児童遊園地
散策:2010年11月中旬
【街角散策】 児童遊園地
概 要 児童遊園地は横浜市保土ヶ谷区にある風致公園です。 「遊園地」とは云っても遊戯設備などはなくて、自然がいっぱいの静かな公園です。 周辺には環境活動支援センターやこども植物園などがあります。 今回は境木地蔵尊や境木ふれあいの樹林などを訪ねてから、「ほどがや緑の軸」を通って児童遊園地へと向かっていきます。
起 点 横浜市 境木地蔵尊バス停
終 点 横浜市 児童遊園地入口バス停
ルート 境木地蔵尊バス停…境木地蔵尊…境木第一公園…境木ふれあいの樹林…境木立場跡…投込塚の碑…児童遊園地…環境活動支援センター…こども植物園…児童遊園地入口バス停
所要時間 2時間30分
歩いて... 児童遊園地には整備された散策路が巡っていて、雰囲気のいい森になっていました。 近隣の人たちの憩いの場所になっているようで、散歩やジョギングをしている人を多く見かけました。 園内の樹木が色づいていて綺麗な眺めでした。 花畑や梅林もあるので、花の季節に訪ねるのも良いようでした。
関連メモ 保土ヶ谷宿
コース紹介
境木地蔵尊(さかいぎじぞうそん)バス停
東戸塚駅(JR横須賀線)の東口から、[210]境木中学校前行きバス、[210]公務員住宅前行きバス, または,[210]東戸塚駅前行きバスにて6分、1時間に4本から5本程度の便があります。
バス停の傍には「武相国境之木」と題したモニュメントがあります。 ここは武蔵国と相模国の国境にあたる所で、旧東海道の保土ヶ谷宿と戸塚宿の境でもあり、 今では保土ヶ谷区と戸塚区の区境になっています。 モニュメントの台には武蔵国・相模国・武相国境・江戸湾・東海道・相模湾などを描いた図が載っていて、 「日本橋 九里九丁」,「京都 百十七里」となっていました。 台の側面には江戸日本橋から京都三条大橋まで続く宿場の名前が列挙されていました。 中央の木柱には、この先の道は「これより武蔵国保土ヶ谷宿一里」、 この手前の道は「これより相模国戸塚宿一里九丁」と書かれていました。 すぐ先に生える樹木には「旧東海道品濃一里塚」は右手の道である旨の標識が立っていました。 また、「歴史の道 東海道保土ヶ谷宿周辺散策案内図」も設置されていて、 東海道五拾三次之内「保土ヶ谷」や五十三次名所図会五「程ヶ谷 境木立場 鎌倉山遠望」の絵や、 文化3年(1806)の東海道分間絵図の保土ヶ谷宿の付近の絵も載っていました。
境木の由来
ここは武蔵国と相模国の国境で、江戸時代にはそのしるしとして傍示杭(ぼうじぐい)あるいは 境杭(さかいぐい)と呼ばれる木柱が建てられ、「境木」の名の由来になったと伝えられます。 またケヤキの大木があったとの説もあります。 この武相国境モニュメントは、ほどがや協働まちづくり工房が企画し、 保土ヶ谷在住の横浜マイスターにより制作されました。
 (保土ヶ谷区役所)
歴史の道 東海道保土ヶ谷宿周辺散策案内図
保土ヶ谷宿は慶長6年(1601)に宿駅・伝馬制度が定められると同時に設置され、 東海道五十三次、江戸から4番目の宿場町(1601年発足時は川崎宿と戸塚宿は未整備)として栄えました。 また、慶安元年(1648)を境に大改修がされ、道筋がかわりました。 初代歌川広重の浮世絵で有名な帷子橋(新町橋)もこのとき架けられましたが、 現在、古道の正確な道筋に関して諸説があり特定されていません。 この案内図では、本陣跡や寺社、石碑等当時の面影を伝えている史跡を中心に散策できるようご案内しています。 保土ヶ谷と保土ヶ谷宿の歴史を感じてみてください。
 (保土ヶ谷区役所)
境木地蔵尊
バス停の脇には境木地蔵尊があります。 両側に手摺の付いた石段を登っていくと、すぐに境内になります。 境内へ入って右手には石仏などが並んでいて、千羽鶴や草鞋などが沢山お供えされていました。 左手には手水舎があり、可愛い小僧さんの掲げる手先から水が流れ出ていました。 正面の一段高い所にお堂がありました。 「見光寺飛地境内」と刻まれた石碑もありました。 大きなケヤキも生えていて、袂には「境木大欅」と刻まれた石碑がありました。
保土ヶ谷観光名所 境木地蔵由来
ここ境木は武蔵相模の国境で、江戸時代にはそのしるしが建てられていて、 境木の地名はそれからおきたといわれています。 また境木は東海道中の難所であった権太坂を登りきった所にあり、 名物の牡丹餅を食べながら旅の疲れを休めることができて、大変賑わったとも伝えられています。 境木の名を有名にしたものは地蔵で、江戸の人達にも崇敬され、今でも境内に寄附された燈籠が残っています。 なおこの地蔵には次ぎのような珍しい伝承があります。 即ち、いつの頃か相模国鎌倉腰越の海辺に漂着した地蔵が土地の漁師の夢枕にたち、 「俺は江戸の方へ行きたい運んでくれたらこの海を守ろう」と告たので、 漁師達が江戸へ運ぶ途中、この境木で動かなくなった為、 村人達は地蔵を引き取りお堂を建てて安置したところ、それからは村が繁昌したということです。 地蔵堂の鐘は明治になって野毛山の時の鐘に使用され、 横浜市民に大正の大震災まで親しまれました。
 (岩間町 見光寺)
鐘楼(野毛山の時の鐘)
以前お堂の後ろに鐘楼(鐘は安永9年の銘)があり、此の境木の鐘は野毛山に移され「野毛山の時の鐘」として、 明治元年より大正12年9月1日まで親しまれ、同日、午前11時58分に起こった関東大震災まで、 横浜市民に時を知らせてくれました。
 (戸塚観光協会)
心ひとつで 運気は変る もうと嘆くな まだと踏んばれ
月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ 法然上人 御詠
境木第一公園
児童遊園地へは境木地蔵尊バス停から先へと進んでいくのですが、 手前の境木地蔵尊前交差点の北側に「境木ふれあいの樹林」があるので訪ねていきます。 ガス会社の境木町制圧器室の脇を過ぎて、森と住宅に挟まれた坂道を降っていきます。 傾斜が緩やかになってくると、左手に境木第一公園がありました。 広場の周囲に僅かな遊具などがあるだけの静かな公園です。 周囲の樹木が色づき始めていて、綺麗になっていました。
境木ふれあいの樹林
境木第一公園を道路向かいに境木ふれあいの樹林があります。 入口には「境木ふれあいの樹林」と題した案内図があるので参考にしましょう。 雑木林・竹林・広場などがある森になっているようです。 以前には「境木本町ふれあいの樹林」という名前だったのか、 解説板では「本町」の文字が消されて「境木本町ふれあいの樹林」となっていました。 脇には「緑の軸 散策案内図」もありました。 東戸塚駅方面から来て境木地蔵尊バス停を経て児童遊園地へ続く道のようでした。 今回は境木ふれあいの樹林を訪ねた後で、この道を歩いて児童遊園地へ向かうことにしました。
境木ふれあいの樹林
この樹林は、土地所有者のご好意により横浜市がお借りした樹林です。 ゴミ等は絶対に捨てないで下さい。 皆で、美しい樹林に育てましょう。
 (愛護会、横浜市緑政局緑政課)
ほどがや緑の軸
区西部の尾根筋に点在する緑を結んだ「ほどがや緑の軸」。 この「緑の軸」の散策路は、決して特別のハイキングコースではありません。 ごく普通の住宅地や畑のそばを通ります。 でも、貴重な緑やながめの良い場所があり、 思いもかけないところに”小さな自然”や”四季の香り”といった、 ふだん見落としがちな何かを見つけることができます。 あなたも「緑の軸」を歩いてみませんか。
 (出典:横浜市ホームページより抜粋)
横浜市のホームページには散策マップが載っています。 西谷駅-笹山ルート(約2.1km)、 西谷駅-西谷浄水場ルート(約2.8km)、 西谷浄水場-今井橋ルート(約2.9km)、 東戸塚駅-今井橋ルート(約2.5km)、 東戸塚駅-英連邦墓地ルート(約3.7km) などがあるようで、 今回の児童遊園地へ続く道は「東戸塚駅-英連邦墓地ルート」になります。
樹林へ入っていくと、手前と先の方の二箇所に横木の階段があります。 いずれも森の尾根へ続いていますが、今回は右手から階段を登っていきました。 擬木の階段を登っていくと程なくして坂道になります。 左へ曲がりながら登っていくと、この森の一番高い所と思われる小広くなった尾根に着きました。 左手には赤く塗られた鳥居があって、その先に小振りの社がありました。 名前は分かりませんでしたが、中を覗ってみると、白木の小祠が安置されていました。 白い稲荷像が沢山納められていたので稲荷社でしょうか。
尾根は左右に続いていますが、右手へと進んでいきました。 広い尾根を進んでいくと、左手に降っていく横木の階段があります。 この先には先ほど訪ねた境木地蔵尊のお堂が見えていましたが、金網柵が設置されています。 金網柵に沿って右手へ道が続いていましたが、 少し先まで行くと崖になっていて、そこで行き止まりになっていました。
植林された森に続く擬木の階段を降っていくと、広場の奥に降り立ちました。 林の中を進んでいくとテントがひとつ設置されていました。 その先には広場があって、イチョウの大木が綺麗に黄葉していました。 未舗装の道路を挟んだ向かい側にも広場が続いていて、脇にはちょっとした畑がありました。 広場にはオオバコやクローバーが沢山生えていました。 四つ葉のクローバーはないかと探してみましたが、薄幸の私には見つけられませんでした。
手前の森に沿って左手へ進んでいくと、道端に作業小屋のようなものが建っています。 階段などはないかと左側の森の際を探っていると、登っていく坂道がありました。 その坂道を登っていくと、左右に通る尾根に出ました。 左手へ軽く登った所には、先ほどの赤い鳥居や社が見えていました。 傍まで行って先ほどの社であることを確認してから引き返し、 右手へ僅かに降った所から始まる横木の階段を降っていきました。 階段を降り終えると、最初の入口に戻ってきました。
境木立場跡
境木地蔵尊バス停まで引き返してその先へ進み始めると、すぐの所の左手に立派な門がありました。 その道路向かいの大きな樹木の袂には「歴史の道 境木立場跡」の解説板が立っていました。 「東海道五拾三次保土ヶ谷」や「横浜往古絵巻」なども載っていました。 ここでは「牡丹もち」が有名だったようで、東海道五拾三次名所名物図会にも描かれているようでした。
歴史の道 境木立場跡
立場茶屋  宿場と宿場の間に、馬子や人足の休息のためなどに設けられたのが立場です。 中でもここ、境木の立場は権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続くなか、 見晴らしの良い高台で、西に富士、東に江戸湾を望む景観がすばらしく、旅人が必ず足をとめる名所でした。 また、茶屋で出す「牡丹餅」は境木立場の名物として広く知られており、たいへん賑わったということです。 「保土ヶ谷区郷土史(昭和13年刊)」によると、 こうした境木の立場茶屋のなかでも特に若林家には明治中期まで黒塗りの馬乗門や本陣さながらの構えの建物がったとされ、 参勤交代の大名までもが利用していたと伝えられています。
 (保土ヶ谷区役所)
投込塚の碑
境木立場跡を過ぎて旧東海道を進んでいきます。 境木小学校の脇を進んでいくと、左手に分かれていく道があります。 その入口には境木中学校前バス停があります。 手前には「歴史の道 旧東海道」の道標が立っていて、 正面の道は「投込塚の碑160m」、左手に分かれていく道は「権太坂」、 今来た道は「境木立場跡170m・境木地蔵尊200m」となっています。 旧東海道は左手の道へ入って、江戸から上方へ上る旅人が初めて出会う難所だった権太坂へ続いていますが、 今回は先ほどの「緑の軸」に沿って、正面の道を進んでいきます。 境木中学校を過ぎて降り坂になってくる道を進んでいくと、 集合住宅の脇の樹木に囲まれた一角に投込塚の碑がありました。 中央には「投込塚之跡」と刻まれた真新しい御影石の石碑があり、 その両側には馬頭観世音の石碑などがありました。 前には綺麗な花束がお供えされていて、地域の人々に大切にされているようでした。
投込塚之跡
此の地は権太坂投込塚と称し、旧東海道品濃坂につぐ難所であって、 往時旅人の行倒れせし者多く、之を埋葬せる処也。 偶々当地区開発に当り多数の白骨を発掘、現在平戸町東福寺境内にて再埋葬供養碑を建て、 之が菩提を弔ひ在者也。  昭和三十九年四月建之
左右の道は見送って車道を道なりに真っ直ぐ降っていきます。 正面に背の高い煙突を眺めながら坂道を降っていくと、国道1号の権太坂上交差点に出ます。 その右側に架かる狩場町第二歩道橋を渡って車道に降りると、 脇に「ここは緑の軸散策路です」の標柱が立っています。 標柱に従って左手へ進んでいきます。 道端に佇む「交通殉職供養之塔」の先にある資源循環局入口交差点を左折し、 その先の狩場第一トンネルを抜けていきます。 昭和52年に竣工したトンネルで、延長164.5m、幅員7.0mとのことです。 入口には車止め柵がありますが、この時には開いていました。 「関係車両以外進入禁止」の看板が出ていますが、歩行者に関する看板は見かけませんでした。
保土ヶ谷工場敷地内歩行者、狩場緑風荘・保土ヶ谷プールへの送迎車両等通行について
保土ヶ谷工場は横浜市の中心に位置する工場として、昭和55年の開設以来今日に至るまで、 約30年間ごみ焼却炉の安定稼働を続けてまいりました。 G30計画の着実な成果により、市内全域においてごみ量が減少したことを受け、 平成22年3月末日をもって一時休止することになりました。 4月からは、家庭ごみ収集の中継施設として新たな役割を果たしていくことになります。 つきましては、3月29日(月)から工場敷地の管理体制の変更や防犯対策のため、 門扉の開閉時間を「月曜日〜土曜日7:00〜19:00開、日曜日終日閉」としますのでお知らせします。 なお、今後は狩場緑風荘・保土ヶ谷プールへの送迎車両等は、 工場敷地内通行から変更し、横浜横須賀道路(永田北方面)ガード下からの通行へ変更となります。 皆様のご協力をお願いいたします。
 (2010.3.15 保土ヶ谷工場安全衛生委員会)
狩場緑風荘は横浜市の老人福祉センターで、指定管理者によって運営されています。
照明灯が設置されたトンネル内には、鉄柵で仕切られた歩道が続き、安全に歩いていけるようになっていました。 トンネルを抜けていくと、右側の塀の一部が開いていて、そこから降っていく石段があります。 入口には「児童遊園地入口」や「緑の軸」の看板が立っていて、 児童遊園地へはその石段を降るように示しています。 正面には狩場第二トンネルが見えていますが、右手のこの石段を降っていきます。
児童遊園地
石段を降っていくと、すぐに広場に降り立ちます。 脇には「緑の軸 ここは児童遊園地です」の標識が立っていて、 右手の道は「農と緑のふれあいセンター・こども植物園・英連邦墓地」、 今降って来た階段は「JR東戸塚駅・境木地蔵」となっています。 ここが児童遊園地の北側の入口になるようで、 左手の高架の先には「横浜市児童遊園地」と刻まれた石碑がありました。 横浜市ホームページによると、昭和4年10月に開園した風致公園で、14haほどの広さがあるようです。 案内図はないかと辺りを見回してみましたが、見かけませんでした。 公園は右手に続いていますが散策路が幾つもあって、どの道を進んでいけばいいのか迷ってしましました。 他の入口には案内板があったので、ここにも是非設置しておいて欲しいものです。
ヨコハマはG30 お花見で来園されたみなさまへ
他の来園者の迷惑にならないよう、花見のゴミは責任を持って、持ち帰っていただくようお願い申し上げます。
 (環境活動支援センター長)
広域避難場所 横浜市児童遊園地
お願い  地震のときの火災は、想像以上に恐ろしいものです。 大火災から、私達の生命を守る場所、それが広域避難場所です。 「横浜市児童遊園地」は広域避難場所として土地所有者の御協力を得て指定したものです。 避難訓練等の際には次のことがらを守って下さい。
1.非常の場合以外は農地、山林には入らないで下さい。
2.避難訓練等の際は土地所有者の承認を得て下さい。
3.ゴミや空缶を捨てたり、汚さないようにしましょう。
 (横浜市)
横浜市児童遊園地
学制50周年事業として大正11年から設置運動が始まり、 当時の小学生が10銭ずつ出し合ったお金を基に買収を行い整備を開始しました。 震災による工事の一時中断後、震災復興事業により運動場、大芝生広場、プールなどが完成、 戦前は格好の遠足地として親しまれたそうです。 しかし戦後の接収により英連邦軍の戦没者墓地に永久使用が決定、 つまり、現在の英連邦墓地の場所が最初の児童遊園地でした。 その後、昭和32年から代替施設の整備が行われ、隣接地を買収、今の形となりました。 昭和55年に環境事業局(現在の資源循環局)の保土ケ谷工場が建てられると共に、 園内に25m温水プール(保土ヶ谷プール:保土ヶ谷公園プールとは別施設)が設置され、 年間を通して多くの人々に利用されています。 この辺りは、他に環境活動支援センターやこども植物園など多様な施設が集まっており、 市内でも貴重な憩いの場となっています。
 (出典:横浜市ホームページより抜粋)
右手の道を軽く登っていくと、森の中に広がる空間がありました。 中ほどは背丈の低い草地になっていて、周囲を土の部分が取り巻いていました。 広域避難場所の看板に載っている地図では「運動広場」となっていますが、 この先で見かけた案内板では「お弁当広場」となっていました。 広場の周囲には、ユッタリステップ・ツイストスツール・脚のばしステーション・ペアけんすい・ 背伸ばしチェアなどの標識が立っていて簡単な解説文も載っていましたが、 それらに対応する設備は見かけませんでした。 右手の林には「開港150周年の森」の標柱が立っていて、 ロープ柵で囲まれた一角に、4年ほど前に種蒔きされたドングリの苗木が育っていました。
150万本植樹行動 みんなのどんぐり育成中!
ここのドングリの木々は、こども達により植樹され平成20年11月3日「開港150周年の森」に命名されました。 市民から寄せられたドングリを、平成18年11月3日幼稚園のこども達の手によって種まきを行ったものです。
 (横浜市環境創造局環境活動支援センター)
広場の奥へ進んでいくとがありました。 脇では釣糸を垂らしている人たちも見かけました。 ここで道が二手に分かれていました。 まだ案内図を見かけていなくて、どちらへ進んだものかと考えても分からないので、 とりあえず池の左側沿いの道を進んでいきました。
守ろう!大切な自然
水辺の生き物が安心して暮らせるように、次のことはしないで下さい。
・柵の内側んは入らない。動植物を保護しています。水深が深く危険です。
・魚やアヒルを池に放さない。他の生き物がくらせなくなります。
・投げ釣り、ルアーの使用はしない。
池の奥へ進んでいくと、小さな谷筋は葦などが生える湿地になっていて、 竹柵が設置されて雰囲気の良い板張りの橋が架けられていました。 周囲の樹木が紅葉していて、いい眺めでした。 橋を渡って谷の向こう側へ渡り、幅の広い横木の階段を登っていきます。
擬木の階段を登っていくと、左右に通る舗装路に出ました。 脇には「保土ヶ谷プール」の標識が立っていて左手の道を指していましたが、右手へと進んでいきました。 軽く坂道を登っていくと、雑木などが茂る尾根を進むようになります。 清々しい季節とあって、散歩したりジョギングをする人たちを多く見かけました。 道端の背の高い樹木が綺麗に黄葉している所を過ぎていくと、 山際に「皇太子殿下御降誕記念植樹」と刻んだ石柱が立っていました。 「皇太子」とは云ってもいつの皇太子かと思っていると、 側面には「昭和九年十一月三日植栽」と刻まれていたので、今上天皇のことのようでした。
右下の広場などを眺めながら進んでいくと、竹柵が右手から登ってきて正面へと続いています。 右手へ降っていく道を分けて柵沿いに進んでいくと、柵の向こう側には梅林が続いていました。 早春には綺麗な花で一杯になるのでしょうが、この時は花の季節ではなくて閑散としていました。 途中で柵が開いていて、竹製のベンチが設置された観梅所がありました。 花の季節にはさぞ素晴しい眺めになるのだろうと思います。
観梅所を過ぎて竹柵に沿って更に進んでいくと、竹製の屋根が付いた門がありました。 そこから梅林に降りて行かれるようでしたが、先ずは見送って、正面へと更に進んでいきました。
坂道を緩やかに登っていくと車道に出ました。 手元の地図によると「遊園地道路」というようです。 右手は駐車場になっていました。 ここに児童遊園地の案内図があるので参考にしましょう。 この付近には児童遊園地・環境活動支援センター・こども植物園・英連邦墓地などが集まっていて、 この児童遊園地は一点鎖線で囲んだ範囲になるようでした。 公園に入ってから初めて見る案内図だったので、 これまで歩いてきた道を確認すると共に、これからどの道を歩こうかと考えながら眺めていきました。 車道に出た左手すぐの所にこども植物園があるようですが、先ずは環境活動支援センターを訪ね、 そこから児童遊園地の中ほどを経てこども植物園へ向かうルートを考えてみました。
公園の樹林について
この公園に植えられている樹木は、 緑豊かな街づくりと緑化思想の普及啓蒙のために実施された人生記念樹が基になっています。 この記念樹は、次の皆様の方のご協力により植えられました。 立派な樹林になるよう守り育てましょう。
 (横浜市緑政局)
駐車場の右側に続く舗装路を進んでいくと、右手には竹林が続いていました。 先ほどの案内図によると、児童遊園地と環境活動支援センターの境界に続く道のようです。 竹林が終わると右手へ降っていく階段が分かれていきますが見送っていきます。 軽く登ってから降り坂になってきます。 緩やかになった所まで降っていくと、左右に階段が分かれています。 右下には児童遊園地の小広場がありますが、左上が環境活動支援センターなので、 左手に続く幅の広い階段を登っていきました。
お願い
当センターへ来所の折は、管理運営及び危険防止のため次の点を厳守するようにご協力ください。
・当センター内は、犬等を放さないでください。
・当センター内では、ボール投げ等その他危険な遊戯をしないこと。
・当センター業務関係以外の車両(自転車、オートバイを含む)は乗り入れないこと。
・火災防止のため歩行中の喫煙はしないこと。
・花壇や植込み等の中に立ち入らないこと。
・この他当センターの利用および管理に支障のある行為をしないこと。
 (環境活動支援センター)
環境活動支援センター
階段を登り切ると舗装路に出ます。 登り着いた脇には道標が立っていて、右手の道は「実習展示場」、左手の道は「ハーブガーデン」、 今登ってきた階段は「保土ヶ谷プール」「狩場緑風荘」「児童遊園地」となっています。 正面には環境活動支援センター本館があります。 右手の道の少し先に「環境活動支援センター」と題した案内図があるので参考にしましょう。 こども植物園も載っていますが、環境活動支援センターの一部になるのでしょうか。 散策路が幾つもあるようですが、先ずは右手へと進んでいきました。
児童遊園地への道を分けて軽く登っていきます。 送電線の鉄塔「弘明寺線No.4」の袂を過ぎていくと降り坂になってきます。 「余熱利用施設」と書かれた導水管のようなものをくぐっていくと、右手には温室が沢山並んでいました。 先ほどの案内図によると園芸栽培温室というようです。 左手の先には特徴的な形と色をした実習展示場がありますが、 その手前から戻るようにして左手へ分かれていく道に入っていきました。 入口には「休憩所」の標識が立っていて、その道を指していました。
緑化センターでは横浜市の農業振興施策に基づき、野菜、花、果樹、植木の生産振興を図るため、 栽培技術の改善、試験調査、優良種苗の増殖配布、並びに農家の生産技術に関する指導を行っています。
成長点培養の技術によりイチゴ等の無病苗を増殖して農家に配布し、生産振興を図っています。
緑化センターで育成したクンシラン等優良種苗を増殖し園芸の振興を図っています。
養液耕栽培の施設(2号温室)ではトマト等の栽培試験を行い、 ヨコハマでの養液耕栽培に適した品種の選定を行っています。
緩やかな舗装路を進んでいきます。 少し降り気味になって山際を進むようになると、休憩所がありました。 入口の標識に書かれていた所になるようです。 ベンチも設置されていてひと休みしていくのには良い所でした。 右手の畑の奥には先ほどの実習展示場が見えていました。
休憩所の脇から降っていく石段を見送って、緩やかな舗装路を進んでいきます。 右下にある藤棚などを眺めながら山際に続く道を進んでいくと、右手から登ってくる階段が合流してきます。 その階段を合わせて更に進んでいくと左右に通る道に出ました。 そこを左折して坂道を登っていくと、右側には研修圃場がありました。 その先にはレンガ塀の設置されたイングリッシュガーデンもありました。 左側には大温室がありますが、この時には入口にロープ柵が設置されていて立入禁止のようでした。 脇にある樹木が見事に紅葉していて綺麗な眺めでした。
横浜市市民農業大学講座の修了生「農体験リーダー」のフォローアップ研修圃場
技術の向上と共通の活動拠点として、 農体験リーダーの有志で作る自主活動組織「横浜農と緑の会"はま農業"」の会員が 支援センターの指導の下で管理運営をしています。
大温室を過ぎていくと、広い階段を登ってきた先ほどの本館の前に戻ってきました。 そこから右手へ続く舗装路を進んでいきました。 すぐの所に芝地になった広場がありました。 道端では穂を出したススキが陽を浴びて煌めいていました。 広場の先の方には僅かばかりの田んぼがあり、切り株から蘖が伸びていました。 竹で組んだ稲木もあったので、刈り取った稲を干すのに使ったのでしょう。
広場の先へ進んでいくと、右手の高みへ登っていく道が分かれています。 高みの上にはしっかりとした東屋が建っていました。 脇には小さな池もあって、親子連れが何やら捕って遊んでいました。 東屋を抜けてその先へ降っていくと、駐車場の脇に出ました。 ここにも先ほどと同様の児童遊園地の「案内図」がありました。 このまま駐車場の左脇に続く道を進んでいくと元の車道の所に出てしまうので、 手前から右下にあるハーブガーデンへ降りていきました。
階段を降ってなだらかな所に立つと、もう一段低い所にハーブガーデンがありました。 各ハーブには名札が立てられていましたが、花の季節ではないので、ほとんど咲いてはいませんでした。
ハーブガーデン
おいしい野菜も便利な薬もなかった昔のこと、人々は野山から香りのよい草を見つけ、 あるいはそれが肉などの味をよくすることを知り、 また偶然に病気やけがをなおして人を元気にする植物を発見しました。 こうした植物を、ヨーロッパの人たちは他の植物と区別してハーブと呼んでいたのです。 ハーブとは薬草・山菜・香草・スパイスなど、生活に役立つさまざまな植物をさす言葉なのです。 いろいろなハーブを集め、鑑賞しながら収穫ができるように作られたのがハーブガーデンの起こりです。 ただ見るだけではなく、葉を指でこするなどして香りも楽しんで下さい。 そして、人と植物の長いつきあいに思いを馳せてはいかがでしょうか。
一段高い所へ戻っていくと、「ビュイレバロニーのボダイジュ」の解説板の設置された木がありました。 その先にある小屋の脇に続く道を進んでいきます。
ビュイレバロニーのボダイジュ
フランス革命200周年(1989)のシンボル樹に選ばれたボダイジュ、 その花はフランスの代表的なハーブティーになります。 1988年7月、ボダイジュの主産地、南フランス・ビュイレバロニーで毎年恒例のボダイジュの市が開かれ、 ハーブについて特に貢献のあった人に贈られるジュバリエ(騎士)の称号が、 横浜市在住のハーブ研究家・広田せい子氏(*)に日本人として初めて授与されました。 同氏がこのとき送った桜の苗木の返礼として、 1989年3月にビュレイバロニー殻送られてきた20本の苗木の1本がこの木です。
*「せい」は「」偏に「見」と書きます。
研修圃場を過ぎて大温室の前に戻ってきます。 本部の前を過ぎて、最初に登ってきた階段を降っていきます。 左右に通る道を過ぎて更に階段を降っていくと、児童遊園地の小広場に降り立ちます。 正面には黄葉したイチョウが綺麗な姿を見せていました。 広場を横切っていくと、左手のすぐ先には先ほどの池がありました。 ここは右手へと進んでいきました。 道にはイチョウの葉が落ちていて黄色く染まっていました。
道端には池へ流れ込む僅かな水の流れがありました。 黄色い絨毯の上を進んでいくと、開けた谷筋に出ました。 中ほどは花畑になっていて、この時には白色・桃色・赤紫などのコスモスが少し咲き残っていました。 脇にはベンチが沢山設置されていて、花を観賞しながらひと休みするのに良い所でした。 花の盛りの頃には綺麗な眺めになるのだろうと思います。
花畑の奥へ進んでいくと、正面に竹垣が現れます。 そこに竹製の屋根が付いた門があります。 門には「梅乃里」と書かれた表札が掲げられていました。 左手へ登っていくと、元の道に出てしまうので、門から梅林へ入っていきました。 梅林の中の散策路には木片チップが敷き詰められていて、ふわふわとした感触が心地良いのでした。 花の季節ではないので咲いていませんでしたが、 多くの梅の木が植えられていて、早春に訪ねてみたい所ではあります。
梅林の奥まで進んでいくと、道は左手へ曲がっていきます。 程なくして現れる手摺付きの横木の階段を登っていくと、竹製の屋根が付いた門があります。 公園の出口へ向かっていった途中にあった門になります。 そこから出て右手へ登っていくと、すぐの所から左の山へ登っていく横木の階段がありました。 同じ道を通っても趣がないので、その階段を登っていきました。
こども植物園
左へ曲がりながら登っていくと左右に通る尾根に出ました。 そこから右手へ更に登っていくと、送電線の鉄塔「弘明寺線No.6」が立っています。 その右手に続く広い道を進んでいくと車道(遊園地道路)のこども植物園前交差点に出ました。 横断歩道を渡った所がこども植物園の入口になります。 この時には菊花展が開かれているようでした。 門から入ると正面に「横浜市こども植物園」と題した案内図があるので参考にしましょう。 道が二俣に分かれていますが、右手の道を進んでいきました。
開園時間 午前9時から午後4時30分まで
休園日 第三月曜日(ただし、第三月曜日が祝日又は振替休日の場合は火曜日)
年末年始(12月29日から1月3日まで)
菊花展
とき…10月26日〜11月23日、ところ…池の前広場、協力…横浜菊花会
左手に曲がりながら坂道を降っていくと分岐があります。 右手へ降っていくと竹園シダ園などがあるようですが、 左手に入っていくと、事務所・図書館・展示研修室・緑の相談所などの建物がありました。 入口の看板に出ていた菊花展なのでしょう、建物の前にはテントが張られていて、 中には白・黄・赤紫など色とりどりの綺麗な大輪の花を咲かせた菊が展示されていました。
虹のプロムナード永田・六ッ川の丘ルート 魅力ポイント
横浜市こども植物園  こども植物園は、昭和54年(国際児童年)6月に開園しました。 こどもたちに、植物と接しながら、緑を守り育てる思いやりのある心を培ってもらいたいと思っています。
 (港区魅力づくり・ホット・みなみプロジェクト)
おねがい
ここは、みなさんの植物園です。 次のことを守って、植物となかよくしましょう。
1.植物は生きています。ぬいたり、きずつけたりしないでください。
2.ボール遊びはやめましょう。
3.花火、たき火などはきけんですからやらないでください。
4.ゴミは持ち帰りましょう。
5.他の人にめいわくをかけることはやめましょう。
 (横浜市)
建物の左手を進んでいくと、レンガ敷きになったバラ園がありました。 花の季節ではありませんでしたが、黄色や赤い花が少し咲いていました。 リュウノヒゲが植えられた中ほどの一角には、寄りそう姉妹の石像がありました。 上海市から送られた像なのだそうです。
バラ
バラの原種は北半球に広く分布し、世界に約150種あり、日本には約30種自生しています。 その栽培はふるく、紀元前2000年前のバビロニアの時代からといわれています。 そして、花を観賞するだけでなく、薬用や香料としても利用されました。 今でもブルガリアなどでは香料をとるために栽培されていますし、野生のバラの実は薬用に使われています。 特に観賞用のバラがもてはやされるようになったのは、18世紀に中国や日本のバラがヨーロッパにつたわり、 フランスやイギリスでさまざまに改良され、四季咲きや房咲きの系統が作出されてからです。 観賞用のバラは次のような系統に大別できます。 ハイブリッド・ティー(H.T)四季咲き大輪木バラ、 ミニチュア(Min.)小輪木バラ、 フロリハング(F.)四季咲き房咲き木バラ、 クライミング(Cl.)つるバラ
姉妹 上海市園林設計院彫刻制作室 三鏡初 作
この「姉妹」像は、1991年11月に上海市副市長をはじめとする代表団が横浜市に来られたとき、 本市からおくった消防車と給水車のお礼として「横浜市と上海市の友好都市交流」を記念し、 上海市からおくられたものです。
バラ園の奥へ進んでいくと、水色の藤棚のような所があり、その先にくだもの園があります。 右手にはブドウ、左手には柿が一面に植えられていました。 葉を落とした柿の木には色付いた実が沢山生っていました。
くだもの園
くだものとは、一般に多汁で甘みのある木や草の実のよびかたです。 そして、そのまま食べるだけでなく、乾燥させたりジュースやジャムなど河口して利用しています。 狩猟時代から、野生のくだものは大切な食料でした。 植物を栽培することを知った人間は、定住生活にうつるとともに、 おいしい実のなる木を家のまわりに植えたことでしょう。 そして、長い栽培の間に大きくおいしいものに改良したり、 文化の交流によって新しいくだものが栽培されるようになりました。 日本原産のくだものはかき、日本ナシなど少数で、 くだもの店で売られている多くは、世界各地から導入されて栽培されたものや、 輸入されたくだものといってよいでしょう。 くだもの園には、樹形・花・実のなっているようすを見られるよう、 カキ・ブドウ・カンキツ類・ウメなど、日本で多く生産されているくだものを栽培しています。
メンデルのブドウ(ブドウ科ブドウ属)
エンドウの交雑実験で遺伝の法則を発見したオーストリアの植物学者メンデルは、 ブドウでも交雑を計画し、何種類かのブドウの品種を修道院に植えていました。 1913年(大正2年)にメンデルゆかりの地を訪れた植物学者三好学博士(当時東大教授)は、 記念に庭のブドウの1枝をゆずり受け翌年の春に東京へ送ってもらいました。 小石川植物園では挿し木をし「メンデルのブドウ」として栽培してきました。 このブドウは、東京大学理学部付属植物園(小石川植物園)から寄贈されたものです。
 (1994年4月29日みどりの日)
日本人のくらしとカキ
枝もたわわに実ったカキのある風景は、日本の代表的な農山村の風景として、 人々の心にふるさとへの郷愁をさそうものがあります。 カキの実は干柿、菓子材料、冷菓(シャーベット)とするほか、 カキ渋やカキ酢の原料、皮は沢庵漬けの風味付け、ヘタはしゃっくりとめの薬として利用してきました。 また、葉はお茶やカキの葉ずしに利用し、材は建築用材や箸、ゴルフクラブのウッドなどに利用されています。 このように一種類の果樹が、人々の生活のなかで多方面に利用されるのはめずらしく、 それだけカキは、古くから日本人の生活と深くかかわっていたのです。
くだもの園の門の手前から左手に続く坂道を登っていきます。 民家の脇を過ぎて左へ曲がっていくと道が二俣に分かれていますが、いずれを進んでもすぐ先で合流します。 この辺りは広場風になっていて花木園というようです。 奥へ進んでいくと、「木原均博士 研究の地」と題して、 研究成果や経歴などを記したパネルが幾つも展示されていました。 世界で初めてゲノムの概念を定義し、ゲノム分析によって栽培コムギの祖先種を明らかにされた方のようです。 コムギ・スイバ・アサガオ・ヤマボウシなどに関する話が記されていましたが、詳細は省略します。
花木園
花の実、幹、枝、葉なおが美しい木を、ひろい意味で「花木(かぼく)」とよんでいます。 花木は、私たちの心をなごませ、四季のおとずれをつたえ、季節とともにある夢や想い出をあたえてくれます。 わが国では、むかしからとくに花のきれいな花木がこのまれ、 「万葉集」などにも数おおくの歌がのこっています。 また、江戸時代には花木の栽培がさかんになり、園芸品種もおおくつくられました。 日本を原産とする花木は、コブシやサクラなど世界にほこる美しいものがおおく、世界各地でしたしまれています。 花木園には、マンサクやコブシをはじめ、サクラ、ボタン、ツツジ、サルスベリ、キンモクセイ、サザンかなど、 身近で季節の指針となる花木や魅力ある樹木がうえられています。
遺伝学・進化学から博物学の世界へ 研究の木原均
高等植物の遺伝学・進化学の分野で数々の業績を残した。 倍数性植物の染色体行動に関する研究で、世界に先駆けて「ゲノム説」を確立。 ゲノムを「生物が個々の生活機能を営むための最小限の染色体組の単位」と定義することで、 21世紀の生命科学の基礎を築いた。 また、ゲノム分析法による栽培コムギの祖先種の解明、スイバによる高等植物の性染色体の発見、 三倍性を利用した種子なしスイカの作出で世に知られ、研究は広く博物学的領域に及んだ。
左手へ分かれて降っていく道を見送った先に薬草園がありました。 各々の薬草には薬効などを記した小さな名札が設置されていました。
薬草園
人間は、昔から飢えや病気、ケガとの戦いでした。 くすりの発見は、人々がまだ草や木、そして、それらの実を食べていた時代に 食べられるもの・毒のあるものが体験でわかり、ちょっとしたきっかけで見つかったものです。 そして、毒草も少しずつ使うと薬になることもわかりました。 今日では、有効成分を科学的に合成したりしていますが、作用が強かったり副作用が問題となり、 薬草が見なおされています。 この園では、薬草のほか、人間がよりよい生活をするために発見し利用してきた植物を集めています。 これら人間生活に深く結びついた植物を大切にしましょう。
繊維や染料になる植物
植物の茎、葉、実などから繊維をとり、生活に役立てることを人間は知恵で行ってきました。 衣類にするワタやアサ、紙の原料にするコウゾやミツマタ、畳表にするイなどたくさんあります。 また、糸や布などを染めるためにも植物が利用されてきました。 アカネ、ムラサキなどは根を、アイ、コブナグサなどは葉や茎を、またベニバナなどは花を使います。 植物を利用して染色するには手間がかかりますが、その色には深い味わいがあります。 便利な化学繊維や染料が多く利用されるようになってきていますが、 その反面、自然の原料が持つぬくもりが見直されています。
食生活をゆたかにする植物
こく類、マメ類、やさい、くだものなど、植物をたいせつな食べものとして、人間は大むかしから利用してきました。 さらに、食生活をゆたかなものにするため、手をくわえてさまざまな利用のしかたもしてきました。 トウガラシやサンショウなど香辛料(スパイス)にする植物、お茶やお酒など飲み物にする植物、 また砂糖の原料になるサトウキビ、油の原料になるゴマ、ツバキなど、 すがたをすっかりかえて利用される植物などもあります。
薬になる植物
人間は昔から体をじょうぶにしたり、病気やけがを治したりできる植物を経験のなかからみつけてきました。 これらは民間薬として世界中で利用され、特に中国では漢方医学が発達し、漢方薬として利用されてきました。 現在では薬としての効果が研究され医薬品の原料とするものも多くあります。 薬になる植物も使い方によっては毒になります。 特に作用のはげしい有毒植物もありますので注意しましょう。
滋養強壮:体をじょうぶにする
緩下:おだやかな排便作用
竣下:強い排便作用
利尿:尿の出をよくする
鎮痙:けいれんをしずめる
鎮静:気持ちをしずめる
消炎:炎症をおさえる
駆風:腸内のガスの排出をうながす
薬草園の奥へ進んでいくと、正面に金網柵が設置されていて、その先は畑になっていました。 右手には屋根付のベンチも設置されていましたが、左手の森の中に続く道を降っていきました。 植物園内の散策路はほとんど舗装されていますが、ここは土の道になっていました。 周囲には樹木が生い茂っているし、何だか爽やかな気持ちになってきました。 散策はやはりこれでなくてはと思いながら降っていくと、左右に通る舗装路に降り立ちました。 土の道は正面へと続いていますが、先ほどの事務所の辺りに降りていくようです。 入口にあった案内図によると、左手には野草園生垣園などがあるようですが、 今回は訪ねるのを省略して右手へ進んでいきました。
舗装路を緩やかに降っていくと、最初の入口に戻ってきました。 今回は竹園・シダ園・野草園・生垣園などは省略しましたが、 園内の要所には道標が設置されていて、分かり易くなっていました。 門を出た右手の数10m先の所に児童遊園地前バス停があります。 保土ヶ谷駅東口行きバス、横浜駅西口行きバスが1時間に1本から2本程度、 日本大通り駅県庁前館内駅北口行きバス、平和台折返場行きバスが1時間に2本から3本程度ありますが、 今回は左手の国道1号へ向かっていきました。
植物と仲良く
私たちの周りから、緑が少なくならないよう地球にさわやかな風を送ろう。
1 木・草花・果実を自然のままにやさしく
2 ゴミは持ち帰りましょう
 (横浜市こども植物園、南区魅力づくり・ホット・みなみプロジェクト)
児童遊園地入口(じどうゆうえんちいりぐち)バス停
先ほど訪ねた児童遊園地の駐車場への入口を過ぎて坂道を降っていきます。 児童遊園地へのもうひとつの入口を過ぎていくと、国道1号の市児童公園入口交差点に出ます。 その右手の数10m先に児童遊園地入口バス停があります。
道路のこちら側からは、東戸塚駅(JR横須賀線)までの便が1時間に4本程度、 戸塚駅(JR東海道線)までの便が1時間に4本程度あります。 道路の向かい側からは、保土ヶ谷駅(JR横須賀線)までの便が1時間に5本程度、 横浜駅(JR東海道線)までの便が1時間に5本程度あります。