高取山
散策:2009年05月上旬
【低山ハイク】 高取山
概 要 高取山は丹沢大山の南側にある低い山です。 今回は南側の林道から340m峰に登り、454m峰を経て高取山へ向かっていきます。 高取山からは、不動越から東側へ分かれていく道を通って沢筋へ降りていきます。 340m峰の脇からは江の島や真鶴半島などを見渡せる眺めが広がります。
起 点 秦野市 鶴巻温泉駅
終 点 伊勢原市 鳥居前バス停
ルート 鶴巻温泉駅…大椿橋…大住台…太郎のちから石…笠谷戸バス停…勝興寺…三嶋神社…鹿避け柵…林道終点…340m峰…山道出合…454m峰…ハイキングコース出合…聖峰分岐…高取山…栗原分岐…不動越…11番鉄塔…沢…林道…鹿避け柵…大山フィッシングセンター入口…水場…光月橋…鳥居前バス停
所要時間 4時間30分
歩いて... 林道から340m峰に登る道には笹竹が生い茂っていて藪漕ぎ状態の所もありましたが、 登り着いた山頂の脇からは、少し霞んでいたものの、三浦半島や伊豆半島も見えました。 不動越から東側へ降る道は細いながらも明瞭でしたが、 シダ類や細木などが結構生えているので、夏草が生い茂る季節は避けた方がいいようでした。
関連メモ 高取山, 聖峰, 高取山, 高取山, 浅間山林道, 念仏山, 浅間山, 弘法山公園, 弘法山公園
コース紹介
鶴巻温泉(つるまきおんせん)駅
鶴巻温泉駅(小田急小田原線)から歩いていきます。
北口にあるバスターミナルの階段を降った所にある横断歩道を渡って左手へ進んでいくと、右手へ道が分かれていきます。 角には道標「弘法の里湯 宮永岳彦記念美術館80m」,「吾妻山0.9km」,「弘法山公園 弘法山3.9km・権現山4.7km」が立っていて、 その右手の道を指しています。
駅前に「鶴巻温泉駅 名所・旅館案内図」があって、「弘法山ハイキングコース」が図示されています。 今回は「美ゆき」の角を右手へ進んでいくルートを歩きます。
落幡村村名保存碑
鶴巻地区は、昔は「落幡村」といい、江戸時代の天保期(1830年代)には、 戸数119戸を数える米の有数な産地でした。 地名の由来にはいくつかの説がありますが、代表的なものは、 隣村の領主善波太郎が空を飛ぶ幡曼荼羅(はたまんだら)を射落とし、 落ちたところが「落幡」になったということです。 昭和2年の小田急開通時には、駅近くの小字名「鶴巻」をとって駅名とされました。 このため鶴巻の知名度が高くなり、昭和30年、秦野市への合併を機に落幡を鶴巻に改めました。 現在、落幡の名称は落幡神社に残されています。
 (秦野市)
弘法の里湯の前に立つ「弘法山公園ハイキングコース登口」の石碑を過ぎて道なりに進んでいきます。 大和旅館を過ぎていくと空き地の前に出ます。 ここで道が左手へ分かれていきます。 角には道標が立っていて、左手の道は「弘法山分岐点(弘法山ハイキングコース)」、 今来た道は「西光寺480m・鶴巻温泉駅350m」となっています。 以前はこの角に「美ゆき旅館」があったのですが、2007年5月に閉館になったようです。 吾妻山を経て弘法山へと至るハイキングコースは左手の道を進んでいくのですが、 今回は正面に続く道から大住台へと向かっていきます。
大椿橋
登り坂になった道を進んでいきます。 右手の山際に登っていく細い石段を見送ってその先のT字路を直進していくと、 正面に東名高速道路が現われます。 横断歩道を渡って、防音壁の割れ目のような所に架かる橋を渡っていきます。 橋の名前は見かけませんでしたが、後で調べてみると大椿橋というようです。 海老茶色に舗装された橋を渡っていくと、大住台へ続く階段が現われます。 階段の登り口には「山河爽風」と「心緒清明」と題した絵が描かれた石板が設置されています。 両側には植え込みや樹木が続いていて雰囲気のいい階段になっていました。 大住台にある板東公園まで続くこの緑道は「あおねの道」という名前のようです。
この辺りから弘法山の青い峰が見えることから「青嶺(あおね)道」と名付けられたようです。
大住台
2分ほどかけて階段を登り切ると大住台の住宅地が広がっています。 登り着いた所にも「日日春光」と題した絵が描かれた石板が設置されていました。 正面の横断歩道を渡って、住宅地の道を降っていきます。 次の横断歩道を渡っていくと、樹木が植えられた道になってきます。 少し右にずれた十字路を直進して「あおねの道」と刻まれた石碑を過ぎていくと広めの道に出ます。 横断歩道を渡った角に板東公園があります。 樹木に囲まれた静かな公園で、「郷」と題した彫像が立っていました。 公園の左側を降って右へ曲がり始める角を左折していきます。 角には接骨院があります。
住宅地に続く道を進んでいくと十字路があります。 左右に通っている道は二車線になっていました。 そこを直進していくとT字路に突き当たります。 右手の広場を見ながら右折して降っていくとT字路があります。 その手前にはコンクリートブロック製の祠があって、 愛鶏供養塔や赤い頭巾と前掛けをしたお地蔵さんが安置されていました。 角には関東ふれあいの道の道標が立っていて、左手の道は「矢倉沢道」、右手の道は「坪ノ内バス停」、 今来た道は「吾妻山」となっています。 今回はここを左折していきます。
この右手150mほどの所に坪ノ内バス停があります。 鶴巻温泉駅から[伊59]伊勢原駅北口行きバスにて4分、 朝夕は1時間に2本程度、日中は1時間に1本程度の便があります。
太郎のちから石
山と生け垣の間に続く道を50mほど進んでいくと、道が二手に分かれています。 角に立つ道標によると、正面に登っていく道は「太郎の郷さんぽ 矢倉沢往還」、 右へ曲がっていく緩やかな道は「太郎の郷さんぽ 太郎のちから石」となっています。 正面の道は関東ふれあいの道「弘法大師と桜のみち」の一部になっていて、 かつて官道として使われた矢倉沢往還です。 善波トンネルの手前まで続いていますが、今回は右手の道を進んでいきます。 程なくして善波川に架かる小さな陸間橋を渡っていくと、右脇に「太郎のちから石」があります。 ここから左へ曲がっていく坂道を登っていきます。
(矢倉沢往還は「弘法山公園」を参照)
太郎のちから石
この石の上部にある二本の筋状の部分は、善波太郎が下駄で力踏した時の跡と言い伝えられています。
 (太郎の郷づくり協議会)
笠谷戸バス停
風化した石仏に挨拶をして、畑などを眺めながら坂道を登っていきます。 程なくして国道246号に出ると道標が立っていて、 今来た道は「太郎の郷さんぽ 矢倉沢往還」となっていました。 国道を左手へ進んでいくと善波交差点があります。 道路の向こう側へ渡って、生け垣に沿って左手へ進んでいくと、すぐに笠谷戸バス停があります。 鶴巻温泉駅から35分ほどで着きました。 平日には僅かながら伊勢原駅からの便がありますが、週末には運行されていません。 ここから右へ分かれていく道に入っていきます。 角には「妙寶山勝興寺」と刻まれた石柱や「宇佐美園」の看板があって、右手の道を指しています。 また道標「太郎の郷さんぽ 勝興寺」も立っていて、同じく右手の道を指しています。 今回はここを右折して、勝興寺を訪ねていくことにしました。
すぐにある分岐を左折して、川沿いの道を進んでいきます。 少し登り坂になってくると、左手に戻るようにして道が分かれていきます。 角に立つ道標によると、左手の道は「太郎の郷さんぽ 三嶋神社」、 正面の道は「太郎の郷さんぽ 勝興寺」となっています。 今回は勝興寺を訪ねてから三嶋神社へ向かうことにして、ここは直進していきます。 宇佐美園への道を左手に分けて、川沿いの道を更に登っていきます。 「石橋供養塔」を過ぎていくと、右へ曲がっていく角から左手の川筋へ降りていく細い道があります。 角には道標「太郎の郷さんぽ 三嶋神社」が立っていて左手の道を指しています。 先ほども三嶋神社への道が分かれていたので、二通りのルートがあるようでした。 今回はここから三嶋神社へ向かっていくのですが、このすぐ先に勝興寺があるので往復してきます。
勝興寺
坂道を登っていくと、短い石段の上に「妙寶山」,「勝興寺」と刻まれた石柱が立っています。 そこから境内へ入っていくと、左手には寶篋塔やお地蔵さんが並んでいました。 正面に勝興寺の本堂がありました。 笠谷戸バス停から7分ほどで着きました。 本堂の右側には庫裡と思われる建物があり、左側には墓地が広がっていました。
當山ハ本尊薬師如来ニテ天正五年真応宗達禅師曹洞宗ニ改宗 爾来四百 年茅葺木造伽藍祝融ニ遇ハズ風雪ヲ凌ギ地震ニモ耐ヘ来シモ屋根換ノ機ヲ 戦後地域ノ開発等有農地ノ解放先師ノ急逝ニテ失シ腐朽末期的症状トナリ シタメ総代世話人一同協議ノ結果現資材ヲ可能限度活用ノ上改修ヲ決シ当 市風間建設ニ委託柤信徒各位ノ御協力ニテ年余ニシテ完成 昭和四十七年 七月二十五日落成式を挙行 茲に御芳名ヲ刻ミ記念トス
 昭和四十九年秋 妙宝山 勝興寺二十二世 善波卓道
伊勢原市指定重要文化財 木造薬師如来坐像
妙寶山勝興寺は、天正5年(1577)に真翁宗達大和尚により曹洞宗として開山され、 江戸時代後期に編さんされた「新編相模国風土記稿」には慶安元年(1648)に御朱印を賜わったこと、 明和2年(1765)に鐘が造られたことなどが記載されています。 また、現本堂も300年以上前の創建といわれており、歴史のある寺院です。 この勝興寺の本尊が、左手に薬壺を持って坐る木造薬師如来坐像です。 頭の髪は小さく渦巻いた「螺髪」とし、額には白い毛を表した「白毫」(水晶製)、 眼には水晶をはめた「玉眼」にしています。 着ている衲衣と裳の裾を膝より下に垂らす「法衣垂下像」で、顔はやや面長でひきしまり、 髪際にはカーブをもたせ、着衣の襞の表現が巧みです。 造像技法は、幾つかの木を規則的に合わせて造る「寄木造り」で、顔を首に差し込み、 その頭も体も前後に二材を矧ぎ合わせています。 そして、体に両手と「結跏趺坐」する足、垂下する衲衣や裳の裾を矧ぎつけています。 作風から、南北朝時代(14世紀中頃から後年)に造られたことが知られます。 なお、台座の墨書銘によって、元禄11年(1698)仏師広映によって修理されたことがわかります。 光背と台座もこの時に造られたものです。
 (伊勢原市教育委員会)
勝興寺から先ほどの分岐まで引き返してきて、道標「三嶋神社」が指す横木の階段を降っていきます。 スイセンやシダ類が生える道を30秒ほど降って川筋に着くと木橋が架かっています。 上流には砂防ダムがありました。 橋を渡って植林地の斜面を登っていきます。 左に折れ曲がって横木の階段を登っていくと、正面の畑へ出る道が分かれていますが、 右へ曲がっていく道を登っていきます。 傾斜が緩やかになってくると、テーブル・ベンチが幾つか設置された所に着きました。 脇には「2001年 千年樹植林」「太郎の郷づくり協議会」と書かれた標柱が立っていました。 この先で道が二手にわかれています。 右手の道は三嶋神社への道で、正面の道は参道の途中に出る道になります。
三嶋神社
右手の道を進んでいくと、すぐに三嶋神社の境内に出ます。 勝興寺から5分ほどで到着しました。 本殿と拝殿になった社殿の右側には舞殿のような建物があり、左側には記念碑や石祠が並んでいました。 更にその左側には「明神 六太兵衛」,「八幡 太郎重氏」,「御嶽権現 竹美姫」と刻まれた真新しい石碑も並んでいました。
三嶋神社
御祭神 大山砥之命、倭建之命、誉田別之命
由緒 大治元年九月創建。 東鑑に善波太郎特に尊崇高く当善波の郷内三嶋神社御嶽社八幡社の三社あり。 慶安四年一社に合併し寛文七年現地善波太郎重氏の居蹟に移し、天正十一年 北條氏より社領二貫文、天正十九年御朱印を賜う。 昭和四十一年現社殿を新築、善波の総鎮守である。
結婚式、地鎮祭、命名、方位、厄除等、神事相談承ります。
 (出雲大社相模分院参集院 宮司)
敬神生活の綱領
一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと。
一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと。
一、大御心をいただきてむつび和ぎ、国に隆昌と世界の共存共栄とを祈ること。
 (神社本廳統理 徳川宗敬)
社殿の正面に続く石段を降っていくと、途中に「善波一族館跡」と刻まれた石碑があって、 その脇には解説板も設置されていました。 石段を更に降っていくと、四脚の鳥居が立っていて、「三嶋神社」の扁額が掛けられていました。 その先には果樹園が広がっていて、正面へ降っていく道もありますが、 鳥居をくぐってすぐに右折していきます。
歴代の善波氏
1150年頃 善波左衛文善氏 太郎重氏の父。
善波太郎重氏 相模国善波邑八幡社縁起、源太入道和尚に記あり。 文治元年(1185)重氏没す。 重氏を以て八幡と称し、竹美姫(重氏の妻)を御嶽権現とし、六太兵衛(竹美姫の父)を明神と称し之を崇むる。
建長6年(1254) 善波又次郎 北条氏より鎌倉幕府小侍所衆に召し加えらる。以後将軍を警固す。
正安3年(1301) 善波四郎行綱 田、屋敷の売買につき鎌倉幕府よりの下知状。
観応元年(1350) 善波太郎有胤 関東管領足利基氏に御供し上杉憲顕と共に飯山寺、日向山の諸戦で活躍。 その恩賞により基氏より小袖を賜る。
応安元年(1368) 善波十郎左衛門尉胤久 足利氏満が野心を有する武蔵平一揆討伐のために江戸牛島、 足利、宇都宮まで遠征するに際し御供せしめる。 永徳元年(1381)氏満に叛した小山義政討伐に従い、武蔵・下野戦で忠節を尽くす。
応永33年(1426) 善波藤太郎憲有 足利持氏の近臣一式持家を大将とする武田八郎信長討伐の戦に従い諸所の御陣を警固す。
天正11年(1583) 善波禰宜 北条氏忠より三島社に宮免二貫文安堵の朱印状。 天正19年(1591)社領一石の朱印状。 慶安4年(1651)御嶽山に八幡、御嶽権現、三島明神の三社を合祀す。 寛文7年(1667)社領破損につき大松山に移す。
古記録・古文書より (太郎の郷づくり協議会)
民家の脇を過ぎて右手へ曲がってく道を進んでいきます。 三嶋神社から来る道を合わせてその先へ降っていくと、左手から登ってくる舗装された農道に降り立ちます。 角には道標が立っていて、今来た道は「太郎の郷さんぽ 三嶋神社」となっています。 脇には「猿出没」の注意書きもありますが、今回は猿は見かけませんでした。 正面に続く農道を登っていきます。
注意 野猿の出没区域
・決してエサを与えない。
・お弁当等の残りは持ち帰る。
一人一人のマナーがサルからの農作物被害を減らします。
 (JAいせはら農政対策委員会)
猿に注意!!
・ちかよらないでください。
・エサをあたえないでください。
・目をあわせないでください。
 (伊勢原市有害鳥獣対策協議会)
森の中に続く舗装された農道を登っていきます。 3分ほど登っていくと、正面に山並みが広がってきます。 栗原地区から340m峰を経て454m峰へと続く尾根になるようです。 沿道には果樹園が続いていました。 上空を見上げると送電線が通っていました。 振り返ると、伊勢原方面の街並みが続く眺めが広がっていました。 「熊・イノシシ出没注意」の貼り紙も見かけました。 この先、ビクビクしながら進んでいきましたが、幸いにも遭遇することはありませんでした。
お願い
農作物被害に対する有害鳥獣対策として、地元猟友会に銃器による威嚇等の対応をお願いしております。 皆様のご協力をお願い致します。 尚、農地等の人への危害の及ぶと思われる場所では、原則行いません。
 (JAいせはら農政対策委員会)
小さな沢を渡っていくと、農道は左手へと曲がっていきます。 その角から正面へと道が分かれていきます。 三嶋神社から12分ほどの所になります。 正面の道のすぐ先に「車両通行禁止」の看板が出ていたので、 ここから先は林道になるようです。 車止め用と思われる鎖を跨いでいきます。
車両通行禁止
但し次の車両を除く
1 林道関係者
2 地元関係者
3 林道沿線施設利用者
 (伊勢原市)
猟犬の訓練をする方へ
ゴルフ場や登山道付近など不特定多数の方が利用する場所での猟犬の訓練は行わないようお願いします。 また、猟犬が野生鳥獣を殺傷するような訓練方法は鳥獣保護法違反となりますので、絶対に行わないでください。
 (神奈川県湘南地区行政センター環境部、伊勢原市生活経済部、神奈川県伊勢原警察署)
鹿避け柵
正面に続く林道を緩やかに登っていきます。 植林帯に続く道を1分半ほど登って小さな沢を横切っていくと、眺めが広がる所に出ます。 これから向かう稜線も間近に迫ってきました。 左へ曲がって尾根に向かって続く道を登っていきます。 果樹園が終わって右手へ曲がっていくと、切通しのような所を過ぎていきます。 そのすぐ先に鹿避け柵がありました。 先ほどの林道の看板を過ぎてから5分ほどの所になります。 針金などで留められている扉を開けてその先へと進んでいきます。
お願い
この柵は有害鳥獣(鹿、猪等)の被害対策用です。 開けたら必ず扉を閉めて縛って下さい。
 (地元鹿柵管理組合)
林道終点
鹿避け柵を過ぎて、右側に鹿避け柵が続く林道を進んでいきます。 植林帯に続く林道を4分ほど進んでいくと行き止まりになります。 ここが林道の終点のようです。 三嶋神社から22分ほどで到着しました。 先日から疲れが溜まっていたこともあって、ここまで来るとかなり疲れてきました。 その上気温も高くて、汗が噴き出してきたりもしました。 これからの登りに備えて、リュックを降ろしてタオルで汗を拭いたりしながら、 ここでひと休みしていきました。
疲れも癒えたところで、340m峰を目指して登っていきます。 ここからは山道になります。 左手に登っていく道や、正面の植林帯へ入っていく道もありますが、 右側に続いてきた鹿避け柵が右へ折れ曲がっていく所から、柵沿いに続く踏み跡へ入っていきます。 柵沿いに4分ほど登っていくと、左右に通る尾根に出ます。 そこから左手へ続く尾根を登っていきます。
正面の植林帯へ入っていく道は、340m峰から454m峰へ続く尾根にある鞍部へ登っていけますが、 尾根が近づくにつれて傾斜が増して不明瞭になってきます。
植林帯の丸い尾根の背に続く踏み跡を登っていきます。 3分ほど登っていくと、尾根の背には笹竹が生い茂るようになります。 藪漕ぎ状態になったりするので、尾根から離れないように注意しながら、 左側の植林帯を登っていくと歩きやすいようです。 10分ほど登っていくと、尾根の笹竹が薄くなって少し歩きやすくなってきます。 右手の樹間からは、街並みや相模湾が見える所があったりもします。 ハイキング会でもあったのか、ルートを示すように、樹木に青テープが巻かれていました。
340m峰
引き続き笹竹は生えていますが、これまでよりも薄くなって、踏み跡も何とか確認出来るようになります。 大きな桜の木を過ぎていくと、枝を四方に伸ばした大木があります。 左手の樹間からは454m峰方面の稜線が見えました。 右手の樹間からは先ほどと同様な街並みや相模湾が見える所もあります。 やがて傾斜が緩やかになってくると、植林地の中に石祠がある高みに着きます。 標識などは見かけませんでしたが、ここが手元の地形図にある340m峰になるようです。 林道終点から19分ほどで登って来られました。 石祠の脇には「大山祇命神」と書かれた小さな板が落ちていました。 また石祠の横面には「文化元甲子年十二月吉祥旦」と刻まれていたので、 江戸時代の後期(1804年)に建立された祠のようでした。 脇には平たい礎石のようなものもあったので、以前にはその上に祠か何かがあったのかも知れません。 周囲には樹木が生えていて展望は得られません。
石祠のある所から東へ延びる緩やかな尾根を100mほど進んでいくと、 降り始める手前に眺めが広がる所があります。 笹竹が生い茂って藪漕ぎ気味の尾根を登ってきて疲れてもいたので、 景色を眺めながらひと休みしてきました。 遠くは少し霞んでいたものの、 右側には真鶴半島や伊豆半島が、左側には江の島や三浦半島も見える素晴らしい眺めが広がっていました。
(画像をクリックすると、右側・中央・左側の眺めを順に表示します)
景色も堪能して疲れも癒えたところで、先ほどの石祠の所まで引き返して454m峰へと向かっていきます。 石祠の後ろ側にある「の」字に曲がった樹木の右側から降っていきます。 アオキが生い茂ってはいますが、道はしっかりと確認できて、 登ってきた尾根のような薮漕ぎ状態ではありません。
所々に巻きつけられている青テープを確認しながら尾根の背を降っていきます。 数分降って僅かな鞍部に着いて、その先へと登り返していきます。 引き続きアオキなどが生い茂ってはいますが、道は広めでしっかりと続いていました。 しかしあまり歩く人がいないのか、踏み固められた道ではありません。 その上かなり傾斜があって滑り易くなっていました。 340m峰から7分ほど進んでいくと、大きな樹木の脇を過ぎていきます。
細木が生い茂るようになった尾根を登っていきます。 引き続き広くて明瞭な道が続いていますが、かなり傾斜があって脹脛が痛くなってきたりもします。 この時は気温が高めの雨上がりとあって湿度も高くて、汗が噴き出してくるので、 何度も立ち止まって呼吸を整え汗を拭きながら、ゆっくり登っていきました。 振り返ると、先ほどの340m峰が聳えていたりもします。 細木の生えた所を過ぎて植林帯になってくると、 頭を赤く塗られた「山火事注意」の白い標柱が立っていました。 それに書き込まれたメモによると、正面の尾根道は「P454m」、今来た道は「万松寺」となっています。 人跡を見つけて何だかホッとしたりしながら、急坂を登っていきました。
岩が幾つかゴロゴロしている所を過ぎて更に登っていきます。 細木が道端に生い茂るようになった所を過ぎていくと、再び大きな樹木が生えていました。 林床が切り払われていて開けた感じがする植林地になっていました。
山道出合
その先のアオキなどが生えている所を過ぎていくと、道は尾根の右斜面を進むようになります。 その曲がり角にも青テープが巻かれていて、道を示しているようでした。 植林帯の斜面に沿って登り気味に進んでいくと、左右に通る道に出ました。 その手前には青テープが幾つか巻かれていて、ペットボトルが枝に刺してありました。 赤い境界杭もありました。 手元の地形図によると、右手から登ってくる道は、北東側から合流してくる破線の道のようでした。 ここは左手へ続く道を更に登っていきます。
454m峰
程なくして傾斜が緩やかになって尾根の背を進むようになると、山道出合から3分ほどで山頂に着きました。 山頂には「銃猟禁止区域」の赤い看板が立っていて、その支柱に「P454m」と書き込まれていました。 ここが454m峰になるようです。 340m峰から28分ほどで到着しました。 以前には「六角山」とも書き込まれていたようですが、 僅かに文字の形跡はありましたが読み取れませんでした。 周囲は樹木に囲まれていて展望は得られません。 今回は出発が遅かったので、ここに着いた時にはお昼を少し過ぎていましたが、 高取山まで行ってから昼食にすることにしました。
454m峰からは道が二手に分かれています。 いずれも踏み跡程度ですが、薮漕ぎするほどではありません。 看板の支柱には「念仏山←」と書き込まれていて左手の道を指していますが、 今回は右手の道から、高取山へと続く尾根道へ降りていきました。 少し進んでいくと降り傾斜が増してきます。 踏み固められた道ではなくて急傾斜にもなっているので、そのまま降っていくとズリ落ちてしまいそうになります。 周りの樹木などに掴まりながら慎重に降っていきました。
(左手の道の方が傾斜は緩やかです。「念仏山」を参照)
ハイキングコース出合
林床には次第に雑木が生い茂るようになってきますが、踏み跡は確認できました。 山頂から5分ほど降っていくと、左手から正面へと続く尾根道に降り立ちました。 降り立った尾根道は、善波峠から小蓑毛へと続く 関東ふれあいの道の枝道「野菊と信仰のみち」にもなっていて、 454m峰を西側から巻いてきた道になります。 ここから高取山を経て不動越までは、しっかりとして明瞭な道が続きます。 尾根道に出た所には道標が立っていて、左手の道は「鶴巻・弘法山」、 正面の道は「大山・蓑毛」となっています。
道標「大山・蓑毛」に従って、正面に続く広めで歩きやすい尾根道を進んでいきます。 軽く登って僅かな高みを越えていきます。 鞍部に着いて登り返していくと、尾根の左斜面を巻くようにして曲がっていきます。 斜面を横切って尾根へ出ると、右手へと鋭角に曲がっていきます。 手元の地形図によると、高取山の南南東300m辺りの標高460mほどの尾根になるようです。 角には道標が立っていて、右手の道は「大山・蓑毛」、今来た道は「鶴巻・弘法山」となっています。 左手にも広めの尾根道が続いているようでしたが、丸太が置かれていて通行止めのようになっていました。 ここは道標に従って右へ折れ曲がっていきます。
尾根道を右手へ進んでいくと、すぐに木の根が張り出した急坂が始まります。 以前にも歩いている道ですが、こんなに疲れたかなと思えるほど息が切れてきます。 何度も立ち止まって呼吸を整えながら、ゆっくりと登っていきました。 先ほどの道標のある所から2分半ほど登って少し傾斜が緩やかになった所で、遂に力尽きてしまいました。 もう歩けないと道端の切り株に座り込んで、リュックを降ろして水分補給しながらひと休みしていきました。
(体調が悪くなければ、途中で休むことなく一気に登っていけます)
聖峰分岐
6分ほど休憩して疲れが少し癒えたところで、その先へと尾根道を登っていきます。 すぐに再び木の根が張り出した急坂が始まります。 休み休みゆっくりと5分ほど登っていくと、尾根の左側を登るようになります。 右・左と曲がりながら少し緩やかになった道を進んでいくと分岐に着きました。 休憩した所から7分ほど、ハイキングコースに降り立った所から25分ほどかかりました。 角には道標が立っていて、右手に分かれていく道は「聖峰25分・神戸バス停1時間20分」、 正面の道は「高取山」、今来た道は「弘法山」となっています。 また別の道標も立っていて、正面の道は「小蓑毛3.2km・田原ふるさと公園5.1km」、 今来た道は「弘法山3.8km」となっています。 「眺望と自然 聖峰不動尊→」の看板も立っていて右手の道を指していました。 ここは正面に続く尾根道を高取山へと向かっていきます。
(右手の道は「聖峰」,「高取山」を参照)
広くて緩やかになった尾根道を進んでいきます。 このまま山頂までこんな感じならいいがと思ったりもしますが、程なくして横木の階段が始まります。 しかし、これまでのような急坂ではなく段差もそれほど高くはないので、何とか登っていけました。
注意
ハンターのみんさん! この附近に銃猟禁止区域があります。 狩猟に注意しましょう。
 (神奈川県)
高取山 (標高556m)
息を切らせながら横木の階段を登っていくと高取山に着きました。 聖峰分岐から7分ほど、454m峰から38分ほどで登って来られました。 山頂には「高取山 標高556m」と書かれた標柱が立っています。 展望も得られるとのことですが、手前の樹木が育っている上に遠くは霞んでいて、 生憎と眺めは良くありませんでした。 二等三角点のある山頂にはベンチが二組ほどありますが、余り広くはありません。 既に登ってきていたパーティーでベンチは占拠されていましたが、少し待っていると空きました。 お昼をかなり過ぎた時刻になったので、空いたベンチに腰を掛けて、ここで昼食タイムにしました。
自然と見晴
ようこそ高取山へ
 (栗原ふれあい里づくり研究会)
山頂のすぐ西側には日本放送協会の大山無線中継所の電波塔が立っていて、遠くからでも良く見える塔です。 お腹も満ちて疲れも癒えたところで、高取山から下山していきます。 道標によると、正面の道は「大山・蓑毛」、左手の道は「寺山」、 今来た道は「聖峰」,「鶴巻6km・弘法山4km」となっています。 左手の道はゴルフ場を経て寺山地区へ降っていけますが、 今回は道標「大山・蓑毛」に従って、正面に続く尾根道を不動越へと降っていきます。
(左手の道は「高取山」,「浅間山林道」を参照)
栗原分岐
植林帯と雑木林を分ける尾根道を緩やかに降っていきます。 僅かな高みを越えたりしながら降っていくと、高取山から6分ほどで分岐があります。 脇に立つ道標によると、正面の道は「大山・蓑毛」、今来た道は「鶴巻・弘法山」となっています。 伊勢原市消防署の設置する「山火事注意 通報番号39」の標識の裏面には、 マジックで「三の宮→」と書き込まれていて右手の道を指していました。 以前に通りかかった時には表面に「栗原→」と引っ掻いてあって右手の道を指していたのですが、 この時にはもう見えなくなっていました。 ここを右手へ降っていくと栗原地区へ降りられますが、不動越へは正面の道を進んでいきます。
(右手の道は「高取山」, 「浅間山」を参照)
植林帯になった緩やかな尾根道を軽く登っていくと、 栗原分岐から4分ほどで、僅かな高みを進むようになります。 林床にはアオキなどが生い茂っていますが、道は広くてしっかりとしています。 手元の地形図によると、高取山の北北西300m辺りの標高530mほどの高みになるようです。 1分ほど進んでいくと幅の広い横木の階段を降るようになりますが、1分半ほどで終わります。 緩やかになった尾根道を進んでいくと、左側が明るくなってきます。 左へ曲がりながら植林帯を降っていくと、「大山山頂5.7km・蓑毛分岐2.7km」の道標が立っています。 左手の樹間からは箱根の山々やゴルフ場が見えていました。
不動越
道標を過ぎて1分ほど降っていくと、浅い鞍部になった不動越に着きます。 高取山から20分ほどで降りて来られました。 ここで道が左右に分かれていて「峠」になっています。 左側に生える樹木の幹に「不動越」と書かれた板切れが括り付けてあります。 中ほどに立つ道標によると、正面の尾根道は「大山5.5km」、 左手へ降っていく道は「小蓑毛2km 野菊と信仰の道」、今降ってきた道は「鶴巻7km・弘法山5km」となっています。 右手に戻るようにして降っていく道もありますが、道標には何も示されてはいません。 正面の道の1分ほど先には浅間山林道が通っていますが、 今回は道標の袂から右手へ分かれていく道を降っていきます。
地形図では、鞍部になったこの不動越の100mほど手前から破線の道が北東へ分かれているように描かれていますが、 実際にはこの鞍部から戻るようにして分かれていきます。
(左手の道は「高取山」、 正面の道は「聖峰」, 「浅間山林道」, 「浅間山」を参照)
植林帯の斜面を斜めに横切るようにして降っていきます。 道は細くて傾斜もかなりあります。 日陰になっているためか、細木やシダ類が生い茂っていたりもしますが、踏み跡は十分に確認できました。 左側の樹間から谷向こうの尾根を眺めたりしながら降っていきます。 良くは分かりませんが、手前が418.6m峰のある尾根で、 その奥に見えているのが丹沢大山から南東へ伸びる尾根でしょうか。 不動越から6分ほど降って斜面を横切り終えると鹿避け柵が現われます。 それを越えるための朱塗りの脚立も設置されていましたが、道は柵に沿って続いています。
11番鉄塔
鹿避け柵の右側に続く細い道を降っていきます。 特に分岐などはないので迷うことはありませんが、細木などが生い茂っていて、少々煩わしかったりもします。 時折見える山並みを眺めながら、かなり傾斜のある坂道を降っていきます。 柵沿いに9分ほど降って傾斜が緩やかになってくると、鹿避け柵は左手へ曲がっていきます。 そこからは広めで歩きやすい道になります。 緩やかな尾根道を3分ほど進んでいくと、送電線の鉄塔「秦浜線No.11」の袂に出ました。 不動越から18分ほど降ってきた所になります。 周囲の樹木が少し伐採されていて日当たりがいいためか、鉄塔の周囲には草が生い茂っていて、 どこが道なのか分からない状態でしたが、道は鉄塔の下に真っ直ぐ続いています。
鉄塔の下を過ぎて、杉の苗木や細木などの間に続く道を進んでいきます。 程なくして植林帯になってくると、尾根から外れて左へ曲がり、硬質プラスチック製の階段を降っていきます。 クネクネと曲がりながら植林帯の斜面に続く階段を降っていきます。 電力会社の黄色い標柱「秦浜線11号に至る」を過ぎて更に降っていくと、 11番鉄塔から4分ほどで小さなに降り立ちました。 この沢は鈴川の支流になりますが、名前は分かりませんでした。 沢の向い側を見ると、これまでと同様の階段が上へ続いています。 橋などは架かっていませんが、沢の幅は狭くて流れる水の量も少ないので、難なく渡っていけました。
秦浜線11号に至る
緑を大切にしよう タバコの火に注意 自然を愛しましょう
林道
沢を渡って階段を10mほど登っていくと、幅3mほどの舗装された林道に出ました。 不動越から24分ほどで降りて来られました。 これで山道は終わりになります。 道標類は見かけませんでしたが、林道を右手へと緩やかに降っていきます。
試しに林道を左手へ進んでいくと、1分ほどで終わりになっていました。 そこからは明瞭な山道がその先へ二つ続いていました。 入口には伊勢原市消防署の設置する「山火事注意 通報番号33」の標識や、 「保安林区域図」の看板も設置されていて、何やらハイキングコースのような雰囲気もしました。 不動越から降ってきた道の途中へ通じているのか、あるいは別の所へ登っていけるのか、 はたまた行き止まりになっているのでしょうか。 興味のあるところですが、行く末は確認しませんでした。
保安林区域図
この区域は森林がもっているいろいろな働きを守るため保安林に指定されています。 保安林内で木を伐採したり、植物や土石を採取するときは許可が必要です。 くわしい事は右記へお問い合わせ下さい。
 (神奈川県湘南地区行政センター農林部林務課)
鹿避け柵
谷筋の植林地に続く林道を緩やかに降っていきます。 「水源の森林づくり」の看板などを過ぎていくと竹林になってきます。 竹林を過ぎて再び植林地になってくると、林道に出た所から4分ほどで、 道が鹿避け柵で封鎖されていました。 扉を開けて柵を抜けていきます。 すぐにある僅かな沢を過ぎた所から正面へ登っていく道が分かれていきます。 道標類は見かけませんでしたが、少し上にある畑にでも続いているのだろうと考えて、 ここは右手へ曲がって緩やかに降っていく道を進んでいきました。 すぐ先からも左手に道が分かれていますが、そのまま道なりに降っていきます。
神奈川県「水源の森林づくり」契約地(水源分収林)
神奈川県「水源の森林づくり」契約地(水源協定林)
水資源を大切にしましょう。
 (神奈川県環境農政部水源の森林推進課、神奈川県湘南地区農政事務所林務課)
お願い
この柵は有害鳥獣(鹿・猪等)の被害対策用の柵です。 開けたら必ず扉を閉めて下さい。
 (有害鳥獣対策協議会)
山火事注意 火の用心
たきび・たばこは確実に消して!
 (森林共済セット保険、神奈川県)
大山フィッシングセンター入口
「山火事注意 通報番号32」の標識を過ぎていくと、右手を流れる沢に建物のようなものが見えてきました。 吹き流しの付いた鯉のぼりも泳いでいたので人家なのでしょうか。 そこを過ぎていくと、次第に建物が増えてきます。 先ほどの柵から4分ほど進んでいくと、しっかりとした建物の先から右手へ戻るようにして道が分かれていきます。 角には「大山フィッシングセンター入口」の看板が立っていて、 右手の道を指していました。 どうやら先ほどから見えていた建物はフィッシングセンターの施設のようでした。 川辺を覗ってみると釣り堀などがあって、魚釣りを楽しんでいる人達も見かけました。
水場
植林帯を抜けて右手が明るくなった所に出ると、 上空には道とほぼ並行するように送電線が通っていました。 送電線の下を過ぎて雑木林の中に続く林道を進んでいくと、明るくなった所に出ました。 大山フィッシングセンター入口から4分ほどの所になります。 右側は畑地になっていて開けた感じになっていました。 左側の山裾には樋で引かれてきた水を溜めるコンクリート製の小さな貯水場がありました。 綺麗な水だったので飲めそうにも思いましたが、飲むのは止めておきました。
光月橋
水場を過ぎて1分ほど進んでいくと、左手からも同じほどの幅の道が合流してきます。 その道を合わせて進んでいきます。 森を過ぎていくと、右手の正面には、畑の向こうに民家などが見えるようになってきます。 竹林が続くようになった道を左手へ曲がって更に進んでいくと、 鈴川光月橋が架かっています。 水場から4分ほど、林道に出た所から19分ほどで到着しました。 340m峰へ向かっていった所の農道で見かけたのと同じ内容の、 猿出没や銃器による威嚇に関する看板が出ていました。 また「山火事注意 通報番号31」の標識も立っていました。
橋を渡って、畑地の間に続く道を真っ直ぐに進んでいきます。 程なくしてある十字路を直進していくと民家が増えてきます。 左手の奥には、丹沢大山へと続く尾根を見渡せる眺めが広がっていました。 登り坂になった道を進んでいくと県道611号に出ます。
手元の地図によると、橋を渡った先にある十字路を通る道が「県道611号」となっています。 先の方の道は小易地区を通る従来からある道で、手前の道は近年に造られたバイパスのようでした。
鳥居前(とりいまえ)バス停
県道に出て左手へ2分ほど進んでいくと、大きな「大山参道三の鳥居」の袂に鳥居前バス停があります。 林道に出た所から24分ほどで到着しました。
伊勢原駅(小田急小田原線)まで、伊勢原駅北口行きバスにて15〜19分、 1時間に3本程度の便があります。
県道に出て右手へ3分ほど進んでいくと子易バス停がありますが、便数は同じです。
大山参道三の鳥居
天保十五年武州所沢の阿波屋善兵衛が創建し、大正十年江戸消防せ組が再建したが 老朽化のため、日本鋼管(株)の開発した耐候性鋼板で建立。
 (昭和61年12月吉日 宮司)
ここから奥は鳥やシカなどの動物たちを保ごしている場所ですから狩猟はできません。 皆さんもかわいがってください。
 (神奈川県)