富岡総合公園
散策:2010年03月上旬
【街角散策】 富岡総合公園
概 要 富岡総合公園は横浜市金沢区にある公園で、先の大戦では海軍の飛行艇隊が置かれた所です。 今ではその跡地が総合公園として整備され、 運動場のほかにも、樹林や展望台や広場などがある自然の豊かな所です。 今回は富岡総合公園を訪ねてから、富岡八幡公園や長浜公園を経て金沢緑地へと向っていきます。
起 点 横浜市 鳥見塚バス停
終 点 横浜市 産業振興センター駅
ルート 鳥見塚バス停…富岡総合公園…富岡八幡公園…富岡八幡宮…長浜公園…金沢緑地…産業振興センター駅
所要時間 3時間30分
歩いて... 歩き始めは雨上がりの曇天でしたが、天気は急速に回復して、一面に青空が広がってきました。 サクラ・ボタン・アジサイ・ツツジなどの花が咲く頃には綺麗な眺めになりそうです。 展望が広がる所があったり樹林の散策も楽しめます。 金沢緑地への道にも樹木が植えられ、雰囲気の良い緑地が続いていました。
関連メモ 金沢緑地
コース紹介
鳥見塚(とりみづか)バス停
新杉田駅(JR根岸線)の近くにある聖天橋バス停から、 [4]追浜車庫行きバス,または,[4]追浜駅行きバスにて5分、 平日には1時間に5本程度、週末には1時間に4本程度の便があります。
バスを降りてすぐ左手から富岡総合公園が始まっています。 手前にある鳥見塚交差点の向い側には「富岡総合公園」と刻まれた石碑が見えていますが、 バス停の脇から左手へ続く散策路へ入っていきます。
聖天橋バス停
新杉田駅の改札口を出て、正面に続く「アルカード新杉田」の商店街を真っ直ぐに進んでいきます。 突き当たりの右手の扉から外に出ると、新杉田歩道橋が架かっています。 橋を渡って向い側にある「ラビスタ新杉田」に入り、 右側の先にあるエスカレータで1階に降りて道路に出ると、左側すぐの所に聖天橋バス停があります。
富岡総合公園
散策路を進んでいくと、道端には桜の古木が並木を作っています。 赤色や白色のツバキが咲いていたりもしました。 そんな樹木などを眺めながら進んでいくと、「富岡総合公園」と題した案内板が立っています。 公園の案内図も載っているので参考にしましょう。 今回は園内を一通り巡ってから左上に描かれている「なぎさ橋」を渡って富岡八幡公園へと向っていきます。
富岡総合公園
所在地:金沢区富岡東2丁目9、 開園:昭和50年3月、 面積:21.9ha
貴重な旧水際線の雑木林が豊かに残るこの公園では、四季の移り変わりを体感することができます。 春にはヤマザクラやソメイヨシノ、四月下旬に咲くボタン、梅雨時のアジサイ、夏の森林浴、 秋には虫の音やプラタナスの黄葉、空気が澄む冬には展望台からのすばらしい景観を楽しむことができます。 芝生広場やプラタナス広場では、一面の草地と木陰の中でのんびりと遊んでください。 また、自然観察林では、コナラ、ヤマザクラ、タブなどの大木がうっそうとした樹林をつくりだし、 鳥や昆虫、四季の草花など富岡の自然を観察できます。 その他、アーチェリー場などのスポーツ施設、アスレチック広場の遊具など、 富岡総合公園との新しい出合いを発見してください。
 (環境創造局南部公園緑地事務所、富岡総合公園詰所)
案内板の立っているすぐ先にはレンガ広場があります。 文字通り、赤レンガが敷かれた広場で、ベンチが沢山設置されていました。 左手の車道の両側には石の門柱が立っていて、 「元横濱海軍航空隊隊門」と刻まれた表札が掲げられていました。
広域避難場所 富岡総合公園一帯
地震のときの火災は、想像以上に恐ろしいものです。 大火災から、私達の生命を守る場所、それが広域避難場所です。 「富岡総合公園一帯」は広域避難場所として土地所有者の御協力を得て指定したものです。 避難訓練等の際には次のことがらを守ってください。
1.非常の場合以外は農地、山林には入らないで下さい。
2.避難訓練等の際は土地所有者の承認を得て下さい。
3.ゴミや空缶を捨てたり、汚さないようにしましょう。
 (横浜市)
レンガ広場を過ぎて、左側の道路にある横断歩道を渡っていくと、北台川に小橋が架かっています。 脇には道標が立っていて、橋の先の坂道は「ケヤキ広場」、右手の道は「ボタン園」となっています。 小橋の先の坂道を登っていくとケヤキ広場があります。 正面はレンガ敷きになっていて休憩舎や遊具などがあり、 坂道から左側にかけてケヤキが沢山生えていました。
歩き始めは雨上がりで曇っていましたが、天気は急速に回復して、 この先の北台展望台から引き返してくる頃には、一面に青空が広がるようになってきました。
北台川
みんあで川を美しく
捨てるな、よごすな、みんなの川
 (横浜市下水道局)
ケヤキ広場の右手へ進んでいくと、手摺の設置された階段があります。 最初は二筋になっていますが、登っていくと1本になって狭まってきます。 そんな階段を登っていくと、高台に着きました。 登り着いた左手の高みには半球形のモニュメントがありました。 表面には丸い石が嵌め込まれてていましたがメッセージ等はなく、 何を意味しているのかはよく分かりませんでした。 ここから右側を眺めると、高台には草地が広がっていました。
草地を緩やかに降っていくと北台展望台があります。 展望台とは言ってもベンチが幾つか設置されているだけで、高い塔などはありません。 正面には横浜の海へと続く眺めが広がっていました。 この付近の海岸線の大正10年・昭和48年・昭和59年の地図も掲示されていました。 それによると、大正10年頃には、この地は水際になっていたようで、 その後の埋立てによって、海岸線から遠退いた様子がよく分かりました。
北台展望台
この展望台は、横濱の開港の地である関内地区の方角に向っています。 正面に見える根岸湾は昭和34年から根岸湾埋立事業として始まり、昭和46年までの12年間に610haが陸となり、 現在の工業地帯となりました。 左手に見える磯子地区にある斜面地の樹林が旧水際線で、埋立前の面影を残しています。 また、ここからは、みなとみらい21地区の象徴であるランドマークタワー・ベイブリッジ・つばさ橋など、 横浜の発展しつつある姿が一望できます。
北台展望台から車道まで引き返して横断歩道を渡ってくると、山際に階段が続いています。 案内図によると、自然散策路へ続いているようですが、まずは左手へと進んでいきました。 少し進んでいくと、道の脇に記念碑などがある一角がありました。 浜空神社というようで、その旨の石標もありました。 中へ入っていくとすぐに石碑があって、 表面には「題濱空」、裏面には「浜空の碑」の碑文が刻まれていました。 この車道に植えられている桜の古木は、往時の横浜海軍航空隊の手によって植えられたものだそうです。
題濱空
大鵬渡海奏奇功 離島守防意気隆 衆寡難勝嗟惨々 至誠不抜憶濱空
昭和四十六年十月二十一日 ソロモン ガブツ島ニ於テ 草鹿任一盃
浜空の碑
この地に原隊を有せし飛行艇隊元横浜海軍航空隊は昭和十七年八月七日未明 南太平洋ソロモン群島ツラギに於いて米軍の友攻上陸を受け 二昼夜にわたる死闘の末宮崎重敏指令他五百余名全員玉砕せり これらの人々の冥福と恒久平和を祈念してこの碑を建立す。
昭和六十一年四月吉日
桜の由来
この桜は昭和十一年拾月横浜海軍航空隊がこの地に開隊された時 隊員の手で植樹され大切に育てられたものである。
年々歳々花変らねど 征きて還らぬ戦友多かりき
奥の方の板塀で囲まれた所には「鎮魂」と刻まれた石碑があり、裏面には経緯が刻まれていました。 手前には「浜空神社の由来」という石碑もありました。 普通の神社とはかなり異なった様子ですが、2008年4月までは小振りながらも社や鳥居があったようです。 先ほどの「元横濱海軍航空隊隊門」の門柱でも分かるように、 先の大戦時には海軍の飛行艇の部隊があった所で、その跡地が富岡総合公園として整備されたようです。
鎮魂 海軍飛行艇隊 濱空神社の碑
此処に横濱海軍航空隊の戦没者、物故者二千余柱の英霊をお祀りしていた「濱空神社」がありました。 名称は、古事記の「石楠船神」又の名「天鳥船」に因み、 鳥は水鳥のように速く進むという意味の「船神」に由来するものです。 昭和十一年十月一日、この地に我が国における飛行艇部隊の本部として横濱海軍航空隊が開隊され、 以来、「九七式大艇」や昭和十七年には世界最優秀艇と謳われた「二式大艇」が開発され、隊員は日夜猛訓練を続け、 先の大戦におきましては華々しい戦果を挙げ、又の多くの隊員が祖国のために散華されました。 毎年四月と前線部隊がつらぎ島で玉砕された八月を記念して生存隊員並びに関係各位により、 濱空神社で慰霊祭を行い、英霊に対し、鎮魂と慰霊の誠を捧げて参りましたが、 戦後六十三年を閲し神社の社屋の老朽化と境内の清掃などの維持管理に当たる世話人の老齢化により、 誠に残念ではありますが濱空神社を今後も維持管理することが不可能となりましたので、 平成二十年四月六日の春の慰霊祭を最後に神社の社屋は追浜本町雷神社に移築して今後の維持管理をお願いし、 神社の跡地にこの石碑を建立することになりました。 石碑正面の記号は、飛行艇の記号に音楽の終止符を織り込み「休める飛行艇」を意味する濱空会のバッジです。 此処に謹んで英霊に対して鎮魂の誠を捧げ碑文を賦します。
平成二十年八月吉日 世話人代表 加藤亀雄
浜空神社の由来
昭和十一年十月一日、飛行艇隊の主力として、横浜海軍航空隊が当地に開設された。 その守護神として造営されたのがこの浜空神社である。 昭和二十年八月十五日、大東亜戦争終結後、当航空隊跡地は横浜市富岡総合公園として生れ変ったのである。 浜空会では、特に願い出て、戦没者の鎮魂と恒久平和を祈念して、浜空神社の修復復興をはかり、 全海軍飛行艇隊の戦没者殉職者、約二千柱の御霊を合祀した。 横浜航空隊は浜空神社を中心とした広大な陸上の敷地と現在埋立てられた根岸湾水上の飛行艇発着場を専有していた。 隊員約一千名、大型飛行艇二十四機を有する海軍最大の飛行艇専門航空隊として、その威容を誇ったものである。 今なお隊門附近の桜並木と飛行艇大格納庫が当時を偲ぶ面影を残し、訪れる者に静かに語りかけてくれる。 時局の推移に伴い横浜航空隊から新たに東港航空隊が分立した。 昭和十六年十二月八日大東亜戦争勃発するや、この両隊は直ちに第一線に出動した。 引続き第十四航空隊対潜専門部隊輸送教育等各精鋭飛行艇隊が、横浜空を母体として誕生し第一線に、又後方に配備され、 その強大な航続力を発揮して、洋上大遠距離の哨戒・攻撃・輸送・救出・作戦等を展開し、 ハワイ・印度・アリュウシャン・豪州・ソロモンにわたる広大な戦域を駆け巡って、勇戦奮闘した。 作戦上部隊名を八〇一空(横浜)、八五一空(東港)、八〇二空(十四空)、九〇一空(対潜)等に変更し、 戦争終期には兵力集中の為、詫間航空隊に全飛行艇隊を集結して、沖縄攻防戦に死闘を演じ、 満身創痍全力を尽し果たして、戦の幕を閉じたのである。 中でも横浜航空隊はソロモン最前線のツラギに進攻作戦中、強力な敵の反撃をうけて、 昭和十七年八月、宮崎司令官以下三三八名が壮烈な玉砕を遂げたのである。 富岡のこの地は、かくの如く誇りある海軍飛行艇部隊発祥の歴史をもっているのである。 この事実を永く後世に語り継がんが為、ここに記念碑を建立する次第である。
昭和六十三年一月 海軍飛行艇会 建之
浜空神社を過ぎていくと、右手に広場があります。 少し小高くなった所には苔がびっしりと生えていました。 高みはちょっとした梅林になっていました。 湧き水もあるようで、四角く囲まれた所から湧き出ていました。 奥の方には岩壁の上から水が流れ落ちていました。
わき水
水は地球上を循環しています。 地上に降った雨や雪は地中にしみ込み、一部は地下水になります。 その一部が自然に地表にわき出たのがわき水です。 この公園のわき水は、池や流れに利用されています。 きれいなわき水は生き物たちの命の源です。 大切にしましょう。
水の循環とわき水  雨や雪→ 地中にしみ込みます→ 砂や礫の層(水がしみ込みやすい)→ 粘土や泥の層(水がしみ込み難い)→ わき水→ 池・川→ 蒸発・発散
池・川の水は、さらに海へと流れ込みます。
なぜここにわき水があるのでしょう  台地から低地に落ち込むガケ地(急斜面)や谷の源流部にわき水は主にあります。 富岡総合公園のわき水もそのひとつです。
 (環境創造局南部公園緑地事務所)
注意
この水は飲料用ではありません。
この水は飲めません
湧き水と岩壁から流れ落ちた水が合さって小さな流れを作り、その先のへと続いていました。
このあたりで見られるアヤメ科の植物
ハナショウブ
[花菖蒲]
野生のノハナショウブをもとに多彩な園芸品種が作られました。 江戸系、伊勢系、肥後系などの系統があります。 花の色や形はさまざまです。 葉は花より高くはならず、中央の脈が盛りあがります。 高さ40〜100cm。6〜7月に開花。
アヤメ
[菖蒲]
葉の付き方が「文目」模様になっている等、和名由来には様々な説がある。 やや乾いた所に育つ多年草。 花びらの付け根に編み目模様がある。 葉の幅は狭く6〜10mm。 高さ30〜60cm。5〜7月に開花。
イチハツ
[鳶尾草]
アヤメ類の中で一番初めに咲くので「一初」といわれる。 きわめて歓送に強い多年草。 花は藤紫色でまばらに濃い色の小斑点があり、とさか状に白い突起がある。 葉はアヤメよりも幅が広く3〜4cm。 高さ30〜50cm。4〜5月に開花。
シャガ
[射干]
射干は本来は同じアヤメ科のヒオウギの漢名。 やや湿った日陰に生える常緑多年草。 花は白紫で黄色い斑点がある。 高さ30〜70cm。4〜5月に開花。
 (横浜市緑政局南部公園緑地事務所)
池・流れの利用について
池や流れの魚に餌をやらないで下さい。 水が汚れてしまいます。 ブラックバス、ブルーギル、コイ、ザリガニなどは池や流れに放さないで下さい。 水草やトンボのヤゴが食べられてしまいます。
 (環境創造局南部公園緑地事務所)
池の中のさかな・かめを獲らないで
 (環境創造局南部公園緑地事務所)
池の先へ進んでいくとボタン園があります。 牡丹と山桜が植えられているようですが、この時には花は咲いていませんでした。 その代わりに、梅の花が僅かに咲いていました。
牡丹と山桜
金沢区制45周年を記念して、金沢区の花「牡丹」と木「山桜」が多くの市民の皆様の意向を基に、 平成5年10月18日に制定されました。 「牡丹」は中国が原産地ですが、奈良時代から日本で栽培されています。 花は4月下旬から5月にかけて咲きますので、その豪華な姿をお楽しみください。 「山桜」は日本原産で、春に葉と花を同時に開くのが特徴です。 園内の斜面樹林地や区内の山林みも多く見られますので、散歩のおりに探してみるのも楽しいでしょう。 牡丹も山桜も美しい花が魅力的です。 緑あふれる街、金沢区のシンボルとして大切にいたしましょう。
 (横浜市環境創造局、金沢区役所)
ボタン園を過ぎていくと四阿がありました。 屋根はエコルーフになっているようです。 右手のせせらぎには観察デッキが設けられていて、せせらぎ沿いを歩けるようになっていました。
探してみよう
以前からこのあたりではオニヤンマ、モンキアゲハ、シジュウカラなど、 いろいろな種類の生き物を見ることができます。 これらの生き物や自然を守るとともに、より多くの生き物がすめるように工夫や仕掛けを新たにつくりました。 今まで見られなかった生き物がすみつくようになるかもしれません。 どんな生き物がいるかそっと探してみましょう。
石積み 流れの岸にあった石を利用してつくった場所もあります。 石積みは穴やすきまが多く、アリなどの昆虫やトカゲ、ヘビなどの小動物、 カタツムリ、ナメクジなどの格好のすみ家となります。
エコルーフ 四阿の屋根はエコルーフになっています。 これは周りにある土を種や植物ごと屋根に盛ったものです。 風や鳥によっても種が運ばれ、いろんな種類の草が生い茂ります。 ここはチョウなどの昆虫のエサ場、産卵場などになります。
カントリーヘッジ カントリーヘッジは伐採した枝葉を利用した柵です。 すきまがたくさんあり、ハチやアリなどの昆虫のかくれ家やエサ場、産卵場などになります。 鳥たちも虫を食べにやってきます。 キノコも生えてきます。
いろいろな水辺 流れや池の水辺はいろんなもので出来ています。 荒木田土(粘土)、砂利、石、丸太杭、粗朶(櫟の枝を利用)などを使っています。 また、いろんな種類の水草が植わっています。 いろんな種類の水辺があるだけ、いろんな種類の生き物がすむことができるのです。
池や流れの向こう岸は生き物たちがあんしんしてすむことができる自然保護区域です。 入らないで下さい。
 (環境創造局南部公園緑地事務所)
ボタン園の先にはプラタナス広場がありますが、 手前の横断歩道の山際にあった階段の所まで引き返してきます。 山を切り開くようにして続く石積みの階段を登っていきます。 ちょっとした踊場を過ぎて更に登っていくと広場に出ます。 右側は住宅地になっていて公園への出入口がありますが、広場を真っ直ぐ進んでいきます。
幅の広い横木の階段を登っていくと、二つ目の広場に着きます。 中ほどには道標が立っていて、右手の道は「多目的運動広場」、今登ってきた道は「桜並木」となっています。 広場は左側にも続いていますが、道標には何も示されはいません。 始めに見かけた案内図によると、左手の先には自然散策路があるようなので、ちょいと歩いてみることにしました。
左手へ進んでいくと、浅くU字形に抉れた所がありました。 道標類は見かけませんでしたが、どうやらそこが自然散策路の入口のように思えたので、 落葉が積もった山道を降っていきました。 右手の高みへ登っていく道に「立入禁止」の貼り紙がある所まで来ると、 道は左手へ鋭角に曲がって横木の階段を降っていきます。 階段は程なくして終わって、雑木林の斜面を降っていきます。 右手に曲がって、しっかりとした縦杭の階段を降っていくと、その下は広場になっていました。 広場は左手へと続いていて、道路から登ってきて最初にあった広場へと続いていました。
広場から再び横木の階段を登って道標が立っていた広場まで戻り、 「多目的運動広場」の道標に従って進んでいきます。 左へ曲がりながら続く広い尾根道を進んでいくと、石畳の坂道になってきます。 正面にある小さな広場の手前から右手へ曲がっていく坂道を更に降っていくと、多目的運動広場がありました。 誰でもが自由に使える訳ではなくて、管理運営委員会に登録した団体で、 指導者などが引率する団体に限られるようです。 この時には誰も使用していませんでした。 周囲は金網柵で囲まれて施錠されていました。 この先にはトチノキ並木が続いていて、テニスコートアーチェリー場がありますが、 ここから左手に分かれていく坂道を降っていきました。
降り始めはかなりの傾斜があります。 道の左側には細い水路があって、水が流れていました。 道端にはアジサイの木が沢山植えられていて、この坂道はあじさい坂というようです。 この時には若葉を伸ばし始めていましたが、花の季節には綺麗な眺めになるのでしょう。 傾斜が少し緩やかになってくると、右側にも水路が続くようになります。
緩やかになった坂道を降っていくと、ボタン園とプラタナス広場の間に降り立ちます。 ここにも公園の案内板があるので参考にしましょう。 右手に広がるプラタナス広場を進んでいきます。
公園利用の皆さんへ
富岡総合公園は、豊かな自然の残る公園です。 四季の変化を味わいながら、広場・園路をご利用ください。 また、みんなで楽しく公園を使うために次のことに注意してください。
1. ゴルフの練習・野球は危険なのでやめましょう。 少年野球・少年サッカーは多目的運動広場で行いましょう。
2. 犬を散歩させるときは、必ず綱・鎖等でつないでください。 また、フンは必ず持ち帰って下さい。 (公園内に放置したり、埋めたりしないで下さい)
3. ゴミは、家に持ち帰りましょう。
4. ロケット花火やバクチクなどの大きな音のでる花火は、他人に迷惑になるのでやめてください。
5. 樹木や草花を大切にして、採集などはやめましょう。
6. 車、バイクでの乗り入れはできません。
7. 販売や募金、広告物などの掲出はできません。
 (環境創造局南部公園緑地事務所)
公園内でバーベキューは禁止されています
 (南部公園緑地事務所)
富岡鳥獣保護区区域図
この区域は鳥獣の捕獲が禁止されております。 鳥獣の保護にご協力をお願いします。
 (神奈川県)
プラタナス広場を過ぎて車道沿いに進んでいくと駐車場があります。 ここにも公園の案内板があります。 散策路は駐車場を横切って車道沿いに更に続いていますが、 右手の上に見晴らし台があるので立ち寄っていくことにしました。
自然観察林
富岡総合公園の多くの面積を占める樹林地は、 コナラ・ミズキなどを中心とする落葉広葉樹林によって構成される雑木林です。 高木層にはシイなどの常緑広葉樹も混在して、林内にアオキが繁茂しています。 また、鳥類や昆虫などについても多くの種類が生息し、 トビやイワツバメ、ヒヨドリ、ツグミ等や、池もあるので、 オニヤンマをはじめとするトンボ類、アオスジアゲハなどを見ることができます。
高木層…ケヤキ・タブノキ・ミズキなど
低木層…アオキ・シロダモ・ヤツデなど
林 床…ヤブソテツ・ベニシダなど
富岡・長浜風致地区
富岡総合公園から長浜を経て柴町に至る旧海岸線に残された良好な緑を中心として、 それらに包まれた住宅地を取り入れた区域です。 風致地区内で次の行為を行う時は事前に市長の許可を受けてください。
(1)建築物の建築その他耕作物の新築、改築、増設または移転
(2)建築物などの色彩の変更
(3)宅地の造成、土地の開墾その他の土地の形質の変更
(4)水面の埋立又は干拓
(5)木竹の伐採
(6)土石の類の採取
(7)屋外における土石、廃棄物又は再生資源の堆積
なお、この地区では、風致の維持向上のため植栽等の配慮をお願いしています。
 (横浜市建築局建築企画課)
鎖が張られた車止めを過ぎて、その先に続く坂道を真っ直ぐに登っていきます。 両側に石垣が続くこの坂はつつじ坂というようです。 道の傍にはそれらしい木は見かけませんでしたが、左右の林の中にあるのでしょうか。
坂道を登って緩やかになってくると、正面に小鳥の広場があります。 周囲を樹林に囲まれた静かな広場で、ベンチが沢山設置されていました。 道は広場の手前から左手へと続いています。
守ろう・大切な自然
横浜では自然と生き物にふれあう事業を進めています。
ムクドリ 白い顔に黒っぽい体。オレンジ色のくちばしと足。飛ぶと腰と尾の先の白がよく目だつ。
ヒヨドリ ヒーヨ、ヒーヨという鋭く大きな声でよく鳴く。尾が長く体つきはスマート。
メジロ スズメより小さな黄緑色の小鳥。名前のように目に白い輪がある。動きは早くすばやい。
ツバメ 光沢のある濃紺の背と白い腹のコントラストがきれい。細く2つに分かれた燕尾が特徴。
オナガ 名前のように長い尾。黒い頭に、水色の背、翼、尾がきれい。リューイなどと鳴く。
シジュウカラ 白と黒のコントラストがきれいな小鳥。白い腹にはネクタイのような模様が目だつ。
キジバト デデッポッポーと、のどかに鳴く。翼にはウロコ模様、首筋に青い斑点が目だつ。
カワラヒワ スズメ位の緑がかった茶色の鳥。飛ぶと翼の黄色い大きな斑点がぱっと目だつ。
アゲハチョウ 黄色と黒の模様がはっきりした大きくてきれいなチョウ。ミカンの仲間の木に卵を生む。
シロスジカミキリ 灰色の体に黄色いすじがあり、長い触角の大きなカミキリ。キイキイという音を出す。
コクワガタ 雑木林で生活する。名前のように小型の黒いクワガタ。牙もあまり大きくない。
アブラゼミ 茶色の大きなセミ。数も多く、夏になると「ジリ、ジリ、ジリ…」とうよく鳴く。
ミズキ 荒れ地にまっさきにはえてくる木。[花期]5〜6月。[果期]10月〜11月。
ケヤキ ホウキ形の雄大な樹形。[花期]4〜5月。[果期]10月。
クヌギ 日本一りっぱなドングリ。[花期]4〜5月。[果期]10月。
コナラ 雑木林の代表種。秋の恋うようが美しい。[花期]4〜5月。[果期]10月〜11月。
 (横浜市環境創造局、監修:日本野鳥の会)
再び傾斜が増してきた坂道を登っていくと、左手に分かれていく坂道があります。 角には道標が立っていて、正面の道は「アーチェリー場」、 左手に分かれていく石畳の道は「見晴らし台」、今登ってきた道は「駐車場」となっています。 正面の道はアーチェリー場テニスコートを経て、 トチノキ並木から多目的運動広場へと続いていますが、 今回は左手の道から見晴らし台へ向っていきました。
石畳の坂道を進んでいきます。 突き当たりを左折していくと、坂道と木橋に分かれています。 いずれの道も見晴らし台へと続いていますが、今回は右手の坂道を進んでいきました。
見晴らし台から引き返してくると、左手の木橋の所に戻ってきました。
坂道をひと登りするとすぐに広場がありました。 見晴らし台の一段低い所にある広場のようです。 広場の先の坂をひと登りすると見晴らし台がありますが、 右手の山へ分かれていく横木の階段が気になったので、ちょいと登っていきました。 特に何がある訳でもなくて、左へ曲がって緩やかに進んでいくと、見晴らし台に降り立ちました。
「見晴らし台」と言っても高い塔などはなく、柵が続くばかりの広場になっていました。 目の前には、横浜の街や東京湾を望む眺めが広がっていました。 この時は雨後に急速に天気が回復して空気が澄んでいたのか、 東京湾の奥には対岸の木更津方面のコンビナートが、 左手の奥にはランドマークタワーもよく見えていました。
見晴らし台
ここからは、近くにはシーサイドタウンや横浜ベイサイドマリーナ、そして金沢の海が一望でき、 天気のよい日にはつばさ橋、遠く木更津市・君津市・富津市などの工場群や 房総半島の山々を眺めることができます。 金沢区の臨海部は、昭和40年代から始められた埋立事業によって自然の海岸の多くが埋め立てられ、 新たな町に生まれ変わりました。 現在、富岡総合公園は内陸部に位置していますが、 埋立が始まる前は、見晴らし台前面の斜面が海岸線で、眼下に広がる街並みは金沢の海でした。
見晴らし台からの眺めを確認して、広場の左手に続くコンクリート舗装路を降っていきました。 手前にあった先ほどの広場を回り込むようにして左へ曲がりながら降っていきます。 最後に僅かな横木の階段を降っていくと緩やかな道になってきました。 広場の一段低い所に続く緩やかな道を進んでいくと、凸凹した所を過ぎていきます。 その先へ進んでいくと、先ほどの木橋の所に戻ってきました。
小鳥の広場やつつじ坂を経て駐車場まで引き返してきて、 その先へ続く車道沿いの歩道を進んでいきます。 道路向いには県警第一機動隊の建物が続いていました。 その入口を過ぎていくと、右側にクスノキ広場がありました。 広場の中に続く遊歩道へ入っていきます。 並行するようにして舗装されたサイクリングロードも続いていました。
左側に車道が並行するようになると、向い側には集合住宅が建ち並ぶようになります。 緑地に続く遊歩道を進んでいくと、砂場や遊具などが設置された所がありました。 そこを過ぎていくと芝生広場に出ました。 ここにも公園の案内板がありました。 遊歩道は広場の左手を回り込むようにして続いています。 少し進んでいくと、広場の中を通る道も分かれていました。
道具であそぶときのおやくそく
じゅんばいをまもる。 すなあそびのあとはかならずてをあらう。 ちいさなこにきをつける。 はんたいからのぼらない。 うえからものをなげない。 たくさんでのらない。 てをはなしたりとびおりたりしない。 うごいているゆくぐにちかづかない。 こわれているゆうぐであそばない。 フードつきのふくはきない。 マフラーやストラップははずす。 くつひもはむすぶ。サンダルははなかい。 カバン・ランドセルははずす。
幼児が遊ぶ場合には、保護者の方が必ず付き添ってくださるようお願いします。 遊具には、その年齢の平均的な運動能力であれば安全に遊べる目安となる年齢を表示したシールを貼っています。 特に、お子様が対象年齢に満たない場合は、常に保護者の方の手が届くところで見守ってください。
 (富岡総合公園<遊具がこわれていたら連絡してね>南部公園緑地事務所、横浜市)
芝生広場の周囲に沿って進んでいくと、アスレチック広場がありました。 木製の大型遊具が幾つか設置されていましたが、この時には誰も遊んでいませんでした。 その先には東屋も建っていました。
左手に並行していたサイクリングロードと接するようになった坂道を登っていくと道標が立っていて、 右手は「芝生広場」、今来た道は「アスレチック広場」、この先の道は「富岡八幡公園」となっていました。 道標を過ぎていくと、東富岡連絡道なぎさ橋が架かっています。 サイクリングロードと遊歩道が分かれた形にはなっていますが、仕切りは特にありません。 これまで続いてきた富岡総合公園はここで終わりになります。
富岡八幡公園
なぎさ橋を渡っていくと富岡八幡公園になります。 松並木の道を緩やかに降っていくと、右側にログハウスがありましたが、 この時には誰もいない様子でした。
ログハウスをつかえる人は幼児・小学生・中学生です。 小学校にあがるまえの子は大人の人といっしょに来てください。
あいている時間 午前9時から午後5時まで
休みの日 年末・年始、その他毎月第3月曜日休館日。
台風や大雪の日お休みになることがあります。
ログハウスを過ぎていくと車道沿いに続くメタセコイヤの並木道を進むようになります。 サイクリングロードから少し離れて、大きな松などが生える公園の中を進んでいくと、 右側に柵で囲まれた一角がありました。 中には「記念碑」と刻まれた石碑がありました。 金沢の海が埋立てられることになった経緯などが記されていました。
由来
この地には奈良時代の昔から先人の営みがあった。 私達富岡漁業協同組合員は波除け八幡の守護のもとに、 父祖が心をあわせて拓いた幸多い海と富める土地、そして勇壮華麗な由緒ある祇園船の行事など、 数々の文化を連綿と受け継ぎ守り育ててきた。 昭和四十六年一月二十九日大英断をもって本邦随一の薫り高い海苔を育てた私達の海が、 金澤地先埋立事業のため新しい大地に生まれかわることに合意した。 ここは遠く房総の山竝を望み緑豊かな松竝木と富岡漁港があり、 清らかな水が湧き海に注ぐところであった。 かってこの地先の海を竝木の漁場と呼んでいた。 今ここにゆかりの町名として、竝木・幸浦がある。 さらに往年を偲ぶよすがとして、また後代子孫の彌栄を祈念してこの碑を建てる。
昭和五十三年四月吉日 富岡漁業協同組合建之
富岡八地区土地管理会のあゆみ
当会は、新都市交通の南部市場駅西側に位置する埋立地三阡坪(当時の富岡漁業協同組合員等七十名の持分共有地)を 管理運営する為に設立されました。 昭和三十八年五月に横浜市埋立事業工事八地区(現在の鳥浜町一帯)約四拾参万坪に於ける漁業補償交渉が始まり、 補償の一部として昭和四十三年に有償で組合員が横浜市より買い取りました。 その後富岡漁業協同組合員当内に土地管理会を設置し、運営を続けました。 昭和六十三年三月に組合を解散した後は独立した組織となり、会員の経済的安定に大いに寄与しましたが、 平成五年十二月に横浜市の開発計画の為に最終譲渡し、その目的を完了し解散となりました。 本来なら現地に記念碑を建立する所ですが、 諸般の事情により親組織である富岡漁業協同組合の記念碑に併設させて頂きました。 尚この間、原田港湾作業株式会社に於ては、十五年間契約を守り協力されたことに深く感謝するものであります。
平成六年三月 会長 大胡一夫 記
富岡八幡宮
記念碑の左手には朱塗りの鳥居が立っています。 その先へ続く階段を登っていくと富岡八幡宮がありました。 手前には解説板が並んで設置されていました。 豊かだった金沢の海を象徴しているのでしょうか、 釣り竿と大きな鯛を持った「蛭子尊」の像もありました。
横浜市指定天然記念物 富岡八幡宮の社叢林
社殿の北東急斜面は段丘状で、土壌のやや厚いところに、 シダ植物が林床に豊富に生育しているスダジイ林(ホソバカナワラビ−スダジイ群集)が発達している。 このスダジイ林は高木層が18メートルにも達している。 斜面の下部にはタブ林(イイデ−タブノキ群集)が生育している。 海岸側は、高木層にはクロマツが生育したマサキ−トベラ群集がみられ、 これらの生態系は、まだ十分維持されている。 横浜市内はもとより、関東地方のかつての海岸沿いで、 土壌条件の豊かな斜面を被っていたスダジイ林(ホソバカナワラビ−スダジイ群集)は、 今ではその生育地が極めて限られている。 関東地方を北限とする常緑広葉樹林の一つのタイプとして、この社叢林は重要である。
 (横浜市教育委員会)
横浜市指定無形民俗文化財 祇園舟
祇園舟は富岡八幡宮に伝わる特殊神事で、古来、旧暦6月15日に行われていた夏越の祓の神事で、 市の東南端海岸部に伝わる類似の行事の中でも最も古い伝承を持つ行事です。 青茅で作った長さ70センチ、幅50センチほどの楕円形の舟にお供え物として折敷に小麦の粒を敷き、 その上に大麦の粉で作っただんごを置き、麦麹で醸した甘酒をかけたものを乗せ、 舟縁には一年分12本の御幣を並べ立て、中央には大きな御幣を並べ立てて、沖合遠く流します。 青茅の舟と御幣に一年間の罪穢を託して流し遣る夏越の祓と、収穫した麦の初穂を海の神にお供えし、 五穀の豊穣と海の幸の豊漁に感謝する要素が一緒になったものといわれます。 八幡丸・弥栄丸と呼ばれる二隻の艪舟で行われ、 沖合の潮の流れのよいところまで進むと二隻の間から茅舟を放流し、 帰路は岸まで全速力の競漕で帰る勇壮なもので、 宮の前が埋立てられた今日でも優雅な雅楽の音とともに昔ながらにとり行われ、 無形民俗文化財として貴重です。
 (横浜市教育委員会)
本梵鐘は青銅製の鋳造品で、江戸梵鐘の形式に移る時期の和鐘です。 銘文によると明暦2年(1656)に当時の家老や代官・名主が連名で願主となり、 領主八木但馬守宗直と子息の武運長久子孫繁栄を願ったもので、 「新編相模国風土記稿」にも当社に梵鐘と鐘楼を八木氏が寄進したことが記されています。 戦時下の金属供出のため、江戸前期の梵鐘は極めて少なく、 文献に記され現在まで同じ場所に伝えられているという伝来性は、貴重な存在です。
 (横浜市教育委員会)
社殿の周囲は朱塗りの塀が取り囲んでいました。 拝殿には「正八幡」の扁額が掛かっていました。 奥にある朱塗りの本殿は、「覆殿」の中に収められていました。 右側には札所などがありました。
富岡八幡宮御造営記念碑
当宮の造営は、天正・慶長・寛永などの棟札に残されており、 現在の本殿は天正14年(桃山時代)の造営で、当時は柿葺の本殿に覆殿を備えた壮麗なものでしたが、 大正13年関東大震災の翌年、側面の崖崩れにより、本殿の覆殿と茅葺の拝殿が崩壊しました。 拝殿は大正15年に再建致しましたが、年月えお経て社殿全体の損傷が著しく進んでおりました。 本造営の趣意は、社殿の復興と改修、境内地の整備により、祭礼行事や参拝の利便性を計り、 又社務所の建設により、氏神様が地域の文化拠点としての機能を発揮できるよう行ったものであります。
竣工・遷座祭 平成14年8月4日
 (富岡八幡宮社家 第二十七代孫宮司、発起人代表 富岡八幡宮責任役員奉賛会会長)
横浜市指定有形文化財(絵画) 絹本著色 八幡神像 一幅
縦99.8cm 横42.6cm
白地に瑞雲文の束帯を着け、右手に矢、左手に弓を持ち、太刀を身に付けた若々しい神像である。 裏箔、裏彩色を施した華麗な描法で、唇や耳の表現などは、桃山期の武将像に似かよっている。 沓などに若干の補彩が見られるものの、総じて原初の姿を残し、 全国的に見ても、当代における肖像画の秀作の一つに数えられる。
 (横浜市教育委員会)
鬼門の祓
富岡八幡宮は、建久2年(1191)源頼朝公が鎌倉幕府の守護神として、 鶴岡八幡宮を中心に幕府の勢力範囲に幾つかの神社を祀ったうちの一つである。 当宮は鎌倉の鬼門の方向の海に面した形の良い小山に、鬼門へ向けて祀られており、 幕府の厄災防除の神として祀られた神社である。 この御由緒に因み、当宮では「鬼門の祓」の御札を授与している。 他、祇園舟(夏越の祓)や湯立て神楽など、祓を主とした特殊神事が伝えられている。
富岡八幡宮から引き返してきて、その先に続く石垣に囲まれた道を進んでいくと十字路があります。 そこから右側に続く幅の広い石畳の道を進んでいきます。 両側には並木が続いて雰囲気のいい道になっていますが、 遊歩道にしては広すぎるように思えて、何だか落ち着きませんでした。
僅かに登ってから降っていくと、左右に通る車道の向こう側には水面が広がっていました。 埋立地の中に残された入江のような感じの所で、富岡川で東京湾まで続いているようです。 港という雰囲気でもなさそうだし、何に利用されている所なのかはよく分かりませんでした。
車道沿いに続く松並木の遊歩道を更に進んでいきます。 赤レンガ敷きになった遊歩道を進んでいくと、車道と遊歩道が左右に離れていきますが、 左へ曲がっていく車道沿いの歩道を進んでいきます。 車道沿いを進んでいくと、「富岡・長浜風致地区」と題した看板が立っています。 横浜市富岡並木地区センターや聖星学園の建物を過ぎていくと、金沢総合高校北側交差点があります。 右側の角にはグランドがあって、入口には「富岡八幡公園」と書かれた石柱がありました。 富岡八幡公園はこの辺りで終りになるようです。 交差点の先を流れる富岡川に架かる東浜橋を渡っていきます。
富岡川
明るい街 きれいな川
 (横浜市下水道局)
公園利用のみなさまへ
ほかの利用者やご近所に迷惑となることはやめましょう。
○バイクの乗り入れは禁止です。
○かたいボールを投げるなどの危険なボール遊びはやめましょう。
○犬をはなさないでください。
○犬のフンは、必ず飼い主が家へ持ち帰ってください。
○ネコやハトなどにエサをあげないでください。
○ロケット花火やバクチクなど、大きな音の出る花火は禁止です。
○ゴミは持ち帰り、みんなで明るく美しい公園しましょう。
公園はみなさまのものです。ルールを守って使いましょう。
 (金沢土木事務所)
長浜公園
地区センターバス停を過ぎていくと金沢総合高等学校の校門があります。 校門を過ぎて、高い金網柵が設置されたグランドに沿って進んでいくと、金沢総合高校前バス停があります。 駐車場の所までくると、その先には長浜公園が続くようになります。 車道沿いの歩道から離れて園内の散策路へ入っていくと、芝地になった多目的広場がありました。 運動広場とも言うようです。 手前には公園の案内板があるので参考にしましょう。 使用するには予約が必要で、有料のようでした。
長浜公園運動広場 利用の皆様へ
芝生へは、利用時間になってから入って下さい。
指定場所以外(芝生養生地域など)は使用しないで下さい。
フェンスに向かってボールを蹴らないで下さい。
ゴールの片付け等は、交代時に利用者間で話し合って下さい。
また、最終時間帯の利用者の方は、ゴールを所定の置き場所に戻して下さい。
利用時間終了後は、次の利用者の方々のために、すみやかに退場して下さい。
最終時間帯の終了10分後には門を施錠します。
それまでに広場から退場して下さい。
ゴミ、吸い殻等は、利用者の方が片付けて下さい。
 (南部公園緑地事務所 長浜公園)
多目的広場の先には庭球場や野球場もあります。 長浜公園の中でも、この辺りは運動施設地区というようでした。 庭球場の前には管理棟やレストハウスや砂場などがありました。 東屋風のものもあって、ひと休みしていくのに良さそうでした。 この時には鳥の群れが地面を歩いていました。 嘴が橙色で、脚が黄色の小さな鳥でしたが、名前は分かりませんでした。
この付近でみられるおもな野鳥
コジュケイ(キジ科)、ツグミ(ヒタキ科)、キジバト(ハト科)、ヒヨドリ(ヒヨドリ科)、ムクドリ(ムクドリ科)、オナガ(カラス科)
この公園は、野鳥が多く集まるように次のような工夫がなされています。 そのひとつは、野鳥が水を飲んだり、水を浴びたりする場として、バードバスが設けられていることでうs。 また、この公園には、野鳥の好む木が植えられています。 野鳥は害虫を駆除したり、周囲の環境にうるおいをもたらしてくれます。 利用者の皆様も野鳥の生息環境を守るため、樹林地内には入らないようご協力ください。
水路に斜めに架かるすいれん橋を渡っていくと、「長浜公園」と刻まれた石碑の設置された入口があります。 右手には子供の遊び場が広がっています。 正面に続く花ゲートが設置された並木道を緩やかに登っていくと、 横浜横須賀道路に架かる長浜公園連絡橋を渡っていきます。 橋を渡っていくと、正面に「長浜公園・野鳥観察園」と題した案内板があります。 野鳥観察園案内図も載っているので参考にしましょう。 淡水池・汽水池・干潟・アシ原などがある公園になっています。 池の周囲には「観察小屋」と称する観察窓付きの塀が四つあります。
長浜公園・野鳥観察園
長浜公園の歴史
「長浜公園・野鳥観察園」にある大きな池は、明治28年、長浜検疫所開設時につくられた船たまり(港)あとで、 現在ある公園敷地のほとんどは海の中でした。 昭和40年代後半になると七沢沖の埋立がはじまり、「長浜公園」は埋立事業当初より、 計画的に公園として配置されました。 そこで、水路によって海とつながり、潮の満ちひきによって水位が変わる大きな池を活かし、 ヨコアマではじめての人工干潟をつくり、すぐれた自然環境を楽しめる公園として整備しました。
長浜公園鳥獣保護区区域図
この区域は鳥獣の捕獲が禁止されております。 鳥獣の保護にご協力をお願いします。
 (神奈川県)
少し右手から坂道を降っていきます。 雨後で滑りやすくなっていたので、足元に注意しながら慎重に降っていくと、 アシが生える流れに木製の小橋が架かっていました。 橋を渡っていくと、ちょっとした広場の先にアシ原観察小屋がありました。 塀には観察用の小窓が幾つか開いていて、池を眺められるようになっています。 観察窓から覗いてみると、手前のアシ原の向こうには汽水池が広がっていました。 池の中ほどの中島の周囲には水鳥が沢山浮かんでいました。 「ここで見られる野鳥」と題した案内板もありましたが、表面が剥がれていて、ほとんど読めなくなっていました。
野鳥観察のナマ−を守ろう!
・観察窓は、譲りあって使いましょう。(写真撮影などで長時間一人占めしない事)
・鳥を驚かさないように注意しましょう。
・鳥にエサを与えてはいけません。
・観察窓からゴミを捨てないでください。
・ゴミは持ち帰ってください。
・たばこのポイ捨てはいけません。
 (企画・海と森のコミュニティグループ)
アシ原観察小屋から引き返して、長浜公園連絡橋を渡った所の左手へ進んでいきます。 集合住宅が近づいてくると道が二股に分かれていますが、池の周囲に続く右側の道を進んでいきます。 両側に草地が続く雰囲気の良い道を進んでいくと十字路があります。 その右手の先に淡水池観察小屋があります。 右手には淡水池があるようですが、正面に広がる汽水池の方が目立っています。 汽水池に浮かぶ中島がなかり近くに見えました。 ここにも「ここで見られる野鳥」と題した案内板がありましたが、 先ほどと同様に、表面が剥がれていて読めない箇所がかなりありました。
更に進んでいくと汽水池観察小屋があります。 先ほどと同じような雰囲気の所でした。 ここにも「ここで見られる野鳥」と題した案内板がありました。 先ほどよりもマシでしたが、表面が剥がれていて読めない箇所もかなりありました。 各観察小屋に設置されている野鳥の案内板はどれも同じ内容なのかと思っていると、 載っている鳥は少しずつ違っているようでした。 ほんの僅かしか離れていないにも係わらず、観察できる鳥が違っているということなのでしょうか。
ホントはこんな大きさ
遠くから見ていると、野鳥の本当の大きさというのはわかりにくいものです。 また、図鑑に出ている「全長」というのは、くちばしの先から足の先までをのばしてはかったもので、 見た目の大きさとは違います。 そこで、実物大のシルエットをここにならべてみました。 みなさんが考えていた大きさと比べていかがでしょうか?
レンガ敷きになってきた道を緩やかに降っていくと小広場がありました。 長浜公園はここで終りになるようです。 ここにも「長浜公園・野鳥観察園」と題した案内板があります。 左手は公園の出口ですが、右手の先に干潟観察小屋があるので立ち寄っていきました。
大きな木戸を過ぎていくと、道幅が広がった所に干潟観察小屋がありました。 小屋自体はこれまでのと同じ構造をしています。 ここにも「ここで見られる野鳥」と題した案内板がありました。 先ほどのと同様に、表面が剥がれていて読めない箇所もかなりありました。 観察窓から覗いてみると、汽水池から流れ出た水路が続いていました。
野鳥を撮ろうというのでしょう、 600mmF4の超望遠レンズ付きの一眼レフカメラを手に持ったお兄さんを見かけました。 何でも合計で7kgほどあるのだそうで、丈夫そうな体つきをしていました。 私などでは到底持って歩けそうにもありません。
干潟と汽水池
この野鳥観察園には、淡水池の他に、横浜市の公園ではただ一つの汽水池があります。 汽水とは、少し海水が混ざった水のことです。 この池は海とつながっており、潮の満ち引きにつれて水位がかわり、 引き潮のときには干潟もできるようになっています。 干潟は、野鳥が冬越しや渡りの途中で、栄養をたくわえるのに利用する場所です。 干潟にくる野鳥の食べものには、カニ、貝類、ゴカイなどです。 それらの小さな生き物たちは、満ち潮によって運ばれてくる豊かな栄養を利用して生きています。 そして、水に浮いたものをこし取って食べたり、泥の上につもったものを食べたりすることによって、 水をきれいにする役目を果たしています。 また、干潟に含まれる水には酸素も多く、多くの生き物を養うのに役だっています。
レンガ敷きの小広場に戻って車道へ出ていくと、なぎさ団地前交差点があります。 信号を渡っていくと、右手を流れる長浜水路沿いに散策路が続いています。 樹木が植えられた散策路を進んでいくと、やがて車道に合流します。 道路の左側に渡って歩道を進んでいくと、小柴橋交差点があります。 右手の長浜水路に小柴橋が架かっていますが、正面の横断歩道を渡っていきます。
金沢緑地
横断歩道を渡った所が金沢緑地になります。 面積15.3haの公園で、富岡川から海の公園の近くまで、国道357号に沿って南北に細長く続いています。 全体を歩いてみたい気持ちもありましたが、陽も傾いてきたので、 今回は短辺を横切るだけに留めておきました。
(後日に金沢緑地を歩きました。「金沢緑地」を参照)
公園利用の民様へお願い
緑地内において次の行為をしてはいけません。
1.オートバイ、自転車を乗り入れること。
2.たき火、花火等火気を使用すること。
3.他人の迷惑となる行為や、危険な行為を行うこと。
4.樹林地内に入ること。
5.ゴミ、廃材等の投棄をすること。
6.物品の販売、広告物の掲示をすること。
散水時間のお知らせ
この緑地は、自動散水システムを採用しています。 下記の時間帯は、スプリンクラーが自動的に散水を行いますので、 緑地内への立ち入りはご注意下さい。
散水時間 午前0:00〜午前5:00
散水目的 樹木の活着、養生、生育を図るとともに塩素等に対する葉の洗浄を行う。
 (横浜市緑政局公園緑地部 南部公園緑地事務所)
産業振興センター(さんぎょうしんこうせんたー)駅
金沢緑地を横切っていくと、金沢シーサイドラインの高架を過ぎた先に第三住宅入口交差点があります。 右手に架かる長浜水路橋を渡って、横浜金沢ハイテクセンターを右手から回り込むようにして進んでいくと、 産業振興センター駅(金沢シーサイドライン)があります。
新杉田駅まで11分、金沢八景駅まで14分、日中には1時間に8本程度の便があります。