吾妻山公園
散策:2010年01月中旬
【街角散策】 吾妻山公園
概 要 吾妻山公園は二宮町にある低い山を利用した公園です。 広場には菜の花が咲き、展望台からは丹沢・箱根・伊豆・相模湾などを一望できる眺めが広がっていて、 条件がいいと富士山を望むこともできます。 今回は梅沢登り口から吾妻山へ登り、釜野口へ降って西側を流れる中村川沿いへと向っていきます。
起 点 二宮町 二宮駅
終 点 小田原市 鐘薮バス停
ルート 二宮駅…梅沢登り口…神明神社…吾妻神社…吾妻山…中里口分岐…小動物園…浅間大神…釜野口…光福寺…禅龍寺…下原橋…鐘薮バス停
所要時間 2時間10分
歩いて... 吾妻山の山頂にはほぼ満開の菜の花が綺麗に咲いていて、辺り一帯にいい香りが漂っていました。 この時は天候もまずまずで、少し霞んでいたものの、冠雪した姿の富士山を望むこともできました。
関連メモ 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園, 吾妻山公園
コース紹介
二宮(にのみや)駅
二宮駅(JR東海道線)から歩いていきます。
北口のバスターミナルの中の横断歩道を渡った所に「吾妻山公園のご案内」の 看板があります。正面にある二宮町公民館の右手から公園入口までの道が図示されています。 入口まで3分、頂上まで20分とのことですが、今回は「梅沢登り口」から吾妻山公園へ登っていきます。 公民館の前の道路を左手へ進んでいきます。 二宮小学校への坂道を分けていくと「吾妻山公園・梅沢登り口 直進」の看板が立っていて、 線路沿いに続く車道を指しています。
梅沢登り口
線路に架かる歩道橋をやり過ごしていくと少し登り坂になってきます。 坂を登り切った所で、左手のJR東海道線に架かる内原跨線橋を渡っていく道が分かれていますが、 そのまま正面へと降っていきます。 脇には「吾妻山公園登り口は200m先右側です」と書かれた手製の案内板も立っていました。 緩やかになってきた道を線路沿いに進んでいくと、再び線路を跨いでいく歩道橋があります。 この右側が登り口になります。 石段の脇には「吾妻山公園梅沢登り口」の標識が取り付けられていて、 「吾妻山公園案内図」も設置されていので参考にしましょう。 ここは「にのみや健康ウォーキングコース山西コース」のルートにもなっているようで、 その案内板もありました。
にのみや健康ウォーキングコース 山西コース スタート地点
距離4.70km、所要時間67分
消費カロリー(Kcal) 男性237.8、女性229.4
●吾妻神社入口●釜野老人憩いの家●梅沢橋跡●吾妻神社入口
歩道橋の傍には梅沢バス停があって、団地中央行きバスが通っていますが、 便数は1時間に1本程度と少なくなっています。 二宮駅からの距離も800m程なので、バスは期待せずに歩きましょう。
神明神社
石段を登った所に石造りの鳥居があります。 その手前で道が分かれていますが、どちらの道もすぐに合流します。 鳥居をくぐって石段を登ると、小さな広場の前の林の中に小振りの神明神社が佇んでいます。 脇には道祖神・馬頭観世音・地神などの石碑が並んでいました。 鳥居の立派さと祠の大きさが何となくアンバランスな気がしました。 以前にこの広場に相応の社が建っていたのか、あるいは、山の上にある吾妻神社の鳥居ということなのでしょうか。
頂上までは、よく整備された幅の広い横木の階段が続いています。 竹林の脇を登っていくと、左手へ曲がっていきます。 何度か折れ曲がりながら、斜面に続く横木の階段を登っていきます。 所々にはビールケースを裏返したベンチが設置されていたりもします。 暑い夏場には急いで登ると少し汗をかいたりもするので、 周囲の雑木林を愛でながらゆっくりと登っていきましょう。 この道は吾妻神社への参道になっているようです。
ご案内
縁結びの神様、吾妻神社
ご参拝下さい
 (吾妻神社 宮係)
緑は友だち 山火事注意
自然を守りましょう
 (森林国営保険、神奈川県)
吾妻神社
横木の階段を登っていき、右側に石垣が現れると鳥居が立っています。 石段を登って鳥居をくぐっていくと吾妻神社の境内に着きます。 麓の梅沢登り口から10分ほどで登って来られました。 本殿と拝殿から成る立派な社殿でした。 本殿の屋根には5本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 拝殿の前には「自由にお持ち下さい」として、神社の由来の書かれたビラが置いてありました。 神社の前にある由来記を要約したような内容でした。 この吾妻神社は「縁結びの神様」として有名なのだそうです。 境内には「吾妻山純情」と題した歌碑もありました。
吾妻神社 由来記
吾妻神社は梅沢の氏神で、その創建は第13代景行天皇の朝に始まると云う。 主神は弟橘媛命とし、日本武尊を配祀する。 日本武尊は景行天皇の第3皇子である。 天皇にそむく部族を征伐するため東北におもむく途中、 三浦半島走水から海路上総に渡る際、暴風突如に起り、そこで妻の命は夫にかわり、 海神の怒りを静め夫の武運を祈り海中に身を投じた。 するとたちまち海は穏やかになったと云う。 其の7日後に命の御櫛が海辺に流れつき、埋めて御陵を造る。 この前下一帯を埋沢といい、梅沢と同音である。 又命の小袖が磯辺に漂い、これを取りて山頂に祭ったと云う。 その海岸を袖ヶ浦と云う。 日本武尊は東北戦が終り帰路相模国から足柄を通り甲斐に出る途中、 峠ではるか東方の海をながめ(あヽ吾が妻)と嘆かれたと云う。 弟橘媛命の御神体は木彫の千手観音で、既に数千年星霜を経て現在藤巻寺に安置してある。 源頼朝幕府を鎌倉に創設するや、妻政子本社を崇敬すること浅からず。 吾妻山全山と山麓田畑並に霜見塩田を寄附する。 右大臣源實頼も祈願のため建保6年に雄剣を奉納する。
吾妻山純情
二宮町・梅沢・袖ヶ浦に伝わる日本武尊・弟橘姫の神話より
白峰紅葉清秋を飾る  敵兵野原火謀を図る  建命静かに草薙剣振るい  救軍迎え火平定仇せり  暴風遮断す走水の浜  愛妃鎮座す水神の前  さねこし相武の小野に燃ゆる火の  火中に立ちて問いし君はも  風凪ぎ全軍雄途に発す  静謐夕陽関津に映ゆ  建命人を恋う吾妻山  探訪漂着山関に到る  愛姫静立主君を迎う  相い約す両人永遠の綸
平成二十年四月四日
作詞 神奈川県立二宮高等学校 元校長 伊藤健先生
手水舎の裏手から始まる横木の階段をひと登りすると、吾妻山の山頂にある芝生広場に着きます。 日当たりがよく、ピクニックには最適な所です。 この時には黄色い帽子を被った園児の団体も来ていました。 東屋の先には、ほぼ満開の菜の花が綺麗に咲いていて、辺り一帯にいい香りが漂っていました。 写真に収めようという人達が傍に陣取って盛んにシャッターを切っていました。
ここはみんなの広場です。 次のことを守りましょう。
・芝生内、犬の立入は御遠慮ください。
・ゴルフ等、他の人の迷惑になること並びに芝を滑ることはできません。
菜の花の咲く広場を登っていくと、菜の花を前景に入れて富士山を写すのに良い所があります。 この時には比較的条件がよくて、少し霞んではいたものの、冠雪した富士山が綺麗に見えていました。 富士山の手前には矢倉岳、左手には金時山もよく見えていました。 良い構図を求めて地面に這うようにして写している人達も見かけました。
吾妻山 (標高136.2m)
吾妻山の山頂には「展望台」と呼ばれる円形状の石積みがあります。 北側には丹沢山系、西側には箱根連山、南西側には小田原から伊豆にかけての海、 南東側には相模湾から三浦半島などを見渡せる素晴らしい景色が広がっています。 中ほどにはここから見える山や島などを記した円い石製の案内板が設置されています。 展望台の脇には「吾妻山公園の由来」と題した大きな石碑や、「吾妻山 標高136.2メートル」の標識もあります。
(画像を左クリックすると、写真が順次表示されます)
吾妻山公園
昭和62年(1987)7月18日開園、 面積113.664u、海抜136.2m
大島19.8ku(距離約70キロ)、 利島4.1ku(距離約90キロ)、 新島23.8ku(距離約105キロ)、 式根島3.9ku(距離約110キロ)、 初島0.44ku(距離約30キロ)、 下二子山1064m、 上二子山1090m、 駒ヶ岳1327m、 神山1438m、 明神岳1169m、 金時山1213m、 矢倉岳870m、 御正体山1682m、 桧洞丸1601m、 塔ヶ岳1491m、 三ノ塔1205m、 大山1251.7m
 (二宮町)
吾妻山公園の由来
相模路の淘綾の濱の真砂なす 児らは憂しく思はるるかも 萬葉集第十四 東歌
(さがむじの よろぎのはまの まなごなす こらはかなしく おもはるるかも)
万葉の昔から淘綾の里二宮の美しい海浜と、それを眼下に一望できる吾妻山は、人々のふるさとでありました。 しかし、第二次世界大戦後の激動する社会情勢の中で、山は顧みられることもなく、 次第に荒廃が進んでいきました。 町はこれを深く憂え、子孫に誇れる山として残したいと思い、 地権者65名の協力と5年の歳月をかけて整備し、昭和62年7月18日に吾妻山公園として開園しました。 現在では健康づくりと自然とふれあうやすらぎの場として人々に喜ばれています。 この公園は名誉町民第17代柳川賢二町長の尽力により完成しました。
 (顕彰会)
淘綾の濱とは、ゆるぎ・こゆるぎの浜ともいい、二宮を中心に国府津から大磯あたりまでの白砂青松の海浜をいいます。
菜の花や展望を堪能したら、吾妻神社と合わせて20分ほどいた山頂から下山していきます。 展望台の手前を右手に少し行くと、ローラー滑り台の乗り場があります。 延長102m、傾斜10度の滑り台で、園内一の人気施設とのことです。 お尻が熱くなるのを防ぐためなのでしょうか、備え付けのマットを敷いて滑るのだそうです。 ツツジの回廊を緩やかに降っていきます。 山頂付近には多くのアスレチックコースが設けられています。 全部で28個あるようです。 その中のひとつ「吊り橋」の下をくぐっていくと簡易舗装された道に出ます。 周囲には道案内の看板などが沢山立っていて、 右手の道は「吾妻神社・浅間神社・二宮駅」、左手の道は「釜野口・中里口」「小動物園」、 今降って来た道は「展望台・芝生広場」となっています。 吾妻山公園の案内図も掲載されていました。 今回は釜野口へ降っていくべく、左手へ進んでいきました。
以前には小動物園に多くの種類の動物などが飼育されていましたが、 この時には「ウサギだけを飼育しています」と書かれていました。
おねがい
・公園内は禁煙です。火を使ってはいけません。
・犬のフンは飼主がしまつして下さい。犬の放し飼いは禁止します。
・ゴミは持ち帰って下さい。
・他人に迷惑のかかる行為及び管理に支障のある行為は禁止します。
舗装された坂道を降っていくと、程なくして緩やかな道になってきます。 傾斜が急な所は舗装されていますが、緩やかな所は未舗装の道になります。 冬枯れの尾根を進んでいくと、右手へS字形に曲がって降っていく角から、横木の階段が左手へと分かれていきます。 いずれの道を降っても同じ所に出ますが、今回は横木の階段を降っていきました。 階段を降り切ると、右手から降って来た舗装路に出ます。 降りた所の右側には「かながわの美林50選 吾妻山公園の森」の標柱が立っています。
植物を採らないで
公園内の植物採取は二宮町都市公園条例により禁じられております。 絶対におやめください。
 (二宮町)
中里口分岐
舗装路に出てその先へ進んでいくと土の道になってきます。 道端に設置されたベンチを過ぎていくと、舗装路に変わっていく所から、 横木の階段が左手に分かれて降っていきます。 脇には道標が立っていて、左手の階段は「釜野トンネル約10分」となっています。 以前にはもう少し道標類があったのですが、この時にはこれだけしか見かけませんでした。 小動物園や中里口へは正面の広い道を降っていくのですが、 今回は左手の階段を降って釜野口へと向っていきます。
小動物園
横木の階段が続く道を降っていくと、正面に小動物園が間近に見えてきます。 鞍部に着くと、右側すぐの所には、先ほど分かれてきた舗装路が通っていて、そこへ続く小径もあります。 車止めの杭を過ぎて横木の階段を登っていくと、小動物園のすぐ裏手を通っていきます。 こちら側には入口はありませんが、すぐ傍に飼育舎が並んでいます。 以前には多くの動物がいて賑やかでしたが、 今では何もいない飼育舎が往時の記憶を伝えるかのように静かに建っているのが、何だか淋しく感じました。
右手のこんもりとした高みに東屋が見えてきます。 小動物園の金網柵沿いに進んでいくと、右手の高みへ登っていく階段が分かれていきます。 右へ折れ曲がって登っていくと、すぐに東屋のある高みに着きます。 展望台のようになっていますが、周りにある雑木林に邪魔されて眺めは今ひとつです。 眼下には小動物園が見えていますが、人影は疎らになっていました。
浅間大神
東屋の脇には鎖で囲まれた一角があって、 その中に「浅間大神」と刻まれた石碑と「磐長姫大神」と刻まれた石柱が並んでいます。 「浅間大神」の石碑の裏面には「明治三十一年九月之吉日」と刻まれていましたが、 最後の「日」はほとんど読めなくなっていました。 この吾妻山公園にある浅間神社と関連がある石碑なのでしょうか。
高みから降りて、雑木林に続く山道を降り気味に進んでいくと、開けた感じの蜜柑系の果樹園があります。 小さな実がまだ結構残っていましたが、鳥などに啄まれたのか、中が空洞のものが目立ちました。 畑の樹木越しには丹沢大山と思われる山がよく見えていました。 果樹園を回り込むようにして進んでいくと、 少し降り始めた途中から道が右手へと分かれています。 先ほどの東屋から2分ほどの所になります。 右手の道は、中里口への道の途中やその西側の谷筋へと降りていけますが、 釜野口を目指して、正面の横木の階段を降っていきました。
(右手の道は「吾妻山公園」を参照)
山道にしては広めでしっかりとした道が続いています。 時折横木の階段があったりもしますが、段差は低くて歩き難くはありません。 竹林の横を進んでいくと、幅の広い横木の階段を降った所で分岐があります。 先ほどの分岐から3分ほどの所になります。 道標類は見かけませんでしたが、 右手の道は10mほど先にある送電線の鉄塔「西湘線55」の所で行き止まりになっているので、 左手へ続く緩やかな道を進んでいきます。
山の斜面から尾根を進むようになると、左手に小さなアンテナが見えてきます。 そこから右手へ曲がりながら続く幅の広い横木の階段を降っていくと舗装路に降り立ちました。 吾妻山から22分ほどで降りて来られました。 この下には釜野隧道が通っていて、降り立った舗装路はその上の鞍部を越えていく脇道になります。 降り立った所には「吾妻山公園」の道標が立っていて、今降ってきた道を指しています。 左手の鞍部を越えていくとトンネルの南側へ降りていけますが、釜野口へは右手へと降っていきます。
(左手の道は「吾妻山公園」, 「吾妻山公園」を参照)
釜野口
かなり傾斜のある舗装路を降っていきます。 右に折れ曲がって更に降っていくと、2分ほどで二車線道路に降り立ちます。 道路に出る手前には野仏があって、「南無観世音菩薩」と書かれた丸い石が幾つか置かれていました。 綺麗なスイセンも手向けられていました。 ここが吾妻山公園の釜野口で、脇には「吾妻山公園入口」の標識が設置されています。 右手すぐの所には釜野隧道の出入口がありますが、左手へと車道を進んでいきます。
車道沿いの歩道を緩やかに降っていくと、二宮町コミュニティバスの釜野隧道バス停があります。 何かに合わせて運行されているのか、平日の1日に僅か1本の便しかありません。 バス停を過ぎていくと、東海道新幹線の高架が見えてきます。 軒吉橋西側交差点を直進して高架橋「かけ田BV」をくぐっていきます。 二宮町コミュニティバスの中里2丁目バス停を過ぎていくと葛川橋交差点に出ます。 ここを左折して、車道を進んでいきます。
神奈川中央交通の谷屋津バス停を過ぎていくと、次第に登り坂になってきます。 百合が丘南交差点を直進して更に登っていくと、 神奈川中央交通と二宮町コミュニティバスの南5号前バス停が並んでいました。 ここのコミュニティバスは1日3便通っているようでした。 支柱に取り付けられたコース図によると、コミュニティバスのルートは3コースあって、 ここのバス停は3コースすべてに含まれているようでした。 酒屋や昔風の円筒形の赤いポストを過ぎていくと、信号機のある交差点があります。 交差点の名前は標示されていませんでしたが、 角の民家の石垣には「百合が丘一丁目7」の住所表示板が取り付けられていました。 今回はここを左折していきます。
二車線道路を真っ直ぐに登っていきます。 坂を登り切って降り始める所から右手へ分かれていく道に入っていくと、 神奈川中央交通と二宮町コミュニティバスの南2号前バス停が並んでいました。 バス停を過ぎていくと、車道は右へと曲がっていきます。 その角から農道が分かれて左へと続いています。 入口には「農道につき一般車輌の通行はご遠慮下さい」の看板が出ています。 緩やかな尾根を経て川匂神社の脇へ降りて行かれる道ですが、今回は右へ曲がっていく車道を進んでいきます。
(左手の道は「吾妻山公園」を参照)
住宅地に続く二車線道路を登っていきます。 神奈川中央交通と二宮町コミュニティバスの南1号前バス停が並んだ所を過ぎて、坂道を登っていきます。 坂を登り切って緩やかになった道を進んでいくと、 小田原厚木道路の上に架かる陸橋が見えてきます。 その数10m手前から左手に分かれていく道があります。 今回はこの道へ入っていきますが、その前に陸橋まで出てみると、 左右には山並みや街並みを見渡せる眺めが広がっていました。 左手の方には富士山も頭を覗かせていました。 眺めを確認してから、手前の分岐まで引き返して曲がっていきます。
民家の脇を過ぎて、白いガードレールが設置された道を進んでいきます。 程なくして土の道になってきますが、車1台が通って行かれるだけの幅があります。 細い道がすぐに右手へ分かれていきますが、広くて緩やかな道を進んでいきます。 新興住宅地が出来るまでは、地域の生活道路として利用されていたのでしょうか、 古くからある道のようでした。 2分ほど進んでいくと僅かに降るようになります。 そのまま進んでいくと、降り傾斜が増してくる所から舗装路に変わります。 かなり傾斜のある坂道を降っていくと、正面に空地のような所がありました。 舗装路は手前を右へ曲がって降っていきますが、左手へも山道が分かれていました。 行く末が気になったりしましたが、今回は探るのは止めて、 道なりに右へと降っていきました。
坂道を降っていくと、次第に開けた谷筋になってきます。 左側の山際に沿って続く舗装路を降っていきます。 やがて竹林が現れると、右手にはサイロのある建物がありました。 飼料を作る作業場のようで、飼料が山積みされた建物や、飼料を詰めた袋などが沢山ありました。 傍には民家も何軒か建っていました。
トウモロコシ畑と思われる所を過ぎて、山沿いに更に降っていくと、正面が開けてきます。 トタン張りの小屋を過ぎて降っていくと、左右に通る道路に降り立ちました。 左手の角には「地神社」と刻まれた石碑や、双体のお地蔵さんがありました。 お地蔵さんには海老色の前掛けがされていました。 ここを左折していきます。
光福寺
お地蔵さんの前を過ぎて、畑地と民家の間を進んでいくと、左手に赤茶色の塀の門があります。 入口には「時宗 光福寺」の表札が掲げられていました。 門の先に続く道へ入っていくと、右側には「名號殿」の扁額が掛る煉瓦造りの小振りの建物がありました。 振り返ると、門の脇には石仏が七体並んでいました。 正面には「時宗 囲繞山 遍照院 光福寺」の表札が掛る山門がありました。 「名號門」の扁額が掛っていて、その両側には筋骨隆々の姿をした怖い顔の像が並んでいました。 門をくぐって中へ入っていくと、正面に真新しい本堂があり、右手には庫裡と思われる建物がありました。 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでした。
「名號」とは何だろうと思って後で調べてみると, 仏教語大辞典によると、 「仏・菩薩の名、または、仏に帰依する心を述べる念仏の言葉。南無阿弥陀佛など」 となっていて、「みょうごう」と読むのだそうです。 それから類推すると、「名號門」とは念仏を唱えてくぐる門という意味なのでしょうか。
門まで引き返してくると、道が二手に分かれています。 すぐの所には東海道新幹線の高架が通っています。 二つの道は両方とも高架の下をくぐって向こう側へと続いていましたが、 門の正面に続く右側の道を進んでいきました。 「正畑C」という名札が取付けられた高架橋をくぐっていくと、左手には田んぼが広がっていました。 その先へ進んで、田んぼから畑に変わってくると、少し降り気味になってきます。 生け垣の端まで進んでいくと、道端に「山西農道新設記念碑」がありました。 今歩いている道がその農道なのでしょう。 農道建設への寄附者の名前が刻まれていましたが、農道に関する文は見かけませんでした。
記念碑を過ぎていくと眺めが広がってきます。 川面は見えませんでしたが、開けた所には中村川が流れているようでした。 その奥に横たわっている低い山並みは曽我丘陵でしょうか。
禅龍寺
大根畑や白菜畑を過ぎていくと、降り傾斜が増してきます。 左へS字形に曲がりながら降り始める所から、左へ坂道が分かれていきます。 脇の石垣には「臨済宗建長寺派 禅龍寺」の標識が取付けられていました。 坂道を登っていくと、民家風の石の門があって、 右側には「福聚山」、左側には「臨済宗禅龍寺」の表札が掛けられていました。 門を過ぎていくと、石碑群の前に「禅龍寺沿革」と題した説明板が設置されていました。 明徳2年(1391)に開山した建長寺派のお寺のようでした。 その先には真新しい禅龍寺の本堂がありました。 左手には墓地が広がっていました。 右脇に小屋のようなものはありましたが、庫裡と思われる別建ての家は見かけませんでした。 沿革には「本堂兼庫裡」の文字が見えるので、本堂が庫裡を兼ねているということなのでしょうか。 本堂の左手に舗装された坂道が続いていたのでちょいと登ってみると、畑地のようになっていました。 そこから本堂の裏山のような所を進んでいくと舗装路へと続いていました。
臨済宗建長寺派 福聚山 禅龍寺沿革
明徳2年(1391)、建長寺92世慶堂資善大和尚を請して開山とする
正徳2年(1712)3月、念日殿堂建立、達道和尚代大工棟梁多田与左衛門
安永4年(1775)10月、念四日過去帖再製卍山曳和尚代用紙施主橘川弥右衛門
文化3年(1806)5月吉日、禅龍寺鎮守弁才天安置
文化7年(1810)春、庫裡再建物置増築
天保4年(1833)2月、大門建立大工定右衛門
大正12年(1923)9月1日、大震災により本堂庫裡全壊
昭和4年5月、本堂兼庫裡(間口四間・奥行三間)再建
昭和28年9月17日、宗教法人・禅龍寺成立登記
昭和35年4月、本堂兼庫裡改築
昭和44年10月1日、上ノ久保809番地畑578平方米墓地として県知事許可
昭和45年4月19日、墓地整理改葬供養
昭和49年8月、位牌堂増築落慶法会
昭和54年4月9日、建長寺官長湊素堂老大師御親化
昭和57年5月、墓地南側石積構築
平成3年5月、禅龍寺山林を含む団体営畜産経営環境整備事業完成
寺宝
本尊薬師如来十二神将共
開山慶堂資善大和尚位牌
開山慶堂資善大和尚生像
下原橋
禅龍寺から引き返して坂道を降っていくと中村川の畔に出ます。 ガードレールが設置された川沿いの道を左手へ進んでいくと下原橋が架かっています。 橋を渡っていくと、川には大きな鯉が沢山泳いでいました。 橋を渡った所の脇には道祖神などが幾つか並んでいました。
登り坂になった道を進んでいくと、右側には災害時臨時ヘリポートにもなっている空地がありました。 脇にはテーブルやベンチが設置された屋根付の場所もありましたが、 空地の周囲には金網柵が設置され、入口は閉ざされていました。
災害時臨時ヘリポート
この場所は、災害時にヘリコプターが緊急活動を行うために臨時の発着場として指定された場所です。
 (小田原市)
救援物資等ターミナル
この場所は、災害時に市外からの救援物資等を一時的に集積する場所です。
 (小田原市)
鐘薮(かねやぶ)バス停
空地を過ぎていくと、左右に通る二車線道路に出ます。 その右側すぐの所に鐘薮バス停があります。
二宮駅(JR東海道線)まで、二宮駅南口行きバスにて9分、 正午前後には1時間に2本程度、朝夕には1時間に3本程度の便があります。