宇田川
散策:2009年05月上旬
【街角散策】 宇田川
概 要 宇田川は江の島が浮かぶ相模湾へ注ぐ境川の支流のひとつで、 横浜市泉区中田町付近に端を発する二級河川です。 かつては村岡川と呼ばれていて、途中には民話が残る「まさかりが淵」もあります。 今回は境川へ流れ込む所から上流へ向かって、川沿いに続く道を歩いていきます。
起 点 横浜市 影取バス停
終 点 横浜市 弥生台駅
ルート 影取バス停…龍長院…八坂神社…鳥居…境川…宇田川…三嶋神社…専念寺…まさかりが淵…東屋…かばた橋…中田町廣町公園…長後街道…中田中央公園…弥生台南公園…弥生台駅
所要時間 3時間10分
歩いて... この時は雨が降る条件の悪い日でしたが、 途中には「まさかりが淵」の他に旧鎌倉街道や寺社などもあって、趣きのある散策が出来ました。 川沿いに桜並木が続く所もあるので、花の季節に訪ねてみるのもいいかも知れません。
関連メモ まさかりが淵市民の森, まさかりが淵市民の森, まさかりが淵市民の森
コース紹介
影取(かげとり)バス停
藤沢駅(JR東海道線)北口のバスターミナルから、[藤54]俣野公園・横浜薬大前行きバス,または, [戸81]戸塚バスセンター行きバスにて12分、1時間に4本から6本程度の便があります。
戸塚駅(JR東海道線)西口のバスセンターから、[戸81]藤沢駅北口行きバスにて16分、 1時間に3本から4本程度の便があります。
バス停のすぐ先にある戸塚区影取第一歩道橋の手前の信号を左折していきます。 角には「曹洞宗天王山龍長院」の看板が立っていて、左手の道を指しています。 その脇には岩石が小山のようになっていて、そこに「天王山不動尊」と刻まれていました。
(藤沢駅から来た場合で説明しています)
右折したすぐ先で道が二手に分かれていますが、今回は左手の道を進んでいきました。 馬の絵が描かれた馬頭観世音の石碑を過ぎて2分ほど進んでいくと、右手へ細い道が分かれていきます。 左手にはクリーニング店があって自動販売機が幾つか設置されています。 そこを右折して金網柵とブロック塀の間を進んでいくと、正面に竹林が現れます。 突き当たりまで来て左手へと曲がっていきます。
龍長院
数10m先にある石段を降っていくと墓地に降り立ちます。 その少し先から右前方へ分かれていく石段を降っていくと、ボタンなどが咲く広い所に着きます。 正面には六地蔵や馬頭観世音が並んでいて、その左手には延命地蔵菩薩を祀ったお堂がありました。 右手の奥へ少し進んでいくと龍長院があります。 正面に本堂があって、右手には庫裡と思われる建物があり、左手には大きな建物がありました。 お寺の謂われなどを記したものは見かけませんでした。
参拝の心得
一、鯉を大切にしよう。池の中へ「カン、小枝、石」などを投げこまない。
二、空きカン・紙くずは所定のゴミ箱に入れて下さい。
三、土手にのぼってはいけません。
四、水路には入らないで下さい。
五、樹木を大切にしましょう。庭園内に入らない。
 (龍長院)
龍長院から引き返して正面の坂道を降っていきます。 「曹洞宗天王山龍長院」と刻まれた石標を過ぎていくと、左右に通る道に出ます。 左手には石像が三体並んでいて、「青面金剛」と刻まれていました。 その脇には「旧鎌倉街道」の解説板が立っていました。 左右に通るこの道は旧鎌倉街道のようです。 ここは左折していきます。
「旧鎌倉街道」の道筋
龍長院を南へ行くと東俣野町の鎮守八坂神社があり、その鳥居を左に折れ、 堂坂を上り「旧東海道を横切って影取町に入り、大船方面へ通じている。」
 (戸塚観光協会)
八坂神社
左折してすぐに道が二手に分かれていますが、右手の緩やかな道を進んでいきます。 程なくして、左手に社が見えてきます。 これが八坂神社かなと思いながら少し登り坂になった道を進んでいきます。 生け垣が途切れた所が入口になっていて、そこから引き返すようにして境内へ入っていきます。 社務所のような建物を過ぎていくと、「八坂神社」と刻まれた石柱が立っていました。 その先の短い石段の先に社殿がありましたが、由緒書きは見かけませんでした。 社殿の手前には新旧の狛犬と石灯籠があり、左手には白壁の蔵がありました。 右手には小振りの祠があって、屋根には4本の鰹木が乗り内削ぎの千木が聳えていました。
鳥居
八坂神社から道路へ引き返していくと、道路を横切った先へ降っていく道が分かれています。 境川へはその道を降っていくのですが、左手の坂を登った所に鳥居が立っているので立寄っていきました。 坂道を登り切ると、背の高い樹木の袂に、鳥居と幟旗の支柱が立っています。 このすぐ先が五叉路になっているので、 先ほどの旧鎌倉街道の解説板にあった「その鳥居を左に折れ…」が示す鳥居だと思われます。 脇には石仏などが幾つか並んでいて、文字を刻んだ石碑や解説板もありました。
鎌倉街道西の道
鎌倉街道西の道とも上の道とも言われるこの道は、鎌倉と地方を結ぶ重要街道の一つで、 新田軍が鎌倉攻略に進撃したのはこの道と伝えられ、歴史ある古道である。 元弘3年(1333)5月8日、新田義貞は上州新田庄の生品神社の境内で鎌倉幕府討伐のため挙兵した。 はじめは其の数わずか150騎だったが呼応する者が激増し、小手指原(所沢)、分倍河原(府中市)で 幕府の大軍を撃破、さらに村岡(藤沢市)州崎(大船)で大勝し、鎌倉の包囲網に成功した。 新田軍はついに稲村ヶ崎、極楽寺、化粧坂、巨袋、亀ヶ谷の各方面から鎌倉市中に突入し、 北条高時ら一族門葉870余人が東勝寺で岳火の中に自刃、鎌倉幕府は滅亡した。 ときに5月22日、源頼朝が鎌倉入りしてから153年目のことである。
 (大正地区歴史散歩の会、十周年記念建碑)
道路改修記念碑
昭和23年5月挙げ町相図りて戸塚区 東俣野町農道幹線の改修を企画して より十余年町民自らの労力を横浜市 の補助により延長4粁に及ぶ道路の 完成をみた。 今はるかに往時を偲ぶとき感慨詢に 深いものがある。茲にその改修を祝い 愈々町の隆昌を祈念する。
 (横浜市長)
境川
八坂神社の入口まで引き返して、左手(来た向きからは右手)へ分かれていく道を降っていきます。 右へ曲がりながら降っていくと畑地に出ます。 この辺りは農業専用地区に指定されているようで、綺麗な花も栽培されていました。 畑地に出た先の十字路を左折していくと左右に通る道に出ます。 そこを左折していくと道が三方に分かれていますが、一番右の道を進んでいきます。 工事現場の脇を過ぎて土手へ登っていくと金沢橋が架かっています。 下を流れているのは境川になります。 影取バス停から30分ほどで到着しました。 金沢橋の手前を右折して、左岸に続く土手道を進んでいきます。
ここは横浜市の指定した農業専用地区です
優良な農地を保全し、新鮮な農作物と、緑の環境を提供してくれる大切な場所です。 農作物にいたずらをしたり、農作業の迷惑にならないように十分注意しましょう。
 (横浜市、東俣野農業専用地区協議会)
土手道を2分ほど進んでいくと、境川へ降りていける階段がありました。 川辺へ降りて上流へ少し進んでいくと、宇田川が境川に合流している所が間近に見えます。 この時は前日から雨が降っていて、川を流れる水量は多めでした。 今回はここから始まる宇田川に沿って、上流へ向かって歩いていきます。
宇田川
元の土手道に上がって左岸を進んでいくと、 境川から別れて、宇田川の左岸に沿って進むようになります。 ここからも川辺へ降りて行ける階段がありました。 この辺りでは宇田川は幅も広くて、しっかりとした川の姿をしています。
あぶない! 大雨のときは、川が増水しますので、川の中には入らないで!!
やめよう! 川にゴミを捨てないで下さい。
 (横浜市下水道局)
100mほど進んでいくと舗装路に出ます。 温室などを眺めながら宇田川沿いに進んでいくと、鉢花を生産・販売している農園がありました。 棚の上には鉢植えがずらりと並んでいて、綺麗な花を咲かせていました。 その農園を過ぎると宇田川橋が架かっています。 宇田川に架かる最初の橋になります。 橋の中ほどから上流を眺めると、両岸が護岸されているものの、川らしい姿をしています。 川沿いには桜が並木を作っていて、花の季節には綺麗な眺めになりそうでした。 右岸には俣野小学校が見えていました。 道は両岸に続いていましたが、そのまま左岸を進んでいきました。
桜並木が続く左岸を進んでいきます。 道端にはベンチが点々と設置されていて、花見に良さそうな所でした。 4分ほど進んでいくと芙蓉橋が架かっています。 左岸は住宅が続いていましたが、右岸は散策路のようになっていたので、 ここで橋を渡って右岸を進んでいきました。 桜並木の袂には若草色の葉を出した低木が植えられていて、綺麗な道になっていました。 川沿いと少し離れた所に並行するようにして道が二つ通っていますが、 どちらを進んでいってもいいようです。 サツキが赤紫色の花を咲かせてもいました。 ベンチも設置されていて、雰囲気のいい道になっていました。
2級河川 宇田川
川をだいじに使いましょう
清流宇田川をとりもどし、みんなですみよい街づくり
 (横浜市環境創造局)
二筋になった道は2分ほどで合流します。 並木が終わって民家の脇を進んでいくと韮橋が架かっています。 道路を横切って赤レンガが敷かれた道を進んでいきます。 左手の桜並木の袂には丸い形に剪定された植え込みが続いていました。 植え込みの左側には深谷中学校のグランドや校舎が続いています。 右手の対岸を眺めていると、雨水調整池の看板がありました。 給油所の下に設けられていて、小さめの池のようでした。
環4とつかSS 雨水調整池
この給油所の下の施設は、大雨のとき、雨水を一時貯留して下流へ少しずつ流し、 河川の氾濫を防ぐ大切な役目をします。
施設概要 貯水量19.6587立方m、水深2.470m、地底面積7.9598u
 (昭和シェル石油株式会社)
環状4号線の新深谷橋の下をくぐっていくとねさきはしが架かっています。 道路を横断して赤レンガ敷きの道を更に進んでいくと道下橋が架かっています。 左手には畑が広がっていて、一面にじゃがいもが植えられていました。 右手の川向こうには小さな公園があって、遊具などが見えていました。 畑地が終わって少し登っていくと前田橋が架かっています。 橋の中ほどから上流を眺めると、最初の頃から少し川幅が狭まってきたように感じます。
宮下橋を過ぎていくと、正面の左手にこんもりとした森が見えてきます。 宮前橋まで来ると、角には「富士仙元大菩薩」と刻まれた石碑などが幾つか並んでいました。 そこから左手へ道が分かれていきます。 宇田川と並行する道と直角に左手へ続く道の二つがありましたが、 左手の道の先を覗ってみると「三嶋神社入口」と刻まれた石柱が立っていたので、 ちょいと立寄っていくことにしました。
三嶋神社
竹林に続く広い石段を登っていくと広めの道に出ます。 そのすぐ先の短い石段を登って鳥居をくぐっていくと、広い境内がありました。 境内を横切ってその先の石段を登った所に三嶋神社がありました。 由緒書きは見かけませんでしたが、正面には「三嶋神社」の扁額が掛かっていました。 社殿の右側には秋葉神社と大六天神社がありました。 稲荷社でしょうか、左側には赤い鳥居と赤い祠もありました。 境内には横浜市の名木古木に指定されているスダジイ・モミ・ヒノキなどの大木もありました。 周囲は竹林になっていて、地面から頭を出したタケノコも見かけました。
専念寺
三嶋神社から引き返して、宮前橋の手前から宇田川と並行するように続く森の中の道を進んでいくと 専念寺がありました。 本堂の前の両側には巨木が生えていました。 左手には大きな庫裡のような建物があり、右手には六地蔵があったり墓地になっていました。
専念寺
深谷山青揚院と号し浄土宗。 平安の頃、真言宗であったが、天正の頃、北條よりでた存貞上人により今の宗となる。 鎌倉権五郎景正の守本尊薬師如来(行基作)を安置す。 合戦の最中、敵将鳥海弥三郎射た矢が権五郎景正の目に命中したとき、 矢を抜き清水でよく洗い念持佛に祈り眼疾を療した。 後此の地にその薬師如来を安置し、以来眼薬師として近在に知れわたった。
鎌倉権五郎景正と専念寺の深谷目薬師
前九年の役の鎮定功労者陸奥守源頼義の嫡男八幡太郎義家は陸奥守となり赴任したが、 欧州の覇者清原武則家の家督争いにまきこまれ、まれに見る大乱となった。 戦場は沼柵からさらに要害の地金沢柵に移るが、義家軍の苦戦の報が都に届くと、 義家の弟新羅三郎義光(甲斐源氏武田祖)が京から来援、これに力を得た義家が総攻撃し、 非常な苦戦の末、寛治元年11月(1087)、金沢柵を陥落させ、 家衡と武衡を討つことに成功し、後三年の役はようやく終幕となった。 この戦いに弱冠16歳の鎌倉権五郎は金沢柵の戦いで敵の矢に左目を射抜かれると、 戦友三浦為次が駆け寄り、景正の顔に足を掛け、その矢を抜こうとするや、 景正は「武士の顔に足を掛けるとは」と怒り、刀を抜いて切りかかったと言う。 凱旋後景正は守り本尊の深谷薬師に治療の願をかけ、寺の前の清流で目を洗ったところ、 たちまちにして目の傷が癒えたと言われる。 深谷薬師は霊験あらたかな目薬師如来として信仰厚く、今も12年毎に開扉している。 鎌倉時代に活躍した大庭、俣野、梶原一族も戦国大名上杉謙信も鎌倉権五郎景正の子孫である。
 (大正地区歴史散歩の会)
本堂の正面にある門から出て行くと、脇に石碑が立っていました。 「是者鎌倉権五郎景正守本尊 ふかや薬師青陽院江之道」と刻まれていました。 石段を降りると、正面に赤い欄干の専念寺橋が架かっていますが、その手前を左折していきます。 すぐに車道に出ると深谷橋が架かっていますが、 道路を横断して宇田川の右岸を更に進んでいきます。
この道標は、當寺第八世尊誉専治上人の代に納められた 松平摂津守義行の室吉子(法号青陽院殿梅誉華屋春栄大信女)の位牌参拝の為、 吉子の侍女貞忍(法号西安院堪誉貞忍比丘尼)が施主となり建てたものである。 當初は東海道(現国道1号線)吹上外二ヶ所にあったと伝えられるが、 現在完全なものは県道脇の参道に一基残るのみである。 そこで本年本尊薬師如来開扉法要を記念して復元したものである。
 (平成18年11月吉日 深谷山専念寺第37世専誉彰哲)
程なくして、柵で閉ざされた階段が川面へと降っていきます。 「階段護岸」と云うようです。 そこを過ぎていくと村上橋が架かっています。 宇田川の左岸には「まさかりが淵市民の森」が広がっていて、そこへ続く道もありますが、 今回は右岸に続く赤レンガ敷きになった道をそのまま進んでいきました。
階段護岸について
・この施設は、災害緊急時の消火などに使う水を取る施設です。
・雨や水の多いときは危険です。階段の中に入らないでください。
 (横浜市戸塚土木事務所、横浜市下水道局河川管理課)
2級河川 宇田川
きれいな川は市民の願い
ゴミをすてないで!
 (横浜市戸塚土木事務所、深谷町町内会)
まさかりが淵
宇田川の右岸を進んでいくと、右手へ降っていく階段があります。 その階段を降りていくと、一段低い所にも川沿いに道が続いています。 手前に架かる木橋の先にはまさかりが淵市民の森が広がっていますが、そのまま川沿いに進んでいきます。 樹木が生い茂って雰囲気のいい道を進んでいくと、河原へ降りていく階段があります。 そこから宇田川の川辺へ降りていくと、上流の方には滝状になったまさかりが淵があります。 境川に出た所から55分ほどで到着しました。 この時には前日来の雨のため水量が多く、滔々と水音をたてながら流れ落ちていました。 いつもだと川の中ほどまで歩いていけるのですが、 この時は水嵩が多かったので、岸から手を伸ばして何とか写しました。 対岸の市民の森には、昔から語り継がれている「まさかりが淵」の民話が掲示されています。
まさかりヶ淵(鉞ヶ渕)
汲沢町小無行三百十番地先の宇田川には、「鉞ヶ渕」と呼ばれる幅約八メートル、高さ約三.五メートルの滝があります。 この滝には、昔から次のような話が語り継がれています。
むかしむかし、この滝うらの大きな「やご」に大きい大蛇が住んでいたとよう。 深谷村の番場のあたりに「さき山」がいてなあ、この男が滝の上の山で木を切っていたとよう。 この山はでっかい木がいっぱいでなあ、昼間も暗くすごかったとよう。 男が一所懸命、木を切っているとよう、持っていたまさかりが吹っ飛んでなあ、滝の下におっこちてしまったとよう。 「これはしまった」と滝つぼをのぞいて見たらなあ、なんとたまげるじゃねえかよう、 滝つぼの底は明るくてよう、きれえで、その水の中に、またまたきれえなお姫さまが機を織っていたとよう。 さきやまは、おそるおそるまさかりをおっことしたことを話してよう、 「そこにあるわっしのまさかりを取ってくださらんか」と頼んだとよう。 するとなあ、「これですか」とひろい上げてなあ、 「わたしはここの主です、わたしがここにいることを人に言わないでください」 「もし約束を破れば、あなたの命はたちどころになくなります」といって渡してくれたとさあ。 さき山が、まさかりを肩に家に帰ってみるとよう、近所の人や親類の者が大勢集って念仏を唱え、 法事のまっ最中だったとさあ。 これはなあ、さき山がまさかりヶ渕の上の山に木を切りに出たきり帰って来ないので、 てっきり死んでしまったことと思ってなあ、今日は三回忌の命日だと言うんだよう。 そこえさき山が、ひょっこり帰って来たもんでなあ、 みんな驚いてなあ、色々話を聞きたがったと。 でも、さき山は、まさかりヶ渕の主の、あのきれいなお姫様との約束があるのであなあ、 決して話をしまいと思っていたと。 ところがなあ、ちゃんや、おっかあがしつこく聞くもんでなあ、 つい、まさかりを取ってもらったことを話してしまったとよう。 そしたらその場にばったり倒れてよう、そのまま死んでしもうたとよう。 それからこの滝を鉞ヶ渕というようになったんだと。(汲沢小史より)
鉞ヶ渕の民話には、これとは異なるお話もあるようです。
石垣の上にある一段高い所からは滝を間近に眺められますが、 手前の樹木が少し邪魔をしているのが残念だったりします。 ここにも伝説が刻まれた石碑があります。 更に一段高い所には、民話に登場する「彦八」のでないかという供養塔もあります。
まさかりが淵の伝説
今から200年前のある日、彦八という若い木こりがあやまってまさかりを滝つぼに落としてしまった。 滝つぼをのぞくと美しい娘が機を織っており、 「あなたのまさかりが滝の魔物を退治してくれた」お礼にと三日間ごちそうになった。 帰るとき「私はこの滝つぼの主。私のことを他人に言わないで。言うとあなたの命がなくなります」 彦八が家にもどると三年前に死んだと思っていた家族に 問い詰められ、娘の話をしてしまい、そのまま死んでしまった。 こんな物語を小さな供養塔とともに語り続けてきた滝がこのまさかりが淵です。
 「かながわのむかし話」より
この供養塔は、深谷町565番地に住む山田実さんの墓地にあったものを移したもので、 まさかりが淵の民話に登場する主人公「彦八」の供養塔ではないかと語り伝えられてきたものです。
東屋
川辺から上がって、宇田川の右岸に続く道をその先へ進んでいきます。 牛舎を過ぎていくと殿山橋が架かっています。 その先で右手から川が合流してきていて、橋も架かっています。 右岸を更に進んでいくと車道に出ます。 右手に架かる的場橋を渡っていくと東屋があります。 影取バス停から1時間35分ほどの所にあって、今回のコースの丁度中ほどの地点になります。 歩き始めは霧雨程度でしたが、歩くにつれて次第に雨足が強まってきました。 足元が濡れてもくるので、雨宿りを兼ねて、ここでひと休みしていきました。
宇田川水辺愛護会掲示板
ここは汲沢さつき町内会宇田川水辺愛護会が美化活動をしています。 みなさんのご協力をお願いします。 みんなの川だよ きれいにね。
 (汲沢さつき町内会宇田川水辺愛護会、戸塚土木事務所)
少し待っていても雨足が弱まる気配はないので、諦めて先へと進んでいきました。 的場橋からは両岸に道が続いています。 右岸の方が広めの道になっていますが、今回は左岸を進んでいきました。 最初は広い道ですが、途中から狭い道になってきます。 対岸には道幅が広がった所があって、そこから川辺へ降りていく階段もありました。 細くなった道を進んでいくと再び車道に出ます。 道路を渡った先にも道が続いていましたが、この時には工事中のため柵で閉ざされていました。 仕方がないので、左手に架かる川向橋を渡って、右岸に続く坂道を登っていきました。
左岸を見ると、遊水池のような施設を建設しているようでした。 坂を登っていくと十字路があり、角には金網で囲まれた小さな雨水調整池がありました。 そこを右折して住宅地を1分ほど進んでいくと、右手へ細い道が分かれていきます。 その道を降っていくと、宇田川の上に続く道に出ました。 住宅地に沿って進んでいくと、左へ曲がっていく角から土の道が分かれていました。 アヤメ類も咲いていて雰囲気が良さそうだったので、その道を降っていきました。 すぐに緩やかになって、左手に並行する舗装路と右手の金網柵に挟まれるようにして細い道が続いていました。
汲沢西 雨水調整池
この池は、大雨のとき、雨水を一時貯留し下流へ少しずつ流し、 河川の氾濫を防ぐ大切な役目をします。
施設概要 貯水量45.51立方m、水深1.44m、地底面積31.63u
きけんですから、なかにはいらないでください。
 (環境創造局水・緑管理課、戸塚土木事務所)
石垣沿いに進んでいくと橋が架かっていました。 橋の名前を探してみましたが見かけませんでした。 左前方には汲沢中学校の門がありました。 道路を渡って、宇田川の右岸に続く道を更に進んでいきます。 川には葦類が生えている所もありました。 護岸工事が施された中にあって、少しながら自然を感じられたりもします。
右手から川が合流してくる所を過ぎていくと、左右に通る道に出ます。 右手には中田橋が架かっています。 この辺りまで来ると、宇田川の幅もかなり狭まってきました。 川沿いの道はここで途切れていますが、 左手10mほどの所から更にその先へと道が続いていたので、その道へ入っていきました。
(写真は中田橋から上流方向を写したものです)
宇田川から少し離れた所に続く住宅地の中の道を進んでいきます。 左右の路地は見送って道なりに真っ直ぐ進んでいきます。 右手の路地のすぐ先には川に架かる橋が見えていたりします。 4分ほど進んでいくと、正面の道が狭角に二股に分かれている所があります。 左手にはたばこ店があり、正面の角には高砂自治会館があります。 赤い消化箱が設置されていて「初期消火箱設置の家」とのことです。 脇には「高砂自治会案内図」がありました。 今では「中田西4丁目」という名前になっていますが、 以前にはこの辺りは「高砂」という地名だったようです。 ここは右側の道を進んでいきます。
かばた橋
住宅地の道を道なりに進んでいくと左右に通る道に出ました。 川沿いの道はそこから少し左へ寄った所からその先へと更に続いていますが、 右手にはかばた橋が架かっていたので、ちょいと立寄っていきました。 橋を渡った所に案内板が設置されていて、 先ほどの中田橋からこの先の広中橋の間にある12の橋についての解説が載っていました。 的場橋の傍の東屋から25分ほどの所になります。
旧暦月と橋は共に12個と同じ数あるので、すべての旧暦月の名前の橋があるのかと思っていると、 「師走橋」というのはありません。 「かばた」という名前はどうしても残しておきたくて、最後の「師走」が漏れてしまったのでしょうか。
「かばた橋」名称の由来
この橋の名称の由来は、4000年〜5000年前の縄文中期に、 この地に住んでいた狩猟民や漁労民の利用したと思われる土器片が多数出土している「かばた遺跡」が 戸塚苑付近にあったとされているところからこの名が名付けられたと言われています。 その後、この橋の上・下流11の橋に暦月の名称がつけられました。 また、平成7〜8年土の高欄の再整備の際に、暦月にちなんだ花を描いたデザイン高欄として整備しました。 これらの橋が皆様にとっても親しまれるものとんるよう望んでいます。
(至汲沢中学校) 睦月橋〜如月橋〜弥生橋〜卯月橋〜皐月橋〜水無月橋〜かばた橋〜文月橋〜葉月橋〜長月橋〜神無月橋〜霜月橋 (至みなみ総合センター)
 (横浜市泉土木事務所)
宇田川 みんなで育てよう きれいな川
 (中田町々内会、横浜市下水道局)
かばた橋から引き返して、宇田川から少し離れた住宅地の道を進んでいきます。 1分ほど進んでいくと道が狭角に二股に分かれていますが、右側の道を進んでいきます。 中田保育園を過ぎて、住宅地に続く道を進んでいきます。 8分ほどして右へ少し曲がりながら進んでいくと霜月橋が架かっています。 橋を渡った先のT字路を左折していくと車道に出ます。 その左手のすぐ先に広中橋が架かっています。 角には「JA横浜」の看板があって、橋の手前を右折して宇田川の左岸沿いに続く道を指しています。 ここは広中橋の手前を右折していきます。
なかだ村岡川愛護会掲示板
この川は(水源より下流中田橋まで)なかだ村岡川愛護会が美化活動をしています。 みなさんのご協力をお願いします。 みんなの川だよ きれいにね。
 (なかだ村岡川愛護会、泉土木事務所)
JA横浜の建物を過ぎていくと、川が左手から流れ込んできます。 正面に続く川の方が広そうで本流のように思えますが、すぐ先で細くなってしまいます。 宇田川の本流は左手から流れ込んでくる川の方に思えますが、 橋を渡った先で道は行き止まりになっています。 仕方がないので、ここは右手から遠回りしていきます。
汲沢中学校の辺りから上流へ遡っていくと、幾つもの流れが合流してくるようになります。 どれが本流なのかよく分かりませんが、 今回は手元の地図上で一番北まで続いていそうな流れを辿ることにしました。 正面の川は中田北3丁目にある御霊神社まで続いているようでした。 後日に御霊神社を訪ねてみると、参道脇の弁天池から流れ出る小川に架かる橋の欄干に 「村岡川源流」と刻まれていて、弁天池が村岡川の源流である旨の解説文もありました。
中田町廣町公園
橋を見送って正面の道を進んでいきます。 共働舎の前を過ぎていくと、左手に中田町廣町公園があります。 小橋を渡って公園内に入っていきます。 ブランコなどが設置された小さな公園で、綺麗な花も咲いていました。 奥まで行って公園から出て、その先に続く路地を左手へと進んでいきます。
程なくしてある分岐を左手へ進んでいくと、細い道が右手へ分かれていきます。 角の民家の柵には「中田西1丁目3」の住所標記が取り付けられていました。 そこを右折して竹林の脇を過ぎていくと、畑地の向こうにイトーヨーカドーの大きな建物が見えてきます。 畑の左側には暗渠になった宇田川の流れが続いているようでした。
長後街道
駐車場への入口を過ぎていくと長後街道(県道22号)の広町交差点に出ます。 かばた橋から25分ほどの所になります。 左手にはカレーや牛丼を商う店がありました。 信号を渡って自動車販売店の右手に続く道を進んでいきます。
ネットが張られた運動場の辺りまで来ると暗渠になっていた宇田川が再び姿を現しますが、 かなり幅が狭まってきて、川というよりも、もはや水路といった雰囲気になってきます。 突き当たりまで行って川から少し離れ、右・左と折れ曲がって、住宅地の間を進んでいきます。
集合住宅が建つY字路を左手へ進んでいくと、左右に通る道に出ます。 そこを左手へ進んでいくと、企業の大きな寮が建っています。 そこを過ぎていくと左右に通る道に出ます。 正面には緑地への道が続いていますが、左手すぐの所から正面へ続く道を進んでいきます。
広域避難場所
中田町2921番地付近耕地一帯
地震に伴う大火災が多発し延焼拡大した場合、火災の熱や煙から市民の生命・身体を守る場所、 それが広域避難場所です。 「中田町2921番地付近耕地一帯」は広域避難場所として土地所有者の御協力を得て指定したものです。 避難者は次のことを守って下さい。
1. この場所は一時的な避難場所であり、延焼の危険がなくなりましたら自宅、事務所にお戻りください。
2. 家が壊れて自宅に戻れない場合、あらかじめ指定された下記の震災時避難場所(地域防災拠点)へ行ってください。
新橋小学校、中和田中学校、中田中学校、東中田小学校、西が岡小学校、領家中学校
 (横浜市)
再び宇田川に沿って続く道を進んでいきます。 左右には畑地が広がっていて、野菜などが栽培されていました。 正面に見えるこんもりとした森は中田中央公園のようです。
中田中央公園
森まで来ると、右手に階段があったので、中田中央公園の中へ入っていきました。 よく整備された雑木林の森になっていて、散策するのによさそうな所でした。 宇田川から余り離れないようにして進んでいくと十字路に出ました。 振り返ると、「緑の大地」と題した立派な記念碑がありました。
緑の大地 土地改良事業完成記念碑
事業の由来
この碑の前方に広がる緑の大地一帯は、西に大山・美しい富士の姿を望む、横浜市の西部に位置する台地であり、 中田町北部の丘陵地帯の一部である。 緩傾斜の畑地帯、形状の小さい水田の集合が南北に細長く連なる湿田地帯をなしていた。 道幅は狭く、耕作用トラクターが入れず、農作業及び作物の運搬にも非常に不便であり、 そのため農業の近代化・合理化を妨げていた。 昭和38年当地の地権者80名は、第一次農業構造改善事業に踏み切り、 土地改良事業として、区画整理・基盤整備・農道整備を行政の指導のもとに実施、 測量・そして団体営事業に着手したが、その辛苦は計り知れないものであった。 その困難を克服し、総事業費5億円余、40年余にわたる総合農地の整備がここに完了した。 これは組合員一同の熱意と努力の表われであり、中田の歴史的大事業として、 農業形態の変化、近代化、合理化、近隣地域の発展に寄与したところ大であります。 この完成に当たり、その足跡を残し、中田の農業の歩みの一端をここに記し、後世に伝えるものとする。
事業主体横浜市泉区中田土地改良区
総面積30ヘクタール
設立認可昭和39年7月28日
十字路を直進して、水路のようになった宇田川沿いの道を進んでいきます。 この辺りに広がる畑地は、防災協力農地になっているようでした。
防災協力農地
この農地は、大災害が発生した場合に、避難空間や仮設住宅の建設用地などとして利用出来るよう、 所有者の御好意により登録された農地です。 農地は、農作物の生産の場であるほか、環境上も防災上も重要なスペースです。 農地を保全するため、平常時には農地に立ち入らないよう、 またゴミを投げ捨てないよう、市民の皆様の御協力をお願いします。
 (横浜市緑政局)
農地の中に続く道を真っ直ぐ進んでいくと、左右に通る道に出ます。 正面には「中田農業専用地区」の看板が設置されていました。 付近の地図も載っていて、これから向かう弥生台駅までの道も少し載っているので参考にしましょう。 この正面には僅かな高台があって、その先は降り坂になるので、 ここまで続いてきた宇田川はこの辺りで終わりになるようです。 細い水路はまだ続いているのかも知れませんが、今回はこの辺りが源流域のひとつだとしておきます。
中田農業専用地区
ここは、横浜市の農業専用地区に指定されています。 農業専用地区は、優良な農地を計画的に保全し、積極的に農業の振興をはかることによって、 新鮮な農産物の供給を増進させるとともに、緑の環境として市民生活にうるおいを与えるものです。 緑豊かな住みよい街づくりのため、都市農業の発展に皆様のご理解と御協力をお願いします。
 (横浜市環境創造局、中田農業専用地区協議会)
左折して登り坂になった道を進んで僅かな高台に出ると、左右に通る車道に出ます。 そこを右折して150mほど進んでいくと、左手に二つの道が分かれていく逆K字路があります。 ここから左手の先の方の道へ入っていきます。 角に立つ電柱には、内科・皮膚科のクリニックへの入口を指す看板が取り付けられていて、 その道を指しています。 辺りには特区農園に指定されている畑が広がっています。
横浜市市民利用型農園 特区農園
この農園は、特定農地貸付法に基づき開設された市民利用型農園です。 平成19年4月認定。 利用方法等については下記の開設者(又は管理者)に直接お問い合わせください。
 (横浜市)
弥生台南公園
畑地の中に続く道を真っ直ぐ進んでいくと、U字形に分かれた道に出ます。 どちらへ進んでいってもいいようでしたが、今回は右手の道を進んでいきました。 左へ曲がりながら進んでいくと、降り傾斜が増してきます。 住宅地に降りた先のY字路を左折していくと、十字路の角に弥生台南公園があります。 遊具が幾つか設置されているだけの閑静な公園で、子供の遊び場にもなっているようでした。
弥生台(やよいだい)駅
弥生台南公園の左手を進んでいくと、県道218号弥生台駅入口交差点に出ます。 信号を渡って真っ直ぐに進んでいくと、弥生台駅(相模鉄道いずみ野線)に着きました。 長後街道の広町交差点から30分ほどで到着しました。
駅前からは戸塚駅(JR東海道線)までのバスも出ています。 [戸12][戸39]戸塚駅東口行きバス,または, [戸79]戸塚バスセンター行きバスにて18〜22分、1時間に3本から4本程度の便があります。