幕山
散策:2010年09月上旬
【低山ハイク】 幕山
概 要 幕山は湯河原の北側、箱根の南側にある低い山です。 山頂からは相模湾の向こうに初島や大島を望む景色が広がっています。 麓には湯河原梅林もあって、季節になると大勢の花見客で賑わう所です。 今回はしとどの窟を訪ねてから新崎川沿いに降り、大石平から幕山に登っていきます。 幕山からは湯河原梅林へ降っていきます。
起 点 湯河原町 しとどの窟バス停
終 点 湯河原町 鍛冶屋バス停
ルート しとどの窟バス停…城山隧道…しとどの窟…菜畑林道…一の瀬…純林分岐…大石平…登り口…涸れ沢…南郷山分岐…幕山…東屋…湯河原梅林…幕山公園…五郎神社…鍛冶屋バス停
所要時間 4時間50分
歩いて... しとどの窟から新崎川沿いに降る道には崩落している所がありました。 鎖も設置されていましたが、足元に注意して通っていけば大丈夫でした。 大石平から尾根に登る道の各所には蜘蛛の巣が張っていて、煩わしい思いをしました。 暑さのために止め処もなく汗が噴き出てくるので、 登りも降りもかなりゆっくりしたペースになりました。
関連メモ 湯河原城山, 幕山, 白銀林道, 天照山, 湯河原城山
コース紹介
しとどの窟(しとどのいわや)バス停
湯河原駅(JR東海道線)から、箱根関所跡行きバス、元箱根行きバス,または, 元箱根港行きバスにて29分、午前中には1時間に2本程度の便があります。
 土日曜 9:35 9:45 10:05 10:15 11:15 11:40...
バス停の傍に柵で囲まれた小さな展望所があり、周囲の山並みを見渡すことが出来ます。 この辺りは椿台と呼ばれていて「かながわの景勝50選」にも選ばれています。 正面には大観山方面から岩戸山方面の山々が連なり、振り返ると相模湾に浮かぶ初島も見えていました。
2007年5月に来た時には1時間に3本程度の便があったのですが、 利用客が少ないのか、この時には便数が減っていました。
バス停の20mほど手前の道路向かいから分かれていく道に入っていきます。 道が二つありますが、入口の標識によると、 右手の道は「源頼朝史跡しとどの窟(ジャリ道)」「しとどのいわや 徒歩20分」、 左手の道は「城山ハイキングコース(いしだたみ))」となっています。 左手の石畳の坂道は城山へと続くハイキングコースですが、 今回は「しとどの窟」へ向かって右手の道を進んでいきます。
(左手の道は 「湯河原城山」, 「湯河原城山」を参照)
しとどのいわや(土肥椙山の巌窟…神奈川県史跡)
治承4年8月23日(1180)石橋山の合戦に敗れた源頼朝は、 土肥実平にみちびかれて椙山(すぎやま)に隠れ、 この巌窟に潜んだ時、"もとどり"の中から一体の観音像を取り出しそなえた。 この仏像は後日、伊豆山権現(現在の伊豆山神社)の僧によって探し出されて、 鎌倉の頼朝の手に届けられた(吾妻鏡)。 また、この巌窟は、古くは修験の行場として、また後年は里人により聖地としてあがめられ、 数十基に及ぶ観音石像が祀られ中世以降、近郊庶民の信仰習俗を知る上で貴重な資料として 町の文化財に指定されている。
土肥郷椙山鵄ノ窟之碑
源頼朝ノ志ヲ天下ニ成セルハ箱根外輪山何尾ノ複雑 ナル嶺谷ト土肥氏等源氏ノ為ニ_シタル地ト人とに依ル コト大ナリ突兀タル幕山鍛冶屋川ノ深渓遊子コノ窟前 ニ立チテ治承四年八月源頼朝隠潜九死一生ノ放事ヲ 想起セスヤ予偶_昭和十年二月此ノ地人士二十餘 名ト共に寒雨ヲ_雑木荊棘ヲ分チ之ヲ踏査シテ 感懐深キモノアリ仍て文ヲ作ルト云_
昭和十七年八月廿三日 神奈川県史蹟調査委員 従六位石野瑛撰
箱根振興会
城山隧道
展望デッキやトイレの前を過ぎていくと、バス停から3分ほどで城山隧道があります。 照明は付いていませんが出口が見えているので大丈夫です。 1分ほどでトンネルを出ると、右手には子安地蔵尊や弘法大師像や灯籠などが沢山立っています。 正面には車止めゲートがあって「車両通行止」の看板も出ています。 角には道標が立っていて、正面の道は「幕山・南郷方面(幕山登山口)7,500m」、 右手の道は「しとどの窟400m」、今来た道は「しとどの窟バス停200m」となっています。 正面に続く道は白銀林道ですが、今回はここから右下の谷にある「しとどの窟」へ降りていきます。
(正面の林道は「白銀林道」を参照)
桜郷史蹟由来
箱根伊豆地方は、関東山伏発祥の地ちして日本山獄宗教史上有数の場である。 随つて、この地点一帯は山伏たちの行場であった。 殊に、この城山は土肥郷(湯河原)の豪族土肥氏城塞であり、 治承4年8月24日、源頼朝の堀口合戦の古戦場で、この谷底の「しとどの岩窟」は、 その時の頼朝が隠れた遺蹟であるために、神奈川県文化財保護指定地であるが、 又同時に山伏に関係する聖地でもある湯河原地方には、地蔵信仰・観音信仰の遺蹟と共に、 弘法大師を崇敬する大師信仰の遺蹟が多い。 ここに安置された弘法大師石像群は、かつて山麓に湮滅されていたもので、 これを世に出し、併せて付近の史蹟顕楊の上にも永く益せん為に、 この聖地に遷座したものである。
 (桜郷史蹟設置発起人)
かなりの傾斜のある坂道の両側には石灯籠や石仏が並んでいます。 石仏は小さな石の祠に納められていて、みんな右手に何やら持って胸の前に掲げていました。 他の所ではあまり見かけない姿なので珍しく思いました。 右・左と折れ曲がりながら、急坂を降っていきます。 しとどの窟まで「四○○百米」,「三○○百米」,「ニ五○米」,「一五○米」,「八○米」の標識を過ぎていきます。
「四○○百米」と「三○○百米」は「百」が余計のように思えますが、そのまま載せておきます。
林道から8分ほど降っていくと道の脇に大きな岩が現れます。 その手前から左手へ道が分かれています。 脇に立つ道標によると、正面の道は「しとどの窟50m」、 今来た道は「しとどの窟バス停600m」「椿台バス停・城山方面」となっていますが、 左手の道には何も示されてはいません。 また岩の右手からも道が分かれていて、以前には「幕山・鍛冶屋経由湯河原駅」となっていましたが、 この時には板が取り外されていました。 今回はここから右手へ降っていくのですが、その前に「しとどの窟」まで往復してきます。 「←順路」の小さな標識が正面から右手へと回り込むようにして登っていく道を指していますが、 今回は岩の手前から左手に分かれていく道を登っていきました。
すぐに右手から登ってくる階段の途中に出ます。 「←順路」の標識に従って、石柱の手摺が続く階段を登っていくと、小広くなった所に着きます。 ベンチも設置されていて、ひと休みしていくのに良さそうでした。 正面の岩壁には大きな洞が見えています。
源頼朝としとどの岩屋の由来
源頼朝は14才の時、父義朝が平治の乱で破れ、頼朝は捕われて清盛の母池の禅師の なさけによって一命を助けられ、伊豆の蛭が小島に流され、平兼隆の監視によって23年間をすごした。 治承4年8月、望仁王が平家討閥の宣旨が全国の源氏に伝えられた。頼朝は機を窺っていたが、 8月16日、三島大社の祭典の晩、北条時政らと平兼隆の首を取り、伊豆の源氏に組する者たちを集め、 19日伊豆を出発、土肥実平を道案内で日金山を越え、土肥郷(現湯河原町)に着いた。 土肥実平の館において作戦を練り、300騎を以て館を出発、いよいよ平家追討の旗挙をし、 石橋山に於て平家の軍勢総大将大庭景親3000余騎と戦ったが、十対一の多勢に無勢で破れ、 一旦土肥へ引返し堀口の合戦(鍛冶屋瑞応寺附近)にも敗れ、土肥実平の守護とみちびきによって 土肥の椙山に逃げかくれ実平のお陰で人の知らない谷底しとどの岩屋や大木の洞(土肥の大杉)にかくれたり、 又小道地蔵において僧純海の気転により床下にかくれ一命を救ってもらった。 この岩屋に5日間かくれていた。その間、食糧を運んでくれたのは土肥の女房である。 源平盛衰記に残っている。漸くして敵も引揚げたので山から降りて来たら、 吾が家が盛んに燃えていた。この情況を見た実平は頼朝を勇づけるため延年の舞を舞った慰めた。 あづま鑑にはじょうもうの舞と記されている。この岩屋は関東大震災にため入口が崩れたが、 水は一年中湧いている。実平のお陰で平氏を滅し、鎌倉幕府大業成功させた実平の功績を称え、 土肥会では昭和55年湯河原駅前に実平の銅像を建立した。 このたび小沢通大氏の寄進によって案内板を建立した。
 (平成8年12月吉日 桜郷史跡保存会)
しとどの窟
右手に続く石段を登っていくと、奥の岩壁に開いた洞があります。 これがしとどの窟になります。 洞の奥には沢山の石仏などが並んでいました。 岩壁の上からは水が流れ落ちていて、水量は僅かですが小さな滝のようになっていました。 下には直径1mほどの滝壺のようなものが出来ていて、ヒンヤリとした空気が漂っていました。
神奈川県指定史跡 土肥椙山巌窟(伝源頼朝隠潜地)
このあたりは、今から7・8百年前には杉林でおおわれていたので、土肥椙山と呼ばれていた。 新崎川の上流の山間に杉の埋れ木が発見されるので、当時を想像することができる。 「吾妻鏡」には、源頼朝が治承4年(1180)8月17日、伊豆の蛭島に兵を起し、 相模に入って土肥の館に集結、23日、300の兵で石橋山に陣し、大庭景親3000、 伊東祐親300の兵と戦って敗れ、24日夜明け、椙山に追撃され山中の巌窟に潜んで 九死に一生を得、その夜は箱根権現の永実坊にやどり、再び椙山にもどって3日間椙山の 山中に隠れ、28日真鶴から安房に向かったとある。 この巌窟は、頼朝を救い、後の歴史を大きく変えることになったところ、と伝えられている。
 (平成14年3月 神奈川県教育委員会)
湯河原町指定文化財 :土肥椙山巌窟内観音像群
この観音像群は、立像及び座像61体で、小松石に彫刻され、これが安置されている巌窟と共に 中世以後、近郷庶民の信仰習俗を知る上に貴重な資料である。 観音像は無銘が多く、銘があっても解読不能であるが、中に嘉永6年、元治元年、新しいもので 大正15年のものがあり、これらが近郷の人々により長期的に奉安され続けて来たこと、 ひいては巌窟を含むこの地が古くから観音信仰の聖地であったことを物語るものである。
 (湯河原町教育委員会)
先ほどの大きな岩まで引き返して、谷筋へ降る道に入っていきます。 道標の板「幕山・鍛冶屋経由湯河原駅」がなぜ取り外されたのかと思っていると、 少し降った所に「通行不可」の標識が立っていました。 まだ歩いたことのないこの道を歩くのを目的にして来たし、ロープなどで封鎖されてはいなかったので、 歩ける所まででも行ってみようと思って降っていきました。 小さな涸れ沢を渡ってその先に続く山道を進んでいきます。 道はしっかりしていて傾斜もそれほど急ではないし、 どこに崩落している所があるのかと思いながら降っていきました。
通行不可
しとどの窟←→一の瀬(梅林)。  一部崩落のため、通行出来ません。
 (湯河原町)
火気に注意
 (神奈川県)
歩きやすい道を進んで少し左へ曲がっていくと、先ほどより大きな涸れ沢を渡っていきます。 谷筋の斜面に続く道を緩やかに降っていくと、右下の谷には僅かに水が流れるようになります。 道の真ん中にある大きな丸い石を過ぎて右手へ曲がっていくと、沢を渡っていきます。 しとどの窟から12分ほど降って来た所になります。 流れる水もほとんどなくて、難なく渡って行けました。
緑は友だち 山火事注意
自然を守りましょう。
 (森林国営保険、神奈川県)
沢を渡って右岸の上に続く道を進み始めると、山側に鎖が張られていました。 白板に赤字で書かれた注意書きのようなものがありましたが、壊れていて読めませんでした。 何だろうと思いながら進んでいくと、道が崩れている所がありました。 どうやら「一部崩落」とは此処のことのようでした。 確かに崩れ落ちてはいるものの、道が完全になくなっている訳ではなく、 足元に注意してさえいれば、鎖に掴まることもなく歩いていけました。
たばこの投げ捨て!火事のもと
 (森林国営保険)
緑は森呼吸 山火事注意
たばこ・たき火はよく消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
鎖場を2分ほどで過ぎて、歩きやすくなった道を1分ほど進んでいくと、涸れ沢のような所を降っていきます。 このままこんな所を歩くのかと思っていると、30秒ほどで右手に上がっていく道がありました。 再び歩きやすくなった道を淡々と降っていきます。 道を塞いでいる倒木の脇を過ぎていくと、樹木越しに山並を見渡せるようになりました。 方角からすると、星ヶ山から白銀山へ続く稜線でしょうか。 少し傾斜が増してきた道を降っていくと、涸れ沢のようになってきました。 そこを過ぎていくと、大きめの石がゴロゴロする道になってきました。 先ほどから聞こえている水音が大きくなってくると、沢に降り立ちました。 しとどの窟から29分ほど降ってきた所になります。 左手の10mほど上流の所に大きな岩があって小滝にようになっていたので、 ちょっと立ち寄って行きました。 小滝から引き返して、沢を渡っていきます。 水は流れているものの、それ程多くはなくて沢の幅も狭いので、難なく渡っていけました。 沢を渡った所の岩の上には、石がケルンのように積まれていました。
たき火・たばこに注意
 (神奈川県)
菜畑林道
石がゴロゴロするようになった道を緩やかに降っていきます。 夏草が生い茂る所にあるベンチを過ぎていくと舗装された林道に出ました。 この先にあった標識によると菜畑林道というようです。 小滝のある沢から6分ほど、「しとどの窟」から38分ほどで降りて来られました。 正面にはこれから登る幕山が聳えています。 ここは右手から来て左手へと曲がっていく林道の角になります。 ここにも「通行不可」の標識が立っていました。 他に道標類は見かけませんでしたが右手へと降っていきます。
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林国営保険、神奈川県)
一の瀬
すぐに砂利道に変わる林道を進んでいきます。 ガードレールが設置された所まで来ると舗装路になりますが、 ガードレールが終わって植林帯に入っていくと、再び砂利道になります。 林道とあってとても歩きやすい道が続きます。 再び舗装路になってくると、左右に通る道に出ました。 菜畑林道に降り立った所から7分ほどで着きました。 この場所の名前を示すようなものは見かけませんでしたが、この辺りは一の瀬というようです。 手前には「菜畑林道」の標識が立っていました。 角には道標が立っていて、右手の道は「湯河原梅林700m・五郎神社2,900m」、 左手の道は「幕山2,600m」、今来た道は「しとどの窟(林道経由)6,300m」となっています。 今回は左手の先から幕山へと登っていきます。
しとどの窟まで6,300mとなっていますが、今回降りて来たルートではそれほどの距離はありません。 菜畑林道の終点から白銀林道まで登って南下していくルートを示しているものと思われます。
菜畑林道
全延長2930m 幅員3.0m 設計速度20km/時
・落石には十分注意して下さい。
・カーブでは必ず徐行して下さい。
・路肩の走行は避けて下さい。
 (平成20年3月 湯河原町)
左手の一段高い所には「吉浜財産区記念碑」がありました。 左手から合流するなばたけ沢に架かる鉄板の橋を渡った所に「鍛冶屋山の神」と題した石碑がありました。 大きな岩を刳り貫いた祠の中には、「山ノ神」と刻まれた石が安置された石祠がありました。 その裏手へ登った所にも「吉浜財産区記念碑」がありましたが、碑文は先ほどのとは異なっていました。 左手の沢に降りて行かれる梯子が設置されていました。 沢の上流には水しぶきを上げて流れ落ちる小滝もありました。
吉浜財産区記念碑
昭和31年の町村合併の際に吉浜財産区が設立されてから、はや50年が経過した。 先人の努力により、念願であった財産の自主管理を達成し、 地区内の人々が植林や下刈りなど丹精をこめて樹木を保護育成してきた。 この間、森林の役割は木材恐竜の生産林から、水資源のかん養や自然環境保全などの役割を担う環境林へ、 更には人々の癒しの場へとその意義も大きく変化したことから、 設立50周年を節目として財産区を廃止し、その財産を町へ移管することとした。 ここに、豊かな緑と水の輝きにあるれるこの美林を湯河原の素晴らしい自然とともに 後世へ確実に引き継いでいくことを決意しこの碑を建立する。
 (平成18年11月 湯河原町吉浜財産区)
吉浜財産区記念碑
この周辺は、古くから「土肥の椙山」と言われ、天然杉が生い繁っていたところである。 明治39年、足柄下郡が日露戦後の殖産政策として始めた当地の植林事業は、 大正12年の郡制廃止に伴って郡下の町村に引き継がれ、先人の努力によって成林した。 昭和30年、町村合併に際して関係町村は協議のうえ、植林地一帯の土地を所有する吉浜財産区を設けた。 昭和51年、70年に及んだ植林の地上権満了の折、財産区は地上権者の樹木所有権の一切を買取り、 念願であった財産の自主管理をすることとなった。 丹精をこめて樹木を育てる貴重な喜びを後世に伝えるとともに、 この美林の育成に貢献した事蹟を顕彰するため、 財産区設立30周年を記念して、この碑を建立する。
 (昭和61年3月 湯河原町吉浜財産区)
鍛冶屋山の神
豊かな山の幸に感謝し仕事の安全をねがい、江戸末期から「山の神」が山仕事の仲間によって祭られました。 その後、毎年1月16日に鍛冶屋山の神講によって祭事が行われ、山の恵みや安全を祈願しています。 この「山の神」は、平成16年10月26日に山の中腹から現在地に移設されました。
 (平成18年11月)
純林分岐
登り坂になった道を1分ほど進んでいくと、左手に戻るようにして分かれていく道があります。 角には道標「クスノキの純林」が立っていて、その道を指しています。 脇には「クスノキの純林」の解説板も設置されていました。 それに載っている「幕山周辺ハイキングマップ」によると、純林まで約20分とのことでしたが、 立ち寄るのは省略して、この先へ続く道を登っていきました。
解説板のハイキングマップによると、クスノキの純林の先にも道が続いていて、 先ほどの菜畑林道に出て白銀林道まで登って行けるようでした。
クスノキの純林(かながわの美林50選)
明治時代の終わりに植えられた約3ヘクタールのクスノキのもりです。 クスノキはむかしショウノウ(防虫剤)の原料としてたいせつだったので植えられました。
 (湯河原町、神奈川県)
大石平
辰沢に設置された砂防ダムから続く流れに架かる鉄板の橋を渡っていきます。 植林帯になってきた道を登っていきます。 ガードレールが設置された所を過ぎていくと、 新崎川にコンクリート製のしっかりとした橋が架かっています。 橋の名前は分かりませんでしたが、水路橋も並行して設置されていました。 「水道施設管理橋につき一般車輌の通行禁止」の立て札もあったので、 「水道施設管理橋」というのが橋の名前なのでしょうか。 橋の手前には「大石平」の標識が立っていました。 そこから川へ降りて行かれる小径もありますが、夏草に被われていたので、降りていくのは省略しました。 この橋の先から幕山への登り道が始まるので、手前の木陰に腰を降ろして休憩していきました。
大石平は「大石ヶ平」とも書くようですが、現地で見かけた「大石平」を使用しておきます。
登り口
橋を渡って道なりに左手へ曲がっていくと、大きな樹木を過ぎた所から右手の山へ登っていく道が分かれています。 ここが幕山への登り口になります。 角には「鎌倉幕府開運街道」の道標が立っていて、右手へ分かれて登っていく道は「幕山1,700m」、 正面の広い道は「白銀林道2,500m」、今来た道は「湯河原梅林1,500m・五郎神社3,700m」となっています。 この先に続く広い道は沢筋を経て白銀林道へ続いていますが、 今回はここから右手の道を幕山へと登っていきます。
(正面の道は「天照山」を参照)
両側に草木が生い茂る斜面に続く山道を登っていきます。 急傾斜というほどではありませんが、結構傾斜があります。 その上、あまり歩かれていないのか、蜘蛛の巣が頻繁に顔にかかるので、 落ちていた笹竹で前を払いながら登っていきました。 暑い季節とあって、止め処もなく汗が噴き出てきて息も切れてくるので、 何度も立ち止まりながらゆっくりと登っていきました。 樹木が低くなって正面に山並が見渡せる所を過ぎていくと、 登り口から7分ほどで緩やかな道になってきます。 手元の地形図では、破線の道が直角に曲がっている辺りになるようです。 道なりに右へ曲がっていくと、幕山へと続く尾根が見えるようになります。 標高差はまだ結構あるようだと思いながら進んでいきました。 振り返ると、何やら高そうな山も見えていました。 少し左へ曲がっていくと、再び登り坂になってきます。
涸れ沢
僅かな涸れ沢を過ぎていくと、樹間から山並を見渡せる所がありました。 何度も立ち止まって滴る汗を拭いながら、見通しの利かない道を淡々と登っていきます。 U字形に抉れた笹竹の生い茂る所を過ぎていくと、十字路のような所がありました。 左右に続くのは道のようにも思えますが涸れ沢のようでした。 登り口から32分ほどの所になります。 手元の地形図では、破線の道が東北東から南南東へと曲がっていく辺りになるようです。
南郷山分岐
正面に見える尾根が次第に近づいてくるようになります。 草が生い茂る所を過ぎて少し進んでいくと植林帯が現われます。 植林帯の縁に続く道を登っていきます。 途中で左手へ曲がりながら登っていく僅かな踏み跡が分かれていきますが、右手の道を登っていきます。 木の根が張り出した所の先に現われる横木の階段を登っていくと、緩やかな尾根に出ました。 そこから道なりに左手へ進んでいくと、左右に通る尾根道に出ました。 登り口から48分ほどで登って来られました。 この尾根道は白銀林道から幕山へ続く道で、ここは手元の地形図では破線の道が合流している所になります。 角には幕山ハイキングコースの道標が立っていて、右手の道は「幕山550m」、左手の道は「南郷山1600m」、 今来た道は「大石ヶ平900m」となっています。 見通しの利かない坂道を登ってきてかなり疲れたので、 脇の木陰に入って、切り倒された木に腰を降ろして休憩していきました。
落ち着いたところで、幕山へ向かって右手に続く尾根道を進んでいきます。 植林帯に沿って続く尾根道は緩やかで歩きやすい道になっていました。 ずっとこんな道ならいいがと思いながら3分ほど進んでいくと、横木の階段が現われます。 幅が広くて登りやすそうな階段ですが、疲れた体には厳しい登りでした。 ここでも何度も立ち止まって汗を拭き呼吸を整えながら登っていきました。 道端にポツンと設置されたベンチを過ぎていきます。 横木の階段を4分ほどで登り切って道なりに左手へ曲がっていくと、降り気味になってきます。
小さな火 "まさか"がおこす 山の火事
 (神奈川県)
緩やかになった道を進んでいくと再び登り坂になってきます。 樹木が少なくなった所を過ぎていくと、5mほどの間隔の横木の階段が続くようになります。 そんな道を登っていくと、南郷山分岐から18分ほどで、右手へ道が分かれていきます。 角に立つ道標によると、右手の道は「山頂周回コース800m」、今来た道は「大石ヶ平1,100m」となっています。 右手の道は幕山の山頂を周回するコースで12分もあれば一周できますが、今回は歩くのは省略しました。 正面の道のすぐ先にも道標が立っていて、正面の道は「山頂」、今来た道は「南郷山2000m」、 左手の道は「山頂周回コース800m」となっています。 左手の道を指す板の先は谷になっていて道はありませんが、 道標を過ぎた先で道が二手に分かれいて、その左手の道が山頂周回コースで、右手の道が山頂への道になります。 道標の設置されている場所が少し手前過ぎるようでした。
豊かな緑 山火事注意
たばこ・たき火は完全に消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
幕山 (標高625m)
二股の右側の坂道をひと登りすると、「幕山山頂 海抜625m」の標識が立つ幕山の山頂に着きました。 南郷山分岐から19分ほどで登って来られました。 草原になった幕山の山頂は南東側が開けていて、手前の樹木に邪魔されながらも、 真鶴半島や初島などを見渡せる眺めが広がっていました。 右手の方には伊豆半島が延びていて、手石島と思われる小島も見えていました。 北西側は手前の樹木が邪魔をしていて、山並の山頂部が僅かに見える程度でした。 山頂には「幕山・南郷山案内図」が設置されていて、イラスト風の図が載っています。 ベンチなどは設置されていませんが、お昼をかなり過ぎた時刻になったので、 脇に生える樹木の袂に腰を降ろして昼食タイムにしました。
「幕山山頂」の標識の先に続く道を降っていきます。 細い道を進んで道なりに左手へ曲がっていくと、左右に通る山頂周回コースに出ました。 今降って来た道が斜めに交差するX字路になっています。 脇には道標が立っていて、「五郎神社4500m」と「湯河原梅林3,500m」の板が左手の道を指しています。 「ちょっと素晴しい景色です。山頂の回り一周800mです。→」と手書きされた板も取り付けられていて、 右手の道を指していました。 左手の道は二つありますが、左側の道は山頂周回コースなので、右側の道を降っていきます。
広い道をクネクネと曲りながら降っていきます。 傾斜が急な所には横木の階段が設置されていたりもします。 見通しの利かない広い道を淡々と降っていきます。 この道は地形図に載っているつづら折りの道で、分岐などは特になくて分かり易くなっています。 幕山から11分ほど降って来ると、曲がり角に道標が立っていて、 この先へ降っていく道は「五郎神社」、今降って来た道は「幕山」となっています。 また「もう少し がんばって!頂上まで15分です」と書かれた板も取り付けられていました。 道標を過ぎて更に降っていきます。 次第に脚が棒のようになってきて、小石の上に乗って転びそうになったりもしました。
道の中ほどに岩が頭を出した所を曲がっていきます。 その先の崩壊気味の所を過ぎていくと、樹木が途切れて眺めが広がる所がありました。 幕山から22分ほど降った所になります。 湯河原の街並みの向こうには真鶴半島が相模湾に突き出し、海には初島が浮かんでいました。 見える範囲は少し狭いものの、樹木が邪魔をしていた幕山の山頂よりも、ここからの方が綺麗に見えました。
東屋
眺めを楽しんだら、その先へと降っていきます。 足がかなり疲れてきたので、いつも以上にゆっくりとしたペースで降っていきました。 樹間から時折見える山並などを眺めながら8分ほど降っていくと道標が立っていて、 この先の道は「五郎神社3000m」、今来た道は「幕山山頂1400m」となっています。 幕山から30分ほど降って来た所になります。 右手を見ると東屋があったので休憩していきました。 東屋にはテーブルやベンチが設置されていて、休憩するのに良い所になっていました。 柱には「頂上まで30分〜1時間位です(脚力によって)」と書かれた板が取り付けられていました。
少し下にある「保安林区域図」にこの東屋が載っているので、場所を確認することができます。
保安林区域図
この区域は森林がもついろいろな働きを守るため、保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県西湘地区行政センター農林部林務課)
湯河原梅林
保安林区域図を過ぎて、横木の階段混じりの広い道を更に降っていきます。 東屋から12分ほどで正面が開けてきた道を降っていくと湯河原梅林に入っていきます。 岩壁では数人が岩登りの練習をしていました。 大きな岩が露出した梅林に続く道を曲りながら降っていきます。 ここまで降ってくると車道はもうすぐなので、気持ちにも余裕が出てきました。 山並などを眺めながら、時折大きな岩が道端にあったりもする梅林の中の道を降っていきました。
ベンチが設置されていたり、横木の階段があったりする梅林の中の道を降っていきます。 梅林に入って8分ほど降っていくと、道が二手に分かれています。 角には道標が立っていて、今来た道は「幕山ハイキングコース 山頂→」となっていますが、 降っていく道には何も示されてはいません。 暫く考えた末、今回は左手の横木の階段を降っていきました。
道端の低い所に「散策路」の標識がある道を曲りながら降っていくと、 分岐から2分半ほどで舗装路に降り立ちました。 これで山道は終わりになります。 東屋から24分ほど、幕山から1時間ほどで降りて来られました。
降り立った所に設置されている看板によると、 梅林の背後にある岩壁は立入禁止区域になっているようでした。 以前は岩登りの練習をする人達を多く見かけた所ですが、危険だということで禁止になったようです。
平成20年2月より、湯河原梅林内に立入禁止区域を設定しています。 該当区域には入らないようお願いいたします。
 (湯河原町)
ヘビ・スズメバチに注意!
 (湯河原町)
幕山公園
舗装路に降りて左手へ進んでいくと、すぐの所から右手に戻るようにして道が分かれていきます。 その先に休憩所があるので休憩していくことにしました。 新崎川沿いには細長く幕山公園が続いています。 足を棒にしながら坂道を降ってきてかなり疲れたので、 トイレが併設されたログハウスの管理室「民話の館」で買ったかき氷を食べながら、脇の休憩所で休んでいきました。
幕山公園案内図
幕山公園利用の注意
1.施設を傷つけたりこわしたりしないでください。
2.植物を傷つけたり採取しないでください。
3.火気の使用は注意して行ってください。(たき火は禁止)
4.キャンプはできません。
5.ゴミは持ち帰りましょう。
6.人に迷惑のなることはしないようにしましょう。
 (湯河原町)
平成15年4月1日から、幕山公園でのキャンプは禁止になりました。
 (湯河原町)
お知らせ
湯河原梅林は、平成18年の「梅の宴」開催期間から入園料をお支払いしていだたくことになりました。 皆様からお支払いいだたきました入園料は、梅林の整備育成など、 よりよい梅林公園にするための経費に使用させていただきます。 皆様方には、趣旨をご理解の上、ご利用いただきますようお願い申し上げます。
有料期間 : 「梅の宴」開催期間
開園時間 : 午前9時から午後4時
入園料 : 1人1回15才以上(中学生を除く) 200円
 (湯河原町役場・観光課)
落ち着いたところで、幕山公園の散策は省略して、五郎神社へと向かっていきます。 休憩所の左手の坂道を登って先ほどの所まで来て、その先へと舗装路を進んでいきます。 少し降っていくと、右手に湯河原町の幕山浄水場があります。 その少し先から川辺へ降っていく道を右手に分けて道路を更に進んでいきます。 桧の並木を抜けて降り坂になってくると黒石配水池を過ぎていきます。 小川に架かる橋の手前で右手へ分かれていく道もありますが見送っていきます。 橋を渡って軽く登っていくと、広い道が右手に分かれてきます。 幕山公園から16分ほどの所になります。 手元の地形図に載っている実線の道になるようです。 眼下の街並みの向こうには相模湾が見えていました。 右手の道を降っていっても良いのですが、今回は正面に続く緩やかな道を進んでいきました。
背の高い生垣を過ぎていきます。 少し降るようになると、先ほどの分岐から9分ほどの所に、カーブミラーの設置された分岐があります。 道標類は見かけませんでしたが、南郷山から白銀林道を経て降って来た道になります。 ここは正面に続く坂道を更に降っていきます。
五郎神社
こんもりとした森を眺めながら坂道を降っていくと道標が立っていて、 正面の道は「幕山4400m」、今来た道は「南郷山3600m」となっています。 その道標のすぐ先の左手に五郎神社があります。 幕山公園から29分ほどで到着しました。 鳥居の脇に由緒書きがありますが、文字が擦れていてほとんど読めなくなっていました。 以前に来た時には少しは読めたので、その時の内容を載せておきます。 その中の地名考によると、「鍛冶屋」という名前の由来はよく分らないようです。 しかし祭神が金山彦尊となっているので、「鍛冶」とは何らかの関連があるのだろうと思われます。 鳥居をくぐってその先の参道を進んで石段を登っていくと社殿があります。 歴史を感じさせる佇まいで、本殿と拝殿から成る立派な社殿でした。 村社ということで、この地区の鎮守のようです。 拝殿の前には太い注連縄が張られていて、鈴を鳴らす房が二本下がっていました。 名前は分かりませんでしたが、社殿の両側には小振りの社が合祀されていました。 社殿の裏手の森には、根回りが10m以上はあろうかと思われる特大の樹木が生えていたりもします。
宗教法人「五郎神社」
鎮座地 湯河原町鍛冶屋715番地
祭神 金山彦尊、面足尊
由緒 元亀年間創立自…明治6年7月…村社に定められ…を合祀し… 昭和22年より神社制度の変革あり…郷氏の守護神として広く…崇敬を集めている。
例祭日 4月19日〜20日
地名考 鍛冶屋…と地名の付いている所はかつて鍛冶職が住んだことに由来しているといわれている。 しかし鍛冶屋については風土記によると…鍛冶屋村とあるが、鍛冶職についてはふれていない。 江戸初期の貞亨3年(1686)小田原藩に出されたこの村の差出帳からも鍛冶職の技術集団が住んだ事を 裏づけるものは何も見出せない。 差出帳に記録されているこの村の当時の軒数は54軒であり、その身分構成は…のようになっている。 鍛冶職は1軒もない。…は樋屋が3軒もあることである。
名主1軒、組頭2軒、弥宣2軒、本百姓25軒、村筒4軒、樋屋3軒、無田16軒、定吏1軒
鍛冶屋(かじや)バス停
五郎神社の前に鍛冶屋バス停があります。
湯河原駅(JR東海道線)まで、湯河原駅行きバスにて12分、1時間に2本程度の便があります。
玉垣奉献
元亀年間創立以来この郷の鎮守として郷民の崇敬を集めてきた当社に、 此の度氏子有志相はかり、境内玉垣一構を完遂いたしました。 この事業に寄せられました氏子各位の敬神の熱誠に深甚なる感謝を捧げ永く記念といたします。
 (五郎神社)