常磐山緑地
散策:2011年09月上旬
【街角散策】 常磐山緑地
概 要 常磐山緑地は鎌倉三大緑地のひとつで、源氏山と鎌倉山の間に位置する常磐山にある緑地です。 特別緑地保全地区にも指定され、二次林を主体とした樹林地です。 今回は梶原4丁目と常磐地区の境界の尾根道を歩いていきます。 常磐地区へ降って大仏ハイキングコースへ登り、源氏山公園から北鎌倉駅へ降っていきます。
起 点 鎌倉市 湘南深沢駅
終 点 鎌倉市 北鎌倉駅
ルート 湘南深沢駅…登り口…山道入口…八雲神社分岐…研究所跡地分岐…常磐地区…登り口…北条氏常磐亭跡…大仏ハイキングコース…源氏山公園…日野俊基墓…葛原岡神社…天柱峰…鞍部…浄智寺…東慶寺…北鎌倉駅
所要時間 2時間50分
歩いて... 梶原4丁目と常磐地区の境界に続く尾根道は、不明瞭になることもなくしっかりと続いていました。 途中には分岐道もありましたが、全体的には分かり易い道になっていました。 季節柄、夏草が生い茂る所があったり、蜘蛛の巣が顔にかかったりもしましたが、 息が切れるような急傾斜の所はなく、冬枯れの季節には歩き易くなるように思えました。
関連メモ 六国見山, 化粧坂, 鎌倉回峰, 台峯緑地, 源氏山公園, 台峯緑地, 大仏切通, 鎌倉七福神
コース紹介
湘南深沢(しょうなんふかさわ)駅
湘南深沢駅(湘南モノレール)から歩いていきます。
道路に降りた所の横断歩道を渡った所にあるコンビニの右手に続く路地へ入っていきます。 100mほど進んだ所の少しずれた十字路を直進していくと新川沿いの道に出ます。 そこを左折して川沿いの道を進んでいきます。
鎌倉三大緑地は鎌倉市の市街化区域に残された大規模な緑地で、 常磐山緑地、広町緑地、台峯緑地の三つがあります。
常磐山緑地(20.5ha)
歴史的風土特別保存地区と地形的一体性をもつ大規模樹林地であり、 コナラ、エノキなどの二次林を主体とした良好な自然環境を有する。 また、景観的にも市街地の背景をなす緑地として重要な役割を果たしている。
広町緑地(48.1ha)
市域に残る数少ない谷戸の自然的環境を残す大規模樹林地であり、 二次林が主体をなすが、スダジイ萌芽林等の貴重な植物群集がみられる。 また、市街地の背景をなす丘陵の自然的景観を構成する樹林地である。
台峯緑地(36.7ha)
近接する鎌倉中央公園と一体となった、市域に残る数少ない谷戸の自然的環境を残す大規模樹林地である。 コナラ、エノキなどの二次林が主体であるが、緑地の中心部に向かって谷戸が形成されていることから、 ガマ、ヨシなどの湿地植生がみられる。 東側の尾根沿いには、横須賀線(北鎌倉駅付近)からの車窓景観を構成する良好な樹林地が続いている。
深沢行政センターを過ぎた所に「歴史的風土保存区域・風致地区・近郊緑地保全区域図」があって、 これから向かう「常磐山特別緑地保全地区」も載っていました。 交差点を直進していくと深沢小学校があって、校庭では児童たちが野球の練習をしていました。 校庭の周囲に続く桜並木沿いに進んでいきます。 上耕地橋の架かる交差点を直進していくと、住宅に囲まれた常磐かるがも公園があります。 ベンチなどがあるだけの静かな公園でした。 その公園を過ぎて川沿いの道を更に進んでいくと、同じような常磐さつき公園があります。 ブランコや鉄棒などがある静かな公園でした。
歴史的風土保存区域・風致地区・近郊緑地保全区域図
この色分けした区域は、歴史的風土保存区域・風致地区・近郊緑地保全区域を示したものです。 これらの茎内で建築物等の新築・増改築・土地の形質変更、木竹類の伐採等の行為を行う場合は、 許可もしくは届出をしなければなりません。
 (神奈川県横須賀三浦地域県政総合センター環境部、鎌倉市役所)
みんなで守ろう みんなの公園
・公園をきれいにしましょう。
・木や遊具を大切にしましょう。
・あぶないことやほかの人にめいわくになることはやめましょう。
・犬をつれてくるのはやめましょう。
 (鎌倉市公園協会)
登り口
公園を過ぎていくと、鉄工所のあるT字路に突き当ります。 右手を流れる新川には常磐耕地橋が架かっています。 T字路を左折していくと、鉄工所の隣りの民家の所から、右手の住宅の間に入っていく狭い路地があります。 脇にはカーブミラーが立っています。 その路地へ入って民家の間を進んでいきます。 右側にある駐車場を過ぎていきます。 突き当りを左折すると、すぐの所にT字路があります。 そこを右折して駐車場を過ぎていくと車道に出ます。 右手すぐの所には梶原口バス停があります。 鎌倉駅・藤沢駅・大船駅からの便がかなりあるので、ここまでバスに乗って来てもいいかも知れません。 正面に建つ歯科医院の裏手には送電線の鉄塔が立っています。 道路を渡って正面に続く道を進み始めると、すぐの所から左手に登っていく坂道が分かれています。 ここが梶原4丁目と常磐地区の間に続く尾根道への登り口になります。
山道入口
崖と金網柵の間に続く坂道を登っていきます。 滑り止めなのでしょうか、コンクリート舗装された道には横方向に切れ込みが入れてありました。 金網柵が終わってちょっとした切通のような所を過ぎていくと、 左側に送電線の鉄塔「鎌倉線23」が立っています。 先ほど見えていた鉄塔になります。 鉄塔を過ぎて更にコンクリート道を登っていくと、民家を過ぎた所から山道が始まります。 山道に入ったすぐの所には「常磐山特別緑地保全地区」の標柱が立っていて、 その先には車止めの杭が4本並んでいました。 この辺りからが常磐山緑地になるようです。
常磐山特別緑地保全地区
この地区内のおいて建築物の新築、改築、増築、土地形質の変更、木竹の伐採等の行為をするときは許可がいります。
 (神奈川県)
車止めを過ぎて山道を進んでいきます。 周囲には笹竹などが生い茂ってはいますが、道は広めで傾斜も緩やかで、 息が切れるようなことはありませんでした。 岩盤が剥き出した所には切れ込みが入れてあって、古くから歩かれてきた道のように思えました。 夏草が生い茂るようになった道を進んでいくと、 山道入口から4分ほどの所に「歴史的風土大仏・長谷観音特別保存地区」の標柱が立っていました。
歴史的風土大仏・長谷観音特別保存地区
この地区内のおいて建築物の新築、改築、増築、土地形質の変更、木竹の伐採等の行為をするときは許可がいります。
 (神奈川県)
標柱を過ぎて山道を更に進んでいきます。 道には夏草が生い茂ってはいますが、踏み跡はしっかりと確認できました。 しかし、あまり歩く人はいないようで、頻繁に蜘蛛の巣が顔にかかります。 手頃な枯れ枝を拾って、前にかざして振り払いながら進んでいきました。 夏草が生い茂る所を抜けると、道幅が広がって歩き易くなってきました。 軽い登り坂になった道を進んでいくと、僅かな高みに着きました。 脇には大きな木が生えていました。 山道入口から11分ほどの所になります。 手元の地形図によると、標高90mの等高線で囲まれた東西に伸びる高みの西端になるようです。
八雲神社分岐
高みを過ぎて30秒ほど軽く降っていくと、細い竹林の手前で道が左右に分かれています。 手元の地形図によると、先ほどの高みの辺りから南西へ道が分かれている所になるようです。 右手の道もしっかりとしていそうでしたが、今回は左手のすぐ先から正面へ続く道を進んでいきます。
右手の道
後日に右手の道を歩いたところ、16分ほどで八雲神社に降り立ちました。 笹竹や草木が生い茂る踏み跡程度の道で、再び現れる竹林からは益々不明瞭になってきます。 蜘蛛の巣が頻繁に顔にかかって不快な思いもするし、歩くのはあまりお勧め出来ない状況でした。
最初は竹林の中にしっかりとした道が続いているように見えますが、 竹林を過ぎていくと、笹竹や草木が生い茂る僅かな踏み跡になってきます。 ここから6分ほど降っていくと、「フォルム鎌倉常磐」と思われる住宅地の裏手に出ますが、 そこへ降りていく道は見かけませんでした。 何とか踏み跡を見つけて左手へ1分ほど進んでいくと、再び細めの竹林に入っていきます。 落ち葉に隠れているのか、竹林の中では踏み跡が不明瞭になっていました。 踏み跡らしいものを探しながら進んでいきますが、竹が密生していて歩き難くもなっています。 やがて竹が疎らになってくると、踏み跡もはっきりとしてきます。 ハイキング会でもあったのか、笹竹に巻かれた赤テープを何箇所かで見かけて、少し安心したりもしました。 明瞭になってきた道を降っていくと、 八雲神社の社殿の脇(社殿に向かって左側すぐの所)に降り立ちました。 正面の石段を降って車道に出ると、左手すぐの所に八雲神社前バス停があり、 傍には円久寺もありました。
夏草が生い茂った所を過ぎて草が少なくなると、大きな木が幾つか生えた開けた雰囲気の所に出ました。 先ほどの八雲神社分岐から1分ほどの所になります。 脇には「梶原4-1754火の用心」と書かれた板が取り付けられていましたが、住所表記なのでしょうか。 その先には丸太を縦半分に割ったようなベンチも設置されていました。 この先は降り坂になるので、この辺りまでが標高90mの等高線で囲まれた高みになるでしょうか。
ベンチを過ぎて降っていきます。 道は広めでしっかりと続いていました。 緩やかになった道を進んでいくと、左手へ分れて行く踏み跡があります。 その道を見送って正面に続く道を進んでいくと、道端にベンチが幾つも設置された所がありました。 先ほどのベンチと同じく、丸太を縦半分に割ったような形をしていました。 八雲神社分岐から2分半ほどの所になります。 手元の地形図によると、この付近から右手へ分かれていく道がありそうなのですが、 夏草が生い茂る季節ということもあるのか、今回は気が付きませんでした。
右手の道
後日に確認したところ、この数10m先から南へ分岐する道がありました。 夏草やアオキなどが生い茂る所を過ぎていくと、細めの竹林の尾根を降るようになりますが、 先ほどの八雲神社への道とは違って、こちらの道はしっかりとして、歩くのに問題はありませんでした。 やがて雑木林に変わった尾根を降っていくと、ここから10分ほどで小さな畑地に降り立ちます。 そこから道なりに2分ほど降っていくと車道に出ます。 その左手の数10m先に仲ノ坂バス停がありました。
僅かな高みの左手を過ぎて、尾根を進んでいきます。 少し降るようになった道を進んでいくと、道端に杉が何本か並んで生えている所がありました。 下草も少なくなって歩き易い所でした。
研究所跡地分岐
緩やかになった尾根道を進んでいきます。 僅かな高みを右手から巻くようにして降っていきます。 左手に分かれていく踏み跡を見送って降っていくと分岐があります。 八雲神社分岐から9分半ほどの所になります。 脇の樹木には「K508」と書かれた板が取り付けられていて、 その袂には「峯山682」の板も落ちていましたが、 いずれも意味は分かりませんでした。 手元の地形図によると、東西に伸びる道から南へ分岐している所になります。 ここは、右手に続く笹竹の生い茂る道を進んでいきます。
試しに左正面へ続く道も歩いてみました。 緩やかな道を進んで少し登るようになると、 「歴史的風土大仏・長谷観音特別保存地区」の標柱の先で、道は左手へ直角に曲がっていきます。 ここから1分半ほどの所になります。 正面の下には野村総合研究所跡地が広がっていて、大きな建物がすぐそこに見えていました。 跡地に関する看板も出ていました。 左手に続く道は手元の地形図では行き止まりのように描かれていますが、かなり明瞭に続いていたので、 何処かへ降りて行かれるように思えましたが、行く末は確認せずに引き返してきました。 (往復で4分半ほど)
突き当りの左右の道
後日に、突き当りから左右に続く道を歩きました。 右手の尾根には踏み跡が続いていて、1分ほどで野村総合研究所跡地に降りられました。 左手に続く道は4分ほど進んだ辺りから降り傾斜が増してきます。 自然石の階段も設置されていますが、土や落ち葉が積もっていて、とても滑り易くなっていました。 その階段が終わると、次第に道が不明瞭になってきます。 笹竹などが生い茂る道を、左傾斜の斜面から谷筋へ降っていくと、 民家や道路が見える辺りで藪漕ぎ状態となり、踏み跡は確認出来なくなりました。 (「台峯緑地」を参照)
野村総合研究所跡地は一般開放(建物は除く)しています。
■開放日:月曜日・水曜日・木曜日・土曜日・日曜日及び祝日
■開放時間:午前10時から午後5時(10月〜3月は午後4時)まで
※開放日・開放時間以外は敷地内に立ち入らないでください。
 (鎌倉市)
当敷地内の竹林は、長年、竹の更新が行われておらず、 このままの状態が続くと、竹林としての趣のある姿を保つことができなくなります。 つきましては、竹林の再生、保護のため、「竹の伐採」及び「タケノコの採取」は禁止いたします。 ご理解、ご協力をお願いいたします。
 (鎌倉市)
研究所跡地分岐から南へ続く道を進んでいきます。 両側に笹竹が生い茂る道を進んでいくと、すぐに自然石を積んだ階段を降るようになります。 縦方向の幅が狭くて足を置きにくいし、 土や枯れ葉などが上に積もって斜めになっていたりもするので、足元に注意しながら降っていきました。 途中には太めの竹林もありました。 石段を3分半ほど降っていくと、左右に通る道に降り立ちました。 正面の樹間からは、直ぐ下に民家が見えていました。 左右とも細い道ですが、左側の方がしっかりしているように思えたので、今回は左手の道を進んでいきました。
斜面を横切るようにして細い道を降っていきます。 横木の階段や石段などもあったりする道を1分半ほど降っていくと、小さな沢に架かる木橋を渡っていきます。 その先へ1分ほど進んでいくと、左手から降ってくる踏み跡が合流してきます。 手元の地形図に載っている道のようでした。 脇に生える樹木の前後には、輪切りにした丸太が幾つも置かれていて、腰掛けるのに具合が良さそうでした。
常磐地区
左手からの道を併せてその先へ進んでいくと、民家の裏手に出ます。 夏草が生い茂る山際に続く踏み跡を進んでいくと、民家の間にある駐車スペースに降り立ちました。 研究所跡地分岐から8分半ほどで降りて来られました。 山道入口から35分ほどのプチハイクなのでした。 降り立った所は、右側の「鎌倉市常磐699-26」と左側の「鎌倉市常磐699-27」の住宅の間になります。 駐車スペースから道路に出て、左手へと降っていきます。
左・右と曲がって住宅が建ち並ぶ谷筋を降っていきます。 「常磐地区急傾斜地崩壊危険区域」の看板を過ぎて、右手から回り込むようにして進んでいきます。 回り込んだ先を道なりに右へ曲がっていくと市役所通りに出ました。 住宅地に降りた所から6分ほどで出られました。 角に立つ電柱には「峯山支4」「常磐237」の標識が取り付けられていて、右手にはコンビニがありました。 ここから大仏ハイキングコースへ向かって左手へと進んでいきます。
常磐地区急傾斜地崩壊危険区域
この茎内で、のり切り・掘削・伐採等を行う場合は、知事の許可が必要ですから、左記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県藤沢土木事務所)
登り口
車道を3分半ほど進んでいくと、右手へ道が分かれていきます。 その左側には谷筋が広がっていて、真新しい柵の内側には「北条氏常磐亭跡」の解説板が設置されていました。 長谷トンネルの出入口を正面に見ながら柵沿いに進んでいきます。 柵が途切れる所まで来ると、左手へ入ったすぐの所から尾根へと山道が続いています。 入口には道標が立っていて、ここから続く山道は「タチンダイ」となっています。 ここが大仏ハイキングコースへの登り口になります。
国指定史跡 北条氏常磐亭跡
北条氏常磐亭跡は、鎌倉切通の一つである大仏切通の北に接する要所として、 鎌倉時代に第七代執権北条政村などの北条一族の有力者が別邸をかまえていたことが、 吾妻鏡などの文献により知られています。 昭和52年の発掘調査によって建物跡が確認されてその存在が証明されたため、 鎌倉時代の武家屋敷跡をとどめる貴重な遺跡として国の史跡に指定されています。 史跡内は、山や谷を切り開いてつくった平地に門柱跡や「やぐら」、 法華堂跡と伝えられている場所があり、歴史的にもきわめて重要な史跡です。
 (鎌倉市教育委員会)
山の斜面に続く小径を2分ほど軽く登っていくと分岐があります。 角には道標が立っていて、左前方へ続く道は「タチンダイ」となっています。 右手の斜面を登っていく道には何も示されていませんが、大仏ハイキングコースへ続く道になります。 今回はここから右手の斜面を登っていくのですが、 その前にこのすぐ先にある「タチンダイ」を訪ねていくことにしました。
北条氏常磐亭跡
左前方の道を進んでいくと、すぐに広い谷戸に出ます。 谷筋には一面に夏草が生い茂っていて、踏み跡を覆い隠すようになっていましたが、 僅かながら草が少なくなった所が道なのだと信じて進んでいきました。 谷筋の奥へ進んでいくと、穴が沢山刳り貫かれた岩壁がありました。 車道から5分ほど来た所になります。 北条一族の別邸「常磐亭」があった所で、岩壁にある穴は「やぐら」のようです。 以前に来た時には丸太を輪切りにしたベンチが設置されていましたが、 この時には夏草に隠れていたのか見当たりませんでした。 脇に設置されている解説板によると、この辺りの谷戸を「タチンダイ」というようでした。 館(タチ)がある台地(ダイ)という意味でしょうか。 「館」が「常磐亭」を意味しているとすれば、「タチンダイ」という名前も鎌倉時代に生まれたものと思われます。
国指定史跡 北条氏常磐亭跡
「タチンダイ」  北条氏常磐亭跡は、鎌倉幕府の第7代執権・北条政村を始めとする、北条一族の有力者の別邸があった場所です。 「タチンダイ」というこの平場付近の地名は、中世居館と関わりがあることを示しています。 この平場は細長いV字型の谷を造成したもので、東西北を人工的な崖(切岸)で囲まれています。 周辺で実施された発掘調査では、建物跡などが良好な状態で残っていることも確認されました。 また、この平場の北西隅には鎌倉時代ごろの墓所で、 鎌倉周辺に多く見られる「やぐら」とよばれる岩窟も残されています。 タチンダイの周辺の谷戸には切岸や、土地造成が行われる前の地形なども良好に残るなど、 北条氏常磐亭跡は、鎌倉時代に政権を担当した武家の屋敷跡と、これを取り巻く中世からの地形をよく伝えています。
 (鎌倉市教育委員会)
手前の分岐まで引き返してきて、斜面に続く急坂を登っていきます。 右・左と曲がりながら急斜面を登っていくと、2分ほどで畑地の脇に出ました。 畑の左側に沿って進んでいくと、正面の森の中へ入っていく山道があります。 夏草が生い茂っていて入口が分かり難くなっていましたが、 草を掻き分けていくと、すぐに明瞭や山道になってきます。
尾根の左斜面に続く道を進んでいきます。 程なくして尾根の背に出て、両側に笹竹が生い茂る道を進んでいきます。 道は緩やかになっていて明瞭に続いていました。 左側に鉄線柵が続くようになると登り坂になってきます。 次第に傾斜が増してくる坂道を登っていくと、畑地から6分ほどで左右に通る道に出ました。 道標類はありませんが、左手へ進んでいくとグランドへ出られますが、 今回は大仏ハイキングコースへ向かって右手に続く道を進んでいきます。
(左手の道は「源氏山公園」を参照)
大仏ハイキングコース
斜面を横切るようにして緩やかに1分ほど進んでいくと植林帯になってきます。 少し降っていくと、ごく浅い谷筋のような所を過ぎていきます。 右へ曲がりながら進んでいくと、左側から尾根が下がってきます。 根が剥き出した大木の脇を登ってその先へ進んでいくと、 左手から降ってくる道を併せたすぐ先で広い尾根道に出ました。 この道が大仏切通から源氏山へ続く大仏ハイキングコースになります。 タチンダイへの分岐から14分ほどで登って来られました。 左手の急斜面には横木の階段が続いています。 以前には小さな道標などが周囲に幾つかありましたが、この時には枯木に書き込みがあるだけでした。 それによると、右手の緩やかで広い尾根道は「佐助稲荷」「大仏」、左手の横木の階段は「源氏山」となっています。 ここは左手に続く横木の階段を登っていきます。
急な横木の階段を1分ほどで登り切ると、左手へ道が分かれていきます。 入口には「女坂」の標識が立っていて、「迂回路」の図も載っていました。 今登ってきた横木の階段が「男坂」で、尾根道に出る直前に合流してきた道が「女坂」になります。 そこを過ぎて広い尾根道を進んでいきます。 右側に鎌倉市消防本部と鎌倉市危険物安全協会の設置する 「No.26 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう」の標識が立つ所まで来ると、 再び左手へ道が分かれていきます。 これらの道は以前にも歩いているので今回は省略して、正面に続く広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。
この左側に続く道は途中で何度か分岐していて分かり難くなっています。 以前に歩いた時に作った手書きの地図を参考までに載せておきます。 今回登ってきた市役所通りからの道も載っています。
標識「No.26」を過ぎて2分ほど進んでいくと、高台にある住宅地に出ます。 生け垣などがある民家の前に続く道路を進んでいくと、 左手から登ってきて正面へと曲がっていく舗装路に出ます。 角に立つ電柱には「佐助二丁目27」の住所表示板が取り付けられていました。 また道標も取り付けられていて、正面に続く道は「葛原岡神社・銭洗弁天」、 今来た道は「大仏」となっています。 ここは正面に続く舗装路を進んでいきます。
生け垣などを過ぎて水色の金属柵が設置された所まで来ると、右手が開けて眺めが広がります。 住宅地に出てから4分ほどの所になります。 鎌倉の街並みの向こうには、和賀江嶋や逗子マリーナのある岬も見えていましたが、 曇りの日だったので少し霞んでいました。 この先へ降っていくと、すぐの所に分岐があります。 角の金網柵には「葛原岡・大仏ハイキングコース」の道標が取り付けられていて、 正面の道は「源氏山公園150m・銭洗弁財天250m・葛原岡神社350m」、 今来た道は「高徳院(大仏)1.9km45分」となっています。
源氏山公園
標識「No.25」を過ぎて降っていくと、 左手から登ってくる道を合わせたすぐ先に、少しずれた十字路があります。 角には道標が立っていて、正面の道は「化粧坂切通し200m・寿福寺600m」、右手の階段は「銭洗弁財天100m」、 左手の道は「葛原岡神社300m・葛原岡ハイキングコース・浄智寺へ1.2km,30分」、 今来た道は「大仏ハイキングコース・高徳院(大仏)へ2km,60分」となっています。 この辺りからが源氏山公園になるようです。 左手には東屋の建つ広場があります。 春には桜、秋には紅葉と、綺麗に彩られる所です。 葛原岡神社へは左手の道が近道ですが、今回は正面に続く道を降っていきました。 銭洗弁財天への階段を見送った角にちょっとした広場があって、逗子マリーナ方面を見渡すことができます。
歴史的風土特別保存地区指定図
昭和63年6月17日から、この地区は歴史的風土特別保存地区になりましたので、 建築物・工作物の新築・改築・増築、土地形質の変更、木竹の伐採、土石の類の採取、 建築物・工作物の色採の変更、屋外広告物の表示又は提出及び水面の埋立又は、 干拓の現状変更行為をするときは許可があいます。 違反すると刑罰に処せられます。 なお行為の申請・質問等の申出は下記へ。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター環境部、鎌倉市役所)
広場を後にしてその先に続く坂道を降っていきます。 銭洗弁財天への坂道を見送って正面へ進んでいくと、左へ曲がっていく所に分岐があります。 角には道標が立っていて、右手の道は「化粧坂切通し150m・寿福寺600m・源頼朝像200m」、 左手の道は「葛原岡神社250m・葛原岡ハイキングコース浄智寺まで1.2km」、 今来た道は「銭洗弁財天100m・大仏ハイキングコース大仏まで2km」となっています。 「源氏山公園案内図」と題した地図もありました。 右手へ進んでいくと化粧坂切通や源頼朝像などがありますが、今回は左手へ進んでいきました。
この附近で見かける野鳥
トビ、サシバ(秋)、キジバト、ホトトギス(春)、フクロウ、アオゲラ、 コゲラ、ツバメ(夏)、ヒヨドリ、ツグミ(冬)、ウグイス、エゾビタキ(秋)、シジュウカラ、メジロ
 (公園課)
国指定史跡 化粧坂
化粧坂は、鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける「鎌倉往還上ノ道」(武蔵道)の出入り口に当たります。 鎌倉の交流の要衝であったことから、元弘3年(1333)の新田義貞の鎌倉攻めでも戦場となっています。 「吾妻鏡」建長3年(1251)12月3日条には、鎌倉の中で小町屋及び売買所を構えても良い場所の一つとして 「気和飛坂山上(化粧坂の上)」と書かれています。 坂頂上部は葛原岡とも呼ばれ、元弘2年(1332)後醍醐天皇の倒幕計画に関わった日野俊基が斬首された刑場でもありました。 指定地内北側には地蔵像や五輪塔などの浮き彫りをもつ特徴的なやぐら群(瓜ヶ谷やぐら群)があります。 また周辺の発掘調査では多数の火葬跡が発見されており、化粧坂が交通の要衝であると同時に、 都市鎌倉の境界に位置する葬送の地であったことが明らかになっています。
 (鎌倉市教育委員会)
日野俊基墓
左手から降ってくる階段を併せてその先へ進んでいくと、左手から道が合流してきます。 角には道標が立っていて、左手の道は「大仏」、今来た道は「源頼朝」となっています。 左手から来る道は、先ほどの十字路を左折してきた道になります。 この辺りには桜の木が沢山植えられていて、春には綺麗に彩られる所です。 左手からの道を併せてその先へ進んでいきます。 左手へ登っていく幅の広い階段を見送って、一段と広くなった道を進んでいくと、 「日野俊基墓入口」の標柱が立っています。 そこを左手へ入っていくと日野俊基の墓があります。 葛原岡神社の祭神とされる人の墓で、玉垣で囲まれた一段高い所になっていました。 この時には真新しい花束が手向けられていました。
国指定史跡 日野俊基墓
日野俊基は鎌倉時代末期の朝臣、後醍醐天皇につかえ討幕計画に参加した。 正中の変(1324)に捕えられ許されたが、元弘の乱(1331)の時再び捕らえられ、 鎌倉に送られて、翌年ここ葛原岡で処刑された。
 (鎌倉市教育委員会)
日野俊基墓所
日野俊基朝臣ノ朝権ノ快復ヲ図リテ成ラ ズ元弘ニ年六月三日北條高時ノ害ニ遭ヒ 秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露の恨や 世に残るらんト永キ恨ヲ留メタルハ此ノ 処ナリ
 (大正六年三月建之 鎌倉町青年会)
広い道に戻ってその先へ進み始めると、左手に降っていく道が分かれていきます。 条件が良いと富士山の山頂部を望むことが出来るのですが、 この時には生憎の曇り空とあって見えませんでした。 角に生える大きな樹木に 「ここより富士山が見えます!!」と書かれた紙が取り付けられていたこともありますが、 この時には見かけませんでした。 右手にはベンチが幾つも設置された広場風の所があります。 木陰にもなっていてひと休みしていくのには良い所です。 脇には「藤原仲能之墓」の石碑や「葛原岡・大仏ハイキングコース」の題した案内板がありました。 これから向かう浄智寺へ続く道も載っているので参考になります。
藤原仲能之墓
此所ハ道智塚或ハ阿古耶尼ノ塚ト傳ヘラ レシモ海蔵寺傳ニ_リ藤原仲能ノ墓所ト 考察セラル仲能ハ従五位下前_州大守ニ シテ鎌倉幕府評定衆タリシガ後年海蔵寺 中興ノ大檀越トナリ建長八年十二月九日 寂シ道智禅師ト称ヘラレシモノノ如ク其 位牌同寺ニ現存ス
昭和十一年三月建 鎌倉町青年団
葛原岡・大仏ハイキングコース
コース所要時間
■葛原岡神社→浄智寺経由北鎌倉駅/約40分
■葛原岡神社→長谷大谷戸口経由鎌倉駅/約50分
■葛原岡神社→大仏坂口経由江ノ電長谷駅/約65分
広場に沿って広い道を進んでいくと、すぐに大きな鳥居が立っていて、 その脇には「葛原岡神社」と刻まれた石柱があります。 右手には「魔去ル石」という丸い石があり、左手には神輿庫や御朱印授与所などがあります。 この時には境内で採れた実で作った厄除け・無病息災の御守である「無患子守」も販売されていました。
葛原岡神社 鎌倉市山の内東瓜ヶ谷
本社祭神 SAIZIN 日野俊基朝臣 HINOTOSHIMOTOASON 文章博士 従三位 蔵人右少弁
建武の中興A.D.1333年(元弘3年)を計画し、不幸にも1331年鎌倉幕府の 北条高時に捉えられ、其の完成に会はず中途で悲愴な最期をこの葛原が岡で遂げられた忠臣(A LOYAL)である。 社殿は、明治天皇の思召により、地元有志の方々の骨折で、全国の崇敬者の協力を得て、 明治21年に創建された。 例大祭は、御命日の6月3日、神前祭、墓前祭が行われる。 この6月3日に近い土曜日に氏子区域になっている由比が浜で、宵宮祭が行なわれ、 日曜日には、大御輿、子供御輿が氏子地域を巡るお渡り神事が行なわれる。 御祭神は学業成就、除災招福、交通安全などの神として崇められて居る。
摂社祭神 報徳豆大黒天 福福恵比須神 健康と繁栄を招く神
御神体の木像は、二宮尊徳翁邸内の樟で作られたと伝えられる。
魔去ル石
魔が去るように願いを込め、盃をこの石に当てて幸せを勝ち取りましょう。 「魔が去る」が転じて「勝(まさ)る」ということで幸せを勝ち取る石です。
 (社務所)
むくろじ(無患子)守り
好評につき頒布再開。 かごの中にある実は、神社の境内で採れた「むくろじ」の実です。 中の種子は昔、羽根をつけて羽子板遊びの時に使用されてきました。 また、外側の皮の部分は、洗剤(石鹸)として利用されていました。
鳥居をくぐって短い石段を登っていくと、右手には池がありました。 中には水草が植えられ、綺麗な金魚が沢山泳いでいました。 左手には真新しい小祠がありました。 その前には「縁結び石」と刻まれた石があり、その右前には長めの「男石」、 左前には丸めの「女石」があって、注連縄が掛けられていました。 脇にはハート形の縁結び祈願の絵馬が沢山掛けられていました。 2010年2月に来た時にはこれらはありませんでしたが、最近になって出来たようです。 近寄っていくと、雅な音楽が自動的に流れてきました。
葛原岡神社
左手へ曲がっていく石畳の参道を進んでいくと、 先ほどの無患子の木が生えていて、注連縄も張られていました。 その先の玉垣の奥に葛原岡神社の社殿があります。 以前には大きくて歴史を感じさせる社殿でしたが、4年半ほど前に来た時には建替えられていて、 小振りの本殿と屋根だけのような形をした拝殿になっていました。 壁はなくて何だか風通しがよさそうでした。 5本の鰹木と外削ぎの千木の聳える本殿は、 少し色が濃くなってきていて、落ち着いた雰囲気になっていました。 拝殿の前には「昇運の神龍」と題した彫り物もありました。
葛原岡神社
御祭神 日野俊基卿
例大祭 六月三日
お渡り神事 六月三日に近い日曜日 於 鎌倉由比ヶ浜
御由緒 鎌倉幕府の執政を北条氏から後醍醐天皇の親政にしようとして幕府に捕えられた元弘2年(1332)、 この葛原が岡で露と消えられた。 太平記 俊基朝臣再び関東下向の事に名文が綴られている。
辞世の頌 秋を待たで葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや世に残るらん
古来、一句無死無生萬里雲蓋長江水清
御墓所 参道大鳥居の手前約五十米左手の小高い処にあり史蹟に指定されている
 (宮司 小松行好 記)
昇運の神龍
御本殿を御造営する際、旧御本殿に納められていた神龍で、百二十年間、御祭神をお護りして来ました。 神様のお使いとして願い事をより早く届けていただくようお参り下さい。
社殿から引き返して、鳥居の右手の先へ続くハイキングコースを進んでいきます。 標識「No.19」を過ぎていくと、雑木林の斜面に続く道の谷側には手摺が設置されていました。 そこを過ぎて降っていくと、僅かな高みへ登っていく横木の階段と、 高みを左側から巻いていく道に分かれています。 どちらの道を進んでいっても良さそうでしたが、 手前に経つ道標「浄智寺」が横木の階段を指しているので、 今回は正面に続く横木の階段を登っていきました。
階段を登って高みに着いても、特に何がある訳でも眺めが広がる訳でもありませんでした。 高みの先へ進んで横木の階段を降っていくと、巻いてきた道に降り立ちました。 巻いてきた道には高さ3mほどの崖があるので、あまりお勧めの道ではないようでした。 そのためか、その道の入口を塞ぐようにして道標が立っていて、正面の道は「北鎌倉駅・浄智寺」、 今降って来た道は「葛原岡神社・源氏山公園・銭洗弁財天」となっていて、 左手から来る道は何も示されてはいません。
2005年6月に歩いた時までは左手から巻く道が本ルートになっていて、3mほどの崖を登り降りしていました。 今のルートでもかなり傾斜があるし、崖の所に梯子状の階段を設けた方がずっと手軽になるように思えますが、 ルート変更をした理由が何かあるのかも知れません。
巻き道を合わせて、しっかりとした尾根道を1分半ほど進んでいくと、僅かな高みに着きます。 葛原岡神社の鳥居から5分ほどの所になります。 地形図では、北北東へ進んで来た道が東へ曲がっていく辺りの標高70mほどの高みになるようです。 尾根道はここから右へ曲がって降っていきますが、その角から左手へ細い道が分かれています。 この高みから北西へ延びる尾根に続く道になります。 角には道標が立っていて、右手の道は「北鎌倉駅1.1km・浄智寺550m」、 今来た道は「葛原岡神社・源氏山公園200m・銭洗弁財天600m」となっています。 左手の道には何も示されてはいませんが、以前に歩いたところ、瓜ヶ谷地区へ降りていけました。 今回は僅かな切通のようになった右手の道を降っていきます。
(左手の道は「源氏山公園」を参照)
天柱峰
広い尾根道を進んでいきます。 岩盤が剥き出した所を過ぎて登り気味になった道を進んでいくと、岩盤が剥き出した高みに着きます。 ここに「天柱峰」と刻まれた石碑と、 その奥に石製の五重の塔と、天柱峰の謂れを刻んだ石碑があります。 はっきりと判読できなかったり旧字があったりして分らない部分もありましたが、 私なりに理解できた部分を載せておきます。 無学のため間違っている部分があるかも知れませんがご容赦願います。
天柱峰
笠僊梵僊和尚は元の来朝僧なり建武元年浄智 の詔を受け天柱峯下に楞伽院を剏し興国二年 _を奉じて南禅に住す正平三年病を以て事を 謝し再び楞伽院に回りて寂す全身を最勝塔に 葬る語録天柱集は五山文学の白眉と称せらる
 (楞伽院常住 笠僊)
鞍部
天柱峰を後にしてその先の坂道を降り始めると道が二手に分かれていますが、その下ですぐに合流します。 道を併せてその先へ進んでいくと、尾根を通る道とその左手を降る道に分かれていますが、左手の道を降っていきました。 尾根からの道を併せて広くて緩やかになった道を降っていきます。 岩盤が剥き出した所を過ぎて降り傾斜が少し増してくると鞍部に着きます。 ここで道が左右に分かれています。 右手に戻るようにして明瞭な道が降っていましたが、 今回は左手へ続く金網柵沿いの横木の階段を降っていきます。
浄智寺
金網柵沿いに続く間隔の広い横木の階段を降っていくと、民家の門を過ぎた所から石段に変わります。 S字形に曲がりながら降っていくと、鞍部から3分ほどで舗装道路に降り立ちます。 両側に生垣が続く道を緩やかに降っていきます。 板塀を過ぎて竹塀が続くようになると、左手に浄智寺の受付所があります。 参道は下の方からその受付所へ続いていて、こちら側からは入っていけないようになっています。 浄智寺は「鎌倉江の島七福神」のひとつ「布袋尊」を祀る寺としても有名です。 今回は浄智寺を訪ねるのは見送って、途中から石畳の参道に入って降っていきました。 広くなった所の先にある山門をくぐって小さな池の脇を過ぎていくと、浄智寺の外へ出ていきます。
(写真はいずれも振り返って撮影)
浄智寺
鎌倉五山の第四位で、山号を金宝山といい、北条時頼の孫師時が父宗政の没後、 弘安4年(1281)以後に建てたといわれています。 開山は宋僧の兀庵普寧とされ、境内には鎌倉十井の一つである甘露の井があります。
国指定史跡 浄智寺境内
鎌倉五山第四位、臨済宗円覚寺派、金實山浄智寺は、弘安4年(1281)北条時頼の三男宗政が29歳で没後、 間もなく、宗政婦人と幼少の師時を開基として、宗政の菩提を弔うため創建されました。 中国、宋の名僧、兀庵普寧と大休正念、及び日本僧南州宏海の三人が開山になっています。 これは、当初改ざんに招かれた宏海が、任重しと身をひき、師の大休正念を迎えて入仏供養をおこない、 すでに世を去っていた師僧の兀庵普寧を開山としたためです。 創建当時の伽藍は、外門・山門・行堂・仏殿・方丈・庫裏等を備え、 塔頭は十一院に及んだということです。 永い間には、たたずまいの変化し、現在は、看門寮・山門・鐘楼門・仏殿・書院・方丈・隠寮・庫裏等の堂宇が 柏槙や杉木立ちの中に点在しています。 境内は、周囲を緑の山々にかこまれ、昔ながらの、広大な寺域を残しており、 地理的環境と鎌倉五山の伽藍遺構を後世に伝えるため、国の史跡として保存されています。
 (神奈川県教育委員会)
ご案内
仏殿には、三世仏聖観世音をまつる。 大木の高野槙を左に、竹林を経て洞窟の弁財天・布袋尊に至る。 花は、桜・牡丹・著莪・白雲木・桔梗・秋明菊など。 一巡十五分、境内の椅子でご休憩下さい。
東慶寺
浄智寺を出て真っ直ぐに進んでいくと県道21号に出ます。 出た所には明月院バス停があります。 また道標も立っていて、ここは「浄智寺」、今来た道は「源氏山公園1km・高徳院(大仏)3.5km」、 右手の道は「建長寺600m」、左手の道は「円覚寺400m・北鎌倉駅400m」となっています。 右手のすぐ先には第三鎌倉道踏切が見えていますが、左折して県道を進んでいきます。 2分ほど進んでいくと東慶寺の入口があります。 「松ヶ岡」「東慶寺」と刻まれた門柱から中へ入っていくと、「夏目漱石参禅百年記念碑」がありました。 碑の上段には阿部充家宛の釈宗演の書簡、下段には夏目漱石の「初秋の一日」の一節が刻まれていました。 記念碑を過ぎていくと、正面に石段があります。 その上に東慶寺の山門があります。 「東国花の寺百ヶ寺」の札も掛けられていますが、訪ねるのは省略しました。
東慶寺
宗派 臨済宗円覚寺派
山号寺号 松岡山東慶総持禅寺
建立 弘安8年(1285
開山 覚山志道尼
開基 北条貞時
鎌倉幕府の第八代執権北条時宗の夫人・覚山志道尼が開創。 夫から離縁状をもらわない限り、妻からは別れることができなかった時代に、 駆け込めば離縁できる女人救済の寺として、開山以来、六百年近く縁切りの寺法を引き継いできました。 後醍醐天皇の皇女・用堂尼の入寺以後は、松岡御所と称され、寺格の高い尼寺として名を馳せるようになり、 室町時代には鎌倉五山第二位に列せられていました。 明治時代になると寺法に終わりを告げ、釈宗演禅師を中興開山とする臨済宗円覚寺派の禅寺となりました。 境内にはウメやハナナショウブ、アジサイなど様々な花が植えられ四季を通じて楽しめます。 学者や作家の墓が多いことでも有名で、鈴木大拙、西田幾多郎、岩波茂雄、和辻哲郎、 阿部能成、高見順、小林秀雄らの墓があります。
 (鎌倉市)
夏目漱石参禅百年記念碑
漱石は明治27年(1894)末より翌年1月10日まで円覚寺の帰源院(石段の真向かいの寺)に止宿し、 時の円覚寺管長釈宗演(1859〜1919)に参禅した。 帰源院には当時帝大の哲学生鈴木貞太郎(後の大拙居士)も参禅中であった。 この参禅の体験は「門」にくわしい。 18年後の大正元年(1912)9月11日、当時この東慶寺に還住の宗演を再訪した。 碑の上段の宗演の書簡と下段の漱石の文は、 それを示す書簡の「鹿山に来山」とは瑞鹿山円覚寺に来山して参禅したということ。 Zは満鉄総裁中村是公「その・に倣った」とは「連れション」のこと、ここが文学である。 宗演は漱石来参の前年(1892)秋、シカゴの万国宗教大会に日本仏教代表として出席し禅を英語で説き、 後に鈴木大拙渡来しZENが世界に知られるに至る。 漱石のこの文中に宗演を「智識」と讃えるとおり、 釈宗演は近代仏教界の高僧である。 宗演の墓は当山寺墓の奥に在る。
北鎌倉(きたかまくら)駅
東慶寺から県道へ引き返してその先へ進んでいきます。 円覚寺交差点にある北鎌倉バス停を過ぎていくと、「大本山円覚寺」と刻まれた石柱があります。 そこから横須賀線を渡って円覚寺までの参道が続いています。 その道を見送っていくと北鎌倉駅前交差点があります。 左手に大船警察署山之内交番があり、右手に北鎌倉駅(JR横須賀線)があります。