舞岡公園
散策:2011年09月下旬
【里山散歩】 舞岡公園
概 要 舞岡公園は横浜市の緑の七大拠点のひとつである舞岡・野庭地区の中心にある自然公園で、 舞岡ふるさと村や舞岡ふるさとの森とも隣接しています。 谷戸田を取り巻くようにして森や丘が続いていて、小谷戸の里を中心として保存活動が続けられている里山です。 今回は舞岡南の橋を渡って舞岡公園に入り、谷戸田などを訪ねます。
起 点 横浜市 明治学院大学南門バス停
終 点 横浜市 明治学院大学南門バス停
ルート 明治学院大学南門バス停…舞岡南の橋…南門…谷戸田…小谷戸の里…やとひと情報館…北門…さくらなみ池…宮田池…中丸の丘…尾根道…明治学院大学南門バス停
所要時間 1時間40分
歩いて... 道路建設のために撤去されていた庚申塔は、舞岡南の橋の傍に移設され、解説板も設置されていました。 舞岡公園の谷戸田では稲が黄金色に実って、刈り取りの時期を迎えていました。 田んぼの畦道には多くの案山子が立っていて、目の保養が出来ました。 小谷戸の里では昔懐かしい遊びにも出会えました。
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コース紹介
移設された庚申塔
戸塚駅(JR東海道線)の東口から明治学院大学南門行きバスに乗って終点で下車して、 バス停の先に続く坂道を軽く登っていきます。 二手に分れている道の左側へ入り、電波塔を過ぎた先の坂道を降っていくと、左側に舞岡南の橋が架かっています。 その下には四車線の桂町戸塚遠藤線が通っています。 橋を渡っていくと、金網柵で囲まれた一角に庚申塔があります。 以前は尾根道の脇に生えるスダジイの巨木の袂に抱かれるようにして佇んでいましたが、 道路建設によって尾根道が分断され、庚申塔はこの場所に移設され、 スダジイは舞岡公園内の「南の丘」に移植されました。 庚申塔の正面には三猿の浮き彫りが施してあり、 「元文二丁巳天 庚申供養 九月吉日」の文字が刻まれています。
庚申塔について
この石塔は道標を兼ねた江戸時代の庚申塔です。 庚申塔は特に江戸時代に農村で流行した庚申信仰に基づくもので、 元文2年(1737)に舞岡村の信者により建てられました。 もとはここから凡そ80メートルの場所にありましたが、 都市計画道路横浜藤沢線の建設により現在の場所に移されました。 正面下には「前岡村同行七人」と建立者の銘があり、 「新編相模国風土記稿」(江戸時代の地誌)に記載されている「古は前岡と記す」ことを裏付ける貴重な史料です。 庚申塔の向かって右側面には「これよりぐめうじミち」、左側面には「これよりかまくらミち」と道標が刻まれています。 道路建設前、この周辺は雑木林に覆われた舞岡川源流の丘陵地で、 丘陵の尾根に沿って日限山方面から小菅ヶ谷方面へ抜ける尾根道がありました。 それは中世の鎌倉道の一つの古道で、江戸時代には「ぐみょうじみ」と言われ、 東海道の保土ヶ谷宿から弘明寺観音を経て鎌倉へ通じる道として利用されました。 その道沿いにひときわ目を引くスダジイの大木がそびえ、 二又に分かれた幹の根元に包み込まれるように、この庚申塔は建っていました。 スダジイは推定樹齢から庚申塔の建立と同時期に植えられたとみられ、 260年余にわたって両者が一体となって往来する人々に道標の役割を果たしてきたことが伺えます。 道路建設によりこの辺りの地形は大きく変わり、スダジイと庚申塔が見守ってきた古道の尾根道も消失しました。 庚申塔とスダジイは、市民と横浜市との話し合いにより移転が実現し、 スダジイの幹は現在ここからも見えますが、舞岡公園内の南の丘に移植されています。
 (平成23年1月 舞岡まちづくり塾、横浜市道路局)
収穫時期を迎えた谷戸田
南門から舞岡公園へ入っていきます。 少し曲がりながら降っていくと浅い谷筋に降り立ちます。 谷戸田では稲が黄金色に実っていて稲刈りが始まっていましたが、大型機械は用いずに手刈りのようでした。 田んぼに稲木を作り、藁で束ねた稲を二又に分けて掛けていました。 畦道には数多くの案山子が立っていましたが、例年行われる人気投票はこれからのようでした。 この時には27基を見かけましたが、昨年は44基ほど見かけたので、投票日までにはまだ増えるかも知れません。
(画像を左クリックすると、27枚の写真が順次表示されます)
昔懐かしい古民家
谷戸田の畦道から広い道を横切って小谷戸の里を訪ねます。 門から入ってすぐに右へ曲がっていくと足洗場があります。 その先の小橋を渡った先には炭焼窯がありますが、入口は竹が渡されていて閉ざされています。 引き返して広場の脇を進んでいくと旧金子家住宅があります。 作業小屋の前では竹の花差しを制作する実習が行われていました。 主屋の土間には竈や農具などがありました。 座敷では妙齢前の女性がカルタに興じていて、縁側では親子がメンコを楽しんでいました。 納屋には竹ぽっくりや竹馬などが置いてあって、それで遊んでいる親子も見かけました。 ムシロを編むための道具もありました。 縦糸を1本おきに前後互い違いにして、その間に左右から藁を差し入れて編むようです。
懐かしい明治後期の古民家「旧金子家住宅主屋」
明治後期に建築されたと思われる旧金子家住宅主屋は、戸塚区品濃町にあったものを平成7年6月に 納屋なども含めて舞岡公園小谷戸の里に移築し、復元したものです。 建築様式は、木造平屋建て、寄棟茅葺屋根で、平成7年度に横浜市認定歴史的建造物に指定されました。 間取りは整形四間取りと呼ばれ、8畳の部屋を4室、田の字に並べたもので、 間仕切りにはすべて戸・障子が用いられて開放的になっています。 こうした間取りは、江戸時代末期から明治初期にかけて座敷で蚕の飼育をしたために、 間取りの壁を取り払った結果できたものと考えられています。
筵を編む道具
これは「むしろ(筵)」を編むための道具です。 上下にはってあるのがたて糸です。 たて糸は1本おきに前後互い違いになり、その間に左右両側から横向きにわらを差し入れます。 たて糸の間にはさみこんである切込みが入れかわりますので、 そこへ次のわらを入れることを繰返すと「むしろ」ができます。 この展示には、たて糸に"しゅろ縄"を使っていますが、 実際はたて糸に"わら縄"を使います。
小谷戸屋
古民家から引き返しくると、管理運営委員会事務所の前に小谷戸屋があります。 わら草履・わら亀・わら馬・鍋敷き・もみ殻薫炭・木酢液・竹とんぼ・竹ぽっくり等々が販売されています。 舞岡公園を詠んだカルタも貼り出してあったので、参考までに載せておきます。
小谷戸屋はこんな店
私達は、横浜の原風景である谷戸を愛し、いつまでもこの姿を残し育んでいきたいと考えておりますが、 現実の自然環境保全の活動は大変です。 当店では、ボランティアの方々の苦心作を取り扱っておりますので、 皆様のカンパによるご利用が頂ければ幸いです。 ご厚志は、全額当公園の維持運営の一助とさせて頂きますのでよろしくお願い申し上げます。 小谷戸屋の品は、ボランティアが作製しております。 また、公園内の産物は園内の行事や整備等に使うことを基本としており、 余った物を小谷戸屋の品の材料としています。 そのため、ご好評の品がいつも揃えられるとは限りませんので、どうぞご了承ください。
舞岡谷戸かるた
このかるたは、日ごろ谷戸で活動している仲間が、舞岡公園での四季の移り変わり、米作り、 雑木林や畑の作業、建物や施設などを題材にして句を詠み絵札を描き、作り上げたものです。 皆さんも、かるたを通して米作りを始めとする谷戸の一年を感じ取っていただけるならば幸いです。  (平成とみの会)
) 足踏み 回る 脱穀機
) 稲刈りに 喜び味わう 里の秋
) 瓜久保池には かっぱ像
) 笑顔で始まる 舞岡の里
) おばけ出るかも 胆だめし
) 案山子の肩に 雀がとまる
) きざはしの池は 野鳥の パラダイス
) 草との戦い 夏の畑
) ケロケロ かえるの 大合唱
) 子供らの 歓声響く 谷戸の春
) 里山に 蜂の羽音と 草いきれ
) 代かきで 顔もお尻も 泥だらけ
) 炭焼きの 煙たなびく 雑木林
) 先人の 技を学ぶ 谷戸学校
) 空は青空 田んぼは緑
) 田植えに 参加 泥まみれ
) 宙返り ツバメ飛び交う 谷戸田の水面
) 土筆 たんぽぽ 春の足音
) 手のひらに 土のお化粧 農作業
) 土間にひろがる かまどの煙
) 流れる汗の 心地よさ
) にぎわい 味わい 収穫祭
) 抜き足 差し足 田圃の草取り
) ねむの木 桑の実 散歩道
) のびて あつあつ 谷戸のもち
) ハザにかかった 稲の束
) ひぐらし カナカナ 夏の谷戸
) 冬を知らせる カモの群れ
) ヘビも泳ぐ 春の田を
) ボランティア 谷戸の自然を 守り継ぐ
) 舞岡に 春の訪れ 緑増す
) 実りの なべを囲んで 里山談義
) むなしの 種から 大賀蓮
) 恵みをもたらす 一滴の水
) 籾摺り 精米 米になり
) やきいもの ほのかな甘みが 谷戸の味
) ゆっくりと 流れているよ 谷戸の時間
) よしはら ざわざわ 風の音
) 落葉集めて 肥料作り
) リヤカーに くわ・かま そろえ出発だ
) ルリビタキ みつけてみよう 観察会
) 歴史ある 民家は寄棟 茅葺屋根
) 炉端の笑顔 古民家の里
) わらで作った 正月飾り
やとひと情報館
小谷戸の里を出てその先へ進んでいくとやとひと情報館があります。 舞岡公園の一年の移り変わりや作業などを紹介する情報発信基地です。 以前に来た時と比べて、内部のレイアウトが少し変わっているようでした。 1993年から毎年恒例になっている「案山子祭」の優賞作品の写真や、 谷戸の様子・珍しい生き物・押し葉などの資料が展示されています。 都市計画線「桂町戸塚遠藤線」の建設に伴って2004年に行われた舞岡大原遺跡の発掘調査の概要も展示されていました。 縄文時代中期の竪穴住居址1軒、土杭2基、弥生時代後期から古墳時代にかけての竪穴住居址13軒、 弥生時台の竪穴状遺構1基、溝状遺構3条などが検出されたようです。 その他、土器や石斧・石鏃なども出土し、 舞岡川の源流付近の丘陵では小規模な集落が数多く営まれていたことが分かったようです。
舞岡公園へようこそ!
谷戸ってな〜に?  横浜市やその周辺には、小さな丘に囲まれた小さな谷がたくさんあります。 この谷を谷戸と呼びます。 そこでは、雑木林に育まれた湧水が小川となり、人々は田んぼや畑をつくって、 ホタルやトンボ、タヌキやノウサギなどの生きもの達と共に暮らしていました。 都市化の前の横浜では、あちこちで見られた原風景です。
舞岡公園は谷戸の公園  この自然と農文化の息づく風景を残したいという願う市民が横浜市緑政局(当時)と共に試行錯誤を重ね、 谷戸を中心とした公園が生まれました。 現在、「舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会」(やとひと未来)が指定管理者となり、 市民の手で田園区域を中心に管理運営しています。
舞岡公園憲章  私たちは、横浜市の原風景である谷戸を愛する市民です。 舞岡公園は、水や土、それに私たち人間をはじめとする、 生きとし生けるものの調和によって成り立ってきた谷戸の景観をとどめています。 この緑あふれる谷と丘を良好に維持保全し、ながく後世に引き継ぐことを目的としてここに憲章を定めます。
・私たちは、舞岡公園で自然とふれ合い、様々な生き物たちと共にあることを大切にします。
・私たちは、谷戸で受け継がれてきた文化や農体験を大切にします。
・私たちは、舞岡公園を市民の手づくりによる市民のための公園にします。
赤茶色に染まる池
きざはし池を過ぎて北門から出ていくと、中丸の丘へ登っていく階段と、 ばらの丸の丘へ続くボードウォークが分れていきます。 脇には以前から設置されている「舞岡公園案内図」があって、現在の「南の丘」の旧称である「谷戸見の丘」の名前が載っています。 葦原の中に続くボードウォークを渡り、丘への階段を見送っていくと、大きな枝垂れ柳の木が生えています。 その左側にさくらなみ池、右側に宮田池があります。 プランクトンなどでしょうか、この時には池の表面が赤茶色に染まっていました。
谷戸見の丘は、春になると菜の花の咲く所でしたが、最近では見かけなくなりました。 また、移植したスダジイの養生のため、当面の間は立入禁止になっています。
中丸の丘
ボードウォークを引き返して、幅の広い横木の階段を登っていくと中丸の丘に着きます。 振り返ると、先ほどの谷戸田のある谷筋を見下ろせる所ですが、 この時には生い茂る青葉に隠れ気味でした。 ここも以前には菜の花が咲く丘でしたが、最近では見かけなくなりました。 沢山設置されていたベンチも、最近では少なくなりました。 以前には休日の早朝にやってきて、ベンチに寝転んでラジオ放送をよく聞いていたのを思い出しました。 その頃にはありませんでしたが、ここから松原越休憩所や狐久保への道が分れています。
尾根道
狐久保へ降っていく階段を見送って奥へ進んでいきます。 以前には笹竹などが生い茂っていた道を進んで登り坂になってくると、 坂を越えた所で左右に通る尾根道に出ます。 正面には明治学院大学のキャンパスが広がっています。 右手へ進んでいくと舞岡ふるさとの森を経て舞岡駅方面へ出られますが、今回は左手へ進んでいきました。 背の高い柵沿いに続く緩やかで広い尾根道を進んでいきます。 斜面が崩れてビニールシートが被せてある所には金網柵が出来ていました。 その先の送電線の鉄塔の脇を過ぎていくと、幅の広い階段が現れます。 正面には明治学院大学の建物が見えています。 桂町戸塚遠藤線に降りて、左手にある明治学院大学南門入口交差点を渡り、 その先の坂道を登っていくと、最初の明治学院大学南門バス停があります。