丹沢大山
散策:2011年01月上旬
【低山ハイク】 丹沢大山
概 要 丹沢大山は丹沢山塊の東端にある山で、雨降山とも呼ばれ、雨乞いの神様として古くから庶民の信仰を集めています。 天気がいい日には、丹沢や箱根の山々を始め、遠く伊豆半島・三浦半島・房総半島・富士山などを望むことができます。 今回は男坂・下社・かごや道・本社・見晴台・女坂と八の字ルートを歩きます。
起 点 伊勢原市 大山ケーブルバス停
終 点 伊勢原市 大山ケーブルバス停
ルート 大山ケーブルバス停…宿坊街…男坂…西楽院跡…大山阿夫利神社下社…かごや道…蓑毛分岐…本坂追分…富士見台…天狗沢展望台…ヤビツ峠分道…御中道…展望地(北側)…展望地(東側)…大山々頂奥の院…大山阿夫利神社本社…大山の肩…唐沢峠分岐…展望地…見晴台…二重社…二重滝…女坂…無明橋…大山寺…来迎院…紅葉橋…真玉橋…宿坊街…大山ケーブルバス停
所要時間 6時間10分
歩いて... この時は天気の良い連休とあって、登山道や大山の山頂は多くのハイカーで賑わっていました。 富士見台や山頂からは、雪を頂いた綺麗な姿の富士山を望むことが出来ました。 今回は久しぶりの山登りとあって、登り降りでかなり疲れ、 最後の女坂を降る頃には膝がガクガクになってしまいました。
関連メモ 大山参り蓑毛のみち, 丹沢大山, 聖峰, 大山南東尾根, 大山北尾根, 大山西尾根, 浅間山
コース紹介
大山ケーブル(おおやまけーぶる)バス停
伊勢原駅(小田急小田原線)の北口から、[伊10]大山ケーブル行きバスにて28分、 1時間に3本程度の便があります。
バスターミナルに独楽を彫った像があり、 ここから大山へ向かって続く大山宿坊街が解説が記してあります。 また、伊勢原市消防団第2分団の車庫のシャッターには「大山こま」に関する説明文が載っています。 その隣りには公衆便所があって「いせはらハイキングマップ」が置いてあるので、 1枚貰っていくと参考になります。 それによると、大山ケーブル駅まで15分、男坂30分、かごや道40分、ヤビツ峠分道まで40分、 山頂まで15分となっていて、山頂まで合計2時間20分とのことです。
バス停の名前は以前には「大山ケーブル駅」でしたが、 2008年10月に「大山ケーブル」に変更されています。 同時期にこの先にあるケーブルカーの駅名も変更されていて、 追分駅→大山ケーブル駅、不動前→大山寺、下社→阿夫利神社となっています。
かながわ古道五十選 大山宿坊街
昔、関東各地から大山参り石尊詣の人々がわらじを踏みしめた古道は、 その一端が大山に通じるものは皆大山街道と呼ばれた。 平成6年の「かながわ古道五十選」には大山道が七ヶ所も選ばれ、 そのどれもが合流するのが阿夫利神社大山寺の門前町「大山道宿坊街付近」である。 ここには各地の大山講と深い関係にある石の玉垣を巡らした先導師(御師)の旅館と土産店、 茶店等が石段道の両側に昔風の街並を残している。
 (伊勢原ロータリークラブ)
大山こま
大山の恵まれた木材と挽物技術が生んだ郷土玩具で、江戸時代中期に大山の信仰と結びついて発達しました。 昔からの技法が今も守られ、民芸的色彩と線模様が木肌とよく調和しています。
バスを降りて、やって来た方向へ進んでいきます。 鈴川に架かる阿夫利橋を見送って正面に続く坂道を登っていくと、 大きな「大山周辺ハイキングコース図」があります。 今回歩くコースも載っているので参考にしましょう。 今回は下社まで男坂を登っていきます。 案内図の左手に続く鈴川沿いの坂道を登っていくと、橋のある所で道が二手に分かれています。 左手は坂道で、右手は石段になっています。 角に立つ看板によると、 「阿夫利神社 大山寺不動尊参道 ケーブルまで550米、階段をお上りください」となっています。 案内に従って、右手の石段を登っていきます。
香りの街道
歴史と自然に満ちあふれた大山に、また一つ新しい魅力が加わりました。 大山参道の四季折々の香りをお楽しみ下さい。 いつ訪れても、花の香りが皆様をお迎えいたします。 思い出のひとつとしてこの香りをお持ち帰りください。
今まで植えた植物名:じんちょうげ(沈丁花)、やまゆり(山百合)、きんもくせい(金木犀)
 (大山観光青年専業者研究会)
鈴川の砂防事業の概要(流路工について)
川の上流部(山間部)においては、流水により河道(川底や河岸)がけずられ、 河床が低くなり、山腹ののり面が崩れてきます。 そして、その土砂は下流へと運ばれ堆積していきます。 一方、中流部(台地部)・下流部(平野部)においては、 運ばれてきた土砂の為、河床が高くなり、川の流水断面が小さくなるので、 洪水時においては、川は氾濫して水害や土砂災害を引き起こします。 これらを防ぐ為、砂防では流路工(護岸工・床固工)を施工して、 河床勾配を緩やかにし、河道の浸食を防ぎ、流路を安定させ、 水害や土砂災害の危険から、人々の生命、財産を守っております。
 (神奈川県土木部)
宿坊街
石段の両側には旅館や食事処や土産物店などが軒を並べています。 TV番組の「くいしん坊万歳」で紹介されたというお店もあったりしますが、 この時はまだ朝方とあって、開いている店は少しだけでした。 石段の各所には独楽の絵が書いてあり、「コマ参道」とも呼ばれているようです。 独楽の絵は幾つめの踊り場なのかを示しているとのことです。
コマ参道
大小のコマの絵が踊り場の数を示している。 この参道脇にはコマを挽く「木地師」の店が並んでいる。
 (大山観光青年専業者研究会)
大山こまを数えながら歩こう
大山の代表的なみやげ物「大山こま」をデザインしたタイルが、ここから大山ケーブル追分駅までの 各石段の踊り場27段にあります。
【こまの数え方】
大きい独楽が10の数を表し、以下、小さな独楽一個が1、二個が2、三個が3の数を表しています。 たとえば、「大きい独楽・小さな独楽二個・小さな独楽三個」は、大山モータプールから15段目の踊り場を示しています。 踊り場は、全部で27段ありますので、皆さんもこのタイルの大山こまの数を数えながら歩いてみてください。 どうぞ、お帰りに大山こまをお求めください。
 (伊勢原市)
「大山ケーブル追分駅」は2008年10月に「大山ケーブル駅」に改称されていますが、 ここの解説板はまだ以前の名前になっていました。
途切れ途切れに続く店々を過ぎていくと、やがて鈴川に雲井橋が架かっています。 袂には「大山川」と書かれた標柱が立っていましたが、この辺りでは大山川とも呼ぶのでしょうか。 橋を渡った先に、大きな「自然との出逢い 国定公園 大山」の看板があります。 先ほどあったハイキングコース図と似た内容ですが、所要時間も載っていました。 それによると、下社までは5分+35分となっていました。 正面の石段の途中から右手へ入っていくと大山ケーブルカー駅があります。 ちょいと様子を見に立ち寄ってみると、駅前には長蛇の列が出来ていました。 ケーブルカーへの道を見送って石段を更に登っていくと、石段が二手に分かれています。 ここが男坂と女坂の分岐になります。 大山ケーブルバス停から15分ほどの所になります。 角にある道標によると、右手は「きつ〜い男坂、下社35分」、 左手は「らくらく女坂、大山寺15分・下社40分」となっています。 今回は右手の男坂を登っていきます。 すぐの所に「追分社 八意思兼神社」があります。 その右側に続く急な石段を登っていきます。
「らくらく女坂」とのことですが、「らくらく」なのは大山寺までで、 その先は男坂と同様に急な石段が続く「きつ〜い女坂」になります。 大山寺15分と下社40分の差の25分がそれを暗示しています。
安全な登山(ハイキング)の心得
一、体力に見合った計画を立てましょう。
一、グループで登山する場合はリーダーを決めましょう。
一、リーダーは常にコースの徹底と人員を確認しましょう。
一、ゴミは必ず持ち帰りましょう。
 (伊勢原市、伊勢原警察署、伊勢原市山岳救援隊)
男坂
尾根の背に続く急な石段を登っていきます。 寒い季節でしたが、次第に息が切れ、額に汗が滲んできました。 息を切らせながら石段を登って踊場に着き、これで終わりかと思っていると、 その先に急な石段がまだ続いているのを見て、気力が萎えてきたりもします。 そんな所で何度も立ち止まってひと息入れて気を取り直しながら、ゆっくりと登っていきました。 岩が剥き出している所もあったりします。 正に「きつ〜い」男坂なのでした。 10分ほど登っていくと、幅の広い金属製の階段が現れます。 緩やかになって巨大な岩が露出した脇を過ぎて、再び現れる金属製の階段を登っていきます。
西楽院跡
呼吸を整えながら休み休み石段を登っていくと、やがて緩やかで小広い所に着きました。 男坂・女坂分岐から28分ほどで登って来られました。 手前には「十五町目」と刻まれた石標がありました。 右手には東屋やベンチが設置されていたので、何はともあれ、 腰を掛けてリュックを降ろし、水分補給などをしながら休憩していきました。 脇に立つ解説板によると、ここは西楽院の跡のようです。 正面の高みには万国忠霊塔があります。
八大坊 上屋敷跡
別名を西楽院(さいらくいん)という。 大山を治めていた別当(長官)の住居であり、供僧(くぞう)十一坊・脇坊六坊・末寺三・御師三百坊の惣領で、 大山の運営および事務を司っていた。
 (青専研)
落ち着いたところで、高みの左脇に続く石段を登っていきます。 石段を過ぎて緩やかになった道を進んでいくと、西楽院跡から1分ほどの所で、左手から女坂が合流してきます。 角には道標が立っていて、左手の女坂は「大山寺15分・追分30分」、 正面の道は「大山山頂・下社」となっています。 右手には先ほどの万国忠霊塔の由来を記す看板がありました。 女坂からはハイカーが続々と登ってきていました。 ここは正面に続く石段を登っていきます。
注意
男坂には電灯がありませんので、暗くなったら女坂を歩きましょう。
 (伊勢原市、伊勢原警察署)
万国忠霊塔の由来
この万国忠霊塔は、世界のすべての国の遠い昔から今に至るまで、 その国のために忠節を尽くしてたおれていった勇士の霊を慰めようとはかって来た大日入来不動明が、 皆様の理解あるご支援と絶大なるご協力により建立したものであります。
 (溝上恵照)
御鎮座35周年を祈念し、菊水の金銀箔押しの大修理と境内整備、休憩舎の新設、成る。
 (七曜会理事長)
石段を1分半ほど登っていくと、右手へと道が分かれていきます。 下社を巻いて二重社から見晴台へ続く道になります。 左手にはトイレがあるので、休憩を兼ねて利用していきました。 正面の石段を更に登っていくと、平らになった広場に着きます。 左手からは伊勢原方面を見渡せますが、手前の樹木が邪魔をしていて、趣は今ひとつです。 右手には茶店が建っていて、その脇から二重社・二重瀧へのハイキングコースが分かれています。 関東ふれあいの道の道標が立っていて、「見晴台1.3km・日向薬師5.5km」となっています。 左手にはケーブルカーの駅への道もありますが、正面に続く石段の上にある下社へ向かっていきます。
蓑毛バス停から下社へ登り、見晴台を経て日向薬師バス停へ降って行く道は、 関東ふれあいの道「大山参り蓑毛のみち」になっています。
お知らせ
この先、見晴台方面は外灯もなく、夜間の歩行は危険です。
 (大山観光振興会、伊勢原市観光協会、大山阿夫利神社)
大山阿夫利神社下社
階段を登って広場に着くと「参集殿休憩所 洗心閣」があります。 そこを過ぎて更に石段を登っていくと大山阿夫利神社下社に着きました。 男坂・女坂合流から17分ほど(トイレ休憩込み)、大山ケーブルバス停から1時間10分ほどで登って来られました。 鳥居をくぐっていくと正面に社殿がありました。 本殿の屋根には10本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 拝殿の屋根にも8本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 右手には社務所などがあり、そのひとつの屋根にも8本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 この時は年明け間もない頃とあって、社殿の前には茅の輪くぐりが設置されていました。 以前には神社に関する解説板などがあったのですが、この時には見かけませんでした。 参考までに、以前に見かけたものを載せておきます。
茅の輪のくぐり方
茅輪を三回くぐります。 必ず左足でまたぎ、先ず左廻り(1回目:青線)、次に右廻り(2回目:黄土線)の順に周り、 最後に本殿(3回目:赤線)の方へ通り抜けてお参り下さい。
新玉の年のはじめにくぐる輪は 千歳の命のぶと言うなり
古来より茅の輪をくぐる事により罪けがれを祓い、清浄な身心になると言われております。 皆様どうぞ新らしき年の無病息災を祈念しつつ茅の輪をくぐってご参拝下さい。
大山阿夫利神社下社
祭神は、開運の大山祗神・雨を司る雷神・高おかみ(竜神)の三神のほかに、 航海の神、鳥石楠船神も祀られています。 いずれも山そのものを御神体とする古い土着の神々で、その原形は4000年程前の 縄文期にさかのぼるといわれます。 大山山頂に本社、中腹に下社があります。 四季を通じて参詣客が多く、白装束に身を固め、六根清浄の杖をついた人も見られたりします。 山頂からの眺めはすばらしく、相模野を眼下に房総半島、伊豆半島、大島も 見渡せ、「かながわの景勝50選」に選ばれています。
下社の境内からは伊勢原の街並みなどを見渡せる眺めが広がっています。
大山阿夫利神社の御祭神
当神社は海抜1,252mの山頂に本社があり、現在地の下社御拝殿は700mに 位置し、古くより信仰活動の中心霊場であります。 神仏習合時代には石尊大権現とも称せられ、堂塔は善美を尽くし、 その威容と盛観を誇った社殿でありましたが、安政元年12月晦日と明くる正月2日 再度にわたる山火事により一切を烏有に帰し取敢えず仮殿が再建されました。 昭和33年に至り、時の内務大臣男爵末松謙澄の認可を得て下社御造営事業が 着手されましたが、諸般の事情から本殿のみが装いを新たにいたし、 遂に御拝殿は手がつかぬまま大正12年の関東大震災の厄に遭遇、 幸いにして倒壊は免れましたのでその災害の応急的修復をして今日に至りました。 昭和48年講社崇敬者の熱誠により御造営奉賛会が設立され、五ヵ年の継続事業として 御拝殿の建設が着手されました。昭和52年10月オイルショックと呼ばれる経済界の 一大難局をのりこえ、崇敬者の浄財が結集され、明治以来の悲願は見事に達成、 荘重優雅な流れ造り形式の社殿として清楚端麗、昔日の面影をしのぶ近代建築を 以て竣工を見たものであります。 山嶽幽遂の中、新拝殿は神気が満ち自ら身のひきしまるを覚えます。 皆様本日は遥々とよくご参拝下さいました。どうぞ俗界をはなれた当社の 境域より霊気と共に相模平野を一望し、遠く房総、伊豆七島の雄大な展望を十二分に後満喫下さい。 ご一家の無事息災、ご家内の安全繁栄をお祈りいたします。
社殿の右手にある御祈祷受付所の左下に「大山名水入口」の看板が架かっています。 「御本殿巡拝道」とのことで、神泉・お燈明奉献殿・願かけ絵馬殿・おみくじ殿などがあります。 「ご自由にお入り下さい」と書かれているので入ってみました。 社殿の下を半周するようにして通路が続いていて、その一角に大山名水があります。 柄杓も置いてあって「飲用出来ます」となっています。 この時は龍の口から流れ出ている水を飲もうと行列が出来ていたので、飲むのは止めておきました。 さざれ石の隣りには「一礼来福」の像や双体道祖神・和合神像もありました。
大山名水 神泉
清き明き直さを象徴する神の恵の泉で、湧き出るお水は山内只一ヶ所の貴重な水源より引水いたしました。 最も清らかな尊いお水です。 水は萬物の生々発展の原動力であります。 殖産の泉、長命延寿の泉として御愛用下さい。
神泉について
飲用又はお持帰りは龍の口からの「神水」をご利用下さい。
さざれ石について
さざれ石は国歌に「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と歌われているように、 小さな石ころが長い年月の間に大きく集結しつつ成長して立派な一個の巌となる貴重な霊石であり、 岐阜県春日村の特産で天然杵物に指定されています。 このたび奥井石材店の奉献により、当巡礼拝道に特別奉安いたすことが出来ました。 本日は皆様方には折角お心にかけてのご参拝でございますので、 このさざれ石の霊験を頂かれて一致団結し御一家がますます強固に無事長久に繁栄されますようお祈り下さい。
当所にお祀りいたしました双体道祖神・和合神像は人間生活に最も身近な守り神で、 常に相擁し手を握りあいつつ里々の境界や道の辻で悪しき神の侵入を防ぐ守り神です。 ご霊験にあやかりて高齢社会にむけて「ぼけ封じ」をご祈念の上、 相和して健康への道にご精進下さい。
御本殿巡拝道を出た右手の一段高い所には浅間社があり、 その左手の方には大天狗の碑や菅原社などがあります。
摂社 浅間社の由緒
当摂社は御祭神木花咲耶姫神をお祀りいたしております。 木花咲耶姫神は阿夫利神社の主祭神大山祇神の娘神で皇孫瓊々杵の命のお妃になられた神様で、 富士山浅間神社の主祭神としてお祀りをされております。 即ち大山と富士山は父系親子の関係の神縁で深く固く結ばれて、 御神威が宏大無辺にあまねく光被いたしております。 御神徳は美人の神であり、運を開き人の道の世に秀ずることを守護されると共に、 酒解くの子の神とも称えられ、地水を生み育み酒造りの祖神としても霊験あらたかに崇敬されております。
 (大山阿夫利神社)
大天狗の碑由来
碑は高さ三米巾一米の小松石を使用、台石は田中佐一郎、神保朋世の造型、石工は露木久吉、 表面は民族融合の文字と正宗得三郎画伯の大天狗の姿、 裏面には女流歌人田中御幸の歌一首と永遠に戦争の悲惨さを封じ込め、乾燥しきった都会悪を洗う、 原爆十二年の日にと刻まれてあります。 天狗講初代総講元小生夢坊は敗戦後、便群占領下で軽薄な世相が氾濫するのを憂えて、 大山の中腹に大天狗の碑建立を発願しました。 大山は関東総鎮護の地、大天狗の邪悪を砕く不動の妙力で戦争反対、民族融合、平和を祈願、 日本民族の心と未来を守ることを大山阿夫理神社目黒潔宮司、平塚市長戸川貞雄、 東京作家クラブ、浅草の会等の有志と共に呼びかけました。 賛成した政・官・財・文化人・芸能人は七百人を超え、1957(昭和32)年5月27日、 盛大に建立式典が行われました。 これを記念して毎年五月、社務局祈祷殿で前夜祭、碑前で平和祈願祭が催されます。
 (文化集団天狗講)
学問の神 菅原社
菅原社は俗に天神様とも言われ、学問の神としてひろく崇敬されております菅原道真公、 天菩日命を御祭神としてお祀りされております。 当社の菅原社は亀戸天満宮の氏子であり、阿夫利神社崇敬講社である堅川睦太刀講の手により、 宗社氏神様の御分霊を奉戴して建立されたお社で、誠に神縁浅からぬ所であり、神徳愈々光被いたしております。 学業成就、受験合格の御霊験にあやかりてご参拝ください。
 (大山阿夫利神社)
菅原社の先の門をくぐった所に「片開きの登拝門」があって、 その先には「阿夫利神社」の扁額が掛る鳥居が立っています。 「頂上登山口」の看板が、その先に続く急な石段を指しています。 この石段が山頂にある大山阿夫利神社の本社へ通じる本坂になりますが、 今回はこの先のかごや道から登っていくべく、 登拝門の左手に立つ道標「高取山2時間」や「大山山頂(カゴヤ道経由)1時間30分」に従って、 左手に続く山道を進んでいきます。
片開きの「登拝門」
大山は古くより霊験あらたかな神体山として崇敬を集めている お山でありましたため、明治初年の神仏分離までは、 この登拝門は夏の山開き大祭(7月27〜8月17日)期間以外は固く閉ざされ、 山頂への登拝は禁止されていました。 登拝門の鍵は遠く元禄時代より、280年に及ぶ長い間、 大山三大講社の一つである東京日本橋のお花講が保管し、 毎年7月27日の夏山開きには、お花講の手により扉は開かれる慣例となっており、 現在もその精神は連綿として継承されています。 その後、明治20年には登拝者の増加に伴い、春山開き大祭 (当時は4月5日〜15日)が新たに設けられ、この期間も 山頂登拝が出来得ることとなり、山頂登拝の規制は徐々にゆるめられました。 更に、みのげ、日向、ヤビツ峠方面等の表参道以外よりの 登山道が開かれると共に、昭和40年には国定公園に指定され、 登山者は急激に増加いたしましたので要望にこたえて、 現在では年間を通して常時庶民の山として登拝門は開かれるようになりました。 然し、その結果は、必然的に登拝門の伝統的意義と性格が失われてまいりましたので、 ここに往時をしのびつつ登拝門のもつ史跡としての重要性を考え合わせて、 一枚の扉のみを閉じて片開きといたし、その名残をとどめることといたしました。 よろしくご理解の上、ご登拝下さるようお願いいたします。 頂上参拝をされない方は、当所より遥拝して下さい。
登山者の皆様へ!!
最近、登山者の事故が多発しております。 左記事項を守り、安全登山にご協力ください。
・体調,装備等、登山計画を万全にする。
・時間に余裕を持って登山する。(午後三時以降は中止する)
・単独登山はしない。
・登山道以外、通行しない。
・落石,崩落等に充分注意してください。
※万一の場合、山中はケイタイ電話も送受信できない場所が多いので、 連絡・救援にも相当な時間を要します。 安全確保には各自の責任において対処願います。
 (伊勢原警察署、伊勢原市消防署、大山阿夫利神社)
植林帯の斜面に続く緩やかな山道を2分ほど進んでいくと分岐があります。 角には道標が立っていて、正面に続く緩やかな道は「蓑毛越え1.4km・蓑毛3.0km」、 右手に登っていく道は「大山山頂」、今来た道は「日向薬師4.7km・見晴台1.5km」「下社ケーブル駅」となっています。 「大山山頂」の板には「かごや道」と書き込まれていました。 このまま正面の道を進んでいくと蓑毛越しに出ますが、今回はここから「かごや道」を登っていきます。
(正面の道は「大山参り蓑毛のみち」, 「聖峰」, 「浅間山」を参照)
かごや道
大きく蛇行しながら植林帯を登っていきます。 U字形に抉れた所や石がゴロゴロしていたり横木の階段もある登り坂が続きますが、 最初の男坂の急な石段に比べると歩きやすく感じました。 その昔には籠に乗って大山詣をした殿様も通っていったことを窺わせる道になっていました。 一旦雑木林になって再び植林帯に変る山道を登っていきます。 登り口から15分ほど登っていくと、僅かな谷筋を横切って左手へ曲がっていきます。
蓑毛分岐
谷筋を横切って道なりに進んでいくと、左右に通る広い尾根道に出ました。 下社の登拝門から19分ほどで登って来られました。 登り着いた所には道標が立っていて、右手の道は「山頂」、左手の道は「蓑毛」、 今来た道は「下社」となっています。 この左右に通る道は大山の山頂から蓑毛越しへ降って行く尾根道になります。 左手の脇には「御拝殿道」と刻まれた石がありました。 今回はここから右手に続く尾根道を山頂へ向かっていきます。 防火用水「ようすいくん」を過ぎて、その先のU字形に抉れた尾根に続く横木の階段を登っていきます。
(左手の道は「大山北尾根」を参照)
神奈川県「水源の森林づくり」契約地(水源協定林)
所在地 秦野市蓑毛字春嶽1120外4筆
契約面積 18.29ヘクタール
水資源を大切にしましょう。
 (神奈川県環境農政部水源の森林推進課、神奈川県湘南地区農政事務所森林保全課)
ここから奥は鳥やシカなどの動物たちを保ごしている場所ですから狩猟はできません。 皆さんもかわいがってください。
 (神奈川県)
横木の階段を登っていくと、左手へ曲がっていく角に道標が立っていて、 左手の道は「大山1.3km」、今来た道は「下社0.9km」となっています。 袂には古びた道標が落ちていたので、近年に作り直されたようでした。 横木の階段が終わって石がゴロゴロする坂道を登っていきます。 植林帯に続く抉れ気味の尾根道はかなり傾斜があって、 ここでも何度も立ち止まって呼吸を整えながら登っていきました。
本坂追分 (標高992m)
石ゴロゴロの坂を過ぎて横木の階段を更に登っていくと、「十六丁目」の石標が立つ本坂追分に着きます。 蓑毛分岐から22分ほどで登って来られました。 小広くなった追分には、高さ3m68cmという大きな石碑が立っています。 角に立つ道標によると、 右手の道は「下社」、正面の道は「山頂」、今登ってきた道は「下社・蓑毛」となっています。 右手から登ってくる道が、登拝門から続く本坂になります。 ベンチが幾つか設置されているので、右手に見える街並みなどを眺めながら休憩していきました。
十六丁目追分の碑
この碑は、1716年に初建され、総高三米六十八センチメートルもあり、 江戸期の大山信仰の深さをしめしている。 この石は麓から強力たちが担ぎあげた。
 (大山観光青年専業者研究会)
富士見台 (標高1062m)
疲れも癒えたところで、U字形に抉れた所に続く横木の階段を登っていきます。 石もゴロゴロしていて登り難い思いをしながら登っていきました。 「十七丁目」「十八丁目」の石碑を過ぎていくと、踊場のような所がありました。 そこに立つ「十九丁目」の石碑を過ぎて、更に登っていきます。 やがて以前には綺麗な階段だったと思われる大きな石が散乱するようになった坂道を登っていくと、 「二十丁目」の石碑の立つ富士見台に着きました。 本坂追分から10分ほどで登って来られました。 小広くなっていて、江戸時代にはここに茶屋があったようです。 「富士見茶屋」とでも云ったのでしょうか。 脇には大きな樹木が二本生えていて、御神木のような雰囲気を漂わせていました。
富士見台
大山の中で、この場所からの富士山は絶景であり、江戸時代には浮世絵にも描かれ茶屋が置かれ、 来迎谷(らいごうだに)と呼ばれている。
 (大山観光青年専業者研究会)
富士見台の西側が開けていて展望が得られます。 この時には条件に恵まれて、箱根の山々などを見渡せる眺めが広がっていました。 手前の山が少し邪魔しているのが難点ですが、綺麗な姿の富士山を望むことも出来ました。 その南の方には特徴的な山容をした愛鷹連峰も見えていました。 山頂からはもっと良い眺めなのだろうかと期待しつつ、何枚も写真を撮りながら休憩していきました。
天狗沢展望台
眺めを楽しんだら、その先へ続く間隔の広い横木の階段を登っていきます。 「二十一丁目」の石碑を過ぎて、次第に石がゴロゴロしてくる坂道を登っていくと、 「二十二丁目」の石碑の立つ所に着きました。 富士見台から4分ほどの所で、脇に立つ石標によると天狗沢展望台というようです。 手前の樹木に邪魔されながらも右手に街並みなどを見渡せる所です。 テーブルやベンチが幾つか設置されていますが満席だったので、眺めを確認しただけで通過していきました。 脇に立つ道標によると、正面の道は「大山0.6km」、今来た道は「下社1.6km」となっています。 蓑毛分岐の先にあった道標では「大山1.3km」となっていたので、 もう半分は来たことが分って元気付けられるのでした。
ヤビツ峠分道 (標高1174m)
「二十三丁目」の石碑を過ぎていくと、木製の階段を登っていきます。 そこを過ぎて緩やかで広くなった道を進んでいきます。 「二十四丁目」の石碑を過ぎていくと分岐に着きました。 富士見台から18分ほどで登って来られました。 右側に立つ「二十五丁目」の石標によるとヤビツ峠分道というようです。 角に立つ道標によると、左手の道は「ヤビツ峠2.1km」、正面の道は「大山200m」、 今来た道は「下社1.7km」となっています。 「頂上まであと10分」の看板に元気を貰いながら、その先に続く石ゴロゴロの急坂を登っていきます。
(左手の道は「丹沢大山」を参照)
頂上まであと10分 ガンバレ
頂上売店あり ビール・ジュース・軽食
御中道
石ゴロゴロの坂道を登っていくと、次第に横木の階段が混じるようになります。 左へ曲がっていく角まで来ると「二十六丁目」の石標が立っていました。 その石標には「来迎谷」と記されていました。 先ほどの富士見台の解説文にも載っていましたが、この尾根の名前なのでしょうか。 そこを過ぎていくと、格子状の金属製階段が設置されていました。 脇に設置された案内板によると「グレーチング階段」というようです。 階段が終わってその先の石段を登っていくと、鳥居が立っています。 ヤビツ峠分道から8分ほどの所になります。 脇には「二十七丁目」の石標が立っていて、「御中道」と記されていました。 このまま鳥居の先の道を登っていくと、2分ほどで大山の山頂に着きますが、 今回は鳥居の脇から左手に分かれていく道を通って、山頂の北側にある展望地へ向かっていきました。
神社のある山頂の周囲を取り巻くように巡っている道を「お中道」と呼ぶ例をよく見かけます。 左手に分かれていく道は、山頂の一段低い所を巻くようにして半周ほどしかありませんが、 その「お中道」に相当するのでしょうか。
グレーチング階段について
神奈川県では、ニホンシカによる菜食や登山者の踏圧等により裸地化の進む大山山頂を植生保護柵で囲み、 植生回復を図る「山頂緑化・土壌保全」に取り組んでいます。 このグレーチング階段の脇には植生保護柵が繋がっています。 この階段は、シカ等の蹄を持つ動物がグレーチング等の格子状の構造物上を歩くのを嫌がるという習性を利用し、 登山者の通行を妨げることなく、シカが山頂部に進入するのを防ぐ目的で設置しています。 緑豊かな自然を後世に残す取り組みについて、皆様のご理解とご協力をお願いします。
 (神奈川県自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課)
展望地(北側)
広くて緩やかになった道を進んでいくと、すぐに左手が開けてきました。 先ほどの富士見台より標高が高いとあって、富士山の見える範囲も広くなってきて、 両方の裾野が見えるようになりました。 そんな景色を眺めながら間隔の広い横木の階段を登っていくと、道端には少し雪が残っていました。 緩やかになった道を進んでいくと、鳥居から4分ほどで、電波塔などが建ち並ぶ展望地に着きました。 ここは大山の山頂から一段低い北側になりますが、標高差は僅かなので、 全体で山頂部を成していると考えていいような所です。
展望地からは、西から北にかけての眺めが広がっています。 「大山山頂から見た景観」と題して、 ここから望むことのできる山々の名前を記した案内板も設置されています。 今回は条件に恵まれて、丹沢の山並が綺麗に見えました。 西側には富士山や愛鷹連峰などが見えました。 北側の下の方には水面が見えていましたが宮が瀬湖でしょうか。 丁度昼時になったので、何枚も写真を撮りながら眺めを楽しんでから、 脇に腰を降ろして昼食タイムにしました。 (パノラマ写真はこちら
大山山頂から見た景観
丹沢・大山国定公園 丹沢山頂 標高1251.7m
二ノ塔1140m、富士山3776m、三ノ塔1205.2m、南アルプス、行者岳1180m、塔ノ岳1490.9m、 新大日1340m、日高1401m、竜ヶ馬場1504m、不動の峰1614m、丹沢山1567.1m、瀬戸沢の頭1375m、 太礼の頭1352m、円山木の頭1360m、本間の頭1345.4m、秩父連山
 (健康・文化都市−伊勢原)
展望地(東側)
電波塔の右手にある化粧処の脇を抜けた所にも展望地があって、東から南にかけての眺めが広がっています。 この時は少し霞んでいましたが、相模平野に広がる街並みや、 相模湾や三浦半島や房総半島までも見える素晴らしい景色が広がっていました。 江ノ島もよく見えていました。
大山々頂奥の院 (標高1251.7m)
東側の展望地の先へ進んでいくと見晴台方面への降り道がありますが、 先ずは右手に設置された木製の階段を登っていきました。 以前は抉れて歩き難い横木の階段だったのですが、近年になって整備されたようです。 階段をひと登りすると、大山々頂奥の院の建つ丹沢大山の山頂に着きます。 社殿の屋根には7本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 奥の院の建つ一番高い所には「丹沢大山国定公園 大山山頂 標高1251.7m」の標柱が立っています。
大山々頂
神奈川県の自然公園
自然公園とは、すぐれた自然の風景地の保護とその利用の増産を目的に指定されています。 神奈川県では、富士箱根伊豆国立公園箱根地区を始めとして、 丹沢大山国定公園、県立奥湯河原自然公園、県立真鶴半島自然公園、県立丹沢大山自然公園及び、 県立陣馬相模湖自然公園と、6箇所の自然公園があり、 ここ大山は丹沢大山国定公園内に位置します。
貴重な自然を大切にしましょう!!
 (環境庁、神奈川県)
大山阿夫利神社本社 (標高1247m)
奥の院の前の一段低い所に大山阿夫利神社本社があります。 拝殿の背後に本殿が建っていて、屋根には9本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えています。 大山の山頂は「かながわの景勝50選」にも選ばれていて、その石碑もあります。 本社のある少し低い所には「国定公園 大山頂上本社 標高1247m」の石標が立っています。 石標の後ろにある樹木が御神木の「雨降木(あめふりのき)」になります。 今回は見かけませんでしたが、以前に下社で見かけた由緒書きを載せておきます。
大山阿夫利神社の由緒
大山は、またの名を「あふり山」という。 あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起こったといわれる。 標高は1251.7mで、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっている。 阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人達の心のよりどころとなり、 国御岳(国の護りの山)・神の山としてあがめられてきた。 山野の幸をつかさどる水の神・山の神として、また、海上からは 羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として 信仰をあつめると共に、庶民信仰の中心として、今日に及んでいる。 山頂からは、祭りに使ったと考えられる縄文時代(紀元前約1,000年頃)の 土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っている。 仏教が伝来すると神仏習合の山となり、阿夫利神社は延喜式内社として、 国幣の社となった。武家が政治をとるようになると、代々の将軍たちは、 開運の神として武運の長久を祈った。 引目祭・筒粥祭・雨乞い・納め太刀・節分祭・山開きなど、 古い信仰と伝統にまもられた神事や、神に捧げられる神楽舞・神事能・狂言などが、 昔のままに伝承されている。 全山が四季おりおり美しい緑や紅葉におおわれ、神の山にふさわしい風情で、 山頂からの眺望もすばらしい。都市に近いため、多くの人達に親しまれ、 常に参詣する人の姿が絶えない。
本社の南側が開けていて、相模平野や相模湾を一望出来る眺めが広がっています。 右手の方には海に突き出る真鶴半島やその先の初島が見えていました。 相模湾の沖には伊豆大島の大きな島影も見えていました。 山頂には大山山頂茶屋があるので、ここでもおでんなどを食べながら休憩していきました。 「熊出没注意」の看板も見かけましたが、この時には大勢のハイカーで賑わっていたので安心でした。
熊出没注意
この付近にクマの出没情報がありました。 クマに遭遇したら、刺激しないようにし、あわてずに静かに立ち去りましょう。 クマを目撃しましたら、下記に連絡をしてください。
 (神奈川県湘南地域県政総合センター環境調整課)
 (伊勢原警察署生活安全課、伊勢原市役所環境保全課)
大山の肩
併せて40分ほど居た丹沢大山の山頂から下山していきます。 道標「見晴台2.2km、不動尻4.2km」に従って、東側の展望地の右手から続く横木の階段を降っていきます。 程なくして、登ってくる所にもあった「グレーチング階段」がありました。 そこを過ぎて右・左と曲がりながら、段差の結構高い横木の階段を降っていきます。 展望地から2分ほど降っていくと緩やかな道になりますが、 その先で再び横木の階段混じりの降りが続きます。 山頂から7分ほど降っていくと、幅が広くて緩やかな尾根になります。 左右の眺めを愛でながら快適に進んでいきます。 やがて少し登り坂になってくると、僅かな高みに着きました。 山頂から10分ほど降ってきた所になります。 道端には「大山の肩」の標識がありました。 手元の地形図では、丹沢大山の東350m辺りにある標高1170mほどの細長い高みになるようです。 緩やかな高みの先へ進んでいくと、間隔の広い横木の階段を降るようになります。
唐沢峠分岐
次第に傾斜が増してくる横木の階段を、右・左と曲がりながら降っていくと分岐があります。 山頂から14分ほどの所になります。 角に立つ道標によると、正面の道は「(見晴台経由)日向薬師5.9km、下社3.1km」、 左手に分かれていく道は「不動尻3.9km、広沢寺温泉バス停7.1km」、今降ってきた道は「大山0.6km」となっています。 左手の道は989m峰や893m峰を経て唐沢峠へ降っていけますが、今回は正面の道を見晴台へと降っていきます。
(左手の道は「丹沢大山」, 「大山西尾根」を参照)
展望地
最初は緩やかな降りですが、次第に傾斜が増してきます。 段差の高い横木の階段混じりの道を降っていきます。 分岐などは特になくて淡々と降っていくのですが、 膝にかなり負荷がかかるので、次第に疲れてガクガクになってきました。 唐沢峠分岐から20分ほど降ってくると、道端にベンチがひとつ設置されていました。 その左側が開けていて、街並みなどを見渡せる展望地になっていました。 膝がかなり疲れてきたので、ベンチに腰掛けてひと休みしていきました。
気を取り直して更に降っていきます。 4分ほど降っていくと、2mほどの梯子階段がありました。 ほぼ垂直の階段を降ってその先へ進んでいきます。 所々に岩が露出した所もあって、この時には順番を待つ人の列が出来たりもしました。 そんな所を時々過ぎながら降っていくと、 展望地から14分ほどの所に設置されている水源協定林の看板の辺りから緩やかで広い道になってきます。 看板を過ぎて3分ほど進んでいくと、「見晴台」を指す道標が立っていました。 手前にはロープ柵が設置されていて右手に迂回していく道を指しています。 ロープの先にも道がありましたが、崩壊のための迂回路のようでした。 ここは道標に従って、右手の道を降っていきます。
神奈川県「水源の森林づくり」契約地(水源協定林)
所在地 伊勢原市日向字南大山沢2196-2外2筆
契約面積 2.49ヘクタール
水資源を大切にしましょう。
 (神奈川県環境農政部森林課、神奈川県湘南地域県政総合センター森林課)
右傾斜の明るい斜面を折れ曲がりながら降っていきます。 横木の階段が現れて植林帯へ入っていくと、左手から降ってくる横木の階段が合流する所がありました。 角には先ほどと同様の道標が立っていて、今来た道は「大山山頂」となっていました。 左手の道を覗いてみると、尾根を真っ直ぐ登るようにして続いていましたが、かなり崩壊しているように見えました。 左手からの道を併せてその先へ降っていくと、すぐに広くて緩やかな道になります。 その脇には道標が立っていて、正面に続く道は「見晴台0.2km」、今来た道は「大山2.0km」となっていました。
見晴台
僅かな登り坂になった広い尾根道を2分ほど進んでいくと僅かな高みに着きました。 四角いテーブル状のベンチが設置されていました。 高みを越えて緩やかに降って、道標「大山山頂2.2km」を過ぎていくと見晴台に到着しました。 展望地から20分ほど、丹沢大山の山頂から1時間ほどで降って来られました。 テーブル・ベンチが幾つも設置され、東屋も建っている所です。 東屋の脇には「山岳安全」と刻まれた石碑があります。 振り返ると、丹沢大山の山頂にある電波塔が見えていました。 あそこから降って来たのかと感慨に耽りながら、ベンチに腰を降ろして休憩していきました。
見晴台の左手が開けていて、梅ノ木尾根や伊勢原の街並みを見渡せる眺めが広がっています。 今回のコースでは展望が開ける最後の所になります。 大山三峰山も頭を覗かせていました。 経験者向きの山とのことですが、確かに急峻な山容をしています。 初級者には遙かな山ではあります。
山火事に注意しましょう
山林内でのたき火やたばこのなげ捨ては火事のもとです。ご注意下さい。緑の山をみんなで守りましょう。
 (神奈川県、伊勢原市)
ベンチに腰掛けて水分補給などをしながら小休止して、下社へと向かっていきます。 東屋の傍にある道標によると、正面の尾根道は「関東ふれあいの道、日向薬師4.2km」、 右手に戻るようにして分かれていく道は「関東ふれあいの道、下社1.4km・蓑毛4.5km」、 今降って来た道は「大山山頂2.25km」となっています。 道標「下社30分」が指す右手の植林帯に続く山道を進んでいきます。
(正面の道は「大山参り蓑毛のみち」, 「大山南東尾根」を参照)
この先、落石や滑落に十分注意してください
特に冬期は降雪、凍結により道が滑りやすいので、お子様連れ・高齢者・軽装の方は歩行に気をつけてください。 この道は、天然記念物のモミ原生林の自然に親しむ探勝歩道として整備したものです。 途中には急斜面や道幅の狭いところがありますが、 自然景観をまもるために柵などの施設整備は最小限にとどめてあります。
 (神奈川県自然環境保全センター、伊勢原市)
注意
この付近にクマ出没。注意必要。
 (神奈川県)
植林帯の中に続く緩やかな道を4分ほど進んでいくと、 道端に「天然林育成事業地」の看板が倒れていました。 そこを過ぎていくと雑木林に変わってきます。 「足元注意」の標識を過ぎていくと、谷側には鉄輪に通された真新しい鎖が続くようになります。 過日の台風で崖崩れなどがあったようですが、この時にはほぼ復旧していました。 岩壁の脇を進むような所もありますが、等高線に沿うようにして緩やかな道が続いています。 見晴台から12分ほど進んでいくと、右手に短い石段があります。 その先には巨大な木が聳えていました。 前には磨かれた石も置かれていて、神格化された木なのでしょうか。
天然林育成事業地
大山(モミ・ブナ)林の減少を守る目的の為、幼木及び苗木の育成研究を人工的に保育育成する施業地です。 健康的山づくりにご協力下さい。
 (伊勢原市、伊勢原市林業組合)
滑落・死亡事故「発生現場」通行注意!
 (神奈川県自然環境保全センター自然保護公園部自然公園課)
この先、滑落注意
この先には急斜面や狭いところがあります。 十分注意してください。 登山装備していない方の通行は危険です。
二重社
やがてジグザグに降るようになります。 道が緩やかになってくると、見晴台から17分ほどで二重社があります。 周りには「二重社 八大龍王」と書かれた赤い幟が沢山立てられていました。
二重社について
二重社は阿夫利神社の摂社で、高おかみ神が奉祀されております。 御祭神は殖産、灌漑、雨乞いの守護神で、霊験のあらたかさは、 よく知られているところであります。特に万物の生命の根源である「水」を つかさどり、俗に龍神にもたとえられて、広く根強い信仰と崇敬が集められています。 真摯なる祈りを捧ぐとき神威炳乎(輝やくの意)諸願は成就すと言われております。
二重の瀧
大山川の源流をなし、大自然の巨岩が二段にわかれ、上段の断崖(ハケ)より突如として 湧水し水場(ヤツボ)を形成、二段の岩壁に流れ出ずる所により二重の瀧と 言われております。神聖にして清浄なる所から浄めの瀧とも呼ばれ、 修験者の契の行場でありました。 又、江戸時代には、新年早々大工、鳶、左官職等の代表者が数日間下社に篭り、 二重の瀧に打たれ、心身を浄めてその年の賃金を決議したといわれています。
呪いの杉
震災前までは、二重の瀧つぼのほとりに、樹齢千年をこす老杉がありました。 この杉は、呪いの杉とよばれ、神秘的棲槍の伝説が伝えられております。 毎夜「丑の刻」に参り、呪いの相手を形どった人形を杉の木に うちつけて呪いをはらしたといわれておりますが、現在は参道、道下の 二本の杉がその面影を伝えております。
 (大山阿夫利神社)
二重滝
二重社の脇には二重滝があります。 この時には、細めながら水が勢いよく流れ落ちていました。 二重滝のあるこの沢は南沢と呼ぶようです。 ここにも山頂で見かけたのと同様の「熊出没注意」の看板がありましたが、 別の大きな看板も設置されていました。
ツキノワグマによる被害を受けないために!!
クマは、するどいツメと大きな歯を持っていて、時速40キロメートルで走ることもできます。 突然の出会いで、引っかかれたり押し倒されたりすると大けがをすることがあります。 クマによる人身被害を防ぐには、 「クマとあわない」「クマを引き寄せない」ことが第一ですが、 それでも出会ってしまったら、「興奮しない、させない」ことが基本になります。
クマとの出会いをさけるために
・クマの出没情報に気をつける。
・出没情報のあったところには近づかない。
・朝・夕・霧が出ているときなどはクマに出会う可能性が高いので特に注意する。
・1人では行動しない。
・鈴・笛・ラジオなど、音の出る物で存在を知らせる。
・子グマを見かけたら、そっと立ち去る。(近くに母グマがいます)
もしクマにであったら
・落ち着いてその場を離れる。
・大声を出したり、走って逃げてクマを刺激しない。
・近くにクマがいるときは、持ち物を置いて、そっと離れる。
・クマの動きを見ながらそっと後退する方がよい。
クマをおびきよせないために
・餌付けをしない。
・生ゴミを放置しない。
・収穫した農作物、果実などを放置しない。
 (神奈川県湘南地域県政総合センター環境調整課)
南沢に架かる二重滝橋を渡ってその先へと進んでいきます。 一旦は途切れた鉄輪通しの鎖が再び続くようになりますが、それほど危険という感じではありませんでした。 この辺りは「かながわの美林50選 大山のモミ林」や 「かながわの探鳥地50選 大山」として選ばれているようです。
神奈川県指定天然記念物 大山の原生林
大山の南東斜面一帯には、針葉樹のモミを中心として下部 (雷山・標高340m付近)は、アラカシ、ウラジロガシ、アカガシなど 常緑のカシ林の構成を含み、上部(天下一・標高800m付近)は、 ツガヤブナ林の構成を含む連続した原生林が見られる。 自然のモミ林は、よほど地形のきびしい尾根や急斜面をのぞけば 完全な純林を形成しないので、常緑広葉樹林のカシ林から 夏緑広葉樹林のブナ林への移行帯付近に不連続的に分布し、森林を形成する。 ここでは、その典型的なモミの原生林として対比することができ、 県下では大山付近に限られて自生しており、学術上からも、大山の景観上からも価値が高い。 植物や植物の群落は、自然性のものであればあるほどわずかな人間の手が 加わっても影響を受けやすいので、この地域においては厳正な保護が必要である。 この天然記念物は神奈川県文化財保護条例により指定したものであります。 みだりに現状を変更して滅失、損壊、滅亡、その他保存に影響を及ぼす行為は 禁止されております。
 (神奈川県教育委員会)
「滑落注意」の看板を過ぎ、「かながわの探鳥地五十選 大山」の標柱を過ぎていきます。 鉄輪通しの鎖が一旦途切れた石垣沿いに進んでいくと、関東ふれあいの道の里程標があって、 この先の道は「蓑毛3.4km」、今来た道は「日向5.3km」となっていました。 里程標を過ぎていくと、小さな沢筋があります。 上流側には砂防ダムがありました。 ここで道が崩壊していて、山側に少し迂回するようになっていました。
滑落注意!
この先、急斜面や道幅の狭い箇所があります。 十分注意して下さい。
クマに注意!
この付近にクマの出没情報がありました。 クマは人里近くへは夕方出てきて、朝方に帰ることが多いので、 朝方や夕方の外出にはご注意下さい。 クマに遭遇したら、刺激しないようにし、あわてないで、静かに立ち去りましょう。 クマを目撃しましたら下記に連絡をして下さい。
 (湘南地域県政総合センター環境調整課、伊勢原警察署生活安全課、伊勢原市役所環境保全課)
沢筋を過ぎていくと、次第に道幅が広がって歩きやすくなってきます。 赤い鳥居と小さな祠を過ぎていくと右手に石段があります。 角に立つ道標「関東ふれあいの道、大山山頂・ケーブル駅」がこの石段を指しています。 正面に続く平坦な道は特に何も示されてはいませんが、 男坂や女坂を経て麓の追分へと降っていく近道になります。 今回は右手の石段を登っていきました。 石段を登っていくと、大山阿夫利神社下社のすぐ下にある広場に戻ってきました。 見晴台から28分ほどで到着しました。 客引きの声が響く茶店でソフトクリームなどを買って、しばらく休憩していきました。
落ち着いたところで、広場の先に続く石段を降っていきます。 トイレを過ぎて更に降っていくと、男坂と女坂の分岐があります。 最初は男坂を登ってきたので、帰りは七不思議などを確認しながら女坂を降っていくことにしました。
女坂に七不思議あり
弘法水、子育地蔵、爪切り地蔵、逆さ菩提樹、無明橋、潮音洞、眼形石
七不思議を探そう!
 (大山観光青年専業研究会)
女坂
麓の追分にあった道標では「らくらく女坂」となっていましたが、 降り始めはかなり急な石段が続いていて、ちっとも「らくらく」ではありません。 これでは「きつ〜い男坂」と少しも変らない思いながら、 大山までの登り降りでガクガクになってきた膝をかばいながら降っていきました。 急坂を5分ほど降っていくと、左手に金網が設置されていました。 その下には線路が通っていました。 ゴーという音が聞こえてきたのでしばらく待っていると、ケーブルカーが降っていきました。
山歩く 心にいつも 火の用心
山火事注意
 (神奈川県)
ケーブルカーを見送って急な石段を更に降っていくと、道端に眼形石がありました。 岩の上には観音像が立っていました。
【女坂の七不思議】 その七 眼形石
人の眼の形をしたこの石に、手を触れてお祈りすれば、 不思議に眼の病が治ると言い伝えられている。
 (大山観光青年専業研究会)
眼形石を過ぎて更に降っていくと、大きな樹木の袂の岩が四角く刳り貫かれていて、 その中に双体の石仏が安置されていました。 潮音洞というようですが、解説文のあるように、本当に潮騒が聞こえるのかどうかは確かめませんでした。
【女坂の七不思議】 その六 潮音洞
洞(ほこら)に近づいて心を鎮め耳を澄ませると遠い潮騒が聞こえるという。 この洞の中にどのような神秘が隠されているのであろうか?
 (大山観光青年専業研究会)
無明橋
潮音洞を過ぎていくと、程なくして、小さな沢に朱塗りの無明橋が架かっています。 その右手の山際には芭蕉の歌を刻んだ石がありました。 前方の上にトンネルの入口がありますが、阿夫利隧道というようです。
【女坂の七不思議】 その五 無明橋
話をしながら通ると、橋から下に落ちたり、忘れ物や落し物をしたり、悪い事が起きたりするという。
 (大山観光青年専業研究会)
山寒し 心の底や 水の月 芭蕉
大山寺
橋を渡って左手へ続く坂道を降っていくと、道が二手に分かれています。 角には道標が立っていて、右手の道は「大山寺本堂・女坂下り」となっていました。 左手に続く坂の下には谷に朱塗りの橋が見えていて、その先にケーブルカーの駅があるようですが、 案内に従って右手へ進んでいきました。 お堂の間に架かる渡り廊下の下をくぐっていくと、右手に大山寺の本堂がありました。 男坂との分岐から13分ほどで降って来られました。 本堂では読経の声が高らかに響いていました。
大山寺 真言宗大覚寺派
昔から「大山不動さん」と呼ばれた大山寺は、山号を雨降山といい、 天平勝宝7年(755)奈良東大寺の別当良弁僧正が、父母の孝養のために建てたといわれる。 赤子の時、大鷲にさらわれた良弁を捜して、日本国中を尋ね廻った父母が、 盲目の乞食になり果てていたのを、不動明王のみちびきで、親子の再会が出来たと、 大山寺縁起絵巻に書かれている。 良弁に帰依深かった聖武天皇は、良弁親子の再会に強く感動され、大山寺を勅願寺とされた。 寺はその後いくたびか災厄にあったが、鎌倉・足利・徳川幕府の保護をうけ、その都度再建された。 本尊不動明王・矜迦羅童子・制吁迦童子の三体は、珍しい鉄像で、 鎌倉時代(1270年頃)大山寺中興の祖、願行上人作と伝えられ、国の重要文化財である。 他に平安前期(782〜897)の木造不動像をはじめ多くの仏像がある。 この寺はかつて、日本古来の予言者から発展した山岳宗教の「修験道」の道場で、 大山不動信仰を世に広めたのは、この修験者たちであった。 今でもその象徴である天狗の面が土産店で売られている。 庶民が期待する大山不動尊信仰の特別の冥加は、農・漁・商・工・職人・技芸人等多くの人々の間で、 その子供達が親の職業を立派に引き継ぎ栄えるよう、加護を受けることであった。
 (伊勢原ライオンズクラブ)
本堂の右手には「関東三十六不動札所第一番霊場大山寺」と刻まれた石柱やお堂があり、 左手には青銅宝篋印塔が建っていました。 かわらけ投道場や五百羅漢などもありました。
青銅宝篋印塔 −通称−
塔の由緒
宝篋印塔は、「一切如来心秘密全身舎利宝篋印塔陀羅尼経」に依って建立するものあり。 経に曰く「若し人福を求めて此塔の所に至って、一華一香を以て礼拝供養し右に廻って行道せば、是の功徳によって、
官位栄燿 求めざるに自ら至り
寿命富饒 祈らざるに自ら増し
怨家盗賊 討たざるに自ら敗れ
疫病邪気 払わざるに自ら避け
善夫良婦 求めざるに自ら得る
賢男善女 祈らざるに自ら生じ
一切の所願意に任せて満足せんと」。 登山参拝の善男善女は、この天下無双の霊塔の前に虔んで礼拝し、塔の回りを右に三遍お廻りなさい。
真言宗 雨降山 大山不動尊 阿部利山 大山寺 主監謹白
記(塔の大きさ)
一、地盤 二丈五尺
一、台 七尺四寸
一、青銅塔 二丈八尺、重量九千貫
一、総高さ 三丈五尺四寸
勧進元 供僧坊廣徳院憲海房が、寛政7年(1795)旧大山寺境内(現下社)に新建立、 大正3年境内に再建、大震災で上部が倒壊、大正15年に復元す。
来迎院
本堂の正面に続く急な石段を降っていきます。 両側には童子などの像が立ち並んでいました。 左右に通る道に降り立って、右手の石段を降って左へ曲がっていくとお堂などが並んでいました。 真ん中のお堂の柱には「来迎院」と書かれていました。 左手にある小振りのお堂は龍神堂というようで、簡単な解説板がありました。 右手には寺務所だったような様子の家がありますが、今ではあまり使われていない様子でした。
龍神堂(八大堂)
元は二重滝にあり、寛永18年(1641)に再建、三代将軍の徳川家光公により寄進される。 奈良時代に、大山寺別当の良瓣僧正が大山龍神を感得す。 以後、八大龍王と呼び、大山の守護神として雨乞いの本尊なり。 〜数々の龍神伝説あり〜
 (青専研)
来迎院を過ぎて石段を降っていくと、道端に逆さ菩提樹がありました。 今の木は二代目とのことで、「逆さ」という雰囲気はありませんでした。
【女坂の七不思議】 その四 逆さ菩提樹
上が太くて下が細く、逆さに生えたように見えることから逆さ菩提樹という。 現在は二代目である。
 (大山観光青年専業研究会)
更に石段を降って沢の傍までくると砂防ダムがありました。 沢沿いに石段を降っていくと大きな石があって、地蔵が彫られていました。 脇に立つ解説板によると爪切り地蔵というようです。
【女坂の七不思議】 その三 爪切り地蔵
弘法大師様が道具を使わず、一夜のうちに手の爪で彫刻されたと伝えられている。 何事も一心に集中努力すれば実現できるとの教えである。
 (大山観光青年専業研究会)
紅葉橋
更に石段を降っていくと、谷に紅葉橋が架かっています。 その山際に子育て地蔵がありました。 大きな地蔵の下の小振りの像がありました。 橋を渡った所には双体の小振りの地蔵がありました。
【女坂の七不思議】 その二 子育て地蔵
最初は普通のお地蔵様として安置されたが、何時の頃からか顔が童あ(わらべ)に変わってした。 この地蔵に祈ると子供がすくすくと丈夫に育つといわれる。
 (大山観光青年専業研究会)
紅葉橋を渡っていくと、下流にも砂防ダムがあり、その山際に弘法の水がありました。 置かれている脚立から沢に降りていくと、岩壁から水が流れ出ていて、 その脇には「弘法大師加持霊水」「倶利伽羅大龍王神」と刻まれた石碑がありました。 柄杓も幾つか置かれていて飲めるようだったので、一口飲んでみましたが、 それほど冷たい水ではありませんでした。
【女坂の七不思議】 その一 弘法の水
「弘法の加持霊水」ともいい、弘法大師が岩に杖を突いたら、その跡から清水がこんこんと湧き出たという。 夏でも枯れることがなく、いつでも水の量が変わらないという。
 (大山観光青年専業研究会)
真玉橋
広くて歩き易くなった階段混じりの道を降っていくと、 やがて左手を流れる沢に真玉橋が架かっています。 橋を渡っていくと、最初にあった「追分社 八意思兼神社」の脇に出ます。 神社の手前から右手に続く石段を降っていくと、神社を経てきた男坂が合流してきます。 大山寺から15分ほどで降りて来られました。 ここからは、元来た道をバス停へと向かっていきます。
大山ケーブル(おおやまけーぶる)バス停
雲井橋を渡って宿坊街を降っていきます。 道路に出て道なりに降っていくと、最初の大山ケーブルバス停に着きました。 大山寺から28分ほどで降りて来られました。
伊勢原駅(小田急小田原線)まで、[伊10]伊勢原駅北口行きバスにて28分、1時間に3本程度の便があります。