上矢部ふれあいの樹林
散策:2010年03月下旬
【街角散策】 上矢部ふれあいの樹林
概 要 上矢部ふれあいの樹林は、横浜市の「ふれあいの樹林」のひとつで、開発が進む中に残された貴重な緑地です。 こんもりとした山には竹林などがあって、静かな散策が楽しめる所です。 今回は「上矢部ふれあいの樹林」を訪ねてから、寺社や公園などを巡りながら谷矢部池公園へと向っていきます。
起 点 横浜市 戸塚駅
終 点 横浜市 踊場駅
ルート 戸塚駅…矢部蔵坪公園…上矢部ふれあいの樹林…上矢部坂本第三公園…正福寺…上矢部南公園…大善寺…第六社…上矢部坂本公園…来迎寺…道祖神…谷矢部池公園…踊場駅
所要時間 2時間50分
歩いて... 上矢部ふれあいの樹林は綺麗に整備されていて、歩きやすい道が続いていました。 上矢部南公園や上矢部坂本公園には桜の花が沢山咲いていて、華やいだ雰囲気でした。 最後に訪れた谷矢部池公園には枝垂れ柳に囲まれた大きな池があって、 桜の花が咲きコイやカモなども泳いでいて、雰囲気のいい所になっていました。
関連メモ 戸塚宿
コース紹介
戸塚(とつか)駅
戸塚駅(JR東海道線)から歩いていきます。
西口を出て横浜駅方面へ線路沿いに進んでいきます。 東海道踏切No.30(通称:大踏切)を過ぎて、戸塚駅西口第10自転車駐車場や第二バスターミナルへ向っていきます。 この時には再開発工事が進められていて雑然としていましたが、 4月には一部がオープンし、バスセンターやタクシー乗り場も移設されて利用しやすくなるようです。 また、線路の下に国道1号を通す工事も併せて行われているので、 それらがすべて完成すると、駅の周辺はすっかり様変わりしそうです。
地下の改札口を出ると、正面に安藤広重の「東海道五拾三次之内 戸塚」の大きな浮世絵が掲げられています。 天保4年(1833)に柏尾川に架かる吉田大橋付近を描いたもので、 ゆったりと弧を描く美しい木橋や「こめや」のある浮世絵です。 「こめや」は米の商いのほか、東海道と鎌倉道の分岐点という地の利を活かし、 旅人に軽食などを出す茶屋を営んでいたようです。 「大山講中」「百味講」などと書かれた数々の木札が掲げられていて、 東海道だけでなく大山や江ノ島などへの旅人で賑わっていた様子を伺わせます。 地上へ出た所には「歴史の道 東海道戸塚宿周辺散策案内図」が立っています。 旧東海道に沿って点在する史跡などが紹介されていて、 「東海道 六 五十三次 戸塚」と題した初代広重の浮世絵も載っています。 (「戸塚宿」を参照)
歴史の道 東海道戸塚宿周辺散策案内図
戸塚宿は、品川・川崎・神奈川・保土ヶ谷に次ぐ五番目の宿場として、 神奈川・保土ヶ谷に3年遅れた慶長9年(1604)に成立しました。 戸塚宿は江戸から約10里(40km)で、当時の一般的な旅人の一日の行程の位置にありました。 しかも、隣接する宿場の保土ヶ谷宿と藤沢宿寄りに、県内では箱根に次ぐ難所の権太坂と大坂があることから、 江戸を出発した旅人の最初の宿泊地となったようです。 また、戸塚宿付近は大山道や鎌倉道への分岐点であり、 大山詣や鎌倉の寺社参詣の人々で大いににぎわったと伝えられています。
【原宿の一里塚跡】 江戸より11番目の一里塚です。現在は跡を示す案内看板が建っています。 (なお、12番目の一里塚は藤沢宿付近にあります)
【大坂上の松並木】 第六天あたりからの坂を大坂といい、当時は急勾配の坂が続き、松並木のある坂上へと出ました(高低差約40m)。 今も名残を伝える松並木が残っています。
【上方見附跡】 戸塚宿の京側の入口にあたります。 当時、大名行列などが通るときは、宿役人ま見附まで出迎え、行列は整然と進みました。 上方見附の切石は、当時の姿が残されています。
【富塚八幡宮】 延久4年(1072)に社殿を造ったと伝えられ、戸塚総鎮守になっています。 境内には芭蕉の句碑があります。 富塚八幡宮のある丘の頂は古墳になっており、これを富塚と呼んでいました。 戸塚の地名もこの富塚にちなんだものとの説が有力です。
【沢辺本陣跡】 戸塚宿に2軒あった本陣の一つ。 参勤交代の多くの大名が宿泊しました。 一隅には明治天皇行在所(あんざいしょ)・休泊地の碑があります。
【(吉田)大橋】 現在の橋の街灯は大名行列がもつ長柄のバレンを模しています。 安藤広重が描いた「東海道五拾三次之内戸塚」は、この大橋の風景を描いたもので、 現地には浮世絵のレリーフがあります。
【戸塚(元町)の一里塚跡】 江戸から10番目の一里塚で、慶長9年に街道の付属施設として造られました。 一里塚は、行程の目安とするため、約一里(約4km)ごとに置かれていました。
【江戸方見附跡】 宿場の入口に築かれたシンボルが「見附」で、江戸側の入口にあったものを「江戸見附」、 京側の入口にあったものを「上方見附」といいます。 両見附の間が「戸塚宿」です。 江戸見附の遺構は残っていませんが、由来を記した記念碑があります。
矢部蔵坪公園
第二バスターミナルを過ぎていくと、正面の左手にこんもりとした山が見えてきます。 左手へ分かれていく道を見送っていくと、JRの線路を跨ぐ矢部跨線人道橋があります。 その道路向いの左側の上に矢部蔵坪公園があります。 手摺の付いた石段を登っていくと、遊具などが設置された小さな公園になっていました。 桃色の花が咲き始めた木もありました。 葉も一緒に出ていたので桜なのかどうかはよく分かりませんでしたが、綺麗な花でした。 白い小さな花を沢山付けたユキヤナギもあって、春が来たことを感じられました。 先の方には石段があって更に高い所へと続いています。 石段の先に続く横木の階段を登って山際までいくと、小さな東屋風の建物が建っています。 振り返ると、JRの線路の向こうには戸塚の街並みが広がっていました。
公園から線路沿いの道路に降りてその先へと進んでいきます。 歯科クリニックを過ぎていくと、道が二股に分かれている蔵坪交差点があります。 手前には青色の大きな道路標識があって、左手の道は「鳥が丘」、 右手の道は「国道1号・横浜新道上矢部IC・瀬谷」となっていますが、 右手の線路沿いの道を進んでいきます。
戸塚ボウリングセンターを過ぎていくと、正面の左手にこんもりとした山が見えてきます。 横須賀線が東海道線を跨ぎ終わる辺りまで来ると、左手に戻るようにして登っていく石段があります。 手前に立つ電柱には「ここは上矢部町2639」の板が取り付けられています。 石段の途中には「坂本町内会消化器」と書かれた赤い消化器入れも見えています。 一見して、民家へ続く石段のように思えますが、 ここが「上矢部ふれあいの樹林」の南側の入口になります。 最初はここが入口だとは知らずに、線路沿いの道をその先へと進んでいきました。
(結果的に、ここから上矢部人道までを二度歩くことになりました)
左手から螺旋状に曲がって線路を跨いでいく上矢部人道まで来ると、 左手に戻るようにして分かれていく道があります。 ここが「上矢部ふれあいの樹林」への入口になります。
上矢部ふれあいの樹林
上矢部人道の手前から左手へ入っていくと、右へ曲がっていく角から、ブロック敷きの道が左手へ分かれていきます。 その道へ入っていくと、すぐの所に上矢部ふれあいの樹林があります。 入口には「上矢部ふれあいの樹林 フォーレストフレンド」と書かれた標識が金網柵に取り付けられています。
坂本の水辺愛護会掲示板
ここは坂本水辺愛護会が美化活動をしています。 みなさんのご協力をお願いします。
みんなの川だよ きれいにね
 (坂本水辺愛護会、戸塚土木事務所)
小さな流れを渡っていくと、芝地になった広場があります。 脇には「上矢部ふれあいの樹林」と題した案内板があるので参考にしましょう。 この広場は上矢部ふれあいの樹林の中のけやき広場というようです。 倉庫の右脇から続く横木の階段を登っていきます。
案内板の脇の掲示板には、愛護会の年間事業計画が貼り出してありました。 それによると、一年を通じてかなりの頻度で清掃や植栽などの作業が行われているようでした。
上矢部ふれあいの樹林
所在地 戸塚区上矢部町2642-1ほか
面 積 1.4ヘクタール
指 定 平成7年7月
ふれあいの樹林は、市内の樹林を守り育てるとともに、市民の皆さんの憩いの場としてご利用いただくため、 山林所有者の方々のご厚意により、私用させていただいているものです。 ふれあいの樹林の散歩道や広場の清掃・草刈りなどは、 地元の方々によりつくられた「ふれあいの樹林愛護会」が行っています。 利用者の皆さんもきれいな樹林になるようにご協力お願いいたします。
※利用時間は原則として日の出から日没までです。
◎散歩道や広場以外への立入は禁止です。
◎犬は、きちんとつないで散歩させてくださ。フンは飼い主が持ち帰ってください。
◎火遊びや喫煙など、火災の原因となる行為はやめましょう。
◎とっていいのは写真だけ。植物は持ち帰らないでください。
◎空き缶などのゴミは持ち帰りましょう
◎樹林の利用は、自己責任でお願いいたします。
 (上矢部ふれあいの樹林愛護会フォレストフレンド、横浜市南部公園緑地事務所)
鉄パイプの手摺が設置された横木の階段を登っていきます。 横木は一本だけではななくて、片側を平らに削った木がもう一本添えられていて、 足を乗せやすくてとても歩きやすい階段になっていました。 周囲の樹木には名前を記した輪切りの板が取り付けられていました。 階段を1分ほど登っていくと、左手に登っていく階段が分かれていきます。 先ほどの案内図には載っていませんが、どちらの道を進んでも、少し先の高みで合流します。 両方とも歩いてみましたが、左手の道の方が近道のようでした。 正面に続く道の方が遠回りでしたが、案内図に載っている道になります。
すべりやすいので注意して下さい。
 (上矢部ふれあいの樹林愛護会(フォーレストフレンド)、横浜市)
右手から回り込むようにして高みへと続く横木の階段を登っていきます。 高みに着く手前から、右手に細い道が分かれて降っていきます。 案内図に載っている道のようでかなり傾斜がありましたが、行く末を確認するのは省略しました。 その道を見送って階段を登っていくと、平らになった高みに着きました。 反対側からは先ほど分かれてきた道が登ってきていました。 周囲には擬木や竹などで出来た柵が設置されていて、ベンチも幾つかありました。 先ほどのけやき広場とこの先の竹林広場の間にある緩やかな尾根になっています。
広くて緩やかな道をその先へ進んでいくと、僅かに傾斜した広場に着きます。 ここが竹林広場になるようで、正面から左手にかけて太い竹の林が広がっていました。 「孟宗竹」というようで、名前を書いた輪切りの板が取り付けられていました。 中ほどには刈り取られた竹の枝が積まれ、脇には切り倒された竹も置かれていましたが、 ここにはベンチなどは設置されていませんでした。
樹木の名前の板
見逃したのも多々あろうかと思いますが、見かけた樹木の名前を書いた板を載せておきます。
いぬしで、くり、すだじい、はりぎり、あきにれ、むく、けやき、すぎ、しらかし、こなら、もうそうちく
竹林の中に続く柵で囲まれた広い道を進んでいくと広場に出ました。 ここにも、最初にあったのと同じ案内図があるので参考にしましょう。 この広場には特に名前は付いていないようでした。 ベンチが幾つか設置されている広場を正面へ進んでいくと、車止めの先は住宅地になっていました。 脇には「上矢部ふれあいの樹林」と書かれた標柱が立っていました。
この樹林は、土地所有者のご好意により横浜市がお借りしているものです。 ゴミを捨てず、みんなで美しい樹林に育てましょう。
 (上矢部ふれあいの樹林愛護会(フォーレストフレンド)、横浜市)
広場の左手から戻るようにして続く横木の階段を降っていきます。 案内図では道が二つあるように描かれていますが、ひとつしか見かけませんでした。 大きな木の間を抜けて、竹林に続く横木の階段を降っていきます。 登ってきた時のと同様に、歩きやすい階段になっていました。 少し右へ曲がりながら降っていくと、小さな墓地の脇を過ぎていきます。 案内図に載っているもうひとつの道はないかと探しながら降っていきました。 道の跡らしき所はありましたが、明瞭な道にはなっていませんでした。 登ってくる時に案内図に載っていない道があったことを思うと、 当初はふたつあったものの、その後に片方が廃止になったのかも知れません。
鉄線柵が設置された横木の階段を降っていきます。 柵が途切れた階段を更に降って石垣の脇を進んでいくと、コンクリート舗装された道に出ました。 斜面に建つ民家への道のようでした。 正面へと進んで左手の階段を降っていくと、線路脇の道路に降り立ちました。 降り立った所は、最初に紹介した「ここは上矢部町2639」の板が取り付けられた電柱の立つ脇でした。
こちら側には上矢部ふれあいの樹林への入口である旨の案内などは見かけませんでした。 一見して民家への階段のように思えるので、ここから樹林へ入っていくのには勇気が要りそうですが、 これだけ明瞭な道になっているし案内図にも載っているので、正式な道なのだろうとは思います。
上矢部坂本第三公園
先ほど歩いた上矢部人道までの道を進んでいきます。 陸橋の下を過ぎていくと、左手から細めの道が合流してきます。 その道を合わせたすぐ先に上矢部坂本第三公園があります。 傍に建つ集合住宅に併設されたような雰囲気の小さな広場でした。
紹介するほどの規模の公園ではありませんが、 今回はこの先へ進んでからここまで引き返してきて、手前にあった細めの道へ入っていったので、 通過点として紹介しておきます。
上矢部坂本第三公園を過ぎていくと、国道1号がJRの線路を跨いでいる所に出ます。 線路の上に架かる陸橋は戸塚跨線橋というようです。 その下にある坂本隧道を抜けていくと、柏尾川のすぐ傍を進むようになります。 川沿いに少し進んでいくと、川が二股に分かれています。 手元の地図によると、右手が柏尾川で、左手はその支流の阿久和川になるようです。 対岸の川沿いには咲き始めた桜の並木が続き、川面には菜の花が咲いていて、綺麗な眺めでした。 何枚も写真を写しながら、しばらく眺めを楽しんでいきました。
阿久和川沿いに続く車道を進んでいきます。 矢名瀬橋をやり過ごしていくと、富士橋交差点があります。 斜めに通っているのは県道401号(瀬谷柏尾道路)で、 阿久和川には富士橋が架かっています。 交差点を左手へ進んでいくと、横浜新道の高架橋「阿久和川橋」が見えてきます。 手前にある上矢部南交差点を直進して、高架橋の下を抜けていきます。 横浜新道から降ってくる道を渡った先にある上矢部北交差点を左手へ曲がっていきます。
上矢部第一町内会掲示板を過ぎて、そば処の右側を進んでいきます。 こんもりとした森が見えてくると、正面に坂道が現われます。 その登り口には「正福禅寺」と刻まれた石碑が立っています。 左手にも道が分かれていますが後で歩くことにして、先ずは正面の坂道を登ってきます。 右手にゴルフ練習場を見ながら坂道を登っていくと、正福寺駐車場があります。 脇には祠に納められた六地蔵が並んでいました。 赤い頭巾を被って赤い前掛けをしていました。 「南無地蔵菩薩」と書かれた赤い提灯や白い幟もありました。 その脇には赤ちゃんを抱いたお地蔵さんも立っていました。
正福寺
六地蔵を過ぎて右手から回り込むようにして登っていくと、階段が併設された坂道が現われます。 その道を真っ直ぐ登っていくと、「富士山」の扁額が掛る山門があります。 「臨済宗円覚寺派富士正福寺」の表札も掲げられていました。 左手には鐘楼もありました。 「富士山」とは珍しい山号だと思いながら山門をくぐっていくと、正面に正福寺の本堂がありました。 境内には松などが植えられていて小綺麗になっていました。 左手には庫裡と思われる建物もありました。
正福寺沿革
富士山と号し臨済宗円覚寺派である。 本尊は釈迦牟尼如来にして文殊・普賢両菩薩を脇侍とする。 建保4年(1216)鎌倉三代将軍実朝公の代に正福寺殿長崎四郎によって開創されたと云う。 小田原城落城(1590)のおり長崎右馬助なる者、当時に居住せるため無住となり大いに荒廃す。 徳川家康公入国以来、石川四郎左衛門この地を知行し、二代石川八右衛門によって、 慶長18年(1613)に再建。 用林昌甫禅師をもって中興開山とす。 寺内に富士大権現を祀るよって富士居と云う。
(「当時に居住」は「当寺に居住」の誤記と思われますが、そのまま載せておきます)
上矢部南公園
正福寺から引き返してきて、石碑の先の分岐を右手へと進んでいきます。 月極駐車場を過ぎていくと、道が右手へ分かれていきますが、 横浜新道沿いに続く正面の坂道を登っていきます。 森と横浜新道のプラスチック塀の間に続く坂を越えて降っていくと、住宅地に出ます。 右手へ分かれていく道を見送って横浜新道沿いに進んでいくと、左右に通る道に出ました。 左手には横浜新道をくぐっていくトンネルがあって、正面には上矢部南公園がありました。 二段の高さになった静かな公園で、桜がかなり咲き始めていました。 入口には暗紅紫色をした大きな花を咲かせたモクレンもあって、華やいだ雰囲気になっていました。
大善寺
公園の右手の先にお寺が見えたので行ってみると、 「浄土宗大善寺」と書かれた門柱が立っていました。 これが大善寺なのだろうと思うものの、手前には柵が設置されていて閉ざされていました。 脇の塀越しに境内を覗ってみると、かなり広い敷地のようでした。 柵の奥に立つ門柱の脇に解説板が見えたので、ズームアップして何とか写しました。
このお寺の宗旨
名称 「浄土宗」大善寺と申します。
宗祖 法然上人(源空)
開宗 今から八百年前(鎌倉時代承安5年)
本尊 阿弥陀如来を御本尊と仰ぎます。
称名 並阿弥陀佛
教義 阿弥陀如来のお誓いを深く信じ、南無阿弥陀佛を称えることによって、 どんなおろかな罪深い者でも一切の苦しみから救われ、明るい安らかな毎日を送ることが出来、 そのままの姿で立派な人間へと向上し浄土に生まれることが出来る教です。
お経 お釈迦さまがお説きになった諸教典を読誦致します。
由来 大善寺(戸塚区上矢部町百六番地)浄土宗
退魔山不退院と号し、もと京都知恩院の末寺。 開山は応蓮社讃誉牛秀(慶長10年6月12日寂)。 開基は石川八右衛門重政(文禄2年5月23日、当初陣屋で死亡し境内に墓地あり)で江戸初期の建立。 慶長2年8月、寺領十石の朱印を賜わり、本尊に恵心作の阿弥陀如来像、長三尺三寸を安置している。 牛秀は生涯を通じ、平塚、八王子等を総じて三ヶの大善寺を建立し、俗に関東三大善寺といっている。 また徳川家康が此の辺に放鷹したとき、当寺を御膳所としたといわれ、 近年まで門外に下馬札を建てていた。 又大善寺の裏山には淡島明神がまつられており、針の折れたのを豆腐にさして供え供養したと伝えられている。
大善寺の先は行き止まりのようなので引き返してきました。 第六社の方面へ向おうとするのですが、直接続いている道はなさそうだったので、 東側から回っていくことにしました。 上矢部南公園の左手にあるトンネルをくぐり、十字路を直進して住宅地を進んでいきます。 集合住宅の脇にある広場を過ぎていくと、阿久和川沿いに出ました。 左手には矢名瀬橋が架かっていました。 そこから元来た道を引き返していきました。 戸塚跨線橋の坂本隧道を抜けて、上矢部坂本第三公園を過ぎた先から右手へ分かれていく路地に入っていきます。
正面に送電線の鉄塔が見えてくるとY字路があります。 そこを右手へ進んでいくとT字路があります。 右手には桜の老大木が綺麗な花を咲かせた墓地がありました。 桜の木の袂にある「墓誌」によると、先ほどの大善寺と関連がある所のようでした。 正面の道は行き止まりのようなので、左手へ曲がっていきます。
墓誌
当墓地は鏡山上人(慶長10年11月2日寂)の行頭の意を受け、 一蓮社乗誉存冏上人が寛永6年9月に六天山光明院正本寺を建立し、阿弥陀本尊を安置し、 日夜念佛道場として当地の信徒と共に称名していたが、 明治初年に至り荒廃その極に達し、堂宇再建を志したが不成就に終り、 明治5年11月、無檀無住寺院廃毀令によって本寺大善寺に合併した。 大善寺壇信徒並に正本寺信徒の墓である。 開山上人歴代諸上人その他墓地荒廃の為、裏面の者志を一にして当墓地の先祖代々の墓石及び 葬むる所の有縁無縁の一切精霊皆悉菩提の為に整備完了せる為に誌るしおくものなり。
 (昭和51年7月佛歓喜日大善寺住職撰)
数10m進んだ所にあるY字路を右折して、水路沿いの道を緩やかに降っていくと、 国道1号と横浜新道の分岐箇所の下をくぐっていきます。 トンネルを抜けて右へ曲がっていくと、右側には横浜新道、左側には国道1号が通っています。 左手にあるトンネルを更にくぐっていきます。
ここを通る国道1号はバイパスで、 旧東海道である元来の国道1号は、不動坂から分かれて戸塚宿の中を通って大坂へと続いています。 なお、横浜新道も国道1号と呼ばれていて、第三京浜とのインターチェンジを過ぎて、 東神奈川駅の先で旧東海道の国道1号と合流しています。 横浜の中心部をバイパスする道と、戸塚の街をバイパスする道の二系統があるということでしょうか。
トンネル内幅狭し 歩行者優先!!
歩行者安全確保のため、自動車はトンネル入り口手前で一時停止をお願いします。
 (坂本町内会 交通安全協会戸塚第三支部)
第六社
トンネルを抜けた所から右手に分かれていく道を見送って正面に続く道を進んでいくと、 右手の森の脇に「鎮守第六社」と刻まれた石柱が立っています。 その脇から続く石段を登って鳥居の立つ所まで行くと、左右に通る道がありますが、 いずれも上にある境内へ続いています。 正面に続く石段を更に登って広めの境内に着くと、 正面には本殿と拝殿から成る第六社の社殿がありました。 本殿の屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 右側には小祠がありました。 記念碑に記されている神明社だと思われます。 左側には神輿庫と思われる建物もありました。 境内の左手には神楽殿があり、坂本町内会館も併設されているようでした。
第六社改修記念碑
鎮守第六社の祭神は面足尊・惶根尊の二柱であり、 神代七代の内、国常立尊より第六代目の神に当るので第六社と称されています。 大正6年1月15日、神明社の祭神天照皇大神を合祀されて居ります。 神社の創建は天正2年と言われ、小田原北條氏の一族甘縄左衛門太夫氏繁の請に依り、 讃誉牛秀上人が大善寺を創建するに当り、護法の守護神として建立されたと言われています。 再建は文化4年6月19日、松尾神社及び篠塚八幡社と共に同一職方に依り、三社同時に再建されたのであります。 この度の神社改修工事は社殿屋根を銅板一丈字葺く、本殿屋根に千木勝男木の新設、社殿の改修工事、 拝殿正面に御影石の石貼る工事、鳥居の再建、社号標の新設、神明社屋根の銅板葺替、 神楽殿の屋根葺替、神輿舎の新築、其の他、神社の当面為すべき工事は概ね完了致しました。 是れは偏に氏子並びに崇敬者の絶大なる奉賛に依り完成した次第であります。 仍て茲に祈念碑を建て、氏子一同の慶びを後世に伝えるものであります。
 (昭和59年9月15日 第六社 氏子中)
上矢部坂本公園
神楽殿の左脇から続く坂道を降っていきました。 左手に曲がって降っていくと、先ほどの鳥居の立つ所に戻ってきます。 その手前から右手に戻るようにして分かれていく坂道があったので、その道を降っていきました。 道路に降り立ってその先へ進んでいくと、すぐにカーブミラーの設置された分岐があります。 そこを左折して生け垣沿いに続く僅かな坂道を登っていきます。 突き当たりの民家の前を左折していくと、すぐに右手へと坂道が分かれていきます。 かなり傾斜のあるその坂道を住宅地の縁に沿って登っていきます。 傾斜が緩んだ所にある駐車場を過ぎた先から始まる幅の広い石段を登っていくと上矢部坂本公園に着きました。 出た所はグランド風になっていて、右手の先に遊具などがありました。 左手の一段高い所には桜の木が沢山植えられていて、綺麗な花を咲かせていました。
正面にある集合住宅の前を通る道路に出て左手へと進んでいきます。 僅かに登ってその先へ降っていきます。 左手から右手へとS字に曲がりながら降っていくと十字路があります。 右手の角にはちょっとした広場がありました。 左手には国道1号をくぐっていくトンネルが見えていますが、十字路を直進していきます。
来迎寺
登り気味に続く道路を進んでいくと、信号機の設置された交差点があります。 左手には道が二つ分かれていて、右手と正面の道を併せて五叉路になった交差点です。 左手には国道1号をくぐっていく矢部トンネルが見えていますが、正面に続く坂道を登っていきます。 谷矢部西町内会の掲示板を過ぎて石垣沿いに進んでいくと来迎寺バス停があります。 手前には「浄土宗来迎寺」と刻まれた石柱が立っています。 綺麗な花を咲かせた桜の木も生えていました。 その間に続く石段を登っていくと、すぐに来迎寺の境内に着きました。 正面には本堂があり、右手には庫裡と思われる建物がありました。 左手は墓地になっていました。 山号は「鏡映山」というようで立派な本堂でしたが、お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでした。
道祖神
来迎寺を後にして、緩やかな登り坂になった車道をその先へと進んでいきます。 しらかば幼稚園を過ぎて、左右に分かれていく道は見送って真っ直ぐに登っていきます。 谷矢部中央バス停を過ぎて道祖神前バス停まで来ると、道路の右手に道祖神がありました。 石碑は三つ並んでいて、その中のひとつには「梅と学童見守りぬ」と刻まれていました。 脇にはこの道祖神を建立した時に御賽銭を奉納した方々の氏名が記された看板もありました。 手前にはスイセンが綺麗な花を咲かせていました。 裏手には稲荷社と思われる小さな祠もありましたが立入禁止のようでした。
谷矢部池公園
道祖神を後にして、その先のT字路を直進していきます。 矢部小学校の所まで来ると、右手には谷矢部池公園の一部である谷矢部池が広がっています。 周囲には枝垂れ柳が沢山植えられていて良い雰囲気を醸し出していました。 池の畔の桜の木も濃い色をした満開の花を咲かせていました。 水面に頭を出した杭ではカメが日向ぼっこをしていました。 綺麗な色の錦鯉が泳ぎ、カモも沢山浮かんでいました。 左手にある車止めから園内に入ってデッキに降りてみると、 何か貰えると思うのか、すぐ傍まで寄ってきたりもしました。
(「谷矢部」は「やとやべ」と読みます)
池にはたくさんの生き物がすんでいます。 柵の内側に入らないでください。 つりは禁止です。
 (横浜市戸塚土木事務所)
公園使用の約束
○ごみを持ち込み、捨てない。
○お弁当・飲み物などの容器や包み紙は持ち帰る。
○犬の放し飼いはしない。
○自転車・バイクを乗り入れない。
○たき火など火を燃やさない。
○池にものを投げ込まない。
○池に外来魚・肉食魚を放さない。
 (谷矢部池公園愛護会)
池の左手に続く道へ入っていくと、せせらぎを流れる水が心地よい音を響かせていました。 せせらぎに架かる小橋を渡った右手には東屋があって、谷矢部池を見渡すことが出来ます。 この時にはハトが沢山集まってきていました。 何処かで飼われているのか野良なのかは分かりませんが、綺麗な色をしたニワトリも一羽歩いていました。 公園に来ていたおじさんから餌を貰おうと集まっているようでした。 左手には多目的広場のグランドがありました。
おねがい
谷矢部池には昔からたくさんのフナやメダカ、クチボソなどが住んでいました。 しかしいつの頃からは黒メダカと呼ばれた、この池独特のメダカが姿を消してしまいました。 それはブラックバス・ブルーギルと呼ばれるアフリカ産の肉食魚が誰かの手によって放たれ、 それが次第に増殖していく過程で、雑魚を食い尽くしてしまったのです。 私たちは、平成8年度の事業で池の改造を行い、メダカなどかつて住んでいた生き物が住める池としました。 さらに、生き残った七匹のメダカを保護してくれた、境木中学校の先生の指導で、 矢部小学校の子どもたちは養殖にはげみ、平成9年秋に1500匹が谷矢部池に里帰りできました。 しかし、来年・再来年、メダカが絶滅の道をゆくのか、それとも群れ遊ぶメダカの大軍団に再会でくるのか、 問題はこれからです。 外来魚・肉食魚をこの池に放さないよう、皆さんのご協力をお願いいたします。
 (谷矢部池公園愛護会)
せせらぎに沿ってその先へ進んでいくと、幅が広がって池のようになっていました。 ジャブジャブ池というようです。 その先には遊具設備が幾つか設置された子どもの遊び場がありました。 桜の花も咲いて、いい雰囲気になっていました。
みんなの公園。 みんなできれいに。 人に迷惑をかけずに遊びましょう。
 (戸塚土木事務所、公園愛護会)
子どもの遊び場を過ぎていくと、短い石段を登った所に小さな広場がありました。 ベンチも幾つか設置されていて、ひと休みしていくのに良さそうな所でした。 ここに「谷矢部池公園ご案内」と題した案内図があるので参考にしましょう。
谷矢部池公園ご案内
谷矢部池公園は、地域の民山と矢部小学校のお友達が一緒に考えてつくった公園です。 ホタルや横浜黒メダカ、トンボなどのいろいろな生き物がすみ、 これらの生き物とふれあうことのできる公園を目指してつくりました。
●谷戸の自然を大切に守り育てよう。
谷矢部池公園は、谷戸の地形と湧き水、溜池、樹林地などで構成されています。 これらは、たくさんの生き物が生きていくために、なくてはならないバランスのとれた自然です。 ひとりひとりが、大切にする心をもって利用し、生き物のにぎわう公園にしましょう。
●池の中の生き物を観察してみましょう。
池の中にはたくさんの生き物が生活しています。 水の中をのぞいてみましょう。 ただし、生き物を捕まえたり、驚かすようなことはしないでね。
●公園で見られる生き物
ヘイケボタル 横浜で最も多く見られるといわれるホタルで、昔はこのあたりでも見られたそうです。
ヨコハマクロメダカ 谷矢部池に古来よりすむ池固有種のメダカ。 短命で害魚に弱く、絶滅しやすいメダカです。
 (谷矢部池公園愛護会)
広場の先には湿地が続いています。 湿地の先には流れがあって、清水岩や手押しポンプもあるようですが、 手前には柵が設置されていて立入禁止になっています。
湿地保護区域
湿地帯は、あまりたくさんの人が入ると環境が変わってしまいます。 水辺の動植物が安心して暮らせるようにするため、フェンスの中は保護区域になっています。
※ゴミや石を投げないで、みんなで大切に守りましょう。
 (谷矢部池公園愛護会)
せせらぎに架かる短い木橋を渡っていくと、正面から右手にかけて竹林が広がっています。 鉄線柵に沿って右手へと進んでいきます。 少し柵から離れて進んでいくと、大きな樹木の間から横木の階段が始まります。 両側にはアオキや笹などが生い茂っていて、森の奥に入り込んだ雰囲気がしてきます。 鉄パイプの手摺が設置された横木の階段を登っていきます。
竹林
このモウソウ竹の林は、子供たちの学習のために活用することを目的としています。
※大切に育てていきましょう。
 (谷矢部池公園愛護会)
熊笹が生えていたりもする横木の階段を、ジグザグと曲がりながら登っていきます。 正面には竹林がありました。 先ほどあった案内図によると、この辺りは創造の森というようです。
引続き手摺が設置された横木の階段を折れ曲がりながら登っていくと、住宅地の脇にある広場に出ました。 ベンチなどが幾つか設置されているだけの静かな広場です。 左手から広場を出て、住宅の間を進んでいきます。
おねがい
草木を大切にしましょう。 公園の施設を大切にしましょう。 迷惑にならないようにあそびましょう。 犬の散歩には必ず綱をつけ、フンの後始末をしましょう。
禁止事項
花火・たき火・ゴルフの練習。 ごみ・たばこの投げ捨て。
 (谷矢部池公園愛護会)
降り坂になってきた道を真っ直ぐ進んでいくと十字路があります。 脇には踊場町内会掲示板が設置されていて、 傍には「NTT東原支 直4/7」の標識が取付けられた電柱も立っています。 そこを左折していきます。 すぐの所から右手に分かれていく道を見送っていくと十字路があります。 十字路を直進して登り坂になった道を進んでいくと、道端に送電線の鉄塔「南横浜火力線No.57」が立っています。
踊場(おどりば)駅
鉄塔を過ぎた先で道が二股に分かれていますが、右側の道を進んでいきます。 緩やかな道から降り坂になってくると、踊場交番前交差点に出ます。 左右に通っている道路は県道22号(長後街道)になります。 交差点を右折していくと、すぐの所に踊場駅(横浜市営地下鉄)の出入口があります。
(ここの出入口はエレベータだけになっていて階段はありません)
地下鉄の出入口の脇には「念仏供養塔」が立っています。 屋根も設置されていて丁寧に保存されています。 正面には「南無阿弥陀佛寒 念仏供養」、 右面には「三界萬霊等…」、左面には「相州鎌倉郡中田村…」と刻まれていました。 以前は踊場交番前交差点の脇にありましたが、道路の拡幅工事に伴って現在地へ遷されました。
手前の踊場交番前交差点は、前後に越えていく長後街道と、左右に続く鎌倉道が鞍形に交わる峠になっています。 山を切り開く形で戸塚と長後を結ぶ長後街道が大正時代の初期に建設されるまでは、 くねくねとした山道が続く峠の広場になっていたようです。 その広場に、夜な夜な猫が出没して踊っていたという昔話が残っています。 インターネットで調べてみると、 戸塚の水本屋という醤油屋の猫の話や、藤沢のかんべえさんの猫の話が見つかりました。 共通しているのは、集まってきた猫達が手拭を被って踊るという内容でした。 そんな出来事から、この辺りを「踊場」という呼ぶようになったと云うことです。
踊場の碑の由来
踊場の地名は伝説として古猫が集り毎夜踊ったので生じたと言はる。 この碑は猫の霊をなぐさめ住民の安泰を祈念して、近郷住民の総意にて元文2年(1737)造立し、 中田寺住職尊帰として開眼供養せられしものなり。 最近交通いよいよ激しく、長後街道と鎌倉道のこの交差路改修にて碑の移動に伴ひ、 本願の地区安泰と交通安全を祈願のため町内有志相計り、 住民各位の助成を得て慰霊塔を護持、祖先の意志を継承奉らんとするものである。 昭和61年11月3日に戸塚区から当地は泉区に変更になった。
 (中田踊場慰霊塔管理委員会)