱山や土木工事などで使用され、日本の近代産業の発展に寄与しました。 大正12年(1923)の関東大震災では、野毛山貯水池のコンクリート床や横浜港大桟橋などの残骸の除去にも利用されました。 昭和6年(1931)の満州事変から太平洋戦争にかけては軍需用としての利用も増加しました。 また、昭和13年(1938)には敷地の一画に東京帝国大学の火薬実験所もできました。 このように、保土ヶ谷工場は日本の火薬史において民間の立場から重要な役割を果たしました。
 (横浜市環境創造局)
入口広場の先には土塁が四つ並んでいて、トンネルが二つずつ設けられています。 各土塁の中は工室になっていて、 そこで行われる火薬製造の工程を示す記号がトンネルの入口に記されています。 それぞれのトンネルの脇には簡単な解説板が設置されていました。 往時には沢山の土塁があったようですが、その中の四つが保存されているようです。 トンネルには柵が設けられていて、工室の中には入って行けません。
土塁とレンガ造りのトンネル遺構
「土塁」とは土を盛って築かれた土堤のことで、 「工室」と呼ばれる火薬類の製造を行う建物や火薬庫の周囲に設けられました。 土塁は火薬製造時の爆発や発火事故の影響が周囲に及ぶことを防ぐ役割を果たしました。 土塁(土堤)の構造は現在でも火薬類取締法に規定されており、 高さは建物屋根の高さ以上(最低1.5m以上)、頂部の厚みは1.0m以上、斜面の勾配は45度未満とされ、 工室への出入口となるトンネルや切通しも爆発などの影響が周囲に及ばないように 建物との位置関係が決められています。 保土ヶ谷工場でも大正6年(1919)の工場建設時から土塁が設けられ、 工場の拡張がほぼ完了した昭和30年代には40箇所以上ありました。 子園内に保存された4箇所の土塁は、昭和16年(1941)以降の工場の増設により設けられ、 内側の大きさが10〜15m×20〜25m程度、3方は約4〜5mの高さの盛土で、1方は自然の傾斜地形を活かして作られています。 各土塁には出入口となるトンネルが2本あり、トンネルの中にも退避場となる空間があります。 保存された8本のトンネルは、7本がレンガ造り(一部モルタル補修あり)、1本がコンクリート造りです。 また、トンネルの抗門には、工室での製造工程を示す記号が記されています。 現存する火薬製造に関する土塁やトンネル遺構は全国でも珍しく、 岩鼻火薬製造所跡地(群馬県)、宇治火薬製造所跡地(京都府)、多摩火薬製造所跡地(東京都)などに 一部が残されているのみです。
 (横浜市環境創造局)
工室4K
入口広場のすぐ傍にあるのが最初の土塁「工室4K」です。 ここでは火薬を混ぜる作業が行われていたようです。 他の土塁は同じ面にトンネルが設けられていますが、 この土塁は角にあることもあって、別々の面にトンネルが設けられていました。
第四混和工室【4K】
カーリット爆薬の原材料となる過塩素酸アンモニウムや硝酸アンモニウムなどを混ぜ合わせる工室がありました。 混和された材料は、運搬車に積載され次の工室に送られました。 トンネルの抗門には工室での製造工程を示す記号【4K】が記されています。
 (横浜市環境創造局)
「工室4K」のトンネルには、往時に使われていたトロッコ用のレールが残されていました。 軌道の幅はそれほど広くないので、トロッコの車両もそれに似合う大きさだったのでしょう。
トロッコ用レール
昭和30年代までは、原材料や製品の運搬には鈍り蓄電池車で索引する「転倒式ナックル鍋車」や 「籠型ナックルトレーラー」、「トロ車(トロッコ)」と呼ばれる運搬車が使用されました。
 (横浜市環境創造局)
工室9T
土塁が並ぶ周回園路を進んでいくと、二つ目の土塁「工室9T」があります。 ここでは火薬を包む作業が行われていたようです。 この辺りから園路の脇に草地広場が続くようになります。
第九填薬工室【9T】
混和された爆薬の材料(混和薬)を薬包紙や紙筒、ポリエチレン筒などに一定量充填し、 薬包を製造する工室がありました。 写真は昭和30年代頃の填薬の様子で、工員が薬包紙に包む作業をしています。
 (横浜市環境創造局)
工室H
左手の窪地へ降りていく横木の階段を見送っていくと、三つ目の土塁「工室H」があります。 ここでは火薬を木箱に収納する作業が行われていたようです。
包装収函工室【H】
填薬された薬包はパラフィンワックスで防湿され、木箱に収納して運搬されました。 昭和30年代後半からはダンボール箱が使われるようになりました。 写真は、木箱用の板に製品名「カーリット」を印刷する作業の様子です。
 (横浜市環境創造局)
工室DF
先ほど竹林へ進んでいった道の際まで来ると、四つ目の土塁「工室DF」があります。 ここでは導爆線を製造する作業が行われていたようです。
導爆線工室【DF】
この工室は「第三包装工室」として使われていましたが、 昭和30年代後半に導爆線(導火線と違い、爆薬を芯薬に用いたもの)を製造する「導爆線工室」に転用されました。 保土ヶ谷工場では、時代によって製造する製品が変わると工室の用途も変わりました。
 (横浜市環境創造局)
山際から振り返って見ると、土塁の横腹に設けられたトンネルが列を成して並んでいるのがよく分かります。 安全のために、土塁の上には柵が設置されていますが、往時にもあったのでしょうか。
湿性植物の谷
草地広場を左手へ曲がり始めると、中央の窪地へ降りていく横木の階段があります。 階段を降って谷筋に着くと、緩やかな道になってきます。 この窪地が湿性植物の谷になるようです。 この時は冬枯れの季節で殺風景でしたが、夏場になると湿性植物が茂るのだろうと思われます。 左へ曲がっていく角まで来ると、「谷戸」と題した解説板が立っていました。 それに載っている地図によると、ここは帷子川へ流れ込む支流の源流のひとつになるようでした。
谷戸
この場所は「しぼり水」といわれる谷戸の湧き水によって、水分をたくさん含んだ湿地になっています。
「谷戸」とは小高い丘陵の雑木林に囲まれた谷のような場所のことをいいます。 このあたりに降った雨は地面にしみこみ、土の中を流れるうちに汚れがろ過されて、 低い土地の谷戸に湧き水(しぼり水)として涌きでてきます。 谷戸では湧き水を田んぼ(谷戸田)に引き込み、稲を育てるのに利用してきました。 このあたりでは田んぼは畑に変わりましたが、 この湧き水が流れてゆく仏向町小川アメニティ周辺には、今でも里山の懐かしい風景が残されています。
ここで出会えるいきものたち
ここでは「水」を好み、利用する生きものがよく見られます。
キセキレイ 水辺で尾を振りながらチョコチョコ歩き、虫を捕まえて食べます。 チチン、チチンと鳴きます。
オニヤンマ ヤゴは水のきれいな流れにすみ、5年もかけて成虫になるといわれます。 オスは谷戸などになわばりをつくり飛び回ります。
カラスアゲハ 黒っぽい翅の表が青や緑のメタリックに輝く美しいチョウです。 オスは暑い日に湿地や地面に吸水にやってくることがあります。
ガマ 「古事記」では、因幡の白兎が傷を負った時にこの穂綿にくるまり傷を癒したといわれていますが、 実際に花粉に薬効があることがわかっています。
アズマヒキガエル 卵からオタマジャクシのあいだは水の中でくらし、カエルになると周囲の林などでくらします。
アオダイショウ 人里でよく見られるヘビです。毒はもっておらず、捕えた獲物は絞め殺してから丸のみにして食べます。
ハナショウブ ノハナショウブの園芸品種です。 江戸時代から栽培され、5000種ほどの品種があるといわれています。
ヤマグワ 葉はカイコの餌となるため、かつて養蚕の行われていた横浜市内の雑木林でも見られます。 実は熟すと甘くなり食べられます。
 (横浜市環境創造局)
雨水調整池
散策路の先には雨水調整池があります。 道なりに左手へ曲がって木製デッキの上を進んでいくと解説板が立っていました。 この時には水面は見えませんでしたが、 解説板に載っている図によると、この木製デッキのすぐ傍まで水が溜るようでした。 調整池の余水吐から出た水は、「仏向の谷戸」や「仏向町小川アメニティ」を経て帷子川へ流れていくようです。
たちばなの丘公園 雨水調整池
この施設は、大雨のとき、雨水を一時貯留して下流へ少しずつ流し、河川の氾濫を防ぐ大きな役目をします。
施設概要
貯留量290立方m
水深(最大)0.96m
池底面積602平方m
※危険ですから調整池の中に入らないでください。
※H.W.L(High.Water.Level):計画最高水位
 (横浜市環境創造局北部公園緑地事務所)
解説板の先に続く横木の階段を登っていくと、先ほどの「工室9T」の前に出ます。 そこから草地広場の縁に続く周回園路を再び左手へと進んでいきます。 山際まで来て横木の階段を登り、竹林への道を右手に分けて、 左前方へ続く散策園路をS字形に曲がりながら登っていきます。
区境道
左手から登ってくる横木の階段を合わせて更に登っていくと、左右に通る尾根道に出ました。 入口から続いてきた尾根道で、横浜市の保土ヶ谷区と旭区の区境道になっています。 入口から50分ほどの公園散策でした。 公園のあるこちら側が保土ヶ谷区仏向町で、向こう側が旭区市沢町になります。 以前に来た時には公園側にはコンクリート塀が続いていましたが、 この時には撤去されていて、歴史を伝えるために一枚だけが残されていました。 脇にある解説板によると万年塀というようです。 往時のものでしょうか、壁には赤地に白色で「危険区域・火気厳禁・立入禁止」と書かれていました。
万年塀
この区境道は、保土ヶ谷工場建設以前の明治時代から一般の道として使われていました。 保土ヶ谷工場建設後も使われていましたが、火薬類が製造される危険区域のため、 「万年塀」と呼ばれる高さ1.8mの壁が設けられ立入が禁止されていました。
この万年塀は公園整備時に保存したものです。
 (横浜市環境創造局)
尾根道に出た所は、左手と右手の道がそれぞれ二又に分かれていて、 登ってきた散策園路を併せると五叉路のようになっています。 尾根道の向こう側も「たちばなの丘公園」の予定地になっていて、 未開園ながら整備はかなり進んでいるようでした。 左手の二又の右側の道は下の街まで降りて行かれるようですが、今回は訪ねるのを省略しました。 右手の道も二又に分かれていますが、右側の道は以前にも歩いたので、今回は左側の道を進んでいきました。
(右側の道は「今井の丘」を参照)
自転車などをご利用の皆様へ
この散策路には階段があるため、自転車などでは通行できません。 樹林地の安全のために、樹林の中も通らないでください。 ご協力をお願いいたします。
 (横浜市環境創造局)
雑木林の尾根に続く広い尾根道を緩やかに1分ちょっと登っていくと、左右に通る広めの道に出ました。 右手へ進んでいくと、先ほどの竹林広場の脇に出られますが、今回は左手の道を進んでいきました。 公園を出てから歩いた道順を載せておきますので参考にしてください。
正面にも僅かな踏み跡が続いています。 試しに降ってみると、1分ほどで広い道に降り立ちました。 入口広場にあった往時の地図によると、火薬工場の中に続く作業路のようでした。 左手すぐの所には工事柵が設置されていましたが、脇から通って行けるようになっていました。 その先へ進んでいくと、草が生える所もありましたが、以前には広い道だったと思われる様子で続いていました。 5分ほど進んで住宅の裏手の広い空地に出ると、周囲に工事柵が設置されていて行き止まりになっていました。 降り立った所から右手へ進んでいくと、3分ほどでアコーディオンシャッターが設置されていて行き止まりになっていました。 その先には舗装道路が通っていて、先ほどの五叉路の所から右側の道を進んできた所でした。 降り立った正面の窪地へ続く細い道もあったので降ってみましたが、窪地に着いた所で道が不明瞭になっていました。
(この散策に要した時間は所要時間に含めず)
ここはきけんです。 このあたりで火あそびをしたり柵の中に入ったりしてはいけません。
 (保土ヶ谷警察署)
両側に笹竹が茂る広い道を進んでいくと、程なくして少し降り坂になってきます。 右側に有刺鉄線柵が続く道を降っていくと、右手へ戻るようにして山道が分かれていきます。 先ほどの分岐から1分弱の所になります。 角には「銃猟禁止区域」の赤い標識が立っていて、有刺鉄線柵もその道に沿って右へ曲がっていきます。 このまま正面の広い道を降っていっても良いように思えましたが、今回は右手に続く道へ入っていきました。
銃猟禁止区域
 (神奈川県)
等高線に沿うようにして緩やかに続く山道を進んでいきます。 笹竹などが生い茂ってはいますが、道は明瞭に続いていました。 今回の公園散策にあって、ちょっとした山歩きの雰囲気が味わえる道でした。 左下には作業場のような建物が幾つか建っていました。 その奥の方には丹沢の山並が横たわっていましたが、生憎の空模様とあってはっきりとはしませんでした。 笹の中に消えてから再び現れる有刺鉄線柵沿いに進んでいくと、青緑色の金網柵に変わってきます。 火薬工場があった頃の名残なのか、「万年塀」に書かれていたのと同文の注意看板が取り付けられていました。
危険区域・火気厳禁・立入禁止
やがて笹竹がなくなって、その分だけ道幅も広がって快適になってきます。 引き続き、金網柵沿いに進んでいきます。 少し降り坂になってくると舗装路に出ました。 ほんの3分半ほどの山道歩きなのでした。 左手へ分かれていく道は見送って、正面に続く道を進んでいきます。 右側には金網柵が継続して続いています。
警告
この付近一帯は、都市計画法により市街化調整区域(市街化を抑制すべき区域)に指定されており、 農業用施設や公益施設などを除き、原則として建築行為は禁止されています。 万一、これに違反して建築行為を行った場合(スチール物置やコンテナ倉庫などの設置も含む)は、 都市計画法違反となり、除却命令などの処分を受け、罰せられることがあります。 また、この標識を壊したり、引き抜くなどした場合は、罰せられることがあります。
 (横浜市建築局建築監察部違反対策課)
少し降り坂になってくると、右側の金網柵の向こう側に空地があります。 先ほどの補足で書いた道を進んで行き止まりになっていた所です。 これまでの金網柵は空地に沿って右へ曲がって続いていました。 そこを過ぎていくと民家が建ち並ぶようになります。 民家を過ぎた所から右手に分かれていく道を見送って正面へ降っていくと、道が二又に分かれています。 正面の道は少し先で行き止まりになっているので、右前方へ続く道を降っていきます。
市沢下町(いちさわしもちょう)バス停
道なりに左へ曲がりながら降っていくと二車線道路に出ました。 角には理容店がありました。 そこを左折して数10m進んだ所に市沢下町バス停があります。 五叉路から13分ほどで着きました。
道路向かいの乗り場から、和田町駅(相模鉄道本線)までの便が1時間に5本から6本程度あります。
手元の地図によると、このバス停のある道は「水道道」となっていますが、 この東側の西谷浄水場からの太い水道管が下を通っているのでしょうか。