舞岡ふるさと村
散策:2009年12月中旬
【里山散歩】 舞岡ふるさと村
概 要 舞岡ふるさと村は、農業育成と田園景観保全を目指した村で、地下鉄舞岡駅の北側と南側に広がっています。 舞岡公園や舞岡ふるさとの森とも隣接していて、全体としてひとつの空間を作っています。 今回は西側から舞岡ふるさとの森を歩いていきます。 瓜久保に立ち寄ってから舞岡ふるさと村を北上して五太夫橋へと向います。
起 点 横浜市 小田急分譲地中央バス停
終 点 横浜市 ブリヂストン前バス停
ルート 小田急分譲地中央バス停…74.3m峰…三枚畑の森…瓜久保…前田の丘…くぬぎ休憩所…舞岡ふるさとの森…富士見スポット1…富士見スポット2…舞岡ふるさと村…虹の家…舞岡八幡宮…道岐橋…常玄寺…吉田町第二公園…五太夫橋…ブリヂストン前バス停
所要時間 2時間20分
歩いて... この時は空気が澄んでいて、舞岡ふるさとの森にある二箇所のビュースポットからは、 丹沢から伊豆にかけての山々が連なり、その背後には冠雪した綺麗な姿の富士山を望む眺めが広がっていました。 特徴的な姿をした金時山も山頂部を現わしてしました。
関連メモ 舞岡ふるさと村, 舞岡ふるさとの森, 舞岡ふるさと村, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園, 舞岡公園,
舞岡公園, 舞岡ふるさとの森, 舞岡公園
コース紹介
小田急分譲地中央(おだきゅうぶんじょうちちゅうおう)バス停
戸塚駅(JR東海道線)の東口バスターミナルから、小田急分譲地行きバスにて7分、 朝夕は1時間に3本程度、お昼前後は1時間に2本程度の便があります。
バスは循環運行されていて、分譲地を時計回りに巡って再び戸塚駅へと戻っていきます。
バスが来た方向に引き返していきます。 バスが曲がってきた十字路を直進して、住宅地に続く坂道を登っていくと、右手に幅の広い石段が現れます。 ここが尾根道への登り口になります。
幅の広い石段を登っていきます。 踊場に着いて少し左へ曲がっていきます。 幅が少し狭まるものの、引続き広い石段を登っていきます。 振り返ると、戸塚の街並みの向こうには、雪を頂いた富士山が姿を現しました。 手前の電線やアンテナなどが気になりますが、雲一つない青空に裾野を広げた綺麗な眺めでした。 左手の方には特徴的な姿をした金時山も頭を覗かせていました。
74.3m峰
階段の途中の左側には「舞岡公園」と書かれた標柱が立っています。 そこを過ぎて更に石段を登っていくと緩やかな尾根道になります。 右手には明治学院大学の敷地との間に鉄柵が続き、左手には笹竹などが生い茂る雑木林が続きます。 尾根道を歩き始めてすぐの所の左側に三等三角点があります。 手元の地形図によると、標高は74.3mだそうですが、 尖ったピークではなくて緩やかな尾根になっています。 そのすぐ先には送電線の鉄塔「吉田線No25」が立っています。
三角点
基本測量。大切にしましょう三角点。
 (国土地理院)
この附近は鳥獣保護区になっています。 鳥獣の保護と生活環境の保全にご協力下さい。
緑地の協定区域
この区域は、緑の環境をつくり育てる条例に基づき指定された緑地です。 皆んなで緑の環境を大切に育てましょう!
協定締結日:平成12年4月4日
協定地域面積:133,340.10u
協定締結者:学校法人 明示学院・横浜市
少し右へ曲がりながら広めで緩やかな尾根道が鉄柵沿いに続いています。 葉を落として冬枯れした尾根道には落葉が厚く積もっていましたが、 旬を過ぎていたものの紅葉した木もまだ少し残っていました。 僅かな高みを過ぎて、道の両側にロープ柵が続くようになった道を降っていくと分岐があります。 角には標柱が立っていて、左手に戻るようにして続く道は「舞岡ふるさとの森方面」、 今来た道は「上倉田方面」となっていて、正面の道は何も示されてはいません。 正面の道は舞岡公園の西側に続く尾根道で、 みずき休憩所や中丸の丘への分岐を過ぎて桂町戸塚遠藤線へ降って明治学院大学へと続いていますが、 今回はここを左折していきます。
鳥獣保護区
ここは保護区域です。 鳥や獣を守ってください!
 (神奈川県)
三枚畑の森
僅かな高みを右手から巻くようにして降り気味の尾根道が続いています。 左手へ曲がっていく角まで来ると、横木の階段が右手へと分かれて降っていきます。 角には標柱が立っていて、右手の階段は「至 瓜久保」となっています。 また左の山際には「三枚畑の森」の標柱も立っていました。 尾根道はこの先へと続いていますが、今回は右下にある瓜久保を訪ねていくことにしました。
瓜久保
かなり傾斜がある横木の階段を曲がりながら降っていきます。 一旦途切れて再び現れる階段を降っていくと谷筋に降り立ちます。 この谷戸が舞岡公園の一部の瓜久保になります。 右手にはカッパ池があり、畔には相撲を取っている河童の像もあります。 冷え込んだ朝とあって、この時には池に薄らと氷が張っていました。
小魚などを採らないで下さい。(つりはやめましょう)
池の右手へ続く広い道を進んでいくと、右手の山際に短い草が生える広場があります。 冷え込んだため草地には霜が降りていて、サクサクと音をたてながら歩いていきました。 奥には壁のない小屋が建っていて、 自然に関するメッセージを書き込んだ地元の小学生の絵が貼り出してありました。 広場の中ほどにはマンホールの蓋が三つ並んでいましたが、地下には貯水槽でもあるのでしょうか。
広場を過ぎて池の畔を進んでいくと、舗装された道が分かれていきます。 左手には段々田んぼが続いていました。 水が張られた田んぼもありました。 「体験田んぼ」になっていて、「こどものたんぼ」という標柱が立っていました。 小さな谷戸ですが、雰囲気のいい所になっています。
飼い主のみんさんへ
犬を放さないで下さい。
公園内には地上を生活の場としているニホンキジ・コジュケイ・ノウサギなどがいます。 彼らを安心させてあげて下さい。 野生動物たちにも愛犬と同様な思いやりをお願いします。
みずき休憩所への道を見送って舗装路を緩やかに降っていくと、休憩所になっている瓜久保の家があります。 土間付きの日本間のような雰囲気のする部屋では自由に休憩していくことができます。 この時には舞岡公園で見られる野鳥・樹木・野草などの写真が貼り出してありました。 舞岡公園マップも置かれていて、「ご自由にお持ちください」となっていました。
舞岡公園 樹木と野草のしおり 秋〜冬
昭和20年(1,945)代頃の横浜には「谷戸」と呼ばれる低地には田んぼ、 その周りには雑木林で形作られている景色が当たり前にどこにでも存在していました。 しkし、現在、市内では舞岡公園のように田んぼと雑木林が一体の形で残されている「谷戸」はわずかとなってしまいました。 「谷戸」は多種多様な動植物の生息環境として重要な役割を担っています。 この舞岡公園では「舞岡公園憲章」の精神を大切にし、さらに動植物と人間の素晴しい共存関係が育まれることを願い、 この「しおり」を作成しました。 日々変化する樹木と野草にふれあう手がかりとして、ご活用ください。
瓜久保の家の先にはトイレや小屋や掲示板があり、その先には舞岡公園の谷戸を通っている広い道があります。 この舞岡公園は建設大臣による平成9年度の「手づくり郷土賞」を受賞しているようで、その記念碑もありました。 掲示板には昔懐かしい茅葺き屋根の民家の絵が載っていました。
舞岡公園へようこそ
ここ舞岡公園は、市内でも残り少なくなった昔ながらの田園風景が残され、 横浜の特徴的な景観である谷戸の地形をいかした公園です。 田んぼや畑、雑木林などの農的自然を四季折々に育み続け、 そこに息づく生きものたちへの心配りも大切にし、 さまざまな生きものが織りなす豊かな自然の営みが末永く続くことを願って開設されました。 ここで多くの市民の汗と創意が何よりも重んじられています。 横浜市環境創造局と市民団体が、1993年6月の開園までの約10年間、 他にほとんど例のない公園の維持と運営に向けて少しずつ試行錯誤を重ね、 その成果が実りさまざまな工夫と知恵が活かされて現在にいたっています。 公園内の「田園体験区域」では、田や畑の農作業、雑木林の維持作業、自然観察会、炭焼き、わら細工、 季節の行事などが行われています。 ここの管理運営を行っているのが「舞岡公園田園・小谷戸の里管理運営委員会」です。 指定管理者としてさまざまな事業を行っており、作業参加のボランティアの方々や、 散策の市民の歓声や笑い声がいつも絶えない日常です。 茅葺き屋根の古民家では、竃の煙が立ち上り、敷居を一歩またぐとそこにはもう明治・大正時代にタイムスリプ! 囲炉裏や太い大黒柱がピカピカに黒光りしている佇まいは、そこにいるだけで身体全体が「ほっ!」とします。 ボランティアとして会の活動を支えている登録者は約400口。登録内容も多種多様。 登録関連諸経費として年間2000円と3000円のどちらかを選択し、登録時に支払います。 他に主に資金面で協力してくださる登録もあります。 内容は、田んぼ・雑木林・畑・古民家・農芸・会報編集・生物環境・谷戸学校・こども谷戸教室・親子自然教室などがあります。 谷戸学校は、会の運営を担うスタッフ(指導員)の養成を目的にした1年間の講座で、座学と実習があります。 作業を共にして一緒に流す汗は、それだけで心をなごませ会話が弾みます。 老若男女どなたでも参加できます。 お気軽に声をかけてください。
舞岡公園憲章
私たちは、横浜市の原風景である谷戸を愛する市民です。 舞岡公園は、水や土、それに私たち人間をはじめとする、 生きとし生けるものの調和によって成り立ってきた谷戸の景観をとどめています。 この緑あふれる谷と丘を良好に維持保全し、ながく後世に引き継ぐことを目的としてここに憲章を定めます。
・私たちは、舞岡公園で自然とふれ合い、様々な生き物たちと共にあることを大切にします。
・私たちは、谷戸で受け継がれてきた文化や農体験を大切にします。
・私たちは、舞岡公園を市民の手づくりによる市民のための公園にします。
前田の丘
カッパ池まで引き返して、右手にある「至 前田の丘」の標柱の立つ横木の階段を登っていきます。 階段が終わって、落ち葉が積もる冬枯れの雑木林を緩やかに進んでいきます。 やがて広い横木の階段を降っていくと、左右に通る二筋の舗装路に降り立ちます。 正面から左手にかけては前田の丘が広がっています。 降り立った所には道標が立っていて、左手の道は「舞岡ふるさとの森」、右手の道は「小川アメニティ」、 今来た道は「瓜久保・カッパ池」となっています。 右手の坂道を降っていくと瓜久保の家の先から続く道に出ますが、 左手の前田の丘に続く坂道を登っていきます。 少し登っていくと「前田の丘」の標柱が立っていました。
火気厳禁
森は生物たちのすみかデス。
 (戸塚消防署、南部公園緑地事務所)
くぬぎ休憩所
前田の丘の左端に沿って続く二筋の舗装路を登っていくと、くぬぎ休憩所があります。 休憩舎とベンチが幾つか設置されています。 振り返ると、前田の丘の向こうには山並みが続く眺めが広がっていましたが、 逆光のため綺麗には写せませんでした。
舞岡ふるさとの森
くぬぎ休憩所の左側へ続く舗装路を更に登っていくと、左右に通る尾根道に出ます。 脇には「舞岡公園・舞岡ふるさとの森・舞岡ふるさと村案内図」があるので参考にしましょう。 ここから右手に広がるのが舞岡ふるさとの森になります。 角には「舞岡公園」や「右 くぬぎ休憩所・前田の丘」の標柱が立っています。 今回はここから右手に続く舞岡ふるさとの森の尾根道を進んでいきます。
舞岡公園・舞岡ふるさとの森・舞岡ふるさと村案内図
「ふるさとの森」は、山林所有者の御好意で保存されています。 山林、竹林、農地内への立入りはできません。 利用時間は日の出から日没までが原則です。
フィールドマナー
自然の中でのルールを守ろう!
・火は出さない、バーベキュー禁止
・ポイ捨て禁止
・しずかさをみださない
・ペット(犬など)はつないで
・ゴミはうちまで
・生きものをもちかえらない、もちこまない
・ボール遊びはできません
・道からはずれない
・ミズバチは蜜を吸う時に花を傷つけません(ファーブル)
 (横浜市緑政局南部農政事務所)
笹竹が生い茂るしっかりとした尾根道を進んでいきます。 少し降っていくと鞍部に着きます。 登り返し始める所から、右手へと階段が分かれて降っていきます。 角には道標が立っていて、右手の道は「ふれあい広場」、正面の道は「舞岡駅」、 今来た道は「舞岡公園」となっていますが、今回は正面に続く尾根道を進んでいきます。
富士見スポット1
登り坂になった尾根道を進んで僅かな高みに着くと、右手に畑地が広がっています。 高みを過ぎて降っていくと、左側に眺めが広がってきます。 富士見スポットになっていて、戸塚の街並みの向こうに富士山が見えるようになります。 左手の方には箱根の山々や金時山も見えていました。 手前に張られた送電線が邪魔をしているのが少し残念ですが、良い眺めを楽しんでいきました。
坂道をその先へ降っていくと、左右に通る道に出ます。 角には道標が立っていて、今来た道は「舞岡公園」となっています。 また「チップのひいてある散策道の案内図」もあって、 舞岡ふるさとの森のルートが示されているので参考にしましょう。 左手に曲がって切通のような所を抜けていくと左右に通る舗装路に出ます。 脇には先ほどに見かけたのと同じような「舞岡公園・舞岡ふるさとの森・舞岡ふるさと村案内図」があります。 正面の畑地へ降っていく道もありますが、右手へ続く舗装路を進んでいきます。 この舗装路は、上倉田地区と舞岡地区とを丘を越えて結んでいる農道になります。 50mほど進んでいくと、階段道が分かれていきます。 その袂にも同様の案内図があります。
階段を登っていくと、すぐに緩やかな道になります。 少し進んでから降っていくと、右手から農道が近づいていきますが、 尾根道を掠めて少し離れていきます。 登り坂になってくると、右手には綺麗な竹林があります。
富士見スポット2
竹林を過ぎて軽く降っていくと畑地に出ます。 ここも左手が開けていて富士見スポットになっています。 戸塚の街並みの向こうに富士山を望むことが出来ました。 先ほどの所とは少し角度が違いますが、街並み以外はほぼ同じような眺めになります。
畑地を過ぎて軽く登っていくと、ヒノキ林に入っていきます。 僅かなマウンドを越えて降っていくと、細い道が左右に分かれていきます。 左手の道には「この先は立入禁止です」の看板が立っています。 尾根道は正面へと続いていますが、今回はここから右手へ分かれていく道を降っていきます。
あまり歩かれていない様子ですが、明瞭な道になっています。 曲がりながら降っていくと、程なくして民家の奥の空地に出ます。 左手に沿って続く道を進んでいくと、住宅が散在する舗装路に降り立ちます。 舗装路を真っ直ぐ進んでいくと、左右に通る舗装路に出ます。 「ふれあい広場」への分岐を降ってくると、降りて来られる道になります。 そこを左折して緩やかに降っていきます。
舞岡ふるさと村
左手の山際には「わかば保育園」があって、園児たちの賑やかな声が聞こえてきました。 民家が増えてくると、左右に通る舗装路に出ます。 角には道標が立っていて、右手の道は「小川アメニティを経て舞岡公園へ」、 左手の道は「舞岡駅へ」、今来た道は「舞岡ふるさとの森」となっています。 正面には畑地が広がっていて、この辺りは「舞岡ふるさと村」になります。 道路に沿って流れているせせらぎは綺麗に整備されていて、「舞岡町小川アメニティ」になっています。 ここは左手へと曲がっていきます。
虹の家
ボードウォークになった歩道を進んでいくと、右側に虹の家があります。 入口の所には「舞岡ふるさと村総合案内板」があり、地図と各所でも産物などが紹介されています。 虹の家の中では、舞岡ふるさと村の歴史・風物・民芸品などが展示されています。 またこの辺りで見かける小動物や野鳥などの剥製も展示されていました。 竹で作った動物などの模型もありました。
「舞岡ふるさと村」とは
横浜市では市内に残された自然を保全するとともに、市民の皆様に自然や農業、農村文化に親しんでいただくために、 地元の農家が一体となって"ふるさと村づくり"を進めています。 ここ戸塚区舞岡地区は横浜市の南西部に位置し、市営地下鉄「舞岡駅」を中心に、 周辺を大規模な住宅地に囲まれながらも、まだのどかな田園風景が広がる南北に細長い農業地域です。 この舞岡地区を平成2年度に横浜ふるさと村2号地"舞岡ふるさと村"として指定しました。 ここでは「都市と農村との市民交流」を基本に「市民と直結した農業」を目指し、 基幹的産業である「農業」を守り、育てて行く村づくりを展開してまいりました。 また、舞岡ふるさと村の南に広がる舞岡公園や北側につながる舞岡リサーチパークとあわせ、 田園景観の保全に努めるとともに、農業生産施設や研修施設、レクリエーション施設などの整備を行い、 舞岡地区全体の活性化を推進しています。 そして、舞岡ふるさと村の中心的な施設である"虹の家"は総合案内所として、 "舞岡ふるさと村"の自然や農業・農村文化をパネルなどの展示により紹介するほか、 各種の講習会や料理教室の開催などを通して、市民の皆様と農業の交流を図っていきます。
ボードウォークが終わって舗装された歩道を進んでいくと、正面に田んぼが広がってきます。 角には双体のお地蔵さんが佇んでいます。 小川アメニティは右手の舗装路に沿って続いていますが、 田んぼの左手に沿って続く細い道を進んでいきます。 刈り取られた田んぼから草などが芽を出していて、冬だというのに綺麗な緑色をしていました。
舞岡八幡宮
山際に続く畦道を進んでいくと、左手に舞岡八幡宮があります。 短い石段を登って鳥居をくぐると、右手に社務所のような建物があり、 その前に由緒を記した看板が設置されています。 鳥居の左右には石祠などが幾つか並んでいました。 鳥居の先に立つ大きな石灯籠の脇から左手へ横木の階段も分かれていますが、それは戻り道に歩くとして、 先ずは正面に続く石段を更に登っていきました。
舞岡八幡宮
祭神誉田別命(主祭神)、息長足姫命、比淘蜷_(以上相殿)
考安天皇、仁徳天皇、国常立命(以上明治6年合祀)
特殊神事湯花(湯立)神楽 4月15日 例祭日
由緒 昔、当地一帯を腰(越)村と呼んで居た頃、白幡が空に舞ったので村の名を舞岡と改めたと云う。 その幡は当地の西方30キロの落幡村(現秦野市)に落ちたと伝へるが、 この奇瑞に因んで石清水八幡宮を勧請したのが当神社の始めであって、 時に乾元元年(紀元1963、西暦1302)3月であった。 爾来、村の鎮守として崇敬さられ、明治6年村社、大正6年幣帛供指定村社(例祭の折、市区町村長が装束を着けて幣帛を奉る)と成り、 昭和28年宗教法人と成って現在に至る。 相模国鎌倉郡舞岡村はやがて神奈川県鎌倉郡川上村舞岡と成り、昭和14年には横浜市域の拡大に依って、 横浜市戸塚区舞岡町と成った。昭和30年代末の宅地造成に伴って南舞岡が生れたが、 当神社の氏子区域であることは変わらない。
石灯籠の先に続く急な石段を登っていくと社殿があります。 壁がなくて風通しのいい舞殿のような拝殿の奥に本殿があります。 拝殿の屋根には7本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳え、本殿の屋根には4本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えています。 男神と女神が合祀されているので、そのような数になっているのでしょうか。 社殿の右手には舞岡地区の英霊を祭る小振りの「英霊殿」があり、 その屋根も4本の鰹木と外削ぎの千木になっていました。 英霊殿の右手には、日枝社・稲荷社・愛染社・疱瘡社・疫神社が並んでいました。
應神天皇の御神徳
御母・神功皇后が「事竟へて遠らむ日に茲土に産れたまへ」と祈られて御胎内のままに西を征ち凱旋後に降誕なさり、 御即位後は、「枯野」といふ船や「韓人池」などをお作り遊ばされた。 又、百済との交流をおすすめになったので、縫工・治工・醸酒人・呉服部の来朝や論語・千字文の献上が行はれた (天皇のお徴しによって来朝した王仁が献上、皇子は王仁に師事して勉強なさった)。 これらの事から、應神天皇は、世間一般に安産・国家安寧・交通・農業・外交・工業・飲食・服飾・ 学芸教育文化の神として尊崇せられる。 我が鎮守として舞岡町の全般を守り、産土神として一人々々を絶えずお守り下さることは言ふ迄もない。 御降誕の時「宍、胱の上に生ひたり。其の形、鞆の如し」「故、其の名を稱へて誉田天皇と謂す」のである。
應神天皇の御製
近江国(今の滋賀県)に行幸の時−国ほめの歌
千葉の葛野を見れば百千足る家庭も見ゆ国の秀も見ゆ
神功皇后の御歌
皇太子(後の應神天皇)の為に祝宴をなさった時−寿宴の歌
この御酒は我が御酒ならず酒の司常世に坐す石立たす少名御酒の神壽き壽き狂ほし豊壽き壽き廻ほし献り来し御酒ぞ乾さず食せささ
仁徳天皇の御事蹟(古事記の記述)
天皇、高山に登りて、四方の国を見たまひて詔りたまひしく 「国の中に煙発たず、国皆貧窮し。故、今より三年に至るまで、悉に人民の課、役を除せ」とのりたまひき。 是を以ちて大殿破れ壊れて、悉に雨漏れども、都て修め理ること勿く、樋を以ちて其の漏る雨を受けて、 漏らざる処に遷り避けましき。後に國の中を見たまへば、國に烟満てり。 故、人民富めりと為ほして、今はと課、役を科せたまひき。 是を以ちて百姓榮えて、役使に苦しまざりき。故、其の御世を稱えて、聖帝の世と謂ふなり。
参拝のしかた
一、先ず浅い礼を1回します。
二、次に深い礼を2回します。(二拝)
三、次に手を二つ打ちます。(二拍手)
四、次に深い礼を1回します。(一拝)
五、最後に浅い礼を1回します。
参考 願いごとがある場合には次のようにします。
一、の次に先ず二拝してから願いごとや感謝のことばをそのままとなえます。 「祓えたまえ清め給え」ととなえるのもよいことです。
舞岡八幡宮の社殿の中には神社の絵が掲げられていました。 社が幾つもある立派な神社で敷地も今の舞岡八幡宮よりも広そうですが、 どこの神社を描いた絵なのかは分かりませんでした。 また漢字400字ほどの文も掲げられていましたが、暗くて何が書かれているかは分かりませんでした。 社殿の左手には小振りの水車小屋の模型が置かれています。 50数年前まで神社の前で使われていたものを模したものなのだそうで、なかなか風情があってよく出来ています。 また、この時には稲藁で作った小さな馬が奉納されていて、豊作を願うと思われる稲穂も添えられていました。
いはれ
今より約五十余年前、神社の前、用水を利用してあった
ふる里の 神社に 我詣で 昔が浮ぶ 水車かな
社殿の左手から坂道を降っていきます。 階段混じりの道を降っていくと、石灯籠の脇へ降り立ちます。 そこから鳥居をくぐって境内から出て、正面の田んぼの中に続く道を進んでいきます。 舗装路の脇の小川アメニティの手前にも鳥居が立っています。 そこを左折していくと、せせらぎの上に休憩舎が建っています。 その脇には水車もあります。 老朽化して動かなくなっていた時期もありましたが、近年になって作り直されて、 せせらぎを流れる水を受けて元気に廻っていました。
舞岡町小川アメニティ沿いの道を進んでいくと、ビニールハウスが並んでいました。 以前には見かけなかったように思いますが、舞岡いちご園というようです。 中を覗ってみると、地上から1mほどの高さに組んだ棚で栽培されていて、近代的な生産が行われているようでした。 ビニールハウスを過ぎていくとハム工房まいおか舞岡やがあって、 地元産のハムや野菜などが販売されています。
舞岡いちご園
高設栽培・直売・摘み取り・ハム工房直営北信ファーム
今(12/1現在)いちごは花が咲きミツバチ受粉により小さな実をつけはじめました。 クリスマス頃には真っ赤な大粒のいちごが収穫できる予定です。 毎日一株一株に目をかけ、手をかけ、愛情込めたいちごをどうぞ御賞味下さいませ。 イチゴが赤くなるまでの様子を写真にて随時お知らせしていきます。 どうぞお楽しみに。
ミツバチさんありがとう!
植物が実をつけるためには「受粉」という作業が欠かせません。 ミツバチが花の蜜を集める際、身体についた花粉を運び、受粉を助けてくれるのです。 ハウスの中はあたたかな春。 ミツバチたちは元気にお仕事中です。
道岐橋
「舞岡や」を過ぎていくと車道に出ます。 右手には舞岡駅(横浜市営地下鉄)や道岐橋バス停があります。 左手には道岐橋が架かっています。 先ほどから流れていた舞岡町小川アメニティは舞岡川となって、この先で柏尾川へ流れ込みます。 ここで散策を終えてもいいのですが、今回は更に北進して、国道1号の五太夫橋まで行くことにしました。
舞岡川に沿って進んでいくとY字路があります。 左手の川沿いに進んでいくと舞岡橋を渡っていきます。 竹林の脇を進んでいくと、右手には畑地が広がります。 特区農園になっているようでした。 畑地の先には田んぼもあって、脱穀を終えた稲藁が幾つも立て掛けられていました。
横浜市市民利用型農園促進特区 特区農園
この農園は、特定農地貸付法に基づき開設された市民利用型農園です。
平成18年9月認定
利用方法等については下記の開設者(又は管理者)に直接お問い合わせください。
 (横浜市)
駐車場になった雨水調整池を過ぎていくと十字路があります。 左右に通る道は広くなっていて、左手の先には舞岡リサーチバークがあるようでした。 十字路を直進していくと、右側にはトタン塀が続いていました。 舞岡川遊水地の管理棟を建設しているようでした。 塀にはランドセルを背負って帽子を被った小学生風の「カバのだいちゃん」が沢山描かれていました。 塀沿い進んでいくと舞岡小学校があります。 正門の脇には学校のシンボルになっているサルスベリ(百日紅)の木がありました。
舞岡リサーチバーク雨水調整池
この駐車場の下は遊水池になっており、大雨のとき、雨水を一時貯水して、下流へ少しずつ流し、 河川の氾濫を防ぐ大切な役目をしています。
貯水量6048立方m、水深3.738m、貯水面積1618u
 (環境創造局水・緑管理課、戸塚土木事務所下水道係)
常玄寺
小学校の先にあるY字路の角に白壁で囲まれた所があります。 左手へ進んでいくと脇門があったので入っていくと、大きなお寺がありました。 清水山常玄寺というようでした。 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでしたが、この地に遷ってきた経緯を記した碑がありました。 誤読しているかも知れませんが碑文を載せておきます。 東京の赤坂からこの舞岡に遷ってきたことが記されているようでした。 本堂以外にも紫雲閣、妙覚堂、祭場、庫裡、駐車場などがある大きな敷地になっていました。 妙覚堂の中には墓石が沢山並んでいて、墓地になっているようでした。
遷堂之碑
元和3年(1617)法華宗妙満寺派日奈上人江戸赤坂ニ於イテ當山ヲ創建ス 爾来370有余年法門ヲ張ル 昭和20年5月25日東京大空襲ニヨリ周辺一帯焼土ト化シ過去帳壱巻ヲ残シテ全テヲ焼失ス 小訥昭和28年8月普山シ篤信者ノ支援協力ヲ得テ本堂オヨビ庫裡客殿ヲ再建スルモ 近年ニ至リ経年ニヨル老朽化ト壇信徒増ニヨル設備ノ陳套化ハ再建築ヲセザルヲ得ナイ状況トナル ココニオイテ小訥赤坂ノ地ヲ売却適地ヲ求メテ移転再興ヲ決意ス 時ニ平成2年8月ナリ 総代役員鳩首協議シ八方手ヲ尽シ當舞岡ノ地ヲ得タリ マズ妙覚堂ヲ建立シテ墓地ノ移転ヲ先行、次イデ庫裡ヲ建築シテ小訥ヲ移住 次ニ本堂客殿ヲ完成サセテ全テヲ完了 本日ココニ落慶法要ヲ厳修ス コノ間日本経済ハ好景気ノ最中ヨリ不景気ノ奈落ニ堕ツ 地価ノ暴落ハ赤坂ノ地ヲ明渡スニ寸分ノ齟齬モ許サズ 然レドモ佛天ノ加護ヲ得テ無魔円成ス 喜ビコレニ過グルモノナシ 仰ギ願ワクハ佛祖ニ宝大慈誓願念ノ力能ク當山ニ加被シ 伽藍永エニ相続シ済世利民ノ項盡未来ニ不滅ナランコトヲ
維持 平成7年11月4日 當山二十五世 日尚
吉田町第二公園
常玄寺の先にはバス会社の広い駐車場があります。 そこで道が三方に分かれていますが、左手の山際に続く道を進んでいきます。 畑などを眺めながら進んでいきます。 浄土宗圓福寺を過ぎていくと舞岡中学校があります。 校庭では野球部員が元気な声を出しながら練習をしていました。 校庭を過ぎていくと登り坂になってきます。 突き当たりを右折した所に吉田町第二公園がありました。 ブランコや滑り台などの遊具が設置された公園になっていました。
舞岡町南地区急傾斜地崩壊危険区域
この区域内での、のり切り、掘さく、伐採等を行う場合は、知事の許可が必要ですから、 左記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県横浜治水事務所)
公園を過ぎていくと、民家の塀の一部が開かれていて、木製の祠に納められたお地蔵さんがありました。 地蔵があった所に後から家を建てたのか、それとも家を建てた後に地蔵を安置したのか、 実情はよく分かりませんでした。 「なむおじぞうさん」という札が取り付けられていたので、このお地蔵さんの名前なのでしょうか。 袂には小銭がお供えされていました。
五太夫橋
お地蔵さんを過ぎていくと舞岡川に出ます。 舞岡ふるさと村では細い小川アメニティでしたが、ここまで来るとかなり立派な川になっていました。 正面には元舞橋が架かっていますが、手前を左折して、舞岡川の左岸に続く道路を進んでいきます。 元舞橋を渡った所から右岸に続く道は、保土ヶ谷宿から戸塚宿へと続く旧東海道になります。 舞岡川沿いに進んでいくと、国道1号に出ます。 右手の舞岡川には五太夫橋が架かっています。 舞岡川はこの橋を過ぎた先で柏尾川へ流れ込みます。
「五太夫」とは、小田原北条氏の重臣であった三河武士の石巻五太夫康敬という人のようです。 天正18年(1590)に豊臣秀吉に謁見しますが、北条氏の上洛がないことを攻められて駿河の三枚橋城に監禁され、 小田原落城の後、身柄を徳川家康に預けられ、泉区中田町に蟄居させられましたが、 後に国替えを命ぜられ、江戸に赴く際にこの橋付近で会見したという言い伝えが、 この橋の名前の由来になっているようでした。
ブリヂストン前(ぶりぢすとんまえ)バス停
左折して国道1号を進んでいくと、宝蔵院の手前にブリヂストン前バス停があります。
戸塚駅(JR東海道線)まで、戸塚駅東口行きバスにて3分、便は頻繁にあります。
(ここから戸塚駅までは1kmちょっとの距離なので、歩いていっても15分ほどで着きます)