葉山アルプス
散策:2011年03月中旬
【低山ハイク】 葉山アルプス
概 要 葉山アルプスは三浦アルプスとも言われ、逗子市と葉山町と横須賀市の境界付近にある低い山稜で、 森戸川を取り巻くようにして続いています。 今回はその西側にある大山尾根を登って仙元山ハイキングコースに出て、 その南東の方にある分岐から葉山町クリーンセンターへ降る短いコースを歩きます。
起 点 葉山町 長柄交差点バス停
終 点 葉山町 葉山小学校前バス停
ルート 長柄交差点バス停…庚申塔…長運寺…大神宮…御霊神社…福厳寺…長江義景大明神…登り口…祠…葉山コミュニティ放送送信所…仙元山ハイキングコース…クリーンセンター分岐…葉山町クリーンセンター…福祉文化会館…葉山町役場…花の木公園…葉山小学校バス停
所要時間 2時間10分
歩いて... 大山尾根では僅かな踏み跡が何度か分れていました。 道端には笹竹やアオキやシダ類などが生い茂っていましたが、道はしっかりと続いていて、 仙元山ハイキングコースの尾根まで迷わずに登っていけました。 仙元山ハイキングコースから分れて葉山町クリーンセンターへ降る道は、良く踏まれて歩きやすくなっていました。
関連メモ 仙元山, 三浦アルプス, 森戸川回峰, 葉山アルプス, 葉山アルプス
コース紹介
長柄交差点(ながえこうさてん)バス停
逗子駅(JR横須賀線)から、[逗01]葉山町福祉文化会館行きバス、[逗02]葉山行きバス、 [逗04]大楠芦名口行きバス、[逗05]横須賀市民病院行きバス、[逗06]長井行きバス、 [逗07]佐島マリーナ行きバス、[逗08]電力中央研究所行きバス、[逗15]衣笠駅行きバス, または,[逗16]湘南国際センター前行きバスにて5分、 1時間に6本から8本程度の便があります。
バス停の脇にある休憩舎の左手の道を進んでいきます。 歩き始めるとすぐの所に「健康の散歩道 長柄コース」と題した案内図があります。 ここから森戸川沿いの三浦大山林道の入口まで続くコースになります。 今回はこのコースの途中から中村橋を渡って葉山アルプスの尾根へ登っていきます。
健康の散歩道 長柄コース
健康のため、あなたも歩いてみませんか。
このコースは約2.0キロメートルです。 歩く前後は準備運動をし、はきなれた靴で無理なく歩きましょう。
 (葉山町)
庚申塔
突き当たりのT字路を左折していくと、短い石段を登った所に庚申塔があります。 「青面金剛…」や「相州三浦郡長柄郷…」と刻まれた石碑や、 神像や三猿などの浮き彫りが幾つか並んでいました。 「庚申塔」と刻まれた石碑もありましたが、半分ほどに割れて地面に落ちていました。
葉山町指定重要文化財 建造物 笠原商店前庚申塔
 (葉山町教育委員会)
長運寺
庚申塔を後にして3分ほど進んでいくと、横断歩道の設置された十字路があります。 脇に立つ電柱には「長運寺 ←ここ入る」の看板が取り付けられていて、左手の道を指しています。 葉山アルプスへはそのまま正面の道を進んだ方が近いのですが、長運寺を経ていくことにしました。 看板に従って十字路を左折していきます。 左へ分れていく路地を見送って次の分岐を右へ進んでいくと、Y字路の手前の左側に長運寺がありました。 右側に「高野山真言宗」、左側に「景政山長運寺」と刻まれた石門から境内に入っていくと、 右側には赤い前掛けをした四体の地蔵が並んでいました。 正面の短い石段を登った先に本堂があり、その左手には庫裡と思われる建物がありました。 手前には真新しい合葬墓「上求菩提」がありました。 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでしたが、 御霊神社の別当寺として永世年間(1504〜1520)に建立されたようです。 三浦不動尊第25番札所で、地蔵十王図や不動明王の彫刻は葉山町の重要文化財に指定されているようです。
世の中で尊いことは 一人一人が心の中に 生きとし生けるものの幸せを 祈り続けることである
 (第十六世 恵伸代)
上求菩提
当山に勝縁あった真言宗の信徒でありました方々が、少子高齢化に伴い、 継承者が居なくなった人が増えてまいりましたのに鑑みて、是に合葬墓の建立を発願致しました。 本殿から聞こえてくる声宇実相を体現し教典の功徳力によって真理を得、 自己の為に悟りの智慧を理想に追い求め、陽光浴びて南向の墓域に眠り、 永代供養を勤め霊魂の安らぎを実現するこのです。 千載一遇の縁者は未来永劫に渡り佛法密教紹驍フ徳を信じ、 如来のお力によって身口意の働きを成就し、弥勒菩薩の浄土で優遊せられんことを念じ奉る。 南無大師遍照金剛
 (第拾六世 恵伸代)
長運寺の先のY字路を左手へ進んでいきます。 大きく円弧を描くように右へ曲がっていきます。 背の高い生垣沿いに左折した先の十字路を直進し、 両側に塀が続く狭くなってきた路地を進んでいきます。 民家への坂道を見送っていくと、道端にブロック積みの壁になった祠があって、 中には丸まった石を重ねた石仏が安置されていて、赤い帽子と前掛けをしていました。 綺麗な花が手向けられて、水やミカンなどもお供えされていました。 名前や謂れなどは分りませんでしたが、古くからこの地区にあるものなのでしょう。
大神宮
石仏を過ぎていくと、右へ曲がりながら降るようになる所から左手へ石段が分れています。 白い金網柵沿いに続く石段を登っていくと、階段の途中に大神宮がありました。 小さな石祠ですが、鳥居が立っていて「大神宮」と刻まれた石柱もありました。 これらは真新しい様子で、近年に建立されたようでした。 石祠の前には古びた庚申塔や三猿を刻んだ石碑などが並んでいて、石を刳り貫いた手水鉢もありましたが、 由緒などを記したものは見かけませんでした。 名前と祠の大きさのバランスが取れていないようにも思えますが、 窮屈な所に追いやられながらも存続しているところをみると、 この地区と深い係わりのある神社なのでしょう。
御霊神社
大神宮から引き返して坂道を降っていくと左右に通る道に出ます。 そこを左折して集落の中を進んでいきます。 程なくして右手に畑が続くようになると、御霊神社の境内になります。 境内には鳥居が二つ立っています。 左手には神輿庫があって、中には神輿が収められていました。 右手には日露戦役第二十五周年の記念碑や長柄会館があります。 鳥居をくぐってその先の石段を登っていくと、本殿と拝殿から成る社殿があります。 拝殿には「御霊神社」の扁額が掲げられていましたが、由緒などを記したものは見かけませんでした。 鳥居の脇の掲示板によると、春分の日に年乞祭(祈念祭)が行われるようでした。 社殿の右手には古びた石祠が二つあって、その奥には「八幡宮」と刻まれた大きめの石祠もありました。 祠の前には亀の置物があって、祠を守っているように思えました。
御霊神社(ごりょうじんじゃ)
御祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)、御霊命(みたまのみこと)
御由緒  社伝によれば、三浦為通の勧請といい、また長江太郎義景の勧請ともいう。 「相模風土記」に 「御霊社、村の鎮守なり…社領三石の御朱印は天正十九年(一五八一)十一月賜ふ。長運寺持」とある。 明治維新神仏分離により長運寺の管理を離れ、明治六年十二月村社に列格され、 大正五年八月神饌幣帛料供進神社に指定された。 特殊神事として、一月七日御奉射神事を行う。 その年小学校へ入学する児童を集め、勧学と成長を祈請し、忌的に忌矢を射る神事を行う。
 (出典:神奈川県神社庁)
御霊神社を過ぎていくと、赤い丸ポストの先に分岐があります。 葉桜住宅地へ続く道が左手へ分れていますが、正面の松久保川に架かる川久保橋を渡っていきます。 橋を渡ってくと、すぐに逗葉新道へ続く県道311号の川久保交差点に出ます。 交差点を渡って正面に続く道を進んでいきます。 道はすぐに左へ曲がっていきますが、その角から右手へ分れていく路地があります。 そのまま進んでいくと三浦大山林道や阿部倉山などへ続いていますが、今回は右手の路地へ入っていきます。
松久保川は森戸川の支流で、川久保橋の右側20mほど先の所で合流しています。
砂防指定地 松久保川
この土地の区域内において、宅地造成・家屋の新築・土採取等の行為をする場合は 神奈川県知事の許可が必要ですから、横須賀土木事務所にご相談下さい。
 (神奈川県)
福厳寺
路地に入っていくと、すぐに森戸川に中村橋が架かっていますが、 右手の先にある福厳寺に立ち寄っていくことにしました。 川沿いに進んだ所に架かる小橋を渡って右手へ進んでいくと、 「福巌禅寺」と刻まれた特徴的な姿をした門があります。 二階建てになっていて、上への階段もありました。 門から中へ入った右手には庫裡と思われる建物がありました。 正面へ進んでいくと、「殿谷山」の扁額が掛る本堂がありました。 渡り廊下で庫裡と続いているようでした。 本堂には長方形の肩を落としたような形の木板が掛けられていて、 「生死事大 無常迅速 光陰可惜 時不待人」と書かれていました。 用がある時に叩くものなのか、中ほどの部分が円い形に少し窪んで色が変っていました。 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでしたが、 創建は貞和4年(1348)で、長江太郎義景の菩提寺と伝えられているようです。
福巌寺から引き返してきて、森戸川に架かる中村橋を渡っていきます。 橋を渡っていくとすぐに分岐があります。 葉山アルプスの登り口へは左手へ進んでいくのですが、 手元の地形図にはこの先に鳥居の印があるので、立ち寄っていくことにしました。 橋を渡って正面に続く坂道を登っていきます。 集合住宅や民家を過ぎて未舗装路に変ると、谷筋には畑地が広がっていました。 谷の右側を流れる小川沿いに続く小径を進んでいきます。 程なくして畑が終ると、その先は谷戸の奥まで棚田が続いていました。 この谷戸は殿ヶ谷戸というようです。
長江義景大明神
小川沿いに続く小径を進んでいくと、谷戸の左側の山際に神社が見えてきました。 あれが地形図に載っている神社だろうと思いながら、棚田の間に続く小径を曲がっていくと、 壊れた所もある12段の石段を登った所に社殿がありました。 屋根の両側には、特徴的な形をした鬼瓦が二組ずつ乗っていました。 扁額は掛っていませんでしたが、長江義景大明神或いは義景社と云って、 この谷戸にかつてあった長江館の跡とのことです。 中を覗ってみると、ガランとした所に神輿が一基置かれていました。 正面の壁は格子戸になっていて、開けられる構造のようでした。 その先の岩壁には五輪塔が見えていました。 あれが本殿に当たるのだろうかと思いながら、裏手に回ってみることにしました。
この辺りの地区は元々「大山」という名前だったのが、 長江氏が居住するようになって「長江村」と呼ばれるようになり、 後世になって「長柄村」と表記されるようになったとのことです。
社殿の裏手の岩壁に四角く開けられた穴には、大きめの五輪塔が三基並んでいました。 その前の両脇にも小振りの五輪塔がありました。 五輪塔の前には三枚の卒塔婆が立て掛けられていました。 中央の卒塔婆には「殿谷院殿福厳義景大禅定門菩提」と書かれ、 左右の卒塔婆には「長江氏先祖代々精霊位」と書かれていたので、長江氏の菩提を弔う五輪塔のようでした。 この神社は先ほどの福厳寺が管理しているとのことです。
長江氏は、先祖に平良文を戴き、鎌倉権五郎景政を祖とする平氏の一派である。 現在の神奈川県三浦郡葉山町に本拠を置いた。 長江義景は源頼朝とともに石橋山の挙兵に参加し、鎌倉幕府創建の功臣となった。 また、奥州藤原氏藤原泰衡討伐(奥州合戦)にも従軍し、 その功により戦後、奥州桃生郡南方の深谷保郷(現在の宮城県石巻市)一帯を得た。 その後、美濃国守護土岐氏に従い、守護代となった。 それ以降は、美濃国国内での多くの戦乱に身を投じ、 織田氏、蜂須賀氏に仕えて阿波国に移り、子孫は徳島藩士として続いたという。 竹中半兵衛で有名な竹中氏も長江氏の一族である。
長江義景は鎌倉氏の一族である。 大庭(鎌倉)景継を父とする説と鎌倉景明を父とする説がある。 当時の鎌倉党は養子関係が多く、系図は錯綜ぎみである。 長江村に館を構えてから長江を名乗ったらしい。 源平合戦では、縁戚の三浦氏と協力して源頼朝に与する。 衣笠城の戦いでは敗れたが、そこから敗走したあと頼朝に合流し、鎌倉幕府黎明期の重臣となった。 頼朝が征夷大将軍になった後、義景は伊勢大廟神宝奉行となった。 また、義景は弓の名手としても高名であり、頼朝の信任が厚かった。 義景には3人の男子が居たが、明義の系統は宝治合戦で滅亡、景行は桑良氏を称し、 唯一師景の系統が長江家の家名を後世に伝えた。
 (出典:Wikipedia)
登り口
中村橋の手前まで引き返してきて、右手(川久保交差点や福厳寺の方から来ると左手)へ進んでいきます。 程なくすると、高いコンクリート塀の脇を進んでいきます。 造園業の家の入口を過ぎて、石垣の上に続く白壁に沿って進んでいきます。 道なりに角を右へ曲がり、左手からの道を併せて、生垣と白壁に挟まれた路地を進んでいきます。 左へ分れていく道を見送っていくと、白壁は竹塀に変ってきます。 竹塀が終って引続き石垣が設置された山際を進んでいきます。 石垣が終って竹林の所まで来ると、山道が右手へ分れていきます。 入口には葉山町消防本部が設置する緊急時の目標番号を記した「山火事防止23」の看板が立っています。 ここが葉山アルプスの尾根への登り口になります。 長柄交差点バス停から50分ほどで到着しました。
石垣沿いに登っていくと、石垣はすぐに終りになります。 竹林に続く浅くU字形に窪んだ広めの道を登っていくと、突き当たりで道が左右に分れています。 登ってくる途中では左手の道しか見えていませんが、 分岐の所まで来ると、右側に生える大木の脇から道が続いているのが分かります。 左手の道は少し先で不明瞭になっているので、ここは右手の道を進んでいきます。
高みを右手から巻くようにして進んでいくと、丸太を輪切りにした階段があります。 階段はすぐに終って緩やかな道になってくると、次第に道の両側に笹竹が生い茂るようになります。 岩盤が剥き出した所を登っていくと、左手に道が分れていきます。 尾根へは正面の道を登っていくのですが、左手の道のすぐ上に祠が見えているので立ち寄っていきました。 しっかりとした横木の階段を登っていくと、すぐにがありました。 中を覗ってみると、白木の小祠が安置されていて、狐の姿をした小さな狛犬が両側に控えていました。 真新しい榊もお供えされていて、丁寧に祀られているようでしたが、神社の名前などは分りませんでした。
祠から戻ってその先へ進んでいくと、笹竹から雑木林へ変ってきます。 再び笹竹が生い茂るようになった所を過ぎていきます。 笹が無くなってくると、左側に小尾根が近づいてきます。 曲がり角までくると僅かな踏み跡が正面(*)へ続いていますが、左へ曲がって小尾根の上に出ます。 すぐに右へ曲がって尾根の背を進むようになると、 「山火事防止12-2」の看板が立っていました。 尾根には太い木が沢山生えていて、しっかりとした道が続いています。 樹間から時折見える山並などを眺めながら淡々と登っていきます。
*正面の踏み跡は少し先で不明瞭になっていました。
祠への分岐から8分ほど登っていくと、左手の小尾根へ登っていく道が分れていました。 葉山アルプスへは正面の道だと思いながらも、左手の道がどうなっているのか確かめてみました。 小尾根をひと登りすると、少し刈り払われた様子の所で道は不明瞭になっていましたが、 左手には街並みなどを見渡せる眺めが広がっていました。
小尾根から引き返してきて、その先へ登っていきます。 引続き傾斜はそれほど急ではなくて、歩きやすい道が続いています。 程なくして、道の両側には笹やアオキなどが生い茂るようになってきます。 小尾根への分岐から5分ほど登っていくと、道端の大木が根刮ぎ倒れていました。 円形に張った根を見ていると、下は岩盤になっているらしく、 根がその表面に広がるようにして伸びているのがよく分りました。 これでは踏ん張りが利かず、大風が吹いたりすると倒れてしまうだろうと思いながら過ぎていきました。 植林帯に入っていくと、傾斜が緩んできます。 林床にはシダ類が生い茂っていますが、道は明瞭に続いていました。
葉山コミュニティ放送送信所
シダ類が終ってアオキなどが生い茂るようになった植林帯を緩やかに進んでいきます。 僅かに降り坂になってくると、道の左手に鉄柵で囲まれた電波設備がありました。 柵や建物に取り付けられた看板によると「葉山コミュニティ放送送信所」というようです。 この辺りの僅かな高みが、地形図に載っている189m峰(*)でしょうか。 道はその設備の右手に続いていますが、柵に沿って左手へも道が分れています。 試しに左手へ進んでいくと、柵に沿って曲がった所から広い道が左手の急斜面に続いていて、 仙元山ハイキングコースに降りられるようでした。 葉山小学校方面へ行くには近道になりますが、今回は電波設備の右手の道を進んでいきました。
*長柄交差点バス停の脇で見かけた「健康の散歩道 長柄コース」の案内図に「殿谷山」の名前が見られます。 この189m峰の辺りに書かれているように思えますが、この山の名前なのでしょうか。
仙元山ハイキングコース
アオキなどが生えた雑木混じりの植林帯を2分ほど降っていくと、葉山アルプスの広い尾根道に出ました。 仙元山から花の木公園へと続く仙元山ハイキングコースになります。 麓の登り口から35分ほどで登って来られました。 調べてみると、今回登ってきた支尾根は「大山尾根」というようでした。 正面に生える樹木の脇には「山火事防止12」の看板が立っていました。 右手の広い尾根道を降っていくと仙元山に続いていますが、今回は左手の道を進んでいきます。
今回の登り口の辺りは、現在では長柄地区の中の字「大山」となっていますが、 元々はこの地区の名前だったようです。 そのような経緯に因んで「大山尾根」と名付けられたのでしょうか。
斜面に沿って続く仙元山ハイキングコースを降っていきます。 人気のあるハイキングコースとあって、よく踏まれてしっかりとした道が続いています。 1分ほど降っていくと、「20」の番号が貼られた細めの電柱が立っています。 ここから左の斜面へ広めの坂道が分れています。 その上には先ほどの電波設備が見えていました。 その設備へ電気を送るための電柱のようで、麓にあるクリーンセンターの脇まで点々と設置されていました。
電柱「19」,「18」を過ぎていくと、手前の樹木に邪魔されながらも、 右手の樹間から街並みや海を見渡せる所がありました。 方角や形からすると、海に突き出ているのは長者ヶ崎で、 その先には砂州で繋がっている島が浮かんでいました。 半島の奥にも小さな島が見えていましたが、手元の地図によると尾が島というようです。 右手にある山が大峰山で、葉山御用邸の海側にある小磯はその山に隠れていて、 ここからは見えないようでした。
引続きよく踏まれた道を降っていきます。 電柱「17」から「13」を確認しながら降っていくと、横木の階段が現れます。 仙元山ハイキングコースに出た所から6分ほどの所になります。 降り口には電柱「12」が立っていました。 擬木の階段の上面は平らになっていて、歩きやすくなっていました。 階段は1分弱で終わって、電柱「11」,「10」を過ぎていきます。
馬の背のような鞍部を過ぎていきます。 軽く登って僅かな高みに着くと、電柱「9」が立っていました。 脇には「山火事防止11」の看板もありました。 引続き馬の背のようになった尾根を進んでいきます。 左手には乳頭山へと続く葉山アルプスの尾根が見えるようになってきました。 電柱「8」を過ぎていくと、曲がり角にポツンとひとつベンチが設置されていました。 道の外側を向いて設置されていますが、手前には樹木が生い茂っていて展望は得られません。 脇には電柱「7」が立っていました。
クリーンセンター分岐
電柱「6」を過ぎて左側に笹竹が続くようになった尾根道を降っていくと、電柱「5」が立つ分岐があります。 仙元山ハイキングコースに出た所から12分ほどの所になります。 脇に立つ道標によると、右手の道は「クリーンセンター・葉山小学校方面」となっています。 中ほどにも道標が立っていますが、この時には板が剥がれていて、脇の樹木の袂に置かれていました。 それによると、正面の道は「葉山小バス停」、今来た道は「仙元山山頂」となっています。 仙元山ハイキングコースは正面の尾根道を進んでいくのですが、 今回はここからクリーンセンターへ降っていくことにしました。
正面の道と右手の道は、両方とも葉山小学校バス停の傍にある「花の木公園」へ続いています。
(正面の道は「仙元山」, 「三浦アルプス」, 「森戸川回峰」, 「葉山アルプス」, 「葉山アルプス」を参照)
雑木混じりの植林帯の斜面を横切るようにして降っていきます。 引続き広めでよく踏まれた道が続いています。 電柱「4」を過ぎて尾根の背を進むようになると、広くて快適な道が緩やかに続くようになります。 電柱「3」を過ぎていくと、道は左手へ鋭角に曲がって、斜面を降るようになります。
葉山町クリーンセンター
雑木林になってきた斜面をジグザグに曲がりながら降っていきます。 電柱「2」を過ぎていくと、仙元山ハイキングコースの尾根から4分ほどで舗装路に降り立ちました。 右手すぐの所には、黄緑と白の縞模様の煙突が聳える葉山町クリーンセンターがあります。 降り立った脇には電柱「1」もありました。 クリーンセンターの正門を過ぎて、広くなった舗装路を降っていきます。
ゴミの持込み時間について
月曜日〜金曜日 午前 9:00〜11:30、 午後 1:00〜3:30
休務日 土・日曜日、年末年始
 (葉山クリーンセンター)
クリーンセンターから降ってくる道を併せて、その先へと降っていきます。 車が容易にすれ違えるほどの幅のある舗装路を降っていくと、葉山町職員厚生会駐車場がありました。 そこを過ぎていくと道の真ん中に中央分離帯が現れます。 その分離帯で左右に分れた道が再び合流すると、右手へ道が分れていきます。 葉山中学校への道のようですが、見送っていきます。
福祉文化会館
二車線になった道路の左手にはテニスクラブのコートが続いていました。 金網柵沿いに続く歩道を降っていくと大きな建物がありました。 文化会館福祉会館のようで、建物の前には葉山町福祉文化会館バス停がありました。 逗子駅までの便が1時間に2本程度出ていますが、平日しか運行していません。 脇には「顕彰碑」がありました。
葉山町役場
左手からの道を併せて正面へ降っていくと、葉山町役場があります。 玄関の前には「明鏡止水」と刻まれた大きな池があり、水が一杯に湛えられていました。 『一点の曇りもない鏡や静止している水のように邪な心がなく明るく澄みきった心境』を表わす言葉なのだそうです。
花の木公園
葉山町役場を過ぎていくと広場がありました。 正面に続く石段と左手のツツジなどが植えられた坂道がありましたが、左手の坂道を登っていきました。 上には藤棚もありましたが、季節ではなかったので花は咲いていませんでした。 道端にはスイセンが少し咲いていました。 振り返ると、先ほどの葉山町役場がよく見えました。 右に曲がって降っていくと、先ほどから見えている背の高い「慰霊塔」が立っています。 この辺り一帯が花の木公園になるようです。
塔誌
大東亜戦争終結二十周年、ならびに葉山町町制施行四十周年を記念いたしまして、 日清戦争以後の、すべての戦没者のみたまを招魂祭祀する慰霊塔を 、秀麗富士を望むこの景勝の地に建立いたしました。 祖国の難に殉ぜられ、新生日本の礎となられた英霊が、 安らかに御冥福くださらんことを、お祈り申し上げると共に、 御遺族の方がたの上に、栄光ある日日が続きますことを、心から念ずるものであります。 又、この慰霊塔の建立にあたりまして、心から御支持をいただきました町民各位、 ならびに町議会議員諸兄に対しまして深い感謝の意を表するものであります。
昭和四十年十月九日 葉山町長 田中富
慰霊塔の前の石段を降りて一段低い所にある広場を横切っていきます。 その先の石段を更に降っていくと、国道134号の葉山町役場入口交差点に降り立ちます。 左手からは実教寺を経てきた仙元山ハイキングコースが降ってきています。 脇には「HAYAMA仙元山ハイキングコース登山口」と題した三角形の案内板があって、 コースが図示されています。 また「Hayama Town Guide」と題した案内板もあって、 今回の仙元山ハイキングコースだけではなくて、周辺のコースも紹介されていました。
葉山小学校(はやましょうがっこう)バス停
横断歩道で道路の向こう側に渡って右手へ進んでいくと、葉山歩道橋の先に葉山小学校バス停があります。 クリーンセンターの脇に降り立った所から25分ほどで歩いて来られました。
逗子駅(JR横須賀線)まで、逗子駅行きバスにて10分、1時間に6本から8本程度の便があります。