鎌倉アルプス
散策:2010年10月下旬
【低山ハイク】 鎌倉アルプス
概 要 鎌倉アルプスは、鎌倉の街を取り巻くように聳える標高150mほどの山々です。 そこに隣接するように横浜市民の森もいくつかあります。 今回は野七里地区から鎌倉天園に登り、大平山や十王岩などを経て勝上嶽へ向かっていきます。 尾根からの眺めを楽しんでから、半僧坊から建長寺へと降っていきます。
起 点 横浜市 上郷ネオポリスバス停
終 点 鎌倉市 北鎌倉駅
ルート 上郷ネオポリスバス停…野七里第三公園…登り口…60番鉄塔…天園直下分岐…天園峠の茶屋…天園見晴台…大平山…鷲峰山…覚園寺分岐…十王岩…勝上嶽…半僧坊…河村瑞賢遺跡…建長寺…第六天…北鎌倉駅
所要時間 3時間20分
歩いて... この時は薄雲が広がっていて、尾根から眺める遠景は霞んでいました。 天園や勝上嶽などから望む富士山は山頂部がかすかに見える程度でした。 半僧坊から河村瑞賢遺跡へ降る尾根道は歩きやすくなっていて、以前は参道だった雰囲気のする道になっていました。
関連メモ 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉回峰, 鎌倉アルプス,
吉沢川, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 朝比奈切通, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス, 鎌倉アルプス,
鎌倉アルプス, 朝比奈切通, 六国見山, 鎌倉アルプス, 相武尾根
コース紹介
上郷ネオポリス(かみごうねおぽりす)バス停
港南台駅(JR根岸線)から、[港36][港37][港86]上郷ネオポリス行きバス,または, [港40]栄プール行きバスにて13分〜20分、1時間に2本程度の便があります。
金沢八景駅(京浜急行本線)から、[金24][金25]上郷ネオポリス行きバスにて18分〜21分、 1時間に1本から2本程度の便があります。
バス停の西側に見えているこんもりとした山へ向かっていくと、すぐに左右に通る道に出ます。 道に沿って水路が流れていて、正面の小橋を渡った右手の先には上郷苑の東館がありますが、 小橋の手前を左折して、水路沿いに進んでいきます。
バスの所要時間は、運行経路によって少し異なっています。
明るい街 きれいな水路
 (野七里町内会、横浜市下水道局)
野七里第三公園
水路に沿って2分ほど進んでいくと、T字路の角に野七里第三公園があります。 住宅地にある静かな公園で、グラウンドの脇にはブランコなどの遊具や藤棚棚があります。 グラウンドの周囲には簡単なアスレチック器具もありました。
円海山風致地区
円海山風致地区は、円海山・北鎌倉近郊緑地保全区域を中心とし、栄・金沢・磯子区の3区に広がる地域です。 市内で最も豊富な自然が残されており、横浜市の緑の七大拠点のひとつです。 峰・氷取沢・釜利谷・瀬上そして金沢の五つの市民の森をはじめ、 金沢自然公園や自然観察センターなどがあり、多くの市民に親しまれています。 又、周辺の住宅地も、この自然景観と調和をはかるため、緑を多く取り入れて、 良好な住環境を形成しています。
風致地区内で次の行為を行う時は事前に市長の許可を受けてください。
(1)建築物の建築その他工作物の新築、改築、増築または移転 (2)建築物等の色彩の変更 (3)宅地の造成、土地の開墾その他の土地の形質の変更 (4)水面の埋立又は干拓 (5)木竹の伐採 (6)土石の類の採取 (7)屋外における土石、廃棄物又は再生資源の堆積
なお、この地区では、風致の向上のため植栽等の配慮をお願いしています。
 (横浜市建築局建築企画課)
登り口
正面に送電線の鉄塔を見ながら、公園の右に続く道を真っ直ぐ進んでいくと、 栄プール第1駐車場のすぐ先にT字路があります。 左手のバス道路の先には栄プールバス停があって、 その奥から広い石段が尾根へ続いていますが、今回はT字路の右手の先から登っていきます。 山際に沿って道なりに曲がっていくと神奈川県警の上郷公舎があって、 奥の方には訓練施設が見えています。 公舎が途切れる辺りまで来ると、左手の山際に草地があります。 今回はここから尾根へ登っていきます。 夏草が生い茂る草地の踏み跡を10mほど進んでいくと、左手の山際への踏み跡が分かれていきます。 笹竹などが生い茂るその踏み跡へ入っていくと、すぐに尾根に登っていく道が現われます。
60番鉄塔
急坂をひと登りすると、右手へ曲がって緩やかな道になります。 正面に空が見えてくると、岩や木の根が剥き出した急坂になります。 そこを登り切って道なりに右へ曲がっていくと尾根の背に出ます。 緩やかになった尾根道を進んでいくと、程なくして送電線の鉄塔「東京南線1・2号線No.60」が立っています。 住宅地から見えていた鉄塔になります。 左右や背後には広々とした眺めが広がっていました。 振り返ると、先ほど歩いて来た道や野七里第三公園も見えていました。 右手の方には、大平山の傍にあるゴルフ場のクラブハウスも見えていました。
鉄塔の下を抜けて、その先に立つ鉄塔を正面に眺めながら尾根道を進んでいきます。 夏草が生い茂り気味ですが、踏み跡はしっかりと確認出来ました。 短い坂を降ると、幅が少し広がってしっかりとした尾根道になってきます。 歩きやすい尾根道を進んでいくと、左手のマウンドを越えて来る石段があります。 栄プールバス停の奥から登ってきた石段になります。 手前に立つ支柱には、今来た道を指すように「行き止まり」の板が取り付けられていました。 石段は見送って尾根道を進んでいくと、左手の上に 送電線の鉄塔「東京南線3・4号線No.60」が立っています。
鉄塔を過ぎていくと、左側には金網柵が続くようになります。 各所に「立入禁止」や「火気厳禁」の札が取り付けられています。 この金網柵は天園の直下まで続きます。 広めで緩やかな尾根道を進んでいくと、横木の階段が現われます。 階段の途中から、高みを右手に巻いていく道があります。 高みには特に何がある訳でもないので巻いてもいいのですが、今回はそのまま階段を登っていきました。
高みを越えて横木の階段を降っていくと、巻き道が右手から合流してきます。 短い横木の階段を二箇所降っていくと、再び高みの前で道が分かれています。 この高みにも特に何もないのですが、ここでも巻かずに横木の階段を登っていきました。
高みを越えて横木の階段を降っていくと、巻き道が右手から合流してきます。 引続き金網柵沿いに進んでいくと、また高みの前で道が分かれています。 右手の巻き道は見送って横木の階段を登って高みに着くと、左手の金網柵に扉があります。 以前に来た時には「立入禁止」の標識があったように思いましたが、 この時には扉は開いていて標識も見かけませんでした。 扉の先の道は横浜市資源循環局栄事務所の脇へ降りて森の家前バス停へ出られますが、今回は見送っていきます。
(金網柵の扉の先の道は「朝比奈切通」を参照)
高みの先の横木の階段を降っていくと、すぐに巻き道が右手から合流してきます。 その先へ進んでいくと、すぐの所にまた高みが現われます。 この高みはこれまでのよりも長く続いています。 上には特に何もないので巻いてもいいのですが、ここでも横木の階段を登っていきました。 階段の途中には、ヤマユリに関する注意書きが落ちていました。 高みに着いて、緩やかになった尾根道を進んでいきます。 しばらく進んで左へ曲がると、横木の階段を降るようになります。
神奈川県の花 山百合が咲きます。 折ったり切ったり持ち去ったりしないで!
横木の階段を降り切ると、右手から巻き道が合流してきます。 その先からは道幅がこれまでより広くなって、一段と歩きやすくなります。 道端の支柱には先ほどと似た注意書きがありました。 キキョウでしょうか、道端には紫色の綺麗な花が咲いていました。 花弁には一匹の小虫が取り付いていました。 それ以外にも何種類かの花が咲いていて、しゃがみ込んで撮影している人も見かけました。
お願い!
神奈川県の花の山百合が咲きます。 花を大切に育てています。 花を折ったり、花の茎を折ったり、持ち去ったりしないでください。 毎年花の咲くのを楽しみましょう。
天園直下分岐
樹木が道の上を覆っている所を過ぎていきます。 ノギクやアザミなども咲いていて、赤い実を沢山付けた木もありました。 何本か生えているヒノキを過ぎていくと登り坂になってきます。 引続き、左側には金網柵が続いています。 それほど傾斜はなくて広い道なので、苦もなく登っていけます。 坂を登り切ると分岐があります。 ここは天園峠の茶屋の直下になります。 正面へ降っていく道は天園休憩所や市境広場へと続いていますが、 今回は右手に分かれていく道を登っていきました。
左・右と曲がりながら登っていくと、左右に通る尾根道に出ます。 出た所には電波設備が建っています。 神奈川無線サービス協会の会員会社の共同の電波設備のようで、関係会社の名前が載っていました。 左手へ降っていくと、先ほどの分岐を直進した道と合流して天園休憩所や市境広場へと続いていますが、 右手のすぐ先にある天園峠の茶屋へ向かっていきました。
天園峠の茶屋
緩やかになった尾根道を柵沿いに進んでいきます。 木材置場を過ぎていくと、左手に天園峠の茶屋があります。 登り口から30分ほどで登って来られました。 天園は、またの名を六国峠とも言います。 ここから安房・上総・下総・武蔵・相模・伊豆の六つの国が見渡せるので、「六国峠」の名前がついたと云われています。 テーブルが沢山設置された茶屋になっていて、休憩していくのには良い所です。 お昼にはまだ早かったのですが、おでんなどを食べながらひと休みしていきました。 昔風の駅舎にあるような看板もあって、 ここは「鎌倉天園」、東側の道は「能見堂、金沢文庫駅に至る」、西側の道は「鎌倉宮、鎌倉駅に至る」となっています。
お客様へ
自分で持って来たべんとのゴミ他メーカーのジュースカン持って帰って下さい。
この場所は、個人私有地に付き、御利用される方は販売機又は売店にて各自お買い上げの上、御利用下さい。 お買い上げの無い方は御遠慮下さい。 お買い上げの有る方には二重に休憩料はいただきません。
 (店主)
茶屋の南西側には鎌倉の街や海を見下ろせる眺めが広がっています。 ここは横浜市の最高地点になっているようで、その旨の看板も設置されていました。 また富士山の絵が描かれた「かまくら天園」の看板もありますが、 手前の樹木が邪魔をしていて、この茶屋から富士山は見えません。
横浜市内最高地点
栄区上郷町 海面からの高度:159.4m
横浜市内最高地点は、鎌倉市境にある大平山(山頂は鎌倉市域)の尾根沿い(栄区上郷町)で、この付近になります。 背後の鎌倉市方面には、鎌倉市街や、相模湾を臨むことができます。 このサインは、横浜開港150周年を記念して設置しました。
 (横浜栄ライオンズクラブ、栄区役所)
大平山は?  看板の表記ではここが大平山のように解釈できますが、 この西側にあるクラブハウスの傍の高みを大平山とする情報もあります。 両方とも大平山と書いている地図もあるし、大平山は二つのピークを持つ双耳峰なのでしょうか。
横浜市の最高峰は?  相武尾根にある大丸山の山頂には「横浜市最高峰 大丸山 156.8m」の標識が立っています。 表記されている標高ではこの天園の方が高いようですが、 鎌倉市との境にあるので、単独としては大丸山が最高峰ということなのでしょうか。 それとも「最高地点」と「最高峰」を使い分けているのでしょうか。
天園見晴台
建長寺方面へ進んでいく前に、天園休憩所の裏手にある岩場まで往復することにしました。 茶屋の前から左手に続く道を降っていくと、天園休憩所への道が分かれていきます。 角に立つ道標によると、左手の道は「天園ハイキングコース 瑞泉寺約30分・鎌倉宮約30分」、 正面の道は「天園見晴台」、今来た道は「建長寺」となっています。 左の道を見送って正面へ20mほど進んでいくと、天園見晴台とも呼ばれる岩場があります。 上に出てみると、天園峠の茶屋と同じような眺めが広がりますが、 ここからは手前の樹木に邪魔されずに富士山を望むことが出来ます。 この時は薄雲が広がっていて、山頂付近がかろうじて見える程度でした。
天園見晴台
5mぐらい先、眼下に鎌倉の町並、海、遠く前方には箱根の山々、富士山、伊豆方面が眺められ、大変に趣きがあります。
天園峠の茶屋まで引き返して、その先に続くコンクリート打ちされた坂道を降っていくと、 程なくして緩やかで広い尾根道になります。 僅かな高みを越えて、再びコンクリート打ちされた坂道を降っていくと、ゴルフコースの脇に降り立ちます。 右手にも道がありますが、車止めゲートがあって「関係者以外立入禁止」となっています。 正面の道のすぐ先には天園公衆便所がありますが、この時には「使用禁止」になっていて、 その代わりに簡易トイレが設置されていました。 「ピュアレットシステム」という全自動洗浄水循環トイレなのだそうで、その説明文が貼り出してありました。
ピュアレットシステム 全自動洗浄水循環トイレ
ご使用後、便器から離れると自動的に洗浄します。
洗浄システム
1.便器に腰掛けるとセンサーが使用者を感知。
2.約100ccの洗浄水でプレ洗浄し汚物の便器への付着を防止。
3.小便及び汚物は便槽へ落下。
4.立ち上がると約450ccの洗浄水で便槽へ流します。
5.便皿を固定して約2.2リットルの洗浄水で便器を洗浄して洗浄水浄化装置へ送ります。
6.洗浄水が流れ終わると便皿がフリーの状態になり動作を終了して、待機状態になります。
 (株式会社 リンフォース)
大平山 (標高159m)
トイレを過ぎていくとすぐに分岐があります。 角には大きな道標が立っていて、左手の道は「建長寺約3.1km・覚園寺約2.4km」、 今来た道は「瑞泉寺約1.9km」となっています。 右手の道を示す板はありませんが、クラブハウスの前を経て天園橋へ降っていく道になります。 左手の道を進んでいくと、クラブハウスの裏手にある広場に出ます。 広場の奥へ進んでいくと、岩山になった大平山があります。 岩場を登って高みに着くと、神奈川県内広域水道企業団の標識「節点 久木-1」があって、 金網柵には「大平山 海抜159m<鎌倉市最高地点>」と書かれた板が取り付けらています。
右手の金網越しには、ゴルフコースの奥に、横浜の街並みを見渡せる眺めが広がっています。 この時は少し霞んでいたものの、横浜のみなとみらい地区にあるランドマークタワーなどが見えました。 振り返ると、広場の右手には鎌倉から逗子へ続く海岸線が、 左手には東京湾や対岸の房総半島も見えていました。
No.10 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
笹竹の生い茂る所を過ぎていくと、植林帯にある抉れ気味の急坂を降るようになります。 坂を降り切って緩やかになった尾根道を進んでいきます。 この尾根道は天園ハイキングコースになっていて、よく踏まれてしっかりとした道が続いています。 岩が露出した所を過ぎて降っていきます。 雑木林になってきた道を進んでいくと、岩が剥き出した所があります。 大平山から5分ほどの所になります。 正面の道もしっかりとした様子ですが、すぐ先で急速に狭く不明瞭になります。 ここは左手の岩にV字型に切られた溝のような所を過ぎて、その先へ続く尾根道を進んでいきます。
この辺りから、左手に続く小尾根に登っていく踏み跡が何箇所か分かれていますが、 そのまま広い尾根道を進んでいきます。 植林帯になってきた尾根道を進んでいきます。 切通のような所を過ぎていくと、再び岩場があります。 大平山から10分ほどの所になります。 岩場を降りて左手に続く尾根道を更に進んでいきます。
左手の小尾根にも踏み跡が続いていて、天園から獅子舞地区へ続く道に降りて行かれます。
(「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」を参照)
広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 途中で踏み跡がふたつ右手に分かれていきますが、やり過ごしていきます。 岩場を越えていくと、右手には庇のようになった岩壁があります。 その先に現われる岩盤にV字型に切られた溝のような所を降っていきます。 一人しか通れないので、向こうから来る人とすれ違う時には、譲り合いの精神でいきましょう。
緩やかになった尾根道を進んでいきます。 岩が剥き出した高みを過ぎていくと、道端に送電線の鉄塔「北鎌倉線No.16」が立っています。 大平山から17分ほどの所になります。 尾根道はこの先へ続いていますが、鉄塔を囲む金網柵の左側に踏み跡が続いているので入っていきました。 柵の角まで行くと左へ曲がって、尾根を登るようになります。
鷲峰山 (標高127m)
あまり歩かれていない様子でしたが、踏み跡はしっかりと確認出来ました。 坂道を登っていくと、1分もせずに高みに着きます。 狭い所ですが、鎌倉市の設置する「一級基準点No-111」が設置されていました。 手元の地図と合わせて考えると、ここが鷲峰山だろうと思われます。 大平山から18分ほどで到着しました。 山頂には標識以外に目立ったものはありませんが、 左下を通る尾根道には特徴的な形をした大岩が立ちはだかっています。
覚園寺分岐
はっきりとしなくなった道を降っていくと、程なくして左下を通る尾根道に降り立ちます。 岩が剥き出した所を降っていくと、鷲峰山から3分ほどで十字路になった分岐があります。 中ほどに立つ道標によると、正面の道は「建長寺約1.9km」、左手の道は「覚園寺約1.2km」、 右手の道は「今泉台住宅地」、今来た道は「天園約1.2km・瑞泉寺約3.1km」となっています。 左手の道は覚園寺へ、右手の縦杭の階段は今泉台六丁目公園へ降りて行けますが、 建長寺へ向かって正面の道を進んでいきます。
歴史的風土建長寺浄智寺八幡宮特別保存地区
この区域内において天地区物の新築・改築・増築・土地形質の変更・木竹の伐採等の行為をするときには許可がいります。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター)
No.14 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
正面にある岩盤の高みを越えてその先へ進んでいきます。 2分ほど進んでいくと登り傾斜が増してきます。 道標「覚園寺・天園」が今来た道を指しています。 尾根に出ると右手にも踏み跡が続いていますが、左手に続く岩盤が剥き出した坂を更に登っていきます。
右手の道は、送電線の鉄塔「北鎌倉線No.15」を経て今泉台六丁目公園へ降りて行かれます。
(「鎌倉アルプス」を参照)
岩盤が剥き出した僅かな高みを過ぎていくと、岩が露出して段差になった所があります。 覚園寺分岐から4分ほどの所になります。 かなり高い段差になっていますが、岩が階段状に削られてトラロープも設置されていて登り易くなっています。 岩を登っていくと、右手へも細い踏み跡が続いていますが、「危険 立入禁止」の看板が出ていました。 ここは左手に続く岩盤の尾根を進んでいきます。
岩盤が終わって木の根が張り出した坂を登っていくと、右手にこんもりとした高みがあります。 岩壁には四角い穴が開けられていて、その中には頭部の取れた石仏が数体安置されていました。 その右手から岩場をひと登りすると、高みには薬師如来像が立っています。 台座には「第八十八番 本尊薬師如来 讃岐国 大窪寺」と刻まれていて、 その下には沢山の名前が刻まれていました。 四国霊場の「第八十八番大窪寺」とどういう関係があるのかは分かりませんでしたが、 それらの方々が四国霊場八十八箇所巡りをした時に、ここに薬師如来像を造ったということなのでしょうか。 石仏の横には「石川某」と刻まれた墓石のようなものが二つありますが、 その石川某という方が造られたのでしょうか。 この時には墓石が倒れていました。
石仏の台座には「鷲峰山」とも刻まれていましたが、ここは鷲峰山ではなくて、 覚園寺分岐の手前にあった高みが鷲峰山になるようです。
薬師如来像のある高みから尾根道に降りてその先へ進んでいきます。 「歴史的風土建長寺・浄智寺・八幡宮特別保存地区」の標柱の脇には古びた道標が立っていて、 正面の道は「建長寺」、今来た道は「天園」となっていました。 標柱を過ぎていくと、尾根道は正面の高みを巻くようにして左手へ続いています。 覚園寺分岐から10分ほどの所になります。 その角から正面の高みへ続く踏み跡があるので、今回はこの道を登っていきました。
踏み跡を登っていくと、1分もせずに右上に岩場が現われます。 左下の尾根道に降りていく道もありますが、右上の岩場へ登っていきます。 振り返ると、「鎌倉十王岩の展望」が広がっています。 鎌倉の街や材木座海岸から由比ヶ浜にかけての海を見渡せます。 条件が良いと、沖には伊豆大島も見えるのですが、この時には霞んでいて見えませんでした。 手前の樹木が邪魔をしていて、箱根や富士山方面は見えません。 以前には樹木がもっと低くて今よりも見晴らしが良かったようですが、 古都保存法などにより樹木を自由に切ることが出来なくなって、見晴が悪くなったとのことです。
この美しい自然をいつまでも大切に
ごみは持ち帰りましょう。
 (鎌倉市観光協会)
十王岩
岩場の左手には、岩に掘られた三体の像があります。 判りにくくはなっていますが、閻魔大王をはじめとする冥府の十王が彫られているのだそうで、 十王岩と呼ばれています。
十王とは
十王経に説く「冥府で死者を裁くという王」、すなわち、 秦広王・初江王・宋帝王・伍官王・閻魔王・変成王・太山府君・平等王・都市王・五道転輪王のことです。 中有の死者が冥府に入り、初七日に秦広王の庁に至り、 以下順次に、二七日・三七日・四七日・五七日・六七日・七七日・百箇日・一周年・三周年に 各王の庁を過ぎて娑婆でした罪の裁断を受け、これによって来世の生所が定まるようです。
 (出典:広辞苑第五版)
十王岩から尾根道に降りてその先へ進んでいきます。 岩が剥き出した切通のような所を抜けていくと右手が開けてきて、 横浜のランドマークタワーなどを見渡すことができました。 岩が剥き出した所を過ぎ、道端に笹竹が生い茂る所を過ぎていきます。 その先に現われる岩場を登っていくと分岐があります。 角に立つ道標によると、右手に登っていく道は「明月谷・明月院」、左手の道は「建長寺」、 今来た道は「瑞泉寺・覚園寺方面(天園ハイキングコース)」となっています。
勝上嶽  (標高145m)
右へひと登りすると小広くなった高みに着きます。 ここが勝上嶽になります。 覚園寺分岐から20分、天園から1時間ほどで到着しました。 中ほどには「保安林区域図」の看板と標柱「No.15」が立っています。 鎖柵で囲まれた所に大きな樹木が生えていて、その袂には大きめの石祠が二つありました。 脇の木の根に腰を降ろして、水分補給などをしながら休憩していきました。
「勝上嶽」は「勝上献」(献には山冠が付きます)とも云うようですが、 この下の半僧坊にあった道標に従って、ここでは「勝上嶽」と表記しておきます。
保安林区域図
この区域は森林がもっているいろいろな働らきを守るため、保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター農林部林務課)
No.15 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう
 (鎌倉市消防本部、鎌倉市危険物安全協会)
尾根道は勝上嶽の先にも続いていますが、今回は半僧坊から建長寺へ降りていきます。 勝上嶽の左手の下には、谷側にせり出すようにして木製の勝上嶽展望台が設置されていて、 素晴らしい展望が得られる所です。 西側が開けていて、湘南地区の街並みや相模湾の向こうに、 箱根の山々や伊豆半島を一望できる素晴らしい眺めが広っています。 左手には鎌倉の街や海が、眼下には建長寺が見えていました。 条件が良いと、箱根連山の奥に富士山も見えるのですが、 この時には霞んでいて、天園からと同様に山頂部が僅かに見えるだけでした。
建長寺縁起
建長寺は、臨済宗建長寺派の大本山であり、鎌倉五山の第一位に位する。 建長5年(1253)後深草天皇の勅を奉じ、 北条時頼(鎌倉幕府五代執権)が国の興隆と源氏三代並びに北条家の菩提の為に建立し、 中国の名僧蘭渓道隆を招き開山とした。 創建当時は中国宋の時代の禅宗様式七堂伽藍を有し、一時は四十九院の塔頭を擁する厳然たる天下の禅林であった。 度重なる火災によりその威容を今日見ることはできないが、 梵鐘(国宝)開山蘭渓道隆頂相(国宝)など数点が今に伝えられ、当時を偲ばせる。 現在の伽藍は江戸時代以後、将軍家の寄進等により復興されたものである。 また、建長寺は日本で初めて純粋禅の道場を開き、 往時は千人を越す雲水が修行していたと伝えられる我が国初の禅寺である。
半僧坊
展望台の脇から続く石段を降っていきます。 鎖が設置された急な石段を3分ほど降っていくと、お堂の前に降り立ちます。 角には道標が立っていて、右に曲がっていく道は「建長寺 諸堂伽藍・JR北鎌倉駅」、 今降って来た石段は「天園ハイキングコース・勝上嶽展望台(約5分)」となっています。 右手の下にある鳥居をくぐった先に半僧坊があります。 寺務所の前には長椅子が幾つか設置されていて、 「相模湾大島見晴台」の標識も出ている眺めが広がる所です。
鎌倉建長寺半僧坊縁起
建長寺半僧坊は、今から五代前の住職霄貫道老師が、 ある夜お坊さんのような又俗人とも思える白髪の老人と山中で会い 「私を関東のいずれかの清浄な所に招いて下さるなら、その所いよいよ栄え ありがたい事がたえる事がない」と告げ、 姿を消してしまった霊夢を見られました。 その姿こそ半僧坊の真姿で、建長寺の鎮守に相応しいと、早速住職自ら静岡県奥山方広寺に出むき御分身を願われ、 明治23年5月、建長寺の内で最も景色の拠り勝上嶽に安置され、直ちに勝上教会を作り、 お堂創建の許可を得て、折柄の好景気により、莫大な建築資金も信者の浄財で集まり、立ちどころに創建されました。 当時、信者分布は一都二十数県、講社数百十余社、信者数五万余人を数える盛況でありました。 ここ半僧坊は霊験あらたかで、家内安全、商運隆昌、厄災消除、安産守護、大漁祈願、交通安全、合格祈願等々の ご利益はまもとに尽大なものがあります。
 (大本山 建長寺 鎌倉半僧坊)
先の方には谷にせり出した木製デッキがあって、「富士見台」の標識も出ていました。 文字通り富士山が望める所ですが、この時は生憎と霞んでいて、山頂部が微かに見えるだけでした。 「天気のよい日にはこのように富士山が見えます」として、 ここから撮った冠雪した富士山の写真が貼り出されていました。 半僧坊からは南側に幅の広い石段が降っていますが、 富士見台の左脇から細い山道が続いていたので、その道を降っていきました。
自然石の狭い階段を降っていくと、すぐに緩やかな細い山道になります。 最初は夏草が生い茂っていますが、少し進んでいくと、雑木林の尾根に続く広めで歩きやすい道になります。 今ではあまり歩かれていないようで、落葉が積もっていますが、所々には板碑や庚申塔などがあり、 しっかりとした石段だった跡もあって、その昔には半僧坊への参道だったように思えてきます。
階段が切られた岩盤などを降っていくと、半僧坊から6分ほどで舗装路に降り立ちます。 降り口の左側には休憩舎がありますが、ベンチもなくて、あまり使われていない様子でした。 正面すぐの所からは幅の広い石段が降っていきます。 手前の道の左右には「庚申塔」や「青面金剛」と刻まれた石碑もありました。 脇には三角柱の基礎部分が残っていました。 今降って来た道と右手の道を示す道標だったのでしょうか。
河村瑞賢遺跡
右手に続く舗装路を進んで広くなった所に出ると、大きな屋根付きの石碑が二つありました。 ここが河村瑞賢遺跡のようです。 「河村通顕墓碑銘」や「河村瑞賢顕彰之碑」などの解説文を刻んだ石碑もありました。 碑文によると、河村瑞賢は海運事業の祖・治河事業の元駆者とのことですが、良くは読めませんでした。 広い空間を占めているところをみると、かなり功績のあった方のようです。
遺跡から引き返してきて石段を降っていきます。 真っ直ぐに1分ほど降っていくと、石段は左手へ曲がっていきますが、 その角から土の道が右手に分かれていきます。 そのまま石段を降っていっても良いのですが、右手の道が気になったので歩いてみました。 左下にテニスコートを見ながら進んでいきます。 程なくして剥き出した岩盤を登っていくと、正面にグラウンドがありました。 手元の地図によると、建長寺の脇にある鎌倉学園のグラウンドのようです。 道はテニスコートとの間を左手へ曲がりながら降っていきます。
テニスコートを回り込むようにして降っていきます。 坂道を3分ほど降っていくと、左右に通る石畳みの道に降り立ちます。 この道は、半僧坊から正面に続く石段を降ってきた道になります。 左手からは先ほどの石段が並行して降ってきていて、 入口には「河村瑞賢遺跡登り口」と刻まれた石柱が立っています。 左手すぐの所からは回春院への道が分かれていきます。 正面には玉雲庵がありますが、右手へと進んでいきます。
建長寺
石畳みの道を緩やかに降っていきます。 途中には正統院・龍峰院・天源院・宝珠院などへの道もありますが、いずれも一般公開はされていません。 それらへの道を見送っていくと、左手に建長寺があります。 東屋のある所から境内へ入っていくと、大庫裡や法堂などが並んでいます。 右手の方へ進んでいくと、巨大な三門があります。 この時には三門の下で僧侶の方が説法をされていて、多くの人が周りを取り囲んで話を聞いていました。 私も立ち止まってちょっと聞いていると、 「どうしようもない事を何とかしようと思うことから悩みが生まれる」というような内容でした。 三門の先の総門から出ていくと、建長寺境内図がありました。 天園ハイキングコースから建長寺までの道も載っていますが、 今回歩いた半僧坊から河村瑞賢遺跡へ降る山道は載っていませんでした。
三門(国重要文化財)
三解脱門の略。 空・無相・無作を表し、この三門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれることを意味します。 開山様の言葉に「福山は揮て松関を掩じず無限の清風来たりて未だ已まず」とあり、 建長寺はあらゆる人々(修行者)に門を開放している事を表しています。 楼上には、五百羅漢(修行を完成された人)を安置しています。 この建物は江戸時代・安永4年(1775)に万拙碩誼和尚などの努力によって再建されました。 創建当初は三門後方左右に大坐禅堂、大食堂がありました。
総門
建長寺は今から750年前、鎌倉時代、建長5年(1253)、禅によって国の興隆をはかるため、 執権北条時頼公の発願により、中国の禅僧・大覚禅師(蘭渓道驕jを開山として創建された、 日本で最初の純禅の大道場です。 建築は、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に連なる中国の禅宗様式にもとづいています。 今の総門は、江戸時代、天明3年(1783)に京都・般舟三昧院で建立されたものを昭和15年に移築しました。 額「巨福山」(大きな福をもたらす寺)は、中国僧、一山一寧(一山国師)禅師(建長寺第十世)の筆です。
歴史的風土保存区域・風致地区・近郊緑地保全区域図
この色分けした地区は、歴史的風土保存区域・風致地区・近郊緑地保全区域です。 これらの区域内で建築物の新築・増改築・土地形質の変更・木竹類の伐採・土石類の採取等を行なう場合は、 事前に県知事の許可を受けるか、又は、届出をしなければならない。 なお詳細については、次のところへ連絡して下さい。
 (神奈川県横須賀三浦地域県政総合センター環境部、鎌倉市役所)
第六天
天下門をくぐっていくと県道21号(鎌倉街道)に出ます。 建長寺バス停を過ぎていくと、道路の左手の山へ登っていく石段があります。 建長寺の四方鎮守のひとつである第六天とのことですが、石段の途中には扉が設けられていて、 「危険登るな」との札が取り付けられています。
「第六天」の由来
建長寺の四方鎮守には、中央五大尊と八幡(東)・熊野(北)・子神(西)・第六天(南)があり、 第六天は上町に鎮座する。 延宝2年(1674)の徳川光圀『鎌倉日記』に「円覚寺ヲ出テ南行シテ、第六天ノ森ヲ見ル」とあり、 また、延宝6年(1678)の建長寺境内図(伝徳川光圀寄進)には「四方鎮守第六天」と記されている。 社殿に納められた建長寺第218世真浄元苗筆の天保2年(1831)の棟札によって、 宝永4年(1707)に建立した社殿の破損が著しいため、村人が願い出て再建したことが知られる。 社殿の形式は一間社流造で、幕末社殿としては古風を尊重した造りといえよう。 社殿内には第六天像が中心に祀られ、前列には持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王像が安置されている。 いずれも江戸時代の作で、小像ながらも彫枝は丁寧で量感に満ちた佳品である。 第六天は仏教では他化自在天と称し、魔王の如き力を持つといわれ、 神道では第六天神、すなわち、第六番目の神と認識されている。 神奈川県内には第六天を祀る社が180社以上あり、厄病除けの神や方位神として信仰される。 現在、建長寺の四方鎮守の中で、その位置と沿革が明らかなのは第六天だけで、 建長寺史研究上の重要な資料であるばかりでなく、地域にとっても貴重な文化遺産として永く後世に伝えたい。 また、第六天は上町の氏神でもあり、例祭は毎年7月15日から22日にかけて行われる。
 (鎌倉市教育委員会文化財保護課、鎌倉市山ノ内上町町内会)
上町バス停を過ぎていくと、「安部清明大神」と刻まれた石碑がありました。 石碑のすぐ先に横須賀線の踏切があります。 ここで線路沿いに右手へ道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、踏切の先へ続く道は「東慶寺300m・浄智寺150m」、 右手の道は「明月院300m・円覚寺400m」、今来た道は「建長寺500m」となっています。 踏切を渡っていっても北鎌倉駅へ行けますが、今回は踏切の手前から右手へ続く道に入っていきました。
平安時代の有名な陰陽師「安部晴明」は、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖とのことですが、 この石碑の「安部清明」とは同一人物なのでしょうか。
北鎌倉(きたかまくら)駅
程なくして明月院への道が分かれていきますが、そのまま線路沿いに続く道を進んでいきます。 右手に分かれていく路地を見送って、線路沿いに進んでいきます。 第二円覚寺踏切や第一円覚寺踏切の所まで来ると円覚寺がありますが、今回は訪ねるのを省略しました。 円覚寺を見送ったすぐの所に北鎌倉駅(JR横須賀線)があります。
こちら側にある改札口は「出口専用」となっていますが、SUICA利用の場合は入場することができます。 通常の切符の場合は、手前の踏切を渡って反対側にある表口から入場します。