舞岡公園
散策:2010年10月中旬
【里山散歩】 舞岡公園
概 要 舞岡公園は横浜市の緑の七大拠点のひとつである舞岡・野庭地区の中心にある自然公園で、 舞岡ふるさと村や舞岡ふるさとの森とも隣接しています。 谷戸田を取り巻くようにして森や丘が続いていて、小谷戸の里を中心として保存活動が続けられている里山です。 今回は舞岡ふるさと村を経て舞岡公園の谷戸を訪ねます。
起 点 横浜市 熊の堂バス停
終 点 横浜市 明治学院大学南門バス停
ルート 熊の堂バス停…舞岡町小川アメニティ…舞岡八幡宮…虹の家…舞岡公園…瓜久保…車止めゲート…北門…きざはし池…やとひと情報館…谷戸…大原おき池…東門…ばらの丸の丘…もみじ休憩所…さくら休憩所…舞岡南の橋…明治学院大学南門バス停
所要時間 1時間40分
歩いて... 舞岡公園の谷戸田では稲の刈り取りはほとんど終わっていました。 今年も恒例の案山子祭りが行われたようで、参加作品の案山子がまだ沢山残っていました。 公園の南側にある尾根は都市計画道路の横浜藤沢線の予定地になっているようで、 以前にあったスダジイの巨木や庚申供養塔はなくなっていました。
関連メモ 日本民家園, 舞岡ふるさと村, 舞岡ふるさとの森, 舞岡ふるさと村, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園,
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コース紹介
熊の堂(くまのどう)バス停
戸塚駅(JR東海道線)の東口バスターミナルから、 舞岡台行きバス,または,京急ニュータウン行きバスにて4分、 1時間に4本から5本程度の便があります。
バス停のすぐ先にある横断歩道を渡って、車道沿いにその先へと進んでいきます。
車道沿いの歩道を1分ほど進んでいくと、右手に道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、正面の道は「舞岡駅へ」、右手の道は「舞岡ふるさとの森・舞岡公園」となっています。 そこを右折してこんもりとした山へ向かっていくと、道が二俣に分かれていますが、 左手の小川に架かる小倉橋を渡っていきます。 民家の生垣の脇を進んで山際まで来ると左右に通る道に出ます。 正面には道標が立っていて、右手の道は「舞岡ふるさとの森・舞岡公園」、 左手の道は「舞岡八幡宮を経て舞岡公園へ」となっています。 右手の道は尾根に続く舞岡ふるさとの森へ続いていますが、 今回はここを左折して、舞岡ふるさと村を経て舞岡公園へ向かっていきます。
舞岡町小川アメニティ
竹林の周囲を回り込むようにして進んでいくと、広い谷戸にある田んぼの脇に出ます。 田んぼには蘖がかなり伸びていて、青々としていました。 山際に続く道を降り気味に進んでいくと、道が二手に分かれています。 舞岡八幡宮へは右手の道の方が近道なのですが、田んぼの間に続く左手の道を進んでいきました。 すぐに道路に出ると、道路沿いには舞岡町小川アメニティの流れが続いています。 脇には東屋が建っていて、近年に新しくされた水車も元気良く回っていました。
舞岡町小川アメニティを右手へ進んでいくと、程なくして大きな鳥居が立っています。 脇には「舞岡八幡宮」と刻まれた石柱や石仏や五輪塔もありました。 ここが舞岡八幡宮への入口になります。
舞岡八幡宮と湯花神楽
この社には湯花神楽が伝えられる。 忌竹をめぐらし中央の大釜に熱湯をわかし巫祝が呪言して笹葉に浸たした湯を神前と参詣人にまく。
 (戸塚観光協会)
舞岡八幡宮
鳥居の先に続く道を進んでいくと、玉垣で囲まれた舞岡八幡宮があります。 短い石段を登って鳥居をくぐると、右手に社務所のような建物があり、 その前に由緒を記した看板が設置されています。 鳥居の左右には石祠などが幾つか並んでいました。 鳥居の先に立つ大きな石灯籠の先には社殿へ向かって石段が続いていますが、 今回は石燈籠の脇から左手に続く横木の階段を登っていきました。
舞岡八幡宮
祭神誉田別命(主祭神)、息長足姫命、比淘蜷_(以上相殿)
考安天皇、仁徳天皇、国常立命(以上明治6年合祀)
特殊神事湯花(湯立)神楽 4月15日 例祭日
由緒 昔、当地一帯を腰(越)村と呼んで居た頃、白幡が空に舞ったので村の名を舞岡と改めたと云う。 その幡は当地の西方30キロの落幡村(現秦野市)に落ちたと伝へるが、 この奇瑞に因んで石清水八幡宮を勧請したのが当神社の始めであって、 時に乾元元年(紀元1963、西暦1302)3月であった。 爾来、村の鎮守として崇敬さられ、明治6年村社、大正6年幣帛供指定村社(例祭の折、市区町村長が装束を着けて幣帛を奉る)と成り、 昭和28年宗教法人と成って現在に至る。 相模国鎌倉郡舞岡村はやがて神奈川県鎌倉郡川上村舞岡と成り、昭和14年には横浜市域の拡大に依って、 横浜市戸塚区舞岡町と成った。昭和30年代末の宅地造成に伴って南舞岡が生れたが、 当神社の氏子区域であることは変わらない。
右・左と曲がりながら、横木の階段混じりの道を登っていくと、舞岡八幡宮の社殿があります。 壁がなくて風通しのいい舞殿のような拝殿の奥に本殿があります。 拝殿の屋根には7本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳え、本殿の屋根には4本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えています。 男神と女神が合祀されているので、そのような数になっているのでしょうか。
應神天皇の御神徳
御母・神功皇后が「事竟へて遠らむ日に茲土に産れたまへ」と祈られて御胎内のままに西を征ち凱旋後に降誕なさり、 御即位後は、「枯野」といふ船や「韓人池」などをお作り遊ばされた。 又、百済との交流をおすすめになったので、縫工・治工・醸酒人・呉服部の来朝や論語・千字文の献上が行はれた (天皇のお徴しによって来朝した王仁が献上、皇子は王仁に師事して勉強なさった)。 これらの事から、應神天皇は、世間一般に安産・国家安寧・交通・農業・外交・工業・飲食・服飾・ 学芸教育文化の神として尊崇せられる。 我が鎮守として舞岡町の全般を守り、産土神として一人々々を絶えずお守り下さることは言ふ迄もない。 御降誕の時「宍、胱の上に生ひたり。其の形、鞆の如し」「故、其の名を稱へて誉田天皇と謂す」のである。
應神天皇の御製
近江国(今の滋賀県)に行幸の時−国ほめの歌
千葉の葛野を見れば百千足る家庭も見ゆ国の秀も見ゆ
神功皇后の御歌
皇太子(後の應神天皇)の為に祝宴をなさった時−寿宴の歌
この御酒は我が御酒ならず酒の司常世に坐す石立たす少名御酒の神壽き壽き狂ほし豊壽き壽き廻ほし献り来し御酒ぞ乾さず食せささ
仁徳天皇の御事蹟(古事記の記述)
天皇、高山に登りて、四方の国を見たまひて詔りたまひしく 「国の中に煙発たず、国皆貧窮し。故、今より三年に至るまで、悉に人民の課、役を除せ」とのりたまひき。 是を以ちて大殿破れ壊れて、悉に雨漏れども、都て修め理ること勿く、樋を以ちて其の漏る雨を受けて、 漏らざる処に遷り避けましき。後に國の中を見たまへば、國に烟満てり。 故、人民富めりと為ほして、今はと課、役を科せたまひき。 是を以ちて百姓榮えて、役使に苦しまざりき。故、其の御世を稱えて、聖帝の世と謂ふなり。
参拝のしかた
一、先ず浅い礼を1回します。
二、次に深い礼を2回します。(二拝)
三、次に手を二つ打ちます。(二拍手)
四、次に深い礼を1回します。(一拝)
五、最後に浅い礼を1回します。
参考 願いごとがある場合には次のようにします。
一、の次に先ず二拝してから願いごとや感謝のことばをそのままとなえます。 「祓えたまえ清め給え」ととなえるのもよいことです。
社殿の右側には舞岡地区の英霊を祭る小振りの「英霊殿」があり、 この屋根も4本の鰹木と外削ぎの千木になっていました。 英霊殿の右手には、日枝社・稲荷社・愛染社・疱瘡社・疫神社が並んでいました。
英霊殿
祭神舞岡町の英霊
祭日秋分の日
由緒 日清・日露の両戦役で戦歿せられた川上地区出身の英霊を祀る為、 大正三年当時の在郷軍人の皆様が川上小学校校庭の西側高台に忠魂碑を建立し、 毎年招魂祭を行って来ましたが、昭和十二年支那事変が勃発し、更に大東亜戦争と成り、 これらの戦歿者を合せてお祀りして来ました。 昭和二十年八月十五日、図らずも聖旨大命降下、引続き進駐して来た軍の命令に拠り、 竟に此の忠魂碑は涙を呑んで解体の已むなきに至りました。 ここに於て最後の招魂祭を厳修し、忠魂碑の礎石に分魂して、 各町内ごと神社の境内に祭られることに成り、今日に及びました。 当舞岡町に於ても、当時の在郷軍人の皆様が当境内に此の英霊殿を建設し、 町内の崇敬を集めつつ今日に及んで居ります。 施工は福岡福太郎氏が英霊敬慕の心をこめて奉仕せられました。
昭和四十年元旦 相澤亀次 撰、 闢正臣 閲并書
舞岡八幡宮の社殿の中には神社の絵が掲げられていました。 社が幾つもある立派な神社で敷地も今の舞岡八幡宮よりも広そうですが、 どこの神社を描いた絵なのかは分かりませんでした。 また漢字400字ほどの文も掲げられていましたが、暗くて何が書かれているかは分かりませんでした。 社殿の左手には小振りの水車小屋の模型が置かれています。 50数年前まで神社の前で使われていたものを模したものなのだそうで、なかなか風情があってよく出来ています。
いはれ
今より約五十余年前、神社の前、用水を利用してあった
ふる里の 神社に 我詣で 昔が浮ぶ 水車かな
社殿の前に続く石段を降っていきます。 舞岡八幡宮を出て右手の山際に続く畦道を進んでいくと、 右手への道が二つ分かれた先で、先ほどの小川アメニティが続く道路に出ます。 角に佇む双体の石仏に挨拶をしていくと、小さな川には似合わないような大きな錦鯉が泳いでいました。 流れを覗き込んでいると、何か貰えると思うのか、近寄ってきて水面に口を出していました。
虹の家
ボードウォークになった道を進んでいくと、程なくして虹の家があります。 入口の所には「舞岡ふるさと村総合案内板」があり、 「舞岡ふるさと村案内」と題した地図と各所でも産物などが紹介されています。 虹の家の中では、舞岡ふるさと村の歴史・風物・民芸品などが展示されています。 この時には「さつまいもパネル展」が催されていて、サツマイモとジャガイモの違いや、 カンショ(サツマイモの本名)の壮大な旅などが紹介されていました。 またこの辺りで見かける小動物や野鳥などの剥製も展示されていました。 竹で作った動物などの模型もありました。
「舞岡ふるさと村」とは
横浜市では市内に残された自然を保全するとともに、市民の皆様に自然や農業、農村文化に親しんでいただくために、 地元の農家が一体となって"ふるさと村づくり"を進めています。 ここ戸塚区舞岡地区は横浜市の南西部に位置し、市営地下鉄「舞岡駅」を中心に、 周辺を大規模な住宅地に囲まれながらも、まだのどかな田園風景が広がる南北に細長い農業地域です。 この舞岡地区を平成2年度に横浜ふるさと村2号地"舞岡ふるさと村"として指定しました。 ここでは「都市と農村との市民交流」を基本に「市民と直結した農業」を目指し、 基幹的産業である「農業」を守り、育てて行く村づくりを展開してまいりました。 また、舞岡ふるさと村の南に広がる舞岡公園や北側につながる舞岡リサーチパークとあわせ、 田園景観の保全に努めるとともに、農業生産施設や研修施設、レクリエーション施設などの整備を行い、 舞岡地区全体の活性化を推進しています。 そして、舞岡ふるさと村の中心的な施設である"虹の家"は総合案内所として、 "舞岡ふるさと村"の自然や農業・農村文化をパネルなどの展示により紹介するほか、 各種の講習会や料理教室の開催などを通して、市民の皆様と農業の交流を図っていきます。
カンショの壮大な旅「コンチキ号探検記」が謎を解明
中米で生まれたカンショは、アメリカ大陸に渡ったコロンブスによって持ち帰られ、世界に広まったといわれますが、 それ以前に原産地から南太平洋の島々に伝わっていたともいわれます。 でも、はるばるどのようにして? その謎を解く働きをしたのが、ノルウェーの探検家ヘイエルダールが著した「コンチキ号探検記」です。 彼は1947年、古代のいかだと同じものを作り、南米ペルーから太平洋を漂流する探険に出発、 102日かかってタヒチに到着しました。 この探険は、南米人が海を渡っていたことを実証する形となりました。 カンショも、そうした人たちの手で運ばれていた可能性が高いのです。 一方、ヨーロッパに渡ったカンショは東回りでアフリカ、インド、中国へ広まり、 日本へは1600年ころ琉球、鹿児島へと伝わり、凶作のときにも収穫できる作物として全国に広がっていきました。 カライモ、サツマイモは、伝播の途中でつけられたカンショの別名です。
【アジアへは3つのルートで伝播】 その3つとは、 (1)コロンブスがヨーロッパに持ち帰り、ポルトガル人がアジアに持ち込んだバタタス・ルート、 (2)スペイン人が16世紀以降、メキシコからフィリピンに持ち込んだカモテ・ルート、 (3)大航海時代以前から南米から南太平洋の島々に渡ったクマラ・ルート。 それぞれのルート上で、カンショのことをバタタス、カモテ、クマラとよんでいる。
虹の家を後にしてボードウォークを更に進んでいきます。 ボードウォークが途切れた所のT字路に道標が立っていて、 右手に分かれていく道は「舞岡ふるさとの森」、正面に続く道は「小川アメニティを経て舞岡公園へ」、 今来た道は「舞岡駅へ」となっています。 手前の金網柵にも板が取り付けられていて、正面の道は「舞岡公園1.0km」となっています。 右手の道は見送って、雰囲気の良い小川アメニティに沿って進んでいくと、 道幅が少し広がってベンチ代わりの石が置かれている所があります。 そこを過ぎて小川アメニティ沿いに更に進んでいくと、再び道幅が広がった所があります。 小川も広くなって池のようになっていました。 ここにも大きな錦鯉が泳いでいました。
舞岡川小川アメニティ水辺愛護会掲示板
ここはえんげい塾が美化活動をしています。 みなさんのご協力をお願いします。 次回の清掃日(活動日)は第1水曜日(雨天の時は第3水曜日)、集合場所は虹の家前です。
みんなの川だよ きれいにね
 (えんげい塾、戸塚土木事務所)
舞岡町小川アメニティ
地下鉄舞岡駅からふるさと村の田園地帯を抜け舞岡公園に至る水辺空間。 水量豊富な水の流れを楽しみながら歩く風景は、なんだか懐かしさを感じさせます。 途中水車なども設けられ、子どもたちが楽しそうに水と親しんでいます。 秋には稲穂が黄金色に輝き、豊かな自然を満喫できます。
 (横浜市下水道局河川管理課)
小川アメニティに沿って更に進んでいくと、浅い谷筋が右手に現われます。 その奥へと小径が3つ分かれていきますが、いずれも見送っていきます。 小川が左手に流れるようになった所を過ぎていくと坂下口バス停があります。 山際の金網柵には「舞岡公園 瓜久保・小谷戸の里」「古民家(小谷戸の里)約800m」の標識が取付けられています。 クリーニング店の工場を過ぎていくと、歩道の上に藤棚があります。 その下をくぐっていくと、車道から右手へ分かれていく道があります。 脇には道標が立っていて、右手の道は「松原越しを経て舞岡公園へ」、 正面の道は「原古御堂を経て舞岡公園へ」、今来た道は「舞岡駅へ」となっています。 正面の塀の前の掲示板には道案内があって、右手の道は「公園入口300m」、 正面の道は「舞岡公園駐車場700m」となっています。 今回は、小川アメニティが続く右手の道から舞岡公園へ入っていきます。
右手の道を進んでいくと、程なくして小川が道の下を横切って左手へと流れていきます。 角には道標が立っていて、流れに沿って左手に分かれていく道は「舞岡町小川アメニティ」となっています。 また橋の手摺にも道案内があって、正面の道は「小谷戸の里(約700m)」、「瓜久保の家(約200m)」となっています。 小川アメニティ沿いの道は左手へ分かれていきますが、今回は、このまま正面に続く舗装路を進んでいきます。
舞岡公園
民家を過ぎていくと、浅い谷筋に畑地が広がってきます。 山際に続く舗装路を進んでいくと、道端に木製の三本の標識が立っていて、 「ここより舞岡公園」,「前田の丘入口まで50m」,「公園入り口(瓜久保)まで100m」となっています。 ここからが舞岡公園になります。 熊の堂バス停から44分ほどで来られました。 標識を過ぎたすぐ先の所から右手に登っていく坂道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、右手の道は「前田の丘」となっていますが、 そのまま正面に続く道を進んでいきます。
この時には自動車が列を成して駐車していたので、標識を上手く写せませんでした。
スズメバチにご注意を!
公園を歩くときは白っぽい服装で。 香水は避けましょう。
スズメバチがそばにいたら…あわてず、騒がず、じっとして。 動くものにさらに攻撃する習性があるよ!
ただし、巣に近づいてしまったら…ただちに、静かに逃げましょう!
瓜久保
「舞岡公園」と刻まれた石標を過ぎていくと車止めゲートがあります。 その手前の右手が瓜久保になります。 入口には火の見櫓が立っていて、トイレ設備もあります。 ここが実質的な舞岡公園の入口になります。 この公園は建設大臣による平成9年度の「手づくり郷土賞」を受賞しているようで、その記念碑もありました。 入口にある掲示板には昔懐かしい茅葺き屋根の民家のが載っていました。 昔話の絵本に出てきそうな画風で、何だか郷愁を覚えたりします。
私が生まれ育った実家も茅葺き屋根でした。 子供の頃に屋根を葺き替えたことがありましたが、村の多くの人々に手伝ってもらって、 大変な作業だったように記憶しています。 17歳の頃に建て替えられたので今はありませんが、記憶の中には明瞭に残っています。 (「日本民家園」を参照)
舞岡公園へようこそ
ここ舞岡公園は、市内でも残り少なくなった昔ながらの田園風景が残され、 横浜の特徴的な景観である谷戸の地形をいかした公園です。 田んぼや畑、雑木林などの農的自然を四季折々に育み続け、 そこに息づく生きものたちへの心配りも大切にし、 さまざまな生きものが織りなす豊かな自然の営みが末永く続くことを願って開設されました。 ここで多くの市民の汗と創意が何よりも重んじられています。 横浜市環境創造局と市民団体が、1993年6月の開園までの約10年間、 他にほとんど例のない公園の維持と運営に向けて少しずつ試行錯誤を重ね、 その成果が実りさまざまな工夫と知恵が活かされて現在にいたっています。 公園内の「田園体験区域」では、田や畑の農作業、雑木林の維持作業、自然観察会、炭焼き、わら細工、 季節の行事などが行われています。 ここの管理運営を行っているのが「舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会」です。 指定管理者としてさまざまな事業を行っており、作業参加のボランティアの方々や、 散策の市民の歓声や笑い声がいつも絶えない日常です。 茅葺き屋根の古民家では、竃の煙が立ち上り、敷居を一歩またぐとそこにはもう明治・大正時代にタイムスリプ! 囲炉裏や太い大黒柱がピカピカに黒光りしている佇まいは、そこにいるだけで身体全体が「ほっ!」とします。 ボランティアとして会の活動を支えている登録者は約400口。登録内容も多種多様。 登録関連諸経費として年間2000円と3000円のどちらかを選択し、登録時に支払います。 他に主に資金面で協力してくださる登録もあります。 内容は、田んぼ・雑木林・畑・古民家・農芸・会報編集・生物環境・谷戸学校・こども谷戸教室・親子自然教室などがあります。 谷戸学校は、会の運営を担うスタッフ(指導員)の養成を目的にした1年間の講座で、座学と実習があります。 作業を共にして一緒に流す汗は、それだけで心をなごませ会話が弾みます。 老若男女どなたでも参加できます。 お気軽に声をかけてください。
広場のような先には瓜久保の家があって、和風の座敷が設けられています。 舞岡公園マップも置かれていて、「ご自由にお持ちください」となっていました。 この裏手の谷戸へ続く道沿いには「こどものたんぼ」が続いていて、奥にはカッパ池もあります。
舞岡公園 樹木と野草のしおり 秋〜冬
昭和20年(1,945)代頃の横浜には「谷戸」と呼ばれる低地には田んぼ、 その周りには雑木林で形作られている景色が当たり前にどこにでも存在していました。 しkし、現在、市内では舞岡公園のように田んぼと雑木林が一体の形で残されている「谷戸」はわずかとなってしまいました。 「谷戸」は多種多様な動植物の生息環境として重要な役割を担っています。 この舞岡公園では「舞岡公園憲章」の精神を大切にし、さらに動植物と人間の素晴しい共存関係が育まれることを願い、 この「しおり」を作成しました。 日々変化する樹木と野草にふれあう手がかりとして、ご活用ください。
飼い主のみなさんへ
犬を放さないで下さい。 公園内には地上を生活の場としているニホンキジ・コジュケイ・ノウサギなどがいます。 彼らを安心させてあげて下さい。 野生動物たちにも愛犬と同様な思いやりをお願いします。
車止めゲート
瓜久保から車止めゲートを抜けて舞岡公園へと入っていきます。 ゲートには標識が取付けられていて、この先の道は「古民家(小谷戸の里)約500m」となっています。 ゲートの先にはこの公園を描いた風景画が掲示されています。 以前にはかなり掠れていて見え難くなっていましたが、書き直されたようで、 この時には綺麗な絵になっていました。
舞岡公園憲章
私たちは、横浜市の原風景である谷戸を愛する市民です。 舞岡公園は、水や土、それに私たち人間をはじめとする、 生きとし生けるものの調和によって成り立ってきた谷戸の景観をとどめています。 この緑あふれる谷と丘を良好に維持保全し、ながく後世に引き継ぐことを目的としてここに憲章を定めます。
・私たちは、舞岡公園で自然とふれ合い、様々な生き物たちと共にあることを大切にします。
・私たちは、谷戸で受け継がれてきた文化や農体験を大切にします。
・私たちは、舞岡公園を市民の手づくりによる市民のための公園にします。
 (横浜市環境創造局)
ここ舞岡公園は、四季の移りかわりを楽しませてくれる草花や木があり、さまざまな生きものたちがすんでいます。 この大切な動植物たちの営みを末永く保ちつつ、多くの人たちが楽しめるよう、 次のことにご協力くださるようお願いいたします。
・火の使用はできません。(公園の催しを除く)
・ゴミは持ち帰る。
・大きな音を出さない。(音楽等は迷惑にならないように)
・動植物をとらない、持ち帰らない。
・ペットなどの生き物を捨てたり、草花や樹木を無断で持ち込んだりしない。
・道をはずれない。(貴重な動植物をふんだり、おどろかせたりすることがあります)
・生き物にエサをやらない
 (横浜市環境創造局)
狐久保への谷戸を右手に分けていくと、松原休憩所へ登っていく階段が分かれていきます。 そこを過ぎていくと、目の前の谷戸には田んぼが広がっていました。 ここはまだ刈り取られていなくて、頭を垂れた黄金色の稲が収穫の時を待っていました。
さくらなみ池を眺めながら進んでいくと、樹木が路上を覆うようになります。 未舗装路になった道のすぐ先から、右手の高みに登っていく幅の広い横木の階段と、 左手の葦原のボードウォークへ降りていく階段が分かれていきます。 脇には「舞岡公園案内図」があるので参考にしましょう。 角には道標が立っていて、右手の道は「中丸の丘」、左手の道は「ばらの丸の丘」、 正面の道は「小谷戸の里」、今来た道は「舞岡駅1.8km」となっています。 右上にある中丸の丘からは舞岡公園の谷戸を見下ろすことが出来ますが、 今回はこのまま正面に続く道を進んでいきます。
北門
左右の道や中丸の丘へ登っていく旧坂道を見送っていくと、すぐに北門があります。 舞岡公園の中でも、夜間の立ち入りやペットを連れての立ち入りが禁止されている区域になります。 この北門の他に、同様の南門と東門があって、三箇所から入ることが出来ます。 舞岡公園憲章を記した小振りの板もありましたが、内容は瓜久保の所のと同じなので省略します。
お知らせ
ここより先は野生動植物の保護及び自然環境を維持して行くため、 犬(補助犬を除く)等を連れての立ち入りはできませんのでご協力をお願い致します。 また、前期の保護及び維持のため公園門の開閉を下記時間で行います。
公園門(南・北・東)内の開園時間
  夏期間(4月〜10月)… 8:30〜19:00
  冬期間(11月〜3月)… 8:30〜17:00
 (横浜市環境創造局南部公園緑地事務所、舞岡公園田園小谷戸の里管理運営委員会)
きざはし池
北門から入っていくと、右手にきざはし池があります。 掲示板にはここで見られる鳥の写真が掲示されていました。 冬枯れの頃には野鳥を観察する格好の場所のようで、 超望遠レンズを付けた一眼レフカメラやデジスコを三脚に乗せた人達がずらりと並んでいたりもしますが、 この時は葦が生い茂る季節で観察には向かないのか、誰もいませんでした。
ちょっとまって!
この舞岡公園にはたくさんの草花や木々があり、多くの生きものがすみ、大勢の市民の憩いの場となっています。 いつまでもこの豊かな自然を楽しめるように次のことにご協力ください。
☆植物をとらない。
☆生きものをつかまえて持ち帰らない。
☆園路以外のところに入らない。
植物等の採取禁止は条例で決まっています。 また、ペットを放したり植物を持ち込んだりすることも、 ここにすむ生きものたちの生活を乱すことになるのでしないでください。
やとひと情報館
きざはし池を過ぎていくと、すぐ左側にやとひと情報館があります。 舞岡公園の一年の移り変わりや作業などが紹介されています。 また1993年から毎年恒例になっている「案山子祭り」の優賞作品の写真や、 小谷戸の里で行われた結婚式の写真などが展示されていました。 展示内容は以前からあまり変わっていないようでした。 隣りには水車小屋がありますが、水車は回っていませんでした。
やとひと情報館
「雑木林」や「里山」と言った言葉が最近流行っている。 農的な営みの中で成立してきた人の手の入った自然−雑木林−は、 その分だけ「親しみ」や「懐かしさ」を感じることが出来る等、 雑木林の魅力については様々な方面で論陣が張られ讃歌されている。 ここ舞岡公園での雑木林の価値も、田んぼの水の水源として、 生き物の生活の場として、その他いろんな必要性・魅力があげられるのは言うまでもない。 しかし、あえて一言で言うなら「それがあることで、自分が、地域が、世の中が元気になる」存在なのである。 例えば、1年間の雑木林活動を示した図「雑木林の曼荼羅」を見れば、 この公園での市民の元気さが伝わってくるはず。 今、夢でも幻でもなく現実のものとして見事な曼荼羅が広がっているこの雑木林に、 市民が始めて鎌をいれたのはいつのころか。 改めて雑木林の持つ「関わり続けていく面白さ」を感じないわけにはいかない。
さあ、胸を張って謂おう! 「雑木林はわたしたちのまちの恋人!!
谷戸
やとひと情報館と水車小屋の間から降りていくと、右手の谷戸には田んぼが広がっていました。 手前の方の田んぼはほとんど刈り取りが終わって、稲木に稲が干されていました。 市民団体が市から委託を受けて、この田園体験区域を運営しているようです。 この舞岡公園では、田や畑の農作業、雑木林の維持作業、自然観察会、炭焼き、わら細工、季節の行事などが行われています。 少し進んだ右手にその活動の中心となっている小谷戸の里があります。 古民家やミニミニ博物館などもある所なのですが、今回は訪ねるのを省略しました。
あぜ道には案山子が幾つも立っていました。 恒例になっている案山子祭りの参加作品で、その年の話題などを反映したものも有るようでした。 稲の刈り取りがほぼ終わった時期だったので、今年はこれ以上増えることはないように思えます。 各々には案山子の名前とエントリ番号を書いた板が添えられていました。 谷戸の奥の方から順に番号が振られているようでした。
画像を左クリックすると、見かけた案山子の写真が順次表示されます。 1番から44番までを見かけましたが、9番と43番は見逃してしまいました。 36番と37番、および40番と41番は一つの画像に二つの案山子が写っているで、同じ写真を載せておきました。
大原おき池
谷戸の一番奥には大原おき池があります。 おんどまり保護区になっていて、柵が設置されていて池には近付けません。 この時には池に舞い降りてきている白い鳥を写そうと、カメラを持った人たちが群がっていました。 私も持ち合わせたコンパクトデジカメで写してみました。 目一杯ズームアップしてみましたが小さくしか写らず、細部がよく分からない写真しか撮れませんでした。
谷戸の奥の方では、まだ刈り取り途中の田んぼがあって、作業をしている人たちを見かけました。
私の実家も農業をしていました。 田んぼが大きな川の傍にあって、刈り入れの時でも水を完全には落とすことが出来なくて、 小振りの田舟に刈り取った稲を乗せて、土手まで運んでいました。 幼かった私は土手に座って親が働くのを眺めていたものですが、時々は手伝ったりもしました。 ぬかるんだ田んぼに足を取られるし、中腰での作業はきつかったように記憶しています。
東門
小さな流れに架かる小橋を渡って、大原おき池の左手の脇から始まる幅の広い横木の階段を登っていきます。 階段が終わって、雑木林に続く緩やかな道を進んでいくと東門があります。 「お知らせ」は北門とほぼ同じ内容ですが、少し違う部分もあるので載せておきます。 ここにも舞岡公園憲章を記した小振りの板がありますが、内容は瓜久保の所のと同じなので省略します。
お知らせ
ここより先は野生動植物の保護及び自然環境を維持して行くため、 犬(補助犬を除く)等を連れての立ち入りはできませんのでご協力をお願い致します。
公園門(東・南・北)内の利用時間
  夏期間(4月〜10月)… 8:30〜19:00
  冬期間(11月〜3月)… 8:30〜17:00
なお、野生動植物の保護及び自然環境の維持のため、夜間は公園門の開閉を上記の時間で行います。
 (横浜市環境創造局南部公園緑地事務所、舞岡公園田園小谷戸の里管理運営委員会)
ばらの丸の丘
東門を出た所には道標が立っていて、左手の道は「さくらなみ池・宮田池」、 右手の道は「もみじ休憩所」、今来た道は「小谷戸の里」「谷戸・水田」となっています。 正面の尾根にはばらの丸の丘が広がっていて、春には桜の花が綺麗に咲く所でもあります。 今回はここから右手へと緩やかに登っていきます。 広場を過ぎると、その先は舗装路になります。
もみじ休憩所
これまでよりも幅が広くなった舗装路を緩やかに登っていくともみじ休憩所があります。 文字通りに秋が深まるとモミジが綺麗になる所ですが、この時には紅葉にはまだ早くて、 僅かに色づき始めていた程度でした。 入口には東屋もあって、ひと休みしていくのには良い所です。 広場の手前から左辺に沿って続く道と、広場の先の方から左手へ道が分かれています。 広場の先には道標が立っていて、左手の道は「古御堂保護区」、 正面の道は「ばらのまる橋・お手洗」、今来た道は「ばらの丸の丘」となっています。
古御堂保護区への道を見送って、正面に続く舗装路を進んでいくと、道が二手に分かれています。 角には道標が立っていて、左へ登っていく道は「お手洗・管理棟」、右手の道は「お手洗」、 今来た道は「ばらの丸の丘」となっています。 左の道のすぐ先にはばらのまる橋が架かっていて、 その先にはけやき広場こぶし広場などがありますが、 今回は右手に続く緩やかな坂道を降っていきました。 坂道を降っていくと、すぐに車道に出ます。 脇には「舞岡公園案内図」があります。
さくら休憩所
車道に出て右手へ進んでいくと、トイレ設備の先にさくら休憩所があります。 テーブルやベンチが設置された静かな広場です。 広場の先から右手へ分かれていく道があります。 角には道標が立っていて、右手の道は「谷戸・水田」「小谷戸の里・瓜久保」となっています。 車道を向いた板には「バス停0.3km」となっていますが、 進行方向を指すのか今来た道を指すのか分かり難い向きになっていました。 今来た道の先には京急ニュータウンバス停があり、この先には明治学院大学南門バス停がありますが、 舞岡公園に近いという点では京急ニュータウンバス停を指しているように思えました。
さくら休憩所の左脇には南門がありますが、先ほどの田んぼが広がる谷戸に降りていく道なので、 今回は見送って、そのまま車道を進んでいきました。 「舞岡公園」の標柱を過ぎていくと、正面が開けてきます。 以前には尾根道が続く雰囲気の良い場所でしたが、 「都市計画道路 桂町戸塚遠藤線」を通すために切り開かれてしまい、 すっかり様子が変わってしまいました。 その名残を示すかのように正面に続く道がありますが、金網柵で封鎖されています。 現在の道は柵沿いに右前方へと降りながら続いています。 以前にはこの辺りにスダジイの巨木があり、その袂に庚申塔もあったのですが、 木は舞岡公園の「南の丘」に移植されることになったようで、この時には既になくなっていました。 庚申供養塔も一緒に移されたのかどうかは分かりませんが、ここにはありませんでした。
後日に訪ねてみると、庚申塔は舞岡南の橋の傍に移設され、解説板も設置されていました。
(「舞岡公園」を参照)
都市計画道路横浜藤沢線(上永谷舞岡地区)街路整備工事(その3)について
工事の目的: 都市計画道路横浜藤沢線の整備工事に伴い、事業用地内にある大径木(スダジイ)の移植工事を行うものです。
工事の概要: 都市計画道路横浜藤沢線(上永谷舞岡地区)街路整備区内にはスダジイの巨木が生育しており、 横浜の名木古木に相当する樹木であるため、移植を行うことになりました。 準備作業としまして前年度は根回しを行い、本年度に移植作業を行います。 移植作業はスダジイが大径木なので立て曳き工法という特殊な工法で移植を行います。
舞岡南の橋
右前方へ坂道を緩やかに降っていくと舞岡南の橋が架かっています。 理由は分かりませんが、以前の尾根道から少し西側にずれた所に架けられています。 横浜藤沢線が尾根道のあった所に建設されるのかも知れません。 尾根道のあった所に仮設橋が架けられていた時期もありましたが、本橋の完成に伴って解体されました。 橋の下には四車線の桂町戸塚遠藤線が通っています。
舞岡南の橋を渡り終えると、右手に登っていく坂道があります。 尾根道は少し左手から正面へと続いていますが、車止めを過ぎて右手の坂道を登っていきます。 以前には笹竹の生い茂る狭い道だったのですが、今では開けた感じのかなり広い道になっています。 再びある車止めの先には作業場への道が戻るようにして分かれていきますが、 そのまま正面へと進んでいきます。 KDDIの下永谷局やNTTドコモのCV日限山の無線設備を過ぎていきます。 送電線の鉄塔「吉田線No.21」や幸ヶ丘自治会館を過ぎていくと、左手から登ってくる道路に出ます。
明治学院大学南門(めいじがくいんだいがくみなみもん)バス停
右手に続く道路を僅かに登ってから降り始めると、明治学院大学南門バス停があります。
戸塚駅(JR東海道線)の東口まで、戸塚駅行きバスにて12分、 週末には1時間に4本程度の便があります。