鳶尾山
散策:2011年12月中旬
【低山ハイク】 鳶尾山
概 要 鳶尾山は、厚木市から愛川町にかけて続く低い丘陵地帯にある山で、 人気のあるハイキングコースになっています。 途中にある展望台からは360度の大パノラマが広がります。 今回は鳶尾団地の東側から金毘羅宮跡を経て鳶尾山へ登っていきます。 鳶尾山からは八菅山いこいの森を巡ってから、登尾の尾根を中津川沿いへ降っていきます。
起 点 厚木市 鳶尾団地東バス停
終 点 愛川町 一本松バス停
ルート 鳶尾団地東バス停…鳶尾北公園分岐…山王大権現…金毘羅宮跡…小鳶尾山…棚沢分岐…みはる野分岐…小ピーク…鳶尾山…やなみ峠…青年勤労之碑…大沢橋…あおぞら館…蜻蛉池…いこいの森ダム…カエデの小径…十字路…やすらぎの広場…スギの小径…八菅神社…お花見広場…梵天塚…展望台の広場…登尾入口…225.7m峰…登尾の尾根…八菅橋…一本松バス停
所要時間 4時間20分
歩いて... この時は晴天で、展望台や鳶尾山からは素晴しい眺めが広がっていました。 八菅山いこいの森を巡っているとニホンザルの群れに出遭いましたが、襲われることはなくて済みました。 ゴルフコースに出る手前にある分岐から分かれていく登尾の尾根には、しっかりとした道が続いていました。
関連メモ 鳶尾山
コース紹介
鳶尾団地東(とびおだんちひがし)バス停
本厚木駅(小田急小田原線)の北口から、[鳶89]鳶尾団地行きバスにて25分、1時間に1本程度の便があります。
バス停の先に続く住宅地の道を進んでいきます。 左手に分かれていく道を見送った先の鳶尾一丁目交差点を右折していきます。
鳶尾団地行きバスは、午前10時を過ぎると厚木バスセンター始発になります。 [鳶06]鳶尾団地行きバスは運行ルートが違うので、この鳶尾団地東バス停には止まりません。 その場合は終点の鳶尾団地バス停から少し歩くことになります。
白壁の上に生垣が設けられた民家の前に続く坂道を登っていきます。 十字路を左折していくと、右手に鳶尾東公園があります。 中へ入っていくと、上下二段になった静かな公園でした。 下段から上段に登って公園を出て、右手へ進んでいきます。 公園の角の十字路を直進して突き当りまで行くと、 左手へ曲がった所で道が二手に分かれていますが、右側の道を進んでいきます。 少し左へ曲がっていくと、正面にこんもりとした森が見えてきます。 その手前までいくと正面に石段がありますが、右手へ曲がりながら続く坂道を登っていきます。 道なりに右・左と曲がりながら登っていくと、開けた所に出ます。 道端には木製デッキがあって、「鳶尾山に桜を植える会」の協賛金の提供者の名前が書かれた板がありました。 正面の鳶尾団地の向こうには、丹沢大山などの山々がよく見えました。
眺めを確認して、右へ曲がっていく道を進んでいきます。 左へ曲がりながら続く道を軽く登って小さな車止めのある所まで来ると、 青色の鉄パイプの手摺が両側に設置された幅の広い石段が左手から登ってきます。 鳶尾団地東バス停のひとつ先の鳶尾一丁目バス停から来ると少し近道になる石段のようでした。 その石段を合せた先からは未舗装路になりますが、引き続き幅は広めになっています。 コンクリートで蓋をされた溝のようなものが道の中ほどに暫く続くようになります。
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
バイク進入ご遠慮ください
 (厚木市、厚木市交通安全対策協議会)
道端の樹木に取り付けられた銘板などを眺めながら、広くて緩やかな道を進んでいきます。 左側には鉄パイプ柵が途切れ気味に続くようになります。 3分ほど進んで右へ曲がり始めると、左手から登ってくる広めの道が合流してきます。 脇に生える樹木には「山火事注意 火の用心!」の標識が取り付けられていました。 地形図にも載っている道で、鳶尾一丁目バス停から登ってくると近道になる道のようでした。
鳶尾北公園分岐
左手からの道を併せて右へ曲がって2分ほど登っていくと、左手に分かれて降っていく小径があります。 角に生える樹木の袂にある小さな棒に取り付けられた紙によると、 左手の道は「北公園口(下)下山道」となっていました。 その道を見送って右へ曲がりながら続く広い道を登って植林帯が現れると、 左手から登ってくる小径があります。 そこにも同様の棒に取り付けられた紙があって、「北公園口(上)下山道」となっていました。 これらの道は地形図に載っている破線の道のようで、 二つが合流して鳶尾北公園へ降りて行かれるようでしたが、このまま広めの道を登っていきます。 植林帯の縁に続く広めの道を登っていくと、右側に青緑色の金網柵が現れます。 その最初の支柱に取り付けられたメモによると、今歩いている道は「鳶尾山登山道」となっていました。
画像を左クリックすると、6枚の写真が順次表示されます。
山王大権現 (標高167m)
金網柵沿いに登って開けた高みに着くと、玉垣で囲まれた敷地に鳥居や祠などがありました。 鳶尾団地東バス停から22分ほどで登って来られました。 ここは地形図に載っている167m峰になるようです。 右手には厚木方面の街並みを一望出来る眺めが広がっていました。 道は玉垣の手前から左へ曲がっていきますが、正面の先の左側に鳥居があったので行ってみました。 入口の石段の両側には「雲渓山常昌院鎮守」と刻まれた玉垣があり、 鳥居の脇には「南無山王大権現」と刻まれた石柱がありました。 鳥居を過ぎた先には石灯籠と狛犬が控え、その奥に山王大権現の石祠がありました。 何れも真新しい様子でした。 祠の中には杓を持った仏像が安置されていました。 脇には古びた石祠と両手を合せた形の蓮華合掌塔もありました。 境内には上面を磨いた石の周りに椅子代わりの石が置かれたテーブル・ベンチが二組ありました。
山王社再々建記
山王大権現様の創建は寛文十二年九月吉日(1672)とあり、 再建は享保十八年十二月一日と銘記された石造の祠が大破して現存していました。 大日本地誌大系相模風土記にも常昌院記録として「山王社 山上にあり」とされていますが、 歴史の風雪の中で当山の手を離れ、草木に埋もれて今日に至りました。 このたび山王大権現様の現存する山林を取得して境内地とし、山道を開くことが出来ました。 更に再々建を発願し、祠を新に造立することができ、多くの関係者各位の御協力を深謝申し上げます。 仏天と山王大権現様の神力により、寺門の鎮静と地域の平安を祈念し、祠祭し奉ります。
雲渓山 常昌院 二十二世 元学俊介
再々建 発願協力者一同 合掌 禮拝
蓮華合掌塔建立趣意
福厳寺三十六世重興豊学俊明大和尚
手を合わせ 心あわせて しあわせに 天利俊明 報恩感謝
本師 豊学俊明大和尚の命により、昭和五十七年、この山に入山以来、 常昌院再興の為、壇信徒、有縁の協力者得て、境内諸堂の整備を図る中、 この地は当初からの祈願でありました。 ここに多くの篤志の浄財をもって山王大権現整備の落成をいたすことができました。 歴史と信仰を後世に伝えることが出来ると歓喜無量法悦の極みであります。 山王大権現様の御加護と法力を信心の方々に戴くことを念じます。 本師老和尚の日常底の言葉を刻み、山頂より法の光を頂戴して報思感謝とその大願成就の礎といたします。
平成八年八月二十三日建立 俊邦 俊介 合掌
鳥居の正面からは細い山道が降っていました。 地形図に載っている破線の道で、石碑に載っている山王大権現の参道でしょうか。 その道は見送って祠の右側から道に出ます。 手前から左へ曲がってきた道になります。 傍には道標が立っていて、右手の道は「鳶尾山観光展望台・日清戦没記念碑」、 左手の道は「鳶尾1丁目方面」となっています。 道標に従って、右手に続く広くて緩やかな道を進んでいきます。 1分半ほど進んでいくと左手に道が分かれていますが、道なりに右へ曲がっていきます。 小型作業車なら通って行けそうな幅のある緩やかな道を快適に進んでいくと、 左手が開けて丹沢大山や西山などを眺められる所がありました。 眺めを確認してからその先へ進んでいくと、正面に僅かな高みが現れます。 その手前から右手に分かれていく踏み跡がありますが、 入口に立つ道標には「この先、通り抜けできません」の紙が貼り付けられていました。 その道を見送ったすぐの先に、左手から登ってくる道があります。 角には道標が立っていて、左手の道は「天覧台公園」、 高みを巻くようにして右へ曲がっていく道は「鳶尾山山頂」となっていて、「鳶尾山40分」の紙が貼られていました。
金毘羅宮跡
右手に曲がっていく道を進み始めると、すぐの所から高みへ登っていく道が分かれています。 鳶尾山へはそのまま進んでいけばいいのですが、左手の高みへ登っていきました。 広い横木の階段混じりの道をひと登りすると、小広くなった高みに着きました。 山王大権現から12分ほどの所になります。 礎石が残る高みには小屋がひとつ建っていて、脇には石祠もありました。 以前にはここに金毘羅宮が建っていたようですが、昭和30年代の失火により全焼したのだそうです。 この小屋には、金毘羅宮に関わる物が保存されているのでしょうか。 登り着いた左手から登ってくる石段があって、下の方には鳥居が見えていますが、 天覧台公園から登ってくる道になります。
(石段を登ってくる道は「鳶尾山」を参照)
金毘羅子世羅天由来記
鳶尾山金毘羅社は慶安3年(約350年前)、養徳寺心外悦和尚が建立。 この時代、この地域は伝染病が猛威をふるい、一度幹線すれば施すすべもなくバタバタと斃れていくだけである。 止むなく病人を山に捨てたのである。 これを深く憂えた心外悦和尚は鳶尾山頂に登り、連日連夜病魔を除くため祈念す。 10月9日、この日天地がピリピリ振動する事数回。夜に入り山に登る。 ひそかに御座松の下に到り、祈念趺座す。 又、神を送る響き、天地振動す。経を誦す。 新月繊々として星光天に満ち連山寂寥、急に一陣の微風萌颯として幽松の梢を吹いて首をあげて樹上をみれば、 老翁現れ、「吾は天竺王舎城の守護神金毘羅世羅天なり。そなたの衆生を思う念の厚きに感じて永くこの地あって 衆生済度の為につくそう」と言や、又連山鳴動す。 かつ然と眼が覚めて驚くべし。 大宝積経金毘羅授受記本一巻が置かれてあった。 翌10日は総本家讃岐の金毘羅宮の開創と同じである。 心外悦和尚の不惜身命の活動が一脈の光明と生気を興え、やがて病苦の悲泣は快癒の感謝に変り、 御座松を仰ぎ金毘羅の社と古松は近郷の人達の感謝して仰いだ祈念の標でもある。
享保10年、吉宗公病気快癒の為再興。 文化11年、家斉公厄年の為再興。
其の後も何度か建て替えられたが、昭和30年代に浮浪者の失火により全焼す。
大祭は1月10日、5月10日
 (養徳寺世話人)
小屋の左手の奥に続く道を降っていくと、左右から道が合流してきます。 角には道標が立っていて、正面の道は「鳶尾山山頂1.1km」、右手の道は「鳶尾一丁目1km」、 今来た道は「天覧台公園0.7km」となっています。 支柱には緊急時位置確認表示板「鳶尾山コースNo.4」が取り付けられていていました。 左手の道には何も示されてはいませんが、 先ほどの石段の下に見えていた鳥居の先から分かれてきた巻き道になるようです。 「鳶尾山山頂」を示す板には「鳶尾山38分」のメモが取り付けられていていました。 ここは正面に続く広い道を進んでいきます。
緊急時位置確認表示板 鳶尾山コースNo.4
緊急時は、携帯電話でコース名、番号を119番又は110番に通報して下さい。
 (厚木市)
小鳶尾山 (標高213m)
緩やかで広い道を進んでいきます。 少し登り坂になってくると、鳶尾山観光展望台と、 「征清軍人陣亡之碑」と刻まれた日清戦没記念碑がある小鳶尾山の山頂に着きます。 金毘羅宮跡から2分ほどの所で、地形図に載っている213m峰になるようです。 それほど広くはない山頂ですが展望の得られる所です。 「征清軍人陣亡之碑」と刻まれた石碑の前には小振りの観音像が置かれていました。
画像を左クリックすると、11枚の写真が順次表示されます。
6本の太い鉄柱の周囲を巡るように設置された螺旋階段を登っていきます。 最初のうちは良いのですが、高所恐怖症の私は、周囲の樹木が低くなるにつれて次第に屁っ放り腰になっています。 手摺を持つ手に力を込めながら恐る恐る足を出して階段を登っていきました。 やっとの思いで上に辿り着くと、360度の大パノラマが広がっていました。 周囲に設置された鉄柵には、ここから見える所を描いた板が取り付けられていました。 それによると、西に大山、南に湘南平、南東に厚木アクストメインタワーや江ノ島灯台、 東に横浜ランドマークタワーや東京タワーや東京都庁などを見渡せるようでした。 この時は快晴で空気が澄んでいて、東京スカイツリーも見えていました。 これから向かう鳶尾山の山頂で休憩している人達も見えました。
棚沢分岐
眺めを堪能したら、記念碑の奥へ続く道を進んでいきます。 程なくして右へ曲がり始めると、土嚢が設置された広めの横木の階段を降るようになります。 鋭角に左折する所まで来ると、「鳶尾山コースNo.5」の標識が立っていました。 そこを左折して、雑木林の中の尾根道を進んでいくと、正面が少し開けてきて、 これから向かう鳶尾山へ続くと思われる山並みが姿を現します。 その先へ降って広くなった浅い鞍部に着き、カヤトの原を少し進んでいくと分岐があります。 小鳶尾山から7分ほどの所になります。 正面にある高みは、鳶尾山の手前にある高みになるようです。 ここで道が左右に分かれています。 右手の道は地形図に載っている実線の道のようです。 脇に立つ鉄筋付きの板にメモが取り付けられていて、 右手の道は「棚沢・八菅橋・神工大グランド」、左手の道は「鳶尾山」となっていました。 ここは左手の道を進んでいきます。
みはる野分岐
カヤトの原を進んでいくと、普通の山道のようになってきます。 少し登り坂になってくると道標が立っていて、 正面の道は「鳶尾山山頂0.65km」、今来た道は「日清戦没記念碑・展望台0.35km」となっています。 支柱には「鳶尾山コースNo.6」の標識が取り付けられていました。 ここから左手に道が分かれていました。 地形図に載っている実線の道になるようです。 角には先ほどと同様の鉄筋付きの板が立っていて、 左手の道は「みはる野団地」「みはる野一丁目バス停近道」となっていました。 正面の道を指すメモもあったようですが、剥がれ落ちて読めなくなっていました。 分岐道を見送って、右へ曲がりながら1分ほど登っていくと左手が開けてきて、 丹沢大山や西山を見渡せる所がありました。
小ピーク
見はらしが得られる所を過ぎて登っていくと、右手が開けてきて、先ほど登った小鳶尾山が見えるようになります。 その先へ登っていくと小ピークに着きました。 先ほどのカヤトの原の正面に見えていた高みで、地形図によると標高180mほどあるようです。 ベンチがひとつ設置された高みには道標が立っていて、 正面の道は「鳶尾山山頂0.4km」、今来た道は「日清戦没記念碑・展望台0.6km」となっています。 支柱には「鳶尾山コースNo.7」の標識が取り付けられていました。 ベンチのある辺りを覗っても道らしきものはないのでどうしたものかと思っていると、 左側に生える大木の脇から広めの道が降っていました。
かなり傾斜のある坂道を降っていきます。 手前の樹木に邪魔されながらも目指す鳶尾山が見えていました。 坂を降り切って緩やかな道になると、左手から小径が合流してきました。 どこへ続く道なのかは分かりませんが、みはる野へ降って道の途中に続いているのでしょうか。 そこを過ぎて少し登っていくと、緩やかになった尾根には桜の木が植えられているようでした。 「宝くじ桜植栽地」の石標と木製の看板が立っていました。
宝くじ桜植栽地
財団法人 日本宝くじ境界、財団法人 日本さくらの会、神奈川県、愛川町
平成八年十二月植栽
鳶尾山桜の名所づくり事業(さくらの木10,000本植栽計画)
事業主体 愛川町
協力団体 中津鳶尾山組合
緩やかな尾根を進んでいくと、登り坂が始まる辺りで道が二筋に分かれています。 辺りを見回しても道標は見当たりませんが、本来の道は左側で、右側はそのショートカットになっています。 どちらの道を進んでも上で合流しますが、今回は右側の坂道を登っていきました。 1分半ほど登っていくと、手前で分かれてきた道が左手から合流します。 その道を併せて右手へ進んでいきます。 浅くV字形に窪んだ所を登っていくと、目指す鳶尾山の山頂が正面に見えてきます。
鳶尾山 (標高234.1m)
明るい尾根道を登っていくと鳶尾山の山頂に着きました。 小ピークから9分ほど、小鳶尾山から23分ほどで到着しました。 一等三角点のある山頂には「桜の名所づくり事業 鳶尾山頂」と刻まれた石碑があります。 脇には歌碑もあって歌が十首ほど刻まれていましたが、達筆過ぎてまったく読めませんでした。 「鳶尾山コースNo.9」の標識が立っていて、 先ほど見かけたのと同様の「宝くじ桜植栽地」の石標や木製の看板もありました。
桜の名所づくり事業 鳶尾山頂 愛川町
脚下の中津川に銀鱗がおどり、東に広がる中津台地、昭和の初めまで桑畑として村は養蚕業が盛んであった。 昭和15年戦雲急を告げ、ついにこの地、軍に接収され、陸軍飛行場と化し、 戦闘機の爆音の明けくれの日々が続いた。 終戦間際には、多くの特攻機が南の空へと消えて行った。 またの上空をグラマンが低空飛行で民家や飛行場を急襲したりした。 戦後農民の手により、元の麦畑・花菜畑へと平和がもどった。 昭和41年県企業庁により、公害のない緑の工業団地(総面積234万平方メートル)として内陸工業団地が完成した。 戦前戦後、有為転変の歴史をじっと見つめてきたこの鳶尾山頂一帯(総面積36万平方メートル)を 昭和62年から「鳶尾山(町有林)桜の名所づくり事業」として町が着手、 平成元年から桜の植栽、下草刈や肥培管理を中津鳶尾山組合に委託され、今日の修景を見るに至った。 この桜の名所づくり事業に、直接・間接に御協力を賜った各団体・企業を次に列挙し、石に刻して 後世に顕彰するものである。
愛川町森林組合、県央愛川農業協同組合、株式会社織戸組、
(財)日本さくらの会、(財)自治総合センター
 (平成十三年九月吉日 中津鳶尾山組合)
三角点
基本測量  大切にしましょう三角点  国土地理院
鳶尾山の山頂は樹木に覆われていて展望は今ひとつですが、北側には愛川町の街並みが見えていました。 今回のコースで最後に渡っていく八菅橋や中津大橋も眼下に見えていました。 東へ伸びる尾根の下にある小山の先には厚木方面の街並みが広がっていました。 既に10人ほどのグループが登ってきていて、シートを広げて食事をしていました。 お昼を少し過ぎた時刻になったので、私も脇のベンチに腰掛けて、昼食タイムにしました。
ふるさとの自然を後世につたえるのはあなた
 (鳶尾山対策協議会、厚木市、愛川町)
山火事注意
この附近で山いもを掘る方は、自然保護のため、アズを十五センチのこして穴を埋めて下さい。
 (荻野の自然を守る会)
25分ほど居た鳶尾山から下山していきます。 右手の尾根にも道が分かれているようでしたが、左手に続く広い道を降っていきます。 2分ほど降っていくと緩やかな道になってきます。 僅かに登り坂になってくると、、「きずなの森整備事業」と記された標柱と「鳶尾山コースNo.10」の標識が立っていました。 その脇には「ようすいくん」も設置されていました。 そこを過ぎて再び緩やかになった広い道を進んでいくと、 これまでにも見かけた「鳶尾山桜の名所づくり事業」や「鳶尾山桜の名所」の看板がありました。 鳶尾山の周辺には桜の木が沢山植えられているようで、春の季節には綺麗に彩られるのだろうと思います。
鳶尾山桜の名所
 (愛川町、中津鳶尾山組合)
正面に高みが見えてくると、その高みを巻くようにして道が続いていますが、 広い踏み跡が分かれてその高みへと続いています。 試しにその踏み跡を1分ほど登って高みに着くと、道が左右に分かれていました。 鳶尾山から5分ほどの所になります。 右手に続く尾根は厚木市と愛川町の境になっているようで、愛川町の棚沢地区へ降りて行かれるように思えましたが、 左手の急坂を降って元の道に戻りました。
やなみ峠
右側に植林帯が続くようになった広い道を緩やかに降っていきます。 左側の僅かな高みに登っていく小径を分けて道なりに降っていくと舗装路に降り立ちました。 鳶尾山から8分半ほどの所になります。 角には大きな「鳶尾山ハイキングコース案内板」があって、 支柱には「鳶尾山コースNo.11」の標識が取り付けられています。 案内板によると、この場所は「やなみ峠」というようです。 コース案内として、まつかげ台バス停から天覧台公園までのルートが載っていて、 合計で1時間30分とのことです。 道路の少し左手から向かい側へと山道が続いていますが、 「この先、行き止まり。ハイキングコースではありません。」となっています。 左へ降っていくとまつかげ台団地に出られますが、 今回は八菅山へ向かって右手へ続く舗装路を進んでいきます。
ルールは守りましょう
・ゴミは必ず持ち帰りましょう。
・たき火・タバコの投げ捨てはやめましょう。
・自然は大切にしましょう。
青年勤労之碑
山際に沿って曲がりながら、緩やかな舗装路が続いています。 道端には不法投棄への注意看板が点々と設置されていました。 緩やかな道を6分ほど降っていくと、左手の山際に青年勤労之碑がありました。 地形図で二重線で描かれている道が大きく左へ曲がっていく辺りになります。 一部読めない文字もありましたが、先の大戦後に、 中津村の青年団が中心になってこの道を建設したことが記されているようです。 碑文によると、この道は八菅山林道というようです。
青年勤労之碑改修移転のしるし
昭和二十九年、一之沢に建立された碑が地盤の不備等により崩れ落ち、 雨露にさらされてあったものを、故神奈川県会議員荻田忠長氏を偲ぶ近隣有志相界りて この地南台に移転再建する。
 (昭和四十七年六月之建)
青年勤労之碑
郷土ヲ愛シ正義ヲ重ンジ勤労ヲ尊ビ平和文化国家ノ建設ニ寄与セン トスルハ第二次世界大戦終焉後ノ昏迷セル社会情勢下ニ於テ夙ニ自主 性確立ノ革新的理想ニ志セル本村青年団ノ深ク意図スルトコロナリ 偶_八菅山林道開発ニ際シ社会福祉ヘノ貢献ト健全ナル青年団精神 ノ練成トヲ企図シ幸ニ村当局並ニ地元民有志ノ推委鞭撻ニ依リ全 団員挙ゲテ難工事ノ実施ニ当リ県撃熱誠各自其ノ責務ヲ盡 タシ勤労ニ_所期ノ目的達成ニ努力シ此所ニ本事業ノ完成 ヲ見タリ寄ッテ碑ヲ建テ記念トス
 (昭和二十九年五月一日 愛甲郡中津村青年団)
大沢橋
更に舗装路を緩やかに降っていきます。 浅い谷筋に差し掛かると、僅かな沢が道の下を通って右手の谷へ流れ落ちていました。 そこをU字型に回り込んでその先へ進んでいくと、大沢川大沢橋が架かっています。 やなみ峠から18分ほどの所になります。 橋を渡ると、舗装路が左右に分かれています。 脇に立つ道標によると、右手の道は「八菅神社・八菅橋」、 左手の道は「八菅山いこいの森」、今来た道は「鳶尾山ハイキングコース」となっています。 正面に登っていく幅の広い横木もあって「どんぐりの小径」となっています。 左側にある「八菅山自然環境保全地域」の看板に描かれた図によると、 正面の階段は八菅神社から展望塔へ至る道に出られるようです。 八菅神社へは右手の道になりますが以前にも歩いているので、今回は左手の道を進んでいきました。
八菅山自然環境保全地域
22.6ha
自然を大切に
建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県県央地区行政センター環境部、愛川町環境経済部環境課)
鳥獣保護区
ここは保護区域です。鳥や獣を守ってください!
 (神奈川県)
あおぞら館
沢沿いに続く舗装路を1分半ほど進んでいくと開けた所に出ました。 右側にはベンチが沢山設置された広場がありました。 「八菅山いこいの森で見られる昆虫」や「八菅山いこいの森で見られる野鳥」の解説板を過ぎていくと、 森の手前にあおぞら館がありました。 この辺り一帯は「八菅山いこいの森」というようです。 中へ入ってみると、森で見られる野鳥の写真が壁面に展示されていました。 掲示されていた資料によると、この愛川町の「町の鳥」は「カワセミ」なのだそうです。
サルが入ることがありますので、戸は閉めてください。
「町の鳥」応募結果
町民の皆様から「町の鳥」に135通の応募がありました。その結果は次の通りです。
メジロ28通、カワセミ22通、ヤマガラ19通、ホオジロ18通、キセキレイ15通、ジョウビタキ11通
他に、ハクセキレイ、エナガ、コゲラ、ルリビタキ、ヤマセミ、セキレイ、オナガ、セグロセキレイ、 スズメ、シジュウカラ、カケスがありました。 応募いただきありがとうございました。
町の鳥選定理由
応募結果を参考に、「町の鳥選定委員会」で慎重に審議され、町議会全員協議会の承認を経て、 町の鳥に「カワセミ」が制定されました。 選定の理由は、次のとおりです。
1. 清流に生息するカワセミが、中津川と相模川が流れる愛川町のイメージと合致する。
2. 緑に映えるせせらぎを飛び交うカワセミのコバルトブルーの色合いが美しい。
3. 環境への生活適応力はあるが、川に近い赤土の崖地に巣穴を作り繁殖することから、 「カワセミ」を守ることは、環境の保全につながり、自然保護をアピールするに適している。
4. 町民からの応募が多い。
5. 他市町村が市(町村)の鳥として制定していない。
*「メジロ」は、町の鳥の応募が一番多いが、県下3町で既に制定されている。
蜻蛉池
あおぞら館を出てその先へ進み始めると道標が立っていて、 正面の森へ続く道は「展望広場」、今来た道は「八菅橋」となっています。 道標の指す森の中へ入っていくと、沢に短いコンクリート橋が架かっています。 その橋を渡っていくと、谷間に広がる空間がありました。 広い道から分かれて、沢に架かる小橋を渡っていくと、蜻蛉池がありました。 東屋もあってひと休みするのに良い所でした。 来ていた家族連れが畔から池の中を覗いていましたが、魚でもいたのでしょうか。
魚を取ったり、池に石を投げないでください。
 (愛川町都市施設課)
東屋の前を過ぎて小橋を渡っていくと、横木の階段を登るようになります。 階段を少し登って右へ曲がり始める所まで来ると、左手へ踏み跡が分かれていました。 脇には道標が立っていて、右手の道は「展望台広場」、今来た道は「青空博物館」となっていました。 八菅神社から展望台へ続く尾根は右手へ進んでいくのですが、 左手の道が気になったので、寄り道をしていくことにしました。
鳥獣保護区
ここは保護区域です。鳥や獣を守ってください!
 (神奈川県)
いこいの森ダム
少し降っていくと、すぐに左手から来る広めの道に出ました。 蜻蛉池へ渡ってきた小橋を見送ってきた道になります。 右折して沢沿いに登っていくと、大きな砂防ダムがありました。 ダムに取り付けられた銘板によるといこいの森ダムというようで、平成5年3月に完成したようです。 その先にも踏み跡のような道が続いていましたが、 「この先立入禁止」の標識が立っていてので引き返してきました。
砂防指定地(大沢川)
この土地の区域内において宅地造成、家屋の新築、土採取等の行為をする場合は神奈川県知事の許可が必要ですから、 厚木土木事務所にご相談下さい。
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。 建築物の新増改築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県)
カエデの小径
先ほどの分岐まで引き返して、その先に続く道を進んでいきます。 右側にロープ柵が続く道を進んでいくと、幅の広い横木の階段を登るようになります。 途中には木板の橋のようなものもありました。 この先で見かけた案内板によると、横木の階段が続くこの道はカエデの小径というようです。
十字路
階段が終わると左へ曲がって、緩やかになった道を進んでいきます。 再び現れる横木の階段を登っていくと、左右に通る広い尾根道に出ました。 蜻蛉池の先の分岐から6分ほど、大沢橋から19分ほどで登って来られました。 正面に降っていく道もあって十字路になっている所です。 登り着いた脇には道標が立っていて、右手の道は「八菅橋・八菅神社」、 左手の道は「展望台広場」、今来た道は「青空博物館」となっていました。 正面には「やすらぎの広場(あじさいの森)」と題した案内板がありました。 「八菅山いこいの森」の全体図も載っていました。 先ずは正面に続く小径から「やすらぎの広場」を降っていくことにしました。
やすらぎの広場
案内板の右脇から続く道に入っていきます。 木製の手摺が設置された道を進んでいくと、フィールドアスレチックの設備がある小尾根の前に出ます。 その手前から右に分かれていく小径を分けて小尾根に出ると、 左手の高みから横木の階段が降ってきていました。 その道を併せて右手の小尾根に続く道を進んでいきました。 この一帯はやすらぎの広場というようで、フィールドアスレチックの設備が点々と設置されていました。 右手から合流してくる小径を合せて、尾根を緩やかに降っていきます。 「(18)天狗渡り」の辺りまで来ると、尻尾が膨らんだ動物が先の方を横切っていきました。 一瞬猫かとも思いましたが、こんな所に居るはずもないし、猫にしては尻尾が膨らみ過ぎているし… と思いながら進んでいくと、何とニホンザルでした。 辺りに目をやると、ここにも!あそこにも!というように、かなりの数の群れでした。 刺激しないように気をつけながら、そっと通り過ぎて行きました。
スギの小径
滑車でロープを滑っていく「(15)谷越え」の右手を過ぎていくと、植林帯に入っていきます。 次第に降り傾斜が増してきて、落ち葉が厚く積もっていました。 浅くU字形に窪んだ所もある道を、右・左と曲がりながら降っていきます。 先ほどの案内図によるとスギの小径というようです。 またサルに出遭うことはないかと周囲に気を配りながら降っていきましたが、この先では見かけませんでした。
やがて正面が明るくなってくると、植林帯を抜けます。 コンクリートで囲われた四角い物の角を曲がって降っていくと金網柵の前に出ました。 柵の向こう側の下には建物が見えていました。 柵は右手の谷へ降りてその先の尾根へと続いていましたが、 正面に扉があったので、コの字形の留め具を外して向こう側へ抜けていきました。
左へ曲がった先を右折して降っていくと、民家の脇に出ます。 ブロック塀に沿って進んでいくと、左右に通る道路に降り立ちました。 左手には白壁の蔵がありました。 尾根道から15分ほどで降りて来られました。 道標類は見かけませんでしたが、ここは右手へ進んでいきます。
緩やかな道路を右手へ進んでいきます。 小さな沢の上を過ぎて竹林の間を抜けていくと、左手から登ってきて右手へ続く道に出ます。 左手へ降って行くと八菅橋に出られますが、八菅神社は右手へ進んでいきます。 2分ほど進んでいくとT字路があります。 角には道標が立っていて、正面の道は「青空博物館0.6km・鳶尾山1.9km」、 左手の道は「一本松バス停1.4km・八菅橋0.4km」となっています。 右側には大きな鳥居が立っていて、脇には「郷社 八菅神社」と刻まれた石柱もあります。 歌人もここを訪れたのか、俳句の記された看板も立っていました。 ここが八菅神社への入口になります。
(先ほどの大沢橋から右手の道を進んでくるとここへ来られます)
蓬莱に きかばや伊勢の 初便 芭蕉
おちこちの 笠も八菅や 順の峯 五柏園丈水
 (愛川町教育委員会)
八菅山(はすげさん)
標高225米
八菅山は古名を蛇形山といった。 むかし日本武尊が坂本(現在の中津坂本地区)でこの山をながめられ、 山容が竜に似ているところから名付けられた。 そしてこの山中には蛇体の各部分にあたる池の名が今も残っている。 大宝3年修験道の開祖、役の小角(役の行者)が日本武尊の神跡をたづね、 この山に国常立尊ほか六神を祭り修法を行った。 そのとき八丈八手の玉幡が山中に降臨し、神座の菅の菰から八本の根が生え出たという。 そこで山の名を八菅山とよぶようになった。 これが八菅神社のはじまりであると伝えられている。 この八菅山を前にした丹沢山塊一帯は山岳信仰の霊地として修験者(山伏)たちの修業道場として盛んであった。 この連なる山々には幣山・法華山・経ヶ岳・華厳山・法論堂など、 今も残る名は巡峯の要所であったことを教えてくれる。
鳥居をくぐっていくと、すぐに社務所のある境内があります。 脇には「八菅山修験場跡要図」がありました。 境内には宝物館や梵鐘などもありますが、本殿はずっと上の方にあります。
愛川町指定文化財 八菅神社の梵鐘
八菅神社は、もと八菅山七社権現といい、 別当寺光勝寺のほか院坊五十余をもふくめた修験の一大霊場として古くから続いていました。 明治の初め、神仏分離の際、光勝寺は廃され、院坊の修験は帰農し、権現は八菅神社となりました。 この梵鐘は、元和4年(1618)徳川二代将軍秀忠の武運長久を祈願して光勝寺に献じられたもののようです。 銘文によると、古い地名である「上毛利庄」のほか、鋳工者に下荻野の「木村太左衛門重次」、 上川入の「小嶋元重」の名もみえます。 地元における梵鐘のうち最古の故もあって、太平洋戦争のときにも供出をまぬかれ、 現在北相に残った数少ない貴重な梵鐘となっています。
 (愛川町教育委員会)
愛川町指定重要文化財のこの梵鐘は、昔の八菅山大権現(現八菅神社)の別当寺光勝寺の梵鐘だった。 長年八菅の森に鳴り響いたなつかしい梵鐘ではあるが、梵鐘の寿命にも限りがあることを思い、 ここに撞くことを止めて保存することとしました。 何卒御理解の程御願い申し上げます。
 (八菅神社氏子総代会)
宝物館の右手の坂を登っていきます。 ふるさとの木「八菅神社のケヤキ」を過ぎていくと道は左手へ曲がっていきますが、 正面に石段が分かれて登っていきます。 脇に立つ標識によると、正面の石段は「おみ坂」、左手の坂は「女坂」となっています。 おみ坂は石段を登って本殿へと真直ぐに続いていますが、 女坂は左手から右手へと逆S字形に曲がって登っていきます。 今回は、正面の石段を登っていきました。 この辺りは「かながわの景勝50選 八菅山と八菅神社」や 「かながわの美林50選 八菅山のスダジイ林」に選ばれているようです。
ふるさとの木 八菅神社のケヤキ
樹種 ケヤキ(にれ科)
樹高 21.00メートル、 胸高周囲3.40メートル
推定樹齢 280年
神奈川県指定天然記念物 八菅神社の社叢林
中津川に面した八菅山の集落に続く丘陵の海抜100〜170メートルの南側斜面から東側斜面にかけて 八菅神社の森と称されるスダジイ林が発達している。 一部にスギやヒノキが植栽されているが、200段を越す階段の参道周囲は、 樹高15メートル以上のスダジイ林が自然植生として生育する。 高木層は、台地上でアカシデ・ヤマモミジ・ハリギリを混え、 スダジイが優占する森を形成している。 亜高木層以下はヒサカキ・サカキ・アラカシ・ツルグミ・クロガネモチ・アオキ・ビナンカズラ・ ベニシダ・イタチシダなどヤブツバキクラスの常緑の自然植生の構成種が多く生育する。 八菅山の森は、相模平野にそって海岸から比較的内陸まで生育するスダジイ林 (ヤブコウジ−スダジイ群集)が、25,000平方メートル以上もまとまって残存生育しており 極めて貴重な樹林である。
注意
この天然記念物を許可なく、伐採したり荒らしたりしますと罰せられますのでご注意ください。
 (神奈川県教育委員会、愛川町教育委員会)
歌碑を左手に見ながら、200段とも300段とも云われる石段を登っていきます。 神社参道の石段にはよくあることですが、 ここの石段も間隔が狭くて足全体が乗せられません。 少し斜めにしたりして踏み外さないように注意しながら登っていきます。 しばらく登っていくと、女坂が左から右へと横切っていきますが、 更に上へと続く石段を登っていきます。 次第に息が切れてくるので、立ち止まって呼吸を整えながら登っていきました。
ふるさとの木「八菅神社のクロガネモチ」を過ぎ、 竹の菰を巻かれた杉の大木の間を抜けていくと、本殿直下の小広い境内に着きます。 左側には手水舎があり、その奥の短い石段の上には護摩堂もありました。 ここに大きな「愛川町イラストマップ」がありました。 この八菅神社のある八菅山いこいの森も載っていますが、 ルートを確認するには小さ過ぎてよく分かりませんでした。
ふるさとの木 八菅神社のクロガネモチ
樹種 クロガネモチ(モチノキ科)
樹高 20.50メートル、 胸高周囲2.32メートル
推定樹齢 250年以上
八菅神社(八菅山七社権現)
祭神
国常立尊(くにとこたちのみこと)  伊弉那岐命(いざなぎのみこと)
金山毘古命(かなやまひこのみこと)  誉田別命(もんだわけのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)  伊弉那美命(いざなみのみこと)
日本武命(やまとたけるのみこと)
八菅神社の祭神は、日本武尊と役の小角(役の行者)によって七神が祀られた。 これを総称して八菅山七社権現といった。 そして信仰の対象は日本固有の神と仏菩薩とは一体であるという思想にもとづいてまつられた社で、 この八菅の霊地を護持する人たちを修験(法印)といい山内の院や坊に拠っていた。 源頼朝の大日堂寄進、足利尊氏による社頭の再建、足利持氏の再興で一山の伽藍が整ったが、 永正二年本社、諸堂が兵火で失った。 その後、天文十年再建、天正十九年には徳川家康より社額を給せられた。 やがて明治維新の神仏分離令により仏教関係すべてが禁じられ、 神のみを祀た八菅神社として発足、修験の人たちはみなこの地に帰農した。
スギ
スギは日本特産の樹木で、名前は幹がまっすぐに伸びる木、直木(すき)からきているといわれています。 長寿で、大木なることから、神社などに植えられ、神木として信仰の対象となっています。 樹高60メートル、樹齢千年の古木も知られています。 古代から利用されていたことが知られ、林業上も重要な樹木で、 建築材のほか、家具や酒樽、葉は粉にして線香などに利用されています。 (スギ科)
八菅神社
小広い境内から石段をひと登りすると八菅神社の社殿があります。 横に長い社殿のため、正面からではその全体を写すことができないので、斜め横から写しました。 屋根の両側には鯱のようなものが対で立っていました。 境内には絵馬が沢山掛けてありました。 社殿の右手の森には「経塚の跡」があり、標柱と解説板が立っていました。
八菅山 経塚群
経塚とは経典を埋納したところで、十世紀末ごろ、末法思想を背景に作善業のひとつとして発生したといわれる。 のち、経典の書写とも結びつき、やがて、死者の冥福を祈るという追善的な性格をもつようになった。 八菅山の経塚群は、平安時代の末期から鎌倉時代にかけてのものといわれている。 昭和47年、神奈川県教育委員会による調査の際、経塚17基を確認したが、多くは盗掘されていた。 なお、そのおり納経容器の壺十五を出土、うち、和鏡を伴うもの六、そのひとつから 木造合子型念持仏(愛染明王−鎌倉初期)が発見された。
 (愛川町教育委員会)
注意
拝殿内に塩を投げ入れないで下さい。
床・直に置かない様、お願いします。
器等利用して下さい。
お花見広場
社殿の左手から続く簡易舗装された広めの道を進んで八菅神社の裏手に出ると、 右手から登ってくる女坂と合流します。 角には道標が立っていて、右手の道は「八菅橋・左眼池」、 左手の道は「展望台広場」、今来た道は「八菅神社」となっています。 道標に従って舗装路を左手へ進んでいくと、 左側にはフィールドアスレチックの設備が幾つか設置された広場があって、 脇には「お花見広場(八菅山いこいの森)」と題した案内板がありました。 先の方にはトイレが建っています。 その手前から左手に分かれていく道があります。 そこに道標が立っていて、左手の道は「どんぐりの小径」、 正面の道は「展望台広場」、今来た道は「八菅神社・八菅橋」となっています。 先ほどの大沢橋の正面に続く階段を登ってくると、ここに出るようです。
豊かな緑 山火事注意
たばこ・たき火は完全に消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
梵天塚
トイレの右側に続く舗装路を進んでいくと登り坂になってきます。 左側に続くマウンドを越えて「どんぐりの小径」へ降っていく横木の階段を見送っていくと、 道の右側に「白山堂跡」の解説板が立っていました。 白山堂跡を過ぎていくと、蜻蛉池から登ってきた十字路に戻ってきました。 やすらぎの広場から八菅神社を経てここへ戻ってくるまで40分ほどかかりました。 道標「展望台広場」に従って正面の道を進んでいくと、 右側の一段高い所に周囲を竹柵で囲われた梵天塚がありました。
白山堂跡
ここから20メートルほど奥にあった祠の跡をいう。 白山権現は、八菅神社の祭神七柱のひとつであるが、 なにかのわけがあって、とくに、ここにも祀られていたのであろう。
 (愛川町)
梵天塚
八菅山修験組織のひとつである覚養院に属する塚であった。 修験道で祈祷に用いる梵天(幣束)をたてたことにちなむ名であろう。 築造のころは不明である。
 (愛川町)
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展望台の広場
梵天塚を過ぎて広い道を真直ぐに進んでいくと、右手に展望台が見えてきます。 右へ分かれていく坂道の脇には「展望台の広場(八菅山いこいの森)」の案内板がありました。 坂道を登っていくと、すぐに展望台に着きました。 周囲には植え込みや東屋もある広場になっていました。 小鳶尾山の展望台とは違って低いので、屁っ放り腰にならなくても登っていくことが出来ました。 眼下には愛川町の町並みが広がっていました。 袂に設置された案内板によると、遠くには東京・川崎・横浜なども見えるようで、 この時にも高いビル群が見ていました。 東屋の前には木組みされた「希望の塔」があって、鐘を鳴らすことが出来るようになっていました。
教城坊塚
八菅山修験組織のひとつである教城坊(後に教城院となる)に属する塚であった。 築造のころは不明であるが、修験道特有の祭祀遺跡である。
 (愛川町)
施設や木や花を大切にしましょう。
 (愛川町)
登尾入口
東屋の左手に続く広い道を降っていくと、尾根道に降り立ちます。 八菅神社から続いていた簡易舗装道は土の道へと変わりますが、よく踏まれていて歩き易くなっています。 右側に小尾根が続くようになった道を進んでいくと、 東屋から4分ほどの所に「登尾入口 八菅山・尾山 里山をまもる会」と書かれた標柱が立っていて、 そこからマウンドを越えていく道が分かれていました。 今回はここから右手へ降っていくのですが、その前に、以前に来た時に見逃した225.7m峰の三角点を探そうと、 このまま正面に続く広い道を進んでいきました。
225.7m峰
登尾入口を過ぎて1分ほど進んでいくと、2mほどの鉄柱が立っている開けた場所に出ます。 丹沢の山並みを眺めながら緩やかに降っていくと、広い道に降り立ちます。 角には道標が立っていて、右手の道は「上荻野・幣山」、 今来た道は「八菅神社・八菅橋」となっています。 右手に続く広い道を1分ほど進んでいくと、道幅が広がった所があります。 地形図によるとこの辺りに三角点が有りそうな雰囲気です。 手前の右側の尾根が低くなっている所があったので、そこから小尾根に登って左手へ進んでいきました。 登り坂になった尾根を1分ほど進んで僅かな高みに着くと、四等三角点がありました。 どうやらここが地形図に載っている225.7m峰になるようです。 この三角点の名前は「幣山」というようですが、この高みの名前も幣山というのでしょうか。
登尾の尾根
三角点を確認したところで、先ほどの登尾入口まで引き返していきます。 往復10分ほどで引き返してきてマウンドを越えていくと、道が左右に分かれていました。 左右の道の先には僅かな高みがありました。 左手の道は高みへ登っていき、右手の道は高みを巻くように続いていました。 どちらへ進んだものかと考えてみても分からないので、意を決して右手の道を進んでいきました。 雑木林の斜面を横切るようにして進んでいくと、右手の高みから降って来た尾根に出ました。 樹木が伐採されて明るくなっていました。 この下にあった標柱によると、この尾根は「登尾の尾根」というようです。
丸い尾根の背を30秒ほど進んでいくと、道が二又に分かれていました。 右手は降り坂になっていましたが、正面の尾根を進んでいきました。 1分ほど進んで降り傾斜が増してくると、右へ曲がっていく角から道が左手へ分かれていました。 どちらも広めの道でしたが、右へ曲がっていく道の方が自然に思えました。 右へ曲がって降っていくと、右手から降ってくる道に降り立ちました。 手前から分かれてきた道のようでした。 その道に出て左手へと降っていきます。 道には落ち葉が厚く積もっていましたが、道は広めでしっかりと続いていました。
やがて傾斜が増してくると、少しU字形に窪んだ所もありました。 右・左と小刻みに曲がりながら尾根を降っていきます。 道を塞ぐ倒木の下をくぐってその先へ進んでいくと、正面に谷筋が現れました。 谷の底には砂防ダムが見えていました。 その上には金網柵沿いに広めの道が続いていました。 谷を眺めながら道なりに左へ曲がって降っていくと、金網柵の前に出ました。 コの字形の留め具を外して向こう側へ抜けていくと、左右に通る広めの道に出ました。 出た所には道標が立っていて、右手の道は「八菅神社」、 左手の道は「尾山耕地」、今降って来た道は「登尾の尾根」となっていました。 右手の道は「八菅神社」となっていますが、 展望台の広場の脇から降っていく道があったので、そこへ通じているのでしょうか。 行く末を確かめたくもありましたが、今回は左手へと降っていきました。
谷沿いから左へ曲がっていくと、左手から道が合流してきます。 その角には、尾根で見かけたのと同様の 「登尾入口 八菅山・尾山 里山をまもる会」と書かれた標柱が立っていました。 尾根から17分ほどで降りて来られました。 これで山道は終わりになります。 左手の道を併せて正面へ進んでいくと、田んぼが広がる所に出ました。 出た所は十字路になっていて、正面の道の先には車道があるようでした。 車道を歩くのは避けて、右手に続く道を進んでいきました。
八菅橋
田んぼが広がる山際の道を進んでいきます。 畦道にしては広くて、軽自動車なら通っていけそうな幅がありました。 道端にある「開田記念碑」を過ぎて更に進んでいくと、田んぼに出た所から5分ほどで車道に出ました。 右手へ進んでいくと、歩道は車道から分かれて高い所に続くようになります。 下り坂になってきた歩道を進んでいくと、信号機のある交差点に出ました。 右手には八菅神社で見かけたのと同様の「愛川町イラストマップ」があり、 脇には「八菅山いこいの森」と書かれた大きな木の柱が立っていました。 右手の先にはトイレ設備があり、その前に町内循環バスのいこいの森入口バス停がありますが、 1日に5便しかなくて運行は平日だけとなっていました。 右手へ進んでいくと八菅神社へ続いているようですが、 左手を流れる中津川に架かる八菅橋を渡っていきます。
ダムの放流による増水に注意
この川の上流に宮ヶ瀬ダムがあり、ダムに貯った水を流すことにより、 この川の水が急に増えることがありますから注意して下さい。 また、ダムに貯った水を流すときは、下記のとおりサイレンやスピーカーなどでお知らせしますので、 そのときは川から離れて下さい。
サイレン
約55秒鳴動 約5秒休止 約55秒鳴動 約5秒休止
 (国土交通省相模川水系広域ダム管理事務所)
八菅橋を渡った所にある十字路の先に続く中津大橋を登っていきます。 かなり傾斜のある坂道になった橋を登っていくと、信号機のある十字路に出ました。 左右に通る道は「中津往還」というようですが、どのような歴史がある道なのかは分かりませんでした。 交差点の角にある中津小学校は、以前には中津村役場があった所なのだそうです。 「中津村役場跡」の石標の脇には石碑もありましたが、 小学校の敷地の中だったので、確認するのは止めておきました。
中津村役場跡
なかつむらやくばあと
明治二十五年(1892)から愛川町との合併のときまで、中津村役場のあったところである。
一本松(いっぽんまつ)バス停
交差点を直進して中津小学校を過ぎていきます。 信号機のある十字路を直進して循環バスの中津老人福祉センター前バス停を過ぎていくと、 県道63号の一本松交差点に出ます。 左側に架かる中津歩道橋を渡って左手へ進んでいくと、 厚木警察署中津交番を過ぎた所に一本松バス停があります。 「登尾入口」の標柱がある所から28分ほどで到着しました。
本厚木駅(小田急小田原線)まで、[厚59][厚60][厚66][厚96]厚木バスセンター行きバスにて21分〜28分、 1時間に3本程度の便があります。 海老名駅(小田急小田原線まで、[海09]海老名駅西口行きバスにて31分、1時間に1本程度の便があります。