万台こゆるぎの森
散策:2010年11月上旬
【街角散策】 万台こゆるぎの森
概 要 万台こゆるぎの森は湘南平の西にある緩やかな丘陵です。 修道院や研修所などを経て大磯町の所有地となり、 現在は星槎大学へ貸し出され、一般者も自由に出入り・散策できる公園スタイルの湘南大磯キャンパスになっています。 今回は神揃山から北に出て万台こゆるぎの森へ向かい、大磯運動公園の東側の尾根を降っていきます。
起 点 大磯町 馬場バス停
終 点 大磯町 城山公園前バス停
ルート 馬場バス停…守公神社…馬場公園…神揃山…谷筋…畑地…星槎大学湘南大磯キャンパス…尾根…大磯運動公園分岐…大磯町郷土資料館…城山公園前バス停
所要時間 3時間20分
歩いて... この時には比較的空気が澄んでいて、丘からは遠くまで見渡すことが出来ました。 丹沢の稜線や箱根や伊豆方面の山々を始め、冠雪した富士山も良く見えていました。 キャンパスには桜の木が植えられているし、尾根には菜の花も植えられるので、 花の季節に訪ねてみると綺麗な眺めに出合える所です。
関連メモ 鷹取山・里のみち
コース紹介
馬場(ばんば)バス停
大磯駅(JR東海道線)から、[磯01][磯14]二宮駅北口行きバスにて7分、1時間に1本から2本程度の便があります。
守公神社
バス停のすぐ先の横断歩道を渡って道路の右側を進んでいくと、 「馬場老人憩いの家」を過ぎた所に「守公神社」の扁額の掛る木製の鳥居が立っています。 そこから境内へ入っていくと、手水舎の先に守公神社の社殿がありました。 小振りな社殿がらも、屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 右手には神輿藏があって、大小二基の神輿が安置されていました。 その隣りには「馬場稲荷大明神」の扁額の掛る赤い鳥居や、 赤い衣を纏った狐像の控える祠がありました。
守公神社の由来
守公神社は、相模の国総社・六所神社の主祭神櫛稲田姫命御父神脚摩乳命、御母神手摩乳命二柱を祀り、 創立は養老二年四月八日、養老の律令により国府祭の制起るに当たり、 総社、六所神社の摂社として、六所神社を守護の神と境内に祀りしが、 天保十年に至り、天下祭と称する国府祭の守護神に列せられ、現在の馬場に奉還したるなり。 御娘子、櫛稲田姫命は天照大神の弟神にて、八坂神社として全国に祀られる須佐甥命御后とならし給い、 長男は有名なる大国主命にて、子孫は日本の建国に弥高く栄えければ、 昔より一家の繁栄と商売繁盛、並びに子供を災難から守り下さると謂う、御神徳崇き神社につたえるなり。
 (寛政二年寺社奉行 松平大和守 詳細<写>)
馬場公園
守公神社を後にして車道をその先へ進んでいくと馬場公園交差点があります。 右手には「関東ふれあいの道」の道標が立っていて、正面の道は「月京バス停0.4km」、 右手の道は「鷹取山2.7km・南平橋8.6km」、今来た道は「大磯切通」となっています。 月京バス停から来て鷹取山を越えて南平橋へ続く道は、 関東ふれあいの道「鷹取山・里のみち」になります。 今回は右手の先にある神揃山へ向かっていくのですが、 その前に左手にある馬場公園へ立ち寄っていきました。 広場を中心とした静かな公園です。 入口には「大磯町観光案内板」があって、この付近の地図が載っています。 公園の奥の方に進んでいくと石柱が6本立っていて、脇には「国府祭大矢場祭場」の解説板があります。 ここは相模国府祭(さがみこうのまち)の大矢場祭場になっていて、 総社の六所神社と、神揃山から降ってきた相模国の五社が集まって神事が執り行われる所でもあります。
国府祭大矢場祭場
神揃山南側の山麓馬場公園の一角高天原(新編相模国風土記)又は逢親場、王家塚、皇家塚とも書く。 「寒川古式祭記」には「おほや着」とある諸神集合の聖地である。 五社により派遣された「七度半」の使者による迎神の儀が総社六所神社に参向して総社の高天原への御臨幸を促し 総社宮立、見合の儀を経て総社は大矢場に着御…。
一、鷺の舞(神々を送迎するときの舞)
二、神揃山から一ノ宮を先頭で五社の神輿は下山して六所神霊の右隣へ順次着御
三、七十五膳の献饌(饌物を神々に献る)
四、「対面式」 五社の宮司は守公神(分霊)を総社に納める
五、国司奉幣(現在は大磯町長拝礼)
六、「裁許の式」 六所宮司が八幡宮から一ノ宮まで拝礼五社の守公神の納受を意味する
敬神の参拝者多数の中で平安の絵巻物そのままの神事が夕刻まで続き、 六社の神輿は八幡宮を先頭にそれぞれの地に遷幸する。
大磯町町民憲章
わたくしたちは、高麗、鷹取の山なみや、こゆるぎの浜に象徴される美しい自然と、 由緒ある歴史、文化に恵まれた大磯の地を愛し、誇りとし、 さらに住みよいまちづくりを目ざして、ここに町民憲章を定めます。
一、恵まれた自然と伝統を守り、文化の向上に努め、豊かなまちにしましょう。
一、公徳心と心のふれあいをたかめ、世界に誇れる美しいまちにしましょう。
一、心とからだをきたえ、健康で働くことを喜びあえる明るいまちにしましょう。
(相模国府祭は「相模国府祭」を参照)
馬場公園交差点から「鷹取山・南平橋」の道標が指す道を進んでいきます。 正面にこんもりとした森を眺めながら進んでいくと、小さな流れを渡った所から右手へ道が分かれていきます。 入口には「神揃山50m」と書かれた板が取り付けられています。 ここが神揃山への登り口になります。 コンクリート道が終わって森の中へ入り、幅の広い横木の階段を登っていきます。
神揃山
横木の階段を登り終えると、小高い所の広場に出ます。 ここが神揃山(かみそろいやま)になります。 「神体石」と呼ばれる石柱が6本立っていて、各々には神社の名前が刻まれています。 左側に「二之宮 川匂神社」・「平塚八幡宮」・「四之宮 前鳥神社」、 その右側の少し離れた縦向きに「一之宮 寒川神社」・「総社 六所神社」、 更に離れた所に「三之宮 比々多神社」となっています。 各社毎に定められた道を登ってきてここで一堂に会します。 「座問答」の神事が執り行われる所でもあります。
国府祭神揃山祭場
国府祭とは、相模の国府(今の県庁)が置かれた大磯町(国府本郷村)斎場と、 この山下の高天原(大矢場)斎場に国司(今の県知事)が自ら国内の代表を招請し、 五穀豊穣・民業繁栄と国民守護を祈り奉幣神拝したことが、この祭りの始まりであると伝えられている。 この地に国府が設けられたのは平安後期の頃と考えられ、 約九百年前からの国祭りの格式を連綿として現在までよく伝え残した貴重な神事である。
一、 毎年五月五日(端午の節句)この神揃山斎場に、国内代表神の一ノ宮(寒川神社・寒川町)、 二ノ宮(川匂神社・二宮町)、三ノ宮(比々多神社・伊勢原市)、四ノ宮(前鳥神社・平塚市)、 平塚八幡宮(平塚市)の五社の神輿は早朝より社人・氏子の世話人と崇敬者数百人の供を従えて 格式ある行列として遠路この斎場に一ノ宮神輿から順次定められた時刻に神輿を経て、 この山の行在所に着御され各社の神祭事が斎行される。
二、 伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る祖神塚に一同拝礼祖先に感謝し、 風雨寒暖の順調、天地万物の生成発展を祈る神事である。
三、 「座問答」の儀が謹請道場で、五社の社人整列の中で 一ノ宮神官・二ノ宮神官との虎の敷皮(神座を意味する)を進め合う無言の神事があり、 再三度に及びて三ノ宮神官より「いずれ明年まで」との辞によって終わる神事である。 国府祭の神事中特に有名なもので、これこそ古代国家相模の国成立の起因の謎を秘めた珍しい神事である。
四、 「神体名と三種の儀」 祖神塚拝礼所の傍らに総社(六所神社)及び五社の神体石が神鎮まりて在りて、 ここに各社神官によって三種(鉾・榊・御幣)を立て奉拝される。 昔から巨石は神の御座であり、ここに鉾を立てて降神の柱とした。 これも古代祭所の儀式を伝える貴重な聖域である。
五、 大矢場祭場の神事は、遷るこの山の南山麓三00メートルのところで行われる。
谷筋
神揃山の東側にある階段を降っていくと浅い谷筋に降り立ちます。 そこから谷の奥へ続く舗装路を進んでいきます。 谷筋には畑や田んぼなどが続き、西側の山沿いに舗装路が登り気味に通っています。 畑地に降りていく道や左手の山に登って行きそうな道も分かれていますが、 谷筋の奥へと続く舗装路を道なりに進んでいきます。 右側にはガードレールが続きます。
神揃山から舗装路に降り立ってから10分ほど進んで行くとガードレールが途切れます。 ここで舗装路は終わって未舗装の道になりますが、この少し先までは畑が続いていました。 未舗装になっても始めのうちは広い道ですが、程なくして急激に幅が狭まってきます。 行き止まりになっているのではないかと心配しながらも、細くなった道を進んでいきました。
注意
ハンターのみんさん! この附近に鳥獣保護区があります。 狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
ミカンを取らないで。 立入禁止。畑の中に入らない。
畑が終わって山沿いに進んでいくと、 次第に笹や萱などが生い茂るようになって、あまり歩かれていない道の雰囲気になってきました。 大丈夫だろうかと思いながらも更に進んでいくと、道端に「住民が散策する」旨の立て札がありました。 どうやら歩いても良さそうで、道も続いているようだと少し安心しながら進んでいきました。 その看板を過ぎていくと、道は谷の中ほどへと曲がっていきます。 笹竹の生い茂る中の踏み跡を進んで行くと、周囲の竹や草の背丈が低くなってきました。 道は二手に分かれているようでしたがはっきりとはしません。 谷筋は更に奥へ続いていますが萱などが生い茂っているので、右手に曲がっていく方を進んでいくと、 足元には先ほどと同様の立て札がありました。
お願い
この付近は住民が散策するため、狩猟には十分注意してください。
 (大磯町、神奈川県狩猟会大磯支部)
萱などが生い茂る踏み跡を進んでいきます。 道は谷筋をUターンするようにして続いています。 元の方へ戻ってしまうのかと思っていると、谷の右側に着くと森の中へ入っていきました。 森へ入ると、それまでの萱などから解放されて、普通の山道のようになってきました。 踏み跡はしっかりとしてきて、もう心配することはないと、心にも余裕が出てきました。
谷筋から2分ほど登っていくと、小さなミカン畑の脇に出ました。 畑を巻くようにして更に進んでいきます。 坂を登り切った辺りまで来ると、曲がっていく金網柵が右手にありました。 そこを過ぎて緩やかで広くなった道を進んでいくと、左右に通る未舗装の広い道に出ました。 舗装路が終わった所から8分ほどで出られました。 脇には赤地に白色で書かれた標柱が立っていましたが、道標類は見かけませんでした。 手元の地図には載っていない道のようでしたが、左手の道は不動川の方に降りて行きそうに思えたので、 ここは右手へと緩やかに登っていきました。
残そう緑!なくそう山火事。 あっ!その火が山を灰にする。 私たちの自然を守りましょう。
広くて歩きやすくなった道を緩やかに登っていくと、 程なくして右側にガードレールが続くようになります。 道の右下には黄緑色をしたテニスコートのような所が何面も見えていました。 金網柵沿いに進んでいくと、広い道に出た所から2分ほどで、尾根の上にある明るいミカン畑の脇に出ました。 左手の樹木の間からは、少し雪を頂いた富士山の山頂部が見えていました。 右手の山の向こう側には特徴的な塔のようなものが二つ見えていました。
後で分かることですが、黄緑色をしたテニスコートのような所や塔のようなものは、 星槎大学の湘南大磯キャンパスの設備になります。
畑地
舗装路に変わった道を進んでいきます。 緑のトンネルを抜けていくと、丘の上に広がる畑地に出ました。 左右には畑が続き、正面にはNTTドコモの寺坂無線中継所の電波塔が立っていました。 右側の牛舎では、乳牛が沢山飼育されていました。
農道を真っ直ぐ進んでいくと、右手には相模湾が輝いていて、 左手には丹沢の稜線が僅かに見えていました。
電波塔を過ぎて降り坂になってくると、しっかりとした標柱が向こう側を向いて立っていて、 左手の道は「東の池・厳島神社1.1km・王福寺1.5km」となっています。 左手に道などあったかと振り返ってみると、電波塔の脇から道らしきものが分かれていました。 その道は行き止まりの農道のようにも思えましたが、 標識の矢印の向きからすると、下の方まで続いている道なのかも知れません。
標識を過ぎて更に降っていくと、右手に坂道が分かれていきます。 道標類は見かけませんが、大磯運動公園の東側の尾根に向かうべく、右手の坂道を降っていきました。
坂道を1分ほど降っていくと、右手から登ってきて左手へ曲がっていく坂道に降り立ちました。 正面の先の方には相模湾が見えていました。 大磯運動公園の東側の尾根は左手へ進んでいくのですが、 この右手の下に「万台こゆるぎの森」があるので、立ち寄っていくことにしました。 2年ほど前に立入禁止になったようですが、今の様子を確かめようと思って、坂道を降っていきました。
注意
ハンターのみんさん! この附近に人家、農耕地があります。 狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
星槎大学湘南大磯キャンパス
浅い谷筋に続く舗装路を4分ほど降っていくと、右手に星槎大学湘南大磯キャンパスの入口がありました。 以前には万台こゆるぎの森の入口だった所です。 大学になったのでは入っていけないかと思っていると、 門の脇にいた守衛の方が「上の受付場所で記帳すれば見学は自由」と教えてくれました。 それではと云うことで門から入って、その先に続く坂道を登っていきました。 右手に曲がっていく角まで来ると「ご利用のご案内」と題した看板が立っていて案内図も載っていました。 ここが立入禁止になる前にも来ているのですが、その時にはなかった遊歩道が出来ているようでした。
本学園は【大磯町庁舎管理規則】と同調、次の各号に該当する者または その恐れがある者の入場を禁止とします。
(1)学校運営の妨害となる行為をすること。
(2)示威もしくは喧騒にわたる行為をすること。
(3)嫌悪の情をもよおす行為をすること。
(4)立ち入り禁止した場所に立ち入ること。
 (学校法人 国際学園)
ご利用のご案内
□敷地内では所定の場所以外での喫煙・火の使用は禁止されています。
□ペット同伴の場合は必ずリード等をご利用下さい。
□立入禁止の場所・危険区域には立ち入らないで下さい。
□敷地内を美しく!ゴミは各々お持ち帰り下さい。
 (星槎 湘南大磯キャンパス)
万台こゆるぎの森の変遷
1956年にマリア修道会が用地を購入して修道院・修練院を建てて利用しました。 1973年から1997年にかけては野村證券研修所として利用されました。 2003年に大磯町が土地などを取得して整備を進め、 2005年から「万台こゆるぎの森」と名づけて一般に開放されました。 2009年4月に一旦閉園して整備が進められ、 2010年2月に星槎大学湘南大磯キャンパスとして再開園しました。 一般者も自由に出入りや散策のできる公園スタイルのキャンパスになりました。
道の周囲には大きな樹木が生えていました。 坂道をS字形に曲がりながら登っていくと、角に小屋が建っています。 そこにも先ほどと同様の「ご利用のご案内」と題した看板が立っていました。 手前に生える木が綺麗に紅葉していました。 小屋を過ぎていくと道が二手に分かれています。 左手の道の先は駐車場になっているので、ここは右手に続く坂道を更に登っていきました。
少し左へ曲がりながら坂道を登っていくと、広い場所に出ました。 左右にはコンクリート製の建物があり、その上には特徴的な形をした塔が立っています。 塔の形からすると、谷筋から尾根の上のミカン畑に出た所から見えていた塔になるようです。 これらの建物は修道院として使われていた頃から変わらずにあるものなのでしょうか。 2年ほど前に来た時には、窓や入口などがベニヤ板ですべて封鎖されて廃墟のようになっていましたが、 今ではキャンパスとして整備されたようで綺麗になっていました。 向かって左手がA棟、右手がB棟というようで、同じような形をしています。 先ずは、A棟にある受付場所で記帳を済ませて入場証を受け取り、左手の方へと進んでいきました。
2010年8月1日現在での入場者の累計は、一般者16,983名、大磯町民3,566名とのことでした。
A棟の左手へ進んでいくとグラウンドがありました。 綺麗な人工芝が敷き詰められてサッカーやグラウンドゴルフなどが行えるようでした。 以前には土を主体とした「原っぱ広場」という名前のグラウンドでしたが、 随分と雰囲気が変わったことに驚きながら眺めていきました。 観戦のためなのでしょうか、脇にはアルプススタンドが造られていました。
グラウンドに敷かれているのは「ロングパイル人工芝アストロピッチSL N-60」で、 モノフィラメントヤーン採用で耐久性・起立性の高く、天然芝に近い感覚の人工芝なのでそうです。 パイルの弾性高分子を配合し、しなやかで柔らかい質感を実現し、 独自の充填配合により快適なクッション性が配慮されていて、 国際サッカー連盟および日本サッカー協会から推奨を受けた質感とのことです。
 (出典:受付場所で貰ったパンフレットより抜粋)
グラウンドゴルフ
昭和57年鳥取県泊村で生涯スポーツとして考案されたのが、グラウンドゴルフです。 それぞれ長さの違う8つのコース(合計240m)を2〜8名で組み合わせをつくり、ゲームを進めます。 今回星槎湘南大磯キャンパスでは、人工芝サッカー場を利用して、皆さんに健康的な汗を流しながら、 楽しい時間を過ごせる開放日を設けました。 是非、お友達を誘ってご参加下さい。お待ちしております。
開放日:毎週月曜日・水曜日(9:30〜12:30) ※祝日・祭日はご利用できません。
参加費:一人300円(時間内であれば、ゲームを何度行ってもかまいません)
学生食堂:ご利用時間11:30〜14:0 ※駐車場、宿泊設備完備
以前には周囲に大きな樹木が取り囲んでいたことを思い出しながら、 グラウンドの縁を通って先の方へ進んでいくと、相模湾が広がっていて、伊豆半島や箱根の山々が連なっていました。 二子山や駒ヶ岳・神山なども良く見えていました。 海に突き出た半島のようなものも見えていましたが真鶴半島でしょうか。
グラウンドを一周して向こう側から2棟の建物の間まで戻ってくると、 建物の間の広場の奥から左手の森の中へ遊歩道が続いています。 案内図では広場の中ほどに入口があるような絵になっていますが、実際にはB棟の近くにありました。 入口には「遊歩道」の標識が立っていてその道を指していました。 以前に来た時にはありませんでしたが、キャンパスの整備に合せて新たに設けられたのでしょうか。 雑木林の森に続く山道を降っていくと、次第に右へ曲がっていきます。 遊歩道から外れないように進んでいくと分岐がありました。 左手にも広めの道が続いていましたが、入口にはロープが張られて「立入禁止」の看板も立っていたので、 右手に続く道を進んでいきました。 背丈の短い草などが生えていて道が分かり難くなっている所もありましたが、 踏み跡はしっかりと続いていました。
ハチ・毒ヘビに注意!
少し登るようになると、広い遊歩道に出ました。 波形のレンガが敷かれていて歩きやすい道になっています。 右手に登っていくとB棟の脇に出てしまうので、左手へと進んでいきました。 少し進んでいくと、左手には金網柵で囲まれたテニスコートが何面かありました。 谷筋から尾根の上のミカン畑に出た所から見えていたコートになるようです。 コンクリート張りなのか、黄緑色をしたコートでした。
敷地内を美しく。 ゴミは各々御持ち帰り下さい。
テニスコートの脇を過ぎていくと登り坂になってきます。 道端にはベンチも設置されていました。 程なくして斜面をジグザグに折れ曲がりながら登るようになると、大きな樹木の生える袂に出ました。 正面には建物が二棟並んでいました。 左手の建物には「休憩所(トイレあり)」の看板が出ていて、「靴を履いたままお入りください」の貼り紙もありました。 以前には大磯に関する浮世絵や自然に関する活動を紹介した資料などが沢山貼り出してありましたが、 この時にはすべて取り払われてガランとして何もありませんでした。
西側の樹木が少なくなっていて、箱根方面を見渡せる眺めが広がっていて、富士山もよく見えていました。 山頂部が一部白くなっていたので、雪が積もっているようでした。 手前にあるお碗を伏せたような山が矢倉岳で、少し左側にある急峻な山が金時山になります。
建物の間を進んでマウンドの上に出てみると、正面には湘南平にあるテレビ塔が見えていました。 その右手の方へ目を移すと相模湾の水平線が広がっていました。
左の建物の裏手のマウンドに出てみると、すぐ傍には畑が広がっていました。 電波塔や牛舎もあるし見覚えのある眺めだと思っていると、 先ほど谷から登ってきて丘の上に出た所の畑地でした。 こんな近い所にあるとは知りませんでしたが、 金網柵が設置されていて、畑の方には行けませんでした。
右手の建物の右側へ続く広い舗装路を進んでいきます。 両側には背丈の高い樹木が並木を作っていて、いい雰囲気になっていました。 最初にあった案内図によると、この辺りから左手に遊歩道が分かれているはずだが、と思いながら進んでいくと、 テニスコートの手前にちょっとした草地がありました。 標識類は見かけませんでしたが、その草地へ入っていくと、森の中へと道が続いていました。 どうやらこれが案内図に載っていた遊歩道のようだと思いながら、森の中を進んで行きました。
森へ入っていくと、細いながらもはっきりとした道が続いていました。 右へ曲がりながら進んでいくと、大きな樹木が並んで生えている所を過ぎていきます。 その先を右へ曲がっていきます。 案内図によると右手からの道もあるはずだがと思いながら進んでいきましたが、 それらしい道は見かけませんでした。 まだ夏草が枯れずに残っている季節だったので、草に隠れていたのでしょうか。
やがて降り坂になってくると、舗装路に降り立ちました。 ここは何処だと思っていると、入口から登ってきて小屋を過ぎた所にあった分岐でした。 今度は左手の先に見えている駐車場の方へ進んでいきました。 以前には建物が建っていましたが、すっかり様子が変わっていました。
駐車場の脇を進んでいくと竹林が現れます。 竹林には竹柵が設置されていて中には入っていけませんが、その脇に続く広い道を登っていきました。 突き当たりには金網柵が設置されていてミカン畑になっています。 その手前から右手へ登っていくと、先ほどのグラウンドに出ます。
A棟の受付場所で入場証を返却して、元来た広い道を入口へと引き返していきました。 門の所まで戻ってくると、守衛の方が私を覚えていて、「いい所だったでしょ」と声をかけてきました。 彼方此方と歩き回ったので、入ってから1時間15分ほども経っていました。 守衛の方に挨拶をして門から出て、谷筋に続く舗装路を左手へと登っていきました。
尾根
電波塔を過ぎた所から分かれて降ってきた所まで引き返して来て、坂道をその先へと登っていきます。 ガードレールが続く坂道を登っていくと、大きく左手へ曲がっていく角から、右手に未舗装路が分かれていきます。 ここが大磯運動公園の東側に続く尾根の入口になります。
舗装路から分かれて農道へ入っていくと、右手の谷筋の向こう側には、 先ほど歩いた丘の上の畑地が広がり、電波塔が聳えていました。 その奥には富士山が頭を出していました。 尾根に続くこの道は、地形図には破線で載っている道になります。
お願い
この付近はミカンの耕作地であり、ミカン収穫期間中の狩猟はご注意ください。
 (大磯町、猟友会大磯支部)
監視カメラ作動中
 (大磯町、大磯警察署)
畑を過ぎていくと、道端には雑木などが生い茂るようになりますが、小型車なら通っていけるだけの幅があります。 降り坂になってくると簡易舗装された道になります。 右手が開けてくると、谷筋に段々畑が続くようになります。 畑の脇を降っていくと、左手に続くミカン畑には色づいた実が沢山生っていました。 手を伸ばさずとも簡単に取れるのですが、ぐっと我慢です。 道の両側に大きめの木が生える所を過ぎていくと、左手から道が合流してきます。 ミカン畑へ続く農道のようでした。 道標類は見かけませんでしたが、ここは右手の先に続く道を進んでいきます。
大磯運動公園分岐
再び右手が開けてきて浅い谷筋になってくると、右手に戻るようにして舗装路が分かれていきます。 手元の地形図に載っている破線の道が分岐している所になります。 右手の道は大磯運動公園へ降りて行かれるようですが、今回は尾根に続く道をこのまま進んでいきます。
(写真は右手の道を向いて写したものです)
ミカン畑の脇を進んでいくと、周囲に樹木が生い茂る森のようになってきますが、 引続き道は広めで歩きやすくなっています。 右手の樹間からは、下の方に大磯運動公園のグラウンドが見えるようになります。 かなり傾斜のある斜面を横切るように道が続いているので、谷側にはロープが張られていたりもします。
森を抜けていくと、正面に広がる畑地に出ます。 ここで道が二手に分かれています。 どちらも同じほどの広さがあります。 手元の地図によると、左手の道は尾根の東側の道へ降りていくようなので、 今回は右手の道を進んでいきました。 畑に沿って進んでいくと、大きな樹木の袂を過ぎていきます。
樹木が生い茂る所を過ぎていくと、左手が草地のようになっていました。 先の方へ出てみると、眼下には大磯の町並が続き、その先には相模湾が広がっていました。 海を眺めていると沖の方に陸地が見えました。 横に長く続いていて島ではなさそうだったので、三浦半島か房総半島でしょうか。 麓の辺りはぼんやりしていましたが、その奥には山頂部の辺りだけが見える急峻な山も聳えていました。
森の中に入って軽く登っていきます。 程なくすると僅かな高みを越えて降るようになります。 農道を緩やかに降っていくと、ミカン畑の脇に出ます。 その脇の高い樹木が回廊のようになった所を過ぎていくと開けた畑地に出ます。 道なりに左から回り込むようにして、畦道のようになってきた道を森の中へと入っていきます。
森へ入っていくと、落葉が積もった降り坂になってきます。 これまでの広い農道から普通の山道のようになってきますが、道は広めでしっかりと続いていました。 森へ入って2分ほど降っていくと、左手に民家が建っています。 そこを過ぎて竹垣に沿って進んでいくと、落葉が少なくなってきました。
坂道を更に降っていくと崖の下に出ました。 山道はここで終わりになります。 農道に入ってから26分ほどで降りて来られました。 左手に曲がっていく舗装路を降っていきます。
坂道を降っていくと住宅地になってきます。 道なりに真っ直ぐ進み、樹木が沢山植えられて防風林のようになっている所まで来ると、 カーブミラーの立つ分岐があります。 そこを左折して畑の脇を進んでいきます。 少し降るようになると、左右に通る道に出ます。 右手には小祠があって、脇にはコスモスが沢山咲いていました。 手前から右手に分かれていく道は民家の玄関先へ続いています。 その道は見送って、正面の突き当たりの分岐を右折して、JR東海道線の下の城山ガードを抜けていきます。
城山ガードを通っていくと、再び畑が広がるようになります。 真っ直ぐに進んでいくと五叉路があります。 手前には「明治のまちコース」の標識が立っていて、正面の道は「城山公園0.5km」、 今来た道は「白岩神社1.1km」となっています。 ここは正面に続く道を進んでいきます。
ビニールハウスの脇を過ぎていくと民家が建っています。 そこを過ぎていくと左右に通る道に出ました。 右手の所に木製の門があって、「城山公園」「郷土資料館0.2km」の標識が立っています。 脇には「県立大磯城山公園」と刻まれた石碑もありました。 バス停へは左手へ進んでいくのですが、郷土資料館に立ち寄っていくことにしました。 ここは大磯城山公園の東門になります。
門から中へ入っていくと、民家の裏手を進むようになります。 程なくして左右に通る道に出て左手へ進んでいくとふれあいの広場がありました。
国宝茶室「如庵」跡 如庵の遷移と歴史
茶道大興の祖である利休門下の織田有楽斉の創案の成るところの茶室「如庵」は、 元和4年(1618)に京都、建仁寺塔頭正伝院に建造される。 その後、明治11年、国宝建造物の指定を受け、戦火を逃れるため、 昭和13年に三井別邸城山荘(現大磯城山公園)に移建された。 その時、菩提寺大和松山徳源寺より唐門を、また旧正伝院書院を移建することにより、 元和4年の頃の「如庵」が復元された。 その後、昭和25年の法律改正により、昭和26年改めて国宝指定された。 そして、昭和45年、犬山市有楽苑に移建され、現在に至っている。 当時の「如庵」は、大磯町郷土資料館北側のこの場所にあって、 寄付(松声寮)、書院(旧正伝院)、如庵、露地から構成されていた。
大磯町郷土資料館
広場の左手へ進んで行くと大磯町郷土資料館がありました。 中へ入っていくと、大磯にゆかりの人たちが紹介されていました。 この敷地内で発見された「竪穴住居」や高来神社大祭に曳かれる「祭り船」など展示されていました。 この時には「受け継がれる祈りのかたち!」と題して、六所神社神像特別公開が行われていました。 その中で相模国府祭も紹介されていました。 今回の散策では、最初と最後で相模国府祭(さがみこうのまち)の情報に触れることが出来ました。
【六所神社と国府祭】  六所神社の由来については、社伝では崇神天皇の時代、出雲国より移住しこの地を開墾した人々が、 この地を柳田郷と名付け、出雲の祖神である櫛稲田姫命・素戔男命・大己貴尊を祀って柳田大明神と称し、 現在地より北西1kmの石上台(現在の石神台)に社殿を築いたとされています。 養老2年(718)元正天皇より国司に対し、勅を以って柳田明神を相模国の神祇の中心として総社に定めるという宣下がなされ、 これにより同年閏4月8日に現在地へ遷座しました。 そして平安時代には国府に近い当社に国内有力5社の祭神の分霊を勧請し、 国府六所宮、また六所神社も称されるようになりました。 国府は現在の県庁にあたる機関として大化改新後に制定されました。 国府の役人である国司は京から派遣されます。 国司は国内の有力社寺に任国の平和や五穀豊穣を祈願していました。 しかし、時間や費用が多く掛かることから総社に分霊を納め、儀式の簡略化を図るようになります。 そのため国司は各神社に神輿を以て国府に集まるようお願いしました。 そこから年に一度国府に国内の神々が集まり分霊を総社に納め、 国内の平和と五穀豊穣を祈願し、国内の豪族等をもてなしました。 これが国府祭の始まりともされています。
【国府祭神事「座問答」】  国府祭は大磯町国府本郷の神揃山、大矢場(現在、馬場公園)にて毎年5月5日に行われます。 一宮寒川神社(寒川町)、二宮川匂神社(二宮町)、三宮比々多神社(伊勢原市)、四宮前鳥神社(平塚市)、 平塚八幡宮(平塚市)、六所神社(大磯町)が参加します。 国府祭は相模国全体の祭事であり、6社の神社にそれぞれ役割があったと考えられています。 相模国府が大磯に遷座した平安時代後期頃に国府祭も成立したと考えられています。 鎌倉幕府、小田原北条氏、江戸幕府といった、時の権力者からも朱印を賜り続けることができ、 伝統の継承がしやすい環境にありました。 国府祭は戦時中にも継続して行われていまいたが、戦中や戦後の一時期は本来使用する虎の敷皮を使わず、 ゴザ(若しくはムシロ)を使用していました。 戦時中の情勢の合わせながらも現在まで受け継がれています。
【相模国府祭「鷺の舞」】  鷺の舞は、船形舞台の上で舞を行います。 これは平安時代の貴族が来賓を招き酒宴を開くときに庭先の池に船を浮かべ 歓送迎の舞や音楽を奏でていたことに由来するといわれます。 この国府の地には相模国府の赴任した国司によって伝えられたと考えられています。 名称は鷺の舞ですが、鷺の舞、龍の舞、獅子の舞の三編成になっており、 鷺の舞は天下泰平を、龍の舞は五穀豊穣を、獅子の舞は災厄消除を祈願すると言われています。 現在の鷺の舞は毎年5月5日の国府祭の大矢場(逢親場)での祭儀の一部として行われています。 神揃山での祭儀を終え降りてきた5社の神輿が大矢場に着き、 先着していた六所神社の神輿との間に「裁許の式」が始まろうとするとき、 神輿の列を対象に鷺の舞は行われます。
城山公園前(じょうやまこうえんまえ)バス停
今回は大磯城山公園の散策は省略して、先ほどの分岐まで引き返していきました。 大磯を描いたタイル絵が埋め込まれた道を真っ直ぐ進んでいくと、 血洗川町屋橋が架かっています。 橋を渡っていくと国道1号に出ますが、今回は橋の手前を右折して川沿いに進んでいきました。 右手からの道を併せて進んでいくと国道1号に出ます。 左手すぐの所に架かる切通し橋を渡っていくと、すぐの所に城山公園前バス停があります。
大磯駅(JR東海道線)や平塚駅(JR東海道線)までの便が、1時間に6本程度あります。