鎌倉七福神
散策:2012年01月上旬
【街角散策】 鎌倉七福神
概 要 鎌倉七福神は、鎌倉江の島七福神の内の七つの寺社に祭られている七福神です。 福神信仰に由来するもので、蝦夷神・大黒天・弁財天・毘沙門天・布袋尊・福禄寿・寿老人をいいます。 今回は北鎌倉駅を出発し、各寺社を巡りって長谷駅までを歩きます。 長谷寺からは鎌倉の街や海などを見渡せる眺めが広がります。
起 点 鎌倉市 鎌倉駅
終 点 鎌倉市 長谷駅
ルート 鎌倉駅…浄智寺…鶴岡八幡宮…宝戒寺…妙骼宦c本覚寺…長谷寺…御霊神社…長谷駅
所要時間 3時間10分
歩いて... 鶴岡八幡宮から本覚寺までとそれ以外の寺社はかなり離れた所にあります。 長谷寺までは江ノ電に乗る人も多いようですが、今回はすべて歩いて巡りました。 弁財天は開帳されておらず、その他も撮影禁止になっていたり撮影をはばかられる状況だったりして、 七福神の写真は最初の布袋尊だけになりました。
関連メモ 祇園山, 鎌倉アルプス, 六国見山, 化粧坂, 鎌倉段葛, 極楽寺切通, 祇園山, グリーンコース, 衣張山, 名越切通,
常磐山緑地, 名越切通
コース紹介
鎌倉江の島七福神
鎌倉江の島七福神は、鎌倉にある七福神に江島神社の江島弁財天を加えたものですが、 今回は鎌倉にある寺社だけを「鎌倉七福神」として巡りました。
鎌倉江の島七福神縁起
七福神は福神信仰に由来するもので、 蝦夷神(恵比寿)、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人をいいます。 これらの福神を参詣して回ると、除災招福・所願成就がもたらされるといわれ、 江戸時代にお正月の行事として一般化しました。 現在ではお正月に限らず参詣されています。
ぐるりと めぐって 人の心に 春が来る
江島弁財天
近江の竹生島、安岐の宮島とともに日本三大弁財天の一つに数えられ、 辺津宮横の奉安殿に安置されています。 技芸上達、幸福・財宝を招く福神です。
浄智寺(布袋尊)
北鎌倉駅(JR横須賀線)を出て南へ進んでいきます。 東慶寺を過ぎていくと、第三鎌倉道踏切の手前に「五山第四 浄智寺」の石柱が立っています。 そこから入って「甘露の井」の先の山門をくぐり、趣のある石段を登っていくと浄智寺の入口があります。 鐘楼門をくぐって曇華殿の角を曲がっていきます。 竹林のある谷筋を折返してくると、岩壁に穴が開いています。 そこを抜けていくと、奥の岩窟に石造の大きな布袋尊がありました。 お腹を撫でると元気がもらえるというので、ちょいと撫でてみました。
浄智寺
鎌倉五山第四位、臨済宗円覚寺派、金寶山浄智寺は、 弘安四年(1281)北条時頼の三男宗政が二十九歳で没後、間もなく、 宗政夫人と幼少の師時を開基として、宗政の菩提を弔うため建立されました。 中国、宋の名僧、兀庵普寧と大休正念、及び日本僧何州宏海の三人が開山になっています。 これは、当時開山に招かれた宏海が、任重しと身をひき、 師の大休正念を迎えて入仏供養をおこない、すでに世を去っていた師僧の兀庵普寧を開山としたためです。 創建当時の伽藍は、外門、山門、行堂、仏殿、方丈、庫裡等を備え、塔頭は十一院に及んだということです。 永い間には、たたずまいも変化し、現在は、看門寮、山門、鐘楼門、仏殿、書院、方丈、隠寮、庫裡等が柏槇や杉木立ちの中に点在しています。 境内は、周囲を緑の山々にかこまれ、昔ながらの広大は寺域を残しており、 地理的環境と鎌倉五山の伽藍遺構を後世に伝えるため、国の史跡として保護されています。
布袋尊
弥勒菩薩の別の姿が布袋尊といわれています。 境内裏の洞窟に等身大石像が祀られています。 知恵を授け、福徳円満の人を作る福神です。
鶴岡八幡宮(弁財天)
第三鎌倉道踏切を渡り、第六天を過ぎていきます。 建長寺の先の巨福呂坂洞門を抜けて坂道を降っていくと鶴岡八幡宮があります。 脇から境内に入っていくと、初詣の人でごった返していました。 拝殿を過ぎて出口の近くまでいくと、左側の池の中島に旗上弁財天社があります。 朱色に塗られた社殿はご開帳されていませんでした。
鶴岡八幡宮
御祭神 応神天皇 比売神 神功皇后
当宮は源頼義公が前九年の役平定後、康平六年(1063)報賽のため由比郷鶴岡の地に八幡大神を勧請したのに始まる。 治承四年(1180)源頼朝公は源氏再興の旗を挙げ、父祖由縁の地鎌倉に入ると、 まず由比郷の八幡具を遙拝し「祖宗を崇めんが為」小林郷北山(現在地)に奉遷し、 京に於ける内裏に相当する位置に据えて諸整備に努めた。 建久二年(1191)大火により諸堂舎の多くが失われたが、頼朝公は直ちに再建に着手し、 大臣山の中腹に社殿を造営して上下両宮の現在の結構に整えた。 以来当宮は武家の守護神として北条・足利・後北条・徳川各氏も社領等の寄進、社殿の修造を行い篤く尊崇した。
旗上弁財天
源頼朝が平家の滅亡を祈願したとされる旗上弁財天社は源平池右の中島にあります。 弁財天像は国宝館に安置されており、武運長久、大願成就の福神です。
宝戒寺(毘沙門天)
鶴岡八幡宮を出て左手へ進んでいくと、突き当りに宝戒寺があります。 毘沙門天はどこにあるのかと思っていると、本堂の中にありました。 靴を脱いでお堂に入っていくと、左脇に安置されていましたが、撮影禁止のようで写せませんでした。 境内には、歓喜天を祭る大聖天・徳宗大権現・聖徳太子を祭るお堂や鐘楼などがありました。
宝戒寺
宗派 天台宗
山号寺号 金龍山円頓宝戒寺
建立 建武2年(1335)
開山 五代国師(円観慧鎮)
開基 後醍醐天皇
新田義貞の鎌倉責めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、 最後の執権・北条高時をはじめ北条一族八百七十余名が自害したと伝えられています。 滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、 北条氏の屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。 境内には四季を通じて花が咲き、九月には白いハギで埋めつくされる「萩の寺」として有名です。
毘沙門天
北条氏ゆかりのお寺です。 本尊の左手に毘沙門天が祀られています。 仏教の四天王の一人で、病魔退散、財宝富貴の福神です。
妙隆寺(寿老人)
宝戒寺を出て左手の路地を進んでいくと、「土佐坊昌俊邸址」の石碑を過ぎた所に「日蓮宗 妙隆寺」の看板が立っています。 そこから参道へ入り山門をくぐっていくと、正面に妙隆寺の本堂がありました。 その手前の右側に寿老人を祭る祠がありました。 ガラス戸を通して中を覗ってみると、欅の一本造りの像が安置されていました。
妙隆寺
宗派 日蓮宗
山号寺号 叡昌山妙隆寺
建立 至徳2年(1385)
開山 日英上人
開基 千葉胤貞
この辺り一帯は、鎌倉幕府の有力御家人・千葉氏の屋敷跡と言われ、 この寺は一族の千葉胤貞が日英上人を迎えて建立しました。 第二祖の日親上人は、宗祖・日蓮上人にならい「立正治国論」で室町幕府六代将軍・足利義教の悪政を戒めましたが、 弾圧され、数々の拷問を受けました。 ついには焼けた鍋を被せられたので「鍋かむり日親」とよばれました。 本堂右手前の池は、日親上人が寒中、百日間水行をした池とされ、厳しい修行の跡と言われています。
寿老人
「鍋かむり日親」と呼ばれた傑僧・日親上人ゆかりの妙骼宦B 欅一本造りの寿老人尊像が祀られています。 人々の安全と健康を守り、長寿を司る福神です。
本覚寺(蝦夷神)
日蓮上人辻説法跡を過ぎていくと、蝦夷橋の手前に本覚寺があります。 立派な山門から境内に入っていくと、右手の階段の上に蝦夷神を祭る夷堂があります。 お堂は開帳されていましたが、仏像を写すのは止めておきました。 境内では、何とも綺麗に着飾った福娘が10人ほど居て、お神酒やお札などの対応をしていました。
本覚寺
宗派 日蓮宗
山号寺号 妙厳山本覚寺
建立 永享8年(1436)
開山 日出
本覚寺のあるこの場所は幕府の裏鬼門にあたり、源頼朝が鎮守として夷堂を建てた所といわれています。 この夷堂を、日蓮が佐渡配流を許されて鎌倉に戻り、布教を再開した際に住まいにしたと伝えられます。 その後、鎌倉公方・足利持氏がこの地に寺を建て、日出に寄進したのが本覚寺であるといい、 二代目住職の日朝が、身延山から日蓮の骨を分けたので「東身延」と呼ばれています。 日朝は「眼を治す仏」といわれ、本覚寺は眼病に効く寺「日朝さま」の愛称で知られています。 十月は「人形供養」、正月は福娘がお神酒を振舞う「初えびす」でにぎわいます。 鎌倉の住人、名刀工・正宗の墓が境内にあります。
蝦夷神
恵比寿は七福神の中でただ一人の日本の神様です。 恵比寿は、古く関東では蝦夷神と書かれました。 商売繁盛、家運隆盛、縁結び、五穀豊穣の福神です。
長谷寺(大黒天)
若宮大路に出て、横須賀線の線路の下を過ぎた所にある下馬交差点を右折していきます。 江ノ電の線路を渡り六地蔵を過ぎていくと長谷観音前交差点があります。 信号を渡って正面の路地に入っていくと、立派な山門の左側に長谷寺の入口があります。 境内に入っていくと、鯉などが泳ぐ妙智池と放生池があります。 その右手の弁天堂の横には岩壁を刳り貫いた弁天窟があります。 岩窟の中に入ってみると、十六童子の像が並んでいました。 池の間から続く石段を登っていくと千体地蔵があります。 そこから左手へ続く石段を更に登っていくと本堂(観音堂)があります。 その両隣には似たような建物があります。 右手は阿弥陀堂で、左手にあるのが大黒天が祭られた大黒堂になります。 中に入ってみると、大きな「なで大黒」があってツルツルになっていました。 大黒堂の左脇からアジサイが植えられた眺望散策路があるので登ってみると、 鎌倉の街や海などを見渡すことが出来ました。
長谷寺
宗派 単位(浄土宗)
山号寺号 海光山慈照院長谷寺
建立 天平8年(736)
開山 徳道上人
本尊の十一面観音像は日本最大級の木造の仏像です。 寺伝によると、開山の徳道上人が大和国(奈良県)初瀬の山中で見つけた樟の巨大な霊木から、 二体の観音像が造られました。 一体は大和長谷寺の観音像となり、残る一体が衆生済度の願いが込められ海に流されたといいます。 その後、三浦半島の長井浦(現在の初声あたり)に流れ着いた観音像を遷し、建立されたのが長谷寺です。 境内の見晴台からは鎌倉の海が一望でき、また、二千株を超えるアジサイをはじめ、四季折々の花木を楽しめます。
大黒天
由比ヶ浜が見渡せる観音堂の横に大黒堂があります。 宝物館には神奈川県最古の尊像が安置されています。 出世、開運、財富招来の福神です。
御霊神社(福禄寿)
長谷寺から引き返して南へ進んでいくと、長谷駅(江ノ島電鉄)があります。 線路を渡ったすぐの所から右手へ続く線路沿いの路地へ入っていきます。 線路から少し離れて家の間を進んでいくと、鎌倉市消防団の車庫があります。 そこを右折していくと、江ノ電の線路を渡った所に御霊神社があります。 鳥居をくぐっていくと、右側に御霊神社宝蔵庫があります。 半開きになった扉から中へ入ってみると福禄寿がありました。 色々な顔をした像が沢山並んでいましたが、撮影禁止になっていたので写せませんでした。 その先の石段を登った所に本殿があります。 左手には神輿を納めた建物が二つ並んでいます。 境内には、合祀されている祠などが多くありました。 元来た道を長谷駅まで引き返し、鎌倉経由で帰りました。
御霊神社
祭神 鎌倉権五郎景正
御霊とは、強く尊い祖先の御魂の意で、神社の創建は平安時代後期と伝えられています。 桓武天皇の子孫で「鎌倉武士団」を率いた鎌倉権五郎景正を祀っています。 景正は後三年の役(1083〜)に十六歳で出陣して勇名をはせ、その後現在の鎌倉・湘南地域を開発した領主です。 地元では「権五郎さま」と呼ばれ、親しまれています。 毎年九月に行われる「面掛行列」は、伎楽や舞楽、田楽などの古い面をつけた面掛衆が練り歩く珍しい祭事です。
福禄寿
御霊神社は九月に行われる「面掛行列」が有名です。 その十面の内の一面が福禄寿で、宝蔵庫に祀られています。 長寿、家禄永遠を司る福神です。