鎌倉アルプス
散策:2010年04月上旬
【低山ハイク】 鎌倉アルプス
概 要 鎌倉アルプスは、鎌倉の街を取り巻くように聳える標高150mほどの山々です。 そこに隣接するように横浜市民の森もいくつかあります。 今回は明王院の脇から尾根に登って天園へと向っていきます。 天園からは送電線の巡視路から分かれて谷筋へ降り、二階堂川へと続く沢を歩いていきます。
起 点 鎌倉市 泉水橋バス停
終 点 鎌倉市 大塔宮バス停
ルート 泉水橋バス停…明王院…登り口…はじめ弁天…小ピーク…瑞泉寺分岐…十二所分岐…22番鉄塔…貝吹地蔵…天台山…巡視路分岐…獅子舞分岐…見晴台…天園…獅子舞分岐…二階堂川分岐…谷筋降り口…谷筋…沢…沢合流…二階堂川…東電送電所…亀ヶ渕橋…永福寺跡…鎌倉宮…大塔宮バス停
所要時間 3時間10分
歩いて... 尾根から谷筋へ降る道は急傾斜の所もありましたが、 赤テープが点々と取り付けられていてルートを示していました。 夏草が生い茂る季節には道が分かり難くなりそうな箇所もありました。 二階堂川へと続く沢は岩盤になっていて水量も少なく、滝などもなくて歩き易くなっていましたが、 大雨が降った後などは避けた方が良さそうでした。
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コース紹介
泉水橋(せんすいばし)バス停
鎌倉駅(JR横須賀線)の東口から、[鎌23]鎌倉霊園正門前太刀洗行きバス、 [鎌24]金沢八景駅行きバス、または、[鎌36]ハイランド循環バスにて10分、 1時間に5本程度の便があります。
バス停の先にある泉水橋交差点を直進して、滑川に架かる泉水橋を渡って県道204号を進んでいきます。
砂防指定地 滑川
この土地の区域内において宅地造成・家屋の新築・土採取等の行為をする場合は、 神奈川県知事の許可が必要ですから藤沢土木事務所に御相談下さい。
 (神奈川県)
車道が右へ曲がっていく所まで来ると、左手に道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、右手の車道は「光触寺400m・十二所神社700m」、 左手の道は「明王院100m」、今来た道は「浄妙寺800m」となっています。 左手の道へ入って、滑川に架かる二ッ橋まで来ると、 右側の川沿いの小さな公園に八重桜が咲いていました。 一つの木に白色と桜色の二色の花を咲かせた珍しい桜でした。 かなり大きな枝全体が桜色だったり白色だったりしていましたが、 白色の中の小さな枝だけが桜色になっている花もありました。 僅かに桜色をした花もあって、接ぎ木をした訳でもなさそうに思えましたが、 実情はよく分かりませんでした。 脇には「御衣黄」という八重桜の解説板もありましたが、「緑の桜」ということなので、 この二色の桜のことではないように思えました。
御衣黄(ぎょいこう)
京の仁和寺が発祥といわれ、緑の桜として全国的にも珍しい緑の八重桜です。 貴人の衣服然とした風合いから「御衣」の名を冠しています。
明王院
二ッ橋を渡ってその先へ続く路地を真っ直ぐ進んでいくと、突き当たりに明王院があります。 木製の門をくぐっていくと、正面には茅葺き屋根の大きなお堂が二つ並んでいて、 その左側には庫裡と思われる建物がありました。
明王院
鎌倉幕府の四代将軍藤原頼経が、将軍の祈願寺として建立しました。 幕府の鬼門の方角にあたるため、鬼門除け祈願寺として本尊の五大明王が大きなお堂にそれぞれ祀られていたことから、 古くから五大堂と呼ばれていました。 五大明王とは、不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王で、 鎌倉市内で祀られているのは明王院だけです。 毎月28日には護摩法要が行われ、この時だけは誰でも本堂に入ることができます。
宗派 真言宗御室派
山号寺号 飯盛山寛喜寺明王院
創建 嘉禎元年(1235)
開基 藤原頼経
開山 定豪(元鶴岡八幡宮別当)
登り口
明王院の手前を右折して、垣根が続く道を20mほど進んでいくとT字路があります。 角に立つ電柱に看板が取り付けられていて、左手に分かれていく道は 「ハイキングコース入口 瑞泉寺・天園へ、天園から金沢・北鎌倉へ」となっています。 その道へ入って明王院の右側を通って山際までいくと登り坂になってきます。 竹林の脇に続く坂道を登って傾斜が緩やかになってくると、左手に登っていく階段があります。 ここが天園ハイキングコースへの登り口になります。 すぐ先に生える木には、左の坂道がハイキングコースである旨の板が取り付けられています。 階段を登っていくと、すぐに道が左右に分かれていますが、民家の右側に沿って続く坂道を登っていきます。
この先は行き止まり。 ハイキングコースは左の坂道です。 ←天園方面へ。
はじめ弁天
民家のブロック塀に沿って右から回り込むようにして進んでいきます。 細くなっていて先行きが不安になりそうな道ですが、 植林帯を登るようになるとしっかりとした山道になってきます。 右・左と折れ曲がりながら登って傾斜が緩やかになってくると、 道の両側には笹竹が生い茂るようになります。 岩が剥き出した所を登る場面もありますが、苦労することはありません。 僅かな高みを過ぎて緩やかな尾根道を進んでいきます。 少し登り坂になってくると、登り口から7分ほどで、鳥居が立つ高みに着きます。 鳥居の先には小さな石祠があって、中には小銭がお供えされていました。 以前に来た時には「はじめ弁天」と書かれた石や、 「はじめ弁財天」と書かれたメモなどがありましたが、この時には気が付きませんでした。 ここで道が二手に分かれていますが、左手の広めの道を降っていきます。
右手の道は細めになっていましたが、明瞭な道になっていました。 試しに歩いてみたところ、1分もしない所にロープが張られていて「立入禁止」の貼り紙がありました。 地形図に載っている道のようで、その先にもしっかりとした道が続いていました。 手元の地図によると、イエズス会鎌倉修道院へ続く道のようでした。
この道は、ハイキング道ではありません。 修道院境内地ですので、関係者以外の立ち入りはご遠慮ください。
 (イエズス会修道院)
僅かに降って、その先に続く緩やかな尾根道を進んでいきます。 両側には笹竹が生い茂っていますが、道は広めで明瞭に続いています。 僅かな高みを過ぎていくと、はじめ弁天から2分ほどの所にある高みの手前で、 高みへ登っていく道と、右手に巻いていく道とに分かれています。 両方とも同じ程度の道で、どちらへ進んでいけば迷う所です。 結果的にはどちらの道を進んでもこの先で合流しますが、 今回は正面の高みへ登っていく道を進んでいきました。
正面に登っていく道は、高みを過ぎた先で急坂を降ることになるので、 高みにある五輪塔をやり過ごす場合には、緩やかな右手の巻き道を歩く方が無難ではあります。
小ピーク
尾根の背を登っていくと、1分もせずに小ピークに着きます。 手元の地形図によると、浄明寺4丁目の東側にある標高100mの等高線で囲まれた細長い高みになるようです。 高みに生える木の脇には大きな五輪塔がありました。 礎石か玉垣だったと思われる石柱も横たわっていました。 文字らしきものが刻まれているようにも思えましたが、判読は出来ませんでした。
五輪塔を過ぎてその先へ進んでいきます。 1分ほどは緩やかな道が続いていますが、 正面の樹木越しに鎌倉アルプスの稜線が見えるようになると、降り傾斜が増してきます。 擬木にロープが渡された手摺が途切れ途切れに設置されています。 手摺や木の根などに掴まりながら1分ほどかけて急坂を降っていくと、左右に通る道に降り立ちました。 降り立った道は、手前にあった分岐から右手に巻いてきた道になります。 右側すぐの所には、岩盤が垂直に削り取られた石切場の跡のような所があり、 巻き道はその上を通ってきています。 手摺や金網柵が続く左手の尾根道を進んでいきます。
金網柵が途切れると植林帯を掠めていきます。 広くて緩やかな尾根道を進んでいきます。 再び擬木にロープが渡された手摺が設置された所を過ぎていくと、両側に笹竹の生い茂る登り坂になってきます。 周囲が明るくなって僅かな高みに着くと、共同視聴用と思われるテレビアンテナが道端に立っていました。 手前の草木などがちょいと邪魔をしていましたが、 この左手が開けていて、浄明寺4丁目の住宅地を見渡せる眺めが広がっていました。
瑞泉寺分岐
引続き、両側に笹竹が生い茂る道を進んでいきます。 広くて緩やかになってきた尾根道を進んでいくと分岐があります。 はじめ弁天から18分ほど、登り口から28分ほどで到着しました。 角に立つ道標によると、正面の道は「瑞泉寺」、右手の道は「天園ハイキングコース・建長寺方面」、 今来た道は「至 明王院・浄妙寺・報国寺」となっています。 正面の道は瑞泉寺や浄明寺4丁目と理智光寺谷地区の間へ降りていかれますが、 天園に向って右手の尾根道を進んでいきます。
十二所分岐
僅かに降り気味に続く尾根道を数10m進んでいくと分岐があります。 角には鎌倉市観光協会の設置する「天園ハイキングコース」の道標が立っていて、 正面の道は「天園」、今来た道は「瑞泉寺」となっています。 また、マジックで書き込まれたメモによると、右手の道は「十二所神社ウラへ」となっています。 分岐のすぐ手前には鎌倉市消防本部と鎌倉市危険物安全協会の設置する標柱 「No.4 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう」が立っていますが、 かなり古びていて、文字が読み難くなっていました。 右手の道は吉沢川に架かる御坊橋を渡って県道204号に降りていかれますが、 道の両側に背の高い笹竹が生い茂る正面に続く尾根道を進んでいきます。
瑞泉寺分岐から天園までのハイキングコースには息が切れるような急斜面はほとんどなくて、 歩き易くてしっかりとした道が続いています。 緩やかな尾根道を2分ほど進んでいくと、右手には「やぐら」が沢山ありました。 中には五輪塔が納められたものもあり、綺麗な花束が手向けられていたりもします。 この先にかけて、点々と「やぐら」が見られるようになります。
歴史的風土瑞泉寺特別保存地区
この地区内において、建築物の新築・改築・増築、土地形質の変更、 木竹の伐採等の行為をするときは許可がいります。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター、鎌倉市役所)
やがて抉れた感じになって左手に有刺鉄線柵が続くようになると、 瑞泉寺分岐から5分ほどの所の左手にお堂が建っています。 柵があって近づくことは出来ませんが、瑞泉寺の偏界一覧亭のようです。 その先へ進んでいくと、道が右手へ分かれていきます。 その角には、半ば土に埋まっているような石碑があります。 側面には「瑞泉寺山内 従是右 北條家御一門御…」や 「文政十二年丑正…」の文字が刻まれていました。 右手の道の1分もしない所の山際に、岩壁を刳り貫いた「やぐら」が10基ほど並んでいます。 石碑にある北條家御一門の墓なのでしょうか。 今回はやぐらには立ち寄らず、このまま尾根道を進んでいきました。
(右手の道は「鎌倉アルプス」を参照)
持ち帰ろう 古都の香りと あなたのゴミを
 (鎌倉市観光協会、鎌倉史跡パトロール隊)
22番鉄塔
やぐらが幾つか並んでいる広くて緩やかな尾根道をその先へと進んでいきます。 岩盤が剥き出した所を過ぎていくと「歴史的風土保存用地」の大きな看板が立っています。 そのすぐ先の高みに、送電線の鉄塔「北鎌倉線No.22」が立っています。
歴史的風土保存用地
地番 鎌倉市二階堂639-1外5筆
面積 22,094.00u
この土地は、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」に基づき 歴史的風土を長く保存するため昭和54年度及び55年度に神奈川県が買い入れたところです。 歴史的風土を協力して保存しましょう。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター)
鉄塔の周囲を取り囲む金網柵沿いに細い道があるので登ってみました。 以前には周りに木や笹竹などが生い茂っていて展望は得られませんでしたが、 この時には切り払われてスッキリとしていて、鎌倉アルプスの稜線を眺めることができました。
22番鉄塔を過ぎていくと「No.5」の標柱が立っています。 その脇から左手へ道が分かれていて、21番鉄塔・20番鉄塔を経て二階堂川の源流へ降っていけます。 その道を見送って岩盤が剥き出した道になってくると、右手の谷筋へ細い道が分かれていきます。 「お塔の窪やぐら」を経て吉沢川へ降っていく道ですが、今回はこのまま尾根道を進んでいきます。
(右手の道は「鎌倉アルプス」, 「朝比奈切通」, 「鎌倉アルプス」を参照)
(左手の道は「朝比奈切通」を参照)
岩盤が剥き出した所を過ぎていくと、すぐに登り傾斜が増してきます。 かなり傾斜がありますが、上の方には青空も見えているので、それほど長い登りではありません。 過日の台風の被害で旧来の道が崩れて、左側に迂回路が出来ていましたが、 この時には改修が進んでいて、迂回路を通らなくても登っていけるようになっていました。 斜面を直登していくと、左側から来る迂回路に出ます。 前方にはロープが張られていたので、右手に続く以前からある岩盤に切られた階段を登っていきます。
貝吹地蔵
階段を登っていくと、右手の斜面の上に貝吹地蔵があります。 瑞泉寺分岐から16分ほどで到着しました。 この時には綺麗な花が手向けられていました。 脇には箒も立て掛けられているので、こまめに掃除されている方がおられるようです。 何度も見かけている地蔵ですが、上半身しかないのでしょうか。 それとも下の部分は土に埋まっているのでしょうか。
貝吹地蔵
新田義貞の軍に攻められ(1333年)自害した北条高時の首を守りながら敗走する北条氏の部下たちを助けるため、 貝を吹き鳴らしたという。
 (瀬谷文化協会)
貝吹地蔵を過ぎていくと、岩盤を切り開いたような登り坂になった切通しがあります。 小さな切通しなので難なく過ぎていくと、緩やかな尾根道になります。 切通しが終わったすぐの所から、左手の高みへと道が分かれています。 その登り口には「No.27」と赤字で書かれた杭があります。 天園へは広い尾根道を進んでいくのですが、左側のすぐ上が天台山なので、今回も立寄って行きました。
天台山 (標高141.3m)
結構傾斜があって滑り易くなっているので、足元に注意しながら尾根の背を登っていきます。 緩やかになって笹竹が生い茂る中を進んでいくと、草木が刈り払われたこじんまりとした所に出ます。 尾根道から2分もしない所になります。 小さな石祠があって、その前には三等三角点もあります。 脇に生える樹木の幹には、マジックで「天台山141.3m」と書かれています。 石祠には識別できそうな文字は見かけませんでした。 中には線香立ての缶と小銭のお賽銭などがありました。 周囲は笹竹などに囲まれていて展望は得られません。 右手に生い茂る笹竹の中へと踏み跡(*)が続いていますが、すぐ先で不明瞭になっています。
*天台山の山頂は笹竹や雑木などが生い茂っていますが、南北に続く緩やかな所になっています。 笹竹の中へ続く踏み跡はその山頂の北へと続いています。 笹竹や雑木などを掻き分けながら進んでいくと、 急坂を降って西へ曲がった所に石切場跡のような大きな穴が開いています。 それもやぐら群なのかも知れません。 そこから南へ続く植林帯の斜面を進んでいくと、 先ほどの「No.5」の標柱の所から左手へ分かれていった道に出ます。 そのすぐ先に21番鉄塔が立っています。
三等三角点
基本測量
たいせつにしましょう三角点
 (建設省国土地理院)
天台山から元の尾根道に引き返してきて、その先へと進んでいきます。 広くて緩やかなしっかりとした尾根道を1分ほど進んでいくと植林帯になってきます。 太い樹木が立ち並んでいる所を過ぎてその先へ進んでいくと、 再び太い樹木が立ち並んでいる所があります。 そこから右手へと道が分かれて降っていきます。 脇に生える樹木には 「国鉄送電線巡視路No.26 No.25 森林愛護 火の用心」と書かれた黄色い板が取り付けられています。 この道も吉沢川へと降っていけますが、このまま正面に続く尾根道を進んでいきます。
(右手の道は「鎌倉アルプス」を参照)
巡視路分岐
吉沢川への分岐道を見送って尾根道を1分半ほど進んでいくと、道が二手に分かれています。 以前には道標が立っていたのですが、最近では見かけなくなりました。 正面から左手へ少し曲がっていく道は送電線の巡視路へ続く道です。 「キケン注意」と書かれた黄色いテープで閉ざされていた時期もありましたが、この時にはありませんでした。 天園へは岩盤になった右手のちょっとした切通を抜けていきます。
天園から獅子舞地区へ降り始めた角から分かれていく小径に入って、 途中にある分岐を左手に進んでくると、ここに出られます。
獅子舞分岐
再び植林帯になった尾根道を進んでいきます。 少し傾斜の増した植林帯を登っていくと、正面が開けて山並みを見渡せたりもします。 左手へと曲がって雑木林に続く尾根道を更に進んでいきます。 ちょっとしたマウンドを越えて植林帯になった道を降り気味に進んでいくとX字路に出ます。 角には古びた道標が立っていて、 左手の道は「獅子舞経由鎌倉宮」となっていて、「永福寺アト」と書き込まれていました。 今来た道は「瑞泉寺」となっていました。 天園の短い解説文が書かれた真新しい道標が立っていた時期もありましたが、 この時には撤去されていました。 右手の道は天園休憩所の下を過ぎて市境広場方面へ続く巻き道で、 左手の道は獅子舞地区へ降っていく道になります。 手前の左側の高みへ戻るようにして登っていく細い道もありますが、道標には何も示されていません。 今回はこの左側の高みへの道を歩くのですが、その前に天園まで往復してくることにしました。
何度となく歩いている天園周辺の道ですが、 コース沿いにある天園に関する道標は、設置されたり撤去されたりがかなり繰り返されています。 古くなったから撤去したということではないように思えますが、その理由はよく分かりません。
見晴台
正面の高みへ登っていく道は、過日の台風の影響などで通行禁止になっていた時期もありましたが、 この時には通行禁止の旨の標識はありませんでした。 ちょっとした岩場を登っていくと、岩が剥き出した高みに着きます。 眼下には鎌倉の山々が広がり、その奥には鎌倉の街並みが見えています。 材木座海岸から由比ヶ浜やその先の稲村ヶ崎も見えていました。 相模湾の向こうには、箱根や伊豆の山々をはじめ、富士山も綺麗に望める眺めの素晴らしい所なのですが、 この時には残念ながら遠くは霞んでいて、 あの辺りに富士山が見えるはずだがと心眼を開いてみても、薄ぼんやりと見える程度でした。
天園ハイキングコースは、獅子舞分岐から右手の巻き道を進み、 その途中から天園休憩所の前を登ってこの岩場の先の尾根に出て、天園峠の茶屋へと続いています。 見晴台や岩場を回避していくルートになっていますが、 岩場はあるものの眺めが良いし近道でもあるので、多くの人が通っています。
天園見晴台
眼下に鎌倉の町並、海、遠く前方には箱根の山々、富士山、伊豆方面が眺められ、大変に趣きがあります。
天園 (標高159.4m)
岩場を過ぎてその先へ進んでいくと、すぐに右手へ道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、右手の道は「瑞泉寺 約30分・鎌倉宮 約30分」、 正面の道は「建長寺」、今来た道は「天園見晴台」となっています。 右手のすぐ下には天園休憩所がありますが、まだ開店前だったので、 すぐ先の天園の山頂にある天園峠の茶屋で休憩していくことにしました。 天台山から14分ほどで登って来られました。 天園からは安房・上総・下総・武蔵・相模・伊豆の六つの国が見渡せるので、 「六国峠」という名前も付けられています。 天園峠の茶屋はヨシズ張りの天井になっていて、テーブルやベンチが沢山設置されています。 昔の駅舎にあるような「鎌倉天園」,「六国峠」の看板もあって、雰囲気も盛り上がってきます。 お昼には少し早かったのですが、南西側に広がる鎌倉の街並みや海などを眺めつつ、 おでんなどを食べながら休憩していきました。
横浜市内最高地点
栄区上郷町 海面からの高度:159.4m
横浜市内最高地点は、鎌倉市境にある大平山(山頂は鎌倉市域)の尾根沿い(栄区上郷町)で、 この付近となります。 背後の鎌倉市方面には、鎌倉市街や、相模湾を臨むことができます。
このサインは、横浜開港150周年を記念して設置しました。
 (栄区役所、横浜栄ラインズクラブ)
獅子舞分岐
見晴台や茶屋などを合わせて45分ほど居た天園を後にして、獅子舞分岐まで引き返してきます。 「No.6」の標柱の脇から西側へ降っていく獅子舞地区への道を見送って、 道標「獅子舞経由鎌倉宮」の右脇から正面の高みへと続く踏み跡を登っていきます。
踏み跡を1分ほど登っていくと、樹木が刈り払われて小広くなった高みに着きました。 中ほどに生える樹木には、布製の小さな手提げ袋が取り付けられていました。 右手の樹木越しには、天園から半僧坊へと続く鎌倉アルプスの稜線を見渡せます。 ここから正面に生い茂るアオキの左手へと踏み跡が分かれていますが、右手の坂道を降っていきます。
かなり傾斜のある坂道を降っていくと、すぐに左右に通る道に降り立ちます。 以前に来た時には気が付きませんでしたが、あまり踏まれていなくて新しそうな様子ながらも、 正面の植林地へも明瞭な道が続いていて、十字路のようになっていました。 左右に通る道は、獅子舞分岐から西側へ降った最初の曲がり角から分かれてきた道になります。 今回はこの道を左手へと進んでいきます。
二階堂川分岐
植林帯の斜面を横切るようにして緩やかな道が続いています。 植林帯を過ぎて右手に少し曲がっていく所まで来ると、 左手の僅かなマウンドを越えていく道が分かれていきます。 先ほどの高みから3分ほどの所になります。 右手の道は、送電線の鉄塔「大-田24号」を経て二階堂川の源流域に降りて行かれます。 送電線の巡視路のようですが、ハイキングコースにしても良いほどしっかりとした道が続いています。 今回は左手の道の行く末を確かめるのを目的にしてきたので、 マウンドを越えて戻るようにして続く左手の道を進んでいきました。
(右手の道は「鎌倉アルプス」, 「鎌倉アルプス」, 「吉沢川」を参照)
斜面を横切るようにして、緩やかな道が続いています。 歩き始めは広い道になっていますが、次第に狭まってきます。 岩壁の脇を過ぎて少し登っていくと、大きな岩の脇を過ぎていきます。 岩の下側は綺麗に削られて少し凹んでいましたが、以前には石仏などがあったのでしょうか。
谷筋降り口
大岩を過ぎて更に進んでいくと、 小尾根を越えて左へ曲がっていく角から、右側の尾根にも踏み跡が分かれて続いています。 先ほどの二階堂川分岐から3分ほどの所になります。 右手の道は谷筋に降りていく道ですが、 後で歩くことにして、先ずは左手へと進んでいきました。
引続き斜面を横切るようにして緩やかな道が続いています。 木の根が剥き出した所を過ぎていくと、ハイカーの声が聞こえてきました。 緩やかな道をそのまま進んでいくと、谷筋降り口から1分ちょっとで、しっかりとした尾根道に出ました。 ここは何処だろうと思っていると、天園へ向う時に通ってきた、 ちょっとした切通のある「巡視路分岐」なのでした。
谷筋降り口まで引き返してきて、西側の尾根に続く踏み跡を降っていきます。 これまでのしっかりとした道とは違って余り歩かれていない様子になってきますが、 踏み跡は明瞭に続いていました。 最近にハイキング会でもあったのか、樹木には赤テープが点々と取付けられていて、ルートを示しているようでした。 そんなテープを確認しながら、尾根に続く踏み跡を降っていきます。 所々に大きな岩が剥き出した段差があったりもしますが、それほど苦労することもなく降っていけます。 3分ほど降っていくと、浅い谷筋が右側に現われます。 次第に道が不明瞭になってくるので、その谷筋に降りて右側の尾根に出て降っていくと、 再び赤テープを見つけて安心したりもしました。
谷筋
谷筋降り口から8分ほど降っていくと、谷筋の奥地のような所に降り立ちました。 左右には緩やかな踏み跡が続いていました。 どちらへ進んだものかと暫し考えた末、右手へ進んでいきました。 程なくして笹竹が生い茂るようになると、僅かな流れを回り込むようにして左手へ曲がっていきます。 そんな所にも赤テープが取付けられているのを見つけて、安心しながら進んでいきました。 笹竹が生い茂った所を抜けて小さなの右岸に出ると、分かり易い道になってきました。 水が僅かに流れる沢沿いに進んでいくと、谷筋には植林帯が続いていました。 これまでに点々と取付けられていた赤テープは、この植林帯の辺りから先では見かけなくなりました。 赤テープは尾根から谷筋へ降るまでのルートを示していたようでした。
植林帯を進んで倒木のある所まで来ると、踏み跡が分からなくなりました。 倒木に隠れていただけで、その先へ続いていたのかも知れませんが、 沢の向こう側に踏み跡が見えたので、狭い沢を渡って左岸を進んでいきました。 左手の崖から水が流れ落ちる所を過ぎていくと、遂にに降りてしまいました。 谷筋に降り立った所から9分ほど、谷筋降り口から17分ほど降ってきた所になります。 沢沿いの道はないかと探ってみましたが見当たらなかったので、諦めて沢を歩いていくことにしました。
沢合流
下流に向っていけば二階堂川に続いているだろうことは想像できたので、 落差のある滝などが現われないことを願いつつ、緩やかな岩盤になって歩きやすい沢を進んでいきました。 幸いにも流れる水は少なくて、靴の中まで濡らすこともなくて済みました。 水さえ流れていなければ、山道としても十分通用しそうな雰囲気になっていました。 沢に降りた所から3分ほど進んでいくと、左手から沢が合流してきました。 ここは水が流れていく方向である右手へと進んでいきました。
二階堂川
岩壁の脇を過ぎていくと、水が溜まっている所もありました。 そのまま歩いていくと靴の中が濡れてしまいそうでしたが、 脇が低くなっていたので、沢から上がって迂回したりしながら進んでいきました。 沢合流から7分ほど進んで正面が明るくなってくると二階堂川に出ました。 ここまで歩いてきた沢には落差のある滝のような所はなくて、緩やかな岩盤の沢が続いていました。 二階堂川には鴨が二羽いて、ひょっこり現われた私を出迎えてくれました。 ここは東電送電所の奥にある畑地の脇でした。
東電送電所
正面には獅子舞地区から天園へ続くハイキングコースが通っています。 何度となく歩いている道なのですが、 川岸には高い石垣と金網柵が続いていて、容易に道へ登っていけません。 どうしたものかと思いながら左手へ少し進んでいくと、 コンクリート製の土管が立て掛けられていたので、それを足掛かりにして登っていきました。 金網柵を乗り越えて道に出ると、目の前に東電送電所がありました。 やっと普通の道に出られてひと安心しました。 谷筋降り口から32分ほどで降りて来られました。
亀ヶ渕橋
東電送電所を過ぎて、民家が点在するようになった二階堂川沿いの道路を進んでいきます。 小橋を渡っていくと、送電所から6分ほどで、二階堂川に亀ヶ渕橋が架かっています。 脇に立つ砂防指定地の看板によると、橋の上流にある集落は獅子舞という名前のようです。 民芸の獅子舞と関連がある地区なのでしょうか。 亀ヶ渕橋を渡って、二階堂川に沿って続く道路を左手へ進んでいきます。
砂防指定地 二階堂川
この土地の区域内において宅地造成・家屋の新築・土採取等の行為をする場合は、 神奈川県知事の許可が必要ですから藤沢土木事務所に御相談下さい。
 (神奈川県)
歴史的風土特別保存地区指定図
昭和63年6月17日から、この地区は、歴史的風土特別保存地区になりましたので、 建築物、工作物の新築・改築・増築、土地形質の変更、木竹の伐採、土石の類の採取、 建築物・耕作物の色彩の変更、屋外広告物の表示又は掲出及び水面の埋立又は、 干拓の現状変更行為をするときは、許可がいります。 違反すると刑罰に処せられます。 なお行為の申請、質問等の申出は下記へ。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター環境部、鎌倉市役所)
永福寺跡
二階堂川沿いに続く道路を進んでいくと、右手には緑色の高い網が続いていました。 その向こう側は原っぱが広がっています。 永福寺の跡地のようでかなり広い場所になっていますが、入口には柵が設置されていて立入禁止になっています。 網沿いには菜の花が咲いていて、いい香りを漂わせていました。 白い蝶もヒラヒラと舞っていました。 川沿いを更に進んでいくと通玄橋が架かるT字路があります。 左手の先には瑞泉寺がありますが右折していくと、 テニスコートの脇に永福寺跡の石碑や解説板があって、 往時の建物と庭園の図も載っています。 それによると、二階堂・阿弥陀堂・薬師堂の前には広い池があって、規模の大きな寺院だったようです。
国指定史跡 永福寺跡
永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、 荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂大長寿院を模して建久3年(1192)、工事に着手しました。 鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年から発掘調査を行い、 中心部の堂と大きな池を廃した庭園の跡を確認しました。 堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、 東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、 前面には南北100メートル以上ある池が造られていました。 市では昭和42年度から土地の買収を行っており、今後は史跡公園としての整備事業も進めていく予定です。
 (鎌倉市教育委員会)
永福寺舊蹟
永福寺世ニ二階堂ト称ス今ニ二階堂ナル地名 アルハ是ガタメナリ文治五年頼朝奥州ヨリ凱 旋スルヤ彼ノ地大長寿院ノ二階堂ニ擬シテ之 ヲ建立ス輪奐荘厳洵ニ無双ノ大伽藍タリキト 云ふ亨徳年間関東官領ノ没落セル頃ヨリ後全 ク頽廃ス
 (鎌倉町青年會)
鎌倉宮
鎌倉宮カントリーテニスクラブへの道を見送って真っ直ぐに3分ほど進んでいくと、右手の水路に小さな橋が架かっています。 その橋を渡っていくと鎌倉宮の境内になります。 広い境内の奥の石段を登っていくと、鳥居をくぐった先に社殿があります。 本殿は拝殿の奥の方に見えていて、かなりの距離があるようでした。 何だか厳かな雰囲気が漂っていました。 本殿の屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 どういう意味なのかは分かりませんが、拝殿の前には赤い大きな獅子頭が置いてあります。 社殿の左側には桜が綺麗な花を咲かせていました。 奥には土牢や神苑などがあるようですが、訪ねるのは省略しました。
鎌倉宮
御醍醐天皇の皇子である護良親王を祭神とする神社です。 護良親王は、後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕の動きに呼応して幕府軍と戦うなど貢献しました。 幕府が滅亡し天皇親政が復活(建武の新政)すると征夷大将軍に任じられましたが、 その後足利尊氏と対立して捕えられ、28歳で非業の最後を遂げました。 社殿の後ろ手に残る土牢が親王最後の地と伝えれています。 10月には境内で薪能が催されます。
 (鎌倉市)
手水の作法
一、左手を清めます。
二、右手を清めます。
三、左の手のひらに水を受けて口をすすぎます。
四、水の入った柄杓を手前に立て柄に水を流してから伏せて置きます。
五、柄杓に直に口をつけたり直接中で洗ったりしないで下さい。
 (鎌倉宮社務所)
社殿の右側には村上彦四郎義光公を祭神とする村上社があります。 この社の屋根にも5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 その前に「撫で身代り」の像がありますが、 撫でていく人が多いようで、欅で出来た像はツルツルになっていました。 願い事を書いた「身代り人形」も沢山奉納されていました。
撫で身代り
御自分や大切な方の気になる箇所を心を込めて三度撫でて下さい。 大切な方は身代り布で撫でてお帰りになってその方を撫でて下さい。
撫で身代りの由来
村上義光公は、護良親王の忠臣にして、元弘3年(1333)正月、吉野城落城の折、 最早これまでと覚悟を決めた護良親王は、別れの酒宴をされました。 そこへ村上義光公が16本もの矢を突き立てた凄まじい姿で駆けつけ、 親王の錦の御鎧直垂をお脱ぎいただき、 自分が着用して「われこそは大塔宮護良親王ぞ、汝ら腹を切る時の手本とせよ」と告げて、 腹を一文字に掻き切り、壮絶な最後をとげ、その間に親王は南に向って落ちのびました。 このように身代りとなられた村上義光公を境内の樹齢103年の欅の大木にて彫り上げ、 「撫で身代り」として入魂致しました。
この鎌倉宮は「大塔(鎌倉宮)の夜雨」として「三浦半島八景」のひとつに数えられています。 脇には大きな「鎌倉市観光案内図」があって、寺社以外にも、 天園ハイキングコース、葛原岡・大仏ハイキングコース、祇園山ハイキングコースなども紹介されていました。
三浦半島八景 大塔(鎌倉宮)の夜雨
「三浦半島八景」は、神奈川県が三浦半島地区の4市1町と協働して、 この地域の"うるおい","にぎわい"づくりをめざし、 半島をぐるっとまわれるような新たな「八景」をつくるため「三浦半島八景」選定委員会を設置し、 県民の皆様のご意見を参考に平成13年11月に選定したものです。
・大塔(鎌倉宮)の夜雨
・灯台(燈明堂)の帰帆
・大佛の秋月
・長者ヶ崎の夕照
・神武寺の晩鐘
・猿島の晴嵐
・城ヶ島の落雁
・建長寺の暮雪
「八景」の考え方は15世紀に中国から日本に移入されました。 「近江八景」や「金沢八景」が有名ですが、 三浦半島地域でもこれまでにたくさんの「八景」が残されています。 伝統的な「八景」は次の八つの景色を基本形につくられ、 それぞれ次のような情景を表わすのではないかと言われています。
・夜雨:水辺の夜の雨
・帰帆:港に帰る漁船
・秋月:水辺に映える秋の月
・夕照:夕日に照らされた遠くの山
・晩鐘:山寺の晩鐘
・晴嵐:朝もやに煙る松林
・落雁:干潟に降り立つ雁の群れ
・暮雪:夕暮れの雪景色
 (神奈川県横須賀三浦地区県政総合センター)
大塔宮(だいとうのみや)バス停
鎌倉宮の境内を横切って短い橋を渡った所に大塔宮バス停があります。
鎌倉駅(JR横須賀線)まで、[鎌20]鎌倉駅行きバスにて7分、1時間に4本程度の便があります。
鎌倉駅までの道路は渋滞することが多いので、 荏柄天神社や鶴岡八幡宮などを訪ねたり、段葛や小町通りを通ったりしながら、 鎌倉駅までのんびりと歩いていくのもいいかも知れません。