ナコウ山
散策:2010年05月上旬
【低山ハイク】 ナコウ山
概 要 ナコウ山は伊豆の宇佐美にある低山で、江戸時代の石切場跡や刻印石などが各所に残っています。 ナコウ山の山頂からは真鶴半島などを見渡せる眺めが広がります。 冬枯れの時には富士山を望むことも出来ます。 今回は宇佐美駅からナコウ山に登り、離山を経て宇佐美駅へ戻るルートを歩きます。
起 点 伊東市 宇佐美駅
終 点 伊東市 宇佐美駅
ルート 宇佐美駅…刻印石…比波預天神社…東浦路コース分岐…砂防ダム…洞入コース分岐…だんご紋の刻印石…田の刻印石…羽柴越中守石場…ナコウ山…白波台分岐…321m峰…留田分岐…展望台…離山…離山石切り場…留田港…留田浜辺公園…宇佐美海水浴場…宇佐美駅
所要時間 4時間20分
歩いて... ナコウ山の直下にある羽柴越中守石場は南側が開けていて、宇佐美の街や海などを見渡せました。 ナコウ山からは真鶴半島や頭を覗かせた富士山も見えました。 留田分岐へ降っていく道は急傾斜になっていて、 気を緩めた隙に足を滑らせて尻餅をついてしまいました。 雨が降った後には更に滑りやすくなるので注意が必要です。
関連メモ 東浦路
コース紹介
宇佐美(うさみ)駅
宇佐美駅(JR伊東線)から歩いていきます。
駅舎を出てすぐ左手にある「旅のアンシル」で準備を整えて、 正面に続く商店街を降り気味に進んでいきます。
駅舎の前には藤棚があって、薄紫色の綺麗な花を咲かせていました。
旅のアンシル
アンシルとはアイヌ語で便所のことです。 「どこから来た人びとも、そこで蘇生の思いをする」という意味があります。 この地を訪れる人びとが心身共にリフレッシュされることを願い名付けました。
 (伊東市)
小さな十字路を過ぎていくと、信号機の設置された交差点があります。 その向かいの左側に「北緯35度00分線上の街 宇佐美」と題した看板が出ていて、 左手の道は「ナコウ山ハイキングコース 入口500m」となっています。 この宇佐美は、館山・静岡・京都・江津と共に北緯35丁度にある街なのだそうです。 脇には「蜜柑と魚と」の記念碑もありました。
北緯35度00分上の街 宇佐美
地球上東西を一周する緯度線には人類の生存度が顕著に表わされています。 気候的に四季があり人類の知能の発達が得やすい上、温暖で住み易いとされ 古代から文明が一番に発達した温帯地方の中心が緯度35度線です。 この線上を西へ行くと中国では秦の始皇帝の遺跡西安があり タリバンに破壊されたアフガニスタンのバーミアンの巨大石仏遺跡群が在る。 さらに地中海ではギリシャ文明発祥地キプロス島、クレタ島の真上を横切りジブラルタル海峡を抜けて大西洋上に出る。 北米では有名なハツタレス岬付近に上陸、北米を横断、 オクラホマシティ付近から全米で活発な街ロスアンゼルスをぬけて太平洋上に出る。 特に日本国内では房総半島の館山から伊豆の宇佐美を通り 大瀬崎から清水は羽衣伝説の三保から中京地区では車作り世界一のトヨタの衛星工場群の中心を抜け 日本文化古都京都の中心を貫いています。 此れは如何にこの宇佐美が優れた土地としてのエネルギーを持っているのかの証でもあります。 我々宇佐美の住民は此れに誇りを持っております。
 (伊東市、伊東観光協会、宇佐美観光会)
蜜柑と魚と 阿久悠
山の上から蜜柑が転がる  緑の中を  心の色の果実が走る  ふとひと休み  見わたせばひろがる  紺碧の海  あそこまで走りましょう  走りましょう  魚に会いに…  ああ 伊豆の伊東は  光と風に恵まれて  季節が描く天国に  人が蜜柑のように生きる  人が魚のように生きる
本作品は伊東市制50周年(平成9年)を祝い作詞され伊東市に寄贈されたものです。 この宇佐美を愛し、亡くなるまで31年間暮らしたこの地に 宇佐美区が区民協賛のもと記念碑として建立した。
刻印石
記念碑の横には刻印石があります。 宇佐美の街中にある刻印石を巡る「江戸城築城まち中ウォーキング」の案内板もあって、 ここの刻印石もその中のひとつになります。 これから向かうナコウ山にもあるようです。 案内に従って交差点を左折していきます。
刻印石
徳川幕府は成立直後から、外様大名の支配政策上、経済力を低下させる施策をとりました。 そのなかの一つが江戸城修築工事です。 慶長10年(1605)から寛永13年(1636)迄の間に西国大名たちに8回ほど石垣修築工事を命令しました。 命令された諸藩では伊豆東海岸を中心に採石しました。 石高十万石につき、百人持の石1210個を割り当てたといわれています。 諸藩入り乱れての採石ですから、各藩では掘り出した石に所有を表す目印をつけました。 これを刻印といいます。 ここに置かれた石は、伊予国(愛媛県)松山城主、松平隠岐守定之の刻印です。 加賀前田家の刻印という説もあります。 宇佐美の「御石ヶ浜」は、その名残りであり、伊豆東海岸きっての石丁場でした。 現在でも宇佐美の山や海岸には、運びきれなかった各藩の刻印のついた石が残っています。
 (伊東市観光課、伊東市宇佐美区、宇佐美観光会)
日本の歴史文化遺産 宇佐美江戸城石丁場遺跡 「羽柴越中守石場」
「宇佐美江戸城石丁場遺跡」は、今から400年前に徳川幕府が江戸城の大改築を行うにあたり、 石垣に使う大量の石を切り出した遺跡で、日本の貴重な歴史文化遺産です。 この時の江戸城大改築には、幕府の命令によって、諸国の大名が動員されますが、 宇佐美の石丁場にも何人かの大名家が入りました。 それぞれの大名家は、切り出した石に自分の献上したものとわかる印を刻みました。 宇佐美江戸城石丁場遺跡の中には、刻印の入った「江戸城築城石」が無数に残っています。 ナコウ山(標高353m)にある宇佐美江戸城石丁場遺跡には「羽柴越中守石場」という文字が刻まれた大きな石があります。 羽柴越中守とは細川忠興公のことです。 付近一帯が細川家の石場であることを示す貴重な史料となっています。 この大石自体が極めて貴重な日本の歴史文化遺産です。
 (宇佐美江戸城石丁場遺跡保存会、伊東市・伊東市教育委員会、伊東観光協会)
宇佐美郵便局の先の十字路を直進していきます。 伊東市消防団第11分団・伊東市消防署宇佐美分連所や宇佐美交番を過ぎて広い空地の前を進んでいきます。 これから向かうナコウ山から離山にかけての山並が前方に横たわっています。 広い道路を二つ横切っていくと、烏川に架かる生戸橋を渡っていきます。 少し登り坂になった道を進んでいくと、右手へ曲がっていく国道135号の脇に出ます。 ここから左手に道が二つ分かれていますが、先の方の道へ入っていきます。
住宅の間に続く道を1分ほど進んでいくと、右手へ登っていく坂道が分かれています。 その入口には「静岡県指定文化財 天然記念物 比波預天神ホルトの木」と書かれた標柱が立っていますが、 文字は消えかかっていました。 そのすぐ先には「旧街道・至比波預神社」の標柱が立っていて、右手の坂道を指しています。 このまま真っ直ぐ進んだ所にある十字路を右折していってもいいのですが、 神社に立寄っていくべく、右手の坂道を登っていきました。
宅地造成工事規制区域
左図赤枠内の区域は宅地造成工事規制地で宅地造成(擁壁・排水施設)工事等をするときは知事の許可が必要です。 区域内において宅地建物等を売買・交換若しくは賃借する場合は相手方に対し、 宅地建物取引業法によるこの区域が宅地造成工事規制区域である旨の説明をしなければなりません。 くわしくは伊東市役所又は熱海土木事務所へ。
 (静岡県)
比波預天神社
大きな樹木が生える坂道を登っていくと、正面に鳥居が立っています。 道はその手前から右手へ続いていますが、比波預天神社は鳥居をくぐった先にあります。 石碑などが並ぶ所を過ぎていくと、車止めの先に社殿がありました。 宇佐美駅から17分ほどで着きました。 宇佐美で最古の神社なのだそうです。 本殿と拝殿が一体になったような形になっていて、屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 前には色とりどりの紙で折られた真新しい千羽鶴が置かれていました。 右手には祠があって、中には白木の社がふたつ納められていました。 そのひとつには「西町 大山神祇」と書かれた札が取付けられていました。 境内には天然記念物にも指定されている特大のホルトの木があります。 根まわりが太くて四方へ枝を伸ばしていて、圧倒されそうな巨木でした。
比波預(ひはよ)天神社
宇佐美最古の神社で、ご祭神はカリハヤスタケヒハヨノ命と申し上げます。 天神社が合わせて祭られていますので、地元では「お天神さん」と呼ばれ親しまれています。 また、境内には県天然記念物のホルトの木があります。
 (伊東市観光課)
比波預天神ホルトの木
ホルトの木は、南関東沿岸部以南の本州から台湾・中国南部・インドシナ半島にわたって広く分布する高木で、 常緑であるが、いつも緑葉のなかに紅葉した古い葉を混じえているので人目をひきつける。 そのためか、神聖な木とみなされ、神社の境内に大木が多い。 この木は、県下でも有数の巨木であり根の部分が露出している(根上り)のが珍しい。
根まわり10m 目通り6m90cm 樹高約18m
 (伊東市教育委員会)
比波預天神社の裏手からも細い道が続いていましたが、 手前の鳥居まで引き返して、左手の坂道(登ってきた向きでは右手)を登っていきました。 坂を登り切ると道は右へ曲がっていきますが、正面へ続く道を進んでいきます。 民家の庭先へ続いていそうな雰囲気ですが、すぐに傾斜地にある畑の脇に出ます。 細くなった道を進んでいくと、右上から来て左下へ降っていく道路に出ます。 その道を降ってもいいのですが、横切った先を流れる洞ノ入川に架かる小橋を渡っていきました。
土石流危険渓流 烏川水系洞ノ入川
土石流が発生する恐れがありますので大雨の時は十分注意して下さい。
 (静岡県、伊東市)
砂防指定地
左赤枠内の区域は砂防指定地です。 この中で作業(伐採・土石の採取・土地の掘削盛土・その他)工事等をするときは知事の認可が必要です。 詳しくは市町村または県土木事務所へ
 (静岡県知事)
民家が建ち並ぶ道を軽く登っていくと、少しずれた十字路に出ます。 左手から登ってくる道は、先ほど登ってきた比波預天神社への坂道を見送った先の十字路を右折してきた道で、 峠を越えて宇佐美と網代を結ぶ旧街道になります。 十字路を右折して登り坂になった旧街道を進んでいくと、1分もしない所に水場がありました。 樋で導かれてきた水が容器に受けられていました。 飲めそうにも思えましたが、咽が渇いていた訳でもないので飲まずにおきました。 すぐ先には馬頭観世音が佇んでいて、綺麗な花が手向けられていました。
東浦路コース分岐
沢沿いに続く坂道を登っていきます。 「宮ノ脇沢」と「洞の入沢」と記した二種類の看板が出ていて、沢の名前はよく分かりませんでした。 東京都中央区立の宇佐美学園を過ぎていくと、 「学園台別荘地」の標識が出ている所で道が二手に分かれていますが、左手の道を進んでいきます。 グラウンドを過ぎていくと、少し右手に曲がっていく角から、 沢を渡って左手へ分かれていく道があります。 比波預天神社から12分ほどの所になります。 脇には案内板が立っていて、正面の道は「江戸城石丁場遺跡ハイキングコース」、 左手の道は「東浦路(旧街道)ハイキングコース」となっていました。 東浦路にも興味がありましたが、 今回は正面の道をナコウ山へと進んでいきました。
(後日に東浦路を歩きました。「東浦路」を参照)
土石流危険渓流 烏川水系宮ノ脇沢
土石流が発生する恐れがありますので大雨の時は十分注意して下さい。
 (静岡県、伊東市)
土石流危険渓流 烏川水系洞の入沢
土石流が発生する恐れがありますので大雨の時は十分注意して下さい。
 (静岡県、伊東市)
がけ崩れ注意
がけ崩れ危険箇所 宇佐美学園台
がけ崩れが発生する恐れがありますので大雨の時などは十分注意して下さい。
 (静岡県、伊東市)
江戸城石丁場遺跡ハイキングコース
◇洞の入石丁場遺跡群 ◇ナコウ山(羽柴越中守石場の大石)
今から400年の昔、徳川家康は江戸に幕府を開き、諸国の大名に命じて「江戸城」の大改築を行います。 その時、石垣に使う大量の石を伊豆半島から切り出して江戸まで運びました。 「宇佐美江戸城石丁場遺跡」はその石を切り出した現場の跡で、 400年の間、昔のままの姿で森の中にひっそりと残されています。 「宇佐美江戸城石丁場遺跡」は、貴重な日本の歴史文化遺産です。
東浦路(旧街道)ハイキングコース
◇吉田松陰先生腰掛けの平石 ◇笠松峠(網代峠・宇佐美峠) ◇大島茶屋あと 至 網代
今から800年の昔、伊豆に流されていた源頼朝は、八重姫(伊東氏)との仲をさかれ、 追われて宇佐美を通り、この「東浦路」をかけ上がって逃れます。 まだ源氏旗揚げの前のことでした。 今から150年の昔、吉田松陰先生は、下田に停泊中の黒船に乗り込み外国に渡ろうと、 この「東浦路」をかけ下って宇佐美を通り下田への道を急ぎます。 松陰先生は捕らえられ、やがて刑場の露と消え二度とこの街道を通ることはありませんでした。 「東浦路」は数百年の間、昔のままの姿で今に残る貴重な歴史文化遺産です。
 (宇佐美江戸城石丁場遺跡保存会、伊東市、伊東市教育委員会、伊東観光協会)
砂防ダム
植林帯の入口に建つ民家まで来ると、道の脇で犬が吠えたててきましたが、 鎖で繋がれていたので難なく過ぎていきました。 竹林などを過ぎて坂道を登っていくと、正面に大きな砂防ダムが現われます。 東浦路分岐から4分ほど、宇佐美駅から38分ほどで到着しました。 手前には空手道場の建物がありました。 ここから右手に続く横木の階段を登っていきます。 登り口の足元には 「江戸城石丁場遺跡ハイキングコース ・洞の入石丁場遺跡群・ナコウ山(羽柴越中守石場の大石」 と書かれた小さな標識が設置されていて、横木の階段を指していました。 同様の標識はこの先にかけても見かけましたが、ほどんどが足元の低い所に設置されていて、 うっかりしていると見逃してしまいそうです。
洞入コース分岐
横木の階段を登って砂防ダムの右側を越えていくと、谷筋に続く山道になります。 すぐの所から右手へ道が分かれています。 脇には「江戸城石丁場遺跡 刻印石(大名家などの印を刻んだ石)」の標識が添えられた大きな石や解説板がありました。 角には「宇佐美江戸城石丁場遺跡ハイキングコース」と題した案内図もありました。 それによると、右手の道は「ナコウ山まで約120分」、正面の道は「ナコウ山まで約80分」となっていますが、 この先で合流しているようです。 右手の山には刻印石が沢山あるようで、右手の道はそれらを巡るコースのようですが、 今回は正面の道を進んでいきました。
今回は、ここからナコウ山の山頂直下にある羽柴越中守石場まで40分ほどで登ることが出来たので、 「ナコウ山まで約80分」というのはかなり余裕をみた時間のようです。
江戸城のふるさと宇佐美 日本の歴史文化遺産 宇佐美江戸城石丁場遺跡
江戸城石丁場遺跡とは  今から400年も前のことです。 慶長8年(1603)徳川家康は江戸に幕府を開き、「江戸城」の大規模な改築工事を行います。 この工事は、諸国の大名に命じ、慶長9年(1604)から寛永13年(1636)頃まで、 家康・秀忠・家光の三代、約30年間にわたって続けられました。 この時、江戸城の石垣に使うたくさんの石が伊豆半島から切り出されました。 この江戸城の石垣に使う石を切り出した跡を「江戸城石丁場遺跡」と呼び、 ここ「洞の入」地区の山中にも、400年前の姿そのままに残っています。 この道の奥の「ナコウ山」には「羽柴越中守石場」と刻印された大石が400年の時をきざんでいます。 江戸城石丁場遺跡は、徳川幕府が大名を支配する仕組みや城郭構造を明らかにする上で、 日本の歴史上とても重要な遺跡です。
 (宇佐美江戸城石丁場遺跡保存会、伊東市・伊東市教育委員会、伊東観光協会)
次第に狭まってくる谷筋を登っていきます。 道端には草や笹などが生えていますが、道はしっかりと続いていました。 2分半ほど進んでいくと、道端の足元に「宇佐美 自然・歴史探訪 道しるべ」と題した標識がありました。 「花と緑の街並みづくり事業」と題した標識の上に半透明のシートを貼って矢印が記されていました。 そこを過ぎていくと次第に登り坂になってきます。 樹木の幹に取り付けられた「宇佐美江戸城石丁場遺跡ハイキングコース」の標識を確認しながら、 雑木林と植林帯に間に続く山道を登っていきます。 所々に大きな石もありましたが、切り出しの途中で放置されたのでしょうか。
だんご紋の刻印石
再びある「宇佐美 自然・歴史探訪 道しるべ」や 「宇佐美江戸城石丁場遺跡ハイキングコース」の標識を過ぎて浅い谷筋を登っていきます。 植林帯が終わった谷筋を登っていくと、僅かに開けた感じのする所に着きました。 洞入コース分岐から13分ほどの所になります。 左手に生える樹木には「石切り場:洞の入りコース」の標識が取り付けられていて、 ここは「だんご紋の刻印石」となっていました。 また「伊東 ゆったり湯めまちウォーキングコース」の橙色の看板も取り付けられていて、 「You are on the right trail」とも書かれていました。 道はここから左手へと鋭角に折れ曲がって、左手の尾根を登っていきます。 標識によると、左手の道は「ナコウ山へ45分」、今来た道は「砂防ダムを経て宇佐美駅へ35分」となっていました。
周囲には大きめの石が沢山あったので、谷の上へ向かって少し探ってみましたが、 「だんご紋」の刻印石がどれなのかはよく分かりませんでした。 また円形の石積みもありましたが、近年の炭焼き小屋の跡のようでした。
宇佐美 自然・歴史探訪 道しるべ 石切り場・洞の入りコース
ここは「だんご紋の刻印石」  この付近には、400年前の大名の印を刻んだ「刻印石」がいくつもあります。 中に串刺しの3連団子のような印を刻んだ「だんご紋」(俗称)があります。 二つ並んである円形の石積みは、近年の炭焼き小屋の跡です。
 (宇佐美委員会)
雑木林の斜面を大きく折れ曲がりながら登っていきます。 登り始めの所の山側にはロープが張られていましたが、登っていく分にはそれほど必要ではありませんでした。 かなり傾斜があって、脹脛が痛くなってきます。 滲んでくる汗を袖で拭いながら、休み休み登っていきました。
田の刻印石
息を切らせながら斜面を登っていくと、「だんご紋の刻印石」から9分ほどで緩やかな尾根に着きました。 正面の樹木には先ほどもあった橙色の「伊東 ゆったり湯めまちウォーキングコース」の看板が取付けられていました。 これまでより背の高い支柱に取り付けられた「石切り場:ナコウ山古道コース」の標識もあって、 ここは「田の刻印石」となっていました。 ここで尾根を越えていく道と、右手の尾根に続く道とに分かれていますが、 左手にも踏み跡があって十字路のようになっていました。 標識によると、右手の道は「ナコウ山へ20分」、左手の踏み跡は「旧街道を経て宇佐美駅へ50分」となっていましたが、 「宇佐美駅へ50分」は今登ってきた道を意味していたのかも知れません。 正面の道の先の樹木に取り付けられた標識「旧街道(東浦路)ハイキングコースへ」によると、 正面の道は旧街道へ約8分で降りていかれるようでしたが、 道標に従って、右手に続く尾根道を進んでいきます。
尾根には大きな石が幾つかありました。 楔の跡は確認できましたが、田の字は分かりませんでした。
宇佐美自然・歴史探訪 道しるべ 石切り場・ナコウ山古道コース
ここは「田の刻印石」  正面の石は、400年前の大名の印を刻んだ「刻印石」です。 「田」の刻印があります。 右手にも楔(くさび)の跡がある「矢穴石」があります。 400年間土に埋もれていますので、刻印があるかどかはわかりません。
 (宇佐美委員会)
羽柴越中守石場
これまでと変わって緩やかで歩き易い尾根道を進んでいきます。 左側の上には尾根が続いていて、道はその少し右下に続いています。 次第に傾斜が増してくる道を登っていきます。 右へ曲がりながら緩やかになってきた道を進んでいくと開けた所に着きました。 ここは「羽柴越中守石場」の刻印石がある所で、大きな石が彼方此方にありました。 「田の刻印石」から9分ほど、宇佐美駅から1時間22分ほどで登って来られました。 左手の山際には刻印石があり、刻印された文字の「羽柴越中守石場」も確認出来ました。
石切り場の標石
この大石は、羽柴越中守(細川忠興)の石切り場(当時は丁場と呼ぶ)であることを示すもので、 慶長年間のものと思われます。 ここから切り出された石も江戸城の築石として使われました。
 (伊東市観光課)
右手が開けていて、宇佐美の街並みや相模湾を見渡せる眺めが広がっていました。 手前の山の先には、以前に登ったことがある大平山へ続く尾根が続き、 その奥には特徴的な姿をした大室山も見えていました。 お昼にするにはまだ早かったので、大きな石に腰掛けて景色を眺めながらひと休みしていきました。
刻印石の左手から裏手の鞍部に出ると、左右に尾根道が続いていました。 右手には「羽柴越中守石切り場の大石」の標柱が立っていました。 白塗りの道標のような板が落ちてはいましたが、書かれた文字は判読不能でした。 正面の左前方にも緩やかな細い道が続いていました。 離山へは右手の尾根を登っていくのですが、左手の尾根の上に赤ペンキで矢印の書かれた石があって、 その上に続く道を指していました。 どうにも気になったので、ちょいと立寄っていくことにしました。
ナコウ山 (標高352.7m)
急傾斜の道を1分ほど登っていくと、三等三角点のある高みに着きました。 ここがナコウ山の山頂になるようで、「ナコウ山々頂」の解説板がありました。 それによると「ナコウ山」は「泣こう山」という意味のようです。 ここから見える範囲を図示した円板も設置されていて、 東側には相模灘や初島、南側には手石島や宇佐美の市街地、 西側には巣雲山や富士山、北側には熱海が望めるようです。 この時には周囲に樹木が生い茂っていて展望は良くなく、僅かに樹木越しに大室山が見える程度でした。 葉が落ちる冬枯れの季節だと、もう少し眺めが良くなるのだろうと思われます。
ナコウ山々頂 標高352.7m
この山の石切り場(当時は丁場と呼ぶ)で働いていた石工たちはそのつらさに泣いたという説があります。 また、故郷を思って泣いたという説もあります。 そんなことからナコウ山と呼ばれたということです。
 (伊東市観光課)
三角点
基本測量。大切にしましょう三角点。
 (国土地理院)
山頂の先へ降っていく道もあったのでちょいと歩いてみると、 すぐの所の右手からは、海に突き出す真鶴半島がよく見えていました。 少し霞んでいたものの、その奥には丹沢山塊や三浦半島も見えていました。 富士山は見えるだろうかと探っていると、生い茂る青葉の隙間から、冠雪した頂きが頭を覗かせていました。 葉を落とす冬枯れの季節には、もう少し見易くなるのだろうと思われますが、 手前に山が横たわっていて、裾野までは見えないようです。
手前の鞍部まで引き返して、その先に続く尾根へと登っていきます。 急坂を登っていくと、高みを越えて降っていきます。 鞍部に着いて、ロープが張られた坂道を登り返していきます。 大きな樹木が並んで生える高みに着くとロープは途切れます。 その先には緩やかな降り基調の尾根道が続くようになります。 僅かにアップダウンはありますが、総じて歩きやすい道が続いています。 赤頭短杭が点々と設置された尾根道を進んでいきます。 傾斜が緩やかになって浅い鞍部に着くと、左手の樹木が何本も立ち枯れていました。
雑木林の尾根を登り返していくと、少し右へ曲がっていく角に「石切り場コース」の標識が立っていました。 ナコウ山から8分ほどの所になります。 ここから左手の尾根へと踏み跡が分かれていくようでしたが、入口には木が横たえられていました。 右手の足元には白塗りの道標のような板がありました。 文字はほどんど読めなくなっていましたが、僅かに「離山」の文字は確認できました。 ここは少し右手へ曲がって、緩やかな降り基調の道を進んでいきます。
白波台分岐
雑木林と植林帯が混じったような尾根になってくると、先ほどの標識の所から3分ほどで、 樹木の幹に橙色の「伊東 ゆったり湯めまちウォーキングコース」の看板が取付けられていました。 その1分ほど先の所にも看板が取り付けられていました。 雑木林に変わった尾根を緩やかに降っていくと分岐があります。 ナコウ山から14分ほどの所になります。 左手には標柱がふたつ立っていて、正面へ降っていく道は「至 白波台別荘地下る」、 左手に登っていく道は「至 離山方面(急坂注意)」、今来た道は「至 ナコウ山・旧街道」となっています。 袂にはこれまでと同様の白塗りの道標のような板が落ちていましたが、文字はほとんど読めませんでした。 また橙色の看板も取付けられていました。 ここは、道標に従って、左手に続く坂道を登っていきます。
321m峰
傾斜の急な坂道を2分ほど登っていくと、少し右へ曲がって緩やかな尾根になってきます。 周囲には落葉が積もって雑然とした様子ながらも、道は明瞭に続いていました。 緩やかに1分ほど進んでいくと、僅かな降り坂になってきます。 この辺りの緩やかな高みが、地形図にある321m峰になるのだろうと思われます。
左右の樹間から青い海や山並などを眺めながら、緩やかな尾根道を淡々と降っていきます。 細木が生えていたりもするので、夏草が生い茂る季節には鬱陶しくなりそうな気がする道でした。 白波台分岐から12分ほど進んでいくと右へ曲がっていきます。 古い枯れ木を過ぎていくと、降り傾斜が増してきます。 「離山方面 急坂下り注意」の看板を過ぎていくと、 正しく「急坂」が始まりました。 右側に張られたロープに掴まりながら慎重に降っていきましたが、 途中で油断して手を放して降っていると、足を滑らせて尻餅をついてしまいました。 足を踏ん張っても坂をズリ落ちていくのがなかなか止まらず、緊張する場面ではありました。 (掌や腕に擦り傷が出来てしまいました)
急坂を7分ほどかけて降っていくと、続いていたロープは一旦途切れます。 もう急坂はないのかと安心していると、すぐ先から再びロープが張られた急坂になりました。 そんな急坂も3分ほどしてシダ類が生い茂るようになると終りになります。 ロープが終わったすぐ先で、斜めに通る緩やかな山道に降り立ちました。 左手から降ってくる道の入口には木が横たえられていました。 道標類は見かけませんでしたが、ここは右手へと降っていきます。
留田分岐
歩きやすくなった尾根道を進んでいきます。 笹竹の生い茂る所を過ぎていくと、緩やかな道に降りたってから1分ほどで分岐があります。 「急坂下り注意」の看板があった所から11分ほど、白波台分岐から25分ほどの所になります。 右に降っていく道はすぐの所で二手に分かれていて、右側の道に沿ってロープが張られ、 左側の道はそのロープで閉ざされているように見えました。 道標類は見かけませんでしたが、ここは旧宇佐美トンネルの真上の辺りになるようです。 右手の二つの道は留田地区へ降ってしまいそうに思えたので、 ここは正面の尾根に登り返していく道を進んでいきました。
僅かに起伏のある尾根に分かり易い道が続いていました。 馬の背のような所の脇には大きな穴が開いていたりもしました。 そこを過ぎていくと降り傾斜が増してきます。 留田分岐から5分ほどの所になります。 太い竹が林立するようになった尾根を降っていくと鞍部に着きました。 右手の樹木が切り払われて明るくなっていました。
鞍部を過ぎて、竹林の中を登り返すようになると、青いロープが続くようになります。 登っていく分にはロープは必要ではありませんでしたが、 竹林の中の「道」を示しているようにも思えました。 脇にはタケノコ採り禁止の貼り紙が点々とありましたが、散策は禁止されていない旨が書かれていました。 旬の季節とあって、タケノコが彼方此方にありました。 地面から僅かに頭を出したものや、1m以上に伸びたものなど、様々なタケノコがありました。
注意!
この山林は私有地です。 所有者の許可なく、タケノコ・樹木・野草などをとることを堅く禁じます。 これらは、不法な行為として罰せられます。 ハイキングや史跡見学などは禁止しておりません。
 (山林管理者)
左手へ折れ曲がって更に登っていくと、鞍部から6分ほどで高みに着きました。 ここで道が左右に分かれています。 正面には標識が立っていて、右手の道は「離山石切り場」、左手の道は「離山山頂展望台」となっていました。 袂には白塗りの道標のような板もありました。 これまでと同様に文字は読み難くなっていましたが、ここが「離山」である旨の文字は読み取れました。 手元の地形図によると、離山の山頂は緩やかに東西に続いているようで、ここはその東側になるようでした。 ナコウ山から55分ほどで到着しました。 降り道は右手へ進んでいくのですが、「展望台」という文字に引かれて、先ずは左手へと進んでいきました。
展望台
僅かに降り気味に続く尾根道を2分ほど進んでいくと、 ビニールテープが張られて行き止まりになっていました。 「展望台」と云うので塔のようなものがあるのかと思っていましたが、景色が開ける展望地なのでした。 左手の樹木の一部が切り払われて、相模湾を一望出来る眺めが広がっていました。 初島もよく見えていました。
先ほどの分岐まで引き返して、「離山石切り場」の標識に従って進んでいきます。 道の右側にはロープが張られていました。 雑木混じりの竹林に続く尾根を降っていくと、S字形に右手へ曲がっていきます。 鞍部に着くと、左下の窪地になった浅い谷筋に降る道へ導くようにロープは続いていますが、 尾根道は鞍部の先へ登り返すように続いています。 手元の地形図によると、離山の三角点はこの先の方にあるようなので、 ちょいと確かめに行くことにしました。
ロープを跨いでいくことになりますが、 「ハイキングや史跡見学などは禁止しておりません」と書かれたこれまでのと同じ貼り紙も見かけたので、 歩いても大丈夫のようです。
離山 (標高154.4m)
鞍部から竹林に続く尾根道を登り返していきます。 緩やかになった尾根を進んでいくと、竹林から雑木林に変わる辺りで、道は僅かな踏み跡程度になりました。 三角点はないかと周囲に目を配りながら尾根を進んでいくと、少し降り始めた所に四等三角点がありました。 鞍部から3分ほどの所になります。 ここが地形図に載っている離山の山頂になるようです。 この先は道が更に不明瞭になっていたので、先ほどの鞍部まで引き返すことにしました。
離山
伊東における採石大名は14家、石丁場55箇所、刻印を有する石材950個を確認したと言われている。 留田の離山もその一つ。山頂付近に石切り場跡がある。
 (出典:石切場コース案内図)
三角点
基本測量。大切にしましょう三角点。
 (国土地理院)
離山石切り場
鞍部まで引き返して一段低い所にある窪地になった浅い谷筋へ降りると、大きな石が彼方此方にありました。 その先へ進んでいくと、「離山石切り場」の標柱や解説板がありました。 くさびの跡がある石も見かけました。 先へ降り始める所には「刻印石」の標柱が立っていて、 袂にある大きな石には、大きめの点の周りに小さな点を円状に並べた刻印が確認できました。 お昼を少し過ぎた時刻になったので、石の上に腰を降ろして昼食タイムにしました。
脇に生える樹木の幹には、「注意!ヘビ・毒グモ・イノシシ」と書いた手書きの貼り紙があったので、 周囲に気を配りながら時を過ごしました。
離山石切り場
ここは伊東にいくつかある石切り場の一つで、比較的良好な保存状態が保たれています。 この窪地一帯では大名の印を刻んだ刻印石や、くさびの跡がある石のいくつかを見ることができます。 ここから切り出された石も江戸城の築石として使われました。
 (伊東市観光課)
お腹も満ちて疲れも癒えたところで、 樹木に取り付けられた「宇佐美江戸城石丁場遺跡ハイキングコース」の標識の脇からその先へと降っていきます。 「刻印石」の標柱を過ぎていくと、右手の浅い谷筋へ降っていく踏み跡が分かれていきます。 正面にも緩やかな道が続いているし、どちらへ進んだものかと思案していると、 これまでにも見かけたの同様の「宇佐美 歴史・自然探訪 道しるべ」の標識が足元にあって、 右下に降っていく踏み跡は「海岸を経て宇佐美駅へ(約50分)」、 今来た道は「竹やぶ口方向(離山の裏側へ出ます)」となっていました。 正面の道の方がしっかりした様子でしたが、右手から登ってくると見える向きに標識が設置されていたので、 ここは右下へと降っていきました。
宇佐美 歴史・自然探訪 道しるべ 江戸城石丁場遺跡(離山)コース
 (宇佐美委員会)
大きな石が幾つもある浅い谷筋に続く道を降っていきます。 僅かな踏み跡だし、正しい道なのかと不安になってきますが、 樹木に取り付けられた「宇佐美江戸城石丁場遺跡ハイキングコース」の標識を見かけて安心したりしました。 水平に続く道のようなものが何回か左右に分かれていきますが、見送って下へ向かって降っていきます。 本当に大丈夫なのかと思いながらも左右の水平道を見送りながら降っていくと、 やがて少し左手へ曲がっていきます。 その先へ進んでいくと、樹木に標識が取り付けられているのを見かけて、ひと安心しました。
シダ類が生えるようになってくると、太い竹が混じるようになります。 「タケノコ掘り」と書かれた板切れが木の枝に取り付けられていたので何だろうと思っていると、 その下には「禁止です 管理人」と書かれた板切れが落ちていました。 次第に雑木が少なくなって竹林の様相を呈してくると、道は不明瞭になってきましたが、 下へ向かってドンドン降っていきました。 これまでにも見かけた「ハイキングや史跡見学などは禁止しておりません」の貼り紙を過ぎていくと、 左右に通る僅かな踏み跡に出ました。 左右とも頼りなさそうな道ですが標識類は見かけず、どちらへ進んだものかと迷っていると、 右手の枯れた竹の先に、赤ペンキが塗られた竹が見えたので、ここは右手へと進んでいきました。
トンガ、スコップ持込み禁止(通行自由)
赤ペンキが塗られた竹を過ぎていくと、しっかりとした道になってきました。 ひと安心しながら進んでいくと、浅い谷筋に降り立ちました。 道なりに左へ曲がっていくと、正面に舗装路が見えてきました。 道の脇まで行くと、コンクリート崖になっていて降りていけません。 どうしたものかと左右を覗っていると、左手の方にアルミ製の梯子が見えました。 その脇には「宇佐美 歴史・自然探訪 道しるべ」の看板があって、 梯子の下の道は「海岸を経て宇佐美駅へ(約40分)」、 今来た道は「江戸城石丁場遺跡(約15分)」となっていました。 どうやら正しいルートを歩けたようだと安心しながら、梯子から舗装路へ降りていきました。 離山石切り場から13分ほどで降りて来られました。
降り立った舗装路はかなり傾斜のある坂道になっていて、曲がりながら登っていく手前の所でした。 坂道を左へ降っていくと、左側にある建物への道が分かれていますが見送っていきます。 右手の研修センターに登っていく道を分けて坂道を降っていくと、 左手には青いペンションが建っていました。 そこを過ぎて坂道を更に降って正面に海が広がってくると、左右に通る道路に出ました。 舗装路に降り立った所から6分ほどで降りて来られました。 正面の奥の方には大室山が見えていて、左手の海には手石島が浮かんでいました。 ここから海沿いの道路を右手へと進んでいきます。
がけ崩れ注意
がけ崩れ注意箇所 磯辺No.2
がけ崩れが発生する恐れがありますので、大雨の時などは十分注意して下さい。
 (静岡県、伊東市)
留田港
海沿いの道路を4分ほど進んでいくと留田港(宇佐美港)があります。 防波堤で囲まれた港内には漁船などが何艘も停泊していました。 宇佐美漁業協同組合の建物まで来ると、右手の「港売店」のすぐ先に宇佐美港バス停があります。 毎時50分発の伊東駅行き(所要時間21分)の便がありますが、 途中の宇佐美駅まではそれ程遠くはないし、発車時刻までにはまだ時間もあったので、 今回の起点でもある宇佐美駅まで歩いて行くことにしました。
警告
この周辺は共同漁業権漁場につき、漁業者以外の者の魚介藻類(サザエ、アワビ等)の採捕を禁止する。 万一、採捕した場合は処罰没収する。
 (伊東警察署、伊東市漁協)
留田浜辺公園
留田港の先の空地の脇を過ぎていくと、左手の海沿いに留田浜辺公園があります。 入口には掲示板があって、「留田海岸 昔と今」と題して、 昭和22年〜昭和36年に撮影した写真の中の1枚が掲示されていました。 このまま道路を進んでいっても趣きに欠けようというものなので、公園を歩いていくことにしました。 ゲートボール場を眺めながら、東町バス停の脇から坂道を降っていきます。 トイレ設備の脇を過ぎていくと、海辺の堤防の上に遊歩道が続いていました。 海側には石積みがあって、波打ち際は砂浜になっていました。
注意
この付近の海岸は天然の砂浜海岸であり、海中の一部が岩場になっています。 海に入る時には、岩でけがをしないよう、じゅうぶん気をつけましょう。
 (海岸管理者 伊東市)
堤防の上に続く遊歩道を進んで烏川まで来ると、遊歩道は右手の道路へ降りていきます。 降りた所には留田橋が架かっています。 脇には掲示板があって、先ほどと同じような「留田海岸と離山 昔と今」と題した掲示板があって、 数枚の写真などが掲示されていました。 掲示板の脇には角のとれた石仏が二体並んでいました。
掲示板には「石切場(離山)コース」の案内図もありましたが、 離山石切り場から留田海岸へ降ってきた今回の道には、 マジックで「コース未整備箇所あり」や×印が書き込まれていました。 旧宇佐美トンネルの上にあった留田分岐から分かれてくる道がお勧めのようでした。
宇佐美海水浴場
留田橋を渡っていくと国道135号に出ます。 交差点を左折して国道を進んでいくと、左手には宇佐美海水浴場が広がっていました。 沖の方には手石島も見えていました。
宇佐美の浜
昔宇佐美の浜に神様が上陸した時「何という美しい砂浜じゃ」とおっしゃったことから「うさみ」という名がついたという言い伝えがあります。
 (出典:石切場コース案内図)
スカイライン入口交差点を直進していくと宇佐美駅入口交差点があります。 横断歩道を渡っていくと、伊東仲川の脇に大きな松が生えていました。 袂に設置された「大境 一里塚の松」の標柱によると、 ここは東浦道と韮山街道の分岐点だったようです。 「一里塚の松」という表現からすると、ここには一里塚もあったようです。
大境 一里塚の松(樹齢約400年)
根本は約3m地下に埋まっている。 根回り約3m。直径は南北約1m、東西約95cm。 寛永年代植えられた。伊東市内に現在唯一残っている。 東浦道から亀石峠越え韮山街道の分岐点。
宇佐美(うさみ)駅
松の木の道路向かいに続く商店街を進んでいきます。 最初に曲がっていった刻印石のある交差点を直進して登り気味に進んでいくと、 宇佐美駅(JR伊東線)に戻ってきました。 海沿いの道路に降り立った所から40分ほどで到着しました。
しずおかアダプト・ロード・プログラム
この道は私たちがきれいにしています。
 (宇佐美駅前通り、宇佐美商誠会、伊東市宇佐美)