湯河原城山
散策:2010年07月下旬
【低山ハイク】 湯河原城山
概 要 城山は湯河原にある低山です。 山頂からの眺めは素晴らしく、相模湾はもとより、伊豆半島、初島、大島などを一望できます。 ハイキングコースも設定されていて、よく整備された道が続き、歩きやすくなっています。 今回は五所神社の脇からピクニックランドを経て城山へ登り、椿ラインへと降るルートを歩きます。
起 点 湯河原町 湯河原駅
終 点 湯河原町 しとどの窟バス停
ルート 湯河原駅…御嶽神社…五所神社…宮下林道起点…水場…宮下林道記念碑…水場…宮下林道終点…ピクニックランド…城山…展望地…広場…しとどの窟バス停
所要時間 2時間50分
歩いて... この時は雲が出ていて、山頂からは眺めは霞んでいました。 山頂手前のピクニックランドへの登り口までは舗装された林道が続いていて歩き易くなっていました。 前日に雨が降ったこともあって、道端の水路から水が路面に溢れ出て沢のように流れている所もありました。 そのため、靴の中まで濡らしながら登ることになりました。
関連メモ 湯河原城山, 白銀林道, 幕山
コース紹介
湯河原(ゆがわら)駅
湯河原駅(JR東海道線)から歩いていきます。
城山へ至る「城山ハイキングコース」が設定されていて、駅前にあるバスターミナルの左手から続いていますが、 今回はそのコースではなくて、五所神社の脇から続く道を登っていきます。
今回登る山は単に「城山」という名前ですが、 各地にある同名の山と区別するため、タイトルは地域の名前を冠して「湯河原城山」としました。
四季彩のまち さがみの小京都 ゆがわら
私たちのまち湯河原は、海と山と川の恵まれた自然環境や豊かな温泉、 歴史文化のかおり漂うまち並みなど、多彩な表情を持つ美しいふるさとです。 京都で生まれた日本画壇の大家竹内栖鳳は、湯河原をこよなく愛し、 この地で終焉を迎えました。 その作品を主体とする「湯河原ゆかりの美術館」開設や、京都仙洞御所の州浜に 趣のある岸辺を造り上げている吉浜の一升石(石一個で米一升と交換したと伝えられる)などが契機となり、 平成11年6月、本町は、全国京都会議において「小京都」に認定されました。 これを記念し、ここに、御所にちなんだ庭園を整備いたしました。 1200年の歴史を誇る風雅な伝統が息づく京都に、いつの日か近づけるよう、 これからも町民一同、町独自の文化の掘り起こしと新たな創造に努力してまいります。
 (平成11年10月吉日 湯河原町長)
一升石(いっしょうせき)
文化14年(1817)、京都仙洞御所において、光格上皇が院政を開かれた際、 御所の庭に洲浜を作るため、京都所司代の要職にあった小田原城主、大久保忠真公が、 本町吉浜(当時吉濱村)の海岸から、三寸から四寸の長楕円形の石を米一升与えて集め、 真綿に包んで二千俵を海路、京都まで運び、献上されたと伝えられるところから、 一升石の名がついたとされています。
 (四季彩のまち さがみの小京都 ゆがわら)
駅前には、この地にゆかりの深い土肥実平公とその夫人の銅像が建っています。 その右側には土肥氏館跡の記念碑もあります。
土肥實平公夫人像
土肥實平公は中世日本史上に活躍した郷土の武将である。 治承4年(1180)源頼朝公伊豆に興るや、いち早くこれを援け、石橋山合戦には、 土肥杉山にその危急を救い、鎌倉幕府草創に当っては、軍艦、追捕使、宿老として多くの功績を残した。 公はまた領民を慰撫し、その敬慕を受けたことは、全国諸所に残る墳墓、伝説がこれを物語っている。 公の夫人は民や農民に姿を変えて敵を欺き、杉山に潜む頼朝主従に食糧を運び、消息を伝えるなど、 その"心さかさかしき"(源平盛衰記)は武人の妻の鏡として後世にまでたたえられている。 ここに、源頼朝旗揚げより800年を迎え、土肥会創設50周年を併せ、記念として公並びに夫人の 遺徳を後人に伝えんため、土肥實平公銅像建立実行委員会を結成し、町内外の有志の協賛を得て、 その館跡、御庭平の地にこの銅像を建立したものである。
土肥氏館跡
源頼朝が覇業を天下に成したるは、治承4年(1180)8月、その崛起にあたり、 湘西における箱根外輪山南麓の嶺渓土肥椙山々中の巌窟など複離なる地利と 此の地の豪族土肥實平等一族竝びに行實坊・永實坊・僧純海など志を源家に寄せたる人の和と天運に依る。 石橋山の挙兵地・山中の合戦場・椙山隠潜の巌窟(源平盛衰記に謂う「しとどの岩屋」)・小道の地蔵堂・安房を指して 解覧した真鶴崎など、まさに千載画期の史跡である。 茲に挙兵七百八十年を記念して、土肥氏館阯に碑を建立するにあたり文を需めらる仍って誌す。
 (神奈川県文化財専門委員武相学園長)
御嶽神社
駅舎を出て車道を右手へ進んでいくと、信号機の設置された交差点があります。 角にある塀で囲まれた所に「御嶽神社」の扁額が掲げられた木製の鳥居が立っています。 その奥にある小振りの社の開かれた扉から中を伺ってみると、白木の小祠が安置されていました。 手水鉢や鈴などもあって、小規模ながら歴史がありそうな神社のようでした。 周囲には石祠などが幾つかありましたが、由緒などを記したものは見かけませんでした。 五所神社へはこのまま車道を進んでもいいのですが、少しでも雰囲気が良いようにと思って、 右手に分かれていく細めの道を進んでいきました。
五所神社
湯河原町宮下会館などを過ぎて、左手からの道を併せていくと、先ほどの車道に出ます。 右手の先に架かる東海道線の湯河原架道橋をくぐり、その先の東海道新幹線の架道橋をくぐっていくと、 五所神社前交差点があります。 交差点を渡った所に五所神社があります。 玉垣に沿って車道を進んでいくと、「五所神社」の扁額の架かる大きな鳥居が立っていて、 脇には「五所神社」と刻まれた大きな石柱もあります。 鳥居をくぐってその先の石段を登っていくと、正面に本殿と拝殿から成る社殿がありました。 本殿の屋根には外削ぎの千木が聳えていました。 鰹木も乗っていましたが、本数は確認できませんでした。 境内には歴史を感じさせる大きな石灯籠もありました。 この時には翌日から始まる祭礼の準備作業が進められていました。 神輿庫も開かれて飾り付けが始まろうとしていました。
五所神社
鎮座地 神奈川県足柄下郡湯河原町宮下字宮の上360
祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)、 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、 素盞嗚尊(すさのおのみこと)、 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、 鵜萱葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、 誉田別尊(ほんだわけのみこと)、 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
由緒 当社は、今からおよそ千三百年前第三十八代天智天皇の御代、 加賀の住人二見加賀助重行らの手によってこの地方が開拓されたとき、 土肥郷の総鎮守として祀られ、治承4年(1180)8月、源頼朝伊豆より挙兵の時、 この地の豪族土肥次郎実平は一族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の館に導き、 石橋山合戦進発の前夜は、社前において盛大な戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。 以来、土肥一族を始め藩主、領主、庶民の崇敬厚く、現在に至っております。 明治6年7月30日旧足柄県指令により村社となり、 大正4年11月神奈川県告示により神饌弊帛科供進神社に指定、 昭和43年1月24日神奈川県神社庁より献幣使の参向する神社に指定さる。
例祭日 八月一日・二日
五所神社の境内には天然記念物などに指定されている楠や銀杏の木がありました。 道路向かいには史蹟になっている「明神の楠」もあって、 幹に開いた洞には鳥居と石像が安置されていました。
(画像を左クリックすると、写真が順次表示されます)
かながわの名木100選 五所神社のクスノキ
幹は太く高く伸びた堂々たる巨木で、上方の枝張りはやや少ないが樹勢は旺盛である。
樹高36m、胸高周囲8.2m、推定樹齢約600年(推定)
クスノキは、南日本に広く見られる常緑高木で、神社、公園に植えられることが多い。 木全体に芳香があり、樟脳がとれる。 樹高40m、胸高周囲24m、推定樹齢約1500年に達するものもあると言われている。
 (神奈川県)
湯河原町指定天然記念物 五所神社の楠
樹高36m、胸高周囲8.2m、推定樹齢600年
 (湯河原町教育委員会)
湯河原町指定天然記念物 五所神社の銀杏
樹高25m、胸高周囲8.8m、推定樹齢800年
 (湯河原町教育委員会)
史蹟「明神の楠」
五所神社は、古くは五所大明神社、又は五所大明神と称し、 今を去る約千三百有余年天智天皇の御代、 加賀の国の住人二見加賀之助重行らの手によりこの地方が開拓されたとき、 土肥郷の総鎮守として天照大神をはじめ五柱の神霊が鎮座されたと伝えられております。 治承4年(1180)8月、源頼朝伊豆より挙兵の時、 この地の豪族土肥次郎実平は一族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の館に導き、 石橋山合戦進発の前夜は、社前において盛大な戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。 この時、実平によって佩刀一口が奉納され、今なお社宝として保存されております。 以来、領主・庶民の崇敬特に厚く、長寿長命の神、湯の産土神として今日に至っております。 昔の神社の境内は広大幽遂で参詣者は前方の千歳川の清流で禊をおこない、 この「明神の楠」の下を経て神社に参拝しておりました。 正保3年(1646)この樹下の参道をもって、当時入谷村といわれたこの地方が宮下・宮上の両村にわかれました。 その頃の参道には数多くの楠の巨木が生い茂っておりましたが、世の移り代りと共に、 今はこの一樹のみが歴史の跡を物語っております。
昭和54年4月1日 湯河原町指定文化財
クスノキ(くすのき科)、根回り15.6m、樹齢800年以上
五所神社の社殿の右手から境内を出ると、左右に通る坂道に出ます。 坂道を横切って正面に続く道を進んでいきます。 登り坂を真っ直ぐ進んでいき、突き当たりのT字路を左折していきます。 石垣沿いに進んでいくと陸橋の下をくぐっていきます。 左右の道を見送って正面に続く坂道を更に登っていくと、右手に戻るようにして登っていく急坂があります。 角の民家の塀には「湯河原町宮下730-48」の住所表示が出ていました。 そこを右折して、かなり傾斜のある坂道を曲がりながら登っていきます。 住宅が途切れる辺りまで来ると、背後には山並みが広がるようになります。 方角からすると、千歳川の河口付近から岩戸山へと続く稜線になるようです。
生垣や果樹園などが続く坂道を登っていくと、右手から登ってくる道に出ます。 左上にある民家群への坂道の右側に続く道を進んでいきます。 所々にある作業小屋を過ぎて曲がりながら続く坂道を登っていきます。 竹林の先の青色の小屋を過ぎていくと、左手には先ほどと同様の山並みを見渡せる眺めが広がってきます。 道端に続く水路からは、水が勢い良く流れる音が響いていまいた。 やけに勢いが良いがと思いながら進んでいくと、やがて水が路面を流れるようになりました。 どうやら、水路に枯れ木や枯れ葉などが詰まって、水が溢れ出したようでした。
起点が何処なのかは分かりませんでしたが、道端にあった看板によると、この道は農道になっているようでした。 作業場のような建物を過ぎていくと植林帯へ入っていきます。 五所神社から20分ほど登ってきた所で、 手元の地形図では、二重線の道から実線の道に変わる辺りになるようです。 この時は陽射しが強くて蒸し暑い日で、噴出す汗を拭き拭き登ってきて疲れても来たので、 木陰になった脇の石に腰掛けてひと休みしてきました。
農道につき農用車優先
 (宮下生産組合)
宮下林道起点
気を取り直してその先へ進んでいきます。 右へ曲がっていくと植林帯から出ます。 道なりに左へ曲がっていくと再び植林帯へ入っていきます。 溢れ出た水が益々多くなって道全体に流れている所もありました。 仕方がないので流れの中を歩いていくと、 遂には靴の中に水が入ってきて、すっかり濡れてしまいました。 そんな坂道を登っていくと、道端に「宮下林道起点」の標柱が立っていました。 農道はここまでで、この先からは林道になるようでした。 五所神社から27分ほど登ってきた所になります。 標柱を過ぎていくと、道路の右側を流れる小沢から溢れた水が路面に流れ出している所がありました。 先ほどから路面を流れていた水の源はどうやらここだったようです。 前日に雨が降ったこともあって、この時は小沢を流れる水量が多かったのでしょう。
火気に注意
 (神奈川県)
植林帯を抜けていくと、正面には稜線が見えてきます。 これから向かう城山へ続く尾根なのだろうとは思うものの、まだかなりの標高差があるようでした。 次第に眺めが広がってきて、振り返ると岩戸山へと続く稜線も見えていました。 道端にあった保安林区域図によると、この宮下林道の先には城堀林道があるようでした。
保安林区域図
この区域は森林がもっているいろいろな働きを守るため、保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記にお問い合わせ下さい。
 (神奈川県西湘地区行政センター農林部林務課)
水場
再び植林帯に入っていきます。 大きく曲がりながら道なりに登っていきます。 再び路面を水が流れるようになると、水路が道を横切っている所がありました。 少し先の左側の山から流れてきた水が、道路の下の水路を通って、右下の谷へと流れ落ちていました。 左手の山際にある苔むした岩を流れ落ちた水が、小石の敷かれた所に溜まっていて、 ちょっとした水場のようになっていました。 宮下林道起点から23分ほど登ってきた所になります。 常に水が流れているのか、雨が降った後だけなのかは分かりませんが、蒸し暑い夏場には重宝する所です。 流れ落ちる水を手に受けて少し飲んでみましたが、冷たくて心地よい水でした。
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
綺麗に咲いたヤマユリの大きな花を愛でたりしながら林道を更に登っていくと、 道端に大きな岩が幾つも露出している所がありました。 中には筋が幾つも平行に刻まれた岩もありましたが、石切りの跡なのでしょうか。 大きく曲がりながら更に登っていくと、樹間から湯河原の街並みを見渡せる所がありました。 左手から正面へ延びる尾根は、これまで登ってきた農道・林道の北東側に続く尾根になるようです。 空気が澄んでいれば相模湾も綺麗に見渡せるのでしょうが、この時には霞んでいました。
宮下林道記念碑
大きく右へ曲がる角まで来ると、 右手の山へ少し入った所に「宮下林道竣工記念碑」と刻まれた石碑がありました。 先ほどの水場から18分ほど登ってきた所になります。 裏面には碑文が刻まれているのかも知れませんが、確認するのは省略しました。
水場
城山へ続く稜線を眺めたりしながら林道を3分ほど進んでいくと、再び山際に水場がありました。 ここの水場は、管で導かれた水がコンクリート製の小さな囲いへ流れ込んでいました。 これじゃあ飲めないなと思っていると、その上側に苔むした岩があって、水が流れ落ちていました。 これだと飲めそうだと思って、ここでも水を手に受けて飲んでいきました。
宮下林道終点
水場を後にして、植林帯へ続く林道を更に登っていきます。 一旦途切れて再び続く植林帯を進んでいくと、水場から7分ほどでに着きました。 五所神社から1時間20分ほどで登って来られました。 手前には車止めゲートがありますが、開け放たれていました。 脇には「宮下林道終点」「城堀林道終点」の標柱が立っていました。 これまで続いてきた宮下林道はここで終って、この先は城堀林道になるようです。 道端には「バイオのトイレ」がありました。 ここで左手へと階段が分かれていきます。 角には道標が立っていて、左手の横木の階段は「ピクニックランド・城山山頂」、 正面の道は「城堀林道経由湯河原駅」、今来た道は「宮下林道経由湯河原駅」となっています。 別の道標も立っていて、今来た道は「湯河原駅(宮下経由)5000m」となっていました。
(画像を左クリックすると、写真が順次表示されます)
地球環境にやさしいバイオのトイレ
バイオラックスは「水を使わない」新発想の環境にやさしいトイレです。
○汲み取りでもなく、水洗でもないバイオテクノロジーによる無公害の環境汚染防止トイレです。
○微生物の働きにより有機物を分解して土に還す自然の浄化作用にしたがったコンポストトイレです。
○ウンコ・オシッコを資源としてリサイクルできます。
峠では道の脇が少し広がった空間になっていました。 右手が開けて山並みなどを見渡せる眺めが広がっていました。 岩戸山へと続く尾根や湯河原の街並みなども見えるようでしたが、 この時には手前の樹木が少し邪魔をしていたり、遠くが霞んでいたりして、感慨も今ひとつでした。 峠なのでここでひと休みしていきたいところですが、 道端にベンチはあっても直射日光が当たっていて、如何にも暑そうでした。 この左手の山のすぐ上にピクニックランドがあるので、そこで休憩しようと、 左手に分かれていく横木の階段を登っていきました。
山火事予防
森は生きています・・・ マナーを守りみんなの山を大切に
 (湯河原町消防本部)
ピクニックランド
横木の階段を30秒ほど登っていくと、少し傾斜地になった草地に出ました。 ここがピクニックランドになります。 右手の方にはベンチなども設置されていましたが、左手の少し上に休憩舎があるので、 そこで休憩していくことにしました。 ベンチと休憩舎があるだけの静かな草地になっていて、ピクニックに良さそうな所ですが、 周囲は樹木に囲まれていて展望はあまり良くありません。 休憩舎は四角錐のような特徴的な形をしていて、中ほどに柱が立ち、四方に足を伸ばす形になっていました。 中ほどに四角く囲むようなベンチが設置されているので、それに腰掛けて休憩していきました。
緑は友だち 山火事注意
自然を守りましょう。
 (神奈川県)
落ち着いたところで、標識「ピクニックランド」の右側に続く道へ入っていくと、 すぐに左右に通る道に出ます。 右手へ降っていく道は、先ほどの城堀林道の少し先へ降りて行かれますが、 今回は城山を目指して左手へ進んでいきます。 右側の一段高い所には草地が続いていて、ベンチやトイレも設置されていました。 ここもピクニックランドの一部なのだろうと思いながら進んでいくと、その草地に出ました。 緩やかな草地は少し先まで続いていました。 左手の樹木越しには岩戸山へと続く尾根が見えていました。
草地を過ぎて、広めで緩やかな尾根道を進んでいきます。 夏草が生い茂る季節でしたが、草は狩り払われていて、歩きやすくなっていました。 程なくして、途切れ途切れに続く横木の階段を登るようになります。
ここは公園地域です。 すべての狩猟(甲乙丙)を禁止します。
 (湯河原町)
たき火・たばこに注意
 (神奈川県)
城山 (標高563m)
横木の階段が終って緩やかになってくると、右手が高くなってきます。 そこに沿って進んでいくと、正面の上に休憩舎が見えてきます。 道なりに右手へ曲がっていくと、城山の山頂に着きました。 ピクニックランドから9分ほどで登って来られました。 山頂には「土肥城趾」と刻まれた石碑や「城山山頂 海抜563m」の標識があります。 また「城山・幕山案内図」もあって、山道が紹介されていました。 休憩舎もありますが、何故だか中にベンチなどはありませんでした。 手前の樹木が邪魔をしているものの、山頂からは真鶴半島や伊豆半島、初島などを見渡せる眺めが広がりますが、 この時には生憎と霞んでいてほとんど見えませんでした。 ここから見える範囲を刻んだ円筒形の案内標識も設置されていましたが、よく分かりませんでした。 少し季節を過ぎていましたが、山頂にはアジサイの花が沢山咲いていました。
石碑の左手の方へ少し降り始める所に大きな岩がありました。 手前に設置された解説板によると「硯石」というようでした。 この時には、ハイキングコースの草刈作業が行われていて、 椿ラインの方からこの城山へ向かって作業をしてきたようでした。
硯石(すずりいし)
源頼朝が力試しに石を力一杯踵で蹴ったところその石に踵の跡が付き、 その跡が硯石に似ていることから硯石と言われています。 1930年頃まで夏の日照り続きの時、お年寄りがその硯石を水で洗い雨乞をしていたとも言伝えられています。
城山からは道が二手に分かれています。 各々に道標が立っていて、 休憩舎の脇から西へ降っていく道は「城山入口バス停1,500m」、 石碑の裏手から続く道は「しとどの窟バス停1,500m」となっています。 今回はしとどの窟バス停へ向かっていきます。 正面にはこれから向かう尾根が見えていました。 手前の二瘤の山の奥に聳えている山は、地形図にある662.5m峰でしょうか。
道標によると、城山入口バス停までとしとどの窟バス停までは同じ1,500mの距離になっていますが、 手元の地形図を見る限りでは、城山入口バス停へはもっと近いように思えます。 城山入口バス停への道には夏草が生い茂っていましたが、これから草刈作業が行われるように思えました。
大きな岩が露出した坂道を降っていきます。 草刈が行われた直後とあって、広めで歩きやすい道が続いていました。 二瘤の高みを眺めながら降っていくと、左手へ曲がっていく角に道標が立っていて、 左手の道は「しとどの窟」、今降ってきた道は「土肥城趾」となっています。 ここからは石畳の道が続くようになります。
展望地
横木の階段混じりの石畳の道を登っていくと、右手が開けて眺めが広がる所がありました。 城山から7分ほどの所になります。 少し間隔を開けてベンチがふたつ設置されていました。 手前の樹木が邪魔をしているものの、新崎川沿いの街並みや真鶴半島・三ツ石などを見渡せる展望地になっていますが、 この時には霞んでいてはっきりとはしませんでした。
緑は森呼吸 山火事注意
たばこ・たき火はよく消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
展望地を過ぎて、石畳の坂道を登っていきます。 箱根旧街道の石畳の道とは違って、表面が平らに削られていて、歩きやすくなっていました。 赤い「境界見出標」の標識と短い石杭のある高みを過ぎて降っていきます。 「←城山500m・しとどの窟バス停1000m→」の道標を過ぎて笹の生い茂る道を進んでいくと、 植林帯を登るようになります。
広場
ロープ柵が続くようになった道を登っていくと、程なくして緩やかな道になってきます。 僅かに降り坂になってくると広場に出ました。 展望地から10分ほどの所になります。 手元の地形図では662.5m峰の南300m辺りにある標高620mほどの高みで、 城山から見えていた二瘤の山の中の後の方の山になるようです。 周囲にはベンチが設置されていて、アジサイの花が沢山咲いていました。 「県立奥湯河原自然公園案内図」もあって、車道や山道などを記した図と簡単な紹介文が載っていました。
県立奥湯河原自然公園案内図
城山ハイキングコース  城山は湯河原でも特に風光明媚なところで、新神奈川八景のひとつに数えられています。 この城山を中心とするコースには、しとどの窟や城山城址、城願寺など、遠い昔をしのばせる見どころがあります。
しとどの窟  源頼朝が再興の機をうかがうために、かくれたと云われる岩屋として有名である。
白雲の滝  天照山ハイキングコースの途中にある落差20m、秋には紅葉もすばらしい。
不動滝  奥湯河原への入口近く、落差15mの名瀑で、四季おりおりの風情が豊かです。
城願寺  土肥次郎実平の菩提寺で、境内には頼朝、実平ほか7騎の木像を安置した七騎堂、 実平手植の樹齢800年天然記念物の「びゃくしん」の大木を始め、土肥一族の墓などがあります。
広場に立つ道標「しとどの窟バス停20分」の道標に従って、広場の先に続く道を緩やかに降っていきます。 これまでよりも道幅が広がって、小型車なら通っていけるだけの道になってきます。 中ほどには石畳の道が続いていますが、両側もコンクリート舗装されていて、 広場から先は「山道」という雰囲気ではありません。 道の上は樹木が覆っていて、日陰を作っていて快適に降っていけました。
道標では、しとどの窟バス停まで20分となっていますが、かなり余裕をみた時間のようで、 今回はゆっくりと歩いても10分ほどで降りて行かれました。
程なくして左側にはガードレールが続くようになります。 「落石注意」の標識や「保安林区域図」を過ぎていくと、広場から9分ほどで左手が開けてきます。 手前にあるコンクリート製の建物は、1階がトイレ、2階が休憩所のようになっています。 以前には売店があったような形跡もありますが、今では何も営業していません。
正面に広がる山並みを眺めながら広い坂道を降っていくと、 県道75号(椿ライン)がヘアピンカーブしている所に降り立ちました。 角には城山の山頂にあったのと同様の「城山・幕山案内図」が設置されています。 今降ってきた道を指す道標も立っていて「城山・土肥城址1,500m」となっていました。
車道から左手へ戻るようにして続く道もあって「しとどの窟徒歩20分」となっていますが、 今回はここで散策を終えることにしました。
(しとどの窟は 「湯河原城山」, 「白銀林道」, 「幕山」を参照)
しとどのいわや(土肥椙山の巌窟…神奈川県史跡)
治承4年8月23日(1180)石橋山の合戦に敗れた源頼朝は、 土肥実平にみちびかれて椙山(すぎやま)に隠れ、 この巌窟に潜んだ時、"もとどり"の中から一体の観音像を取り出しそなえた。 この仏像は後日、伊豆山権現(現在の伊豆山神社)の僧によって探し出されて、 鎌倉の頼朝の手に届けられた(吾妻鏡)。 また、この巌窟は、古くは修験の行場として、また後年は里人により聖地としてあがめられ、 数十基に及ぶ観音石像が祀られ中世以降、近郊庶民の信仰習俗を知る上で貴重な資料として 町の文化財に指定されている。
土肥郷椙山鵄ノ窟之碑
源頼朝ノ志ヲ天下ニ成セルハ箱根外輪山何尾ノ複雑 ナル嶺谷ト土肥氏等源氏ノ為ニ_シタル地ト人とに依ル コト大ナリ突兀タル幕山鍛冶屋川ノ深渓遊子コノ窟前 ニ立チテ治承四年八月源頼朝隠潜九死一生ノ放事ヲ 想起セスヤ予偶_昭和十年二月此ノ地人士二十餘 名ト共に寒雨ヲ_雑木荊棘ヲ分チ之ヲ踏査シテ 感懐深キモノアリ仍て文ヲ作ルト云_
昭和十七年八月廿三日 神奈川県史蹟調査委員 従六位石野瑛撰
箱根振興会
しとどの窟(しとどのいわや)バス停
車道に出た左手すぐの所に、湯河原方面のしとどの窟バス停があります。 広場から10分ほど、城山の山頂から30分ほどで降りて来られました。
湯河原駅(JR東海道線)まで、湯河原駅行きバスにて30分、便は僅かしかありません。 利用者が少ないためか、2003年8月に来た時よりも便が更に減っていました。
 土日曜 11:24 12:04 14:14 15:04 16:09 17:14*
 (17:14発は8月から11月末の間だけ運行)
しとどの窟バス停のあるこの辺りは「なながわの景勝50選 椿台」として選定されていて、 相模湾から岩戸山方面にかけて一望できる眺めの素晴らしい所です。 湯河原駅に向かうバスの中では、この道路「椿ライン」を説明する車内放送があります。