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【海辺散策】 江の島
| 概 要 |
江の島は、湘南海岸に浮かぶ島で、多くの文化財が遺されています。
また、島先端の浸食海礁や自然美を加えて、全島が史跡・名勝に指定され、
四季を通じ参詣や行楽の人々が来遊している所です。
今回は、東側から南側の海辺に続く岩場を中心にして歩いていきます。
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| 起 点 |
藤沢市 片瀬江ノ島駅
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| 終 点 |
藤沢市 江の島バス停
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| ルート |
片瀬江ノ島駅…江の島弁天橋…聖天島公園…岩場…湘南港灯台…南緑地…江の島ヨットハーバー…江島大神…北緑地…江の島バス停
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| 所要時間 |
2時間10分
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| 歩いて... |
この時は丁度干潮の時間帯で、海面は磯からかなり遠ざかっていました。
波も穏やかで、「山ふたつ」の先までは歩いていけましたが、
岩屋の手前まで行くと、幅3mほどの深い入江に行く手を阻まれました。
海には帆を張ったヨットが沢山浮かんでいて、シーズンの到来が近いことを感じました。
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| 関連メモ |
江の島,
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江の島
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コース紹介
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片瀬江ノ島(かたせえのしま)駅
片瀬江ノ島駅(小田急江の島線)から歩いていきます。
改札口を出て、正面の境川に架かるを弁天橋を渡っていきます。
河口が近い所とあって、係留された小舟が川面に沢山並んでいました。
観光案内所の手前を右折して、国道134号の下を通る地下道をくぐっていきます。
トビに注意!
手に持った食べものをトビが襲う被害が出ています。ご注意下さい。
また、エサをもらったトビ等は、人の食べものをねらうようになりますので、
野生生物にエサをあたえるのはやめましょう。
(神奈川県湘南地区行政センター、藤沢市)
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地下道から江の島へ続く車道の右側の歩道に出てると、龍が刻まれた大きな灯籠が両側に立っています。
その先へ進んでいくと、右手の境川の河口には
江の島一周遊覧モーターボート(\1,000)や江の島乗合船(\400)の乗り場もありますが、
この時には「本日運休」の札が出ていました。
龍燈建立之碑
「江島縁起」によれば欣明天皇13年(552)4月に海底より塊砂を噴き出し天地が鳴動すること21日、
忽ちに海上に一つの島が成せりとあり、これが島の起りとされる。
この島上に天女が降居し湖水の五頭龍は天女の麗質を見て善行を施すに至り、
以降天女は江島明神として祀られることとなった。
役行者を始め弘法、慈覚等高僧が岩窟にて参籠修行をいたし、各々が神感を受け御神威を仰いだとされる。
鎌倉時代には源頼朝を始め鎌倉将軍家、北条氏歴代、更に秀吉、家康等、その時代の名立たる武将の信仰は極めて篤く、
殊に江戸時代には江の島詣が盛んとなり、天下衆人の敬仰を集めるに至った。
又景勝の地江の島は紀行文、人情本、謡曲、長唄、常磐津、歌舞伎等に表現され、
北斎、広重等の浮世絵師により秀れた錦絵が数多く残され、
島内には社殿をはじめ多くの石碑が往時の信仰の深さを物語っている。
然るに豊かな自然環境と歴史的文化遺産を持つ江の島が折しも江島神社御鎮座1450年を迎えるに際し、
当地永々の繁栄を祈念いたし、奉祝記念事業として関係各位の御高配と多くの御奉賛者の御浄財を以て、
史蹟名勝地に相応しき石燈籠一対を建立いたす所以である。
(江の島振興連絡協議会、江島神社)
江ノ島で見られる野鳥
そっと静かに、野鳥を驚かせないようにしましょう!
イソヒヨドリ (ヒタキ科) |
全長24cm。全国で繁殖し、冬には北のものは南へ移動する。
海岸の崖や岩場で生活するが、町中でも見られる。
昆虫類を捕らえて食べる。ツツ、ピーコピィーと鳴く。
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ウミウ (ウ科) |
全長84cm。日本海側で繁殖し、冬には全国の海岸で見られる大型の水鳥。
岩場を好み、海に潜って大きなくちばしで魚を捕らえる。
長良川の「鵜飼い」に使われる。
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ウミネコ (カモメ科) |
全長46.5cm。北海道から九州の沿岸に集団繁殖地がある。
全身が褐色の若鳥は一年中全国の海岸で見られる。
くちばしの先に赤と黒の斑があり、尾には黒いすじがある。
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キアシシギ (シギ科) |
全長25cm。旅鳥として干潟、磯、水田に渡来する。
背が灰褐色で、脚は黄色。
夏羽はのどに灰褐色の斑があるが、冬羽ではなくなる。
ゴカイやカニを食べる。
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トビ (ワシタカ科) |
全長:雄58.5cm、雌68.5cm。
留鳥として海辺から山地にかけて生息する。
全身が褐色、飛ぶと翼の先の下面に白い斑がある。
魚の死骸などを食べる。ピーヒョロロと鳴く。
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ハシボソミズナギドリ (ミズナギドリ科) |
全長35cm。南半球のタスマニアやオーストラリアと、北のベーリング海の間を移動する旅鳥。
渡りの途中、春から夏にかけて日本を訪れる。
鳶ながら、あるいは水に潜って魚などを捕らえる。
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ハヤブサ (ハヤブサ科) |
全長:雄38cm、雌51cm。
たいていは海岸の断崖で繁殖する。
冬は全国の海岸、湖畔、河口など開けた場所にいる。
飛んでいる鳥を急降下して捕らえる。
上昇気流にのって輪を描くこともある。
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メジロ (メジロ科) |
全長11.5cm。留鳥として丘陵地から山地に生息する。
全身が黄緑色、目の周りが白い。
虫や木の実を好んで食べるほか、花の蜜も好む。
チーとかチーチュルチーチュルチーと鳴く。
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ユリカモメ (カモメ科) |
全長40cm。冬鳥として海岸や港に渡来する。
夏羽は頭が黒く冬羽は白く、目の後に黒い斑ができる。
夜は海上で過ごすが、朝になると川をさかのぼる個体が多く見られる。
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江の島弁天橋
船の乗り場を過ぎていくと江の島弁天橋が架かっています。
その手前には「名勝及史蹟江ノ島」と刻まれた大きな石碑が立っています。
「江の島名勝図」と題した案内図も設置されているので参考にしましょう。
また、左側には「天の北極」を指す日時計のモニュメント「潮音」もあります。
説明
江の島は七里ヶ濱腰越及び鵠沼一帯の海岸に近く聳立し、
相模海岸における景勝の中枢として著名である。
第三紀の凝灰岩及び凝灰質砂岩から成り、洞窟嘴の竒を以て知られ、
島上からの富士の眺望は特に絶景である。
島の中央に祀られている弁財天は本邦三弁天の一として古来ひろく信仰され、今江島神社となっている。
昭和九年十二月史蹟名勝天然記念物保存法によって江の島全島及び其の周囲百メートル以内の海面が
名勝及び史蹟として指定された。
| 注意 |
一、岩石を破壊及び採取しない事
一、濫に樹木を伐採しないこと
一、濫に眺望を妨げる施設をしないこと
一、其の他現状を破壊し又は変更しないこと
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(昭和二十三年五月一日 文部省)
沿革
この橋は、命じ24年、満潮時砂浜であるところと島とを結んだ橋として作られ、江の島桜橋と呼ばれていました。
明治30年に至って橋を片P州鼻まで延ばし、大正11年に県営となるに及んで渡橋料金2銭也がとられました。
しかし橋が長いので一度暴風に遭へば流失するような状態で、
昭和24年には更に橋脚を鉄筋コンクリートパイル、上部は木橋として作り直され、
その後江の島弁天橋として親しまれてきました。
昭和32年に至って湘南海岸公園施設の一翼を担ひ、この近代的な橋梁に生れ変わったものであります。
(昭和33年7月 神奈川県)
円弧型・日時計
"時"には形がなく見えません。しかし私達には確かに時が過ぎていくのが感じられます。
人々は大昔太陽の動きをつかまえて、とりとめもなく流れる"時"に区切りをつけました。
それが日時計と時刻です。
三角形の石の指針(ノモン)の影を円弧形の石の時刻目盛で読んでください。
影は止まることなく刻々と動いています。
それが宇宙における地球の雄大な回転なのです。
午前は西側の影、午後は東側の影で真太陽時(ここの太陽による時刻)がわかります。
日本標準時と真太陽時はちがいます。
標準時が兵庫県明石市・東経135度できめてあるからです。
いつも真太陽時が進んでいてその差は毎日ちがっています。
左の時差表グラフを見て計算すると標準時がわかります。
湘南海岸にたつ日時計に明るい風が吹きぬけていきます。
太陽と地球と私達、すべてを大切にしたいと思います。
東経139度29分11秒、北緯35度18分09秒
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江ノ島弁天橋を渡り終えると、両側に「江島神社」の幟が立っています。
その先へ進んでいくと、手前にあったのと同じ「江の島名勝図」が設置されています。
そこを過ぎて弁財天仲見世通りの入口まで来ると、青銅の鳥居が立っています。
江島神社へは正面の通りを進んでいくのですが、今回は立寄るのは省略して南側の磯を歩くべく、
鳥居の袂から左手へ分かれていく路地に入っていきます。
江の島名勝図
江の島は、またの名を「絵の島」ともいわれ、昔から風光明媚な自然環境に恵まれた周囲約4km、面積0.37kuの島です。
島の頂上部にある展望灯台からは、東南に三浦半島、南に伊豆大島、西に富士山・箱根の山々、と
湘南海岸を中心に360度の大パノラマを楽しむことが出来ます。
また江の島は、地質上、第三紀凝灰質砂岩からなる島で、このため海侵洞窟や岩嘴が多く、
奇異な形をなして、古くからその名勝をうたわれています。
島の中央には江島神社があり、弁財天が祀られています。
安芸(広島県)の宮島、近江(滋賀県)の竹生島にある弁財天とならんで、日本三大弁才天の一つにあげられています。
江戸時代には平和の神・福の神・音楽技芸の神として、多くの人々から信仰され、大変ににぎわいました。
このため、島内には神奈川県および藤沢市指定の多くの文化財が遺され、
自然美と併せて、全島が史跡・名勝に指定されています。
来島いただきました皆様に、四季を通じた江の島の魅力をご満喫いただきたいと思います。
(ぷちネットふじさわ)
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聖天島公園
民宿や魚屋などが建ち並ぶ路地を進んでいきます。
延命寺への階段を見送っていくと聖天島公園があります。
もとは海に浮かぶ岩だったようですが、関東大震災の時に江の島と陸続きになったとのことです。
いつ頃のものかは分かりませんが、古い絵はがきの写真が載っていました。
左手に写っている岩が聖天島とのことです。
橋が架かる以前には、砂州を渡って江の島まで行ったようです。
公園には良真上人を祀る祠があって、脇にはその解説板も立っています。
聖天島
もとは海に浮かぶ二つの岩からなる島でしたが、
大正12年(1923)の関東大震災の時に隆起して、江の島と陸続きになりました。
その後、昭和39年東京オリンピックのヨット競技場の整備のため海が埋め立てられ、
現在のように上部だけが丘となって残されました。
この丘は、海底火山噴出物と砂岩と凝灰岩から出来ています。
聖天島の名称は、二つの岩の形が仏教守護神の一つである「歓喜天(かんきてん)」の姿に似ていることから名付けられました。
建仁2年(1203)、僧良真が千日間の修行満願の夜、天女が現れ「お告げ」があったと伝えられています。
また、昔は八坂神社祭典の日に神輿を担ぐ者全員が、この場所で禊ぎをし、
新しい下帯をして神社に向かったという神聖な場所でした。
今も残る社の中には、良真上人像が安置されています。
(藤沢市観光課)
聖天島と聖天上人
僧良真は元久元年三月宋に渡り、慶仁禅師に参じて受法開かずして日本に霊地江の島ありと知る禅師より、
そこに社壇を開くべしと教えられ帰朝する。
後に江の島東岸の巌窟に籠り一千余日の間修行を重ねた良真が、建仁元年(1202)7月、
窟内に紫雲香気満ちて天女が壇上に現れ給うを見る。
以来此処を聖天島と謂う。
更に時の将軍源実朝の帰依僧となる良真は、実朝の懇志を受け「下の宮」(現在の江島神社辺津宮)を創建す。
(建永元年(1206)「江の島縁起」に依る)
聖天島 島の東岸にあり。
天女影向の古跡と言う。
窟内に良真の像を安す(天保12(1804)新編相模国風土記稿)。
爾来慈悲上人良真に依り、ここ江の島東岸一帯の地霊は守護されるとして、
島人は「聖天上人」と仰ぎ、崇敬を集めて現在に至ります。
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岩場
かながわ女性センターの裏手を進んでいくと、駐車場を横切った先に防波堤があります。
堤防の上に上がって右手へ進んでいくと、磯に降りていく階段があります。
金網沿いに降っていくと、すぐに平らになった岩場に降り立ちます。
満潮の時には上まで水が洗うのですが、この時には丁度干潮の時間帯だったので、
水はかなり遠くに退いていました。
岩の上の所々には潮溜りがありました。
生き生きとした海藻がびっしりと付着していたので、ここまで海水が来るという証なのでしょう。
魚貝・海藻類 採取禁止
共同漁業権が設定され、漁業者が生活の糧としています。
以下の行為をする者は違反者として処罰されます。
・この付近の磯で手中眼鏡をかけて、
・イソメガネやヤス・水中銃・アクアラング等を使用して、
・魚介、海藻類を採る事。
(神奈川県、湘南海上保安署、藤沢警察署、江の島片P漁業協同組合)
立入危険
この先の岩場は落石の恐れがあります。
荒天時には高波もあり立ち入ると危険です。
(神奈川県藤沢土木事務所)
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水際で釣糸を垂らす人や潮溜りで遊ぶ家族連れなど、大勢の人で賑わっていました。
岩には白いものが付着していましたが、何なのかは分かりませんでした。
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山側には柵が設置されていて、「立入禁止」の標識が出ています。
切り立った岩壁になっていて、落石などがあると危険ということなのでしょう。
満潮時には歩いて行けなくなりそうな所もありましたが、
幸いにも干潮だったので、崖の近くを歩いていくことができました。
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岩畳になった磯を進んでいくと、正面にこんもりとした山が現われます。
上空を舞う鳥を写そうというのか、超望遠レンズを付けたカメラを三脚に乗せて、
機会を窺っている人達が沢山いました。
江の島弁天橋の手前にあった解説板によると、ハヤブサを狙っていたのでしょうか。
鳥がやってきたので、大砲を天に向けて連写している人もいましたが、
「餌は掴んでいなかった」などと話合っていました。
獲物を獲って巣へ帰ってくる所を写そうという狙いのようでした。
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正面の山へ向かっていくと、手前の右側が低くなっています。
「山ふたつ」と云われる所で、ここで島が二つに割れたようになっています。
以前に島の上を歩いた時に見かけた解説板の内容を参考までに載せておきます。
右手の上にはサムエル・コッキング苑にある展望灯台も見えていました。
手前の崖には大きな穴が開いていて、崖の上からは水が流れ落ちていました。
試しに近寄ってみましたが、人が立って入れるほどの大きさで、結構奥まで続いているようでした。
満潮時には水が浸入するのかどうかは分かりませんが、潮待ちなどをするのには良さそうに思えました。
山ふたつ
江の島をちょうど二分する境となっていることから、俗に「山ふたつ」と言われています。
奥津宮のある西側は、昔から全く地震を感じなかったことから「地震知らずの山」とも呼ばれ、
岩屋に属する部分は全体が一つの巨岩から成り立っているからだろうと言われていましたが、
関東大震災には奥津宮の本殿は倒壊一歩手前まで揺り動かされたそうです。
南側の暗礁に砕け散る激しい波を見下ろす絶壁の頂きには、潮風に吹きさらされる老松が佇むのが見えます。
(藤沢市観光課)
山二つ
江の島をちょうど二分する境となっていることから、俗に「山ふたつ」といわれています。
断層に沿って侵食された海食洞が崩落したことで「山ふたつ」が出来たともいわれています。
サムエル・コッキング苑から下りてくる階段横には、赤茶色の地層が見えます。
これは関東ローム層で、箱根・富士山の火山灰が堆積したものです。
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「山ふたつ」の入江を過ぎていくと、岩屋の洞窟の入口が見えてきますが、
手前には幅3mほどの深い入江があって、行く手を阻まれました。
入江の岩壁側には深い洞穴があって、そこまで海水で満たされています。
干潮のこの時でさえこのような状態で渡ることが出来ないので、
常に歩いて行けるようにするためには橋などを架ける必要があるようです。
振り返ると、崖の上には展望灯台がよく見えていました。
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岩場を引き返して防波堤まで戻って来て、先端にある灯台まで歩いて行くことにしました。
両側に柵が設置された堤防の上を進んで、少し左へ曲がっていく辺りまで来ると、
消波ブロックの先に平らな岩場がありました。
手元の地図によると「鵜島」と云うようですが、満潮になると海面下に沈んでしまいそうに思えました。
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鵜島を過ぎていくと、小さな石が埋め込まれた「自然浴さんぽ路」というのがあって、その効用書きも設置されていました。
路面には変化があって、足の底面・つま先・踵などを刺激するゾーンから成っているようでした。
高止まりの体重の身には何とも痛そうに思えたので、歩くのは止めておきました。
自然浴さんぽ路
踏んで歩いてイキイキ健康!!
歩く前にかならずお読み下さい。
足の裏には様々な36のツボがあり、東洋医学では、それらを刺激することによって血液循環を良好にし、
内臓器官の働きを高めたり、内分泌を活発にして各器官の疲れをほぐし、リラックスさせるなど、
さまざまな効果があると言われています。
くつをぬいで、足の裏全体を刺激するようにゆっくりと踏みしめて歩いてください。
歩行後、ぬるいお湯を飲むといっそう効果的です。
!必ずくつをぬいで歩いてください。
!歩行目的以外に使用しないでください。
!歩行時に障害物等が無いことをお確かめのうえ、歩いてください。
!危険ですからゆっくり歩いてください。
!転倒防止のため、必ず手すりをお使いください。
!歩行面が濡れている時は、滑らないように気をつけてください。
!長時間連続しての歩行は控えてください。20〜30分が目安です。
!凍結時、積雪時は危険ですので歩行をしないでください。
!お酒を飲んだ方や、妊産婦の方は、身体のバランスを崩しやすいので歩行をしないでください。
!歩行後は足を冷やさないようにしてください。
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湘南港灯台
防波堤の先端まで行くと湘南港灯台が立っています。
完成したのは昭和39年9月で、平成6年3月に改築されたようです。
扉もありましたが閉ざされていて、中に入っていくことは出来ないようでした。
灯台の近くは板張りになっていて、釣りをしている人を多く見かけました。
海面には帆を張ったヨットが沢山浮かんでいて、シーズンの到来が近いことを感じました。
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灯台の手前にある階段を降りていくと、広い場所になっていました。
災害時にはヘリコプターの離発着場にもなるとのことでした。
火気使用禁止
ここは港湾区域内です。
火気の使用はできません。
(この近辺でバーベキューはできません)
(湘南港管理者、神奈川県藤沢土木事務所、湘南なぎさパーク)
この付近は、突然高い波がくることがあり、転落の危険性がありますので、
ライフジャケットの着用をお奨めします。(特に子供)
・子供用ライフジャケットはヨットハーバーにて貸し出しております。
(湘南なぎさパーク、湘南港管理部)
地震災害時はヘリコプター臨時離発着場になります。
(神奈川県藤沢土木事務所)
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南緑地
灯台の西側には南緑地があります。
南国風の樹木も植えられていて、雰囲気の良い所です。
中ほどの芝地を取り囲むようにして、ボードウォークが円形に巡っています。
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江の島ヨットハーバー
南緑地を出て、江の島ヨットハーバーと駐車場の間に続く道を進んでいきます。
このヨットハーバーは、昭和39年の東京オリンピックでヨットレースの会場になった所で、
湘南港と云うようです。
陸揚げされたヨットなどを眺めながら進んでいきます。
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江島大神
聖天島公園まで戻ってくるとサザエ島へと続くプロムナードがありますが、
以前にも訪ねているので今回は省略しました。
その先へ進んでいくと、左手に鳥居が立っています。
玉垣で囲まれた奥には、「江島大神」の扁額が掛る小振りの祠があります。
鳥居の所に設置された木柵に取り付けられた看板によると、交通安全祈願所とのことです。
江島神社の一部になるようですが、妄りに立ち入ってはいけないようです。
ここは交通安全祈願所です。
神社の尊厳を護持し、且つ、風致保全上、次の行為を禁止します。
一、妄りに神域に立ち入ること
一、この付近に自転車・バイク等置くこと
一、ゴミを捨てること
常に清浄を心掛けましょう。
(江島神社)
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北緑地
江島大神を過ぎて江の島弁天橋の近くまで戻ってくると、右手の海沿いに北緑地があります。
芝地の周囲を円形に巡るレンガ敷きの散策路が設けられています。
目の前には江の島大橋が陸まで続き、片P東浜海水浴場には波が打ち寄せていました。
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北緑地の脇には「弁財天と世界女性群像噴水池」と名付けられた円い噴水池があって、
池の真ん中には弁財天、池の周囲には東洋と西洋の女性像が並んでいます。
湘南港竣工とオリンピック東京大会ヨット競技開催記念 弁財天と世界女性群像噴水池
弁天の江の島といわれる江の島弁財天は、近江の竹生島、安芸の厳島とともに日本三弁天の一つであり、
江の島の象徴であって、この弁財天にちなみ、冥想の弁財天を池の中央に配し、江の島の歴史と文化を表現し、
これをかこんで東洋と西洋、古典と弦大の四つの像、つまり東洋の古典像は法隆寺の百済観音のイメージをとりいれ、
西洋古典像は、オリンピック発祥の地ギリシャの古代女性像、これに対し西洋現代像は優雅な女性裸像と、
東洋の現代女性像として東南アジアの踊り子像をくみあわせ、
この五体はオリンピックの五輪をあらわし、世界とその平和親善を表現し、ヨット競技開催を永久に記念するもので、
これらはいずれも格調高く気品にみち、全体的に美的統一がはかられています。
噴水は弁財天を水のベールにつつみ、昼間は太陽のひかりをあびて七色の虹をいろどり、
夜間は水中照明によりさまざまに変化しつつ、一層の美観をくわえます。
(昭和39年10月1日 藤沢市長 金子小一郎)
弁財天と世界女性群像噴水池を後世に
この弁財天と世界女性群像噴水池は平成10年第53回国民体育大会かながわ・ゆめ国体を機に、
江の島北緑地の再整備事業として現在の姿となりました。
当初の位置は現在地より約20m程南側に位置し、その景観は左の写真のとおりであります。
弁財天は発祥地インドではサラスバティーすなわち水の神・音楽の神と云われ、
それにふさわしく弁財天を中心として、世界女性群像はこの水面の上にたたずみ、
幾年の歳月を潮騒の調べにだかれて、流れる雲とともにその女性美を水面に映してまいりました。
ここに訪れ散策する多くの人々の心に安らぎと美しき感銘をあたえ、静かにいならぶ弁財天と世界女性群像。
この五体の彫像の制作者こそ、昭和9年に日本彫刻家協会を創立し造形と精神の両面にわたる人間性の追求に専念した
日本彫刻界重鎮、加藤顕清氏であります。
氏は晩年を藤沢市ですごし昭和44年市内大庭で没した。享年72才。
ここに氏の生涯にわたる彫刻美術の偉業に敬意を表し、
弁財天と世界女性群像噴水池を後世に残すものであります。
(平成12年3月 藤沢市長 山本捷雄)
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江の島(えのしま)バス停
北緑地の道路向かいに江の島バス停があります。
藤沢駅(JR東海道線)まで、藤沢駅行きバスにて20分、1時間に2本程度の便があります。
大船駅(JR東海道線)までの便も、1時間に1本程度あります。
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