渋沢丘陵
散策:2011年06月上旬
【低山ハイク】 渋沢丘陵
概 要 渋沢丘陵は丹沢の南側にある標高200mほどの低い丘陵です。最初の坂道を登り切ると、あとは緩やかな道が続いています。 丘陵に続く道からは、丹沢の山々をはじめ、富士山や相模湾などを望むこともできます。 今回は白山神社を経て尾根筋に登り、途中で八国見山に立ち寄ってから震生湖へ向かっていきます。
起 点 秦野市 渋沢駅
終 点 秦野市 南が丘センターバス停
ルート 渋沢駅…二つ塚…千村配水場…泉蔵寺…白山神社…雁音神社…西端…峠配水場…八国見山…幡龍王…栃窪神社…栃窪地区…小原分岐…渋沢丘陵…向山配水場…峯坂…震生湖…秦野福寿弁財天…秦野駅分岐…南が丘センターバス停
所要時間 3時間50分
歩いて... この時は雲が広がっていて、丹沢の山々は隠れ気味で、富士山も見えませんでした。 震生湖を後にして東へ進んでいくと「池窪の大悲観音」の道標が立っていたので訪ねていこうとしましたが、 見つけることは出来ませんでした。
関連メモ 渋沢丘陵, 頭高山, 八国見山, 岩倉の里, 頭高山, 八国見山, 頭高山, 震生湖
コース紹介
渋沢(しぶさわ)駅
渋沢駅(小田急小田原線)から歩いていきます。 改札を出て南口の階段を降りて、正面に続く道路を進んでいきます。
階段の降り口には「渋沢駅南口発着バスマップ」があって、 今回歩く「渋沢丘陵・震生湖コース」へのルートが載っています。 また、階段を降りた所のバスターミナルには「渋沢駅周辺案内図」があって、 これから向かう泉藏寺や白山神社への道が載っているので、併せて参考にしましょう。 千村配水場のある十字路まで行って南へ曲がっていきます。
泉藏寺
<東国花の寺百ヶ寺> 4月にチューリップ祭りが行われます。 約2万株のチューリップが咲き誇ります。
白山神社
<かながわの名木100選> 鳥居近くの杉は、高さ46m、幹回り5m、樹齢は600年程の巨木です。
渋沢丘陵・震生湖コース
渋沢中学校入口バス停〜震生湖〜秦野駅(約7km)
ひぐらしの 一つのみ鳴く こゑを背に 夕あかね照るみち くだり行く
谷鼎は明治二十九年(1896)谷鼎次郎の長男として生まれる。 西秦野村千村(現在の秦野市千村)に幼少年期をすごし、 長じて神奈川県師範学校、東京高等師範学校、京都帝国大学に学んだ。 東京府立五中学校の教職をつとめながら、万葉・古今・新古今等の和歌研究に従い、 あわせて窪田空穂の短歌誌「国民文学」の歌人として頭角をあらわしてゆく。 藤原定家の名歌「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」と解釈をめぐって交わされた 斉藤茂吉との論争は花紅葉論争と呼ばれ、谷鼎の名を世に高めた。 昭和二十年、秦野に帰住。 秦野の風土に根ざした多くの秀歌を生んでいる。 この碑の歌(歌集「青あらし」所収)も、昭和二十一年の夏の終わり、 ひぐらしの声を背にふるさとの坂道をくだるひとときが詠まれ、 夕あかねのなか作者の心やすらぐ姿が印象深い。 戦後の谷県は大東文化大学の教授に就任。 和歌研究の大家として活躍するとともに、短歌誌「近代詩歌」を創刊して歌人としての新境地を拓いた。 昭和三十五年(1960)逝去。 歌集には「伏流」「青あらし」「冬日より」「松籟」「水天」の五冊があり、没後四十年に全歌集にまとめられた。 研究書には「定家歌集評釈」「短歌鑑賞の論理」をはじめ多くの著作がある。 また、大東文化大学・秦野市立西中学校ほか各地の校歌を作詞した。
二つ塚
バスターミナルの先の左右に通る道を過ぎて真っ直ぐ南へ進んでいくと十字路があります。 右手の角にあるコンビニを見ながら右折していくと曲松一丁目交差点があります。 左手の角に立つ道標「頭高山2.9km」に従って、登り坂になった正面に続く道を進んでいきます。 ゲートボール場前バス停を過ぎていくとY字路がありますが、左手の広い方の道を進んでいきます。 萩が丘バス停を過ぎていくと、こんもりとした森が現れます。 「二つ塚(ふたんづか)」と云うようで、庚申塔などが幾つか並んでいました。 「報蒼天 三十三度」や「富士浅間大神 千郷中」と刻まれた石碑もありました。 道標も立っていて、正面の道は「頭高山」、今来た道は「渋沢駅」となっていました。
矢倉沢往還と千村地区
矢倉沢往還は、江戸時代に東海道の脇往還として制定された公道で、 東京赤坂御門を起点として、静岡県沼津吉原まで続く道であり、富士山への参詣路でもありました。 今から約千三百年前の八世紀頃には、地域の主要な道として利用されていた様子もうかがえます。 千村地区は、矢倉沢往還の一部が良好な状態で保存され、不動明王像を戴く沓掛の大山道道標や 「茶屋」といった地名なども残っており、江戸時代後期に作成された地誌である「新編相模国風土記稿」に 「矢倉澤往来係る 幅二間半 陣馬継立をなす西、足柄上群松田惣領、北、本郡曽屋村へ継送る共に 一里八町の里程なり、但近隣十三村より人馬を出し是を助く」と記されており、 矢倉沢往還が通過する主要な村のひとつであったことがわかります。
☆おすすめのハイキングコース
渋沢駅〜二ッ塚〜茶屋〜蛇塚踏切〜河内橋〜神山滝〜頭高山〜渋沢駅
 (平成二十三年三月 矢倉沢往還道を甦らせる会)
緩やかな道になってくると、千村自治会館バス停を過ぎた先に千村自治会館があります。 萩山バス停を過ぎていくと、少し曲がった十字路があります。 そこを直進して再び登り坂になってきた道を進んでいくと、 綺麗な花が咲く民家の生垣に「矢倉澤往還道」と題した標識がありました。 往時には大変に賑わった所だったようです。 このすぐ先の生垣には「矢倉澤往還道」の道標もありました。
矢倉澤往還道(750頃)
この前側は茶屋跡、芝居小屋や饅頭屋があり、この周辺は街道一の賑いがあった。 又、荷物の中継所もあったようです。
 (矢倉澤往還道を甦らせる会)
矢倉澤往還道(西暦750年頃)
沓掛・不動尊・双体道祖神、神山滝方面へ
 (矢倉澤往還道を甦らせる会)
千村配水場
坂道を更に登っていくと十字路があります。 渋沢駅から18分ほどの所になります。 正面には道標が立っていて、左手の道は「頭高山1.9km」、今来た道は「渋沢駅1.4km」となっています。 また「泉藏寺」の道標もあって左手の道を指していました。 ここを左折して坂道を登っていくと、両側には秦野市水道局の千村配水場の設備があります。
千村配水場を過ぎて降り坂になってくると、右手へ道が分かれていく角に道祖神がありました。 側面には「天保二辛卯年」と刻まれていました。 天保2年(1831)と云えば、江戸時代の後期に建立されたもののようです。 「道祖神」の文字が朱色に塗られていて、珍しく思いました。 傍には五輪塔のようなものも幾つかありました。
道祖神を過ぎていくと、道の両側には畑などが続くようになります。 S字形に曲がりながら谷筋へ降っていきます。 「道路改良記念」の石碑を過ぎていくとT字路に出ます。 右側には石材場のような所があって、その入口に「庚申供養」と刻まれた石碑などがありました。 「右 十日市場・大山 左 … 道」とも刻まれていたので、道標の役目も果たしていたようです。 正面の掲示板の脇には道標が立っていて、左手の道は「頭高山」、今来た道は「渋沢駅」となっています。 また「寿湘ヶ丘老人ホーム」の案内板もあって、左手の道を指しています。 ガードレールの向こうには小川が流れていました。 手元の地図によると室川というようです。 左手へ進んでいくと、すぐに川を渡っていきます。 そこから川沿いに雰囲気の良い未舗装路が分れていましたが、行く末を確かめるのは止めておきました。
道路改良記念
道ひらく思いかなった町づくり 明日の暮らしに楽しみがわく
御協力いただいた関係者の皆様に感謝致します。
ホタルの住める川に!
〜秦野市のホタル生息地〜
−ふるさといきものの里100選− 平成元年環境省選定
きれいな水と緑を未来の子どもたちへ
 (秦野のホタルを守る会、秦野市)
泉蔵寺
右手に墓地を見ながら坂道を登っていくと、右側に石段が現れます。 右側には「不許帯酒入山門」の石柱、左側には「萬霊塔」の石碑が立っていて、 その脇には「曹洞宗 萬年山 泉蔵寺」の石碑もありました。 石段を30段ほど登っていくと泉蔵寺があります。 本堂は近年に改築されたようで、白木を基調とした新しい建物になっていました。 右手には寺務所や庫裡と思われる建物もありました。 この泉蔵寺は「東国花の寺百ヶ寺」とも呼ばれ、 季節になると綺麗な花々が見られるようですが、この時には咲いていませんでした。
秦野市指定重要文化財 石像十王像
地蔵十王思想に基づき、中世以降、閻魔王以下の十王及び地蔵像を一具とした諸尊の制作が、 絵画や彫刻で盛んになりますが、この石像十王は市内でも数少ない中世期のものと思われます。 年代を確定できる資料はありませんが、地蔵菩薩には、両目が極端に細長く一直線に並ぶといった 中世期の特徴が見られます。 この技法は、この近辺の木彫仏では南北朝時代を通じて見られることから、 この像は鎌倉時代後期から南北朝時代のものと推測でき、他の石仏も同時代のものと思われます。 中世期の石仏は、市内には数が少なく、真静院の六地蔵と掘西の個人宅で祀られている地蔵、 そしてこの十王像のほかには確認されていません。
 (秦野市教育委員会)
泉蔵寺から元の道へ戻って、その先の坂道を緩やかに降っていくと、すぐにT字路があります。 右手の墓地には大きな「慈悲聖観世音菩薩」が立っていて、「観音妙智力能救世間苦 廿四世書」と刻まれていました。 角に建つ東屋の脇には「寿湘ヶ丘老人ホーム」の案内板や「頭高山」の道標があって、右手の道を指しています。 右折して墓地を巻くようにして進んでいきます。 特別養護老人ホーム「寿湘ヶ丘老人ホーム」の入口を過ぎて道なりに左へ曲がっていくと、 小径が右手へ分かれていきます。 角には手製の道標が立っていて、正面の道は「頭高山」、右手の道は「白山神社」となっています。 白山神社はすぐ近くにあるので、ちょっと立ち寄っていきました。
広めの道を少し進んでいくと、「白山神社」の扁額が掛る木製の鳥居があります。 2004年11月に訪ねた時には老朽化が進んでいて、ロープが張り巡らされていましたが、 この時には新しい白木の鳥居になっていました。 礎石には「平成17年4月吉日建之」と刻まれていたので、訪ねた直後に作り直されたようです。 左右の親柱の前後にぞれぞれ2本の控え柱がある四脚門のような姿をしています。 鳥居の先には、天然記念物などにも指定されている大きな杉の木が生えています。 杉の解説板も最近になって作り直されたようで、この前に来た時とは文が僅かに変っていました。
かながわの名木100選 白山神社のスギ
幹はそれほど太くはないが、まっすぐに高く伸びて遠くからもよく見える。 秦野市の天然記念物に指定されている。
樹高 44メートル 胸高周囲 4.9メートル 樹齢 約600年(推定)
スギは、本州から九州に広く分布する常緑高木で、神社などに植えられるほか、造林樹種として多く用いられる。 樹高60メートル、胸高周囲15メートル、樹齢約3000年に達するものもあると言われている。
 (神奈川県)
秦野市指定天然記念物 白山神社の杉
白山神社の社叢は市内随一の杉の森の里として知られ、市内の杉の中で幹囲が第一位から第四位までの杉が生育しています。
一、市内で一番太い杉(鳥居南側) 樹高44メートル 胸高周囲44.9メートル
一、市内で二番目に太い杉(社前南) 樹高46メートル 胸高周囲44.5メートル
杉は日本の固有種で、自然分布は北は青森県から南は鹿児島県の屋久島に至るまで、 自生あるいは植林されている常緑高木で雌雄同株であり、 雄花は小枝の先に穂状につき、雌花はほとんど球形緑色で枝梢に一個ずつ生じます。 用途は建築、器具、酒樽などに多く、昔は足場の丸太や電柱などにも利用されました。
 (秦野市教育委員会)
注意
杉の木穴からハチが出入りしています。
白山神社
杉の木の間に続く石段を登っていくと白山神社の社殿があります。 渋沢駅から40分ほどで着きました。 本殿と拝殿が合さったような形になっていて、屋根には6本の鰹木が乗り内削ぎの千木が聳えていました。 かなり歴史のある神社のように感じましたが、由緒などを記したものは見かけませんでした。 境内の右手には舞殿のような建物がありました。 左手には小さな八坂神社・八幡宮・琴平宮・天満宮が仲良く並んでいました。 絵馬が沢山括り付けられた樹木もありました。
家庭祭祀のおすすめ
なぜ、お神札をおまつりするのでしょうか?
わたしたちのまわりには、たくさんの神様がいらっしゃいます。 山の神様・海の神様・田の神様・火の神様…。 日本人は昔から、あらゆる物事に神々の存在を信じ、恵をいただき、そして感謝と祈りを捧げてまいりました。 日々のくらしの中で神様に手を合わせることは、今も昔も変らない日本人のもつ美しい姿・心であります。 皆様のご家庭にもお神札をおまつりし、事あるごとに手を合わせてみてはいかがでしょう。 きっと今まで以上に感謝の気持ちが大きくなるはずです。 そして、この「おかげさまで…」と感謝する心が人間を豊かにし、家庭の絆も一層深めてくれることでしょう。
 (神奈川県神社庁)
再三の 戦後を民は悲しめど この世の平和 祈りつづけむ
 (平成十七年八月十五日 終戦六十周年記念 谷好文)
白山神社から元の道まで引返して、その先の緩やかな坂道を少し登っていくとX字路があります。 脇には道標が立っていて、右手の道は「頭高山」、今来た道は「渋沢駅」となっています。 また、頭高山を愛する会の「桜の里」の標識が石垣に貼り付けられていて、右手の道を指していました。 「千村生き物の里 左方向に200m先」の看板も出ていて、左手の道を指していました。 正面の道は何も示されてはいませんが、頭高山から震生湖へ続く渋沢丘陵に出られます。 「千村生き物の里」にも興味がありましたが、訪ねるのは省略して、正面の坂道を登っていきました。
(右手の道は「頭高山」を参照)
注意
ハンターのみなさん!
この附近に人家、農耕地があります。狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
脹脛が痛くなるような急坂を3分ほど登って傾斜が緩やかになってくると、 右手から降ってくる坂道があります。 角には道標が立っていて、右手の道は「頭高山」「トイレ」、今来た道は「渋沢駅」となっています。 また別の道標も立っていて、右手の道は「頭高山へ」、正面の道は「0.4kmで西端へ」となっています。 右手の上には「ZUKO YAMA Pray hill」と刻まれた石碑がありますが、 頭高山自体を指しているにしては距離が離れているので、 右手へ登った所にある慰霊碑のある広場を指しているように思えました。 右手の道は小尾根を通って、先ほどのX字路から登ってくる道に出られますが、 今回はこのまま正面の道を進んでいきます。
雁音神社
坂道を1分ほど登っていくと、左側に石垣が続くようになります。 石垣に沿って道なりに左へ曲がっていくと、左手に登っていく短い石段があります。 その先の赤い燈籠が続く道を進んでいくと、中ほどに赤い祠の雁音神社があります。 傍には「かりがねの松」の解説板がありました。 「かりがね」と呼ばれるお姫様をここに葬ったということなのでしょうか。
かりがねの松
この「かりがねの松」のお話は、いつのころのことかよくわかりません。
そのむかし、千村(西地区)は宿場として京にのぼるのに、 また西からの大山まいりのお客などでにぎわった所だと言われています。 この千村に「ちむらわかされ」と、呼ばれる辻があったんだそうな。 そんなむかしのある日のことですと。 その日は、大へんに寒く、いつもなら旅人でにぎわう「わかされ」ですが、 さっぱりと人通りがなく、ただ寒い西風が吹きすさび粉雪を舞い上げていたんだと。 びゅうびゅう吹きすさぶ西風に送られて来られたのでしょうか。 それはそれは美しいお姫様がただひとり、とぼとぼと…。 お姫様は、「わかされ」まで来ると、急に胸をかかえよろよろとひざまづいてしまったのだそうだ。 そんな姿を見た村人はおどろき、お姫様をだき起こしました。 そして、あれやこれやといたわり、手厚く看病しましたが、そのかいもなく、 村人にだかれたままとうとうかえらぬ人となってしまったのですと。 お姫様は、苦しいいきの中から、 『わたしは都の者でございます。名前は「かりがね」と申します。故あって…。』と、 そこまでやっと話されましたが、あとの声は小さくなっていき聞きとることができなかったそうだ。 村人たちは、あまりの急な悲しい出来ごとにほろほろと涙を流し、 「かりがね」をねんごろに、わかされにとむらいました。 そして、そこに一本の松を植えました。 松はすくすくと大きくなり、そのみごとな枝ぶりは口ではたとえようもありませんでしたと。 一枚一枚の松の葉はかりの羽のように。 大きな枝は、羽を広ろげたかりのように。 村人の中には「姫よりも美しい松」と言うものさえでてきました。 いつの間にか、だれ言うともなく、その松を「かりがねの松」とか、「かりがねの姫」と、呼ぶようになり、 姫の美しさとそのあわれさをしたって、松と一しょにいつまでも語りついできたのだと言うことですと。
西端
雁音神社を後にして舗装された坂道をその先へと登っていきます。 3分ほど登っていくと、丘の上に通る舗装路に出ます。 「ZUKO YAMA Pray hill」の石碑の所から6分ほど、白山神社から13分ほどで着きました。 正面の斜面には畑地が広がっています。 左角には道標が立っていて、左手の道は「震生湖5.0km」、 今来た道は「頭高山入口0.4km」「渋沢駅2.8km」となっています。 右側にも道標があって、右手の道は「行止り 篠窪」、今来た道は「頭高山 300m先登山口」となっています。 X字路にあった道標「0.4kmで西端へ」とここの「頭高山入口0.4km」を併せて考えると、 この辺りが西端という所になるようです。 峠地区の「西の端」という意味でしょうか、それとも「西にある畑」から転じた表記でしょうか。 正面の谷筋の向こう側の山には、栃窪無線中継所の電波塔が見えていました。 右手の道は峠地区へ降っていけますが、今回は震生湖へと続く左手の尾根道を進んでいきました。
(右手の道は「頭高山」, 「頭高山」を参照)
右手に続く谷筋の斜面には畑地が広がっています。 左手には畑越しに丹沢山塊が望めますが、この時には雲が出ていて明瞭ではありませんでした。 3分ほど進んで軽く降るようになると、左右に通る道に出ます。 脇には道標が立っていて、左手の道は「渋沢駅2.3km・震生湖4.8km」、 今来た道は「渋沢駅(頭高山入口経由)3.0km・頭高山入口0.5km」となっています。 また別の道標も立っていて、左手の道は「震生湖へ」、 今来た道は「100mで西端里山」となっています。 右手の道は何も示されていませんが、峠地区から登ってきた道になります。 ここは震生湖へ向かって左手へ進んでいきます。
2分ほど進んでいくと、左手の谷筋へ山道が分れていきます。 入口には「まほろば里山林を育てる会活動林長坂入口」と書かれた標柱が立っていました。 興味の湧く道でしたが見送っていくと、広めの坂道が左手へ分れていきます。 入口には「渋沢丘陵ハイキングコース 至須賀神社」の標柱が立っていました。 そのすぐ先には渋沢丘陵里地里山を楽しむ会が設置した 「ハイキングコース→須賀神社方面へ・下り約500m」の標識も立っていて、同じく左手の道を指していました。 まだ歩いたことのない道で興味はありましたが、このまま真っ直ぐに進んでいきました。
左から降ってくる坂道を併せたすぐ先に四叉路があります。 角には道標が立っていて、正面の道は「震生湖4.3km」、左手の道は「渋沢駅1.8km・震生湖4.3km」、 今来た道は「頭高山入口1.0km・渋沢駅3.5km」となっています。 右手の道には何も示されていませんが、峠地区へ降っていけます。 左右の道は見送って、登り坂になった正面の道を進んでいきます。
峠配水場
1分半ほどして坂道を登り切ると、右手には秦野市水道局の峠配水場があります。 配水場を過ぎていくと、1分もしない所に分岐があります。 左手には石祠が二つ並んでいました。 右手の道は峠地区へ降りて行かれますが、そのまま正面へ降っていくと、左手から登ってくる舗装路に降り立ちます。 脇には道標が立っていて、右手の道は「震生湖」、 左手の道は「渋沢駅」、今来た道は「頭高山」となっています。 左手の道は渋沢中学校入口バス停から登ってきた道ですが、震生湖へ向かって右手へ進んでいきます。
水道施設につき立入禁止
 (秦野市水道局)
山火事注意!火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
舗装路を2分ほど進んでいくと、右手に曲がっていく角から正面へ未舗装路が分れていきます。 角には道標が立っていて、正面の道は「震生湖」、今来た道は「頭高山」となっています。 渋沢丘陵に続く尾根道は正面の道になりますが、 この右手の先に八国見山があるので、立ち寄って行くことにしました。 坂道を30mほど登って水仙が群生している辺りまで行くと、右側の小尾根へ踏み跡が分れていきます。 小尾根を経て八国見山の山頂へ続いていますが、その道は戻りに歩くとして、 先ずはそのまま舗装路を進んでいきました。
銃猟禁止
 (神奈川県)
緩やかな道を登り気味に進んでいきます。 左右に少し曲がりながら、小尾根の斜面に沿って続いています。 道端には水仙が群落を作っていたりもしますが、花の季節ではなかったので咲いていませんでした。 日陰になっていることが多いのか、路面には苔が生えていている所もありました。 僅かな高みを越えていくと、左手が開けて山並を見渡せる所もありました。 再び登り坂になってきた道を進んでいきます。 坂を登り切った所まで来ると、右手へ踏み跡が分れていきます。 夏草が生い茂っていて、道があると知っていないと気づきにくくなっていますが、 ここが八国見山への登り口になります。 震生湖への分岐から7分ほどの所になります。 左手に立つ電柱には「隊道支L28/14」や「栃窪451」の標識が取り付けられているので目印になります。
八国見山 (標高319.4m)
入口に生い茂る夏草を掻き分けていくと、僅かな谷筋に明瞭な踏み跡が続いています。 道なりに右へ曲がっていくと、U字形に窪んだ道になってきます。 登り口から2分ほど進んで細い竹林の手前まで来ると、左手の高みへ登っていく踏み跡があります。 その道を登って戻るように小尾根を左手へ進んでいくと八国見山の山頂に着きます。 震生湖への分岐から11分ほどで到着しました。 周囲には樹木が生い茂っていて展望は得られません。 中ほどには丸まった石が幾つか置かれていて、合掌した姿の小振りのお地蔵さんがあります。 その背後には「奉納」と刻まれた鉄剣が地面に突き刺してありました。 手前に生える樹木には「319m三国山」と書かれた黄色いテープが巻き付けられていました。 以前には「八国見山」と訂正する書き込みもあったようですが、この時には訂正文字は消えていました。 手元の地図によると、この山は「八国見山」となっていますが、「三国山」とも呼ぶのでしょうか。
三角点は撤去
2005年6月に来た時には、石やお地蔵さんのある所に四等三角点があったのですが、 2010年7月に来た時には既になくなっていました。 2011年5月現在の地形図にはまだ三角点の記号が載っていますが、 地図閲覧サービスや基準点閲覧サービスからは削除されているようです。
八国…
この八国見山は「はちこくけんざん」と読むようです。 八国というのですから、ここから八つの旧国を望めたということなのでしょう。 よくは分りませんが、駿河・伊豆・相模・甲斐・武蔵・安房・上総・下総の国々なのでしょうか。 今では樹木に覆われていてまったく展望は得られませんが、 その昔にはここから各国を見渡すことができたのでしょう。
U字形に窪んだ所まで引き返して、その先に続く竹林へ入っていきます。 1分も行かない所に、伐採した竹が小山のように積まれていました。 竹林が終って左手に小尾根が現れると、水仙が群生している所がありました。 そこを過ぎて緩やかな道を進んでいくと、 開発する予定でもあったのか、道端には「xx様所有地」と書かれた立て札を幾つか見かけました。 分岐などは特になくて、緩やかな踏み跡がしっかりと続いています。 何かの境界になっているのか、道には赤頭短杭が点々と設置されていました。
道の脇に投棄された自動車を過ぎていくと、やがて降り坂になってきます。 前夜に雨が降ったのか、抉れ気味の道は少しぬかるんでいました。 滑って転ばないよう足元に気をつけながら降っていきました。 やがて右手へ曲がって浅い谷筋を降っていくと、先ほど歩いて来た舗装路に出ました。 八国見山から9分ほどで降りて来られました。 この左手30mほどの所にある分岐を右折して、震生湖へと向かっていきました。
幡龍王
竹林などが続く広い道を2分ほど進んでいくと分岐があります。 角には道標が立っていて、右手の道は「震生湖」、今来た道は「頭高山」となっています。 左手の道は何も示されてはいませんが、畑地へ続いています。 道標に従って右手の道を進んでいくと、程なくして赤い鳥居が立っていて、 その奥に石祠がありました。 脇に設置された解説板によると幡龍王というようです。
宇主山(薄山)の幡龍王様
この地より出ずる龍岩の御霊石なり。 幡龍王と称せられる大地を守る大神にして、 伊勢国神宮月読荒御魂大神様と深い係りを持たれる位高き龍王様なり。 変化される時は角大きく厳そかにして状大なり。 地中深く潜み、この宇主山及び秦野一帯を守護せられ、事ある時には忽然と光臨され、 不敬をすれば直ちに勢凄まじく、一度怒れば地震を起し泰山鳴動させる。 謹識
 (天忍部長老 豊秋津彦)
ゴミを捨てないよう
美しい環境はみんなの財産。一人一人の手できれいにしよう。
 (秦野市)
コンクリート塀の脇を過ぎていくと森の中へ入っていきます。 傾斜が少し増してU字形に窪んだ道を降るようになると、 道端にブロック塀の一部のようなものが点々と現われます。 最初は道と並行に設置されていますが、その先にあるのは道と直角方向に設置されていて、長さもマチマチでした。 建物の跡という感じでもないし、何のために設置されているのかは分かりませんでした。 引き続きU字形に窪んだ道を降っていくと、土嚢が積まれる道に変ってきます。 そんな道もやがて、中ほどに幅30cmほどコンクリートが敷かれた道になります。 周囲には落葉が積もっていたので、実際にはもっと広いのかも知れません。
少し右へ曲がって降っていくと分岐があります。 道は正面へ続いていますが、ちょいと左手へ出てみました。 畑地の先には丹沢山塊を見渡せる眺めが広がっていましたが、 残念ながら雲が出ていて明瞭ではありませんでした。 道はその先へ続いていましたが、引き返して、コンクリート敷きの道を降っていきました。
程なくして簡易舗装された広めの道に出ると、道が分れています。 角には道標が立っていて、左手の道は「震生湖」、今来た道は「頭高山」となっています。 別の道標も立っていて、右手に続く明るい道は「栃窪神社」となっていました。 また石標もあって、「十日市場道」,「左 御嶽大権現道」,「右 ふじ小田原道」と刻まれていました。 裏面には「嘉永二年六月」の文字も見られたので、江戸時代の末期(1849)に建てられた石標のようです。 震生湖へは左手の道を降っていくのですが、 右手の道の少し先に栃窪神社があるので、今回も立ち寄っていくことにしました。
石標は、「右」が今来た道を、「左」が栃窪神社への道を指す向きに設置されていました。 歩いて来たこの道は十日市場道というようですが、 何処から何処まで続いているのかは分かりませんでした。 また、神社の由緒書きによると、「御嶽大権現」とは栃窪神社のことのようです。
栃窪神社
明るくて広い道を進んでいきます。 左下からは、多くの犬の鳴き声が聞えてきました。 樹間から見えた文字によると「愛犬ハウス セキノ」というようですが、犬の訓練所なのでしょうか。 2分ほど進んでいくと栃窪神社がありました。 短い石段を登っていくと、最初の白山神社で見かけたのと同じような控え柱のある形の鳥居が立っていて、 脇には「栃窪神社 正一位御嶽大権現社」と刻まれた石柱もありました。 鳥居をくぐって境内に入ると、本殿と拝殿の形になった社殿がありました。 拝殿には大木を輪切りにした扁額「栃窪神社」が掲げられていました。
石段の左側からその先へと道が続いています。 以前に歩いてみたところ、6分ほど進んだ辺りで行き止まりになっていました。 途中には左右に分かれていく道や踏み跡もあったので、尾根へ続く道があるのかも知れませんが、 確認するのは省略しました。
栃窪神社
祭神倭建之命
境内社秋葉社、浅間神社
由緒沿革 創立年代は不詳であるが、波多野庄の頃、当村に富民あり。 山上に牛頭天王を祭祀し、鎌倉将軍の頃、社前は小田原道として交通が栄え、往時の地図に御嶽社とある。 寛門7年(1667)宗源宣旨により正一位御嶽権現と称し、村の鎮守であった。 相模風土記などによれば、天正19年(1591)11月、一石五斗の御朱印を賜わり、 また小田原城主大久保忠世より二貫文の社領寄進がなされている。 当社は小田原街道の要所のため、正保古図・元禄古図にも記載され、 当社附近の野立石道しるべには寛文年間の物多く御嶽道とある。 明治6年7月30日、栃窪神社と改称、村社となる。 現在殿は昭和52年4月6日、氏子30戸より資を捧げ、当村宮大工関野実によって完成された。
 (出雲大社相模分祠)
栃窪地区
往復8分ほどで手前の分岐まで引き返してきて、道標「震生湖」に従って、 簡易舗装された広めの道を降っていきます。 左右には土手が続いて窪んだ感じになった坂道が続いています。 壊れかけた大きなビニールハウスを過ぎていくと、民家が建ち並ぶ栃窪地区に降り立ちます。 生垣やブロック塀が並ぶ路地を真っ直ぐに進んでいきます。 土蔵がある民家を過ぎていくと、正面から来て左手へ曲がっていく道路に出ました。 八国見山への分岐から22分ほどで着きました。 角には栃窪会館があります。 その前に道標が立っていて、左手の道は「渋沢駅(頭高山入口経由)5.6km・頭高山入口3.3km」「渋沢駅1.8km」、 正面の道は「渋沢丘陵0.9km・震生湖1.9km」「秦野駅4.7km」、今来た道は「頭高山近道」となっています。
照れないで ちゃんと伝える ありがとう 果歩
あざやかな 未来が咲けと 種をまく さくら
 (厚生保護女性会)
私が子供の頃、実家の斜め向かいの家には土蔵が二つありました。 その中のひとつの壁には無数に穴が開いていたのを思い出しました。 花虻だったのでしょうか、羽音をたてながら頻繁に出入りしているところをよく見かけたものです。
正面へ続く道路を進んでいくと、すぐに右手へ道が分れていきます。 入口の石垣には「愛犬ハウス セキノ」の看板が出ていて右手の道を指していました。 先ほどの犬の鳴き声が聞こえていた所へ続いているようでした。 左側の生垣の袂には双体の石碑や五輪塔などが並んでいました。 そこを過ぎていくと、右正面へ分れていく坂道の上に真栖寺がありますが、一般には開放されていません。 門の所から本堂を写してから引き返し、その先へ進んでいきました。
小原分岐
高い石垣沿いに進んでいくと竹林が現れます。 竹林を過ぎていくと畑地が続くようになります。 左手が開けてきて、丹沢山塊を見渡せるようになってきた道を進んでいくと分岐があります。 栃窪会館から7分ほどの所になります。 角には道標が立っていて、正面の道は「渋沢丘陵0.4km」「秦野駅4.2km・震生湖1.4km」、 今来た道は「渋沢駅(頭高山入口経由)6.1km・頭高山入口3.7km」「渋沢駅2.3km」となっています。 右手の道には何も示されていませんが、手元の地図によると小原地区へ続いているようです。 右手のすぐ先には栃窪一般廃棄物最終処分場があって、 栃窪スポーツ広場にもなっているようでした。 その少し先から左手に戻るようにして道が分かれていて、その道へ入った所に木組みの展望台がありました。 すぐ袂まで行けましたが、上に続く階段にはベニヤ板が立て掛けられていて登ってはいけないようでした。
栃窪スポーツ広場ご利用の皆様へ
1.ゴミは、持ち帰ること。
2.利用後は、グラウンドの整備をすること。
3.許可された目的以外の利用はしないこと。
4.たき火等はしないこと。
5.農作物に被害を与えないこと。
6.民地及び道路には駐車しないこと。
7.団体利用の方は、トイレの清掃をすること。
 (秦野市スポーツ振興財団)
小原分岐まで引き返して、簡易舗装された道を進んでいきます。 左手に広がる丹沢の山並を眺めながら坂道を登っていくと植林帯へ入っていきます。 2分ほど進んでいくと未舗装路になってきます。 その先へ進んでいくと、右手には畑地があって、山並などを見渡せました。 更にその先へ進んでいくと、左手の樹木が途切れて丹沢山塊を見渡せる所がありますが、 残念ながら雲が湧き出ていて眺めは良くありませんでした。 右側に続く竹林に沿って進んでいくと、右手へ分かれていく道を見送った先で、高台に広がる畑地の脇に出ました。 小原分岐から6分ほどの所になります。 振り返ると、右手の畑地の奥には曽我丘陵方面の山並が広がっていました。 条件が良いと富士山も見えるのですが、この時は薄雲が広がっていて見えませんでした。
緑は友だち 山火事注意
自然を守りましょう。
 (森林国営保険、神奈川県)
森へ入って梅林の脇を過ぎていくと、右手へ道が分れています。 ちょいと立ち寄ってみると、草地の広場のような所に出ました。 目の前には、相模湾へと続く曽我丘陵が横たわっていました。 脇の方ではハイカーと思われる人が腰を降ろして休んでいました。
渋沢丘陵
元の道に戻って、梅林の竹柵に沿って進んでいきます。 林の中に佇む二つの石祠を見送って降っていくと、再び畑地が広がるようになります。 少し降り気味になってくると、道から一段高い所にベンチなどが幾つか設置されている所があります。 小原分岐から15分ほどの所になります。 脇には道標が立っていて、正面の道は「秦野駅3.8km・震生湖1.0km」、 今来た道は「渋沢駅2.7km」「渋沢駅(頭高山入口経由)6.5km・頭高山入口4.1km」となっています。 小原分岐の道標にあった「渋沢丘陵」の表記がないし、 秦野駅までの距離の差0.4kmなどを加味すると、ここが渋沢丘陵ということになるようですが、 私的には「渋沢丘陵」は頭高山から震生湖へ続く一連の尾根の名称だと解釈しています。
向山配水場
正面に電波塔を眺めながら緩やかに降っていくと、電話会社の電波塔の脇に出ます。 電波塔を取り囲む金網柵の傍には石祠がふたつ並んでいました。 電波塔に隣り合うようにして、秦野市水道局の向山配水場の円筒形の設備があります。 右手には牛舎があって、白と黒の斑模様の乳牛が沢山飼育されていました。 時折「モォ〜」と鳴いたりもしていました。 配水場と牛舎の間を進んでいくとX字路があります。 脇には道標が立っていて、正面の森へ登っていく道は「震生湖20分」、今来た道は「渋沢駅1時間15分」となっています。 左右の道には何も示されてはいませんが、ここは正面に続く坂道を登っていきます。
森に続く坂道を登っていくと、左側にロープ柵が続くようになります。 柵の向こう側はヤマユリの里になっていて、季節になると大きな花を咲かせます。 近所の保育園児が書いたゾウやパンダが「火の用心」などの看板を持っていたりもします。 手元の地形図によると、この辺りに三角点(標高221.1m)があるはずなのですが、 ロープ柵には「立入禁止」の看板も出ているので、確認することは出来ませんでした。
ヤマユリの里づくり
みんなで大切に育てましょう
 (秦野中ロータリークラブ)
マッチ一本火事のもと
 (南秦野保育園、秦野市消防本部)
火の用心
 (南秦野保育園、ふくろうのもり保育園、秦野市消防本部)
森を抜けて降り坂になってくると畑地の脇に出ます。 その向こうには相模湾方面を見渡せる眺めが広がってきます。 ログハウス風の民家の先を道なりに左・右とクランク型に折れ曲がっていくと、 左手には丹沢の山並が広がってきます。 防風林のような生垣に沿って進んでいくと車道に出ます。 ベンチのあった「渋沢丘陵」から12分ほどで歩いて来られました。 脇には道標が立っていて、左手の道は「秦野駅2.8km・震生湖0.1km」、 今来た道は「渋沢駅(頭高山入口経由)7.5km・頭高山入口5.1km」「渋沢駅3.7km・渋沢丘陵1.0km」となっています。
峯坂
車道に出て左手へ進んでいくと、すぐに震生湖バス停があります。 その脇には「峯坂(みねざか)」と刻まれた石柱が立っています。 左手には「閑院宮香仁三殿下…」と刻まれた石柱があり、 奥には石祠もありますが、何が祀られているのかは分かりませんでした。 更にその奥には「大震災埋没者供養塔」と刻まれた石碑や墓石などがありました。 大きな樹木の袂には旧道に関する石碑もありました。
現地旧道埋立ハ市道工事請負小宮建設社ノ厚意ニテ完成ス
旧道も其時代には重要な使命果せし思を忘るな 老松
 (昭和四十八年 地元)
車道をその先へ進んでいくと、左に曲がっていく角から正面へ道が分れていきます。 その道へ入っていくと、右手へ降っていく横木の階段があります。 降り口には道標が立っていて、正面の道は「秦野駅2.8km」、右手の階段は「震生湖畔」、 今来た道は「渋沢駅3.7km・渋沢丘陵1.0km」となっています。 傍には「震生湖公園入口」の標識もありました。 そこから幅の広い横木の階段を降っていくと、 雑木林にはコナラ・ミズキ・クヌギ・ヤマザクラなどが生えていました。 林の中ほどにはテーブル・ベンチが設置されていました。
この林は、地主のみなさんと秦野市とのパートナーシップ協定に基づき、 秦野雑木林を守る会(That's Kirin Saver)が手入れをしています。 美しい雑木林を楽しみながら手入れする仲間を募集しています。 …詳しくは裏面をご覧ください。
 (リコー環境ボランティアクラブ)
「That's Kirin Saver」とは…
秦野の豊かな自然を、自分たちの手で守っていこう! …そんなボランティアサークルの愛称です。 『ざっきりんセーバー』と呼んでください。 正式には『秦野雑木林を守る会』といいます。 私たちは「身近な自然を愛すること」が「自然を守ること」の第一歩と考え、 震生湖の美しい雑木林の手入れを通じて、楽しく活動しています。 ご一緒に楽しく活動しませんか?
人が育ててきた里山の自然 《木を切れば自然が豊かになる?》
石油やプロパンガスが現在のようにふんだんに使えるようになる前までは、 雑木林の木々は炭や薪などの大切な燃料でした。 また、化学肥料が普及していなかった時代、薪を燃やしたあとにできる灰は田畑で使うよい肥料でした。 林はおよそ15年から20年おきに伐採されてきました。 春には伐採した切り株から萌芽といってたくさんの芽がのびます。 あたらしい枝は2〜3年のうちに芽かきといって2〜3本に整理され、やがてもとの林にもどってゆきます。 伐採後の若い林は林床に日がよくあたるので、元気よく花を咲かせます。 またそれを好むチョウをたくさん見ることもできます。 かつては毎年里山のあちこちで小規模な伐採が行われ、 そこには伐採されたばかりの林から成長した林まで、さまざまな年齢の雑木林がまじり合っていました。 そのことが、里山を多くの生き物が棲める、変化に富んだ多様な自然環境にしていたのです。 このほか、伐採されたコナラやクヌギは、シイタケ栽培のほだ木にもよく利用されます。 また、雑木林にまじって生えるアカマツは、村の鍛冶屋さんが鉄製の農具などをきたえるときの燃料の炭にしました。 そして、大きく育ったアカマツ林は、家の屋根をささえる梁材などにも利用されました。 雑木林の林床に生える下草や落ち葉は堆肥などの肥料になりました。 また、堆肥の熱を利用して、葉タバコやサツマイモなどの苗床の発熱材にも使われます。
耕うん機が一般的でなかった時代、田をたがやしてくれる牛馬の飼料にも、雑木林の下草は利用されました。 このように、少し前の里山の雑木林は、いつも明るく開かれた林床が保たれ、 さまざまな草花が芽生えて育ち、秋にはいろいろなキノコが出るなど、そのを好む生き物の天国でした。 しかし、ゆたかな里山の自然も、今では人々の暮らしとともに大きく変わろうとしています。 戦後の高度成長時代におきたエネルギー革命や化学肥料の普及は、定期的な伐採や下刈り、 落ち葉かきをなくしてしまいました。手入れのされない雑木林はやぶがしげり、限られた植物が優占して生え、 そこには限られた種類の生き物した生きてゆけないのです。
私たちは、豊かな自然とは「さまざまな生き物たちが暮らすことのできる変化に富んだ環境」と考え、 雑木林を手入れすることで種の多様性を実現することも、活動の目的のひとつにしています。
震生湖
明るい雑木林を降っていくと震生湖の畔に降り立ちます。 湖面では小舟を浮かべて釣りをしている人が何人もいました。 また岸辺から釣糸を垂らしている人も沢山いて、なんだかゆっくりとした時間が流れているようでした。 歩道は湖の南側と北側に続いていますが、以前に歩いた時には南側は山道のような雰囲気だったので、 今回は北側の歩道を進んでいきました。
湖水浄化に協力を
へらぶな釣りのため湖水汚染が著しく進行しています。 撒き餌・バラケ等は最小限にとどめるようお願いします。
 (秦野市)
釣りをする人へ
震生湖は釣堀ではありません。 にもかかわらず、最近、自分本位の釣人が増え、 ハイキングの人やボート遊びの人に暴言をはく人まで出ています。 ルアーによる事故も増えています。 震生湖は「みんなの公園」です。 他の観光客のことも考え、楽しく過ごせるよう協力をお願いします。
 (秦野市観光協会)
釣り愛好者の皆様へ
「特定外来生物法」が平成17年6月に施行され、オオクチバス・コクチバス・ブルーギル等を 生きたまま持ち出すことや持ち込むことは禁止されております。 震生湖での釣りを楽しむためにも、ご理解とご協力をお願いいたします。
 (秦野市、秦野市観光協会)
秦野福寿弁財天
湖畔の北側には擬木の柵が設置された歩きやすい歩道が続いています。 池の中ほどまで進んでいくと、「福寿弁財天」と書かれた赤い幟が沢山並んでいます。 その間に続く石段を登っていくと、途中に小祠があって、中には「福寿地蔵尊」が祀られていました。 大小の石仏が安置されていて水子供養のお地蔵さんのようでした。 石段を登った所に秦野福寿弁財天があります。
秦野福寿弁財天ご参拝の方へ
秦野福寿弁財天では、左記の通り弁天様の前での拝礼を行っております。 誰でも拝礼できますので、ご都合が付きます方は足をお運び頂きます様ご案内申し上げます。
拝礼予定日時
毎月1日および15日 13時30分より合同拝礼(都合により変更になる場合があります)
毎年正月 10時より14時まで随時拝礼可能(13時より新春祈祷祭の予定)
毎年1月2日・3日 10時おり14時まで随時拝礼可能
毎年11月上旬 例大祭の予定…詳しくは別途掲示いたします。
 (秦野福寿弁財天奉賛会)
弁財天入口
秦野福寿弁財天社
日本三大弁財天の総本山奈良の天河井弁財天の分霊を頂く神なり。
功徳
学問・技芸・音楽の発達を促す。 又、女人には愛嬌を授け美人となり良縁を得子宝が授かる。
 (秦野福寿弁財天奉賛会)
弁財天の右手に続く舗装された坂道を登っていくと、 左手へ曲がっていく角にある小さな駐車スペースの所から土の道が分れています。 そのまま舗装路を登っていくと先ほど降ってきた道路に出てしまうので、土の道へ入っていきました。 ベンチなどを過ぎて横木の階段を降っていくと、湖畔の歩道に降り立ちます。 そこから歩道を進んでいくと、駐車スペースや震生湖公衆トレイの前に出ます。 左手へ登っていく舗装路を見送って右手の湖畔沿いに進んでいくと売店があります。 家の佇まいからすると住居を兼ねているのでしょうか。 傍には藤棚や東屋もあります。 丁度昼時になったので、ここで昼食タイムにしました。
震生湖
この湖は、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の時、渋沢丘陵の一部が崩壊し、 その土砂が谷川を堰き止めてできた堰止湖で、自然湖では日本で最も新しい湖であるといわれ、 北西部の主湖盆と南東部の副湖盆の二つから形成されている。
海抜150メートル
面積13,000平方メートル
最大巾85メートル
長径315メートル
周囲1,000メートル
平均水深4メートル
最大水深10メートル
(秦野市)
かながわの探鳥地50選
カルガモ(カモ科) 雌雄とも同じ黒褐色で黒いくちばしの先の黄色が目立つ。夏も見られる唯一のカモ。
キセキレイ(セキレイ科) 特に尾が長くスマートで、腹は鮮やかな黄色。チチンチチインと鳴いて波形に飛ぶ。
カワラヒワ(アトリ科) 全身緑褐色で、肉色の太いくちばしと羽の黄色が目立つ。キリキリコロコロと鳴く。
釣り人の皆様へ
この震生湖は「かながわの探鳥地50選」に入選している湖です。 野鳥たちの生活を守って行くために、釣人のマナーとして下記の事を守ってください。
投げ釣りをする人は、前後、左右、木のある所では上にも注意しましょう。 木の枝に釣糸をからませないようにしましょう。
生餌さは放置すると腐ります。 プランクトンの発生につながり、魚も死滅してしまいます。
釣り糸、釣り針、おもり、ウキ、ルアー、餌などは、必ず持ち帰る習慣を身につけましょう。 (鳥にからまってしまうことがあります)
ジュース等の缶、弁当箱、ビニール袋など、ゴミは必ず持ち帰りましょう。 また、自分の周辺のゴミも持ち帰るように心掛けましょう。
 (秦野市観光協会)
震生湖公衆トレイの脇から続く坂道を登っていきます。 震生湖ゴルフ練習場やその駐車場を過ぎていくと、車道から分れて直進してきた道路に出ます。 脇には道標が立っていて、左手の道は「震生湖駐車場0.3km・渋沢丘陵1.3km」、 右手の道は「秦野駅2.5km」、今登ってきた道は「震生湖畔0.1km」となっています。 また「市営駐車場0.1km」の道標も立っていて、今来た道を指していましたが、 今回は右手へと進んでいきました。 ゴルフ場の背の高い網の脇を進んでいくと、左手が開けてきて丹沢の山並を見渡せるようになりますが、 残念ながら曇っていてはっきりしませんでした。 そんな景色を眺めながら進んでいくと分岐があります。 脇には道標が立っていて、左手の道は「秦野駅」、今来た道は「震生湖」となっています。 左手の道は白笹稲荷神社や今泉湧水池を経て秦野駅へ続いていますが、 今回は正面の道を進んでいきました。
(左手の道は「渋沢丘陵」を参照)
秦野駅分岐
僅かな坂を越えて降っていくと十字路があります。 角には道標が立っていて、右手の道は「池窪の大悲観音」、今来た道は「震生湖0.8km」となっています。 このまま真っ直ぐに進んでいくと、金井場配水場などを経て今泉台地区から秦野駅へ降っていけますが、 「池窪の大悲観音」が気になったので、どんな所か訪ねてみようと、右手へ進んでいきました。
(正面の道は「岩倉の里」を参照)
飼料工場などを過ぎていくと僅かな降り坂になってきます。 左右にも道が分れていますが、道なりに真っ直ぐ進んでいきます。 石垣の間を過ぎていくと十字路がありますが、 右側に立つ道標「池窪の大悲観音」が指す正面の道を進んでいきます。 右下の牧場から登ってくる道を併せてその先へ降っていきます。 左右に広がる畑地などを眺めながら降っていくと、少し登り坂になった所に再び牧場があります。 坂を越えて降り坂になってくると、やがて未舗装路になります。 どこまで行けば大悲観音があるのかと不安になりながらも進んでいくと、 左手へ曲がり始めた所に再び「池窪の大悲観音」の道標が立っていて、 S字形に曲がっていく道を指していました。 秦野駅分岐から10分ほどの所になります。 一応、ルートは合っていると分かったものの、結構遠い所にあるようだと気付き始めました。
S字形に曲がりながら畑地を横切っていく道を降っていくと、 道端に石祠がひとつありましたが、 これじゃなかろうと通過していくと、左右に通る車道に出ました。 左右を覗ってみても大悲観音らしい祠や道標類は見かけなかったので、 車道を横断してその先へ進んで行くことにしました。 右手には螺旋形をしたサザエ堂のような特徴的な建物がありますが、中井町の砂口配水池というようです。
僅かに降るようになってくると、道が二俣に分れていました。 角の石垣には「砂口阿弥陀如来」の道標が立っていて右手の道を指していました。 ここに来て、どうやら「池窪の大悲観音」を見失ってしまったようだと気付きましたが、 引き返して探すのも当てのない話だし、訪ねるのは諦めることにしました。 手元の地図ではこの左手の先にバス停があるようなので、左手の坂道を登っていきました。
家に帰ってから調べてみると、池窪の大悲観音は、 先ほどの車道に出た所から左へ数10m進んだ所にあるようでした。 参考までに、この付近を拡大した地図を載せておきます。
後日に、池窪の大悲観音と砂口配水池を訪ねました。 (「震生湖」を参照)
南が丘センター(みなみがおかせんたー)バス停
住宅が建ち並ぶ坂道を登っていくと、左右に通る車道に出ます。 そこを右折していくと、すぐの所に南が丘公民館入口交差点があります。 その先にバス停が見えていましたが、交差点を左折して、桜の並木が続く坂道を登っていきました。 左右には集合住宅が建ち並んでいて、南が丘という住宅地のようでした。 傾斜が緩やかになってくると、車道を横切る陸橋があります。 その手前の右側に南が丘ショッピングセンターがあり、左側に南が丘センターバス停がありました。 秦野駅分岐から22分ほどで到着しました。
秦野駅(小田急小田原線)まで、秦野駅南口行きバスにて6分、1時間に4本程度の便があります。