草戸山
散策:2012年01月上旬
【低山ハイク】 草戸山
概 要 草戸山はハイキングコースとして人気のある高尾山の東側にあります。 八王子市と町田市と相模原市城山町の境にあって、高尾山ほどは混雑せず静かな散策を楽しめます。 今回は南の尾根に続く小松ハイキングコースから城山湖へ出て、西側の散策路から草戸山へ登っていきます。 草戸山からは草戸峠を経て大地沢林道へ降ります。
起 点 町田市 円林寺前バス停
終 点 相模原市 青少年センター入口バス停
ルート 円林寺前バス停…円林寺…小松ハイキングコース…小松城跡…評議原…金刀比羅宮…航空神社…城山湖…城山湖ソーラー展望台…加藤武雄文学碑…野鳥観察休憩所…榎窪山分岐…ふれあい休憩所…357.41m峰…草戸山…見晴し台…草戸峠…降り口…大地沢林道…境川源流…大地沢青少年センター…青少年センター入口バス停
所要時間 3時間40分
歩いて... 小松ハイキングコースは地形図に載っていませんが、 要所には道標も立っていてよく整備され、緩やかでしっかりとした広めの道になっていました。 大地沢林道の奥には境川の源流がありました。 過日の雷雨による被害から少し回復しているようでしたが、 稜線が見えてくる辺りで「行き止まり」になっていました。
関連メモ 草戸山, 三井水源林, 東高尾山稜, 大戸緑地, 草戸山
コース紹介
円林寺前(えんりんじまえ)バス停
相原駅(JR横浜線)の西口から橋本駅寄りに線路沿いを進み、 町田街道を右折した先にある相原バス停から、[橋20][原19]法政大学行きバス,または, [橋16][橋25][原21][原25]大戸行きバスにて10分、1時間に4本から5本程度の便があります。
相原駅の西口の階段を降りた所に「相原バス停案内」の看板があるので参考になります。 線路沿いに150mほど進んでいくと、左右に通る町田街道に出ます。 左手には大戸踏切があります。そこを右折して少し進んでいくと相原バス停があります。 橋本駅(JR横浜線)からの便もありますが、1時間に1本から2本程度になります。
賀正 笑ノ五徳
一、幸福ハ笑顔カラ
一、健康ハ笑顔カラ
一、平和ハ笑顔カラ
一、繁栄ハ笑顔カラ
一、交際ハ笑顔カラ
 (雲乗山圓林寺)
円林寺
道路の先に見えている水色の歩道橋の下を進んでいくと円林寺前交差点があります。 今回はそこを左折していくのですが、道路の右側に円林寺があるので、ちょいと立ち寄っていきました。 魚と宝珠のようなものを両手に持ったお地蔵さんの右側には、 「天台宗圓林寺」「開運厄除元三大師」と刻まれた石柱が立っています。 その間に続く真新しい石灯籠が並ぶ参道を進んでいくと山門があります。 「雲乗山圓林寺」の提灯が下がる山門から境内に入っていくと、正面に本堂があります。 左手には「元三大師」の提灯が下がるお堂があり、右手には庫裡と思われる建物がありました。 また山門の傍には寺務所や鐘楼もありました。 正月だからなのか、山門は菊の柄をあしらった幕が下がり、 お堂や鐘楼は赤・黄・緑・紫・白などの帯状の垂れ幕で飾られていました。
当山は市内に現存する唯一の天台宗寺院で創建は正長元年(1428)二月十四日と傳えられるが 開山開基等は明らかでない。 本尊地蔵菩薩(文化財)並びに阿弥陀如来座像(文化財)で鎌倉時代の作でありますが作者は不明である。 又、護摩堂の本尊は元三慈恵大師像で北白川の宮能久親王の護持佛で開運厄除大師として知られる。 縁あって当寺に拝領されたものである。 境内の蓮は大賀一郎博士の二千年蓮と各種の蓮であります。
 (圓林寺 山主敬白)
所願成就の梵鐘
この鐘は「所願成就梵鐘」と申します。 一つ撞いては、父母、祖先、有縁無縁の供養のため、 二つ撞いては、延命、福寿願いの数々のため、 今日この梵鐘の音を心に刻まれお帰りになることも、参拝の想い出になることでしょう。
 (山主敬白)
町田市指定有形文化財
円林寺木造阿弥陀如来坐像   円林寺の本尊像である。寄木造の技法になり、肉身部は金泥塗、衣部を古色とし、玉眼を嵌入する。 頭部、頸がやや長く、全体に丁寧に彫刻されている。 また、衣文の表現等はかなり硬さが目立っている。 室町時代後期(十六世紀)の作品である。 なお、この像の像底には六十余名の結縁交名(省略)が記されているが、 残念なことに制作年時や作者名は記されていない。 像高67.7センチメートル。
円林寺木造地蔵菩薩立像   円林寺の本堂に向かって右側の壇上に安置されている地蔵菩薩像で、 地蔵院と呼ばれた頃の本尊ともいわれている。 寄木造、彩色が鮮やかに残っており、玉眼を嵌入する。 左手に宝珠を持ち、右手で錫杖を執る通形の地蔵菩薩像で、 角張った頭部に細い眼や小振りの鼻や唇を付すところに特徴があり、 衣文などを入念に彫刻し、小じんまりと技巧的に纏められている。 室町時代末から江戸時代初めにかけての頃(十六世紀後半)の制作と推定される。 像高48.5センチメートル。
 (町田市教育委員会)
円林寺から引き返してきて、円林寺前交差点から南西に続く道に入っていきます。 集合住宅が建ち並ぶ二車線道路を進み、右へ曲がっていく角から正面へ分かれていく道に入っていきます。 程なくして境川に架かる橋を渡っていきますが、この時には架け替え工事中で、左手に迂回路が出来ていました。 川を渡って戸建て住宅の間を進んでいくと、 T字路の角に「下馬梅の伝説」と題した解説板がありました。 傍には小降りの梅の木がありましたが、新たに植えられた木のようでした。
「下馬梅」の伝説
昔、八王子城が豊臣秀吉の軍に攻められ落城した時のこと、 この戦いで築井城へ伝令に走った騎手武者がおりました。 ようやく、この地に着いた武者は、土地の人に戦況を問うと、築井城は落城とのこと。 武者はしかたなく馬からおりました。 その時、ムチのかわりに持っていた梅の枝をこの道端に突きさしました。 その梅が根づき春になると花を咲かせました。 土地の人々は、これを「下馬梅」と呼び大事にしてきました。 また、逆さに咲くので「逆さ梅」とも呼ばれてきました。 なお、その梅は大正の頃樹齢がつき枯れてしまいました。 この言伝えを永く残すため新たに植樹しました。
 (城山町文化財保護委員会、同教育委員会)
小松ハイキングコース
T字路を直進していくとすぐに県道48号に出ます。 左手の先にある横断歩道を渡って左手へ進んでいきます。 右手から来る未舗装路を合せていくと、境川の支流の穴川に小橋が架かっています。 脇には「小松ハイキングコース案内図」と題した看板が立っていて、 主だった所の解説文も貼り付けてありました。 今回はここから小松ハイキングコース(40分)を通って城山湖へ向かっていきます。 橋を渡った所に「龍籠山金刀比羅宮参道口」と刻まれた石柱が立っていました。 「金刀比羅宮」とは城山湖の傍にある神社を指しているようですが、ここからではかなり長い参道になります。
城山かたくりの里 ユリ科の多年草で町内には珍しい群生地。 ソメイヨシノの開花前線が通過する一週間前になると一斉に開いて、 まるで明るい紫のじゅうたんを敷きつめたようになります。
小松城跡 現在の宝泉寺一帯が小松城の館跡といわれ、 正嘉2年(1258)と銘のあるものをはじめ多くの板碑(梵字、年号を記した供養塔)や、 高さ2mもある石灯籠が残されています。
穴川のヒノキ美林 かながわの美林50選の一つ。 戦後造林された美しいヒノキの森。
評議原 昔、片倉城、津久井城、小松城のそれぞれの武将が落城について相談した所といわれています。 評議原のもみじは11月中旬ぐらいから一面が紅葉になることで有名です。
穴川里山 トンボ、チョウ、水棲生物などが多種にわたり見ることができる自然豊かなエリア。 6月カラ7月には、川沿い約1.3kmにわたりアジサイの花が咲き、またホタルの観察もできます。 小松川流域においても同様にホタルの観察ができます。
本沢梅園 城山湖の近くにあるこの梅園は、広さが約3ヘクタール、千本の梅が植えられています。 3月上中旬には梅まつりが行われ園内が開放されます。 また、6月には梅もぎとりがおこなわれ、多くの人でにぎわいます。
金刀比羅宮 雄龍篭山(375m)の峰、東に面した地に文化元年(1804)地元の人達が四国讃岐国琴平の金刀比羅宮の神霊をいただき、 この地に祭ったのが始まりで、厄除け・招福の神様として古くから信仰を集めています。
城山湖 この城山湖は本沢の谷をせき止め、地下発電を行うために津久井湖の水をポンプで汲みあげて造られた人造湖です。 静かな湖畔は野鳥の宝庫で、峰の薬師や高尾山へのハイキングコースがあり、 湖岸一周約5kmの散策路には野鳥観察休憩所や展望台も設置されています。
文学碑 郷土が生んだ大衆文芸作家、加藤武雄氏を記念してたてられました。 津久井湖を見下ろす明るい南の高台にあり、文学気分でひと休みしてみてはいかがですか。
 (相模原市城山経済環境課)
参道にもなっているからなのか、1.5m〜2mほどの幅があって、とても歩き易くなっています。 こんなしっかりとした道が地形図に載っていないのを不思議に思いながら、登り気味に続く道を進んでいきました。 綺麗な竹林の脇を過ぎて植林帯になる所から、右手に分かれていく小径があります。 角には「小松・城北里山を守る会」の設置する道標が立っていて、正面の道は「至・金比羅宮2.5km」、 右手の道は「至・穴川200m」、今来た道は「至・県道300m」となっています。 正面に続く植林帯を登っていくと、すぐの所から左手へ小径が分かれていますが、 そこには道標は立っていませんでした。 左手の道を見送ってコンクリートブロックで囲まれた墓地を過ぎていくと、左手に分かれていく道があります。 その先は竹林を降る階段になっているようでした。 角には道標が立っていて、正面の道は「至・金比羅宮2.5km」、 左手の道は「至・小松川100m」、今来た道は「至 県道・穴川」となっています。
狩猟用ワナに注意しましょう
このハイキングコース付近には、狩猟用ワナが仕掛けてあることがあります。 沢沿いや獣道には、近づかないようにしてください。 また、犬を引き綱から放していると、誤ってワナにかかることもありますので、注意してください。
 (相模原市城山経済環境課、城山町猟友会)
小松城跡
広くて歩きやすい道を軽く登っていきます。 植林地を過ぎて冬枯れの木立の間から山並を眺めながら進んでいくと、 尾根の背から少し外れて右肩を進むようになります。 入口から9分ほど進んで僅かな高みを越えていくと、軽い降り坂になってきます。 手元の地形図では標高210mほどの高みになるようです。 少し登ったりしながら続く広い道を進んでいくと、向こう側からやってくる人と何度かすれ違いました。 軽装だったので、地元の方が散歩しておられたのでしょうか。 脇に笹が生えるようになった道を登ってから軽く降っていくと、「小松城跡」と題した看板が立っていました。 入口から14分ほどの所になります。 看板に載っている案内図によると、 ここはかつての小松城の空堀があった所で、右手にはその跡が残っていました。 左手には細い道が続いていました。 また左手に戻るようにして高みに登っていく道もありました。 櫓台があった所のようなので、ちょいと立ち寄っていくことにしました。
小松城跡
宝泉寺の裏山は山城の跡で、城主は永井太膳太夫、片倉城(八王子市)の出城であったと古くから伝えられています。 山城の中心は丘陵の尾根にあって、前面の小松川、背後の穴川が自然の水堀を形成しています。 空堀の規模などから室町時代から戦国時代初期の山城で、 現在、墓地造成により南にのびる遺構は大半が消滅しています。
 (城山町教育委員会)
山火事から森を守ろう 城7
 (相模原市消防局・消防団)
坂道を登っていくと、1分もせずに小広くなった高みに着きました。 左手の方には礎石に乗った社がありました。 屋根には3本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていましたが、 鰹木の2本は外れていて、社の袂に置かれていました。 社の中を覗ってみると、白木の社が納められていました。 神明造りというのでしょうか、屋根には5本の鰹木が乗り千木も伸びていました。 眼下には墓地が広がり、その奥には橋本方面と思われるビル群が見えていました。 ここが先ほどの案内図にあった「櫓台」だと思われますが、遺構のようなものは見かけませんでした。 ここから正面へと道が降っていました。 看板の所から分かれてくる道と合流して、下にある宝泉寺へ降りて行かれるように思えましたが、 確かめるのは止めておきました。
尾根道に戻って、その先へ軽く登っていきます。 雑木林から植林地の脇を進んでいきます。 踏み跡が何度か分かれたり合流してきたりもしますが、広い尾根道を道なりに進んでいきます。 登り坂になってくると、横木の階段もありましたが、段差は低くて歩き易くなっていました。 丸太を半分に割ったようなベンチが何箇所かに設置されていました。 道端の樹木には名前を記した小板が取り付けられていて、解説文が載っているものも時折見かけました。 道は引き続き広くてゆるやかに続いていて、快適な尾根歩きが楽しめます。
アオハダ
(モチノキ科)落葉小高木
高さ10メートルくらになる。 薄い灰白色の樹皮がはがれると、緑色の皮が現れるのでアオハダといわれる。 初夏に花が咲き、果実は球形で赤く熟す。
 (城山自然の家協会)
植林地に入っていくと少し登り坂になってきます。 高みを左手から巻くようにして登っていくと、左手へ戻るようにして降っていく道が分かれる分岐があります。 角には「かながわの美林50選 川尻穴川のヒノキ林」の標柱が立っていました。 小松城跡から15分ほどの所になります。 道標は見かけませんでしたが、左手の道も広めでしっかりとしていました。 入口にあった案内図に載っている「川尻穴川ヒノキ林」の所にある分岐のようでした。
評議原
左手からの道を併せて、登り気味に続く広い尾根道を進んでいきます。 一旦緩やかになってから登り始めると、樹木が疎らになった広くて緩やかな斜面に出ました。 手前の分岐から2分ほどの所になります。 左側にはテーブル・ベンチが幾つか設置されていて、その間に「評議原」と刻まれた石標がありました。 右側には「小松・城北里山ハイキングコース」と題した案内板がありました。
評議原
むかし小松城の武将たちが評議を開いたところと伝えられている。
 (城山町教育委員会)
城山町清掃指導員巡回地域
ゴミはもちかえりましょう。
 (保健衛生課)
評議原を過ぎて坂道を緩やかに登って僅かな高みに着くと、 道の真ん中に「水」「空気弁」と書かれたマンホールの蓋のようなものがありました。 そこを過ぎて緩やかになった道を進んでいくと、右下には駐車場のような所が続いていました。 僅かに登り始めると、道端に「奉納金毘羅大権現」と刻まれた石碑がありました。 側面には「文化四年卯三月吉日」と刻まれていました。 文化4年(1807)と言えば、江戸時代後期に建立されたもののようでした。
ベンチの設置された僅かな高みを越えて降っていくと、車止めを過ぎた先で左右に通る舗装路に出ました。 小松ハイキングコースの入口から45分ほどで歩いて来られました。 正面には「龍籠山金刀比羅宮」と刻まれた石柱が立っていて、その脇から石段が続いています。 傍には道標が立っていて、正面の道は「城山湖・金比羅宮」、 右手の道は「八王子方面」、左手の道は「津久井湖方面」となっています。 右手には車止めゲートが設置されていて、穴川林道の終点になっているようです。 左手に進んでいくと城山発電所へ続いていますが、今回は正面に続く石段を登っていきました。
(左右に通る道は「草戸山」を参照)
山火事注意
自然はみんなのもの。自然を守りましょう。  (城山町)
鳥獣保護区
 (神奈川県)
穴川林道(終点)
林道の規格・構造は、公道と異なり、路肩の保全・法面の落石帽子等の処置が十分ではありませんので、 利用される方は通行に注意してください。
林道の種類 自動車道3級
幅員 道路幅員6.0m 車幅幅員6.0m
延長 985m
制限速度 30km/時以下
 (管理者 相模原市)
金刀比羅宮
かなり段差のある石段を登っていきます。 中ほどの踊り場まで来ると、左右に小径が分かれています。 それらの道は見送って石段を更に登っていくと、赤い鳥居の先で舗装路に出ます。 その道路向かいの石段を登った所に「金刀比羅宮」の扁額が掛る赤い鳥居があります。 脇には「金刀比羅宮」と刻まれた石柱も立っています。 赤い鳥をくぐった正面に社殿があります。 右側には社務所のような建物があり、左側には神輿庫のようなものがありました。
金刀比羅宮誌
この地は神奈川県津久井郡城山町川尻字龍籠(たつご)といい、 山を龍籠山または雨降龍居山(あめふらしたつごやま)ともいう。 文化元年(1804)川尻郷の代表があるばる四国の金刀比羅宮に参詣し、 御分霊を奉還してこの霊域に社を建てた。 依頼「龍籠の金昆羅様」と呼ばれ、あまたの人々の信仰を集めている。 金刀比羅宮の祭神は大物主神で、龍神、水神として霊験あらたかで、生命の根源を守護し、 人々に降伏を授ける神である。 古くより農耕商工、除災招福の神として崇められ、 毎年4月10日・10月10日の大祭には桜花紅葉と共に賑やかである。 本殿裏の岩間より湧き出る霊水は旱魃の際も涸れることなく、日照り続きには雨乞いも行なわれる。 霊泉は小松川の源流となって地域を潤すのみならず、末は江の島で片P川となるまで県内を貫流し、 その恩恵は計り知れない。 現在城山湖を守護して鎮座されているのも故あるかなといえよう。 境内からの眺望は格別で、金刀比羅宮の御神徳が広大無辺であることを示している。
社殿の左には小さな「龍篭池」があって、どんな日照りの時でも涸れたことがないのだそうです。 半年ほど前に来た時には、池に架かる朱塗りの欄干の小さな石橋の先には樺の大木がありましたが、 この時には木は倒れ橋もなくなっていました。 振り返ると、解説板にも載っている素晴しい眺めが広がっています。 ここから見渡せる場所を記した石標「眺望案内図」もあって、 眼下には橋本の街並みを、遠くには新宿・六本木・品川・横浜のビル群を見渡せるようです。
樹名 みずめ(あずさこっぱだみねばり)かばの木科
落葉高木幹は直立してそびえ、大きいものは高さ20m径60cm位になる。 樹皮は灰黒色で不規則に裂けてはげ落ちる。 枝の皮を傷つけると一種の臭気がある。 本種はあずさとほとんど同じで、両者の区別は非常にむずかし。 昔、弓を作るときにも両種を混用したと思われる。 日本名みずめは鉈で、樹皮を傷つけると透明な水のような油がしみ出るからついた名である。 此の木は樹齢推定百数拾年、樹径60cm余、樹高20m余に達し、此の種の木としては希に見る大樹である。 見る通り龍篭池の水辺の岩上に吃立し、其の根は岩石を縫い固め、盤根厳の如く池畦を包んでこの池を守護し、 昔より如何なる旱魃にも水をたたえ、雨ごいの池として有名であった。 龍神水神として崇められる金刀羅宮、龍こもる池、この池を守るみずめ神慮の深きを思う。 (注:みずめは龍篭山周辺の山野に自生して居るのを水、此の木一木だけの様である)
 (調査責任者 大用治夫)
イロハモミジ(カエデ科)落葉高木
高さは15メートルくらになる。 まれに20メートルを越す。 花は4月頃に咲き、黒赤色の花を下げる。 庭や公園などに植えられる。 福島県から南に分布する。
 (城山自然の家協会)
航空神社
金刀比羅宮からは左手に続く舗装路を進んでいく予定にしていたのですが、 崖崩れ防止の工事のために通行止めになっていました。 仕方がないので、以前にも歩いた神社の裏山を経ていくことにしました。 社殿の右の建物の脇から続く石段を登っていきます。 石段が終ってその先に続く山道を登っていくと、斜面に鳥居と小社があります。 中には石の小祠が安置されていて、礎石には「金刀比羅宮」と刻まれていたので奥宮ということでしょうか。 そこから更に上へ続く道を登っていきます。 緩やかになった道の先に現れる縦板の階段を登っていくと、高みに小振りの石祠があります。 手前に貼り出された紙によると航空神社というようです。 この時には祠には注連縄が張られて、綺麗な花もお供えされていました。 祠の裏手には「航空神社 記念碑 国土安全」と刻まれた石碑がありました。 振り返ると、橋本から東京にかけての街並みが広がっていました。
航空神社の左手から奥へ続く緩やかな山道を進んでいきます。 道端に立つ2本の電柱の間を過ぎて少し登っていくと、 金網柵に「境川の水源地」と題した手書きの解説板があります。 金網の下のコンクリート製の囲いの中に電柱が幾つか立つ設備は、日本通運の「城山無線基地局」というようです。 道はここから左手へと降っていきます。
境川の水源地
この牡竜籠山を分水嶺のようにして小松川、穴川、境川がここから流れ始めます。 全長は52.14キロで、江ノ島の片P海岸まで続いています。 この山の麓には早くから人々が住み初めたのでしょうか。 沢山の須恵器や土師器等の土器が発掘されています。 なかでも川尻八幡神社の南側の苦窪遺跡からは珍しい墨書土器が発掘されています。 また最近のいろいろな調査から、高度の文化を持った人々がこの周辺に暮らしていたのではないかと、 いろいろ考えられるようになってまいりました。 ここから少し下がった所に金比羅神社がありますが、その昔、そこで雨乞の神事を行ったと云う小さな池があります。 この池はどんなに日照りが続いても決して涸れなかったと云い伝えられています。 雌竜籠山(南側の反射塔の見える山)と共にこの一帯は昔から農耕や産土の神として人々に厚く信仰されてきました。 ここから一直線で、南東の方向には川尻八幡神社・参道を通して、はるかに矢部の八幡神社を望む事ができます。 二四節気で云う「雨水」の日(2月19日)には、その線上から太陽が昇ってきます。 また8月28日の川尻八幡神社の祭りの日が来ると、今度は牡竜籠山に太陽が沈みます。
 (城山ホタル研究会)
「住み初めた」は「住み始めた」の誤記かと思われますが、そのまま載せておきます。
横木の階段を曲がりながら降っていくと、無線基地局へ登っていく道に降り立ちます。 正面には城山湖が広がっています。 そこから左手にある急な石段を降っていくと、金刀比羅宮の前から左手へ続いてきた舗装路に降り立ちます。 すぐの所から右手へ未舗装路(*)が分かれていますが、正面の舗装路を進んでいきます。
*未舗装路は展望地へ続いています。(「草戸山」を参照)
城山湖
右手に広がる青々とした城山湖を眺めながら舗装路を進んでいくと分岐があります。 右側の金属柵には「城山湖散策施設案内図」があって、 城山湖を巡る散策路が紹介されています。 分岐の手前の左側には「城山湖」と刻まれた石碑があって、 その裏面には「城山湖の由来と発電所の概要」が刻まれていました。
ここは、発電所の構内につき、 暴走行為や危険な行為は、一切禁止です。
 (神奈川県企業庁利水局 城山発電制御所長)
城山湖の由来と発電所の概要
城山湖はもと城山町川尻財産区有林の松杉桧その他の雑木が鬱蒼としたところ。 そこに神奈川県相模川総合開発事業の一つとして城山地下発電所が設けられ、 その発電貯水のために47万7千8百平方メートルの山林と延長9百メートルの林道が整地され、 境川の支流本沢渓谷にいわゆる「本沢ダム」がつくられてできた人造湖である。 城山発電所はこの城山湖の落差約160メートルを利用、地下2百メートルのところに4台の発電機を設置。 最大出力25万キロワットを発電して、 その特色は深夜の安価な電力を用い津久井湖より城山湖に揚水して、 昼間の電力最需要時に発電する純揚水式発電所で、普通発電所の2倍の能力をもっているのもである。 本沢ダムは地形地質の関係から土と石をつき固めながら盛りあげた世界でも数少ないもの。 また発電所は地形上地下式とし、 地盤軟弱のためコンクリートの壁と岩盤を鋼棒で縫付ける特殊な新工法によって完成したものである。 城山湖および本沢ダムの規模はつぎのとおりである。
城山湖
流水面積600平方メートル
堪水面積210,000平方メートル
総貯水量3,930,000立方メートル
有効容量3,830,000立方メートル
満水位標高280メートル
利用水位28メートル
本沢ダム
型式中央土質遮水型フイルタイプダム
高さ73メートル
提頂長234メートル
天端標高285メートル
天端幅15メートル
提体積1,852,000立方メートル
総工費195億円
工期 自 昭和37年4月 至 昭和40年10月
施工 神奈川県
 (昭和41年7月1日 城山町長 小磯武二建之)
城山湖ソーラー展望台
草戸山へは正面の道を降っていくのですが、その前に右手の道の先にある休憩所に立ち寄っていきました。 広い道を降っていくと、左へ曲がっていく角に休憩舎があります。 屋根にはソーラー発電設備が取り付けられていて城山湖ソーラー展望台というようです。 ベンチも設置されているので、ひと休みしていくのに良い所です。 脇に設置されている解説板を読んだり、眼下に広がる城山湖を眺めながら、しばらく休憩していきました。 城山湖は「本沢調整池」というのが本来の名前のようです。
城山湖ソーラー展望台
太陽光発電は、水力発電とともに環境にやさしい庫裡-寝ネルギーです。 この設備で発電した電気は、余剰分を東京電力(株)に送電しています。
太陽光発電設備の概要
パ-ゴラ(陸屋根)タイプ休憩所 太陽電池容量3.70kw
東屋タイプ休憩所 太陽電池容量1.11kw
年間発電(見込)電力量 3,600kwh
完成年月 平成22年4月
 (神奈川県企業庁相模川発電管理事務所)
城山湖にようこそ
本沢ダムによってできた本沢調整池は城山湖と呼ばれ、親しまれています。
【城山湖と本沢ダム】  城山湖は相模川総合開発事業の一環で、純揚水式の発電をするために昭和40年に誕生した人造湖です。 城山湖の水は、標高の低い津久井湖の水を汲み上げたものです。 この湖は、ロックフィルタイプの本沢ダムによってせき止められていて、 ダム周辺の良質な土砂が多く使われ築造されました。
【城山発電所】  城山湖と津久井湖を延長1.5kmの水路で結び、この間の落差153mを利用して発電しています。 最大出力は25万kwで、これは約12万戸の家庭で使う電気に相当します。 発電所は地表から230mの地下室(約1850u)に設置された4台の発電機をはじめ、 地上の制御所、変電設備等から構成されています。
揚水発電所ってなあに?
電気の使われる量は一日のうちで大きく変わります。 昼間は向上や事務所などでたくさんの電気が使われ、水力発電所もいっせいに発電します。 しかし、夜になると電気の使われる量は昼間の半分くらになります。 かんたんに止めることのできない火力や原子力発電所では電気が余ってしまいます。 そこで、この余った電気を送ってもらい、下の津久井湖の水を上の城山湖にくみ上げます。 そして昼間再びこの水を利用して発電をします。 この発電方法を揚水発電といいます。 城山発電所もこの方法で発電していますが、 城山湖に川から流れ込む水が全くないので純揚水式発電所といいます。
お願い:城山湖は発電のため1日に28mも水位が上下することがあり、 危険ですので絶対に立入禁止区域には入らないでください。
 (神奈川県企業庁)
休憩舎の先にも道が続いていますが、200mほど進んでいくと鉄柵が設置されていて行き止まりになっています。 道は湖面まで続いているようですが、今回もそこで引き返してきました。 振り返ると、城山湖の奥には本沢ダムが見えていました。
釣り・遊泳禁止
柵内は立入禁止区域です。 不法侵入は警察に通報します。 器物破損は刑事罰が科せられます。
 (神奈川県企業庁)
分岐まで引き返してその先へ降っていきます。 城山発電所の所まで来ると、左手の奥には丹沢方面の山並が広がり、下には津久井湖が見えていました。 発電所を回り込むようにして左へ曲がりながら降っていくと、右手に分かれていく道があります。 角には道標が立っていて、右手の道は「野鳥観察休憩所約300m徒歩7分」「加藤武雄文学碑約250m徒歩6分」、 左手の道は「町民の森散策施設管理塔300m徒歩5分」、今来た道は「金刀比羅宮750m徒歩20分」となっています。 先ほど見かけたのと同様の「城山湖散策施設案内図」もありました。 左手へ降っていくと、小松ハイキングコースから出てきた所へ続いていますが、 今回はここから右手の車止めの先に続く道を登っていきます。
山火事から森を守ろう 城3
 (相模原市消防局・消防団)
散策路内への二輪車(自転車・オートバイ)の乗り入れ厳禁
 (町民の森散策施設)
広い舗装路を登っていくと右へ曲がっていきます。 緩やかな尾根に出ると、ちょっとした広場風になっています。 右手には金属柵が設置されていて行き止まりになっていますが、 未舗装になった散策路は左手へ戻るようにして続いています。 右下に城山湖を眺めながら1分半ほど進んでいくと、左手に戻るようにして道が分かれています。 角には「加藤武雄文学碑」の標柱が立っています。 草戸山へは正面の道を進んでいくのですが、文学碑に立ち寄っていくことにしました。
フィールドの約束(や・さ・し・い・き・も・ち)
)野外活動は無理なく楽しく
)採集はしないで自然はそのままに
)静かにそーっと
)一本道、道から外れないで
)着るものにも一工夫
)持って帰ろう、思い出とゴミ
)近づかないで、野鳥の巣
 (神奈川県環境部自然保護課)
加藤武雄文学碑
左手に戻るようにして進んでいくと、僅かな高みへ登っていく石段があります。 その手前から右手に分かれていく道もあります。 道標類は見かけませんが、手元の地図によると津久井湖の北側に延びる道へ降っていくのでしょうか。 石段を登っていくと、石積みされた一段高い所に加藤武雄文学碑がありました。 表面には詩が刻まれているようでしたが達筆過ぎて読めませんでした。 裏面には解説文が刻まれていました。 読めない所が何箇所かあったし誤読している文字もあろうかと思いますが、参考までに載せておきます。 石碑の前にはテーブル・ベンチが設置されていて、眺めの良い所です。 脇には神奈川県企業庁電気局が設置する「2級基準点No.6」もありました。
加藤武雄氏は明治二十一年五月三日神奈川県津久井郡城山町川尻に生る。 幼にして異才をあり。祖父の膝上にあって「古文真宝」「唐詩選」の素読を授けられた。 川尻小学校を卒業し検定を受けて四名、根古屋、川尻の小学校に教師たる傍ら 文学論雑誌の投書家としてその独特の絢爛・・の美文は全国青年の愛読して・かぬところとなった。 文壇進出の拠点は主として「文章世界」で、同誌を通じて終生の好配花子夫人と結ばれた。 その文才の故に新潮社に入り、「トルストイ研究」「文章倶楽部」の編集に当る外、 幾多の好企画を以てこの文芸出版・・の大成に貢献した。 この間「郷愁」「悩ましき春」「久遠の像」等の名作続々として成り、 晩年は愛読秘蔵の史書千巻、雄渾なる構想のもと歴来小説の新境地を開拓し、 志業ここに完成せんとして、昭和三十一年九月一日、目病を以て逝く。六十八才。 氏は師なく傳なく全くの自成の人で、その・・に農民主義的傾向あり、 新潟県本崎村の農民小学校建設に尽力すると共に、農民文学の工場に寄与した。 郷立小中学校のため作った校歌は氏の愛郷心の結晶である。 少年時代の詩文に城山に想いを馳せたものが多い。 その景を望むの地に同志相寄り、今この碑を建つ。 詩人の夢魂、髣髴として帰り来たれ。
昭和四十一年三月十五日
野鳥観察休憩所
手前の分岐まで引き返して、広い散策路を進んでいきます。 少し登り坂になってくると、左へ曲がり始める所に野鳥観察休憩所があります。 眼下に城山湖が見下ろせますが、手前の樹木が邪魔をして、眺めは余りよくありません。 脇には道標が立っていて、この先の道は「ふれあい休憩所1.0km徒歩18分」、 今来た道は「町民の森散策施設管理棟600m徒歩12分」となっています。
城山町町民の森散策施設利用上の注意
この施設は、城山湖周辺の恵まれた自然環境を生かし、 使用者が森林に対する理解を深め、併せて自然に親しみながら健康の維持増進を図るための 施設として設置したものです。 利用者の方はマナーを守り、楽しく利用できる清潔で親しみやすい施設となるよう心掛けましょう。
1.散策施設を利用する方は次に掲げる事項を守ってください
・利用目的以外の目的に施設を利用しないこと
・危険な物品を持ち込まないこと
・騒音、怒声等を発する等他人に迷惑を及ぼす行為をしないこと
・ゴミは持ち帰り、清潔に心掛けること
・タバコの投げ捨てはしないこと
・立入禁止の表示がされている場所には入らないこと
・関係職員の指示に従うこと
2.散策施設内では次に掲げる行為は禁止されています
・施設及び設備を損傷し、又は汚損すること
・植物を採取すること
・土石の採取その他土地の形質を変更すること
・鳥獣類を捕獲し、又は殺傷すること
・広告物その他これに類する物を掲出し、若しくは設置し、
 又は広告その他これに類するものを工作物等に表示すること
・指定された場所以外の場所に車両を乗り入れ、又は駐車すること
・物品を販売し、又は配布すること
・キャンプをすること
・たき火をすること
 (城山町建設経済部都市計画課)
鳥を大切に
野鳥を捕るには知事の許可が必要です。あなたは?
 (神奈川県)
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
道標に従って、広くて緩やかな道を進んでいきます。 僅かな高みが現れると、そこへ登っていく踏み跡が分かれていますが、 入口には「通りぬけできません」の標識が取り付けられています。 高みを右手に巻くようにして進んでいきます。 尾根の背に出た少し先で再び左手の高みへ踏み跡が分かれています。 入口には「峯ノ薬師近道」の標識が立っていて、その道を指しています。 歩いても良さそうな道でしたが方角が違うので、このまま広い道を進んでいきます。
水源涵養保安林
この森林は、私たちの生活になくてはならない水を貯え、供給する大切な働きをしています。
 (神奈川県)
みんなの散策路をいつまでも美しく
美しい自然を大切に。ゴミは持ち帰ろう。山火事に気をつけよう。
ゴミ・タバコの投げ捨てはやめましょう。
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。
建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県)
榎窪山分岐
道の右側に太い柵が続くようになると、高みを巻くようにして右斜面を横切るように進んでいきます。 少し登り坂になってくると、右手の樹間から城山湖が見える所がありました。 傾斜が増してきた坂道を登っていくと、左手から降ってくる道が合流してきます。 角には道標が立っていて、正面の道は「ふれあい休憩所200m徒歩3分」、 左手の道は「峯の薬師1.0km徒歩20分」、今来た道は「野鳥観察休憩所800m徒歩15分」となっています。 左手の道はすぐ先で二又に分かれています。 一つは榎窪山を経て三沢峠への道で、もう一つは榎窪山を巻いて峯の薬師へ続く道です。 三沢峠は関東ふれあいの道のルートにもなっている要衝になりますが、 今回は正面に続く道を進んでいきます。 鳥獣保護区の赤い標識に添うようにして道標が立っていて、正面の道は「高尾・草戸山」となっています。
ふれあい休憩所
正面の広くて緩やかな尾根道を2分半ほど進んでいくと東屋が建っています。 脇に立つ標柱によるとふれあい休憩所というようです。 周りは樹木が生い茂っていて展望は得られません。 傍の樹木には民家風の造りになった巣箱が掛けられていました。 脇に立つ道標によると、正面の道は「松見平休憩所700m徒歩30分」、 今来た道は「野鳥観察休憩所1.0km徒歩18分」となっています。 手前にあった「200m徒歩3分」と比べると、距離の割りに随分と時間がかかるようです。 この先はかなりアップダウンがある道になるのだろうと思いながら、 ふれあい休憩所を後にしてその先へ進んでいきました。
ゴミは各自で持ち帰りましょう。 ゴミ・タバコの投げ捨てはやめましょう。
みんなの散策路をいつまでも美しく
美しい自然を大切に。ゴミは持ち帰ろう。山火事に気をつけよう。
357.41m峰
ふれあい休憩所から先へ進んでいくと、すぐに幅の広い横木の降り階段が始まります。 段差がかなりあって歩き難い階段になっています。 そんな階段を避けるかのように、左側にはしっかりとした坂道もありました。 1分ほどで降り切って緩やかになっても、1分もしないうちにまた横木の降り階段が現れます。 1分半ほどかけて降っていくと、暫くは緩やかな尾根道が続きます。 少し登っていくと、ふれあい休憩所から4分半ほどで僅かな高みに着きました。 高みには神奈川県企業庁電気局の設置する「2級基準点No.1」がありました。 地形図では草戸山の南西400m辺りにある高みのようで、脇に立つ標識によると標高は357.41mとのことです。
2級基準点No.1
X座標 −43 884.686
Y座標 −51 094.754
標高 357.41m
 (神奈川県企業庁電気局津久井事務所)
草戸山 (標高365m)
鞍部に着いて登り返して高みに着くと道標が立っていて、 正面の道は「松見平400m徒歩17分」、今来た道は「ふれあい休憩所300m徒歩13分」となっています。 そこを過ぎて1分ほど進んだ所から、また横木の降り階段が始まります。 その階段も1分ちょっとで降り切っていくと、その先でまた横木の階段で高みを越えていきます。 緩やかな道が少し続いてから現れる最後の横木の階段を2分ほどかけて登り切ると、 広くなった草戸山の山頂に着きます。 写真を撮ったりしながらゆっくり歩いてきましたが、ふれあい休憩所から15分ほどで到着しました。 道標では「30分」となっていましたが、かなり余裕をみた時間のようでした。 山頂には木組みの上に建てられた東屋のような松見平休憩所があります。 その少し下には神奈川県企業庁電気局の設置する「2級基準点No.2」もありました。
2級基準点No.2
X座標 −43 571.681
Y座標 −50 844.747
標高 361.33m
 (神奈川県企業庁電気局津久井事務所)
山頂には大山祇命を祀る山之神の祠があります。 また「町田市最高峰365m 草戸山」の標柱も立っていますが、 この時には「草戸山」以外は擦れてほとんど読めなくなっていました。 休憩所へ登ってみると、眼下に広がっているはずの城山湖は、 樹木に邪魔をされてほとんど見えず、本沢ダムの上辺が僅かに見える程度でした。 左手の樹木越しには八王子と思われる街並みが見えていました。 お昼を少し過ぎた時刻になったので、沢山設置されているベンチに腰掛けて昼食タイムにしました。
山之神
この祠は上相原村上郷中の山之神として、 相原町丑田5135番地鎌倉古道沿いの山頂に文政10年5月建立され祀られていたが、 近年土地開発の流れの中で大戸観音境内に遷されていた。 其後大地沢の山林が昭和61年3月未曾有の大雪害の襲われ、又復旧に際し幾多の 困難に遭遇したので、地域の発願により相原町山野の安全と豊穣を祈願して 此処草戸山山頂に遷座を勧請した。
 (平成13年1月吉日 財団法人 相原保善会)
お腹も満ちたところで、草戸山から下山していきます。 山頂には「かたらいの路」と題した案内板があって、 「高尾〜大戸コース案内図」が載っています。 そのコースは大地沢林道から草戸峠や草戸山へ登り、四辻を経て高尾駅の近くまで続いています。 今回は草戸峠から大地沢林道に降りていく部分を歩くことにしました。 草戸山からは道が二手に分かれています。 角に立つ道標によると、右手の道は「はなさき休憩所420m徒歩10分」、 左手の道は「京王線高尾山口駅3.8km徒歩50分」となっています。 また別の道標も立っていて、右手の道は「大地沢青少年センター・大戸」、 左手の道は「草戸峠・高尾駅」「高尾山口駅」となっています。 ここは草戸峠を目指して左手の道を進んでいきます。
(右手の道は「草戸山」を参照)
見晴し台
道標に従って進んでいくと、すぐに横木の降り階段が現れますが、 ここでも脇にしっかりとした踏み跡が続いていました。 横木の階段は1分もしないうちに終って、緩やかに降る尾根道になってきます。 草戸山の山頂から4分ほど降った所に、丸太で組まれたものがありました。 丸太に刻まれた文字によると「見晴し台」とのことです。 また、柱にはメッセージも書かれていました。 ちょいと登ってみましたが、手前の樹木が成長していて、ほとんど何も見えませんでした。
大地沢の山深く 人々は苗木を植えた
時は流れ 人はうつり 木々は大きくそだち
いま われらの学舎が建つ われら 伸びゆくもの
ここに学び よき仕事をのこす
草戸峠
見晴し台を後にして、広くて歩きやすい尾根道を降っていきます。 僅かな高みを幾つか越えていきます。 岩が剥き出した急坂を登って緩やかになった尾根を進んでいくと、 黒色と黄色のトラロープが張られた登り坂道が現れますが、 登っていく分にはそれほど必要な感じではありませんでした。 坂を登り切ってなだらかになってくると、 ベンチが幾つか設置されて左手の見晴らしが良い草戸峠に着きました。 草戸山から8分ほどで到着しました。 左手に広がる高尾山などの山並みを眺めながら、この草戸峠で最後の休憩をしていきました。 右手の奥の方には高そうな稜線が横たわっていましたが、 大岳山へと続く尾根でしょうか、それとも秩父の山々でしょうか。
草戸峠からは道が二手に分かれています。 角に立つ道標によると、右手へ降っていく道は「大地沢青少年センター・大戸」、 左手へ降っていく道は「四辻・高尾駅」、今来た道は「草戸山・榎窪山」となっています。 大地沢周回コースの道標によると、右手の道は「青少年センター」、 今来た道は「草戸山」となっています。 また別の道標も立っていて、左手の道は「梅ノ木平・高尾山口」となっていますが、 今回は右手の道を降っていきます。
(左手の道は「東高尾山稜」, 「草戸山」, 「三井水源林」, 「東高尾山稜」, 「大戸緑地」, 「草戸山」を参照)
降り口
植林地に続く幅の広い横木の階段を降っていきます。 こちらにもトラロープが張られていましたが、掴まらなくても何とか降りて行かれました。 1分もせずに階段を降り切ってその先へ進んでいきます。 一旦緩やかになってから再び傾斜が増してくる尾根を降っていくと、 草戸峠から2分ほどでU字形に抉れたような鞍部に降り立ちます。 鞍部には道標が幾つか立っていて、右手の道は「青少年センター・大戸」「青少年センター近道・境川源流方面」、 正面の道は「青少年センター」、今降って来た道は「草戸峠」「草戸山」となっています。 正面のマウンドへ登っていく道は「段木入のおか」や「権現平」などへ続いていますが、 今回はここから右手の道を大地沢へと降っていきます。
(正面の道は「「大戸緑地」」を参照)
植林帯の右斜面に続く道を緩やかに進んでいきます。 傾斜もそれほど急ではなくて歩き易いしっかりとした道が続いています。 2分ほど降って尾根の背に出ると、道は左側の谷筋へと曲がっていきます。 正面にも尾根は続いていましたが、トラロープが張られていて、 左手を指す矢印を記した板が取り付けられていました。 ここは左手に戻るようにして続く道を降れという意味だと解釈して、左手の谷筋へと降っていきました。 尾根の背から谷筋に入ってシダ類などが茂るようになりますが、道は明瞭に続いています。
大地沢林道
U字形に抉れた道をくねくねと曲がりながら、植林地の谷筋を降っていきます。 やがて樹木が疎らになって横木の階段が現れると、左右に通る広い道に降り立ちました。 草戸峠から7分ほどで降りて来られました。 草戸山にあった案内板によると、左右に通る道は大地沢林道というようです。 降り立った所には道標が立っていて、左手の道は「青少年センター・大戸」、 今降って来た道は「草戸山」となっています。 また「ハイキングコース入口」の道標も立っていて、今降って来た道を指していました。 右手すぐの所に森林再生事業の看板が立っていて、 その袂に「境川の源流200m」の標識が落ちていましたが、 右手の200m先に境川の源流があるという意味だろうと思われます。 青少年センターは左手になりますが、源流を確認してみようと右手へ進んでいきました。
事業名 森林再生事業(平成22年度)
林班名 1-1 林班
本事業は森林の公益的機能を回復させて環境を守るため間伐を実施しています。
この看板は間伐材を有効利用して製作しています。
 (東京都環境局、町田市)
大地沢沿いに続く緩やかな林道を進んでいきます。 作業小屋を過ぎていくと、広い林道は終わりになっています。 林道に降り立った所から3分ほど進んだ所になります。 ここで沢が二手に分かれています。 右手の沢に架かる木橋を渡った所で道も二手に分かれていますが、 右手の道は沢の先にある砂防ダムの所で行き止まりのようでした。 所要時間からすると、標識にあった「境川の源流200m」というのはこの辺りになるように思えましたが、 左手の沢沿いにまだ明瞭な踏み跡が続いていたので、更に奥へ進んでいくことにしました。
(大地沢は境川の源流のひとつになります)
火の用心!
火災から緑を守ろう。
 (町田消防署、町田消防少年団)
保安林
この林で立木の伐採・その他土地の形質を変える行為は知事の許可をうけなければできません。
 (東京都)
山火事注意
たばこ・たき火はよく消そう!
 (東京都)
画像を左クリックすると、7枚の写真が順次表示されます。
境川源流
細くなった沢沿いに続くしっかりとした道を1分ちょっと進んでいくと、沢に架かる木橋を渡っていきます。 その少し先で谷筋が二又に分かれています。 中ほどに架かる木橋を渡った所に「境川の源流」のメモが取り付けられた看板(*)が立っていました。 左側の沢よりも右側の沢の方が本流のように思えたし道もまだ続いているので、更に進んでみました。 ロープが張られた道を登っていくと、丸太を束ねた橋を渡っていきます。 その先へ進んでいくと、沢に降りる丸太の橋が架かっていて、その先の道は沢の中に消えていました。 沢にはほとんど水が流れていなかったので、V字谷を更に登っていきました。 上の方が明るくなってきて稜線が近づいたように思えましたが、 「この先、行き止まり」の看板が立っているし、 見るからに傾斜が急で危なそうに思えたので引き返すことにしました。 手元の地形図によると、草戸山の北東に続く谷のようでした。
境川の源流
前方尾根の両側の谷より流れ出す水が源流水です。 流れは、多摩丘陵と相模台地を区分する断層線上にある全長約52kmで片P西浜に注ぐ二級河川です。
 (大地沢青少年センター)
この先、行き止まり
危険ですので、この先、絶対に登らないでください。
 (大地沢青少年センター)
*2008年夏のゲリラ豪雨で悲惨な状態になるまでは、 看板のある辺りにしっかりとした解説板が立っていたようです。 参考までにその内容を載せておきます。
境川の源流(以前の解説板)
川の名については「新編武蔵」に「武相の境界となれる川なれば、直ちにその名とせり」とあるところから、 古くから境川と呼ばれていたようである。 流れは多摩丘陵と相模大地を区分する断層線上にある全長52kmの二級河川。 東京都(町田市)と神奈川県の都県境を流れ、大和市、横浜市の境に沿い、 藤沢市の遊行寺の前を経て川名二丁目の新川名橋付近で柏尾川と合流し、 更に鵠沼付近で、片瀬西浜(相模湾)に注ぐ。 源流から河口まで歩くと約15時間20分、歩数90365歩、橋の数122。 名前の一番多いのは境橋で七つあり、大正・昭和・平成橋と並んでいるところもある。
 (大地沢青少年センター)
往復15分ほどで大地沢林道に降り立った所まで引き返してきて、その先へ進んでいきます。 緩やかで広い林道を2分ほど進んでいくと、右下に広場のようなものが見えてきます。 何だろうと思いながら進んでいくと、青少年センターのテントサイトでした。 道端に「通信用地下ケーブル」の看板が立っていました。 木の根のようなものは見えるが何処にケーブルがあるのかと思って解説文を読んでみると、 木の根のように見えるものがケーブルなのだそうです。 道から降りて触ってみると、確かに木の根ではありませんでした。
通信用地下ケーブル
大正から昭和にかけて、日本と朝鮮・満州(現・中国東北省)を結んだ通信用地下ケーブルが露出した部分です。 町田街道の地中には、今もこの地下ケーブルが眠っています。
木の根のように見えますが、これが地下ケーブルです。
舗装路になった道を緩やかに降っていくと、道の脇に「じゃぶじゃぶ池」がありました。 沢に架かる橋を渡っていくと、左手には広い野外炊事場がありました。 右手には色々な形のバンガローなどが沢山建っていました。 右手に分かれていく道の入口に「緑がいぶく大地沢」と題した解説板がありました。 近くには「境川源流」の標識が立っていて、今来た道を指していました。
じゃぶじゃぶ池のお願い
一、池に入ってもかまいません。
一、石や小枝などを、池に入れないで下さい。
一、怪我は自分もちですので、気をつけて池に入ってください。(痛いのは自分だけです)
 (大地沢青少年センター)
緑がいぶく大地沢
ここ大地沢の森林は、江戸時代の昔より入会秣場として相原農民の暮らしと深いかかわりを持って来ました。 すなわち牛馬の飼料の秣の採草地として又、桑畑として、ある時は薪炭林として村人に利用されて来ました。 幾多の変遷ののち、相原住民共有の財産であるこの大地沢が、小学校建設資金として売られる運命にあった時、 住民の多くがこれに反対し、学校建設資金は地域の人達がそれぞれ拠出し、山林は残されました。 明治四十五年のことであります。 昭和十六年に紀元二千六百年の記念事業として都行造林が実施されましたが、 戦中戦後手入管理が行き届かず、昭和二十九年に再植林されたのが現在の杉樹林です。 昭和三十年八月財産区管理会社設立、昭和四十四年財団法人相原保善会に改組すると共に、 基本財産として管理されて参りました。 昭和五十三年より町田市と賃貸借契約を結び青少年の健全育成の場として、 年間二万数千人の青少年が利用しています。 昭和六十一年三月二十三日、春の豪雪被害が全山に及び昭和六十二年に五ヘクタールを皆伐整理、新植林をしましたが、 異常乾燥により一万五千本が枯れ、再び植林するの止むなきに至りました。 以後年次計画を立て、平成二年三月を以て一〇.七二ヘクタール三万二千百六十本の復旧植林事業が完了しました。 東京都林務課並に町田市農政課のご指導を頂き、委託業者下田市森林組合と八王子市森林組合に感謝の意を表します。 なお平成二年三月、この大地沢全山が保健保存林として国の指定を受けました。 これからは大地沢の森林が市民の健康と憩いの場として益々利用される事を心から願うものであります。 私達の先人が辛苦の末に残してくれた森林は相原地区の貴重な財産なのです。 水をはぐくむ緑豊かな森林を二十一世紀に贈りましょう。
 (財団法人 相原保善会建之)
大地沢青少年センター
右手の道を見送っていくと研修棟があります。 「かたらいの路・高尾大戸コース」の地図が貼り出してあって、 草戸峠や草戸山からの道が載っていました。 研修棟の隣に大地沢青少年センターの本館があります。 右手からは山道が降ってきます。 脇には「ハイキングコース」と題した案内板があって、 大地沢周回コース城山湖周回コースが載っていました。 脇には道標が立っていて、右手から降ってくる道は「草戸山」、 正面の道は「大戸(バス停)」、今来た道は「境川源流・トイレ100m」となっています。 センター内でも地図を貰えるようでした。 山側には砂防ダムがあって、その下には「添水」がありました。 「土砂流出防備保安林」の看板もあって、この付近の地図が載っていました。
この先にある装置は添水(そうず)と言います。 ししおどし(鹿威し)は、農業などに被害を与える鳥獣を威嚇し、追い払うために設けられる装置類の総称で、 その中の添水です。 添水とは、水力により自動的に音響を発生する装置です。 竹筒の中央付近に支点を設け、一端を開放し水が満杯になると重みで傾き、 もう一方の端が支持台(石など)を叩き音を出す。 風流として音を楽しむようになり、日本庭園の装飾として設置されることが多くなった。
 (大地沢青少年センター)
シモバシラの霜柱
シモバシラは、シソ科の多年草の植物です。 花もあまり目立たないありきたりの草です。 しかし、それが初冬に大変身します。 よく冷え込んだ朝、枯れたこの草の根元に茎から鰭状に氷が張り出し、まさしく霜柱となって氷の彫刻をつくります。 これは、茎の管の中の水が氷って茎の外に飛びだしたものです。 一度これができると茎の構造が壊れるので、一年にたった一度だけの氷の花ということになります。 見事なものができるのは、初めての寒波で急激に冷え込んだときです。 この時期を見計らって是非お越しください。
 (大地沢青少年センター)
土砂流出防備保安林
東京都町田市相原町字大地沢5256番ほか
この付近一帯の森林は、土砂の流出を防ぎ、洪水等の被害を未然に防備する大切な保安林です。 たき火、たばこ等火のあつかいには十分注意して下さい。
 (東京都)
大地沢青少年センターを過ぎていくと、右手に岩壁が続いていました。 「小仏層」という堆積層なのだそうで、幾重にもなった地層が出ていました。 第二駐車場を過ぎていくと茶畑が広がってきました。 そこを過ぎて民家が点在するようになると車道に出ます。 脇には「町田市青少年センター入口」の標柱や、 「町田市大地青少年センター→1km」の看板が立っていて、袂には馬頭観世音もありました。 また、木製の祠もあって、中には赤い頭巾や前掛けをしたお地蔵さんが二体安置され、千羽鶴も飾られていました。
小仏層
町田市内でいちばん古い地層です。 今からおよそ1億3500万年から7000万年ほど前の中生代白亜紀(恐竜時代)の頃に、 海の堆積物によってできたと考えられています。 小仏層の名の由来は、明治の森と呼ばれる高尾山の西側に位置する小仏峠からとったものです。 泥岩や砂岩から変化したと言われる粘板岩、千枚岩、硬砂岩などからできています。 小仏層は、関東山地の南部地域に分布している地層で、 関東山地の東のへりと多摩丘陵とが接している所になります。
地蔵尊の由来
本地蔵尊は嘉永三年(1850)雨降の当地に安置され、其の名を子育て地蔵尊として伝えられ、 古くから子宝に恵まれぬ人達の熱心な参詣があり、其の甲斐あって子供を授かった話も数多く伝えられている。 又当地に疫病が流行し、山里離れて居り医者にもかかれずお百度詣りで治してもらった話等も伝えられ、 又イボ取地蔵尊とも呼ばれ、多くの人に親しまれております。 地蔵尊傍にある石標はその昔甲州路への近道として旅人が一休みし、行先を確めて旅立った形跡も残っている。 ここに地蔵尊の由来を掲げると共に、子育て地蔵尊として永久に鎮座召します事を祈念すると共に、 諸人の和と安泰を御祈りする次第であります。
 (雨降講中)
青少年センター入口(せいしょうねんせんたーいりぐち)バス停
車道を左手へ曲がったすぐ先に青少年センター入口バス停があります。 大地沢林道に降り立った所から25分ほどで到着しました。 道路向かいには第一駐車場があって、その脇に「高尾〜大戸コース案内図」と題した案内板がありましたが、 内容は草戸山で見かけたのと同じになっていました。
相原駅(JR横浜線)まで、[橋16][橋25]橋本駅北口行きバス,または, [原21][原25]相原行きバスにて20分、1時間に1本から2本程度の便があります。
[橋26]橋本駅北口行きの便もありますが、相原駅は通らず直接橋本駅へ向かうルートのようです。 運賃の支払いは、相原行きは先払い、橋本駅北口行きは後払い方式になっているようでした。
ここから1kmほど先の公会堂前バス停まで行くと、1時間に4本から5本程度の便があります。