鎌倉アルプス
散策:2011年08月中旬
【低山ハイク】 鎌倉アルプス
概 要 鎌倉アルプスは、鎌倉の街を取り巻くように聳える標高150mほどの山々です。 そこに隣接するように横浜市民の森もいくつかあって、一大緑地を成しています。 今回は、浄明寺地区と理智光寺谷地区の境にある切通から天園へ登っていきます。 天園からは、覚園寺方面へ続く尾根道から分かれて亀ヶ渕橋へ降っていきます。
起 点 鎌倉市 青砥橋バス停
終 点 鎌倉市 大塔宮バス停
ルート 青砥橋バス停…登り口…瑞泉寺分岐…明王院分岐…十二所分岐…22番鉄塔…貝吹地蔵…天台山…展望地…獅子舞分岐…見晴台…天園…大平山…鷲峰山…今泉台分岐…覚園寺分岐…遊歩道分岐…亀ヶ渕橋…永福寺跡…鎌倉宮…大塔宮バス停
所要時間 2時間30分
歩いて... この時は生憎の曇り空で、天園から富士山を望むことは出来ませんでした。 大平山に着く頃には霧雨が降り始めましたが、僅かに濡れる程度で、 この季節にしては気温が低い日ということもあって、涼やかな散策が出来ました。 幾度となく歩いている山域ですが、展望地・階段・標識などに関する小さな発見もありました。
関連メモ 鎌倉アルプス, 六国峠, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉回峰, 鎌倉アルプス,
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六国見山, 鎌倉アルプス, 相武尾根
コース紹介
青砥橋(あおとばし)バス停
鎌倉駅(JR横須賀線)の東口から、[鎌23]鎌倉霊園正門前太刀洗行きバス、 [鎌24]金沢八景駅行きバス、 または、[鎌36]ハイランド循環バスにて9分、 1時間に5本から6本程度の便があります。
滑川沿いの県道204号をバス停の先へ数10m進んでいくと、左手へ入っていく路地があります。 角に立つ電柱には「浄明寺四丁目2」の住所標識が取り付けられています。 その路地へ入って、民家などが建ち並ぶ僅かに登り坂になった道を進んでいきます。
砂防指定地 滑川
この土地の区域内において宅地造成・家屋の新築・土採取等の行為をする場合は、 神奈川県知事の許可が必要ですから藤沢土木事務所に御相談下さい。
 (神奈川県)
突き当りまで進んで、道なりに左へ曲がっていきます。 左右に分かれていく坂道などを見送って道なりに進んでいきます。 少し右へ曲がりながら山際に続く道を登り気味に進んでいくと分岐があります。 正面の電柱には「浄明寺四丁目6」、左手の電柱には「浄明寺三丁目12」、 右手の柵には「浄明寺四丁目5」の住所標識が取り付けられています。 角にある住宅には「アトリエ椿窯」の看板が出ていました。 荒涼とした砂漠にあるテントやラクダなどを描いた横長の大きな絵が窓辺に置かれていました。 この右手の道を進んでいきます。
引き続き山際に続く道を登り気味に進んでいきます。 2分ほど進んでいくと、カーブミラーの設置された分岐があります。 左手は緩やかな道で、右手は登り坂になっていますが、右手の坂道を登っていきます。 20mほど登っていくと分岐があります。 手前には「鎌倉市浄明寺4丁目」と題した住宅地の地図が設置されています。 この図の左上にある「至鎌倉宮」と書かれた道へ向かっていきます。 右へ曲がりながら登っていく道の方が広いし分かり易いとは思いながら、 今回は少しでも近道になりそうに思える住宅地の西端に続く道を進んでいきました。 右・左と曲がりながら続いていて分かり難くそうなので、ここの地図で道順をよく確認してから歩き出します。
景観形成地区
この地区での建築行為は鎌倉市への届け出が必要です。
 (浄明寺胡桃ヶ谷(住友)景観形成協議会)
登り口
うろ覚えで道が分からなくなって、撮った写真を見ながら進んでいくと、 5分ほどで左右に通る広めの道に出ました。 角にはカーブミラーが設置されていて、右脇の住宅の柵には「浄明寺四丁目21」の住所標識が取り付けられていました。 そこを左折して、僅かな登り坂の道を進んでいきます。 切通になった坂の上まで来ると、先ほどと同様の「鎌倉市浄明寺4丁目」や、 「住居表示街区案内図」、「浄明寺町内会掲示板」などが並んでいました。 樹木が頭上を覆って木陰になっている切通に続く道を降っていきます。 程なくして正面が明るくなってくると、右手の尾根に登っていく山道が分かれています。 ここが天園ハイキングコースへの登り口になります。 青砥橋バス停から15分ほどで歩いて来られました。 カーブミラーの脇から続く岩盤が剥き出した道を登っていきます。
道をこのまま降っていくと、理智光寺谷の住宅地を経て鎌倉宮へ続いています。 大塔宮バス停からここまで歩いた方が少し近いようにも思えますが、 以前にも歩いているので、今回は浄明寺四丁目の住宅地を経て来ました。 (正面の道は「六国峠」を参照)
道はすぐに右へ折れ曲がって、トラロープが張られた岩盤の道を登っていきます。 岩盤には階段状に切れ込みが施されて歩き易くなっていました。 岩盤が終わって森の中へ入っていくと、背の高い笹竹が生い茂ってきます。 大きな樹木を過ぎていくと、擬木の支柱に通されたロープ柵が続くようになります。 緩やかな道を進んでいくと小さな切通があり、その手前には石垣のようなものがありました。
瑞泉寺分岐
切通を過ぎていくと分岐があります。 登り口から6分半ほどの所になります。 角に立つ道標によると、左手の道は「瑞泉寺」となっています。 正面の道や今来た道には何も示されていませんが、天園へ続く天園ハイキングコースは正面の道になります。 すぐの所に鉄柵で囲まれた石垣のある僅かな高みがあって、 道はそれを避けるようにして、左側にある切通を抜けていきます。
(左手の道は「鎌倉アルプス」を参照)
歴史的風土瑞泉寺特別保存地区
この地区内において建築物の新築・改築・増築・土地形質の変更・木竹の伐採等の行為をするときは許可がいります。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター、鎌倉市役所)
明王院分岐
擬木の手摺が設置された山際を過ぎていくと、先ほどの分岐から1分半ほどの所に分岐があります。 角に立つ道標によると、左手の道は「天園ハイキングコース・建長寺方面」、 正面の道は「至 明王院・浄妙寺・報国寺」、今来た道は「瑞泉寺」となっています。 正面の道は「はじめ弁天」を経て明王院へ降りて行かれますが、 今回は左手に続く天園ハイキングコースを進んでいきます。
(正面の道は「六国峠」, 「鎌倉回峰」, 「鎌倉アルプス」を参照)
十二所分岐
僅かに降り気味に続く尾根道を数10m進んでいくと分岐があります。 角には鎌倉市観光協会の設置する「天園ハイキングコース」の道標が立っていて、 正面の道は「天園」、今来た道は「瑞泉寺」となっています。 また、マジックで書き込まれたメモによると、右手の道は「十二所神社ウラへ」となっています。 分岐のすぐ手前には鎌倉市消防本部と鎌倉市危険物安全協会の設置する標柱 「No.4 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう」が立っていますが、 かなり古びていて、文字が読み難くなっていました。 右手の道は吉沢川に架かる御坊橋を渡って県道204号に降りていかれますが、 道の両側に背の高い笹竹が生い茂る正面に続く尾根道を進んでいきます。
No.4 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
瑞泉寺分岐から天園までのハイキングコースには息が切れるような急斜面はほとんどなくて、 歩き易くてしっかりとした道が続いています。 緩やかな尾根道を2分ほど進んでいくと、右手には「やぐら」が沢山ありました。 中には五輪塔が納められたものもあり、綺麗な花束が手向けられていたりもします。 この先にかけて、点々と「やぐら」が見られるようになります。
歴史的風土瑞泉寺特別保存地区
この地区内において、建築物の新築・改築・増築、土地形質の変更、 木竹の伐採等の行為をするときは許可がいります。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター、鎌倉市役所)
やがて抉れた感じになって左手に有刺鉄線柵が続くようになると、 明王院分岐から6分ほどの所の左手にお堂が建っています。 柵があって近づくことは出来ませんが、瑞泉寺の偏界一覧亭のようです。 その先へ進んでいくと、道が右手へ分かれていきます。 その角には、半ば土に埋まっているような石碑があります。 側面には「瑞泉寺山内 従是右 北條家御一門御…」や 「文政十二年丑正…」の文字が刻まれていました。 右手の道の1分もしない所の山際に、岩壁を刳り貫いた「やぐら」が10基ほど並んでいます。 石碑にある北條家御一門の墓なのでしょうか。 今回はやぐらには立ち寄らず、このまま尾根道を進んでいきました。
(右手の道は「鎌倉アルプス」を参照)
持ち帰ろう 古都の香りと あなたのゴミを
 (鎌倉市観光協会、鎌倉史跡パトロール隊)
22番鉄塔
やぐらが幾つか並んでいる広くて緩やかな尾根道をその先へ進んでいくと、 白塗りの古びた道標が立っていて、この先の道は「天園」、今来た道は「瑞泉寺」となっています。 岩盤が剥き出した所を過ぎていくと「歴史的風土保存用地」の大きな看板が立っています。 そのすぐ先の高みに、送電線の鉄塔「北鎌倉線No.22」が立っています。 鉄塔の周囲を取り囲む金網柵沿いに細い道があって、その道を登っていくと鎌倉アルプスの稜線を眺めることも出来ますが、 この時には夏草が生い茂っていたので、登るのは止めておきました。
歴史的風土保存用地
地番 鎌倉市二階堂639-1外5筆
面積 22,094.00u
この土地は、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」に基づき 歴史的風土を長く保存するため昭和54年度及び55年度に神奈川県が買い入れたところです。 歴史的風土を協力して保存しましょう。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター)
22番鉄塔の袂を過ぎていくと「No.5」の標柱が立っています。 その脇から左手へ道が分かれていて、21番鉄塔・20番鉄塔を経て二階堂川の源流へ降っていけます。 その道を見送って岩盤が剥き出した道になってくると、右手の谷筋へ細い道が分かれていきます。 「お塔の窪やぐら」を経て吉沢川へ降っていく道ですが、今回はこのまま尾根道を進んでいきます。
(右手の道は「鎌倉アルプス」, 「朝比奈切通」, 「鎌倉アルプス」を参照)
(左手の道は「朝比奈切通」を参照)
No.5 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
岩盤が剥き出した所を過ぎていくと、すぐに登り傾斜が増してきます。 かなり傾斜がありますが、上の方には空も見えているので、それほど長い登りではありません。 過日の台風の被害で旧来の道が崩れて、左側に迂回路が出来ていた時期もありましたが、 この時には既に改修が終わって、迂回路を通らなくても登っていけるようになっていました。 斜面を直登していくと、左側から来る迂回路に出ます。 前方にも直登していく踏み跡が続いてますが、右手に続く以前からある岩盤に切られた階段を登っていきます。
貝吹地蔵
岩盤に切られた階段を登っていくと、右手の斜面の上に貝吹地蔵があります。 明王院分岐から16分ほどで到着しました。 脇には箒が立て掛けられているので、こまめに掃除されている方がおられるようです。 何度も見かけている地蔵ですが、上半身しかないのでしょうか。 それとも下の部分は土に埋まっているのでしょうか。
貝吹地蔵
新田義貞の軍に攻められ(1333年)自害した北条高時の首を守りながら敗走する北条氏の部下たちを助けるため、 貝を吹き鳴らしたという。
 (瀬谷文化協会)
貝吹地蔵を過ぎていくと、岩盤を切り開いたような登り坂になった切通があります。 小さな切通なので難なく過ぎていくと、緩やかな尾根道になります。 切通が終わったすぐの所から、左手の高みへと道が分かれています。 その登り口には「No.27」と赤字で書かれた杭があります。 天園へは広い尾根道を進んでいくのですが、左側のすぐ上が天台山なので、今回も立寄って行きました。
天台山 (標高141.3m)
結構傾斜があって滑り易くなっているので、足元に注意しながら尾根の背を登っていきます。 緩やかになって笹竹が生い茂る中を進んでいくと、草木が少なくなったこじんまりとした所に出ます。 尾根道から2分もしない所になります。 小さな石祠があって、その前には三等三角点もあります。 その上面には「天台山」と書かれていました。 脇に生える樹木の幹には、マジックで「天台山141.3m」と書かれています。 石祠には識別できそうな文字は見かけませんでした。 中には線香立ての缶と小銭のお賽銭などがありました。 周囲は笹竹などに囲まれていて展望は得られません。 右手に生い茂る笹竹の中へと踏み跡(*)が続いていますが、すぐ先で不明瞭になっています。
*天台山の山頂は笹竹や雑木などが生い茂っていますが、南北に続く緩やかな所になっています。 笹竹の中へ続く踏み跡はその山頂の北へと続いています。 笹竹や雑木などを掻き分けながら進んでいくと、 急坂を降って西へ曲がった所に石切場跡のような大きな穴が開いています。 それもやぐら群なのかも知れません。 そこから南へ続く植林帯の斜面を進んでいくと、 先ほどの「No.5」の標柱の所から左手へ分かれてきた道に出ます。 そのすぐ先に21番鉄塔が立っています。
三等三角点
基本測量
たいせつにしましょう三角点
 (建設省国土地理院)
天台山から元の尾根道に引き返してきて、その先へと進んでいきます。 広くて緩やかなしっかりとした尾根道を1分ほど進んでいくと植林帯になってきます。 太い樹木が立ち並んでいる所を過ぎてその先へ進んでいくと、 再び太い樹木が立ち並んでいる所があります。 そこから右手へと道が分かれて降っていきます。 脇に生える樹木には 「国鉄送電線巡視路No.26 No.25 森林愛護 火の用心」と書かれた黄色い板が取り付けられています。 この道も吉沢川へと降っていけますが、このまま正面に続く尾根道を進んでいきます。
(右手の道は「鎌倉アルプス」を参照)
展望地
吉沢川への分岐を見送って数10m進んでいくと、左手の樹木が疎らになった所がありました。 ベンチ代わりなのか、1mほどの長さの丸太が幾つか置かれていました。 先の方へ出てみると、鎌倉の尾根の奥には丹沢や箱根の山並を見渡せる展望地になっていました。 以前にはなかったように思いますが、最近になって下草などを刈り払って整備したのでしょうか。 生憎の曇り空で、遠くの山並はぼんやりとしていましたが、 切り立った特徴的な姿をした山が薄らと見えていました。 金時山だとすると、天候に恵まれれば富士山も望めそうに思えました。
尾根道に戻って1分ほど進んでいくと、道が二手に分かれています。 以前には道標が立っていたのですが、最近では見かけなくなりました。 正面から左手へ少し曲がっていく道は、送電線の鉄塔へ続く巡視路です。 「キケン注意」と書かれた黄色いテープで閉ざされていた時期もありましたが、この時にはありませんでした。 天園へは岩盤になった右手のちょっとした切通を抜けていきます。
天園から獅子舞地区へ降り始めた角から分かれていく小径に入って、 途中にある分岐を左手に進んでくると、ここに出られます。
獅子舞分岐
再び植林帯になった尾根道を進んでいきます。 少し傾斜の増した植林帯を登っていくと、正面が開けて山並みを見渡せたりもします。 左手へと曲がって雑木林に続く尾根道を更に進んでいきます。 ちょっとしたマウンドを越えて降り気味に進んでいくとX字路に出ます。 角には古びた道標が立っていて、 左手の道は「獅子舞経由鎌倉宮」となっていて、「永福寺アト」と書き込まれていました。 今来た道は「瑞泉寺」となっていました。 天園の短い解説文が書かれた真新しい道標が立っていた時期もありましたが、少し前から撤去されています。 右手の道は天園休憩所の下を過ぎて市境広場方面へ続く巻き道で、 左手の道は獅子舞地区へ降っていく道になります。 手前の左側の高みへ戻るようにして登っていく細い道もありますが、道標には何も示されていません。 正面の高みへ登っていく道は、台風の影響などで通行禁止になっていた時期もありましたが、 少し前から通れるようになっています。 以前には見かけませんでしたが、登り口から岩場の手前まで横木の階段が出来ていました。
何度となく歩いている天園周辺の道ですが、 コース沿いにある天園に関する道標は、設置されたり撤去されたりがかなり繰り返されています。 古くなったから撤去したということではないように思えますが、その理由はよく分かりません。
見晴台
ちょっとした岩場を登っていくと、岩が剥き出した高みに着きます。 眼下には鎌倉の山々が広がり、その奥には鎌倉の街並みが見えています。 材木座海岸から由比ヶ浜やその先の稲村ヶ崎も見えていました。 相模湾の向こうには、箱根や伊豆の山々をはじめ、富士山も望める眺めの素晴らしい所なのですが、 この時には残念ながら曇り空で見えませんでした。
天園ハイキングコースは、獅子舞分岐から右手の巻き道を進み、 その途中から天園休憩所の前を登ってこの岩場の先の尾根に出て、 天園峠の茶屋へと続くルートになっていた時期もありましたが、 新たに横木の階段が設置されたことでもあるし、この岩場を通っていく元のルートに戻されたように思えます。
天園見晴台
眼下に鎌倉の町並、海、遠く前方には箱根の山々、富士山、伊豆方面が眺められ、大変に趣きがあります。
天園 (標高159.4m)
岩場を過ぎてその先へ進んでいくと、すぐに右手へ道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、右手の道は「瑞泉寺 約30分・鎌倉宮 約30分」、 正面の道は「建長寺」、今来た道は「天園見晴台」となっています。 右手のすぐ下には天園休憩所がありますが、まだ開店前だったので見送っていきました。 小型車なら何とか通っていける幅のある道を登っていくと、すぐに天園峠の茶屋があります。 天台山から17分ほどで登って来られました。 この天園からは安房・上総・下総・武蔵・相模・伊豆の六つの国が見渡せるので、 「六国峠」という名前も付けられています。 天園峠の茶屋には、テーブルやベンチが沢山設置されています。 昔の駅舎にあるような「鎌倉天園」,「六国峠」の看板もあって、雰囲気が盛り上がってきます。 景色を眺めながらひと休みしていくのには良い所ですが、 お昼にはまだ早かったので、休憩せずに先へと進んでいきました。
横浜市内最高地点
栄区上郷町 海面からの高度:159.4m
横浜市内最高地点は、鎌倉市境にある大平山(山頂は鎌倉市域)の尾根沿い(栄区上郷町)で、 この付近となります。 背後の鎌倉市方面には、鎌倉市街や、相模湾を臨むことができます。
このサインは、横浜開港150周年を記念して設置しました。
 (栄区役所、横浜栄ラインズクラブ)
天園峠の茶屋の先に続くコンクリート打ちされた坂道を降っていくと、程なくして緩やかで広い尾根道になります。 道が茶色い色をしていて何だろうと思っていると、瓦を砕いたものが敷きつめられていました。 僅かな高みを越えて、再びコンクリート打ちされた坂道を降っていくと分岐があります。 右手の道には車止めゲートがあって「関係者以外立入禁止」となっています。 正面の道のすぐ先には天園公衆便所があります。 壁には「天園周辺公衆トイレ案内図」も貼り出してあります。 右側には鎌倉カントリークラブのゴルフコースが広がっています。
右手の道の先には資材置場のような建物があり、その先はちょっとした駐車場になっています。 明瞭な道はそこで行き止まりになっていますが、手元の地図では、 天園の北側から野七里地区へ降っていく尾根道の途中に出る道が描かれているので、 僅かな踏み跡が続いているのかも知れません。
大平山 (標高159.2m)
トイレを過ぎていくとすぐに分岐があります。 角には大きな道標が立っていて、左手の道は「建長寺約3.1km・覚園寺約2.4km」、 今来た道は「瑞泉寺約1.9km」となっています。 右手の道を示す板はありませんが、クラブハウスの前を経て天園橋へ降っていく道になります。 左手の道を進んでいくと、クラブハウスの裏手にある広場に出ます。 広場の奥へ進んでいくと、岩山になった大平山があります。 岩場を登って高みに着くと、神奈川県内広域水道企業団の標識「節点 久木-1」があって、 金網柵には「大平山 海抜159.2m <鎌倉市最高地点>」と書かれた板が取り付けらています。 以前には「159m」となっていましたが、最近になって「.2」が書き加えられたようです。 また、鎌倉市が設置する「一級基準点No-109」もあります。
何度となく登っている大平山ですが、これまで一級基準点には気が付きませんでした。 様子からすると以前からあったようですが、 中ほどに飛び出してかなり目立つ広域水道企業団の標識とは違って、 基準点の方は脇の方にひっそりとあるので見逃していたようです。
右手の金網越しには、ゴルフコースの奥に、横浜の街並みを見渡せる眺めが広がっています。 この時は霞んでいたものの、横浜のみなとみらい地区にあるランドマークタワーなどが見えました。
No.10 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
笹竹の生い茂る所を過ぎていくと、植林帯にある抉れ気味の急坂を降るようになります。 坂を降り切って緩やかになった尾根道を進んでいきます。 「天園ハイキングコース」になっているこの尾根道は、よく踏まれてしっかりとしています。 岩盤が剥き出した所を過ぎて降っていきます。 雑木林になってきた道を進んでいくと、再び岩盤が剥き出した所があります。 大平山から5分ほどの所になります。 ここで道が二手に分かれています。 正面の道はしっかりとした様子ですが、すぐ先で急速に狭く不明瞭になります。 ここは左手の岩にV字型に切られた溝のような所を過ぎて、その先へ続く尾根道を進んでいきます。
この辺りから、左手に続く小尾根に登っていく踏み跡が何箇所か分かれていますが、 そのまま広い尾根道を進んでいきます。 植林帯になってきた尾根道を進んでいきます。 切通のような所を過ぎていくと、再び岩場があります。 大平山から10分ほどの所になります。 岩場を降りて、左手に戻るようにして続く尾根道を更に進んでいきます。
左手の小尾根にも踏み跡が続いていて、天園から獅子舞地区へ続く道に降りて行かれます。
(「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」を参照)
広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 途中で踏み跡がふたつ右手に分かれていきますが、やり過ごしていきます。 岩場を越えていくと、右手には庇のようになった岩壁があります。 その先に現われる岩盤にV字型に切られた溝のような所を降っていきます。 同時には一人しか通れないので、向こうから来る人とすれ違う時には、譲り合いの精神でいきましょう。
鷲峰山 (標高127m)
緩やかになった尾根道を進んでいきます。 岩盤が剥き出した高みを過ぎていくと、道端に送電線の鉄塔「北鎌倉線No.16」が立っています。 大平山から20分ほどの所になります。 鉄塔を囲む金網柵の左側に踏み跡が続いていて、そのすぐ上が標高127mの鷲峰山の山頂になりますが、 今回は登るのを止めておきました。 高みの左側に続く道を緩やかに降っていくと、道の真ん中には特徴的な形をした大岩が立ちはだかっています。 道はその岩を避けるようにして両側に続いています。
金網柵の角まで行って、左へ続く踏み跡を登っていくと、1分もせずに鷲峰山の山頂に着きます。 山頂は狭い所ですが、鎌倉市の設置する「一級基準点No-111」があります。
今泉台分岐
岩盤の剥き出した道を降っていきます。 鷲峰山から降ってきた踏み跡を併せて、岩が剥き出した所を更に降っていきます。 緩やかになって右側にロープ柵が設置された道を進んでいくと、十字路になった分岐があります。 大平山から23分ほどで到着しました。 中ほどに立つ道標によると、正面の道は「建長寺約1.9km」、左手の道は「覚園寺約1.2km」、 右手の道は「今泉台住宅地」、今来た道は「天園約1.2km・瑞泉寺約3.1km」となっています。 正面の道は建長寺方面へ、右手の縦杭の階段は今泉台六丁目公園へ降りて行けますが、 今回は左手の道を進んでいきます。
歴史的風土建長寺浄智寺八幡宮特別保存地区
この区域内において天地区物の新築・改築・増築・土地形質の変更・木竹の伐採等の行為をするときには許可がいります。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター)
No.14 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
左手の道を進み始めると、すぐの所から左手の高みへ登っていく踏み跡が分かれています。 その先には鷲峰山の南側の辺りまでやぐら群が続いていますが、今回は訪ねるのを省略しました。 正面の横木の階段を降り、道なりに左折していくと、山際にやぐらが幾つかありました。 その中のひとつを覗ってみると、四角く刳り貫かれた穴には石仏や石碑が並んでいました。
岩盤が剥き出した坂道を降っていきます。 幅が狭まって切通のような所もあります。 「崖落の恐れあり 通行注意」の看板を過ぎていくと緩やかな道になってきます。 再び「崖落の恐れあり 通行注意」の看板を過ぎていくと、 道の両側に背の高い笹竹が生い茂る広い回廊のような所があります。
笹竹の回廊が終わって、小さな切通のような所を抜けて、尾根の左側・右側と進んでいくと、 再び岩盤が剥き出した坂道になってきます。 雨が降った後などでは滑り易いので、注意して降っていきます。 岩盤が終わって横木の階段を降っていくと、広めで緩やかな道になってきます。
覚園寺分岐
「保存樹林」,「歴史的風土建長寺・浄智寺・八幡宮特別保存地区」,「保安林」などの標柱を過ぎていくと、 左手の住宅地へ降りていく道が分かれていきます。 その袂には道標が立っていて、正面へ続く道は「覚園寺方面」となっています。 左手の道を見送って、生垣のようにして植えられた樹木に沿って続く道を進んでいきます。 その先の竹林を抜けていくと、右手へ曲がっていく角から正面の尾根へと踏み跡が分かれています。 今泉台分岐から15分ほど降って来た所になります。 これまで歩いて来た天園ハイキングコースは右手へ曲がって覚園寺方面へ降っていきますが、 今回は正面の尾根に続く踏み跡に入っていきます。
歴史的風土建長寺・浄智寺・八幡宮特別保存地区
この地区内において建築物の新築・改築・増築・土地形質の変更・木竹の伐採等の行為をするときは許可がいります。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター、鎌倉市役所)
これまでのハイキングコースに比べると歩く人が少ないようで、細木などが生えていたりもしますが、 踏み跡は明瞭に続いていました。 尾根に続く緩やかな道を2分ほど進んでいくと、 道の両側に門のように生える大きな樹木の先が深い鞍部になっています。 崖のような所を降って鞍部に着くと、左手へ道が分かれています。 その先の方にはロープ柵が設置された道が見えています。 この尾根から谷筋へ降っていく道になります。 ここからその道へ降りた方が近道なのですが、今回は鞍部を登り返した先の分岐から降っていくことにしました。
遊歩道分岐
鞍部から崖のような所を登っていきます。 少し緩やかになった尾根を更に登っていくと、鞍部から1分ほどで分岐があります。 登り着いた所には道標が立っていて、正面の尾根道と左手へ降っていく横木の階段は「遊歩道」となっています。 今来た道には何も示されてはいません。 正面から来て左手へ降っていく道は、永福寺跡の周囲を巡る遊歩道になっています。 正面の道を進んでいくと鎌倉宮カントリークラブのテニスコートの脇に降りて行かれますが、 今回は左手の階段を降っていきました。
(正面の道は「鎌倉アルプス」を参照)
ロープ柵が設置された横木の階段を降っていくと、すぐに左へ曲がって、植林地の斜面に続く山道を降るようになります。 傾斜はそれほど急ではなくて歩きやすくなっていました。 1分ほど降っていくと、左手の鞍部から降ってくる道が合流してきます。 その道を併せて、再び現れる横木の階段を右・左と曲がりながら降っていくと、 正面の谷筋には草地が広がるようになります。 草地を眺めながら降っていくと、尾根から3分ほどで小さな谷筋に降り立ちました。 ここにも「遊歩道」の道標が立っていて、今降って来た階段を指していました。 左手の方へ進んでいくと、小さな水の流れもありました。 奥にはベンチの設置された広場がありました。 その先は行き止まりになっていましたが、しっとりとした雰囲気の場所になっていました。
谷筋の右手にも広場があって、この谷筋全体が広場のようになっていました。 この時は夏草が生い茂っていて、足元を露に濡らしながら進んでいきました。 左手の山際には家が建っていて、その前の道へ続く道が左手へ分かれていますが、 右手へ続く踏み跡を進んでいきます。 広場の先まで進んでいくと、その下すぐの所から永福寺跡が広がっていました。 脇には「永福寺跡」の解説板が設置されています。 その中に描かれている「永福寺復元図」を載せておきます。
国指定史跡 永福寺跡 昭和41年6月14日指定
永福寺は源頼朝が建立した三大寺院の一つです。 奥州平定(文治5年(1189))で犠牲となった源義経や藤原泰衡らの霊を供養するため、 奥州の地で見聞した中尊寺大長寿院二階大堂や毛越寺などを模した壮大な寺で、 建久5年(1194)に中心伽藍が完成したと伝えられています。 中心伽藍は二階堂・阿弥陀堂・薬師堂の三堂で、それぞれに各三人の有力御家人を奉行として置き、 京都から招いた庭師に造らせた庭園は広い苑地に自然石を配した見事なもので、 往時には鎌倉きっての名勝地とうたわれていました。 13世紀の中頃、大規模な改修が行われ、鎌倉時代の後半に何度か焼失したものの再建されましたが、 鎌倉幕府滅亡後も鎌倉公方の足利氏によって保護されました。 しかし、応永12年(1405)の火災による焼失以後は再建が行われず、 江戸時代の初め頃には廃寺となってしまいました。 発掘調査により、前面に池を配し、阿弥陀堂・二階堂・薬師堂が一直線に廊でつながり、 翼廊というL字形の廊を配した南北130mに及ぶ中心伽藍が発見されました。 堂の配置は独特のもので、池に配された庭石の規模も非常に大きく、 鎌倉幕府の独創性と権威を表わす寺として注目されています。 永福寺跡は、今後史跡公園として整備し、公開していく予定です。
 (鎌倉市教育委員会)
源頼朝が建立した三大寺院とは、鶴岡八幡宮・勝長寿院・永福寺ですが、現存するのは鶴岡八幡宮だけです。 鶴岡八幡宮は江戸時代までは「鶴岡八幡宮寺」と呼ばれる神仏混淆の施設でしたが、 明治時代の神仏分離令などによって仏教関連の施設はなくなったようです。 勝長寿院は雪ノ下にありましたが、室町時代に廃寺になったようです。
亀ヶ渕橋
左側にある夏草が生い茂る横木の階段を降って、小川に架かる幅の広い小橋を渡ると舗装路に出ます。 そこから流れに沿って続く舗装路を右手へ進んでいきます。 右側に広がる永福寺跡を眺めながら石垣沿いに進んでいくと、二階堂川に架かる亀ヶ渕橋に出ます。 橋を渡った先には、獅子舞地区から天園へ登っていく道が続いていますが、 ここを右折して鎌倉宮へ向かっていきます。
砂防指定地 二階堂川
この土地の区域内において宅地造成・家屋の新築・土採取等の行為をする場合は、 神奈川県知事の許可が必要ですから藤沢土木事務所に御相談下さい。
 (神奈川県)
永福寺跡
二階堂川沿いを進んでいくと通玄橋が架かるT字路があります。 左手の先には瑞泉寺がありますが右折していくと、 テニスコートの脇に永福寺跡の石碑や解説板があって、 往時の建物と庭園の図も載っています。 それによると、二階堂・阿弥陀堂・薬師堂の前には広い池があって、規模の大きな寺院だったようです。
国指定史跡 永福寺跡
永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、 荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂大長寿院を模して建久3年(1192)、工事に着手しました。 鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年から発掘調査を行い、 中心部の堂と大きな池を廃した庭園の跡を確認しました。 堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、 東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、 前面には南北100メートル以上ある池が造られていました。 市では昭和42年度から土地の買収を行っており、今後は史跡公園としての整備事業も進めていく予定です。
 (鎌倉市教育委員会)
永福寺舊蹟
永福寺世ニ二階堂ト称ス今ニ二階堂ナル地名 アルハ是ガタメナリ文治五年頼朝奥州ヨリ凱 旋スルヤ彼ノ地大長寿院ノ二階堂ニ擬シテ之 ヲ建立ス輪奐荘厳洵ニ無双ノ大伽藍タリキト 云ふ亨徳年間関東官領ノ没落セル頃ヨリ後全 ク頽廃ス
 (鎌倉町青年會)
鎌倉宮
鎌倉宮カントリーテニスクラブへの道を見送って真っ直ぐに3分ほど進んでいくと、右手の水路に小さな橋が架かっています。 その橋を渡っていくと鎌倉宮の境内になります。 この時は例祭が行われる日だったようで、境内には櫓が組まれて、雪洞を吊るした綱が四方に伸びていました。 祭囃子が午後から催され、 金魚すくい・ヨーヨー大会、夜祭楽市、納涼踊りの夕べなどが夕方から夜にかけて行われるようでした。
鎌倉宮
御醍醐天皇の皇子である護良親王を祭神とする神社です。 護良親王は、後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕の動きに呼応して幕府軍と戦うなど貢献しました。 幕府が滅亡し天皇親政が復活(建武の新政)すると征夷大将軍に任じられましたが、 その後足利尊氏と対立して捕えられ、28歳で非業の最後を遂げました。 社殿の後ろ手に残る土牢が親王最後の地と伝えれています。 10月には境内で薪能が催されます。
 (鎌倉市)
広い境内の奥の石段を登っていくと、左手に手水舎、右手には社務所があります。 例祭にあたって、小田原流鎌倉支部の献華も出されていました。 社務所の前には天然記念物のオガタマノキがあります。 鳥居をくぐった先に社殿があります。 本殿は拝殿の奥の方に見えていて、かなりの距離があるようでした。 何だか厳かな雰囲気が漂っていました。 本殿の屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 拝殿には「獅子頭守(ししがしらまもり)」と呼ばれる赤い大きな獅子頭が置いてあります。 祭神である護良親王が戦いに赴くとき、兜の中に忍ばせて自らの無事を祈ったことが由縁で、 鎌倉宮の創建当初からお守りとされているようです。 奥には土牢や神苑などがあるようですが、訪ねるのは省略しました。
天然記念物(鎌倉市指定) 小賀玉の木 一株
小賀玉(招霊)  春葉腋にやゝ紫を帯びた白色の花で香をはなつ果実は集まって毬果状をなす。
招霊の実  天宇受賣命、天岩戸の前で神楽を舞った時、此の枝を持っていたと伝えられ、 鈴様の実を結ぶため神楽鈴の起源と言われる。
開花 三月末頃、 実 十月中頃
 (鎌倉宮 社務所)
手水の作法
一、左手を清めます。
二、右手を清めます。
三、左の手のひらに水を受けて口をすすぎます。
四、水の入った柄杓を手前に立て柄に水を流してから伏せて置きます。
五、柄杓に直に口をつけたり直接中で洗ったりしないで下さい。
 (鎌倉宮社務所)
社殿の右側には村上彦四郎義光公を祭神とする村上社があります。 この社の屋根にも5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 その前に「撫で身代り」の像がありますが、 撫でていく人が多いようで、欅で出来た像はツルツルになっていました。 願い事を書いた「身代り人形」も沢山奉納されていました。
撫で身代り
御自分や大切な方の気になる箇所を心を込めて三度撫でて下さい。 大切な方は身代り布で撫でてお帰りになってその方を撫でて下さい。
撫で身代りの由来
村上義光公は、護良親王の忠臣にして、元弘3年(1333)正月、吉野城落城の折、 最早これまでと覚悟を決めた護良親王は、別れの酒宴をされました。 そこへ村上義光公が16本もの矢を突き立てた凄まじい姿で駆けつけ、 親王の錦の御鎧直垂をお脱ぎいただき、 自分が着用して「われこそは大塔宮護良親王ぞ、汝ら腹を切る時の手本とせよ」と告げて、 腹を一文字に掻き切り、壮絶な最後をとげ、その間に親王は南に向って落ちのびました。 このように身代りとなられた村上義光公を境内の樹齢103年の欅の大木にて彫り上げ、 「撫で身代り」として入魂致しました。
この鎌倉宮は「大塔(鎌倉宮)の夜雨」として「三浦半島八景」のひとつに数えられています。 脇には大きな「鎌倉市観光案内図」があって、寺社以外にも、 天園ハイキングコース、葛原岡・大仏ハイキングコース、祇園山ハイキングコースなども紹介されていました。
三浦半島八景 大塔(鎌倉宮)の夜雨
「三浦半島八景」は、神奈川県が三浦半島地区の4市1町と協働して、 この地域の"うるおい","にぎわい"づくりをめざし、 半島をぐるっとまわれるような新たな「八景」をつくるため「三浦半島八景」選定委員会を設置し、 県民の皆様のご意見を参考に平成13年11月に選定したものです。
・大塔(鎌倉宮)の夜雨
・灯台(燈明堂)の帰帆
・大佛の秋月
・長者ヶ崎の夕照
・神武寺の晩鐘
・猿島の晴嵐
・城ヶ島の落雁
・建長寺の暮雪
「八景」の考え方は15世紀に中国から日本に移入されました。 「近江八景」や「金沢八景」が有名ですが、 三浦半島地域でもこれまでにたくさんの「八景」が残されています。 伝統的な「八景」は次の八つの景色を基本形につくられ、 それぞれ次のような情景を表わすのではないかと言われています。
・夜雨:水辺の夜の雨
・帰帆:港に帰る漁船
・秋月:水辺に映える秋の月
・夕照:夕日に照らされた遠くの山
・晩鐘:山寺の晩鐘
・晴嵐:朝もやに煙る松林
・落雁:干潟に降り立つ雁の群れ
・暮雪:夕暮れの雪景色
 (神奈川県横須賀三浦地区県政総合センター)
大塔宮(だいとうのみや)バス停
鎌倉宮の境内を横切って短い橋を渡った所に大塔宮バス停があります。
鎌倉駅(JR横須賀線)まで、[鎌20]鎌倉駅行きバスにて7分、1時間に4本程度の便があります。
鎌倉駅までの道路は渋滞することが多いので、 荏柄天神社や鶴岡八幡宮などを訪ねたり、段葛や小町通りを通ったりしながら、 鎌倉駅までのんびりと歩いていくのもいいかも知れません。