台山
散策:2012年01月中旬
【低山ハイク】 台山
概 要 台山は、小田原市・中井町・二宮町の境にある標高150mほどの低山です。 かつては日本軍の大隊規模の陣地があったようですが、今では畑地が広がる緩やかな丘になっています。 西に横たわる曽我丘陵の奥には富士山も頭を覗かせます。 今回は東側から台山へ登り、北側から一色地区へ降り、尾根を越えて緑が丘へ降っていきます。
起 点 二宮町 下谷バス停
終 点 二宮町 緑が丘西バス停
ルート 下谷バス停…南の上橋…台山…55番鉄塔…四叉路…御堂ノ上橋…一色地区…天津神社…浄源寺…一色バス停…神明神社…浅間神社…十字路…分岐…葬儀会館…緑が丘西バス停
所要時間 1時間50分
歩いて... 台山のある尾根に続く道は簡易舗装された農道になっています。 傾斜の急な所もありますが、全体的には歩き易い道になっていました。 生憎の曇天とあって台山から富士山は見えず、曽我丘陵の奥の箱根の山々も霞んでいました。 一色地区の東側の尾根に続く道は未舗装になっていました。
関連メモ 吾妻山公園, 台山, 大磯鷹取山
コース紹介
下谷(しもや)バス停
二宮駅(JR東海道線)の北口のバスターミナルから、[秦60][秦63][秦91]秦野駅南口行きバスにて10分から12分、 1時間に2本から3本程度の便があります。
バス停の先へ進んで、横断歩道やカーブミラーのある十字路を左折してきます。
広い道を少し戻るようにしてS字形に曲がりながら降っていくと、葛川前田橋が架かっています。 脇には二宮町消防団第五分団の車庫がありました。 橋を渡っていくと県道71号(秦野二宮バイパス)の出入口があります。 そこから右手へ続く海老茶色の細めの道へ入っていきます。
南の上橋
石垣の脇を少し登っていくと葛川沿いに出ます。 ガードレール沿いに進んでいくと、カーブミラーの設置された分岐があります。 そこを左折してかなり傾斜のある坂道を登っていくと、県道71号の脇に出ます。 道なりに右へ曲がって坂道を更に登っていくと南の上橋が架かっています。 正面に未舗装の道が降っていますが、橋を渡っていきます。
銃猟注意!
この地域には、みかん畑等があるため、関係者が多数出入りしています。 大変危険なので、下記の期間中銃猟をしないようお願いします。
銃猟自粛期間 11月から12月末まで
 (二宮町役場、猟友会二宮支部、大磯警察署、一色地区自治会)
南の上橋を渡って、道なりに左へ曲がって緩やかに降っていきます。 登り坂になってくると、右手へ戻るようにして、ガードレールの設置された道が分かれていきます。 今回はここから右手の道を登っていきます。
(正面の道は「吾妻山公園」を参照)
特定猟具使用禁止区域(銃)
 (神奈川県)
かなり傾斜のある坂道を登っていくと、先ほど渡って来た南の上橋を見下ろすことが出来ました。 道なりに左へ曲がっていくと畑地が広がってきます。 この道は農道になっているようで、時々作業車が通っていきますが、脹脛が痛くなるほどの傾斜があります。 振り返ると、二宮の街並みが広がっていました。 その奥には松並木が見えていました。 相模湾も広がっていましたが、生憎の曇天とあって明瞭ではありませんでした。
急坂を5分ほど登っていくと、両側に石垣がある所の先から緩やかな道になります。 左手へ分れていく道を見送って、正面に見える電波塔に向かって進んでいきます。 石垣沿いに右へ曲がりながら進んでいくと、登り坂になってきます。 左へ曲がる所まで来ると、正面には丹沢大山が聳えていました。
道なりに左へ曲がりながら登って電波塔のすぐ傍まで来ると十字路がありますが、 正面に続く細めの道を進んでいきます。 建物の横を登って林の脇を進んでいきます。 大山を始めとする丹沢の山並を右手に眺めながら進んでいくと、降り坂になってきます。 右手から来て左手へ曲がりながら登っていく道に出て、左手へ進んでいきます。 石垣沿いに登っていくと、左手へ戻るようにして道が分かれていますが見送っていきます。
更に石垣沿いに登っていくと、緩やかな畑地に出ました。 左脇には倉庫や飼料製造用の建物がありました。 舗装路はここで終わっていて、その先には未舗装路が二手に分かれながら続いています。 右手の方が明瞭な道なのでそちらへ進んでいきます。 すぐの所から右手へ降っていく道が分かれていますが、正面に見えるミカン畑へ向かっていきます。 ミカン畑の手前まで来ると道が右手に分かれていきます。 左手にも僅かな道が分かれていて十字路のようになっていました。 左右の道を見送ってミカン畑へ入ると舗装路になります。 振り返ると、先ほどの建物などがある畑地を一望出来ました。
ミカン畑に続く舗装路を緩やかに登っていきます。 茶色い屋根の作業小屋を過ぎていくと少し降り坂になってきます。 道端に生える植林の手前まで来ると、左右に作業小屋が建っています。 小屋を過ぎた所に分岐があります。 道は正面へ降っていきますが、ここから右手に分かれていく道が台山への入口になります。
地形図に載っている破線の十字路から少し西へ降った所になります。
ミカン畑に続く緩やかな道を進んでいくと、左側には曽我丘陵が連なっていました。 山肌がかなり削られていて何だか無残な姿に思えました。 その奥には箱根の二子山なども見えていましたが、生憎の曇天とあって明瞭ではありませんでした。 条件が良ければ富士山も見えるのですが、この時は雲に隠れて見えませんでした。
台山 (標高153.2m)
青い網が掛けられた畑地の前まで来ると分岐があります。 右手の道はその先の畑で行き止まりになっているので、網の左側に続く道を進んでいきます。 網が途切れて道が少し左へ曲がっていく所まで来ると、 正面の畑の中ほどに小高くなった一坪ほどの所があって、石碑らしいものが見えています。 ここが地形図に載っている台山になるようで、三等三角点があります。 下谷バス停から28分ほどで登って来られました。 小田原市・中井町・二宮町の境界になっていて、 先の大戦時には日本軍の大隊規模の陣地が置かれた所のようです。
台山の標高は、以前の2万5千分の1の地形図では153.5mとなっていましたが、 今回参照した電子国土ポータルでは153.2mとなっています。
三角点の傍には大きな四角い石があります。 明治初期に設置された外国人遊歩規程測点標石で、 この台山にある測点は「第39号」とのことです。 測点の謂われなどを記したものは見かけませんでしたが、以前に調べた情報を抜粋して載せておきます。
外国人遊歩規程測点
幕末の開国時、外国人が自由に行動できる範囲を開港場から十里以内とした外国人遊歩規程が制定された。 範囲を明確にするため、明治9年から小田原までの間の測量が行われた。 神奈川県庁旧旗揚場から酒匂川までの間に60箇所ほどの測点を設け、 それぞれに標石を埋めて三角測量が行われた。 標石は本体の上に分厚い蓋が乗った形とし、本体には朱色で「第xx号 測点 地理寮」の刻印が施された。 明治27年に外国人遊歩規程が廃止され、測点は歴史の中に埋もれていった。
台山を過ぎてその先へ進んでいきます。 左手には畑地が広がり、その奥には曽我丘陵が続く景色を眺めながら進んでいくと、 作業小屋の所で簡易舗装路は終わりになります。 道が二手に分かれていますが、いずれも畑の所で行き止まりになっています。 正面の向こう側には作業小屋が幾つも見えるし、送電線も通っています。 地形図には破線の道が載っているので今回も探してみましたが、それらしい道は見当たりませんでした。 すぐそこのように思えるので、ミカン畑の中を無理矢理に進んでいくと出られそうにも思えましたが、 諦めて先ほどの分岐まで引き返し、右手(来た向きからは正面)の道を降っていきました。
ミカン畑に続く道を右手へ曲がりながら緩やかに降っていくと、作業小屋を過ぎた所に分岐があります。 左手の道は隧道口バス停へ降っていけますが、 右手に曲がったすぐの所から正面へ続く緩やかな道を進んでいきます。
(左手の道は「台山」を参照)
幾つも建ち並ぶ作業小屋を過ぎていきます。 道端にはコンクリート製の円筒形のものが幾つも置かれていました。 潅漑用の水を溜めておく所のようで、この時も中に水が一杯溜まっていました。 冷え込んだ日だったので、表面には薄氷が張っていました。 縁から手を入れて氷の板を持ち上げてみると少し割れました。 厚さは1cmもなさそうでした。 そんなことをしながら進んでいくと、左右に通る坂道に出ました。 地形図に載っている破線が分岐している所になるようです。 ここを右折して、作業小屋の脇を過ぎて坂道を登っていきます。
注意
ハンターのみなさん! この附近に人家・農耕地等があります。 狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
ミカン畑などが続く坂道を登っていきます。 作業小屋を過ぎていくと、左手へ未舗装路が分かれていきますが、 そのまま正面に続く舗装路を進んでいきます。 作業小屋を幾つか過ぎて、正面に見える送電線の鉄塔へ向かっていきます。 森の手前まで来ると、小屋の手前で舗装路は終わっています。 右手の畑の中へも道が続いていますが、小屋の左側に続く未舗装路を進んでいきます。
55番鉄塔
作業小屋の脇を過ぎていくと、雑木林に広めの道が続いていました。 農作業に使われているのか、道の部分は刈り取られていて歩きやすくなっていました。 1分もしない所から右手に道が分かれていて、 そのすぐ先には送電線の鉄塔「西-平55号」が立っていました。 先ほどから見えていた鉄塔になります。 地形図にある破線の道と送電線が交差している所になるようです。 元の道に戻って、その先へと進んでいきます。
西-平55号 お願い
この送電線は、7万7千ボルトの高電圧です。 下記の事柄について御連絡下さい。
1.送電線の附近に建造物を建てられるとき。
2.送電線に接近して作業をされるとき。
3.送電線の附近で火災がおきたとき。
 (小田原電力所、東京地区電力指令)
樹木が低くなって山並を見渡せる所を過ぎていきます。 傾斜は急ではなくて、歩きやすい道を進んでいきます。 55番鉄塔から3分ほど進んで開けた感じの所まで来ると、道は行き止まりになっていました。 この前に来た時には正面に草が生い茂っていて、左側の一段高い所に続く道を進んでいきましたが、 今回は正面の草が刈り払われて歩けるようになっていました。 正面の道を進んでいくと、段差を降りた所で左右に通る舗装路に出ました。 台山から16分ほどの所になります。 前回は左手に見えている竹林の方へ進んでいったので、今回は右手の道を進んでいきました。
(左手の道は「台山」を参照)
軽く降ってから登り坂になってきます。 植林地へ入って降り坂になってくると未舗装路に変わります。 コンクリート製の四角い水溜めを過ぎて、少し左へ曲がりながら進んでいくと、 右手から降ってくる舗装路に出ます。 舗装路に降り立った所から5分ほどの所になります。 台山の東側の辺りから降ってくる道のようでしたが、確かめるのは止めておきました。
四叉路
舗装路を左手へ降っていきます。 右手へ分かれていく道を見送って、ミカン畑などが広がるようになった丘を降っていきます。 正面が開けて傾斜が増してきた坂道を降っていくと四叉路があります。 右手の道はすぐに畑の中に消えていきますが、左方向に二つの道が分かれています。 その左側は降り坂で、右側は登り坂になっています。 手元の地図によると、左側の道は五分一陸橋の方へ降りて行かれるようですが、 今回は右側の道を緩やかに登っていきました。
道はすぐに降り坂になってきます。 正面に丹沢大山を眺めながら作業小屋の所まで来ると、コンクリート製の四角い水溜めがありました。 角を右へ曲がっていくと、左下には赤・黄・緑に塗られた派手な建物が見えてきます。 振り返ると、丹沢大山などの山並が見えていました。 ミカン畑が続く丘を道なりに降っていくと、大きめの作業小屋の所で道は左手へと大きく曲がっていきます。 小屋の脇から道が右手へ分かれていましたが、左手へ曲がっていく道を降っていきました。
正面に丹沢大山を眺めながら降っていくと、道は右へ曲がっていきます。 その先で土の道が左手へ分かれていきますが見送っていきます。 突き当りを道なりに左へ曲がっていくと、先ほどから見えていた目立つ彩色の建物の脇に着きました。 敷地内には滑り台などの遊具がありました。 こちら側には名前を記したものは見かけませんでしたが、梅の木幼稚園というようです。 道はその手前を右手に曲がっていきます。
御堂ノ上橋
コの字形に曲がっていくと、県道71号(秦野二宮バイパス)に御堂ノ上橋が架かっています。 橋の手前から車道へ降りていく道が分かれていますが、橋を渡っていきます。 橋を渡った所から右手の階段への道が分かれていますが、道なりに左へ曲がって降っていきます。 車道の脇まで降りると、正面の道と右手の道とに分かれていますが、右手の道を進んでいきます。
一色地区
右手へ曲がりながら降っていくと、民家が点在するようになります。 右手から降ってくる道を併せてその先へ降っていきます。 左下に一色地区を眺めながら坂道を降っていくと、道は直角に左へ曲がっていきます。 角から細い道が右手へ分かれていますが、道なりに左折していきます。 ホダ木のようなものが沢山積まれた所を過ぎて、民家が建ち並ぶ坂道を降っていくと、 葛川上北根橋が架かっています。 橋を渡って坂道を登っていくと車道に出ました。 台山から42分ほどで降りて来られました。 この右手の先に一色バス停がありますが、正面に続く道の先に浄源寺が見えていたので、 立ち寄っていくことにしました。
天津神社
浄源寺の第一駐車場と第二駐車場の間を過ぎて墓地の脇に続く坂道を登っていくと、 左へ曲がっていく所から石段が右手へ分かれて登っていきます。 その上には鳥居が立っていたので、寄っていくことにしました。 石段を登って鳥居をくぐっていくと、民家の脇に天津神社がありました。 中を覗ってみると、奥まった所に白木の小祠が安置されていました。 神社の左隣には赤い鳥居の建つ社がありました。 中には小祠が納められていて、狐像も幾つか置かれていたので稲荷社でしょうか。
天津神社
御祭神 淤母陀琉命(おもだるのみこと)、吾屋惶根命(あやかしこねのみこと)
例祭日 四月二十一日
この神社は江戸時代迄は御祭神である淤母陀琉命、吾屋惶根命が天津神の大六番目の神として誕生されたことから 「第六天さん」と呼ばれていましたが、明治以降天津神社と改名されました。 かっては、柏木家(一色字中南)の氏神様として祀られていましたが、 大正四年四月、当主柏木治郎吉氏より一色地区に寄附され、 現在では一色地区三神社の一つとして、地域の人々に崇敬されております。
敬神生活の綱領
一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一、大御心をいただきてむつび和ぎ、国の降昌と世界の共存共栄とを祈ること
 (神社本廳統理 徳川宗敬)
天地のはじめ
…上の件、五柱の神は別天つ神。 次に成りませる神の名は、国の常立の神。 次に豊雲野の神。 この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。 次に成りませる神の名は、宇比地邇の神。次に妹須比智邇の神。 次に角杙の神。次に妹活杙の神。 二柱。 次に意富斗能地の神。次に妹大斗乃弁の神。 次に於母陀流の神。次に妹阿夜訶志古泥の神。 次に伊邪那岐の神。次に妹伊邪那美の神。 上の件、国の常立の神より下、伊邪那美の神より前を、并はせて神世七代と称す。…
 (出典:角川ソフィア文庫「新訂古事記」)
浄源寺
社の左手から小径を降っていくと、庫裡の脇に出ます。 その左前を通っていくと浄源寺の本堂があります。 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでした。 左手からは先ほどの石段を見送って来た道が登ってきます。 その傍には立派な石柱が立っていて、下から登ってくる石段が続いていました。 脇には赤い前掛けをした六地蔵が並んでいました。
阿弥陀如来立像 浄源寺
二宮町重要文化財
像高99.0cm
面長9.6cm
頭頂〜顎17.7cm
面巾9.8cm
肩張22.4cm
肘張32.7cm
裾張21.3cm
胸厚14.3cm
寄木造り彫眼 漆箔の立像。 躰部は中がくりぬかれ、そこからは仏像等が発見されている。 容姿端麗円満優雅な表現に満ち、しかも全体としてかたちもよくととのっている仏像である。 作者は不明であるが、平安朝末期浄土思想がさかんになった頃の京都の有名仏師の作と推定される。
 (二宮町教育委員会)
和顔愛語
やさしい顔とやさしい言葉に福が宿る。
一色バス停
車道まで引き返してきて左折していくと、すぐの所に一色バス停があります。 傍には一色公民館が建っています。 脇には「道祖神」「天社神」と刻まれた丸まった石碑がありました。 その横に看板が立っていますが、何も書かれていませんでした。 秦野駅や二宮駅までの便が1時間に2本から3本程度ありますが、 まだ時刻が早かったので、この裏手の尾根を越えていくことにしました。
バス停の左に続く坂道を登っていきます。 民家の間に続く坂道を登って畑地の脇に出ると、 右手から来て右手へU字形に曲がって登っていく道の角に出ます。 山際に続く左側の道を登っていきます。 左手から降ってくる道を併せて坂道を登っていくと、 右側の谷向かいには、先ほど歩いて来た尾根を見渡すことができました。 民家を過ぎてその先へ進んでいくと、再び畑地の脇に出ます。 道なりに進んでいくと五叉路があります。
神明神社
正面には「神明神社(入口)」の看板が立っていて、正面の道を指していました。 参道は右手の先にありますが、正面の坂道を登っていくと、神明神社の社殿の脇に出ました。 右手には舞殿のような建物があり、その脇にある石灯籠の所へ石段が登ってきています。 石段の下には真新しい鳥居が見えていました。 その鳥居などの改修工事の奉賛者の氏名と金額が、大きな看板にずらりと書き出されていました。 社殿の前には真新しい狛犬が控えていました。
神明神社
鎮座地 二宮町一色宮根千五拾八番地
御祭神 大日_貴命(おおひるめのみこと) (三文字目は「雨」冠の下に「四」と「女」を書きます)
例祭日 七月十六日
由緒沿革 一色は鎌倉時代(1192〜1333)盛んに武具の鋳造が行われていたと伝えられ、 神社の近くに「金クソ」と言う地名も現存する。 その工人達によって一色は開かれ、そして土地の鎮守として創祀されたのが神明神社であると言われている。 戦前は毎月1日・15日には、平和と氏子の健康、出征兵士の武運長久を祈る祈願祭が行われ、 住民や近郷からの参拝者も多かった。
敬神生活の綱領
一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一、大御心をいただきてむつび和ぎ、国の降昌と世界の共存共栄とを祈ること
 (神社本廳統理 徳川宗敬)
浅間神社
社殿の左奥の小径を登っていくと、すぐに浅間神社の小祠があります。 祠の中には「奉鎮祭浅間神社木花之佐久夜毘売」と書かれた札が納められていました。 祠の脇には「木花開耶姫命 村中安全」と刻まれた丸まった石碑があって、 文字の上には富士山と思われる線も刻まれていました。
浅間神社
ここの祠内に書かれてある木花之佐久夜毘売命、及び石碑に書かれている木花開耶姫命は、 いずれも「このはなさくやひめのみこと」と読み、富士山浅間神社の祭神で、 御神体は八合目以上の富士山そのものです。 江戸時代、各地で富士山信仰が盛んになり、当地一色村でも富士詣でが盛んに行われたものと思われます。 その当時、地域の安全祈願と富士詣でのできない人々のために、富士山がよく見えること地に 信仰の厚い人達が建てたものと思われます。 祠については、いつ頃から建てられていたか明確ではありませんが、 この石碑に書かれている安政七年は1860年で江戸時代末期に当たります。
十字路
浅間神社の左脇から舗装路に出てその先へ登っていきます。 かなり傾斜のある坂を登り切ると、少し曲がった十字路があります。 正面の道は打越川が流れる谷筋へ降っていけますが、以前にも歩いているので、 今回は右手に続く尾根道を進んでいくことにしました。
(正面の道は「吾妻山公園」を参照)
桧の幼木とミカン畑の間に続く道を進んでいくと雑木林に入っていきます。 すぐに右手のミカン畑への道が分かれていきますが、見送っていきます。 道は小型作業車なら通って行けるだけの幅があって、緩やかに続いています。 十字路から2分ほど進んでいくと、右手へ道が分かれていきます。 右には作業小屋や円筒形の水溜めのようなものがありますが、見送っていきます。
植林地の脇に続く道を緩やかに降っていくと、ミカン畑の脇に出ます。 作業小屋を過ぎていくと、道は畑の中に消えていきます。 僅かに二手に分かれているようでしたが、左手の踏み跡を辿って進んでいきました。 ミカンの木は密生しておらず、容易に歩いていけました。 右手の谷向かいには斜面を登っていく舗装路が見えていましたが、 最初の南の上橋の先から登ってきた道でしょうか。
分岐
ミカン畑の中を真っ直ぐ進んでいくと少し降り坂になってきます。 ミカンの木がなくなった所を降り気味に進んでいくと、右手から来る道に降り立ちました。 手前の僅かな分岐から右手に曲がっていった道でしょうか。 その道に降りて左手へ進み始めると、すぐの所に分岐があります。 十字路から6分ほどの所になります。 右側の道は登り気味で、左側の道は降り坂になっています。 尾根に続くのは右側の道のように思えましたが、 左側の道の方がしっかりとしていそうだったので、竹林の脇に続く左側の道を降っていきました。
あまり踏み固められた道ではありませんでしたが、明瞭に続いていました。 右・左と曲がりながら降っていきます。 左側には引き続き竹林が続いていました。 2分ほど降っていくと、右手の浅い谷筋には畑地が続くようになります。 その下には街並みが見えてきます。 そこまで道が続いているようだと思えて心強くなってきました。
葬儀会館
葱・大根・キャベツ・白菜などが植えられた畑の縁に沿って続く道を降っていきます。 畑との段差が次第に付いてきて下側を降るようになってくると、舗装路に降り立ちました。 尾根から3分半ほどで降りて来られました。 正面には薄紫色の建物がありますが、「アンセスタ」という名前の葬儀会館になります。 左手の高みには祠があって、小さな石段も設置されていました。 開け放たれた祠の中には石仏がふたつ納められていました。 見覚えのある所だと思っていると、ここは打堀川が流れる浅い谷筋で、 以前に吾妻山を訪ねてから、打越川緑道を経て先ほどの神明神社へ向かっていった道でした。 正面にも道が分かれていますが、ここは舗装路を右手へ進んでいきます。
(左手の道は「吾妻山公園」、 正面の道は「大磯鷹取山」を参照)
緑が丘西(みどりがおかにし)バス停
石垣の上に白壁が続く脇を進んでいきます。 サイロが幾つもある農家を左手に見ながら進んでいくと道が二手に分かれていますが、正面の道を進んでいきます。 集合住宅「ブロード・パイン」の前を過ぎていくと、坂道になった二車線道路に出ました。 道路を渡って右手へ軽く登っていくと、すぐの所に緑が丘西バス停があります。 葬儀会館から3分ほどで到着しました。
二宮駅(JR東海道線)まで、二宮駅北口行きバスにて7分から14分、週末には1時間に2本程度の便があります。