小倉山
散策:2009年02月上旬
【低山ハイク】 小倉山
概 要 小倉山は相模川の西に聳える低い山です。 今回は北側から小倉山へ登り、第一展望台を経て小倉山林道へ降りていきます。 林道を少し歩いた所から山道に入り、三増峠まで続く尾根道を歩いていきます。
起 点 相模原市 小倉バス停
終 点 愛川町 上三増バス停
ルート 小倉バス停…茶畑入口…歩道橋…鞍部…八坂神社跡…小倉山…313m峰…第一展望台…小倉山林道…尾根道入口…290m峰…馬頭観音…小ピーク…小ピーク…三増峠…三増峠登り口…上三増バス停
所要時間 4時間10分
歩いて... かつては見晴らしの良かった第一展望台は、この時には周囲の樹木が育っていて、眺めは今ひとつでした。 林道から分かれて三増峠へと続く尾根道は地形図に破線で載っています。 脹脛が痛くなるような急坂があったものの、草や細木が道を覆っている訳でもなくて、 広めでしっかりとした明瞭な道になっていました。
関連メモ 雨乞山
コース紹介
小倉(おぐら)バス停
橋本駅(JR横浜線)の北口から[橋07]鳥居原ふれあいの館行きバスにて18分、1時間に1本程度の便があります。 同じ乗り場から[橋03]三ヶ木行きバスも1時間に1本程度出ています。 三ヶ木行きに乗った場合には宮原バス停で下車し、すぐ先の宮原交差点を左折して4分ほど歩いてきます。 いずれも10時頃から13時頃までの間には便がないので、事前に確認しておきましょう。
バス停から20mほど引き返して石段を降り、右手へ続く県道511号を進んでいきます。 すぐの所に小沢方面の小倉バス停があります。 橋本駅の南口から出ている[橋05]小沢行きバスが通っていますが、午前中には10:50発の1本しかありません。
(写真はバス停の先から振り返って写したものです)
相模川に沿って続く車道を4分ほど緩やかに降っていくと、串川河原橋が架かっています。 車道沿いの河原橋人道橋を渡り、川沿いの道を過ぎたすぐ先から右手へ坂道が分かれて登っていきます。 その入口には「興楽尊」と書かれた祠があり、 中には、蓮台の上に座って赤い頭巾と前掛けをした地蔵が安置されていました。 両脇には千羽鶴が飾られ、手前には餅やミカンや花などがお供えされていました。 横には「小倉山湘南寺」の名前が書かれた掲示板がありました。 坂の登り口には石柱が立っていて「観音坂」と刻まれていました。 解説文によると、その昔に観音様があったことに由来するのだそうです。
観音坂を見送って車道を進んでいきます。 すぐにある河原橋バス停を過ぎて20mほど進んだ所から右手に分れていく坂道へ入っていきます。 民家が建ち並ぶ坂道を登っていくと、正面に低い山が見えてきます。 その山に向って道なりに真っ直ぐ進んでいきます。 突き当たりまで登っていくと、道は左手へと曲がっていきます。 曲がり始めてすぐの所から右手へ分れていく道に入っていきます。 入口には「この先行き止まり」や 「この先農業振興地域。一般車両の進入はご遠慮下さい」の標識が出ています。 その道へ入って軽く登り始めると、災害時一時避難場所にもなっている広場があります。 中ほどには大きな木が生えていて、四方に広げた枝が木陰を作っていました。 ブランコなどもあって、子供の遊び場にもなっているようでした。 片隅には「寿命大長遠」と書かれた祠が建っていて、尺杖を持ったお地蔵さんが安置されていました。 台座に刻まれた文字によると延命地蔵願王菩薩というようです。 毛糸のマントを着せてもらっていて温かそうでした。
右手に広がる西光園墓地を左手から廻りこむようにして進んでいきます。 山沿いに続く坂道を登っていくと、右下に「七福神」の幟が何本もはためくお堂がありました。 ちょいと階段を降りていって中を覗ってみると、 「荏柄天神社」の御札のある天神様の像が安置された小祠が真ん中にあり、 その両側には白木の社が三つずつ並んでいました。 お堂の傍には石碑が設置されていました。 題字も刻まれていましたが、達筆すぎて無学の私には読めませんでした。
今般圏央道建設に伴い代替地である此の地に移転いたしました 半僧坊と廃寺常照寺はもともと高速道路用地内に在りました。 その縁起を簡単に記しますと半僧坊は廃寺西光寺の鎮守様で、 常照寺はその昔相模川下流の明音寺地区より移った寺でした。 しかし両寺共に明治から昭和にかけて東光寺に合寺合併して、 現在唯一の寺「湘南寺」と成ったのです。 故に今度はそれぞれの歴史をとどめるべく社の新築と遺骨の改葬を懇ろに勤め、 又当地の変遷を遡りて諸々の先人を偲び、報恩感謝の行として営弁いたしました。
竹が生える所を過ぎて左手へ曲がっていくと、左側には柵が続いていました。 入口に掲げられた看板によると、埋蔵文化財の発掘調査が行われているようでした。
工事中
工事名 一般国道486号(さがみ縦貫道路)建設工事に伴う城山地区(小倉)埋蔵文化財発掘調査に係わる工事
工事場所 相模原市城山町小倉地区
工期 平成20年4月1日〜平成21年3月31日
施工 財団法人かながわ考古学財団
茶畑入口
植林帯に入り、左手へと曲がって緩やかに登っていきます。 6分ほど登っていくと、ガードレールの設置された道が右手から合流してきます。 その脇には「無縁墳墓等改葬」の公告看板が立てられていました。 さがみ縦貫道路の建設に伴って場所を移すので申し出るようにとの内容でした。 そこを過ぎて更に登っていくと、高台に広がる畑地に出ました。 右手へ曲がっていく角に電柱が立っていて、 「山火事注意」の円い標識が取り付けられています。 ここから小倉山へ登っていきます。 小倉バス停から35分ほどで到着しました。 曲がり角から左手へ分かれて降っていく道もありますが、すぐ先に金網柵が設置されているようでした。 以前には電柱に「小倉山山頂」と書かれた道標が取り付けらていてこの道を指していたようですが、 この時には見かけませんでした。 ここは電柱の右脇から畑の周辺に続く細い道を進んでいきます。
山火事注意
自然はみんなのもの・自然を守りましょう。
 (城山町)
歩道橋
公共の道という雰囲気ではなくて、畑の一部のような感じの道を進んでいきます。 小屋の脇を過ぎて野菜畑が終わると茶畑が広がるようになります。 茶畑が終わると栗林になってきます。 次第にはっきりしてくる道を緑色の網沿いに進んでいくと、茶畑入口から3分ほどで歩道橋が架かっています。 橋の下は広い道が通っていました。 この先に採石場があるようで、石を積んだ大型ダンプカーが通るために広い道になっているようでした。
発破について御知らせ
此れより奥地の当社砕石所では毎日発破による砕石工事を行っています。
発破のあいず 1日2回〜4回サイレンによる合図
発破の時間 午前9:00〜11:00時 午後14:00〜16:00時
尚発破作業は警備員が警戒に当りますが、皆様方の御協力を御願い申し上げます。
 (小川工業株式会社小倉工場)
黄緑色の鉄柵が設けられてL字形に曲がった橋を渡っていきます。 橋の途中から振り返ると、高台の畑地の向こうには、街並みや低い山並みが広がっていました。 ここから暫くは展望の得られない山道が続くので、眺めを楽しんでいきましょう。
歩道橋を渡り終えると山道が始まります。 真っ直ぐ登っていくと、すぐに右へ曲がっていきます。 道はしっかりとしていて分かりやすくなっていました。 「山火事注意」の看板も見かけたので、 ハイキングコースとして認知されている道のように思えました。 山道に入ってから1分半ほど緩やかに登っていくと、大きな樹木のすぐ先から左手へ踏み跡が分かれていきます。 黄テープも巻かれていて、朽ち果てそうな横木の階段も設置されていました。 手元の地形図に載っている破線の道なのでしょうか。 尾根を直登するように描かれていますが、 正面に続く道は斜面に沿って続いているので、別の道なのでしょうか。 今回は斜面に沿って続くしっかりとした正面の道を進んでいきました。 程なくして林床にアオキが生い茂る植林帯へと入っていきます。 少し抉れ気味になった道を登っていきます。
緑は森呼吸 山火事注意
たばこ・たき火はよく消そう!
 (神奈川県、森林国営保険)
鞍部
雑木林に変わった道を更に登っていきます。 傾斜はそれほど急ではなく、しっかりと確認できる道が続いていました。 草木などが道を覆っている訳でもなくて分かり易い道を登っていくと、 歩道橋を渡って10分ほどの所で、右手から僅かな道が合流してきました。 その道を合わせて、斜面に続く道を更に登っていきます。 右手の樹間からは下の方に採石場が見えていました。 次第に広くなってくる道を登っていくと、左手の高みから降ってくる道と合流する鞍部に着きました。 歩道橋を渡ってから12分ほどの所になります。 角には「No6緑を愛しましょう」と書かれた電力会社の黄色い標柱が立っていて、 左手の道を指していました。 「神奈川県森林公社分収造林地」と題した看板もありましたが、文字はほとんど読めなくなっていました。 右手には神奈川県造林公社の「山火注意」の標柱がありましたが、道標類は見かけませんでした。 小倉山へは右手へ進んでいきますが、その前に左手から降ってくる道が気になったので、 すぐ先に見えている高みまで往復してくることにしました。
たばこの投げ捨て!火事のもと
 (神奈川県)
八坂神社跡
尾根の背に続く広めの道を登っていきます。 傾斜の急な道を1分ほど登っていくと、小高い所に着きました。 手元の地形図によると、小倉山の北400m辺りにある標高280mほどの高みになるようです。 高みには1m四方ほどに石が積まれていて、その脇には木製の標柱が立っていました。 何やら薄っすらと文字が書かれていました。 「八坂神社跡」と書かれていたとのことですが、ほとんど消えて読めなくなっていました。 以前にはここに祠が建っていたようです。 高みの先は降り坂になっていました。 先ほどの黄色い標識や地形図からすると、その先に送電線の鉄塔No.6が立っているようですが、 確かめるのは止めておきました。
先ほどの鞍部まで引き返してきて、その先に続く尾根道を進んでいきます。 鞍部から10mも行かないうちに道が二手に分かれていました。 正面の高みを巻くようにして斜面を横切っていく左手の緩やかな道と、 右手のマウンドから先へと続く道になります。 以前には道標が取り付けられていたようですが、この時には見かけませんでした。 どちらへ進んだものかと思って辺りを見回していると、 道が分かれていく角に生える細い木に巻かれた黄テープに「小倉山→」と書かれていて、右手の道を指していました。 ここは右手のマウンドの先に続く道を登っていきます。 登り出したすぐ先から右へ曲がっていく所に生える木にも黄テープが巻かれていて、 同様に「小倉山→」と書かれていました。
雑木林に続く道を登っていきます。 道は広めでしっかりとしていました。 先ほどの鞍部から2分ほど登っていくと、尾根の背に続く広い道になってきます。 傾斜も緩やかでとても歩き易くなっていました。 左手の植林帯と右手の雑木林を分ける尾根道を進んでいくと、 程なくして右側に1本の有刺鉄線柵が続くようになります。 柵には「あぶないから入らないで下さい」と書かれた看板が点々と設置されていました。 軽く登って尾根を跨いでいくと、 「発破 此れより内は危険 立入禁止」と書かれた標柱が立っていました。 この尾根道は右下にある採石場との境界になっているようでした。 引き続き広くて歩き易い尾根道を進んでいきます。 最初は1本だった有刺鉄線柵は、2本から3本へとその本数を増やしていきます。
小倉山 (標高327.2m)
笹竹が生える所を過ぎていくと、少し左へ曲がっていきます。 明るい植林帯になった尾根の背を軽く登っていくと、僅かな高みに着きました。 道端に立つ神奈川県造林公社の標柱には 「小倉山327.2 頂上です」と書き込まれていました。 どうやらここが小倉山の山頂になるようです。 先ほどの鞍部から12分ほど、茶畑入口から37分ほどで登って来られました。 道の中ほどには三等三角点もありました。 周囲は樹木に囲まれていて展望は得られず、笹も少し生えていました。 脇には古くなって朽ち果てた標識類が幾つか落ちていました。 何やら文字が書かれていましたが読めませんでした。 ここは高みの先へと続く道を緩やかに降っていきます。
植林帯と雑木林を分ける尾根道を緩やかに降っていきます。 僅かな登り降りはあるのもの、広めで歩き易い道が続いています。 小倉山から4分ほど進んで僅かな登り坂が現れると、道が右手へ分かれていきます。 道標類は見かけませんでしたが、ここは正面の高みへ続く道を登っていきます。 高みに着いて少し右手へ曲がって、尾根道を更に進んでいきます。 引き続き広めで歩き易い道が緩やかに続いています。 小倉山から6分ほど進んでいくと、僅かな高みを避けて右手へと降っていきます。 試しに高みまで登ってみましたが、明瞭な道はそこで途絶えていました。 手元の地形図によると、小倉山の南東200m辺りにある標高310mほどの高みになるようです。
313m峰
馬の背のようになった尾根を降って僅かな高みを越えていきます。 狭まってきた尾根の背の両側に太い樹木が何本か生えている所を過ぎて、 緑色の葉を付けた細い木が道の両側に生えるようになってくると、傾斜の増した登り坂が始まります。 右側には黒色と黄色のトラロープが張られていたりもしますが、 それにつかまらなくても何とか登っていけました。 2分ほどかけて急坂を登り切って緩やかになった道を少し進んでいくと、なだらかになった高みに着きました。 手元の地形図にある313m峰になるようです。 小倉山から14分ほどで到着しました。 道端に生える樹木の脇に道標が立っていて、正面へ続く道は「第一展望台15分」、 今登ってきた道は「小倉山山頂10分」となっています。 僅かな踏み跡が道標の右手から分かれているようでした。 地形図に載っている破線の道のように思えましたが、 ここは道標に従って、正面へ続くしっかりとした道を進んでいきます。
なだらかな山頂部を少し進んでいくと降るようになります。 僅かな鞍部に着いてその先の高みへと登り返していきます。 高みを越えて植林帯を降っていきます。 植林帯を過ぎて緩やかになった尾根道を進んでいきます。 広めで快適な道が続いていました。 再び植林帯へ入っていくと、右下に広い道が見えてきます。 少し左手から回り込むようにして降っていくと、その道に降り立ちました。 降り立った広い道は、地形図に二重線で描かれている道になるようです。 313m峰から11分ほどで降りて来られました。 降り立った所には道標が立っていて、右手の広い道は「登山道入口」、 今降ってきた道は「小倉山山頂」となっていました。 道標の袂に板が1枚落ちていました。 板を打ち付けていたと思われる釘が支柱に残っていたので、以前にはその板も取り付けられていたようです。 文字は消えて読めなくなっていましたが、「第一展望台」と書かれた左手の道を指す板だったようです。 右手は小倉山林道へ降っていく道ですが、左手すぐの所に第一展望台があるので、 立ち寄っていくことにしました。
第一展望台
広い道を左手へ10mほど進んでいくと、右手の高みへ登っていく道が分かれていきます。 緩やかで広い道はその先へと続いていますが、右手の高みを覗いてみると明るく開けた感じになっていたので、 右手の坂道を登っていきました。 坂道を20mほど登っていくと、送電線の鉄塔「キャタピラー上溝線No.10」の立つ高みに着きました。 標識類は見かけませんでしたが、ここが第一展望台になるようです。 手元の地形図によると、313m峰の東北東350m辺りにある標高260mほどの高みになるようです。 313m峰から13分ほど、小倉山から28分ほどで到着しました。 展望台とは言っても展望用の塔が立っている訳ではなくて、単に送電線の鉄塔の立つ高みというだけです。
高みへの坂道を見送って広い道をその先へ進んでいくと1分ほどで行き止まりになっていて、 その先は植林地の急斜面になっていました。
丁度昼時になったので、鉄塔の袂に腰を降ろして昼食タイムにしました。 以前には眺めの素晴らしい所だったようです。 「展望台」ということで、ここからの眺めを期待していたのですが、 この時には周囲の樹木が育っていて、梢越しに街並みや山並みなどが僅かに見えるだけでした。 以前には北側には相模川に架かる小倉橋もよく見えたようですが、この時には見えませんでした。
南東側には街並みが広がっていましたが、これも手前の樹木に邪魔をされて、 梢越しに僅かに見える程度でした。 普通に写すと樹木ばかりになってしまうので、背伸びをして手を高く上に伸ばして、 何とか左に示す程度の写真が撮れました。
第一展望台」と云うのだから「第二展望台」とかいうのもあっても良いように思えますが、 今回のルートでは「展望台」と名が付く所はここしかありませんでした。
お腹も満ちたところで、先ほどの分岐まで引き返して、 道標「登山道入口」に従って広い道を進んでいきます。 道の両側にアオキが生い茂る広くて緩やかな道を進んでいきます。 先ほどの鉄塔の建設資材の運搬のために作られた道なのでしょうか。 地形図に二重線で描かれている道だけあって、車が通っていけそうな幅があります。 分岐から4分ほど進んでいくと、少し道幅が広がった先で、道が二手に分かれていました。 道標類は見かけず、どちらへ進んだものかと暫く考えていました。 左手に登っていく道の方がしっかりとしていて広めになっていました。 入口には赤テープが取り付けられていたりもして気になる道でしたが、 今回は右手に降り気味に続く細めの道を進んでいきました。
一昨日に降った雨のためなのでしょうか、道の真ん中に水が流れていました。 そのためもあって、実際以上に道が狭く感じました。 そんな道を緩やかに1分ほど降っていくと正面が開けてきて、 相模川や街並みを見渡せる景色が広がっていました。 先ほどの第一展望台からも以前にはこのような眺めが望めたのだろうと思いながら、 しばらく眺めを楽しんでいきました。
水の流れがなくなった道を少し進んでいくと、右手には山並みが広がっていました。 小倉山の山頂は樹木に囲まれていて展望は得られなかったし、 第一展望台も周囲の樹木が育っていて展望はあまり良くありませんでしたが、 この辺りまできて、やっといい眺めに出会うことが出来ました。
小倉山林道
広くなった道をその先へ2分ほど降っていくと、左右に通る広い道に降り立ちました。 第一展望台から10分ほどで降りて来られました。 降り立った所に倒れた道標があって、「小倉山山頂・展望台」と「登山道入口」の板が取り付けられていました。 倒れているのでどちらを指しているのかは不明ですが、 手元の地形図と併せて考えてみるに、今降ってきた道が「小倉山山頂・展望台」で、 左手の道が「登山道入口」のようでした。 降り立った道を示す標識類は見かけませんでしたが、小倉山林道というようです。 左手へ1kmほど進んでいくと県道511号に出られるようですが、 今回はここから三増峠へと向うべく、林道を右手へと進んでいきました。
(写真は林道に降り立ってから振り返って写したものです)
尾根道入口
広くて緩やかな小倉山林道を進んでいきます。 土の道になっているので、舗装路よりも風情があります。 時折樹間から街並みなどが見えたりもしますが、総じて林道からの展望は得られません。 林道に降り立った所から7分ほど進んでいくと、北へ向きを変えた道が南南西へ曲がっていきます。 一昨日に降った雨のためか、道には水が流れていたりもしました。 そんな曲がり角を過ぎていくと、右手に続いていた尾根が次第に低くなってきます。 再び右手の尾根が盛り上がってくる林道を進んでいくと、 左手へ緩く曲がっていく手前から左側の植林帯へ入っていく山道があります。 小倉山林道に降り立った所から15分ほどの所になります。 山道の入口に生える樹木に巻かれた黄テープに 「上三増」や「三増峠」と書き込まれていて、その山道を指していました。 袂には頭を黄色く塗られた杭もありました。 手元の地形図によると、ここから破線の道が三増峠まで続いているようです。 このまま林道を進んでいっても三増峠へ着きますが、 今回はここから尾根道を歩いていくことにしました。
植林帯に続く道を1分ほど軽く登っていくと、広めで緩やかな尾根道になってきます。 「蜘蛛の巣が張っていてほとんど歩かれていない道」との報告もありましたが、 この時には綺麗に刈り払われていて、幅も広めで快適な道になっていました。 尾根道に入って5分ほど進んでいくと、左手が開けて山並みや街並みを見渡せる所がありました。 新宿副都心の辺りでしょうか、高層ビルが幾つも建っている所がよく見えていました。
僅かなアップダウンはあるものの、広めで歩き易い尾根道が続いています。 山道もみんなこんな感じだと楽でいいがと思ったりしながら、快適に歩いていきます。 馬の背のようになった所もありますが、道幅は広くて危ない感じはありません。
290m峰
僅かな登りが続くようになると、左側の樹間からは下の方にゴルフコースが見えるようになってきます。 僅かな高みの右手を過ぎていくと、正面が開けた所に出ました。 尾根道入口から21分ほどの所になります。 緩やかな高みになっていて、尖ったピークではないので、山頂が何処なのかはよく分かりませんでしたが、 この辺りの高みが、手元の地形図にある290m峰になるようです。 この尾根は葉山島地区と明日原地区の境界になっているようで、 東京営林局が設置する頭を赤く塗られた「境界見出標識209」がありました。 この先、三増峠に至るまで、同様の境界見出標が点々と設置されていて、歩く時の目印になります。
290m峰を過ぎていくと、道は右手へ曲がっていきます。 左側の樹木が疎らになっていて、下に広がるゴルフコースなどを見下ろすことが出来ました。 池もあって雰囲気の良さそうなコースでした。 プレーしている人達の声が聞こえてきたりもしました。 手元の地図によると相模野ゴルフ場というようです。 その奥の方には街並みも広がっていて、いい眺めでした。
馬頭観音
引き続き広めで歩き易い尾根道が続いています。 尾根の右斜面を過ぎて尾根の背に出ると、少し登るようになります。 正面の左手に広がる山並みを眺めたりしながら軽く登っていきます。 小ピークを過ぎて降り始めた尾根道を進んでいくと、道の真ん中に石仏が立っていました。 290m峰から4分ほど、尾根道入口から26分ほどの所になります。 側面には「延享五戌辰歳八月吉祥日」や「開眼供養馬頭観音一体」などと刻まれていました。 延享5年(1748)と云えば、江戸時代の中期に建立されたようです。 前には小銭などがお供えされていました。
ここで道が二手に分かれています。 石仏が向いている南側へと降っていく左手の道と、石仏の裏手を過ぎてその先へ降っていく正面の道になります。 石仏の脇に生える樹木に巻かれた黄テープに書き込みされていて、 左手の道は「バス」、正面の道は「三増峠」となっていました。 左手の道は地形図に載っている破線の道のようで、上三増地区へ降っていけそうでしたが、 今回は三増峠へ向うべく、正面の道を降っていきました。
これまでに比べて若干細めになった尾根道を降っていきます。 浅い鞍部に着いて緩やかになった道を進んでいくと、赤い「鳥獣保護区」の標識が立っています。 そこから細めの道が右手へ分かれていきますが、正面の植林帯へ続く道を登り返していきます。 「境界見出標識217」を過ぎて植林帯を登っていくと、赤ペンキが塗られた大きな樹木が生える尾根に登り着きました。 馬頭観音のある分岐の西100m辺りにある尾根のようです。 左手の先の細い木に赤テープが巻かれていて、ルートを示しているようでした。 右手にも道が続いているようでしたが、ここは左手へ続く尾根道を進んでいきます。
特に分岐などはなくて迷うようなことのない尾根道が続きます。 点々と設置されている境界見出標識を確認しながら進んでいきます。 僅かな起伏もありますが、道は広めで歩き易くなっていました。 馬頭観音から6分ほど進んでいくと小ピークに着きます。 手元の地形図によると、馬頭観音のある分岐の西250m辺りにある標高290mほどの高みになるようです。 高みには「境界見出標識224」があり、その傍の木には赤ペンキが塗られていました。 道はここで左手へと曲がっていきます。
僅かに降って緩やかになった尾根道を進んでいきます。 草や細木が道を覆っている訳ではなくて、分かり易い道が続いています。 地形図には鳥居マークのある辺りへ降っていく破線の道が載っているので、 そろそろ分岐があるはずだがと気にしながら進んでいきましたが、それらしい道は分かりませんでした。 やがて傾斜が増した植林帯を登っていきます。 かなりの傾斜があって脹脛が痛くなってきたりもします。 真夏だと大汗をかくところでしょうが、この時は真冬なので額に薄っすらと汗が滲む程度で済みました。 直前に誰か歩いたのか、滑ったような真新しい靴跡が残っていたりもしました。 そんな急坂も4分ほど登っていくと、少し傾斜が緩やかになってきます。
小ピーク
再び傾斜が増してきた植林帯と雑木林を分ける尾根を登っていきます。 緩やかになった尾根を進んでいくと小ピークに着きました。 手元の地形図によると、馬頭観音のある分岐の西550m辺りにある標高310mほどの高みになるようです。 馬頭観音から19分ほどで着きました。 高みには頭を赤く塗られた「境界見出標識235」がありました。 はっきりした道は左手へと降っていきますが、正面にも僅かな踏み跡がありました。 中ほどに生える樹木に赤テープと黄テープが巻かれていて、 左手へ降っていく道は「三増峠」となっていました。 ここは左手へ曲がっていく道を降っていきます。
かなり傾斜のある坂道を降り始めると、脇の樹木に巻かれた黄テープに「三増峠」と書かれていて、 降っていく道を指していました。 正面にはこんもりとした高みが見えています。 これから向う小ピークのようです。 降ってからあそこまで登り返していくのかと思うと、気が重くなってきたりもします。 3分半ほど降っていくと鞍部に着きます。 鞍部を過ぎて傾斜の増した坂道を登り返していきます。 先ほどの小ピークの手前の坂よりも急な感じがしました。 痛くなってくる脹脛をかばうように何度も立ち止まりながら、ゆっくりと登っていきました。 振り返ると、先ほどの小ピークが聳えていました。
小ピーク
急坂を3分ほどかけて登り切ると小ピークに着きました。 手元の地形図によると、先ほどの小ピークの西南西200m辺り、 三増峠の北東250m辺りにある標高310mほどの高みになるようです。 先ほどの小ピークから9分ほどで着きました。 高みには頭を赤く塗られた「境界見出標識241」がありました。 ここで道が左右に分かれています。 正面に生える木に括り付けられた道標によると、 左手の道は「三増峠」、右手の道は「小倉山(林道から)」となっています。 別の木には黄テープが巻かれていて、今登ってきた道は「小倉山」となっていました。 また桃色テープに「三増峠」と書かれた木もあって、左手の道を指していました。 右手の道からも小倉山林道へ降りていけるようでしたが、 今回は道標などに従って、左手に続く尾根道を進んでいきました。
三増峠 (標高319m)
植林帯に続く坂道を降っていきます。 4分ほど降っていくと、右手の樹木が疎らになって山並みを見渡せる所がありました。 そこを過ぎて尾根道を更に降っていくと、右下に小倉山林道が見えてきます。 そのまま尾根道を降っていくと三増峠に着きました。 先ほどの小ピークから6分ほど、小倉山林道にあった尾根道入口から1時間5分ほどで到着しました。 正面には小倉山林道が通っていて、 降り立った所には「三増峠 標高319m」の標識が林道側を向いて立っていました。
尾根道入口からここまでの道は、地形図では破線の道になっていて不安もありましたが、 脹脛が痛くなるような急坂があったものの、草や細木が道を覆っている訳でもなくて、 広めでしっかりとした明瞭な道になっていました。
自然環境保全地域
自然を大切にしましょう。
建築物の新改増築、土地の形質変更等は届出が必要です。
 (神奈川県)
小倉山林道に出る手前には鉄パイプが設置されていて封鎖されていました。 貼り紙がしてあって「バイク・自転車進入禁止」となっていました。 南側に貼り付けられていたし、内容からしても、 南側から登ってきて林道へ入ってくるのを防止しているようでした。 ハイカーは大丈夫なようでしたが、通り抜けるのが容易ではありませんでした。 地形図にある429.1m峰(雨乞山)へと続く破線の道は、 林道に出た側から西へ伸びる尾根へ続いていましたが、その入口も柵で閉ざされていました。 そちらには貼り紙などは見かけませんでしたが、その尾根道が通行止めということではなくて、 バイクや自転車が迂回して林道へ入ってくるのを防止する目的で設置されているように思えました。
この三増峠は、小倉山林道と尾根道とが接していて、 南側からも道が登ってくる五叉路のような所になっています。 手元の地形図では峠を越えて北側へ降っていく道も描かれていますが、この時にはよく確認しませんでした。 角には道標が設置されていて、西へ続く林道は「根小屋」、 柵で閉ざされた尾根道は「志田・韮尾根」、南へと降っていく道は「三増」となっています。 今回はここから南へ続く道を上三増地区へと降っていきました。
(志田・韮尾根への尾根道は「雨乞山」を参照)
バイク・自転車進入禁止
ここは専用林道です。 事故防止のためバイク・自転車の乗り入れはご遠慮下さい。
 (東京神奈川森林管理署)
南へ降っていく道には幅の広い横木の階段が続いていました。 降り始めてすぐ右手の高みに石仏が見えたので、ちょいと立ち寄っていきました。 「吉祥海雲」と刻まれた台座の上の蓮台に座った石仏と、その両側に小振りの石仏が並んでいました。 台座の側面には他の文字も刻まれていましたが、下の方は土に埋まっているし風化も進んでいました。 「相州愛甲郡三…」等と刻まれているようでしたが、明瞭には判読できませんでした。
植林地の斜面を曲がりながら、横木の階段混じりの広めの道が続いています。 ロープ柵だったと思われる支柱が転々と立っていましたが、ロープは無くなっていて、 柵としての用は成さなくなっていました。 一昨日の降雨のためなのでしょうか、やがて道には水が流れるようになってきました。 次第に明瞭になってくる谷筋を降っていくと、三増峠から7分ほどの所に、 しっかりとした板が道に敷かれていました。 そこを過ぎて更に降って両側に柵が現れると、コンクリート舗装された道になってきます。 左手から来る道が合流している所で、下には沢が流れていました。
三増峠登り口
谷筋の植林帯に続くコンクリート舗装された道を緩やかに降っていきます。 沢沿いに続く道を降っていくと県道65に出ました。 三増峠から11分ほどで降りて来られました。 車道に出た所には「三増峠登り口」の石標が立っていて、簡単な解説文も刻まれていました。 また「三増峠ハイキングコース 峠まで540m」の道標も立っていて、 今降ってきた道を指していました。 車道の右手100mほど先には三増トンネルの入口が見えていますが、 上三増バス停に向って左手へと降っていきます。
三増峠登り口
みませとうげのぼりぐち
この峠は、三増合戦のおり、武田勢が帰陣に用いたと伝えられるなど、 愛甲と津久井、山梨方面とを結ぶ道筋の要衝であった。
 (愛川町教育委員会)
豊かな緑 山火事注意
たばこ・たき火は完全に消そう!
 (森林国営保険、神奈川県)
中古自動車置場のような所を過ぎて竹林の辺りまで来ると、 道端に「三増峠」の解説板が立っていました。 その昔の三増合戦のおりに武田勢が通行した峠道なのだそうです。 左手からの道を合わせて天神沢に架かる天神橋を渡っていくと、次第に民家が増えてきます。
三増峠
三増峠は志田山塊の東端「下の峰」にかかる峠路で、三増峠越え、または三増通りの名がある。 中世のころは、信濃(長野)・甲斐(山梨)から鎌倉に向う古街道であった。 永禄12年(1569)北条・武田両軍が戦った三増合戦のおり、武田方の小荷駄隊が通行した道で、 信玄道の名も残している。 皇国地誌残稿に「 松ヶ平ヨリ西北上ルコト五百六十七間三尺(約1キロメートル)ニシテ 嶺上ニ達シ是ヨリ津久井郡根小屋村ニ連ナル険ニシテ近便ナリ 」とある。
 (愛川町教育委員会)
砂防指定地 天神沢
この土地の区域内において宅地造成、家屋の新築、土採取等の行為をする場合は 神奈川県知事の許可が必要ですから、厚木土木事務所にご相談下さい。
上三増(かみみませ)バス停
上三増公民館を過ぎ、相模野カントリー倶楽部へ続く道を左に分けて県道を道なりに真っ直ぐ進んでいきます。 運送会社の車両置場を過ぎて正面にこんもりとした森が見えてくると、 さがみ野霊園への道が左手へ分かれていきます。 その分岐を過ぎた角に上三増バス停があります。 三増峠登り口から17分ほどで到着しました。
本厚木駅(小田急小田原線)まで、[厚60][厚96]厚木バスセンター行きバスにて33〜34分、1時間に2本程度の便があります。
バス停のある所はバスの折り返し場になっていて広くなっています。 脇に「相模国夢紀行」と題した案内板が設置されていて、 この付近で行われた三増合戦などが紹介されていました。
相模国夢紀行
小田原城を攻撃したものの、北条方の徹底的な籠城作戦のため、これを落とすことができなかった武田軍は、 小田原を立ち、相模湾沿いに平塚まで進み、平塚から相模川を右に見ながら北上、現在の厚木市から愛川町に入り、 合戦の後、津久井町、相模湖町、藤野町を経て甲州へ帰還しました。 厚木あたりから武田勢が通った道が、古くから信玄道という名前で呼ばれ、 この経路沿いには、このあたり以外にも、厚木市から藤野町にかけて、図で紹介しているとおり、 三増合戦や信玄にゆかりのある史跡や伝承が多数残されています。 ここだけではく、他のエリアにも残っているこれらのゆかりの地も是非お訪ねになってみてください。 県商業観光課では、このゆかりの地をとりあげ、 詳しく紹介したパンフレット「かながわ歴史的観光ルート・マップ・相模国夢紀行」を作成しています。
このあたりは、1569年、北条方と武田方の間で戦われた三増合戦の戦場となったところです。 三増合戦は、歴史の表舞台からは忘れ去られているようですが、 小田原城を攻撃したもののこれを落とすことができず、甲州へ引き上げようとする武田軍と、 北条軍との間で行われた戦さです。 この戦いは、北条方3269人、武田方900人の戦死者を出し武田方の勝利に終わりますが、 図で紹介しているとおり、付近には合戦や信玄にゆかりのあるところが多数残っています。 散策のかたわら、400余年前の戦いの跡や往時の面影を偲んでいただければと思います。
 (神奈川県)