武山
散策:2011年09月下旬
【低山ハイク】 武山
概 要 武山は三浦半島の先端近くにある低山で、緩やかな尾根には砲台山や三浦富士へ至るハイキングコースが続いています。 武山の展望台からは東京湾や房総半島・伊豆大島・伊豆半島などを見渡せる眺めが広がっています。 今回は養護学校の奥から武山へ登り、砲台山を経てオレンジルートを降っていきます。
起 点 横須賀市 一騎塚バス停
終 点 横須賀市 津久井浜駅
ルート 一騎塚バス停…一騎塚…西公園…登り口…分岐1…分岐2…尾根道…武山不動院…武山…武山巻道分岐…通信研究所分岐…砲台山分岐…砲台山…見晴台…オレンジルート分岐…舗装路…休憩所…三浦富士分岐…東光寺分岐…庚申塔群…往生院…津久井浜駅
所要時間 3時間10分
歩いて... 養護学校の奥から続く道は、広くて明瞭な道になっていました。 オレンジルートはハイキングコースとして整備されていますが、傾斜が急な所もありました。 両方とも、過日の台風の影響で、落枝や倒木などが目立ちました。 以前は周囲に樹木が生い茂るばかりだった砲台山は、南側が切り開かれて展望が広がるようになっていました。
関連メモ 武山, 三浦富士, 三浦富士, 武山, 三浦富士, 武山
コース紹介
一騎塚(いっきづか)バス停
衣笠駅(JR横須賀線)を降りて右手へ少し行った所から、線路沿いに続く商店街を進んでいきます。 商店街を抜けた所にある衣笠架道橋の下をくぐった先にある衣笠小学校入口の信号を渡った所に 衣笠十字路バス停があります。 そこから、[衣2]三浦海岸駅行きバス、[須3][衣3]横須賀市民病院行きバス、[須4][衣4]大楠芦名口行きバス、 [須5][衣5]長井行きバス,または,[須8][衣6]三崎口行きバスにて12分、 1時間に5本から10本程度の便があります。
横須賀駅(JR横須賀線)や横須賀中央駅(京浜急行本線)からも、 [須3]横須賀市民病院行きバス、[須4]大楠芦名口行きバス、 [須5]長井行きバス,または,[須8]三崎口行きバスの便が、1時間に6本程度あります。
バス停から10mほど引き返した所にあるY字路を右折していきます。 角には「周辺案内図」が設置されていて、武山ハイキングコースが紹介されています。 以前に来た時にはかなり擦れていましたが、今回は新しくなっていました。 この一騎塚バス停から始まる「一騎塚ルート」とその他の3コースが紹介されていますが、 今回はこの一騎塚ルートとは異なる所から武山へ登っていきます。
武山ハイキングコース案内
一騎塚ルート [つつじの頃は最高] 2時間
一騎塚バス停…(40分)…武山…(40分)…三浦富士…(40分)…津久井浜駅
津久井浜駅を起終点に3山をめぐる一般ルート 2時間10分
津久井浜駅…(20分)…津久井浜観光農園…(30分)…武山…(20分)…砲台山…(20分)…三浦富士…(40分)…津久井浜駅
津久井浜駅を起終点に3山をめぐりYRP野比駅を結ぶルート 1時間45分
津久井浜駅…(20分)…津久井浜観光農園…(30分)…武山…(20分)…砲台山…(20分)…三浦富士…(15分)…浅間神社バス停
*浅間神社バス停からYRP野比駅まで徒歩20分
オレンジルートを利用したルート [果実狩りも楽しめます] 2時間
津久井浜駅…(20分)…津久井浜観光農園…(30分)…砲台山…(20分…武山…(30分)…津久井浜観光農園…(20分)…津久井浜駅
(オレンジルート経由)
Y字路を右折して少し進んでいくと、左手に登っていく坂道が分かれています。 その坂道を登っていくとすぐに一騎塚公園があります。 手前にある小さな広場と、左手の高みが公園になるようです。 脇にはこの一騎塚を詠んだ石田波郷の文学碑と解説板があります。
石田波郷文学碑  緑さす 細田掻きをり 一騎塚
昭和31年5月26日、石田波郷は自ら主宰する俳句結社「鶴」の一行十数人とともの横須賀駅へ降り立ち、 衣笠、武を経由して三崎へ向かった。 碑の句は、その夜の句会での作で、翌年発刊した「春嵐」に収められている。 「鶴」には横須賀支部があったことから、波郷は横須賀の俳人とも交流があり、25年ごろに芦名を訪れている。 波郷は、大正2年3月18日、愛媛県温泉郡垣生村(現・松山市)生まれで、本名は哲夫。 昭和3年、松山中学校4年のときに、同級生・中富正三(俳優・大友柳太朗)の勧めで句作を始めた。 中学校卒業後、五十崎古郷を多雨寝て入門し、写生俳句を学び、波郷の号を与えられた。 7年単身上京し、水原秋桜子のもと、翌8年最年少で「馬酔木」の第1期同人となって俳壇の注目を浴びた。 12年、「鶴」を創刊主宰し、「馬酔木」以外の新興俳句作家とも交遊し、 人間探求派の作家とも呼ばれるようになった。 18年に兵役につく前後から、淋巴腺炎などで病気がちになり、終戦直前の20年6月に兵役免除となった。 21年3月に「鶴」を復刊し、同年9月には総合俳詩「現代俳句」を創刊、編集に当たった。 30年、前年発行の「定木石田波郷全句集」の業績により、第6回読売文学賞を受賞。 44年には藝術選奨文部大臣賞を受賞した。40年以後は、入退院を繰り返すようになり、 44年11月21日、56歳で亡くなった。 主な句集に、「鶴の眼」「惜命」などがある。
一騎塚公園
公園でみなさんが気持ちよく利用するために次のことを守りましょう。
・公園内でバットの使用はやめましょう。
・公園で犬は離さないでください。フンの始末をしましょう。
・公園内の木や施設を大切にしましょう。
・公園内にオートバイを乗り入れないでください。
 (横須賀市)
一騎塚
左手にあるこんもりとした丘が一騎塚になるようです。 高みへ続く石段の登り口には、横須賀市内で最大という青面金剛の石碑が三つ並んでいます。 先ほどの案内図によると「前不動」と云うようです。 斜面にはそれ以外にも小振りの石碑が幾つかありました。 以前には一騎塚の解説板もあったのですが、この時には見かけませんでした。 参考までにその時の内容を載せておきます。 石段の途中から木製の階段が分かれていて、その上にはコンクリート製の祠に不動明王像がありました。 石段を右へ曲がって登っていくと小広場があって、 右側には忠魂碑があり、左側には聖徳太子塔・青面金剛像・庚申供養塔などの石碑が並んでいました。
(画像を左クリックすると、7枚の写真が順次表示されます)
横須賀市指定史跡及び有形民俗文化財 一騎塚
一騎塚の名は、鎌倉時代健保3年(1213)和田合戦の時、 義盛に加勢した武次郎義国が、ただ一騎この地から鎌倉に馳せ参じて戦い、 討ち死にしたのを里人が哀れんで塚を築いて霊を弔ったという伝説に発するとされる。 史跡として指定された一騎塚は、江戸時代から地域住民の信仰結衆の聖地として信仰されていたことが、 塚上・塚裾に建立されている石造文化財によってわかる。 国土安穏・五穀豊穣・村中息災・家運繁栄を祈願する地域住民の庚申供養塔、 家業の繁栄を祈願する左官・大工等の職人衆の聖徳太子塔、武山不動の前不動としての不動明王像、 富士登山信仰を擬する女人・老者の富士信仰地蔵尊像、疫病閑息を祈願する疫神碑がそれである。 このうち、庚申供養塔七基、聖徳太子塔、富士信仰の開闢興樗地蔵尊像、 疫神碑が庶民信仰を物語る有形民俗文化財に指定された。 このように、ここは民俗文化史の上でも貴重な地域住民の信仰の地であるとともに、 造立された石造物により佐島石工の作品としての地域文化を後世に伝える所でもある。
 (横須賀市教育委員会)
一騎塚公園を過ぎて坂道を降っていくと、すぐにT字路があります。 そこを左折して1分ほど進んでいくと、坂道が左手に分かれています。 先ほどの案内図に載っていた「一騎塚ルート」は左手の坂道になりますが、 今回は正面に続く道を進んでいきます。 少し右へ曲がりながら進んでいくと、横断歩道のあるT字路に出ます。 そこを左折して集合住宅などが建ち並ぶ道を進んでいきます。
(左手の道は「三浦富士」, 「三浦富士」を参照)
西公園
少し登り坂になってきた道を進んでいくと、右手への道を分けた先に西公園があります。 入口は有料駐車場になっています。 右側には簡単な遊具が設置された小さな広場、左側の管理事務所の裏手にはテニスコート、正面には野球場がありました。 野球場の右側へ出てみると、右下の武山中学校のグラウンドでは運動会が始まるところでした。
園内では「武山コース」と題した案内図がありました。 この公園を起終点にして、富士見小学校・茶畑橋広場・武山公園・一騎塚公園を巡る3.4kmほどのコースです。 この公園の名前は「西部公園」となっていました。 当初は「西部公園」だったのが、後日に「西公園」へ改称されたのでしょうか。 この図に、養護学校の先から登っていく今回の道が図示されています。
グラウンドでは、各組毎にピストルの音を合図にして、 掛け声と共に周囲から走ってきて中央に整列する競技が始まりました。 全組が集まってから開会式が行われるようでした。 運動会を見ていると、子供の頃を思い出しました。 小学校の時には教室から持出した木製の椅子を周囲に並べて座り、 運動会が終わると椅子の脚を洗ってから教室に持ち帰りました。 親も来てくれて楽しかったように記憶していますが、 中学校になると記録会の性格が強くなって親も来なくなり、つまらなくなりました。
横須賀市の木 おおしまざくら バラ科
落葉の高木。 ヤマザクラに近い種類で関東地方の南部(房総の南部、三浦半島及び伊豆七島)に分布しています。 葉は塩漬けにして、桜餅を包むのに使います。 緑色の若葉が出た後、4月ごろ白い大きな花が咲きます。 オオシマザクラは市内の山に多く野生しています。 市の木は市制施行70周年を記念して、市民の投票により昭和52年2月15日に制定したものです。
登り口
西公園から出て坂道を登っていくと、突き当りに西公園の駐車場がありました。 その手前を道なりに左へ曲がっていくと武山養護学校があります。 入口を過ぎて道なりに右へ曲がり、白いガードレール沿いに坂道を登っていきます。 森の手前まで来ると、左右への道を分けた所から山道が始まります。 ここが武山への登り口になります。 公園に立ち寄っていたこともあって、一騎塚バス停から27分ほどで着きました。 入口には小さな手製の標識が立っていて、「自然道口 上へ←」となっていました。 標識に従って山道へ入っていくと、すぐに左手から登ってくる石段があります。 その先へ続く広めの山道を進んでいくと、右へ曲がっていく角にも、 左手から登ってくる急な石段があります。 それらの石段の下には、特別養護老人ホーム「横須賀愛光園」が見えていました。
火の用心 Fire Hazard Awareness
 (横須賀市南消防署)
二つの石段の先に続く山道を登っていきます。 山道にしては広くて明瞭に続いていましたが、過日の台風の影響なのか、落枝や倒木が目立ちました。 落ち葉も結構積もっていて、浅くU字形に窪んだ所もあったりもしますが、概ねは歩き易い道になっていました。 しかし、あまり歩かれていない道のようで、時折顔に蜘蛛の巣がかかるので、 手頃な枯れ枝を拾って前にかざして振り払いながら登っていきました。 途中では、武山養護学校の名前がある「ポスイ捨て禁止」や 「緑を守ろう」と書かれた小さな標識もありました。 養護学校の野外学習などで使われているコースなのでしょうか。
野鳥を大切に
野鳥を捕るには許可が必要です。あなたは?
 (神奈川県)
右・左と曲がりながら登っていくと、土留め柵が左上の方に続くようになります。 それを眺めながら登って柵と同じ高さになると、その上の方に小屋が幾つかありました。 テーブルやリヤカーなども置かれていたので、森の手入れをするための作業小屋でしょうか。 道はそれらの小屋を右手から巻くようにして左へ曲がっていきます。 手元の地形図では道が鋭角に曲がっている辺りになります。
分岐1
傾斜が緩やかになった広めの山道を進んでいくと、左側の樹木が少なくなって、 山並を見渡せる所がありました。 そこを過ぎていくと、右側に鉄柵で囲われた一画がありました。 左右にある小屋を眺めながらその先へ進んでいくと、左手に分かれていく道がありますが、 入口には「行き止まりです」と書かれた板が取り付けられていました。 手元の地形図では、道が鋭角に曲がっている所の北東100mほどの所にある短い道が分岐している所になります。 試しに左手の道を覗いてみると、少し降った所に木が積まれたような柵があって、 道はそこで行き止まりになっていました。
分岐2
左手の道を見送ってその先へ進んでいきます。 緩やかな道を進んでいくと左手に道が分かれて行きますが、少し先で行き止まりのようでした。 その道を見送っていくと、左手に柵で囲まれた畑地がありました。 そこを過ぎて軽い登り坂になってきた道を進んでいくと分岐があります。 手元の地形図では、先ほどの分岐1の北東80mほどの所にある分岐で、角には小屋や看板がありました。 正面に続く道の方が広くなっていますが、少し先の畑地で行き止まりのようでした。 標識のような物はないかと探していると、 分岐の角に斜めに生えている樹木の根元に、壊れた標識がありました。 うつ伏せに倒れていたので元の形を崩さないよう慎重に起してみると、 右手の小尾根に登っていく方の道に矢印が向いているようだったので、ここは右手の道を進んでいきました。
この付近一帯は、武山近郊緑地特別保全地区に指定されており、 建築物、工作物の新築、改築、増築、土地形質の変更、木竹の伐採行為をするときは、許可がいります。 違反すると処罰されます。
 (横須賀市緑政部緑化推進課)
尾根道
左手に電柱やテレビアンテナなどを眺めながら登っていくと草深くなってきました。 登り口からここまでには草が覆っている所はなかったので、 急にどうしたのだろうかと思いながら進んでいきました。 倒木の下をくぐったり草を掻き分けながら進んでいくと、1分もせずに草は少なくなりました。 その先へ進んでいくと広い舗装路に出ました。 この道はバス停の近くの案内図に載っていた一騎塚ルートが通る尾根道になります。 登り口から20分ほどで登って来られました。 出た所には最初にあったのと同様の標識が立っていて、 今来た道は「自然道口 →下へ」となっていました。
(この舗装路は小型車なら通っていける幅があって、武山の山頂まで車で行くことが出来ます)
広くて快適になった舗装路を右手へと進んでいきます。 少し左へ曲がった先を右へ曲がり始めて高みの傍まで来ると、 山際に「武山のなまけもの」の貼り紙があります。 山側を探してみると、少し上の所に、木にしがみつくナマケモノに似た瘤がありました。 そう言われればナマケモノに見えるようにも思えました。
山歩く 心にいつも 火の用心
 (神奈川県)
竹柵・擬木柵・竹柵と過ぎていくと、左へ曲がっていく角から高みへ山道が分かれています。 右手の尾根にも踏み跡が分かれていました。 手元の地形図では、武山の100mほど西にある曲がり角から南南西に道が分かれている所になります。 このまま舗装路を登っていくとすぐに武山に着きますが、 今回は左手にある庚申塔の脇から続く山道を登っていきました。 庚申塔には三猿が彫られ、側面には「貞亨五年戌辰十月廿一日」の年号が刻まれていました。 貞亨5年(1688)と云えば江戸時代の中期からある庚申塔のようです。
武山不動院 (標高202m)
すぐの所にある個人宅の墓地を過ぎて急坂を登っていくと武山不動院の境内に着きました。 尾根道に出た所から5分ほどで登って来られました。 右手には「大栄講」、左手には「海上安全 隠岐国焼火山窩」などの石碑が並んでいました。 本堂の正面の柱には、右側に「東国花の寺 百ヶ寺」、 左側に「干支守霊場 西歳の寺」と書かれた看板が付いていました。 手前の右手には鐘楼があり、左手の手水舎の奥には滝不動尊も祀られていました。 この先の展望台のある所よりもこちらの方が僅かに標高が高く、 「武山不動院本堂 武山最高地点202m」と書かれた板も見かけました。
武山不動尊縁起由来
当山は浄土宗龍塚山持教寺不動院と称します。 武山は昔日本武尊が弟橘比売命妃と共に御登りになられたので其の名がつけられたと謂はれ、 又、三笠宮、浩宮様方も学習院に在籍中は御遊覧にお登りになられた由緒ある歴史を持っております。 抑も当不動尊は、後小松帝の御写応永四年(1397)奈良東大寺門萬務大阿闍利が諸国行脚の折、 当地に立寄り創建したもので、国家安全・萬民福利を祈願とする道場として一刀三禮感応の霊場、 霊作たる不動明王を安置し奉り、三浦半島の総鎮守として霊場一番の札所であります。 当山の標高は海抜二百米余の高燥の地位を占め、空気清浄閑雅にして、 遠くには雄大なる太平洋をのぞみ、近くは霊峰富士の山を控え、眺望絶佳なるをもって 善男善女紳士淑女学生団体の参拝あり。 又、航海者漁夫達の目標の場所として特に篤い信仰を寄せられております。
 (龍塚山持教寺武山不動院)
本堂の右手には、武山稲荷大明神の赤い祠があります。 その前隣りには身代り不動尊筆塚などがあります。 不動尊は老木の洞の中に安置されています。 石柱を刳り貫いた中に置かれて、10cmほどの大きさでした。
身代り不動尊・筆塚由来
江戸末期文化の頃、豪雨の中、本堂脇のオオキの大木に落雷。 大木は真二つにさけ、焼焦げとなりました。 御本尊、御本堂も無事なるを見た人々は、御身代りと唱えました。 その大木、年代を経て芽を吹き、青き葉、枝をささえ、その旺盛なる力に感動し、 参拝の有信者が手を合わせ、身代の不動尊と唱え、これをまつりました。 合掌
筆塚
人は皆筆により智を幸を知る。その筆に感謝し、成長することを念じ、 ここに筆塚を信者の賛同御寄附を得て建立されました。 合掌
 (龍塚山持教寺武山不動院)
境内には、壁がなくて風通しの良い絵馬堂もありました。 絵馬はほとんどが割り竹になっていましたが、木板のもありました。 色々な願いが書かれているようでした。 色付きの立派な帆掛け舟の絵が描かれた絵馬や、 東日本大震災への鎮魂の辞「その筈だった」という絵馬もありました。
祈りをこめて軽く粛かに撞いてください 合掌
絵馬は250枚を超えました。 カビで読めない絵馬から順に御祈祷しお焚上げしております。
 (龍塚山持教寺武山不動院)
並行する石段と坂道を降っていくと、寺務所の前に子安地蔵尊があります。 その奥には、お札・お守り・おみくじ・のぼり旗などを受け付ける場所がありました。
右手には、先ほどの庚申塔のある所から続く舗装路が登ってきています。 他の「東門」や「南門」との位置関係からすると、「西門」と呼んでも良さそうに思えますが、 石門にはそのような表記はなくて、「浄土宗龍塚山持教寺不動院」の札が取付けられているだけです。 他の門とは違って、麓から車でも登って来られるので、 「西門」ではなくて「表門」の位置付けなのかも知れません。
武山子安地蔵尊
お地蔵さまは、左手に宝珠、右手に杓杖をもち、衆生を救い、 慈悲の心の大切さを教えられている菩薩さまであります。 賽の河原で童子の救主として有名であります。 この子安地蔵尊は、子授、安産、また幼なくして他界された霊の菩提をとむらい、 子供のすこやかなる成長を願って建立されたものであります。 合掌
横須賀風物百選 武山初不動
初不動は、例年1月28日で、縁日商人や近在の善男善女でにぎわっています。 ここに至る参詣道は、南武、一騎塚、須軽谷、北下浦と四方にあります。 それらの登山口には、必ず前不動と呼ばれる不動明王像が立っていて、参詣人の案内役を勤めます。 不動明王は、大日如来が一切の悪魔を払うために変身された姿で、 災害を覗き財宝を得る功徳があると言われています。 とくに、武山不動尊は、航海安全の浪切不動として広く知られ、漁業関係者から厚く信仰されています。 沿岸漁業者にとっては、この山頂が魚場を定める基準として、あるいは、 港の方向を知る標準として欠かすことのできないお山であったことも信仰を深めた一因と思われます。 「武山の不動さん」と親しまれているこの寺院の正式名称は、「龍塚山持経寺武山不動院」で浄土宗です。 ここの安置される不動尊は、後小松天皇の御代、応永4年(1397)に奈良東大寺の 沙門万務大阿闍利が、諸国行脚の途中に、現在の南武にあった持経院に立ち寄り、 高さ三尺九寸(約117センチメートル)の不動尊を彫刻して本尊としたものです。 その後、修験僧讃与見随が、この山頂に移したと伝えられています。 この山頂には、オオムラサキ、博多白、妙義山のツツジが約2000本あり、 毎年4月下旬に「武山つつじ祭」が行われます。また、この山頂は、一騎塚から現在地を経て 砲台山、三浦富士、津久井に至るハイキングコースの一拠点でもあります。
子安地蔵尊を過ぎていくと、広場のようになっています。 正面にある公共施設案内板に「武山ハイキングコース」が紹介されていますが、 一騎塚バス停の傍にあったのと同様の内容になっていました。 その奥の一段高い所に展望台があります。 コンクリート製の建物で、二階建てになっています。 この建物の名前なのか、外壁には「AZALEA HOUSE」の文字がありました。 一階はガランとしていて、テーブルやベンチが設置されている以外には何もありません。 以前には壁一面に自然などに関する資料が沢山掲示されていましたが、この時にはすべてなくなっていました。
横須賀都市計画武山近郊緑地特別保全区域
首都圏武山近郊緑地保全区域
緑色の地区は、都市計画法に基づく風致地区です。 オレンジ色斜線区域は、首都圏近郊緑地保全法に基づく近郊緑地保全区域です。 紫色の地区は、近郊緑地特別保全地区です。 これらの区域内で、建物の新築、増築、改築、石積、よう壁、屋外広告物等の工作物の設置、 宅地や農地の造成、土石類採取等、土地形質の変更、木竹類を切る場合は、 あらかじめ市長の許可を受けるか届出が必要です。
 (横須賀市土木みどり部緑地管理課)
武山 (標高200m)
展望台に登ってみると、360度の大パノラマを堪能できます。 海に突き出すようにして伸びる三浦半島の左手には東京湾が広がり、 その奥には房総半島がすぐそこに見えています。 右手には相模湾があり、その沖には伊豆大島が見えています。 これから向かう砲台山にある電波塔もよく見えていました。 一階の屋上にはここから見える場所を記した石があります。 それによると、東から順に、富津・武山富士・房総半島・東京湾・三浦海岸・鋸山・三浦市・大島・伊豆半島・荒崎・相模湾・富士山となっていますが、 曇っているためか樹木に隠れているのか、この時には富士山は見えませんでした。 車で登ってきた人達が大挙して展望台に詰めかけていました。 「タカの渡り」を観察しているようで、超望遠レンズを付けた一眼レフカメラを三脚に乗せて、 タカが飛んでくるのを双眼鏡で探しながら待っていました。
(画像を左クリックすると、8枚の写真が順次表示されます)
タカの渡り観察中
有志で秋のタカの渡りを観察しています。 日本で繁殖し、越冬のため南西諸島や東南アジアなどへ渡っていくサシバなどのタカ達です。 展望台をご利用の近隣の方々や、観光客の皆様には、ご迷惑かと存じますが、 なにとぞご理解くだしますよう、お願いいたします。 1992年以来、有志で細々と毎年観察を続けてきましたが、 近年、インターネットの普及に伴い、武山でのタカの渡りが注目されるようになり、 東京や近県などからも観察や写真撮影に訪れる方が増え、 9月中旬から10月初旬の渡りのピーク時じは、展望台が混雑することがあります。 観察目的以外の方々にはご迷惑かと存じますが、どうぞご遠慮なく、展望台へお上がりください。
併せて30分ほど居た武山から砲台山へ向かっていきます。 右手の先には「武山不動院南門」、左手には「武山不動院東門」がありますが、 砲台山へは東門から出ていきます。 出口には道標が立っていて、東門の先へ続く道は「三浦富士・砲台山」、 南門の先へ続く道は「津久井観光農園」、今来た道は「一騎塚」となっています。 金網柵沿いに進んでいくと、左手には防衛省の電波塔、右手には横須賀市消防無線中継局があります。
武山巻道分岐
金網柵が終わった先から始まる横木の階段を降っていきます。 道に沿ってツツジの木が植えられていて、季節になると綺麗に彩られる所ですが、 この時には花は咲いておらず、青葉が鬱蒼と茂るばかりでした。 擬木で出来た横木の階段はしっかりとしていますが、 間の土が流れ出していて、足を高く上げないと歩き難くなっていました。 過日の台風で倒れたと思われる木が道を塞いでいたりもしました。 階段を2分ほど降っていくと分岐があります。 角には2本足の「武山ハイキングコース」の道標が立っていて、右手の道は「津久井浜観光農園」、 左手の道は「三浦富士」、今降って来た道は「武山」となっています。 右手の道は武山の山頂を巻いて、南門から降ってきた道へ合流していますが、 ここは左手に続く横木の階段を更に降っていきます。
通信研究所分岐
階段を3分ほど降っていくと広い尾根道になってきます。 根元から幹が分かれた大木の袂を過ぎていくと分岐があります。 角には2本足の「武山ハイキングコース」の道標が立っていて、正面の道は「三浦富士」、 左手の道は「この道はコースではありません」、今来た道は「武山」となっています。 左手の道は地形図に載っている道で、通信研究所南門の辺りへ降りていかれそうです。 まだ歩いたことのない道なので興味はありますが、今回は正面の道を砲台山へと向かっていきます。
後日に左手の道を歩きました。(「武山」を参照)
広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 倒木を越えて進んでいくと、電柱が立っている辺りから登り傾斜が増してきます。 岩が剥き出していたりもしますが、それほど歩き難くはありません。 程なくして横木の階段を真っ直ぐに登るようになります。 武山から降って来た時の階段とは少し作りが違っていて、ここの階段は歩き易くなっていました。 40秒ほど登って階段が終わると、脇にコンクリート製の水溜のようなものがあります。 道はそこで右折して、僅かな段差を過ぎてその先に続く緩やかになった道を進んでいきます。
砲台山分岐
広い道を1分ほど進んでいくと小広くなった所に出ます。 ここから左手へ戻るように道が分かれています。 角に立つ道標によると、正面の道は「三浦富士」、左手の道は「砲台山」、 今来た道は「武山」となっています。 武山から20分ほどの所になります。 正面から左手に曲がっていく道は見晴台を経て三浦富士へ続いていますが、 今回は左手の上にある砲台山へ立ち寄っていくことにしました。
高みを左手から巻くようにして続く緩やかで広い道を進んでいきます。 台風の影響で樹木が道に倒れていたりもしますが、何とか通っていけました。 1分半ほど進んでいくと、右手の高みへ登っていく細い道が分かれています。 砲台跡へ登っていく近道ですが、戻りに歩くことにして、このまま広い道を進んでいきました。 すぐの所にコンクリート製の大きな柱が二本並んで立っています。 現在では使われていないようですが、先の大戦の頃の施設の一部だったように思えます。
砲台山 (標高204m)
広い道を右へ曲がりながら進んでいくと開けた高みに着きました。 ここが砲台山で、今回のコースの最高地点になります。 武山から24分ほどで到着しました。 右手には第三管区海上保安本部の武山中継所があります。 ソロバン玉のような形のパラボラアンテナが幾つも取り付けられた電波塔が立っていて、 山の名前にもなっている砲台跡よりも目立っています。 中継所のすぐ先に、砲台の台座の跡の大きな窪みがあります。
以前は砲台山の周囲には樹木が生い茂っていて展望は得られませんでしたが、 この時には南側が切り開かれていて、 三浦半島の先端部から武山の山頂にかけてを見渡すことができました。
(画像を左クリックすると、6枚の写真が順次表示されます)
火の用心 Practice Fire Prevention
 (横須賀市南消防署)
見晴台
砲台跡の先に続く道へ入っていくと、すぐに道が二手に分かれていますが、 正面に続く緩やかな道は見送って、右手の急坂を降っていきます。 かなり傾斜があるので滑らないよう注意しながら降っていくと、 登ってきた時に確認した分岐に降り立ちます。 そこから来た道を砲台山分岐まで引き返していきます。 往復15分ほどで元の尾根道に戻って、道標「三浦富士」に従って進んでいきます。 広くて緩やかな尾根道を1分ほど進んでいくと見晴台があります。 南側が開けていて、三浦海岸や三浦半島の先端部やその先の房総半島や伊豆大島などを一望できる所ですが、 この時は生憎の曇り空とあって良く見えませんでした。
ゴミや空カンなどを崖下に投げたり、まわりに捨てないようにしましょう。
 (横須賀市)
オレンジルート分岐 (標高164m)
見晴台を後にして尾根道を3分半ほど進んでいくと、左へ曲がっていく角が少し広くなっています。 ここから急な山道が右へ分かれて降っていきます。 脇には「武山オレンジルート観光案内図」があります。 三浦富士から武山へ至る稜線とその南側に広がる津久井浜観光農園がイラスト風に描かれています。 山側には標柱が立っていて、今来た尾根道は「見晴らし台・武山」となっています。 三浦富士へはこのまま尾根道を進んでいくのですが、 今回は右手のオレンジルートを降っていきます。 入口には標柱が立っていて、「観光農園案内所 至る津久井浜駅」となっています。
三浦富士への道は「武山」, 「三浦富士」, 「三浦富士」, 「武山」, 「三浦富士」, 「武山」を参照)
武山オレンジルート
津久井浜の自然を生かしたハイキングコースが出来ました。 名付けて「オレンジルート」。農園の四季をみなさまでお楽しみ下さい。
収穫シーズン
・みかん狩り10〜11月
・さつまいも堀り9〜10月
・落花生堀り9〜10月
・津久井浜メロン7月
・じゃがいも堀り5〜6月
・いちご狩り1〜5月
 (横須賀市)
擬木の手摺が設置された急坂を降っていきます。 最初はかなり傾斜がありますが、1分もせずに緩やかになってきます。 幅は普通の山道程度になりますが、ハイキングコースとして整備されていて、歩き易くなっています。 緩やかになった道を歩き始めると「この地点は標高150mです」の標柱が立っていて、 オレンジルートが図示されていました。 それによると、尾根道にあった「オレンジルート分岐」の地点は標高164mとのことです。 イラスト風になっていて、道を探すのにはあまり役立ちそうな図ではありませんが、 舗装路に降り立つまでに分岐はないので、迷うようなことはありません。 標柱を過ぎていくと、すぐの所に解説板がうつ伏せに倒れていました。 起してみると「武山オレンジルート」と題して小鳥が紹介されていました。
武山オレンジルート [自然環境・鳥類]
三浦半島は温暖な気候のため、数多くの鳥類を見うけることができます。 この武山ハイキングコースは、大楠山コースとならび豊かな自然に囲まれているため、 ハイキングを楽しみながら、いろいろな鳥たちと出会うことでしょう。
ヒヨドリ 全身灰色で木の実を好み、時には野菜や果樹に被害を与えることもある。体長28cm
コゲラ 黒と白の模様をした小さなキツツキ類。樹木に穴をあけ虫を探して食べる。体長14cm
アカハラ 胸と脇が橙色でメスはやや色が淡い。体長25cm
エナガ 背にワインレッドの羽を持った、尾の長い城っぽい小鳥。体長14cm
シジュウカラ 胸に黒いネクタイのような模様と白い頬、白い1本の翼帯がある。体長15cm
 (横須賀市)
解説板を過ぎて雑木林に続く道を快適に進んでいきます。 張り出した木の根が階段状になっている所があったりもします。 解説板から2分ほど進んで降り傾斜が少し増してくると、再び擬木の手摺が設置されています。 道端の樹木には解説文を書いた小さな板が取り付けられていますが、 文字が消えかかって読めないものも結構ありました。 手摺が終わった先を鋭角に左手へ曲がっていくと、「武山オレンジルート」と題した解説板がありました。 先ほどの倒れた解説板から4分ほどの所になります。 ここの解説板はしっかりと立っていて、体力測定について書かれていました。
武山オレンジルート [体力測定]
武山オレンジルートの名称の由来は、武山から三浦富士のほぼ中間地点から観光農園まで直結した、 ルート周辺のみかん畑にちなんで、名前がつけられました。 このルートは最大傾斜角20度もある坂道なので、 ここまで来られたみなさんの中には心臓ドキドキ、脚はガタガタに方もいらっしゃることでしょう。 そこで今から、体力測定をしてみましょう。
【登り坂】 脈拍数/30秒間 (数字は目安です)
20以下 よく体を鍛えています。⇒ いっきに登って、すばらしい景色を楽しんでください。
21〜49 普通です。⇒ ゆっくりハイキングを楽しんでください。
50以上 運動不足です。⇒ ひと休みしてください。
【下り坂】 呼吸数/30秒間 (数字は目安です)
40以上 運動不足です。⇒ まだ坂道が続きます。足元に気をつけてください。
21〜39 普通です。⇒ 休憩所でひと休みしてください。
20以下 立派です。⇒ 観光農園までいっきに下れます。太鼓判!
 (横須賀市)
コナラ
クヌギとともに雑木林を代表する木で、シイタケをつくる原木にすることで有名です。
スダジイ
横須賀でも自然の多く残された常緑樹の森に多くみられます。秋になる実は食べられます。
解説板を過ぎて1分ほど進んで右手へ曲がる所まで来ると、降り傾斜が増してきます。 そこにも擬木の手摺が設置されていました。 かなり傾斜のある坂道を右・左と小刻みに曲がりながら降っていきます。 降りはまだしも、登るのは疲れそうだと思いながら降っていくと、 左手へ曲がる角に「この地点は標高100mです」の標柱が立っていて、 先ほどと同様のオレンジルートが図示されていました。
標柱を過ぎて、傾斜の急な坂道を更に降っていきます。 擬木の手摺が設置された所を過ぎていきます。 過日の台風の影響なのか、道には小枝や青々とした葉が沢山落ちていました。 次第に緩やかになってきた道を降っていくと、道には笹竹が生い茂るようになりました。 掻き分けながら進んでいくと、「武山オレンジルート」と題した解説板がありました。 先ほどの倒れた解説板から4分半ほどの所になります。 ここの解説板もしっかりと立っていて、樹木について書かれていました。 右側が少し開けていて、畑地や民家のある丘の向こうには海面が広がり、その奥には薄らと山並も見えていました。
武山オレンジルート [自然環境・樹木]
三浦半島は温暖な気候のため、数多くの樹木を観察することができます。 この武山ハイキングコースは、大楠山コースとならび豊かな自然に囲まれているため、 ハイキングを楽しみながら、さまざまな樹木と出会うことでしょう。
イイシマザクラ 3月下旬〜4月上旬、鮮緑色の新葉と同時に、直径3〜4cmの白くて香りのある花が3〜4個散房状に咲く。横須賀市の木です。
モチノキ 果実は直径約1cmの球形で赤く熟し、鳥がよく食べる。樹皮から染料や鳥もちをつくる。
カクレミノ 葉は互生し、卵形または倒卵形で表面は光沢があり、ろ脈が目立つ。
コナラ 樹皮は灰黒色で、縦に不規則な裂け目がある。シイタケの原木として使用される。
トベラ 葉の表面は深緑色で光沢があり、枝や葉、根に臭気がある。
 (横須賀市)
舗装路
解説板を過ぎていくと、また降り傾斜が増してきます。 尾根をどんどん降っていくと、右下には小広場にある休憩所が見えてきました。 そこを過ぎて道なりに更に降っていきます。 やがて正面が明るくなってくると、コンクリ−ト製の階段を降った所で、左右に通る舗装路に出ました。 先ほどの解説板から2分ほど、「オレンジルート分岐」から14分ほどで降りて来られました。 降り立った所は傾斜地の畑地になっていて、ミカンが沢山植えられていました。 右手の山の上には、先ほど登ってきた砲台山の電波塔が見えていました。 正面に標柱が立っていて、今降って来た道は「オレンジルート 見晴し台」となっています。 左右の道は何も書かれていませんが左手へ降っていきます。 ミカン畑沿いに降っていくと、程なくしてT字路に突き当ります。 角には標柱が立っていて、右手の道は「観光農園案内所 至る津久井浜駅」、 今来た道は「オレンジルート 見晴し台」となっていました。 左手の道はその先の畑で行き止まりのようなので、案内に従って右手へと降っていきます。
休憩所
畑地の中に続く傾斜の増してきた坂道を降っていくとT字路に出ます。 その角にも標柱が立っていて、左手の道は「観光農園案内所 至る津久井浜駅」、 今降って来た道は「オレンジルート 見晴し台」となっています。 案内に従って左折していくと、程なくしてY字路があります。 その脇にも標柱が立っていて、右手の道は「観光農園案内所 至る津久井浜駅」、 今降って来た道は「オレンジルート 見晴し台」となっています。 案内に従って右手の道を進んでいくと休憩所がありました。 先ほど降ってくる途中で見えていた所で、舗装路に降り立った所から6分ほどで着きました。 ここにも尾根道にあったのと同様の「武山オレンジルート観光案内図」がありました。 四角錐の形をした屋根の休憩所には、自然木を板状にしたテーブル・ベンチが設置されていて、 「昭和61年度ふれあいの里づくり事業」と書かれた板が掲げられていました。 振り返ると、砲台山の電波塔がよく見えていました。
休憩所を過ぎていくと十字路があります。 角にはこれまでと同様の標柱が立っていて、左手の道は「観光農園案内所 至る津久井浜駅」、 今来た道は「オレンジルート 見晴し台」となっています。 脇には「横須賀風物百選 みかん園」の標柱もありました。 また大きな「津久井浜観光農園案内図」もあって、この一帯の道が図示されています。 先程来の「観光農園案内所」も載っているので参考になります。 十字路を左折して温室の横を過ぎていくと、次の温室の手前から左手に分かれていく道があります。 案内図によると、観光農園案内所へは正面の道を進んでいくのですが、 今回は左手の道を通って津久井浜駅へ向かうことにしました。
三浦富士分岐
温室の左脇を進んでいくと、休憩所の手前のY字路を直進してきた道に出ます。 そこを右折していきます。 左手に分かれていく道を見送っていくと、道が右前方へ分かれていますが、正面の坂道を登っていきます。 すぐに左手へ道が分かれていきますが見送って、そのまま坂道を登っていきます。 ミカン畑の脇を登っていくと緩やかな道になってきます。 白いガードレールが現れて右手から登ってくる道を併せてその先へ進んでいくと、丘の上の道に出ました。 角には道標が立っていて、左手の道は「三浦富士・武山」、 右手の道は「津久井浜駅」、今来た道は「オレンジルート」となっています。 左手すぐの所には、先ほども見かけた「津久井浜観光農園案内図」がありました。 見覚えのある所だと思っていると、8年ほど前に津久井浜駅から三浦富士へ登っていった時に通った道でした。
東光寺分岐
道標に従って、丘の上に続く道を右手へ進んでいきます。 金網柵で囲われた広い敷地や建物を過ぎていくと降り坂になってきます。 畑地からの道や左手から降ってくる道を併せて進んでいきます。 民家を過ぎていくと左手に分かれていく道があります。 角の斜面には墓地が広がっていました。 墓地の奥の方には東京湾が広がっていて、対岸の房総半島も薄らと見えていました。 先ほどの案内図によると、墓地の下の方に東光寺があるようですが、 今回は立ち寄らずに真っ直ぐ進んでいきました。
庚申塔群
野菜畑を過ぎて、作業場の脇を降っていきます。 倉庫代わりに使われているのか、道端には貨車が幾つか置かれていました。 そこを過ぎて少し左へ曲がりながら進んでいくと二車線道路に出ました。 休憩所から17分ほどの所になります。 道路向かいには、「青面金剛」,「青面金剛供養塔」,「馬頭観世音」,「庚申供養塔」,「猿田彦大神」,「大青面金剛」 などの石碑を収めた場所が二つ並んでいました。 耕地整理や宅地開発などが進められる中にあって、 この地区に散在していた石碑をここに集めたのでしょうか。 角には道標が立っていて、右手の道は「津久井浜駅」、今来た道は「武山・三浦富士」となっていますが、 今回は道路向かいにある庚申塔群の間に続く道を進んでいきました。
坂を少し登っていくと、すぐに丘の上の畑地に続く緩やかな道になります。 右手の民家への道や左手に分かれていく道を見送って、道なりに進んでいきます。 青いネットで囲まれた畑地にある温室を過ぎていくと降り坂になってきます。 左手に登っていく階段を分けて道なりに右へ曲がりながら降っていくと、左右に通る道に出ました。 左側にある温室にはいちご狩り組合の「31号園」の板が取り付けられていて、 「原定農園」の大きな看板もありました。 イチゴが1月〜5月上旬、メロン・カボチャが6月中旬〜7月上旬、 メロンが6月下旬〜7月中旬、ミカンが10月〜12月とのことでした。 左角に立つ電柱には「牛込支右1/16」や「狩浜310」の標識が取り付けられていました。 正面には飲物の自動販売機が並んでいたので、喉を潤しながらひと休みしていきました。
往生院
道路を左手へ進んでいきます。 すぐの所から右手へ分れていく道を見送っていくと、少し降り坂になってきた左側に石段がありました。 その入口には「箕輪山往生院」の看板が出ていたので立ち寄っていくことにしました。 10段ほどの石段を登っていくと、脇に解説板が設置されていました。 その先に現れる石段を更に登っていくと小さな畑地の脇に出ます。 その先へ進んで石段を登ると墓地になっていて、その奥に往生院の本堂がありました。 庚申塔群から12分ほどの所になります。 卒塔婆で囲まれた一角には、子供を抱いた姿の水子供養地蔵尊が立っていました。
横須賀市指定重要文化財 阿弥陀三尊像
箕輪山往生院は、浄土宗で永禄元年(1558)の開創と伝えられ、 三浦七阿弥陀の第六番といわれる阿弥陀三尊を本尊とする。 中尊阿弥陀如来は、上品下生の来迎印を結び、観音勢至の脇待菩薩は、 わずかに膝を屈折して前かがみの姿勢をとる、いわゆる三尊来迎の形姿をあらわす。 像高は中尊99.2センチ、両脇待は各60センチで寄木造り、玉眼を入れる。 胎内等に墨書があり、永禄元年八月朔日に大仏師長勤によって造立されたことがわかる。 長勤は鎌倉仏所に属する仏師で法眼位にあり、当時広く活躍していた著名な仏師であった。 像は時代の特色を顕著にあらわしており、制作年代、作者等が明確な、 資料的に優れた室町期の仏像である。
 (横須賀市教育委員会)
おれがおれがの 我をすてて おかげおかげの げでくらせ
本当のことが わからないと ほんとうでないものを 本当にする
 (箕輪山往生院)
往生院から引き返してその先へ進んでいくと、右側に「津久井第2市民農園」の看板が立つ畑地が広がってきます。 左側にある横須賀津久井郵便局を過ぎていくと、津久井川に架かる小橋を渡っていきます。 その右手にも畑地が広がっていて「津久井市民農園」の看板が立っていました。
津久井第2市民農園
この市民農園は、農業環境総合整備事業により整備しました。 市民の皆様が土と緑に親しみ、収穫の喜びと通じて、 都市近郊農業の生産と消費に対する理解を深めていただくために設置しました。
 (横須賀市経済部農林水産課)
準用河川 津久井川
きれいな川は、私たちの幸せな暮らしを支えています。
 (横須賀市)
津久井浜(つくいはま)駅
農園を過ぎていくと、左手へ曲がっていく所で、細めの道が右手から合流してきます。 その道を併せて線路の高架下を過ぎていくと、右手の奥に津久井浜駅(京浜急行久里浜線)があります。 往生院から7分ほど、休憩所から40分ほどで到着しました。
改札口の手前の右手から高架下を過ぎ、正面にある鳥居の先の石段を登っていくと浅間神社があります。 右側には立派な鳥居の立つ金毘羅神社があります。 由緒書きにある稲荷神社と思われる赤い鳥居の立つ石祠もあり、中には狐像が納められています。
浅間神社由来
御祭神 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 縁結び・安産・子育ての守護神
社伝によると聖武天皇の天平年中(729〜748)に僧行基(奈良大仏建立勧進の高僧)が当郷に来り、 駿河国の浅間神社を勧請し祀ったとある。 そこは津久井と長沢の奥にあって高くそびえる浅間山の山頂である。 この山は海上からよい目標となり漁場の位置や東京湾に出入りする船のよい目印とすると共に 信仰の対象になっている。 後に富士山と呼ばれ人々から崇められるようになってきた。 当社の奥宮は今も山頂に鎮座している。 毎年7月8日山頂にて「お焚き上げ」の神事が盛大に行われ、 家内安全・大漁・海上安全・五穀豊穣・病気平癒・交通安全等を祈願する人で賑わう。 当社殿は当初「富士入」にあったが、昭和3年11月現在地に移転鎮座され、毎年7月7日例祭が行われている。 夏祭り(八雲祭)は昭和40年代以前は7月7・8日に行われていたが、現在は8月下旬の土・日曜に行われている。 当社の境内社として金毘羅神社と稲荷神社が祀られている。 明治41年12月神奈川県令で神社が合祀され、御祭神は相殿に祀られた。
八坂神社 祭神 素盞鳴尊 横手
日枝神社 祭神 猿田彦命 川尻
御霊神社 祭神 稲荷神 安戸