弘法山公園
散策:2009年08月下旬
【低山ハイク】 弘法山公園
概 要 弘法山公園は丹沢の南側の低い丘陵にある公園で、弘法山・権現山・浅間山などがあります。 弘法山からは秦野の街並みを見渡せる眺めが広がります。 今回は「野仏と温泉のみち」から弘法山ハイキングコースが通る尾根に出て、弘法山へ登っていきます。 弘法山からは女坂を降って秦野駅へと向かっていきます。
起 点 秦野市 鶴巻温泉駅
終 点 秦野市 秦野駅
ルート 鶴巻温泉駅…石座神社…蛇久保橋…野仏と温泉のみち…登り口…3番鉄塔…199m峰…おおね台分岐…善波峠分岐…御夜燈分岐…乗馬クラブ分岐…めんようの里分岐…弘法山…馬場道…女坂…男坂出合…亀の子石…十代橋…平成橋…秦野駅
所要時間 3時間10分
歩いて... 野仏と温泉のみちの蛇久保橋から登り口までの間には道標がなくて不安になったりしましたが、 尾根までの道はそれほどの急坂もなくて歩きやすくなっていました。 しかし、蒸し暑い季節とあって、止め処もなく汗が噴き出してきました。 この時は生憎の曇天で、弘法山や尾根道からの眺めは、残念ながら霞んでいました。
関連メモ 弘法大師と桜のみち, 高取山, 弘法山公園, 高取山, 弘法山公園, 弘法山公園, 念仏山, 弘法山公園, 弘法山公園,
弘法山公園
コース紹介
鶴巻温泉(つるまきおんせん)駅
鶴巻温泉駅(小田急小田原線)の北口から歩いて行きます。
弘法山へは、「弘法の里湯」の前を通って東名高速の下をくぐり、 石標の立つ比々多村分岐から吾妻山を経ていく尾根道ルートがよく整備されていて一般的ですが、 今回は野仏と温泉のみちを通って尾根道の途中へ登っていきます。 駅前にある「鶴巻温泉駅周辺案内図」にその道が載っているので参考にしましょう。 石座神社の先から分れて尾根へ登っていく道になります。
落幡村村名保存碑
鶴巻地区は、昔は「落幡村」といい、江戸時代の天保期(1830年代)には、 戸数119戸を数える米の有数な産地でした。 地名の由来にはいくつかの説がありますが、代表的なものは、 隣村の領主善波太郎が空を飛ぶ幡曼荼羅(はたまんだら)を射落とし、 落ちたところが「落幡」になったということです。 昭和2年の小田急開通時には、駅近くの小字名「鶴巻」をとって駅名とされました。 このため鶴巻の知名度が高くなり、昭和30年、秦野市への合併を機に落幡を鶴巻に改めました。 現在、落幡の名称は落幡神社に残されています。
 (秦野市)
改札口を出て左手すぐの所にある短い階段は見送って、駅舎沿いにバスターミナルを進んでいきます。 正面の奥には、今回登る弘法山の山頂部が頭を覗かせているのが見えます。 バスターミナルの端まで行って道路を渡って「秦野警察署鶴巻交番」や公衆トイレの前を過ぎて、 その先へと続く車道を進んでいきます。 1分ほど進んでいった所にあるコンビニの先のT字路を直進していくと、 椰子の木が3本並んで生えている所の道路の右側に「天然温泉自噴之碑」がありました。 古来より鉱泉治療地として利用されてきた水源地が埋立てられるのを機に、 庭園内の裏庭をボーリングして見つかったのが現在の鶴巻温泉で、 「ゆたか第一号」と命名されているのだそうです。
天然温泉自噴之碑
当地鶴巻温泉は神奈川県秦野市に在位し神奈川 県の屋根として知られている丹沢山塊を背にした山と緑に 囲まれた温暖な地で、遠く戦国時代より鉱泉治療地として 多くの人々に親しまれて来た。昭和42年東名高速道路の建設に伴い 鶴巻温泉の水源地が埋立られることになり、自家水確保の為庭園内の裏庭をボーリングし 二百米程掘り下げたところ、昭和42年10月2日午後5時頃突如として丈余に噴出し、摂氏45度 毎分千リットルの天然温泉が自噴し、大自然の偉大さに驚嘆した。 世界の七不思議とも云われ、湯量は箱根に匹敵し、神奈川県より正式に「純温泉保護地区」に 指定され、温泉法により「ゆたか第一号」と命名され、以来湧き出し続け、湯量・温度・ 温質とも発掘時と変らず、多くの人達の療養と清遊に親しまれ喜ばれて来た。一筋10年を 記念しここに記念碑を建立した。
 (鶴巻温泉 ゆたか 松堂書)
車道を真っ直ぐに進んでいくと、正面に東名高速道路の高架が近づいてきます。 下をくぐっていく道が三方に分れていますが、一番左側の道を進んでいきます。 高速道路をくぐった先にある鶴巻温泉駅入口交差点を左折して数10m進んでいくとY字路があります。 そこを右折して鶴巻上部自治会館の裏手を過ぎていくと、 道端に馬頭観世音・五輪塔・道祖神などの石碑が並んでいました。
民家が建ち並ぶ道を緩やかに登っていきます。 大きく左・右と曲がりながら登っていくと、正面にこんもりとした森が現れます。 道はここで二手に分れていきます。 角には道標が立っていて、左手の道は「弘法山公園」、今来た道は「鶴巻温泉」となっています。 弘法山へは左手の道を進んでいってもいいのですが、 正面の石段を登った所に石座神社があるので立ち寄っていきました。
石座神社
十数段の石段を登ると赤い鳥居が立っています。 鳥居を過ぎてその先にある数十段の石段を登っていくと、石座神社の境内に着きます。 鶴巻温泉駅から20分ほどで到着しました。 小広くなった境内には本殿と拝殿になった社殿がありました。 本殿の屋根には3本の鰹木が乗り外削ぎの千木が聳えていました。 社殿の右側には舞殿のような建物がありました。 左側には石碑が並んでいて、「松杉櫻植付記念」、「武州飯能分社 牛頭天王建速素佐男尊」、 「石座神社拝殿新築記念」、「石座神社拝殿屋根葺替記念」などと刻まれていました。 更にその左側には砂場や滑り台などの遊具があり、ちょっとした公園になっていました。 神社の由緒などを記したものは見かけませんでしたが、 この先で見かけた案内板によると、日本武尊が東征の際に腰掛けたとされる巨石が祀られているのだそうです。
石座神社御神徳
家内安全、交通安全、病気平癒、商売繁昌、厄災消除、学業成就
参拝作法 二拝二拍手一拝
蛇久保橋
左手の鉄棒の脇にある短い横木の階段を降っていくと、道の分岐点に降り立ちます。 そこから右前方へ降っていく道を進んでいきます。 ビニールハウスを過ぎて坂道を降っていくと田んぼが広がっていて、実った稲穂が頭を垂れ始めていました。 その先に流れる細い川に小さな蛇久保橋が架かっています。 橋の手前は十字路になっていて、「弘法山・吾妻山」の道標が右手の道を指しています。 角には「野仏と温泉のみち案内図」が設置されていて、 鶴巻温泉の周辺が紹介されていました。 それによると、野仏と温泉のみちは、 ここから弘法山ハイキングコースが通る尾根までの間にある短い道のようでした。 正面の道は菅原神社や自興院を経て弘法山の山頂へと登っていけますが、 今回は右手に分れていく「野仏と温泉のみち」を進んでいきます。
(正面の道は「弘法山公園」を参照)
野仏と温泉のみち案内図
鶴巻温泉 鶴巻温泉は、温度約17℃〜26℃で、カルシウム含有量世界一を誇り、 リウマチ・神経痛・外傷・婦人病等に効果があります。
延命地蔵 約250年前、江戸の豪商が米寿記念に先祖供養のため建てた地蔵で、 長寿祈願と厄おとし地蔵として信仰されている。
極楽寺 慶長12年に開山された曹洞宗の寺で、現在の建物は享保年間に再建された。 本尊として釈迦如来像をまつり、境内には旗の市指定文化財、木造十一面観音立像もあります。
石座神社 吾妻山の麓にある神社です。 この神社は名前の通り「石座(せきざ)といわれる大きな自然石が御神体です。 この石は日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の時に腰を掛け、休息したものと伝えられています。
野仏と温泉のみち
川沿いに続く小径を進んでいきます。 土手が盛り上がった間を過ぎて、溝のようになった川沿いに登っていきます。 周囲には田んぼが広がっていて、長閑な田園風景が続いていました。 正面にはこれから向かう尾根が横たわっていました。 右手にある墓地を過ぎて、次第に狭まってくる谷筋に続く小径を登っていきます。 振り返ると、畑地の先には鶴巻温泉の街並みが続く眺めが広がっていました。
登り口
やがて道は左手へ曲がっていきます。 柿の木などが植えられた畑の脇に続く柵沿いに進んでいくと、小径は森の中へと入っていきます。 蛇久保橋から5分ほどの所になります。 蛇久保橋からここまでは道標類を見かけなかったので、 この道でいいのか不安になりながらも森の中へ入っていくと、すぐの所の道端に石仏がふたつ佇んでいました。 その脇には「野仏と温泉のみち」の道標が立っていて、この先の道は「弘法山・吾妻山」となっていました。 この道が尾根への登り口だと分ってひと安心したのでした。
森の中へ入っていくと、石垣の上にある墓地を過ぎた先で再び畑地が広がる所に出ました。 畑の脇に続く柵沿いに緩やかに登っていきます。 2分ほど登っていくと畑地は終わって、森の中へと入っていきます。 程なくして現れる横木の階段を登っていくと、道端に石仏がひとつ佇んでいました。 脇には道標が立っていて、左手へ曲がっていく道は「弘法山ハイキングコース」、 今来た道は「鶴巻温泉」となっていました。
石仏を過ぎて緩やかになった道を進んでいきます。 程なくして雰囲気のいい雑木林へ入っていくと、幅の広い横木の階段が現れますが、 段差はそれほど高くなくて歩きやすくなっていました。 真っ直ぐに登っていくと、正面に石仏がひとつ佇んでいました。 石仏の左脇から踏み跡が分れていきますが、右へ折れ曲がっていくしっかりとした道を登っていきます。
1分ほど登っていくと、斜面を横切るようにして、広めで緩やかな道が続くようになります。 1分ほど進んだ道端に石仏がひとつ佇んでいました。 石仏を過ぎて1分ほど進んでいくと道標が立っていて、 この先の道は「弘法山ハイキングコース」、今来た道は「鶴巻温泉」となっていました。 道の真ん中に生える二股の大きな木を過ぎていくと、正面が明るくなってきて、 尾根が近づいてきたことを感じられるようになります。 左手へ曲がっていく所まで来ると、角に石仏がふたつ佇んでいました。 「野仏と温泉のみち」というだけあって、石仏が道端に点々と設置されたコースになっていました。 いずれの石仏の前にも木製の台が設置されていて、茶碗などが置かれていました。
弘法山ハイキングコース
石仏の前を左折していく広めの道を進んでいきます。 少し右へ曲がって短い横木の階段を登っていくと、左右に通る広くてしっかりとした尾根道に出ました。 麓の登り口から11分ほどで登って来られました。 手元の地形図によると、吾妻山の北西にある155m峰の西南西100m辺りの緩やかな尾根になるようです。 登り着いた所には道標が幾つか設置されていて、 右手の道は「吾妻山」「鶴巻温泉駅2.1km」、左手の道は「弘法山2km」、 今来た道は「東海大学駅前方面」「野仏と温泉のみち(極楽寺・延命地蔵・鶴巻温泉)」となっています。 これまで登ってきた野仏と温泉のみちはここで終わりになるようです。 左右に通るこの広い尾根道は、吾妻山から弘法山を経て権現山や浅間山へ続く弘法山ハイキングコースになります。 今回は弘法山に向かって左手へ進んでいきます。
とって良いのは写真だけ
残して良いのは思い出だけ
ビン、カンの投げ捨て禁止!!
ごみは持ち帰りましょう!!
 (秦野あづまライオンズクラブ)
3番鉄塔
広くて緩やかな尾根道を進んでいくと、程なくして登り坂になってきます。 この尾根道は登り降りが繰り返して現れますが、傾斜は僅かで息が切れるようなことはありません。 しかし蒸し暑い日とあって、止め処もなく汗が噴き出してきました。 2分ほど登って僅かな高みに着き、その先へと軽く降っていきます。 緩やかな道を進んでいくと、左へ戻るようにして分れていく送電線の巡視路があります。 角には黄色い標柱「鶴巻線4号に至る」が立っています。 また道の右側には道標が立っていて、今来た道は「鶴巻温泉駅2.3km」となっています。 尾根道に出た所から8分ほど歩いてきたのに、先ほどの道標との差は200mになっています。 手元の地形図によると400mほどはあるようです。 そこを過ぎて僅かに登っていくと、道端に送電線の鉄塔「鶴巻線3」が立っています。 鉄塔の谷側の先から矢倉沢往還へ降りていく道が分れていますが、正面に続く広い尾根道を進んでいきます。
(右手の道は「弘法山公園」, 「弘法山公園」を参照)
199m峰
3番鉄塔から広い尾根道を軽く登っていくと、ベンチが幾つか設置された僅かな高みに着きます。 手元の地形図にある199m峰になるようです。 尾根道に出た所から10分ほどで到着しました。 周りは樹木に囲まれていて展望は得られませんが、噴き出す汗を拭いたり水分補給をしたりしながら、 ここでひと休みしていきました。
おおね台分岐
落ち着いたところで、199m峰の先へと軽く降っていきます。 緩やかになった広い尾根道を進んで僅かな高みに着くと、尾根道は右へ曲がっていきます。 そこから「おおね台団地」へ降っていく細い道が左手へ分かれています。 地形図に載っている破線の道になるようです。 その道は見送って、広い尾根道をそのまま降っていきます。 坂を降り切る手前まで来ると、左へ戻るようにして広めの道が分れていきます。 角に生えている樹木の袂に「鶴巻温泉駅方面」と書かれた板が置かれていて、今降ってきた道を指していました。 左手の道は手前で分かれた細い道と合流して「おおね台団地」へ降りて行かれますが、 正面に続く広い尾根道をこのまま進んでいきます。
(左手の道は「弘法山公園」を参照)
善波峠分岐
僅かな登り降りのある広い尾根道を進んでいきます。 青葉が茂って木陰を作っていて雰囲気はいいのですが、 蒸し暑い季節とあって、噴き出す汗を何度も拭いながら進んでいきました。 やがて、右手の樹間からは建物群が見えるようなります。 道の左側に植林帯が現れて登り坂になってくると、道が二手に分れています。 199m峰から12分ほどの所になります。 角には道標が立っていて、右手の道は「大山9.5km・蓑毛 首都圏自然歩道枝線 野菊と信仰のみち」、 正面の道は「弘法山1km 首都圏自然歩道枝線 弘法大師と桜のみち」、 今来た道は「鶴巻温泉駅」となっています。 脇には「首都圏自然歩道枝線 野菊と信仰のみちコース案内図」があって、 ここから蓑毛まで続く野菊と信仰のみちのイラスト図が載っていました。 右手の道は善波峠や念仏山を経て高取山へ、更にその先の蓑毛越を経て丹沢大山へと続いていますが、 今回は正面に続く尾根道を弘法山へ向かっていきます。
首都圏自然歩道枝線 野菊と信仰のみちコース案内図(コース全長6.3km)
コース付近の観光名所  大日堂・城址・源実朝公首塚・金剛寺・自然観察の森
鷹取山(556m)  相模平野と相模湾のながめがすばらしい。 山頂とベンチ。野外卓あり。
念仏山  山頂からの展望がすばらしい。 ベンチ、野外卓等あり。 富士山のながめがすばらしい。 野菊が群生している。
 (秦野市役所商工観光課)
(案内図では「鷹取山」となっていますが、一般的には「高取山」と表記されているようです)
御夜燈分岐
植林帯と雑木林を分ける尾根に続く幅の広い横木の階段を登っていきます。 段差はそれほど高くはなくて歩くやすくなっていました。 2分ほど登って傾斜が緩やかになってきた道を進んでいくと、善波峠分岐から3分ほどで僅かな高みに着きます。 手元の地形図によると、新善波隧道の南250m辺りにある標高200mほどの高みで、 破線の道が分かれている地点になります。 丸太を組んだベンチが二組ほど設置されいます。 脇に生える樹木に「鶴巻温泉」と書かれた板が括り付けられていて、今登ってきた道を指しています。 それ以外に道標類は見かけませんでしたが、 右手の道は善波御夜燈を経て善波峠へ降りていく道で、 弘法山への道は左へ曲がっていく緩やかな尾根道になります。
幅の広い尾根道を緩やかに降っていきます。 鞍部から登り返していくと僅かな高みに着きます。 手元の地形図にある204m峰のようですが、周囲には樹木が生い茂っていて展望は得られません。 高みを過ぎて降っていきます。 オリエンテーリングのポスト「C」を過ぎていくと、 左手の樹木が途切れて畑地の脇に出られる所があります。 御夜燈分岐から5分ほどの所になります。 簡単なベンチも設置されていて、ちょっとした展望地になっています。 ベンチの先へ出てみると、果樹園の奥には、これから向かう弘法山が見えていました。
乗馬クラブ分岐
果樹園沿いの道を降っていきます。 1分ほど降っていくと簡易舗装された道になってきます。 その道を1分半ほど降っていくと、分岐のある広めの道に出ます。 角には関東ふれあいの道の道標が立っていて、右手へ降っていく急坂は「国道246号」となっています。 また別の道標も立っていて、 正面の道は「弘法山0.5km」、今来た道は「鶴巻3.4km・聖峰4.1km・高取山3.5km」となっています。 右手の道は秦野国際乗馬クラブを経て国道246号へ降りて行かれますが、正面の道を進んでいきます。
(右手の道は「弘法大師と桜のみち」, 「弘法山公園」を参照)
めんようの里分岐
正面へ10mほど進んでいくと、右へ曲がっていく道の角の手前から左手へ分かれて降っていく山道があります。 入口には道標が取り付けられていて「長坂を経て自興院に至る」となっています。 右手へ曲がっていく道の先にも道標が立っていて「めんようの里」となっています。 また正面の高みへ登っていく道もあります。 その道へ少し入った所に立つ関東ふれあいの道の道標によると、 正面の高みへ登っていく道は「弘法山0.5km」、今来た道は「吾妻山へ」となっています。 弘法山から国道246号へ降っていく道は、 関東ふれあいの道「弘法大師と桜のみち」になります。 手元の地形図によると、実線の道が5本ほど集っている地点になります。 ここから弘法山へと登っていきます。
(後日に左手の道を歩きました。「弘法山公園」を参照)
広めの山道を登っていくと、右側に金網柵が続くようになります。 柵の向こう側は弘法山無線中継所があった敷地のようですが、 今では廃止になったのか、それらしい鉄塔などは見かけませんでした。 右手には念仏山から高取山を経て丹沢大山へ続く尾根が一望出来ましたが、 生憎の曇天のため、稜線は霞んでいてはっきりとは見えませんでした。
1分ほどで金網柵が終わると、広くて緩やかな道になってきます。 雑木が青葉を茂らせていて雰囲気のいい道が続きます。 めんようの里分岐から4分ほど進んでいくと、道が二手に分かれています。 どちらも同じ程度のしっかりした道ですが、脇に立つ道標「弘法山」に従って、左手の坂道を登っていきます。 雑木林の中に続く広い道を2分ほど登っていくと、再び分岐があります。 そこでも脇に立つ道標「弘法山0.2km」に従って、左手の坂道を登っていきます。
(右手の道は「弘法山公園」を参照)
観光地はいつもきれいに美しく
雑木林に続く広い道を2分ほど登っていくと、幅の広い横木の階段が現れます。 木の根が張り出していたりもしますが登り難くはありません。 左へ曲がって少し狭まった横木の階段を更に登っていくと、山頂が近づいてきます。 手前には道標が立っていて、今登ってきた道は 「聖峰4.6km・高取山4.0km」「鶴巻温泉駅3.9km」「吾妻山3.0km」「弘法の里湯・宮永岳彦記念美術館3.8km」となっています。
弘法山 (標高235m)
道標を過ぎていくと、すぐに広くなった弘法山の山頂に着きます。 めんようの里分岐から11分ほど、199m峰から35分ほどで到着しました。 登り着いた所は釈迦堂の裏手で、大きな木が生えている所になります。 山頂にはテーブルやベンチが幾つか設置されています。
この弘法山から西にある権現山にかけての緩やかな山頂部は弘法山公園になっています。 山頂を結ぶ道はとても広くて、快適なハイキングコースになっています。
かながわの探鳥地50選 弘法山公園
この付近で見られる主な野鳥
メジロ、シジュウカラ、ホオジロ、コジュケイ、エナガ、エゾビタキ、アオジ、コゲラ、イカル、キジバト
 (鳥もすめる環境都市 秦野市)
釈迦堂は御開帳されていて、安置されている弘法大師像を見ることができました。 綺麗な花も飾られていて、丁寧に祀られているようでした。 釈迦堂は大師堂とも呼ばれているようです。
釈迦堂(しゃかんどう)
山頂には弘法大師の旧跡であることから、古くより福泉庵という堂があった。 江戸時代の中頃に龍法寺の僧馨岳永芳はこの荒廃を嘆き新たに堂を建て釈迦如来像と弘法大師像を祭って釈迦堂としたが、明和3年の火災で釈迦像が焼失し、石造であった弘法大師像はこの時から露座となった。堂の再建後は弘法大師の木造のみを安置していたが、関東大震災や昭和7年の台風で被害を被り長く仮堂であったが、昭和39年に現在の釈迦堂が完成した。
経塚  釈迦堂の後部には鎌倉時代後期の経塚があった。 経塚は経典を書写したものを埋納した仏教上の施設で、末法思想から生まれた。 日本では平安時代末期に出現し、藤原道長が金峰山に般若心経一巻他を埋納した事が知られている。 弘法山の経塚は昭和7年に神奈川県により調査され当時は大甕の口縁部が露出した状態で、経石も散乱していた。
 口縁部が楕円形をし、長径68cm、深さ75cm、腹部から急に細くなっている。
経石 「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」の一字一石経、経題のみ大型石に記載されていた。
経筒 鋳銅製経筒の一部と見られる破片が出土、推定直径12cm。その他陶製の灯明皿が出土している。
 (秦野市)
弘法の乳の水」という井戸もありました。 つるべがふたつ吊るされていますが、井戸は金網で塞がれていて使えません。 その替わりなのか、脇に手押し式のポンプが設置されています。 今でも使えるようになっているので、ちょいと飲んでみることにしました。 呼び水を差す必要もなくて、柄を2・3回ほど上下させるだけで簡単に水が出てきました。 頭がキーンとなるほど冷たくはありませんが、暑い夏場には嬉しい水です。
弘法の乳の水
この井戸は、昔から「弘法の乳の水」と呼ばれています。 この井戸から湧き出た水は、白くにごり、いつも乳の香りがしていたそうです。 いつの頃からか「真夜中に、誰にも知られずに山に登り、 乳の水を飲むと、乳がどくどくと出るようになる」と伝えられ、 この水をいただきに山に登る人が後を断たなかったと言われています。 いつの世も、子を持つ親の心は変わりません。 乳の出ない辛さにワラをもつかむ気持ちだったのでしょう。 その救いの神がこの白い井戸水でした。 なぜこんな山頂に不思議な白い水が・・・。 それは弘法さまのお力だと伝えられています。
 (秦野ラインズクラブ)
乳の井戸
山頂に白色の水の湧く古井戸がある。 これで粥を炊き食すれば乳が出るという信仰から「乳の水」と称して 昭和30年代初めまで授乳期の母親や妊婦が遠方からも水を求めてきた。 かつてはこの井戸の脇に二つの池があり、夏には太い柳の下で蛙が鳴き、 金魚の紅い色が水面に映じて美しく静かな時が流れていたが、 関東大震災の後に水涸れが起こり一つを埋めてそこに桜を植えた。
 (秦野市)
時を知らせるために撞かれたという大きな鐘楼があって、脇には新しくなった「弘法山」の標識がありました。 また、秦野市出身の歌人・原久胤の歌碑や、関東ふれあいの道「弘法大師と桜のみち」の解説板も設置されています。
弘法山の歴史
弘法山の名前は弘法大師(774〜835)がこの山頂で修業したことから名付けられたとの伝承があり、 権現山(千畳敷)を含んで呼ぶこともある。 弘法山は麓の龍法寺と深い関わりを持ち、戦国期に真言宗から曹洞宗に変えた。 鐘楼の下に続く沢を真言沢と呼び、その名残りがある。 弘法山の鐘は、享保頃(1716〜35)に龍法寺5世無外梅師と行者の直心全国が発願し、 弘法山周辺の村々の有志や念仏講中の人々の寄進により宝暦7年(1757)12月に完成させた。 明和3年(1766)に山火事でひび割れ、 再び周辺村々の有志や江戸隅田の成林庵主で下大槻伊奈家出身の松操智貞尼の尽力により 徳川御三家や諸大名などから「多額の喜捨」を得て享和元年(1801)5月に完成した。 鐘は当初から「時の鐘」として親しまれ、災害の発生も知らせながら昭和31年まで撞き続けた。 現在の鐘楼は慶応3年(1867)に再建したものである。
 (秦野市)
鐘楼
ハイカーの皆様へ。 この鐘は、時を知らせる鐘として、正午、3時、夕刻等につかれ、長い間地域の人達に親しまれておりました。 大切に扱うとともに、むやみに鐘をつくことは御遠慮下さい。
 (秦野市観光協会)
関東ふれあいの道
関東ふれあいの道は、一都六県を巡る自然歩道です。 沿線の豊かな自然にふれ名所や史跡をたずねながら、ふる里を見直してみませんか。
弘法大師と桜のみち  このみちは県内17コースのうち9番目のコースです。 秦野市南平橋から桜の名所権現山・弘法山へ、 旧矢倉沢街道を経て伊勢原市国道246号坪ノ内バス停までの全長9.4kmの道です。 なお、途中から鶴巻温泉や善波峠を経て高取山、浅間山へも行くことができます。
 (環境省、神奈川県)
弘法山の山頂は樹木に覆われていて展望は余りよくありませんが、東側が開けています。 生憎の曇天のため遠くは霞んでいましたが、 手前の樹木に邪魔をされながらも秦野の街並みなどを望むことができました。 お昼にはまだ早い時刻でしたが、ベンチに腰掛けて昼食タイムにしました。
美化ボランティア推進運動 弘法山をきれいにする会
この公園は、わたしたちボランティアが美化・清掃等の活動を行っています。 美化ボランティア活動への協力と参加をお願いします。
 (秦野市)
疲れも癒えてお腹も満ちたところで、弘法山から下山していきます。 山頂から東海大学前駅方面へ降っていく道もありますが、西側に続く道を降っていきます。 降り口には道標が立っていて、「弘法山公園権現山0.8km」「弘法山公園浅間山1.2km」「秦野駅3.1km」となっています。 また関東ふれあいの道の里程標もあって、西側の道は「下大槻3.75km」、 今来た道は「坪ノ内5.65km」となっています。 石段を降っていってもいいのですが、今回は左手のマウンドの上に続く土の道を降ってきました。
(東海大学前駅方面へ降っていく道は、 「弘法山公園」, 「高取山」, 「弘法山公園」を参照)
花木や桜などが植えられた散策路を降っていきます。 綺麗に整備された道が少し曲がりながら続いていました。 所々にはテーブル・ベンチも設置されていて、花の季節には休憩するのに良さそうな所でした。 そんな道も3分ほどで終わって、右側に沿って降って来た石段から続く道に降り立ちます。 広くて緩やかになった道を進んでいくと、車止めを過ぎた先で、 右手に戻るようにして舗装路が分かれていきます。 角には「かながわの景勝50選 弘法山」の石碑があります。 「弘法山公園」と題した案内図や 「弘法山公園案内図」があるので参考にしましょう。 今回はこの先にある女坂を降っていくことにしました。 周囲には道標類が幾つか立っています。 それらによると、正面の道は「関東ふれあいの道 権現山0.6km」「関東ふれあいの道 権現山・南平橋」「弘法山公園 権現山0.5km」、 右手に戻るようにして降っていく道は「関東ふれあいの道 蓑毛」「めんようの里・木里館」、 今来た道は「関東ふれあいの道 弘法山0.25km」「弘法山公園0.3km」などとなっています。
(写真は振り返って撮影したものです)
弘法山公園鳥獣保護区区域図
この区域は鳥獣の捕獲が禁止されております。 鳥獣の保護にご協力をお願いします。
 (神奈川県)
マナーを守って楽しいハイキング!
★ゴミ捨て禁止 ★草花を大切に ★火気に注意
 (秦野市商工観光課)
馬場道
車止めを過ぎて、山頂にある道とは思えないほど広い尾根道を進んでいきます。 道の両側には桜が並木を作っていて、春には綺麗に彩られる所でもあります。 この道は馬場道と言って、戦前には近在の農民が草競馬を楽しんだ所のようです。
馬場道を歩き始めてすぐの所の左側から分かれて降っていく横木の階段があります。 降り口には道標が立っていて、左手の道は「東海大学前駅」、 正面の道は「関東ふれあいの道 権現山」、今来た道は「関東ふれあいの道 弘法山」となっています。 先ほどの弘法山公園案内図によると、 左手の道は、龍法寺・長福寺・八幡神社・自興院などを経て東海大学前駅へと続いている道のようです。 また「百八松明」と題した解説板も設置されていました。
(東海大学前駅への道は「弘法山公園」, 「弘法山公園」を参照)
百八松明(ひゃくはったい)
秦野市南矢名瓜生野地区に室町時代から伝わる旧盆の行事として続いている厄除、豊作を祈る火の祭りです。 旧盆の8月14日と15日の夕刻、麦わらで作った直径30〜40cm、長さ1.0〜2.5mのたいまつ約70本を権現山に運び、 午後7時過ぎに点火、参加者がかついで麓の龍法寺の山門付近までおろします。 暗い山の斜面をえんえんと動くたいまつは火の帯となってたいへん壮観です。
 (秦野市観光協会)
東海大学前駅への道を見送っていくと、すぐ先の右手から女坂が分かれて降っていきます。 入口には「女坂(おんなざか)」と書かれた標柱が立っています。 また手前には関東ふれあいの道の里程標があって、この先の道は「下大槻3.4km」、 今来た道は「蓑毛6.5km」となっています。 広い尾根道はこの先にある権現山へと続いていますが、今回はここから女坂を降っていきます。
平成20年10月2日(木)、弘法山南側(大岩神社・内久根配水場・曽屋5416番地付近)に クマの足跡が発見されました。 通行する際は注意してください。 ハイカー・登山者は、ご注意ください。 遭遇してしまったらすみやかに遠ざかりましょう。 刺激しないようにし、あわてないで静かに立ち去りましょう。 けして走って逃げたりしてはいけません(逃げるものを追いかける習性があります)。 もし近づいてきたら大声を出さず、リュックサックなどの持ち物を一つずつ置いて、 クマの気をそらしながら、ゆっくりと立ち去りましょう。 子グマを見かけたら、近くに親グマがいます。 危険ですので、速やかに安全なところへ立ち去りましょう。 人家近く(人里)でクマを目撃した場合は、直ちに連絡して下さい。
 (秦野市役所環境保全課、秦野警察署)
女坂
斜面に沿って続く広めでしっかりとした道を降っていきます。 傾斜も緩やかで歩きやすくなっていました。 道には木片チップが敷き詰められていて、フワフワとして気持ちの良い道でした。 道端には桜の幼木が並木を作っていました。 (財)日本宝くじ協会や(財)日本さくらの会や秦野市が2001年に植えたようで、 「宝くじ桜植栽地」の石碑もありました。 少し右手へ曲がるようになった所に、丸太のベンチがひとつ設置されていました。
お願い
「ヤマユリ」は採らないで下さい。 弘法山公園内の植物を許可なく採取することは条例により禁止されています。
 (秦野市観光課)
男坂出合
ベンチを過ぎて緩やかになった道を進んでいくと、左側に続く尾根が次第に低くなってきます。 その先まで来て左へ曲がっていくと、左から横木の階段が降ってきます。 馬場道から分かれて5分ほどの所になります。 角には「男坂(おとこざか)」と書かれた標柱が立っていて、 男坂と女坂の合流地点になるようです。 また道標も立っていて、左手の男坂は「弘法山公園 権現山(展望台)0.4km」、 今降って来た女坂は「弘法山公園 弘法山0.6km」「鶴巻温泉4.2km・吾妻山3.3km」となっています。 正面へ降っていく横木の階段は何も示されていませんが、 すぐ先に舗装路が見えているので、正面へと降っていきます。
危険
ハチ発生のため当分の間、要注意
 (秦野市観光協会)
ロープ柵が設置された横木の階段を降っていくと、すぐに舗装路に降り立ちます。 弘法山から18分ほどで降りて来られました。 これで山道は終わりになります。 降り立った所は、舗装路が二手に分かれている分岐点になっています。 手元の地形図では、北から来た二重線の道がY字形に分岐している所になります。 降り立った所に道標が立っていて、今降って来た横木の階段は「弘法山公園」となっています。 道路を横切った所の分岐点にも道標が立っていて、Y字路の右手へ降っていく道は「秦野駅2.6km」となっています。 今回はここから秦野駅まで歩いて行くことにしました。
広い舗装路を降っていきます。 青葉を茂らせた樹木が道路の上を覆っていて、雰囲気のいい緑のトンネルになっていました。 自動車も通っていきますが、僅かな台数なので、それほど気にはなりません。 2分ほど降っていくと、右手が開けて丹沢方面を望む眺めが広がる所がありました。 更に2分ほど進んだ所からも、畑地の向こうに念仏山・高取山から丹沢大山へと続く山並みが一望出来ましたが、 生憎の曇天とあって、いずれも遠くは霞んでいてはっきりとは見えませんでした。 よく晴れていると綺麗な眺めなのだろうと思うにつけ、少々残念な気持ちになるのでした。
亀の子石
展望の得られる所を過ぎて緑のトンネルを進んでいくと、 舗装路に降り立ってから6分ほどの所の山際に「亀の子石」と題した解説板が設置されていました。 何処にその石があるのかと周囲を見回していると、 どうやら解説板の後ろの崖の左側にある石になるようでした。 甲羅の筋のようなものあるので何とかそれらしいものの、 それほど亀の甲羅に似ているようにも思えませんでした。
亀の子石
この亀の形をした石には次のような伝説があります。
その昔、弘法大師の一番弟子といわれる高僧が弘法山の麓に住んでいました。 この高僧は、大そう亀好きで沢山の亀をかっていました。 ところがふとしたことで病いにかかり、手厚い看病にもかかわらず亡くなってしまいました。 この主人の死をいたく悲しんだ亀達は、何を思ったのか主人の師である弘法大師が修業したという 弘法山の山頂を必死に目指しましたがやがて力つき、石になってしまいました。 その石があまりにも亀に似ているのでいつしか「亀の子石」と呼ぶようになりました。
弘法山にはここの他にもいくつか亀の子石があるといわれています。
 (秦野市)
亀の子石を過ぎて1分ほど降っていくと、左手に畑地がありました。 その先の切通しのような所を過ぎて降っていくと、正面が開けてきます。 右手には畑が広がり、左手には工場の跡地のような空き地が続いていました。 正面の奥に横たわる丹沢の山並みを眺めながら、かなり傾斜のある坂道を降っていきます。 秦野市伊勢原市環境衛生組合の建物を過ぎていくと、左下の小さな谷筋に田んぼがあって、 青々とした稲が育っていました。 道路の下には川が通っていて、田んぼの周囲に沿って流れていました。 そこから少し右へ曲がって登り坂になった道を進んでいきます。
竹林を過ぎて左右に住宅などが建ち並ぶようになった坂道を登っていくと、衛生センター入口交差点に出ます。 その手前には道標が立っていて、道路を渡った先へ続く道は「秦野駅1.8km」、 今来た道は「弘法山公園」となっていました。 左側にはコンビニがあり、道路向いの右側には自動車販売店がありました。 横断歩道を渡って、道路向いに続く道を進んでいきます。 少し降るようになると、右手へ道が分かれていく角に道標が立っていて、 今来た道は「弘法山」となっていました。 その脇には道路改修の記念碑が建っていました。
記念碑
町道第三十六号線改修記念碑
本地区ハ当町蔵ノ前及ビ御門地先ヨリ金目川ヲ経テ東 方耕地ニ通する耕作交通上重要ナル道路ナルモ迂廻曲 折シ加フルニ急坂ニシテ路面狭隘ナルガ故ニ車馬ノ通 行全ク不能ニシテ肥料並ニ農作物ノ運搬等不便甚大ナ レバ地元農家ハ之ガ改修ヲ農村振興農村匡救土木事業 ニ依リ企劃シ昭和七年度ヨリ昭和九年度ニ至ル三ヶ年 ニ渉リ神奈川県及ビ秦野町ヨリ相当ナル補助ヲ仰グト 共ニ耕地関係地主地元農家ノ寄付を得テ勾配ヲ緩和シ 同時ニ幅員六尺ヲ九尺ニ拡張シ鉄筋コンクリート橋ヲ 架設シ車馬ノ利用ヲ充分ナラシメタルヲ持テ従来ノ宿 望此ニ達セラレ昔日ノ不便ヲ一掃スルヲ得タルハ地元 民ハ更ナリ秦野町将来ノ発展ニ資スル事大ナリト云フ ベシ其ノ大要ヲ録シテ記念トス
昭和九年五月 半月撰
十代橋
記念碑を過ぎて降っていくと、金目川に架かる十代橋があります。 橋を渡った正面には末広小学校があります。 左折して、登り気味に続く道路を進んでいきます。 末広こども園を過ぎて、次第に傾斜が増してくる坂道を登っていくと、 道端に「萬霊塔」と刻まれた石碑があって、 その脇には「廿三夜供…遍講」と刻まれた壊れた石碑もありました。 そのすぐ先にあるT字路を左折していきます。 左右に分かれていく路地を見送って、坂道を道なりに真っ直ぐ降っていきます。 左右には龍門寺や八坂神社もあるようですが、今回は訪ねるのを省略しました。
少し登り坂になった道を更に進んでいきます。 青いコンテナボックスが置かれた所を過ぎて、住宅地の道を登り気味に進んでいきます。 傾斜が緩やかになってくると、信号機のある交差点に出ます。 道路を渡った所から細い道が二つ分かれていますが、 歯科の看板の脇から石垣の間に続く右側の道を降っていきます。 突き当たりを道なりに右折していくと広めの道路に出ます。 そのすぐ左手に信号機のある交差点があります。 交差点を渡った所には水無川常磐橋が架かっています。 橋の手前には道標が立っていて、右手の道は「秦野駅0.6km」、左手の道は「弘法山公園入口0.8km」となっています。 橋の手前を右折して、水無川の左岸に続く車道を進んでいきます。
平成橋
水無川沿いに300mほど進んでいくと、平成橋が架かっています。 水無川やその周辺の街並みを眺めながら平成橋を渡っていきます。 橋を渡ったすぐの所にある交差点を右折して、水無川の右岸に続く道を進んでいきます。
秦野(はだの)駅
平成橋を渡って100mも行かない所から左手へ分かれていく道があります。 その道へ入っていくと、すぐ正面に秦野駅(小田急小田原線)があります。 女坂を降って舗装路に降り立った所から40分ほどで到着しました。