名越切通
散策:2009年08月中旬
【街角散策】 名越切通
概 要 名越切通は鎌倉七切通のひとつで、鎌倉市と逗子市の間にあります。 朝比奈切通ができて交通の中心がそちらへ移ったこともあり、 七切通の中では最もよく旧状を留めています。 国指定史跡にもなっている切通には石段や岩畳が続いています。 今回は逆川の源流域から尾根に登って、大切岸を経て名越切通へと向かっていきます。
起 点 鎌倉市 名越バス停
終 点 逗子市 緑ヶ丘入口バス停
ルート 名越バス停…安国論寺…妙法寺…逆川…釈迦堂口切通…鎌倉四季の里…登り口…やぐら群…尾根道…展望地…大切岸…法性寺分岐…無縁諸霊之碑…名越切通…まんだら堂分岐…小坪階段口分岐…緑ヶ丘入口バス停
所要時間 2時間10分
歩いて... 逆川の源流域は、夏草が生い茂る季節にしては明瞭な道が続いていましたが、 地形図に載っている破線の道とは少しルートが違うようでした。 以前に行なわれていた名越切通の学術調査は既に終了していて、切通を抜けていくことが出来ました。 脇には切通を見下ろせる高みもあって、辺りは綺麗に整備されていました。
関連メモ 名越切通, 鎌倉大町, 衣張山, 鎌倉回峰, 巡礼古道, 巡礼古道, 衣張山, 名越切通, 衣張山, 巡礼古道, 名越切通,
衣張山
コース紹介
名越(なごえ)バス停
鎌倉駅(RJ横須賀線)の東口から、[鎌30]新逗子駅行きバス,または,[鎌31]緑ヶ丘入口行きバスにて4分、 週末の7時台・8時台は1時間に4本程度、9時以降は1時間に2本程度の便があります。
今回は滑川の支流である逆川沿いの道から源流域を登って尾根道へ出るルートを歩きます。
バス停から20mほど鎌倉駅方向へ引き返した所にある三叉路の手前に、 逆川に架かる三枚橋があります。 橋を渡った所に「入口 松葉ヶ谷のお師匠さま 安国論寺」の看板が立っています。 橋の手前を右折して川沿いに進んでいくと、すぐに三叉路から戻るようにして分れてきた道に出ます。 川沿いの道は正面へと続いていますが、右手の先にある安国論寺を訪ねていくことにしました。 角には手製の道標「安国論寺」が取り付けられていて、右手の道を指しています。
住宅地に続く路地を真っ直ぐに150mほど進んでいくと十字路があります。 その正面に安国論寺の山門があります。 脇には「松葉谷根本霊場」と刻まれた石柱や「日蓮上人草庵址」の石碑があります。 また道標も立っていて、「ここは安国論寺」、右手の道は「長勝寺200m」、左手の道は「妙法寺100m」となっています。 石段を登った所に山門があります。 山門の手前には「境内霊場案内」と題した大きな図が掲示されているので参考にしましょう。
日蓮上人草庵址
建長5年(皇紀1913)日蓮上人房州小湊ヨリ来リ此地ニ小庵ヲ営ミ始メテ法華経ノ
首題ヲ唱へ正嘉元年(皇紀1917)ヨリ文応元年(皇紀1920)ニ及ビ巌窟内ニ籠リ
立正安国論一巻ヲ編述センハ即チ此所ナリト云フ
 (鎌倉町青年団)
安国論寺
山門をくぐって石畳になった道を真っ直ぐに進んでいくと、短い石段を登った所に安国論寺の本堂があります。 前には楓の大きな木があって、秋には綺麗に彩られる所です。 境内には熊王殿・御小庵・日朗上人御茶毘所があり、 熊王殿の脇から富士見台を経て日朗上人御茶毘所へ降りてくる尾根道もありますが、 今回は訪ねるのを省略しました。
安国論寺
妙法華経山安国論寺と号し、日蓮聖人松葉ヶ谷御小庵の霊跡です。 日蓮聖人は凡そ20年間に互って当地に滞在し、法華経とお題目とその宗教的信念を宣教されました。 境内一円は松業ヶ谷と称し、日蓮聖人の御小庵御法日朗上人御茶毘所、熊王大善神尊殿、 南面窟(松葉ヶ谷焼討法難の跡)、硯の井戸、妙法桜(天然記念物)などがあります。 寺名は、日蓮聖人がここで書かれた「立正安国論」に因んでおります。
松葉谷日蓮上人遺蹟
安国論寺は建長5年(紀元1913)日蓮上人房州小港より来りて御小庵を営み _めて法華経の首題を唱え後立正安国論を御製作せられたる所なりと云ふ
 (神奈川県)
安国論寺の右手の道のすぐ先には、山際に小さな神社があります。 短い石段を登った所にある鳥居の両脇には小振りの狛犬が控えていました。 鳥居をくぐった左側には石碑が三つ並んでいて、 真ん中の石碑には「猿田彦大神・北斗尊星・天鈿女命」と刻まれていました。 石碑群の右側に小振りな祠がありました。 中を覗ってみると、打ち出の小槌を持った大黒様が安置されていましたが、 神社の名前や由緒などは分りませんでした。
安国論寺の左手の道の入口には石碑が立っていて、 「高祖御小菴之本土」,「妙法寺道」と刻まれていました。 台座には「秋葉山」「妙法寺」と刻まれていました。 また脇には 「當山は東京永代橋上流仲州に於て川施餓鬼営む寺 秋葉ヶ谷御小庵旧地 楞巌山妙法寺」 と刻まれた石碑もありました。
石碑を過ぎて、住宅地の路地を100mほど進んでいくと、道が右へ分れていくT字路があります。 角には「ここは妙法寺」、正面の道は「大宝寺300m」となっています。 「ここは」と云われても民家が建っているだけでそれらしい建物はないがと思っていると、 右手の道の先の方に山門が見えました。 どうやらあそこが妙法寺だろうと思って右折していきました。 右折してすぐの所の竹の生け垣に「秋葉谷妙法寺」と刻まれた石柱が立っていました。
真っ直ぐに数10m進んでいくと道が二手に分れています。 正面の石段の先には山門があって、「松葉谷御小庵霊跡」と刻まれた大きな石柱も立っています。 門の傍まで寄っていくと、「市指定建造物 妙法寺表門」の標柱が立っていました。 この門は「表門」というようですが、扉は閉ざされていました。 通常の入口は左手の石畳の道のようでした。
妙法寺
左手の道の先にある門を過ぎて庭木が枝を伸ばす境内を進んでいくと、正面に妙法寺の本堂がありました。 本堂の扉は閉ざされていて、前には竹矢来の柵が設置されていました。 リスが入ってくるので扉は閉めているとのことでした。
妙法寺
松葉が谷楞巌山妙法寺といい、日蓮はここに御小庵を建て法華経(蓮のごとき正しい教え)を説いた。 五世日叡の父は護良親王で、祖父は96代後醍醐天皇である。 山上に護良親王の墓がある。
文学案内板 妙法寺境内
鴫されば笹子しづかに来てをりし 昌子
美しき苔石段に春惜しむ 立子
当山参詣の折柄御宝前の鏡に富士山のありありとうつりまししを拝して
露しぐれはれて鏡にむかふ富士 桃林坊
小春となりの海のおだやか 日慈
松か枝のさか行月にかり寝して 牛長
逆川
妙法寺からT字路まで引き返して、住宅地に続く路地を進んでいきます。 左右に分れていく道を見送って道なりに100mほど真っ直ぐ進んでいくと、逆川沿いの道に出ます。 左側に立つ電柱には「大町四丁目2」、右側に立つ電柱には「大町四丁目8」の札が取り付けられていました。 川向こうは大町三丁目のようです。 道は逆川に架かる橋の先にも続いていますが、右折して川沿いに進んでいきます。
逆川ふるさといきものの里
<小動物保全区域>
ホタルやモクズガニなどの水生小動物が生息しています。 川の自然をみんなで大切に守りましょう。  (鎌倉市、鎌倉ホタル保存会)
1分ほど進んでいくと、道は川から少し離れて登り坂になってきます。 左右に趣きのある民家の塀や石垣が続く坂道を登っていきます。 坂を登り切って緩やかになった道を進んでいくと、逆川沿いに出た所から5分ほどで、 左手から近づいてきた逆川が、道の下を斜めに横切る暗渠へ入っていきます。 その先へ30秒ほど進んでいくと、左手からの道を合わせたすぐ先に十字路があります。 暗渠から出てきた逆川には花咲橋が架かっています。 川に生えるガマが幾つも穂を出ていました。 花咲橋の左手から正面へ続く道を進んでいきます。
釈迦堂口切通分岐
川沿いから少し離れた道を100mほど進んでいくと、右手に流れる逆川に橋が架かっています。 角には道標が立っていて、右手の道は「黄金やぐら200m」、 正面の道は「釈迦堂口切通400m」となっていて、 「釈迦堂切通し通行止め この先Uターン場所ありません」の看板も立っています。 名越切通に続く尾根へは右手の橋を渡っていくのですが、 ちょいと釈迦堂口切通まで往復してくることにしました。 正面の道を進んでいくと、民家の庭の竹林の脇に「大町六丁目案内図」があって、 この付近の地図と史跡などの解説文が載っていました。
釈迦堂ヶ谷 俗称「しゃかんど」と云っています。 これは元仁元年、北条泰時が亡父義時のために、釈迦堂を建てて供養したので、この地名がついています。 当時は立派な釈迦堂がたっていたことでしょうが、 今は岩をくりぬいたトンネルの中の小さなほこらに、五輪の塔がすえてあるだけです。
衣張山 衣張山というのは源頼朝が大蔵の屋敷に住んでいたころ、夏の暑い日、この山に白いきぬをはらせ、 雪の降りかかる冬の景色に見せかけ涼んだのでこの名がおこったと云い伝えられています。 頼朝の権勢がすばらしかったことをのちの人が想像し、こんないい伝えが起ったのでしょう。 標高は121.6mで、鎌倉でも高い山の一つです。
唐糸やぐら 衣張山の中腹に「唐糸やぐら」があります。 このやぐらは木曽義仲のけらい手塚太郎光盛の娘唐糸が義仲の廻し者と、頼朝に見破られ この土牢に入れられたと云はれています。 「やぐら」というのは、鎌倉時代から室町時代にかけての有力な武将たち一族の墓所であったとこです。 唐糸やぐらもその一つですが、おそらく唐糸の伝説とやぐらと結びつけて唐糸やぐらはできたものでしょう。
黄金やぐら 衣張山の南面山すそにある鎌倉時代の横穴墳墓で、武士や僧職などの死者を葬ったところです。 岩をくりぬいた室内は幅4m、奥行6m、高さ1.5mの大きさのもので、 ヒカリモがはえ黄金色に光ったためにこの名がついたものでしょう。
釈迦堂口切通
少し左へ曲がって、山際に続く坂道を登っていきます。 右へ分れていく路地を見送って真っ直ぐ登っていきます。 案内図の所から200mほどの所に右手へ分れていく広めの道がありますが、 その道も見送って、正面に続く坂道を登っていきます。 次第に傾斜が増してくる山際の坂道を登って最後の民家を過ぎていくと、 釈迦堂口切通分岐から5分ほどで、正面に岩壁が現れます。 手前には車止めの杭が幾つか設置されていて、 「この先崖崩れの恐れあり通行止」や 「落石注意」の看板も立っています。 対象は自動車なのだろうと思って、車止めを抜けていくと、 岩壁を刳り貫いた釈迦堂口切通が大きな口を開けています。 切通しの中程には岩壁を刳り貫いた四角い穴があって、 中には壊れかけた小さな五輪塔などが納められていました。
釈迦堂口切通分岐まで引き返してきて、橋を渡って、逆川沿いの道を進んでいきます。 「黄金やぐら」は何処にあるのだろうと思って左右を覗いながら進んでいきました。 150mほど進んでいくと、逆川に架かる小橋を渡っていきます。 その先から左へ分れていく道を見送って、右手へ曲がって登っていく山際の道を進んでいきます。 200mは過ぎただろうと思われる所まで来ても、一向に「黄金やぐら」への標識は見かけないので、 訪ねるのは諦めてその先へと進んでいきました。 小橋を渡ってから200mほど進んで、再び右側に川が現れると十字路があります。 広めの道は左手へ曲がりながら登っていきますが、 川沿いに続く正面の道を進んでいきます。
後日に来たところ、黄金やぐらはここを左折して150mほどの所にありました。 (「衣張山」を参照)
お願い
この周辺は、鎌倉市の数少ないホタルの生息地です。 これまで増やすのに10年かかりました。 皆さまが、来年も美しいホタル(寿命は1週間)の光を 観賞できるよう、次のことを守って下さい。
1.ホタルは絶対にとらないこと。
2.コンクリートや壁のアクを流さないこと。
3.空カン、ゴミ等を捨てないこと。
4.カワニナの餌のセリを育てましょう。
 (大町自治会)
60mほど進んでいくと、川は暗渠へ入っていきます。 次第に民家が少なくなってくる道を登り気味に進んでいきます。 釈迦堂口切通分岐から7分ほどして最後の民家を過ぎていくと、谷筋の森へ入っていきます。 その入口の所で、再び流れが暗渠から出てきます。 逆川の源流のひとつになるのでしょう。 手元の地形図では、二重線の道から破線の道に変わる辺りになります。
森へ入っていくと、土の道になります。 植林帯になった谷筋に続く道は広めで、小型車なら通って行けるだけの幅があります。 あとで分るのですが、この先にある畑地へ続く農道のようでした。 流れは道に沿って続いていますが、もはや溝のような姿になってきます。 日陰になっているためか、沿道にはシダ類が生い茂っていて、 ヒンヤリとして雰囲気のいい道が続いていました。
森へ入って2分ほど進んでいくと、細い山道(*)が右手へ戻るようにして分れていきます。 何処へ続いているのか興味がありましたが、登り気味に続く広い道をそのまま進んでいきました。 右手の山道を見送ったすぐ先で、左側に続いてきた流れは、道に埋設された管の中を流れるようになります。 その先へ進んで少し開けた所に出ると、畑が広がっていました。 左手には作業小屋もありました。 ずっと植林帯が続いていたので、谷筋の森の奥にこんな畑があろうとは思いませんでした。
*後日に右手の道を歩いてみました。(「名越切通」を参照)
鎌倉四季の里
作業機械や資材などが置かれた所を過ぎていくと、畑地に出て2分ほどの所の右側にペットの墓地がありました。 「鎌倉四季の里」というようで、犬・猫・ハムスター・モルモット・鳥など、 生前の名前を書いたものが幾つも並んでいました。
やすらぎ
愛する動物達の霊 こころやすらかに この四季の里に眠る… 合掌
登り口
「鎌倉四季の里」を過ぎていくと、これまで続いてきた広めの道には夏草が生い茂るようになりました。 谷筋一帯に草が生い茂っていてはっきりとは分りませんでしたが、 壊れかけたベンチの先で道は行き止まりのようでした。 引き返すのは不本意だし、どうしたものかと辺りを窺っていると、 「鎌倉四季の里」の左脇から細い山道が右前方へ分れて続いていました。 道標類は見かけませんでしたが、夏草が生い茂る季節にしては明瞭な道に思えたので、 尾根への登り口なのだろうと信じて登っていくことにしました。
夏草などが生い茂る山道へ入っていくと、植林帯の谷筋に緩やかな道が続いていました。 道端にはシダ類や細木などが生えていますが、道はしっかりと確認できる状況でした。 前々日に雨が降ったこともあってか、細い流れがあったり、道が濡れていたりもしました。
やぐら群
緩やかな山道を3分半ほど進んでいくと、2mほどの段差が現れます。 以前には金網でもあったのか、その手前には金属製の枠だけが残っていました。 段差を登ってV字形に抉れた所を過ぎると、周囲が少し広がった緩やかな所に出ました。 草の背丈も低くなっていて、谷の奥にポッカリと空いた広場風の空間になっていました。 左側の崖には上下二層になって、幾つも穴が開けられていました。 鎌倉地方に数多くある「やぐら」なのでしょうか。
下の層にある穴には、五輪塔などが安置されているものもありました。 木の枝に掴まったりしながら上の層に登ってみると、大きな穴の中には水が溜まっていました。 ポタン・ポタンと音を響かせながら、天井から雫が落ちていました。
尾根道
やぐら群を後にして、その先へ進んでいくと、すぐに登りの傾斜が増してきます。 草木などが益々生い茂るようにはなりますが、踏み跡はしっかりと続いていました。 一旦緩やかになって細い笹が生い茂る所を過ぎていくと、再び登り傾斜が増してきます。 笹をかき分けながら登って正面の上が次第に明るくなってくると、大きな樹木の袂に登り着きました。 左右にはしっかりとした尾根道が通っていました。 この尾根道は、子ども自然ふれあいの森から名越切通へと続く尾根道になります。 やぐら群のある広場から3分ほど、畑地の奥にあった登り口から12分ほどで登って来られました。
手元の地形図にある破線の道はもう少し南西側の所に登り着くように描かれていますが、 今回歩いた道以外に別の道があったのかどうかはよく分りませんでした。
名越切通へは右手へ進んでいくのですが、 左手すぐの所に自然石の階段混じりの急坂が見えているので、ちょいと立ち寄っていきました。 石段を登っていくと、杭が何本か立っている分岐があります。 脇には道標が立っていて、正面に続く道は「ハイランド方面」、 今来た道は「名越切通・大切岸方面」となっています。 正面から来て右手へ登っていく道は、水道山(浅間山)へ続く巡礼古道になります。 杭のすぐ先にはパノラマ台への分岐もありますが、今回はそれらを訪ねるのは省略して、 登り着いた所から右手へ続く尾根道を、名越切通へと向かっていきました。
尾根道を右手へ進んでいくと、すぐに左から降ってくる道が合流してきます。 手前に立つ道標によると、正面の道は「名越切通・法性寺・大切岸・まんだら堂やぐら群」、 今来た道は「ハイランド住宅地・衣張山・報国寺方面」となっています。 左から来る道には何も示されてはいませんが、水道山(浅間山)から降ってくる道になります。 ここは名越切通へ向かって、正面の尾根道を進んでいきます。 ハイキングコースにもなっていて、しっかりとした緩やかな尾根道が続いています。
展望地
逗子市消防本部の設置する緊急時の通報番号を記した「山火事注意ひさぎ17」の看板を過ぎていくと、 尾根道に登り着いた所から3分ほどで、左手が開けた僅かな高みがあります。 尾根道は高みを右から巻くようにして続いていますが、 高みへ登ってみると、いい眺めが広がる展望地になっていました。 周囲にはロープ柵が設置されていました。 以前に来た時には見かけませんでしたが、最近になって樹木が切り払われたようです。 二子山から森戸海岸へ続く尾根が一望できる眺めが広がっていました。 手前には逗子の街や逗子海岸も見えていました。 奥の方には大楠山と思われる電波塔の建つ山も見えました。
大切岸
展望地の先から尾根道に降りて、その先へと進んでいきます。 1分ほど進んでいくと、左側の樹木が途切れて眺めが広がるようになります。 先ほどの展望地からと同じような眺めになります。 眼下の斜面には畑が続いていました。 右手には木製の階段が設置されていました。 角には道標が立っていて、階段を降った先に続く道は「名越切通・法性寺・まんだら堂やぐら群」、 今来た道は「ハイランド住宅地・衣張山・報国寺方面」となっています。 以前に来た時にはなかった分岐で、最近になって設置された道のようです。 先ほどの道標にはあった「大切岸」の表記が無くなっているところをみると、 ここが大切岸になるようです。 法性寺の裏手から見ると、垂直に切り立った岩壁が続く所になります。
右手の道は尾根道の一段下を1分ほど通って、再び尾根道に登る迂回路になっていました。 尾根道に出た所にも同じ道標が設置されていました。 尾根道が崩壊したための処置かとも思えますが、 尾根道には通行止めや注意を促す看板などは設置されていません。 試しに歩いてみると、崩壊の跡はなく、なぜ迂回路が出来ているのかはよく分りませんでした。 岩盤が剥き出した所があるので、その危険を避けるためかとも思えますが、 それならば尾根道は通行止めにしておくべきだと思いながら、存在理由のよく分らない迂回路でした。
大切岸を過ぎていくと少し登るようになります。 2分ほど進んで緩やかな高みに着くと、尾根道から右へ少し入った所に、大きめの石の祠が二つありました。 鎌倉市指定の石造建造物の石廟のようで、 その旨を記した標柱が立っていましたが、謂われなどは分りませんでした。 祠の中には大きめの石がひとつ納められていました。
(画像を左クリックすると、手前の石祠・奥の石祠の順で表示されます)
法性寺分岐
石廟を過ぎて広めの尾根道を降り気味に進んでいくと、1分もしない所の浅い鞍部に分岐があります。 正面のブロック塀の先には民家が建っています。 角に立つ道標によると、左手に戻るようにして降っていく道は「法性寺・バス停「久木五丁目」」、 正面の道は「名越切通・まんだら堂やぐら群」、今来た道は「大切岸・ハイランド住宅地・衣張山」となっています。 脇には「ひさぎ18」の看板も立っています。 左手の道は墓地を経て法性寺へ降りて行けますが、今回は正面の道を名越切通へと向かっていきます。
無縁諸霊之碑
正面に続くブロック塀沿いの尾根道を進んでいきます。 「なごえ5」の看板を過ぎて、正面の高みを右手から巻くようにして登っていきます。 巻き終わって鉄線柵沿いに続く道を降っていくと、 左下の平らな土地に青と緑のシートが被せてありました。 「なごえ4」の看板を過ぎていくと、明るい草地になった緩やかな所に出ます。 緩やかになった道をその先へ進んで森へ入っていくと、 無縁諸霊之碑が建つ小振りの広場に着きます。 谷筋から尾根道に登り着いた所から25分ほどで到着ました。 左手にはコンクリートブロック製の「動物霊堂」もありました。
高みを巻き終わって降り始める所から、右手へ踏み跡が分れていました。 試しにちょいと歩いてみましたが、ハイキング会でもあったのか、 樹木に赤テープが点々と取り付けられていました。 緩やかな尾根には比較的しっかりとした道が続いていましたが、 3分ほど進んだ所で夏草が生い茂るようになったので引き返してきました。 (所要時間6分ほど)
後日にまた歩いてみました。 (「名越切通」を参照)
名越切通
広場の左前方へ続く坂道を少し降ると峠道に降り立ちます。 脇には「国指定史跡 名越切通し」と書かれた標柱が設置されています。 降り立った所にある道標によると、右手の道は「鎌倉市大町・長勝寺・安国論寺方面」、 左手の道は「名越切通・まんだら堂やぐら群」、今来た道は「法性寺・大切岸・ハイランド住宅地方面」となっています。 峠道を横切って右前方へ続く道もありますが、少し先で行き止まりになっているようでした。 「名越切通し」の標柱が立っているのに、 道標では左手の道が「名越切通」となっているのはどういう訳なのかと思いながらも、 今回は左手の道を進んでいきました。 後で分るのですが、名越切通は三つの切通から成っていて、 ここは名越切通第三切通になるようです。
(右手の道は「名越切通」, 「鎌倉大町」, 「鎌倉回峰」, 「名越切通」を参照)
火気に注意
 (神奈川県)
尾根を切り開いた所を過ぎていくと、しっかりとした尾根道が続いています。 岩盤が剥き出した所を降っていくと、僅かな谷筋を横切るように道が続いています。 左側の斜面の上の方には、名越切通の説明板がありました。 何故だか道から離れた所に設置されていて、見づらくなっていました。 道端には輪切りにされた丸太が幾つも並べられていました。 椅子にしては低すぎるので何だろうと思いながらも通り過ぎていきました。 斜面の右下には斎場の施設が見えていました。
史跡 名越切通し
鎌倉幕府の基礎が一応確立すると、平時には交通の便をはかり、戦時には敵の侵入を防ぐため、 七つの切通しが設けられました。 名越の切通しは、比較的当時の姿をとどめており、逗子側からの登り路は数ヶ所で切岸の迫った部分を通らねばならず、 天然の地形に人工を加えて防備の万全をはかったあとがみうけられる。
 (神奈川県教育委員会)
名越切通を歩かれる方へお願い
この下に斎場があります。 厳かな空気を壊さないよう、皆様のご理解とご協力をお願いいたします。 なお、ここから下へはおりられません。
 (逗子市教育委員会)
まんだら堂分岐
谷筋を横切って登り坂になった道を進んでいくと、すぐの所に分岐があります。 まんだら堂への分岐道ですが、入口はがっしりとした柵で閉ざされていました。
まんだら堂やぐら群は閉鎖中です
まんだら堂やぐら群は、史跡整備のため、順次保存工事や発掘調査作業を進めております。 また、岩が崩れかかって危険な箇所が多く、五輪塔が倒されたりする心無い被害も頻発していることから、 保存上及び安全上の管理のために閉鎖しております。 今後、囲い柵を設置したり園路を整備するなどして、将来的には一般公開する計画です。 大切な文化財を後世に守り伝えていくためには、保存方法の検討も含めてかなりの時間と経費がかかるため、 一朝一夕には進みません。 せっかくお出でいただいた皆様には申し訳ございませんが、ご理解と五経録をお願い申し上げます。 なお、11月下旬の土日に、臨時公開を行います。 詳しくは『広報ずし11月号』や市内の広報掲示板等でお知らせいたしますので、そちらをご覧ください。
 (2009年6月 逗子市教育委員会社会教育課文化財保護係)
まんだら堂への道を見送って、その先にある切り立った崖の間を過ぎていきます。 最初に名越切通に降り立った所も峠でしたが、ここも規模は小さいながら峠の切通になっていました。 道は結構広くなっていて、名越切通の第二切通になるようです。 道端には先ほど見かけた輪切りの丸太が飛び石のように点々と設置されていました。 やはり、上を歩くために設置されているように思えました。 道が岩盤になっている所もあるので、滑らないよう注意しながら過ぎていきました。
小坪階段口分岐
岩盤になった道を降り気味に進んでいくと、正面に岩の割れ目が現れます。 その手前から右手へ降っていく道が分れています。 角に立つ道標によると、右手の道は「小坪階段口・バス停「緑ヶ丘入口」」、 正面の道は「名越切通第一切通・亀が岡団地」、 今来た道は「まんだら堂やぐら群・鎌倉市大町・法性寺・大切岸」となっています。 今回はここから右手へ降っていくのですが、その前に名越切通の端まで歩くことにしました。
小坪階段口への分岐を見送ったすぐ先で道が二手に分れています。 正面の道が本来の名越切通で、高みを迂回するようにして続く右手の道は、 学術調査の期間に使われていた迂回路で、今でも歩けるようになっています。 その途中から崖の上に出られる所があるので、ちょいと立ち寄っていきました。 岩盤になった道を登っていくとトラロープが張られていたりもします。 坂を登り切った所の左手から、崖の上に登っていく横木の階段があります。 崖の上は狭いものの、周囲にはしっかりとした柵が設置されていて安全になっていました。 青葉が生い茂っていて少し見えにくくなっていましたが、 名越切通の第一切通を見下ろすことが出来ました。 これまでの第三切通・第二切通より規模が大きくて、「第一」と名付ける理由も頷けようというものです。
崖の上へ登る横木の階段を見送っていくと、間隔の広い横木の階段混じりの降り坂になっていて、 第一切通の先に降りて行かれます。
崖の上から降りて元の切通道まで引き返して、岩の割れ目を抜けていきます。 切り立つ岩壁の間を降っていくと、手前で分れてきた迂回路が右手から合流してきます。 角には道標が立っていて、正面の道は「亀が岡団地・バス停「亀が岡団地北」」、 今来た道は「名越切通第一切通・まんだら堂やぐら群」となっています。 学術調査の結果を踏まえた解説板が設置されていて、 その脇には「国指定史跡 名越切通」の標柱も立っていました。
(写真は振り返って撮影したものです)
国指定史跡 名越切通
名越切通は、鎌倉時代に尾根を彫り割ってつくられたとされる通行路で、 鎌倉幕府の事蹟を記した『吾妻鏡』の天福元年(1233)8月18日条に 「名越坂」として登場するのが史料に見られる最初です。 近世以降は「鎌倉七口」のひとつとしても数え上げられ、 鎌倉と三浦半島方面とを結ぶ道として重要な役割を果たしてきました。 切通の周辺には、鎌倉の防衛にも関係すると考えられる平場や切岸(人工的な崖)、 やぐら(四角い横穴に石塔を建て、納骨・供養する施設)や遺体を火葬した跡なども多く分布しており、 中世都市鎌倉の周縁の歴史的景観をたいへん良く残しています。
現在の切通のすがた  現在の名越切通の道筋には、尾根の岩盤を彫り割って道をつくり、 両側が急な崖になっているところが3ヶ所ありますが、 最も高く切り立ったこの部分を第一切通と呼んでいます。 鎌倉時代に外敵の侵入を防ぐために、あえて狭くつくったと言われていますが、 発掘調査を行ったところ意外な結果が明らかになりました。 現在私たちが歩いている切通は路面の幅が1〜1.5mほどですが、 その下に複数の古い道路面が重なって発見されました。 最下層(現地表から約60cm下)の道路面は幅2mほどで、 そこから18世紀後半以降に造られた陶磁器が出土しました。 これによって、現在の道筋の地下に埋もれている最も古い道は、 江戸時代に使われていたということがわかったのです。 その後、地震などによって両側の崖が崩れるたびに道が埋まり、 そのつど整地・修復して新しい道をつくったため、どんどんかさ上げされて路面が高くなったと思われます。 一時期は道幅を広げる工事も行われたようで、路面の幅が約3m、両側に排水のための溝も設けられていました。 しかし、明治16年(1883)にトンネル道路が、同22年(1889)に横須賀線が開通すると、 切通も幹線道路としての役割を終え、埋もれるまま修復の手を加えられることもほとんどなくなり、 最終的に現在のようなすがたになったと考えられます。 発掘調査では、鎌倉時代の路面は確認できませんでした。 切通に面した崖のかなり上のほうに鎌倉〜南北朝時代頃に掘られたと思われるやぐらがあることから、 当時の道筋が今とあまり変わらないとすれば、その道は今よりずっと急坂で、 高い位置を通っていたのかも知れません。 一方、時代が下がって、室町時代の僧堯恵は、名越切通の様子を 「畳々たる巌をきり、山をうがち、旧跡の雲につらなる」と述べています(『北国紀行』)。 中世の後半には、通行しやすいように掘り下げられていたことを示しているとも思われます。 鎌倉時代執権北條氏によって鎌倉の守りの要としてつくられたと言われる名越切通は、 当時のすがたそのものではないと考えられますが、 重要な交通路として近代にいたるまで長く使われ続けてきた貴重な史跡であることに変わりはありません。
 (平成21年3月 逗子市教育委員会 社会教育課 文化財保護係)
解説板を過ぎて1分ほど進んでいくと住宅地に出ますが、 手前にあった小坪階段口分岐まで引き返して、道標「小坪階段口」に従って、 岩盤の先に続く横木の階段を降っていきます。 降り口には草木が生い茂っていますが、程なくして階段が終わって右に折れ曲がっていくと、 普通の歩きやすい山道になります。 シダ類が生い茂る山道を左に折れ曲がっていくと、再び横木の階段が始まります。 コンクリートブロックも敷かれていて、歩きやすい階段になっていました。 小さな谷筋に続く横木の階段を曲がりながら降っていくと、 次第に草木が少なくなってきて見通しも良くなってきます。
傾斜が緩やかになってブロック敷きの道を進んでいくと、切通から3分ほどで開けた草地に出ます。 降り立った所にも道標が立っていて、この先の道は「小坪階段口・バス停「緑ヶ丘入口」」、 今降って来た階段は「名越切通・法性寺・大切岸・まんだら堂やぐら群」となっています。
小坪階段口
夏草が生い茂る開けた草地を1分ほど進んでいくと、幅の広い石段が現れます。 行き交う自動車などを下に眺めながら石段を降っていくと県道311号に降り立ちました。 切通から6分ほどで降りて来られました。 降り立った所は新逗子トンネルの東側の入口付近になります。 左手にはX字路があって、その先には小坪トンネルと新小坪トンネルの入口が見えています。 降り立った所に道標類は見かけませんでしたが、これまでにあった道標からすると、 ここが小坪階段口になるようです。 車道を右手へと進んでいきます。
緑ヶ丘入口(みどりがおかいりぐち)バス停
右へ円弧を描くようにして曲がっていく道を進んでいくと、 国道134号へ通じる名越小坪線が左手へ分れていきます。 右側には突き出した岩壁が聳えていました。 左手の道を見送って道なりに進んでいくと、電話ボックスの脇に緑ヶ丘入口バス停があります。
鎌倉駅(JR横須賀線)まで、鎌倉駅行きバスにて7分、日中には1時間に2本程度、 夕方には1時間に3本から4本程度の便があります。
小坪7丁目A急傾斜地崩壊危険区域
この区域内で、のり切、掘削、伐採等を行なう場合は知事の許可が必要ですから左記へお問合せ下さい。
 (神奈川県横須賀土木事務所)