衣張山
散策:2010年05月上旬
【低山ハイク】 衣張山
概 要 衣張山は鎌倉にある標高120mほどの低い山で、山頂が北と南に分かれた双耳峰になっています。 山頂からは箱根や丹沢や富士山などを一望できる眺めが広がっています。 今回は法性寺の裏手から大切岸に出て、パノラマ台を経て衣張山へ登り、 北斜面を滑川沿いに降りて、祇園山ハイキングコースを歩いていきます。
起 点 逗子市 法性寺バス停
終 点 鎌倉市 鎌倉駅
ルート 法性寺バス停…法性寺…法性寺奥之院…山王大権現…名越切通分岐…大切岸…展望地…パノラマ台…鎌倉市子ども自然ふれあいの森…展望地…衣張山(南峰)…衣張山(北峰)…石切り場跡…大御堂橋…大蔵稲荷橋…大蔵稲荷…高時腹切りやぐら分岐…妙本寺分岐…妙本寺…夷堂橋…本覚寺…若宮大路…大巧寺…鎌倉駅
所要時間 3時間30分
歩いて... この時は良い天気でしたが、富士山の手前には雲が棚引いていて、山頂が僅かに見える程度でした。 尾根道は青葉で満ちていて清々しい散策が出来ました。 衣張山の北斜面はシダ類が生い茂る植林帯になっていて、 鬱蒼とした深山に迷い込んだ雰囲気も体験できました。
関連メモ 衣張山, 名越切通, 祇園山, 鎌倉大町, 衣張山, 鎌倉回峰, 巡礼古道, 祇園山, 巡礼古道, 名越切通, 名越切通,
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コース紹介
法性寺(ほっしょうじ)バス停
逗子駅(JR横須賀線)の東口から、[逗29]亀ヶ岡団地循環バス,または,[鎌30]鎌倉駅行きバスにて11分、 1時間に2本程度の便があります。
今回は法性寺の裏手にある奥之院から、大切岸のある尾根へ登っていきます。
切通のような所を過ぎていくと信号機のない分岐があります。 そこを右手へ鋭角に曲がっていくと、横須賀線の久木踏切があります。 踏切を渡った所から左手に分かれていく道が、法性寺への入口になります。 脇には供養塔と馬頭観世音の石碑が並んでいます。 「日蓮大聖人焼討御避難之霊跡」,「至孝第一日朗聖人御墳墓之霊場」と刻まれた石柱を過ぎていくと、 「猿畠山」の扁額が掛る法性寺の山門があります。 額の両側には木彫りの白猿の像が付いていて微笑ましく思えます。
逗子駅からは2kmもない所なので、歩いてもそれほど時間はかかりません。 その場合は西口の改札から県道205号に降りて左手へ進み、 久木ハイランド入口交差点を過ぎていくと、久木踏切の手前に法性寺への入口があります。
日蓮聖人御遺文「聖人御難事」
今月の聖語 当時は痛けれども 後の薬なれば 痛くて痛からず
法性寺
山門を過ぎていくと、「お猿畠大切岸・名越切通し」の看板が立っていて、 正面の崖沿いに続く坂道を指しています。 法性寺の駐車場を過ぎていくと鉄製の扉がありますが、この時には開いていました。 扉を過ぎて坂道を更に登っていくと、道路の左手の一段高い所に法性寺があります。 「日朗菩薩墳墓霊場」の扁額が掲げられた本堂と庫裡が続いたような形の建物になっていました。 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでした。 道路の右手には手桶などが置かれている黄色い建物があり、1階は休憩舎のようになっていました。 壁には尾根へのルートを記した手製の案内図が貼り付けられていて、 登り口の写真も載っていました。
久木9丁目A急傾斜地崩壊危険区域
この区域内で、のり切り・掘削・伐採等を行う場合は、知事の許可が必要ですから、左記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県横須賀土木事務所)
閉門時間
4月より9月 午後6時、 10月より3月 午後5時
法性寺奥之院
坂道をその先へ登っていくと、左へ曲がっていく角から正面へと急な石段が分かれていきます。 先ほどの案内図ではどちらの道を登っても少し先で合流するようなので、今回は坂道を登っていきました。 雑木林に続く坂道を登って尾根に出ると、道は右へ曲がっていきます。 その角の左手には立派な五輪塔のような形をした墓石が並んでいました。 正面の上に手水舎が見えてくると、左手の緩やかな道と、右手の石段とに分かれています。 左手の道は奥にある墓地へ直接続いているので、右手の石段を登っていきました。 手水舎まで来ると、手前から分かれてきた石段が合流してきます。 石段を合わせて更に登っていくと、すぐに小広くなった所に着きます。 ここが法性寺の奥之院になります。 先ほどの案内図によると、正面の建物が祖師堂、右手の建物が日朗堂になるようです。 祖師堂の左側の岩壁には、日蓮聖人が避難したという岩窟もありました。
略縁起
當山ハ文應元年八月二十七日、日蓮大聖人、松葉ヶ谷御草案焼討御難ノ砌、 山王権現の霊應白猿ノ導クニ任セ難ヲ此ノ山腹ノ岩窟ニ避ケ給イシ霊跡ニシテ、 猿畠山法性寺ト号ス。 又大聖人ノ上足師孝第一日朗聖人ノ全身舎利ヲ奉安スル御廟ノ霊場ニシテ、 池上本門寺比企ヶ谷妙本寺両山ノ奥ノ院ト称ス。
山王大権現
左手にある「山王大権現」の扁額の架かる鳥居をくぐり石段を登っていくと、 小高い所に山王大権現があります。
山王様
山王の字の縦三本横一本横三本縦一本の構成は、一心三観三観一心の妙法の心を示すものです。 文應岩塩7月16日、立正安国論による第一次国諫(光則寺)の反應は8月27日の名越御草案の焼打(安国論寺)と なって顕はれました。 この時、天諸童子以為給持の佛讖は山王様の白猿となって義に従って實の如く實證を示されました。 多實塔は万世を貫ぬき永遠不磨の妙法の實果を具現します。
 (山王清浄講社有志建之)
山王大権現のある高台から振り返ると、逗子の街並みの奥に桜山の山並が横たわる眺めが広がっていました。 その奥には三浦アルプスが横たわり、山頂に電波塔がある二子山もよく見えていました。
山王大権現から引き返してその先へ進んでいくと、手前で分かれてきた道が合流してきます。 その道を合わせて墓地に続く細道を真っ直ぐ進んでいくと、 右手の前方には垂直に切り立った岩壁が見えてきます。 これが人工的に山肌を削って造ったという「大切岸」になるようです。 三浦半島を拠点とする宿敵の三浦氏の侵入に備えて、北条氏が造営したのだそうです。
墓地に続く細道を真っ直ぐ進んで一番奥の墓地の区画まで来ると、 その手前から細い山道が正面に分かれていきいます。 ここが尾根への登り口になります。 法性寺バス停から30分ほどで着きました。 岩盤が露出した山道を登っていくと、右手の岩壁が大きく刳り貫かれていました。 「やぐら」にしては大きいようにも思えるので、北条氏の兵が隠れるのに使った窟なのでしょうか。 笹が生い茂るようになった道を更に登っていくと、再び岩壁が刳り貫かれた所がありました。
名越切通分岐
角が丸まった石段を登ってその先へ進んでいきます。 道の左側には有刺鉄線柵が続くようになりますが、民家が近づいてくるとブロック塀に変わります。 二つ並んだ石碑を過ぎていくと、左右に通る緩やかな尾根道に出ました。 墓地の奥から3分ほどで登って来られました。 角には道標が立っていて、右手の道は「大切岸・ハイランド住宅地・衣張山」、 左手の道は「名越切通・まんだら堂やぐら群(閉鎖中)」、 今来た道は「法性寺・バス停久木五丁目」となっています。 正面には逗子市消防本部の設置する緊急時の通報番号を記した「山火事注意 ひさぎ18」の看板も立っています。 左手へ進んでいくと名越切通に出られますが、今回は衣張山に向かって右手へ進んでいきます。
尾根道を進み始めてすぐの所から、左手の僅かな高みへ道が分かれていきます。 尾根道から外れてその道を軽く登っていくと、大きめの石祠が二つありました。 鎌倉市指定の石造建造物の石廟のようで、 その旨を記した標柱が立っていましたが、謂われなどは分りませんでした。 祠の中には大きめの石がひとつ納められていました。
(画像を左クリックすると、手前の石祠・奥の石祠の順で表示されます)
石廟を過ぎて尾根道に合流してその先へ進んでいきます。 右手が開けて見晴らしが得られる所を過ぎていくと、石廟から2分ほどで、木製の階段が左手に分かれていきます。 角には道標が立っていて、左手の階段は「ハイランド住宅地・衣張山・報国寺方面」、 今来た道は「名越切通・法性寺・まんだら堂やぐら群(閉鎖中)」となっています。 正面の尾根道は何も示されてはいませんが、このすぐ先が大切岸になります。
左手の階段は尾根道の一段下を1分ほど通って、再び尾根道に登る迂回路になっていて、 尾根道に出た所にも同じ道標が設置されています。 尾根道が崩壊したための処置かとも思えますが、 尾根道には通行止めや注意を促す看板などは設置されていません。 歩いてみても崩壊の跡はなく、なぜ迂回路が出来ているのかはよく分りませんでした。 岩盤が剥き出した所があるので、その危険を避けるためかとも思えますが、 それならば尾根道は通行止めにしておくべきだと思いながら、存在理由のよく分らない迂回路でした。
大切岸
岩盤が露出した僅かな高みを越えて降っていくと、右手が開けた所に出ます。 尾根道に出た所の道標にはあった「大切岸」の文字が、 先ほどの道標では見られなくなっていたので、ここが大切岸になるようです。 先ほど墓地から見えていた岩壁の上に位置しているようです。 試しに崖の下を覗いてみると、切り立った岩壁になっていました。 眼下の斜面は畑のようになっていて、少し先には法性寺の墓地も見えていました。
大切岸からは桜山や三浦アルプスを一望出来る眺めが広がっています。 先ほどの山王大権現と比べると見える範囲が少し違いますが、 手前の樹木が邪魔をしていないだけ、広々とした感じがします。
展望地
左手から登ってくる迂回路を合わせて、緩やかな尾根道を進んでいくと、 1分もしない所の右側が僅かに高くなっています。 樹木が切り払われて、いい眺めが広がる展望地になっていました。 周囲にはロープ柵が設置されていました。 以前に来た時には見かけませんでしたが、近年になって樹木が切り払われたようです。 ここからも、二子山から森戸海岸へ続く尾根が一望できる眺めが広がります。
展望地の先へ進んで尾根道に降りて、その先へと進んでいきます。 新緑の季節とあって、陽光を浴びて木々が生き生きとしていました。 しっかりと踏まれて明瞭な道を緩やかに進んでいくと、展望地から2分ほどで分岐があります。 角には道標が立っていて、左手の道は「ハイランド住宅地・衣張山・報国寺方面」、 今来た道は「名越切通・法性寺・大切岸・まんだら堂やぐら群(閉鎖中)」となっています。 右手に登って行く道は何も示されてはいませんが、水道山(浅間山)へ登っていく道になります。 「大切岸」の文字が復活したことを確認して、左手の道を進んでいきます。
右手の坂道を見送っていくと、正面に石段が見えてきます。 その手前の道端に生える大木の袂から左手の谷へ降っていく細い道が分かれています。 やぐら群を経て、逆川が流れる鎌倉の大町地区へ降っていけますが、 今回はこのまま正面へ進んでいきます。
(左手の道は「名越切通」, 「名越切通」を参照)
自然石の石段を登っていくと、道の真ん中に杭が何本か立っていました。 ここで道が二手に分かれています。 傍には道標が立っていて、正面の道は「ハイランド方面」、 今来た道は「名越切通・大切岸方面」となっています。 右手に戻るようにして登っていく道もありますが、道標には何も示されてはいません。 右手の道は水道山(浅間山)を越えて久木8丁目へと続いていますが、今回は正面の道を進んでいきます。
右手の道
右手の道へ入った所の樹木に「この先 巡礼の道 古道なり」と書かれた貼り紙があります。 手前にあった分岐からの道がそのすぐ先で合流してきます。 1分半ほど登っていくとベンチがひとつ設置されて開けた所があって、 鎌倉の街や海や江ノ島、その奥に箱根から丹沢の山々を一望できる景色が広がります。 その先へ更にひと登りすると、水道施設の裏手にある一段高い所に出ます。 柵がしてあって施設の中に入ることはできませんが、衣張山などを見ることができます。 その辺りの高みは通称「水道山」と呼ばれていますが、本来は「浅間山」というのだそうです。 現在ではこの北北西600mほどにある標高120.1mの衣張山を誤って「浅間山」と呼ぶことが多いようですが、 間違われるのは「浅間山の位置取り違え事件」が根底にあるようです。 高みを越えて歩きやすい道を10分ほど降っていくと、久木8丁目1番地に出ます。 逗子市消防本部の「山火事注意 ひさぎ」の看板No.13〜No.16が設置されていて、 ハイキングコースにもなっているようです。
(「巡礼古道」, 「巡礼古道」, 「名越切通」, 「衣張山」を参照)
幅が広がってきた道を進んでいくとすぐに分岐があります。 角には道標が立っていて、左手の道は「パノラマ台」、正面の道は「子ども自然ふれあいの森」、 今来た道は「名越切通」となっています。 何度か登っているパノラマ台ですが、今回も立寄っていくことにしました。
パノラマ台
分岐を右手へ進んでいくとすぐに横木の階段が始まります。 途中で緩やかになったりもする横木の階段を2分ほど登っていくと、小高くなったパノラマ台に着きます。 法性寺の裏手の墓地から20分ほどで到着しました。 周りは柵で囲まれていて、先の方にベンチがひとつ設置されています。 標高110mほどの低いピークですが、360度の眺めが広がっています。 手前には短い境界杭のような物が二つありますが、三角点ではないように思えました。
パノラマ台からは、南西には逗子の街や海、西には鎌倉の街や海、北にはこれから向かう衣張山、 東には水道山にある展望広場が見渡せます。 相模湾に浮ぶ江の島や箱根連山、丹沢山塊なども見渡せ、 条件がいいと富士山も綺麗に望むことができる所です。 この日は江の島は良く見えていましたが、富士山の手前には雲が棚引いていて、僅かに山頂部が見える程度でした。 雲が流れていかないかと思って暫く待ってみましたが、残念ながら晴れ渡ることはありませんでした。
パノラマ台から引き返してきてその先へ進んでいきます。 道端に佇む狐像を眺めながら広くて緩やかな道を進んでいくと、 首を傾げたお地蔵さんを過ぎた先で、左下から登ってきて右上へと曲がっていく舗装路に出ます。 道標類は見かけませんが、右手へ登って行くと、水道山にある展望広場へ続いています。 文字通り展望が得られる所ですが、以前にも訪ねているので今回は省略して、左手へと降って行きました。
(画像を左クリックすると、狐像・お地蔵さんの順で表示されます)
鎌倉市子ども自然ふれあいの森
青葉の茂る森に続く舗装路を降っていくと、左手に分かれていく散策路があります。 角には「鳥はともだち」や「鎌倉市子ども自然ふれあいの森」の案内板が設置されています。 パノラマ台からこの辺りにかけての地図も載っていました。 左手を流れる水路に架かる四角い小橋を渡っていきます。
鎌倉市子ども自然ふれあいの森
この森は、子どもたちが自然やお年寄りをはじめとする人々とのふれあいを通して さまざまな体験ができる場として整備したものです。 みんなで仲良く大切に使いましょう。
1.樹木を大切にしましょう。
2.騒音を出すなど、近隣に迷惑なことはやめましょう。
3.火の使用はやめましょう。
4.犬はリードから話さないようにしましょう。
5.犬の糞は、飼い主が始末しましょう。
6.ゴミは持ち帰りましょう。
 (鎌倉市)
鳥はともだち
ヒヨドリ (ヒヨドリ科) 全国に分布し、人家付近や林で最も普通。スズメの2倍位の大きさで、尾が長く灰色の体。 春、秋に群れで移動する。ピーヨピーヨと騒がしく鳴く。
キジバト (ハト科) ヤマバトとも呼ばれる。明るい茶色で首に黒と青白いしま模様がある。 デデッポーとのんびりした声で鳴き、地面をこのこの歩いて餌をとる。
カワラヒワ (アトリ科) 河原や林などで普通。スズメ大の鳥で、オリーブ色の丸味をおびた体形。 飛ぶと翼に黄色の帯が目立つ。キリリコロロ、その合間にビィーンビィーンとさえずる。
シジュウカラ (シジュウカラ科) 林に普通の鳥で、巣箱をよく利用する。スズメ大で、よく動きまわる。 黒い頭に白いほお、胸から腹に黒いネクタイ状の模様。 ジュクジュク、ツーピーツツピーなどと鳴く。
オナガ (カラス科) 低地から山地の村落や木の多い市街地に普通。灰色の体、水色の長い尾に黒の頭。 10羽ほどの群れで生活し、雑食性。グェーグェー、キュイキュイと鳴く。
ムクドリ (ムクドリ科) 畑や芝生に普通。スズメより10cm位大きい。くちばしと脚のオレンジ色、飛んだときの腰の白が目立つ。 秋から冬に大群をつくる。キュルキュル、リャーリャーと鳴く。
トビ (ワシタカ科) 翼を広げると160cm位のタカの仲間。全国に普通。 特に海岸や湖沼近くに多く、魚や小動物の死んだものを食べる。 体は黒褐色で、鳴き声はピーヒョロヒョロヒョロ。
スズメ (ハタオリドリ科) 最も身近にすむ鳥。茶褐色の体。顔は白く、ほおに黒い斑がある。 チュンチュンと鳴いて、地上のえさを食べる。繁殖期には昆虫を多く食べる。
モズ (モズ科) スズメよりやや大きい。かぎ状のくちばしをもち、頭が大きく、尾が長い。 とまっているとき、尾をゆっくり回す。秋にキィーキィキィキィと高鳴きをする。
ウグイス (ヒタキ科) やぶやササの中にいて、姿はあまり見せない。スズメ位の大きさで、地味な茶褐色の体。 繁殖期にはホーホケキョと鳴く。冬の地鳴きはチャッチャッ。
コジュケイ (キジ科) 下草の多い林などに数羽の群れですみ、地上で餌をとる。 ハトよりやや小さい。体は丸く、愛らしい。鳴き声はよく響き、チョットコイ、チョットコイと聞える。
アオバズク (フクロウ科) 初夏の青葉の頃、神社や寺などの木の多い林にやってくる。 ハト位の大きさ。夜行性で、昆虫や小鳥などを食べる。ホッホー、ホッホーとくり返して鳴く。
ハシボソガラス (カラス科) 雑食性で、全国に普通。 都市部よりも開けた農耕地を好む。ハシブトガラスよりやや小型でくちばしも名の通り細い。 ガアガアと濁った声で鳴く。
メジロ (メジロ科) 全国で普通に見られ、常緑広葉樹林に多い。 スズメよりやや小さい黄緑色の体で、目のまわりが白い。 甘い物が好きで、ウメやツバキの花の蜜を吸う。チー、チーと鳴く。
ホオジロ (ホオジロ科) 全国で見られ、明るい林や草地を好む。スズメ大の鳥で茶色の体。 顔は黒と白の斑(雌は褐色と白)。チチッチチッと鳴き、木のてっぺんで胸をそらせてさえずる。
広場風の所から右手へ進んでいくと「かまくら幼稚園」の裏手に出ます。 住宅地の道路に並行するようにして広い散策路が続いています。 ツヅジが綺麗に咲く散策路を進んでいくと、左手の樹木が低くなって眺めが広がってきます。 この辺りは「関東の富士見百景」に選ばれているようで、その旨の説明板がありました。 先ほどのパノラマ台からと同様に、手前に雲が棚引いていたのが残念ですが、 富士山の山頂部を望むことができました。 ここから見える山の名前と標高を書き込んだ「逗子鎌倉ハイランドからの眺望」と題した写真も掲示されていますが、 この時には水に濡れて滲んでしまっていて読めませんでした。 以前に来た時にはよく読めたので、その時の内容を載せておきます。
関東の富士見百景
富士山の見えるまちづくり
地点名 鎌倉市からの富士
 (平成17年11月 国土交通省関東地方整備局、(社)関東建設弘済会)
逗子鎌倉ハイランドからの眺望
大観山1015、二子山1091、駒ヶ岳1327、神山1438、大湧谷、明星ヶ岳924、明神ヶ岳1169、 金時山1213、富士山3776、御坂峠1520、三ッ峠山1786、蛭ガ岳1673、大山1252、丹沢山1567
木祠に納められたお地蔵さんを過ぎた先の分岐を左手へ進んでいくと、衣張山への登り口があります。 正面には道標が立っていて、左手の道は「衣張山12分・杉本観音25分」、 右手の道は「巡礼古道5分・報国寺20分」となっています。 「衣張山」を示す道標に従い、左手の山道を登っていきます。
三浦半島の自然が危ない
外国から持ち込まれたアライグマや台湾リスなどの外来生物が増えています。 自然の中の動物や植物は、食べたり、食べられたり、すみ分けをして自然のバランスを保っています。 ここに外来生物が侵入してくると、自然のバランスが崩れてしまいます。
三浦半島の自然環境を未来に渡すための予防三原則
入れない 悪い影響を及ぼすかもしれない外来生物をむやみに日本に入れない。
捨てない ペットとして飼っている外来生物を自然の中に捨てない。
拡げない 自然の中にいる外来生物をほかの地域に広げない。
まずは、アライグマやタイワンリスにエサを与えない!
 (神奈川県横須賀三浦地域県政総合センター、鎌倉市)
よく整備された山道が続きます。 街に近いというのに、深い森の雰囲気を残しています。 3分ほど登って尾根筋に着くと、正面には山並を見渡せる眺めが広がっていました。 衣張山へは尾根道を左へ進んでいきますが、 右手のすぐ先に展望が得られる所があるので、今回も立ち寄っていきました。
展望地
「歴史的風土 妙本寺・衣張山特別保存地区」の標柱を過ぎていくと、樹木の間にぽっかりと開いた所があります。 先の方へ出てみると、ハイランドの街並みや「鎌倉市子ども自然ふれあいの森」が眼下に見下ろせます。 その向うには、遥かに逗子の海も見渡せます。
歴史的風土 妙本寺・衣張山特別保存地区
この地区内で建築、木竹の伐採、土地形質変更等を行なう場合は、事前に許可が必要です。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター)
展望地から引き返してきて、尾根道をその先へと進んでいきます。 1分ほど進んでいくと、右へZ字形に折れ曲がって降っていきます。 横木の階段を登って僅かな高みを越えていきます。 尾根道には僅かな登り降りはありますが、いずれも短くて息が切れるようなことはありません。
衣張山(南峰) (標高120.1m)
再び現われる横木の階段を登っていくと、先ほどの展望地から5分ほどで衣張山(南峰)に着きます。 パノラマ台から25分ほどで到着しました。 西側が開けていて、鎌倉の街並みや由比ヶ浜の向うに江の島が見える良い眺めが広がっています。 富士山は手前の樹木に隠れてはっきりとは見えませんでした。 ベンチも設置されているので、ひと休みしていくのに良い所です。 この200mほど北側にあるピークと合わせて、両方とも「衣張山」と云うようです。 衣張山はほぼ同じ高さのピークが二つ並んだ双耳峰になっていて、 ここでは、この高みを「南峰」、この先の高みを「北峰」と呼んでおきます。 この高みには三等三角点があるので、地形図に載っている120.1m峰はここになるようです。
このピークの名前は「浅間山」との情報もありますが、 パノラマ台の東側の水道設備がある通称「水道山」と呼ばれているピークが 本来の浅間山なのだそうで、間違われるのは「浅間山の位置取り違え事件」が根底にあるようです。
展望地の真ん中にある樹木の袂には、石仏と石塔が佇んでいます。 周りにはお願い事などを書いた丸い石がたくさんありました。 3体並んでいる石仏・石塔の内の1体「しあわせ地蔵」が行方不明になっていた時期もありましたが、 結局見つからなかったようで、新たな石仏になっていました。
南峰からの展望を堪能したら、三角点の先に続く尾根道を緩やかに降っていきます。 僅かな高みを過ぎていくと、北峰へ登る最後の横木の階段が現われます。 階段を登り切って緩やかになった道を進んでいくと、 衣張山(南峰)から3分ほどで衣張山(北峰)に着きます。
衣張山(北峰)
北峰の山頂は、先ほどの南峰より少し広くなっています。 地形図では標高120mの等高線で囲まれているので、南峰とほぼ同じ高さになるようです。 目の前には鎌倉の街や海が広がり、江の島も見えていました。 先ほどのパノラマ台では頭を覗かせていた富士山は、この時にはほとんど雲に隠れて見えなくなっていました。 ベンチも設置されているので景色を眺めながら、ひと休みしていきました。
大きな木の袂には、南峰と同じような石仏と石塔がありました。 石仏1つに石塔が2つ、数まで同じですが、何か意味でもあるのでしょうか。 南峰とは違って、ここのは持ち去られることもなく、3体とも無事に揃っていました。 衣張山一帯には、鎌倉時代の史跡が多く残っています。 かつて南峰にあった「しあわせ地蔵」は、ここの石仏と同じような姿をしていましたが、 現在では別の形になっています。
石切り場跡
山頂からの展望を堪能したら下山していきます。 山頂広場の奥へ続く小径を進んでいくと、道が二手に分かれています。 以前には「展望コース」と書かれた標識が木に取り付けられていて右手の階段を指していましたが、 この時には見かけませんでした。 どちらを進んでもこの先で合流しますが、今回は右手の急な横木の階段を降っていきました。 樹木が邪魔をして展望は今ひとつですが、その名の通りに、以前には見晴らしが良かったたことはうかがえます。 途中から変わった石段が終わって左手に曲がっていくと、岩壁が刳り貫かれた所があります。 入口には「石切り場跡」と書かれた標識が取り付けられています。 中へ入ってみると結構広くなっていました。 フラッシュを点灯させて内部を写してみましたが、真っ暗にしか写りませんでした。
石切り場跡の右手の石段を登っていきます。 緩やかになった細道を進んでいくと、大きな岩の下に石塔が幾つも並んでいます。 この時にはシダ類などが生い茂ってかなり隠れていましたが、冬枯れの季節には全体がよく見えるようになります。
石塔群を過ぎて軽く登っていくと、頂上から左手に降ってきた道が合流してきます。 その道を合せて尾根を越えて、植林帯の中の急な道を降るようになります。 北斜面で湿気が多いのか、これまでの明るい尾根道から一転して、シダ類に覆われた林床が続くようになります。 降り始めて1分もしない所に大きな岩があって、その袂に双体の石仏が佇んでいます。
シダ類が生い茂る欝蒼とした植林帯を大きく折れ曲がりながら降っていきます。 前日に少し雨が降ったので、道が濡れていてすべり易くなっている所もありました。 岩盤に切られた階段を降っていくと、小さな沢に架けられた丸太の木橋を渡って右手へ曲がっていきます。 次第に傾斜が緩やかになってきた植林帯を進んでいくと、再び小さな木橋を渡っていきます。 少し左へ曲がって正面が明るくなってくると、衣張山(北峰)の山頂から15分ほどで住宅地に出ました。 出た所には「平成巡礼道」と書かれた道標があって、今降って来た道を指していました。
平成巡礼道
「平成巡礼道」の道標は以前にも見かけて知っていますが、何処から何処へ通じている道なのかは分かりません。 鎌倉時代の初期に開設された「坂東三十三観音霊場」の 第1番の杉本寺から第2番の岩殿寺へ通じていた巡礼道(巡礼古道)に対して、 平成の世になって新たに設定した杉本寺から岩殿寺へのコースということなのでしょうか。
民家の間に続く坂道を緩やかに3分ほど降っていくと十字路があります。 角には道標が立っていて、正面の道は「杉本寺200m」、右手の道は「報国寺350m」、 左手の道は「釈迦堂口切通400m(通行禁止)」となっています。 また、「平成巡礼道 衣張山まで15分」の道標もあって、今降って来た道を指していました。 正面にある案内板によると、この左右に続く道は「田楽辻子のみち」と呼ばれているようです。 「上杉朝宗及氏憲邸阯」と題した石碑もありますが、よく読めませんでした。 今回はここを左折していきます。
田楽辻子(でんがくずし)のみち由来
鎌倉時代に呼ばれていた小路で、路名の由来は、路ぞいの釈迦堂前に 田楽師が住んできたためと伝える。 辻子は通りぬけのできる小路のことで、十字路を辻という。 「吾妻鏡」などの田楽にまつわる記事に基づいて現在の道筋をたどると 筋替橋を起点として宝戒寺裏から滑川を渉り、大御堂ヶ谷・釈迦堂ヶ谷の 入口をへて宅間ヶ谷に出て六浦を合流する小路と考えられる。
大御堂橋
住宅が建ち並ぶ路地を1分半ほど進んでいくと、釈迦堂切通への道が分かれていきますが、 入口には「この先釈迦堂切通し崩落のため通行禁止」の看板が出ています。 その道は見送って道なりに真っ直ぐ進んでいきます。 滑川へ注ぐ支沢を過ぎていくと、右側のすぐ下を滑川が流れる所に出ます。 その少し先にある支沢を過ぎていくと、滑川大御堂橋が架かっています。 角には「田楽辻子のみち」の道標が立っていて、今来た道を指していました。 路地はこの先にも続いていますが、手摺に「此の先行き止まり」の板切れが取り付けられています。 山側には「文覚上人屋敷迹」と題した石碑もありますが、よく読めませんでした。 大御堂橋を渡っていくと、県道204号の大御堂橋交差点に出ます。
試しに橋を渡らずに左手の路地を歩いてみたところ、 程なくして蛇行する滑川に突き当たった所で道は行き止まりになっていました。
砂防指定地 滑川
この土地の区域内において宅地造成・家屋の新築・土採取等の行為をする場合は、 神奈川県知事の許可が必要ですから藤沢土木事務所に御相談下さい。
 (神奈川県)
大蔵稲荷橋
大御堂橋交差点を左折して県道204号を進んでいきます。 岐れ路交差点を直進していくと、岐れ道バス停を過ぎた所から左手に入っていく路地があります。 角の建物には「鎌倉ハンバーグ」の看板が出ています。 そこを左折して、「この先行きどまり」の看板の先に続く生け垣の路地を進んでいくと、 滑川に大蔵稲荷橋が架かっています。 橋を渡ったすぐの所の左手に赤い鳥居が立っています。 ここが大蔵稲荷へ続く参道の入口になります。
祇園山ハイキングコース
現在の祇園山ハイキングコースは、八雲神社から高時腹切りやぐらを経て東勝寺跡まで続くルートになっていますが、 以前は高時腹切りやぐらへ降らずに尾根を直進していくルートだったのだそうです。 その頃の正確なルートは知らないのですが、 ここからは旧ルートの一部だったと云われる大蔵稲荷から続く道を歩いていきます。
大蔵稲荷
鳥居の先に続く坂道を登っていくと、左手には庚申塔が沢山並んでいました。 ほとんどは「庚申塔」でしたが、「猿田彦太神」や「妙見大菩薩」と刻まれたものもありました。 左手に続く植林帯に沿って坂道を登っていくと、簡易舗装路が終わって石段を登るようになります。 再びある赤い鳥居をくぐって植林帯に沿って続く石段を登っていきます。 左手へ曲がってコンクリート製の階段も混じる石段を更に登っていくと、 赤い鳥居の先に大蔵稲荷があります。 衣張山から住宅地に降り立った所から25分ほどで到着しました。 正面には「大蔵稲荷」の扁額が掛かり、御幣の下る注連縄が渡されていました。 中を伺ってみると、赤い小振りの祠が安置されていて、狐像も幾つかありました。 由緒書きなどは見かけませんでしたが、鎌倉時代からある神社のようです。 社の裏手は岩壁になっていて、そこに2m立方ほどの四角い穴が開けられています。 中には石祠の屋根の部分と小さな狐像がありました。 入口にも石祠があって小さな狐像が納めてありました。 今では囲いのような社に安置されている小祠ですが、 その昔には裏手にある岩窟に安置されていたのでしょうか。
大蔵稲荷の左手から巻くようにして登っていく山道があります。 道標類はありませんが、その道を登っていきます。 いきなりの急階段を登っていきます。 道の谷側には鉄パイプの手摺が設置されていて「大蔵稲荷管理道路 通行危険」の看板も立っていました。 手摺が終って山の斜面を登るようになると太いロープが張られていて、かなり傾斜のある階段が続きます。 手摺の辺りではあまり必要ありませんでしたが、ロープに掴まりながら登る場面もありました。 降る時には大いに役立つように思えます。 そんな急階段も2分ほどで終って、その先には緩やかな尾根道が続いています。 30秒ほど進んでいくと、踏み跡が左手に分かれていきますが、右手へ続く道を進んでいきます。
左手の道を以前に歩いてみたことがありますが、僅かな高みを越えてすぐに尾根を降るようになります。 始めのうちは踏み跡も明瞭ですが、降るにつれて次第に不明瞭になってきます。 すぐ下には住宅が見えていますが、そこへ降りていけそうな所までは行けませんでした。
雑木林の尾根に、軽く登ったり降ったりしながら緩やかな山道が続いています。 道沿いには笹竹が生い茂っていましたが、夏草が伸び始める季節にしては道をしっかりと確認できました。 今ではあまり使われていない道のようですが、 以前には祇園山ハイキングコースの一部にもなっていたようで、しっかりとした道が続いていました。 この時は前日に雨が降ったので、道端の笹竹の葉にはまだ雨水が付いていました。 緩やかな尾根道を2分ほど進んでいくと、左手に青緑色の金網柵が続くようになります。 上部には有刺鉄線が張られていて、近づき過ぎると顔が有刺鉄線に触れてしまいそうです。 道幅は広くはないので気をつけながら歩いていきました。
3分ほどして金網柵が終ってその先の小さな高みを越えていくと、窪んだ所がありました。 以前には左右に道が通っていたのか、峠のような雰囲気のする所でした。 右手には黒色と黄色のトラロープが張られていて、 「関係者以外立入禁止」と書かれた板切れが付いていました。 左右を確認してみると、僅かな踏み跡のようなものはありましたが、 今ではとても歩けそうな様子ではありませんでした。 窪みを渡ってひと登りしていくと、引き続き笹竹の生い茂る尾根道が続きます。 樹間からは鎌倉の住宅地が見える所もあったりします。 次第に尾根が広がってきて、ハイキングコースの旧ルートであったことを思わせるしっかりとした道になってきます。
高時腹切りやぐら分岐
やがて少し降るようになると、しっかりとした道に降り立ちます。 右手から登ってきて鋭角に折れ曲がって正面へと登っていくこの道は祇園山ハイキングコースになります。 大蔵稲荷から9分ほどで歩いて来られました。 角には祇園山ハイキングコースの道標が立っていて、右手に降っていく道は「高時腹切りやぐら50m」、 正面に登っていく道は「八雲神社1.5km・見晴台1.2km」となっています。 今回は正面に続く尾根道を見晴台へと向かっていきます。
(高時腹切りやぐらへの道は「祇園山」, 「鎌倉回峰」を参照)
手前には「この先危険!通り抜け出来ません」と書かれた標識がありました。 どうやら今回歩いてきた道は通行止めになっていたようです。 しかし大蔵稲荷の方にはその旨の標識はなくて、片手落ちのように思いました。 危険な所として思い当たるのは最初の急階段だけでしたが、 通行止めにするほどの危険な状態ではなかったように思えました。
これまでの道に比べて、祇園山ハイキングコースは幅も広めでしっかりとした道が続いています。 岩盤がむき出しになったり木の根が張り出したりしている所もあったりしますが、 概ねは緩やかで歩きやすい尾根道になっています。 小さなアップダウンもありますが、いずれも短いので息が切れるようなことはありません。 鎌倉の街のすぐ脇にあるハイキングコースですが、今回は誰にも出合うことはなく静かな散策が出来ました。 祇園山ハイキングコースを5分ほど進んでいくと、左手のすぐ近くに住宅が何軒か建っています。 そこを過ぎて軽い登り坂になってくると、 道の左手に青緑色の波形板と金網が組み合わされた柵が続くようになります。
1分ほどで金網柵が終って、緩やかな尾根道を更に進んでいくと、ちょっとした切通のような所があります。 手前には「保安林」の菱形の標識が二つ並んで立っています。 切通の所からは左手へ道が分かれていきます。 広めの道で十分に歩けそうな様子で、下の方に見えている民家の辺りへ降りて行けそうでしたが、 入口には木が横たえられていて通行止めのようになっていました。 その道は見送って、右手へ登っていく尾根道を進んでいきます。
妙本寺分岐
小さな高みを越えていくと、木の根が張り出した急坂を降っていきます。 急坂が終って緩やかになった尾根道を進んでいくと、 祇園山ハイキングコースに出てから11分ほどの所に道標が立っています。 正面の道は「八雲神社850m・見晴台650m」、今歩いてきた道は「高時腹切りやぐら650m」となっています。 道標の脇に生える樹木の袂から細い山道が右手へ分かれて降っていきます。 道標には何も示されてはいませんが、妙本寺の祖師堂へ降っていく道になります。 祇園山ハイキングコースは正面の尾根へ続いていますが、今回は右手の細い道を降っていきました。
持ち帰ろう 古都の香りと あなたのゴミを
 (鎌倉市観光協会・鎌倉史跡パトロール隊)
かなり傾斜のある細い道が植林帯に続いていました。 日陰の斜面なのかシダ植物が繁茂していましたが、 夏草が伸び始める季節にしてはしっかりと道は確認できました。 降り始めてすぐの所に、木の根が張り出したかなりの段差があります。 尾根から2分ほど降っていくと、左右に通る小径に出ます。 右手の先には墓地が見えていますが、左手へと進んでいきます。 石が敷かれた細い道を降っていくと、尾根から3分ほどで、 真ん中に手摺の設置された石段の途中に降り立ちました。 出た所には「ハイキングコース→」と書かれた手製の道標が立っていて、今降って来た道を指していました。 石段の右手の先は墓地になっているので、左手へと降っていきます。
妙本寺
石段を左手へ降っていくと、すぐに妙本寺の境内に降り立ちます。 降りた所には大きな祖師堂がありますが、お寺の謂れにある「法華堂」になるのでしょうか。 祖師堂の右手には墓石が幾つも並んでいて、祖師堂寄りの所には 「比企能員公一族之墓」と刻まれた石標の立つ墓石群がありました。
妙本寺
宗派日蓮宗
山号寺号長興山妙本寺
建立文永11年(1274)
開山日蓮聖人
開基比企大学三郎能本
この寺一帯の谷を比企谷といい、源頼朝の重臣・比企能員らの屋敷がありました。 比企一族は二代将軍・頼家の後継者争いの際、北条氏を中心とした軍勢にこの地で滅ぼされました(比企の乱)。 その後、乱から逃れていた末子能本が日蓮聖人に帰依し、 一族の屋敷跡であるこの地に法華堂を建てました。 これが妙本寺の始まりといわれています。 4月から8月にかけて、桜・カイドウ・シャガ・ノウゼンカズラなどが鮮やかな花をつけ、 静かな境内を彩ります。
 (鎌倉市)
比企能員邸址
能員ハ頼朝ノ乳母比企禅尼ノ養子ナルガ 禅尼ト共ニ此ノ地ニ住セリ此ノ地比企ヶ 谷ノ名アルモ之ニ基ク能員ノ女頼家ノ寵 ヲ受ケ若狭局ト称シ子一幡ヲ生ム建仁三 年頼家疾ムヤ母政子関西ノ地頭職ヲ分チ テ頼家ノ第二幡ニ授ケントス能員之ヲ憤 リ密ニ北條氏を除カント謀ル謀泄レテ卻 ッテ北條氏ノ為一族此ノ地ニ於テ滅サル
 (大正12年3月 鎌倉町青年団建)
祖師堂の先には、両側に仁王像が立つ大きな二天門があります。 そこから道が三方に分かれていますが、標識「寺務所・書院」が指す右手に続く坂道を降っていきました。 右上にある鐘楼を眺めながら坂道を降っていくとお堂があります。 こちらが妙本寺の現在の本堂になるようです。 左手にある庫裡と思われる建物が「寺務所・書院」になるようでした。 庫裡の前を過ぎて手摺のある石段を降っていくと、「妙本寺方丈」と書かれた門に降り立ちます。 脇には「日蓮宗 本山 比企谷 妙本寺」と題した境内の案内図があります。
方丈とは…
(天竺の維摩居士の居室が方1丈であったという故事から) 禅宗などの寺院建築で、長老・住持の居所。 本堂・客殿を兼ねる。 転じて住持・住職。 また師への敬称としても用いる。
 (出典:広辞苑第五版)
方丈門から右手へ進んでいくと蛇苦止明神がありますが、正面に続く広い参道を進んでいきます。 妙本寺の総門まで来ると、左手には八角形のお堂を改造した比企谷幼稚園があります。 何か謂れのありそうな建物ですが、それを記したものは見かけませんでした。 参道の左右には民家などがあり、ちょっとした店もあったりします。
明らかなること日月に過ぎんや  浄きこと蓮華に勝るべきや  法華経は日月と蓮華となり  故に妙法蓮華経と名付く  日蓮又日月と蓮華との如くなり
 (日蓮聖人御妙利「四條吾女房御書」)
夷堂橋
総門から妙本寺を出て、正面に続く道を真っ直ぐに進んでいくと、 滑川に架かる夷堂橋があります。 橋の向こうには本覚寺の山門と夷尊堂が見えています。 袂にある石碑によると、滑川は流れ降るにつれて、胡桃川・坐禅川・夷堂川・すみうり川・閻魔川など、 色々な名前で呼ばれているようです。
夷堂橋
鎌倉十橋ノ一ニシテ此邊ハ往昔夷堂ア リシトイフ此川ハ上流ニテ胡桃川ト云 ヒ浄明寺前ニ至リ滑川ノ名アリ文覚屋 敷ト傳ヘラルル邊ハ坐禅川ト唱ヘ此邊 ハ夷堂川ト呼ビ延命寺ノ傍ヨリすみう り川ト名ツケ閻魔堂址ノ邊ニテハ閻魔 川トイフ
 (昭和7年3月建 鎌倉町青年団)
本覚寺
「えびす神」と書かれた大きな提灯が下る立派な山門をくぐって境内に入っていくと、正面に本覚寺の本堂があります。 境内には、鎌倉・江の島七福神のひとつ「夷尊神」が祀られている大きな夷尊堂や、 立派な鐘楼や日蓮上人の御分骨堂などもあります。 また一角には赤い頭巾と前掛けをした小さなお地蔵さんが佇んでいて、 その前には綺麗な花がお供えされていたりもします。 本覚寺のすぐ横にも道路はあるのですが、境内が地元の人々の通路のようになっているのか、 お寺への参拝という様子ではない人も多く通り過ぎていきます。
鎌倉・江の島七福神
「七福神」と云えば普通は七つの社寺ですが、 「鎌倉・江の島七福神」はどういう訳だか八つの社寺から成っています。 弁財天を祀る神社が二つ含まれていて、何か謂れがあるのかも知れません。
鶴岡八幡宮(弁財天)、浄智寺(布袋尊)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、 本覚寺(夷尊神)、長谷寺(大黒天)、御霊神社(福禄寿)、江島神社(弁財天)
本覚寺
宗派日蓮宗
山号寺号妙巌山本覚寺
建立文享8年(1436)
開山日出
本覚寺のあるこの場所は幕府の裏鬼門にあたり、源頼朝が鎮守として夷堂を建てた所といわれています。 この夷堂を、日蓮が佐渡配流を許されて鎌倉に戻り、布教を再開した際に住まいにしたと伝えられます。 その後、鎌倉公方・足利持氏がこの地に寺を建て、日出に寄進したのが本覚寺であるといい、 二代目住職の日朝が、身延山から日蓮の骨を分けたので「東身延」と呼ばれています。 日朝は「眼を治す仏」といわれ、本覚寺は眼病に効く寺「日朝さま」の愛称で知られています。 十月は「人形供養」、正月は福娘がお神酒を振舞う「初えびす」でにぎわいます。 鎌倉の住人、名刀工・正宗の墓が境内にあります。
 (鎌倉市)
若宮大路
本堂の右手から本覚寺を出て左手へ続く坂道を降っていくと鎌倉郵便局前交差点に出ます。 そこを右折して若宮大路を進んでいきます。
国指定史跡 若宮大路
若宮大路は寿永元年(1182)、源頼朝によって造られた鶴岡八幡宮の参詣道です。 中世鎌倉の都市づくりの中心とされた鶴岡八幡宮から由比ヶ浜に至るまで一直線に造られ、 都市づくりの基軸線となりました。 「吾妻鏡」によれば、頼朝は日頃鶴岡八幡宮の参道を造りたいと願っていましたが、 妻北条政子の安産祈願として道造りを始めました。 頼朝自らが指揮し、北条時政以下の御家人たちが土石を運んだといわれています。 現在は県道となり、鎌倉のメインストリートとしての役割を果たしています。 車道の両側には松並木が整備され、往時をしのばせてくれます。 二ノ鳥居以北の道路中央の一段高い道は段葛と呼ばれ、国指定史跡鶴岡八幡宮境内の一部です。 一ノ鳥居は国指定重要文化財(建造物)に指定されています。
 (鎌倉市教育委員会)
日本の道100選 若宮大路
8月10日は道の日です。 記念事業の日本の道100選に若宮大路が選定され、建設大臣から顕彰を受けましたので、 碑を建てて記念するものです。
 (昭和62年8月1日 神奈川県)
日本の桜名所100選 若宮大路
若宮大路の桜は、大正7年、鶴岡八幡宮の段葛に植えられたのを手始めに、 かまくら緑の会がその帯を伸ばし、神奈川県・鎌倉市の協力を得てきました。 遠い昔から春毎に、桜は日本の人々の心に語りかけてきました。 若宮大路を訪れる人にこの桜が喜びとやすらぎをもたらしますように。
 (昭和48年10月 安西篤子)
大巧寺
鎌倉郵便局や鎌倉生涯学習センターを過ぎて鎌倉駅入口交差点まで来ると、右手に大巧寺があります。 「安産子育産女霊神 長慶山 大巧寺」と刻まれた石柱の先にある山門から入っていくと、 花木などが植えられた庭園に小径が続いています。 先へ進んで左折していくと本堂がありました。
大巧寺
宗派日蓮宗系単立寺院
山号寺号長慶山大巧寺
開山日澄上人
初め「大行寺」という名でしたが、源頼朝がこの寺で行った軍評定(作戦会議)で大勝したので、 「大巧寺」に改めるようになったと伝えられています。 室町時代の終わり頃、この寺の住職の日棟上人が、難産で死んだ秋山勘解由の妻を供養して成仏させました。 その後、お産で苦しむ女性を守護するために、「産女霊神」を本尊としてお祀りしました。 今も安産祈願の寺として、「おんめさま」の愛称で呼ばれ、多くの方が参詣されています。
 (鎌倉市)
山門復興記念之碑
旧山門は、現在の本堂、庫裡等と共に大正十二年の関東大震災に崩れて、昭和六年修復されたものであった。 其の後、次第に老朽した為、日蓮聖人七百遠忌を記念し、旧山門と同じ莫医門型式の山門を新たに建立した。
 (第四十八世)
小さな草花も精一杯生きています(みんなで大切にしましょう)
とっていいのは写真だけ!!(足もとの花にも気を付けて)
鎌倉(かまくら)駅
大巧寺から引き返して鎌倉駅入口交差点を渡っていくと、鎌倉駅(JR横須賀線)に着きます。 妙本寺に降り立ってから40分ほどで到着しました。