弘法山公園
散策:2011年02月中旬
【低山ハイク】 弘法山公園
概 要 弘法山公園は丹沢の南側の低い丘陵にある公園で、弘法山・権現山・浅間山などがあります。 権現山からは秦野の街並や、丹沢から箱根にかけての山並を見渡せる眺めが広がり、 条件が良いと富士山を望むことも出来ます。 今回は南矢名地区から馬場道に出て弘法山へ登り、北側にある分岐から北矢名地区へ降るルートを歩きます。
起 点 秦野市 町内会館前バス停
終 点 秦野市 東海大学前駅
ルート 町内会館前バス停…龍法寺…農道…馬場道…弘法山…めんようの里…展望地…めんようの里分岐…農道…さわやか農園…北矢名地区…菅原神社…おおね台すがわら公園…おおね台団地…鉾ノ木橋…東海大学前駅
所要時間 2時間10分
歩いて... 弘法山の山頂は樹木に囲まれていて展望はあまり良くありませんが、 東側が一部開けて街並みなどを見渡せる眺めが広がります。 北側へ続く尾根道の途中には、丹沢から箱根にかけての山々や富士山などを見渡せる展望地がありますが、 今回は残念ながら曇っていて富士山は見えませんでした。
関連メモ 弘法大師と桜のみち, 弘法大師と丹沢へのみち, 弘法山公園, 高取山, 弘法山公園, 弘法山公園, 弘法山公園,
弘法山公園, 弘法山公園
コース紹介
町内会館前(ちょうないかいかんまえ)バス停
東海大学前駅(小田急小田原線)の北口から100mほど秦野駅寄りにある東海大学前駅バス停から、 [学01]オレンジヒル循環東海大学前駅行きバスにて7分、1時間に3本程度の便があります。
バスを降りてその先へ数10m進んでいくと、車道は左手へ曲がっていきます。 その角に南矢名上部町内会館があります。 そこから右手へ分かれていく道に入っていきます。
左側には小川、右側には生垣などが続く僅かな登り坂を進んでいきます。 車道から1分ちょっと進んでいくと、正面に石門が現れます。 尾根へは左側の小川沿いの道を進んでいくのですが、石門の上に龍法寺があるので立ち寄っていきました。 右側に「亀谷山」、左側に「龍法寺」と刻まれた石門を過ぎて、石畳みの坂道を真っ直ぐ登っていくと、 道が左右に分かれていきます。 角には大きな樹木が生えていて、解説板のようなものも立っていますが、 文字が消えてしまったのか、判読は出来ませんでした。 右側の道は庫裡へ続いているようなので、正面の短い石段を登っていきます。
龍法寺
山号を亀谷山と号す。 古くは真言宗であったが、大永・享禄のころに陽始ァ甫大和尚によって現在の曹洞宗に改められたという。 周辺には境外仏堂の釈迦堂のある弘法山を始め、真言沢など真言宗時代の面影を残す。 境内にある数基の五輪塔の他、本堂裏の道路沿いから出土した多量の瓦片は共に鎌倉時代のものであり、 弘法山山頂の鎌倉期の経塚と共に歴史の古さを物語っている。 当寺には平安末期の薬師如来立像・十一面観音菩薩像立像の他、 天文三年鎌倉の仏師長盛が造立したことを示す不動明王立像と毘沙門天立像などを安置する。
 (秦野市観光協会)
実践実践また実践。 挑戦挑戦また挑戦。 修練修練また修練。 やってやれない事はない。 やらずに出来るわけがない。 今やらずしていつ出来る。 俺がやらねば誰がやる。 やってやってやり通せ。 (山主)
龍法寺
10段ほどの石段を登っていくと龍法寺の境内になります。 右手に並んだ石仏を過ぎていくと、短い石段の先に本堂がありました。 右手には寺務所や庫裡と思われる立派な玄関の建物がありました。 本堂の前には背の低い五輪塔が幾つも並んでいました。 地面には苔が生えていて、歴史を感じさせる佇まいでした。 左側は竹林になっていました。
秦野市指定重要文化財 木像毘沙門天立像・木像不動明王立像
毘沙門天像は、寄木造、彫眼で、高さは113.3cmの像である。 やや大きめの兜をかぶり、宝塔を持つ左手を肩の位置まで上げ、右足を一歩出して踏ん張っている。 不動明王像は、左手を大きく外にはずして高い位置で羂索をとる、寄木造、高さ115.7cmの像である。 憤怒像にしては動きが少なく、顔の表情も穏やかな像である。 両体とも頭部内の墨書から、天文3年(1534)に鎌倉仏師の大蔵長盛によって造立されたことがわかる。 製作者及び造立年代がはっきりしていることは、資料的にも貴重なものといえる。
 (秦野市教育委員会)
農道
龍法寺から石門まで引き返して、小川沿いの坂道を登っていくと、左右には竹林が続くようになります。 小川の向こう岸へ渡る橋も幾つかありますが見送っていきます。 龍法寺の本堂の傍を過ぎていくと砂防ダムがあります。 そこから僅かにS字形に右へ曲がって丘の上に出ると畑地が広がります。 墓地からの道を併せて畑地の脇に続く坂道を軽く登っていくと、右手に農道が分かれていきます。 龍法寺の石門から6分ほどの所になります。 角には道標が立っていて、右手の道は「弘法山公園」、今来た道は「東海大学前駅」となっています。 正面の先から左へ曲がっていく道は、権現山の南麓から西側の峠を越えて曽屋地区へ続いていますが、 今回はここから尾根に登っていきます。
農道を登っていくと、ミカン畑の脇に出ました。 道なりに少し左へ曲がっていきます。 振り返ると、谷筋の先には街並みが広がっていました。 コンクリート製の四角い水溜を過ぎていくとT字路に出ます。 左右に道が分かれていますが、正面に立つ道標「弘法山公園」が右手の道を指しています。 水溜を過ぎていくと、浅い谷筋の斜面を横切るように右へ曲がっていきます。 右手には、引続き街並みを見渡せる眺めが広がっていました。
突き当たりのミカン畑の所まで来ると、広めの農道は終わりになって、 左手へ曲がった所から始まる山道のような道を登っていきます。 再び現れるミカン畑の脇を過ぎていくと森が現れます。 振り返って最後の眺めを確認してから森の中へ入っていくと、すぐに横木の階段を登るようになります。 段差はそれほど高くなくて土も流れ出てはおらず、歩きやすい階段になっていました。 途切れ途切れに続く階段をクネクネと曲がりながら登っていきます。
馬場道
やがて上の方が明るくなって尾根が近づいてきます。 森に入って4分ほど、農道の入口から10分ほど登ってくると、左右に通る広い道に出ました。 このなだらかな道は馬場道(ばばみち)と言って、 戦前には近在の農民が草競馬を楽しんだ所のようです。 山の上にあるとは思えないほどの広い道になっています。 脇には道標が立っていて、右手の道は「弘法山」、 左手の道は「権現山」、今登ってきた道は「東海大学前駅」となっています。 道標の傍には「百八松明」の解説板もありました。 今回登ってきた道を龍法寺の辺りまで松明を担いで降りる祭のようです。
この広い馬場道は、関東ふれあいの道の「弘法大師と桜のみち」、 「弘法大師と丹沢へのみち」にもなっています。
百八松明(ひゃくはったい)
秦野市南矢名瓜生野地区に室町時代から伝わる旧盆の行事として続いている厄除、豊作を祈る火の祭りです。 旧盆の8月14日と15日の夕刻、麦わらで作った直径30〜40cm、長さ1.0〜2.5mのたいまつ約70本を権現山に運び、 午後7時過ぎに点火、参加者がかついで麓の龍法寺の山門付近までおろします。 暗い山の斜面をえんえんと動くたいまつは火の帯となってたいへん壮観です。
 (秦野市観光協会)
馬場道を右手へ進んでいくと、車止めを過ぎた先で道が二手に分かれています。 角には「かながわの景勝50選 弘法山」の石碑があります。 「弘法山公園」と題した案内図もありました。 以前には「弘法山公園案内図」もあったのですが、少し前からなくなっています。 「熊出没注意」の看板を見かけてドキッとしたりもしました。 周囲には関東ふれあいの道などの道標類が幾つか立っていて、 今来た道は「権現山0.6km」,「権現山・南平橋」,「弘法山公園 権現山0.5km」、 左手の道は「蓑毛」,「めんようの里・木里館」、 右手の道は「弘法山0.25km」,「弘法山公園0.3km」などとなっています。 今回は右手の道から弘法山へ登っていきます。
熊出没注意
この付近にクマの出没情報がありました。 クマに遭遇したら、刺激しないようにし、あわてずに静かに立ち去りましょう。 クマを目撃しましたら、下記に連絡をしてください。
 (神奈川県湘南地域県政総合センター環境調整課)
 (秦野警察署生活安全課、秦野市役所環境保全課)
弘法山公園鳥獣保護区区域図
この区域は鳥獣の捕獲が禁止されております。 鳥獣の保護にご協力をお願いします。
 (神奈川県)
マナーを守って楽しいハイキング!
★ゴミ捨て禁止 ★草花を大切に ★火気に注意
 (秦野市商工観光課)
車止めを過ぎて緩やかに登っていきます。 大きな石碑などを過ぎて少し進んでいくと、坂道付きの階段と尾根の上に続く道とに分かれています。 どちらの道を登っていってもいいのですが、今回は左手の階段を登っていきました。 所々にはベンチが設置されていたりもします。 階段の脇にはアジサイが植えられていました。 花の季節には綺麗な眺めになるのだろうと思いながら登っていくと、 左手の林に「弘法山ニュース」と題した掲示板がありました。 何が書かれているのかと確認してみると、 水田と雑木林の生物・里山保全活動・里山ふれあい森づくり事業報告などでした。 「弘法山の自然情報が入っています。ご自由にお取り下さい」と書かれた赤いポストも設置されていました。 中には「弘法山ニュース第4号」が入っていて、冬芽などの解説が載っていました。
秦野市の水田と雑木林の生物
みんなで生物を観察しよう!  秦野市には豊かな自然が残されているため、様々な生物を見ることができます。 どのような生物がどのような環境で生活しているのか、みんなで観察してましょう。 秦野市は、四方を山で囲まれた盆地状の地形をしています。 低地の多くは、市街地や宅地、工場地となっています。 丘陵地の斜面には水田や雑木林などの里山的な自然が多く残されています。 水田の多くは、丘陵地に存在するため、谷戸田(谷津田)と呼ばれる階段状の棚田になっています。 雑木林は、クヌギとコナラを主体としており、その多くは見通しのよい木漏れ日が差し込む林です。
水田の生物  水田は、米の生産のために人の手によって管理が行なわれてきました。 水田域は、水が張られた田んぼや小川に加え、 やや乾燥した畦道や草地など湿った所から乾燥したところまで多様な環境が存在しています。 この環境の代表的な生物を紹介します。
オモダカ・コナギ・タイコウチ・オオコオイムシ・ゲンジボタル・ヒメガムシ・サワガニ・ カワニナ・ニホンアマガエル・シュレーゲルアオガエル・ツチガエル・アカハライモリ・ホトケドジョウ (解説文は省略)
雑木林の生物  雑木林は、炭や薪などの燃料生産のために人の手によって管理が行なわれてきました。 雑木林の主役は、クヌギやコナラなどの樹木ですが、管理された林では、林内にも光が差し込むため、 野草も多く生育しています。 この環境の代表的な生物を紹介します。
タチツボスミレ・キンラン・ヒトリシズカ・オオバキボウシ・ヤマユリ・リンドウ・シラヤマギク・ クロカナブン・オオムラサキ・クロコノマチョウ・トビナナフシ・タンザワフキバッタ・クツワムシ (解説文は省略)
弘法山 (標高235m)
途中にあるトイレで用を足してから階段を登っていくと、弘法山の山頂に着きました。 馬場道に出た所から10分ほどで到着しました。 登り着いた所には、時を知らせるために撞かれたという大きな鐘楼があって、 脇には真新しい「弘法山」の標識もありました。 また、秦野市出身の歌人・原久胤の歌碑や、関東ふれあいの道「弘法大師と桜のみち」の解説板も設置されています。 「野鳥の水飲場」という小さな池もありました。
弘法山の歴史
弘法山の名前は弘法大師(774〜835)がこの山頂で修業したことから名付けられたとの伝承があり、 権現山(千畳敷)を含んで呼ぶこともある。 弘法山は麓の龍法寺と深い関わりを持ち、戦国期に真言宗から曹洞宗に変えた。 鐘楼の下に続く沢を真言沢と呼び、その名残りがある。 弘法山の鐘は、享保頃(1716〜35)に龍法寺5世無外梅師と行者の直心全国が発願し、 弘法山周辺の村々の有志や念仏講中の人々の寄進により宝暦7年(1757)12月に完成させた。 明和3年(1766)に山火事でひび割れ、 再び周辺村々の有志や江戸隅田の成林庵主で下大槻伊奈家出身の松操智貞尼の尽力により 徳川御三家や諸大名などから「多額の喜捨」を得て享和元年(1801)5月に完成した。 鐘は当初から「時の鐘」として親しまれ、災害の発生も知らせながら昭和31年まで撞き続けた。 現在の鐘楼は慶応3年(1867)に再建したものである。
 (秦野市)
鐘楼
ハイカーの皆様へ。 この鐘は、時を知らせる鐘として、正午、3時、夕刻等につかれ、長い間地域の人達に親しまれておりました。 大切に扱うとともに、むやみに鐘をつくことは御遠慮下さい。
 (秦野市観光協会)
関東ふれあいの道
関東ふれあいの道は、一都六県を巡る自然歩道です。 沿線の豊かな自然にふれ名所や史跡をたずねながら、ふる里を見直してみませんか。
弘法大師と桜のみち  このみちは県内17コースのうち9番目のコースです。 秦野市南平橋から桜の名所権現山・弘法山へ、 旧矢倉沢街道を経て伊勢原市国道246号坪ノ内バス停までの全長9.4kmの道です。 なお、途中から鶴巻温泉や善波峠を経て高取山、浅間山へも行くことができます。
 (環境省、神奈川県)
鐘楼の前には「弘法の乳の水」という井戸もありました。 つるべがふたつ吊るされていますが、井戸は金網で塞がれていて使えません。 その替わりなのか、脇に手押し式のポンプが設置されています。 今でも使えるようになっていて、呼び水を差す必要もなく、 柄を2・3回ほど上下させるだけで簡単に水が出てきます。 頭がキーンとなるほど冷たくはありませんが、暑い夏場には嬉しい水です。
弘法の乳の水
この井戸は、昔から「弘法の乳の水」と呼ばれています。 この井戸から湧き出た水は、白くにごり、いつも乳の香りがしていたそうです。 いつの頃からか「真夜中に、誰にも知られずに山に登り、 乳の水を飲むと、乳がどくどくと出るようになる」と伝えられ、 この水をいただきに山に登る人が後を断たなかったと言われています。 いつの世も、子を持つ親の心は変わりません。 乳の出ない辛さにワラをもつかむ気持ちだったのでしょう。 その救いの神がこの白い井戸水でした。 なぜこんな山頂に不思議な白い水が・・・。 それは弘法さまのお力だと伝えられています。
 (秦野ラインズクラブ)
乳の井戸
山頂に白色の水の湧く古井戸がある。 これで粥を炊き食すれば乳が出るという信仰から「乳の水」と称して 昭和30年代初めまで授乳期の母親や妊婦が遠方からも水を求めてきた。 かつてはこの井戸の脇に二つの池があり、夏には太い柳の下で蛙が鳴き、 金魚の紅い色が水面に映じて美しく静かな時が流れていたが、 関東大震災の後に水涸れが起こり一つを埋めてそこに桜を植えた。
 (秦野市)
左手には釈迦堂があります。 この時には御開帳されていて、安置されている弘法大師像を見ることができました。 綺麗な花が飾られていて、丁寧に祀られているようでした。 大師堂とも呼ばれて、最初に訪ねた龍法寺の境外仏堂なのだそうです。
釈迦堂(しゃかんどう)
山頂には弘法大師の旧跡であることから、古くより福泉庵という堂があった。 江戸時代の中頃に龍法寺の僧馨岳永芳はこの荒廃を嘆き新たに堂を建て釈迦如来像と弘法大師像を祭って釈迦堂としたが、明和3年の火災で釈迦像が焼失し、石造であった弘法大師像はこの時から露座となった。堂の再建後は弘法大師の木造のみを安置していたが、関東大震災や昭和7年の台風で被害を被り長く仮堂であったが、昭和39年に現在の釈迦堂が完成した。
経塚  釈迦堂の後部には鎌倉時代後期の経塚があった。 経塚は経典を書写したものを埋納した仏教上の施設で、末法思想から生まれた。 日本では平安時代末期に出現し、藤原道長が金峰山に般若心経一巻他を埋納した事が知られている。 弘法山の経塚は昭和7年に神奈川県により調査され当時は大甕の口縁部が露出した状態で、経石も散乱していた。
 口縁部が楕円形をし、長径68cm、深さ75cm、腹部から急に細くなっている。
経石 「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」の一字一石経、経題のみ大型石に記載されていた。
経筒 鋳銅製経筒の一部と見られる破片が出土、推定直径12cm。その他陶製の灯明皿が出土している。
 (秦野市)
弘法山の山頂は樹木に囲まれていて展望はあまり良くありませんが、東側が開けています。 遠くは少し霞んでいましたが、秦野の街並みの奥には江ノ島が浮かび、 その奥には鎌倉から逗子や葉山にかけての三浦半島も見えていました。 お昼にはまだ早い時刻でしたが、幾つか設置されているベンチに腰を掛けて昼食タイムにしました。
美化ボランティア推進運動 弘法山をきれいにする会
この公園は、わたしたちボランティアが美化・清掃等の活動を行っています。 美化ボランティア活動への協力と参加をお願いします。
 (秦野市)
かながわの探鳥地50選 弘法山公園
この付近で見られる主な野鳥
メジロ、シジュウカラ、ホオジロ、コジュケイ、エナガ、エゾビタキ、アオジ、コゲラ、イカル、キジバト
 (鳥もすめる環境都市 秦野市)
お腹も満ちたところで、弘法山から下山していきます。 南東側へ降っていく道もありますが、 今回は釈迦堂の裏手の大きなイチョウの木の脇から北側に続く横木の階段を降っていきます。 降り口には道標がふたつ立っていて、 「聖峰4.6km・高取山4.0km」,「鶴巻温泉駅3.9km」,「吾妻山3.0km」,「弘法の里湯・宮永岳彦記念美術館3.8km」 となっています。 植林帯から雑木林へ入っていくと、木の根が張り出していたりもしますが、 道は広くて歩きやすくなっています。
この時には、雑木林の伐採作業が行なわれていました。 明るい雑木林の中を降っていくと、左手に戻るようにして分かれていく道があります。 弘法山の山頂から3分ほど降って来た所になります。 脇には道標が立っていて、正面の道は「鶴巻温泉駅3.7km」、今来た道は「弘法山0.2km」となっていて、 左手の道は何も示されてはいません。 このまま正面の尾根道を進んでいっても良いのですが、 左手の道の先にある「めんようの里」に立ち寄っていくことにしました。
めんようの里
歩き始めは広いのですが、進むにつれて次第に狭まってきます。 1分ほど進んで植林帯の手前までくると緩やな道は終わって、右手に降っていく細い急坂が現われます。 その坂をひと降りすると梅林に降り立ちました。 この時には枝一杯に綺麗な花を咲かせていました。 正面へ進んで左右に通る舗装路に降り立つと、正面にはめんようの里が広がっていました。 その奥には丹沢の山並が続いていますが、曇りがちの天候とあって、遠くは霞んでいました。 左手へ進んでいくと、「かながわの景勝50選」の石碑のあった分岐から降ってきた道路に出ます。 道のすぐ傍まで牧草地が広がっていますが、この時は「めんよう」は飼育舎に入っていたようで、 牧草地には出てきていませんでした。 来た道を引き返すのも何なので、梅林の脇に続く右手の道を進んでいきました。
綺麗に咲いた梅の花を愛でながら緩やかな舗装路を進んでいきます。 梅林が終った少し先から土の道になりますが、引続き小型車なら通っていけそうな幅のある道が続きます。 右手の尾根には先ほどの尾根道が通っていて、歩いている人を見かけたりもします。 梅林から2分ほど進んでいくと、右手からの尾根道に出ます。 出た所には真新しい道標が立っていて、 右手の尾根道は「弘法山」、今来た道は「めんようの里」となっています。 左手の尾根道は何も示されてはいませんが、ここは左手へと進んでいきます。
展望地
冬枯れの雑木林に続く広い尾根道を緩やかに降っていきます。 2分ほど降っていくと、左側に道が分かれていました。 その数m先は樹木が切り払われた行き止まりになっていて、 丹沢から箱根にかけての山々を見渡せる眺めが広がる展望地になっていました。 矢倉岳と思われるお碗を伏せたような形をした山が見えていたので、 天候に恵まれると富士山も見えそうでしたが、この時は生憎と雲が広がっていて見えませんでした。
めんようの里分岐
展望地を後にして尾根道を進んでいきます。 傾斜が増してきた道を降り始めると、左側には金網柵が続くようになります。 柵の向こう側は弘法山無線中継所があった敷地のようですが、 今では廃止になったのか、それらしい鉄塔などは見かけませんでした。 金網柵が途切れた先へ降っていくと、舗装路に降り立ちます。 脇に立つ真新しい道標によると、左手の道は「めんようの里」となっています。 また関東ふれあいの道の道標も立っていて、正面の道は「吾妻山へ」、 今来た道は「弘法山0.5km」となっています。 降り立った所から右手へ降っていく山道があって、 「長坂を経て自興院に至る→」と書かれた標識が入口に立っています。 今回はこの道を降っていきます。 以前には笹竹や細い木などが生い茂る心細い感じの道でしたが、 この時には周囲の笹や木などが刈り払われていて、見通しの良いスッキリとした道になっていました。
このすぐ先から秦野国際乗馬クラブへの道が分かれていきます。 角に立つ道標によると、正面の尾根道は「鶴巻3.4km・聖峰4.1km・高取山3.5km」、 左手へ降って行く坂道は「国道246号」、今来た道は「弘法山0.5km・権現山1.25km」となっています。 関東ふれあいの道「弘法大師と桜のみち」は、その分岐を左手へ降っていきます。 (「弘法大師と桜のみち」, 「弘法山公園」を参照)
雑木混じりの植林地を右手へ曲がりながら降っていきます。 入口は刈り払われていて林道でも造るのかと思える雰囲気でしたが、 すぐにごく普通の山道になってきて、どうもそうではなさそうでした。 程なくして左手へ曲がって横木の階段を過ぎていくと、疎らで明るい雑木林になってきます。 冬枯れの季節とあって緑色をした草木はほとんどなくて殺風景な様子でしたが、歩きやすい道が続いていました。 の始まりなのでしょうか、右側の谷底からは水の流れる音が聞こえてきました。
農道
青葉が茂る季節になるとどんな雰囲気になるのだろうかと思いながら、 雑木林の斜面に続く山道を等高線に沿うようにして緩やかに降っていくと、ミカン畑の脇に出ました。 尾根のめんようの里分岐から9分ほど降ってきた所になります。 コンクリート舗装された農道が曲がっていく角になっていました。 これで山道は終りになります。 左へ登っていく農道の入口には三角コーンが置かれていて、 マジックで「立入禁止」と書き込まれていました。 ここは眼下に広がる街並みを眺めながら、右手に続く農道を降っていきます。
ミカン畑の脇を降っていきます。 これまでよりも傾斜が増してきた農道を降っていくと、程なくして竹林を過ぎていきます。 左へ登っていく道を分けて、道なりに右へ曲がっていきます。 左手は植林地、右手は竹林が続く坂道を降っていきます。 坂を降り切ると、右から左へ流れていく沢に架かる小橋を渡っていきます。 左手からも沢が流れてきていて、合流地点になっているようでした。
橋を渡って軽く登っていくと、丘の上には畑地が広がっていました。 土手には早春の草などが芽吹いていて、仄かに草の香りが漂ってきました。 昔懐かしい風景を眺めながら、丘に続く農道を進んでいきます。 程なくして道が右手へ分かれていきますが、そのまま正面に続く道を進んでいきます。
梅林の脇を過ぎていくと、畑の奥の方から煙が立ち登っていました。 枯れ草や枯れ木などを燃やしていたのでしょうか。 昔は至る所で見られた光景ですが、 都市部では焚き火も制限されて自由に行なうことが出来ない世の中になってしまいました。 風の状況により、刻々と変る煙の形をしばらく眺めていきました。
さわやか農園
両側に土手が続いて少し窪んだ感じになってきた農道を降っていくと、右手から道が合流してきます。 その角には「JAはだの北矢名さわやか農園」の看板が設置されていました。 この丘に広がる農地の名前のようでした。
警告
最近、農園内の野菜・資材が盗難にあっております。 利用者の方が丹精こめて栽培している野菜などですので、勝手に持ち帰らないようにお願いいたします。
 (JAはだのさわやか農園)
農園利用者の皆様へ
最近、農園内の野菜・資材が盗難にあっております。 資材の保管は十分注意し、野菜等の収穫物などもお互いに監視し合い、盗難に気をつけましょう。
 (JAはだのさわやか農園)
北矢名地区
両側に続く土手の間の農道を降っていきます。 坂を降り切ると、再び沢を渡っていきます。 緩やかになってきた道を進んでいくと、左右に通る車道に出ました。 脇には「秦野町」と刻まれた石標が立っていて、 向こう側から見て「左 南矢名」,「右 谷戸・田中・蛇久保」となっていました。 「大根村青年會 北矢名支部建立」,「大正四年十一月 御大典紀年」とも刻まれていました。 ここは北矢名地区になるようです。 どうも見覚えのある所だと思って、家に戻ってから調べてみると、 2006年10月に自興院を経て弘法山へ登っていった道なのでした。 今回は左手の道を降っていきます。
(右手の道は「弘法山公園」を参照)
すぐに右へ曲がって川沿いを進むようになると小橋を渡っていきます。 左手からもう一つの川が合流している所になっていました。 橋を渡って軽く登っていくと、すぐに左手から道が合流してきます。 角に立つ電柱には、「北矢名支L3 12」や「北矢名351」の標識が取り付けられていました。 左手の坂道の先には民家が見えていましたが、正面に続く道を進んでいきます。
一旦停止 左右確認!
 (秦野市、秦野警察署)
鉄パイプが設置された山沿いの道を緩やかに登っていくと住宅地に出ます。 白いガードレールに変った道を進んでいくと、左手から道が合流してきます。 その少し先の所にT字路があります。 角には北矢名北部自治会掲示板がありました。 その脇には双体地蔵などが佇んでいて、「北矢名」と刻まれた石標もありました。 左手の道の入口には道標が立っていて、正面の道は「東海大学前駅歩15分」、 左手の道は「菅原神社入口」、今来た道は「自興院方面」となっています。 手元の地図によると、正面の道は東名高速道路をくぐって小田急線の線路沿いの車道へ出られそうですが、 今回は少し遠回りになるものの、左手の先にある菅原神社を経て行くことにしました。
菅原神社
民家の間に続く坂道を緩やかに登っていくと、突き当たりに石段があります。 道は左へ曲がっていきますが、その石段を登っていきます。 踊場を二つ過ぎて登っていくと、緩やかになった道になります。 その先の短い石段を登った所に、「菅原神社」の扁額が掛って注連縄が張られた鳥居が立っています。 鳥居をくぐっていくと、数段の石段を登った先に菅原神社の社殿がありました。 農道に出た所から23分ほどで到着しました。 左手の倉庫のような建物の中では、屋台のようなものが造られていました。 右手には手水舎があり、絵馬も掛けられていました。 社殿の右奥には鳥居が立つ小祠があって、頭の取れた石仏もありました。
菅原神社由緒
御祭神菅原道真公
御神徳正義・誠・学問・書道の守護
例祭日4月25日に近い日曜日(旧祭日7月25日)
鎮座地秦野市北矢名395番地
沿革 古老の話では、その昔「石名坂」・通称「石の坂」と云い、おおね台の北はずれ、弘法山への登り口に祠があって、 いつの頃か現在の所に遷され以来「お天神さま」として親しまれている。 新編相模風土記(天保12年(1841)凡そ150数年前)には「北矢名天神社」と明記されているので、 少なくともそれ以前にこの地に祀られ、地域住民の信仰の中心となってきたと思われます。
略記 御祭神「菅原道真公」は平安前・中期の公卿菅原是善の子。 文章博士、蔵人頭、参議を経て、宇多天皇の時に遣唐大使となるが派遣中止を奏上。 醍醐天皇即位に際し、宇多天皇より菅原時平と共に補佐を命ぜられ、右大臣従二位に昇る、 が権勢の拡大を藤原氏から疎まれ、 延喜元年(901)醍醐天皇の廃位と斉世親王の擁立を企てたとの作り話で大宰府に左遷されその地で没す。 没後「天満大自在天神」として崇敬され、大宰府天満宮・北野天満宮などに祀られ、 のちに「正一位左大臣」を追贈された。
追記 いつの時代にも他人の立身出世を妬んで追い落とすのは今も昔も変わらない。 道真公は大宰府に左遷された無念遣る方ない気持ちを歌に託して京の都を後にしたのです。 そのせいかお祭りに不思議と雨の日が多いのも或は藤原時平を怨んでの涙雨かも知れません。
東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
おおね台すがわら公園
境内の左手にある坂道を登っていくと、住宅地の道路に出ます。 出た所には、秦野市の保存樹木に指定されているタブノキの大木がありました。 その木を過ぎていくと、道路の右手の一段低い所に沿っておおね台すがわら公園があります。 ブランコやジャングルジムなどの遊具があるだけの静かな公園です。
保存樹木(指定第1号)
タブノキ(くすのき科)。 目通り・周囲 3.0m。 樹木を大切にしましょう。
 (秦野市)
秦野市立おおね台すがわら公園
ここはみんなの公園です。 みんなで気持よく利用できるよう次のことを守ってください。
・みんなできれいにつかいましょう。
・まわりの家や人のめいわくになることはやめましょう。
・犬を公園内ではなしてはいけません。また犬のフンは飼い主が必ずしまつしましょう。
・木や施設はたいせつにしましょう。
・自転車やオートバイ等の乗り入れはやめましょう。
 (秦野市)
おおね台団地
おおね台すがわら公園を過ぎていくと、すぐに十字路があります。 正面の道には桜並木が続いていて「さくら通」というようですが、今回は右折していきます。 おおね台団地に続く二車線道路を真っ直ぐ降っていくと、 コミュニティタクシー乗り場「おおね台中」がありました。 タクシーとは云っても一応時刻表があるようで、 東海大学前駅南口行や鶴巻温泉駅北口行の便が1時間に1本ほど運行しているようでした。 道路を2分ほど降っていくと、左手から道が合流してくる角に「おおね台団地竣工記念」と題した記念碑がありました。 脇にはコミュニティタクシー乗り場「おおね台入口」もありました。 また、巡回バス「フレンド号」も週2日運行していて、 鶴巻温泉駅や東海大学前駅を経て秦野駅方面までの便が1日に2便あるようでした。 このおおね台団地には、日照等良好な住環境を維持するために、 住宅の新築・増改築に際しての協定や規約などがあるようでした。
ここにみどりの 気あふれありて あかるくむつむ 家々のあり
鉾ノ木橋
左手からの道を併せてその先へ降っていくと、 おおね台入口交差点のすぐ先に、東名高速道路に架かる鉾ノ木橋があります。 橋を渡っていくと十字路になっていますが直進していきます。 道なりに進んでいく左手が開けてきて、街並みなどを見渡せるようになってきます。
県営大根台団地の脇を過ぎていくと、降り傾斜が増してきます。 土手の間を過ぎて坂道を降っていくと、右へ曲がり始める辺りから狭い路地が左へ分れていきます。 このまま道路を降っていっても良いのですが、今回はこの左手の路地に入っていきました。
生垣が続く狭い路地を進んでいきます。 生垣が終って格子柵と金網柵に挟まれた路地を抜けていくと、 最初に乗ってきた東海大学前駅バス停の脇に出ます。 この右側すぐの所に、小田急線の線路沿いの車道が通っています。
東海大学前(とうかいだいがくまえ)駅
車道に出て正面へ進んでいきます。 東海大学前1号踏切を見送っていくと、坂道と石段があります。 そのいずれかを登っていくと、すぐに東海大学前駅(小田急小田原線)の北口に着きます。 菅原神社から23分ほどで到着しました。