雨乞山
散策:2009年02月下旬
【低山ハイク】 雨乞山
概 要 雨乞山は相模川と宮ヶ瀬湖の間にある低山です。 その昔には雨乞いの行事が行われた山で、関東ふれあいの道も通っています。 今回はその東側にある三増峠から志田山を経て雨乞山へ登り、稲生地区へと降っていきます。
起 点 愛川町 上三増バス停
終 点 相模原市 上稲生バス停
ルート 上三増バス停…天神橋…菅原神社…三増峠登り口…三増峠…小ピーク…志田山…小ピーク…志田峠分岐…韮尾根分岐…雨乞山…北尾台地…からさわ橋…向橋…上稲生バス停
所要時間 2時間40分
歩いて... 三増峠から志田山を経て雨乞山へと続く尾根道は、一部に急坂があったものの、 概ね歩き易い道が続いていました。 しかし、前日に降った雪が少し残っていて滑り易くなっていたり、 梢から雪解け水が滴り落ちてきて冷たい思いをしたりもして、天候的にはあまり恵まれませんでした。
関連メモ 山里から津久井湖へのみち, 小倉山
コース紹介
上三増(かみみませ)バス停
本厚木駅(小田急小田原線)の北口を出て、 海老名方面へ少し進んだ所の交差点を渡った左手にある厚木バスセンターから、 [厚60][厚96]上三増行きバスにて40〜41分、1時間に2本程度の便があります。
バス停のすぐ先から右手へ分れていく「さがみ野霊園」への道を見送って、 県道65号を道なりに真っ直ぐ進んでいきます。
バス停のある所はバスの折り返し場になっていて広くなっています。 脇に「相模国夢紀行」と題した案内板が設置されていて、 この付近で行われた三増合戦などが紹介されていました。
相模国夢紀行
小田原城を攻撃したものの、北条方の徹底的な籠城作戦のため、これを落とすことができなかった武田軍は、 小田原を立ち、相模湾沿いに平塚まで進み、平塚から相模川を右に見ながら北上、現在の厚木市から愛川町に入り、 合戦の後、津久井町、相模湖町、藤野町を経て甲州へ帰還しました。 厚木あたりから武田勢が通った道が、古くから信玄道という名前で呼ばれ、 この経路沿いには、このあたり以外にも、厚木市から藤野町にかけて、図で紹介しているとおり、 三増合戦や信玄にゆかりのある史跡や伝承が多数残されています。 ここだけではく、他のエリアにも残っているこれらのゆかりの地も是非お訪ねになってみてください。 県商業観光課では、このゆかりの地をとりあげ、 詳しく紹介したパンフレット「かながわ歴史的観光ルート・マップ・相模国夢紀行」を作成しています。
このあたりは、1569年、北条方と武田方の間で戦われた三増合戦の戦場となったところです。 三増合戦は、歴史の表舞台からは忘れ去られているようですが、 小田原城を攻撃したもののこれを落とすことができず、甲州へ引き上げようとする武田軍と、 北条軍との間で行われた戦さです。 この戦いは、北条方3269人、武田方900人の戦死者を出し武田方の勝利に終わりますが、 図で紹介しているとおり、付近には合戦や信玄にゆかりのあるところが多数残っています。 散策のかたわら、400余年前の戦いの跡や往時の面影を偲んでいただければと思います。
 (神奈川県)
天神橋
竹林を過ぎていくと、KDDIの愛川三増南局の電波塔が立っています。 その袂を過ぎて相模野カントリー倶楽部へ続く道を右手に分けていきます。 愛川町上三増公民館を過ぎていくと、天神沢に架かる天神橋があります。 橋を渡っていくと、左手に「八_三_大神」と刻まれた丸まった石碑があります。 裏面に刻まれた文字によると、明治36年1月に建立された石碑のようです。 両脇には「馬頭観世音」と刻まれた四角い石碑もありました。 それらの前には人形などがお供えされていました。
砂防指定地 天神沢
この土地の区域内において宅地造成、家屋の新築、土採取等の行為をする場合は 神奈川県知事の許可が必要ですから、厚木土木事務所にご相談下さい。
三増峠自然環境保全地域
57.6ha 自然を大切に
建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県県央地区行政センター環境部、愛川町農政課)
菅原神社
天神橋を渡ったすぐ先から右手へ道が分かれていきます。 三増峠へは県道65号をそのまま進んでいくのですが、 右手の道の先に菅原神社があるようなので立寄っていきました。 機械加工所や民家の間に続く道を登り気味に進んでいくと、正面にこんもりとした森が現れます。 道はその森の手前から右手へと曲がっていきます。 手元の地形図にある破線の道のように思えました。 正面には鳥居が立っていて、その両脇には常夜燈がありました。 鳥居をくぐった先にある数10段の石段を登っていくと菅原神社の境内に着きました。 社殿の中には白木の社が納まっていました。 数日前に祭礼が行われたようで、この時には数名の人達がその後片付けの作業をしていました。
菅原神社から県道65号に戻ってその先へ進んでいきます。 軽く登り気味に続く県道を進んでいくと、竹林の袂に「三増峠」の解説板が立っていました。 その昔の三増合戦のおりに武田勢が通行した峠道なのだそうです。 脇には「いらっしゃいませ」と書かれた幟が旗めいていました。 そこを過ぎていくと、中古自動車置場のような所があります。 囲いの中に犬がいるようで、私が通りかかると吠えていましたが、姿は見えませんでした。
三増峠
三増峠は志田山塊の東端「下の峰」にかかる峠路で、三増峠越え、または三増通りの名がある。 中世のころは、信濃(長野)・甲斐(山梨)から鎌倉に向う古街道であった。 永禄12年(1569)北条・武田両軍が戦った三増合戦のおり、武田方の小荷駄隊が通行した道で、 信玄道の名も残している。 皇国地誌残稿に「 松ヶ平ヨリ西北上ルコト五百六十七間三尺(約1キロメートル)ニシテ 嶺上ニ達シ是ヨリ津久井郡根小屋村ニ連ナル険ニシテ近便ナリ 」とある。
 (愛川町教育委員会)
三増峠登り口
中古自動車置場を過ぎていくと、先の方に三増トンネルの入口が見えてきます。 トンネルを目指して県道を進んでいくと、100mほど手前から右手へ道が分かれていきます。 その入り口には「三増峠登り口」の石標が立っていて、簡単な解説文も刻まれていました。 また「三増峠ハイキングコース 峠まで540m」の道標も立っていて、 右手へ分れていく道を指していました。 菅原神社へ立寄っていたこともあって、上三増バス停から25分ほどで到着しました。
三増峠登り口
みませとうげのぼりぐち
この峠は、三増合戦のおり、武田勢が帰陣に用いたと伝えられるなど、 愛甲と津久井、山梨方面とを結ぶ道筋の要衝であった。
 (愛川町教育委員会)
豊かな緑 山火事注意
たばこ・たき火は完全に消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
小さな沢を渡って、谷筋の植林帯に続くコンクリート舗装された広めの道を緩やかに登っていきます。 左手を流れている沢は栗沢というようです。 左側に柵が続くようになった道を登っていくと、 沢を渡った所から道が右手へと分かれていきます。 その先を覗ってみると大きな砂防ダムが見えていますが、そのまま正面に続く道を進んでいきます。 舗装路はここで終って、この先は土の道になります。 前日に降った雪が道端に少し残っていたので、 山道はどうなっているのだろうかと心配になってきたりもしました。
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。
 (神奈川県)
両側に柵が続くようになった道を緩やかに登っていきます。 雑木が生い茂る所を過ぎて植林帯へ入っていくと、広い板が道に敷かれていました。 ちょっとした水の流れが道に続いているので、その対策のために設置されているようでした。 そこを過ぎていくと広めの横木の階段が現れます。 段差は高くはなくて歩き難くはありませんが、 前日の雪のためか、道には少し水が流れていました。 谷側にはロープ柵だったと思われる支柱が転々と立っていましたが、 ロープは無くなっていて、柵としての用は成さなくなっていました。 右・左と何度か曲がりながら登っていきます。 かつては峠道だったことを偲ばせる広めで歩き易い道になっていました。
左手の樹木が途切れて景色が見渡せる所を過ぎて右へと曲がっていきます。 植林帯の斜面を横切るようにして進んでいくと、再び横木の階段が現れます。 左手へ曲がっていくと、切通しのようになった先に三増峠があります。 その手前の左手の高みに石仏があるので、ちょいと立ち寄っていきました。 「吉祥海雲」と刻まれた台座の上の蓮台に座った石仏と、その両側に小振りの石仏が並んでいました。 台座の側面には他の文字も刻まれていましたが、下の方は土に埋まっているし風化も進んでいました。 「相州愛甲郡三…」等と刻まれているようでしたが、明瞭には判読できませんでした。
三増峠 (標高319m)
石仏から元の道に降りてその先へ登っていくと、すぐに三増峠に着きます。 三増峠登り口から12分ほどで登って来られました。 正面の左右に続く道は小倉山林道になりますが、 手前には鉄パイプが設置されていて封鎖されていました。 柵には貼り紙がしてあって「バイク・自転車進入禁止」となっていました。 バイクや自転車が林道へ入ってくるのを防止するための柵のようでした。 柵の手前の右手からは尾根道が降ってきて、柵を抜けた左手の尾根へと続いています。 この三増峠は小倉山林道と尾根道が接している所になっています。 柵を抜けて林道へ出てみると、向こう側を向いた標識が立っていて、 「三増峠 標高319m」となっていました。 手元の地形図には、この峠を越えて北側へ降っていく道も描かれているので、 林道の左右50mほどを探ってみましたが、廃道になったのか、それらしい道は見かけませんでした。
バイク・自転車進入禁止
ここは専用林道です。 事故防止のためバイク・自転車の乗り入れはご遠慮下さい。
 (東京神奈川森林管理署)
柵を抜けた所から西側の尾根に登っていく道が、雨乞山へと続く尾根道になります。 その入り口にも鉄線やトラロープで封鎖されていましたが、尾根道が通行止めということではなくて、 バイクや自転車が迂回して林道へ入ってくるのを防止する目的で設置されているように思えました。 その登り口には道標が設置されていて、西へ続く林道は「根小屋」、 西側の尾根道は「志田・韮尾根」、今登ってきた道は「三増」となっています。 東へ続く林道や尾根道には何も示されてはいません。 今回はここから西側へ続く尾根道を通って雨乞山へと向っていきます。
(東側の尾根道は「小倉山」を参照)
柵を抜けて尾根道を登っていきます。 細木などが茂る植林帯に、しっかりとして分かりやすい道が続いていました。 所々には前日の雪が残っていて滑りやすくなっていました。 道に沿って、頭を赤く塗られた林野庁の境界見出標が点々と設置されているので、 それらを確認しながら登っていきました。
三増峠から6分ほど登っていくと、右手の樹木が低くなって、山並みなどを見渡せる所がありました。 雨上がりの水蒸気が雲になって山にかかっていて、遠くの方はぼんやりとしていました。 よくは分かりませんが、方角すると、右手前にあるのが城山で、 その奥に横たわっているのは、大垂水峠を経て小仏城山へと続く山並みでしょうか。
小ピーク
僅かな高みを越えて浅い鞍部から登り返していきます。 引き続き、植林帯の尾根に明瞭な道が続いていますが、次第に傾斜が増してきます。 木の根が剥き出した所もあったりする尾根道を滑らないよう注意しながらゆっくり登っていくと、 三増峠から13分ほどで緩やかな高みに着きました。 手元の地形図によると、三増峠の南西300m辺りにある標高400mほどの高みになるようです。 周りは樹木に囲まれていて展望は得られません。 一番高そうな所を僅かに過ぎて降り始める所に「境界見出標261」がありました。 ここから少し右手へ曲がって降っていきます。
1分ちょっと降っていくと、明るめの鞍部に着きます。 その先の植林帯へ入って登り始めると、道が二手に分かれています。 手前の樹木に手製の道標「韮尾根」が取り付けられていますが、どちらを指しているのかは分かりませんでした。 確かめた訳ではありませんが、左手の道は山頂を巻いて降っていく道になっているようです。 正面に登っていく道が志田山の山頂へと続いています。 細木が生い茂る正面の植林帯を登っていきます。 前日の雪がかなり残っていて滑りやすくなっていたので、足元を確認しながら慎重に登っていきました。 点々と設置されている境界見出標を辿りながら登っていきます。 所々で倒木が道を塞いでいたりもしましたが、難なく通っていけました。
志田山
先ほどの分岐から3分ほど登っていくと、右手の高みを掠めて左へ曲がりながら降るようになります。 降り始めの所から右手の高みへ道が分かれていました。 その先を覗いてみると赤く塗られた樹木が見えていました。 何だろうと思ってちょいと登ってみると志田山の山頂なのでした。 先ほどの小ピークから6分ほど、三増峠から20分ほどで到着しました。 手元の地形図によると、標高410mほどはあるようです。 ここも周りが樹木に囲まれていて展望は得られません。 樹木の袂には「境界見出標266」があり、壊れた道標もありました。 支柱には「志田山」と書かれていて、「韮尾根」と「三増峠」の板がありました。 樹木の脇からその先へ続く僅かな踏み跡もあったので、 道標がどちらを指していたのかは定かではありませんが、 高みを掠めて左手へ曲がりながら降っていく道が「韮尾根」で、 今登ってきた道が「三増峠」になると解釈しました。
小ピーク
手前の分岐まで戻って、その先へと降っていきます。 植林帯に続くかなり傾斜のある道を2分ほど降っていくと、馬の背のようになった緩やかな道になってきます。 そこを過ぎて僅かに登っていくと、志田山から3分半ほどで、 「境界見出標269」のある僅かな高みに着きました。 手元の地形図によると、志田山の南南西150m辺りの標高390mほどの高みになるようです。 ここで道が左右に分かれています。 両方とも同程度の道になっているので、どちらへ進んだものかと辺りを見回していると、 脇の樹木に「←志田峠・三増峠→」と書かれた手製の道標が取り付けられていて、右手の道を指していました。 ここは道標に従って、右手の道を降っていきました。
植林帯に続く歩き易い道を1分ほど降っていくと、左手から道が合流してきます。 角に生える樹木に巻きつけられたテープに書き込みがされていて、 左手の道は「バス停」、今降ってきた道は「峠」となっていました。 左手の道は、先ほどの小ピークから左手へ降ってきた道と合流して、 志田峠を越えていく道路へ降りていかれるようですが、 今回は緩やかになった右手の道を進んでいきました。
志田峠分岐
広めで緩やかな尾根道を1分半ほど進んでいくと、少し右へ曲がって右傾斜の斜面を進むようになります。 斜面に続く登り気味の道を進んでいくと、「境界見出標277」がある尾根の肩に着きました。 手元の地形図によると、417m峰の北東150m辺りの標高410mほどの尾根の肩になるようです。 先ほどの小ピークから5分ほどの所になります。 道はここから少し左手へと曲がっていきます。 左へ歩き出したすぐの所から、左の高みへと続く道が分かれていきます。 角には壊れた道標が落ちていて、左の高みへ登っていく道は「志田」、 正面に続く道は「韮尾根」、今来た道は「三増峠」となっていました。 左手の道もかなりしっかりとしていて、 確かめた訳ではありませんが、417m峰を経て志田峠の辺りへ降っていく道のようでした。 今回は正面の右傾斜の斜面に続く道を雨乞山へと進んでいきました。
2分ほどで高みを巻いて尾根の背を進むようになります。 広めで緩やかな歩き易い道が続いています。 志田峠分岐から4分ほど進んでいくと、尾根の左側を降るようになります。 道には落ち葉がかなり積もっていて、フワフワとした感触が心地よかったりもします。 滑るようなこともなくて、快適な道になっていました。
韮尾根分岐
次第に道幅が狭まってきて、崩壊気味の斜面沿いの道を降っていきます。 僅かな切通しのような所を過ぎて尾根の背に乗り、再び広くなった道を進んでいくと分岐があります。 志田峠分岐から10分ほどの所になります。 角には「関東ふれあいの道」の道標が立っていて、路傍サインの石標も設置されています。 手前にはベンチもひとつ設置されています。 道標によると、正面に登っていく道は「雨乞山0.4km」、 左手に降っていく道は「韮尾根バス停1.8km」となっています。 左手から登ってきて雨乞山を経て城山へ降っていく道は、 関東ふれあいの道「山里から津久井湖へのみち」にもなっています。 今回は正面に続く尾根道を雨乞山へと登っていきます。
地形図では、首都圏自然歩道(関東ふれあいの道)は429.1m峰のすぐ脇へ登っていくようになっていますが、 実際にはその南東400m辺りで尾根道と合流していて、現状とはかなり異なるルートに描かれています。
広くてしっかりとして歩き易い尾根道を緩やかに登っていきます。 暫くすると浅くV字形に抉れてきて、少し歩き難くなってきますが、 傾斜が緩やかになってくると、再び歩き易い道になってきます。 植林地になった尾根道を進んでいくと、韮尾根分岐から4分ほどで、 左手の樹木が低くなって丹沢の山並みを見渡せる所がありました。 今回のコースは展望の広がる所が少ないので、貴重な眺めになります。 山の上には雪が積もっているようでした。
雨乞山 (標高429.1m)
引き続き、広くて緩やかな尾根道を登っていきます。 林床に熊笹が生えるようになると、緩やかな高みになった雨乞山に着きました。 韮尾根分岐から6分ほど、志田山から30分ほどで到着しました。 三等三角点のある雨乞山の周りは樹木に囲まれていて展望は得られません。 「雨乞山429m」と書かれた標識の脇には小さな鳥居があったりもしますが、 むかし行われたという雨乞いの行事と関連があるのでしょうか。
雨乞山の名は、むかし土地の人がこの山に登り「雨乞い」の行事を行ったことに由来するようです。 「雨乞い」の行事には、山の神様の好きなものをお供え物をして雨を降らせたという説と、 嫌いなものをお供えすると怒って雨を降らせたという説があるようです。
雨乞山からその先へ歩き始めると、すぐの所から左手へ道が分かれて降っていきます。 道の中ほどには、「水源の森林」の標柱と境界見出標があります。 標柱にはマジックで「H18-協-60」や「1538」と書き込まれていました。 関東ふれあいの道は正面に続く広い尾根道を降っていくのですが、 今回はここから左手へ分れていく道を降ることにしました。
植林帯の急斜面を降っていきます。 かなりの傾斜があって、真っ直ぐに足を置くことが出来ません。 体を斜めに向けて、ずり落ちたりしないよう足元に注意しながら慎重に降っていきました。
そんな急坂を3分ほど降って、道端に笹が生えるようになると、傾斜も緩やかになってきて、 真っ直ぐに歩いていけるようになります。 緩やかになった尾根の背に続く道を快適に進んでいくと、「1529」の標柱が立っています。
更に1分ほど進んだ所にある「1528」の標柱を過ぎ、僅かな高みを越えて降っていきます。 傾斜はかなりありますが、尾根から降り始める所にあった急坂ほどではなくて、 真っ直ぐに歩いていくことが出来ました。 林床には杉の葉が沢山落ちていて、フワフワとして感触のいい道になっていました。
傾斜が緩やかになって、「1521」の標柱を過ぎていくと、桧の幼木の植林地に入っていきます。 この辺りから道は細くなってきて、林業の作業路という感じになってきます。 真っ直ぐに降っていくのではなくて、右・左と大きく折れ曲がりながら、徐々に降るようにして続いています。
次第に大きな樹木になってくる植林帯を大きくジグザグと折れ曲がりながら降っていきます。 やがて桧から杉へと樹種が変わってきます。 左傾斜の斜面を進むようになると、樹間からは畑が間近に見えるようになります。 山際に墓地が点々と続くようになると、 笹が生えるようになった辺りから左手へ降っていく道が分かれていきます。 角には「水源の森林」の標柱が立っていました。 道標類は見当たらず、どちらへ行けばいいのか迷う所です。 試しに真っ直ぐ進んでみると、少し先で笹竹が益々生い茂るようになって道が不明瞭になっていました。 ここは左手へと分れていく道を降っていきます。
北尾台地
太い樹木が並んで生えている道を降っていくと、程なくして広い畑地に出ました。 雨乞山から25分ほどで降りて来られました。 正面に広がる北尾台地の向こうには山並みが続いていました。 これまでは見通しの利かない山道が続いていたので、晴れ晴れとした気持ちになりました。 手前には幅2mはある農道が通っていました。 お昼にはまだ時間がありましたが、道端に腰を降ろして、景色を眺めながら昼食タイムにしました。
からさわ橋
農道を左手へ進んでいくと15分ほどで韮尾根バス停へ出られますが、 今回は上稲生バス停へ向うべく、右手へと進んでいきました。 1分ほどして広い舗装路に降り立ち、右へと進んでいきます。 すぐの所にある十字路を直進して僅かに登り気味に進んでいきます。 この舗装路も農道で、この時には整備工事が進められていました。 程なくして降るようになると、からさわ橋を渡っていきます。
ここは神奈川県民の水源地です。 ごみのないきれいな自然を守りましょう。
 (津久井警察署、津久井町役場、串川地区環境美化推進協議会)
橋を渡って、石垣沿いの舗装路を2分ほど降っていくと、 右手へ曲がっていく角から左へ道が分かれていきます。 入り口の脇には「韮尾根沢」の看板が立っていました。 このまま広い舗装路を進んでいってもいいのですが、 手元の地図によると左手の道の方が少し近道のように思えたので、 今回は左手の道を降っていきました。
砂防指定地 韮尾根沢
この土地の区域内において宅地造成、家屋の新築、土採取等の行為をする場合は 神奈川県知事の許可が必要ですから、津久井土木事務所にご相談下さい。
 (津久井土木事務所)
雑木や竹などの林に沿って続く舗装路を降っていきます。 民家が点在するようになった脇を降っていって少し傾斜が増してくると、 道端に赤い頭巾や前掛けをした地蔵や道祖神などが並んでいました。 かなり前からあるもののようで、石が苔生していました。
更に降っていくと、広めの道の曲がり角に出ます。 手元の地図によると、先ほど分かれてきた道になるようです。 広めの道に出て左手へと更に降っていきます。 かなり傾斜のある坂道を降って資材置場の辺りまで来ると、正面には集落が見えるようになります。 これから向う稲生地区になるようです。 手元の地形図によると、この辺りへ降ってくる破線の道があるようなので、 注意を払いながら歩いていきましたが、それらしい道は見かけませんでした。
向橋
民家を過ぎて左へ曲がりながら降っていくと、串川向橋が架かっています。 先ほどの標識にあった韮尾根沢は、ここで串川に注ぎ込んで終っています。 橋を渡った少し先の所から右手へ道が分かれていますが、「この先50m行き止まり」の標識が出ています。
左手へ曲がっていく広い方の道を緩やかに登っていき、 老大木が生える民家の所まで来ると、道が左手へ分かれていきます。 角には「串川農免道路完成記念碑」がありました。 車道へ出るにはどちらの道でもいいのですが、上稲生バス停に向うのには左手の道が近道になります。
串川農免道路完成記念碑
志田山の麓に広がるこの韮尾根北尾台地は、古くは養蚕を中心とした生産活動が営まれて来たが、 農業振興地域として農業近代化が進められるにおよび、道路が狭く農耕に不便なため、 道路の整備が耕作者から強く要望されていた。 昭和48年に町は農業の近代化に即応した道路整備について地元関係者と協議を重ねた結果、 農林漁業用揮発油税財源身替農道整備事業により実施することが決定、 国及び県に要望し、昭和49年4月、国において採択されたものである。 本事業は受益面積68ヘクタール、受益戸数110戸、昭和49年度着工し、 8年の才月を経て、延長2200余メートル、幅員6メートル、総事業費3億7千余万円をもって、 県が事業主体となり、関係地主及び役員の協力によって、 願望の道路が昭和56年11月に完成した。 ここ沿革の概要を誌し後世に伝え、事業完成の記念とする。
 (串川農免道路建設促進委員会)
上稲生(かみいのう)バス停
記念碑の左手に続く道を進んでいきます。 小さな祠のある民家の脇を過ぎて緩やかに登っていくと県道510号に出ます。 その正面に上稲生バス停があります。 北尾台地に降り立った所から18分ほどで到着しました。
橋本駅(JR横浜線)まで、[橋07]橋本駅北口行きバスにて29分、便数は少なくなっているので、 歩き始めや降りてくる時間などを調整しておくといいようです。
 土日曜 ...12:15 13:15 15:55 16:55 17:55 18:55
道路の下には隠し沢が流れています。 三増合戦の折、武田勢が隠れていた沢なのだそうです。
古戦場 圍ひ沢(隠し沢)
甲斐の武田信玄は、北條氏康の居城小田原を攻めて甲府に帰陣をせんとして、相模川に沿いて北上し、 津久井愛甲の二郡に境する三増峠に待機をしたる北條勢と相戦ふ。 時に永録12年10月8日なり。 世に伝えられる三増合戦である。 「甲陽軍鑑」に記する処によれば、この合戦の時に武田信玄は、北條氏の出城である津久井城の備えとして、 武将小幡尾張守重定に命じて、手兵1200人をこの沢に、たむろせしめたり、 故にその名が伝えられている。 其後天保6年3月13日、八王子千人隊十人頭塩野適斉は幕府の命により 地誌編纂のため調査を命じられて此の地を訪れて次の一詩を賦し「津久井県紀行詩集」の中に収められている。
築井城南 長竹の中 潴は荒沢をなし 一区 叢なり
甲兵伏する所 名跡を伝ふ 今日寥々として 鳥、風を喚ぶ
 (津久井町教育委員会)