佐島の丘
散策:2010年12月下旬
【海辺散策】 佐島の丘
概 要 佐島の丘は三浦半島の小田和湾の北側に突き出す丘です。 丘の上には畑が広がり、相模湾の向こうには、箱根から伊豆の山々の奥に富士山も望むことが出来ます。 丘の先端には臨海自然教育園にもなっている天神島があります。 今回は西海岸通から丘を越えて海辺に降り、海沿いの道から再び西海岸通に戻ってきます。
起 点 横須賀市 大楠芦名口バス停
終 点 横須賀市 芦名バス停
ルート 大楠芦名口バス停…庚申塔群…佐島の丘…福本寺…佐島漁港…神明社…天神橋…天神島臨海自然教育園…天満宮…十二所神社…大楠漁港…淡島神社…龍宮社…帯解地蔵尊…芦名バス停
所要時間 2時間30分
歩いて... 丘の上の畑では一面にキャベツが栽培されていて、収穫の時が近づいているようでした。 佐島漁港を過ぎて天神島へ向かっていくと、 臨海自然教育園は年末年始の休館日になっていて、島内に入ることは出来ませんでした。
関連メモ 天神島, 天神島
コース紹介
大楠芦名口(おおぐすあしなぐち)バス停
逗子駅(JR横須賀線)から、[逗4]大楠芦名口行きバス、[逗5]横須賀市民病院行きバス、[逗6]長井行きバス、 [逗7]佐島マリーナ入口行きバス,または,[逗8]電力中央研究所行きバスにて26分、1時間に4本から5本程度の便があります。
バス停の先へ続く国道134号(西海岸通)を緩やかに登っていきます。
大楠芦名口バス停は、関東ふれあいの道「佐島・大楠山のみち」の起点にもなっていて、 手前にある大楠山入口交差点の脇に解説板が設置されています。
関東ふれあいの道
関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)は、一都六県を巡る自然歩道です。 沿線の豊かな自然にふれ名所や史跡をたずねながら、ふる里をみなおしてみませんか。
佐島・大楠山のみち  このみちは、県内17コースのうちの4番目です。 ここから市道を大楠山へ登ります。 山頂展望台からは全周の展望が開けます。 山みちを前田橋バス停の方へ下り、途中前田川からは市道を歩きます。 前田橋バス停から葉山御用邸まで海岸沿いの国道134号線を北上し、 県道に入って一色海岸バス停が終点です。 途中のみどころは立石やしおさい公園などです。 佐島は路線から離れ、前田橋バス停から約2kmで、 佐島公園や横須賀市天神島臨海自然教育園(ビジターセンター)があります。 車道を歩きますので注意してください。
 (神奈川県自然環境保全センター)
庚申塔群
坂を登り切った所にある「大楠中学校入口」の信号を過ぎたすぐの所から、 右手に戻るようにして登っていく坂道へ入っていきます。 山際に続く坂道を1分ちょっと登っていくと、三猿の浮き彫りが施された庚申塔が石垣の所に6基並んでいました。 「元禄二」(1689), 「延宝六」(1678), 「文政十一」(1828), 「宝永六」(1709), 「享保七」(1722), 「正徳五」(1715) などの年号が刻まれていたので、江戸時代に造られたもののようでした。 製造年が揃っていないところをみると、違う場所にあったものをここに集めたのでしょうか。
庚申塔群を過ぎて山際の坂道を更に登っていくと、大楠中学校の校門があります。 校門を過ぎていくと、切通のような所があります。 左手に登っていく階段を見送って道なりに進んでいくと、次第に眺めが広がってきます。 右手には大楠山の山頂にある電波塔が見えていました。 高台には畑が広がっていて、この時にはほとんどの畑でキャベツが栽培されていました。 右手へ分かれていく農道を見送っていくと、畑の向こうには相模湾が広がってきました。 箱根の山々の奥には富士山も聳えていましたが、この時には湧き出す雲に半分ほど隠れていました。
民家の脇を過ぎて丘の一番高い辺りまで来ると、電波塔が近づいてきます。 両側に畑の金網柵が続くようになった道を進んでいくと、道が二手に分かれています。 どちらへ進んだものかと暫し考えた末、今回は右手へ進んでいきました。 先ほどから見えていた電波塔は、携帯電話会社の「CV佐島」という設備のようでした。 降り坂になってきた道を進んでいくと、左手には造成地が広がっていました。 その先には小田和湾が広がり、荒磯や長井港のある半島が海に突き出ていました。
右手にコンクリート塀が続くようになった道を降り気味に進んでいきます。 降り傾斜が増してくる所まで来ると、右手から道が合流してきます。 角には「特定猟具使用禁止区域(銃)」の赤い標識が立っていて、 右手の道の先には電波塔が立っていました。 手元の地形図では、63.5m峰の南西100m辺りから北西に分かれていく道のようでした。
(右手の道は「天神島」を参照)
守ろう 美しい自然 きれいな環境
 (よこすか葉山農協青壮年部、横須賀市経済部農林水産課)
特定猟具使用禁止区域(銃)
 (神奈川県)
佐島の丘
右手の道を見送って傾斜の増してきた坂道を降っていくと、 左手の造成地には次第に住宅が建ち並ぶようになります。 手元の地図によると「佐島の丘」というようです。 まだ造成中で、全体は完成してない様子でした。 正面に相模湾を眺めながら、引続き金網柵が設置された坂道を降っていきます。 「特定猟具使用禁止区域(銃)」の赤い標識が立つ所まで来ると、畑への道が右手に分かれていきますが、 見送っていきます。 そのすぐ先の所から「佐島の丘」に続く広い道が左手に分かれていきますが、 それも見送って、一段と傾斜が増してきた坂道を降っていきます。
右側の山際にブロック塀が設置された急坂を降っていきます。 塀からガードレールと竹柵に変ってくると、柵の向こう側には畑が続いていました。 左側の山際にある岩壁の傍を過ぎていくと、次第に傾斜は緩やかになってきます。 再び背の低いコンクリート塀が続くようになった道を進んでいくと、 左側には畑が続くようになり、その先に建ち並ぶ住宅が見えてきました。 道なりに進んで、その集落に中に入っていきます。
正面に見える生垣の所までくると道が二手に分かれていますが、左手の道を進んでいきます。 「佐島B急傾斜地崩壊危険区域」の看板を過ぎていくと、坂道が右手に分かれていますが見送っていきます。 工務店や「聖徳皇太子」と刻まれた石碑を過ぎていきます。 この道は佐島2丁目と佐島3丁目の境界になっているようでした。 「佐島三丁目1」の住所表記が取り付けられた電柱を過ぎていくと、左手に分かれていく道があります。 その入口には「浄土宗福本寺」と刻まれた石柱が立っていたので、立ち寄っていくことにしました。
佐島B急傾斜地崩壊危険区域
この区域内で、のり切り・掘削・伐採等を行う場合は、知事の許可が必要ですから、 左記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県横須賀土木事務所)
福本寺
登り坂になった道を進んでいくと石段が現れます。 手前には馬頭観世音菩薩や庚申塔などが並んでいました。 石段を登っていくと、「降鏡山」「福本寺」の表札が掛る石門があります。 その石門をくぐった先が福本寺の境内になります。 正面に本堂があり、右手には庫裡と思われる建物や鐘楼がありました。 左手は墓地になっていました。 「當山開創五百年記念之碑」と刻まれた大きな石碑もあって、古くからある寺院のようでした。
福本寺略歴
名称 降鏡山 福本寺
開基 清涼禅定文 明応2年2月18日寂
開山 方誉岸了大和尚 永正4年3月23日寂
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
木質座像御丈四尺三寸 三浦大介公後生佛と稱す。 京佛師山岸伝右衛門丞重治作
脇壇 薬師如来 三浦札所十六番
不動明王 三浦札所二十一番
本堂 旧本堂は明治26年5月火災のため全焼。 同31年5月再建。 大正12年9月大地震により倒壊。 更に昭和5年5月再建。 同31年11月屋根瓦葺に改修し現在に至る。
庫裡 明治26年5月焼失。 同31年5月再建。 その後老朽のため昭和44年3月新築し現在に至る。
鐘堂 昭和11年11月再建す。 梵鐘に文学博士塩谷温先生の銘文を刻す。
 (當山二十一世 順誉識)
佐島漁港
元の道まで引き返してその先へ進んでいきます。 道路の下を流れる小川を過ぎて海沿いの道路に出ると、正面に佐島漁港がありました。 左角には活魚・貝類・鮮魚などを商う店があって、賑わっていました。 右手すぐの所から漁協へ続く道が延びていましたが、その先は「関係者以外立入禁止」になっていました。
第2種 佐島漁港
所在地 神奈川県横須賀市佐島3丁目1,459番16地先
管理者 横須賀市経済部農林水産課
所官庁 水産庁
漁協への道を見送ったすぐの所の町内会館の建物の前に「佐島御船歌」の解説板がありました。 横須賀市消防団第29分団の車庫を過ぎていくと、再び佐島漁港が広がってきます。 港内には多くの舟が停泊し、浜にも舟が陸揚げされていました。 沖に見える白い建物は佐島マリーナのようです。 その右手にあるこんもりとした森が天神島になります。
佐島御船歌 附 佐島船祭り御座船絵図三点
御船歌は御座船歌とも呼ばれ、江戸時代の将軍や大名が御座船に乗るときや新造船の進水式などに 船手によってうたわれた歌です。 江戸時代の後期になると、漁村の船祭りに御座船を模した御船が登場し、御船歌もうたわれるようになりました。 佐島で代々船大工を営んできた家には、 漁船を飾り板などで装飾した船祭りのための御座船を描いた図絵が残されています。 そのうちの一枚には安政5年(1858)銘があり、このころにはすでに佐島の船祭りが行われ、 御船歌もうたわれていたと思われます。 佐島の御船歌は四十八曲あるとされますが、その中でも役歌と呼ばれる重要な歌があります。 「初春」,「みだくどき」,「たまぼこ」,「いせのながと」,「まつぞろい」などで、 祭礼のときや正月の初参り、春と秋のお神楽など季節の節目や祝い事の宴会などでうたい継がれています。
 (横須賀市教育委員会)
津波注意
地震を感じたら海浜から離れ、安全な場所に避難しましょう。
この地点の海抜は2.7mです。
 (横須賀市消防局)
神明社
佐島マリーナ入口バス停を過ぎていくとT字路があります。 その少し手前に「神明社」と刻まれた小さな石碑と鳥居が立っています。 鳥居の先に狭い石段が上の方へと続いていたので、ちょっと立ち寄っていくことにしました。 かなり急な石段を3分ほど登っていくと、木製の鳥居の先に祠がありました。 その脇には「大亀三社大明神」と刻まれた石碑もありました。 振り返ると、樹間からは佐島マリーナが見えていました。 マリーナのあるこの佐島の海を見守っているのでしょうか。
天神橋
道路まで戻って、その先のT字路を左折していきます。 民家が建ち並ぶ道を150mほど進んでいくと、「かながわの橋100選」にも選ばれている天神橋があります。 この橋を渡ると天神島になります。
天神島臨海自然教育園
天神橋を渡っていくと、道は左手へと曲がっていきます。 その角に天神島臨海自然教育園の入口があって、天神島を歩くことが出来るのですが、 この時には年末年始の休館日になっていて閉まっていました。 入口には横須賀風物百選にも選ばれている「北限のはまゆう」の標柱も立っています。
天神島臨海自然教育園・ビジターセンター
入園・入館 無料
開園・開館 午前9:00〜午後5:00(4月1日〜9月30日)
午前9:00〜午後4:30(10月1日〜3月31日)
休園・休館日 毎週月曜日・毎月末日(土・日・月曜日の時は、これらの日以外の日に繰上げる)・年末年始
行事 教育園案内・教育園教室・自然観察会など。 教育園の自然を楽しみながら学習します。
教育園は、自然観察と自然環境の保護、調査研究などの教育的利用を目的としています。 園内での次の行為はお断りします。 マナーを守り、自然を大切にしましょう。
・「笠島」に無断で上陸すること
・漁業権者以外の者が釣り・モリ・網等の採集用具を持って入園すること
・園内や保護海域内の動物・植物・海藻・岩石などを採集すること
・保護海域内で許可なく遊泳や潜水行為をすること
・保護海域内でボート・帆走遊具・カヌー・ヨット・小型船舶の使用、停泊をすること
・園内でレジャー用具や火気を使用すること
・飲酒・喫煙すること、ペットを持ちこむこと
・無断で商業用の撮影・行為をすること
・その他、教育園・ビジターセンターの保全・管理・運営のさまたげになる行為をすること
 (横須賀市自然・人文博物館)
今回は天神島も歩こうと思っていたので、 せめて入口付近だけでも写そうと、柵の前まで行ってみました。 教育園ということで、園内には自然に関する解説板が各所に設置されているようです。 沖の方に浮かぶ笠島は、うみねこ等の繁殖地になっているのだそうです。
(島内の様子は「天神島」, 「天神島」を参照)
お知らせ
指定遊泳場ではございませんので、ビーチパラソル及びレジャー用品の使用設置はお断りします。 釣やモリの持ち込みは出来ません。 自然教育園内での動植物の採捕は出来ません。 笠島には許可なく上陸は出来ません。 ペットは堅くお断りします。
 (教育園管理者)
神奈川県指定天然記念物 天神島・笠島および周辺水域
横須賀市佐島の天神島および笠島周辺は、三浦半島を代表する動植物が分布しており、 また地質学上でもきわめて重要なところです。 天神島は周囲1キロメートルたらずの小島でハマユウの群落、およびハマボウがみられ、 その分布は植物地理学上、日本の北限となっています。 またこの島に生育する海岸植物の総数は146種にも及びますが、 このように種類、数のまとまったところは他地区ではみられません。 となりの笠島は天神島と同じ凝灰岩からできている小島で変化に富んだ岩礁をかたちづくり、 各種の海産動物の生息水域に囲まれています。 この地域は、動物・植物・地質学上の豊富な資料が狭い範囲に調和をみせており、 その景観とともにたいへん貴重な地域です。
 (神奈川県教育委員会)
臨海自然教育園の手前を道なりに左へ曲がっていくと、森の際に吉野秀雄の文学碑がありました。
吉野秀雄の文学碑
この島を北限とせる浜木綿の 身を寄せ合ふがごとき茂りよ
草質といへど逞し浜おもと 佐島の磯にいのち根づきし
昭和29年7月の下旬に、吉野秀雄は横須賀に住む知人から「佐島のハマユウが咲き出したらしい」との連絡を受けて、 ここ天神島を訪れた。 その日、秀雄は鎌倉の家から逗子に出て、芦名行きの臨時バスに乗っている。 初めは満員であった客も、森戸・一色・長者ヶ崎や久留和・秋谷などの海水浴場でだんだんに減り、 終点の芦名で降りたのは、秀雄ただ一人であったという。 碑の歌は、この時に読まれたもので、昭和33年10月に「寒蝉集」と新編「晴陰集」を収録して出版された 「吉野秀雄歌集」に収められている。 秀雄は明治35年7月、群馬県高崎市に生まれた。 大正11年慶応義塾大学経済学部に進むが、13年喀血して帰郷、長年にわたる療養生活がここに始まった。 そしてこのころから、子規・左千夫以下のアララギ派歌人の歌集を読み、 作歌を志すなど、国文学を独修することになる。 昭和6年鎌倉に転居し、8年にはかねてから私淑していた会津八一に初めて会っている。 秀雄は生涯病気と闘いながらも、自らの信念に基づいて作歌し続け、ついには独自の歌風を打ちたてた。 歌集は前記のほかに「天井凝視」「苔径集」「早梅集」、没後出版の「含紅集」があり、 他に歌論集「短歌とは何か」、随筆集「やはらかな心」などの著述もある。 昭和42年7月、鎌倉市小町の自宅で逝去、生前こよなく愛した瑞泉寺に眠る。
 (横須賀市)
天満宮
文学碑の脇から森の中へ参道が続いていて、その先には天満宮があります。 以前に来た時には小さめの社が建っていたのですが、この時には取り壊されてなくなっていました。 「天満宮」と刻まれた石碑と石燈籠が残されているだけでしたが、建て直しをするのでしょうか。 手前には解説文などが貼り出してあったので、その一部を載せておきます。
(後日に訪ねてみると、新しい社が建っていました)
天神様がお出になった頃
天神様は菅原道真様  現在、この天神島に御鎮座される天神社は、学問の神様菅原道真公を祭神にしてお祀りしています。 境内に天満宮と彫られた社号の石碑があります。 これは、道真様の神号「天満大自在天神」にちなみます。 古来より地元佐島の皆さんをはじめ、多くの人に信仰されてきました。 そのいわれを紐といてみましょう。
鎮座は15世紀  天神社の縁起書が伝わっています。 それを読むと、15世紀の初め、宮家の流れを引く佐々木道人なる方が、神仏を深く信仰され、 特に九条家の守本尊であった天神様を崇敬されていました。 ある時、関東にお出になり、霊地の嶋(天神島)を見つけ、ここに御神体を安置したことに始まります。 その後、多くの方がお社を盛り立てました。 当時は神仏習合の時代ですから、神社には管理するお寺があり、西岸寺(最岸寺)が別当になりました。
徳川家康と天神社  戦国時代には既に栄えた佐島地区・・から、天正19年(1591)には、江戸城の城主となった徳川家康から、 お米の量にして2石(360リットル)分の年貢を免除してお社にあたえました。 この時、朱印状といって、格式の高い神社や寺院にのみ与えられる公文書をもらいました。 お米の量としては少ないのですが、実際には土地ではなく、 この天神島から得られたいろいろな収穫物のお金が与たえられました。 いま、このお社が鎮座するこの島は、天神様のお供え物だったのです。
文学碑の先には天神島ビジターセンターがありますが、 先ほどの天神島臨海自然教育園と同様に休館日で閉まっていました。 隣りには佐島マリーナもありますが、今回は手前にある東屋でひと休みしていくだけに留めました。 漁港側の岸には「係留禁止」の看板が出ていましたが、釣りボートなどが何艘も係留されていました。
係留禁止
船舶を公共施設である漁港のフェンスや、護岸を使用して係留することはできませんので、 この前面水域に係留しないようお願いします。
 (漁港管理者 横須賀市)
天神橋を渡って道路まで引き返してきて、海に浮かぶ笠島を眺めながら進んでいきます。 沖には箱根から伊豆にかけての山並が連なっていました。 道なりに右へ曲がって進んでいくと道路が濡れていました。 水を撒いた訳ではないだろうしと思っていると、 この時には波が高めだったので、一部が堤防を越えて道路まで来たようでした。 堤防から海辺に降りて行かれる階段があったので、ちょいと出てみましたが、 岸には白波が打ち寄せていて、降りて行けそうにはありませんでした。
魚貝藻類の採捕を禁ず
ジェットスキー禁止
 (横須賀警察署、大楠漁業協同組合)
沿道には湘南サニーサイドマリーナや芦名マリーナがあって、 大きなヨットやクルーザーなどが沢山陸揚げされていました。 いくらほどするのだろうかと思いながら、小市民には縁の薄いそれらを過ぎていくと、 芦名川芦名橋が架かっています。 今回はこの橋の手前から右手に続く道を進んでいくのですが、 その前に左手にある漁港や神社などを訪ねていくことにしました。
横須賀市漁港区域内放置禁止区域図
放置禁止区域の指定  下図の区域(図中 黄色部分)は横須賀市告示第148号により、 平成15年8月1日から自動車及び漁船以外の船舶の放置を禁止しております。 (漁港漁場整備法第39条第5項第2号による) なお、違反者には30万円以下の罰金が科せられるます(同法第46条による)
 (横須賀市)
芦名橋を渡っていくと、左の海沿いに分かれていく道があります。 その道を進んでいくと、すぐの所に「十二所神社」と刻まれた石柱が立っています。 先ずはこの十二所神社を訪ねていくことにしました。 僅かに登り坂になった路地へ入っていくと、 民家の石垣に「芦名マリン・リゾート発祥の地」の銘板が取り付けられていました。
芦名マリン・リゾート発祥の地
相模湾から富士山を望める、この場所には、関東大震災まで網元の井本家が居を構えていた。 太平洋戦争終了後まもなく、横浜の時計商・臼井和助翁が土地を借受け、 別荘を建て漁船を備えて、この地の豊かな漁場で釣りを楽しんだ。 近くの横須賀の米海軍将校の瀟酒な住宅やボートハウスと共に、 今日の芦名マリン・リゾートの先駆けであった。 半世紀以上前の事を知る人も僅かになった現在、これを記念してこの銘を記します。
 (2003年初春吉日)
十二所神社
路地を真っ直ぐに進んでいくと、道が二俣に分かれている角に鳥居が立っています。 鳥居をくぐってその少し先にある石段を登っていくと、 森に抱かれるようにして十二所神社がありました。 本殿と拝殿から成る社殿になっていて、本殿の屋根には5本の鰹木が乗り内削ぎの千木が聳えていました。 右手にも社があって、鈴を鳴らす紅白の紐が5本垂らされていました。 社の中には白木の祠がありましたが、一番左側には神輿が安置されているようでした。 社殿の左手には赤い屋根の小祠があり、その奥には石祠が幾つか並んでいました。
横須賀風物百選 十二所神社
明治初期の頃までは、三浦十二天、または十二天明神と呼ばれていました。 祭神は、天地創造の神話に登場する天の神国常立尊から七世代、地の神天照大神から五世代の神々です。 神社の確実な創建年代については不明です。 現在の大楠小学校門前に城山と言われている台地があり、そこに三浦大介義明の弟三郎為清の館があったと伝えられ、 その鎮守として祭られたのがこの神社であると言われています。 また、一説には、この神社の裏山から、平安時代末期の布目瓦が出土しており、 すでに相当規模の集落をなしていたことが明らかになっております。 当神社のいわれに「平安時代には十二天といわれ」とあることがうなずけます。 いずれにしても、古い歴史をもった神社であることがうかがえます。 寿永元年(1182)8月、源頼朝は、妻政子の安産祈願のため、箱根権現や伊豆山権現など 近国の十二社に特使を派遣しました。 この神社も、その一社に選ばれました。 源平合戦一の谷で勇名をとどろかせた三浦大介義明の子佐原十郎義連が、頼朝に代わって参詣をしています。 天正19年(1591)11月には、徳川家康から社領として朱印二石の寄進を受けています。 更に、文政2年(1819)3月13日には、会津藩主松平容衆の代理として郡奉行石沢義則が、 盛大に祭りを行ったことが記録として残っています。
大楠漁港
海沿いの道まで引き返してその先へ進んでいきます。 「淡島神社入口」の看板が立つ右手への道を見送っていくと大楠漁港があります。 防波堤で囲まれた港には漁船が沢山係留されていました。
注意
この地域でのアワビ・サザエ・トコブシなど貝類、海藻類は絶対にとらないこと。 (法令により禁止されています) 注意に従わない人は警察に通報します。
違反者は法律によって処罰されますので厳重に注意して下さい。
 (横須賀警察署、大楠漁業協同組合)
漁協の建物を過ぎていくと舗装路は終わって、その先は磯になっています。 入江まで行ってその先の丘を越えていくと秋谷漁港方面へ出られますが、 以前にも歩いているし、この時には潮が満ちていて波も高かったので、歩くのは止めておきました。
(この先の磯辺の道は「天神島」を参照)
淡島神社
大楠漁港から引き返してきて、手前にあった淡島神社への路地を進んでいきます。 階段状の道を進んでいくと鳥居が立っています。 その先に続く石段を登っていくと、鳥居の先に淡島神社の社殿がありました。 朱色に塗られた華やいだ社殿になっていました。 境内の左側には「猿田彦大神」と刻まれた石碑がありました。
横須賀風物百選 淡島神社の祭礼
「あわせてください淡島様よ、お礼参りは二人づれ。」と、底抜け柄杓の柄に麻を結んで奉納する祭礼は、 桃の節句の三月三日に行われます。 この地方の祭りの始まりです。 現在、市内で行われている祭りのうちでも、最も古くからの民間信仰をよく伝えている行事の一つで、 民俗資料としても貴重な存在です。 この神社の創建年代は不明ですが、恐らく隣接する十二所神社と同じころの平安後期ではないかといわれています。 祭神は、少彦名命で、体は小さく敏しょうで、忍耐力に優れ、 大国主命と協力して国土の経営にあたり、人々や家畜のために医薬やまじないを行った神としてあがめられています。 当社の淡島明神は、和歌山市の加太神社のみ霊をここに迎えて祭ったものです。 淡島明神は天照大神の妹で、住吉明神のきさきとなった神でしたが、 「こしけ」の病気があるために離縁となり、綾の巻物と神楽の太鼓を天の岩船に積み込んで 紀州の淡島(粟島)に流されました。 その地で、女であるがために腰の痛みの苦悩から人々を救うことを誓って神になりました。 底抜け柄杓に麻を結んで奉納するしきたりは、病の救済信仰によるもので、 それが、安産、縁結び信仰に結びついたものといえます。
龍宮社
社殿の右側へ道が続いていて、道沿いの金網には 「十二所神社・帯解地蔵 海岸道へ行けます」の小さな標識が取り付けられています。 それに従って右手の道を進んでいくと、すぐの所の一段高い所に龍宮社がありました。 狭い境内からは大楠漁港を見下ろすことが出来ました。
帯解地蔵尊
龍宮社を後にしてその先へ降っていきます。 民家の脇を過ぎて傾斜が緩やかになってくると、T字路の角に帯解地蔵尊がありました。 中を覗ってみると、帯と思われる赤い布や千羽鶴が掛けられていました。 正面には道標が立っていて、左手の道は「十二所神社」、今来た道は「淡島神社・帯解地蔵」となっています。 左手の坂道の途中から右へ分かれていく石段を登っていくと、先ほどの十二所神社の境内に出られますが、 右手の道から海沿いの道へ戻っていきました。
女の身を わけて情を かけ帯の むすぶちかひは さんのひもとく
芦名橋まで引き返してきて、橋を渡ったすぐ左手に続く坂道を登っていきます。 家庭料理店を過ぎていくと、右手から道が合流してきます。 そこに石祠があって、前には朱塗りの小さな鳥居が立っていました。 その道を併せて緩やかになった道を石垣沿いに進んでいくと道が二手に分かれています。 角に立つ電柱には「芦名一丁目14」の住所表記と「スクールゾーン」の標識が取り付けられています。 その分岐を左手へと進んでいきます。 畑などを眺めながら集落の中の道を進んでいくと、程なくして登り坂になってきます。 坂を登り切って降っていくと、道が右手へ分かれていきます。 その道を見送っていくと、芦名川に架かる小さな橋戸橋を渡っていきます。
芦名(あしな)バス停
橋戸橋を渡って坂を登っていくと、少しずれた十字路があります。 道なりに右手へ曲がって、山際に続く坂道を登っていきます。 傾斜が緩やかになってきた道を進んでいくと国道134号(西海岸通)に出ます。 そこを左折して250mほど進んていくと大楠小学校入口交差点があります。 そこの横断歩道を渡ったすぐの所に芦名バス停があります。
逗子駅(JR横須賀線)まで25分、1時間に4本から5本程度の便があります。