十三峠
散策:2009年12月下旬
【街角散策】 十三峠
概 要 十三峠は横須賀市に続く小高い尾根道で、かつては古道の浦賀道が通っていました。 往時は木が生い茂るばかりの淋しい道だったようですが、今では住宅などが建ち並ぶ道になりました。 今回は田浦駅から十三峠へ登り、そこから西側の谷筋へ降りていきます。 山中町から塚山公園へ登り、園内を散策して安針塚駅へと降っていきます。
起 点 横須賀市 田浦駅
終 点 横須賀市 安針塚駅
ルート 田浦駅…田浦神明社…月見台住宅…田浦町1丁目分岐…長浦町5丁目分岐…田浦泉町分岐…長浦町3丁目分岐…十三峠配水池…長浦3丁目公園…十三峠…谷筋…山中町…塚山公園…按針塚…富士見…中央広場…見晴台…港の見える丘…按針台団地…安針塚駅
所要時間 2時間30分
歩いて... 十三峠から西側へ降る道はしっかりと続いていました。 谷筋へ降りて沢を歩く場面もありましたが、ほとんど水は流れていなくて難なく歩いていけました。 塚山公園からは富士山も望めるようですが、この時には生憎と霞んでいて見えませんでした。 塚山公園には桜の木が沢山植えられていて、花の季節に訪ねると綺麗な眺めが楽しめそうです。
関連メモ 塚山公園, 乳頭山, 乳頭山, 畠山, 乳頭山
コース紹介
田浦(たうら)駅
田浦駅(JR横須賀線)から歩いていきます。
改札口を出た正面にある「田浦港方面」の看板に従って、右手へと進んでいきます。
十三峠へ向うには改札口から左手の「田浦町方面」へ出るほうが近道ですが、 今回は田浦神明社を訪ねていくべく、遠回りをしていきました。
階段を降り、その先の信号機のある車道に出て左折していきます。 自衛隊横須賀病院の前を左手へ曲がっていくとJR横須賀線の線路の脇に出ます。 道なりに右へ曲がっていくと、会社用の二段式駐車場を過ぎた所に田浦踏切No34があります。 踏切を渡ってその先に続く路地を進んでいくと、 すぐの所の左側に「神明社」の扁額の掛る鳥居があります。 脇には「神明社」と刻まれた石碑や手水舎もありました。 「田浦神明社」の幟も旗めいていました。
田浦神明社
鳥居をくぐっていくと、左手は広場のようになっていて、 社務所や横須賀市消防団の連絡所の建物がありました。 その右手には、神社の建物と消防団の車庫もありました。 突き当たりから左へ曲がって、鳥居の先の石段を登っていくと田浦神明社の社殿があります。 石段や境内には石灯籠や狛犬などが並んでいました。 社殿の左側には神輿殿があり、右側には小振りの御嶽神社がありました。 また「御大典記念」と刻まれた大きな石碑もありました。
神明社
鎮座地 神奈川県横須賀市田浦町2丁目1番地
祭神 御食津神(みけつのかみ)、闇龍神(くらおかみのかみ)、吉備霊(きびのみたま)
由緒沿革 神明社は御花園天皇の御代足利義教将軍時代正長元年(1428)6月16日に勧請した。 神明社は元田浦町5丁目42番地にあっ明治6年6月村社に列格した。 後大正2年12月15日田浦大作町151番地にあった貴布袮社(祭神吉備霊)を神明社に合併した。 大正8年6月18日田浦町2丁目1番地に移し社殿の改築と境内の拡張完成、 大正9年5月21日神奈川県告示204号を以って指定社となった。 大東亜戦争終結後昭和28年10月5日神奈川県指令第3234号により新しい宗教法人の名のもとに 氏子が維持し田浦の氏神として崇敬され今日に及んでいる。
御祭神について 御食津神  御食津神は豊受比賣神と同じ神で食物を司る祖神で伊勢神宮の外宮の大神と同じで 天照大神の食物を司る神様である。
闇龍神  闇龍神は伊邪那岐命が火具土神を剣で頸を斬り給う時に剣から滴る血の手の俣から漏れ出た神とされている。 闇や谷を意味し龍は龍神で雨を司る神で奈良県吉野にある丹生川上神社、京都の鞍馬にある貴船神社と同じ祭神である。
吉備霊  吉備霊は吉備津彦神と同じで孝霊天皇の第三皇子で崇神天皇の御代に四道将軍が置かれ 西道将軍として中国地方に派遣せられ吉備国(今の岡山県)を平定し永くこの地にとどまり 仁政を敷かれ偉大な功業威徳のあった方で崇められている。 岡山県の吉備津神社の御祭神である。
(闇龍神の「龍」の字は、"雨"冠に"龍"と書きます)
田浦神明社を後にしてその先へ進んでいくと国道16号に出ます。 右手には歩道橋が架かっていて、田浦梅の里(田浦梅林)へは歩道橋を渡っていく旨の立て看板もありますが、 左手の先に見えている田浦隧道を抜けていきます。 上り線と下り線で別々のトンネルになっていて、 それぞれ「田浦隧道」「新田浦隧道」というようです。 中には歩道が設置されていて安全に歩いていくことが出来ます。 中間地点に「60m←出口→60m」の看板があったので、長さは120mほどのようです。 トンネルを抜けていくと、右側に理容店があります。 その脇へ続く路地へ入っていきます。 少し先に横断歩道があるので、そこを渡って引き返してきます。
歩道が狭いのでお互いにゆずり合いましょう。
 (田浦警察署、横浜国道事務所、金沢国道出張所)
理容店の横から路地へ入っていくと、すぐに右手に崖が見えてきます。 右手の民家の前の路地へ入っていきます。 左手へ続く階段を登っていくと二手に分かれますが、右へ曲がっていく崖沿いの道を登っていきます。 道の右側には手摺や金網柵が設置されていて安全になっています。 コンクリート補強された崖の上を進んでいくと、トンネルの真上に出ます。 そこを横切っていくと、左手の斜面へと階段が続いています。
かなり傾斜のある階段を登っていきます。 途中で民家への階段が左へ分かれていきますが、そのまま上へ登っていくと、左右に通る緩やかな道に出ます。 ここはトンネルの上に伸びる尾根の上になります。 右手の道は少し先の民家が途切れる所で行き止まりになっているので、 十三峠を指して左手へと進んでいきます。
手元の地図によると、自衛隊横須賀病院を過ぎた線路沿いの辺りから尾根へ登っていく道があるようだったので、 登り口はないかと探してみましたが、崖が続くばかりで、それらしい所は見当たりませんでした。 その道があれば、そこからここまで登って来られたように思います。
月見台住宅
小さな畑の先の切通を過ぎていきます。 簡易舗装された道を進んでいくと、トタン塀と山に挟まれた所を登るようになります。 道の真ん中が階段状になった坂道を登っていくと、左側が開けてきます。 トタン塀から石垣に変わった道を緩やかに進んでいくと、高台にある住宅地に出ました。 この先にあった看板によると市営の月見台住宅というようです。 広くなった道路を進んでいくと、程なくして道が二手に分かれています。 どちらを進んでも同じ所に出ますが、今回は左手の道を進んでいきます。 登り気味に進んでいくと、すぐに道が二手に分かれていますが、 そこでも左手の道を進んでいきます。
田浦町急傾斜地崩壊危険区域
この区域内で、のり切、掘削、伐採等を行なう場合は知事の許可が必要ですから 横須賀土木事務所へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県)
田浦町1丁目分岐
緩やかになった道を進んでいくと、車止めの柱の先に石段が現れます。 正面にはこれから向う十三峠のある尾根がよく見えていました。 石段を降っていくと、住宅地に出た最初の分岐を右手へ進んでいきた道に降り立ちます。 そこから左手へ進んでいくと、左手から道が合流してきます。 田浦町1丁目の「のの字橋」を経てきた道になります。 左手からの道を合わせて広くなった道を進み始めると、右手に戻るようにして石段が降っていきます。 その角に「浦賀道(十三峠)」の標柱が立っていて、 正面の道は「十三峠」「塚山公園(按針塚)」、今来た道は「田浦梅林」「JR田浦」となっていました。 今回の散策で見かけた「十三峠」に関する唯一の案内書きになります。 ここは尾根の上に続く住宅地の道路を登り気味に進んでいきます。
浦賀道(十三峠)
この尾根道は十三峠ともいわれ、古道(浦賀道)で陸路の難所でした。 昔は木がおおい繁り淋しい道であったと伝えられています。
長浦町5丁目分岐
標柱を過ぎて、緩やかな登り坂になった舗装路を進んでいきます。 横須賀港方面の展望が得られる所を過ぎて傾斜が増してきた坂道を登っていくと、 標柱から3分ほどの切通のような所から左手へ戻るようにして降っていく道があります。 またその間には民家への道も分かれていて、柵には「長浦町5丁目63番地」の標識が取り付けられています。 左手の道を降っていくと、 長浦町5丁目と田浦町1丁目を結ぶ「ながかまトンネル」を経て田浦駅へと続いていますが、 尾根に続く舗装路をそのまま進んでいきます。
(左手の道は「塚山公園」を参照)
田浦泉町分岐
横須賀方面の景色を眺めたりしながら、住宅が散在する尾根を進んでいきます。 4分ほど進んでいくと、道が二又に分かれています。 右手の道の柵には「田浦泉町26・39方面」の黄色い標識が取り付けられていますが、 左側に真っ直ぐ続く道を更に登っていきます。
右手の高みにある畑へ登っていくと思われる農道をやり過ごしていくと、 先ほどの二又から3分ほどで、左手が開けてきます。 横須賀港や泊町の奥には、房総半島の沿岸部も見えていました。
長浦町3丁目分岐
民家への道を左に分けて坂道を1分ちょっと登っていくと分岐があります。 角には東長浦自治会掲示板があります。 左手の道の先には「この先車輌通り抜けできません」の看板が立っています。 手元の地図によると長浦町3丁目の辺りに降りていけるようですが、 右手へ続く坂道を更に登っていきます。
十三峠配水池
坂道を登っていくと、右手の住宅の脇から上へと続く階段があります。 その先には青い塔が見えているので立ち寄ってきました。 急傾斜の階段を真っ直ぐ登っていって高台に着くと、 横須賀市水道局の十三峠配水池がありました。 周囲には柵が設置されていて中へは入れませんでした。 振り返ると、横須賀の海や対岸の房総半島がよく見えました。 横須賀沖に浮かぶ猿島も見えていました。 先ほどの所よりも高い所にある分だけ眺めもよくなっていました。
長浦3丁目公園
元の道に降りてその先へ進んでいくと、右側の一段高い所に長浦3丁目公園があります。 ちょっとした遊具やベンチがある小さな公園です。 「開拓記念碑」と刻まれた大きな石碑もありました。 裏面には「十三峠開拓農業協同組合」と題して多くの氏名が刻まれていました。 昭和32年1月に建立された石碑のようでした。 謂れ等は刻まれていませんでしたが、先の大戦後の食糧難の時代に、 この辺りを開墾したことを記念する碑のようです。
十三峠
公園を後にしてその先へ進んでいくと左手が開けてきて、塚山公園のある尾根がよく見えるようになります。 そんな景色を眺めながら緩やかな坂道を登っていきます。 工事フェンスが設置された作業場のような所を過ぎていくと、少し降り坂になってきます。 正面に送電線の鉄塔や電波塔を見ながら進んでいくと、 左手へ曲がり始める所から、右手へ山道が分かれていきます。 脇に立つ電柱には「大矢戸幹左5/左5/51」や「按針441」の標識が取り付けられていて、 「火の用心」の標柱も立っています。 手元の地図によると、この辺りに「十三峠」と記されています。 月見台住宅を過ぎた所に立つ標柱には「浦賀道(十三峠)」となっていたので、 十三峠とはいわゆる鞍型になった峠ではなくて、尾根に続く道の全体を指す名前なのかも知れませんが、 ここは僅かながら鞍部のようにもなっているし、右手へ降っていく道もあるので、 「峠」のような雰囲気がする所ではあります。 田浦駅から55分ほどの所になります。 このまま舗装路を進んでいくと塚山公園へ続いていますが、 今回は僅かな高みを越えていく右手の山道を降ることにしました。
(正面の道は「塚山公園」を参照)
火の用心
Stop the Fire
 (横須賀市北消防署)
U字形に抉れた僅かな高みを越えていくと、尾根の斜面を横切るようにして山道が続きます。 抉れた所を過ぎていくとすぐに左手へ登っていく道が分かれています。 その道は先ほどから見えていた送電線の鉄塔「大矢部線No.41」の所で行き止まりになっているので、 斜面に沿って続く道を進んでいきます。 落葉が積もった道を緩やかに降っていきます。 山道にしては道はしっかりとしていて明瞭になっていました。 赤い花を咲かせた椿の木もありました。 程なくして、左手に続く尾根が低くなってきて尾根の背に出ます。 道は尾根を斜めに横切るようにして、その先へと降っていきます。
谷筋
両側には笹竹やアオキなどが生い茂り、抉れ気味に続く坂道を降っていきます。 これまでよりも傾斜が急になりますが、道はしっかりと続いています。 竹林を過ぎていくと次第に傾斜が緩やかな道になってきて、小さな谷筋に降り立ちます。 道端に細い流れが続くようになると杉林へ入っていきます。 十三峠から6分ほど降って来た所になります。
1分半ほどで杉林を抜けると、右手に続いてきた沢のすぐ傍を進むようになります。 に降りてしまう所もありますが、沢床は岩盤になっているし、 水も僅かしか流れていなかったので、難なく歩いていけました。 沢から上がって、左岸に続く道を進んでいきます。
沢から一段高くなった所に続く道を進んでいくと、 右下を流れる沢へ降ってから対岸へ登り返していく道が分かれていました。 送電線の巡視路でよく見かける金属網の階段が設置されていたので、その先には鉄塔でも立っているのでしょう。 沢の対岸の道はかなりの登り傾斜があるようでした。 巡視路は見送って、沢沿いに続く道をその先へと進んでいきます。
広めで緩やかな道を進んでいくと、次第に降り傾斜が増してきます。 岩盤が剥き出してU字形に抉れた所を降っていきます。 トラロープが張られていたりもしますが、それほど必要な感じではありませんでした。 トラロープが終わると、沢側には金網柵が続くようになります。 柵に沿って続く緩やかになった道を進んでいくと、 沢が合流している所に小さなコンクリート製の橋が架かっています。 名もない橋を渡って右手へと曲がっていきます。
金網柵沿いに進んでいくと、程なくして柵から離れて、 左手の笹竹の生い茂る中に続く横木の階段を登っていきます。 20段ほどの階段を登っていくと、広い道に出ました。 十三峠から13分ほどで降りて来られました。 右手へ続く道は、畠山から乳頭山のすぐ近くの三浦アルプスの南尾根へ続く道へ登っていけますが、 左手に続く広い道を進んでいきます。 振り返ると、今歩いて来た谷筋の両側には山が迫ってきていました。 左手の尾根には送電線の鉄塔が立っているので、先ほどの沢を渡っていく金属網の階段は、 その鉄塔へと続いているようでした。
(右手の道は「塚山公園」, 「乳頭山」, 「乳頭山」を参照)
山中町
左手へ歩き始めると、建物がある所から舗装路になります。 僅かに登ってから緩やかに降っていきます。 手元の地図によると、この辺りは山中町というようです。 左手から来る道を合わせて更に降っていくと金網柵があります。 車止めの鎖もありますが、路面に横たえられていました。 柵には「車両は通行できません」の看板が取付けられていました。 柵を過ぎていくと道が二手に分かれています。 道標類は見かけませんでしたが、ここから塚山公園へ向うべく、左手の坂道を降っていきます。
(正面の道は、横須賀インター前交差点を経て県道27号へと続いています)
車両は通行できません
 (神奈川県横須賀土木事務所、横須賀市土木部)
左へ曲がっていく坂道を降っていくと、先ほどの沢に架かる小さな橋を渡っていきます。 数軒の民家が建ち並ぶ中に続く道を進んでいくと、 程なくして本町山中道路の高架の下を進むようになります。 山中第二地下道を見送っていくと、左側の山へ入っていく道があります。 入口には「大楠山ハイキングコース」の道標が立っていて、左手の道は塚山公園、 高架の下に続く正面の道も「塚山公園」、今来た道は「大楠山」となっています。 どちらの道を進んでも塚山公園に着きますが、左手の道は以前にも歩いているので、 今回は正面の道を進んでいきました。
以前に来た時に見かけた道標では、左手の道は「塚山公園(石畳道)」となっていました。
(「塚山公園」を参照)
柵で囲まれた山中竪坑入口の設備を過ぎていくと、尚武橋をくぐって道路の右側に出ます。 青緑色の金網柵沿いに左手へ曲って道路の脇を進んでいくと大楠山ハイキングコース」の道標が立っていて、 この先の道は「塚山公園」、今来た道は「大楠山」となっています。 そこを過ぎていくと、道路をくぐっていく山中第一地下道が左手に分かれていきますが、 入口には鉄柵が設置されていて閉ざされています。 塚山公園へは左手の道は見送って、幅が狭まる正面に続く道を進んでいきます。
これまでよりも幅は狭くなりますが、コンクリート舗装されていて歩きやすい道が続きます。 周囲には樹木や笹などが生い茂り、しっとりとした雰囲気の良い道になっています。 日陰になっていて湿度が高いからなのか、シダ類が生えていたりもします。 アオキが生えるようになった道を進んでいくと、間隔の広い階段を登るようになります。
一歩では広すぎるし二歩ではもどかしいしと思いながら階段を登っていきます。 小さな切通のような所もあったりする階段を2分ほど登っていくと、左右に通る緩やかな道に出ます。 角には道標が立っていて、左手の道は「塚山公園」、今登ってきた階段は「大楠山」となっています。 右手の道もしっかりとしていましたが、何も記されてはいませんでした。 ここは道標に従って左手へと進んでいきます。
右手の道は小さな切通を抜けて降っていきます。 その先には赤い屋根の建物が見えていました。 この先で見かけた塚山公園の案内図によると、芝生広場やさくら谷へ続く道のようです。
塚山公園
雑木林の尾根の斜面に続く緩やかな舗装路を進んでいきます。 小さな切通を過ぎて少し右へ曲がっていきます。 先ほどと同じような間隔の広い階段を登っていくと、更に広い道に出ます。 登り着いた所にも道標が立っていて、左手の道は「JR田浦駅」、 右手の道は「京急安針塚駅・逸見駅」、今登ってきた階段は「大楠山」となっています。 道標から「塚山公園」の文字がなくなったところをみると、この辺りからが塚山公園になるようです。 右手のすぐ先には大きな切通があるので、今回は右手へ進んでいきました。
左手の道は富士見台を経て十三峠へと続いています。 山中第二地下道を過ぎた所から分かれる道を登ってくると、左手の道の数10m先の所に出られます。
大きな切通を抜けていくと、道が三方に分かれています。 右手の休憩舎へ続く道の入口には標識が立っていて「中央広場・見晴台」となっています。 また山際には「かながわの景勝50選 塚山公園」の石碑があります。 正面の道は降り気味に続いていて、すぐの所から左手へ登っていく石段が分かれています。 登り口には「按針塚」の標識があって、「三浦按針墓」と題した解説板もあります。
国指定史跡 三浦安針墓
三浦按針は、本名ウイリアム・アダムスという英国人である。 オランダ東印度会社が東洋に派遣した艦隊の水先案内となり、 マゼラン海峡を過ぎ太平洋を横断し、モルッカ島に向かって航行中、大風にあって九州に流れ着いた。 のち徳川家康の信任を得、外交顧問となった。 また、航海術、天文学、造船術にもすぐれ、伊豆伊東で西洋帆船を造った。 三浦郡逸見村に250石を与えられ、三浦按針とよばれた。 按針とは、水先案内人のことである。 按針は、元和6年(1620)長崎県平戸で亡くなった。 この墓は按針と妻女をとむらうもので、遺言によってこの地に建てたと伝えられている。 この墓石の形態は宝篋印塔といい、凝灰岩でできている右塔が按針の墓、 安山岩でできている左塔が妻の墓である。
 (横須賀市教育委員会)
按針塚
左手の道を進んでいくと、正面の道の先から分かれてきた石段の途中に出ます。 「ウヰリアムアダムス夫婦墳墓在於塚山絶頂」と刻まれた大きな石碑と解説板があります。 そこから左手に続く石段を登って高台に着くと、周囲を柵で囲われた按針塚があります。
史跡の永久保存
1. 私達は、ウイリアムアダムス、日本名「三浦按針」とその妻の墓を永久保存するため、 西暦1996年(昭和41年)に塚山公園保存会を設立して以来、清掃奉仕を継続しています。
2. 毎年4月には、横須賀市主宰の四大国際式典である三浦按針祭が盛大に開催されます。 日英両国民の友好の証しとして、この史跡を大切にしてください。
 (横須賀市西逸見町、県立塚山公園保存会)
按針塚の右にある石段を降りて一段低い所の芝地に出て、 更にその先に続く石段を降っていくと、三叉路に降り立ちます。 左手から登ってくる道は、塚山公園に登り着いた所から左手に進んできた道で、 右手の道は按針塚の手前の石段を横切ってきた道になります。 正面の道は十三峠から尾根を真っ直ぐ進んできた道になります。 右手には道標が立っていて、正面の道は「JR田浦駅」、右手の道は「三浦按針夫婦墓」となっていて、 解説板も立っています。
横須賀風物百選 三浦按針夫婦墓
墓石は、江戸期の宝篋印塔で、国指定の史跡となっています。 右が按針の墓で、左がその妻の墓です。 三浦按針は、本名をウィリアム・アダムスと言い、1564年にイギリスのケント州ジリンガムで生まれました。 少年時代の12年間を造船工として働き、成長して海軍に入り、航海長や船長をつとめました。 のちに、オランダのファン・ハーヘン会社の東洋探検船隊に加わり、 リーフデ号の航海長として1598年に東洋へ向いまいた。 慶長5年(1600)、台風に遭い、生き残った乗員24名と共に豊後国(大分県)臼杵に漂着しました。 徳川家康は、三浦按針を高く評価し、政治・外交顧問として重く用い、 江戸日本橋に屋敷を、この地逸見村に250石の領地を与えて厚遇しました。 三浦の姓は、この三浦の地を領地としたことにより、按針の名は、 水先案内人を当時按針と称していたことによります。 この頃の按針は、家庭的にも恵まれ、江戸日本橋大伝馬町の名主馬込勘解田の娘を妻とし、 ジョセフとスザンナの一男一女をもうけました。 家康の亡きあとは不遇となり、元和6年(1620)5月16日に平戸の豪商木田弥次右衛門宅で病死しました。 享年57歳でした。 この地に供養塔が建てられたのは、「我死せば、東都を一望すべき高敞の地に葬るべし、 さらば永く江戸を守護し、将軍家の御厚恩を泉下に奉じ奉らん」との按針のことばに従ったものと言われています。 毎年4月8日、按針の威徳をしのび、国際色豊かな記念式典が行なわれます。
富士見台
正面の高みへ登って石段があって、その入口に「富士見台」の標識も立っているので、登っていきました。 高みを左手から巻くようにして続く石段を登っていくと、周囲を柵で囲まれた高台に着きました。 ここが富士見台のようです。 幾つか設置されているベンチの中で、左側にあるのだけは外向きに設置されています。 その方角に富士山が見えるということだろうと思われますが、この時には遠くが霞んでいたようで、 それらしい山は見えませんでした。
中央広場
富士見台の先にも道が続いていますが、石段を引き返して三叉路に降りて、 道標「三浦按針夫婦墓」の指す道を進んでいきます。 車止めを過ぎていくと、按針塚へ登っていった石段に出ます。 石段を降って左へ進み始めると、すぐ先には分岐があって、 京急安針塚駅への道が左手に分かれて降っていきます。 その手前から右の休憩舎へ登っていく石段があります。 脇には塚山公園の案内図もあるので参考にしましょう。 石段を登っていくと、休憩舎の中にはベンチが設置されていましたが、何故だか三角形をしていました。 その前の石段を降りた所に広場がありました。 先ほど見かけた標識によると中央広場というようです。
見晴台
中央広場の先へ進んでいくと、右手の高みに登っていく幅の広い石段があります。 その登り口には「見晴台」の標識が立っています。 長い石段を登っていくと、途中にベンチも設置されていました。 そこから更に登っていくと、周囲を柵で囲われた高台に着きます。 ここが見晴台というようです。
見晴台は先ほどの富士見台よりも周囲の樹木が少なくなっていて、その名の通りに見晴しの良い所です。 ベンチが幾つも設置された高台の中ほどには、ここから見える風景の写真が載った案内図があります。 それによると、東には猿島・走水・房総半島が、南には大楠山・横浜横須賀道が、 西には富士山が、北には横浜市金沢区・長浦港が見えるとのことですが、 残念ながらここからも富士山は見えませんでした。 西側には先ほど歩いてきた十三峠の尾根が見えていました。 十三峠配水池の特徴的な青い塔も見えていました。 東側には横須賀港を見下ろすこともできました。
中央広場まで引き返して花壇を過ぎていくと、公園の中ほどを通る道に出ます。 安針塚駅や逸見駅へはその道を降っていくのですが、 「港の見える丘」の標識が左手に分かれていく道を指しているので立ち寄っていきます。 入口には「塚山公園」と刻まれた石碑もあります。 尾根に続く広い舗装路を進んでいきます。 尾根には桜の木が沢山植えられていました。 この塚山公園は桜の名所にもなっていて、 シダレザクラ・ソメイヨシノ・サトザクラ・ヤマザクラ・オオヤマザクラ・オオシマザクラなど、 多くの桜の木が植えられています。 毎年4月上旬には「さくら祭」が催されるようです。
県立 塚山公園のさくら
シダレザクラ
(枝垂桜)
落葉の高木で、小枝が枝垂れます。葉は開花後に展開し、若芽は常緑茶色です。 花序は散形状で数花からなります。3月下旬〜4月上旬に白色一重の花を開きます。
ソネイヨシノ
(染井吉野)
江戸染井村の植木屋から広まったので、この名前がつきました。 エドヒガンとオオシマザクラからできた品種といわれ、成長が早いので、明治末には全国に広まりました。
サトザクラ
(里桜)
ふつうヤエザクラというとこのサトザクラのことで、仲間全体をさしていう名前です。 八重がいっしょに咲きます。
ヤマザクラ
(山桜)
陽当りのよい山の斜面などに生えるヤマザクラは、春、若葉と同時に白い花を咲かせます。 昔から吉野山のヤマザクラは勇名です。樹皮は細工物や薬に利用します。
オオヤマザクラ
(大山桜)
落葉の高木で樹形は広卵状または球状となります。4月上旬に淡紅色で一重の花を咲かせます。 四国山脈などにも分布しますが、通常関東以北に自生します。
オオシマザクラ
(大島桜)
伊豆地方特産のサクラで白い花をつけます。この葉を塩づけして桜モチをつつみます。 じょうぶで生長も早いので他のサクラの台木に使います。
港の見える丘
ベンチなどが幾つも設置されている道を進んでいきます。 休憩舎を過ぎた所が港の見える丘というようです。 ボードウォークのようになっていて、手前には花壇もありました。 正面にはその名前の通りに、横須賀港を見下ろせる眺めが広がっていました。 港に停泊する軍艦もよく見えていました。
手前の分岐まで引き返して、坂道を降っていきます。 右手に広がるさくら谷を眺めながら降っていくと、塚山公園の管理事務所があります。 そこを過ぎて切通のような所を降っていくと、正面に街並みなどを見渡せるようになってきます。 金網柵に沿って降っていくと、本町山中道路の料金所が見えてきます。 塚山トンネルの出入口の辺りまで来ると、左手へ道が分かれています。 金網柵には標識が取り付けられていて、正面の道は「逸見駅まで約20分」、 左手の道は「安針塚駅まで約10分」となっています。 どちらの駅でも良いのですが、今回は近い方の安針塚駅に向うことにしました。
ガードレールに沿って左手へ進んでいくと、すぐに右折して階段を降るようになります。 車道の脇を過ぎて更に降っていくと道路に降り立ちます。 右手には吉倉地下道がありますが、左手に続く坂道を降っていきます。
按針台団地
坂道を降った先の突き当たりを右折していきます。 その角から右下の谷筋にある住宅地へ降りていく階段が分かれていきますが、 大きな集合住宅が幾つも建ち並ぶ広い道を進んでいきます。 ここは「ベイサイドテラス按針台」や「コモンヒルズ按針台」という団地のようです。 山の手ゾーンと丘の手ゾーンから成る広い団地で、 所々に案内図が設置されています。 左手から道が合流してくる所まで来ると、正面に集会棟が建っています。 ここを右折して、団地に続く広い道を更に進んでいきます。
樹木が植えられた広場のような所を過ぎていきます。 その先の藤棚のある広場を過ぎた所の左手に、鉄パイプで組まれたものがあります。 ここが安針塚駅への近道になります。 階段を降りると、左手には金網柵で囲まれた陸橋があります。 左下すぐの所には安針塚駅のホームが見えています。 橋を渡っていくとエレベータ塔があります。 按針台団地が所有する施設ですが、一般にも開放されているようです。 行き先は「R・2・1」となっていて、ここは「R」になります。
本施設は、コモンヒルズ按針台団地住民が所有、同団地管理組合が管理する施設ですが、 地域の皆さんにも開放しています。 施設の使用にあたっては、下記の禁止事項を厳守して下さい。
エレベーター内の禁止事項
1.重量制限を超える重量物又は危険物の持ち込み
2.自転車、バイク等の持ち込み
3.動物(小虫類、小鳥等を除く)の持ち込み
4.不潔なもの又は臭気の強いものの持ち込み
5.エレベーター内での喫煙
6.エレベーター内での飲食
7.他の利用者に危害又は迷惑をかける行為およびそのようなおそれのあるものの持ち込み
安針塚(あんじんづか)駅
エレベータに乗って行き先ボタン「2」(*)を押します。 エレベータを降りて左手に続く煉瓦敷きの橋を進んでいくと、 左手に安針塚駅(京浜急行本線)があります。
*1階まで降りても、駅へは階段を登ることになるので、2階で降りる方が便利です。