源氏山公園
散策:2010年02月上旬
【街角散策】 源氏山公園
概 要 源氏山公園は鎌倉の西の丘にある地区公園です。 源頼朝像や広場などがあり、春の桜、秋の紅葉や銀杏など、綺麗に彩られる所です。 今回は極楽寺から長谷配水池を経て大仏ハイキングコースを歩きます。 途中の女坂でタチンダイなどへ続く枝道に寄り道しながら、源氏山公園へと向かっていきます。
起 点 鎌倉市 極楽寺駅
終 点 鎌倉市 北鎌倉駅
ルート 極楽寺駅…極楽寺…熊野新宮…馬場ヶ谷戸…長谷配水池…大仏ハイキングコース…一向堂公園分岐…樹ガーデン…佐助稲荷分岐…女坂分岐…大久保公園…野村総合研究所跡地…市役所通り…タチンダイ…女坂分岐…源氏山公園…日野俊基墓…葛原岡神社…瓜ヶ谷分岐…瓜ヶ谷…北鎌倉駅
所要時間 3時間50分
歩いて... 大仏ハイキングコースは広くて緩やかな尾根道になっていて、多くのハイカーで賑わっていました。 少し雲に隠れていましたが、樹ガーデンからは富士山を望むことも出来ました。 途中の寄り道で登り降りを繰り返したのでかなり疲れました。 瓜ヶ谷へ立ち寄ったところで、尾根まで引き返すのを止めて、駅へ向かっていきました。
関連メモ 鎌倉山, 六国見山, 化粧坂, 大仏切通, 極楽寺切通, 鎌倉回峰, 台峯緑地, 台峯緑地, 常磐山緑地, 台峯緑地,
大仏切通
コース紹介
極楽寺(ごくらくじ)駅
極楽寺駅(江ノ島電鉄)から歩いていきます。
改札口を出た所に「極楽寺自栄会案内図」があるので参考にしましょう。 今回は、この図に載っている馬場ヶ谷戸から長谷配水池を経て大仏ハイキングコースへ向かっていきます。
極楽寺切通
極楽寺開山忍性が開いた道と伝えられ、京都・鎌倉間の往還路だった。 鎌倉・南北朝時代の武将・新田義貞は、元弘3年(1333)5月、一族を集めて討幕の挙兵をした。 各地の合戦で幕府軍を撃破し、鎌倉に迫ると、義貞は軍勢を三隊に分け、 極楽寺切通、巨橋呂坂、化粧坂の三方から攻めた。 一方、幕府軍も三方に手分けして防戦。 「太平記」(巻第十 稲村崎干潟と成る事)はこの合戦のありさまを次のように記している。
さる程に、極楽寺の切通しへ向はれたる大館次郎宗氏、本間に討たれて、 兵ども片瀬・腰越まで引き逃きぬと聞えければ、新田義貞、追兵二万余騎を率して、 21日の夜半ばかりに、片瀬・腰越をうち回り、極楽寺坂へうちのぞみたまふ。 明け行く月に敵の陣を見たまへば、北は切通しまで山高く路けはしきに、 木戸をかまへかい橋を□いて、数万の兵陣を並べて□みゐたり。
 (鎌倉市教育委員会、鎌倉文学館)
改札口の正面の車道を左手へ緩やかに登っていくと、 線路の上に朱色の桜橋が架かっています。 道路は少し右手へ曲がりながら降り気味に続いていますが、この桜橋を渡っていきます。 橋の袂には野生の藤がありました。 今年初めて花を咲かせたようですが、「今年」とは何時なのかは分かりませんでした。 橋を渡った右側には導地蔵があります。
これは、樹齢15年以上経った野生の山藤です。 今年、初めて枝一杯に花を付けました。 人の手で育てています。 赤い橋をはさんで、トンネル前の桜と共に、お楽しみ下さい。
 (萩工房)
桜橋を渡って左手へ曲がっていくと、すぐの所に極楽寺の山門があります。 茅葺屋根の趣きのある山門です。 山門自体は閉ざされていますが、右側と左側に出入口の木戸があります。 山門には「霊鷲山」の扁額が掲げられています。 手前には大きな石柱があって、「當寺 開基 北條重時 開山 忍性菩薩 墓」と刻まれています。
極楽寺
霊鷲山極楽寺と号し、開山は忍性菩薩です。 忍性は広く慈善救済事業を行ない、人々から尊崇されました。 本尊の釈迦如来立像は秘仏で重要文化財に指定されています。 −真言律宗−
極楽寺
木戸から極楽寺の境内へ入ると、石畳の参道の両側には桜の木が並木を作っていました。 この時は冬枯れの季節で殺風景でしたが、花の季節には綺麗な眺めになるようです。 参道を真っ直ぐ進んでいくと本堂があります。 この極楽寺は霊場にもなっているようで、 「相州廿一ヶ所 弘法大師 第十四番」、「相模国廿一霊場 第十四番」、 「弘法大師」などの扁額が掲げられたお堂もありました。 八重と一重が混生するという桜もありました。 お茶・コーヒー・甘酒などを商う店もありました。
霊鷲山感應院 極楽寺 真言律宗南都西大寺末
開基 北條重時公  開山 良観房忍性菩薩
当山は、北條重時公の発願にして、正元元年(1259)の創建と伝えられる。 重時はその業半ばにして薨じ、その男執権長時及び業時兄弟によって、 文永年間(1264〜1266)東西八丁、南北七丁に及ぶ寺域に七堂伽藍四十九院を完備せる壮大な寺院が完成された。 その後相次ぐ天災兵火の為、当初の建物は失われ、現在、文久3年(1863)の再建になる山門、 及び本堂、大師堂、客殿が残るのみである。 開山忍性菩薩は勧学院を興して律の教学を広める一方、施薬院、悲田院、施益院、癪宿、馬病舎等を設け、 病者、貧者の救済に努めた。 現在境内に残る千服茶臼、石造製薬鉢にその名残りを止めている。 又土木事業も盛んにし、極楽寺切通しを開いたことも有名である。 その徳行は世に称えられ嘉元元年(1303)八十七才で没した後、後醍醐天皇により菩薩号を送られている。
寺宝  釈迦如来立像(重要文化財)、釈迦如来坐像(重要文化財)、十大弟子(重要文化財)、 不動明王像(重要文化財)、密教法具(重要文化財)、忍性塔(五輪塔)(重要文化財)、 約に如来像、文殊菩薩像、その他
八重一重咲分け桜
北条時宗公お手植えと伝えられ、現在の桜はその古株より発生したものである。 一枝に八重と一重とが混生し、淡紅色の極めて美しい桜である。 一名、御車返しと云う。 原産地は鎌倉桐ヶ谷と言われ、この桜は当地に存在する唯一のものである。
熊野新宮
極楽寺から引き返してその先へ進んでいくと、 ラーメン店と茶屋が並んでいる先から右手へ分かれていく道があります。 角には「熊野新宮 八雲神社 諏訪神社」と刻まれた石碑があります。 これから向かう大仏ハイキングコースへは正面へ進んでいくのですが、 右手の先にある熊野新宮に立ち寄っていくことにしました。 民家が建ち並ぶ路地を真っ直ぐ進んでいくと鳥居が立っています。 鳥居をくぐって短い石段を登っていくと、正面に熊野新宮の社殿がありました。 由緒書きによると、文永6年(1269)と云えば鎌倉時代からの歴史がある神社のようでした。 社殿の左側には、「大穴牟遅 少名毘古那」「國常立尊 御嶽神社 海山神社 三笠山神社」 「白川神社 長崎神社」「聖徳太子」「富士浅間大神」などと刻まれた石碑が並んでいましたが、 この神社との関係は分かりませんでした。
熊野新宮 由緒
祭神 日本武尊、速玉男命、素盞嗚命、建御名方命
由緒 もと新宮社と称し、文永6年(700余年前)忍性菩薩の勧請と伝えられ、 鎌倉時代、極楽寺全盛当時より熊野新宮と号し、同寺の鎮守として広く神地を有し、 厚く幕府の崇敬を受けて栄えた。 昭和3年、同地域の八雲神社・諏訪神社の両社を合祀し、 尓後、極楽寺・稲村ヶ崎善町の鎮守として年々盛んな祭典を執行し、 殖産・興業の守護神として多くの信仰を集めている。
 (熊野新宮々司)
熊野新宮から引き返してきてその先へ進んでいくと、 稲村ヶ崎小学校の手前から右手に分かれていく道があります。 角に立つ電柱には「極楽寺鍼灸院」の看板が取り付けられていて、右手の道を指しています。 「この先行き止まり 車両は通り抜けできません」と書かれた立て看板もありますが、 ここを右折していきます。
馬場ヶ谷戸
鎌倉市消防団第23分団の車庫や極楽寺がらす工房などを過ぎていくと、道の両側には民家が建ち並び、 自動車1台が何とか通れる程の幅になってきます。 生け垣や竹垣などの風情ある家もありました。 極楽寺鍼灸院への道を左に分けて、道なりに真っ直ぐ進んでいきます。 極楽寺駅の前にあった案内図によると、この辺りは馬場ヶ谷戸という所のようです。
極楽寺2丁目E地区急傾斜地崩壊危険区域
この区域内で、のり切り・掘削・伐採等を行う場合は、 知事の許可が必要ですから、左記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県藤沢土木事務所)
長谷配水池
進むに連れて両側から山が迫ってきて、次第に谷戸の幅が狭まってきます。 少し登り坂になってきた路地を進んでいくと、傾斜の増した坂道が始まります。 道端には狭い階段も設置されているので、階段を登っていきました。 階段が終わって坂道を更に登っていくと、正面の上が明るくなってきます。 最後に横木の階段と鉄製階段を登っていくと長谷配水池に着きました。 極楽寺駅から40分ほどで到着しました。 「神奈川県企業庁」「長谷配水池」の表札が掛る門の先がちょっとした広場になっていて、 長谷配水池広場というようです。 テーブル・ベンチも二組設置されていて、ひと休みしていくのに良さそうな所です。 この時にも先客が二組ほど休憩していました。 配水池の周囲には柵が設置されていて、中には入っていけません。
長谷配水池広場
この広場は水道局の配水池構内の一部を皆さんに利用していただくために開放しております。 大勢の皆さんで大切に利用してください。 水道の水は記帳な水資源から造られたものです。 どうぞ大切にお使いくださるようお願いします。
 (神奈川県企業庁水道局鎌倉営業所)
大切にしよう 私たちの水道施設!
安心して飲める水をお届けしています。 ここには、大切な飲料水がたくわえてあり、重要な施設がありますので、 無断でこの中に入らないでください。
 (神奈川県企業庁水道局)
大仏ハイキングコース
登り着いた所から右手へ降っていく石段があります。 その先には鎌倉の山々が続く眺めが広がっていました。 幅の広い石段はすぐに終わって、その少し先からは、手摺が設置された狭い石段が続いています。 この下には県道32号(藤沢鎌倉線)の大仏トンネルが通っているようです。 山際に建つ民家を正面に見ながら石段を降っていくと、 長谷配水池から3分ほどで、右手から左手へ登っていく山道に降り立ちます。 この道が大仏ハイキングコースになります。 右下にある「大仏坂口」から源氏山公園へと続く緩やかなコースです。 降り立った所には「葛原岡・大仏ハイキングコース」と題した案内図があるので参考にしましょう。 ここから源氏山公園へと向かっていきます。
葛原岡・大仏ハイキングコース
コース所要時間
大仏坂口→源氏山公園・銭洗い弁財天経由鎌倉駅/約1時間15分
大仏坂口→葛原岡神社・浄智寺経由北鎌倉駅/約1時間10分
・ハイキングコースは自然道です。履き慣れた運動靴などで歩きましょう。
・ゴミは持ち帰りましょう。
・火気の使用は禁止です。
・バイクや自転車の乗り入れは禁止です。
・夏と秋はハチに注意してください。
 (鎌倉市)
左手に続く横木の階段を登っていくと、石積みの堰堤のような所を越えていきます。 古くなった標柱「大仏ハイキングコース」に取付けられた「源氏山公園」を指す道標を過ぎていくと、 鎌倉市消防本部の設置する「No.30 ハイキングコース内での喫煙はやめましょう」 の標柱のすぐ先に横木の階段が現れます。 大仏切通へ続く道になります。 以前には滑りやすい急坂になっていましたが、近年になって階段が設けられたようです。 真新しい様子でしたが、工事中なのか入口には柵が置かれていて、通行止めのようになっていました。 階段に取り付けられた「ハイキングコース 銭洗弁天方面→」の紙に従って、 階段の手前から右手へ分かれていく幅の狭い横木の階段を登っていきます。
大仏切通は後日に通れるようになっていました。(「大仏切通」を参照)
一向堂公園分岐
短い横木の階段を登って小さな空地に出ると、 長谷配水池から降って来た時に見えていた民家が建っています。 その左手に続く笹竹の生い茂る山道へ入っていくと、手摺りの付いた縦杭の階段が現れます。 階段を1分ほど登っていくと鞍部に着きます。 角には道標が立っていて、右手へ登っていく階段は「源氏山方面、大仏ハイキングコース」、 今登ってきた道は「大仏方面」となっています。 正面にも広めの道が続いていますが、道標には何も示されてはいません。 今回は道標に従って、右手に曲がっていく縦杭の階段を更に登っていきます。
正面の浅い谷筋に続くしっかりとした山道を緩やかに2分ほど降っていくと、 住友常盤住宅の一角にある一向堂公園へと続いています。
鞍部から右手へ続く縦杭の階段を登っていくと、程なくして岩盤を削った階段になります。 安全確保のため、ロープが張られていたり、鎖の手摺りが設置されていたりもしますが、 1分とはかからない短い所で、危険な感じは余りありません。 階段を登り切ると、雑木林の中に広くて緩やかな尾根道が続くようになります。 多少のアップダウンはありますが、息が切れるほどのこともなくて快適に歩いていけます。 尾根道を1分半ほど進んでいくと、右側に有刺鉄線が続くようになります。
鳥獣保護区
ここは保護区域です。鳥や獣を守ってください!
 (神奈川県)
歴史的風土大仏・長谷観音特別保存地区
この地区内において建築物の新築・改築・増築、土地形質の変更、木竹の伐採等の行為をするときは許可がいります。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター、鎌倉市役所)
樹間から見える丹沢などの山並みを眺めながら、広くて快適な尾根道を進んでいきます。 峰々には白いものが見えていたので、山には雪が積もっているようでした。 小さなピークを越えて降っていくと、標柱「No.29」が立っています。 標柱を過ぎて4分ほど進んでいくと、木の根が張り出した坂道が現れますが、 1分もしないうちに登り切ることができます。
樹ガーデン分岐
坂道を登り切った少し先にある標柱「No.28」を過ぎて、 僅かな高みを右に巻くようにして進んでいくと分岐があります。 大仏ハイキングコースに出た所から14分ほどの所になります。 道標によると、右手に続く尾根道は「葛原岡神社・銭洗弁財天」、 今来た道は「高徳院(大仏)」となっています。 左手の道には、「cafeterrace樹garden いつきガーデン」、 「この先約50m、COFFE, BEER&FOODs」、 「天空テラスのお休み処、ご気軽にお立寄り下さい」などの案内板も立っています。 大仏ハイキングコースは右手の尾根道へ続いていますが、 左手すぐの所にある樹ガーデンに立ち寄っていくことにしました。
分岐を左折して登り気味に進んでいくと、すぐに少し広くなった所があります。 正面には樹ガーデンの案内板が立っていました。 樹間からは富士山を望む眺めが広がっていましたが、この時には雲がかかっていて、 山頂付近はよく見えませんでした。 雲が流れていかないかとしばらく待ってみましたが、残念ながらすっきりとは晴れ渡りませんでした。
カフェテラス樹ガーデン
喫茶、軽食、休憩、電話、BBQパーティー、ハイキング途中降り口
熱烈歓迎!鎌倉隠れ名所 天空のテラス カフェテラス 樹(いつき)ガーデン 30m先
樹木のあい間に笑顔が集い、語らいの輪が広がってゆく。 なごんだ空気に心の安らぎをとりもどし、往にし方の風のささやきに、幼きころの自分となって、 自然の中で至福の時に身をゆだねてみませんか。
大切にしましょう古都の山。一人一人の心がけ!
積もっても緑は生えぬゴミの山。自然に優しくハイキング
樹ガーデン
右手の大きな木の間からその先へ続く道を進んで赤レンガの道を降っていくと、 右手には角錐形の屋根の建物、左手には赤レンガのテラスが広がる樹ガーデンに着きます。 ハイキングの途中でひと休みしていくのには良さそうな所です。 TV番組でも紹介されたりして有名な店のようです。
樹ガーデンの中を通ってその先の階段を降っていくと、 市役所通りにある一向堂バス停と長谷トンネルの間に出られます。 (「大仏切通」を参照)
カフェテラス樹ガーデンティールーム
玄関口(ご注文会計) いらっしゃいませ! 当店は大仏と源氏山公園のほぼ中間にあります。 天空テラスでひと休みされてはいかがですか! お弁当持参の方も飲物等一品ご注文の上、気軽にご利用下さい。
ハイキングコースに戻ってその先へ進んでいきます。 広くて緩やかな尾根道を1分半ほど進んでいくと分岐があります。 角の樹木の幹に取り付けられた板切れによると、 右手に分かれていく道は「浅間神社経由鎌倉駅」となっていますが、そのまま尾根道を進んでいきます。 僅かに登ってその先へ緩やかに進んでいくと、左側の2mほどの高みへ横木の階段が分かれています。 階段の上に生える木には「女坂」と書かれた板が取り付けられていました。 試しに階段を登ってみると、尾根道の脇に並行して細い道が続いているばかりで、 1分もせずに尾根道に降りてしまいました。 結局、女坂の意味は分かりませんでした。
後日に浅間神社への道を歩きました。「大仏切通」を参照)
佐助稲荷分岐
緩やかな尾根道を進んでいくと、僅かな鞍部に着きます。 そこを過ぎていくと横木の階段が設置された登り坂になってきますが、1分ほどで登っていけます。 階段の先に続く緩やかな尾根道を進んでいきます。 標柱「No.27」を過ぎていくと、僅かな高みが現れます。 高みへ登っていく道も分かれていましたが、左手から巻くようにして降っていく道を進んでいきます。 横木の階段を降っていくと分岐があります。 樹ガーデンから11分ほどの所になります。 角に立つ道標によると、右手の道は「長谷(住宅地)を通って大仏へ」「佐助稲荷神社」、 今来た道は「大仏ハイキングコース」「高徳院(大仏)」、 左手の道は「源氏山公園800m・銭洗弁財天900m・葛原岡神社1000m」となっています。 右手の道を数分降っていくと佐助稲荷神社がありますが、今回は左手に続く尾根道を進んでいきます。
女坂分岐
佐助稲荷への分岐を見送って、広くて歩きやすい尾根道を進んでいくと、 1分もしない所に木の根が張り出した坂が現れます。 左手には「おんなざか 迂回路」と書かれた可愛らしい案内が設置されています。 正面の坂には横木の階段が付いているし距離も僅かなので、直接登っていってもいいのですが、 女坂というのが気になったので、今回は左手の道を歩いてみることにしました。 歩き始めるとすぐに道が二手に分かれていました。 どちらの道が女坂なのかと思っていると、右側の道のすぐ先に「迂回路」の標示がありました。 左側の道も気になりましたが、後ほど確認してみることにして、 先ずは右側の道を進んでいきました。
文だけでは、女坂分岐からの寄り道のルートが分かり難いので、 手書きの地図を載せておきます。 形や距離などは不正確ですが、分岐点の相対的な位置などの把握に役立てば幸いです。
植林帯に続く山道を登り気味に進んでいくと、1分もしない所に分岐があります。 脇に生える樹木に簡単な案内図が取り付けられていて、 右手に登っていく横木の階段(*)が「女坂」になるようですが、先ずは真っ直ぐに進んでいきました。
*後で横木の階段を登ってみると、すぐに尾根道に出ました。 出た所にも「女坂 迂回路」の案内が設置されていました。 こちらの方には簡単な案内図も付いていました。
大久保公園
道の両側には、次第に笹竹が生い茂るようになってきます。 女坂から分かれて30秒ほど進んでいくと、左右に通る山道に出ました。 右手へ進んでいくと尾根道に出られるのを確認してから引き返してきて、左手へと進んでいきました。 両側に背丈の高い笹竹の生い茂る細い道を進んでいくと分岐があります。 案内などは見かけませんでしたが、右手の道を1分半ほど降っていくと、 鎌倉グリーンハイツの南側にある大久保公園に降り立ちました。 山際にブランコなどがあるだけの静かな公園です。 公園のすぐ先には集合住宅が建ち並ぶ団地が広がっていて、 団地の人達の憩いの場になっているようでした。
分岐まで引き返してきて、登り気味に続くもう片方の道を進んでいきました。 笹竹を掻き分けながら登っていくと緩やかな道になってきました。 手前の分岐から1分半ほど進んでいくと再び分岐があります。 左手へ登っていく道はすぐ先で崖の上に出て行き止まりになっていたので、 引き返してきて右手の道を進んでいきました。 次第に降り道になってきて、道端にはコンクリート支柱が点々と設置されていました。 以前には鉄線柵だったのでしょうが、この時には鉄線はなくなって支柱だけが残った形になっていました。 そんな道を降っていくと、次第に笹竹は減ってきてアオキなどに変わってきます。 太い竹が生える竹林まで来ると看板が設置されていました。 この先は野村総合研究所の跡地になっているようですが、一般開放されています。 一応は柵があって「この先行き止まりです」の標示もありますが、 両側が広く空いた竹林なので、難なく通過していくことが出来ます。
(因みにこの時は開放日の開放時間内でした)
野村総合研究所跡地は一般公開(建物は除く)しています。
■開放日 : 月曜日・水曜日・木曜日・土曜日・日曜日及び祝日
■開放時間 : 午前10時から午後5時(10月〜3月は午後4時)まで
※開放日・開放時間以外は敷地内に立ち入らないでください。
 (鎌倉市)
野村総合研究所跡地
踏み跡程度になった竹林の中の道を進んでいくと、礎石が敷かれた所がありました。 以前には建物があったのでしょう。 そこを横切った先には、両側に石が置かれた坂道が続いています。 かつては建物へ続く道だったようです。 竹林を抜けていくと、左右に通る広い道に降り立ちました。 大久保公園への分岐から6分ほどで降りて来られました。 左手の100mほど先には広いグランドがありました。 草野球なら出来そうな広さがありましたが、研究所の付帯設備だったのでしょうか。 グランドから引き返してきて、右手へ進んでいくと、研究所だった大きな建物があります。 その中をくぐっていくと、建物の向こう側へ出られます。 その先には広い舗装道路があって、車道まで続いているようでした。
建物の先の車道は、梶原3丁目と4丁目の境を通る車道に降りられます。 道路の左手から尾根へ登っていく山道もあって、常磐山緑地へ続いています。 (「台峯緑地」を参照)
野村総合研究所跡地
研究所としては1990年まで使われていたようです。 玄関の屋根などは表面が剥がれていて、ゴーストタウンの様相を呈していました。 グランドで野球の練習をしようというのか、この時にはマイクロバスが何台も駐車していて、 大人に率いられた少年達が大挙してやってきていました。
お願い!!
イヌ等のペットを連れてご来場される方は、必ずリード(引き綱)をつけて散歩してください。 最近、グランド等で犬をリード(引き綱)から離して散歩されている方がおられるようです。 遊びに来られた子どもづれのお母さん方や散策にこられた方から苦情が寄せられています。 野村総研跡地は、多くの皆さんに、気軽に自由に遊び、散策していただく場として、開放しているものです。 利用者の全員が、ルールを守り、他の人への思いやりを持って、 楽しんでいただけますようお願いいたします。
 (鎌倉市)
大久保公園と野村総合研究所跡地までの道を確認してから、 往復38分ほどで女坂分岐まで引き返してきて、もう片方の左側の道を進んでいきました。 シダ類などが生い茂る植林帯に、緩やかな山道が続いていました。 左傾斜の斜面を横切ったりしながら4分ほど進んでいくと分岐があります。 かなり傾斜のある道が左下へと分かれていましたが、 正面の緩やかな道の行く末を確かめてから、左手の道を確かめることにしました。
両側に笹竹などが生い茂るようになった道を緩やかに1分ほど進んでくと、 野村総合研究所跡地に出る手前にあったのと同様の看板が設置されていました。 そこで道が二手に分かれていましたが、右手の踏み跡はすぐ先で行き止まりになっていました。 左側のしっかりした道を進んでいくと、1分もせずにグランドに出ました。 先ほどの野村総合研究所にあったグランドで、その奥の左側にあたるようでした。 この時には、先ほど見かけた少年チームがグランドで練習をしていました。
往復6分ほどで手前の分岐まで引き返してきて、急坂を降っていきます。 雑木林に続く坂道を降っていくと、程なくして緩やかな尾根道になってきます。 右側に鉄線柵が続く緩やかな山道を進んでいくと、道には点々と短い杭がありました。 分岐から5分ほど進んでいくと、尾根の上にある畑地に出ました。 畑の右側に沿って進んで、その先に続く山道へ入っていきます。
タチンダイ分岐
両側に笹竹が生い茂る所を過ぎていくと、尾根の右側を降るようになります。 かなり傾斜のある斜面をジグザグに折れ曲がりながら降っていくと、 畑地から2分ほどで、左右に通る道に降り立ちました。 角には道標が立っていて、右手の道は「タチンダイ」となっていました。 何のことだろうかと思いながらも、降り坂になっている左手へと進んでいきました。
市役所通り
右下に続く広い草地のような所を眺めながら、山際の道を2分ほど降っていくと、 車道(市役所通り)に降り立ちました。 出口にも、先ほどと同じ道標「タチンダイ」が立っていて、今降って来た道を指していました。 ここは何処だろうと思って左右を覗っていると、左手の100mほど先に一向堂バス停があり、 その先には長谷トンネルの出入口も見えていました。 以前に樹ガーデンから降りてきたらここへ出られたことを思い出して、ひと安心したのでした。
鎌倉市歴史的風土保存区域
この土地において、建築物・工作物の新築・改築・増築、土地の形質変更、木竹の伐採等の行為をするときは届出がいります。
タチンダイ
降り立った場所が確認できたところで、尾根道まで引き返していきます。 タチンダイ分岐まで戻ったところで、「タチンダイ」というのは何だろうと気になったので、 分岐から寄り道をして、その先へと進んでみました。 すぐに広い谷戸に出て、その奥へ進んでいくと、穴が沢山刳り貫かれた岩壁がありました。 車道から4分ほど来た所になります。 北条一族の別邸「常磐亭」があった所で、岩壁にある穴は「やぐら」のようです。 周囲には丸太を輪切りにしたベンチが幾つか設置されていました。 脇に設置されている解説板によると、この辺りの谷戸をタチンダイというようでした。 地名とのことですが、カナ表記なので、どういう意味なのかは分かりませんでした。
後で調べてみると、タチンダイとは「館の台」のことのようです。 館(タチ)がある台地(ダイ)という意味でしょうか。 「館」が「常磐亭」を意味しているとすれば、「タチンダイ」という名前も鎌倉時代に生まれたものと思われます。
国指定史跡 北条氏常磐亭跡
「タチンダイ」  北条氏常磐亭跡は、鎌倉幕府の第7代執権・北条政村を始めとする、北条一族の有力者の別邸があった場所です。 「タチンダイ」というこの平場付近の地名は、中世居館と関わりがあることを示しています。 この平場は細長いV字型の谷を造成したもので、東西北を人工的な崖(切岸)で囲まれています。 周辺で実施された発掘調査では、建物跡などが良好な状態で残っていることも確認されました。 また、この平場の北西隅には鎌倉時代ごろの墓所で、 鎌倉周辺に多く見られる「やぐら」とよばれる岩窟も残されています。 タチンダイの周辺の谷戸には切岸や、土地造成が行われる前の地形なども良好に残るなど、 北条氏常磐亭跡は、鎌倉時代に政権を担当した武家の屋敷跡と、これを取り巻く中世からの地形をよく伝えています。
 (鎌倉市教育委員会)
タチンダイ分岐まで引き返してきて、斜面に続く山道を登っていきます。 畑地を過ぎて、グランドへの分岐から右手へ続く植林帯を横切っていくと、 往復45分ほどで、尾根道にある女坂分岐まで戻って来られました。 大久保公園・野村総合研究所跡地と合わせて1時間25分ほどの寄り道になりました。 横木の階段をひと登りすると緩やかな尾根道になってきます。 女坂からの道を合わせてその先へ進んでいきます。 標柱「No.26」を過ぎて2分ほど進んでいくと、高台にある住宅地に出ます。 生け垣などがある民家の前に続く道路を進んでいくと、 左手から登ってきて正面へと曲がっていく舗装路に出ます。 角に立つ電柱には「佐助二丁目27」の住所表示板が取り付けられていました。 また道標も取り付けられていて、正面に続く道は「葛原岡神社・銭洗弁天」、 今来た道は「大仏」となっています。 ここは正面に続く舗装路を進んでいきます。
生け垣などを過ぎていくと、右手が開けて眺めが広がる所があります。 女坂分岐から7分ほどの所になります。 鎌倉の街並みの向こうには、和賀江嶋や逗子マリーナのある岬もよく見えていました。
源氏山公園
眺めが広がる所を後にして緩やかに3分ほど降っていくと、 左手から登ってくる道を合わせたすぐ先に十字路があります。 角には道標が立っていて、正面の道は「化粧坂切通し200m・寿福寺600m」、右手の階段は「銭洗弁財天100m」、 左手の道は「葛原岡神社300m・葛原岡ハイキングコース・浄智寺へ1.2km,30分」、 今来た道は「大仏ハイキングコース・高徳院(大仏)へ2km,60分」となっています。 この辺りからが源氏山公園になるようです。 左手には東屋の建つ広場があります。 春には桜、秋には紅葉と、綺麗に彩られる所です。 今回はここを左折して、緩やかな坂道を登っていきました。
歴史的風土特別保存地区指定図
昭和63年6月17日から、この地区は歴史的風土特別保存地区になりましたので、 建築物・工作物の新築・改築・増築、土地形質の変更、木竹の伐採、土石の類の採取、 建築物・工作物の色採の変更、屋外広告物の表示又は提出及び水面の埋立又は、 干拓の現状変更行為をするときは許可があいます。 違反すると刑罰に処せられます。 なお行為の申請・質問等の申出は下記へ。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター環境部、鎌倉市役所)
土の道に変わった坂道を登っていくと、車止めを過ぎた所に、 長谷配水池から降ってきた所にあったのと同様の「葛原岡・大仏ハイキングコース」の案内板がありました。 そこを過ぎていくと、左右に通る広い道に出ます。 角には道標が立っていて、右手の道は「頼朝像」、今来た道は「大仏」となっていますが、 葛原岡神社を目指して左手へ進んでいきます。
葛原岡・大仏ハイキングコース
コース所要時間
源氏山公園→浄智寺経由北鎌倉駅/約40分
源氏山公園→長谷大谷戸口経由鎌倉駅/約45分
源氏山公園→大仏坂口江ノ電長谷駅/約1時間
 (鎌倉市)
日野俊基墓
左手へ登っていく幅の広い階段を見送って、一段と広くなった道を進んでいくと、 「日野俊基墓入口」の標柱が立っています。 そこを左手へ入っていくと日野俊基の墓があります。 葛原岡神社の祭神とされる人の墓で、玉垣で囲まれた一段高い所になっていました。
国指定史跡 日野俊基墓
日野俊基は鎌倉時代末期の朝臣、後醍醐天皇につかえ討幕計画に参加した。 正中の変(1324)に捕えられ許されたが、元弘の乱(1331)の時再び捕らえられ、 鎌倉に送られて、翌年ここ葛原岡で処刑された。
 (鎌倉市教育委員会)
日野俊基墓所
日野俊基朝臣ノ朝権ノ快復ヲ図リテ成ラ ズ元弘ニ年六月三日北條高時ノ害ニ遭ヒ 秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露の恨や 世に残るらんト永キ恨ヲ留メタルハ此ノ _ナリ
 (鎌倉町青年会)
広い道に戻ってその先へ進み始めると、左手に降っていく道が分かれていきます。 その角に生える大きな樹木に、 「ここより富士山が見えます!!」と書かれた紙が貼り付けられていました。 どこに見えるのだろうと探してみると、左手の道の真上の辺りの樹木越しに富士山がありました。 この時には、樹ガーデンから眺めた時よりも更に雲が増えていて、ほとんど見えませんでしたが、 薄らと見える様子からすると、雲がかかっていないと、富士山の山頂から左右に広がる裾が見えるようでした。
赤い椿の花が咲く並木に沿って広い道を進んでいくと、すぐに大きな鳥居が立っていて、 その脇には「葛原岡神社」と刻まれた石柱があります。 右手には「魔去ル石」という丸い石があり、左手には神輿庫や御朱印授与所などがあります。 この時には境内で採れた実で作った厄除け・無病息災の御守である「無患子守」も販売されていました。
葛原岡神社 鎌倉市山の内東瓜ヶ谷
本社祭神 SAIZIN 日野俊基朝臣 HINOTOSHIMOTOASON 文章博士 従三位 蔵人右少弁
建武の中興A.D.1333年(元弘3年)を計画し、不幸にも1331年鎌倉幕府の 北条高時に捉えられ、其の完成に会はず中途で悲愴な最期をこの葛原が岡で遂げられた忠臣(A LOYAL)である。 社殿は、明治天皇の思召により、地元有志の方々の骨折で、全国の崇敬者の協力を得て、 明治21年に創建された。 例大祭は、御命日の6月3日、神前祭、墓前祭が行われる。 この6月3日に近い土曜日に氏子区域になっている由比が浜で、宵宮祭が行なわれ、 日曜日には、大御輿、子供御輿が氏子地域を巡るお渡り神事が行なわれる。 御祭神は学業成就、除災招福、交通安全などの神として崇められて居る。
摂社祭神 報徳豆大黒天 福福恵比須神 健康と繁栄を招く神
御神体の木像は、二宮尊徳翁邸内の樟で作られたと伝えられる。
魔去ル石
魔が去るように願いを込め、盃をこの石に当てて幸せを勝ち取りましょう。 「魔が去る」が転じて「勝(まさ)る」ということで幸せを勝ち取る石です。
 (社務所)
むくろじ(無患子)守り
好評につき頒布再開。 かごの中にある実は、神社の境内で採れた「むくろじ」の実です。 中の種子は昔、羽根をつけて羽子板遊びの時に使用されてきました。 また、外側の皮の部分は、洗剤(石鹸)として利用されていました。
藤原仲能之墓
此所ハ道智塚或ハ阿古耶尼ノ塚ト傳ヘラ レシモ海蔵寺傳ニ_リ藤原仲能ノ墓所ト 考察セラル仲能ハ従五位下前_州大守ニ シテ鎌倉幕府評定衆タリシガ後年海蔵寺 中興ノ大檀越トナリ建長八年十二月九日 寂シ道智禅師ト称ヘラレシモノノ如ク其 位牌同寺ニ現存ス
昭和十一年三月建 鎌倉町青年団
葛原岡神社
鳥居をくぐって左手へ曲がっていく石畳の参道を進んでいくと、 先ほどの無患子の木が生えていて、注連縄も張られていました。 その先の玉垣の奥に葛原岡神社の社殿があります。 以前には大きくて歴史を感じさせる社殿でしたが、3年ほど前に来た時には建替えられていて、 小振りの本殿と屋根だけのような形をした拝殿になっていました。 壁はなくて何だか風通しがよさそうでした。 5本の鰹木と外削ぎの千木の聳える本殿は、 少し色が濃くなってきていて、落ち着いた雰囲気になっていました。 拝殿の前には「昇運の神龍」と題した彫り物もありました。 「左側に寒桜が咲いています」という貼り紙があったので覗いてみました。 前回は分かりませんでしたが、今回は見つけることが出来ました。 少し離れた所にあって、濃いめの桜色をした花が綺麗に咲いていました。
葛原岡神社
御祭神 日野俊基卿
例大祭 六月三日
お渡り神事 六月三日に近い日曜日 於 鎌倉由比ヶ浜
御由緒 鎌倉幕府の執政を北条氏から後醍醐天皇の親政にしようとして幕府に捕えられた元弘2年(1332)、 この葛原が岡で露と消えられた。 太平記 俊基朝臣再び関東下向の事に名文が綴られている。
辞世の頌 秋を待たで葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや世に残るらん
古来、一句無死無生萬里雲蓋長江水清
御墓所 参道大鳥居の手前約五十米左手の小高い処にあり史蹟に指定されている
 (宮司 小松行好 記)
昇運の神龍
御本殿を御造営する際、旧御本殿に納められていた神龍で、百二十年間、御祭神をお護りして来ました。 神様のお使いとして願い事をより早く届けていただくようお参り下さい。
社殿から引き返して、鳥居の右手の先へ続くハイキングコースを進んでいきます。 標柱「NO.19」を過ぎていくと、雑木林の斜面に続く道の谷側には手摺が設置されていました。 そこを過ぎて降っていくと、僅かな高みへ登っていく横木の階段と、 高みを左側から巻いていく道に分かれています。 どちらの道を進んでいっても良さそうでしたが、 手前に経つ道標「浄智寺」が横木の階段を指しているように思えたので、 今回は正面に続く横木の階段を登っていきました。 階段を登って高みに着いても、特に何がある訳でも眺めが広がる訳でもありませんでした。 高みの先へ進んで横木の階段を降っていくと、巻いてきた道に降り立ちました。
瓜ヶ谷分岐
巻き道を合わせて、しっかりとした尾根道を1分半ほど進んでいくと、僅かな高みに着きます。 葛原岡神社の鳥居から5分ほどの所になります。 地形図では、北北東へ進んで来た道が東へ曲がっていく辺りの標高70mほどの高みになるようです。 尾根道はここから右へ曲がって降っていきますが、その角から左手へ細い道が分かれていました。 この高みから北西へ延びる尾根に続く道のようでした。 浄智寺へは右手の尾根道を進んでいくのですが、ここでも左手の道の行く末を確かめたくなったので、 ちょいと寄り道をしていくことにしました。
両側に背丈の高い笹竹が生い茂る道へ入っていくと、30秒ほどで分岐があります。 道標類は見かけませんでしたが、右手へと進んでいきました。 鬱陶しい笹竹を掻き分けながら登っていくと、笹竹の少なくなった所に出ました。 ちょっとした桧林を抜けて、再び生い茂るようになった笹竹の道を緩やかに降っていきます。 いつまでこんな道が続くのだろうかと心配になりながら降っていくと、 尾根道から8分ほどの所に、低い所から幹が広がった大きな樹木が生えています。 ここを過ぎて1分半ほど進んで、前方に住宅が間近に見えるようになると、道は右手へ曲がっていきます。 その先は崖のような急坂になっていました。 トラロープも張られているので、それに掴まりながら慎重に降っていきました。
瓜ヶ谷
時間をかけて何とか降って道なりに左手へ進んでいくと、岩盤が剥き出していたりもしました。 滑らないように注意しながら降っていくと、幅2mほどはある広めの道に降り立ちました。 両側に笹竹が生い茂る広い道を真っ直ぐ進んでいくと、左右に通る舗装路に出ました。 尾根道から10分ほどで降りて来られました。 ここは何処だろうと思って民家の住所表記を確認してみると「山ノ内1119番地」となっていました。 降り立った道は、北鎌倉駅の近くから県道32号へ続く道路のようでした。 手元の地図によると、この道路を挟んだ東側を東瓜ヶ谷、西側を西瓜ヶ谷というようでした。
北鎌倉(きたかまくら)駅
『さて、これからどうしたものか』と考えてみるに、 先ほど降ってきた急坂や笹竹の生い茂る道を登って、 ハイキングコースの通る尾根道まで引き返していくだけの元気は残っていなかったので、 このまま北鎌倉駅へ向かっていくことにしました。
田んぼが広がる所を過ぎていくと、暗渠から川が出てきます。 川の左岸に続く道路を道なりに真っ直ぐ進んでいきます。 川に架かる小橋を渡って、その先へ進んでいきます。 太い竹が植えられた民家や東瓜ヶ谷子どもの遊び場を過ぎていくと、 瓜ヶ谷地区に降り立った所から10分ほどで県道21号(鎌倉街道)に出ました。 そこを右折して車道を100mほど進んだ所にある北鎌倉駅前交差点から左手へ入った先に北鎌倉駅(JR横須賀線)があります。
駅へ向かう途中にある店で、「鎌倉ものがたり」にも登場する「あがり羊羹」を買ってみました。 江戸時代に尾張徳川家(大納言様)へ献上して茶道羊羹として用いられたものだそうで、 「あがり」とは、「大納言様へさし上げる」という献上の意味から名付けられたようです。 水羊羹と蒸し羊羹の中間ほどの柔らかさで弾力があり、 あっさりとした生菓子タイプの羊羹です。