引地川・フジ史跡ロード
散策:2009年09月上旬
【街角散策】 引地川・フジ史跡ロード
概 要 引地川・フジ史跡ロードは、藤沢市にある藤の花の名所をつなぐコースで、引地川に沿って続いています。 円行公園から湘南海岸公園までの約11kmの道程です。 藤の咲く季節には綺麗な花が見られます。 今回は湘南台駅を出発して、引地川・フジ史跡ロードを散策しながら、片瀬江ノ島駅へと向かっていきます。
起 点 藤沢市 湘南台駅
終 点 藤沢市 片瀬江ノ島駅
ルート 湘南台駅…円行公園…桐ヶ谷公園…なかむら公園…二番構公園…大庭裏門公園…市杵島神社…引地川親水公園…大庭城址公園…舟地蔵公園…舟地蔵…大庭遊水地…千人力弁天社…引地橋…引地川緑地…引地川親水広場…長久保都市緑化植物園…八部公園…鵠沼橋…湘南海岸公園…片瀬江ノ島駅
所要時間 7時間20分
歩いて... 駅までの道を併せて約13.5kmほどの道程ですが、寄り道をし過ぎたのか、予想以上に長い時間がかかってしまい、 最後には背中が痛くなってきました。 この時には藤は咲いていませんでしたが、花の季節に訪ねたいコースです。
関連メモ 大庭城址公園
コース紹介
湘南台(しょうなんだい)駅
湘南台駅(小田急江ノ島線、相模鉄道いずみ野線、横浜市営地下鉄)から歩いていきます。
改札口を出て広い地下道を通って、駅の西側にある「出口B」から地上へ出ます。 今回は円行公園から湘南海岸公園へと続く引地川・フジ史跡ロードを歩きます。
地下道に「周辺案内図」があって、これから向かう円行広場も載っているので参考にしましょう。
円行公園
地上に出て、西大通りを進んでいきます。 湘南台駅西口交差点を直進していくと、左手にこんもりとした森が見えてきます。 傍まで行くと「藤沢市立円行公園」と書かれた標柱が立っていました。 短い石段を登って、その先に続く石畳の道を進んでいきます。 背の低い庭木が綺麗に剪定されていました。 右側の柵の外側には竹林が続いていました。 竹林は立入禁止になっていて、その旨の貼り紙もありました。 趣きのある門を過ぎて、その先へと進んでいきます。
立入禁止
この土地は市の管理地です。 許可無く入らないでください。 また、中の植物を取らないでください。
 (藤沢市役所公園みどり課、湘南台市民センター)
十字路の所まで来ると、右側に続いていた柵が右へ折れ曲がっていきます。 その柵に沿って坂道があったので降っていくと、一段低い所にある広場に降り立ちました。 遊具などがある静かな広場の脇には藤棚がありました。 その傍に「フジロード」と題した案内図がありました。 この円行公園から湘南海岸公園までの12の公園などを結ぶ引地川沿いの散策路で、 正式名は引地川・フジ史跡ロードというようです。 今回はこの「引地川・フジ史跡ロード」を歩いていきます。 各ポイント間の距離も書かれていて、合計で11.1kmになります。 藤沢市の「市の木」はクロマツ、「市の花」はフジ、「市の鳥は」カワセミなのだそうで、 このフジロードはその「市の花」に因んだコースのようです。 この先の各ポイントにも同様の案内図が設置されていて、該当場所には★印が記入されています。
この案内図だけでは詳細な場所が分り難いので、道路地図などを持参した方が良いようです。
フジロード 引地川・フジ史跡ロード
円行公園…(0.9km)…桐ヶ谷公園…(1.1km)…なかむら公園…(2.2km)…二番構公園…(0.9km)…引地川親水公園…(0.4km)…大庭城址公園…(0.2km)…舟地蔵公園…(1.9km)…引地川緑地…(1.0km)…引地川親水広場…(0.2km)…長久保公園…(1.9km)…八部公園…(1.3km)…湘南海岸公園
公園利用についてお願い
・犬は、必ずくさり等でつなぎ、フンは飼い主がきちんと持ち帰りましょう。
・ゴルフ・野球・サッカー等の球技をするのは危ないのでやめましょう。
・花火・ばくちく・たき火等火の使用はやめましょう。
・ゴミ・吸い殻は必ず持ち帰りましょう。
・バイク等を乗入れたり、乗りまわすのはやめましょう。
・砂遊びの後は手を良く洗いましょう
その他、人に危険やめいわくのかかるようなことはやめましょう。
 (藤沢市公園課)
広場の正面には引地川が流れています。 川沿いの道に出た右側に架かる柳橋を渡っていきます。 柳橋を渡って左折して、引地川の右岸に続く道を歩いていきます。 沿道には桜が並木を作っていて、ベンチなども点々と設置されていました。 川沿いの柵にも桜の透かし彫りが施されていました。 花の季節には憩いの場所になりそうな道です。
引地川
引地川は、大和市上草柳の泉の森に源を発し、 藤沢市鵠沼海岸の湘南海岸公園から相模湾に注ぐ全長21.3kmの二級河川です。 主な支流には蓼川・不動川・一色川・小糸川などがあります。
緑道の管理についてのお知らせ
この緑道の管理については、藤沢市より「指定管理者」に指定されましたのでお知らせします。 今後、緑道の管理についてお気づきの点がございましたら、次の連絡先までご連絡ください。
指定の期間 2009年4月1日〜2014年3月31日
指定管理者 (財)藤沢市まちづくり協会、藤沢市緑化事業共同組合グループ
 (藤沢市まちづくり協会)
円行大橋まで来ると、その先に親水階段護岸がありました。 階段から川辺へ降りて行かれるようになっていたので、ちょいと降りてみました。 川面にはカモが一羽浮かんでいました。
引地川緑道 親水階段護岸
この親水階段護岸は、みなさんが水辺に親しむ場所として造られました。 事故のないように注意して利用しましょう。
(1)雨のときや川の水が多いときは、下の平場に降りてはいけません。
(2)川の水が多くなってきたら、危険ですから上の園路にもどりましょう。
(3)小さい子供だけで遊ばないようにしましょう。
(4)水深が深いところもあるので注意しましょう。
 (藤沢市藤沢土木事務所、藤沢市公園課)
桐ヶ谷公園
枝垂れ柳の並木道を進んでいくと、円行新橋が架かっています。 車道を渡って正面へ数10m進んでいくと、右手へ分かれていく路地があります。 角に立つ電柱には「円行一丁目1」の住所表記が取り付けられていました。 その路地へ入って坂道を登っていくと、十字路の左手に桐ヶ谷公園があります。 石垣の間の石段を登っていくと、静かな広場になっていました。 藤棚の脇には、読書をする女性とその傍で遊ぶ子供の像がありました。 土地区画整理事業の完成を記念して建てられた像のようです。
藤沢都市計画 北部第二(一地区)土地区画整理事業完成記念
この事業は、面積208ヘクタールの地域の公共施設の整備改善と宅地の利用増進を図るため、 1969年に事業認可を受け着手したもので、この間、多くの関係権利者の絶大なるご理解とご協力を賜わり、 204億円の事業費と25年の歳月を要し、ここにめでたく完成をみたものであります。 この街が豊かさとやすらぎに満ちた人間都市・藤沢にふさわしい街として、さらに発展することを期待します。
 (藤沢市)
なかむら公園
桐ヶ谷公園を後にして、坂道を更に登っていくと、広い車道に出ます。 そこを左折していきます。 すぐに道が二手に分かれていますが、中央分離帯のある右側の広い方の道を進んでいきます。 南桐原バス停・石川山田バス停を過ぎていくと石川山田交差点があります。 そこを右折していきます。 少し降りになってきた道を進んでいきます。 石川和泉原交差点を直進していくと、一色川和泉橋が架かっています。 橋を渡って左手へ進んでいくと、民家が途切れた所になかむら公園の入口があります。 電柱の脇からコンクリート舗装された散策路へ入っていくと、道が左右に分かれています。 正面に「藤沢市立なかむら公園」と刻まれた石標と、公園の案内図がありました。 それによると、斜面下休憩ゾーン・遊具斜面ゾーン・草っぱら子供ゾーン・芝生広場ゾーンから成る公園です。 右手の道は道路に出てしまうようなので、左手へと進んでいきます。
野外卓を過ぎていくと、墓地への階段が分かれていきますが、そのまま散策路を進んでいきます。 右へ曲がって登り坂になってくると、滑り台やアスレチック遊具などがありました。 幅の広い横木の階段を登っていくと、広い芝生広場に出ました。 かなり広くて気持ちの良い芝地になっていました。 広場の外周に沿うようにして長い藤棚がありました。 遊具などもある右手の草っぱらには東屋もありました。 広場を右側から回り込んでいくとトイレ設備がありました。
芝生広場の外周に続く散策路を進んで、自転車置き場の手前から右手へ分かれていく道路を進んでいきます。 集合住宅の横に続く軽い登り坂になった道を真っ直ぐに進んでいくと県道43号に出ます。 左折して県道を南へと進んでいきます。 石川交番前交差点を直進して石川バス停を過ぎていくと南鍛冶山交差点があります。 交差点を直進して降り坂になってきた道を進んでいきます。 石川橋バス停を過ぎて降り傾斜が増してきた車道を進んでいくと、石川下の根交差点があります。 正面には横浜水道引地川水道橋が架かっています。 交差点を直進して水道橋の下をくぐっていきます。
二番構公園
五反田バス停を過ぎて更に降っていくと、保健医療センター入口交差点があります。 そこを右折して、登り坂になってくる道を進んでいきます。 信号機のある交差点を直進して駒寄小学校前交差点を過ぎていくと、 傾斜が緩やかになった所に駒寄小学校前バス停があります。 藤沢市保健医療センター北急病診療所を過ぎていくと降り坂になってきます。 薬局を過ぎていくと、広い車道に出る手前の左側に二番構公園があります。 道路沿いに続く細長い公園になっています。 遊具などがある広場を過ぎていくと、噴水のある広場に出ました。 噴水池には飛び石が設けられていて、歩いて渡れるようになっていました。 その先に藤棚があり、横には公園の案内図もありました。
本公園名は、所在地の字名(二番構)からとりました。 この場所までが、大庭城の範囲であるとの説があります。
藤棚の先には細いせせらぎが続いていました。 小さな滝を流れ落ちた水が、綺麗に整備された水路を流れていました。 滝の上では子供達が水遊びをしていました。 樹木が生い茂るせせらぎの脇には東屋もあって、雰囲気のいい散策路になっていました。 東屋の先へ進んでいくと、水瓶を持った女性像が立っていて、 水瓶から流れ落ちた水が、正面へ続く水路に流れていました。 子供が流れに顔を近づけて手を入れて何やら捜していたりもしました。 「藤沢市スポーツゾーンハイキングコース」と題した案内板もありましたが、掠れていてよく見えませんでした。
(写真は水路の先まで行ってから振り返って写したものです)
大庭裏門公園
二番構公園を出て左手に続く道路を進んでいきます。 左へ曲がっていくと正面に森があります。 手前にある分岐の右側の数10m先に観察塀が見えていたので立ち寄っていきました。 解説板が設置されていて、この付近で見られる鳥が紹介されていました。 この下に広がる谷戸は大庭裏門公園というようです。 分岐の所から谷へ降る道もありましたが、入口は金網柵で閉ざされていました。
大庭裏門公園
野鳥となかよくしましょう。
メジロ 全長11.5cm。留鳥として丘陵地から山地に生息する。 全身が黄緑色、目の周りが白い。 虫や木の実を好んで食べるほか、花の蜜も好む。 チーとかチーチュルチーチュルチーと鳴く。
ムクドリ 全長24cm。留鳥として人里付近に生息する。 全身が黒っぽく、くちばしと足はオレンジ色。 地上で歩きながら虫を捕まえるほか、木の実も好む。 集団ねぐらを作る。キュルキュルやジェーと鳴く。
オナガ 全長37cm。留鳥として本集の中部地方以北の人里付近で生息する。 黒い頭と長い尾が目立つ。 10から20羽の群れで生活し、虫や木の実を食べる。 ゲーイと鳴く。
オオヨシキリ 全長18.5cm。夏鳥として川原や湿地のヨシ原に渡来する。 体の上面はオリーブ色。ヨシ原の中でクモや昆虫を食べる。 ギョギョシ・ギョギョシと茎の上で大きな声で鳴き、なわ張りを宣言する。
マガモ 全長59cm。北日本で一部が繁殖するが、主に冬鳥として湖や川に渡来する。 雌は全身が褐色でくちばしは橙色。 草の実や逆立ちをして水草を食べる。グェグェと鳴く。
コガモ 全長37.5cm。一部は北海道等で繁殖するが、多くは冬鳥として湖や川に渡来する。 雄は目の後が緑で頭が茶褐色、雌は全身が褐色。 草の実を食べる。ピリッピリッと鳴く。
オナガガモ 全長:雄75cm、雌53cm。冬鳥として池や川に渡来する。 雄は尾が長く、頭は茶色で首の前面が白い。 雌は全身が褐色のまだら模様。 逆立ちして水草を食べる。ピリッピリッと鳴く。
モズ 全長20cm。全国で繁殖し、冬には北のものは南へ移動する。 背は雄が青灰色、雌が赤褐色。 昆虫などを捕まえ、小枝などに刺しておく習性がある。 キィキィ…と鳴く。
ツグミ 全長24cm。冬鳥として川原や畑に渡来する。 眉が白く、上面は褐色。個体により色の変異が大きい。 地面でミミズを捕まえるほか、木の実を食べる。 クエックエッと鳴く。
観察塀には幾つも小窓が開けられていて、そこから覗けるようになっています。 また、双眼鏡も設置されていて、自由に覗くことができます。 小窓から覗いてみると、深い谷戸が広がっていて、川も流れているようでした。 手元の地図によると、二番構公園の西側から流れてきた小糸川が、暗渠を通って流れ出ているようでした。
大庭裏門公園
野鳥となかよくしましょう。
カワウ 全長82cm。本州と九州の湖や川、内湾に生息する。 背が茶褐色、繁殖期には頭が白っぽくなる。 林の樹上に集団で巣を作る。 潜って魚を捕まえる。編隊をくんで飛ぶことがある。
カルガモ 全長60.5cm。全国で繁殖し、冬には北のものは南へ移動する。 雌雄同色。全身が褐色、くちばしの先が黄色。 池、川、水田に生息し、水草や草の実、小動物も食べる。
ゴイサギ 全長57.5cm。本州以南で繁殖し、冬には北のものは南へ移動する。 頭と背が青灰色。幼鳥は全身褐色で白い斑点がある。 魚やカエルを食べる。夜行性で、飛びながらグワッと鳴く。
コサギ 全長61cm。留鳥として本州以南の干潟、川、水田に生息する。 くちばしと脚が黒く、指は黄色。 水中を歩いたり、岸で待伏せしたりして魚を捕まえる。グワーと鳴く。
アオサギ 全長93cm。日本のサギの仲間では一番大きい。 北海道から四国で繁殖し、北方のものは冬は暖地へ移動する。 全身灰色で、目の上には黒い線がある。魚を食べる。
バン 全長32.5cm。夏鳥として渡来するが、関東以南では越冬するものもいる。 全身が黒く、くちばしから額にかけて赤い。 水辺で生活し、草の実や昆虫を食べる。
キジバト 全長33cm。全国で繁殖するが、北海道のものは冬には南下する。 全身が灰褐色、つばさには灰色と赤褐色のうろこ模様がある。 地上で草の実などを食べる。デデッポーポーと鳴く。
カワセミ 全長17cm。全国で繁殖し、冬には北のものは南へ移動する。 低空飛翔をしてねらいをつけ、水中に飛込み魚を捕まえる。 水辺の近くの土の崖に巣穴を作る。 チーと鳴く。藤沢市の鳥。
ヒヨドリ 全長27.5cm。留鳥として市街地から山地に生息する。 全身が灰色で、ほおに褐色の模様がある。 昆虫や木の実を食べるほか、花の蜜も好む。 ヒーヨヒーヨと鳴く。
シジュウカラ 全長14.5cm。留鳥として市街地から山地に生息する。 頭は黒く胸に黒いネクタイ状の帯がある。 巣箱をよく利用し、昆虫等を食べる。 ツツピーとかジュクジュクと鳴く。
寄贈
良い環境を守るために… こいどじょう放流。
 (藤沢北ロータリークラブ)
手前の分岐まで引き返して、大庭裏門公園の左側に続く道を進んでいきます。 金網柵沿いに続く坂道を登っていくと、こちらにも観察塀がありました。 双眼鏡も設置されていて、先ほどのと同じ構造になっていました。 小窓から覗いてみると、眼下の谷には池が見えていました。
カモのなかま 見分けのポイント
カルガモ 留鳥。全長約56cm。 オス、メス同色でくちばしのオレンジ色が目立つ。 カモのなかまは、ほとんどが冬鳥として渡ってきますが、カルガモは日本で繁殖する。
オナガガモ 冬鳥。全長約53〜75cm。 針のような長い尾が特徴。 都心の公園の池などで最近数を増やしてきたカモ。 逆立ちして、エサの雑草の種などを食べているときも長い尾を見ればすぐ見分けられる。
マガモ 冬鳥。全長約59cm。 カモの仲間で一番普通に見られるカモ。 アヒルは、このマガモを改良してつくった飛べない鳥。 緑色の頭と黄色のくちばしが目立つ。
コガモ 冬鳥。全長約37.5cm。 カモの中でもっとも小さく、他の仲間といるとき、こどものカモにまちがえられてしまうこともあるが、 れっきとした大人のカモ。 中央を横に白い線が目立つ。
着陸と離陸  水上スキーをするように水かきのついた大きな足を使って急ブレーキをかけて着水します。 キンクロハジロやスズガモなど水に潜って貝や魚を食べるカモは水の上を走るようにして水面を蹴って飛び立ちます。 飛行機が離陸するときと似ています。
市杵島神社
観察塀を過ぎたすぐ先から左手へ分かれていく道に入っていきます。 その数10m先を右折して、集合住宅などが建ち並ぶ坂道を降っていくと、 右側に市杵島神社がありました。 神社の由緒などを記したものは見かけませんでしたが、 境内には「落慶記念碑」があって、簡単な解説文が刻まれていました。 社殿の手前には古びた鳥居が立っていて、「熊野大権現」と刻まれた扁額が掲げられていました。 その左側には小祠があって、前に四脚の鳥居が立っていました。 それが熊野大権現でしょうか。 その横に生える樹木の袂には「庚申供養塔」と刻まれた石碑と、 「南無弁天」や「日天・月天・金神・水神」と刻まれた石碑がありました。 それらの周囲には綱が張られていて「はいってはいけません」の立て札があったので、 由緒ある石碑のようでした。 右側には稲荷社と思われる赤い小祠もありました。 対面には建物がありましたが社務所でしょうか。
落慶記念碑
藤沢市西部開発事業ニ伴ウ区画整理ニヨリ熊野権現並ビニ市杵島神社ノ移転ヲ要請セラレタルニツキ 北ノ谷町内氏子一同一致協力 昭和五十三年十月九日両社ヲ当地ニ併セ祭リ新築シタルモノナリ
市杵島神社を後にしてその先へ降っていくと県道43号に出ます。 正面には大きな送電線の鉄塔が幾つも立っていました。 手元の地図によると藤沢変電所のようです。 左折していくと大庭広地交差点があります。 そこで道がY字形に分かれています。 横断歩道を渡って道路の向こう側へ行くと、正面の林へ入っていく散策路がありました。 車道を歩くよりも趣きがありそうなので、その散策路を進んでいきました。 車道沿いの林に広い散策路が続いていて、青葉を伸ばした樹木が木陰を作っていました。 所々にはベンチも設置されていました。
引地川親水公園
林の中を進んでいくと道路に突き当たります。 そのまま道路に出てもいいのですが、そこから右へ曲がって更に散策路が続いているので、 そのまま歩いていきました。 ベンチなどが設置された道を進んでいくと、左側に並行する道路に出ます。 そのすぐ先に引地川に架かる大庭鷹匠橋があります。 ここから下流にかけて引地川の両岸に引地川親水公園が続いています。 左右のどちらの岸を歩いてもいいのですが、今回は橋を渡って左岸を進んでいきました。 入口には「引地川親水公園」と刻まれた石碑があり、その脇には公園の案内図もありました。 この大庭鷹匠橋から天神橋を過ぎて城下橋まで続く公園で、湿性植物園や大庭遊水地などがあります。 川でバシャバシャと音がするので、橋の袂にある階段から川辺に降りていくと、 川には大きな鯉が沢山泳いでいました。
左手に広がる田んぼには、実った穂を垂れた稲が育っていました。 特大の鉄塔「用田線No.41」と「香川線No.42」が並んで立つ脇を過ぎていきます。 テーブル・ベンチが幾つも設置されていて、憩いの場所になっていました。 この時は良い天気で暑い陽気でした。 カラスも暑さ避けなのか、樹木の袂の木陰に集っていました。 引地川の右側にはこれから向かう大庭城址公園のある森が見えています。 「藤沢南口線No.2」の鉄塔を過ぎていくと、藤棚がありました。 藤が葉を伸ばして木陰を作っていました。 結構長い藤棚になっていて、下で食事をしている人達もいました。
河川の増水に注意
河川上流地域の降雨により、突発的に河川の流量が増える場合がございます。 十分に注意をしてください。
 (藤沢市役所公園みどり課)
急な増水に注意!
大雨による急な増水に備えるために!
川の上流で雨が降ると、川の水が急に増えることがありますので十分に注意してください。 空が暗くなったり、雨が降り出したり、川の水がにごってきたら、はやく川から離れてください。
 (神奈川県藤沢土木事務所)
公園内でのバーベキュー・花火等の行為は禁止となっています。
 (藤沢市公園みどり課、藤沢市まちづくり協会、藤沢市緑化事業共同組合グループ)
藤棚の下を進んでいくと、葦が生える池がありました。 先ほどの案内図にあった湿性植物園になるようです。 ボードウォークが設置されていて、中を歩いていけるようになっていました。 池には大きな鯉が沢山泳いでいました。 池の縁にはカモが二羽佇んでいました。 じっとして動かないところをみると、寝ていたのでしょうか。 ボードウォークは池の端までいってから引き返すようにして川辺の散策路へ続いていました。
散策路に出た所には東屋が建っていました。 そのすぐ先に天神橋が架かっています。 引地川親水公園はこの先の城下橋まで更に続いていますが、 大庭城址公園へ向かうべく、天神橋を渡っていきました。 橋の欄干にはカエルの像が沢山設置されていました。 引地川にはカエルにまつわる言い伝えでもあるのでしょうか。 橋を渡った右側に、東屋の建つ広場がありました。 湘南台駅から3時間ほど歩いてきて疲れたので、 自動販売機で買った飲み物で喉を潤しながら、ひと休みしていきました。 傍には小さくて綺麗な花が沢山咲いていて、お花畑のようになっていました。 また、「不滅業」と題した大きな石碑もありました。 無学のため読めない文字もありましたが、ここに載せておきます。
不滅業
土地改良事業竣工記念碑
引地川は昔から巾員狭小、屈曲甚しく、為めに流域耕地は河水氾濫、潅水数日に亘り稲作の被害累年に及ぶ。 しかも本河川は平常流量の多いこと他県に於てさえ 稀らしい特徴を有するに関らず之れを潅漑用水として利用する施設手段に欠けていたので、 年毎に旱害の面積数町歩を算えたのである。 昭和八年、本河川が準用河川県費支_の適用を受けるに及び、下流より漸次改修が行はれてきた。 しかし用地は無償提供であったので、勢い影沼地区より順を追うて耕地整理事業を遂行するに至ったのである。 当改良区五十町歩の耕作者も河川改修を契機に蹶然として起ち上り昭和二十四年 大庭稲荷耕地整理組合を設立、同事業の計画を樹立し_来組合員百七十四名の総力 を結集して区画整理用配水路、農道を完成し更に石川耕地整理組合と協同して幹線用水路を設け、 法の改正により両組合?に土地改良区に組織変更し其の連合を設立、 水害による石川取水口を自動堰に改築し、以て用水の万全を期したのである。 昭和三十二年_地登記其他一切の事務は畧終了したが、其の後各所の補修改良を継続し遂に現状に至った。 今、往時の耕作者の_苦精励して猶且つ収穫少なく被害に泣いた姿を偲ぶ時、 国県市費の補助を加えて一千万円余の汗血を投じ、役員は能く其の運営遂行に最善を尽し、 組合員又協力一致したる此の成果に讃嘆し、まさに百年の大計を成就し近代の業の基盤を確立したものと謂うべきか。 茲に其の大要を記して後代に伝う。
昭和三十八年四月 藤沢市長
大庭城址公園
ひと休みしたら大庭城址公園へ向かっていきます。 左手には大庭遊水地などが広がっていますが、戻りに訪ねることにして、 正面に見えている森へと向かっていきます。 管理棟を過ぎて県道43号に出て、横断歩道を渡って左手へ進んでいきます。 舟地蔵バス停を過ぎていくと、舟地蔵交差点の手前から右手へ分かれていく道があります。 その道へ入っていくと、程なくして右手に「大庭城址公園」の標柱が立っています。 ここが大庭城址公園南入口になります。 植え込みなどがある小さな広場を左手に見ながら標柱の脇から中へ入っていくと、横木の階段が表われます。 登り口の横には「大庭城址公園案内図」があって、簡単な解説文も載っていました。 館址広場・花の広場・チビッ子冒険広場・多目的広場・休憩広場・空堀・大芝生広場などがあって、 その周囲を保存樹林が取り巻く形になっています。 案内図で歩くルートを確認してから、正面に続く横木の階段を登っていきます。
大庭城址公園の概要
この大庭城山は、古くは縄文時代、弥生時代、古墳時代から 奈良・平安時代まで、引き続いて人々の生活舞台となり、 中世の山城跡としても広く知られています。 藤沢市では、大庭城山のこのような歴史性と、豊かな自然に留意し、 これを市民の財産として残すために、公園とする計画をすすめました。 この公園は、西部開発事業の協力を得て、3.8haが提供され、 その後、面積を11.8haに広げ、昭和53年度に総合公園として都市計画決定し、 事業認可されたものです。
 (藤沢市役所公園課)
金属製の柵が設置された横木の階段を登っていきます。 管理事務所のある北西の方角が正面入口で、こちらは裏口という位置づけのようです。 道幅は広めながら、山登りをしているような雰囲気がしてきます。 途中には鳥居が設置された小祠もあります。 横木の階段が一旦終わって緩やかで広い道を進んでいきます。 再び始まる横木の階段をひと登りすると、「大庭城蹟」の石碑が立つ広場の端に登り着きます。 5分ほどの山道歩きでした。 ここからは緩やかな大庭城址公園が広がります。
大庭城蹟
此地大庭景親ノ居城ト云フ後上杉定 正修メテ居城セシガ永正九年子朝長 ノ時北條早雲ニ攻落サレ是ヨリ北條 氏ノ持城トナツタ廃城ノ年代未詳空 塹ノ蹟等當代城郭ノ制ヲ見ルニ足ル モノガアル
昭和七年九月 神奈川県
舗装された散策路を進んでいくと、左手の芝地に四角い石が幾つも並んでいました。 入口にあった案内図によると、この辺りは館址広場というようです。 脇には解説板もありました。
掘立柱建物址
大庭城は、台地上を東西に横断する三本の空堀によって、一の郭、二の郭、三の郭、四の郭に分かれます。 ここは、最南の郭にあたり、北縁の空堀によって、北側の郭と区画されています。 周囲には、土塁の跡が部分的に見られ、東斜面には腰郭、西斜面には二段の空堀や帯状の 腰郭が残っています。 この石柱は、昭和43年の発掘調査で確認された高床建築の柱穴の配列(掘立柱建物址)を示したもので、 実際の柱穴は現地表下50cmに保存されており、これは原位置ではありません。 このほかにもいくつかの遺構が発見されていますが、この郭が大庭城のなかで、 どのような役割をはたしたかは、今後の全面的な発掘調査を待たなければ分かりません。
解説板を過ぎて軽く降っていくと、右手へ道が分かれていきます。 角には道標が立っていて、正面の道は「公園管理事務所」、右手の道は「花の広場」、 今来た道は「館址広場」「竪穴式住居跡広場」となっています。 左手にはチビッ子子冒険広場が広がっていて、木製遊具もありました。 大きなヤマザクラも植えられていました。 角にあるトイレの手前を右折して、花の広場へ向かっていきました。 赤い花を咲かせた花木を眺めながら進んでいきます。 奥まで行った所にある東屋を回って引き返してくる道を進んでいくと藤棚があって、 「花の広場」と刻まれた石もありました。 伸びた青葉が屋根を覆っていて、木陰を作っていました。 周囲の芝地には花木があって、雰囲気のいい空間になっていました。 藤の花の咲く季節に訪ねてみたい所です。
ヤマザクラ
陽当りのよい山の斜面などに生えるヤマザクラは、春、若葉と同時に白い花を咲かせます。 昔から吉野山のヤマザクラは有名です。 樹皮は細工物や薬に利用。
先ほどの道標のあった道へ出て右手へ進んでいくと「からぼり」と刻まれた石がありました。 その外側の谷のような所に空堀があるようですが、ロープが張られていて入って行けないようでした。 傍には「大庭城址」の解説板もありました。
大庭城址
大庭城は、平安時代の末期(12世紀末)、大庭荘を本拠として興った関東平氏の雄、大庭氏の拠点で あったと伝えれれていますが、明らかな記録はなく、室町時代中頃(15世紀後半)になって、 扇谷上杉定正の執事太田道灌が、本格的な築城を行なったとされています。 その後、上杉朝良のとき、北条早雲によって攻略され、以後、小田原北条氏の支配下に置かれました。 そして、天正15年(1587)、小田原北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、大庭城は廃城となったようです。 現在残されている土塁・空堀などの城址の構えには、小田原北条時代の改修があったものと 考えられますが、雄大でかつ綿密に設計されていたことは、築山、裏門、二番構、駒寄などの 地名からも偲ばれます。
二手に分かれている散策路を右へ進んでいきます。 左手に広がっているのは休憩広場というようです。 奥まで進んでいくと木製ステージがありました。 その前にはタイルが一面に敷き詰められていました。 「足型モニュメント」というようで、 両親と子供の足型が押されたタイルが沢山ありました。 住所と氏名も記されていて、当の家族にとっても良い記念になりそうです。 子供が大人になってから再度訪ねてみると、感慨も一入なのだろうと思われます。
足型モニュメント
「緑と太陽と潮風のまち」藤沢市は市制施行50周年を迎えました。 この輝かしい年に"海と緑と文化の創造"をテーマにした記念事業のひとつとして、 市民の皆さんから応募いただいた足型で「足型モニュメント」が誕生しました。 先人が築きあげた半世紀にわたる歴史のうえに立ち、家族の記念として、 子供の成長の記録として残された足型は、21世紀へ向け新たな第一歩を踏み出しました。 ここに記された一歩一歩は藤沢市の発展の礎となり、市制100周年へ向けた貴重な道標となることでしょう。 いま、みどり豊かなこの大庭の丘に完成した「足型モニュメント」は、 夢と未来へのメッセージを携え、35万市民とともに"ロマンの海"に向かって歩みだします…。
 (藤沢市制施行50周年記念事業実行委員会委員長 藤沢市長 葉山峻)
足型モニュメントを後にしてその先へ進んでいきます。 坂を降った所にある短い階段を登っていくと、目の前には広い芝地が広がっていました。 右手の奥には藤棚があって、その脇には「フジロード」の案内図もありました。 この台地は竪穴式住居跡広場というようで、古代の集落跡なのだそうです。
原始・古代の集落
この台地上には、縄文・弥生・古墳・奈良・平安時代など各時代の遺物が広く散布しており、 大庭城が築かれる以前から、人々の生活舞台となっていました。 これまでの数回におよぶ部分的な発掘調査でも、縄文時代の集石遺構をはじめ、 弥生時代後期から古墳時代にかけての竪穴住居や方形周溝墓、さらに奈良・平安時代の 竪穴住居などが、豊富な生活用具(土器・石器・鉄製品・装身具等)をともなって、 数多く発見されています。 これらの貴重な資料は、特に弥生時代以後の人々が、東側の引地川や西側の小糸川流域に 水田を開き、この地に大規模な集落生活を営んでいたことを物語っています。
散策路には桜の木が並木を作っていて、花の季節には綺麗な眺めになるだろうと思われます。 広場の中程にも散策路があって、その脇には「大庭城址公園 さくらの園」と刻まれた石碑もありました。 右手にある広場は大芝生広場というようで、こちらも広い芝地になっていました。
ここは城址公園です
次のことを守りましょう。
1.草木や野鳥を大切にしましょう。
2.土塁や空壕には、のぼりおりしないようにしましょう。
3.休憩所、便所、ベンチなどは大切に使いましょう。
4.紙くず、空かん、空びんなどは持ちかえりましょう。
5.たき火やたばこの投げすてはやめましょう。
6.自動車、バイク、自転車などの乗り入れはご遠慮ください。
 (藤沢市役所公園課)
多目的広場まで来て、右手へと降っていきます。 角には道標が立っていて、右手の道は「公園管理事務所」、左手の道は「館址広場」、 今来た道は「竪穴式住居跡広場」となっています。 また「大庭城址公園」と題した案内図もあって、 大芝生広場・休憩広場・花の広場などを巡るコースが紹介されていました。 その図によると、先ほどの南入口とこれから向かう正面入口の他に、 足型モニュメントの辺りに東入口もあるようでした。 坂道を降り始めると「文化財ハイキングコース案内板」があって、 宗賢院から大庭城址公園を経て佐波神社までのルートが紹介されていました。
文化財ハイキングコース案内板
大庭の歴史を訪ねて
藤沢市の西にある新しいまち・湘南ライフタウン。 稲荷台地に沿って流れる引地川の両岸には田園風景が一眼に広がり、 季節の移ろいもひときわ美しいところです。 大庭地区は、中世の城、大庭城が存在した所として知られ、 かつて縄文・弥生時台から人々が集落を営んでいた所でもありました。 平安時代後期(12世紀頃)には、桓武平氏の流れをくむ鎌倉権五郎景政が、 大庭を中心とした広大な所領を開発し、伊勢神宮に寄進しました。 この土地が大庭御厨です。 大庭城は、鎌倉権五郎景政の子孫が後に大庭姓を名のり、 源平合戦で有名な大庭三郎景親が居城したのが始まりといわれ、 室町時代中頃(15世紀後半)には扇谷上杉氏の執事、太田道灌が本格的な築城を行ったと伝えられています。 扇谷上杉氏の守る大庭城は、永正9年(1512)、北条早雲に攻められて落城し、 その後は北条氏の支配下に入りました。 大庭橋脇の舟地蔵は、この時の落城にまつわる悲しい伝説があります。 やがて、北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、廃城となったようです。 現在は、城址としての歴史性や緑を生かした大庭城址公園ができ、 市民のいこいの場として親しまれています。 また、裏門・二番構・駒寄などの地名が、大庭城の名ごりとして、今も使われています。
 (藤沢市教育委員会)
石畳になった幅の広い坂道を右・左と曲がりながら降っていくと、大庭城址公園管理事務所があります。 中に入ってみると、「中世の古城を歩く」と題したパネル展が開かれていました。 6年ほど前に訪ねた時にも同じタイトルのパネル展が開かれていたので常設展示なのでしょうか。 以下に解説文の抜粋を載せておきます。
中世の古城を歩く
現在、神奈川県内及び近隣各地に中世の城跡が残っています。 最近では発掘調査が進み、各地の中世城郭がタイムカプセルから甦っています。 しかし、残念ながら発掘調査は調査期間でなければ簡単に見学することはできません。 そので、大庭城をはじめとして、現状でも遺構のうかがえる中世の古城を中心に、 その歴史的背景をたどってみたいと思います。 土塁や空掘の多くは、土に埋まり草に覆われ、発見しにくいかも知れません。 また、表面観察によって見ることのできる古城の多くは、その城が改築を重ねた最終段階の姿、 つまり中世城郭の最も発展した戦国時代(16世紀)の遺構とされています。 しかし、ここで紹介する古城の中には、公園として整備されている城址もあり、 眺めのすばらしい城址もあります。機会があれば、ハイキングやドライブを兼ねて 訪ねてみてはいかがでしょうか。
大庭城:位置と現況
大庭城は、相模台地の南端部に位置し、城山(しろやま)と呼ばれる海抜30mほどの 台地上に築かれた中世城郭である。 かつては南北800m、東西250mほどの台地の全域を城域とし、 北に駒寄(こまよせ)・二番構(にばんがまえ)東に門先(もんさき)、 西に裏門(うらもん)・城下(しろした)などの地名が残ることから、 その周辺にも城に関連sる施設があったといわれている。 1970年代に台地の北側が宅地化され、現在は南部の450mほどが城址公園として名残をとどめている。
大庭城:歴史的背景
中世城郭の多くがそうであるように、この広大な城を、いつ、だれが築城したのか、 はっきりしたことはわかっていない。ただ、現在の大庭城址は、平安・鎌倉時代の 大庭氏の館址ではなく、室町時代後半に相模に勢力を持った扇谷上杉氏の拠点の ひとつであったと考えられている。その後、戦国時代初めに小田原北条氏に攻め落とされ、 少なくとも江戸時代には廃城となっている。 明応8年(1499)の「玉隠和尚語録」は、大庭城に関する唯一の確実な史料である。 ここで、建長寺住持玉隠は、扇谷上杉持朝の子弟について触れた中で、 「一人大庭堅其塁、大庭氏館、此去不遠」と述べている。 つまり扇谷上杉氏の「一人」が大庭城で守りを固めており、かつての大庭氏の館は その近くにあったというのである。 この記述から、当時の大庭城主である「一人」とは扇谷上杉朝昌であり、 「館」lが「タテ」「タチ」とも呼ばれたことから、 大庭氏の館は大庭城址南西の城(たて)にあったと考えられている。
大庭城:城の立地と遺構
開発以前に実施された発掘調査やかつての地形図などから、大庭城の姿を想像してみよう。 城山の東に引地川、西に小糸川が流れ、二つの川は城山の南部で合流している。 その流域は湿地帯であり、大庭城は東西南の三方から敵の攻撃を受けにくい自然地形を利用して 築かれていた。城山の北側はさらに北方の台地と細い尾根続きになっていたが、 この尾根上を土塁と空掘で遮断して北面からの攻撃に備えている。 城内は土塁と空掘によって南北に連なる四つの曲輪に大きく区分され、 南端部が近世城郭でいう本丸に相当する部分であったと考えられている。 現在、城址に残る土塁や空堀は、その規模や遺構の形態から、小田原北条氏によって改築された 可能性が指摘されている。1970年前後に行なわれた発掘調査の結果、 建物跡や土橋跡などが確認されている。 しかし、天守閣はもちろんのこと、石垣も検出されていない。
 (藤沢市教育委員会)
舟地蔵公園
公園管理事務所の前にある階段を降っていくと、小さな駐車場に降り立ちます。 そこから左手に続く道を進んでいきます。 左右の路地を見送って、道なりに右へ曲がりながら進んでいくと、 小糸川に架かる城下橋があります。 橋を渡って左手へ進んでいくと県道47号に出ます。 左折して城下バス停を過ぎて小糸川沿いに進んでいきます。 城下歩道橋を見送って舟地蔵バス停を過ぎていくと、信号機のある交差点があります。 その対角に舟地蔵公園があります。 入口に「舟地蔵公園」と題した案内図があるので参考にしましょう。 芝生広場・遊具広場・多目的広場・出合いの広場・緑陰広場などがある静かな公園です。 芝生広場の脇には「おおば 古今東西」と題した案内板があって、 この大庭地区の歴史などが紹介されていました。 出合いの広場の真ん中には大きなシンボルツリーが生えていて、その周りを円い花壇が取り囲んでいます。 遊具広場の奥には藤棚があって、「フジロード」の案内図もありました。
おおば 古今東西
相模野台地の南端部、引地川流域の低地、南部の湘南砂丘から成り、 台地上の広大な原野が大庭の地名の由来とされます。 かつては相模国高座郡に属していました。 石川の南鍛冶山遺跡から奈良〜平安時代の大集落跡が発掘され、 延長5年(927)の『延喜式』に大庭神社、承平年間(931-38)の『和名抄』に大庭郷の名が見えます。 大庭景親は当地の有力武士で、治承4年(1180)の石橋山の合戦で、平家方の総大将として源頼朝を破りました。 大庭氏らが地盤とした大庭御厨は、12世紀初め〜15世紀半ばに存続した広大な伊勢神宮領で、 その範囲は現在の藤沢市南半分から茅ヶ崎市全域に及びました。 御厨の名となった当地は大庭本郷と呼ばれ、城南に残る城の地名は在地武士の居館跡、 小糸・台谷・城の明神社は伊勢神宮の所領経営の拠点だったと考えられます。 大庭城は、15世紀末の扇谷上杉氏の居城で、永正9年(1512)北条早雲に攻め落とされました。 現在城址公園に土塁や空堀が残り、落城にまつわる舟地蔵の伝説も伝わっています。 江戸時代の大庭村は、折戸・稲荷・台・谷・入・小糸の6集落から成り、 天保12年(1841)の『新編相模国風土記稿』に家数171軒と記録されています。 明治34年(1901)からの県下初の耕地整理で、引地川流域の水田が整然とした姿に変わり、 昭和42年(1967)に始まった市の西部開発事業による宅地造成で旧観が一変。 昭和50年(1975)以降に湘南ライフタウンへの入居者で人口も急増しました。
 (藤沢市教育委員会)
舟地蔵
舟地蔵公園の脇には県道43号が通っていて、舟地蔵交差点があります。 県道に出て、左側を流れる小糸川に架かる大庭橋を渡った所に舟地蔵がありました。 舟の形をした台座の上に、赤い頭巾と前掛けをして丸みを帯びた地蔵が佇んでいました。
舟地蔵
地蔵尊の台座が舟型になっていることから舟地蔵と呼ばれています。 その昔、北条早雲が大庭城を攻めたとき付近一帯は沼地で、 なかなか攻め入ることができませんでした。 北条方は、沼近くに住む老婆から引地川の堤を切れば沼は干上がることを 聞き出しましたが、秘密漏れを防ぐため、老婆を斬り殺してしましました。 その結果、北条方は、ようやく城を攻め落とすことができたそうです。 舟地蔵は、殺された老婆を供養するため建てられたという言い伝えがあります。
 (表郷町内会)
大庭遊水地
舟地蔵の前の横断歩道を渡って県道43号の向こう側へ進んでいくと、正面には大庭遊水地が広がっています。 先ほど訪ねた引地川親水公園の一部のようで、天神橋と城下橋の間の右岸に位置しています。 多目的スポーツゾーン、多目的レクリエーションゾーン、自然ふれあい体験ゾーン、自然保全ゾーンなどがある広い所です。 坂道を降っていくと車止めがあります。 このまま小糸川沿いの土手道を歩いていってもいいのですが、 左手にある自然ふれあい体験ゾーンを訪ねていくことにしました。 土手道の左側の一段低い所に沿って続く道を進んでいきます。 脇には「大庭遊水地案内図」があるので参考にしましょう。
お願い
公園でのゴルフは、芝生が傷み、また来園者の危険となるため禁止します。 その他、これに類する行為も禁止します。
 (藤沢市役所公園課)
警告
この公園は遊水地で、大雨の時は川の水が侵入してきます。 その際、危険なため回転灯、電光掲示板、放送等によりお知らせしますので、 すみやかに園外へ避難してください。 また、浸水時には、水が完全に引くまで園内に立入ってはいけません。
 (神奈川県藤沢土木事務所、藤沢市役所公園課)
多目的レクリエーションゾーンの広場の横を過ぎていくと、葦などが生い茂る所に着きます。 細い道が更に正面へと続いていますが、左折していく広い道を進んでいきます。 多目的スポーツゾーンの手前までくると、右手に分かれていくボードウォークがあります。 入口には引地川親水公園の入口で見かけたのと同じ案内図がありました。 そこから沼地の中に続くボードウォークを歩いていきました。 子供連れが沼地に糸を垂らしてザリガニなどを釣っていたりもしました。 ボードウォークは広くてシッカリとしていて、安心して歩いていけるようになっていました。 上流の方まで行って左へ曲がっていくと、多目的スポーツゾーンの脇の道に出ます。
県大庭遊水地で見られる野鳥
そっと静かに、野鳥を驚かせないようにしましょう。
カルガモ 全長60.5cm。全国で繁殖し、冬には北のものは南へ移動する。 雌雄同色。全身が褐色、くちばしの先が黄色。 池、川、水田に生息し、水草や草の実を食べる。グェッグェッと鳴く。
マガモ 全長59cm。北日本で一部が繁殖するが、主に冬鳥として湖や川に渡来する。 雌は全身が褐色でくちばしは橙色。 草の実や逆立ちをして水草を食べる。グェグェと鳴く。
ハクセキレイ 全長21cm。関東以北で繁殖し、冬には全国に移動する。 顔は白く、目を通る黒い線がある。 川の下流に生息し、昆虫を食べる。 冬には集団でねげらを作る。チェチェと鳴く。
ツグミ 全長24cm。冬鳥として川原や畑に渡来する。 眉が白く、上面は褐色。個体により色の変異が大きい。 地面でミミズを捕まえるほか、木の実を食べる。クエックエッと鳴く。
コサギ 全長61cm。留鳥として本州以南の干潟、川、水田に生息する。 くちばしと脚が黒く、指は黄色。水中を歩いたり、岸で待伏せしたりして魚を捕まえる。グワーと鳴く。
カワセミ 全長17cm。全国で繁殖し、冬には北のものは南へ移動する。 低空飛翔をしてねらいをつけ、水中に飛込み魚を捕まえる。 水辺の近くの土の崖に巣穴を作る。チーと鳴く。
アオサギ 全長93cm。日本のサギの仲間では一番大きい。 北海道から四国で繁殖し、北方のものは冬は暖地へ移動する。 全身灰色で、目の上には黒い線がある。魚を食べる。
タゲリ 全長31.5cm。主に冬鳥として渡来し、水田の跡などに群れで生活する。 幅のある翼で、ふわふわとはばたいて飛ぶ。 ミューという小猫に似た特徴のある声で鳴く。
セグロセキレイ 全長21cm。留鳥として川の中流に生息する。 上面の黒が強く、白い眉と黒いのどが目立つ。 水辺で昆虫を食べる。波をうって飛びながらジッジッと鳴く。日本の特産種。
モズ 全長20cm。全国で繁殖し、冬には北のものは南へ移動する。 背は雄が青灰色、雌が赤褐色。昆虫などを捕まえ、 小枝などに刺しておく習性がある。キィキィ…と鳴く。
 (藤沢市)
右手へ進んだ正面にある短い横木の階段を登っていきます。 土手に出て右手へ進んでいくと、先ほど渡ってきた天神橋があります。 大庭城址公園や舟地蔵公園を訪ねて戻って来るまで、1時間35分ほどかかりました。 橋の手前を右折して、引地川の右岸に続く土手道を進んでいきます。 最初は土の道になっていますが、2分ほど進んでいくとコンクリート製の堤防になります。 金網の脇から堤防に出て進んでいきます。 3分ほどで堤防が終わると、再び土の道になります。 右手の沼地には水面も見えていました。 川には取水口もあって、沼と川は繋がっているようでした。
円筒形の建物を過ぎていくと、引地川へ流れ込む小糸川に架かる関下橋を渡っていきます。 右手からは県道43号から続く土手道が合流してきます。 橋を渡った所には東屋が建っていて、ちょっとした広場風になっていました。 左手を流れる引地川には城下橋が架かっています。 これまでに見かけた案内図によると、引地川親水公園はここで終わりになるようです。
二つある「城下橋」
先ほどの小糸川にも城下橋がありましたが、この引地川にも同じ名前の城下橋があります。 小糸川が流れ込んだ所に架かっていて、紛らわしく思いました。
城下橋を見送って、引地川の右岸に続く土手道を進んでいきます。 所々にはベンチも設置されていて、雰囲気の良い散策路になっています。 右手には田んぼが広がっています。 その間には樹木が植えられていて生け垣のようになっています。 その田んぼ側には舗装された農道が並行して続いています。 刈り取りが終わった田んぼなども混じる田園風景や引地川などを眺めながら、快適な土手道を進んでいきます。 高架になった大庭大橋の下を過ぎていくと、藤棚のようなものがあって、 その下にはベンチが幾つも並んでいました。 ここを過ぎていくと、右側に並行してきた舗装路が合流してきます。 舗装路に出てその先へ進んでいくと、すぐの所に高名橋が架かっています。
千人力弁天社
高名橋を見送って、引地川の右岸に続く道路を更に進んでいきます。 引地川に架かる柏山橋の所まで来ると、右手に「柏山稲荷神社」と刻まれた石柱が立っています。 その脇には「厳島 千人力弁天社」の扁額が掛かる赤い鳥居が立っています。 鳥居の先には「弁天橋」が架かっていて、その先の小島に社殿がありました。 由緒を記したものは見かけませんでしたが、これが千人力弁天社になるようです。 柏山稲荷神社と千人力弁天社は別物のように思えました。 この弁天社の他にも社殿があったのかも知れませんが、探すのは省略しました。 この境内の隣りは柏山公園があって、 樹木が植えられていたり、簡単な遊具などがある静かな公園になっていました。
引地橋
弁天社を後にして、引地川の右岸に続く道路を更に進んでいきます。 高架になった国道1号(藤沢バイパス)の引地川橋の下を過ぎていきます。 ゴルフ練習場を過ぎていくと、青く塗られた水道橋のようなものが架かっています。 そこを過ぎていくと、旧東海道である県道43号の引地橋西交差点に出ます。 左手には引地橋が架かっています。 天神橋を再出発してから50分ほどで着きました。 手前には「川べりの遊歩道−引地川緑地−」と題した案内板があって、 北の谷橋からこの引地橋を経て相模湾へと続く引地川沿いの緑道が紹介されていました。 フジロードの次のポイントは引地川緑地ですが、あまりにも長く続いている緑地なので、 どこにポイントがあるのかよく分りません。 取り敢えず引地橋を渡って、引地川の左岸を進んでいくことにしました。
(フジロードの案内図では右岸を進むように描かれています)
引地川緑地
引地川と住宅地の間に続く道路を2分ほど進んでいくと、川沿いに藤棚がありました。 これがフジロードの藤棚なのかと思いましたが、例の案内図は見かけませんでした。 藤棚の川沿いから細い散策路が続いていました。 川側には柵が設けられていて安全になっていました。 その散策路を4分ほど進んでいくと、もう一つの藤棚がありました。 ここには「フジロード」の案内図があって、「引地川緑地」の所に★印が記入されていました。 どうやら、左岸に続く散策路で正解のようでしたが、 その案内図以外には「引地川緑地」である旨の案内板などを見かけませんでした。 引地橋の袂にあった案内図で代表されいているのでしょうか。
試しに、引地川の右岸も歩いてみました。 引地橋から上村橋へ向かっていくと、そちら側にも緑地が続いていました。 植え込みやベンチなどが設置されてちょっとした公園風になっている場所もありました。 引地橋から相模湾へ続く引地川の右岸は「藤沢・大和自転車道」にもなっていて、 その案内図も見かけました。 また「高山」の解説板も見かけました。 (所要時間に含めず)
高山(たかやま)
小字(こあざ)ガル池にあったタカヤマに由来するといわれています。 このあたりに南西にのびていた山だったようですが、昭和初期に削られました。 昭和37年、この地域内から弥生式土器が発見されました。
 (藤沢市)
引地川緑地の藤棚を過ぎていくと上村橋が架かっています。 フジロードの案内図によると、次のポイントである引地川親水広場は右岸にあるようなので、 上村橋を渡った所にある上村橋交差点を左折して、引地川の右岸に続く道路を進んでいきました。 4分ほど進んでいくと、正面にこんもりとした森が見えてきます。 手前まで来ると道が二手に分かれています。 引地川沿いの道は公園風になった緑地を通って県道307号高山橋の袂に出ますが、 右手の道路沿いに続く道を進んでいくと、程なくして高山地下道があります。 県道307号とJR東海道線の下をくぐっていくトンネルになっています。
引地川親水広場
トンネルを出て坂道を登っていくと、左側に引地川親水広場がありました。 一段低い川辺には、円くて浅い池のようなものがあって、階段で降りて行かれるようになっています。 この池を過ぎた所に藤棚があって、脇には「フジロード」の案内図がありました。
引地川緑道 親水広場
この場所はみなさんが水辺に親しむ場所として造られました。 事故のないように、注意して利用しましょう。
1)雨のときや川の水が多いときは下の広場に降りてはいけません。
2)川の水が多くなってきたら危険ですから上の広場にもどりましょう。
3)小さい子供だけで遊ばせないようにしましょう。
4)滝や噴水の水は飲めません。
 (神奈川県藤沢土木事務所、藤沢市公園課)
親水公園
野鳥となかよくしましょう。
カワウ 全長82cm。本州と九州の湖や川、内湾に生息する。 背が茶褐色、繁殖期には頭が白っぽくなる。 林の樹上に集団で巣を作る。 潜って魚を捕まえる。編隊をくんで飛ぶことがある。
コサギ 全長61cm。留鳥として本州以南の干潟、川、水田に生息する。 くちばしと脚が黒く、指は黄色。 水中を歩いたり、岸で待伏せしたりして魚を捕まえる。グワーと鳴く。
アオサギ 全長93cm。日本のサギの仲間では一番大きい。 北海道から四国で繁殖し全身灰色で、目の上には黒い線がある。 静止して待ち伏せし魚を食べる。
カルガモ 全長60.5cm。全国で繁殖し、冬には北のものは南へ移動する。 雌雄同色。全身が褐色、くちばしの先が黄色。 池、川、水田に生息し、水草や草の実を食べる。 グエッグエッと鳴く。
トビ 全長:雄58.5cm、メス68.5cm。留鳥として海辺から産地にかけて生息する。 全身が褐色、飛ぶと翼の先の下面に白い斑がある。 魚の死体などを食べる。ピーヒョロロと鳴く。
キジバト 全長33cm。全国で繁殖するが、北海道のものは冬には南下する。 全身が灰褐色、つばさには灰色と赤褐色のうろこ模様がある。 地上で草の実などを食べる。デデッポーポーと鳴く。
カワセミ 全長17cm。全国で繁殖し、冬には北のものは南へ移動する。 低空飛翔をしてねらいをつけ、水中に飛込み魚を捕まえる。 水辺の近くの土の崖に巣穴を作る。 チーと鳴く。藤沢市の鳥。
ハクセキレイ 全長21cm。関西以北で繁殖し、冬には全国に移動する。 顔は白く、目を通る黒い線がある。 川の下流に生息し、昆虫を食べる。 冬には集団でねぐらを作る。チェチェと鳴く。
ヒヨドリ 全長27.5cm。留鳥として市街地から山地に生息する。 全身が灰色で、ほおに褐色の模様がある。 昆虫や木の実を食べるほか、花の蜜も好む。 ヒーヨヒーヨと鳴く。
シジュウカラ 全長14.5cm。留鳥として市街地から山地に生息する。 頭は黒く胸に黒いネクタイ状の帯がある。 巣箱をよく利用し、昆虫等を食べる。 ツツピーとかジュクジュクと鳴く。
メジロ 全長11.5cm。留鳥として丘陵地から山地に生息する。 全身が黄緑色、目の周りが白い。 虫や木の実を好んで食べるほか、花の蜜も好む。 チーとかチーチュルチーチュルチーと鳴く。
カワラヒワ 全長14.5cm。留鳥として林に生息し、市街地でもよく見られる。 全身がオリーブ色で、飛ぶと翼の黄色の帯が目立つ。 草の実や昆虫を食べる。キリキリコロコロと鳴く。
ムクドリ 全長24cm。留鳥として人里付近に生息する。 全身が黒っぽく、くちばしと足はオレンジ色。 地上で歩きながら虫を捕まえるほか、木の実も好む。 キュルキュルやジェーと鳴く。集団ねぐらを作る。
コガモ 全長37.5cm。一部は北海道等で繁殖するが、多くは冬鳥として湖や川に渡来する。 雄は目の後が緑で頭が茶褐色、雌は全身が褐色。 草の実を食べる。ピリッピリッと鳴く。
ヒドリガモ 全長48.5cm。冬鳥として池や川に渡来する。 雄は頭から首にかけて赤褐色で額がクリーム色。雌は褐色。 水中に首を突っ込んで逆立ちをして藻類を食べる。ピューと鳴く。
オナガガモ 全長:雄75cm、雌53cm。冬鳥として池や川に渡来する。 雄は尾が長く、頭は茶色で首の前面が白い。 雌は全身が褐色のまだら模様。 逆立ちして水草を食べる。ピリッピリッと鳴く。
ユリカモメ 全長40cm。冬鳥として海岸や港に渡来する。 夏羽は頭が黒く、冬羽は白く目の後に黒い斑ができる。 夜は海上で過ごすが、朝になると川をさかのぼる個体が多く見られる。
広場の端にある高みには赤い小祠がありました。 稲荷社でしょうか、中を覗ってみると狐の置物が幾つかありました。 細い道を隔てた先にも広場が続いています。 滑り台やブランコなどの遊具が設置されていて、地域の子供達の遊び場になっているようでした。 この歩道は手作り郷土賞として、 「やすらぎとうるおいのある歩道三十選」にも選ばれているようで、 その旨を記した石碑がありました。
引地川の由来
明治時代にまとめられた皇国地誌によると、 「大庭城が廃城になった後、大庭開こんの際、もとの流域十三村の人々が伊勢山西側の山すそを掘り下げ鵠沼へと川を流したからだ」 と書かれており、引いてきた川ということでしょうか。
 (藤沢市)
長久保都市緑化植物園
広場を過ぎていくと、車道の脇を進むようになります。 富士見橋交差点を直進していくと、再び樹木が植えられた歩道が続くようになります。 秋葉台公園から八部公園までの歩道は「藤沢市スポーツゾーンハイキングコース」にもなっているようで、 道端に看板が立っていました。 看板を過ぎていくと「藤沢都市計画風致地区区域図」と題した案内板があります。 そこにある横断歩道を渡って道路の右側へいくと、長久保都市緑化植物園があります。 花のアーチをくぐって園内へ入っていくと、右手には「みどりの相談所」があり、 左手には綺麗な花の咲く花壇が続いていました。 「花のプロムナード」と云うようで、小さな解説板もありました。 左側には生垣見本園が続いていました。
藤沢都市計画風致地区区域図
この緑色に塗った区域は都市計画法に基づく風致地区です。 この風致地区内で建築物の新築・増築、土地形質の変更、木竹の伐採等を行う場合は 事前に許可の手続きが必要になっています。 許可の基準や手続きの方法等詳細については次のところへ御相談して下さい。
 (藤沢市役所開発調整課)
都市緑化植物園
都市緑化植物園とは、都市の緑化を進める上で、市民のみなさまの深い理解と協力を得るために作られた公園です。 街に緑をふやすために、色々な催し物や広報活動などを行っています。 緑の相談所では植物に関する様々な情報を提供しています。 お気軽に御利用下さい。
花のプロムナード
この花壇は皆さんがいついらしても、新鮮な感覚でお迎えできるように、定期的に草花の植え替えを行っています。 草花には大きく分けて、1,2年草、宿根草、球根植物に分けられます。 あなたはどんな花がすきですか? この広い花壇の中のひとつひとつの草花にも、目を向けてみて下さい。
生垣見本園
ブロック塀を生垣にかえてみませんか! かたい感じの空間がやわらかい潤いのある環境に変わります。 野鳥たちも喜んであなたの庭をおとずれるでしょう。
生垣の樹種を選ぶとき、何を基準に決めますか? 例えば「花を楽しむ」「実を楽しむ」「葉を楽しむ」「手入れがしやすい」など…。 ここには65種類の生垣見本がつくられています。 藤沢市発行の「生垣管理の手引」を参考に実物を見ながら樹種を選ぶとよいでしょう。
「花のプロムナード」に沿って進んでいくと、正面に池があります。 「スイレンの池」というようですが、この時にはスイレンは咲いていませんでした。 池には野鳥が沢山やってくるのか、池の畔には超望遠レンズを三脚に乗せたカメラマンが沢山陣取って、 シャッターチャンスを待っていました。 池から流れ出るせせらぎを渡って向こう側に行くと、芝地になった広場に藤棚がありました。 小さなレンガを積み上げたような太い柱が林立する綺麗な藤棚でした。
スレインの池
スイレンには、熱帯スイレン、温帯スイレンがあり、この池には4種の温帯スイレンが植えられています。 スイレンの学名、Nymphaea(ニンフェア)は、ギリシャ神話にでてくる要請のNymphe(ニンフ)に由来します。 そして花ことばは"清純な心"。 6月から10月にかけて水面のところどころに、その言葉どうりの鮮やかな花を咲かせます。
南入口から植物園を出て、引地川の右岸を進んでいきます。 すぐに車道の脇に、樹木が続く歩道が現れます。 樹木の生える中に続く土の歩道と、川沿いに続く舗装路が並行して続いていました。 樹木の間に続く歩道を進んでいくと、やがて大平橋交差点があります。 左に架かる大平橋を渡って、引地川の左岸に続く歩道を進んでいきます。
青い水道橋の所まで来ると、「ここは川べり遊歩道引地川緑地」の標識が立っていました。 左手にあるテニスコートを過ぎていくと、川辺へ降りていく階段がありました。 引地川親水護岸というようで、解説板も立っていました。
引地川親水護岸
この堤防は、みなさんが水辺に親しむ場所として造られました。 事故のないよう注意して利用しましょう。
(1)小さい子供だけで遊ばないようにしよう。
(2)川の水が多いときは、下に降りないようにしよう。
(3)手すり・草や木を大切にしよう。
(4)川を汚したり危険な遊びをしないようにしよう。
 (神奈川県藤沢土木事務所、藤沢市建設局公園課)
引地川の生物
この川の魚類・鳥類・植物の生息状況は次のとおりです。
魚類  マブナ・コイ・キンギョ・ウグイ・モッゴ・ドジョウ・ボラ・ウナギ・ヤカタイサキ・マハゼ・アユ・ヨシノボリ
鳥類  アヒル・コサギ・イソシギ・キジバト・ツバメ・キセキレイ・ハクセキレイ・セグロセキレイ・タヒバリ・ヒヨドリ・シジュウカラ・ホオジロ・カワラヒワ・モズ・ジョウビタキ・ツグミ・メジロ・スズメ・ムクドリ・カラス
植物  (イネ科)カモガヤ・オオカニツリ・ジュズダマ・イヌムギ・オオアワガエリ。 (タデ科)アレチギシギシ、 (オオバコ科)ヘラオオバコ、 (アカバナ科)オオマツヨイグサ、 (キク科)アメリカセンダングサ・オオキンケイギク・ノゲシ・ヒメシオン・ブタクサ、 (シソ科)ヒメオドリコソウ、 (水中植生)ヤナギモ
 (神奈川県藤沢土木事務所、藤沢市建設局公園課)
八部公園
親水護岸を過ぎていくと、左手に八部公園が広がっています。 手前にあったテニスコートもその一部になるのでしょうか、野球場やプールのある公園です。 公園に入っていくと、左手の囲いの中に蒸気機関車が野外展示されていました。 駅のホームのような所に停車する形で展示されていて、 ここは「鵠沼運動公園」、左手は「ひきじがわ」、右手は「えのしま」となっていました。 周囲には幅の狭い線路が敷かれていて、ミニSLが走るようになっています。 SLの野外展示場の右手に続く柵に「フジロード」の案内図がありましたが、 近くに藤棚は見かけませんでした。
CII型蒸気機関車(タンク式)愛称"しおかぜ"
ぼくは昭和18年5月に日本車輌製造株式会社で誕生しました。 CII245号です。 長い間、都市周辺の快速ケン引車として、それからは客貨兼用・貨物入換用として、いろいろな分野で活躍し、 全国各地の人達にかわいがられてきました。 特にぼくの仲間達は昭和41年まで国鉄藤沢駅で貨物の入換用として働いておりましたので、 藤沢市民に最も親しまれた蒸気機関車です。 このたび藤沢市民の熱意と国鉄関係者のご理解により、盛岡機関区より藤沢市に永住することになりました。 みなさんの手でぼくを大切にしてください。 現在、ぼくの同僚が静岡県にあります。 大井川鉄道の金谷〜千頭間を毎日(元日は除く)元気に走って汽笛を響かせております。 一度見てください。
おしらせ
開園時間:午前9時から午後4時
休園日:月曜日、年末年始(12月28日から1月4日まで)、休日の翌日
あぶないから、きかんしゃの上には、ぜったいにのぼらないでください。
 (藤沢市、藤沢鉄道車輌保存会)
このミニSLは、SL少年団とボランティアの人たちの協力により運転されています。 線路やSLを大切にしてください。
1.ミニSL定期運転日:毎月第二日曜日(雨天のときは中止)
2.運転時間:12時から午後3時まで
 (藤沢市)
鵠沼橋
八部公園を過ぎていくと作橋が架かっています。 その袂に「文化財ハイキングコース案内板」があって、鵠沼の歴史などが紹介されていました。 作橋を見送って、引地川の左岸に続く歩道を進んでいきます。 日の出橋稲荷橋龍宮橋を見送って、引地川沿いに続く歩道を進んでいくと、 やがて正面に鵠沼橋が見えてきます。 少し登り坂になった道を進んでいくと、国道134号鵠沼橋交差点に出ます。 八部公園から15分ほど、引地橋から1時間10分ほどで到着しました。 左手にある歩道橋を渡って道路の向い側へ降りて行きます。 これまで続いてきた引地川は、ここで相模湾へ流れ込みます。 右手に架かる鵠沼橋に出てみると、正面には江の島が浮かんでいました。
鵠沼の歴史と史跡めぐり
鵠沼は藤沢の南部に位置し、JR線によって南・北に二分されていますが、 西は引地川、東は境川、南は相模湾に囲まれた土地です。 かつては湿地が多く、鵠(白鳥の古名)が飛来していたことから、この地名ができたといわれています。 鵠沼の歴史は、天長9年(932)に創立された烏森皇大神宮を中心に始まりました。 当社は相模国土甘郷に列せられ、平安時代には、鎌倉権五郎景政が所領大庭荘を伊勢神宮に寄進したことによって、 大庭御厨の鎮守となり、東国武人が崇敬するようになりました。 源平屋島の戦いで有名な那須与一が弓と矢を奉納したといういい伝えもあり、 今でも夏の例祭日はにぎやかです。 明治時代に入ると、夏涼しく冬暖かな鵠沼海岸が避暑地として脚光を浴び、 伊東将行らが鵠沼館・東家(屋)など豪勢な旅館を建て、東京の華族や実業家を迎えました。 また、芥川龍之介や岸田劉生など、作家・芸術家も来遊し、江ノ電・小田急線の開通によって 別荘地として展開してゆきました。 現在の鵠沼は、海水浴やサーフィンを楽しむ人々でにぎわう海岸や、閑静な住宅地として知られています。 また、引地川の情景に誘われて川べりの遊歩道を通って海岸まで歩くと一味違った鵠沼の自然に出あい、 道の傍らにたたずむ石仏たちは昔と変わりのない姿で何かを語りかけてくれるでしょう。
 (藤沢市教育委員会)
湘南海岸公園
引地川の左岸の堤防の上を進んでいくと、左側には湘南海岸公園の芝生広場が広がっています。 この公園は引地川と境川の間の相模湾沿いにあって、砂浜に沿って細長く続いています。 円行公園から続いてきた「引地川・フジ史跡ロード」はこの公園に着いた所で終わりになります。 国道134号に架かる歩道橋の手前から左手の路地に入って500mほど進んでいくと鵠沼海岸駅がありますが、 今回は砂浜沿いの道を通って、2kmほど先にある片瀬江ノ島駅まで歩いていくことにしました。
砂浜と公園との間には防砂柵が続いていて、それに沿って舗装路が続いています。 国道へ続く道が所々から分かれていきますが、砂浜沿いの舗装路を道なりに進んでいきます。 公園管理事務所になっているサーフビレッジの建物を過ぎていくと、 芝生広場の奥に平和の像が立っていました。
平和の像
未来を象徴する筋骨たくましい若人が、高く挙げた右手の掌に平和の鳩を受け止め、希望の空を見つめています。 この台上に仰ぎ見る平和の像は、日中戦争から太平洋戦争へと長い戦争経験をした藤沢市民と藤沢市によって、 昭和40年3月に建てられました。 明治以来国の礎になった英霊を顕彰し、 戦争の悲惨と不幸を再び繰り返してはならないという悲願がこめられています。 しかし年を経た今日、地球上にはなお戦争の不安が絶えていません。 藤沢市遺族会は、創立50周年に当たり、改めて行く末の平和を強く念願しつつ、この碑を建てました。 この台座の中には、英霊のお名前が納められていることを書き添えます。
平和の像を過ぎて、砂浜沿いの道を更に進んでいきます。 この砂浜は片瀬西浜海水浴場になっていて、ビーチバレーのコートなどが続いています。 往く夏を惜しむかのように、若者が海に入ってサーフィンなどを楽しんでいました。 営業期間を過ぎた海の家の取り壊し作業も進められていました。 次第に近づいてくる江の島を眺めながら淡々と進んでいきます。
トビに注意!!
食べ物をねらって、後から飛びかかってきます。 するどいツメで、けがをすることがあります。 ご注意下さい。
被害を出さないために
(1)野生鳥獣にエサを与えない(食べ物を持った手を上げない)
(2)帽子や日傘等で頭をまもる。
 (神奈川県湘南地域県政総合センター、藤沢市)
片瀬江ノ島(かたせえのしま)駅
片瀬西浜1号橋・片瀬西浜2号橋を過ぎていくと、砂浜から少し離れて降るようになります。 駐車場の入口を横切って、松などが植えられた道を進んでいきます。 その辺りまでが湘南海岸公園の範囲になるようです。 観光案内所の横を過ぎていくと、国道134号の片瀬江の島駅入口交差点に出ます。 横断歩道を渡って、道路向いに続く道を進んでいくと、片瀬江ノ島駅(小田急江の島線)があります。 鵠沼橋を出発してから30分ほどで到着しました。