巡礼古道
散策:2011年06月中旬
【街角散策】 巡礼古道
概 要 観音信仰が盛んだった鎌倉時代の初期に「坂東三十三観音霊場」が開設されました。 今回はその中の第1番の杉本寺から第2番の岩殿寺へと通じる巡礼古道の一部を歩きます。 途中で巡礼古道から分れて鎌倉大町地区へ降り、 黄金やぐらを経て再び尾根道に登って名越切通へ向かっていきます。
起 点 鎌倉市 浄明寺バス停
終 点 逗子市 披露山入口バス停
ルート 浄明寺バス停…報国寺…巡礼古道…金剛窟地蔵尊…浄明寺6丁目…浄明寺緑地…富士見百景…黄金やぐら…鎌倉四季の里…登り口…やぐら群…尾根道…展望地…大切岸…石廟…法性寺分岐…無縁諸霊之碑…名越切通…まんだら堂分岐…小坪階段口分岐…亀が岡団地…披露山入口バス停
所要時間 2時間20分
歩いて... 鎌倉大町地区へ降る道には石段が続いていて、斜面にはスイセンが一面に植えられていました。 この時は咲いていませんでしたが、花の季節には綺麗な眺めになるように思えました。 尾根道に登り返していく道の途中にはやぐら群がありますが、 夏草がかなり生い茂っていて分かり難くなっていました。
関連メモ 衣張山, 名越切通, 鎌倉大町, 衣張山, 鎌倉回峰, 巡礼古道, 巡礼古道, 名越切通, 衣張山, 名越切通, 衣張山,
名越切通, 衣張山
コース紹介
浄明寺(じょうみょうじ)バス停
鎌倉駅(JR横須賀線)の東口から、、[鎌23]鎌倉霊園正門大刀洗行きバス、[鎌24]金沢八景行きバス, または,[鎌36]ハイランド循環バスにて8分、1時間に4本から6本程度の便があります。
バス停の傍に道標が立っていて、「ここは浄妙寺」、 この先の道は「光触寺1.1km」、鎌倉駅方向の道は「報国寺200m」「杉本寺330m」となっています。 傍には「住居表示街区案内図」があって、 これから向かう報国寺や巡礼古道への道が載っているので参考にしましょう。 以前に岩殿寺で見かけた巡礼古道に関する解説板の内容を参考までに載せておきます。 道標「報国寺」に従ってバス停から引き返していきます。
バス停やこの地区の名前は「浄明寺」ですが、お寺の名前は「浄妙寺」となっています。 異なる漢字が使われている理由はよく分かりません。
坂東三十三観音霊場
「坂東三十三観音霊場」は鎌倉時代の初期に開設された観音霊場で、 その昔に「坂東」と呼ばれた箱根以東の地域にある寺院を巡るものです。 鎌倉市にある第1番の杉本寺から始まって、館山市にある第33番の那古寺まで、 関東の一都六県を巡るように設定されています。 今回歩く巡礼古道は、その第1番の杉本寺から第2番の岩殿寺へと向う道になっています。
岩殿寺碑文
かつてこの山頂より北(鎌倉二階堂)にかけて巡礼の古道があった。 征夷大将軍源頼朝は当山(岩殿寺)の観音様を守り本尊とされ、 鎌倉での政権を執っていた時代は毎月18日の観音様の縁日には、 必ず月詣をこの古道よりされたと「吾妻鏡」は伝えている。 しかしこの由緒深き古道も時代の波というより逗子市の団地開発という 政策によりあえなく消え去ってしまった。 古道には多くの路傍の石仏が祀られていた。 わずか一里の道として素晴らしく巡礼者の心を慰めた。 いまここに多くの消滅した石仏をはじめ緒霊を供養する心を尊んで、 心を同じくする善男善女の方々と正教観音塔を造立した。
 (逗子ハイランドの環境を守る会)
すぐの所にある報国寺入口交差点の横断歩道を渡り、 滑川に架かる華の橋を渡っていくと、 右手に庚申供養塔や五輪塔などが幾つか並んでいました。 真ん中の石碑には大きな顔が刻まれていました。 その脇から続く階段から滑川へ降りてみると、大きな鯉が沢山泳いでいました。 川から上がって、脇に立つ道標「報国寺130m」に従って、正面に続く路地を進んでいきます。
報国寺
住宅地に続く登り坂になった道を進んでいくと、参拝者専用駐車場の先に報国寺の山門があります。 山門をくぐって樹木の生い茂る庭風の参道を進んでいきます。 苔むしていたり枯山水があったりと、風情のある庭になっています。
報国寺
宗派:臨済宗建長寺派   山号寺号:功臣山報国寺
建立:建武元年(1334)   開山:天岸慧広(仏乗禅師)   開基:足利家時
足利、上杉両氏の菩提寺として栄えました。 開山は五山文学を代表する天岸慧広(仏乗禅師)です。 仏乗禅師は、中国より招聘された円覚寺の開山・無学祖元に師事し、のちに中国へ渡って修業した高僧です。 開山自筆と伝えられる「東帰集」や自ら使用した「天岸」、「慧広」の本印は国の重要文化財で、 鎌倉国宝館に保管されています。 孟宗竹の竹林が有名で、竹の寺とも言われています。
 (鎌倉市)
歴史的風土特別保存地区指定地図
昭和63年6月17日から、この地区は、歴史的風土特別保存地区になりましたので、 建築物、工作物の新築・改築・増築、土地形質の変更、木竹の伐採、土石の類の採取、 建築物、工作物の色彩の変更、屋外広告物の表示又は、掲出及び水面の埋立又は、 干拓の現状変更行為をするときは、許可がいります。 違反すると刑罰に処せられます。 なお行為の申請、質問等の申出は下記へ。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター環境部、鎌倉市役所)
竹樋から水が流れ落ちる小池の先の石段を右手に登っていくと本堂があります。 右側には迦素堂があって、この時には座禅の修行が行われていました。 左側には茅葺きの鐘楼があって雰囲気のいい境内になっています。 鐘楼の側には沢山の五輪塔が並んでいて哀悼歌を刻んだ石碑もありました。 本堂の左側の入口から奥へ入っていくと、見事な竹林「竹の庭」が広がっていますが、 これまでにも何度か訪ねているので、今回は入らずにおきました。
鎌倉札所第十番 浄明寺 報国寺
聖観世音菩薩
よきにつけ あしきにつけて みほとけを たのむわかみは いさくにのため
哀悼歌
いさおしも槍も刃も埋れて梢に寒し松風の音
華の世を所業つたなく散る君に香一片を焚きておろがむ
元弘三年五月(1333)北条一族と新田勢が合戦の折、両軍戦死者の遺骨を由比ヶ浜よりこの地に改葬す。
昭和四十年秋 当山現住 菅原義道建之
巡礼古道
報国寺を後して左手に続く道を進んでいきます。 浅い谷筋の水路沿いに緩やかな登り坂が続いています。 2分ほど進んでいくと左手に分かれていく路地があります。 角に立つ電柱には「浄明寺二丁目6」の住所表記があります。 その脇に「巡礼古道」や 「巡礼古道 衣張山山頂へ」と書かれた小さな板切れが括り付けられていて、 左手の道を指しています。 正面の道は旧華頂宮邸を経て浄明寺6丁目沿いの尾根へ登っていけますが、 今回はここを左折して、巡礼古道へ入っていきます。
(正面の道は「巡礼古道」を参照)
浄明寺宅間C地区急傾斜地崩壊危険区域
この区域内で、のり切・掘削・伐採等を行う場合は、知事の許可が必要ですから右記へお問合わせ下さい。
 (神奈川県藤沢土木事務所)
住宅の間に続く細い路地を進んで山際まで行くと、幅の広い石段が現れます。 金網柵沿いの石段を登っていくと、道が左右に分れています。 右手の道の先には柵があって立入禁止のようなので、左手に続く柵沿いを更に進んでいきます。 程なくして苔むした古い石段を登るようになると、ロープが設置されていたりもします。 坂を登って降り始める所まで来ると、右手へ道が分かれていきます。 金網柵沿いの道にはあまり歩かれていない様子なので、ここは右手へと登っていきます。
雑木と杉・桧が混じる斜面を横切るようにして登っていきます。 2分ほど登って崖の縁に出ると、柵が設置されていました。 少し左へ曲がっていくと、 傾斜がある所には苔生した石段が敷かれていて、古くからある道であることが分かります。 道端には「庚申塔」と刻まれた板碑が幾つも残っていて、「巡礼古道」である雰囲気が出てきます。 往時の巡礼道には沢山の石仏が並んでいたのだそうですが、この時には石仏は見かけませんでした。 開発の波に押されて消えていったのでしょうか。
金剛窟地蔵尊
板碑が続く石段混じりの古道を登っていきます。 巡礼古道の入口から8分ほどで道が二手に分かれています。 角には庚申塔の板碑もありました。 古道は右手へと続いているのですが、左手のすぐ先に地蔵尊があるので立寄っていきました。 広くてなだらかになった道を左へ進んでいくと、すぐに小広くなった所があります。 そこの岩壁に洞が開けられていて、その中に地蔵尊が安置されていました。 袂には小さな石仏や庚申塔が幾つかありました。 「金剛窟地蔵尊」と書かれた小さな標識があったので、 この地蔵尊の名前なのでしょう。
手前の分岐まで引き返して、その先へと進んでいきます。 「庚申塔」と刻まれた板碑が点々とある道を2分ほど進んでいくと、道端に大きな岩があります。 その下は人工的に削られた跡が見受けられました。 何のためのものかは分かりませんでしたが、以前には石仏や石碑などが置かれていたのでしょうか。 大岩の左の石段を登って、その先へ続く緩やかになった道を進んでいきます。 この先にかけても板碑が点々と設置されていました。
小さなアップダウンを繰り返しながら、登り基調の道が斜面に沿って続いています。 今でもかなり歩かれているのか、しっかりとして明瞭になっています。 所々には数10cm〜1mほどの大きさでコンクリート製の浅い長方形のものが置いてありました。 かなり古くから置かれているようで苔が生えていたりもしました。 何の目的で置かれているのかは分かりませんでしたが、 雨水が溜まっていたりして、ちょっと手などを洗うのには良さそうでした。 金剛窟地蔵尊から10分ほど進んで僅かな高みに着くと、左手の小尾根へ登っていく踏み跡が分れていますが、 高みを越えてその先へと進んでいきます。
左手の道
試しに左手の小尾根へちょいと登ってみると、すぐの所に地面に埋まるようにして石塔がありました。 その先へ続く踏み跡を進んでいくと、程なくして左手へ戻るようにして道が分れていました。 その道は見送っていくと、古道から分れて2分ほどで道が左右に分れています。 右手の明瞭な道を緩やかに降っていくと、この先の高みの所に出ます。 左手の道は少し先で不明瞭になっていました。
(これに要した時間は所要時間に含まず)
小尾根の右斜面に続く道を進んでいきます。 板碑を過ぎていくと、右手の樹木が途切れて山を見渡せる所がありました。 そこを過ぎて少し登り坂になってくると、僅かな高みに着きました。 ここで、左手から明瞭な道が降ってきていました。 先ほどの高みの所から分かれてきた道になります。 その道を併せて、岩盤が剥き出した道を緩やかに降っていきます。
浄明寺6丁目
山際に続く岩盤の道を緩やかに降っていくと、浄明寺6丁目の住宅地に出ました。 金剛窟地蔵尊から14分ほど、巡礼古道の入口から23分ほどで歩いて来られました。 出た所の左手の岩壁には「巡礼古道 報国寺15分」の標識が取り付けられていて、今来た道を指していました。 住宅地の道路に出て、すぐ右手から続く広めの散策路へ入っていきます。
ポイ捨て禁止!
迷惑です!やめよう!空き缶、紙くず、たばこのポイすて
ポイ捨てをなくして、みんなでごみの散乱のない美しいまち"鎌倉"をつくりましょう。
 (鎌倉市)
車止めを過ぎていくと、広い散策路が続いていました。 すぐに「←巡礼古道・衣張山→」の道標が立っていました。 鎌倉ハイランド自治会の防災倉庫4と防災倉庫3を過ぎていくと、右手から登ってくる道があります。 以前には小さい道標もあったのですが、この時には見かけませんでした。 右手の道は、巡礼古道の入口の所を直進して旧華頂宮邸を経てきた道になります。 ここは正面に続くなだらかで広い散策路を進んでいきます。 すぐの所から右手に踏み跡が分れていますが、旧華頂宮邸を経てきた道の途中に降りられます。
(右手の道は「巡礼古道」を参照)
浄明寺緑地
散策路のすぐ左側には住宅地の道路が並行しています。 右手から柵が近づいてくると、幅の広い横木の階段が現われます。 階段をひと登りして、柵沿いに続く緩やかな道を右手へ進んでいくと、広い場所に出ました。 名前を記した標識は見かけませんでしたが浄明寺緑地というようです。 右が二手に分れていますが、いずれもすぐ先の広場に出ます。 高みを越えた所には藤棚が設置された休憩所がありました。 テーブル・ベンチも設置されていて、、住宅地の傍にある自然公園になっているようでした。 蒸暑い日で汗もかいたので、ベンチに腰掛けてひと休みしていきました。
藤棚を過ぎていくと、小さな池がありました。 水草が沢山生えていて生き物も棲んでいるようでした。 この時には池の中程にある蓮が、綺麗な花を咲かせていました。 息子と娘を連れた若夫婦が来ていて、池で遊んでいました。 男の子は御多分に漏れず悪さをして、母親に叱られていました。
この池は、生き物を観察するために作りました。 中に入ったり、かき回したりしないで、生き物をやさしく見守って下さい。
チョウの食草
春から秋にかけて、浄明寺緑地ではいろいろなチョウを観察することができます。 特にキチョウ・ヤマトシジミは9月〜10月にかけて多く見ることができます。 これはそれぞれのチョウの食草であるハギ(キチョウ)やカタバミ(ヤマトシジミ)がたくさんあるからです。 このように、さまざまなチョウを呼び寄せるにはそのチョウの幼虫が好んで食べる草や樹木(食草)を植える必要があります。 私たちは、この広場にさまざまな食草を植えてみました。 一度じっくりと観察してみませんか。 きっと幼虫を見つけることができるでしょう。 ただし、幼虫たちのまわりにはハチ・クモ・鳥などの天敵が沢山います。 あなたが見つけた幼虫もこれらの天敵からのがれて、やっと大きくなったのです。 あたたかく見守ってあけましょう。 なお、成虫(チョウ)が好む花や幹から甘い液の出る樹木を植えたり、 水分を補給する事のできる水場も作ってみました。 こうした場所も観察してみましょう。 この緑地で見ることのできる主なチョウを紹介します。 このほかにもチョウはたくさん飛んでいます。 図鑑で食草とチョウの姿を調べてみましょう。
アゲハチョウ 3〜10月、年4〜5回出現。疎林や林の周辺に生息。最近は都市部にも多くみられます。食草/カラタチ、サンショウ
アオスジアゲハ 5〜9月、年2〜3回出現。照葉樹林の周辺に生息。街路樹のクスノキにも産卵に訪れます。食草/クスノキ、タブノキ、ヤブニッケイ
クロアゲハ 5〜9月、年3回出現。疎林や林の周辺に生息。最近は都市部にも多くみられます。食草/サンショウ、カラタチ、ユズ
モンキアゲハ 5〜10月、年1〜3回出現。疎林や林の周辺に生息。食草/カラスサンショウ
キチョウ 6月〜周年、成虫で越冬。疎林や渓流沿いの草地に生息。食草/ハギ、ネムノキ
ヤマトシジミ 5〜9月、年3回出現。耕作地周辺に生息。カタバミさえあればどこにでもいます。食草/カタバミ
アカタテハ 5〜9月、年4〜5回出現。疎林や人家周辺に生息。樹液や果汁も吸います。食草/カラムシ、イラクサ
コミスジ 4〜11月、年3〜4回出現。林の周辺に生息。食草/クズ、ハギ、フジ
池を過ぎて林の中へ入っていくと、道が左右に分かれています。 道標類は見かけませんでしたが、右手の道は衣張山へ登っていく道で、巡礼古道は左手へと続いています。 左手へ進んでいくと、すぐの所に小祠があって、中には赤い頭巾と前掛けをしたお地蔵さんが安置されています。 少し首を傾げて何やら思案中のようです。 袂には小さな石仏などが幾つか並んでいて、小銭もお供えされていました。 脇には竹箒が立て掛けられていて、今でも綺麗に掃除などの手入れが行われているようでした。 ここから正面の谷筋へ降っていく石段が分れています。 巡礼古道は左手の柵沿いに続いていますが、ここで巡礼古道と分れて、正面の石段を降っていきます。
三浦半島の自然が危ない
外国から持ち込まれたアライグマや台湾リスなどの外来生物が増えています。 自然の中の動物や植物は、食べたり、食べられたり、すみ分けをして自然のバランスを保っています。 ここに外来生物が侵入してくると、自然のバランスが崩れてしまいます。
三浦半島の自然環境を未来に渡すための予防三原則
入れない 悪い影響を及ぼすかもしれない外来生物をむやみに日本に入れない。
捨てない ペットとして飼っている外来生物を自然の中に捨てない。
拡げない 自然の中にいる外来生物をほかの地域に広げない。
まずは、アライグマやタイワンリスにエサを与えない!
 (神奈川県横須賀三浦地域県政総合センター、鎌倉市)
富士見百景
石段を降っていく前に、柵沿いに少し進んだ所にある「富士見百景」に選ばれている所に立ち寄っていきました。 住宅地の道路に並行するようにして続く広い散策路を進んでかまくら幼稚園の裏手まで来ると、 「関東の富士見百景」の説明板があります。 右側の樹木が低くなっていて、山並みなどを見渡せる眺めが広がっています。 条件が良いと富士山が見えるのですが、この時は生憎の曇り空で見えませんでした。 以前には「逗子鎌倉ハイランドからの眺望」と題した写真が掲示されていて、 ここから見える山の名前と標高が書き込まれていましたが、この時には見かけませんでした。 参考までにその時の内容を載せておきます。
関東の富士見百景
富士山の見えるまちづくり
地点名 鎌倉市からの富士
 (平成17年11月 国土交通省関東地方整備局、(社)関東建設弘済会)
逗子鎌倉ハイランドからの眺望
大観山1015、二子山1091、駒ヶ岳1327、神山1438、大湧谷、明星ヶ岳924、明神ヶ岳1169、 金時山1213、富士山3776、御坂峠1520、三ッ峠山1786、蛭ガ岳1673、大山1252、丹沢山1567
お地蔵さんの所まで引き返してきて、谷筋へ続く広い石段を降っていきます。 金属製の手摺の外側の斜面にはスイセンが一面に植えられています。 この時には咲いていませんでしたが、 花の季節にはさぞ綺麗に咲き揃うのだろうと思いながら、かなり傾斜のある石段を降っていきました。 石段の脇には水路が設けられていて、水が勢い良く流れていました。 手元の地図によると逆川の源流のひとつのように思えました。 スイセンの群生地を眺めながら3分ほど降っていくと一旦緩やかな道になりますが、 その先で再び急な石段を降るようになります。
黄金やぐら
お地蔵さんの所から5分ほど降っていくと民家の脇に降り立ちました。 手元の地図によると、この辺りは鎌倉市の大町7丁目になるようです。 道なりに1分半ほど進んでいくと、右側に金網柵が設置されていて、 道路から2mほど降った所の岩壁に平たい穴が開けられています。 ここが黄金やぐらになります。 前日に雨が降ったこともあって、穴にはかなり水が溜まっていて、傍までは行けませんでした。 その昔には黄金色の輝いたということですが、この時にはよく分かりませんでした。 金網柵には小さな標識が取付けられていて、簡単な解説文が載っています。
黄金やぐら
「やぐら」とは、13〜15世紀に鎌倉地方で流行した墓の一様式です。 やぐらの内部の水中に光ごけが発生し、 のぞくと黄金色に輝いたことから黄金やぐらと名づけられたといわれています。
 (鎌倉市)
黄金やぐらを後にして、その先へと進んでいきます。 僅かにS字形に右へ曲がっていくと、少し曲がった十字路があります。 そこを直進して傾斜の増してきた坂道を降っていくと、左右に通る道に出ます。 左手から逆川が流れてきて、正面の方へ少し離れていく所になります。 お地蔵さんの所から10分ほどで降りて来られました。 正面に立つ電柱には「大町六丁目2」の住所標記が取り付けれていて、 その脇に手書きの「大町七丁目案内図」が設置されています。 右手へ進んでいくと県道311号の三枚橋の辺りに出られますが、 今回はここから再び尾根へ登るべく、左手へ進んでいきます。
(右手の道は「名越切通」, 「衣張山」, 「名越切通」を参照)
川沿いに60mほど進んでいくと、川は暗渠へ入っていきます。 次第に民家が少なくなってくる道を登り気味に進んでいきます。 案内図のあった所から2分ほどして最後の民家を過ぎていくと、谷筋の森へ入っていきます。 その入口の所で、再び流れが暗渠から出てきます。 逆川の源流のひとつになるのでしょう。 手元の地形図では、二重線の道から破線の道に変わる辺りになります。
森へ入っていくと、土の道になります。 植林帯になった谷筋に続く道は広めで、小型車なら通って行けるだけの幅があります。 この先にある畑地へ続く農道のようでした。 流れは道に沿って続いていますが、もはや溝のような姿になってきます。 日陰になっているためか、沿道にはシダ類が生い茂っていて、 ヒンヤリとして雰囲気のいい道が続いていました。 道幅が広がって車の交換場所のようになっている所を過ぎていくと、 細い山道(*)が右手へ戻るようにして分れていきます。 手元の地形図に載っている道かとも思いましたが、この時には夏草がかなり生い茂っていたので、 いずれ冬枯れの季節にでも探るとして、今回は登り気味に続く広い道をそのまま進んでいきました。
*後日に右手の道を歩きました。(「名越切通」を参照)
右手の山道を見送ったすぐ先で、左側に続いてきた流れは、道に埋設された管の中を流れるようになります。 管から出てきた流れに沿ってその先へ進んでいきます。 僅かな切通のような所を過ぎて少し開けた所に出ると、畑地が広がっていました。 左手には作業小屋もありました。 森を抜けた所に畑があるとは、何だか隠れ里のような雰囲気がしたりもします。 この時には畑から白い煙が空へと立ち昇っていましたが、枯れ枝などを燃やしていたのでしょうか。 右手へ分れていく小径もふたつほどありますが、山際で行き止まりになっているようでした。
鎌倉四季の里
作業機械や資材などが置かれた所を過ぎていくと、畑地に出て2分ほどの所の右側にペットの墓地がありました。 「鎌倉四季の里」というようで、犬・猫・ハムスター・モルモット・鳥など、 生前の名前を書いたものが幾つも並んでいました。
やすらぎ
愛する動物達の霊 こころやすらかに この四季の里に眠る… 合掌
登り口
「鎌倉四季の里」の左脇から細い山道が右前方へ分れて続いています。 入口には赤く塗られた木の矢印が取り付けられた板が立っていて、その山道を指していました。 夏草が生い茂る季節にしては明瞭な道なっていました。 ここが尾根への登り口になります。
広めの道は「鎌倉四季の里」の先へも少し続いていますが、 一帯に夏草が生い茂るようになった辺りにある壊れかけたベンチの先で行き止まりのようでした。
夏草などが生い茂る山道へ入っていきます。 最初は斜面に沿うようにして続いていますが、程なくして植林帯の谷筋に入っていきます。 道端にはシダ類や細木などが生えていますが、道はしっかりと確認できる状況でした。 前日に雨が降ったこともあって、細い水の流れがあったり、道がぬかるんでいたりもしました。
やぐら群
登り口から3分ほど進んでいくと、周囲が少し広がった緩やかな所に出ました。 その左側の岩壁には大きく開けられた穴がふたつ並んでいました。 鎌倉地方に数多くある「やぐら」なのでしょうか。 生い茂る夏草を掻き分けながら近づいていくと、右側の穴には粉砕された石が沢山置かれていて、 左側の穴には四角錐の台の上に五輪塔のようなものが乗っていました。
やぐらを後にしてその先へ1分ほど進んでいくと、2mほどの段差が現れます。 以前には金網でもあったのか、その手前には金属製の枠だけが残っていました。 段差を登ってV字形に抉れた所を過ぎると、再び周囲が少し広がった緩やかな所に出ました。 この左側の岩壁にも、上下二層になって幾つも穴が開けられていました。 以前に訪ねた時には、下の層の穴には五輪塔などが安置され、 上の層の穴には水が溜まっていましたが、今回は夏草やシダ類があまりにも生い茂っているので、 近づいて確認するのは省略しました。
尾根道
やぐら群を後にして、その先へ進んでいくと、すぐに登りの傾斜が増してきます。 草木などが益々生い茂るようにはなりますが、踏み跡はしっかりと続いていました。 一旦緩やかになって細い笹が生い茂る所を過ぎていくと、再び登り傾斜が増してきます。 笹をかき分けながら登って正面の上が次第に明るくなってくると、大きな樹木の袂に登り着きました。 左右にはしっかりとした尾根道が通っていました。 この尾根道は、子ども自然ふれあいの森から名越切通へと続く尾根道になります。 畑地の奥にあった登り口から10分ほどで登って来られました。
名越切通へは右手へ進んでいくのですが、 左手すぐの所に自然石の階段混じりの急坂が見えています。 石段を登っていくと、杭が何本か立っている分岐があります。 お地蔵さんの所から分かれてきた巡礼古道は、そこから水道山(浅間山)へと登っていきますが、 今回は右手の緩やかな尾根道を名越切通へと向かっていきました。 ハイキングコースにもなっていて、しっかりとした緩やかな道が続いています。 右手へ進み始めると、すぐに左手から降ってくる道が合流してきます。 手前に立つ道標によると、正面の道は「名越切通・法性寺・大切岸・まんだら堂やぐら群」、 今来た道は「ハイランド住宅地・衣張山・報国寺方面」となっています。 左から来る道には何も示されてはいませんが、水道山(浅間山)から降ってくる道になります。 ここは正面の尾根道を進んでいきます。
展望地
逗子市消防本部の設置する緊急時の通報番号を記した「山火事注意ひさぎ17」の看板を過ぎていくと、 尾根道に登り着いた所から3分ほどで、左手が開けた僅かな高みがあります。 尾根道は高みを右から巻くようにして続いていますが、 高みへ登ってみると、いい眺めが広がる展望地になっていました。 周囲にはロープ柵が設置されていました。 以前には見かけませんでしたが、2年ほど前に樹木が切り払われたようです。 この時は木片チップが敷きつめられていてフワフワとした感触でした。 左手には二子山から森戸海岸へ続く尾根が一望できる眺めが広がっていました。 手前には逗子の街や逗子海岸が、奥の方には大楠山と思われる山も見えるのですが、 この時には霞んでいて遠くの方ははっきりとしませんでした。
大切岸
展望地の先から尾根道に降りて、その先へと進んでいきます。 1分ほど進んでいくと、左側の樹木が途切れて眺めが広がるようになります。 先ほどの展望地からと同じような眺めになります。 眼下の斜面には畑が続いていました。 右手には木製の階段が設置されていました。 角には道標が立っていて、階段を降った先に続く道は「名越切通・法性寺・まんだら堂やぐら群」、 今来た道は「ハイランド住宅地・衣張山・報国寺方面」となっています。 以前に来た時にはなかった分岐で、近年になって設置された道のようです。 先ほどの道標にはあった「大切岸」の表記が無くなっているところをみると、 ここが大切岸になるようです。 法性寺の裏手から見ると、垂直に切り立った岩壁が続く所になります。
右手の道は尾根道の一段下を1分ほど通って、再び尾根道に登る迂回路になっていました。 尾根道に出た所にも同じ道標が設置されていました。 尾根道が崩壊したための処置かとも思えますが、 尾根道には通行止めや注意を促す看板などは設置されていません。 試しに歩いてみると、崩壊の跡はなく、なぜ迂回路が出来ているのかはよく分りませんでした。 岩盤が剥き出した所があるので、その危険を避けるためかとも思えますが、 それならば尾根道は通行止めにしておくべきだと思いながら、存在理由のよく分らない迂回路でした。
県の花・山百合が群集しております。 花が咲く迄どうか踏み荒らさないで下さい。
 (山百合愛好家)
石廟
大切岸を過ぎていくと少し登るようになります。 2分ほど進んで緩やかな高みに着くと、尾根道から右へ少し入った所に、大きめの石の祠が二つありました。 鎌倉市指定の石造建造物の石廟のようで、 その旨を記した標柱が立っていましたが、謂われなどは分りませんでした。 祠の中には大きめの石がひとつ納められていました。
市指定 石造建造物石廟 二基
 (平成十二年三月建 鎌倉市教育委員会)
(画像を左クリックすると、手前の石祠・奥の石祠の順で表示されます)
法性寺分岐
石廟を過ぎて広めの尾根道を降り気味に進んでいくと、1分もしない所の浅い鞍部に分岐があります。 正面のブロック塀の先には民家が建っています。 角に立つ道標によると、左手に戻るようにして降っていく道は「法性寺・バス停「久木五丁目」」、 正面の道は「名越切通・まんだら堂やぐら群」、今来た道は「大切岸・ハイランド住宅地・衣張山」となっています。 脇には「ひさぎ18」の看板も立っています。 左手の道は墓地を経て法性寺へ降りて行けますが、今回は正面の道を名越切通へと向かっていきます。
正面に続くブロック塀沿いの尾根道を進んでいきます。 「なごえ5」の看板を過ぎて、正面の高みを右手から巻くようにして登っていきます。 巻き終わって鉄線柵沿いに続く道を降っていくと、石が積まれた金網柵が続きます。 2010年11月に来た時には真っ直ぐに降る道になっていましたが、 この時には大きくS字形に右手へ曲がっていく道に変っていました。 道が付け替えられた理由はよく分かりませんでしたが、 夏草が生い茂っていたこともあって、以前の道は分からなくなっていました。 ロープが張られた道を曲がりながら降っていくと、真新しい木製の階段が設置されていました。 その左側には、往時の道端に立っていた「なごえ4」の看板がありました。
無縁諸霊之碑
階段を過ぎて緩やかな道を進んでいくと、明るい草地になった奥に無縁諸霊之碑があります。 谷筋から尾根道に登り着いた所から15分ほどで到着ました。 2010年11月に来た時には何やら工事が始まろうとしていましたが、 この時には石碑は鉄線柵で囲まれていて、傍に近づくことは出来なくなっていました。 向こう側に回ってみると扉がありましたが、施錠されて閉じられていました。 中には入って行けないので、柵の間にレンズを入れて何とか写しました。
名越切通
無縁諸霊之碑の先にある坂道を少し降ると峠に降り立ちます。 脇には「国指定史跡 名越切通し」と書かれた標柱が設置されています。 降り立った所にある道標によると、右手の道は「鎌倉市大町・長勝寺・安国論寺方面」、 左手の道は「名越切通・まんだら堂やぐら群」、今来た道は「法性寺・大切岸・ハイランド住宅地方面」となっています。 峠道を横切って右前方へ続く道もありますが、少し先で行き止まりになっているようでした。 kの場所を示す「名越切通し」の標柱が立っているのに、 道標では左手の道が「名越切通」となっているのはどういう訳なのかと思いながらも、 左手の道を進んでいきました。 後で分るのですが、名越切通は三つの切通から成っていて、ここはその第三切通になるようです。
(右手の道は「名越切通」, 「鎌倉大町」, 「鎌倉回峰」, 「名越切通」を参照)
火気に注意
 (神奈川県)
尾根を切り開いた所を越えて「なごえ3」の看板を過ぎていきます。 岩盤が剥き出した所を降っていくと、僅かな谷筋を横切るように、緩やかな道が続いています。 左側の斜面の上の方には、名越切通の説明板がありました。 何故だか道から離れた所に設置されていて、見づらくなっていました。 斜面の右下には斎場の施設が見えていました。
史跡 名越切通し
鎌倉幕府の基礎が一応確立すると、平時には交通の便をはかり、戦時には敵の侵入を防ぐため、 七つの切通しが設けられました。 名越の切通しは、比較的当時の姿をとどめており、逗子側からの登り路は数ヶ所で切岸の迫った部分を通らねばならず、 天然の地形に人工を加えて防備の万全をはかったあとがみうけられる。
 (神奈川県教育委員会)
名越切通を歩かれる方へお願い
この下に斎場があります。 厳かな空気を壊さないよう、皆様のご理解とご協力をお願いいたします。 なお、ここから下へはおりられません。
 (逗子市教育委員会)
まんだら堂分岐
谷筋を横切って登り坂になった道を進んでいくと、すぐの所に分岐があります。 まんだら堂への分岐道ですが、入口はがっしりとした柵で閉ざされていました。 柵にある貼り紙は、以前に来た時とは違う内容になっていました。
このフェンスを破壊する方へ
このフェンスは、まんだら堂やぐら群の保存管理のために設置しているものです。 仮設とはいえ、市の財産ですので、むやみに破壊しないでください。 今後も破壊が続く場合は、警察にお願いして必要な法的措置を講ずることがあります。 逗子市の史跡整備にご意見がある場合は、下記までご連絡ください。
 (逗子市教育委員会 社会教育課 文化財保護係)
まんだら堂への道を見送って、その先にある切り立った崖の間を過ぎていきます。 最初に名越切通に降り立った所も峠でしたが、ここも規模は小さいながら峠の切通になっていました。 道は結構広くなっていて、名越切通の第二切通になるようです。 道端には輪切りの丸太が飛び石のように点々と設置されていました。 前日の雨で道はぬかるんでいるし、やはり、上を歩くために設置されているように思えました。 道が岩盤になっている所もあるので、滑らないよう注意しながら過ぎていきました。
小坪階段口分岐
岩盤になった道を降り気味に進んでいくと、正面に岩の割れ目が現れます。 その手前から右手へ降っていく道が分れています。 角に立つ道標によると、右手の道は「小坪階段口・バス停「緑ヶ丘入口」」、 正面の道は「名越切通第一切通・亀が岡団地」、 今来た道は「まんだら堂やぐら群・鎌倉市大町・法性寺・大切岸」となっています。 右手の道は県道311号へ降りて行かれますが、今回は見送っていきます。
(右手の道は「名越切通」, 「名越切通」を参照)
小坪階段口への分岐を見送ったすぐ先で道が二手に分れています。 正面の道が本来の名越切通で、高みを迂回するようにして続く右手の道は、 学術調査の期間に使われていた迂回路で、今でも歩けるようになっています。 その途中から崖の上に出られる所があるので、ちょいと立ち寄っていきました。 岩盤になった道を登っていくとトラロープが張られていたりもします。 坂を登り切った所の左手から、崖の上に登っていく横木の階段があります。 崖の上は狭いものの、周囲にはしっかりとした柵が設置されていて安全になっていました。 冬枯れの季節では名越切通の第一切通がよく見えるのですが、 この時には青葉が生い茂っていて見えにくくなっていました。 これまでの第三切通・第二切通より規模が大きくて、「第一」と名付ける理由も頷けようというものです。
崖の上へ登る横木の階段を見送っていくと、間隔の広い横木の階段混じりの降り坂になっていて、 第一切通の先に降りて行かれます。
崖の上から降りて元の切通道まで引き返して、岩の割れ目を抜けていきます。 切り立つ岩壁の間を降っていくと、手前で分れてきた迂回路が右手から合流してきます。 脇には学術調査の結果を踏まえた解説板が設置されていて、 「Nagoe Kiri-Doshi(the pass cut through the mountains)」との英語説明も添えられていました。 傍には「国指定史跡 名越切通」の標柱も立っていました。
国指定史跡 名越切通
名越切通は、鎌倉時代に尾根を彫り割ってつくられたとされる通行路で、 鎌倉幕府の事蹟を記した『吾妻鏡』の天福元年(1233)8月18日条に 「名越坂」として登場するのが史料に見られる最初です。 近世以降は「鎌倉七口」のひとつとしても数え上げられ、 鎌倉と三浦半島方面とを結ぶ道として重要な役割を果たしてきました。 切通の周辺には、鎌倉の防衛にも関係すると考えられる平場や切岸(人工的な崖)、 やぐら(四角い横穴に石塔を建て、納骨・供養する施設)や遺体を火葬した跡なども多く分布しており、 中世都市鎌倉の周縁の歴史的景観をたいへん良く残しています。
現在の切通のすがた  現在の名越切通の道筋には、尾根の岩盤を彫り割って道をつくり、 両側が急な崖になっているところが3ヶ所ありますが、 最も高く切り立ったこの部分を第一切通と呼んでいます。 鎌倉時代に外敵の侵入を防ぐために、あえて狭くつくったと言われていますが、 発掘調査を行ったところ意外な結果が明らかになりました。 現在私たちが歩いている切通は路面の幅が1〜1.5mほどですが、 その下に複数の古い道路面が重なって発見されました。 最下層(現地表から約60cm下)の道路面は幅2mほどで、 そこから18世紀後半以降に造られた陶磁器が出土しました。 これによって、現在の道筋の地下に埋もれている最も古い道は、 江戸時代に使われていたということがわかったのです。 その後、地震などによって両側の崖が崩れるたびに道が埋まり、 そのつど整地・修復して新しい道をつくったため、どんどんかさ上げされて路面が高くなったと思われます。 一時期は道幅を広げる工事も行われたようで、路面の幅が約3m、両側に排水のための溝も設けられていました。 しかし、明治16年(1883)にトンネル道路が、同22年(1889)に横須賀線が開通すると、 切通も幹線道路としての役割を終え、埋もれるまま修復の手を加えられることもほとんどなくなり、 最終的に現在のようなすがたになったと考えられます。 発掘調査では、鎌倉時代の路面は確認できませんでした。 切通に面した崖のかなり上のほうに鎌倉〜南北朝時代頃に掘られたと思われるやぐらがあることから、 当時の道筋が今とあまり変わらないとすれば、その道は今よりずっと急坂で、 高い位置を通っていたのかも知れません。 一方、時代が下がって、室町時代の僧堯恵は、名越切通の様子を 「畳々たる巌をきり、山をうがち、旧跡の雲につらなる」と述べています(『北国紀行』)。 中世の後半には、通行しやすいように掘り下げられていたことを示しているとも思われます。 鎌倉時代執権北條氏によって鎌倉の守りの要としてつくられたと言われる名越切通は、 当時のすがたそのものではないと考えられますが、 重要な交通路として近代にいたるまで長く使われ続けてきた貴重な史跡であることに変わりはありません。
 (平成21年3月 逗子市教育委員会 社会教育課 文化財保護係)
亀が岡団地
角には道標が立っていて、正面の道は「亀が岡団地・バス停「亀が岡団地北」」、 今来た道は「名越切通第一切通・まんだら堂やぐら群」となっています。 名越切通を後にして正面に続く道を進んでいくと、左手に金網柵で囲まれた水道局の施設があります。 脇には「なごえ2」の看板が立っています。 そこを過ぎていくと、すぐに亀が岡団地に出ます。 すぐに道が二俣に分れていますが、今回は左手の道を降っていきました。
大切にしよう 私たちの水道施設!
安心して飲める水をお届けしています。
水をたいせつに
ここには、大切な飲料水がたくわえてあり、重要な施設がありますので、 無断でこの中に入らないでください。
 (神奈川県企業庁水道局)
住宅が建ち並ぶ道を1分ほど進んでいくと左手が開けてきて、 県道311号の小坪トンネルの辺りを見下ろせる眺めが広がります。 JR横須賀線や名越トンネルの入口も僅かに見えていました。 その向こうに連なる山は、先ほど歩いてきた大切岸の辺りのようです。 山の斜面には、法性寺の裏手にある墓地や、その左手の方にある洋館なども見えていました。
突き当たりを右手へ曲がりながら、傾斜の増してきた坂道を降っていきます。 左右の路地は見送って真っ直ぐ降っていくと十字路があります。 左手の道は県道311号の久木新道バス停の近くに降りて行かれますが、 今回はこのまま真っ直ぐに降っていきました。 右手から合流してくる道を併せて更に降っていくと、 左手へ登っていく階段を見送った先で、コンクリート補強された高い崖の下を進むようになります。
小坪B急傾斜地崩壊危険区域
この区域内で、のり切り・掘削・伐採等を行う場合は、知事の許可が必要ですから、左記へお問い合せ下さい。
 (神奈川県横須賀土木事務所)
披露山入口(ひろやまいりぐち)バス停
右手からの道を併せて少し左へ曲がっていくと、正面にコンクリート補強された山が見えてきます。 その山に向かって真っ直ぐ進んでいくと、左右に通る車道に出ます。 亀が岡団地に出た所から13分ほどで歩いて来られました。
車道に出た右手50mほどの所に逗子駅方面の披露山入口バス停が、 左手50mほどの所に鎌倉駅方面の披露山入口バス停があります。 いずれの乗り場からも、昼前後には1時間に3本程度、夕方には1時間に4本程度の便があります。
左手へ400mほど進んでいくと県道311号に出ます。 そこから逗子駅までは1kmほどの距離なので、ゆっくり歩いて行っても20分ほどで着きます。