曽我丘陵
散策:2010年12月上旬
【低山ハイク】 曽我丘陵
概 要 曽我丘陵は国府津駅から北西に伸びる御殿場線の東側に続く低い丘陵です。 丘の上からは、相模湾・伊豆半島・箱根連山・富士山・丹沢山塊などが広がる素晴らしい展望が得られます。 今回はミカン畑が続く南西斜面から丘陵にある浅間山へ登っていきます。 浅間山からは赤田地区へ降り、鴨沢地区から雑色地区へ向かっていきます。
起 点 小田原市 下曽我駅
終 点 中井町 比奈窪バス停
ルート 下曽我駅…農道…天津神社…山道…農道…尾根道…浅間山…仙元塔…赤田分岐…阿彌陀堂…赤田地区…大綱院…八幡社…大井松田カートランド…鴨沢地区…柄沢口バス停…大泉寺…雑色地区…玄張寺…上庭道祖神…雑色横穴群…比奈窪バス停
所要時間 3時間40分
歩いて... 曽我丘陵の縦走路に出るまでは、概ねは小型車が通っていけるだけの幅のある農道になっていますが、 かなり傾斜があって、この季節にしては珍しく汗をかきました。 一部に山道もありましたが、道は明瞭に続いていました。 この時は空気が澄んでいて、丘陵からは箱根の山々や冠雪した富士山などを望むことが出来ました。
関連メモ 雑色の里, 八国見山, 曽我丘陵, 曽我丘陵
コース紹介
下曽我(しもそが)駅
下曽我駅(JR御殿場線)から歩いていきます。
駅舎を出た右手に「周辺案内図」があります。 先ずはこの図に載っている天津神社へ向かって、駅舎の斜め左前方へ続く道を進んでいきます。
駅舎の右前方へ進んでいくと原梅林や別所梅林があって、花の季節には大変に賑わう所です。
曽我梅林  別所梅林・原梅林・中河原梅林の総称で、本数約3万5千本。 毎年2月初旬から約1ヶ月の梅まつり期間は一般開放される。
流鏑馬  2月中旬、梅まつりの一環として原梅林で行われる。
宗我神社  宗我地区の総鎮守。毎年9月下旬に祭礼が行われる。
城前寺(傘焼まつり)  仇討ちで有名な曽我兄弟の墓がある。 毎年5月28日に仇討ちの故事にちなんで「傘まつり」が行われる。
瑞雲寺  曽我兄弟ゆかりの「力不動尊」、市天然記念物「モッコク」がある。 梅の時期も美しい。
上府中公園/小田原球場  野球場を中心に、スポーツ広場・多目的広場・親水広場など、レクレーション、散策などができる公園。
100mほど進んでいくと十字路があります。 角には道標が立っていて、正面の道は「中河原梅林・瑞雲寺」、左手の道は「中河原梅林(近道)」となっています。 十字路を直進して200mほど進んでいくと、県道72号の下曽我駅入口交差点に出ます。 正面の道の塀に道標が取り付けられていて、右手の道は「城前寺・宗我神社」、 左手の道は「中河原梅林・瑞雲寺」となっています。 交差点を直進していくとすぐに左右に通る道に出ますが、正面の小川沿いに続く細い路地へ入っていきます。 金網柵沿いに進んでいくと、左右に通る道に出ます。 正面にはコンクリート塀の民家があります。 そこを右折していくと僅かに登り坂になってきます。 生垣に沿って登っていくと十字路があります。 カーブミラーには道標が取り付けられていて、正面の道は「宗我神社」、 左手の道は「天津神社」、今来た道は「下曽我駅」となっています。 ここは道標に従って左折していきます。
農道
左へ曲がりながら坂道を登っていきます。 程なくして右手へ分かれていく道に入って、住宅が建ち並ぶ坂道を登っていきます。 道なりに左へ曲がりながら更に登っていくと、右手へ分かれていく道を見送っていきます。 民家が途切れて、笹竹と畑の青い網柵との間に続く農道を進んでいくと、左手が開けてきました。 駒ヶ岳・神山・二子山などの箱根の山々の手前には、明神ヶ岳などの外輪山が横たわっていました。 その右手には、急峻な金時山やお碗を伏せたような形の矢倉岳が頭を出していて、 その背後には冠雪した富士山が綺麗に見えていました。 左手の方には相模湾に突き出た真鶴半島も見えていました。
畑の中に続く道を登っていくと、左手に曲がっていく角から右手へ道が分かれていきます。 角には石仏などが幾つも並んでいました。 左手を見ると、伊豆半島から相模湾にかけての眺めが広がっていて、初島と思われる島影も見えていました。 右手の道は見送って道なりに左手へ曲がっていくと、すぐに道が二俣に分かれています。 その間に「天津神社」の扁額の架かる鳥居が立っていて、 脇には「十二天さんと呼ばれる天津神社」の標柱が立っています。 浅間山のある曽我丘陵の尾根へは右手の坂道を登っていくのですが、 その前に天津神社に立ち寄っていきました。
天津神社
鳥居をくぐっていくと、天津神社の境内になります。 下曽我駅から14分ほどで来られました。 右側には石祠や手水鉢などが並んでいて、左側にはパイプ椅子が置かれていました。 境内の奥に社殿があり、その裏手にはサイレン塔が立っていました。
天津神社
通称十二天さんと言われ、東方帝釈天・東南方火天・南方焔摩天・西南方羅殺天・西方水天・ 西北方風天・北方毘沙門天・東北方伊舎那天、 それに天地を守護する梵天・地天、更に日月星宿の守護神である日天・月天の十二天尊神を祭神とする。 旧相州曽我騎士村の平和と氏子の繁昌守護を祈念して造立された。 その創立の時期は定かではないが、旧家に残る三百余年前の古文書は 「社殿・神楽殿・石燈籠等を覆って、廻り三米高さ十五米もの松の古木二本、 その他多くの巨木がうっ蒼としてた」事を伝えている。 松の二株の根は戦争前迄この鳥居の上にあった。 氏子の崇敬頗る篤く、九月二十八日の祭典には、豪華な山車の運行、神こしの渡御等大変賑やかである。 平和・繁昌守護の神様なので、想い人のある場合に祈願すれば思いが遂げられると言われ、 参拝者は多い。 社地裏の十二天川は、四時水の絶える事がなく、多くの田畑を潤して来た。
天津神社の右側に続く坂道を登っていきます。 曽我丘陵の南西側の斜面とあって日当りが良いようで、斜面にはミカン畑が続いていました。 橙色の実が沢山生っていて、手入れ作業をしている人達も多く見かけました。 そんな斜面を右・左と曲がりながら登っていきます。 振り返ると箱根から伊豆にかけての山並や相模湾などを見渡せる所が何箇所かあります。 足を止めて景色を愛でながら登っていきます。 背の高い竹林の脇を過ぎて更に登っていくと、一段と眺めが良くなってきました。 富士山の手前にある矢倉岳が、先ほどよりも少し左へ寄っていました。
斜面に続く農道は簡易舗装されていて、小型車なら通って行けるだけの幅があります。 歩き易いのは良いのですが、晴天に加えてかなり傾斜のある道なので、次第に汗が滲んできました。 この季節にしては珍しくもタオルを取り出して、汗を拭きながら登っていきました。 朝方は寒かったので薄手の上着を羽織ってきたのですが、 暑くて我慢できなくなってきたので、途中で脱いでしまいました。 右上の畑へ続く道を分けて更に登っていきます。 天津神社から25分ほど登って、こんもりとした森の手前まで来ると、 森を右手から巻くようにして道が分かれていきます。 道標などは見かけませんでしたが、右手の道は見送って、正面に続く道を進んでいきます。
山道
坂道を更に登っていきます。 両側に続く石垣の間を過ぎていくと、森の手前で舗装路は終わりになります。 天津神社から29分ほどの所になります。 右手の石垣の上にも細い道が続いていましたが、明らかに畑への道のようです。 ここまで来たのに引き返すのは面白くないので、 尾根まで道が続いているか心配ではありましたが、正面の森の中に続く山道へ入っていきました。
銃猟禁止区域
 (神奈川県)
道の両側には笹竹やアオキなどが生い茂っていますが、 傾斜はほとんどなくて、緩やかで歩き易い道が続いていました。 2分ほど進んでいくと道端に廃車が放置されていました。 そこを過ぎていくと、竹林を掠めていきます。 先行きが不安になったりもしますが、次第に雑木林から植林地になってくると、 道幅が少し広がってきて明るい希望が出てきました。
農道
植林帯が終わると、再び草などが生えるようになってきました。 道を塞ぐ大きな倒木を乗り越えていくと電柱が見えてきました。 それに向かって真っ直ぐに進んでいくと、右手から登って来て正面へ続く広い農道に出ました。 山道に入ってから5分ほどで出られました。 道標類は見かけませんでしたが、手元の地図によると、 右手から来る道は、宗我神社や法輪寺の辺りから続く農道のようでした。 ここは正面へと続く広くて緩やかになった道を進んでいきます。
尾根に着いた頃にこの道へ入ってくる軽トラックを見かけたので、 右手の道の途中には今回のような山道はなくて、麓まで自動車で行かれるようでした。
尾根道
すぐに右手へ道が分かれていきますが、上の畑地へ続く道なので、見送っていきます。 程なくして右側には石垣が続くようになります。 1分半ほどで石垣が終わって、その先へ進んでいきます。 電柱の立つ僅かな高みを過ぎていくと、広くなった十字路に出ました。 農道に出てから3分ほど、天津神社から40分ほどで登って来られました。 左右に通る道は曽我丘陵を縦走する尾根道で、 右手の道の先には不動山があり、左手の道の先には浅間山があります。 正面の道を指す道標が立っていて「菅原神社」となっていました。 正面の道はすぐ先で二手に分かれていました。 また脇に立つ電柱には「梅の里『曽我丘陵』日だまりハイキング(六本松跡へ)」と書いた紙が取り付けられていて、 右手の道を指していました。 ここは浅間山を目指して左手へ進んでいきます。
(右手の道は「曽我丘陵」, 「曽我丘陵」を参照)
浅間山 (標高317m)
広い尾根道を緩やかに2分ほど登っていくと浅間山に着きます。 山とはいってもなだらかな尾根道になっていて、 道に沿って3つ並んでいる電波塔などがないと、うっかり通り過ぎてしまいそうな感じがします。 最初は左手に移動無線センターの「浅間山無線中継所」、 その次に貯水槽と思われる円筒形の設備を挟んで神奈川県内広域水道企業団の「浅間山無線中継局」、 最後は右手に電波塔がありましたが設備名などは確認できませんでした。 2番目の中継局の右側には道標が立っていて、 正面に続く道は「赤田配水池35分」、今来た道は「梅の里1時間45分」となっていて、 この場所は「無線中継所」となっていました。
浅間山無線中継局
この設備は皆様の大切な水道を制御するコンピューターのデータ通信をマイクロ電波で中継しています。 昨日に影響しますので、柵内への立入を禁止します。 異状があったら下記へ御知らせ下さい。
 (神奈川県内広域水道企業団浄水部施設課電機係)
仙元塔
3つ目の電波塔の右側の金網柵沿いに登って建物の裏手に出ると「仙元塔」がありました。 刻まれた文字や解説板によると、江戸時代末期に建立された富士講の塔のようです。 誤読しているかも知れませんが、 側面には「不動大明王」,「仙元大菩薩」,「小御嶽石尊」,「元治元甲子祀仲秋吉辰建之」と読める文字が刻まれていました。 仙元塔の脇には石仏もありました。 「羽黒山・湯殿山・月山」と刻まれた台座の上に胡座を組んで一心に念じる姿をしていました。
(電波塔の左側からも裏手に出られて、右側よりも少し歩き易くなっています)
仙元塔
ここは、小田原市と大井町に接する標高316mの浅間山で、ここに立てられている仙元塔は、 元治元年(1864)に建立されたものである。 塔は、高さ151cm、巾45cmで、四面それぞれ異なった書体で刻まれており、 これは当時、玉山という書家が数ヶ月を費やして書いたものを根府川の石工の手によって彫られたものである。 当時は、幕末の動乱期に当たり仙元信仰、すなわち富士講がこの地方一帯に、 いかに盛んであったかを伺い知ることができる。
 (中井町教育委員会)
解説板の左手から広い道が降っていますが以前に歩いているので、 今回は電波塔の建物の脇から尾根道に引き返してきました。 尾根道に戻って降っていくと、すぐに分岐があります。 角には道標が立っていて、右手の道は「至 中井町古怒田」、 今来た道は「至 小田原市梅の里」「菅原神社」となっています。 左手の道には何も示されてはいませんが、左手の道を進んで行きます。 左手へ曲がっていくとすぐに分岐があります。 脇に道標が立っていて、正面の道は「至 いこいの村」となっています。 左手の梅林の脇を降っていく道もありますが、道標が指す正面の広い尾根道を進んでいきます。
緩やかな尾根道を1分ほど進んでいくと、降りの傾斜が増してきます。 少しU字形に窪んだ坂道を左・右と曲がりながら降っていきます。 坂を降り切って緩やかになってくるとT字路があります。 仙元塔から4分ほどの所になります。 手前に立つ電柱には「赤田支R34 49」や「下曽我571 826 12」の標識が取付けられています。 左手の道は地形図に載っている実線の道で、県道72号へ降りて行かれますが、 今回は見送って、正面に続く尾根道を進んでいきます。
(左手の道は「曽我丘陵」を参照)
降り坂になってきた道を1分ほど進んでいくと右手が開けてきて、 畑地の向こうには丹沢の山並を見渡せる眺めが広がってきます。 丹沢大山から主脈にかけての稜線が綺麗に見えていました。 右手に分かれていく道を見送って、左手の山際に続く尾根道を更に進んでいきます。
丹沢の山並を眺めながら尾根道を降っていきます。 再び右手に分かれていく道を見送って更に降っていくと、 右手のミカン畑の向こうには、平塚方面と思われる街並みを遠望することが出来ました。 枝を広げた手前の樹木に邪魔されているのが少し残念ではあります。
背の高い生垣沿いに続く尾根道を緩やかに降っていくと、垣根の一部が開いていて、 その先の畑地へ道が続いていました。 そこへ入ってみると、畑の奥には箱根の山々や富士山を見渡せる眺めが広がっていました。 富士山の手前にある矢倉岳が、最初に見た時と比べてかなり左へ寄ってきていました。
赤田分岐
尾根道に戻ってその先へ進んでいくと分岐があります。 仙元塔から12分ほどの所になります。 道標類は見かけませんでしたが、左手の道はいこいの村へ続く尾根道で、 右手の道は地形図に載っている実線の道になります。 今回はここを右折して赤田地区へ降っていきます。
(左手の道は「曽我丘陵」を参照)
ミカン畑が続く坂道を降っていきます。 2分ほど降っていくと正面が開けてきて、丹沢大山から高取山方面の山並を見渡せるようになります。 農道は舗装されていて傾斜も緩やかなので、快適に降っていけます。 竹林の脇を過ぎて坂道を降っていくと、尾根から5分ほどで、右手から道が合流してきます。 その道を併せて、丹沢の山並を愛でながら、丘に広がる畑地に続く道を降っていきます。
農道を真っ直ぐに進んでいくとT字路があります。 地形に載っている実線の道が分岐している所になります。 手元の地図によると、右手の道は立花学園総合グラウンドへ続いているようですが、 ここは赤田地区へ向かって左手の道を進んでいきます。
右手の道をちょいと歩いてみました。 入口には大きなH鋼が置かれていて道幅が狭められていました。 何故だろうと思いながら竹林の脇を回り込むようにして降っていくと車止めゲートがあって、 「あぶないからはいってはいけません」の看板が取り付けられていました。
すぐの所から右手に未舗装路が分かれていますが見送っていきます。 右・左と曲がりながら降っていくと、僅かな谷筋に着きます。 道の両側にはガードレールが設置されていて、左側には工事柵も設置されていました。 何だろうと思って左右を覗いてみると、下には溜め池がありました。 左側から右側へ流れ落ちているようで、水音が響いていました。
阿彌陀堂
僅かな谷筋を過ぎて竹林や植林地の中に続く道を軽く登っていきます。 程なくして降るようになると、左手へ道が分かれていきます。 右手にも未舗装路があって十字路のようになっていました。 左手の高みの上に祠が見えたので、ちょいと立ち寄っていくことにしました。 坂道の途中から分かれて高みへ登っていくと、祠には「阿彌陀堂」の扁額が掲げられていました。 建てられてからあまり年月が経っていないのか、中を覗いてみると小綺麗になっていました。 祠の前には石塔などが幾つか並んでいましたが、謂れなどを記したものは見かけませんでした。
赤田地区
阿彌陀堂から引き返してその先へ降っていくと、すぐに左右に通る道路に出ました。 ここが赤田地区になるようです。 道の脇には双体の道祖神が二つと、丸まった石像などが佇んでいました。 尾根道の赤田分岐から20分ほどで降りて来られました。 地形図によると、赤田地区は幾つかの集落から成っているようで、 降り立ったここもその内のひとつになるようです。 右手へ広い道が続いていますが、遠回りになりそうに思えたので、 道路を横切った右側から正面に続く坂道を登っていきました。
道なりに左へ曲がりながら坂道を登っていきます。 右へ曲がって更に登っていくと丘の上に出ます。 丘の上は畑地になっていました。 振り返ると今登ってきた曽我丘陵が横たわっていて、浅間山の電波塔も見えていました。 墓地を過ぎていくと、左手から道が合流してきます。 その道を併せて左手へ曲がりながら丘を降っていくと、右手から道が合流してきます。 手元の地図によると、先ほど横断してきた道になるようです。
大綱院
坂道を真っ直ぐに降っていきます。 少し左へ曲がってガードレール沿いに降っていくと、民家が建ち並ぶようになります。 ここも赤田地区の集落のひとつになるようです。 道なりに右へ曲がった所で、右手から道が合流してきます。 その道を併せて進んでいくと、左右に通る道路に出ました。 正面には赤田上バス停がありました。 新松田駅(小田急小田原線)までの便があるのですが、本数は非常に少なく、日祝日は運休になっています。 右手すぐの所に大綱院があったので立ち寄っていきました。 短い石段を登ると、「曹洞宗」「大綱院」と刻まれた門柱が立っています。 境内へ入っていくと本堂がありました。 右手には庫裡と思われる建物があり、左手の広場は赤田自治会館がありました。
お寺まいりのすすめ十箇条 積徳
一、辺を過ぎて詣ずべし ただし寄道を要せず
二、暇をつくりて詣ずべし ただし無理を要せず
三、思いたてば詣ずべし ただし家業を欠くを要せず
四、迷あらば詣ずべし ただし望外を望むべからず
五、憂きわまって詣ずべし ただしすべてを委すべし
六、志たたば詣ずべし ただし加護と信ぜざるべからず
七、喜びありて詣ずべし ただしこれ信心のおかげなり
八、忌日命日に詣ずべし ただし自発的な心を持ってなり
九、招かれて詣ずべし これ願ってもなき好機なり
十、正法を求めんとして詣ずべし 人たるのつとめと心得べし
「人生の旅路」帰る時 来た時よりも 美しく
今なさざれば なす時はいつ 君なさざれば なす人はだれ
今なすべきなり 君なすべきなり 時は待たず 人もまた住く
八幡社
大綱院を出て左手へ進んでいくと、すぐの所に「八幡社」の扁額が掛る鳥居が立っています。 鳥居の先に続く石段を登っていくと、「八幡宮」の扁額が掛る門がありました。 お寺によくある仁王門のような形をしていて、両側は物入れになっているのか扉が付いていました。 脇には根元から幹が分かれている巨木が生えていました。 門を過ぎた正面に八幡社の社殿がありました。 赤田地区に降り立った所から13分ほどで着きました。 歴史がありそうな様子でしたが、由緒などを記したものは見かけませんでした。 右手には「浅間大菩薩」、左手には「庚申塔」と刻まれた石碑などもありました。 社殿の右側には、以前に使われていた神輿と思われるものが置かれていました。 昼時になったので、門に設置されている縁台に座って昼食タイムにしました。
八幡社から引き返して、道路を左手へ進んでいきます。 突き当たりのT字路を左折して坂道を緩やかに降っていくと、道が二手に分かれています。 角には赤田中バス停があります。 バス道路は左手の道になりますが、今回は右手の道を進んでいきます。 集落が終わって森の脇に続く道を降っていくと、程なくして竹林の脇を降るようになります。 左手へ登っていく道を見送ってガードレールが設置された坂道を降っていきます。 開けた所を過ぎていくと、道が二手に分かれています。 右手の道には車止めゲートが設置されていて、その先には立花学園大井総合グラウンドが見えていますが、 ここは左手の道へ入っていきます。 雑木林に続く緩やか道には落葉が積もり、頭上には色付いた樹木が被っていて良い雰囲気になっていました。
特定猟具使用禁止区域(銃)
 (神奈川県)
大井松田カートランド
ログハウスを過ぎて更に進んでいくと、コンクリート塀の上には生垣が続くようになります。 生垣沿いに進んでいくと、「OIMATSUDA KARTLAND」と書かれた門がありました。 そこから中へ入っていくと、大井松田カートランドがありました。 窓口などのような所は特になくて、自由に入って行けました。 この時には試合が行われていて、小型のカートがエンジン音を轟かせながら次々と出走していきました。 コースを何度か周回して勝敗を競っているようでした。 全長530m・幅員7〜8m・最大直線長110mのコースのようでした。 何だか楽しそうだったので、しばらく見物していきました。
コースについて、マナーのおねがい
1 時間を厳守する。
2 カートや服装は清潔にしておく。
3 オフィシャルや管理者の指示に従い、進行に協力する。
4 初心者や困っている人を助けてあげる。
5 無謀なドライビングをしない。
6 自己と他人の安全に心がける。
7 倉庫中に接触事故があった場合は必ず後で誤りにいく。
8 必ずパドック清掃して帰る。
鴨沢地区
カートランドを後にしてその先へ降っていきます。 竹林の脇を過ぎ、小屋などが建っている所を過ぎていきます。 駐車場を過ぎて更に降っていくと、右下には沢が流れるようになります。 沢から遠ざかっていくと、左手から坂道が降ってきます。 手元の地図によると、赤田地区の少し北にある丘を通ってきた道になるようです。 その道を併せて降っていくと県道77号に降り立ちました。 右手を流れる柄沢に架かる柄沢橋の先には鴨沢隧道の出入口が見えていました。 ここは中井町の鴨沢地区になるようです。 八幡社から28分ほどで降りて来られました。 車道を歩いても趣きに欠けようというものなので、少しでも雰囲気がいい道をと思って、 道路を横切って正面に続く道を進んでいきました。
柄沢口バス停
車道を横断してブロック塀沿いに進んでいきます。 赤い鳥居のあるレンガ塀の民家を過ぎていくと左右に通る道に出ます。 そこを右折していくと、すぐの所に柄沢口バス停があります。 二宮駅(JR東海道線)までの便がありますが、本数はごく僅かになっています。 時間が合えば乗っていけばいいのですが、この時にはバスが来るまでかなり時間がありました。 2.5kmほど先にある比奈窪バス停まで行くと30分に1本程度の便があることは知っていたので、 そこまで歩いて行くことにしました。
 土日曜 6:04 7:17 8:24 12:42 14:37 17:52
大泉寺
柄沢口バス停を過ぎていくと再び県道77号に出ます。 車道を左手へ進んでいくと鴨沢バス停があります。 逆方向の乗り場を過ぎていくと、左手を流れる中村川南下橋が架かっています。 橋を渡った左側に道標が立っていて、右手の道は「大泉寺」、今来た道は「鬼王段三郎の墓」となっています。 左手の道から来ると見える向きに板が取付けられていたので、 左手の道も散策ルートになっているように思えましたが、道標に従って右手へと進んでいきました。 中村川の左岸に続く土手道を進んでいくと、山際にお寺が見えてきました。 お寺へ続く道の入口まで来ると道標が立っていて、 左手の道は「大泉寺」、正面に続く道は「玄張寺」となっていました。 傍には中井町教育委員会が設置する石標があって「大泉寺」と刻まれていました。 脇にはブランコなどが設置された静かな鴨沢児童遊園地がありました。 道標に従って左折していくと、坂道を登った所に大泉寺の本堂がありました。 左手は墓地になっていました。 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでした。
雑色地区
元の土手道に戻って中村川沿いに進んでいきます。 数軒の民家を過ぎていくと田んぼが広がってきます。 蘖が伸びていて、一面が黄緑色に染まっていました。 この辺りから雑色地区になるようです。 左手への道を見送っていくと、 中井町教育委員会が設置する石標があって「鴨沢城址周辺」と刻まれていました。 解説文は載っていませんでしたが、この辺りに鴨沢城があったようです。 そのすぐ先で、左右に通るやまゆりラインに出ます。 右手の中村川には新雑色橋が架かっていて、左手の山際には雑色隧道の出入口がありました。 やまゆりラインを横切って、中村川の左岸に続く土手道を更に進んでいきます。
やまゆりラインは小田原市と中井町を繋ぐ延長11.3kmの広域農道です)
玄張寺
土手道を進んでいくと、中村川に青く塗られた橋が架かっています。 正面の道は行き止まりになっていますが、その先に玄張寺があるので往復してくることにしました。 河原に穂を出したススキの群落を眺めながら土手道を進んでいくと「玄張寺」の道標が立っています。 そこを過ぎて左手へ大きく曲がって登り始める所に 中井町教育委員会が設置する石標があって「玄張寺」と刻まれていました。 石標を過ぎて坂道を登っていくと、山際に玄張寺がありました。 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでした。 右手には建物がありました。 窓から中を覗いてみると、畳敷きの和室や台所がありましたが、 テーブルがひとつ置いてあるだけで空き家のようでした。 祭などを催す時の寺務所として使用される所なのでしょうか。
上庭道祖神
手前にあった青い橋まで引き返してきて、橋を渡って車道を左手へと進んでいきます。 中村川の支流が暗渠に入っていく所まで来ると、道の脇に双体の道祖神や三猿の浮き彫りのある石碑などがありまいた。 脇には中井町教育委員会が設置する石標があって「上庭道祖神」と刻まれていました。 脇には道標が立っていて、正面の道は「槐の木」となっていますが、 そのすぐ先から左手へ分かれていく路地に入っていきます。
民家が建ち並ぶ路地を進んでいくと中村川に出ます。 川には堰堤があって、流れ落ちる水音が周囲に響いていました。 そこを右折して右岸に続く土手道を進んでいきます。 川向こうに田んぼが広がるようになると、中村川に小さな橋が架かっています。 正面と右手にも道が続いていて十字路になっています。 橋の袂には道標が立っていて、右手の道は「槐の木」、左手の橋を渡っていく道は「雑色の横穴群」となっています。 正面の道は車道に出てしまうようなので、左手の橋を渡っていきます。 橋を渡った所にも道標が立っていて、右手の道は「雑色の横穴群」となっていました。
雑色横穴群
細い畦道のような所を過ぎて簡易舗装された広めの道になってくると、 道は左手へ曲がって、正面にあるこんもりとした高みへと続いています。 田んぼの中に続く広い道を進んでいくと、山際を軽く登るようになります。 左手から降ってくる道を併せて山際を進んでいくと、左手に戻るようにして登っていく土の道があります。 その道を登った所に「雑色横穴群」と題した解説板が設置されていました。 山際には横穴が幾つか開いていて、その中のひとつには真新しい祠が納められていて鳥居も立っていました。 解説板によると、横穴の入口は1m位の大きさですが、奥行きは5m以上、横幅は3m以上の広さがあるようです。 また中井町には、この雑色横穴群以外にも多くの横穴が分布しているようで、 その所在地を描いた「中井町横穴分布図」も載っていました。
雑色横穴群
ここには、18基もの横穴が延長200mにわたって点在している。 大きさも様々で、造りも中央部に段があるものや、二穴が連なっているものもあり、 町内にある他の横穴群とは異なっている。 この横穴群は、8世紀中頃から同末期にかけて、郷土の先人によって造られたものである。
 (中井町教育委員会)
雑色横穴群から手前の道に降りてその先へ進んでいくと、集落にある十字路に出ます。 角には道標が立っていて、正面の道は「諏訪神社」、右手の道は「資料館」、 左手の道は「秦翁寺」、今来た道は「雑色の横穴群」となっています。 そこを右折して、小川沿いに続く集落の中の道を進んでいきます。 サイロのある家を過ぎていくと、石垣の所に「庚申塔」や「地神社」と刻まれた石碑や石仏などが並んでいました。 双体の道祖神もありました。 その先には緑色の草がびっしりと生える土手がありました。 初冬の季節にしては珍しいと思いながら、草の香りなどを感じていきました。
携帯電話会社の鉄塔「CV中井比奈窪」の手前まで来ると、左右に通る道に出ます。 角には中井町消防団第三分団の器具置場があります。 正面には道標が立っていて、右手の道は「資料館」、今来た道は「秦翁寺」となっています。 道標に従って右折していくと県道77号に出ます。 そこを左折して中村川沿いに進んでくと、 中村川に流れ込む岩倉川松本橋が架かっています。 振り返ると、今回の散策を締め括るかのように、冠雪した富士山が頭を覗かせていました。
比奈窪(ひなくぼ)バス停
松本橋を渡っていくと、少し曲がった四叉路があります。 角には双体の道祖神が佇んでいました。 そこを左手へ進んでいくと、すぐの所に比奈窪バス停があります。 県道77号の柄沢橋の袂に出た所から55分ほどで到着しました。
二宮駅(JR東海道線)まで25分、1時間に2本程度の便があります。
国府津駅(JR東海道線)まで22分、夕方に1時間に1本程度の便があります。
秦野駅(小田急小田原線)まで21分〜30分、1時間に1本から2本程度の便があります。