三浦富士
散策:2010年11月上旬
【低山ハイク】 三浦富士
概 要 三浦半島の先端近くにある三浦富士・砲台山・武山を結ぶハイキングコースを歩きます。 コースの途中からは、東京湾や房総半島・伊豆大島・伊豆半島や富士山などを見渡せる展望が得られます。 今回は京急長沢駅から三浦富士へ登って尾根コースを武山へ向かい、 武山高区配水池を過ぎて竹川バス停へと降っていきます。
起 点 横須賀市 京急長沢駅
終 点 横須賀市 竹川バス停
ルート 京急長沢駅…長沢殿前児童公園…登り口…解放戦士の碑…平和の母子像…果樹園…鞍部…野比分岐…三浦富士…横須賀リサーチパーク分岐…オレンジルート分岐…見晴台…砲台山分岐…武山…武山不動院…武山富士見晴台…武山高区配水池…里川橋…竹川バス停
所要時間 2時間50分
歩いて... このコースはそれほど急な起伏もなくて歩き易いコースになっています。 条件がいいと綺麗に見える富士山も、この時には霞んでいて、三浦富士から山頂部が微かに見えるだけでした。 三浦富士へ登っていく道は地図には載っていませんが、しっかりとして分かり易い道が続いていました。
関連メモ 武山, 三浦富士, 三浦富士, 武山, 武山, 武山
コース紹介
京急長沢(けいきゅうながさわ)駅
京急長沢駅(京浜急行久里浜線)から歩いていきます。
改札口を出て北側から駅舎を出ると、正面に広場があります。 その中ほどの樹木が植えられた島状の所に「湘南長沢グリーンハイツ案内図(*)」があります。 これに載っている長沢殿前児童公園へと向かっていきます。 広場の右側に出て、車道を進んでいきます。
*ここの案内図は斜めに設置されていて写し難かったので、車道沿いにあった同じ題名の案内図を載せておきます。 図中の「至三浦富士」と書かれた所に続く道に向かっていきます。
長沢殿前児童公園
登り坂になった車道を進んでいくと、程なくして左手へ曲がっていきます。 丸く剪定された樹木の並木を過ぎていくと、擬木柵で囲まれた長沢殿前児童公園があります。 遊具などがある住宅地の静かな公園で、傾斜地に設けられた段丘状の形になっています。 坂道を更に登っていくと、グラウンドのようになった最上段の入口があります。 周囲には横須賀市の木に指定されている「おおしまざくら」が植えられていました。
横須賀市の木 おおしまざくら
落葉の高木。 ヤマザクラに近い種で関東地方の南部(房総の南部、三浦半島及び伊豆七島)に分布しています。 葉は塩漬けにして、桜餅を包むのに使います。 緑色の若葉が出た後、4月ごろ白い大きな花が咲きます。 オオシマザクラは市内の山に多く野生しています。 市の木は市制施行70周年を記念して、市民の投票により昭和52年2月15日に制定したものです。
登り口
長沢殿前児童公園を過ぎて傾斜が緩やかになってくると、右手に登っていく石段があります。 ここが三浦富士への登り口になります。 階段の脇には「三浦富士→」の標識や、「解放戦士の碑・平和の母子像」と刻まれた標柱が立っています。
解放戦士の碑
階段を登っていくと道が二手に分かれています。 右手の簡易舗装路は果樹園などの農道のようなので、左手の道を進んでいきます。 森の脇から緑のトンネルへ入っていくと、右手に開けた空間があります。 入口には「解放戦士の碑・平和母子像入口」と刻まれた石標が立っています。 登り口の標柱に書かれていた所になります。 石標に従って右手へ入っていくと、すぐに石が何段にもなった広い所があり、 その一番高い山際に「神奈川県解放戦士の碑」と刻まれた丸い石がありました。 振り返ると、畑や街並みの先に、東京湾や房総半島が見える景色が広がっていました。
碑の由来
この解放戦士の碑は、神奈川県下の平和と民主主義の運動のなかで逝った活動家を顕彰するために、 1982年11月に、たくさんの人々の浄財によって建立された。 この碑の建立・制作のためには、岡崎一夫・山内忠吉・長野彰・陣之内鎮・斉藤秀夫・菊池由次・ 飯島松雄・飯島東・永橋為成などが尽力した。
 (神奈川県解放戦士顕彰会実行委員会)
平和の母子像
「解放戦士の碑」を過ぎた奥には「鳩よよみがえれ」と刻まれた「平和の母子像」がありました。
1977年9月27日、厚木基地より空母ミッドウェーに向かっていた米軍機が横浜市緑区に墜落炎上、 9名が死傷、林裕一郎君三歳、康弘ちゃん一歳は焼死、全身やけどを負った。 母親の和枝さんは子どもの分まで生きて事故の証人になると苦しい治療に耐えたが、 事故の真相もあきらかにされないまま、1982年1月26日、31歳の若い命を無念のうちに閉じた。
 このような悲惨な事故をゆるさない
 核も基地もない二本をつくりたい
そう願う多くの団体、個人によって、ここに平和の母子像「鳩よよみがえれ」を建立する。
 (1985年5月29日 平和の母子像建立実行委員会)
1977年の米軍機墜落事故で椎葉悦子は全身大火傷を負った。 夫である椎葉寅生と二人の子の家族四人は国と米兵を被告に、 事故原因の究明と責任の追及制裁賠償を求め訴訟を提起した。 県内外の民主的な団体個人によって支援共闘会議を組織し、300人を超える大弁護団を結成し、 1987年3月4日「安保に風穴」と評される勝利の判決を勝ち取った。 これは平和民主運動を大きく励ました。 更なる運動の発展を誓い、この碑を建立する。
2009年9月27日  米軍機墜落事故訴訟支援共闘会議、米軍機墜落事故訴訟弁護団、米軍機墜落事故訴訟原告団
元の道に戻って、その先へと進んでいきます。 次第に山道の様相を呈してきますが、道は広めでしっかりと続いています。 樹皮が滑らかな樹木が生い茂る斜面を斜めに登っていくと、道が二俣に分かれています。 左手の道には封鎖するようにして木が置かれていたので、ここは右手の道を登っていきました。 次第に傾斜が増してくる斜面を右・左と曲がりながら登っていきます。 正面に柵が現れると尾根に出ます。 ここから左手へ続く尾根を更に登っていきます。
果樹園
尾根には樹皮が滑らかな樹木が引続き生い茂っていました。 柵沿いに続く尾根道を登っていくと、程なくして右手に果樹園が広がってきます。 この時には橙色をしたミカンが沢山なっていました。 振り返ると、果樹園の先には東京湾が広がり、その奥には房総半島も薄らと見えていました。 左側の山と右側の果樹園の柵との間に続く細い道を進んでいきます。
鞍部
果樹園を過ぎていくと再び森の中へ入っていきます。 引続き、樹皮が滑らかな樹木が生い茂っています。 斜面から一旦尾根の背に出ますが、程なくして正面の高みを巻くようにして左傾斜の斜面を進むようになります。 シダ類やアオキなどが生い茂っていて、しっとりとした雰囲気の道が続きます。 やがて右手の尾根が低くなってきて高みを巻き終わると、ちょっとした鞍部に着きます。
尾根道は鞍部を過ぎてその先へ続いていますが、 左手の高みへ続く踏み跡があったので、ちょいと登ってみました。 程なくして高みに着きますが、特に何がある訳でもなく展望も開けません。 高みからは道が二手に分かれていましたが、右手の道を通って尾根道に降りていきました。
鞍部から来る尾根道に降りてその先へ進んでいきます。 次第に笹竹などが生い茂るようになりますが、道は引続きしっかりと続いています。 少し登り傾斜が増してくると小尾根に出ます。 そこから少し左へ曲がって、その先に続く尾根道を更に進んでいきます。
緩やかになった尾根道を進んでいくと僅かに降るようになります。 小さなアップダウンが続きますが、いずれも軽いので苦になりません。 やがて尾根が広がってくると、登りの傾斜が増してきますが、階段などは設けられていません。 土は崩れ気味だし岩盤が剥き出した所もあって、滑りやすくなっていました。 両側にはロープが設置されていますが、登っていく分には掴まらなくても大丈夫でした。
野比分岐
岩盤を過ぎて少し左へ曲がっていくと、左右に通る尾根道に出ました。 解放戦士の碑から28分ほど、京急長沢駅から44分ほどで登って来られました。 正面にはベンチがひとつ設置されていて、ひと休みしてくのには良い所です。 道標などが幾つか設置されていて、左手に登っていく道は「三浦富士・武山」、 右手に降っていく道は「野比駅」、今来た道は「京急長沢駅」となっています。 ここは三浦富士に向かって左手の道を登っていきます。
(右手の道は「三浦富士」, 「武山」を参照)
緩やかな道になって安心していると、程なくして横木の階段を登るようになります。 1分もせずに登って行けますが、その少し先で再び横木の階段が現れます。 横木には鉄の杭が取付けられていて、崩れ難くなっている所もありました。 左手の樹間から東京湾などを垣間見ながら登っていきます。
三浦富士 (標高183m)
やがて傾斜が増してロープも設置されるようになりますが、登る分には必要な感じではありませんでした。 そんな階段を登っていくと、二等三角点のある三浦富士に着きました。 野比分岐から3分ほどで登って来られました。 山頂には「津久井村社 浅間神社奥宮」と記した石碑や、 「三浦富士」と記した看板が立っています。 大きな木の袂には、石造の小さな祠が建っています。 これらが浅間神社奥宮になるようです。 山頂は岩盤が剥き出した所になっていてそれ程広くはありませんが、 少人数ならシートを広げて弁当を食べられる程度はあります。
以前には山頂の周りの樹木がもう少し低くて、 東京湾から房総半島・伊豆大島などの広大な眺めが広がっていたようですが、 今では手前の樹木が邪魔をしている部分もあって、眺めは今ひとつの状況です。 それでも正面の樹木が少し低くなっていて、三浦半島の先の方を望むことができました。 この時には遠くが霞んでいて明瞭ではありませんでしたが、 西の方には富士山の山頂付近が微かに見えていました。 山頂には既に雪が積もっているようで、少し白くなっていました。
眺めを楽しんだら武山へ向かっていきます。 山頂に設置されている「武山ハイキングコース」の道標によると、 石祠の左手へ続く尾根道は「武山」、石祠の正面へ降っていく階段は「津久井浜観光農園」、 今登ってきた階段は「YRP野比駅」となっています。 今回は武山へ向かって、 「戦役凱旋之碑」やお地蔵さんの左手に続く道を降っていきます。
以前はキノコ型をした可愛い道標だったのですが、近年になって作り直され、 平たくて四角い道標になっています。 以前の道標は曲面に書かれた文字がどの方角を指しているのか分かり難かったようにも記憶していますが、 趣きはずっとあったように思います。
YRPとは「Yokosuka Research Park」の略で、 40ほどの会社や研究所などが集って研究開発を推進している地区の名称です。 1997年のYRPの開業に伴い、その翌年に、最寄り駅の名称が「野比駅」から「YRP野比駅」に改称されました。
(石祠の正面の階段は「武山」, 「武山」を参照)
1分ほど降っていくと、左手から細い道が合流してきます。 津久井浜観光農園の方から登ってきた道から分かれて、三浦富士の手前から巻いてきた道になります。 その道を合わせて広めの尾根道を進んでいきます。 横木の階段を降ったり登ったりする所もありますが、総じて歩きやすい道が続いています。 右手が開けて眺めが広がる所もあったりします。 5分ほど進んで登り坂になってくると、樹皮が滑らかな樹木が生えるようになります。
高みに着くと、右側の尾根の背に続く道と、その左下に続く道に分かれています。 いずれの道を進んでも1分ほどで合流しますが、今回は尾根の背の道を進んでいきました。 中程まで進んでいくと横須賀リサーチパークを一望出来る眺めが広がっていて、 少し霞んではいましたが、その奥には猿島と思われる島も浮かんでいました。
YRPは自然と人が共生する、大規模テレコム研究都市です。 研究機関を中心に、情報通信技術の研究開発を進めることにより、 国内及び国際的な情報通信技術の発展に寄与するとともに、 21世紀の高度で豊かな社会の構築に貢献いたします。
 (横須賀リサーチパーク推進協会、京浜急行電鉄株式会社)
横須賀リサーチパーク分岐
二つの道が合流した先へ1分ほど進んでいくと、横木の階段を降るようになります。 階段を降り切って緩やかになった尾根道を進んでいくと、右手から登ってきて正面へと続く広い道に出ます。 三浦富士から13分ほどの所になります。 幅3mほどはあって小型車なら通って行けるだけの道になっています。 砲台山にある電波施設の建設資材などの運搬のために整備された道なのでしょうか。 脇には道標が立っていて、正面の道は「武山・砲台山」、今来た道は「三浦富士」となっています。 右手の道は何も示されていませんが、手元の地形図に破線で載っている道で、 横須賀リサーチパークへ降りて行かれるようです。 ここは正面に続く広い道を武山へと向かっていきます。
火の用心 Stop the Fire
 (横須賀市南消防署)
広くて緩やかな道を快適に進んでいきます。 周囲の樹木が道の上まで枝を伸ばして、緑のトンネルになっていたりもします。 左手の樹間から三浦海岸の辺りが見える所もありました。 手前の枝に邪魔されてはいますが、海岸の砂浜もよく見えていました。
オレンジルート分岐
先ほどの分岐から4分ほど進んでいくと、右へ曲がっていく角が少し広くなっています。 ここから急な山道が左へ分かれて降っていきます。 脇には「武山オレンジルート観光案内図」があります。 三浦富士から武山へ至る稜線とその南側に広がる津久井浜観光農園がイラスト風に描かれています。 山側には標柱が立っていて、右へ曲がっていく広い道は「見晴らし台・武山」となっています。 左へ降っていく山道がオレンジルートになりますが、武山へはこのまま広い道を進んでいきます。
(左手の道は「武山」を参照)
武山オレンジルート
津久井浜の自然を生かしたハイキングコースが出来ました。 名付けて「オレンジルート」。農園の四季をみなさまでお楽しみ下さい。
収穫シーズン
・みかん狩り10〜11月
・さつまいも堀り9〜10月
・落花生堀り9〜10月
・津久井浜メロン7月
・じゃがいも堀り5〜6月
・いちご狩り1〜5月
 (横須賀市)
見晴台
オレンジルート分岐から3分ほど進んでいくと見晴台があります。 レンガ敷きになった小綺麗な所になっています。 南側が開けていて、三浦海岸や三浦半島の先端部やその先の房総半島や伊豆大島などを一望できますが、 この時は遠くの方は霞んでいました。
ゴミや空カンなどを崖下に投げたり、まわりに捨てないようにしましょう。
 (横須賀市)
砲台山分岐
見晴台からその先へ1分ほど進んでいくと分岐があります。 角には大きな石が置かれていて、その脇には道標が立っています。 左手の道は「武山」、右手の道は「砲台山」、今来た道は「三浦富士」となっています。 左手の樹間からは武山にある電波塔が見えていて、ベンチもひとつ設置されていたりします。 砲台山へは右手の道を進んでいくのですが、これまでにも何度か訪ねているので、 今回は立ち寄らずに、武山へ向かって左手の道を進んでいきました。
(砲台山は「武山」, 「三浦富士」, 「三浦富士」, 「武山」, 「武山」, 「武山」を参照)
横須賀リサーチパーク分岐から続いてきた自動車が通れるほどの広い道は砲台山へと続いていて、 ここから武山にかけては普通の山道になりますが、よく踏まれてしっかりとした道が続いています。 広めの道を1分ほど進んでいくと、コンクリート製の水溜めがあります。 飲料用とは思えないので、山火事を消火するための水なのでしょうか。 ここから左手に続く横木の階段を降っていきますが、 1分もせずに緩やかで歩きやすい道になります。
山歩く 心にいつも 火の用心
 (神奈川県)
広めで緩やかな道を進んでいきます。 人気のあるハイキングコースとあって、山道にしては幅が広くて歩きやすくなっています。 そんな道を4分ほど進んでいくと、右手へ戻るようにして道が分かれていきます。 砲台山分岐から8分ほどの所になります。 角には道標が立っていて、正面の道は「武山」、右手の道は「この道はコースではありません」、 今来た道は「三浦富士」となっています。 右手の道はリサーチパークの辺りへ降りて行かれるように思えますが、ここは正面の尾根道を進んでいきます。
後日に右手の道を歩きました。(「武山」を参照)
広い尾根道を1分ほど進んでいくと横木の階段を登るようになります。 段差が高くて土が抉れた所もあったりして歩きにくい思いをしながら登っていきます。 そんな階段を2分ほど登っていくと、道が二手に分かれています。 角に立つ道標によると、右手の道は「武山」、左手の道は「津久井浜観光農園」、 今来た道は「三浦富士」となっています。 左手の道は武山の巻き道になっていますが、ここは右手に続く横木の階段を武山へと登っていきます。
武山 (標高200m)
横木の階段を登っていくと、道端にはツツジの木が沢山植えられています。 春には綺麗な花で彩られる所でもあります。 程なくして正面に電波塔が見えてきます。 左側にある塔は横須賀市消防無線中継局、右側にあるのは防衛省の電波塔のようでした。 階段を登り終えて振り返ると、砲台山の電波塔が見えていました。 左右の金網柵の間に続く道を進んでいくと、「武山不動院東門」と書かれた石門があります。 ここが武山になります。 砲台山分岐から15分ほど、三浦富士から40分ほどで到着しました。
横須賀風物百選 武山初不動
初不動は、例年1月28日で、縁日商人や近在の善男善女でにぎわっています。 ここに至る参詣道は、南武、一騎塚、須軽谷、北下浦と四方にあります。 それらの登山口には、必ず前不動と呼ばれる不動明王像が立っていて、参詣人の案内役を勤めます。 不動明王は、大日如来が一切の悪魔を払うために変身された姿で、 災害を覗き財宝を得る功徳があると言われています。 とくに、武山不動尊は、航海安全の浪切不動として広く知られ、漁業関係者から厚く信仰されています。 沿岸漁業者にとっては、この山頂が魚場を定める基準として、あるいは、 港の方向を知る標準として欠かすことのできないお山であったことも信仰を深めた一因と思われます。 「武山の不動さん」と親しまれているこの寺院の正式名称は、「龍塚山持経寺武山不動院」で浄土宗です。 ここの安置される不動尊は、後小松天皇の御代、応永4年(1397)に奈良東大寺の 沙門万務大阿闍利が、諸国行脚の途中に、現在の南武にあった持経院に立ち寄り、 高さ三尺九寸(約117センチメートル)の不動尊を彫刻して本尊としたものです。 その後、修験僧讃与見随が、この山頂に移したと伝えられています。 この山頂には、オオムラサキ、博多白、妙義山のツツジが約2000本あり、 毎年4月下旬に「武山つつじ祭」が行われます。また、この山頂は、一騎塚から現在地を経て 砲台山、三浦富士、津久井に至るハイキングコースの一拠点でもあります。
石門から入っていくと広場のようになっています。 左側にある公共施設案内板に「武山ハイキングコース」が紹介されているので参考にしましょう。 モデルルートとして4コースが紹介されていましたが、 今回の京急長沢駅から三浦富士までの道は示されていませんでした。
武山ハイキングコース
(1) 津久井浜駅を起終点に3山をめぐる一般ルート。 2時間10分
津久井浜駅-(20分)-津久井浜観光農園-(30分)-武山-(20分)-砲台山-(20分)-三浦富士-(40分)-津久井浜駅
(2) 津久井浜駅から3山をめぐりYRP野比駅を結ぶルート。 1時間45分
津久井浜駅-(20分)-津久井浜観光農園-(30分)-武山-(20分)-砲台山-(20分)-三浦富士-(15分)-浅間神社バス停
*浅間神社バス停からYRP野比駅まで徒歩で20分
(3) オレンジルートを利用したルート。果実狩りも楽しめます。 2時間
津久井浜駅-(20分)-津久井浜観光農園-(30分)-砲台山-(20分)-武山-(30分)-津久井浜観光農園-(20分)-津久井浜駅
(4) 一騎塚バス停を起点にしたルート。つつじの頃は最高。 2時間
一騎塚バス停-(40分)-武山-(40分)-三浦富士-(40分)-津久井浜駅
火の用心 Practice Fire Prevention
 (横須賀市南消防署)
左手の一段高い所に展望台があります。 コンクリート製の建物で、二階建てになっています。 この建物の名前なのか、外壁には「AZALEA HOUSE」の文字がありました。 一階はガランとしていて、ベンチが設置されている以外には何もありません。 壁一面には、この辺りの自然などに関する資料が沢山掲示されていました。 一階の上には小さな建物があって、その上まで登ることができます。 展望台からは360度の大パノラマを堪能できます。 海に突き出すようにして伸びる三浦半島の左手には東京湾が広がり、 その奥には房総半島がすぐそこに見えています。 右手には相模湾があり、その沖には伊豆大島が見えています。 一階の屋上にはここから見える場所を記した石があります。 それによると、東から順に、富津・武山富士・房総半島・東京湾・三浦海岸・鋸山・三浦市・大島・伊豆半島・ 荒崎・相模湾・富士山となっていますが、 この時には遠くが霞んでいて富士山は見えませんでした。
東側には横須賀リサーチバークが広がり、東京湾には猿島と思われる島も見えていました。 お昼にはまだ早かったのですが、ベンチに腰を掛けて景色などを眺めながら昼食タイムにしました。
ディスカバリー 武山の森クラブ
「武山の森」は、神奈川県・神奈川新聞社が主催した「かながわ未来遺産100」で、 三崎のマグロについで、第70位に選ばれました。 開山600年の歴史を誇る緑豊な武山山頂からの眺望は、眼下のIT先端技術を開発している NTT横須賀研究開発センターを初め、ランドマークタワー、ベイブリッジ、房総半島、伊豆半島等を望むことができます。 このような環境に恵まれた武山の森には、あなたが発見することができる秘密がたくさん埋蔵されています。 さあ、宝探しにチャレンジしよう。
展望台から降りて西側へ進んでいくと子安地蔵尊があります。 その右手には、お札・お守り・おみくじ・のぼり旗などを受け付ける場所があります。
武山子安地蔵尊
お地蔵さまは、左手に宝珠、右手に杓杖をもち、衆生を救い、 慈悲の心の大切さを教えられている菩薩さまであります。 賽の河原で童子の救主として有名であります。 この子安地蔵尊は、子授、安産、また幼なくして他界された霊の菩提をとむらい、 子供のすこやかなる成長を願って建立されたものであります。 合掌
武山不動院 (標高202m)
子安地蔵尊の先に並行する石段と坂道を登っていくと、正面に武山不動院があります。 正面の柱には、右側に「東国花の寺 百ヶ寺」、 左側に「干支守霊場 西歳の寺」と書かれた看板が付いていました。 手前の右手には鐘楼があり、左手の手水舎の奥には滝不動尊も祀られていました。 展望台のある所よりもこちらの方が僅かに標高が高く、 「武山不動院本堂 武山最高地点202m」と書かれた板も見かけました。
武山不動尊縁起由来
当山は浄土宗龍塚山持教寺不動院と称します。 武山は昔日本武尊が弟橘比売命妃と共に御登りになられたので其の名がつけられたと謂はれ、 又、三笠宮、浩宮様方も学習院に在籍中は御遊覧にお登りになられた由緒ある歴史を持っております。 抑も当不動尊は、後小松帝の御写応永四年(1397)奈良東大寺門萬務大阿闍利が諸国行脚の折、 当地に立寄り創建したもので、国家安全・萬民福利を祈願とする道場として一刀三禮感応の霊場、 霊作たる不動明王を安置し奉り、三浦半島の総鎮守として霊場一番の札所であります。 当山の標高は海抜二百米余の高燥の地位を占め、空気清浄閑雅にして、 遠くには雄大なる太平洋をのぞみ、近くは霊峰富士の山を控え、眺望絶佳なるをもって 善男善女紳士淑女学生団体の参拝あり。 又、航海者漁夫達の目標の場所として特に篤い信仰を寄せられております。
 (龍塚山持教寺武山不動院)
本堂の右手には、武山稲荷大明神や身代り不動尊筆塚などもあります。 不動尊は石柱を刳り貫いた中に安置されていて、10cmほどの大きさでした。 この時には解説板は見かけませんでしたが、以前に来た時に見かけたものを載せておきます。
身代り不動尊・筆塚由来
江戸末期文化の頃、豪雨の中、本堂脇のオオキの大木に落雷。 大木は真二つにさけ、焼焦げとなりました。 御本尊、御本堂も無事なるを見た人々は、御身代りと唱えました。 その大木、年代を経て芽を吹き、青き葉、枝をささえ、その旺盛なる力に感動し、 参拝の有信者が手を合わせ、身代の不動尊と唱え、これをまつりました。 合掌
筆塚
人は皆筆により智を幸を知る。その筆に感謝し、成長することを念じ、 ここに筆塚を信者の賛同御寄附を得て建立されました。 合掌
 (龍塚山持教寺武山不動院)
お腹も満ちて景色も堪能したら、合わせて40分ほどいた武山から下山していきます。 武山不動院の本堂の左手に「大栄講」と「海上安全 隠岐国焼火山窩」と刻まれた石碑があります。 その間から始まる山道を降っていくと、個人宅の墓地を過ぎた先で、 武山不動院の石門から降って来た舗装路に降り立ちます。 脇には庚申塔が立っています。 側面には「貞亨五年戌辰十月廿一日」の年号が刻まれていたので、江戸時代からある庚申塔のようです。
谷側に柵が設置された舗装路を右手へと降っていきます。 1分ほど降っていくと、山側の樹木に「武山のなまけもの」の貼り紙があります。 山側を探してみると、少し上の所に、木にしがみつくナマケモノに似た瘤がありました。 そう言われればナマケモノに見えるようにも思えました。 ここを過ぎて舗装路を更に降っていきます。
横須賀都市計画武山近郊緑地特別保全区域
首都圏武山近郊緑地保全区域
緑色の地区は、都市計画法に基づく風致地区です。 オレンジ色斜線区域は、首都圏近郊緑地保全法に基づく近郊緑地保全区域です。 紫色の地区は、近郊緑地特別保全地区です。 これらの区域内で、建物の新築、増築、改築、石積、よう壁、屋外広告物等の工作物の設置、 宅地や農地の造成、土石類採取等、土地形質の変更、木竹類を切る場合は、 あらかじめ市長の許可を受けるか届出が必要です。
 (横須賀市緑政部緑化推進課)
武山富士山見晴台
左手の作業場のような所への道を見送って降っていきます。 道沿いにはツツジの木が植えられています。 この時には花は咲いてはいませんでしたが、春には綺麗に彩られる所になります。 左側の山に沿うようにして続く坂道を降っていくと、正面に大きな木が見えてきます。 武山不動院から7分ほどの所になります。 その先の左側が開けていて見晴がよくなっています。 ここは関東富士見百景にも選ばれている武山富士山見晴台になります。 見晴台とは云っても展望台のような建物がある訳ではなく、道端に竹柵とベンチがひとつ設置されているだけです。 眼下には街並みや小田和湾が見えていましたが、 残念ながら遠くは霞んでいて富士山は見えませんでした。
三浦半島(横須賀市)からの富士
長井海の手公園「ソレイユの丘」、立石海岸、武山・富士山見晴台
この地点、国土交通省「関東富士見百景」の一つに選定されました。
〜富士山の見えるまちづくり〜
三浦半島からの富士として、一体的に選定することで、横須賀市の1次選定された箇所とともに 相互に連携を図ることで、さらなる景観保全、観光振興を期待したい。
 (神奈川県、横須賀市)
引続きツツジが続く坂道を降っていきます。 桜でしょうか、ツツジに混じって背の高い木も並んでいました。 やがて降り傾斜が増してきて、爪先下がりの急坂になってきます。 坂道を降り終えて緩やかになってくると、資材置場のようなものがあります。 その手前から右手に分かれていく道があります。 入口には看板が立っていて、右手の道は「武三島神社経由京急「武山」バス停へ」となっています。 右手の道は尾根から竹林を経て南武入口バス停へ降りていかれますが、 今回はこのまま正面に続く舗装路を進んでいきます。
(右手に降っていく道は「三浦富士」を参照)
注意
この付近一帯は、武山近郊緑地特別保全地区に指定されており、 建築物・工作物の新築・改築・増築・土地形質の変更・木竹の伐採行為をするときは許可がいります。 違反すると処罰されます。
 (横須賀市土木みどり部緑地管理課)
武山高区配水池
資材置場のような所を過ぎていくと、右側には畑が広がるようになりますが、 入口には柵が設置されていて「常葉中関係者以外車の進入を禁ず」の板が取り付けられていました。 畑を眺めながら進んでいくと、左手に横須賀市水道局の武山高区配水池があります。 その隣りには電波塔が幾つか立っていましたが、HNKやTVKやFM局の中継放送所とのことです。 右手の畑地の先には、大楠山へ続く稜線と思われる山並が広がっていました。 武山高区配水池を過ぎたすぐの所から、右手の畑地へ降りていく道が分かれています。 手元の地図によると県道26号(三崎街道)へ降りて行けそうだったので、 今回はその道を降る予定にして来たのでした。 しかし入口が柵で閉ざされていたので、諦めてそのまま舗装路を降っていきました。
立入禁止
ペットを柵の中に放すことを堅く禁止します。 この土地は、横須賀市上下水道局の管理用地です。 無断で立入ることを禁止します。
 (業務部財務課、施設部水道施設課)
上を樹木が覆う道を緩やかに降っていくと、大きく左へ曲がっていく手前から 左手の山へ登っていく階段がありました。 その上の方には赤い鳥居や祠が見えたので、ちょいと登ってみることにしました。 階段はすぐに終わって山道になってきます。 手水用と思われる四角く穴が開けられた石の所を左へ曲がっていくと、 苔生した石段を登った所に赤い鳥居と祠がありました。 近年に作り直されたのか、鳥居や祠は新しそうな様子でした。 祠の前には缶に入れられた菊の花がお供えされていました。 名前は分かりませんでしたが、苔生した石段や手水用の石などがあることからすると、 かなり昔から大切にされてきた社のように思えました。
祠から元の舗装路に戻ってきてその先へ降っていきます。 右・左と曲がりながら、民家が建ち始めた坂道を降っていくと、左右に通る道に降り立ちます。 角には道標類が幾つがあって、今降って来た道は「武山山頂1.3km」「武山ここから2000歩」となっています。 左右の道は何も示されていません。 脇に立つ電柱には「武三丁目3」の住所表記が取り付けられていました。 武山ハイキングコースは左手の道から一騎塚バス停へ続いていますが、以前にも歩いているので、 今回はここを右折して竹川バス停へ向かっていくことにしました。
里川橋
坂道を緩やかに降っていくとT字路があります。 左手の先には階段があるようなので、右手の広めの道を進んでいきます。 赤い消化器入れを過ぎて道なりに左へ曲がって降っていくと、右手に登っていく道が分かれていきますが、 左手の道を更に降っていきます。 白壁を過ぎていくと少し右へ曲がっていきます。 突き当たりのT字路を左折して降っていくと、竹川里川橋が架かっています。
準用河川 竹川(RIVER TAKEGAWA)
わが街の、誇りにできる、清流を
 (横須賀市)
竹川(たけがわ)バス停
里川橋を渡っていくと県道26号(三崎街道)に出ます。 右手すぐの所にあるト字路の横断歩道を渡って県道を更に進んでいくと、 次の信号の手前に竹川バス停があります。 武山から40分ほどで降りて来られました。
横須賀中央駅(京浜急行本線)や横須賀駅(JR横須賀線)まで、1時間に5本から8本程度の便があります。 YRP野比駅(京浜急行久里浜線)まで、1時間に2本程度の便があります。
今回は衣笠駅(JR横須賀線)へ向かいましたが、衣笠十字路で下車するよう車内放送があります。 バスを降りた先にある横須賀線のガードをくぐってすぐに左折し、線路沿いの衣笠商店街を抜けていきます。 突き当たりから県道27号に出て左手へ曲がっていくと衣笠駅があります。 駅前にもバス停はありますが、横須賀中央駅や横須賀駅へ向かうバスは衣笠駅前には来ないようです。