湘南平
散策:2010年11月下旬
【低山ハイク】 湘南平
概 要 平塚と大磯の間のJR東海道線に沿って、標高200m足らずの低い丘陵が連なっています。 湘南平はその西端の山の上にあって、かつては千畳敷とも呼ばれていた広い場所になっています。 今回は高田公園から続く道の途中に出て湘南平へ登っていきます。 湘南平からは浅間山を経て北側の高根地区へ降っていきます。
起 点 大磯町 大磯駅
終 点 平塚市 下万田バス停
ルート 大磯駅…高田公園分岐…東小磯配水池…楊谷寺谷戸横穴群分岐…尾根道…湘南平…浅間山…浅間神社…西コース入口…東コース入口…東西コース合流…高根地区…岩戸分神社…高根地区…双体道祖神…下万田バス停
所要時間 2時間40分
歩いて... 浅間山から高麗山へ続く尾根から分かれて高根地区へ降る道は「浅間山ハイキングコース」になっていて、 東コースと西コースに分かれていました。 地図には載っていない道ですが、しっかりとして歩きやすく、途中にはベンチも設置されていました。 ハイキングコースとして安心して歩ける道になっていました。
関連メモ 大磯・高麗山のみち, 湘南平, 湘南平, 湘南平, 虎女が遊んだみち, 湘南平
コース紹介
大磯(おおいそ)駅
大磯駅(JR東海道線)から歩いていきます。
駅舎を出た左側に「大磯町全図」と題した案内板があります。 これから向かう湘南平への道が載っているので参考にしましょう。 高田公園から羽白山を経て湘南平へ向かう尾根道の途中に出る道になります。 その部分を切り出し、赤い点線でルートを示しておきます。 駅舎を出て左手へ進んでいくと、線路を跨いでいく陸橋が架かっています。 その橋を渡って線路の北側に降りていきます。
この歩道橋は、歩行者の通路です。 自転車やオートバイの放置は通行の障害となるため、一切禁止します。
 (大磯町、大磯警察署)
線路の北側に渡って右手(平塚駅方向)に進んでいきます。 少し左へ曲がりながら住宅が建ち並ぶ道を進んでいきます。 突きあたりを道なりに右折して山際に続く道を進んでいくと、左手へ分かれていく道があります。 角にはカーブミラーが設置されています。 その脇には「大磯 歴史と味の散歩道 明治のまちコース」の標識が立っていて、 左手の道は「湘南平1.4km」、今来た道は「大磯駅0.3km」となっています。 ここを左折して、ブロック塀と民家の間に続く坂道を登っていきます。
登るにつれて次第に傾斜が増してきます。 ブロック塀と路面との写真を撮って後で計算してみると、道の傾斜は18度以上あるようでした。 程なくして山際の石垣沿いを登るようになると竹林が現れます。 ヘアピンカーブを道なりに左へ曲がって坂道を更に登っていきます。 南側には住宅越しに相模湾が輝いていました。 少し傾斜が緩んで、右手の石垣沿いに進んで行くと、左右に通る道に出ました。 正面の土手には手製の道標が立っていて、右手の道は「湘南平」、 左手の道は「高田公園」となっています。 ここは道標に従って、右手に戻るようにして続く坂道を進んでいきます。
駅前にあった案内図では左手の道は少し先で行き止まりのようになっていましたが、 ここの道標によると、道は高田公園まで続いているようです。
山の方に登っていく階段や坂道を見送っていきます。 民家の脇を過ぎていくと、右手が開けてきて、相模湾を一望出来る眺めが広がります。 湘南の街並みに沿って海岸線が続き、平塚新港や茅ヶ崎漁港と思われる突堤が海に突き出ているのが見えました。 その沖には江ノ島や烏帽子岩が浮かび、奥には三浦半島も薄らと見えていました。
高田公園分岐
眺めが広がる所を過ぎていくと、登り傾斜が増してきます。 民家が点在する坂道を登っていくと、尾根にある十字路に着きました。 大磯駅から20分ほどで登って来られました。 左手の角には小祠があって、中には白い狐像が沢山並んでいました。 また「大磯町観光案内板」が設置されていましたが、文字が掠れていて読み難くなっていました。 道標類は見かけませんでしたが、湘南平へは右手の尾根道を進んでいきます。
左右に通る尾根道は高田公園から湘南平へと続く道で、高田公園から5分ほど登ってきた所になります。 正面の道は1分ほど進んだ所で二手に分かれていて、右側の道はこの尾根の西側の住宅地へ降りていき、 左手の道は高田公園への尾根道の途中に続いています。
イノシシ注意
広い尾根道を進んでいきます。 レンガの塀や壁の民家を過ぎていくと森の中へ入っていきます。 登り坂になってきた道を進んでいくと、高田公園分岐から1分ほどで僅かな高みに着きます。 中ほどにはマンホールの蓋があって「空気弁」と書かれていました。 この先の東小磯配水池と麓を繋ぐ水道管が埋設されているのでしょうか。 ここで道が二手に分かれています。 手前には標識が立っていて、左手へ降っていく道は「湘南平1.1lkm・高麗山2.0km」、 今来た道は「高田公園0.4km・大磯駅」となっています。 右手にも踏み跡が続いていますが、標識には何も示されてはいません。 ここは標識に従って左手へ降っていきます。
小さな火 "まさか"がおこす 山の火事
 (神奈川県)
広い尾根道を軽く降っていくと、程なくして緩やかになってきます。 ロープ柵が設置された緩やかな尾根道を進んでいくと、正面に登っていく横木の階段が現れます。 その左手から巻くようにして続く坂道も分かれています。 以前に歩いた記憶によれば、この上には東小磯配水池があって、いずれの道もそこに出ます。 前回は横木の階段を登っていったので、今回は少し遠回りになりますが、左手の坂道を進んでいきました。
東小磯配水池
高みを左手から巻くようにして続く坂道を登っていきます。 最初のうちは緩やかですが、次第に傾斜が増してきます。 岩が剥き出した所もあります。 そこを登り切って右手へ曲がっていくと、広くて緩やかな尾根道になります。 快適な道を進んでいくと、先ほど見送った横木の階段が右手から登ってきます。 合流地点の左側に東小磯配水池があります。 高田公園分岐から6分ほどの所になります。 円筒形をした緑色のタンクの周囲は金網柵が設置されています。 「配水池」ということは地下に水溜があるのでしょうか。 金網柵に沿って進んでいくと石柱が立つ配水池の入口がありますが、柵で閉ざされています。 柱には「神奈川県企業庁水道局」「東小磯配水池」の銘板が取り付けられていました。
東小磯配水池
耐食アルミ合金製(JIS A5083) 円筒2池形(中央仕切壁)
全容量 184立方メートル 有効容量 150立方メートル
H.W.L. 139,500 L.W.L. 136,500
平成12年3月竣工
神奈川県企業庁水道局二宮営業所
配水池を過ぎて、広くて緩やかな尾根道を1分半ほど進んでいくと、岩が頭を出す道になってきます。 そこから左へ折れ曲がって降っていきます。 降り始めると道が二手に分かれていますが、道標類は見かけません。 正面の道は比較的緩やかですが、右手の道はかなりの傾斜があってロープも設置されています。 何れの道もこのすぐ下で合流していますが、今回は右手の急坂を降っていきました。 どちらが本来のなのかはよく分かりませんが、右手の道は後から出来た近道のように思えました。
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。
 (神奈川県)
楊谷寺谷戸横穴群分岐
広い尾根道を進んでいくと、岩盤が剥き出した僅かな高みを過ぎていきます。 軽い登り降りはあるものの、歩き易い道が続きます。 やがて植林帯に入って降り傾斜が増してくると、鞍部にある分岐に着きます。 東小磯配水池から10分ほどの所で、手元の地形図では、破線の道が分かれている所になります。 角には標識が立っていて、正面の道は「湘南平0.4km・高麗山1.3km」、 右手に戻るようにして続く道は「楊谷寺谷戸横穴群0.2km・大磯駅」、 今来た道は「高田公園1.1km・大磯駅1.1km」となっています。 左手の2本の太い柱の間からも道が分かれていますが、標識には何も示されてはいません。 ここは道標に従って、正面の尾根道を進んでいきます。
(右手の道は「湘南平」、 左手の道は「湘南平」を参照)
正面の尾根道を進んでいくと、すぐに幅の広い横木の階段を登るようになります。 正面の尾根を左手から巻くようにして曲がりながら登っていきます。 1分ほど登っていくと階段は終わって緩やかな道になります。 道の谷側には丸太が設置されていて、止めているボルトには黄色いキャップが取り付けられていました。 歩きやすくなった道を緩やかに進んでいくと、楊谷寺谷戸横穴群から3分半ほどの所に崩落地がありました。 斜面には青いシートが被せられていて、鉄パイプに木板が渡された仮設の通路が設置されていました。
土砂崩れの措置として、単管パイプ等による仮設の通路を設置しましたので、 足元に気をつけて通行して下さい。 お気づきの点があれば、下記までご連絡ください。
 (大磯町役場 都市計画課)
尾根道
再び広くなった尾根道を進んでいくと、左へ曲がりながら登っていきます。 右へ折れ曲がってその先へ登っていくと、尾根の鞍部に登り着きました。 楊谷寺谷戸横穴群から7分ほど、大磯駅から46分ほどで登って来られました。 角には標識が立っていて、右手の道は「高麗山1.1km」、 左手の道は「湘南平0.2km」、今来た道は「高田公園1.3km・楊谷寺谷戸横穴群0.4km」となっています。 左右に通る尾根道は関東ふれあいの道「大磯・高麗山のみち」にもなっています。 脇に立つ道標によると、右手の道は「浅間山0.2km・高麗山1.0km」、 左手の道は「湘南平0.2km・大磯駅2.4km」となっています。 今回は浅間山の東側から北へ降っていくのですが、その前に湘南平まで往復してきます。
左手へ登っていくと、すぐにベンチがひとつ設置されています。 手前の樹木が邪魔をしていて眺めは良くありませんが、樹間から丹沢の山々が見えていました。 そこから左手へ曲がって岩が剥き出した所を登っていくと、 右手へ曲がって緩やかな道が続くようになります。 そのすぐの所から右側の尾根へ登っていく横木の階段があります。 角には関東ふれあいの道の道標が立っていて、右手の階段は「湘南平0.2km・大磯駅2.4km」、 今来た道は「浅間山0.2km・高麗山1.0km」となっています。 正面の道は何も示されていません。 脇には「高麗山公園(湘南平)見取図」と題した案内図がありますが、 掠れていてほとんど読めなくなっています。 関東ふれあいの道は右手の階段を登っていくのですが、その道は戻りに歩くとして、 先ずは正面に続く緩やかな道を進んでいきました。
右上にテレビ塔を眺めながら、斜面を横切るようにして進んでいきます。 この付近は公園になっているようで、下草が刈り取られてベンチなども設置されています。 程なくして現れる階段を登って右へ曲がっていくと平らな所に出ました。 正面の山際には小さな池がありました。 「蘇我十郎之硯水」と云うのだそうです。 周囲には赤い花を咲かせた椿や黄葉した樹木がありました。 右手の方にはテーブル・ベンチなどが幾つか設置されていて、その先には階段が見えていました。 先ほど分かれてきた右側の道へ続いていますが、左手に続く階段を更に登っていきます。
十郎五郎伝跡
五郎時政がこの山へ馬で馳せのぼり、馬のために水を求めて強く足を踏みつけると、 滾々と清水が湧き出た処という。 のち、兄の十郎祐成がこの水で文を書いたので、硯水の遺跡とも伝へ、 ここの水で手習いすると上達が早いと言われている。
 (平塚市観光協会)
湘南平 (標高181m)
幅の広い階段を1分ほど登って緩やかな道になってくると、右手に登っていく幅の広い階段が分かれていきます。 そのまま緩やかになった道を進んでいくと、レストハウスの脇へ続いていますが、 今回は右手の階段を登っていきました。 階段をひと登りすると、「千畳敷」とも云われる広い湘南平に着きます。 尾根道に出た所から6分ほどで到着しました。 湘南平は山の上とは思えないほどの広い場所になっています。 湘南平は「かながわの景勝50選」にも選ばれていて、少し先には五つの石柱で造られた碑も立っています。 また日本山岳会の先駆者の石碑と解説板もありました。
山を愛し 山を楽しみ 晩年平塚に住み 平塚で終った
日本山岳界に於ける先駆者 岡野金次郎翁を偲ぶ
 (平塚市長)
日本山岳会の先駆者 岡野金次郎
岡野金次郎は明治7年(1874)、現在の横浜市保土ヶ谷区で生まれました。 後に日本山岳会初代会長となる小島烏水とは、明治27年の徴兵検査で出会いました。 明治35年(1902)、岡野と小島は日本人登山家として始めて槍ヶ岳への登頂を果たしました。 その翌年、岡野らは自分たちより前に槍ヶ岳に登ったウォルター・ウェストン(日本アルプスの名付け親)と出会い、 日本にも山岳会をつくることを勧められます。 これが日本山岳会の設立につながりました。 昭和15年(1940)、平塚に移り住んだ岡野は、昭和20年の戦災に遭い、平塚を離れますが、 昭和28年には再び平塚に戻ります。 そして、昭和33年に亡くなるまで、平塚に住み続けました。 富士山が好きだった岡野は、散歩に出かけては平塚海岸や八幡山から富士山を眺めていたといわれます。
 (平塚市)
お願い
皆さんの公園です! お互いにルールを守って、楽しい、きれいな公園にしましょう。
次のことは許可が必要です。
1.露店商、行商、又は、募金等をすること。
2.利益を目的として写真、又は映画撮影をすること。
3.興業、展示会、又は集会等で独占して使用すること。
4.火気を使用すること。
次のことは禁止されています。
1.公園内の物をこわしたり、よごしたりすること。
2.木や、草花等を折ったり、取ったりすること。
3.鳥や動物等を捕まえたり、いじめたりすること。
4.はり紙、はり札、又は広告を掲示すること。
5.ゴミ、その他の汚物をすてること。
6.決まった場所以外に、車等を乗り入れること。
この公園で野球、ゴルフ等はできません。
 (平塚市)
先ずはテレビ塔に登ってみました。 階段を登っていくと中ほどに展望階があります。 周囲に眺めが広がる所ですが、更に階段を登っていくと上の展望階に着きます。 中階よりも良い眺めですが、周囲には金網が張り巡らされていて視界を遮っているのが残念です。 北側の丹沢の山々の山頂付近には雲が掛っていてはっきりとはしませんでした。 東側にはこれから向かう浅間山から高麗山にかけての山並みが続き、 その先には街並みや相模湾にかけての眺めが広がっています。 尾根に登ってくる途中で見えた港や江ノ島も良く見えていました。
以前には男女の名前を書いた鍵が金網にびっしりと取り付けられていました。 一度撤去されたのか、この時にはかなり少なくなっていましたが、 また取り付けられ始めているようでした。 鍵を取り付ける代りなのか、マジックやスプレーなどでかなり文字が書かれてもいました。
NHK平塚テレビ中継放送所
位置 平塚市万田字泡垂山970の66
空中線形式 双ループ2段2面(総合テレビ)、共用(教育テレビ)
送信チャンネル 33(総合テレビ)、29(教育テレビ)
送信出力 映像300W、音声75W
開局年月日 昭和53年3月3日
TVK平塚テレビ中継放送局
平塚テレビ中継放送局はテレビ神奈川放送局(鶴見送信所42ch)の電波を受信して 31chになおして再放送している中継放送局です。 ここから放送される電波は、三浦半島の相模湾沿岸藤沢市・茅ヶ崎市・平塚市・大磯町・二宮町等の周南地方 および相模原市・厚木市・伊勢原市・秦野市等の相模川沿岸をカバーしています。 ここの設備は完全自動化され無人で運用しています…のTVK…どうかこの施設を大事にし…下さい。 …(以下判読不可)
 (株式会社 テレビ神奈川)
テレビ塔から降りて湘南平の先へ進んでいくと、右手に「関東ふれあいの道」と題した案内板があって、 神奈川県内の17コースが紹介されています。 この湘南平が含まれる「大磯・高麗山のみち」の拡大図も載っています。 正面には展望台になっている高麗山公園レストハウスがあります。 1階はポーチ・エントランスホール・ショップ湘南平、2階は湘南平展望レストラン・風除室、 屋上は三段に分かれていて展望デッキ1・展望デッキ2・展望デッキ3があります。 最上階の展望デッキ3の床面は標高194.2mあるのだそうです。 富士山は見えるだろうかと期待しながら最上階まで登っていきました。
湘南平
湘南平は海抜181m。 古くは阿波多羅山(アワタラヤマ)と呼ばれ、江戸時代の末ごろから 千畳敷山と呼ばれ、桜の名所として著名であったが、 昭和16年以後高射砲陣地となり戦後はいたく荒廃した。 昭和32年、平塚市はこの地を自然公園とする計画をたて、 逐次施設を整備して今日に至った。 湘南平の名は、当時の市長戸川貞雄氏の選によるものである。
 (昭和44年秋 平塚市長)
戸川貞雄氏は1894年東京本郷に生まれ、厳父が台湾に勤務された関係上、 かの地の小学校を了へ、独り内地に戻って静岡県立静岡中学校から名古屋の第八高等学校独法科に入学、 次いで早稲田大学文学部英文科に転じてこれを卒業した。 在学中、岡田三郎・水谷まさる・吉田甲子太郎・浜田広介氏等と雑誌「地平線」を刊行し、 一時東京社に入社したが、まもなく作家に転じた。 夫人ます子さんと居を平塚に定めたのは1922年である。 処女作「轟く」は早稲田文学に載り、新潮社の新進作家叢書として刊行された。 また中村武羅夫氏等と雑誌「不同調」の同人として活躍し、許多の作品を発表した。 1941年には時局の認識を深めるため、文壇に「27日会」を組織してその会長に推された。 1955年平塚市長に当選し、2期の間鋭意地方自治に貢献し、 任期満了を機に惜しまれながら去り、講談社から「市長の椅子」を出版した。 政治評論家猪佐武氏は長男、作家菊村到氏は次男、長女あきら氏は今泉好弘氏の配である。
展望デッキからは正に360度の眺めが広がっています。 天候に恵まれると、北には丹沢山塊、西には箱根から伊豆半島にかけての山々や富士山、 南には小田原から大磯・平塚にかけての海岸、 東には江の島や三浦半島方面を見渡せる素晴しい眺めになります。 この時は先ず先ずの天気だったので、富士山が見えるだろうと期待していたのですが、 遠くには雲が架かっていて、富士山はおろか箱根の山々でさえも霞んでいました。 それでも、近くにある大磯の松並木・大磯港・金目川河口付近などは見えていました。 真鶴半島と思われる海に突き出した陸地も見えていました。 お昼にはまだ早い時刻でしたが、展望デッキから降りて、持参したオニギリなどを食べながら休憩していきました。
合せて35分ほどいた湘南平から浅間山へと向かっていきます。 テレビ塔の北側に続くツツジの回廊を降っていきます。 降り口には関東ふれあいの道の道標が立っていて、 正面の道は「浅間山0.3km・高麗山1.2km」、今来た道は「大磯駅2.2km・こゆるぎの浜2.5km」となっています。 ツツジの花の季節には綺麗な眺めになる横木の階段を降っていきます。 突きあたりまで降って右へ曲がっていくと尾根道に出ます。 そこから元来た坂道を降っていくと、先ほど登り着いた鞍部の分岐に戻ってきます。 そこから縦コンクリートの階段を登り返していきます。 かなり段差があって歩き難くなっています。 鉄パイプの手摺が設置されている所もありますが、それほど必要な感じではありません。
階段が終わって歩きやすくなった坂道を登っていくと、案内板などが設置された尾根に出ます。 関東ふれあいの道の道標が立っていて、右手の道は「高麗山0.9km・高来神社1.5km」、 今来た道は「湘南平0.3km・大磯駅2.5km」となっています。 隣りの案内板は「ハイキングコースガイド」になっていて、 「湘南平霧降り渓流のみち」と「虎女が遊んだみち」のコースが紹介されています。 この左手すぐの所が浅間山になります。
浅間山 (標高181.3m)
右手に続く尾根道を見送って左手の坂をひと登りすると広い所に出ます。 テーブル・ベンチの先には「浅間山 標高181.3m」の解説板が設置されています。 ここが浅間山になります。 湘南平から10分ほどで到着しました。 浅間神社や三角点もあって、ベンチが幾つか設置された広めの山頂部になっています。
浅間山 標高181.3m
浅間社  江戸時代、雲をぬいて天高くそびえる富士山を神とした浅間信仰が広まりました。 白い衣裳をまとい、口々に「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら登る。 六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意のことで、「六根清浄」が登山の精神であり、 富士山は信仰登山のあこがれでした。 しかし、富士登山は費用と日数がかかり、女人禁制でもあったため、 浅間社を富士山の見える高台や山頂にまつり、そこにお参りすることにより願いが富士山に通じると、 庶民の間にひろまり厚い信仰を集めました。 浅間社は木花佐久夜毘売命を主神とし、美しい富士山を桜の花にたとえた名前と伝えられ、 浅間社を祀った山であることから浅間山と呼ばれるようになりました。
 (環境省・神奈川県)
(2006年3月末現在で、一等三角点は全国に972個あり、この浅間山の三角点もその中の一つになります)
浅間神社
登り着いた右手のすぐ先に浅間神社が建っています。 金属製の鳥居の先に、小さな石の祠が柵に囲まれて鎮座しています。 脇には「浅間神社」と刻まれた石柱が立っていて、 前の花差しには緑色の葉を沢山付けた木の枝が入れてありました。 浅間神社の裏手には一等三角点がありますが、この時には三角点の整備が行われているようでした。 以前に来た時には三角点は四角い礎の上に石標が立つ形をしていたのですが、 数年前に整備し直されて、今では三角点の石標の周りは綺麗な板で囲まれていて、 中には土が入れられ、石標は僅かに頭を出すほどにまで埋っています。 石標の脇には「浅間山181.2m」と書かれた立て札も添えられていましたが、 何故だか、先ほどの解説板とは標高が0.1mだけ異なっています。 傍には「一等三角点 建設省国土地理院」の標識も立っています。 以前には三角点に関する解説板もあったのですが、老朽化したためか、数年前に撤去されたままになっています。 参考までにその時に見かけた解説板の内容を載せておきます。
浅間神社
高根共有林組合
昭和59年12月吉日 再詞再建
浅間山一等三角点と浅間神社
浅間山の名称は、浅間信仰−浅間社の尊信から賜わられたといわれている。 浅間社は富士山への信仰を母体とし、祭神は木花咲耶姫である。 この浅間山の浅間社は江戸後期に鎮座せられたと思われ、 流造りの形の石祠である。古来からおまつりしていたところ、 富士山の噴火などにより、農耕神の意味を持つ富士山信仰−浅間社の神徳に対し、 崇敬と祈願のため社を勧請したもので素朴な信仰である。
  浅間山一等三角点
  位置 東経139度18分15秒 北緯35度19分7秒
  標高 181.28m
  標高の名称 浅間山
全国的にわたる広い地域に統一した測量を行なうため、精密な天文測量により 経度・緯度及び方位を定め、一等三角点を原点とし、これにもとづいて、全国的な地図の 作成や地勢の調査その他各種の測量の重要な基準になっている。 戦前は視準のための三角塔があったが今はなく、石祠の傍に古びた標識石に、一等三角点と刻してあるにすぎない。 三角点について補足すると、丹沢山・浅間山・大島を三角形の 頂点とし、丹沢・浅間山の距離が判っているとき、丹沢と浅間山の 二つの角を測ると、丹沢・大島、浅間山・大島の距離を数学的に 求めることができる。このように、三角形の角のみを測ることによって 三角形の網を全国的に広げ、測量を進めていくことを三角測量という。 三角測量には基の長さが必要で、この長さは相模原基線であり、 この相模原基線を測量的に増幅したのが、浅間山一等三角点である。
 (平塚市)
西コース入口
高麗山へは手前の尾根道に戻って東へ進んでいくのですが、 今回は北側の高根地区へ続く道を降っていきます。 浅間神社の鳥居の右手から踏み跡程度の山道が尾根に続いています。 背丈の低い緑色の草が生い茂る尾根を進み始めると、 すぐに右手に並行する尾根道への道が分かれていきますが、見送っていきます。 僅かな高みを過ぎて降っていくと、道端にベンチがひとつありました。 そこを過ぎて更に降っていくと十字路があります。 浅間山から2分ほどの所になります。 右手の道のすぐ先には広い尾根道が通っています。 「湘南平付近で見られる野鳥たち」と題した案内板もありますが、ほとんど消えていて読めませんでした。 尾根道に出た所には手製の案内板「浅間山ハイキングコース」が設置されています。 ここから高根地区へ降るルートが図示されていますが、これもほとんど消えていて分かり難くなっていました。 以前に来た時にはもう少し見易くなっていて、 この十字路から左手へ降っていく道が「西コース」、 もう少し先から左手へ降っていく道が「東コース」となっていました。 西コースと東コースは下の方で合流してその先へ降っていく図になっています。 今回は東コースから降っていくべく、十字路を直進していきます。
浅間山ハイキングコース「西コース」
試しに西コースも歩いてみました。 ベンチを過ぎて緩やかに1分ほど降っていくと、アオキなどが生い茂る間に続く階段を降るようになります。 1分ほどで階段が終わると少し左へ曲がって降っていきます。 坂道を降っていくと、横木の階段を降りながら次第に右へ曲がっていきます。 緩やかになった道を斜面を横切るように進んでいくと、 道端にはコンクリ-ト製のしっかりとしたベンチがありました。 そこを過ぎて横木の階段をS字形に曲がりながら降っていきます。 階段が終わって緩やかになってきた道を進んでいくと、白いガードレールが設置された崩壊気味の所があります。 そこを過ぎていくと再びコンクリート製のベンチがあります。 そこから更に降っていくと、右手から降ってくる東コースと合流します。 尾根の十字路から9分ほどで合流地点に出ました。 道は明瞭でしっかりとして、ハイキングコースとしては十分な状態にあるように思えました。 (この時間は所要時間に含めず)
平塚高麗山 自然環境保全地域
この自然は、県民共通の貴重な財産として、子孫に伝えるかけがえのない宝物です。 草や木や、野生の動物を大切に。 ゴミは必ず持ち帰りましょう。
 (神奈川県)
十字路を直進していくと、1分もせずに尾根道に出ます。 出た所に「平塚高麗山 自然環境保全地域」の看板が立っています。 そこから広い尾根道を進んでいきます。 僅かな高みを越えて、岩盤が剥き出した坂道を降っていきます。 緩やかになってきた尾根道を進んでいくと、左手の高みへ登っていく道が分かれています。 先ほどの十字路から3分ほどの所になります。 このまま尾根道を進んでいっても東コースに入れるのですが、左手の山道へ入っていきます。
尾根道から分かれて、左手の高みに続く山道を軽く登っていきます。 円テーブル・ベンチを過ぎていくと、降り坂になってきます。 彼岸花が一面に植えられていて、「彼岸花群生地」の看板が出ています。 この時には花の季節は過ぎていて、青い茎や葉が残っているだけでした。 中ほどに続く道の両側には柵が設置されています。
彼岸花群生地
 (旭地区美化推進委員会)
東コース入口
彼岸花群生地を過ぎて、雰囲気のいい雑木林の尾根に続く山道を緩やかに降っていきます。 円テーブル・ベンチを過ぎて更に降っていくと、再び十字路があります。 西コース入口の十字路から5分ほどの所になります。 十字路の両側には円テーブル・ベンチが設置されています。 右手の道のすぐ先には広い尾根道が通っています。 尾根道に出た所には「浅間山」と題した案内図が設置されていますが、ほとんど消えていて、 何が書かれているのか分からない状態になっています。 尾根道に出た少し西側には、関東ふれあいの道の路傍サインが立っています。 尾根道に出る手前には円テーブル・ベンチが設置され、 その脇には先ほど見かけたのと同様の「浅間山ハイキングコース」の手製の案内板がありますが、 こちらもほとんど消えていて分からなくなっていました。 以前に来た時にはまだ見えましたが、この十字路を左手へ進んでいくのが「東コース」になります。 正面の道は1分ほどで尾根道に出ます。 今回はここを左折して、浅間山ハイキングコース東コースを降っていきます。
「浅間山ハイキングコース」の案内板は手製だったので、 公式に認められたハイキングコースなのかどうかは分かりませんでしたが、 道はしっかりとしていて歩きやすくなっていました。
高麗山自然環境保全地域
76ha。自然を大切に。 建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県湘南地区行政センター環境部、平塚市みどり公園課、大磯町都市整備課)
北側へ進み始めるとすぐに縦コンクリートの階段を降るようになりますが、 1分もせずに降り切って、緩やかな道になってきます。 アオキなどが生い茂る所を過ぎていくと、雑木林の斜面を横切るようにして緩やかな降り道が続きます。 尾根から3分ほど降っていくと、コンクリート製のベンチがひとつありました。 ハイキングコースとして整備されているように思えて、安心して降っていくことが出来ました。 そこを過ぎていくと、谷側にガードレールが設置されていまいた。 危険防止の目的なのでしょうが、それほど崩壊している様子でもありませんでした。 少し登ってその先へ降っていくと、再びガードレールが設置されている所がありました。 その少し先に、再びコンクリート製のベンチがひとつ設置されていました。 先ほどのベンチから3分ほどの所になります。
東西コース合流
僅かに剥き出した岩には苔が生えていたりもしました。 谷側にガードレールが続くようになった道を緩やかに降っていくと、左手から西コースが合流してきます。 尾根の十字路から7分ほど降って来た所になります。 角には「浅間山ハイキングコース」と題した手製の案内板が設置されていて、 左手から降ってくる道は「西コース」、今降って来た道は「東コース」となっていました。 この案内板はこれまでに見かけたのとは違って、はっきりと文字や図を見ることができました。 正面に続く道には何も示されてはいませんが、高根地区へは正面の道を更に降っていきます。
U字形に抉れた道を降っていきます。 道の中央部には石畳が続いていました。 程なくして傾斜が緩やかになってくると竹林になります。 馬の背のような所を過ぎていくと雑木林に変りますが、その先で再び竹林になってきます。 道は引続き広めでしっかりと続いていました。 竹林が終わって再びU字形に抉れた道を降るようになると分岐があります。 東西コースの合流地点から3分ほど降って来た所になります。 高根地区へは正面の道を降っていくのだろうとは思いながらも、 道が少し傾いていて頼りない様子でしたが、右手の道が気になったので、行く末を確かめてみることにしました。
高根地区
傾いた道を注意しながら登っていくと、道はすぐに右手へ曲がっていきます。 入口の頼りなさそうな様子から一転して、広めでなだらかな道が続いていました。 程なくして、左手の樹木が低くなって住宅などが見えるようになってきます。 最後にミカンの木の袂を過ぎていくと、住宅地にある畑の脇に降り立ちました。 先ほどの分岐から2分ほどで降りて来られました。 左手すぐの所が舗装路になっていました。 民家の住所表記によると、ここが平塚市の高根地区になるようです。 道は左手にもありましたが、正面のこんもりとした森を目指して進んでいきました。
岩戸分神社
住宅が建ち並ぶ舗装路を真っ直ぐに進んでいくとT字路に出ます。 そこを左折していくと、すぐの所にY字路があり、 その角の短い石段の上に、鳥居と「岩戸分神社」と刻まれた石柱があります。 鳥居をくぐって戻るようにして参道を進んでいくと、短い石段を登った先に岩戸分神社の社殿がありました。 この高根地区の鎮守で、戦国時代に小田原城主になった北条早雲が高麗山に砦を築いた跡とのことです。 右手には鐘楼があって、小振りの釣鐘が下がっていました。 社殿の周囲には石祠や「地神社」や「大日如来」と刻まれた石碑などが幾つかありました。
岩戸分神社の由緒その他について
何年頃社殿を建立して手力男命を祭神としたかは明でありませんが、 神佛混合時代に別當霊挌山龍福院の支配に属し、祭神を不動明王に祭り替えたることは、 鐘の記事に依って推測できる。 其の後、神佛分離に依り元の祭神に復したと言われている。
名 称 岩戸分神社
祭 神 手力男命
社 殿 建立年月日
寛永9年6月社殿改造、嘉永4年修繕、明治6年7月30日村社に列せられる
社殿坪数 奥宮 間口二間・奥行一間半、 拝殿 間口三間・奥行二間
境内坪数 110坪
神社内鐘楼にかけたる鐘は正徳3年9月鋳造、昭和18年戦争の為供出(現在のは代替品)
北條早雲がこの殿上に砦を築き、その守護神として永正8年(1511)建立される。 現在の社殿は大正12年の関東大震災で全壊し翌々年再建・現在に至るが、 屋根は平成14年に銅板に葺き替える。
高根地区
岩戸分神社からバス停へ向かっていってもいいのですが、 先ほどの分岐の行く末を確かようと思って、来た道を引き返していきました。 往復11分ほどで分岐まで引き返してきて、U字形に抉れた道をその先へと降っていきました。 1分ちょっと降っていくと、正面から来て左手へ曲がっていく舗装路の角に降り立ちました。 ここも先ほどと同様に高根地区になるようです。 脇に生える樹木には「サルに対する心得」が取り付けられていました。 この辺りには野猿が出没するようですが、今回は出遭いませんでした。 左手の道の先には民家が見えていましたが、ここは正面の坂道を降っていきます。
サルに対する心得
餌をやらない  人に慣れていない野ザルは餌を取る時に引っかいたり、噛みついたりすることがありますので危険です。 また、餌付けをすると人間を怖がらなくなり、野生に戻らずサルの繁殖の原因ともなります。 繁殖によって、農作物を荒らしたり、家に侵入するなどの被害が発生します。
近づかない  野生のサルはペットではありません。 むやみに近づくと襲われることがあります。 特に幼児などは危険です。
目を見つめない  目を見つめるとサルが威嚇されたと思い、人が視線をそらした時に襲われることがありますので、 目を見ないようにしましょう。
からかわない  サルをからかうことは止めましょう。 思わぬ行動をして事故になることがあります。
大声をださない  大声をだすことはサルを興奮させることになりますので止めましょう。
 (神奈川県湘南地区県政総合センター環境部、平塚市環境部環境政策課
坂道を真っ直ぐに1分半ほど降っていくとT字路に出ます。 正面に立つ電柱には「浅間山ハイキングコース」の案内が取り付けられていて、今来た道を指していました。 右手から来ると見える向きに取り付けられていたので、右手へと降っていきました。 民家の脇に続く坂道を左手に曲がりながら降っていくとT字路に出ました。 高根地区に降り立った所から3分ほどの所になります。 正面には祠があって、中には赤い前掛けをしたお地蔵さんが安置されていました。 祠の前にも数体の石仏などが並んでいました。 綺麗な花も手向けられていて、今も丁寧に祀られているようでした。 下万田バス停へは左手へ進んでいくのですが、このすぐ右手に双体道祖神があるので立ち寄っていきました。
双体道祖神
坂道を僅かに登っていくと分岐があります。 正面の坂道は先ほどの岩戸分神社へ続いていて、 左手の緩やかな道は「JAグループ神奈川 教育センター」の前を経て山下バス停へと続いています。 その角に双体道祖神や石祠や三猿を刻んだ石碑などが立っていました。 双体道祖神は二体とも合掌した僧の姿をしていて、江戸時代前期の作のようです。
双体道祖神
平塚市には約220基の道祖神石塔がありますが、そのなかでもっとも古いもので、 元禄8年(1695)の年号が彫られています。 双体というのは二体の像が並んでいることで、 この道祖神のような僧形合掌(そうぎょうがっしょう)像は江戸時代前期の特徴といえます。 江戸時代中期・後期になると像に男女の区別が生まれるとともに、 文字で道祖神と彫ったものが次第に増えていきます。 双体道祖神像は、関東地方から新潟県・長野県・山梨県・静岡県東部に見られるだけで、 しかも平塚市から秦野市・中井町にかけて江戸時代前期のものが集中しています。 道祖神はエセノカミとかサイノカミとも呼ばれ、集落の境や辻にまつられ、 疫病や悪神が進入するのを防ぐと考えられています。
 (平塚市観光協会)
双体道祖神から引き返してきて、先ほどのお地蔵さんを過ぎていきます。 程なくして、道の左側には暗渠から現れた水路が続くようになります。 手元の地図によると、高根川の源流になるようです。 民家が終わって、竹林と雑木林の間に続く道を進んでいきます。 左側にガードレールが続くようになると、左手に分かれていく道があります。 その道を見送って少し幅が広がってきた高根川沿いに進んでいくと、 道なりに右へ曲がっていく手前から右手へ分かれていく坂道があります。 手元の地図によると高根台病院へ続いているようでしたが、見送って川沿いの道を進んでいきます。
森を抜けていくと民家風のミュージックパブがありました。 そこを過ぎて民家が点在するようになった道を進んでいくと、高根川に架かる名もない橋を渡っていきます。 橋を渡って民家が建ち並ぶようになった道を進んでいくと、駐車場を過ぎた先で、左右に通る車道に出ました。 角には「JAグループ神奈川 教育センター」の看板が立っていて、今来た道を指していました。 車道を左手へ登っていくと湘南平へ続いていますが、ここはバス停に向かって右手へ進んでいきます。
下万田(しもまんだ)バス停
民家が建ち並ぶ車道を緩やかに降っていきます。 程なくして右手の上にある高根台病院への道が分かれていきますが見送っていきます。 少し左へ曲がりながら更に降っていくと高根交差点に出ます。 道路の向こう側に渡って右折していくと、数10m先の所に下万田バス停があります。 双体道祖神から14分ほどで到着しました。
平塚駅(JR東海道線)まで、[平33][平35][平36]平塚駅北口行きバスにて14分、 昼前後には1時間に2本程度、夕方には1時間に3本程度の便があります。