吾妻山公園
散策:2011年03月中旬
【街角散策】 吾妻山公園
概 要 吾妻山公園は二宮町にある低い山を利用した公園です。 広場には菜の花が咲き、展望台からは丹沢・箱根・伊豆・相模湾などを一望できる眺めが広がっていて、 条件がいいと富士山を望むこともできます。 今回は二宮町庁舎の脇から吾妻山に登って、小動物園を経て中里口へ降るコースを歩きます。
起 点 二宮町 二宮駅
終 点 二宮町 二宮駅
ルート 二宮駅…登り口…藤棚…桧林…薬草園…浅間神社…アスレチック広場…吊り橋…芝生広場…展望台…野鳥の森…小動物園……東屋…中里口…軽便鉄道二宮駅跡…二宮駅
所要時間 1時間30分
歩いて... 少し旬の時期を過ぎていましたが、吾妻山公園の山頂には菜の花がまだ沢山咲いていました。 スイセンはほぼ終りを迎えていたものの、まだ咲いているのもありました。 前日来の強風のために空気が澄んでいて、山頂からは丹沢から箱根・伊豆にかけての山々や、 冠雪した綺麗な富士山を望むことが出来ました。
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コース紹介
桧林
二宮駅(JR東海道線)の北口を出て、正面にある町民会館の脇を進んでいきます。 十字路を左折して坂道を登っていくと、二宮町庁舎を過ぎた所に吾妻山への登り口があります。 真ん中に手摺が設置された石段を登っていきます。 横木の階段に変った坂道を登っていくと、案内板のある分岐に登り着きます。 その右手には藤棚があって、湘南の街並みの向こうには江ノ島も見えていました。 案内板まで引き返して、2本ある道の左側を進んでいくと、黄色いスイセンがまだ咲いていました。 サツキも沢山植えられていますが、花はまだ咲いていませんでした。 快適な道を進んでいくと、正面に桧林が現れます。 林の中へと散策路が続いています。 右へ曲がりながら進んでいくと、程なくして横木の階段を登るようになります。
浅間神社
横木の階段を登り着ると、左右に通る広めの散策路に出ます。 そこから左手へ更に登っていきます。 道端には白い花のスイセンが沢山植えられていますが、花の季節はほぼ終りになっていました。 簡易舗装された道に出て薬草園に沿って進んでいくと、右手に浅間神社の鳥居が立っています。 鳥居をくぐってその先の枕木の階段を登っていくと、浅間神社のある高みに着きます。 社殿には「浅間神社」の扁額が掲げられていて、中には注連縄を渡された白木の祠がありました。 少し戻って、高みを西側から巻く道を進んでいきます。
浅間神社
祭神は木花咲耶媛、二宮町上町地区の祭神で、 土地の人には浅間さんとして親しまれ、本社は富士浅間神社です。 木花咲耶媛はその名のとおり、咲く花の匂うような美女で、 良縁を得られたので縁結びの神様として信仰されています。 今からおよそ八百年の昔、源頼朝が富士の巻狩りを催した時、 曽我兄弟は父の仇、工藤祐経を討取りました。 この時、二宮の花月尼はその成功を富士浅間神社に祈りました。 後、花月尼は大願成就に感謝の意をこめて、自分の住いの前のこの山上に、 浅間神社をまつったと言われています。
この度社殿老朽にともない新築、内宮は大修理を施し装いも新たになりました。 尚、修復した内宮(一部の彫り物も含む)は1700年後期寛政の頃の作といわれています。
付記 修理されし内宮の各部
1.柱 2.像鼻 3.側面蛙股 4.左海老虹染 以上
 (平成19年3月吉日 二宮町二宮 上町町内会)
吊り橋
浅間神社の裏手に出て、スイセンやサツキが続く坂道を降っていくと、舗装路に降り立ちます。 浅い谷筋はアスレチック広場になっていて、 一帯には八の字型の大型遊具など、各種のアスレチック遊具が設置されています。 そこから右手へ続く階段を登っていくと、 菜の花の黄色・ヒガンザクラの濃紅色・コブシの白色の対照が綺麗でした。 道なりに左へ曲がっていくと、遊具の一つの吊り橋があります。 以前からよく知っていますがまだ渡ったことがなかったので挑戦することにしました。 ロープや網だけで出来ていてよく揺れますが、 屁っ放り腰になりながらも手や足を少しずつ前に出し、どうにか渡ることが出来ました。
芝生広場
吊り橋から左手へ進んでいくと、吾妻山の山頂にある芝生広場に着きました。 「吾妻山 標高136.2m」の標柱が立っていて、脇には僅かに頭を出した三角点があります。 旬の季節を少し過ぎていましたが、まだ菜の花が沢山咲いていました。 中ほどにある円い石積みになった展望台に出てみると、 前日来の強風のため空気が澄んでいて、丹沢山塊から箱根連山・伊豆の山々にかけてが綺麗に見えました。 その奥には冠雪した富士山もよく見えました。 海に突き出た真鶴半島も見えていましたが、海の沖は少し霞んでいて、伊豆大島は見えませんでした。
吾妻山公園の由来
相模路の淘綾の濱の真砂なす 児らは憂しく思はるるかも 萬葉集第十四 東歌
(さがむじの よろぎのはまの まなごなす こらはかなしく おもはるるかも)
万葉の昔から淘綾の里二宮の美しい海浜と、それを眼下に一望できる吾妻山は、人々のふるさとでありました。 しかし、第二次世界大戦後の激動する社会情勢の中で、山は顧みられることもなく、 次第に荒廃が進んでいきました。 町はこれを深く憂え、子孫に誇れる山として残したいと思い、 地権者65名の協力と5年の歳月をかけて整備し、昭和62年7月18日に吾妻山公園として開園しました。 現在では健康づくりと自然とふれあうやすらぎの場として人々に喜ばれています。 この公園は名誉町民第17代柳川賢二町長の尽力により完成しました。
 (顕彰会)
淘綾の濱とは、ゆるぎ・こゆるぎの浜ともいい、二宮を中心に国府津から大磯あたりまでの白砂青松の海浜をいいます。
小動物園
山頂から引き返して「吊り橋」の下を過ぎ、北側に続く散策路を降っていきます。 雑木林になった尾根は「野鳥の森」というようです。 坂道と横木の階段の分岐・合流箇所を過ぎていきます。 傾斜が急な所は舗装されていて、広くて歩きやすい道が続きます。 釜野口への細い道を分けて傾斜が増してきた坂道を降っていくと、左手に小動物園があります。 以前には色々な動物が居たのですが、この時にはウサギしかいませんでした。 中に入っていくと、多くのウサギが日向や日陰で休んでいました。 小動物園から引き返して坂道を更に降っていくと東屋が建っています。 その裏手の谷筋へ散策路が続いているのですが、入口には柵が設置されていて通行止めになっています。 もうかなり長い間この状態になっていますが、谷筋の道は廃止したということなのでしょうか。
軽便鉄道二宮駅跡
雑木林の尾根に続く広い坂道を更に降っていくと、鉄柵が設置された中里口に着きます。 正面には畑地が広がっていました。 そこから左手へ続く坂道を降っていきます。 住宅が点在するようになった坂道を道なりに降っていくと、左右に通る車道に出ます。 正面に立つ道標「二宮駅約1.2km」に従って右手へ進んでいきます。 葛川に架かる妙見橋を渡っていくと、川には大きな鯉が沢山泳いでいました。 県道71号に出て生涯学習センター交差点の先の内輪橋を渡っていくと、 二宮町ふれあい館の前に「軽便鉄道二宮駅跡」の解説板がありました。 かつて二宮と秦野を結ぶ鉄道が通っていたようです。 突き当たりの線路の所まで来て右折していくと、元の二宮駅(JR東海道線)に戻ってきました。
軽便鉄道 二宮駅跡
馬車鉄道・軽便鉄道・湘南軌道の沿革
通称「けいべん」は、明治39年(1906)に湘南馬車鉄道株式会社が 吾妻村(現在二宮町二宮)〜井ノ口村(現在中井町井ノ口)〜秦野町(現在秦野市本町三丁目)間の 道路9.6キロメートルに幅二尺五寸(76.2センチメートル)の軌道を敷設した馬車鉄道の運行が始まりとなっています。 馬車鉄道は、一頭の馬が小さな客車、または貨車を引くものでしたが、大正2年(1913)には動力を馬から 無煙炭燃料汽動車(蒸気機関)に代え、社名も湘南軽便鉄道株式会社とし、運転を開始しました。 当時の沿線は、わら葺屋根の民家がほとんどで火の粉の飛散を防ぐため、 独自に開発したラッキョウ型の煙突を付けた機関車が、客車や貨車を牽引していました。 二宮駅からの乗客は、大山への参拝者が多く、シーズンになると駅は活気にあふれ、 貨物ホームには葉たばこ、落花生、雑穀、肥料などがうず高く積まれていました。 特に二宮特産の落花生は、全国に名が知られていました。 二宮駅は、東海道線と軽便鉄道の乗換地点で、乗継切符が販売されていました。 石碑の北側には、湘南軌道株式会社本社「二宮駅」の上屋が、今でも当時の面影を残しています。 二宮には、このほか中里停留所、一色停留所がありました。 その後、軽便鉄道は、大正7年(1918)には湘南軌道株式会社への軌道特許権が譲渡され、 大正10年(1921)に秦野自動車株式会社が秦野〜二宮間の営業を開始、 大正12年(1923)の関東大震災による軌道の損害、昭和2年(1927)の小田急開通などにより鉄道の経営が厳しくなり、 昭和8年(1933)に旅客運輸を、昭和10年(1935)には軌道全線の営業を休止し、 昭和12年(1937)に軌道運輸事業を廃止しました。 明治、大正、昭和の時代を走り抜けた「けいべん」の歴史は100年の時を経て、今も人々の胸の中に生き続けています。 私たちは今、この地点に立ち、当時、勇姿に走っていた「けいべん」に思いを馳せ、後世に歴史を継承します。
 (秦野市・中井町・二宮町 軽便鉄道歴史継承事業実行委員会)