曽我丘陵
散策:2011年10月下旬
【低山ハイク】 曽我丘陵
概 要 曽我丘陵は国府津駅から北西に伸びる御殿場線の東側に続く低い丘陵です。 丘の上からは、相模湾・伊豆半島・箱根連山・富士山・丹沢山塊などが広がる素晴らしい展望が得られます。 今回は、国府津駅から上ノ山農道を通って曽我丘陵へ登り、 東側に続く農道を通って近戸神社へ降るルートを歩きます。
起 点 小田原市 国府津駅
終 点 小田原市 国府津駅
ルート 国府津駅…真楽寺…菅原神社…安楽院…光明寺…上ノ山農道…曽我丘陵…前川コース…近戸神社…長泉寺…常念寺…国府津駅
所要時間 2時間50分
歩いて... 曽我丘陵までの登り道や降り道にはかなり傾斜のある所もありますが、 簡易舗装された広めの農道が続いていて、分かり易くなっています。 この時は生憎の曇天とあって、富士山や箱根連山には雲がかかっていました。
関連メモ 曽我丘陵, 曽我丘陵
コース紹介
国府津(こうづ)駅
国府津駅(JR東海道線)から歩いていきます。 これから向う曽我丘陵は国府津駅の北側にありますが、改札口は南側にしかありません。 鴨宮駅方向にあるトンネルを通って北側へ抜けていきます。 改札口を出た所にあるバスやタクシー乗り場の右手へ進んでいくと、 「周辺案内図」が設置されていて、 これから向かう菅原神社への道が載っているので参考になります。 「見どころ案内」も載っていたので、今回の散策に関連する部分を載せておきます。 「真楽寺400m」「菅原神社600m」の表記が右手を指しています。
国府津駅は明治20年7月11日開業とのことで、駅前には「国府津駅開業100周年記念」の石碑が建っています。 東海道線の花形として活躍した蒸気機関車が富士山を背景にして描かれていました。
国府津駅開業100周年記念
国府津おるれば馬車ありて 酒匂小田原とをからず 箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より
 (鉄道唱歌より)
国府津・曽我丘陵ウォーキングコースマップ<国府津編>
国府津はみかん山と相模湾に囲まれた風光明媚な土地です。 かつて大隈重信をはじめとする多くの政治家・実業家・学者たちが別荘を建て、 文人たちは旅館に投宿して執筆するなど、住み良い場所として愛されてきました。 農業・漁業が中心のまちでしたが、明治20年の東海道線開通以来、神奈川県西部地域の玄関口として、 商業面でも明治・大正・昭和と長く発展の途を歩んできました。 こうした歴史と、海・山・川の素晴しい自然に育まれて、 国府津は市内でも由緒ある独特の街並みをかたちづくっています。
 (国府津・曽我ウォーキングコース「みかんの丘」運営委員会)
国府津・曽我丘陵ウォーキングコースマップ<曽我編>
曽我の里は、曽我物語で有名な曾我兄弟のふるさととして、また、梅やみかんの産地として知られています。 ゆたかな緑が緩やかに起伏する曽我丘陵は、静かなたたずまいを残す村里に、 早春には3万5千本もの白梅が咲き誇り、初夏には爽やかな日差しの中にみかんの花の香りが漂います。 秋を迎えると、みかん色鮮やかに空気もひときわ澄んで、 曾我兄弟ゆかりの史跡を辿りながら山道を上がれば、 箱根の山並、霊峰富士、相模湾から伊豆半島を一望する、素晴しい眺望を楽しめます。
 (曽我丘陵梅の里散策コース運営委員会)
真楽寺
浄土真宗(古くは聖徳太子の開基による天台宗の寺だった)の寺で親鸞聖人の霊場ともいわれ、 「真楽寺」という寺号も聖人に命名してもらったといわれています。 境内には市の天然記念物のボダイジュがあります。
菅原神社
「国府津の天神さん」とよばれ、古くから地域の鎮守として長い歴史を見守ってきています。 また、学問の神様、菅原道真公をまつっており、初天神は、合格祈願の絵馬を奉納する参拝客や露店で賑わいます。 境内には、市の天然記念物のムクノキの神木があります。
真楽寺
右手から回り込むようにして進んでいくと、角に「国府津・曽我の里散策コース起点」の標柱が立っていて、 「真楽寺300m・曽我神社790m」となっています。 標柱を過ぎて国道1号の国府津駅前交差点に出て右折していきます。 国府津駅前郵便局や国府津保育園前バス停を過ぎていくと、 国府津保育園前交差点の先に「親鸞聖人七ヶ年御舊跡 真宗大谷派 真楽寺」と刻まれた石柱が立っていました。 その奥にお堂が見えたので、立ち寄っていきました。 白壁と民家の間の路地を進んでいくと、 坂を登った所に「勧山真楽寺」「親鸞聖人七ヶ年御旧跡」と刻まれた門柱があります。 境内に入っていくと、正面の石段の上に真楽寺の今風の本堂がありました。 右手には「帰命堂国府津真楽寺」の石柱が立つお堂や、庫裡と思われる建物がありました。 左手は墓地になっていて、その奥に天然記念物のボダイジュがありますが、 手前の分枝した2つの幹は中ほどから切られていました。
真楽寺
親鸞聖人ゆかりのこの寺は、勧山と号する真宗大谷派の寺院であるが、 往古は聖徳太子の所縁によって創建された天台宗の寺院であった。 のち親鸞聖人が関東の教化を終え、帰路の際に当地に立ち寄られた時、 当時の住職性順がその教法に導びかれ、真宗の教えに帰依して一宇を建てたのが、この寺のはじまりとされている。 寺号もその時、聖人に「真楽寺」と命名してもらったといわれている。 寺内の帰命堂には、帰命石と呼ばれる2mほどの石があるが、 これは聖人が石に指頭で名号を書かれたといわれるので"帰命石"と呼ばれている。 山門の国道をhさんで南側、袖が浦の海岸に勧堂がある。 これは親鸞聖人草庵の旧跡で、ここで聖人が7年間、民衆を教化されたと言伝えられている。 勧堂の名も聖人のこの事蹟に基づいてつけられたものである。 なお寺内の菩提樹は、小田原市の天然記念物に指定されている。
小田原市指定天然記念物 真楽寺のボダイジュ
樹相 株元周囲 約6.5m、 樹高 約12〜16m、 枝振り状況 東西13m・南北13m
この木は、寺の本堂西側、JRの線路を背にした所に立つ古木で、周囲は一段高く石垣で囲まれています。 「新編相模国風土記稿」(1830〜1841編纂)にも当時の菩提樹の記述があります。 それによると、「菩提樹、親鸞手植えのものと云、囲七尺」とあり、 当時は幹回り2.1mの大樹で、単幹であったことが分かりますが、 現在ある菩提樹は、根元が三幹で、そのうち二幹が分枝して双幹となり、形五幹となっています。 これは幕末の頃、真楽寺で大火があり、その時この木も損傷し、 根の部分が枯れて株だけが生き残っていたものがその後ひこばえ(根元から生える幹)が生え、 成長したものが現在の木のようです。 この木が親鸞上人(1173〜1262)の植えたものかどうか、はっきり断言できませんが、 樹齢三百七十年位と推定できるので、植え継がれたものかもしれません。
 (小田原市教育委員会)
菅原神社
国道1号に戻ってその先へ進んでいきます。 岡入口バス停を過ぎて岡入口交差点を右折していくと、JR東海道線のガード「曽我街道架道橋」があります。 ガードを抜けていくと、右脇には道祖神が佇んでいました。 正面に続く道路を真っ直ぐ進んでいくと、JR御殿場線のガード「天神前架道橋」があります。 右脇に佇む道祖神を確認してガードを抜けていくと、 少し曲がった十字路の角に玉垣で囲まれた菅原神社があります。 右手の鳥居から境内へ入っていくと、「わらべうた 通りゃんせ 発祥の地」の歌碑がありました。 脇には「国府津丘陵散策コース」と題した案内板が設置されていました。 その先へ進んでいくと、大きな天然記念物のムクノキがありました。
わらべうた 通りゃんせ 発祥の地
通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ ちっと通してくだしゃんせ ご用の無いもの通しゃせぬ この子の七つのお祝いに おふだをおさめにまいります いきはよいよい帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
国府津丘陵散策コース 所要時間 1時間50分
このコースは神社独自で設定したものです。 国府津駅・国府津海岸を眼下に見下ろし、富士・箱根・足柄平野・相模湾を一望出来ます。 春は桜、夏には白いみかんの花が咲き、秋にはみかんがたわわに実ります。 又晩秋から初冬にかけては沢沿いに樹海の中の紅葉も見事です。 浅間山の頂上には浅間大神が祀られ、さらに神社方面に歩けば鳴沢の滝があり、四季折々散策が楽しめます。
菅原神社
国府津の天神さんで知られる菅原神社は、正暦5年(994)に創建されたと伝えられています。 祭神は、菅原道真公(845〜903)、天照大神ほか七神が合祀されています。 境内の「曽我の隠れ石」と呼ばれる大きな石には、 「曽我兄弟が父の仇である工藤祐経を討つためにこの石に隠れていたが、警護が厳しく涙を呑んでそのまま見送った」 という伝承が残っています。 水神の傍らにそびえる御神木のムクノキは、江戸時代の記録にも見える老木で、 小田原市天然記念物に指定されています。 その他境内には、道真公が詠んだ 「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春は忘れそ」を記した石碑をはじめ、 様々な石造物があります。 また、「撫で牛」は道真公の神使とされており、病気治癒に効くとされています。 更に、「とおりゃんせ」発祥の地の石碑も建立されています。 一月に初天神、四月に例大祭、十二月に納め天神が行われるとともに、 学業成就や試験合格を願う人々など多くの参拝客で賑わいます。
小田原市指定天然記念物 菅原神社のムクノキ
この木は「国府津の天神さん」で知られる菅原神社の境内の東側、水神さんの祠の傍らに立つ老木です。 「新編相模国風土記稿」の天神社の項を見ると、 「神木に楠・槻・椋・山_の老木あり、各囲一丈余」とありますが、 このうち椋とあるのが、この木を指しているものと思われます。 それは、境内にクス(楠)、ケヤキ(槻)、タブノキ(山_)などが生育していますが、 神木に該当するような大木はなく、樹齢からみて恐らくこのムクノキだけが残ったものと思われます。 また、此の木は主幹の地上部から数mに及ぶ所まで空洞が目立ちますが、 古くから村の鎮守としての「天神さん」とともに、 地域の人々の長い歴史を見守りながら生き続けている老木です。
 (小田原市教育委員会)
境内の奥の鳥居をくぐった先に社殿がありました。 本殿の屋根には4本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 拝殿の屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 社殿の手前と両側には「撫で牛」の像がありました。 右手の茅の輪の先には朱色の鳥居が並んでいて、その奥に狐像が控える小祠がありましたが、 由緒書きにある稲荷社でしょうか。 左側には社務所があります。 その奥には諏訪社があって、屋根には3本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。
菅原神社
一、祭神菅原道真公を祀る
別名 天神社又は天満宮とも称する。 道真公は承和12年6月25日(845)誕生。 幼少の頃からその利発さを時の仁明天皇に深く愛され、更に長じて宇多天皇の信任厚く、 右大臣となり藤原氏の横暴を抑えたが、藤原時平の讒により九州太宰府に左遷された。 世を嘆き恨みを飲んで延喜3年2月25日(903)59歳で薨去後に太政大臣正一位を贈られた。 道真公の句に九州に旅立つにあたり愛する庭の梅に別れを惜しんで、 東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春は忘れそ、 又九州太宰府に於いて、かって帝から拝領した御衣を捧げ、 去年今夜侍清涼 秋思詩編獨断腸 恩賜御衣今有斯 捧持毎日拝餘香と詠じられた。 和歌ならびに漢詩は能く人に知られるところである。 世に菅公と親しまれ、その作による名詩名句は数多く残っている。 文祖の神として天下万民の崇敬を集め、時に近時は進学の神として、 国府津地方はもとより入学受験者が合格祈願のために多数三拝してにぎわう現況であり、 当神社は神奈川三天神に数えられるに至った。
二、神社縁起
学問の神菅原道真公を祭神と仰ぐ。 当菅原神社は正暦5年(994)6月晦日の黄昏時、 納涼せんと海岸に里人が集うと…奇なる木船が汀に漂い来りて束帯せる一貴人が錦の袖にて招き給う。 里人は之を招じて麦飯に麦粉をかけて饗す。…其の夜里人の夢枕に貴人現れて告げて曰く、 「京の菅神を崇敬せば幸多からん」と…。 目覚むれば貴人の姿はなく、菅公の肖像一躯(現存の神像)残れり。 よって之を御神体として神社を創建せり。 神社は現在地であり、昔時は諏訪の森と称し、諏訪社(750頃)があって之と合祀した。 それで年々6月晦日を祭典の日と定め、麦飯麦粉をかけて必ず之を神前に奉供した。 又神輿は、相模湾岸に渡船し小総の里(後の小宇津宿現在の国府津)海岸で神事を行った。 爾来思想文化の中心としてもてはやされ、天神信仰の源泉となり庶民の教養を高めた。 祭典日に関しては明治初年の改暦と共に7月晦日に改められ更に各天満宮の申合で25日を祭日と決定した。 因みに道真公は誕生日、右大臣就行日、太宰府赴任日、九州に於て薨去の日の何れも25日なので、 祭神の神霊供養のため、月は異っても25日を祭典と決定。 之に従い当神社では明治31年から毎年4月25日を祭典と定め現在に至った。 尚、当神社の神輿は総重量2,300キロ(約六百貫)あり、その優美さと佳麗なることは関東随一と称されて居る。 古来当神社別当は安楽院であったが、明治維新の神仏分離の法令により、専属の神官が奉仕することになった。 明治35年火災により社殿を全焼し、明治42年再建復興され、 又同年8月官令に依り、諏訪社及国府津全域に散在奉仕していた各社を一同に合祀した。
諏訪社(祭神 建御名形神)、浅間社(祭神 木花咲耶姫命)、明神社(祭神 天照皇大神)、
稲荷社(祭神 倉稻魂命)、日枝社(祭神 大山咋命)
参拝者各位
この神社は学問の神様である菅原道真公がお祀りしていありますが、 他に七柱(七人)の神様がお祀りしてあります。 合格祈願はもとより学号成就、事業(商売)繁栄、厄除け、家内安全、交通安全などのお願いも、 絵馬に託されたらいかがでしょう。 絵馬、破魔矢、お守りなどは授与所でお分かち致します。 尚、此の神社で露店が境内外を埋めて参拝者で賑わう祭日は次の通りです。
初天神祭1月25日、 例大祭4月25日、 納天神祭(歳野市)12月25日
撫で牛
自分の体で治してもらいたいところを撫でたあと、 菅公の使いである牛の座像を撫でると霊験があるという習俗があります。 又、福運願望成就にも霊験があるという習俗があります。 由来、説明のパンフレットは社務所にありますので、ご要望の方はお持ち帰り下さい。
安楽院
菅原神社から出て左手(東の方向)へ進み始めると、すぐの所から左手へ道が二つ分かれていきます。 その右側の坂道の入口には「真言宗梅花山安楽院」と刻まれた石碑が立っています。 坂道を登った所にある山門をくぐっていくと、左手に朱色の安楽院がありました。 その左側には庫裡と思われる建物があり、右側は墓地になっていました。 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでしたが、 入口の石碑によると、開山以来壱千百五拾壱年の歴史のあるお寺で、本尊は厄除大聖不動明王とのことです。 また、菅原神社の由緒書きによると、古来には菅原神社の別当だったようです。
我事において 後悔せず
心を洗って 香となし 体を恭んで 華と為す
安楽院を後にして、線路沿いの坂道を登っていきます。 坂を登り切ると、御殿場線の地蔵前踏切があります。 ここから左前方の坂道と、更に左手の道とが分かれています。 角には「国府津・曽我丘陵ウォーキングコース」の道標が立っていて、 左手の道は「六本松跡4400m75分」、今来た道は「国府津駅・菅原神社」となっています。 ここが曽我丘陵への登り口になりますが、その前に光明寺を訪ねていくことにしました。 「時宗 海向山 光明寺」と刻まれた石柱の脇から続く坂道を登っていきます。
光明寺
桜並木が続く坂道を登っていくと、左手に幅の広い石段があります。 その石段を登っていくと石製の門があって、「時宗」「海向山光明寺」と刻まれていました。 門の先へ進んでいくと、正面に光明寺の今風の本堂がありましたが、 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでした。 左手には庫裡と思われる建物がありました。 右手は墓地になっていて、その一角に鳥居の立つ祠もありましたが、名前などは分かりませんでした。
みんなで きれいな華を 咲かせよう
上ノ山農道
光明寺を後にして、道標「六本松跡」が指す坂道を登っていきます。 小型の作業車なら通っていけるだけの幅のある簡易舗装路になっていて、上ノ山農道というようです。 曽我丘陵の尾根の上まで続いていて、 国府津・曽我丘陵ウォーキングコースにもなっています。 光明寺の墓地の脇を進んで森の手前まで来ると、左手が開けてきて、 箱根連山や小田原の街並みを見渡せる眺めが広がります。 眼下には先ほど訪ねた安楽院の墓地が広がっていて、その先には御殿場線の高架が続いていました。 特徴的な姿をした矢倉岳の奥には富士山が聳えていましたが、 生憎の曇天とあって、雲に隠れ気味でした。 箱根の山々も山頂付近は雲に隠れていました。
上ノ山農道を歩き始めるまでに、国府津駅を出発してから45分ほどかかりました。
森の中へ入っていくと、道は鋭角に右へ曲がっていきます。 右・左と小さく曲がりながら登っていくと、道端にはミカン畑が続くようになります。 手を伸ばさずとも取れる所に、色付き始めた実が沢山生っていました。 直角に左へ曲がっていくと左手が開けてきます。 登り始めの所からよりも眺めが少し良くなってきますが、 相変わらずの曇天のため、山々は雲に隠れ気味でした。 緩やかになってきた道を進んでいくと、 登り口から10分ほどで右手が開けて相模湾を見渡せる所がありました。 三浦半島でしょうか、それとも房総半島でしょうか、海の奥には陸地が横たわっていました。 すぐ下には舗装路が続いていましたが、光明寺の先から登ってくる道になります。
左右の樹間から見える山や海などを眺めながら、丘の上に続く農道を快適に進んでいきます。 ミカン畑が途切れて、杉や桧が列を成して生えている道を進んでいきます。 再びミカン畑の脇に出ると、左手が開けてきました。 相変わらず富士山には雲がかかっていましたが、 流れていって見え易くなりそうな雰囲気もあったので暫く待ってみましたが、状況はあまり改善しませんでした。 それでもぼんやりとながら、何とか山頂部を見ることが出来ました。
陸橋
見はらしの得られる所を過ぎて、両側に樹木が生い茂る道を進んでいきます。 畑作業のためのモノレールが道の上を横切っている所を過ぎていくと陸橋が架かっています。 登り口から20分ほどの所になります。 陸橋の下には先ほどから見かけている舗装路が通っています。 以前に歩いた時に見かけた記念碑によると、 小田原市国府津と小田原市上町を結ぶ国上農道というようです。 橋を渡っていくと右手が開けていて、相模湾の傍には国府津駅が見えていました。
(下を通る道は「曽我丘陵」を参照)
陸橋を渡っていくと左手から道が合流してきますが、その道の先は行き止まりのようでした。 少し登り坂になってきた農道を進んでいくと、 先ほど陸橋の下をくぐってきた舗装路が左下に見えるようになります。 富士山や箱根連山も眺められる景色が広がっていますが、引き続き雲がかかっていました。 緑色の金網柵に沿って進んでいきます。 柵が途切れた先から左下へ分かれていく道を見送っていくと、再び左手が開けてきます。 標高が少し高くなったためか、小田原の街の先に広がる相模湾には真鶴半島が突き出ているのが見えました、 その奥には伊豆半島が薄らと見えていました。
桧が列を成して生えている所を過ぎて少し降り坂になってくると、 左手から登ってきて正面へ続く道に出ます。 脇には「国府津・曽我丘陵ウォーキングコース」の道標が立っていて、 正面の道は「六本松跡」、今来た道は「国府津駅・菅原神社」となっています。 ここは正面の道を進んでいきます。
曽我丘陵
登り坂になってきた農道を進んでいきます。 左手が開けて箱根方面を眺められる所を過ぎていくと、左右に通る広い道路に出ました。 陸橋から10分ほど、光明寺の傍の登り口から30分ほどで登って来られました。 脇のブロック塀に取り付けられた「国府津・曽我丘陵ウォーキングコース」の道標によると、 今来た道は「国府津駅・菅原神社」となっています。 また道路の正面のカーブミラーにも道標が取り付けられていて、 左手の道は「六本松跡」「曽我梅林へ」となっています。 この尾根が曽我丘陵で、広い道路は西山農道というようです。 左手へ登り気味に進んでいくと、すぐの所に「西山団体営農道建設記念碑」や 「西山農道舗装工事完成記念碑」が立っています。 脇には石製のテーブル・ベンチや木製のベンチが設置されていて、ひと休みするのに良い所です。 お昼を少し過ぎた時刻になったので、周囲に広がる山並や海などを眺めながら、 ベンチに腰掛けて昼食タイムにしました。
西山団体営農道建設記念碑
小田原市東部に位置し相模湾を一望。 湘南江ノ島・房総半島、南には大島、西に伊豆半島・富士山また小田原市内が一望。 この地には昔からの伝説弟橘姫を祀った吾妻山もあり、現況農道では道幅も狭く急勾配のため、 農産物・資材の搬出入及び通行にも支障をきたしており、 二十一世紀プランの一環として国農林水産省関東農政局に陳情し国家予算に計上され、 団体営農道整備事業として総工費三億一千八百万円、全長一千二百米、幅五・五米(排水施設含む)、 平成五年度着工〜平成十二年度に完成。
 (神奈川県西湘地区行政センター、小田原市農政課)
山火事注意 火の用心!
たばこ・たきびは確実に消そう! みどりとのふれあいでリフレッシュ
 (森林共済セット保険、神奈川県)
前川コース
記念碑を後にして西山農道をその先へ登り始めると、すぐの所から右前方へ降っていく道が分かれていきます。 脇の金網柵には「たちばな散策ガイド 弟橘姫ふるさと伝説の地 前川コース」 の案内標識が取り付けられていて、右手の道は「近戸神社方面」となっています。 この道が曽我丘陵から東へ伸びる尾根への入口になります。 振り返ると、相模湾を見渡せる眺めが広がっていました。 湘南海岸に浮かぶ江の島もよく見えていて、その奥には三浦半島が横たわっていました。 国府津・曽我丘陵ウォーキングコースは、正面の広い農道を通って六本松跡などへ続いていますが、 今回は右手に続く前川コースを進んでいきます。
前川コースの案内標識はここにあるだけで、近戸神社までの途中では見かけませんでした。
(正面の道は「曽我丘陵」を参照)
金網柵沿いに坂道を降っていくと、すぐに緩やかな道になります。 前川コースになっているこの道も農道で、近戸神社まで簡易舗装された道が続いています。 少し降るようになると、黄緑色の作業小屋を過ぎていきます。 左・右とクランク型に曲がって降っていきます。 傾斜が緩やかになった道を進んでいくと、左手に丹沢山塊を見渡せる所がありましたが、 生憎の曇天とあって、ここでも山には雲がかかっていました。 そこを過ぎて進んでいくと、左手から道が合流してきます。 試しにその道へ入ってみると、すぐに草深くなっていましたが、丹沢方面を見渡せる眺めが広がっていました。
画像を左クリックすると、4枚の写真が順次表示されます。
農道分岐
元の道に戻ってその先へ進んでいきます。 少し登っていくと、道が二手に分かれていました。 前川コースに入って8分ほどの所になります。 角にはカーブミラーが立っていました。 また「猟銃禁止区域」の赤い標識も立っていて、 その支柱にはマジックで「H17 No3」と書き込まれていました。 どちらの道を進んだものかと道標類を探してみても見かけませんでした。 手元の地図と睨めっこしながら考えてみるに、 右手の傾斜の増した坂道は長泉寺の裏手へ続いているように思えたので、 今回は近戸神社へ降るべく、左手の緩やかな道を進んでいきました。
猟銃禁止区域
 (神奈川県)
ミカン畑が続く尾根道を緩やかに進んでいきます。 防風林のようになった所を過ぎていくと少し降り坂になってきます。 作業小屋を過ぎていくと、細い竹林を回り込むようにして左手へ曲がっていきます。 地形図ではこの辺りに標高150.8mの三角点があるようですが、 畑地の中なのか竹林の中なのか、道端には見かけませんでした。 山際を過ぎてヘアピン状に右へ折れ曲がる角まで来ると、 左手に丹沢方面を見渡す眺めが広がっていました。 前川コースに入って14分ほどの所になります。
右へ折れ曲がって山際を降っていくと、ビニールシートを被せた畑地の脇に出ました。 畑の角まで来て直角に左手へ曲がっていきます。 正面には湘南の海から三浦半島にかけての眺めが広がり、右手には伊豆大島の島影も見えていました。 畑地の端まで進んでいくと、道は右手へ曲がっていきます。 左手にも踏み跡程度の道が続いていましたが、畑地の道のようでした。
作業小屋の間を過ぎていくと、すぐの所から左手へ道が分かれていきます。 手元の地図によると左手の道も農道のようですが、このまま正面の道を降っていきました。 傾斜が増してきた坂道を4分半ほど降っていくと、右・左と大きく曲がりながら降るようになります。
少し開けた所を過ぎて緑のトンネルの中へ入っていきます。 林を抜けて山際に沿って道なりに右へ曲がりながら降っていきます。 相模湾や住宅などが間近に見えるようになると、石垣を過ぎた所に分岐があります。 右手には鳥居が立っていて、「近戸神社」の扁額が掲げられていました。 両脇には狛犬が控え、「近戸神社」と刻まれた石柱や「忠魂碑」の石碑も立っていました。 ここが前川コースの入口にあった近戸神社になります。 農道分岐から23分ほど、前川コースに入ってから32分ほどで降りて来られました。
近戸神社
鳥居の先の石段を登っていくと近戸神社の社殿がありました。 拝殿の屋根には4本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていましたが、左側の千木は折れていました。 本殿には鰹木や千木はありませんでした。 社殿の右手には祠があって、白木の小社が納められていました。 左手にも祠があって、白木の小社が二つ納められていましたが、いずれも名前は分かりませんでした。 社叢の解説板はありましたが、神社の由緒などを記したものは見かけませんでした。
小田原市指定天然記念物 前川近戸神社の社叢
この社叢は、暖地性、沿海性の広葉常緑樹を主体に、 広葉落葉樹や常緑針葉樹を混生する残存自然林の代表であり、 その指定面積は、5518平方メートルです。
●広葉常緑樹  クスノキ・タブノキ・ヤブニッケイ・シロダモ・ヒメユズリハ・モッコク・ モチノキ・アラカシ・スダジイ・ヒイラギ・ツバキ・モクレン。 その他にトビラ・ヒサカキ・アオキ・イボタノキ・アリドオシ・コウヤボウキ・ウツギ等の低木。
●広葉落葉樹  ケヤキ・ノダフジ。その他にイヌビワ・タラノキ等の低木。
●常緑針葉樹  イヌマキ・モミ・スギ・ナギ・イチョウ
●草本層  ヤブラン・エビネ・ビニシダ・ホシダ等が樹下に生育し、 林縁にはイタビカズラ・テイカカズラ・ヘクソカズラ・ツルダミ・ミツバアケビ・ヨツバムグラ・クズ・ ススキ・コモチシダ・カニクサ・タチシノブ・オオバノイノモトソウ・トラノオシダ・ クマワラビ・ベニシダ・ヤブソテツ等多数生育しています。
次に特筆すべき樹木は次の通りです。
●モクレイシ  神奈川(神武寺山・鷹取山・大磯高麗山)、伊豆、九州等の限定された地域にしか見られないものですが、 この社叢には多数生育し、相当な古木(幹周48センチ)も見られます。
●ツバキ  低木層として南側斜面に多い優先種です。
●ヒメユズリハ  高木層として20本余を数える優先種です。
●クスノキ  幹周5.1メートルで市内屈指の古木で鳥居近くに生育しています。
●モッコク  幹周1.8メートルで市内最大級の古木です。
●モチノキ  幹周1.8メートルで市内最大級の古木です。 これはこの他に大小10本余を数えることが出来ます。
 (小田原市教育委員会)
近戸神社から引き返して、鳥居の先に続く道を進んでいきます。 両側に生垣が続く道を緩やかに降っていくと、少し右へ曲がった先で、小さな川に架かる小橋を渡ります。 その左側には「道祖神」と刻まれた石碑がありました。 左手すぐの所には線路沿いに道路が続いています。 国府津駅へ向かうには線路沿いの道を進めばいいのですが、 この右手の先に長泉寺があるようなので、立ち寄っていくことにしました。
長泉寺
右手に続く坂道を20mほど登っていくと分岐があります。 そこを左折して坂道を更に登っていきます。 傾斜が緩やかになってきた道を進んでいくと、 先ほどの小橋から1分半ほどで、背の低い「長泉寺」の石柱があります。 そこから石畳みの参道を進んでいきます。 両側に控える狛犬の先には真新しい石灯籠がずらりと続いていました。 石製の仁王像が立つ山門をくぐっていくと長泉寺の境内になります。 立派な本堂の前には、 如意輪観音・不空羂素観音・十一面観音・馬頭観音・千手観音・聖観音が並んでいました。 本堂の右手には庫裡と思われる建物や鐘楼があり、左手は墓地になっていました。 お寺の謂れなどを記したものは見かけませんでしたが、山号は瑞宝山というようでした。
日々是好日(にちにちこれこうじつ)
目の前のこと、できていますか?
慌ただしく過ごす毎日に、時々のんびりと過ごしたいなぁなんて思ったりしていませんか。 考えれば考えるほど心は曇り空に。 目の前のことをしっかりと…。 雲水さんはご飯を炊く時にはごはんを炊いている。 すると、心が元気になってきます。 こころが元気になると、晴れの日も曇りの日もありなんです。
 (臨済宗建長寺派 大本山建長寺)
山あれば 山を観る 雨の日は 雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし
長泉寺を後にして、その先へと進んでいきます。 両側にある墓地を過ぎて降り坂になってきた小径を進んでいくと、小川の前に出ました。 右手には竹林があって道は途絶えていました。 左手には道路の下をくぐっていく狭い道がありますが、 その左側にある長泉寺の参詣者専用駐車場からJR東海道線の線路脇の道路に出ます。
道路の下をくぐっていく道を進んでいくと、国道1号にある中宿公民館の脇に出られますが、 出口は僅かな隙間しかありません。
道路に出て右折し、線路沿いの道を進んでいきます。 程なくして降り坂になってくると、JR東海道線のガード「前川架道橋」があります。 ガードをくぐっていくと国道1号に出られますが、右手の上に常念寺があるので立ち寄っていくことにしました。 石段の登り口には、道祖神や頭の取れたお地蔵さんや五輪塔が並んでいました。 コンクリート壁には「浄土宗常念寺」の標識が取り付けられています。
常念寺
右に曲がっていく石段を登っていくと、すぐに常念寺の境内に着きます。 入口の門柱には「瀧澤山常念寺」の標識が取り付けられていました。 本堂の手前には、子供が戯れる仏像や南無常光観世音菩薩などの像がありました。 右手には庫裡と思われる建物があり、裏手は墓地になっていました。 境内には赤い帽子と前掛けをした六地蔵も並んでいました。 ここでもお寺の謂れなどを記したものは見かけませんでした。
国府津(こうづ)駅
常念寺を後にして、先ほどのガードをくぐっていきます。 線路の向こう側に出て右手へクランク型に曲がっていくと、国道1号の常念寺入口交差点に出ます。 そこを右折して国道沿いに進んでいきます。 西前川バス停を過ぎた先の西前川交差点の角には、双体地蔵や五輪塔などが佇んでいました。 国道を更に進んで少し登り坂になってくると、 「日本橋まで78km」の標識を過ぎた先に国府津駅前交差点があります。 そこを右折して坂道を登っていくと、最初の国府津駅(JR東海道線)に戻ってきました。 常念寺から16分ほど、近戸神社から35分ほどで到着しました。