湘南平
散策:2009年10月中旬
【低山ハイク】 湘南平
概 要 平塚と大磯の間のJR東海道線に沿って、標高200m足らずの低い丘陵が連なっています。 湘南平はその西端の山の上にあって、かつては千畳敷とも呼ばれていた広い場所になっています。 今回は高麗山の北側から尾根道に登って、浅間山を経て湘南平へと向かっていきます。 湘南平からは大磯松濤台へと降っていきます。
起 点 大磯町 高麗清水バス停
終 点 大磯町 大磯駅
ルート 高麗清水バス停…登り口…亀掘沢…地獄沢…尾根道…浅間山…浅間神社…高田公園分岐…湘南平…高田公園分岐…楊谷寺戸谷分岐…伏見稲荷…小淘綾ノ池…大磯松濤台…宮ノ上公園…御嶽神社…妙大寺…大磯駅
所要時間 3時間10分
歩いて... 湘南平の山頂にある展望台からは360度の大パノラマが広がるのですが、 この時はよく晴れていたのに黄砂の影響なのか遠くが霞んでいて、 富士山はおろか、丹沢の山々でさえも見えませんでした。 伊豆半島や江の島や三浦半島もはっきりとは見えず、残念な結果になりました。
関連メモ 大磯・高麗山のみち, 湘南平, 高麗山, 湘南平, 湘南平, 湘南平
コース紹介
高麗清水(こましみず)バス停
平塚駅(JR東海道線)の北口から、[平33]松岩寺行きバス、[平35]湘南平行きバス, または,[平36]二宮駅南口行きバスにて7分、1時間に2本から3本程度の便があります。
登り口
バス停の先へ30mほど進んでいくと、左手から道が合流してきます。 その角から左手の山へと道が分かれていきます。 車止め用の鎖の脇から坂道へ入っていくと、すぐに「高麗山県民の森案内図」があります。 以前に高来神社上宮(大堂)があった広場、高来寺があった跡とされるケヤキの広場、 東天照などがある高麗山を取り巻く散策路が紹介されています。 また、高来神社・高来寺・高麗山などの簡単な解説文も載っています。 今回はこの案内図にある一番下側(北側)の道を通って、高麗山から湘南平へ続く尾根に登っていきます。
高麗山県民の森案内図
高来神社(高麗神社)(たかくじんじゃ、こうらいじんじゃ)  11代垂仁天皇の御代に創建され、祭神神皇産霊尊(かみむすびのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀り、 その後27代安閑天皇2年(6世紀初め)に15代応神天皇と神功皇后を合祀されたと伝えられています。 合計4柱が祭神として祀られています。
高来寺(高麗寺)(たかくじ、こうらいじ)  神社の敷地内にはかつて高来寺(高麗寺)と呼ばれるお寺がありました。 奈良時代の養老元年(717)に行基(668〜749)が千手観音像(現在神社に現存)を本尊としたことが創建ともいわれています。 後に法相宗の僧によって鶏足山雲上院と称しました。 斉衡元年(854)には慈覚大師(円仁、794〜864)におって山の右峰に白山社(現在の東天照周辺)、 左峰に毘沙門社(現在の八俵山周辺)が建立され、以降、平安〜鎌倉時代から寺は相模15大寺の中に数えられ、 人々の尊崇を受けました。 室町時代には寺自身が城郭として用いられたために度重なる兵火にあいましたが、 江戸時代の寛永11年(1634)には東照権現(徳川家康)の御神影を勧請して上野寛永寺の末寺となり、 幕府の保護を受けました。 しかし、1868年明治維新になると、神仏分離令により廃寺になりました。
高麗(こま)という地名の由来  西暦666年、当時朝鮮半島北部にあった高句麗の滅亡とともに難をのがれた人達が 船で渡来し、大磯の唐ヶ原に上陸して化粧坂あたりに居住し、周辺の開拓を行なったと いわれることに由来します。現在でも高来神社の夏祭の祝い歌にはこのことをうかがわせる 様子が歌われています。当時は高来(高麗)と書いてタカク、コウライと呼ばれていたようで、 コマと呼ばれるようになったのは明治時代になってからです。 山の名前については平安時代延長年間(932〜931)に編纂された和名鈔(和名類聚鈔)に 現在のコウライ一帯を「高来郷」(タカクゴウ)とする記述が見られることから、 郷にあるこの山を「高来山」と呼んでいたとも思われます。
高麗山の森の変遷  高麗山の森は幕末なで高麗寺の所有でしたが、明治維新とともに御料林(宮内省管理)となり、 その後昭和13年、神奈川県に御下賜となり県の所有する森となりました。昭和46年からは 県民のリクリエーション利用を目的とした整備を行い現在に至っています。
高麗山の植生について  山の植生は室町時代の戦火により荒廃したと考えられ、江戸時代になって高来寺(高麗寺)に 徳川家康の御神影を勧請した慈眼大師(天海僧正:1536〜1643)が定めた掟中には 高麗山の樹木の伐採を禁止する旨があり、森林が保護されてきました。このようにして 成立した植生は明治維新以降も保護されてきましたが、戦後、昭和21年に戦災復興資材確保の ために山の北〜東斜面約20ha(全体の3分の2程度)が伐採され、当時の植生は南斜面の 天然記念物範囲に残るのみとなっています。天然記念物範囲内はスダジイ、タブノキ、イロハモミジ、 ケヤキ等の常緑・落葉広葉樹林、それ以外の所ではイヌシデ、コナラ等の落葉広葉樹林とスギ、 ヒモキ植林が広がっています。なお、天然記念物範囲内のスギ、ヒノキの大経木は主に 江戸時代頃に信仰の関係で植栽されたものと考えられます。
高麗山の景観今昔「高麗山のマツ」について  高麗山には昭和40年代半ばまで山の尾根沿いを中心にマツの大経木が多く生えていました。 樹齢からさかのぼると江戸時代初期(17世紀初め)頃に生えてきた(植栽された)ものと 考えられます。山の尾根から突出した樹形は安藤広重の錦絵などに描かれ、すばらしい景観を 創出してきました。しかし、マツノザイセンチュウ(松くい虫)による被害で 昭和50年代初めには1本も無くなってしまいました。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
コンクリート舗装された広い坂道を1分半ほど登っていくと、左手に戻るようにして坂道が分かれていきます。 左手の先を覗いてみると広くなっていて、テーブル・ベンチが見えていました。 登り口にあった案内図によると花水広場というようです。 道標類は見かけませんでしたが、正面に続く緩やかになった広い道を進んでいきます。
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。 建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出がひつようです。
 (神奈川県)
高麗山の自然は県民共通の財産です。 美しい高麗山を後世に引継ぐため植物の採取や野鳥の捕獲をしないで下さい。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部森林整備課)
椿の木が続く坂道を緩やかに登っていきます。 季節になると綺麗な花が咲く所ですが、この時には季節外れのため咲いていませんでした。 道端に設置された丸太と板のベンチを過ぎた先で、左手に戻るようにして道が分かれていきます。 道標類は見かけませんでしたが、 登り口にあった案内図に載っていた二つ目の分岐であることを確認して、右手へと進んでいきます。 コンクリート舗装された道はここまでで、この先からは土の道になりますが、 引続き広めで緩やかな道になっています。
たき火・たばこに注意
 (神奈川県)
引続き、椿が生け垣のように続く広い道を進んでいくと、道端に防火用水がありました。 神奈川県が設置した設備で、「ようすいくん」という愛称が付けられています。 木の囲いの中に、水を入れたドラム缶が二つ置かれています。
「ようすいくん」を過ぎていくと、すぐの所から左手に戻るようにして急坂が分かれていきます。 角には道標が立っていて、左手の道は「大堂」、正面の道は「地獄沢」、 今来た道は「大磯町生涯学習館」となっています。 登り口にあった案内図に載っていた三つ目の分岐であることを確認して、正面へと進んでいきます。
緑は友だち 山火事注意
 (森林共済セット保険、神奈川県)
亀掘沢
これまでより幅が狭まってきた道を進んでいきます。 苔生した石垣に沿って進んでいくと、右下に谷が現れます。 下を覗いてみると、石垣の堰堤が並んでいましたが、水は殆ど流れていませんでした。 登り口にあった案内図によると亀掘沢というようです。 道なりに左へ曲がって、石垣沿いに進んでいきます。 谷の奥まで行った所にある小さな木橋を渡っていきます。
亀掘沢を横切ってその先の横木の階段をひと登りすると、小広くなった尾根に着きます。 ベンチが幾つか設置されていて、ひと休みしている人も見かけました。 ここで左手の尾根に登っていく道が分かれていきます。 中ほどには道標が立っていて、左手の道は「大堂」、正面の道は「地獄沢」、 今来た道は「大磯町生涯学習館」となっています。 登り口にあった案内図に載っている四つ目の分岐であることを確認して、正面の道を進んでいきます。
分岐を過ぎていくと、すぐに道が二手に分かれています。 右手の道はかなりの降り傾斜になっているので、今回は左手の道を進んで行きました。 いずれの道を進んでいっても、その下で合流します。 程なくして現れる横木の階段を降っていきます。 右へ折れ曲がって更に横木の階段を降っていくと、手前で分かれてきた横木の階段の途中に出ます。 そこから左手へと、横木の階段を更に降っていきます。 登り口にあった案内図によると、この辺りはモミジの多い所なのだそうです。 横木の階段は程なくして終わって、緩やかな道になってきます。 道の右と左に設置されたベンチを過ぎていくと、右側の樹木が途切れて街並みを見渡せる所があります。 正面には山も見えていて民家も建ち並んでいます。 手元の地図によると、高台にある高根地区になるようです。
地獄沢
街並みを見渡せる所を過ぎて山沿いに左へ曲がり、 その先に現れる横木の階段を降っていくと谷筋に降り立ちます。 この谷が地獄沢になります。 登り口から16分ほどで着きました。 ここにも、登り口にあったのと同様な「高麗山県民の森案内図」があるので参考にしましょう。 ここの案内図には高麗山の樹林保護歴史年表が書いてありました。 ベンチなども設置されていて、ひと休みするのに良さそうな場所でした。 右手の先には住宅地が見えています。 沢の手前から左手に道が分かれていきますが、沢を渡っていきます。 水は僅かしか流れていなかったので、難なく渡っていけました。
高麗山の樹林保護歴史年表
樹林の安定期− 樹林の荒廃期・高麗寺の消失− 寺社領地としての保護− 寺社領地から官有地へ− 御料地への編入− 神奈川県への移管− 樹林の破壊期− 樹林の復旧期− 針葉樹林老木枯死被害の始まり− 樹林の一般県民への開放に向けて− 文化財としての保護− 針葉樹林枯死被害の拡大− 樹林に対する公的評価、 などが順を追って記されていましたが仔細は省略します。
高麗山の今後の整備方針
「県民の森」として開放以来およそ30年が経ちました。 従来は散策路の整備や補修、ベンチ等の工作物の設置といった公園的利用のための設備と、 倒木の危険にある散策路沿いの枯木の伐倒整理が主体でした。 今後はそれに加えて、主に北斜面にあるスギ・ヒノキの植林地の間伐を行って、 空地に常緑・落葉広葉樹の植栽を行い、土地本来の多様な植生に近づける様に整備していきます。 また伐採した樹木の現場での有効利用を図っていきます。
 (神奈川県自然環境保全センター県有林部)
キノコ 高麗山
キノコは足もとや枯れ木を注意してみると見つけることができます。 色や形、食べられるもの、毒があるものなど、さまざまな種類があります。
カンゾウタケ 全体が赤いのが特徴です。シイの大木の根際に生えています。
5〜6月又は、10月頃食用(薄く切って生で食べられます)
マツオウジ 針葉樹の切り株や立木等に生えます。「まつやに」の様な匂いがあります。
初夏〜秋 食用(まれに中毒を起こす)
ナラタケ 広葉樹や針葉樹の枯れ木に生えます。立木を枯らす病原菌としてやっかい者にもされます。
夏〜秋 食用(美味だが食べ過ぎると中毒を起こす)
ヒラタケ 主に広葉樹の切り株等に生えます。食用に「しめじ」の名で栽培されています。
晩春〜春 食用(野生のものは歯ごたえ・味ともに優れる)
シイタケ クヌギ・コナラ・シイ類の枯れ木に生えます。日本で最も広く栽培されています。
春と秋 食用
ツキヨタケ 和えでなどの枯れ木に生えます。柄を裂くと、はん点(しみ)があります。
夏〜秋 毒(中毒事故が多い)
地獄沢を渡って、正面の尾根をジグザグに登っていきます。 小さなショートカットがあったりもします。 水切りなのでしょうか、所々には丸い土管が横たえられていました。 上に足を乗せても大丈夫な造りになっていました。 北斜面で陽当りがあまり良くないのか、シダ類が繁茂していたりもしますが、 道はしっかりと確認できました。 かなり傾斜のある所もあるので、呼吸を整えながら登っていきました。 地獄沢から5分ほど登っていくと、ベンチの先に分岐がありました。 角には道標が立っていて、左へ降っていく道は「地獄沢」、正面の道は「八俵山・湘南平」、 今来た道は「地獄沢」となっています。 先ほどの案内図に載っている分岐で、 今回歩いてきた一番低い所に通る道よりも上にあって、山の中腹を通っている道の始まりの所になります。
尾根道
地獄沢への分岐を見送っていくと横木の階段が現れます。 階段を過ぎて大きな石が転がっている道を進んでいくと分岐があります。 道標はないので迷う所ですが、すぐ先で合流します。 分岐した道を合せてその先へ登っていくと、道端に笹などが生い茂るようになってきます。 上の方が明るくなってきて、尾根が近いことを感じられるようになります。 再び現れる横木の階段を登っていくと、左右に通る広い尾根道に登り着きました。 地獄沢から13分ほど、高麗清水バス停から35分ほどで登って来られました。 この道が高麗山から湘南平へ続く尾根道で、 関東ふれあいの道「大磯・高麗山のみち」にもなっていますす。 出た所の左側には関東ふれあいの道の道標が立っていて、右手の道は「浅間山0.5km・湘南平0.8km」、 左手の道は「高麗山0.4km・高来神社1.0km」となっています。 右側にも道標が立っていて、右手の道は「湘南平30分」、左手の道は「八俵山5分」、 今来た道は「地ごく沢15分」となっています。 また、左側にはベンチが設置されていて、傍にはこれまでと同様の「高麗山県民の森案内図」もあります。 ここは湘南平に向かって、右手へと進んでいきます。
これまでよりも道幅がぐっと広がって、とても歩きやすい尾根道が続きます。 次第に傾斜が増してくる道を2分ほど登っていくと、緩やかになってきます。 この先にかけて、尾根道の周囲に生えている樹木には、小さな解説板が点々と取り付けられていました。 見落としたのもあるとは思いますが、見かけたものを載せておきます。 道の上に覆い被さるようにして生えている樹木を過ぎていきます。
アオキ 一年中青々としたつやのある葉が美しい。花は春咲く。雌雄別株。果実は冬に赤く熟れる。日陰でもよく育つ。
アラカシ 暖地に多い常緑高木。葉には大きなギザギザがあり、材はかたい。ドングリの皿には4〜7本のリングがある。
イヌシデ 岩手県より南に生える落葉高木。花は尾状、4〜5月に咲く。果実は葉のような苞を積み重ねてぶら下げる。
イロハモミジ 手のひら状の葉、プロペラに似た果実が特徴。春の新緑、秋の紅葉が美しい。山の谷間に普通な落葉高木。
エノキ 本州〜九州に自生する落葉高木で、沿海地に多い。昔、街道の一里塚に植えられた。国蝶オオムラサキの食草。
カマツカ 山野に生える落葉低木〜小高木。別名ウシコロシ。春、枝先に白い花が咲き、秋、梨果が赤く熟して食べられる。
クヌギ 暖地の山林には普通な落葉高木。花は4〜5月。実は翌年の秋、大きなドングリになる。シイタケの原木や炭に利用。
ケヤキ ホウキを逆にした姿、春の新緑、秋の黄葉ともに美しい。公園、並木に植えられる。高級建築、家具用材。
コナラ 暖地の雑木林を代表する落葉樹。ドングリができる。材はシイタケの原木となる。ナラの語源は不明、楢は俗字。
サザンカ 山口県より南に生える常緑高木。花は晩秋、白〜赤色、八重咲きの園芸品種がある。実は秋、種子から油をとる。
サンゴジュ 暖地に生える常緑小高木。白い花は春、円錐形に密生する。小さい楕円形の果実は夏〜秋、サンゴ色に熟す。
タブノキ 本州以南に生え、暖地を代表する木。花は早春、樹冠いっぱいに咲く。実は夏、径1cmの球形、黒紫色に熟す。
ツバキ 青森県より南に生えて、ふるさとの樹木を代表する。果実から椿油をとる。花は晩秋から春、園芸品種が多い。
ハコネウツギ 海岸近くの山野に自生する落葉低木〜小高木。花は5〜6月に咲き、花冠は初め白く、後に紅色に変る。
ハリギリ 山地に生える落葉高木。幹や枝には、大きな棘がある。花は7〜8月に咲き、果実は黒く熟す。良い家具材。
ミズキ 山地に普通な落葉高木。5〜6月、横に広がった枝の上に小さい白い花が一面に咲く。材は白く、コケシを作る。
ヤマグワ 山に生える落葉高木。雌雄異株。花は4月頃咲く。果実は初夏に黒く熟し、食べられる。葉を蚕の飼料とする。
たばこの投げすて!火事のもと
 (神奈川県、森林国営保険)
尾根道に出た所から4分ほど進んでいくと、道端に「浅間山」と題した古びた案内板がありますが、 掠れていて読めなくなっています。 その脇から右手の林の中へと踏み跡が分かれていきます。 浅間山へは正面の広い尾根道を進んでいくのですが、ちょいと寄り道をしていきました。 踏み跡へ入っていくと、円形テーブルやベンチが設置されていました。 その奥にも同じようなテーブル・ベンチが二組ありました。 周囲の樹木が疎らになっていて明るい感じのする林でした。 広い尾根道に並行するようにして細い踏み跡が分かれていました。 また尾根を越えてその先へ降っていく道もありましたが、 行く末を確認するのは省略して、尾根道に引き返してきました。
林への入口には「浅間山ハイキングコース」と題した白塗りの案内図があって、 尾根を越えていく道は「東コース」となっていました。 また、広い尾根道の少し先からも右の林へ道が分かれていて、その道は「西コース」となっていました。 東西のコースはその先で合流して、 JA教育センターから県道や下山下バス停へと降っていけるような図になっていました。 案内図の裏面を見ると「高麗山公園を守る会」のサインがありました。 (後日に歩きました。「湘南平」を参照)
4分ほどで尾根道に戻ってその先へ進んでいくと、 道端に関東ふれあいの道の路傍サインの石標が立っています。 そこを過ぎていくと少し登り坂になってきます。 右側の尾根の樹木が疎らになっているのでちょいと入っていくと、 「彼岸花群生地」の看板が立っていました。 一応柵が設置されていて、花が植えられている所と歩道とが分かれていますが、 既に花が終わった時期だったようで、殺風景な雰囲気になっていました。 そのまま明るい雑木林を登り気味に進んで僅かな高みを過ぎていくと、 先ほど見かけたのと同様な円形テーブル・ベンチがありました。 そこを過ぎて緩やかに降っていくと尾根道に合流しました。
広い尾根道を進んでいくと、岩が露出した所を登るようになります。 苔生した所もあったりするので、滑らないよう注意しながら登っていきました。 2分ほどで登り切って僅かな高みに着くと、その先は緩やかに降るようになります。 その途中から右手の林に踏み跡が分かれていました。 入口には「平塚高麗山」の看板が立っていました。 ちょいと入っていくと、背丈の低い下草が生える明るい疎林になっていました。 少し進んでいくと十字路がありました。 そこを左へ曲がっていくと、鞍部になった尾根道に戻ってきました。 出た所には、先ほど見かけたのと同じ白塗りの案内図がありました。 十字路から右へ降っていく道が「西コース」になるようでした。
平塚高麗山 自然環境保全地域
この自然は、県民共通の貴重な財産として、子孫に伝えるかけがえのない宝物です。 草や木、野生の動物を大切に。 ゴミは必ず持ち帰りましょう。
 (神奈川県)
燃やすまい 水のふるさと みどりの資源
 (平塚市消防本部)
鞍部から広い尾根道を登っていくと、「ハイキングコースガイド」と題した大きな看板があって、 「湘南平・霧降り渓流のみち」や「虎女が遊んだみち」が紹介されていました。 今回歩く高麗山から湘南平にかけての山ではなくて、その北西側にあるコースになります。 広い尾根道はここから左手へ曲がって降っていきますが、この先すぐの所が浅間山なので、立ち寄っていきました。 角には関東ふれあいの道の道標が立っていて、左手へ降っていく道は「湘南平0.3km・大磯駅2.5km」、 今来た道は「高麗山0.9km・高来神社1.5km」となっています。 浅間山への板はありませんが、正面へ進んでいきます。
浅間山 (標高181.3m)
左手への尾根道を見送って正面の坂をひと登りすると広い所に出ます。 テーブル・ベンチの先には「浅間山 標高181.3m」の解説板が設置されています。 ここが浅間山になります。 尾根道に登り着いた所から20分ほどで到着しました。 浅間神社や三角点もあって、ベンチが幾つか設置された広めの山頂部になっています。
浅間山 標高181.3m
浅間社  江戸時代、雲をぬいて天高くそびえる富士山を神とした浅間信仰が広まりました。 白い衣裳をまとい、口々に「懺悔懺悔、六根清浄」と唱えながら登る。 六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意のことで、「六根清浄」が登山の精神であり、 富士山は信仰登山のあこがれでした。 しかし、富士登山は費用と日数がかかり、女人禁制でもあったため、 浅間社を富士山の見える高台や山頂にまつり、そこにお参りすることにより願いが富士山に通じると、 庶民の間にひろまり厚い信仰を集めました。 浅間社は木花佐久夜毘売命を主神とし、美しい富士山を桜の花にたとえた名前と伝えられ、 浅間社を祀った山であることから浅間山と呼ばれるようになりました。
 (環境省・神奈川県)
浅間神社
登り着いた右手のすぐ先に浅間神社が建っています。 金属製の鳥居の先に、小さな石の祠が柵に囲まれて鎮座しています。 脇には「浅間神社」と刻まれた石柱が立っていて、 前の花差しには緑色の葉を沢山付けた木の枝が入れてありました。
浅間神社
高根共有林組合
昭和59年12月吉日 再詞再建
(2006年3月末現在で、一等三角点は全国に972個あり、この浅間山の三角点もその中の一つになります)
浅間神社の裏手には一等三角点があります。 以前に来た時には三角点は四角い礎の上に石標が立つ形をしていたのですが、 数年前に整備し直されて、今では三角点の石標の周りは綺麗な板で囲まれていて、 中には土が入れられ、石標は僅かに頭を出すほどにまで埋っています。 石標の脇には「浅間山181.2m」と書かれた立て札も添えられていましたが、 何故だか、先ほどの解説板とは標高が0.1mだけ異なっています。 傍には「一等三角点 建設省国土地理院」の標識も立っています。 以前には三角点に関する解説板もあったのですが、老朽化したためか、数年前に撤去されたままになっています。 その解説板には次のように書かれていました。
浅間山一等三角点と浅間神社
浅間山の名称は、浅間信仰−浅間社の尊信から賜わられたといわれている。 浅間社は富士山への信仰を母体とし、祭神は木花咲耶姫である。 この浅間山の浅間社は江戸後期に鎮座せられたと思われ、 流造りの形の石祠である。古来からおまつりしていたところ、 富士山の噴火などにより、農耕神の意味を持つ富士山信仰−浅間社の神徳に対し、 崇敬と祈願のため社を勧請したもので素朴な信仰である。
  浅間山一等三角点
  位置 東経139度18分15秒 北緯35度19分7秒
  標高 181.28m
  標高の名称 浅間山
全国的にわたる広い地域に統一した測量を行なうため、精密な天文測量により 経度・緯度及び方位を定め、一等三角点を原点とし、これにもとづいて、全国的な地図の 作成や地勢の調査その他各種の測量の重要な基準になっている。 戦前は視準のための三角塔があったが今はなく、石祠の傍に古びた標識石に、一等三角点と刻してあるにすぎない。 三角点について補足すると、丹沢山・浅間山・大島を三角形の 頂点とし、丹沢・浅間山の距離が判っているとき、丹沢と浅間山の 二つの角を測ると、丹沢・大島、浅間山・大島の距離を数学的に 求めることができる。このように、三角形の角のみを測ることによって 三角形の網を全国的に広げ、測量を進めていくことを三角測量という。 三角測量には基の長さが必要で、この長さは相模原基線であり、 この相模原基線を測量的に増幅したのが、浅間山一等三角点である。
 (平塚市)
高田公園分岐
7分ほど居た浅間山を後にして、湘南平へと向かっていきます。 手前にあった分岐まで引き返して、道標「湘南平・大磯駅」に従って、広い尾根道を降っていきます。 程なくして縦コンクリートの階段が始まります。 段差がかなりあって歩き難い思いをしながら降っていきます。 一旦緩やかになりますが、その先で再び階段が現れます。 鉄パイプの手摺も設置されていますが、特に必要な感じはありませんでした。 階段を避けようというのか、脇にはしっかりとした坂道も出来ています。 そんな道を4分ほど降っていくと鞍部に着きます。 ここから左手へと道が分かれていきます。 角には関東ふれあいの道の道標が立っていて、正面に登り返していく道は「湘南平0.2km・大磯駅2.4km」、 今降ってきた道は「浅間山0.2km・高麗山1.0km」となっています。 また大磯町が設定するハイキングコースの標柱も立っていて、 左手の道は「高田公園1.3km・楊谷寺谷戸横穴群0.4km」、正面の道は「湘南平0.2km」、 今来た道は「高麗山1.1km」となっています。 今回はここから左手の道を降っていくのですが、その前に、すぐ先にある湘南平へ立ち寄っていきます。
正面へ登り返していくと、すぐにベンチがひとつ設置されています。 手前の樹木が邪魔をしていて眺めは良くありませんが、樹間から丹沢の山々が見えていました。 そこから左手へ曲がって岩が剥き出した所を登っていくと、 右手へ曲がって緩やかな道が続くようになります。 そのすぐの所から右側の尾根へ登っていく横木の階段があります。 角には関東ふれあいの道の道標が立っていて、右手の階段は「湘南平0.2km・大磯駅2.4km」、 今来た道は「浅間山0.2km・高麗山1.0km」となっています。 正面の道は何も示されていません。 脇には「高麗山公園(湘南平)見取図」と題した案内図がありますが、 掠れていてほとんど読めなくなっています。 正面の道を進んでいくと、湘南平の中ほどに出られますが、その道は戻りに歩くとして、 先ずは右手の階段を登っていきました。
横木の階段を登っていくと、すぐに左手へ曲がって、尾根を真っ直ぐ登っていきます。 階段の両側にはツツジの木が植えられていて、花の季節には綺麗に彩られる所です。 階段はしっかりとした造りになっていて、段差もそれほど高くはないので、 苦労することもなく登っていけます。
フィールドアスレチックの施設を左下に見ながら階段を登っていきます。 次第に傾斜が緩やかになってくると、正面にテレビ塔が見えてきます。 脇にある看板によると、 「NHK平塚テレビ中継放送所」や「TVK平塚テレビ中継放送局」として使用されている電波塔のようです。
NHK平塚テレビ中継放送所
位置 平塚市万田字泡垂山970の66
空中線形式 双ループ2段2面(総合テレビ)、共用(教育テレビ)
送信チャンネル 33(総合テレビ)、29(教育テレビ)
送信出力 映像300W、音声75W
開局年月日 昭和53年3月3日
TVK平塚テレビ中継放送局
平塚テレビ中継放送局はテレビ神奈川放送局(鶴見送信所42ch)の電波を受信して 31chになおして再放送している中継放送局です。 ここから放送される電波は、三浦半島の相模湾沿岸藤沢市・茅ヶ崎市・平塚市・大磯町・二宮町等の周南地方 および相模原市・厚木市・伊勢原市・秦野市等の相模川沿岸をカバーしています。 ここの設備は完全自動化され無人で運用しています…のTVK…どうかこの施設を大事にし…下さい。 …(以下判読不可)
 (株式会社 テレビ神奈川)
湘南平 (標高181m)
テレビ塔の脇を過ぎていくと、「千畳敷」とも云われる広い湘南平に着きます。 浅間山から10分ほどで到着しました。 湘南平は山の上とは思えないほどの広い場所になっています。 登り着いた所には関東ふれあいの道の道標が立っていて、 正面の道は「大磯駅2.2km・こゆるぎの浜2.5km」、今来た道は「浅間山0.3km・高麗山1.2km」となっています。 湘南平は「かながわの景勝50選」にも選ばれていて、少し先には五つの石柱で造られた碑も立っています。
湘南平
湘南平は海抜181m。 古くは阿波多羅山(アワタラヤマ)と呼ばれ、江戸時代の末ごろから 千畳敷山と呼ばれ、桜の名所として著名であったが、 昭和16年以後高射砲陣地となり戦後はいたく荒廃した。 昭和32年、平塚市はこの地を自然公園とする計画をたて、 逐次施設を整備して今日に至った。 湘南平の名は、当時の市長戸川貞雄氏の選によるものである。
 (昭和44年秋 平塚市長)
お願い
皆さんの公園です! お互いにルールを守って、楽しい、きれいな公園にしましょう。
次のことは許可が必要です。
1.露店商、行商、又は、募金等をすること。
2.利益を目的として写真、又は映画撮影をすること。
3.興業、展示会、又は集会等で独占して使用すること。
4.火気を使用すること。
次のことは禁止されています。
1.公園内の物をこわしたり、よごしたりすること。
2.木や、草花等を折ったり、取ったりすること。
3.鳥や動物等を捕まえたり、いじめたりすること。
4.はり紙、はり札、又は広告を掲示すること。
5.ゴミ、その他の汚物をすてること。
6.決まった場所以外に、車等を乗り入れること。
この公園で野球、ゴルフ等はできません。
 (平塚市)
先ずはテレビ塔に登ってみました。 階段を登っていくと中ほどに展望階があります。 周囲に眺めが広がる所ですが、更に階段を登っていくと上の展望階に着きます。 中階よりも良い眺めですが、周囲には金網が張り巡らされていて視界を遮っているのが残念です。 写真は先ほど歩いてきた浅間山から高麗山へと続く山並みを上階から写したものです。
以前には男女の名前を書いた鍵が金網にびっしりと取り付けられていました。 一度撤去されたのか、この時にはかなり少なくなっていましたが、 また取り付けられ始めているようでした。 鍵を取り付ける代りなのか、マジックやスプレーなどでかなり文字が書かれてもいました。
テレビ塔から降りて湘南平の先へ進んでいくと、右手に「関東ふれあいの道」と題した案内板があって、 神奈川県内の17コースが紹介されています。 この湘南平が含まれる「大磯・高麗山のみち」の拡大図も載っています。 また日本山岳会の先駆者の石碑と解説板もありました。 正面には展望台になっている高麗山公園レストハウスがあります。 1階はポーチ・エントランスホール・ショップ湘南平、 2階は湘南平展望レストラン・風除室、 屋上は三段に分かれていて展望デッキ1・展望デッキ2・展望デッキ3があります。 最上階の展望デッキ3の床面は標高194.2mあるのだそうです。 先ずは眺めを期待しながら最上階まで登っていきました。
山を愛し 山を楽しみ
晩年平塚に住み 平塚で終った
日本山岳界に於ける先駆者
岡野金次郎翁を偲ぶ
 (平塚市長)
日本山岳会の先駆者 岡野金次郎
岡野金次郎は明治7年(1874)、現在の横浜市保土ヶ谷区で生まれました。 後に日本山岳会初代会長となる小島烏水とは、明治27年の徴兵検査で出会いました。 明治35年(1902)、岡野と小島は日本人登山家として始めて槍ヶ岳への登頂を果たしました。 その翌年、岡野らは自分たちより前に槍ヶ岳に登ったウォルター・ウェストン(日本アルプスの名付け親)と出会い、 日本にも山岳会をつくることを勧められます。 これが日本山岳会の設立につながりました。 昭和15年(1940)、平塚に移り住んだ岡野は、昭和20年の戦災に遭い、平塚を離れますが、 昭和28年には再び平塚に戻ります。 そして、昭和33年に亡くなるまで、平塚に住み続けました。 富士山が好きだった岡野は、散歩に出かけては平塚海岸や八幡山から富士山を眺めていたといわれます。
 (平塚市)
展望デッキからは正に360度の眺めが広がっています。 天候に恵まれると、北には丹沢山塊、西には箱根から伊豆半島にかけての山々や富士山、 南には小田原から大磯・平塚にかけての海岸、 東には江の島や三浦半島方面を見渡せる素晴しい眺めになります。 この時は晴天だったので、富士山が見えるだろうと期待していたのですが、 黄砂の影響でもあったのか、富士山はおろか、丹沢の山々でさえも見えませんでした。 それでも、近くにある大磯の松並木・大磯港・金目川河口付近などは見えていました。 海に突き出した茅ヶ崎港や平島辺りまでは何とか見えていましたが、 その先にあるはずの江の島や三浦半島はかなり霞んでいて、ほとんど見えませんでした。
お昼にはまだ早い時刻でしたが、ちょいと小腹が空いたので、 2階の湘南平展望レストランに入って山菜そばを食べてみました。 大きな具が一杯入った美味しいそばでした。 店内には湘南平から見える富士山などの写真が沢山掲示されていました。
お腹も満ちた所で、45分ほど居た湘南平から下山していきます。 今回は手前にあった高田公園分岐から降っていくことにしました。 来た道を引き返していっても良いのですが、今回は右下に続く散策路を歩いて行くことにしました。 展望レストランから出たすぐ先に、関東ふれあいの道の道標が立っていて、 右手の階段は「大磯駅2.1km・こゆるぎの浜2.4km」となっています。 階段を降りて、テレビ塔の方へと進んでいきます。 桜並木になった広い公園風の所を進んでいくと、テレビ塔の横まで来ます。 そこから右手の階段を降って、一段低い所に続く散策路を進んでいきます。 そのまま進んでいくと横木の階段を登るようになるので、その手前から更に一段低い右下の道へ降りて、 僅かに登り気味に続く道を進んでいきます。
歩きやすい道を軽く登っていくと、左手から石段が降ってきます。 その道を合せた先から始まる縦コンクリートの階段を降っていきます。 1分ほどで階段を降り切ると、道が左右に分かれています。 降り立った所には「湘南平見取図」があります。 これまでに見かけたのと同様にかなり古びてはいましたが、何とか道が判読できる状態でした。 それによると、湘南平の南側の斜面には三段になって散策路が巡っているようです。 左手にはベンチなどが幾つも設置されていて、小広場のようになっていました。 山際には小さな池がありました。 「蘇我十郎之硯水」と云うのだそうです。
十郎五郎伝跡
五郎時政がこの山へ馬で馳せのぼり、馬のために水を求めて強く足を踏みつけると、 滾々と清水が湧き出た処という。 のち、兄の十郎祐成がこの水で文を書いたので、硯水の遺跡とも伝へ、 ここの水で手習いすると上達が早いと言われている。
 (平塚市観光協会)
高田公園分岐
左手の小広場の先から階段が続いていますが、 湘南平へ登っていったツツジの植えられた横木の階段の途中に出てしまうので、 右手へ曲がって階段を降っていきます。 すぐに左へ曲がって、斜面を横切るようにして進んでいきます。 少し登っていくと、湘南平へ登っていった横木の階段の手前にあった道標の立つ分岐に出ました。 そこから岩が剥き出した坂を降ってベンチを過ぎていくと、 浅間山から降ってきた所にあった高田公園分岐へ戻って来ました。 高麗山公園レストハウスからここまで12分ほどかかりました。 標柱「高田公園・楊谷寺谷戸横穴群」が指す右手の道を降っていきます。
楊谷寺戸谷分岐
幅の広い山道を降っていきます。 左へ曲がって降っていくと、崖崩れのために鉄パイプが設置されて板が渡されている所がありました。 谷側には青いシートが被せられていました。 少し揺れる板の上を進んでいくと、程なくして幅の広い横木の階段が現れます。 段差は低くて歩き易い階段を1分ほど降っていくと、尾根から8分ほどの所に分岐があります。 角には大磯町が設定するハイキングコースの標柱が立っていて、 正面の道は「高田公園1.1km・大磯駅1.1km」、左手の道は「楊谷寺谷戸横穴群0.2km・大磯駅」、 今降って来た道は「湘南平0.4km・高麗山1.3km」となっています。 右手にも道が分かれています。 標識には何も示されていませんが、今回はこの右手の道を降っていきました。
(正面の道は「湘南平」「湘南平」、 左手の道は「湘南平」を参照)
土砂崩れの措置として、単管パイプ等による仮設の通路を設置しましたので、 足元に気をつけて通行して下さい。 お気づきの点があれば、下記までご連絡ください。
 (大磯町役場都市計画課)
山火事注意 火の用心!
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
戻るようにして右手へ降っていくと、すぐに鋭角に左手へ折れ曲がっていきます。 小さな谷筋は竹林になっていました。 その脇に細い道が続いていました。 竹林との間にはコンクリート杭に有刺鉄線が張られた柵が続いていて、竹林には「立入禁止」の看板も出ていました。
警告
この竹林一帯は私有地の為、無断での立入りを禁止します。 立入りを発見した時は、警察へ通報します。 無断での私有物持出は窃盗罪に成ります。
 (大磯園こいずみ)
伏見稲荷
山際に続く山道を降っていくと、右下に大きな屋根が見えてきます。 楊谷寺戸谷分岐から2分ほど降っていくと、左手へ分かれていくコンクリート道があります。 道には赤い鳥居が並んでいて、「奉納 正一位 伏見稲荷大明神」の幟も立ち並んでいました。 ちょいと寄り道をして左手に続く鳥居群をくぐっていくと、山際に小祠がありました。 両脇には狐像が控えていて、赤い頭巾を被り、首には紅白の輪を巻いていました。 崖には大きな穴があって、その中の奥には石祠が祀られていました。
小淘綾ノ池
伏見稲荷から元の道に戻ってその先へ降っていきます。 最後に苔生した石段を降っていくと、舗装路に降り立ちました。 伏見稲荷の立ち寄りも含めて、楊谷寺戸谷分岐から7分ほど、 湘南平から28分ほどで降りて来られました。 これで山道は終わりになります。 降ってくる時に右下に見えていた建物は「大磯園こいずみ」というようでした。 茶亭のようですが、この時には窓は閉ざされていて、利用されていない様子でした。 その前には「小淘綾ノ池」と呼ばれる池があります。 降り立った所から左手へ少し降っていくと、石碑が二つ並んでいました。 一方は達筆過ぎて無学の私には読めませんでしたが、もう一方は旧字ながらも何とか判読できました。 安政2年(1855)と云えば、江戸時代末期に建設された溜め池のようです。 石碑の先から右手へ入っていくと、ベンチなどが幾つか設置されていて、休憩所のようになっていました。 石碑に記載されている「堤防」に当たる所のようでした。
小淘綾ノ池
小淘綾ノ池ト命名ス
此ノ池ハ安政二年當時ノ名主及下流水田ノ地主ニ依リテ 築キシモノナルガ其ノ後幾十年ノ後壊頽其ノ儘トナリシ ガ昭和八年三月時ノ大磯町長並有志諸彦ノ盡力ニ依リ農 林省ノ補助ヲ得テ土木_救事業トシテ此池ノ改修辧ヨ工 事及ビ此ノ池ヲ過テ千畳敷ニ通ズル登山道路幅員九尺延 長三百三十五間ノ開鑿工事ヲ地元臺町及青年組合ニテ請 負昭和八年五月竣工セシモノナリ
右堤防ニ櫻楓ヲ植テ記念トス
昭和八年六月 臺町青年 建之
大磯松濤台
小淘綾ノ池を後にして、その先に続く坂道を降っていきます。 右側には細い流れが続いていました。 日陰になった谷筋ということで、道には薄らと苔が生えていたりもします。 アジサイの木が植えられた所を過ぎていくと、道が膨らんだ所がありました。 先ほどの大磯園こいずみの専用駐車場になっていて、 「これよりお歩き下さい」の看板が出ていました。 竹林の脇を過ぎて更に降っていくと、民家が散在するようになります。 今降って来た道を指す看板「大磯園こいずみ」を過ぎて、突き当たりのY字路を右折していくと十字路に出ます。 Y字路とT字路がつながった形をしています。 その角にも「大磯園こいずみ」の看板が出ていて「入口→突き当り左」となっていました。 十字路を左折して、谷筋に続く住宅地の道を降っていきます。 4分ほど降っていくと道幅が更に広がって、民家が建ち並ぶようになります。 道端にあった看板によると「大磯松濤台」という住宅地のようです。 道にレンガが円形に敷き詰められて綺麗な模様を作っている所もありました。 じっと見つめていると、何だか目眩がしてきそうになりました。 左右に分かれていく路地は見送って、道なりに真っ直ぐ降っていきます。
住宅地の脇に続く道を道なりに降っていくと、小淘綾ノ池から15分ほどで、左右に通る道に出ます。 角には小祠に安置されたお地蔵さんが佇んでいました。 赤い前掛けをしていて、前には綺麗な季節の花がお供えされていました。 脇には関東ふれあいの道の道標が立っていて、 右手の道は「湘南平1.2km・高麗山2.5km」、左手の道は「大磯駅1.0km・小淘綾ノ浜1.2km」となっています。 右手の道は善兵衛池を経て湘南平へ登っていけますが、今回はここを左折して大磯駅へ向かっていきます。
宮ノ上公園
左折して1分ほど進んでいくと、道が左手に分かれていく角に小さな宮ノ上公園があります。 園内には大磯町の設置する水準点があって「標高23m013」となっています。 また東小磯防災館もあります。 関東ふれあいの道はここを直進していくのですが、今回は公園の角を左折していきました。
御嶽神社
広い道を軽く登り気味に進んでいきます。 僅かな高みに着いて、東小磯緑地の前を道なりに右へ曲がっていくと、左右に通る道に出ます。 正面には「大磯町商工会掲示板」が立っています。 そこを左折していくと、道幅が狭まってきます。 民家の間に続く細めの道を進んでいくと、左側に「御嶽神社」の扁額が掛る鳥居があったので、 ちょいと立ち寄っていきました。 鳥居をくぐって石畳の参道を進んでいくと再び鳥居があります。 右手に坂道もありましたが、その先に続く石段を登っていくと御嶽神社の境内に着きました。 正面には社殿がありました。 前面には「報国」や「孝心」と書かれた額が掲げられていましたが、 由緒などを記したものは見かけませんでした。 社殿の左側には、朱塗りの鳥居や狐像が控える小祠もありました。 祠の前には動物の上に立っている人物の浮き彫りのような絵もありました。 その祠専用の手水鉢も設置されていて、何やら由緒がありそうな様子でした。 稲荷社のようでしたが、名前などは分かりませんでした。
みどりの協定区域
この区域はみどりを育て守る区域です。 皆んなでみどりを大切にしましょう。
 (神奈川県)
妙大寺
御嶽神社を後してその先へ進んでいくと、1分ほどの所から左手へ道が分かれていきます。 その角には大磯町が設定するハイキングコースの標柱が立っていて、 左手の道は「湘南平2.0km」となっています。 左手の道は高田公園を経て、先ほどの楊谷寺戸谷分岐へと続いていますが、 そのまま正面の道を進んでいきます。 数10m進んでいくと、左手に妙大寺があります。 「慈意妙大雲」の扁額が掛る山門から境内へ入っていくと、正面に本堂がありました。 お寺の謂われを記したものは見かけませんでしたが、日蓮宗のお寺のようです。 本堂の右手には庫裡と思われる建物があり、左手に墓地がありました。 その中に「松本順先生の墓」があります。
(高田公園への道は「湘南平」を参照)
忘持経事
教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五躰を地に投げ合掌して両眼を開き、 尊容を拝し歓喜身に余り、心の苦忽ち息む。 我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。 譬えば種子と菓子と身と影との如し。
経主釈尊の御宝前に御母堂の遺骨を安置し、五体を地に投げ出して御宝前にひれ伏し合掌し、 両眼を開いて法華経の経主釈尊の尊容を拝すれば悦びが身体にあふれ、心の苦しみもたちまち消えてしまった。 それのみならず、父母への感謝の念が涌きあがり、我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、 我が十指は父母の十指、我が口は父母の口と、 自分の肉身は全て父母から受け継いだものなのだという思いがわいてきた。 親子関係は、たとえ死に別れても、種子と菓実、身と影とのように離れられないものなのです。
松本順先生の墓誌
松本順先生は天保3年(1832)東京は芝の生れ。 もと徳川将軍家の御殿医。後、明治新政府に請われて初代陸軍軍医総監となる程の医学界の第一人者であった。 明治18年(1885)一切の公職を退いて閑地に就かれ、縁ありて大磯にきたり。 「この地の湖水は病を治し空気は保生の効あり」と唱え、照ヶ崎海岸こそ海水浴の好適地と認定、 町の有識者と相はかり、ここに日本最古の海水浴場が誕生した。 折しも交通革命とも申すべき鉄道の開通により、東海道五十三次の宿場であった大磯の町が衰微を免れた上に、 日本国中の各界の名士が競って当地に別荘を設け、その殷盛は旧に倍するものとなった。 これ偏に先生の先見の明によるものである。 その繁栄を町民と共に楽しみながら明治40年(1907)3月、先生は当地にてご他界。御年76才。 この大恩に報ゆるため、時の有志者挙って先生遺愛の当山の墓碑を建立したものである。
 (往見 駅前ロータリー内記念碑及照ヶ崎海水浴場謝恩碑)
大磯(おおいそ)駅
妙大寺を後にして坂道を降っていくと「大磯ガード」があります。 ガードをくぐって左折して線路沿いに進んでいくと、大磯駅(JR東海道線)があります。 小淘綾ノ池から40分ほどで到着しました。