巡礼古道
散策:2009年05月下旬
【街角散策】 巡礼古道
概 要 観音信仰が盛んだった鎌倉時代の初期に「坂東三十三観音霊場」が開設されました。 今回はその中の第1番の杉本寺から第2番の岩殿寺へと通じる巡礼道を歩きます。 今では途切れ途切れになっている巡礼古道ですが、 まだ往時の雰囲気が感じられる部分も残されています。 途中にはパノラマ台があって、360度の展望が得られます。
起 点 鎌倉市 杉本観音バス停
終 点 逗子市 逗子駅
ルート 杉本観音バス停…杉本寺…浄妙寺…報国寺…巡礼古道…金剛窟地蔵尊…浄明寺緑地…鎌倉市子ども自然ふれあいの森…パノラマ台…展望地…小ピーク…名越溜池…名越谷戸…岩殿寺…逗子駅
所要時間 3時間50分
歩いて... 巡礼古道には庚申塔の板碑が点々と設置されていました。 岩壁に地蔵尊が彫られていたりもして、往時を偲ぶことが出来ました。 期待していたパノラマ台からの眺めは残念ながら霞んでいました。 最後の岩殿寺の裏山にある瑞光亭からは逗子湾や葉山港を望むことが出来ました。
関連メモ 衣張山, 鎌倉大町, 衣張山, 鎌倉回峰, 巡礼古道, 名越切通, 衣張山, 名越切通, 衣張山, 巡礼古道, 衣張山
コース紹介
杉本観音(すぎもとかんのん)バス停
鎌倉駅(JR横須賀線)の東口から、[鎌23]鎌倉霊園正門大刀洗行きバス、[鎌24]金沢八景駅行きバス, または,[鎌36]ハイランド循環バスにて7分、1時間に4本から6本程度の便があります。
坂東三十三観音霊場
「坂東三十三観音霊場」は鎌倉時代の初期に開設された観音霊場で、 その昔に「坂東」と呼ばれた箱根以東の地域にある寺院を巡るものです。 鎌倉市にある第1番の杉本寺から始まって、館山市にある第33番の那古寺まで、 関東の一都六県を巡るように設定されています。 今回歩く巡礼古道は、その第1番の杉本寺から第2番の岩殿寺へと向う道になっています。
杉本寺
バス停から先へ歩き始めると、すぐ左手に石段があります。 脇には「坂東第一番 本尊十一面観世音菩薩」と刻まれた石柱が立っていて、 その先には白い幟が並んでいました。 ここが杉本寺の入口になります。 短い石段を過ぎていくと、長い石段が始まります。 (伽藍配置図
杉本寺
宗派:天台宗、 山号寺号:大蔵山杉本寺、 建立:8世紀、 開山:行基、 開基:光明皇后
鎌倉幕府が成立する500年も前の奈良時代(8世紀)に、行基が開いたと伝える鎌倉最古の寺です。 行基は奈良の大仏造営への貢献や貧民救済の社会事業などで知られています。 その後、光明皇后の寄進で本堂が建てられたと言われています。 本尊の十一面観音像三体は、国または市指定の重要文化財で、うち一体は行基の作とされています。 坂東三十三観音霊場の第一番札所で、8月10日の縁日は参拝者でにぎわいます。
 (鎌倉市)
杉本寺伽藍復興大勧進御案内
縁起にありますように、当山は天平6年(734)光明皇后の御願により、 行基菩薩が開山となられ自ら一刀三礼され、十一面観世音菩薩を本尊として奉安し創建されました。 爾来坂東第一番の観音霊場として日夜祈念修法されて参りましたが、鎌倉・室町時代の大火・兵火に遭い、 江戸期に於いては一時期無住の時もあり、後の明治の廃仏毀釈、又震災等により寺運も衰微し、 七堂伽藍も観音堂等を除き、悉く焼失倒壊していしまいました。 昭和48年より伽藍復興大勧進の一つとして茅一束運動を進めて参りましたが、 全国はもとより遠くハワイ欧米の方々も含め多くの皆様のご協力、ご協讃により浄財を得まして、 左記のごとく円成の運びと相成りました。 これもひとえに御本尊の御加護と皆様の御信仰の賜物と住職並びに世話人一同厚く御礼申し上げます。 引続き勧進を進めて参りますので、今後とも皆様のご協力ご協讃を切にお願い申し上げます。
 (住職、世話人一同 合掌)
仁王門は茅葺替作業が行われていて、両側の仁王像にはシートが被せられていました。 門を過ぎていくと、左手には書院・庫裡があり、右手には大蔵弁財天と弁天池があります。 その先には正面へ続く苔生した石段がありますが、現在では柵で閉ざされていて、 左側に新たな階段が設けられています。 階段を登っていくと道が左右に分かれています。 左手の道は民家へ続いていて、途中からは衣張山などを見渡すこともできます。 右へ曲がったすぐ先に観音堂があります。 茅葺き屋根の立派なお堂で、この時には開帳されていました。 その右手には六地蔵や鐘楼があり、その傍には五輪塔が沢山ありました。 奥には「熊野大権現・白山大権現」の扁額の掛かる鳥居があり、 その先に茅葺き屋根の小祠がありました。 小祠の左右と裏側には石祠もありました。
文学案内板 杉本寺
○尾崎迷堂句碑
(表)春潮や 南海補陀落 山の下 迷堂
(裏)手をかざし 見けるは秋の 燕哉 迷堂
尾崎迷堂句(明治24〜昭和43 1891〜1970)
僧侶で本名を光三郎、法名を暢光という。 山口市に生まれ、僧の修業をした後、寺の住職を勤めるかたわら、俳句の道に精進した。 特にこの杉本寺の住職時代と、大磯の慶覚院住職の時代がよく知られている。 俳句は高浜虚子が選者を担当した『国民新聞』の投句から始まり、 大正4年(1915)に松根東洋城が創刊した『渋柿』の同人となり、 その後『あら野』を経て、昭和11年(1936)に『えがら』を創刊して活動し、 最後は『ぬなは』を拠点として活躍した。 その作風は高雅繊細で、しかも気魂を持っているといわれる。 迷堂は、大正14年から昭和17年まで、この杉本寺の住職を勤めたが、 その間土地の人々と俳句を通して交流を深めた。 昭和45年3月、住職をしていた大磯の高麗山慶覚院で没した。 句集には「弧輪」(昭和16年)、「雨滴」(同26年)、「芙渠」(同41年)などがある。 「雨滴」の中から、鎌倉に関する句を抄出する。
  歳旦 初鶏や 谷合奥の 十二所
  春 荏柄天神社一句 古ルの絵は 磴すぐ下の 春田かな
詳細は鎌倉文学館にお尋ねください。
 (鎌倉市教育委員会、鎌倉文学館)
杉本寺から引き返してきて県道204号をその先へ進んでいきます。 すぐにある犬懸橋を見送っていくと報国寺入口交差点があります。 右手を流れる滑川に架かる華の橋を渡っていくと報国寺がありますが、 少し先にある浄妙寺を訪ねてから報国寺へ向かうことにしました。 華の橋を見送っていくと、1分もしない所に浄明寺バス停があります。 角には「ここは浄妙寺」の道標があります。 県道は右手へ曲がっていきますが、ここから左手へ分かれていく道に入っていきます。
砂防指定地 滑川
この土地の区域内において宅地造成・家屋の新築・土採取等の行為をする場合は、 神奈川県知事の許可が必要ですから、藤沢土木事務所に御相談下さい。
 (神奈川県)
バス停の名前は「浄明寺」ですが、お寺の名前は「浄妙寺」と書くようです。
浄妙寺
桜並木が続く路地を真っ直ぐに1分半ほど進んでいくと、 正面の石段を登った所に浄妙寺の山門があります。 手前には「稲荷山浄妙禅寺」と刻まれた石柱が立っています。 山門をくぐって境内に入っていくと、 すぐの所に「浄妙寺境内ご案内」と題した案内図があるので参考にしましょう。
浄妙寺
宗派:臨済宗建長寺派、 山号寺号:稲荷山浄妙寺、 建立:文治4年(1188)、 開山:退耕行勇、 開基:足利義兼
源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣・足利義兼が、退耕行勇を開山として建立しました。 行勇は源頼朝や政子が帰依した高僧です。 鎌倉五山第五位の由緒ある禅宗の寺で、室町時代は境内に23の塔頭を持つ大寺院でした。 現在は総門、本堂、客殿、庫裡が残っています。 茶室・喜泉庵と枯山水の庭は平成3年に復元されました。 本堂の奥にある鎌足稲荷神社は鎌倉の地名の由来になったとされています。
 (鎌倉市)
歴史的風土保存区域・風致地区・近郊緑地保全区域図
この色分けした地区は、歴史的風土保存区域・風致地区・近郊緑地保全区域を示したものです。 これらの区域内で建築物等の新築・増改築、土地の形質変更、木竹類の伐採等の行為を行う場合は、 許可もしくは届出をしなければなりません。
 (神奈川県横須賀三浦地区県政総合センター環境部、鎌倉市役所)
庭木が植えられた参道を真っ直ぐ進んでいくと、短い石段を登った所に本堂があります。 右側には庫裡と思われる建物があり、左側には枯山水庭園や喜泉庵がありました。 本堂の左側を進んでいくと、正面の藤棚の先には墓地が広がっていました。 その手前から左へ曲がっていく道に「石窯ガーデンテラス」の案内標識が立っていたので、 それに従って石段混じりの道を登っていきました。
鎌倉札所第九番 浄明寺 浄妙寺
聖観世音菩薩
はるばると まゐりておがむ 観世音 ほとけのおしへ 阿弥陀乃浄土
鎌倉五山 臨済宗 浄妙寺
墓参については、火気に充分注意し、尚墓地内の清掃にはお互いに気をつけましょう。
広めの舗装路に出て右手へ更に登っていきます。 道端にはベンチも設置されていて、良い雰囲気になっていました。 程なくして道が二手に分かれています。 「散策路 衣張山一望」の標識が右手の道を指していたので、 どんな所かと思って登ってみることにしました。 トイレの脇を過ぎて樹木が生い茂る庭園風の石段を登っていきました。 ひと登りして高みに着くと、ベンチが一つ設置されていました。 振り返ると衣張山が見えていました。
高みの先へ降って庭園の中を進んでいきます。 左へ曲がっていくと木道に出ました。 木道はすぐ先にある石窯ガーデンテラスへと続いていますが、 入口への道を見送って舗装路を降っていきました。
石窯ガーデンテラスへようそこ
新緑の爽やかな風。 イングリッシュガーデンの花。 薪の炎を浴びた素朴で味わい深い石窯パン。 吟味したお食事。
Open 10:00〜17:00
焼きたてパン、オリジナルアートフラワーの販売もShopにて致しております!
報国寺
浄妙寺の本堂に戻って山門から出ていきます。 報国寺入口交差点まで引き返して華の橋を渡っていきます。 袂には「報国寺130m」の標識が立っていて、橋の先へ続く道を指しています。 住宅地に続く登り坂になった道を進んでいくと、参拝者専用駐車場の先に報国寺の山門があります。
報国寺
宗派:臨済宗建長寺派、 山号寺号:功臣山報国寺、 建立:建武元年(1334)、 開山:天岸慧広(仏乗禅師)、 開基:足利家時
足利、上杉両氏の菩提寺として栄えました。 開山は五山文学を代表する天岸慧広(仏乗禅師)です。 仏乗禅師は、中国より招聘された円覚寺の開山・無学祖元に師事し、のちに中国へ渡って修業した高僧です。 開山自筆と伝えられる「東帰集」や自ら使用した「天岸」、「慧広」の本印は国の重要文化財で、 鎌倉国宝館に保管されています。 孟宗竹の竹林が有名で、竹の寺とも言われています。
 (鎌倉市)
歴史的風土特別保存地区指定地図
昭和63年6月17日から、この地区は、歴史的風土特別保存地区になりましたので、 建築物、工作物の新築・改築・増築、土地形質の変更、木竹の伐採、土石の類の採取、 建築物、工作物の色彩の変更、屋外広告物の表示又は、掲出及び水面の埋立又は、 干拓の現状変更行為をするときは、許可がいります。 違反すると刑罰に処せられます。 なお行為の申請、質問等の申出は下記へ。
 (神奈川県横須賀三浦地区行政センター環境部、鎌倉市役所)
山門をくぐって樹木の生い茂る庭風の参道を進んでいきます。 竹樋から水が流れ落ちていたりもしますが、「この水は飲めません」となっていました。 右側にある石段を登っていくと本堂があります。 左手には茅葺きの鐘楼もあって雰囲気のいい境内になっています。 鐘楼の側には沢山の五輪塔が並んでいて哀悼歌を刻んだ石碑もありました。
鎌倉札所第十番 浄明寺 報国寺
聖観世音菩薩
よきにつけ あしきにつけて みほとけを たのむわかみは いさくにのため
本堂の左手の入口から入っていくと、見事な竹林「竹の庭」が広がっています。 散策路の脇には石仏が並んでいたり、苔生した石灯籠が立っていたりもします。 右手の方の岩壁には大きな洞が幾つか開いていて五輪塔などが沢山納められていますが、 手前に柵があって傍へは近づけません。 竹林の奥の方には「竹の庵」があって抹茶を頂くこともできます。
巡礼古道
報国寺を後して左手に続く道を進んでいきます。 浅い谷筋の水路沿いに緩やかな登り坂が続いています。 2分ほど進んでいくと左手に分かれていく路地があります。 角に立つ電柱には「浄明寺二丁目6」の住所表記があります。 その脇に「巡礼古道」と書かれた小さな板切れが括り付けられていて、 左手に分かれていく道を指しています。 正面の道は旧華頂宮邸を経て浄明寺6丁目沿いの尾根へ登っていけますが、 今回はここを左折して、巡礼古道へ入っていきます。
(正面の道は「巡礼古道」を参照)
浄明寺宅間C地区急傾斜地崩壊危険区域
この区域内で、のり切・掘削・伐採等を行う場合は、知事の許可が必要ですから右記へお問合わせ下さい。
 (神奈川県藤沢土木事務所)
住宅の間に続く細い路地を進んでいくと、正面に補強工事を施された崖が現われます。 そこから続く石段を登っていきます。 石段を登り切ると道が左右に分かれています。 正面には木の枝で「←・×」と書かれた看板が立っていました。 右手へ登っていく道の先には柵があって立入禁止のようなので、 左手へ進めという意味のようでした。 金網柵に沿って続く細い道を登っていくとロープが設置されていたりもします。 苔生した石段を登っていくと、降り始める所から右手へ道が分かれていきます。 金網柵沿いの道には木が置かれていて通行止めのような雰囲気でした。 道標などは見かけませんでしたが、巡礼古道は右手へと進んでいきます。
雑木と杉・桧が混じる斜面を横切るようにして登っていきます。 2分ほど登って崖の縁に出ると、柵が設置されていました。 少し左へ曲がっていくと、 傾斜がある所には苔生した石段が敷かれていて、古くからある道であることが分かります。
道端には「庚申塔」と刻まれた板碑が幾つも残っていて、「巡礼古道」である雰囲気が出てきます。 往時の巡礼道には沢山の石仏が並んでいたのだそうですが、この時には石仏は見かけませんでした。 開発の波に押されて消えていったのでしょうか。
金剛窟地蔵尊
板碑が続く石段混じりの古道を登っていきます。 巡礼古道の入口から8分ほどで道が二手に分かれています。 角には庚申塔の板碑もありました。 古道は右手へと続いているのですが、左手のすぐ先に地蔵尊があるので立寄っていきました。 広くてなだらかになった道を左へ進んでいくと、すぐに小広くなった所があります。 そこの岩壁に洞が開けられていて、その中に地蔵尊が安置されていました。 脇には庚申塔もあり、竹製の熊手が立て掛けられていたりもします。 「金剛窟地蔵尊」と書かれた小さな標識があったので、 この地蔵尊の名前なのでしょう。
手前の分岐まで引き返して、その先へと進んでいきます。 「庚申塔」と刻まれた板碑が点々とある道を2分ほど進んでいくと、道端に大きな岩があります。 その下は人工的に削られた跡が見受けられました。 何のためのものかは分かりませんでしたが、以前には石仏や石碑などが置かれていたのでしょうか。 大岩の左の石段を登って、その先へ続く緩やかになった道を進んでいきます。
今でもかなり歩かれているのか、道はしっかりとして明瞭になっています。 所々には数10cm〜1mほどの大きさでコンクリート製の浅い長方形のものが置いてありました。 かなり古くから置かれているようで苔が生えていたりもしました。 何の目的で置かれているのかは分かりませんでしたが、 雨水が溜まっていたりして、ちょっと手などを洗うのには良さそうでした。
大岩を過ぎて4分ほど進んでいくと、道端に石碑がありました。 「奉納百八十八番…道」,「安永七戌年六月吉日」などと刻まれていたので、 江戸時代の中期(1778)に建てられた石碑のようでした。
(「…」の部分は判読できませんでした)
小さなアップダウンを繰り返しながら、登り基調の道が斜面に沿って続いています。 山際に続く緩やかな道を進んでいくと、浄明寺6丁目の住宅地に出ました。 金剛窟地蔵尊から15分ほど、巡礼古道の入口から25分ほどで歩いて来られました。 出た所の左手の岩壁には「巡礼古道 報国寺15分」の標識が取り付けられていて、今来た道を指していました。 住宅地の道路に出てすぐ右手から続く広めの散策路へ入っていきます。
火気に注意
緑の山を火事から守ろう
ゴミは持ち帰りましょう。
来たときよりも美しく ゴミをみつけたら拾ってね
 (鎌倉凧の会)
車止めを過ぎていくと、広い散策路が続いていました。 すぐに「←巡礼古道・衣張山→」の道標が立っていました。 鎌倉ハイランド自治会の防災倉庫4と防災倉庫3を過ぎていくと、右手から登ってくる道があります。 以前には小さい道標もあったのですが、この時には見かけませんでした。 右手の道は、巡礼古道の入口の所を直進して旧華頂宮邸を経てきた道になります。 ここは正面に続くなだらかで広い散策路を進んでいきます。
(右手の道は「巡礼古道」を参照)
浄明寺緑地
散策路のすぐ左側には住宅地の道路が並行しています。 右手から柵が近づいてくると、幅の広い横木の階段が現われます。 階段をひと登りして、柵沿いに続く緩やかな道を右手へ進んでいくと、広い場所に出ました。 名前を記した標識は見かけませんでしたが浄明寺緑地というようです。 高みを越えた所には藤棚が設置された休憩所がありました。 テーブル・ベンチも設置されていて、、住宅地の傍にある自然公園になっているようでした。
藤棚を過ぎていくと、小さな池がありました。水草が沢山生えていて生き物も棲んでいるようでした。 この時には池の中程にある蓮が、綺麗な花を咲かせていました。
この池は、生き物を観察するために作りました。 中に入ったり、かき回したりしないで、生き物をやさしく見守って下さい。
チョウの食草
春から秋にかけて、浄明寺緑地ではいろいろなチョウを観察することができます。 特にキチョウ・ヤマトシジミは9月〜10月にかけて多く見ることができます。 これはそれぞれのチョウの食草であるハギ(キチョウ)やカタバミ(ヤマトシジミ)がたくさんあるからです。 このように、さまざまなチョウを呼び寄せるにはそのチョウの幼虫が好んで食べる草や樹木(食草)を植える必要があります。 私たちは、この広場にさまざまな食草を植えてみました。 一度じっくりと観察してみませんか。 きっと幼虫を見つけることができるでしょう。 ただし、幼虫たちのまわりにはハチ・クモ・鳥などの天敵が沢山います。 あなたが見つけた幼虫もこれらの天敵からのがれて、やっと大きくなったのです。 あたたかく見守ってあけましょう。 なお、成虫(チョウ)が好む花や幹から甘い液の出る樹木を植えたり、 水分を補給する事のできる水場も作ってみました。 こうした場所も観察してみましょう。 この緑地で見ることのできる主なチョウを紹介します。 このほかにもチョウはたくさん飛んでいます。 図鑑で食草とチョウの姿を調べてみましょう。
アゲハチョウ 3〜10月、年4〜5回出現。疎林や林の周辺に生息。最近は都市部にも多くみられます。食草/カラタチ、サンショウ
アオスジアゲハ 5〜9月、年2〜3回出現。照葉樹林の周辺に生息。街路樹のクスノキにも産卵に訪れます。食草/クスノキ、タブノキ、ヤブニッケイ
クロアゲハ 5〜9月、年3回出現。疎林や林の周辺に生息。最近は都市部にも多くみられます。食草/サンショウ、カラタチ、ユズ
モンキアゲハ 5〜10月、年1〜3回出現。疎林や林の周辺に生息。食草/カラスサンショウ
キチョウ 6月〜周年、成虫で越冬。疎林や渓流沿いの草地に生息。食草/ハギ、ネムノキ
ヤマトシジミ 5〜9月、年3回出現。耕作地周辺に生息。カタバミさえあればどこにでもいます。食草/カタバミ
アカタテハ 5〜9月、年4〜5回出現。疎林や人家周辺に生息。樹液や果汁も吸います。食草/カラムシ、イラクサ
コミスジ 4〜11月、年3〜4回出現。林の周辺に生息。食草/クズ、ハギ、フジ
池を過ぎて林の中へ入っていくと、道が左右に分かれています。 道標類は見かけませんでしたが、右手の道は衣張山へ登っていく道で、巡礼古道は左手へと続いています。 左手へ進んでいくと、すぐの所に小祠があって、中には赤い頭巾と前掛けをしたお地蔵さんが安置されています。 少し首を傾げて何やら思案中のようです。 脇には竹箒が立て掛けられていて、今でも綺麗に掃除などの手入れが行われているようでした。
三浦半島の自然が危ない
外国から持ち込まれたアライグマや台湾リスなどの外来生物が増えています。 自然の中の動物や植物は、食べたり、食べられたり、すみ分けをして自然のバランスを保っています。 ここに外来生物が侵入してくると、自然のバランスが崩れてしまいます。
三浦半島の自然環境を未来に渡すための予防三原則
入れない 悪い影響を及ぼすかもしれない外来生物をむやみに日本に入れない。
捨てない ペットとして飼っている外来生物を自然の中に捨てない。
拡げない 自然の中にいる外来生物をほかの地域に広げない。
まずは、アライグマやタイワンリスにエサを与えない!
 (神奈川県横須賀三浦地域県政総合センター、鎌倉市)
お地蔵さんと別れてその先へ進んでいくと、かまくら幼稚園の裏手に出ます。 住宅地の道路に並行するようにして続く広い散策路を進んでいくと、 「関東の富士見百景」の説明板がありました。 右側の樹木が低くなっていて、山並みなどを見渡せる眺めが広がっていました。 富士山は何処だろうと探してみても、手前の鎌倉の山が見えるだけで、遠くは霞んでいて見えませんでした。 「逗子鎌倉ハイランドからの眺望」と題した写真が掲示されていて、 ここから見える山の名前と標高が書き込まれていました。
関東の富士見百景
富士山の見えるまちづくり
地点名 鎌倉市からの富士
 (平成17年11月 国土交通省関東地方整備局、(社)関東建設弘済会)
逗子鎌倉ハイランドからの眺望
大観山1015、二子山1091、駒ヶ岳1327、神山1438、大湧谷、明星ヶ岳924、明神ヶ岳1169、 金時山1213、富士山3776、御坂峠1520、三ッ峠山1786、蛭ガ岳1673、大山1252、丹沢山1567
鎌倉市子ども自然ふれあいの森
やがて森の中へと入っていきます。 少し進んだ所にある左手に分かれていく階段を進んでいきます。 水路に架かる小さな橋を渡っていくと舗装道路に出ます。 この辺りは鎌倉市子ども自然ふれあいの森になっていて、その案内図もありました。 パノラマ台や水道施設の傍の展望広場などが図示されていました。
鎌倉市子ども自然ふれあいの森
この森は、子どもたちが自然やお年寄りをはじめとする人々とのふれあいを通して さまざまな体験ができる場として整備したものです。 みんなで仲良く大切に使いましょう。
きまり
1.樹木を大切にしましょう。
2.騒音を出すなど、近隣に迷惑なことはやめましょう。
3.火の使用はやめましょう。
4.犬はリードから話さないようにしましょう。
5.犬の糞は、飼い主が始末しましょう。
6.ゴミは持ち帰りましょう。
 (鎌倉市)
舗装道路に出て右手へ曲がって、緩やかな坂道を登っていきます。 左手へ曲がっていく角から右手へ土の道が分かれています。 舗装道路をそのまま進んでいくと、先ほどの案内図にあった展望広場へと続いていますが、 今回は右手の土の道へと進んでいきます。 角には首を傾げたお地蔵さんが佇んでいます。 どうもこの辺りには首を傾げた地蔵が多いようです。 無理なお願いをする人間達に少々嫌気が差しているのでしょうか。 お地蔵さんの少し先には狐像もありました。
鳥はともだち
ヒヨドリ (ヒヨドリ科) 全国に分布し、人家付近や林で最も普通。スズメの2倍位の大きさで、尾が長く灰色の体。 春、秋に群れで移動する。ピーヨピーヨと騒がしく鳴く。
キジバト (ハト科) ヤマバトとも呼ばれる。明るい茶色で首に黒と青白いしま模様がある。 デデッポーとのんびりした声で鳴き、地面をこのこの歩いて餌をとる。
カワラヒワ (アトリ科) 河原や林などで普通。スズメ大の鳥で、オリーブ色の丸味をおびた体形。 飛ぶと翼に黄色の帯が目立つ。キリリコロロ、その合間にビィーンビィーンとさえずる。
シジュウカラ (シジュウカラ科) 林に普通の鳥で、巣箱をよく利用する。スズメ大で、よく動きまわる。 黒い頭に白いほお、胸から腹に黒いネクタイ状の模様。 ジュクジュク、ツーピーツツピーなどと鳴く。
オナガ (カラス科) 低地から山地の村落や木の多い市街地に普通。灰色の体、水色の長い尾に黒の頭。 10羽ほどの群れで生活し、雑食性。グェーグェー、キュイキュイと鳴く。
ムクドリ (ムクドリ科) 畑や芝生に普通。スズメより10cm位大きい。くちばしと脚のオレンジ色、飛んだときの腰の白が目立つ。 秋から冬に大群をつくる。キュルキュル、リャーリャーと鳴く。
トビ (ワシタカ科) 翼を広げると160cm位のタカの仲間。全国に普通。 特に海岸や湖沼近くに多く、魚や小動物の死んだものを食べる。 体は黒褐色で、鳴き声はピーヒョロヒョロヒョロ。
スズメ (ハタオリドリ科) 最も身近にすむ鳥。茶褐色の体。顔は白く、ほおに黒い斑がある。 チュンチュンと鳴いて、地上のえさを食べる。繁殖期には昆虫を多く食べる。
モズ (モズ科) スズメよりやや大きい。かぎ状のくちばしをもち、頭が大きく、尾が長い。 とまっているとき、尾をゆっくり回す。秋にキィーキィキィキィと高鳴きをする。
ウグイス (ヒタキ科) やぶやササの中にいて、姿はあまり見せない。スズメ位の大きさで、地味な茶褐色の体。 繁殖期にはホーホケキョと鳴く。冬の地鳴きはチャッチャッ。
コジュケイ (キジ科) 下草の多い林などに数羽の群れですみ、地上で餌をとる。 ハトよりやや小さい。体は丸く、愛らしい。鳴き声はよく響き、チョットコイ、チョットコイと聞える。
アオバズク (フクロウ科) 初夏の青葉の頃、神社や寺などの木の多い林にやってくる。 ハト位の大きさ。夜行性で、昆虫や小鳥などを食べる。ホッホー、ホッホーとくり返して鳴く。
ハシボソガラス (カラス科) 雑食性で、全国に普通。 都市部よりも開けた農耕地を好む。ハシブトガラスよりやや小型でくちばしも名の通り細い。 ガアガアと濁った声で鳴く。
メジロ (メジロ科) 全国で普通に見られ、常緑広葉樹林に多い。 スズメよりやや小さい黄緑色の体で、目のまわりが白い。 甘い物が好きで、ウメやツバキの花の蜜を吸う。チー、チーと鳴く。
ホオジロ (ホオジロ科) 全国で見られ、明るい林や草地を好む。スズメ大の鳥で茶色の体。 顔は黒と白の斑(雌は褐色と白)。チチッチチッと鳴き、木のてっぺんで胸をそらせてさえずる。
パノラマ台分岐
雰囲気のいい雑木林の中の緩やかな道を1分ほど進んでいくと分岐があります。 角に立つ道標によると、右手に分かれていく道は「パノラマ台」、 左手の道は「名越切通」、今来た道は「子ども自然ふれあいの森」となっています。 巡礼古道は左手へと続いていますが、右手の道からパノラマ台まで往復してくることにしました。
この道は、巡礼古道です。 みんなで守りましょう。
 (名越切通・巡礼古道保全の会)
パノラマ台
分岐を右手へ進んでいくとすぐに横木の階段が始まります。 途中で緩やかになったりもする横木の階段を2分ほど登っていくと、小高くなったパノラマ台に着きます。 周りは柵で囲まれていて、先の方にベンチがひとつ設置されています。 標高110mほどの低いピークですが、360度の眺めが広がっています。
南西には逗子の街や海、西には鎌倉の街や海、北には衣張山、東には展望広場が見渡せます。 相模湾に浮ぶ江の島や箱根連山、丹沢山塊なども見渡せ、 条件がいいと富士山も綺麗に望むことができる所です。 この日は生憎と霞んでいて、稲村ヶ崎の辺りまでしか見えず、 江の島やその先にあるはずの丹沢・箱根・富士山などは見えませんでした。
(画像をクリックすると、四方の眺めを順に表示します)
名越切通分岐
パノラマ台から分岐まで引き返して、道標「名越切通」に従って進んでいくと、道の真ん中に杭が何本か立っています。 ここで道が二手に分かれています。 角に立つ道標によると、正面へ降っていく道は「名越切通・大切岸方面」、 今来た道は「ハイランド方面」となっています。 左手に分かれて登っていく道には何も示されてはいませんが、 左手の少し先の樹木に 「この先巡礼の道 古道なり」と書かれた張り紙がありました。 正面の道は大切岸を経て名越切通へと続いていますが、今回は左手の道を登っていきます。
(正面の道は「鎌倉大町」, 「鎌倉回峰」, 「名越切通」, 「名越切通」, 「巡礼古道」を参照)
笹竹の生い茂る横木の階段混じりの坂道を登っていくと、30秒ほどで右手から登ってくる道が合流してきます。 先ほどの名越切通分岐を直進していった所から分かれて登ってくる道です。 右手の樹木が切り払われていて、逗子の街並みや海を見ることができました。
展望地
右手からの道を合わせて左手へと曲がっていく道を更に登っていくと、 すぐに逗子市消防本部の設置する緊急時の通報番号を示す「山火事注意 ひさぎ16」の看板が立っています。 そのすぐ先の樹木が切り払われていて展望地になっています。 ベンチも一つ設置されていて、景色を眺めながらひと休みするのにはいい場所です。 先ほど登ったパノラマ台の向こうには鎌倉の街並みや海が広がっていました。 天気が良いと富士山も見えるのですが、この時は霞んで見えませんでした。
小ピーク
展望地の先へと横木の階段をひと登りすると小ピークに着きます。 パノラマ台とほぼ同じ標高110mほどはあるようです。 左手の下には水道設備がありますが、金網で仕切りをされていて降りていくことはできません。 水道設備の先に展望広場があって、 先ほどの鎌倉市子ども自然ふれあいの森から続く舗装道路をそのまま登っていくと行かれます。 その奥の方には衣張山が見えています。
このピークの名前は通称「水道山」と呼ばれているようですが、 本来は「浅間山」というのだそうです。 現在ではこの北北西600mほどにある標高120.1mの衣張山を誤って「浅間山」と呼ぶことが多いようですが、 間違われるのは、「浅間山の位置取り違え事件」が根底にあるようです。
小ピークからは金網に沿って細い踏み跡がありますが、右手へと分かれていく山道を降っていきます。 傾斜が急になったり緩やかになったりする尾根道が雑木林に続いています。 笹竹が生い茂っていたりもしますが、道はしっかりと続いています。 左手の樹木の間からは鎌倉逗子ハイランドの住宅地が見えています。
名越溜池分岐
小ピークから4分ほど降った所で道が二手に分かれています。 右手の道には「ひさぎ15」の看板が立っています。 以前には分岐の手前の左側に立っていたのですが、位置が変わっていました。 右手に分かれて降っていく道を指す「名越ため池10分」の小さな道標もあったのですが、 この時には見かけませんでした。 正面に続く尾根道は久木8丁目へ降りていけますが、 今回はここから右手の道を名越溜池へと降っていきます。
(正面の道は「巡礼古道」, 「名越切通」, 「衣張山」を参照)
右手の道を降り始めると、道端に「奉納百八十八番…道」と刻まれた石碑がありました。 浄明寺6丁目の住宅地に出る手前で見かけたのと同じような石碑でした。 名越溜池分岐の正面に続く尾根道を進んでいった途中に「ひさぎ14」や「ひさぎ13」の看板があることを思うと、 現在のハイキングコースは正面の尾根に続いているようですが、 往時の巡礼古道は今回歩いている方の道のように思えてきました。 分岐から3分ほど降って道幅が狭まってくると、大きな岩の脇を過ぎていきます。
少し登って小尾根を進むようになると、岩を過ぎて1分ほどの所から左手へと道が降っていきます。 正面の尾根にも踏み跡らしいものがあって分岐のようにも思えましたが、 しっかりとしている左手の道を降っていきました。 落ち葉が積もっていてフワフワする道を降っていきます。 大きな倒木の前を右へ曲がり、左傾斜の斜面に続く道を降っていくと、 左手の樹間からは畑が見えるようになってきます。 草が生い茂る所を抜けていくと、名越溜池分岐から10分ほどで住宅地に降り立ちました。 住宅の横に続く道を真っ直ぐ進んでいくと、電柱に「久木九丁目6」の住所表記が取り付けられていました。
名越溜池
舗装路になった道を1分ほど進んでいくと、道が左右に分かれています。 角には竹製の道標が立っていて、右手の道は「名越里山」となっていました。 車道へは左手へ進んでいくのですが、名越里山とはどんな所なのか気になったので、 ちょいと立寄っていくことにしました。 右手の坂道を登っていくと、すぐ右側に名越溜池がありました。 道の左側は「名越緑地」になっているようでした。
名越緑地
この緑地は「ナショナル・トラスト緑地」として指定され、 財団法人 ひどりのまち・かながわ県民会議の助成により保存しております。 残された貴重なみどりをみんなで守りましょう。
所在地 逗子市久木9丁目1835-2他、 面積 2,428u
 (逗子市)
あぶない!!
いけにはいらないようにしましょう。
名越谷戸
名越溜池を過ぎて、山際に続く道を進んでいくと、少し開けた名越谷戸に出ます。 竹製の掲示板があって、「名越谷戸の生き物たち」と題した資料が掲示されていました。 オオタカ・ノスリ・マガモ・キセキレイ・ハクセキレイ・モズ・シメ・ホオジロ・ムクドリなどが載っていました。 掲示板を過ぎて畑が広がるようになった谷戸を進んでいくと、道が二手に分かれていました。 正面の谷戸への道の入口には「この先行き止まり 通り抜けできません」の看板が出ていました。 右から正面へと続く道には「逗子名越緑地里山の会」の看板が立っていました。 看板を過ぎて奥へ進んでいくと、民家の所で行き止まりになっていました。
「逗子名越緑地里山の会」活動地域
この地域では、逗子の原風景である谷戸の自然(田んぼ・竹林・溜め池や湿地など)を市民が中心となって守り育てています。 楽しく自然に親しみ、生き物たちがにぎわい集う里山をめざして活動しています。 誰でも参加できます。
 (逗子名越緑地里山の会)
本事業は市環境部緑政課と市民の協働により構成されています。 詳しくは市環境部緑政課迄お問い合わせ下さい。
 (逗子市環境緑政課)
マムシに注意!
草の茂った所や湿った所にいます。 危険な生き物ですが、棒でつついたり、石を投げたりしなければ、人に襲いかかるようなことはありません。 知らずに踏んだり、草むらにいるのを気づかず、手を入れて、咬まれることが多いです。 マムシがいることは豊かな自然の証拠です。 殺さないでください。
「名越里山」の道標の所まで引き返してその先へ進んでいくと県道205号に出ます。 JR横須賀線の線路沿いに続く県道を左手へ進んでいきます。 久木ハイランド入口交差点を直進し、久木五丁目バス停を過ぎていきます。 石碑が5つほど並んだ所を過ぎていくと、線路から離れて左へ曲がっていく所から左へ分かれていく路地があります。 角にある住宅には「坂東三十三観音霊場 岩殿寺 この先450m」の看板が掲げられていました。 右側には堰場踏切があります。 ここを左折していきます。
20秒ほど進んだ所の十字路を左折していきます。 住宅地に続く道を2分ほど進んでいくと再び十字路があります。 角には「坂東三十三観音霊場 第二番 岩殿寺」の看板が出ていて、左手の道を指しています。 看板に従って左折して住宅地を1分半ほど進んでいくと道が二手に分かれています。 広めの道は右へ曲がっていきますが、 角の植え込みの中に掲げられた標識「坂東三十三観音第二番札所 岩殿寺 入口」に従って、 正面に続く細めの道を進んでいきます。 軽い登り坂になった道を30秒ほど進んでいくと、 「坂東三十三観音霊場第二番札所 岩殿観音」と刻まれた石柱が立っています。
保存樹林指定標識
この樹林は、所有者のご協力により保存樹林として市が指定するものです。 "みどりが息づくコンフォート・エコタウンをめざして"残された貴重な緑をみんなで守りましょう。
 (逗子市)
岩殿寺
「奉納 南無観世音菩薩」の赤い幟や坂東三十三観音霊場札所御詠歌碑が並ぶ坂道を進んでいくと、 正面に岩殿寺の山門があります。 入口の脇には「岩殿寺縁起」の真新しい石碑がありました。
岩殿寺縁起
相州三浦郡久野谷郷(神奈川県逗子市久木)海前山岩殿寺(現在は海雲山となっている)の由来は 皇統四十五代の聖武天皇の勅願による大和の国(奈良県)の長谷寺の開山山本願徳道上人が、 この地に下向されたときに始まる。 それゆえ、当山は徳上、行基両聖人の開基といわれている。 また、大悲殿前から南海を見渡せるので、山を海前(現代は海雲山)と名付け、 岩窟が自然の伝道のようであったので、寺を岩殿寺と号したといわれる。 正暦頑健庚寅春三月十七日六十五代花山法皇が来山され、御自身導師となられて百僧法要御供養を営なまれた。 従僧は仏眼上人、弁光僧正、良窓上人、元光上人、伝光僧都、満願上人、威光上人であった。 又、承安四年四月十八日七十七代後白河法皇が来山され、ここを坂東三十三ヶ所第二番の霊場とお定めになった。 なお、源頼朝が蛭ヶ児島にいた頃、文覚上人の勧めで、当時の本尊を厚く信仰し、 夢に現われてお告げを蒙ることがしばしばあったという。 戦乱の折、配色濃くなってからも、大悲の冥助を幾度も得て、立直れたというが、 なかでも石橋山敗軍のときは、観世音が船人となって頼朝を房州州崎に渡し、 たちまち十一面観世音の妙容をあらわして、三浦の方にとび去ったという。 頼朝は御報恩のため御来印を下賜され、治世の間は毎月欠かさず参拝されたという。 文治三年正月二十三日には頼朝公の姫が参詣。 建久二年子の三月には三浦義澄同六兵衛義村参詣。 建久三年乙末の二月二十三日には頼朝公幕下参詣。 建久三年己卯の五月八日には御白河法皇四十九日の御仏事のため百僧集まり参詣。 この折に南堂を補修する。 承元三年五月五日には右大将実朝将軍参詣。 寛喜二年十一月十一日、大破せる伽藍再建のため、大僧正院家並び十二院の別当が日夜法要を修行され、 そのとき、鎌倉殿の命に依り、僧西願に勧進して堂宇を再建、 三代盟主三七日昼夜祈念したことが「東鏡」にも記されている。 しかし、その後また、ものかわり星うつりて七堂伽藍も荒廃し、寺院の面目もなかったものを 東照神宮(徳川家康)の御仁恵により境内ならびに田畑山林と御朱印を賜わり、その徳沢に潤い、 天正十九年十一月には県令長谷川七衛門長綱が荘厳なる堂宇を再建し、 且つ申し請けて寺領五石の御朱印を賜わったという。
(いじょう「東鏡」「三浦群誌」「相模風土記」および土地旧家覚之書による)
石段を登って山門をくぐっていくと、左手には本堂や納経所があり、右手には八角堂の利生堂などがありますが、 正面に続く石段を登っていきます。 数十段の石段を登って踊り場に着くと、「岩殿寺縁起」などの石碑や、弘法大師作とされる爪掘地蔵があります。 その左手から続く石段を更に登っていくと、観音堂があります。 右手には、小さな池・熊野権現社・蛇の蔵・弁財天などが、裏手の岩壁には「奥の院観音」が、 左手には稲荷明神社と猿田彦神社がありました。 境内には板碑などが沢山並んでいました。 岩殿寺の歴代の住職の墓石なども並んでいました。
逗子市指定重要文化財 岩殿寺観音堂
岩殿寺は坂東三十三観音札所の第二番で、縁起によれば、養老年間(717〜724)行基が開創し、 花山法皇や後白河法皇も来山されたと伝えられる古刹です。 また、鎌倉時代には将軍家の信仰が厚く、『吾妻鏡』には頼朝、政子、実朝らが参詣したと記されています。 現在の観音堂は、棟札によると享保十三年(1728)に時の住持萬英和尚が勧進により再建したもので、 造営の大工は鎌倉の蔵並杢之助藤原政吉と工匠清右衛門でした。 桁行三間、梁間五間の寄棟造で比較的小規模なものですが、 中世以来の伝統的な密教本堂形式をとりつつ、細部の構造は十八世紀前半の特徴をよく反映しています。 当堂は単に逗子市内の古建築であるだけでなく、鎌倉地方の近世建築の様式的展開を知る上で 一基準となる重要な建築であると考えられます。 なお、昭和六十三年の修理工事により、茅葺きから銅板葺となりました。
 (逗子市教育委員会)
熊野権現社の右側から続く階段を登っていきます。 左手へ曲がって尾根に続くコンクリート補強された道を登って高みに着くと、東屋風の建物がありました。 消えかかってはいましたが「瑞光亭」と書かれた板が掲げられていました。 少し傾いていてかなり年季が入っているようでした。 内側には仏法などに関する文章が書かれていました。 読み難い文字もあったので間違っている所があるかも知れませんが、参考までに載せておきます。 (入力不能文字はカナで書いておきました)
仏法
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、 生死の中に仏あれば生死なし、 但生死即ち涅槃と心得て生死として厭ふべきもなく、涅槃として欣ふべきもなし、 是時初て生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究盡すべし。 人身得ること難し仏法値ふこと希れなり、 今我等宿善の助くるに依りて己に受け難き人身を受けたるのみに非ず遭い難き仏法に値ひ奉れり 生死の中の善生最勝の生なるべし。 最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すすること勿れ。 無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身己に私に非ず、 命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし。 熟観する所に往事の再び逢ふべからざる多し、無常忽ちに到るときは國王大臣親ジツ従僕妻子珍寶たすくる無し、 唯獨り黄泉に赴くのみなり、己れに随ひ行くは只是れ善悪業等のみなり。 今の世に因果を知らず業報を明らめす、三世を知らず善悪を辨まへざる邪見の黨侶には群すべからず、 大凡因果の道理歴然として私なし造悪の者は堕ち修善の者は陞る、毫釐もタガはざるなし、 若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。 善悪の報に三時あり、一者順現報受二者順次生受三者順後次受これを三時といふ、 仏祖の道を修習するには、其最初より斯三時の業報の理を効ひ験らむるなり、 爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり、但邪見に堕つるのみに非ず、 悪道に堕ちて長時の苦を受く、當に知るべし、今生の我身二つ無し三つ無し、 徒らに邪見に堕ちて虚く悪業を感得せん、惜からざらめや悪を造りながら悪に非ずと思ひ、 悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて悪の報を感得せざるには非ず。 (修証義総序)
これは曹洞宗の修証義の教典より謹寫いたしました有難い教えです。 私たちが人間として生れてきた喜び、そして仏法の教えの中に生かされる感激業の大切さ等教え訓されております。 一縁の休息の時間、熟読玩味下さらんことを 合掌
昭和五十四年三月 海雲山 岩殿寺 當山十七世正教謹誌
合掌禮拝いたしましょう
私たちは生涯かけて祈っても祈りきれない、この世の中いは報恩があります。 私たちをこの世に誕生下さった御両親様は申すまでもなく、御先祖様、そして一縁の人たち、 更に忘れることのできない大自然(太陽、空気、水等)の恩懌、そして私たちの身体を支えて下さる動植物等、 考えをいたせばきりのない恩恵の数々です。 観音様は、こうして私たちの祈りの至らなさを三十三化身されて救って下さっておられる大恩ある仏様です。 私たちは自分が自分で生きていると思いがちですが、人間誰一人として、自分だけで生きられないのでs。 祈る−ということは、自分が多くの力に助けられて生かされているのだと気づいて報恩の心がおのずと 合掌禮拝の姿となるのです。
瑞光亭から振り返ると、逗子の海などを見渡せる眺めが広がっていました。 方角からすると、逗子湾や葉山港の辺りだと思われます。 観音堂の所からも見えますが、ここの方が少し高い所にある分だけ、眺めも良くなっていました。
瑞光亭を過ぎてコンクリート補強された道を降っていくと、 秩父三十四観音霊場の札所御詠歌が刻まれた板碑が並んでいました。 その奥に正教観音吉祥塔がありました。 脇には「長寿観音由来」と題した石碑があって、 杉本寺から岩殿寺へと続く巡礼古道はこの尾根を通っていたのが、 開発の波に飲まれて寸断されてしまったことが記されていました。 左側から塔の裏手へ続く道がありましたが、すぐに行き止まりになっていました。 往時はその先へと尾根道が続いていたようです。
長寿観音由来
かつて、この山頂より北(鎌倉二階堂)にかけて巡礼の古道があった。 征夷大将軍源頼朝は當山の観音様を守り本尊とされ、鎌倉で政権を執ってたい時代は 毎月十八日の観音様の縁日には必ず月詣りを、この古道よりされたと「吾妻鏡」は伝えている。 しかし、この由緒深き古道も時代の波というより、逗子市の圃地開発という政策により、 あえなく消え去ってしまった。 古道には多くの路傍の石仏が祀られていた。わずか一里の道とはいえ、 大樹の林立する尾根の景色は四季を通して素晴しく巡礼者の心を慰めた。 まことに多くの消滅した石仏をはじめ諸霊を供養する心を尊んで、 心を同じくする善男善女の方々と正教観音塔を造立した。 正教とは、お釈迦様の正しい仏道の教へよりいただいた。 観音様を信仰すると百二十七才余長寿すると伝えられる。 一縁の私達はこの尊い長寿の観音様に真心より私たちの子々孫々のために 世界の平和と人類の幸福を祈念しよう。
昭和五十二年五月吉十八日 海雲山岩殿寺十七世正教 合掌
板碑の手前から左手へ降っていく道があります。 石段を降ってコンクリート補強された道を進んでいきます。 送電線の鉄塔「逗子分岐21号」を過ぎていくと、左手に柵がありました。 その先には道が続いていて、観音堂の左手へ降りて行けるようでした。 尾根に続く道をそのまま進んでいくと、 向こう側を向いて立つ世界平和之碑があり、道はここで行き止まりになっていました。 礎石には「坂東三十三観音霊場第二番札所曹洞宗海雲山岩殿寺」, 「昭和五十四年八月吉日海雲山岩殿寺十七世正教代」と刻まれていました。 碑の上には聖徳太子像が載っていましたが、 世界平和や聖徳太子に関する解説文などは見かけませんでした。
観音堂まで引き返して石段を降り、岩殿寺を後にして逗子駅へと向かっていきます。 山門を出て住宅地を真っ直ぐに進んでいきます。 看板のあった先ほどの十字路を直進していきます。 突き当たりのT字路を左折したすぐの所から右手の路地へ入っていくと県道205号に出ます。 出た所には「坂東三十三観音第二番岩殿寺入口」の看板が立っていて、今来た道を指していました。 また「坂東二番観音霊場」の石碑もありました。 ここを左折して県道を進んでいきます。
逗子(ずしえき)駅
信号機のある交差点を二つ過ぎていくと、久木川に架かる風早橋を渡っていきます。 右手を走る線路に近づいてくると池田踏切がありますが、そのまま県道を進んでいきます。 登り坂になってくる道を進んでいくと、逗子駅(JR横須賀線)の西口に着きました。
(池田踏切を渡ってなぎさ通を抜けていってもいいのですが、少し遠回りになるようです)