横浜名瀬
散策:2010年08月中旬
【街角散策】 横浜名瀬
概 要 横浜市の東戸塚駅の西側に広がる丘陵を歩きます。 川上川せせらぎの小道を通ってこども自然公園へ向かい、 名瀬川アメニティの小道を経て東戸塚駅へ戻ってくるルートで、 「名瀬コース」として横浜市ホームページでも紹介されています。 途中にあるお寺などを訪ねながらゆっくりと歩いていきます。
起 点 横浜市 東戸塚駅
終 点 横浜市 東戸塚駅
ルート 東戸塚駅…川上川せせらぎの小道…倫勝寺…都塚…地蔵堂…こども自然公園…名瀬町第三公園…名瀬町第一公園…名瀬町第二公園…西蓮寺…名瀬川アメニティの小道…妙法寺…殿畑…瀬下第二公園…徳翁寺…東戸塚駅
所要時間 4時間30分
歩いて... 車道を歩く部分も結構ありますが、 川沿いの道以外にも樹木が植えられた所もあって、雰囲気のいい道が続いていました。 鴨も暑いのか、川の飛び石の上や浅い流れで群れを成して休んでいました。 こども自然公園では多くの家族連れや散策グループを見かけました。 この時は曇りでしたがかなり蒸し暑くて、たっぷりと汗をしぼられました。
関連メモ こども自然公園
コース紹介
東戸塚(ひがしとつか)駅
東戸塚駅(JR横須賀線)から歩いていきます。
改札口を出た所に「東戸塚駅総合案内」と題した地図があるので参考にしましょう。 先ずはこの図の東戸塚駅西口入口交差点へ向かっていきます。 西口から駅舎を出て、正面にある駅前広場の階段を登り、自転車駐車場の脇を過ぎていきます。
今回歩くコースは横浜市ホームページに「名瀬コース」として載っているので、 印刷して持参すると参考になります。 このコース図と少し違う箇所もありますが、概ねは同じルートを歩きます。
車道に出で左手へと進んでいきます。 少し降り坂になってくると、東戸塚駅から5分ほどの所に東戸塚駅西口入口交差点があります。 そこを右折して横浜新道(国道1号)の下をくぐっていきます。 川上第二団地入口交差点と川上第一団地入口交差点を直進していくと、 駐車場とその先の横浜市戸塚消防団第3分団第6斑の小振りの倉庫の間から、左手に分かれていく路地があります。 東戸塚駅から12分ほどの所になります。 ここが川上川せせらぎの小道への入口になります。 入口には「川上川せせらぎの小道(川上まち小川アメニティ)」と題した看板があります。 簡単な紹介文と地図が載っていましたが、かなり掠れていて、ほとんど読めなくなっていました。
川上川せせらぎの小道(川上町小川アメニティ)
川上川の上流の小川を_水があふれないようにして、 自然を残し、みなさんが散策できるように整備しました。
 (横浜市下水道局河川管理課、戸塚土木事務所)
川上川せせらぎの小道
民家の間に続く狭い路地を進んでいくと、右手と正面に高いコンクリート壁が現われます。 駐車場の脇に続く路地を道なりに右へ曲がっていくと、擬木の手摺が設置された川沿いに出ます。 ここからが「川上川せせらぎの小道」になるようです。
歩き始めの部分の両側には高いコンクリート壁がすぐ傍に聳えていて、あまり良い雰囲気ではありませんが、 壁はすぐに遠退いていきます。 畑地の脇を過ぎて再び民家が現われるとコンクリート壁が続きます。 川の両岸は石垣で護岸されていて見た目は綺麗なのですが、 生き物の姿が見えないのは寂しく感じます。
草木が道に進出してきている所を進んでいくと、川に擬木の橋が架かっています。 橋を渡ってその先の石段を登っていくと車道に出ます。 右手の新谷橋を渡り、その先の川上町交差点を左折していくと、すぐに柳橋が架かっています。 柳橋を渡った所の少し先から再びせせらぎの小道が続きます。 水辺愛護会の掲示板が立っていて、 竹箒を持ったカバの大ちゃんが「みんなの川だよ きれいにね」と呼びかけています。
川上町小川アメニティ水辺愛護会掲示板
ここは川上川せせらぎの小道水辺愛護会が美化活動をしています。 みなさんのご協力をお願いします。
みんなの川だよ きれいにね
 (川上川せせらぎの小道水辺愛護会、戸塚土木事務所)
車道沿いに進んでいくと、川沿いに分かれていく石畳みの道になります。 「川上川せせらぎの小道(川上町小川アメニティ)」の看板を過ぎていくと、 大きな木の袂にベンチが設置されていました。 以前は木の両側に設置されていたものと思われますが、この時には手前の方は板がなくなっていました。 右手のすぐ傍には川上川の流れがありました。
少し登っていくと、再び車道の脇を進むようになります。 金網柵の設置された小橋を見送って、その先へ進んでいきます。 建物の裏手のような所を過ぎていくと、眺めが広がってきます。 左右に通る道を横切ってその先へ進んでいくと、小川アメニティらしい雰囲気になってきます。 向こう岸には幅の広い石段が川辺へと降っていましたが、 上には草が生い茂っていて、そこへ続く道があるのかどうかは分かりませんでした。
車道に出てその先にある橋を渡り、擬木の柵沿いに進んでいくと、左手へ分かれていく小径があります。 入口には小さな案内板があって、左手へ入っていく道は「こども自然公園」、 今来た道は「東戸塚」となっています。 一見して民家の庭へ入っていく感じがしますが、 ここから入っていくと、再び川沿いを進むようになります。
民家や畑が続く川沿いを進んでいきます。 鉄工所の下を過ぎていくと、道が一段低くなって、川辺のすぐ傍に降りて行かれる所がありました。 石畳みになった一段低い所を過ぎて、その先へ進んでいくと柿の木橋が架かっています。 ここで「川上川せせらぎの小道」は終わりになるようです。 せせらぎの小道に入ってから19分ほどで歩いて来られました。 十字路になっていて、左手の橋を渡った先には山道が続いているようでした。 右手にも道が続いていましたが、擬木の柵が続く正面の細い道を進んでいきました。 すぐの所で川が合流していました。 そこから金網柵沿いに登って道路に出ると、右手の上にもちのき霊園がありました。 霊園の前に続く車道を左手へ緩やかに登っていきます。
倫勝寺
もちのき霊園の入口を過ぎていくと「風倫閣入口」の看板が出ていて、左手に分かれていく道を指していました。 何だろうと思って立ち寄っていくと、倫勝寺の建物がありました。 ここは「合掌の郷」とも云うようでした。 建物の先には「子育地蔵・災除観音」があり、その先は広い墓地になっていて、奥には御休憩所もありました。 樹木も沢山植えられていて静かな場所でした。 犬を連れて散歩している人も見かけました。
子育地蔵・災除観音
昭和十二年、世界情勢が変革の一途をたどったころ、 水害に悩まされていた東京・小松川一帯の治水対策として、 昭和十三年に中川(江戸川区小松川と江東区亀戸を割って流れている)の護岸工事を徹底的に施した。 同年三月二十九日、建設作業者達が土中より墓石や経文を彫った石塔の一部、地蔵さんなどを堀り出し、 居合わせた心ある人々が洗い上げたところ、元禄時代に彫刻された地蔵二体と観音様であることがわかった。 その後、近くに倫勝禅寺を建立した馬場慈宗老師は世情の流れを考慮し 「子育地蔵・災除観音」として当寺にこの石仏をお祭りした。 昔より「地下にあって、現世に掘り出された石仏は、現世の人々に功徳を与える」と言い伝えもあるが、 小松川一帯の霊験あらたかな守り本尊として大勢の参拝者で賑わうようになったという。 後に、東京都の区画整理によって倫勝禅寺がこの地「合掌の郷」に移転するにともない 「子育地蔵・災除観音」はここに安置され、現在も回向されている。
元の道路に戻ってその先へと進んでいきます。 この道路は戸塚カントリー倶楽部の外周道路になっているようでした。 二車線道路ですが、車の往来は僅かしかありません。 歩道も設けられていていました。 戸塚カントリー倶楽部のコース管理事務所を過ぎていくと、背の高い網が見えてきます。 登り坂になってきた道を進み、切通のような所を過ぎていくと、緩やかな道になってきます。 路上にある「旭区」の標識を過ぎていくと、戸塚カントリー倶楽部の入口がありました。 倫勝寺から18分ほどの所になります。 丁度、送迎用のマイクロバスが出て行くところでした。
広域避難場所 戸塚カントリークラブ一帯
地震のときの火災は、想像以上に恐ろしいものです。 大火災から、私達の生命を守る場所、それが広域避難場所です。 「戸塚カントリークラブ一帯」は広域避難場所として土地所有者の御協力を得て指定したものです。 避難訓練等の際には次のことがらを守って下さい。
1.非常の場合以外は農地、山林には入らないで下さい。
2.避難訓練等の際は土地所有者の承認を得て下さい。
3.ゴミや空缶を捨てたり、汚さないようにしましょう。
 (横浜市)
都塚
戸塚カントリー倶楽部の入口を過ぎて高い網沿いに進んでいくと、 3分ほどの所に「都塚」の標柱が立っていました。 ここから鎌倉が一望できたとのことですが、今では見えないようでした。 傍には石標が立っていて、「西 武相堺道」「南 鎌倉道」「北 二俣川村道」と刻まれていました。 脇には「狸の墓」と書かれた板と石が置かれていました。 車に引かれて死んだ狸を供養する墓なのでしょうか。
都塚
武蔵の国と相模の国の国境。鎌倉の都が一望できた。
 (旭区観光協会)
地蔵堂
都塚の標柱の脇から横木の階段が続いていたので登ってみると、すぐの所に地蔵堂がありました。 中を覗ってみると、赤い頭巾と前掛けをした地蔵が安置されていました。 謂れなどを記したものは見かけませんでした。
こども自然公園
地蔵堂を後にして車道を4分ほど進んでいくと、左手へ小径が分かれていきます。 ここがこども自然公園への入口のひとつになります。 東戸塚駅から1時間15分ほどで着きました。 入口には車止めが設置されていて「バイク等進入禁止」の看板が取り付けられていました。 入口は狭いのですが、車止めの先には広い坂道が続いていました。 坂を降っていくと、すぐに円形の広場があって、簡単な遊具が幾つか設置されていました。
守ろう・大切な自然
横浜では自然と生き物にふれあう事業を進めています。
横浜市公園法および横浜市公園条例で次の事が禁止されています。
・鳥や獣などを捕まえたり、傷づけること
・樹木や植物を採取したり、傷つけること
・ゴミなどの汚物を捨てたり、不衛生な行為をすること
・土地を掘ったり、土や石を採集したりすること
・工作物を設けること
・土石、木材をたい積すること
・危険な行為や他人の迷惑となる行為をすること
・犬の散歩は、鎖などでつなぎ絶対に放さないこと
・その他、公園の利用および管理に支障のある行為をすること
この公園が指定を受けているもの
横浜市指定文化財(天然記念物)「こども自然公園のゲンジボタル及びその生息地」、 鳥獣保護区、 かながわの美林50選、 かながわの公園50選、 かながわの探鳥地50選
 (横浜市)
広場を横切っていくととりでの森があります。 以前に来た時には木組みの大きな「砦」でしたが、この時には金属製の設備になっていました。
とりでの森
みんなで楽しく遊ぶための「やくそく」
やくそく(ルール)をまもって楽しく遊びましょう。
・この遊具は、6歳から12歳用です。
・動きやすい服装で遊びましょう。
・仲良く遊びましょう。
・天気に注意しましょう。
大人の方へ 子供達が危険な遊び方をしないよう気をつけてください。
 (横浜市環境創造局北部公園緑地事務所)
とりでの森を過ぎて少し登っていくと桜山に着きます。 広くて緩やかな山頂部には桜の木が沢山植えられていて、まさに「桜山」と呼ぶに相応しい所です。 右手に架かる「ふれあい桜橋」の先には、草地広場や本宿市民の森などがありますが、訪ねるのは省略しました。
サクラの治療を実施しています
サクラの木に胴枯病が発生したため、菌類(カビの仲間)が入った枝を剪定し、 回復させるための治療を行っています。
《胴枯病》
菌類が原因で細い枝は枯れ、太い枝や幹では褐色のくぼみが発生し、樹木が衰弱していく病気。
 (北部公園緑地事務所)
桜山について
この桜山に植えられている樹木は、緑豊かな街づくりと緑化思想の普及啓発のために実施された人生記念樹や 横浜市の人口二百万人突破記念植樹・その他の善意の団体の寄付によって作られてきたものです。
 (平成八年七月 横浜市緑政局)
桜山をその先へ進んで降り坂になってくると、バーベキュー広場があります。 ここも「桜山」に含まれるようで、桜の木が沢山植えられています。 幅の広い横木の階段を降っていくと舗装路に降り立ちます。 正面には六角形の炊事場がありました。 右手のすぐ先は公園の出入口になっているので左へ進んでいくと、程なくして管理センターがあります。 バーベキュー場は予約制になっているようでした。
こども自然公園 バーベキュー広場案内図
この広場はバーベキューができるように開放されたものです。 楽しく、きれいに使いましょう。
施設概要 面積1.8ha、バーベキュー場30基、炊事棟、トイレ、管理センター
利用期間 3月1日から11月30日まで
利用時間 昼の部10:00〜14:00、 夕方の部14:30〜18:30
料金 1回 平日1,500円 土・日・祭日2,000円
 ((財)横浜市緑の協会バーベキュー広場管理センター)
管理センターの前の坂を降りていくと左右に通る道に出ます。 そこを左折していくと売店があります。 その先には大池が広がっています。 手前には小島もあって雰囲気のいい眺めが広がります。 脇には「こども自然公園案内図」があるので参考にしましょう。 手前は入口広場になっていてベンチも幾つか設置されているので、ここでひと休みしていきました。 広場にある「友愛の日時計」によると、この場所は東経139度32分30秒、北緯35度27分00秒とのことです。 こども自然公園は以前にも訪ねているので、 今回は中池から教育水田などを経て青少年野外活動センターへ抜けるだけにしました。
大池の右手に沿って進んでいくと、すぐの所に「大池の歴史」と題した解説板があります。 脇に鳥居が立っていて、その先の石畳の道の奥に小祠があります。 解説板に載っている弁財天になるようです。 中には石祠が収められていて綺麗な花も手向けられていました。
大池の歴史
この池は、古くから「本宿の大池」といわれ、二俣川村本宿の溜池で、 元久2年(1205)6月、畠山重忠公と合戦した北条時政の軍勢が、 この池の水で炊き出しをしたと伝えられている。 また、土地の古老の話しによると、江戸時代中期(1700年代)にこの付近の地頭の渡辺氏の命により、 百姓六兵衛親子二代にわたり、村内52戸の灌漑池(農業用水)としてつくられたとも伝えられている。 池畔には、弁財天の石祠が祭られており、寛政2年(1790)2月に建立と刻まれているが、 天明3年(1783)の大飢饉で大勢の人が亡くなったことを供養して建てられたと伝えられている。 また、一方では、昔ある男が鴨を撃とうとして誤って池の主の大蛇を殺してしまい、 祟りを恐れて弁財天を建てたとも伝えられている。 昔からの行事としてこの池では、毎年5月5日に村人が弁財天に「御神酒上げ」をして豊作を祈った。 また、旱魃になると村人の代表数人が大山の阿夫利(雨降)神社に参拝し、 「御神水」を戴いてこの池に注ぎ、弁天様に雨が降るように「雨乞い」をした。 このような行事は昭和33年(1958)頃まで行われていた。 そのころまでは、池の周辺や前の道路に桜が植えられ、花見などで大変賑わい、 こども達は釣りや夏の水泳にと格好の遊びの場となっていた。 現在の池は面積6,460平方メートルあり、昭和47年(1972)には林と共に保存するため、 「こども自然公園」として生まれかわりました。
大池を過ぎていくと柳の木が幾つか生えている広場風の所があります。 その先に中池があります。 以前に来た時には見かけなかったように思いますが、この時には「めだかの学校」の楽譜碑が出来ていました。 歌詞と共に楽譜が載っていたのでMIDIファイルにしてみました。 【♪演奏
めだかの学校 楽譜碑
この碑は、このこども自然公園の中にある「めだかの学校の池」に因んで建てられたものです。 作曲者の中田喜直先生は、旭区柏まちに三十数年間在住され、この公園を深く愛されていました。 そして、「夏の思い出」「ちいさい秋みつけた」「雪の降る街を」など3000曲を超える名曲を残された日本を代表する作曲家です。 歌を通して豊かな自然と豊かな心がすえ永く受け継がれることを祈念いたします。
 (横浜旭区ロータリークラブ建立)
めだかの学校 中田喜直(1923〜2000)作曲、茶木滋(1910〜1998)作詞
めだかの がっこうは かわのなか
そーっとのぞいて みてごらん
そーっとのぞいて みてごらん
みんなでおゆうぎ しているよ
めだかの がこうの めだかたち
だれがせいとか せんせいか
だれがせいとか せんせいか
みんなでげんきに あそんでる
中池の右手に続く道を進んでいくと、道が二手に分かれています。 その角にはす池があって、蓮が青々とした葉を水面に広げていました。 左手のすぐ先には休憩所があるので、ひと休みしていくのに良い所です。 左手の道はちびっこ動物園へ続いていますが、今回は正面の道を進んでいきました。
生物の採取は原則禁止です
「かご網やこれに類する物の使用」、「ルアーの使用」、「投げ釣り」は行わないでください。
 (北部公園緑地事務所)
柵の中に入らないでください。
 (北部公園緑地事務所)
こんな生きものには注意が必要です!!
スズメバチ事故に遭わないために  この公園内でも年数例の事故が報告されています。 不幸な事故をなくす意味でも以下のような点に注意するようにしましょう。
1.道を外れて山に入る…知らないうちにスズメバチの巣に近づいてしまう危険があります。
2.巣にいたずらをしない…これは論外、スズメバチが攻撃的になります。
3.スズメバチが接近しても手で払ったりしない…これもスズメバチを攻撃的にする行動です。
4.清涼飲料水の缶を放置しない…スズメバチはジュース等の清涼飲料が大好きです。スズメバチを引き寄せる原因にもなります。
アオカミキリモドキ  体長11〜15mmほどの小型のカミキリムシに似た昆虫。 雑木林に多く、灯火にもよく飛来します。 つかむと体節から黄色い液体を分泌しますが、この体液にはカンタリジンという有毒物質が含まれ、 皮膚につくと水膨れのような皮膚炎をおこします。 やはり毒液を水で洗い流すのがなりよりの応急処置です。 それからステロイド軟膏を塗ります。
カバキコマチグモ  日本三のクモには毒性の強いものはあまりいませんが、日本で最も毒性が強いクモが本種です。 まるでチマキのように折り曲げられたススキの葉のなかに巣をつくり、その中に産卵します。 何かと思ってススキの葉を広げようとするとメスは威嚇し、運悪く咬まれた場合には激しく痛み、 赤くなって腫れ上がります。 応急処置は抗ヒスタミン剤含有のステロイド軟膏を塗り、腫れがひどい場合水で湿布します。
はす池の奥には田んぼが続いていて、稲が元気に育っていました。 地元の小学校の教育水田になっているようで、小学校の名前を書いた札が立っていました。
この田んぼは、生き物を復元していきながら、 小学生と市民による耕作の体験の場として利用しています。 化学農薬、化学肥料を使用しない安全で快適な環境造りをしていますので、大切に見守って下さい。
 (横浜市北部公園緑地事務所)
どろんこ田
この水田はどろんこクラブの協力者さんとどろんこ教室の参加者さんとでお米(もち米)をつくっています。 きょうみのある方は売店横の事務局まで。
教育水田を過ぎて谷戸が少し狭まってくると、山際にゲンジボタルの生息地があります。 湿地や沢のようになった所で、葦などが生い茂っていました。 周囲には木柵が設置されていました。 谷戸が更に狭まって森が現われると道が二股にわかれていますが、少し先で合流しています。
横浜市指定文化財(天然記念物)
こども自然公園のゲンジボタル及びその生息地
この先の水路で、6月中旬の日没から9時ごろにゲンジボタルが自然発生します。 みんなでホタル観賞のマナーを守りましょう。
・ホタルをつかまえたり、水路に入らないようにしましょう。
・水路やホタルに光をあてないようにしましょう。
・ストロボでの写真撮影はやめましょう。
・観賞地に自転車を乗り入れたり、犬を連れ込んだりするのはやめましょう。
横浜市指定文化財条例で違反したときは罰せられます。
守ろう・大切な自然
横浜では自然と生き物にふれあう事業を進めています。
 (横浜市緑政局)
ゲンジボタル
古くから日本人に親しまれたゲンジボタルですが、 開発により都市周辺部ではほとんど見られなくなりました。 卵から成虫まで発光します。
ゲンジボタルの一生
・卵は約30日で幼虫になり、水の中に入る。
・幼虫は水中でナワニナを食べて成長する。
・山吹の咲く頃(桜の散る頃)川岸に上陸し、土の中でサナギになる。
・50日ほどでサナギは成虫になり、光りながら飛ぶ。
・成虫の命は7日前後と短い。
・およそ500個の卵を川岸のコケに産み付ける。
 (監修:日本野鳥の会)
お願い
平成4年6月8日に、ゲンジボタルとその生息地が、市指定文化財(天然記念物)として指定されました。 ホタルを捕まえたり、水路などを荒らしたりすると罰せられます。
登り坂になってきた道を進んでいきます。 少し左へ曲がりながら登っていくとピクニック広場に出ます。 斜面になった所にテーブルベンチなどが幾つも設置されていました。
ピクニック広場は正面へ続いていますが、右手へ進んでいくと左右に通る尾根道に出ます。 角には石標が立っていて、「北 武蔵国」「南 相模国」「武相堺道」と刻まれていました。 脇には「武相堺道」と題した解説板も立っていました。
武相堺道
この細い尾根道は、昔の武蔵国都築郡二俣川村(今の旭区南本宿町、大池町、柏町)と、 相模国鎌倉郡中川村(今の戸塚区名瀬町、泉区緑園都市)の国堺(区境)の道でした。 昔は尾根道が戸塚カントリークラブ前の小高い所まで続いており、 この付近で一番高い標高(91.6メートル)で、遠く十ヶ国の山々が見えました。 その当たりに都(子)塚があり、畠山重忠公が活躍していた鎌倉時代には、 鎌倉の街の甍が見えたといわれています。 現在の都(子)塚は、戸塚カントリークラグから少し「こども自然公園」に寄った 道路沿いの小高い場所に移されています。
両側に木柵が設置された尾根道を左手へと進んでいきます。 林の中にはコテージやバーベキュー場などが建ち並んでいました。 少し登ってから降っていくと、左手に青少年野外活動センターの管理棟があります。 この青少年野外活動センターは、子供の野外活動を目的とした家族や団体などを対象とした施設で、 事前に申し込みを行って利用するようです。
左右に通る広い道に出て右手へ進んで行きます。 右側にある広場を過ぎていくと車止めが設置されていて、その先は住宅地になっています。 散策に1時間ほどを要した「こども自然公園」はここで終わりになります。 車止めを過ぎてすぐに左折して、住宅地の縁に続く道路を進んでいきます。
金網柵に沿って進んでいきます。 柵の向こう側はゴルフ場になっています。 何度か右手に道が分かれていきますが、金網柵沿いに進んでいきます。 突き当たりまで来ると左右に通る道に出ます。 左手へ登っていく坂道もあって四叉路になっています。 角に立つ電柱には「山王706」「松久保支6」などの標識が取り付けられています。 ここを左折して坂道を登っていきます。
坂道を登っていくと、民家やアトリエ風の建物があります。 そこを過ぎて森に入っていくと、樹木が垣根のように並んで植えられている所もありました。 昔からある道なのか、良い雰囲気になっていました。 樹木が途切れて街並みを見渡せる眺めが広がる所もありました。 丹沢や富士山も望めるとのことですが、この時には曇っていて見えませんでした。
降り坂になってきた道を進んでいくと、民家の脇に出ます。 その先の金網柵が設置された道を緩やかに降っていきます。 やがて正面が開けてくると、左手へ道が分かれていきます。 このまま正面へ降っていくと車道に出てしまうので、ここを左折していきます。
名瀬町第三公園
左側にコンクリート崖が続くようになった坂道を降っていくと住宅地出ます。 民家を過ぎて、右手からの道を合わせて降っていきます。 ここでも道が何度も右手へ分かれていきますが、左手の山際に続く道を進んでいきます。 Y字路が二つ繋がったような所を左へ進んでいきます。 松久保橋を渡って坂道を登っていくと、道路の右下に名瀬町第三公園がありました。 周囲に滑り台などが僅かにある静かな公園です。
名瀬町第一公園
公園を過ぎていくとT字路に突き当たります。 その左手すぐの所にある幅の広い石段を登っていくと名瀬町第一公園がありました。 ここも滑り台やブランコなどがある静かな公園になっていました。 公園の先へ進んでいくと、右手に降りていく階段があります。 そこから住宅地の道路に降りて左手へと進んでいきます。
名瀬町第二公園
突き当たりを道なりに右へ曲がっていくとT字路に出ます。 左折して坂道を降っていきます。 突き当たりを道なりに右へ曲がって一つ目の角を左折していくと名瀬町第二公園がありました。 これまでと同様な静かな公園でした。
大池・今井・名瀬風致地区
この風致地区において建築物・工作物の新築・改築・増築・色彩変更等または、 土地の形質へ公、木竹の伐採、土石類の採取等を行う時は事前に横浜市長の許可を受けなければなりません。 この詳細は横浜市緑政局公園緑地部計画課。
 (横浜市)
名瀬町第二公園の山際には小川が流れています。 川の向こうには金網柵が続いていて、ゴルフ場の敷地のようでした。 小川沿いに続く道を右手へと進んでいきます。
ボク きれいな川 す・き
 (鷹の台自治会、横浜市下水道局)
西蓮寺
程なくして川向こうの金網柵は遠退いていきます。 山際を流れる小川沿いに進んでいくと、川の向こう側に西蓮寺が見えてきました。 少し先に架かる小橋を渡って引き返してくると、「浄土宗 西蓮寺」と刻まれた大きな石柱が立っていました。 そこから境内に入って樹木が植えられた参道を進んでいくと、塀が付いた立派な山門がありました。 山門から中に入っていくと本堂がありました。 こども自然公園を出てから40分ほどで着きました。 右手には庫裡と思われる建物もありましたが、謂れなどを記したものは見かけませんでした。
名瀬川アメニティの小道
西蓮寺からその先へ進んでいくと「名瀬町小川アメニティ水辺愛護会掲示板」がありました。 竹箒を持ったカバの大ちゃんが「みんなの川だよ きれいにね」と呼びかけていました。 「ホタルの生息地」の看板も出ていました。 この辺りから名瀬川アメニティの小道が始まるようでしたが、案内板などは見かけませんでした。 程なくしてレンガ敷きの道になってくると、擬木の柵が続くようになってきて、 「アメニティ」の雰囲気も出てきます。
名瀬町小川アメニティ水辺愛護会掲示板
ここは(栄橋〜上流部まで)名瀬アメニティクラブが美化活動をしています。 水生動・植物を大切にしましょう。 みなさんのご協力を御願いします。
みんなの川だよ きれいにね
 (名瀬アメニティクラブ、戸塚土木事務所)
ホタルの生息地
自然を大切にしよう! 水生動植物を採ってはいけません。
車止めを過ぎてレンガ敷きになった道を更に進んでいくと、柵が開いた所から石段が川へと降っている所がありました。 そこから川へ降りて石畳みになった川辺の道を進んでいきました。 程なくすると、飛び石が連なるようになってきます。 川には大きな鯉などが泳いでいました。 行く手の飛び石に鴨が四羽並んでいました。 そろそろと近寄っていくと川へ降りて道を空けてくれました。 進行方向へ泳いでいるので追いかけるような形になり、遂には飛び立っていきました。 ゆっくりと休憩しているところを邪魔してしまったようでした。
川沿いの道に登っていく石段を見送って更に川辺を進んでいくと、 車道が現われる所で「立入禁止」の看板が出ていました。 「アメニティ」の雰囲気のする所はここで終わりになるようです。
川沿いの道へ上がっていくと車道に出ました。 その少し先にある栄橋交差点を右折して、 すぐにある栄橋の手前から名瀬川の左岸に続く道を進んでいきます。 ベンチが二つ並んでいる所を過ぎていくと月見橋が架かっています。 橋を渡ってすぐに左折して名瀬川の右岸を進んでいくと、川へ降りていく階段がありました。 その下は行き止りになっていたので、降りのは止めておきました。
階段護岸について
・この施設は親水とための階段護岸です。
・降雨時には中に入らないでください。
・川にごみを捨てないでください。
 (横浜市戸塚区戸塚土木事務所)
妙法寺
川沿いに進んでいくと精進橋が架かっています。 橋を渡っていくと、信号機のある交差点に出ます。 横断歩道を渡って車道を右手へ進んでいくと、妙法寺前交差点を過ぎた所に妙法寺があります。 両側に塀が付いた立派な山門の脇から境内に入って石段を登っていくと本堂がありました。 西蓮寺から30分ほどで着きました。 左手には慈母観音があり、右手には庫裡と思われる建物がありました。
日蓮宗宗門史跡 名瀬妙法寺由来
当寺は「名瀬妙法寺」と通称し、開山は弁阿闍梨日昭上人、開基檀家は、風間信濃守信昭公です。 日昭上人は宗祖日蓮聖人の最初の弟子としてつとに知られています。 師、日蓮聖人が、法華経弘通のため数々の法難に遭う中で、陰で支え後願の憂いなくつとめられました。 そして、日蓮聖人御入滅後四十余年長生きされ、教団を見守り続けた功績は、今日の日蓮宗信仰の礎となっています。 元享三年(1323)百三歳で亡くなられました。 徳治元年(1306)日蓮聖人御入滅後二十五年、かねて帰依していた日昭上人を請じ、 信昭公屋敷地に一宇を建立したのが妙法寺の始まりです。 信昭公は、越後国(新潟県)の有力な豪族で、鎌倉勤番の折、 鎌倉街道「中の道」が通じた名瀬に屋敷を構え幕府に出仕していたのです。 信昭公の屋敷跡は「殿畑」とよび伝え、寺より南方五十メートル先の道路沿いに碑が建っております。 信昭公は、日昭上人の遺命により領国へも教えを広め、後に日昭門流として大きく発展してゆきました。 右のような由緒により、平成九年十月、日蓮宗宗門史跡に指定されました。
寺宝
一、宗祖日蓮聖人像(室町時代造・横浜市指定文化財)
一、板曼荼羅御本尊(宗祖開山上人授与伝法本尊謹刻)
殿畑
妙法寺を過ぎていくと、ガソリンスタンドの道路向かいに殿畑がありました。 先ほどの妙法寺の由来に書かれていた「殿畑」になるようです。
顕彰碑 殿畑
殿畑とよばれてきた当地は、その昔、名瀬妙法寺を開創した風間信濃守信昭公の屋敷のあったところです。 幕府が鎌倉に置かれていた頃、信昭公は越後国(新潟県)の在地領主として、 鎌倉に通じる中の道にそった鎌倉郡那瀬郷に居住し幕府に仕えていました。 幕府が滅亡したのち、屋敷跡の畑地を土地の人びとは殿畑とよび、今に語りつがれています。 信昭公は若年のとき鎌倉にいて、日蓮聖人の直弟子であった日昭上人に帰依し、 法華経をひろめたいと誓い、日昭の一宇をたまわり信昭と名乗りました。 日昭上人を招き屋敷の内に妙法寺を建て(1306)日昭上人を開山に迎えました。 上人の没後、日成上人が第二世をつぎ、信昭公はあらたに本国の村田にも妙法寺を建てました。 信昭公は日蓮教団の草創期に師をたすけて日昭門流の興隆に貢献した第一の外護者であります。 風間氏は越後国の有力な一豪族で、信昭公は東頸城郡安塚町にある直峰城を築き居城としていました。 鎌倉幕府が滅亡したのち南北朝は対立し、そのとき後醍醐天皇の南朝方の武将として越前や武蔵に遠征、 また越後国内の各地で転戦にあけくれの日をおくり、激動の晩年を生きた武将でした。 安塚町では毎年五月八日、直峰城の山頂、本丸において信昭公の偉功を偲ぶ風間祭がおこなわれています。 しかし、信昭公の居城と妙法寺の歴史は、近年はじめてあきらかされました。 本年、風間祭の日、妙法寺の代表五十名は、妙法寺が建てられてから六百七十余年ぶりに直峰城を訪れました。 妙法寺壇信徒と地元有志は協力して、信昭公の威徳をたたえ史跡を後世に伝えるため、 殿畑顕彰碑を建立するものです。
昭和五十八年十一月六日 経王山妙法寺第四十六世 一誠院日諦誌
名瀬下第二公園
ガソリンスタンドの左側に続く道に入り、左右の道は見送って真っ直ぐに進んでいきます。 登り坂になってきた道を進んでいくと、信号機のある十字路の角に名瀬下第二公園がありました。 遊具などが設置された静かな公園で、大きなメタセコイアの木も生えていました。
徳翁寺
公園を過ぎて更に坂道を登っていきます。 養護老人ホームを過ぎていくとT字路があります。 そこを右折して幅が狭まった道を進んでいくと、正面にこんもりとした森が見えてきます。 T字路に出て右側の20mほど先にある階段を登っていきます。 最初にある分岐を左折して、次第に降り坂になってくる道を石垣沿いに進んでいきます。 右側にY字路があるT字路に出て左折して降っていくと徳翁寺がありました。 殿畑から17分ほどで着きました。 茅葺きの立派な山門があって「乗國山」の扁額が掲げられていました。 山門は閉ざされていて境内へは入れませんでしたが、 右手には赤い前掛けをした地蔵が立っていて、十数体の石仏の先には鐘楼があり、 手前には「大本山總持寺御直末」「曹洞宗徳翁禅寺」などと刻まれた大きな石柱も立っていました。
徳翁寺縁起
此の寺乗國山徳翁寺と称し、文亀三年上杉謙信氏の曾伯父上杉刑部太夫乗國郷の子憲方が父の菩提を弔 う為開いた寺です。開山は石川県總持寺第七百四世如幻宗吾禅師です。當寺は大本山總持寺御直末で有 るが元輪番地の為無住の時が多く寺は荒れ果てました。大正十二年関東大震災にて本堂庫裡等大破し三 十二世有全大和尚の時境内地が湿地の為山の平地に仮本堂庫裡を移転。昭和五年三十三世百川文雄大和 直豫てより心願の本堂建築に着手檀家中の寄附その他にて昭和七年十一月二十日落慶の榮を得中興の称 號を賜る。昭和三十五年神奈川縣營住宅建設の為山林を売却庫裡客殿を本建築昭和四十年落慶の運びと なった。昭和五十四年文雄大和尚示寂、現三十四世文正和尚の代昭和五十七年本堂の大改修をし現在の 場所に移築する。昭和五十八年五月二十二日徳翁寺を四百年間護持した川上町の檀家(筆頭総代深野文 夫、護持会々長石井昭一)を集めつばき霊園の開園並びに客殿庫裡及び庭園を含めた大開発の賛否を問 う投票の結果實施する事と決定し昭和六十二年十一月三日鳳友産業社長北尾 武氏により無事竣工。 大本山總持寺獨住第二十一世眞源宏宗禅師(梅田信降猊下)を拝請し落慶した。此も偏に佛天の御加護 と壇信徒の協力の賜物と深謝する。尚、この碑は徳翁寺門葉九ヶ寺の寄進に依るもので有る。
徳翁寺現董第三十四世重興大安文正 撰并書
徳翁寺を後にして坂道を降っていくと分岐があります。 角にある馬頭観世音を見ながら右手へ進み、県営川上第1団地の入口を過ぎて金網柵沿いに降っていきます。 車止めを過ぎていくと、川上川に小さな会下橋が架かっています。 橋を渡って川沿いに右へ進んでいきます。 横浜新道(国道1号)の下をくぐっていくと、地域の小学生が壁一面に描いた絵がありました。 この道は通学路になっているようでした。 少し先の車道の下をくぐった所で道が二手に分かれています。 右手に架かる渠作橋は見送って、左手の車道の下をくぐって、川上川沿いに続く道を更に進んでいきます。 やがて左手には川上北小学校の校庭が続くようになります。 川が暗渠に入っていく所を過ぎて工事塀が続く道を進んでいくと、道が遮られていました。 手元の地図によると、すぐ先を通る道に出られるはずなのですが、工事のために通行止めになっていたようです。 塀に沿って、右手にある東戸塚地域センター・戸塚地域教育センターの敷地へと入っていきます。
東戸塚(ひがしとつか)駅
建物の下を過ぎてすぐに左へ曲がっていくと車道に出ます。 その左手の先に見えている信号機のある横断歩道を渡って正面の坂道を登っていきます。 湘南医療福祉専門学校の前を道なりに右へ曲がっていくと、幅の広い階段が現われます。 階段を登り切って緩やかになった道を進んでいくと、建物の案内板に「JR東戸塚駅→」と書かれていました。 それに従って右折してビルの間を進んでいくと、最初の東戸塚駅(JR横須賀線)に戻ってきました。 徳翁寺から20分ほどで到着しました。